よく考えて!「日の丸・君が代」 
         いま、八王子では


  TOP規約活動報告お知らせ賛同運動ML紹介LINK参加希望         

 君が代・日の丸は、当該者以外には「思想・信条の自由」に反すると言いがちですが、それ以上に同僚が権力により分断され精神的にも荒廃してしまいます。のちほど、教育基本法十条の解説もお読み願えればと存じますが、そこには「教育行政の教育内容への介入ができないことが明文化されています」。
                【電子化作業 野副 達司<for_nze01@ybb.ne.jp>】


現在はNo16が表示されています。お読みになりたい号数をクリックして下さい。
簡単な目次はこちらに掲載していますのでご覧下さい。
No 1
No 2
No 3
No 4
No 5
No 6
No 7
No 8
No 9
No10
No 11
No 12
No 13
No 14
No 15
No 16
No 17
No 18
No 19
No 20
No 21
No 22
No 23
支援を

       よく考えて!「日の丸・君が代」いま、八王子では(16 )

 32年前に提訴し、29年前に「杉本判決」として知られた、家永教科書検定不合格処分取消訴訟の判決文(抄)を電子化しました。最近の教育状況は低次元だと言う方が大勢いらしゃることも大事ですが、それよりなにより「教科書裁判」そのものへの関心が無くなっていく中で、その貴重な遺産の上で闘いは展開されるべきと思います。

-----(16)教育の自由/杉本判決(抄)----------------------------

 教科書不合格処分取消の行政訴訟(第二次訴訟)判決
     (1967年6月東京地裁提訴・70年7月判決:いわゆる「杉本判決」)

 「教育の自由」を日本国憲法の保障する基本的人権のひとつと認めた最初の判例。憲法26条の核心が国民とくに子どもの学習権を保障する規定であること、これに対応する責務は親をはじめとする国民にあり、その責務を助成するため責任を負う国家も、教育基本法10条から教育内容に介入することは許されないとして、国家教育権を否定、教育の内容については権力による統制を受けないという意味での「教育の自由」をはじめて裁判所の名で確認した。それは、「戦前の学校教育が、国家によって富国強兵の国策遂行のための格好の手段として最大限に利用され、この目的のために教育内容は徹底した国家管理のもとにおかれ、時代の推移につれて極端な軍国主義的、超国家主義的なものとなり、わが国を侵略戦争と敗戦に導くうえで大きな役割を果たした。国民は、こうした教育によって完全にマインド・コントロールされていた」からである。根津さんの学校教育現場での実践は、そのような歴史的背景を踏まえている。さらに、杉本判決を基底としつつも、権利主体としての子どもの権利条約13条(子どもの表現の自由:子どもの自己表現の自由と「あらゆる種類の情報及び考えを求め受け」る自由)を保障する営みでもある。


  杉本判決小見出し(抄)
< 学習権と教育の自由の保障、国家教育権の否定 >
< 教育の政党政治多数決原理からの独立 >
< 精神的・内面的世界の不可侵性 > 
< 小・中・高等学校教師の教育の自由の保障 >
< 教科書出版の自由と保障 >
< 検閲の禁止と教科書検定権の憲法上の限界 >
< 教育基本法の理念と教科書検定権の教育基本法上の限界 >
< 本件不合格処分の違憲・違法性 >


 教科書裁判第二次訴訟(行政処分取消請求事件)経緯
「杉本判決」(第一審判決):〔許容、被告控訴〕
 東京地裁1967年(行ウ)第85号検定処分取消請求事件1970年7月17日判決
「畔上判決」(控訴審判決):〔控訴棄却、控訴人上告〕
 東京高裁1970年(行コ)第63号検定処分取消請求控訴事件1975年12月20日判決
「中村判決」(上告審判決):〔破棄差戻〕
 最高裁1976年(行ツ)第24号検定処分取消請求上告事件1982年4月8日最高裁一小判
 決
「丹野判決」(差戻審判決):〔原判決(第一審判決)取消、却下〕/終結
 東京高裁1982年(行コ)第38号検定処分取消請求控訴事件(差戻審)89年6月27日

  なお、高嶋伸欣さんの教科書裁判をはじめ、新たな展開の情報などは下記へ、
 「子どもと教科書全国ねっと21」
 電話:03-3265-7606,ファクス:03-3239-8590、
 ホームページ:http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/

-----------------------------------------------------------
東京地方裁判所民事第二部
裁判長・杉本 良吉、陪席裁判官・中平 健吉・岩井 俊。
  1967年6月23日提訴、教科書不合格処分取消の行政訴訟(第二次訴訟)

     一九七〇(昭和四五)年七月一七日判決(杉本判決)(抄)

< 学習権と教育の自由の保障、国家教育権の否定 >

 憲法二六条(中略)の規定は、憲法二五条をうけて、いわゆる生存権的基本権のいわば文化的側面として、国民の一人一人にひとしく教育を受ける権利を保障し、その反面として、国に対し右の教育を受ける権利を実現するための立法その他の措置を講ずべき義務を負わせたものであって、国民とくに子どもについて教育を受ける権利を保障したものということができる。

 ところで、憲法がこのように国民ことに子どもに教育を受ける権利を保障するゆえんのものは、民主主義国家が一人一人の自覚的な国民の存在を前提とするものであり、また、教育が次代をになう新しい世代を育成するという国民全体の関心事であることにもよるが、同時に、教育が何よりも子ども自らの要求する権利であるからだと考えられる。すなわち、(中略)子どもは未来における可能性を持つ存在であることを本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら学習し、事物を知り、これによって自らを成長させることが子どもの生来的権利であり、このような子どもの学習する権利を保障するために教育を授けることは国民的課題にほかならないと考えられる。

              (中略)

 このような教育の本質にかんがみると、前記の子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを教育する責務をになうものは親を中心として国民全体であると考えられる。すなわち、国民は自らの子どもはもとより、次の世代に属するすべての者に対し、その人間性を開発し、文化を伝え、健全な国家および世界の担い手を育成する責務を負うものと考えられるのであって、家庭教育、私立学校の設置などはこのような親をはじめとする国民の自然的責務に由来するものというべきものである。このような国民の教育の責務は、いわゆる国家教育権に対する概念として国民の教育の自由とよばれるが、(中略)しかし現代において、すべての親が自ら理想的に子どもを教育することは不可能であることはいうまでもなく、右の子どもの教育を受ける権利に対応する責務を十分に果たし得ないこととなるので、公教育としての学校教育が必然的に要請されるに至り、前記のごとく、国に対し、子どもの教育を受ける権利を実現するための立法その他の措置を講ずべき責任を負わせ、とくに子どもについて学校教育を保障することになったものと解せられる。

 してみれば、国家は、右のような国民の教育責務の遂行を助成するためにもっぱら責任を負うものであって、その責任を果たすために国家に与えられ権能は、教育内容に対する介入を必然的に要請するものではなく、教育を育成するための諸条件を整備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的に許されないというべきである。

 この点に関し、義務教育に関する憲法二六条二項 (中略) の規定の反面から国にいわゆる教育権があるとするのは相当でないというべきである。

< 教育の政党政治多数決原理からの独立 >


 被告(国・文部省;引用者による)は、現代において、公教育は国政の一環として行なわれるものであるから、公教育についても民主主義の原理が妥当し、議会制民主主義をとるわが国においては国民の総意は法律に反映される建前になっており、憲法二六条一項も「法律の定めるところにより」と規定しているから、法律の定めるところにより国が教育内容に関与することは認められている、と主張する。しかしながら、憲法二六条は、(中略) 法律によりさえすればどのような教育内容への介入をしてもよい、とするものではなく、また、教育の外的な事項については、一般の政治と同様に代議制を通じて実現されてしかるべきものであるが、教育の内的事項については、すでに述べたようにその特質からすると、一般の政治とは別個の側面をもつというべきであるから、一般の政治のように政党政治を背景とした多数決によって決められることに本来的にしたしまず、教師が児童、生徒との人間的なふれあいを通じて、自らの研鑽と努力とによって国民全体の合理的な教育意思を実現すべきものであり、また、このような教師自らの教育活動を通じて、直接に国民全体に責任を負い、その信託にこたえるべきものと解せられる(教育基本法一〇条)。

< 精神的・内面的世界の不可侵性 >

 現代国家の理念とするところは、人間の価値は本来多様であり、また多様であるべきであって、国家は人間の内面的価値に中立であり、個人の内面に干渉し価値判断を下すことをしない、すなわち国家の権能には限りがあり人間のすべてを統制することはできない、とするにあるのであって、福祉国家もその本質は右の国家理念をふまえたうえでそれを実質的に十全ならしめるための措置を講ずべきことであるから、国家は教育のような人間の内面的価値にかかわる精神活動については、できるだけその自由を尊重してこれに介入するを避け、児童、生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機会均等の確保と、教育水準の維持向上のための諸条件の整備確立に努むべきことこそ福祉国家としての責務であると考えられる。

< 小・中・高等学校教師の教育の自由の保障 >

 けだし、教育は、すでに述べたように、発達可能態としての児童、生徒に対し、主としてその学習する権利(教育を受ける権利)を充足することによって、子どもの全面的な発達を促す精神活動であり、それを通じて健全な次の世代を育成し、また、文化を次代に継承するいとなみであるが、児童、生徒の学び、知ろうとする権利を正しく充足するためには、必然的に何よりも真理教育が要請される(教育基本法前文、一条参照)。誤った知識や真理に基づかない文化を児童、生徒に与えることは、児童、生徒の学習する権利にこたえるゆえんではなく、また、民主的、平和的な国家は、真理を愛し、正義を希求する個々の国民によって建設せられるものであり、現代に至る文化も真理を追求するすぐれた先人たちによって築かれたものであって、これを正しく次代に継承し、さらに豊かに発展させるためには、真理教育は不可欠であるというべきである。 (中略) 教育は児童、生徒の心身の発達段階に応じ、児童が真に教えられたところを理解し、自らの人間性を開発していくことができるような形でなされなければならず、また、子どもが事物を批判的に考察し、全体として正しい知識を得、真実に近づくような方法がなされなければならないわけであるが、いわゆる教育的配慮は右の点を内容とするものでなければならない。そして、このような教育的配慮が正しくなされるためには、児童、生徒の心身の発達、心理、社会環境との関係等について科学的な知識が不可欠であり、教育学はまさにこのような科学である。すなわち、こうした教育的配慮をなすこと自体が一の学問的実践であり、学問と教育とは本質的に不可分一体というべきである。してみれば、憲法二三条は、教師に対し、学問研究の自由はもちろんのこと学問研究の結果自らの正当とする学問的見解を教授する自由をも保障していると解するのが相当である。 (中略) 下級教育機関における教師についても、基本的には、教育の自由の保障は否定されていないというべきである(前記「教員の地位に関するユネスコ勧告」六一項参照)。

< 教科書出版の自由と保障 >

 学問の研究者は、研究の成果を社会に発表する自由を有することはいうまでもないが、それとともにさらに、子どもの教育を受ける権利に対応して国民に課せられた前記〔<学習権と教育の自由の保障、国家教育権の否定>の判旨〕のような責務を果たすため、国民の一人として、学問研究の成果を教科書の執筆、出版という形で次代を担う子どもたちに伝えるという出版の自由を有するものというべきである  。

(中略)

 もっとも、教科書は単なる自己の主張する学説の発表の場であってはならないのであって、教科書の執筆、出版に当たっては、教科書が児童、生徒の教育に重大なかかわりをもつものであることにかんがみ、とくに児童、生徒の心身の発達に応じ適切な教育的配慮が払われるべきことは当然であるが、しかし、このような教育的配慮は教科書の執筆、出版をする者が自主的に行なうべきものと解するのが相当である。

< 検閲の禁止と教科書検定権の憲法上の限界 >

 (上略) 出版に関する事前許可制がすべて検閲に該当するわけでないことはいうまでもない。してみると、右の審査が思想内容に及ぶものでない限り、教科書検定は検閲に該当しないものというべきである。
 なお、ここで思想内容の審査とは、政治思想の審査のみならず、広く精神活動の成果に対する審査をいい、したがって、学問研究の成果としての学問的見解(学説)に対する審査も当然にこれに合まれると解すべきである。これを歴史教科書の内容についていえば、史観や個々の歴史事象の評価などに対する審査はもとより、年代などについてもそれが歴史学上の評価にかかわるときは、右にいう学問的見解に合まれると解するのが相当である。

< 教育基本法の理念と教科書検定権の教育基本法上の限界 >

 戦前の検定ないし国定教科書の使用およびその他の教育政策は、いわゆる大正
デモクラシーと呼ばれた一時期にはある程度民主的な色彩をもったことがあるほ
か、一般に上記の教育勅語にみられるように、天皇主義的、国家主義的なもので
あり、同時に軍国主義的色彩が強く、また画一的、統制的性格をもっていたが、
このような傾向は時とともに次第に強まり、とくに昭和に入ってから敗戦に至る
までは、右の傾向が極度にまで進んでいった。この点に関し、前顕乙〔文部大臣
側提出〕第六二号証には、戦前においても、昭和六年、同一二年あるいは同一六
年をそれぞれ一の段階として教育の軍国主義化が強まったが、それ以前には決し
てそうでなかった旨の記述があるが、同号証中この部分の記載は採用できない。

(中略)

戦後の教育改革と教育基本法の成立事情


 (中略) こうした連合国側の改革と並行して、日本国内においても新しい教育理念を模索する動きがあった。すなわち同年〔昭和二〇年〕一一月には文部省内において、「劃一教育改革要綱(案)」および「劃一教育打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」が作成されたが、これらにおいては、戦前教育の弊害は基本的には「高度ナル国家的統一ト劃一化」にあるとしたうえで、 (中略) 教育の自主性が教育理念として掲げられ、 (中略) 国定教科書の廃止、教師による教科書の自由選択なども掲記されていた。また、翌二一年五月には文部省から (中略)、 戦前の教育が人間性と個性を無視した画一的なものであったことにかんがみ、教育内容および教育制度そのものの民主化、人格尊重と個性に応じた教育などが新しい教育方針として打ち出されている。

 そして、こうした動きを受けて、昭和二一年八月、教育に関する重要事項を調査審議するため、内閣のもとに「教育刷新委員会」が設置された。この委員会は(中略) 安倍能成を委員長、南原繁を副委員長とし、教育界をはじめ各界の代表的識者約五〇名の委員で構成され、 (中略) 同年一一月二九日の第一三回総会において、「教育の理念及び教育基本法に関すること」および「教育行政に関すること」と題するつぎのような建議がそれぞれ採択されて同年一二月二七日内閣総理大臣に提出された。

 「教育行政に関すること」
一 教育行政は、左の点に留意して、根本的に刷新すること
 1 従来の官僚的画一主義と形式主義との是正
 2 教育における公正な民意の尊重
 3 教育の自主性の確保と教育行政の地方分権

(中略)

三 教育基本法には、この法律の制定の由来、趣旨を明らかにするため、前文を付すこととし、その内容はおほむね左のようなものとすること。

(中略)

立案過程において連合国軍総司令部との折衝もあったが、教育基本法については、ほとんど干渉されることがなかった。〔中略=とくに教育基本法一〇条の条文成立の経緯が詳述されている〕
 このようにして、新憲法のもとに新しい教育理念をうたった教育基本法が制定、施行された。

(中略)

 教育基本法一〇条の趣旨

 教育基本法一〇条の趣旨は、その一、二項を通じて、教育行政ことに国の教育行政は教育の外的事項についての条件整備の責務を負うけれども、教育の内的事項については、指導、助言等は別として、教育課程の大綱を定めるなど一定の限度を超えてこれに権力的に介入することは許されず、このような介入は不当な支配に当たると解すべきであるから、これを教科書に関する行政である教科書検定についてみると、教科書検定における審査は教科書の誤記、誤植その他の客観的に明らかな誤り、教科書の造本その他教科書についての技術的事項および教科書内容が教育課程の大綱的基準の枠内にあるかの諸点にとどめられるべきものであって、審査が右の限度を超えて、教科書の記述内容の当否にまで及ぶときには、検定は教育基本法一〇条に違反するいうべきである。

< 本件不合格処分の違憲・違法性 >

改定箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)

 改定箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)
(中略)右改訂箇所の記述が原告の学者としての右のような記紀についての認識、評価と教育者としての配慮に基づくものであることを認めることができ、これを左右するに足る証拠はないから、右改訂箇所に対する被告〔文部大臣〕の主張は、原告の史実の認識、教育的配慮を否定するに帰するというべきである。

 したがって、右箇所に対する本件不合格処分も教科書執筆者としての思想(学問研究の成果)内容を事前審査するものというべきであるから、憲法二一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない記述内容の当否に介入するものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。〔「歴史をささえる人々」「日ソ中立条約に関する記述」に対する不合格処分についての判旨も、ほぽ同旨、およびほとんど同文〕

出所:家永三郎、教科書裁判、「第四章 教科書裁判では、どのような画期的
   成果がかちとられたか 2 裁判所による「教育の自由」の確認」中の
   132-151頁、判決抄録の1〜8、日本評論社、1981年10月。

-----(16)教育の自由/杉本判決(抄)----------------------------

【電子化作業99年12月8日;太平洋戦争開戦日,野副達司 <for-nze@din.or.jp>】

現在はNo16が表示されています。お読みになりたい号数をクリックして下さい。
簡単な目次はこちらに掲載していますのでご覧下さい。

No 1
No 2
No 3
No 4
No 5
No 6
No 7
No 8
No 9
No10
No 11
No 12
No 13
No 14
No 15
No 16
No 17
No 18
No 19
No 20
No 21
No 22
No 23
支援を


  TOP規約活動報告お知らせ賛同運動ML紹介LINK参加希望