よく考えて!「日の丸・君が代」 
         いま、八王子では


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 君が代・日の丸は、当該者以外には「思想・信条の自由」に反すると言いがちですが、それ以上に同僚が権力により分断され精神的にも荒廃してしまいます。のちほど、教育基本法十条の解説もお読み願えればと存じますが、そこには「教育行政の教育内容への介入ができないことが明文化されています」。
                【電子化作業 野副 達司<for_nze01@ybb.ne.jp>】


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     よく考えて!「日の丸・君が代」いま、八王子では(4 )

---ここから-----パンフ「石川中93年度卒業式日の丸問題 民主主義を守る闘い」


(5) 3月18日、卒業式当日

 昨日、決着がつかず、もう1度よく考えてほしいと校長に要請したままだったし、また勝手に日の丸を揚げられては困るので、昨日申し入れに参加した人たちで「早く来れる人は7時頃来よう」と確認してあった。私は念には念を入れて、6時に出勤することにしていた。5時10分に目覚ましをかけ、5時頃からあと5分、あと3分と布団の中でモゾモゾしていると、真知子が階段をかけ降りていく音が聞こえた。「お母さん、がんぱってね」とコーヒーを入れてくれるのだった。6時を数分まわった頃、学校に到着したが当然、門もすべて鍵がかかっていたので、開閉業務のRさんの出勤を待った。職室に入ったのは7時頃だった。Dさん、Jさん、Kさん、Lさんたちはそのつもりで早く来て、皆で校長を待つが、一向に現われない。いつになったら現われるのかと気をもみ、職員室を出たり入ったりポールを見たりしていると、やっとのこと7時50分過ぎに現われた。


[1]最後の交渉へ。
 こちらの参加者は、八教組がD、J、Kさんに私。遅れてSさん。都教組はEさんひとり。未組でLさん。昨日、今日で私はLさんの責任感の強さを見直し、感動を覚えていた。

 今朝も教頭は録音している。

 Eさん、Dさん両分会長が、職員会議の決定を守ってほしいと要請したが「皆さんの気持は分かりますが、私は校長の職務遂行のため、法に則って国旗を揚げます」と校長は態度を変えない。

 根津「私たちの誠意が校長さんに伝わって、今朝は『断念する』と回答されると思っていたのに、そうならず残念です。校長さん、人間としての良心を持ってくださいよ」と言うが、「ポールにしたことが私の良心」と校長。続けて、根津「校長さんが揚げるなら、私は私の良心に従って行動します。それで生徒たちに混乱が起ってもいいんですね。校長の責任ですよ。(校長はふてぶてしい態度で「ああ」とうなずく。)生徒たちに混乱が起ってまで市教 委は実施せよとは指導していないはずです。混乱が起ることより、市教委に根津が混乱を起すので揚げられなかったと報告した方が、校長さんのためだと私は思いますよ」

 校長の良心を喚起しようと試みたが、校長はそれに応じず。また、日頃から先を読むことを全くしない(できない?)人でいつも失態を操り返してきたが、今回も例外ではなかった。最後の交渉も、もの分かれに終わった。


(2) 掲げられた日の丸

 8時10分過ぎ頃、交渉を終えて皆で廊下に出た。この時点ではこの後、あのようなドラマが繰り広げられようとは、だれ一人予想していなかったであろう。私は校長の勝手な行動を制止せねばと考えていた。一緒に出てきたJさん、Kさんがまだ廊下にとどまっていたので、「私、これから校長についていきます。一緒に行きませんか?」と声をかけると2人はうなずいてくれた。校長室にいる校長に「いつ揚げるのですか」と聞きに行くと、校長は揚げに行くところだった。左手に日の丸をかかえ、右手にカメラを持ちポールに向い始めていたので、私は校長のすぐ横について歩いた。あとからJさん、Kさんが追った。玄関を出ると平地なので、私は校長の前に立ちだかり、両手を広げ進路を塞いだ。しかし、私も力を加えたわけではなかったので、簡単にポールの下へ校長は進んだのだ。
 ポールの下で3,4分もみ合う。

 校長は私にカメラを向け、私を続けて数枚撮った。私を撮るや今度は、私の横にいたJさんにカメラを向け、私が制止する間もなく1枚撮ってしまった。「私を撮るのは何枚撮ってもかまわないが、他の人を撮るのは許さない。」私はそう言いながら、校長の背後にいるKさんにカメラを向けようとする校長の手を払いのけた。証拠写真を撮り終わると校長は次の動作へ。ポールのひもを取ろうとした。私はポールのひもを取ろうとする校長の手首を掴み、それを制した。校長は胴体とは違って手首は予想外に細かった。校長の手首はすっぽり私の手中に収まってしまった。私が少し手を加えると、校長の手はその意思に反して動けなくなった。でも、力の加え過ぎで傷害罪を負わされても迷惑だ。本当は正当防衛なのだが…。そう考えて私は力を加えることを控えた。従って、校長がひもに手をかけるのに3、4分要しただけと思う。校長はポールに巻きつけてあったひもをほどいた。ポールに背中をつけていた私は、ひもの動きとともに体を動かされる羽目になった。続けて校長は日の丸をひもに結びつけた。つけている時は私は手を出さず、ただ見ていた。だから、あっという間に結びつけ、揚げることができた。すべての、人間らしい感情を捨て去って、この人は今、日の丸を揚げる。正気の沙汰ではない顔だ…そう私は見ていた。

 校長室を出てから、校長がポールのひもに日の丸をつけるまでの間ずっと、私は校長の動作を制しながら、校長に最後の説得を試みた。「校長さん、人間としての良心を持ってください。本当に日の丸を揚げることが大事だなんて、あなたは思っていない。考え直してくださいよ」校長がひもを手にした頃、生徒たちはやりとりに気づいて、窓から顔を出した。この時点ではまだ登校時刻15分前なので、1クラス2、3人しか登校していない。でも、その生徒たちが、「校長先生、日の丸揚げないで」「校長先生、やめろ」「国旗ではないよ」「勝手なことはやめて」口々に叫んだ。「校長さん、子どもたちの声が聞こえるでしょ。やめましょうよ。みっともないと思いませんか。恥ずかしいと思いませんか。」(根津)「私の職務を遂行します。」「写真を撮ってありますからな。」「恥ずかしいことなどない。法律で決まっているんだから。」(校長)

 私の説得はともかくとして、生徒の叫びを校長はどんな気持で聞いたのだろう。聞こえながら、その声の中をどんな気持で日の丸を揚げたのだろう。日の丸を揚げ終わると生徒の声は一段と大きくなった。(この間、「日の丸を揚げろ」と言った生徒は1人だけいた。)

 さて、日の丸を揚げ終わるや、校長は職務を遂行したとばかりに、しかし日の丸の旗を見上げることもせずに、校舎に向かって歩き始めた。「校長先生、降ろしてよ」「降ろせ一!」という生徒の叫び声の中を。校長の姿が校舎内に消えると、生徒たちは今度は私に訴えた。「根津先生、降ろして」「先生、降ろそうよ」。どの階からも声が届いた。私はそれに対し、知らん顔はできなかった。私の良心と子どもと接する教員という大人としての責任から、私には”降ろす”以外の選択はなかった。

 「正しいことは1人でも勇気を持ってやりなさい。」「いじめられている子を放っておくのはダメ。いじめをやめさせる勇気を持とう。1人の暴挙を許してはダメ。」日頃、そう生徒に言っているんだもの。

 「そうだね、降ろすしかないね」私は生徒たちにそう答えて、ポールに揚がった日の丸を降ろし、ひもをほどいてきれいにたたんだ。すると生徒たち、「先生ありがとう」「がんぱったね」言ってくれ、拍手もくれた。その歓声の中、私は校長に日の丸を届けに行った。      
            
 私が日の丸を降ろすことになったのは、生徒の叫ぴによるものだった。生徒の叫びがなかったら、私はこうはできなかっただろう。この行動のほんの少し前まで、私は万が一校長が揚げてしまった時には校長の行為の事実を記した紙を私のワゴン車に貼って、生徒たちに知ってもらおうと思っていた。だから昨夜のうちに、校長の行為を想定し、模造紙に書いて用意していたのだった。

 しかし、生徒たちの叫びは私に甘い選択を許さなかった。生徒たちが私に行動を指し示し、励ましてくれたのだった。


(3) 生徒の抗議の中、再び掲げられた日の丸

 8時25分頃。校長に日の丸を届け、私はすぐに校長室の廊下に出たが、校長も
続いてすぐに出てきた。2度目の日の丸を揚げにポールに向かうためだった。

 私は再び校長を制しながらついていった。「2回もみっともないことを、生徒の前でやるんですか。やめてください。」「式ができなくなってしまいますよ、こんなことをしていたら。やめなさいよ。」と私は言うが、「揚げるんです」と校長は耳を傾けない。

 登校時刻に近づいていたので、この頃にはかなりの生徒が登校していた。あとで生徒にこの場面を見た人の数を問うたら、あるクラスでは7、8人、あるクラスでは2、3人を除いて皆見ていたということだ。だから1回目の時よりもずっと大勢の校長を批判し、抗議する声が飛び交った。「校長先生、やめて」「揚げるな」大合唱が起った。                      
 こんな場面もあった。2-5の生徒が「あっ国旗だ」と言うと、隣の2-6の生徒が窓越しに「あれは国旗なんかじゃないんだぞ。根津先生の話、聞かなかったのか--」。すると2-5の生徒、私に向かって「根津先生、私たちにも話してよ--」。後期は教えていない2-5には、時間が確保できなくて話をしていなかったのだ。

 私は校長を制し、生徒たちは抗議しているところへFさんが駆けてきて「もう充分生徒には伝わったんだから、いいじゃない。あなたが処分されるよ。」と私に言う。「処分は覚悟だからいいの。私の考える通りにさせて。心配しないで。」と私が言うと、Fさんは近くにいたDさんと連れだって、そこを離れた。

 私は冷静でいたつもりだった。しかし、あまりに驚く事態の中で、ここだけ時間の前後がわからなくなっているのだが、こんなことが起きた。校長が日の丸をひもにつけている時か、ひもを持って揚げている最中か、いずれかの時で、私はすでに校長の両手を把むのをやめていて、生徒たちの抗議の声の方に目をやっている時だった。3年男子1名が教室の窓から昇降口屋上に出たと思うや、雨といを伝ってスルスルスルと降りてきた。危ない!と思う間に降りてきた。そして校長にかって、「やめろって言うんだよ、オイ」「やめろって言うんだよ、オイ」と迫ったのだった。大勢の生徒の校長への抗議の中、それでも校長は日の丸を揚げた。その時点で駆けつけた教頭は「揚がった国旗を撮らなくちゃ」とひとり言のように、そして自慢気に言いながら、写真に収め「校長さん、揚げた証拠写真は撮りましたから、もう行きましょうよ」と校長を促し、連れ立つて去っていった。もちろん生徒たちの「校長先生ひどい」「さげろよ」「鬼だ」という声の中をである。
 校長がいなくなって、私は生徒たちの「先生降ろすでしょ」「降ろして」の声に、(やっぱり降ろすしかない)と、今度は一瞬のためらいもなく「降ろそうね」と言って降ろした。生徒たちの歓声がひときわ高く聞こえてきた。

 旗のひもをほどいていると、先の3年の男子生徒が日の丸の端を破こうとする。「破くのはやめな、器物破損で訴えられるから」と私は注意(破けなかった)したのだが、その直後、私が旗のひもを完全にほどき終えるのを待って、彼は私の手から日の丸を把み取った。そして瞬時にして日の丸を2つに、そして大きい方をまた2つにと裂いてしまったのだ。裂いた日の丸を空中に舞わせ、彼は校舎へ入っていった。

 私はこの時、ポール下まで駆けつけた生徒はこの彼ともう1人かと思っていたが、後で教頭が撮った証拠写真を見ると全部で6人もいたのだった。私の背後にいたので気がつかなかったらしい。

 破かれた日の丸を拾い、その一片は用務主事のTさんから渡されて、私は一応きれいにたたんだ。「その日の丸、どうするの?」「隠しちゃおうぜ」「燃やしちゃおう」という生徒たちに、「校長室へ戻してくるよ」と私は言って、歩き始めた。その時1年生の女子生徒2人が「私も行っていい?校長先生に抗議してくる」と私に言い置いて校長室へ走っていった。


(4) 2人の生徒の抗議
 8時40分、私が校長の机上に日の丸を置いた時には、生徒AさんはBさんと並んで、校長の前に立って抗議を始めていた。

Aさん「校長先生には心がないんですか」
 一校長、知らんぷり。

Aさん「なぜ揚げるんですか」
 一校長「指導要領にあるからだ。法で決まっているからだ」。

Aさん続けて、「日の丸の赤は殺された人の血の色なんだ。日の丸を見るのが嫌
 だという人がいるのに、なぜ揚げることができるのですか。職員会議で揚げな
 いって決まったんでしょ」

すると教頭、「だれが扇動したんだね、だれが」と繰り返す。

Aさん「扇動なんてされていない。扇動されて動くようなことはしない。新聞を
 読めば、日の丸が問題だと書いてある。読めば中学生にだって分かる。子ども
 だって人間なんだ」そして、続けて「校長先生はいくら勉強ができても、人の
 心は持っていないんだ。校長先生が揚げなければ私たちは校長先生を尊敬でき
 たけれど、これじゃできない。校長先生は、生徒たちに尊敬されたくないんで
 すか」
校長、全く答えない。生徒の顔を見ることもしない。そして校長は、机の引き出
 しの中の録音テープが回っているかだけを確認した。

Aさん「校長先生は教育委員会がそんなに怖いんですか」
 一校長「ああ、怖いよ」

Aさん「臆病なのか」
 一校長「ああ、臆病だよ」(うすら笑いを浮かべて)

Aさん「じゃあ、校長先生はバカだね」
   「生徒がこんなに訴えているのに、校長先生はずっとヘラヘラしている。
    涙も流さない。」

 もう時刻は9時をまわっていて、在校生は入場完了の時刻だった。Dさん、Nさん、Mさんが2人の生徒の入場を促す。BさんはMさんに連れられていった。

 Aさんは、「校長先生が式に出るのなら、私は出ない。校長先生がいる所で、3年生をお祝いする気になんかなれない」と。それで、私がAさんを説得にかかった。「私も校長先生が出るような所はいやだ。でも出ることにした。一緒に出て、3年生をお祝いしてあげようよ。」と誘うとうなづいてくれた。

 そしてAさん、校長に向かって「校長先生、テープをとるなんて、ひどすぎる。校長先生がテープを消したら、卒業式に出る」ときちんとつけ加えた。私も「私のことはテープにとってもいいが、生徒のところは消しなさい」と要求した。仕方なく、校長はこれに応じ、今の録音を消すため「録音」「p1ay」のスイッチを入れた。ものの数分であった。録音した時間は15分位あるわけだから、消えていない部分の方が多いことは分かっていたが、それには言及しないでおいた。式が予定通り始められるように、配慮をして黙っていたのだ。

 9時近くになると、私は親切にも再三、「校長さん、もう式が始まりますよ」と何度も促してあげたのに、校長はこの話をなんとか切り上げようとする気もないようだった。あるいはそんな気を働かすことができなかったのか…。

 9時10分をまわっているのに、まだ校長と教頭は挑戦的な態度でしつこく言う。教頭、「これは紅衛兵ですね。次々とものを壊す紅衛兵と同じですね。恐ろしいもんだ。そんなことを教育して。ひどい偏向教育ですよ。」校長「そうだ、そうだ」と言って、この場を収める気すらない。「校長、いい加減にして下さいよ。もう式が始まりますよ」と言い置いて、私はAさんと体育館へ向かった。

 Aさんの行動力とポイントをついた理路整然とした言い方、堂々とした態度に私は感激し、心が熱くなった。そして、すごく勉強になった。体育館へ向かいながら、Aさんにそのことを伝えるとAさんは「根津先生が大好きだから。制服もつくってくれて…」と言って、私の体に顔をつけてきた。

 校長室と薄い壁1つで仕切られている応接室で待機していた来賓は、校長と生徒のやりとりをどんなふうに聞いていたのだろうか。

(5) 卒業式で

 卒業式は順調に進んだ。私も式場係のチーフとして、ぬかりなく仕事を進めた。「学校長、祝のことば」になった。普段でも「この人、何を生徒に伝えたいと考えているのだろう?」と首をかしげたくなるような話なので、私は今日はあのやりとりの後で、話ができるかな?と思っていた。

 校長は登壇すると、次のように言った。「卒業生に2つのことを希望します。その1つは、相手のことを考えて行動してほしい。皆で決めたことは守りましょう。自分本位ではなく…。他の人のことはどうでもいい、こういう人反発されます」あの直後なのに、あの現場に居合わせた生徒たちを前に、よくこんなことを済まして言えるものだ、とあきれて私は校長をながめていた。案の定、生徒たちもそう感じていたのだった。式が終わり、見送りの段になって校庭に出ると、生徒たちが私に寄ってきてしきりに言う。「校長先生、よくあんなこと言えたものだ。あれは自分のことじゃないかって思った。」「えっ、あなたもそう感じたの?」と私。すると「オレだけじゃねえよ。みんな式の時に、そう言い合っていたよ、なあ」と。周りの生徒たちも「そうだよ」「ぼくもそう思った」「校長は『皆さん、ぽくのようにならないでください』って言えばよかったんだよ」「俺が校長先生なら、例えあの文を考えていたとしても、それは言わないで別なことを言ったけどな」生徒たちの鋭さに感心した。教員たちは何と感じただろうか。


(6) 卒業式後(3月18日-3月25日)一卒業式が終わって、生徒たちは

 式の後の見送りの時から25日まで、生徒たちは「先生、辞めさせられない?」「ほかの学校に行かされない?」と、しきりに私を心配してくれた。私は「クビになるようなことはないと思うよ。校長先生は市教委に報告したから、3ヵ月給料が上がるのが遅れるという処分にはなると思うけど。心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ」と答えている。「校長先生が処分されるのが当然だ。根津先生を処分したらぼくたち、校長室へ押しかけるから」「入学式にまた日の丸揚げたら、もう校長先生、絶対に許さないぞ」という生徒たち。

 翌19日には先の1年女子生徒2人が校長に会いに行ったが、不在ということだった。後で廊下ででくわした私にこう言った。「お風呂に入って、今日何か大事なことを校長先生に言い忘れたと思って、ずっと考えていたの。そうしたら気がついたんだ。『校長先生が、もし教育委員会にテープや写真を出したら、私たちは校則も校長先生の言うことも聞かないよ』と言うのを。それを言いに行くつもりだったと言う。「火曜日に行ったらいいよ」と私は答えたが、その確認はその後していない。

 23日には1-1で少しの時間、生徒たちに私は次のように話した。「あの時の私の行動は、先生たち皆が充分話し合って決めたことを、校長先生が勝手に破って、日の丸を揚げようとしたから制止したことなの。いい加減に決めたことではなくて、皆でよ一く決めたことなのに、1人の勝手な行為でそれをくつがえすことは私には許せなかった。先生たち、皆気持は同じだったけど、私はああいう行動を選択したの。勝手なことを通さないために。」皆、じっと私に見入り、うなずいてくれた。「そうだよ」の声もあちこちから出た。ここでも私の処分を心配してくれた。

 生徒たちはヘンなレンズを通さず、ヘンな物差しをあてずに物ごとを判断する。だから校長の勝手さを、すぐ見抜くことができたのだろう。子どもが意見表明の力を持っているにもかかわらず、大人はその力のあることに気づかないふりをして、”子どもは保護されるもの”、意見表明の力なんてまだ持っていないと決めつける。その方が大人にとって都合がいいからだ。学校教育のあらゆる面で子どもから思考することを奪っているが、そんな文部省の偏向教育の中にあっても、生徒たちの判断力は確かだったと、その手応えを私は感じた。生徒たちの優しさにも私は触れさせてもらい、本当によい体験をした感慨にふけっている。


(7) 呼び出し

[1]市教委からの呼び出し(3月25日、3:00-4:45)
 3月25日3時、教育研究所に行かされた。事情聴取のためだった。研究所長の高崎さんが主に質問し、木下指導主事が記録、久家指導主事と畑中教職員課長が高崎さんを補佐する立場にあった。「19日卒業式当日の朝のことについて事実を伺いたい」高崎さんが切り出した。「そちらは4人も揃っているが、こちらは私一人なので、答えながら記録はできない。だからテープをとらさせてもらいます」と断って、録音スイッチを入れた。

 「当日朝、何時に出勤しましたか。」から始まり、私の行動のすべてを聞いてくる。私は「校長の報告書には何と書いてありますか。それを読んでください。私はその報告書の誤っている部分をお話しますから」と。予め私は校長から報告書を手に入れていたが、このことは言わずに高崎さんに読み上げさせた。高崎さんが読み上げた部分について、私は丁寧に答えた。報告書はごく簡単なところ、例えば前日の交渉にだれが参加していたか、氏名が記載してあるのだが、その氏名漏れが何人もいた。「だれが参加していたかは、私は申し上げるっもりは全くありませんが、その報告書は誤っています。物ごとの捉え方に関係するものでない氏名を誤っているようなものは報告書とはなりえない。そんなずさんな報告書に基づいて、私を呼ぶなんて問題ですよ」。高崎さんは困った顔をしていた。校長の報告書の中には、生徒たちのことがほとんど書かれていない。私は生徒たちの校長に対する抗議を市教委として事実確認するよう要求した。

 事情聴取の後で、高崎さん、「何かつけ加えること等ありますか」と問うので、次のことを尋ね、確かめたいと言った。

1.私が要請したにもかかわらず、生徒に日の丸の掲揚を理解させること、教育すること
  を校長は一切拒否した。それで混乱を招いた。校長の教育放棄は、私は問題だと思う
  が、市教委はどう考えているのか。

2.市教委は混乱を起してまで、日の丸を場げるとは校長・学校に指導していないと私は
  認識しているが、どうか。それとも校長がいう通り市教委は混乱を起してまで、それ
  を強行しろと校長に指導したのか。

 そう、私が言い終えると、あの雄弁な高崎さんがしばらく黙り込み、目を伏せた。明らかに動揺していることが見てとれた。気をとり直して、「事実を確認の上、あとでお答えするかどうかを含めて検討します」と高崎さん。私「必ずお答え下さいね」と念を押して、事情聴取は終わった。

(2) 都教委から呼び出し(4月8日、2:30〜5:20)

 4月7日、校長が都教委からの呼び出しの旨、私に伝えた。私は「2つの理由でこちらから行く気はない。理由の1つは、私は入学式の式場係のチーフだから、片付け終了まで責任持って仕事すると2時30分に間に合わないこと。理由の2つ目は、2時30分からでは超過勤務になってしまうこと。必要がある都教委が学校に出向くように連絡してほしい」と校長に言った。校長は市教委に連絡をとったという。その結果、文書で職務命令を出すように言われたそうだ。校長は、私のところに、自分で作成したお粗末な「命令書」を持って現れ、市教委から言われたことを述べて、その「命令書」を私に手渡した。「随分雑な命令書ですね」。命令の発番もなければ、控えとの割り印もない命令書だった。校長職だったら、書式ぐらいマスターしたら?と思うが、この校長、一時が万事こうだから、助言のしようもない。「命令なら明日行きますが、相殺はきちんととりますからね」と念を押しておいた。近いうちに、相殺を午前中一番忙しい日にとって、補教は全て校長にやらせよう。

 8日1時、校長と連れだって、都教委笹塚分室に出向いた。道すがら、あれこれ、校長に話をさせてみた。「校長よりも、嘘をつかなくていいヒラの方がいいでしょう?」と問うと「いまさら戻れない。戻る道なんてないんだから」って。「11日からの私の授業に各クラス1時間づつ、教室に来て、校長さんの考えを子供たちに話してやってください。生徒たちも質問があるでしょうし。教育活動の一環として揚げたのだから、生徒を説得する必要ありますでしょ」と誘ったら、校長すんなりと0Kした。11日以降が楽しみだ。

 笹塚分室での事情聴取が始まった。質問は谷川管理主事が、調書作成を小高管理主事が行った。立ち会いが畑中市教委教職員課長と校長。部屋に通されると私は指定された席に腰を下ろした。後の4人は起立している。私に「立て」と畑中課長がきつい調子で言ったが、私はやはりきつい調子でそれを断った。仕方なく4人で小法廷の開始のような挨拶を交わし、聴取に入った。「私は1人なのでメモしながら答えることは難しい。だから録音をさせてもらいます」と断りを入れて、テープレコーダーをセットしようとしたら、「そんなことは認めていない」と非常に高圧的態度に都教委は出た。「時間短縮のために言ったのに、それがダメだと言うなら、私がメモをする時間を保証してくださいね」。私はそう確認し、その後の質問に「メモをしている最中です」と何度も、答えるのを待たせることになった。

「八王子市立石川中学校教諭、根津公子さんですね」
----「はい」
「校務分掌、学年所属は平成5(’93)、平成6(’94)年度、何でしたか」
----「そんなこと調べれば分かることでしょ。答えますけどね。校務分掌は…」に始まり、「当日の出勤時刻は?なぜ6時に出勤したのか?」と、私の行動を聴取する。しかし、私が校長に対して行った「妨害」行為のみの聴取で、生徒たちのことは聞こうとしない。「生徒たちが校長の実力行使に、どんな抗議の声をあげたか、その点を調べない限り、事実は出てこない。それを聞こうとしない、調書に書こうとしないなら、私はこれ以上話を続けるのはやめます」と言うと、やっと生徒のことを聞いた。

 最後の質問は「教育公務員としてあってはならない行為であり、信用を著しく失墜するものである。このことについて、今後どのように責任をとっていくつもりですか」だった。私はこう答えた。「教育公務員としてしなくてはならない行為をした。生徒の信用を失墜したのは校長で、私は生徒の信用を得ている。だから、今後責任をとっていくのは校長。私は責任をとる必要などない。今まで通り、真理と民主主義を子供たちと一緒に追求していきたい」。

 質問を終わると、何かつけ加えることがあるかと聞くので、2点をつけ加えてほしいと、次のように述べた。

1.「今まで述べた事実から、校長は教育の場にあって、教育を放棄したのだと
   いうこと」
2.「校長も教頭も(日の丸をあげることを)要求されているからやらざるを得
   ないとか、『実績のためにやるなんてむ            
   なしいですね』という私の問いに、「むなしくてもやらざるを得ない」と
   言っている。「日の丸・君が代」を教える意義を積極的に見いだせない校
   長、教頭たちが、職員や生徒に理解させることなんてできるわけがない。
   そういう強制は、教育ではないということをこの”事件”をきっかけに都
   教委、文部省は考えてほしい」。

 私の話したことを小高管理主事が調書に一言一句忠実に書き終えると、それに目を通すように私に命じた。そして、誤りの部分を訂正し、その後、私に署名、捺印を求めた。
 腹は立つが、署名、捺印に応じると、事情聴取は終わった。時計は、5時20分を回っていた。

 校長への事情聴取も私の後あると思っていたが、私に対するものだけだった。後日あるという校長への事情聴衆〔聴取?〕の際は、私を立会人として呼んでくれるよう要請したが、拒否された。(後日、確かめたところ、その日、私の後に校長に対する事情聴取もあったのだという。)

 最後に、この調書をもとに、今後どう処置するのか道筋を尋ねたが「一切答えられない」という。

 事情聴取といいながら、私のことを全く犯罪人扱いしたのであった。

 駐車していた三中に着くと、もう6時50分。3時間の相殺をとろう。帰りの車中、処分
 が決定したら、減給分、できだけ校長に私の仕事させることに決めた。減給分、私に補
 てんすべきところなのだから。


(8) 94入学式を前に

[1] 5日職員会議で

 入学式の議題が可決されたところで、校長「職務遂行のため、日の丸をポールに揚げます」と。それ、おいでなすった!私、「提案なら修正案としてきちんと出してください。そうでなければ、今の発言は記録から削除してくださいね」。すると、校長「じゃあ、修正案です」。そこで修正案反対、原案賛成の意見を私が述べ、すぐ採決へ。修正案賛成は勢いよく挙手した校長とキョロキョロ辺りを見渡して挙手した新任教頭だけ。原案賛成は19、後は保留。なのに、また校長「揚げます。」即座にだれも応じないので私、「揚げないと今、決定したのです。横暴はやめてください」。議長も「日の丸は揚げないことに決まりました」とまとめた。最高議決機関の職員会議の決定は「日の丸は揚げない」となったのだ。後の詰めは組合の交渉に委ねよう。

(2) 5日夕方、牧野書記長を囲んで職場会。             
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