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よく考えて!「日の丸・君が代」 
いま、八王子では
      
君が代・日の丸は、当該者以外には「思想・信条の自由」に反すると言いがちですが、それ以上に同僚が権力により分断され精神的にも荒廃してしまいます。のちほど、教育基本法十条の解説もお読み願えればと存じますが、そこには「教育行政の教育内容への介入ができないことが明文化されています」。
【電子化作業 野副 達司<for_nze01@ybb.ne.jp>】
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よく考えて!「日の丸・君が代」いま、八王子では(3)
1993年度八王子市立石川中学校での日の丸引降し事件の事実経過(「94事実経過」とよぶことにします)を、八王子市教職員組合のパンフレット「石川中93年度卒業式日の丸問題 民主主義を守る闘い」の「1事実経過」より4回に分けてお届けします。1993年度八王子市立石川中卒業式「日の丸」強行事件
--ここから、-----------------------------------------------------
目次
1 事実経過
(1) はじめに
(2) 職員会議で
(3) 校長交渉
(4) 最後の授業で
(5) 3月18日、卒業式当日
[1]最後の交渉へ。
[2]掲げられた日の丸
[3]生徒の抗議の中、再び掲げられた日の丸
[4]2人の生徒の抗議
[5]卒業式で
(6) 卒業式後(3月18日-3月25日)一卒業式が終わって、生徒たちは
(7) 呼び出し
[1]市教委からの呼び出し(3月25日、3:00〜4:45)
[2]都教委から呼び出し (4月 8日、2:30〜5:20)
(8) 94入学式を前に
[1] 5日職員会議で
[2] 5日夕方、牧野書記長を囲んで職場会。
[3] 6日、職場会
[4] 7日
(9) 4月8日入学式当日
(10) 2年生最初の授業に校長が来た
(11) 卒業生の訪問
(12) 都教委から2度目の呼び出し、処分の辞令下る
(13) 「発令通知書」「処分説明書」
(14) 再び授業のこと
(15) 生徒たちの声から
[3月の時点で]
[4月の時点で]
(16) 所 感
1.「生徒たち、ありがとう」
2.民主主義の破壊が問題
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1 事実経過
(1) はじめに
石川中では90年度卒業式から、それまであった「日の丸・君が代」を八教組分会員の団結で排除した。そして昨年、92年度卒業式までは一切「日の丸・君が代」がなく、フロアー形式の式を行ってきた。
しかし、今年93年度入学式の前日、突如校長は「ポールに日の丸を揚げます」と反撃に出た。すぐに分会で校長交渉をし、翌日、すなわち入学式当日は有志3人が6時、7時に出勤し、校長が来るのを待って説得をした。しかし、結局は私たちが「妥協」に応じる羽目となってしまった。7時40分から8時20分までポールに「日の丸」は揚げられた。とてもくやしかったが、分会の事情を考えて、私も「妥協」を呑んだ。職場の人たちに私は、「ほとんどの人は抵抗しても無駄だと思っていだけれど、私たち3人が朝も交渉を続けた結果、始業前の掲揚までもっていけたんだよ。私個人は『妥協』は不服だったけれど、3人の団結を大事にしたくて、また、皆にわかってほしくて『妥協』に応じたの。卒業式には1分たりとも揚げさせないよう、今度は大勢で取り組もうね。」そう言って回った。
この時点から93年度卒業式のことが、私の頭の中に巣ごもり始めていた。
(2) 職員会議で
2月16、17日の職員会議の席上、校長は突然、会議の流れとは関係なく、「卒業式には校長の職務として、ポールに日の丸を掲揚します。」と発言した。すでに卒業式については、儀式行事委員会の提案どおりすぺて可決されていた。当然「日の丸・君が代」は原案にはなかった。
そこで「個人の勝手な発言はしないでほしい。今の校長の発言は職員会議録から削除してほしい。本当はもう、卒業式の案については終了しているのだから、むし返しはできないはずだが、校長先生、どうしても提案したいのなら、修正案として出したらいい。そうでなければ、発言をやめてほしい。」と私は要求した。しかし、校長はご他聞に漏れず、修正案として出すつもりはない、という態度をとった。「むし返しはおかしいことだが、校長さんは修正案として出すつもりもないようだ。皆さんには言った(=通告した)と後で言われては困るので、はっきり確認する意味で私は『日の丸を揚げない』ということを原案として提案します。」しかし、まだ校長は修正案を出す方向になっていなかった。すると議長が『では、日の丸を揚げない』を原案に、修正案は『日の丸を揚げる』で採択し ます」と言い、そう事は進んだ。
討論は入学式の時にも行っていたので、簡単にということになった。私は、日の丸問題、卒業式における日の丸問題をかいつまんで話したあと、「採択にあたっては、校長さんの立場もおありだろうから、かわいそうだからと感情で判断するのは絶対にやめましょうね。あくまで、子どもたちの卒業式に「日の丸」が必要か否かで判断しましょうね。」と念を押した。
採択の結果は、原案:修正案=19:2、保留2となった。
「日の丸」を掲げないと決定した。
(3) 校長交渉
職員会議の決定を受けて、卒業式が近づいた3月14日より校長交渉に入った。これ以降、当日が終わるまで管理職側は、すべてのことを録音している。
3月14日(月)、放課後
両分会長、根津の3人が代表して、校長、教頭に申し入れた。都教組のDさんも後半かけつけた。1時間半に渡った交渉の中で、特徴だったものをあげてみると一。
[1]校長「直接式に関係ないポールにあげることが、私の最低(高?)の歩み寄
り。
[2]校長「法律でやれというからやるのだ」に対し、
根津「それがよいか悪いか考えましょうよ」と言うと、
教頭「間違いであっても、そこのところを直すのに…校長を責めても仕方がな
い」
校長「何回も言っている通り、私の職務を遂行するだけです。」
教頭「そういう立場にあるから、やることを要求されているから、やらざるを
得ない。それがまずいということなら、ここで言ってもしょうがない。
教育委員会へ言ってもらわねば。」
根津「校長も教頭も教育委員会に言えばいいんですよ。職員が反対するからあ
げられないんだ。私には揚げる意思があるけれど、職員が言うことをき
かないと。」
校長・教頭「それで済むものじゃないんですよ。」
校長「(市教委へそう言うことは)職務と反対のことですから、やれません。
私自身の法違反になります。指導監督するということなのに、指導がで
きなかったということで評価されるわけです。私が法を守らなかった
と。」
根津「それで、他の人を犠牲にするわけですか。」
校長「思想信条を認められなかったという犠牲はある。」
根津「校長は揚げたという実績が作りたいわけでしょ。」
校長「そうです。」
根津「実績のためにやるなんて、むなしいですね。」
校長「むなしくてもやらざるを得ない。」
[3]根津「校長が無理矢理場げて、混乱したら一子どもたちと校長さんの間でそう
なったらどうします?」
校長「子どもが混乱を起した時は、私たちはPTAの役員さんに話をして、お
願いします。」
[4]教頭「僕は混乱はありえないと思う。職員が扇動しない限り。」
教頭「非常に不思議なのは、4年前までポールに揚げていたんですよ。日の丸
を。それについて何の反対もなかった。なぜ、にわかに子どもたちが反
対するんでしょう。」
根津「それはきちんと話をする中ででしょう。前の校長も、事実はきちんと教
えなきゃいけないって言われてました。」
教頭「そこに陰謀があると思う。僕は先生の偏向だと思っていますよ」
以上のことを校長、教頭は言っている。
一方で、国旗、国家、愛国心は必要と言いながら、[1]、[2]のような矛盾した、しかし本音を出している。[3]に至っては、校長の頭の中に教育は不在、自分の地位の揺らぐことへの不安だけが肥大化ている。哀れと言えば哀れだ。また、教頭の教育視、子どもの捉え方のお粗末さも露呈された。きっと教頭って、自分がすぐに洗脳されてしまう性格なだろう。だから、こう言うんだろう。
3月17日(木)放課後
卒業式の前日の17日(木)放課後(4:OO-4:40)2度目の申し入れをした。八教組は全員、都教組はE・Gさん、組合員以外でKさん、Mさん、Oさんが参加した。全員が、なぜ、反対なのか、を発言した。それぞれの発言に思いが込められていた。
Kさんは、「明日、『日の丸』を揚げるぞというのは、皆さんに言ってあるんですか」「僕が聞くまでは、言わないでそのまま揚げてしまうつもりだったのでしょうか」と問うた。校長、やりとりの末「黒板に書いておきます」と言い、その通り、申し入れの後、職員室の黒板に小さく「明日、日の丸揚げます。校長」と書いた。勤務時間終了後に。勤務時間終了後の長のこの行為は仕事として無効だろうに…。
(4) 最後の授業で
毎年私はこの時期に1時間程、「日の丸・君が代」のことを生徒たちに話している。昨年は卒業式前日に、校長が「『日の丸』を揚げることを断念する」と 明言したので、早速、その日のうちに時間を見つけ出して、そのことを3クラスの生徒たちに伝えた。本当は各担任が話すのが一番いいのだが、「話す必要はあると思う。でもどう話していいか…」とためらうので、私がかつて出たというわけだ。
卒業式の前日で、今渡されたばかりのアルバムを見ながらはしゃいでいる中、私は「ちょっと話を聞いて」と入っていったのだ。聞かなくて当たり前のような状態だったのに、どのクラスの生徒も話し始めると、じっと聞いてくれた。「…明日、日の丸を揚げないのは八王子では石川中だけで、それは校長先生が職員会議の決定を守ってくれたから。でもそれは先生たちのがんばりでもあったのよ。」そう言うと、1つのクラスでは、どこからか「先生たち、ありがとう」の声。続いて、だれかが拍手を。その拍手は大きな拍手へと広がった。もう1つのクラスでも拍手を受けた。昨年は当該学年だったので、より深く伝えることができたのかもしれなかった。
しかし、昨年は3年生にしか話すことができなかった。2年生(現3年生)は一切担当していなかったし、1年生(現2年生)は3クラス担当していたが、話さずじまいで卒業式を迎えてしまったのだった。
だから、今年の1年生から3年生まで、今までまったく私はこの問題を話してきてはいなかった。2年生の1クラスだけ、授業で「平和」をテーマにしたメモリアルキルトをしていたので、話をしたと言えばそのクラス位のものだった。3年生は入試が終わると授業がなくなってしまうので、入試も済まないうちから今年は卒業式の「日の丸」の話をした。
「君が代」歌えません
音楽の先生が不意に「宗教か何かで『君が代』歌えない人、手を挙げて」と聞いてきました。思わず周りを見てしまいました。みんなきょとんとしています。いっそう私はあせりました。手を挙げるか挙げないか頭のなかでぐるぐる回ります。ようやくの思いで私は言ってしまいました。
「あのう、私、歌えません」
これを聞いて数人の男子がざわめきました。とたんに私の心はぐらりとゆれました。
私は韓国人なのに、なぜ日本で生まれたんだろう。それが知りたくて歴史の本を読んでいくと、そこには目をおおいたくなるような事実がたくさん書いてありました。
一九一〇年、日韓併合が公表された時、「朝鮮全土は土地をたたいて泣き声に満ちた」というのに、日本ではのき並み、日の丸が飾られて、花電車まで出たこと。村をおそった時、その証(あか)しに日の丸を張りつけていったこと。土地を奪われて、名前まで変えられて、その上、日本語しか使ってはいけないと強制されたこと。それらに胸がつまるようでした。
それからの私は日の丸を見るたびに祖国の人たちは「何を思うだろう」と考えるようになりました。私は日の丸を見上げることがつらいのです。
去年の卒業式の時、となりの友だちは「君が代」をどんな気持ちで歌っているんだろう、歴史をほんとうに知っているんだろうかと思いました。歌詞の意味を知ってしまった私は、とても「君が代」を歌うことはできないのです。
横浜市港北区 金 佳林 小学校六年生・12歳
朝日新聞1991年3月4日(東京版)・「ひととき」欄への投書より、
金佳林ちゃんの「『君が代』歌えません」の朝日新聞への投書を配って、「まず読んでみて」と促した。静かに読むクラスが大半だったが、中には「歌いたくなけりゃあ歌わなけりゃいいんだよな」と、僕には関係ないよとばかりに言い合うクラスがあった。そこで私、「佳林ちゃんの文の中に、『数人の男子がざわめき』とあるでしょ。私には関係ないよって。おちゃらかして、聞こうとしない。この今の状態と同じだったんだと思うよ。佳林ちゃん、どうしても、クラスの皆に聞いてほしくて、どうしたら聞いてくれるか、とっても悩んで悩んで、悩んだ末、投書という形を選んだんだって。あなたたちも『関係ないよ』なんて言わないで、卒業式に歌わされる君が代、揚げられる日の丸をいやだと思う人がいるということを知って。このクラスに佳林ちゃんがいたら、みんなどうするか考えて。」私がそう言うと、先程ああ言った生徒も静かに投書を読んだ。「この投書を読んで、これ何だろうとか疑問に思ったところ、わからないところがあったら挙げて」と言うと、「先生もう1度この子の名前、正確に教えて。」「なんで、こういう名前なの?」「日韓併合って?」「花電車って?」と次々に。「じゃあ、名前からいこう。キム・カリンさん。キムという名前は日本人の名前ではないよね。」一「韓国人?」「そう。韓国籍で日本に住んでいるの。じゃあ、佳林ちゃんはなぜ韓国人なのに、日本に住んでいるのだろう」一「強制連行…?」何人かが言葉を知っている。「そうだね。強制連行で日本に無理矢理つれてこられた韓国の人はすごく多い。そしてそれは、『日韓併合』に遡るんだね。『日韓併合』、この時から韓国は日本の植民地だと勝手な振る舞いを始めたわけ。その昔、日本が誕生した頃、韓国は日本に土器とか鉄器とか稲作の技術とか、機織りの技術とか、たくさんの文化を伝えてくれた。そのために日本に移り住んでくれた人もいるよね。それなのにだ。恩を仇で返すようなことをしたんだよね。ここに書かれているように、それまで平和に暮らしていた韓国の人たちから日本の政府が、土地を取り上げ、作物を取り上げ、言葉も日本語しか使ってはいないことにした。名前も根津とか金子とか、勝手に押しつけられたの。私たちが今日から日本語は使ってはダメ、英語だけ使え、名前も英語の名前だと強制され、間違って日本語を使ったら、殴る、蹴る、場合によっては殺される…あなたがそうされる立場だったらどんな気持だろう。伊藤博文という人は日本では英雄だけど、韓国の人から見ると、極悪非道の今でも許すことのできない人なんだよ。日韓併合をやった人だから。食べることのできなくなった韓国の人たちは、木の芽や草を食べて飢えと闘った。もちろん飢えて死ぬ人もたくさんいたんだよ。そんな時、『日本にいい仕事があるから行かないか』と誘われて、家族のためいやだけれど日本に渡った人がいた。炭鉱とか危険な、辛い仕事に従事させられた。ところが韓国を植民地にするだけじゃ気が済まなくなった日本は、次々に領土を奪うため、戦争をしかけていったね。」
一「うん、中国に。」
「他には。」
一「フィリピン?」
「そう。フィリピンも。あとはタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア。台湾は植民地だったし。東南アジア全域だね。そうなってくると、人手がうんとほしくなる。それで強制連行を始めたわけ。最年少者は14歳の、ちょうどあなたたち位の子どもも連れていた。泣き叫んでも構わず、トラックに放り込んで。軍需工場や炭鉱で働かせただけでなく、この時期になると、男子は日本軍として兵隊にさせられ、一番危ないところに配置させられた。女子は一女子でも日本軍と一緒に戦地に行かされた人がいる。「従軍慰安婦」(板書して)って言葉、ニュースで聞いたことがある人は?」
1人、2人手が挙がる。「どういう意味?」
一「わからない。言葉を聞いただけ」。
「慰めて、安らかにする女の人。字だけ読めばそうなんだけれども、兵士の性的欲求を満たすために軍が作った制度で、彼女たちは兵士の性行為の相手をさせられたの。彼女たちのことを『公衆便所』とも日本軍は呼んだ。彼女たちに対し、そういう扱いをした。あなたたちと同じ位の韓国、朝鮮の女の子がだよ。1日に100人も、来る日も来る日も続けさせられる。監視がいて逃げることはできない。日本人の女の子にはさせられなくても、韓国の女の子にさせることには日本軍も兵士も平気だった。あなたがもし、そうさせられたら、どうだろう?やったのは、私の父、あなたたちのおじいちゃんたち、その年代の人たち。事実なんだ。
こんな生活の中でたくさんの『慰安婦』をさせられた人が病気で死んでいった。敗戦後、国へ帰る船で亡くなった人もたくさんいた。運良く生き残っ -6-た人たちも、この時のことを忘れて生きることはできなかった。彼女たちは被害者なのに、国に帰ってからも、自分を責め、親元に帰ることもためらって、ひっそり1人で生きざるを得ない人が多かった。彼女たちも、もう60歳をとっくに過ぎた。「このまま黙って、死ぬことはできない」。2年前ようやくの思いで事実を告白し、そして日本政府を相手に裁判を起した人が出たの。日本では、戦争は大昔のことになってしまっているけれど、彼女たちは今まだ苦しみ続けている。戦争は終わっていないの。
韓国の『慰安婦』にさせられた人、兵士にさせられた人、強制連行させられた人、親を、子を殺された人…皆、その時に略奪した土地に立てていった日の丸を見るのはたまらないの。侵略戦争を命令・指揮した天皇を賛える歌、君が代を聞くのはたまらないの。佳林ちゃんが『祖国の人たちは、何を思うだろうと考えると君が代を歌うのが、日の丸を見るのがつらい』と言っていること、私はその通りだと思う。あなたたちはどう?「日の丸・君が代、日本がいやだったら帰れぱいいじゃないか」と言う人がいる。彼らは好きで日本に来たわけじゃない。佳林ちゃんのおじいさんも好きで日本に来たわけではなかった。好きで来たとしても、そんなことすべきじゃないと思うけど、まして、日韓併合直後は半強制的に、戦争中は強制的に日本に連れてきておいて、言葉も生活も根こそぎ奪っておいて、国に帰っても生活できないようにしておいて、「いやだったら、帰ればいいじゃないか」なんて言えないことだ。彼らが日本で気持よく暮らせるようにすることこそ必要だと私は思う。このことは、後でまた話すね。(生徒たち、うなずく)
佳林ちゃんだけでなく、在日韓国・朝鮮人60万人が、それから日本が侵略したアジアの国々から日本に働きに来ている人を合わせて100万人の人が、100万人というと、人口の1%だね、その1%の人たちは、佳林ちゃんと同じような思いを持っているはずなんだ。1%一石川中の生徒は700人位だから、割合からいったら7人。それだけの外国籍の人がいておかしくない。でも、あなたたち、そんなふうに考えたことないでしょ?一「うん」実は私も最近までそう思っていた。私と接した生徒は、私20年以上教員しているんだから、すごい数になるんだけど、なのに、私には、それとわからなかった。なぜ?
一「わからない」
それはね、金佳林ちゃんのように、本名を名のっていなかったから。在日で本名を名のらない人の方がずっと多いんだよ。本名が嫌いでそうしているわけじゃない。今は創氏改名はさせられないけれど、本名を名のることによって、差別を受けることがすごくあるの、日本社会には。佳林ちゃんは学校でいじめられた。佳林ちゃんだけでなく、本名を名のっている子どものほとんどはいじめられている。大人になるともっとひどい。就職する時に「韓国人だから」と採用を拒否させられる。試験さえ受けられないところも多い。だから、本名を名のりたくても名のれないの。気持よく暮らせない外国籍の人が日本にはたくさんいるんだよ。そのことも知ってほしい。
さて、今度は、私がなぜ日の丸・君が代に反対するのか、それを話そうね。私は、佳林ちゃんの言っていることがもっともだと思う。佳林ちゃんは侵略された側の気持から「反対」だと言っている。私は侵略した側の人間…私は「戦争の後生まれた。だからあの戦争は私とは関係ありません」って済ませることは、私にはできない。私の父は中国に兵隊で行った。20歳を少し過ぎたぼかりの時に。私はあなたたちより少し大きくなった頃、戦争の時のことを自分で勉強して一学校では教えてくれなかったから一事実を知ったの。すごくショックだった。それで父に聞いたの。「お父さんは中国で何人殺したの?」って。もちろん「殺してない」って答えるよね、娘には。直接、面と向って殺したかどうかは別として、間接的にも殺したのは確かなのに。殺さなければ、命令に従わなければ、自分が殺される仕組みになっていたんだから。今、生き残っているおじいさんやおばあさんたち、あの頃は、積極的にか、消極的にかは別として戦争に賛成し、協力したから今、生きているの。反対した人は投獄されて、拷問によって殺されたりしたんだから。「日本は負ける」と言っただけで、非国民、重罪だったわけでしょ。私の父もとっても優しい父だけれど、戦争中は平気で人殺しをしてきたの。あなたたちのおじいちゃんもおばあちゃんも、あなたたちにはいいおじいちゃんだけど、いいおばあちゃんだけど戦争っていうものは、人の心を変えてしまうんだよ。私はアジアの人たちを殺した父の娘として、再び日本が戦争をしないように行動していくことが、私の責務だと思っている。アジアの人が「あの時を思い出すから日の丸は見たくない、君が代はイヤだ」と言っているのだから、日の丸・君が代に反対していく。そういうことなの。人がいやだと言うことをやっておいて、やった方には、いやがらせをするつもりなんてありません、なんてこと通じる?いじめの問題と同じだと思うの。いじめている側は「遊びだった、いじめるつもりはない」と言ってもいじめられている側が「いじめられている」って苦しんでいる時、先生たちは、いじめている側を注意するでしょ。アジアの国々が日の丸を見て「いやだ」と言うのだから、日本は日の丸をやめなければいけないと思う。同じ敗戦国のドイツやイタリアが、戦争の時の国旗を葬り去って新しい国旗を作ったように。
音楽の教科書に「国歌・君が代」と書いてあるね。
一(音楽の教科書を開けて見て、)「書いてある」。
君が代は国歌ではないのに、法律でそうと認められなければ国歌にはならないのに、5年前文部省が命令を下した時から、「国歌」と書くようになってしまったの。同じように、日の丸も国旗ではないんだ。
一「エ一ッ、国旗でも国歌でもないのか一」(とあちこちから声が上がる)
戦後、何度か日の丸を国旗にしようと、歴代の自民党政府は法案を国会に提出したけれど、法は成立しなかった。日の丸は国旗にならなかった。なぜ国旗にならなかったのだと思う?
「戦争と関係あるから」一「そうだと思うよ」この国旗でも国家〔国歌?〕でもない日の丸と君が代を、文部省が強制したことによって、佳林ちゃんの学校では君が代を歌うことになったわけ。
八王子では一
強制する前は、多くの学校が日の丸・君が代のない卒業式をやっていた。先生たちは、日の丸・君が代を私が話したように問題だと思っていたから。また卒業式は、生徒のためのもので国のためのものではないから。生徒の卒業式に日の丸・君が代は要らないから。しかし、強制によって、やっていない学校はとても少なくなってしまった。
市内31校中、日の丸・君が代をやっていないのは石川中だけなんだよ。小学校では、まだ数校残っているけど。(生徒、驚く)−「石川中、すげえ」。しかしそれは、先生たちの考え方が変わってしまったのではなくて、先生たちは反対していても校長先生が勝手にやってしまうという学校が多くなってしまったからなの。石川中では論議の末、今年の卒業式にも「日の丸(君が代は当然やらない)はやらない」と職員会議で決まったの。大多数の人の賛成で。だから卒業式に日の丸はないはずです。でも、他の学校がそうであるように、石川中でも校長先生が勝手に強行することはないとは限らない。先生たちは圧力に届しないで、がんぱるつもりだけれど、当日どうなるか皆よく見ていて。
ところで、ここまで日の丸・君が代の歴史的捉え方・文部省の強制について話してきたのは、ぜひ皆に事実を知ってほしいと思ったから。皆の卒業式なのに、当の生徒に知らせないなんてよくないと思ったからなの。本当は生徒が論議して決めることなんだけど、そうさせられなくてごめんね。私は自分で勉強して事実だと思ったことを話したけれど、人によってものの見方って違ってくる。私と校長先生が違うように。だから、私が話したことを鵜呑みにはしないでね。校長先生や家の人など、いろいろな大人に聞いてみたり、自分で本を読んでみたりして、自分の頭で考えてね。自分で考えて結論を出してね。鵜呑みはダメだよ。
おおよそ以上のような話を、私は全校18クラスのうち15クラスの生徒たちにした。皆、真剣に聴いてくれた。
------ここまで、パンフ「石川中93年度卒業式日の丸問題 民主主義を守る闘い」が表示されています。
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