|
よく考えて!「日の丸・君が代」 
いま、八王子では
      
君が代・日の丸は、当該者以外には「思想・信条の自由」に反すると言いがちですが、それ以上に同僚が権力により分断され精神的にも荒廃してしまいます。のちほど、教育基本法十条の解説もお読み願えればと存じますが、そこには「教育行政の教育内容への介入ができないことが明文化されています」。
【電子化作業 野副 達司<for_nze01@ybb.ne.jp>】
現在はNo 9が表示されています。お読みになりたい号数をクリックして下さい。
簡単な目次はこちらに掲載していますのでご覧下さい。
よく考えて!「日の丸・君が代」いま、八王子では(9)
平和主義を基調とする日本国憲法が天皇制という一定の限度をはらみつつも、平和の形成者の教育・育成は教育基本法にたくされた。教育の憲法上の規定の概略をみた。
-----------------------------------------------------------
季刊教育法110号、総特集●教育基本法50年
憲 法 中村 隆男(北海大学教授)
1 日本国憲法制定の背景
2 日本国憲法制定の経緯と教育条項の成立
(1) 日本国憲法制定の経緯
(2) 教育条項の成立
3 日本国憲法の教育条項の意味
(1) 教育を受ける権利
(2)学問の自由
4 日本国憲法施行後の状況と問題点
(1)憲法学の通説に対する教育学者の反論
(2)家永訴訟の提起と杉本判決
(3)教育権の所在と最高裁学力テスト事件判決
(4)子どもの学習権
(5)義務教育の無償
日本国憲法は、一九四六(昭和二一)年一一月三日に制定され、一九四七(昭和二二)年五
月三日より施行されている。改正は未だ一度も行われていない。
1 日本国憲法制定の背景
日本国憲法の制定は、一九四六(昭和二一)年八月一四日に日本政府がポツダム宣言の受諾を決定し、連合国に対して無条件降伏したことに起因する。ポツダム宣言の条項のうちでも、特に、「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるる」(一二項)こととの関係で、明治憲法の改正との関係が問題になった。当初日本政府は、ポツダム宣言の受諾は必ずしも明治憲法の改正の要求を含まず、運用によって同宣言の趣旨に合致する新しい自由で責任ある政府を樹立することは可能であるという見解であった。しかし、連合国最高司令官マッカーサーは、一九四五(昭和二〇)年一〇月四日に東久邇内閣の近衛文麿国務大臣に対し、憲法改正を示唆し、さらに一〇月一一日に新しく誕生した幣原内閣の幣原喜重郎内閣総理大臣に対して憲法改正を検討すべきことを指示し、国務大臣松本烝治を長とする憲法問題調査委員会が設けられた。政府の憲法改正作業は、この松本委員会の手で行われた。松本委員会の作業内容は、天皇が統治権を総攬するという原則に変更を加えないなど、基本的には明治憲法に手直しを加えるにすぎないものであった。一九四六(昭和二一)年二月一日に松本案が毎日新聞にスクープされ、総司令部は、その内容が余りに保守的であることに衝撃を受け、自ら改正案を作成し、それを日本政府に提示することに決定したのである。
2 日本国憲法制定の経緯と教育条項の成立
(1) 日本国憲法制定の経緯
マッカーサーは、九四六(昭和二一)年二月二日に総司令部が憲法草案を起草するに際して守るべき三つの原則を作成し、翌三日にそれを起草責任者である総司令部民政局長ホイットニーに手交した。これが天皇の地位、戦争放棄、封建制の廃止を提示したいわゆるマッカーサー三原則である。民政局は、九日間昼夜を徹して総司令部案(マッカーサー草案)をまとめ、二月一三日に松本国務大臣・吉田茂外務大臣らに手渡したのである(1)。
マッカーサー草案に基づく日本政府案の起草作業は、三月二日案という形でまとめられ総司令部に提出された。総司令部との折衝の結果をまとめたのが、三月六日に発表された「憲法改正草案要綱」である。四月一〇日に衆議院の総選挙が行われ、憲法改正草案要綱も選挙の重要な争点となった。四月一七日に政府は、要綱を条文化した憲法改正草案を公表すると同時に、枢密院へ諮詢した。枢密院で可決された憲法改正草案は、明治憲法七三条の定める手続きにしたがって、六月二〇日、衆議院に提出された。衆議院は六月二五日から審議を開始し、二ヵ月後の八月二四日、若干の修正のうえ可決した。続いて貴族院での審議は八月二六日に始まり、約一ヵ月半の審議の後、そこでも若干の修正を行って一〇月六日に可決した。翌七日、衆議院は貴族院の修正に同意し、帝国議会における審議を終了した。憲法改正案は、再び枢密院に諮られ、一〇月二九日に可決、天皇の裁可を経て、一一月三日に公布され、翌一九四七(昭和二)年五月三日から施行されたのである。
(2) 教育条項の成立
日本国憲法の制定にあたって、教育条項は、マッカーサー草案では、「無償の普通義務教育を設けなければならない」という一項が第二四条に置かれていた(2)。三月二日案では、「凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所二依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス。凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所二依リ其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。其ノ教育ハ無償トス」としてその内容がふえんされ、三月六日の憲法改正草案要綱で、「普通教育」およびこれを承けた「其ノ教育」という文言が、「初等教育」と改められた(3)。その結果、帝国憲法改正案では、二四条一項が、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定し、同条二項は、「すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は、これを無償とする」と規定することになった。
帝国議会における審議では、社会党から二点にわたる重要な修正案が出された。一つは、第一項に「才能あって資力なき青年の高等教育は国費を以てする」を挿入し、もう一つは、第二項に「教育の根本方針はこの憲法の精神による」を挿入するものである。第一点は、教育の機会均等は初等教育に限られるべきでなく、全教育の部面に及ぶべきであるという指針を憲法のなかに示すということであり、衆議院帝国憲法改正案委員小委員会で活発に議論された。結局、進歩党、自由党、協同党が政府原案に賛成し、社会党の修正案は成立しなかった(4)。ただし、自由党所属の廿日出雁委員の原案賛成の議論も、「勿論国民学校カラ大学マデ全部国家ガ子弟二教育ヲ施ス義務ヲ特チ、又戦争抛棄ノ関係上、一切ノ戦争費用ヲ教育ニ向ケルト云フ意気込ミラ徹底的二示スナラバソレモ可能デアリマス、ソコヲ一番理想二致シテ居ルノデアリマス」というように修正案の考え方には賛成であるが、二四条一項の規定を、「十分親切二解釈付ケテ行ケバ」、そこに解釈上高等教育における機会均等も含まれるというものであった(5)。第二点については、社会党の森戸辰男委員が、「比ノ憲法ノ趣意カラ言ヘバ、教育ノ方針ハ大体近代精神二依ツテ民主主義的、平和主義的二、又人権ヲ中心トスルモノデアリ、サウ云フ方針二依ラナケレバ新憲法ノ精神二合致シナイト思フノデアリマス」ということから、従来の教育勅語に代わって憲法を教育の根本精神とするという発言(6)で、その趣旨を明らかにしていたが、最終的には修正案は撤回された(7)。
衆議院で修正されたのは、第二項の字句の修正で、「法律の定めるところにより」が挿入され、「児童」が「子女」に、一文の「初等教育」が「普通教育」に、二文の「初等教育」が「義務教育」に修正された。
学問の自由の規定については、マッカーサー草案では、「学究上ノ自由及職業ノ選択ハ之ヲ保障ス」(二二条)となって、学問の自由が職業選択の自由とともに規定されていたのが、日本政府との折衝に入ってから、「職業選択の自由が」前条に移され、アカデミック・フリーダム(academic freedom)にあたる言葉として、日本政府の三月二日案では「研学ノ自由」、憲法改正草案からは「学問の自由」が選ばれたのでる(8)。衆議院の審議では、協同党から「学問の自由」を「学問研究の自由」に修正する案が提出されたが、憲法改正案委員小委員会の審議では、自由党の北玲吉委員が、学問の自由は研究の自由だけではなく、教授の自由をも含む広い意味であり、「日本二於テハ研究ノ自由モ或ル程度マデ制限サレマシタガ、教授ノ自由ハ殊二制限サレテ居タノデス」いう発言があり、原案通りになった(9)。
3 日本国憲法の教育条項の意味
(1) 教育を受ける権利
日本国憲法の教育条項は、第二六条の教育を受ける権利を中軸にして、第二三条の学問の自由が加わっている。明治憲法にはこのような教育条項はなかったところ、日本国憲法が新たに設けたのである。日本国憲法第二六条は、「すべての国民に”教育を受ける権利”を、すなわち、人権としての教育権をはじめて保障したもの」gである。
憲法二六条の教育を受ける権利は、学説による基本的人権の分類にあたって、一般に、国家の積極的義務ないし作為義務を前提にする「生存権的基本権」(我妻栄)hないし「社会権」(宮沢俊義)iに入れられた。そこでの教育を受ける権利の内容は、義務教育を無償とし、「高等の学校教育を受ける可能性を貧乏人にも保障しようとするもの」として、もっぱら経済的保障を与える権利として捉えられていたのであるj。もとより第二次大戦の敗戦から日本が民主的かつ平和的な国家として再生するにあたって、教育を受ける権利を社会権として位置づける意味は非常に大きいものであったが、後に、教育の自由や学習権の主張がなされるようになってゆくのである。
(2)学問の自由
憲法二三条の学問の自由の保障は、学問研究の自由と教授の自由を含むものであるが、教授の自由は大学の教育に限定して解釈されていた。初期における最も権威ある憲法註釈書では、「本条の学問の自由が当然教授の自由を含むということはできない。もちろん大学その他の高等の教育機関については、教授の自由をも広く認めることは本条の要請するところであるが(後述)、下級の教育機関についてはそこにおける教育の本質上、教材や教課内容や教授方法の画一化が要求されることがある。このような教授の自由の制約が常に本条にいう学問の自由と矛盾するとはいえない。本条にいう学問の自由と教授の自由とは概念上別箇のものであり、学問の自由は、学校体系の如何を問わず、また私人についても認められるべきものであるが、教授の自由は、教育ということの本質上、下級の学校に至るにつれ制限されることがある」kとされていた。後に、学力テスト事件や教科書検定訴訟をめぐって、教育の自由が大学以外の下級の教育機関にも及ぶか否かが大き問題になるのである。
4 日本国憲法施行後の状況と問題点
(1)憲法学の通説に対する教育学者の反論
憲法二六条および二三条に関する前述のような憲法学の通説的見解に対して、まず教育者の側より異論が出された。すなわち、憲法二六条については、憲法学の通説が、教育の質や内容を問題にすることなく、憲法二六条を量的な教育の機会均等の問題としてのみ捉えているのは、教育を受けることが明治憲法下の義務から国民の権利になったという憲法二六条の画期的意義を看過しているということであるl。そして、憲法二六条の教育権の内容は、子どもの教育を受ける権利ないし学習権を基底にした親および教師の教育の自由であり、それは国家の教育権に対比された国民の教育権として位置づけられるのであるm。さらに、教師の教育の自由については、憲法学の通説的見解が、高校以下の学校においては、「そこにおける教育の本質上、教材や教課内容や教授方法の画一化が要求されることがある」として、「教育の本質」を高校以下の学校における教師の自由を制限する根拠にしたことに厳しい批判を加え、「教育の本質」というならば「小さい子どもの場合ほど、画一化ではなくてむしろ個別化が要求される」nのであり、「教育の本質こそ教育の自由を請する」oことを強く主張している。
(2)家永訴訟の提起と杉本判決
教科書検定制度の合憲性を争った家永訴訟は、一九六五年に国家賠償請求訴訟(第一次訴訟)が、一九六七年には検定不合格処分取消訴訟(第二次訴訟)が提起された。この家永訴訟は、憲法の教育権理論の発展に大きな影響を与えた。特に、一九七〇年七月一七日に出された第二次訴訟に対する東京地裁判決p一いわゆる杉本判決は、教育学者にって提示されていた教育権の基本的構想を採用し、教育権理論の新しい発展への礎石になっている。
杉本判決が教育権に与えた理論構成の骨子は次のようになっている。憲法二六条は、国民ことに子どもに教育を受ける権利を保障しているが、教育の本質にかんがみると、子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを教育する責務をになうのは親を中心とした国民全体で、このような国民の教育の責務は、いわゆる国家教育権に対する概念として国民の教育の自由と呼ばれるものである。教師の教育の自由については、「教育は児童、生徒の心身の発達段階に応じ、児童が真に教えられたところを理解し、自らの人間性を開発していくことができるような形でなければならず」、「このような教育的配慮が正しくなされるためには、児童、生徒の心身の発達、心理、社会環境との関連等について科学的な知識が不可欠であり、教育学はまさにこのような科学」であり、このような教育的配慮をなすこと自体が、「一の学問的実践であり学問の自由と教育とは本質的に不可分一体」であることから、このような学問的見解を教授する自由は、憲法二三条によって下級教育機関の教師にも保障されているのである。
要するに、杉本判決は、親を中心とした国民一般の教育の自由を憲法二六条から引き出し、さらに、教師の教育の自由については、教師の教育的配慮を教育学という学問の実践として捉え、このような学問的見解の教授の自由は、憲法二三条によって大学以外の学校の教師にも保障されているというのである。
(3)教育権の所在と最高裁学力テスト事件判決
具体的な教育内容を決定する権能が誰に帰属するかという問題について、「国家の教育権」説と「国民の教育権」説との間で活発に論議されてきた。「国家の教育権」説が、議会および議会に基礎を置く行政府という国家機関に教育内容を決定する権能を肯定するのに対して、「国民の教育権」説は、国家機関が教育内容に介入する権能を原則的に否定して、それを教師、親など国民に認めようとするものである。
「国民の教育権」説の代表的な見解は、前述の杉本判決である。それによると、教育の本質にかんがみて、「子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを教育する責務をになうのは親を中心として国民全体」であり、このような「国民の教育の責務」が、「国民の教育の自由」とよばれ、国家は、「国民の教育責務の遂行を助成するためにもっぱら責任を負うものであって、その責任を果たすために国家に与えられる権能は、教育内容に対する介入を必然的に要請するものではなく、教育を育成するための諸条件を整備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的に許されない」というのである。
これに対して、「国家の教育権」説の代表的な見解は、第一次家永訴訟第一審判決である東京地裁一九七四年七月一六日判決q----いわゆる高津判決によって示された。高津判決は、教育内容および方法に国家が介入する権限を有するこの論拠として次の三点をあげている。第一に教育の私事性を捨象した現代公教育ないし福祉国家において国に公教育を実施する権限があることである。第二に、議会制民主主義の原理から国民の総意が国会を通じて法律に反映されるから、国は法律に準拠して公教育を運営する責務と権能を有するというべきであり、その反面、国のみが国民全体に直接責任を負いうる立場にあることである。第三に、普通教育における教育の本質からみて、教育の機会均等をはかるために適当な画一化の要請と、児童生徒の発達段階に応じた教育的配慮の必要性があるため、国が介入することである。
最高裁は、一九七六年五月二一日に出された旭川学力テスト事件判決(21)において、教育権の所在について、「国家の教育権」説および「国民の教育権」説は、「いずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできない」として、両説を折衷する見解を明らかにした。その内容は、@憲法二六条の教育を受ける権利は、「教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習する権利に対応し」、「専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきもの」であるが、そこから誰が教育内容を決定する権能を有するかは当然に導かれないこと、A憲法二三条は単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由を含むが、普通教育においては、児童生徒の批判的能力の欠如、学校や教師を選択する余地の乏しさ、全国的な一定水準の確保の要請から、教師に完全な教授の自由を認めることができないこと、B主として「家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれる」ところの親の教育の自由が肯定されること、C私学教育における自由もかぎられた一定の範囲で肯定されること、Dそれ以外の領域においては、国が、子ども自身ならびに社会公共の利益のために、「必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」ことである。
この判決は、一方では、教育内容に対する国の「必要かつ相当と認められる範囲」における決定権能を肯定しながら、他方では、憲法二六条による子どもの学習権を教育権の基底に置き、憲法二三条による教師の教授の自由を一定の範囲において認め、憲法二六条・一三条を根拠にするとみられる親の教育の自由や私学の教育の自由も一定の範囲で認めるものである。この判決は、代表的な教育法学説から、「国民と教師の教育人権を、制約づきながら最高裁として初めて宣言し、これはわが国における憲法と教育法の発展にとって一定の画期的意味を持つ」(22)という評価が与えられている。
最高裁学力テスト事件判決は、教育権の所在を、教師、親、私学、国といった教育関係者の教育権能の範囲をそれぞれ憲法上の根拠に照らして明らかにしようとするもので、基本的には妥当な解釈方法である。ただ、国家の教育権能について、「必要かつ相当と認められる範囲」あるいは、「正当な理由に基づく合理的な決定権能」といった表現をとって、国家の教育内容に対する決定権能の限界が必ずしも明確でないところに問題が残されていた(23)。
この点、第一次家永訴訟上告審判決である最高裁一九九三年三月一六日第三小法廷判決(24)は、学力テスト事件判決を判例として引用しながら、普通教育の場においては、「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準であることが要請され」、また、「児童、生徒に対する教育の内容が、その心身の発達段階に応じるものでなければならないことも明らか」であり、そして、「本件検定が、右の各要請を実現するために行われるものであることは、その内容からも明らかであり、その審査基準である旧検定基準も、右目的のための必要かつ合理的な範囲を超えているものとはいえず、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含むものでもない」と判示している。この判決は、「必要かつ相当と認められる範囲」という基準を、抽象的な基準として用い、教科書検定の実態を踏まえないで、簡単に合憲という結論を出した点において、批判されるものである。
(4)子どもの学習権
前述のように従来の憲法学の通説的見解は、憲法二六条の教育を受ける権利を教育の機会均等の面に重点を置いて捉えられていた。これに対して、教育学者ないし教育法学者の側から批判が出され、子どもの学習権が主張された(25)。一九七〇年七月一七日の杉本判決は、憲法二六条の教育を受ける権利保障の趣旨が、「子どもは未来における可能性を持つ存在であることを本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら成長させることが子どもの生来的権利であり、このような子どもの学習する権利を保障するために教育を授けることは国民的課題であることにほかならない」ことを明らかにした。
最高裁も、一九七六年五月二一日の前掲学力テスト事件判決において、憲法二六条の教育を受ける権利の学習権的理解を基本的に採用したのである。すなわち、この判決は、憲法二六条の背後には、「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成し、実現するために必要な学習をする固有の権利を有する」との観念が存在し、「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習する権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられている」というのである。
子どもの学習権そのものの侵害が問題になった訴訟として、内申書裁判がある。特に、第一審東京地裁一九七九年三月二六日判決(26)は、生徒の学習権を根拠にして、内申書における生徒の思想信条の自由および表現の自由にかかわる不利益な評定および記載を教師の教育評価権を逸脱して違法と判断して注目された。これに対して、控訴審である東京高裁一九八二年五月一九日判決(27)は、学習権あるいは進学権が万人に保障されたものであるにしても、各人の能力に応じた分量的制約を伴うものであり、また、調査書(内申書)が本人にとって有利に働くこともあれば、不利に働くこともあるのは事柄の性質上当然のことであり、本人にとって有にしか働かない調査書制度なるものと想定することは不可能であることをあげて、教師の教育評価権を広く認めて、内申書提出行為の違法性を否定した。さらに、上告審である最高裁一九八八年七月一五日第二小法廷判決(28)は、第一審および控訴で問題になった学習権について何ら判断することなく、上告を棄却した。
(5)義務教育の無償
一九六二年の「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」および一九六三年の「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」によって義務教育用教科書が無償配付されるようになる以前に、小学校に在学する児童の保護者から、国に対して教科書代金の償還等を求めた事案について、最高裁一九六四年三月二六日大法廷判決(29)は、憲法二六条二項後段は、授業料不徴収という範囲内では直接裁判規範としての効力を有するものであるが、授業料以外の教科書代金その他の費用については、憲法が直接定めることなく、その具体化を立法政策に委ねていると判示した。そして本判決が、憲法二六条二項後段の規定を限定して解釈した前提にある考え方は、「普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして」、「親の本来有している子女を教育すべき責務」にも基づくものであり、親の教育責務から義務教育の費用について親も応分の負担をすべき義務があるということである。
義務教育無償の範囲について、現在の学説は次の二説に大きく分けることができる。
第一説は、授業料無償説で、憲法二六条二項後段が直接規定している範囲を授業料と解する見解である(30)。授業料以外の教科書その他の費用についても無償にすることは憲法の精神に添うものである(31)。この場合に憲法の精神に添うということが、国家に政治的義務を要求するのにとどまるのか、それとも何らかの法的義務を国家に認めることになるのかが問題になる。有力な教育法学説は、「授業料無償のほかは原則として直ちに裁判で金銭支払請求されえず、立法・予算等を通じて具体化されるものであるが、旧来のプログラム規定説が説くように国が適宜に立法政策をたてていけばよいという政治的義務にすぎないものではなく、憲法上、国民の教育を受ける権利に対応している法原理的義務である」(32)と主張している。このような考え方に立つと、立法府が授業料以外の費用について有償とすることがその裁量権を逸脱した場合には違憲となる余地が残されている。
第二説は、授業料のほかに、教科書代金、教材費、学用品費等義務教育修学に必要な一切の経費を無償とする見解である(33)。その理由は、憲法二六条の教育を受ける権利のもつ生存権的基本権としての側面を積極的に評価し、今日の権利としての「義務教育」制度の本質的性格を考え、「教育を受ける権利は教育を受けることにより、各人が将来の労働や生活の基礎的な技術や知識を習得し、自立して生きていくための、権利なのであるから、単に就学するのに必要な授業料の不徴収にとどまらず、修学までに必要な一切の教育費が無償とされることによって、その権利が権利として保障されことになる」というのである。
第二説に対しては、社会権としての教育を受ける権利は親の教育の自由を前提にしているのであるから、「子供の教育につき、親が一定の権利なり責任なりをもつと考えられるかぎりは、教育に要する費用のなにがしかを、親自身の負担とすることはそう不合理なことではないというべき」であり、修学必需費無償説が、「親の権利・責任(教育の私事性)を軽視」しているという批判(34)は、十分成り立つ議論である。憲法二六条二項後段の規定から直接裁判上主張できる権利として導き出されるのは、第一説の説くように授業料の不徴収の範囲内である。しかしこのことは、授業料以外の費用についてはプログラム規定で、裁判規範として効力を有しないということを意味するわけではない。授業料以外の費用については、その具体化は原則として、立法府の裁量に委ねられるが、その他の費用の負担が一定の限度を超えて、子どもの教育を受ける権利を実質的に侵害する程度に至った場合のように、立法府が裁量権の範囲を逸脱した場合には、違憲になると解されるのである。
註
(1) 総司令部民政局での起草作業の経緯については、鈴木昭典『日本国憲法生んだ密室の
九日間』創元社、一九九五年、が詳しい。
(2) 高柳賢三=大友一郎=田中英夫『本国憲法制定の過程I』有斐閣、一九七二年、二七
九頁。
(3) 高柳賢三=大友一郎=田中英夫『日国憲法制定の過程』有斐閣、一九七二年、一七
六〜一七七頁。
(4) 衆議院事務局編『第九十同帝国議会衆議院帝国法改正案委員小委員会記録』衆栄会、
一九九五年、二〇六頁。
(5) 同右書、二〇五頁。
(6) 同右書、一二七頁
(7) 同右書、二〇六頁。
(8) 高柳ほか・前掲書(注3)、一七頁。
(9) 衆議院事務局編・前掲書(注4)、一〇九頁。
(10) 永井憲一「教育権」中村隆男=永井憲一『生存権・教育権』現代憲法体系d、
法律文化社、一九八九年、一六五頁。
(11) 我妻栄「基本的人権」国家学会編『新憲法の研究』有斐閣、一九四七年、八
四頁以下。
(12) 宮沢俊義『憲法』有斐閣、一九五九年、四一二頁以下。
(13) 同右書四一二頁。
(14) 法学協会『註解日本国憲法上巻』有斐閣、一九五三年、四五九〜四六〇頁。
(15) 宗像誠也「教育権論の発生と発展」国民教育研究所編『国民と教師の教育
権』明治図書、一九七〇年、四八〜四九頁。堀尾輝久「現代における教育と
法」岩波講座現代法八『現代法と市民』岩波書店、一九六六年、一六四〜一六
五頁。
(16) 宗像・右論文、四八頁。堀尾・同右論文、一八一頁、二〇四頁。
(17) 宗像・同右論文、三九頁。
(18) 堀尾・前掲論文(注15)、一八八頁。
(19) 行裁例集二一巻七号別冊。
(20) 判例時報七五一号、四七頁。
(21) 刑集三〇巻五号、六一五頁。
(22) 兼子仁「最高裁学テ判決における教育人権論」ジュリスト六一八号、一九
七六年、二七頁。
(23) 樋口陽一=佐藤幸治=中村隆男=浦部法穂『注釈日本国憲法 上巻』青林
書院、一九八四年、六〇二頁(中村執筆)。
(24) 民第四七巻五号、三四八三頁。
(25) 堀尾・前掲論文(注15)、一四九頁以下。学習権を法学者の側から受けとめ
たのが、兼子仁『国民の教育権』岩波書店、一九七一年で、特に、その「む
すび」には、「教育権から学習権へ」という副題がつけられている。
(26) 判例時報九二一号、一八頁。
(27) 判例時報一〇四一号、二四頁。
(28) 判例時報一二八七号、六五頁。
(29) 民第一八巻二号、三四三頁。
(30) 宮沢俊義(声部信喜補訂)『全訂日本国憲法』日本評論社、一九七八年、
二七七頁、佐藤功『憲法(上)』〔新版〕有斐閣、一九八三年、一八四頁、
兼子仁『教育法』〔新版〕有斐閣、一九七八年、二三七頁、奥平康弘「教育
を受ける権利」芦部信喜編『憲法。』有斐閣、一九八一年、三七九頁など。
(31) 宮沢・同右書二七七頁。
(32) 兼子・前掲(注30)、二三七頁。
(33) 永井憲一「教育を受ける権利と義務教育の無償制の意義」芦部信喜=高橋
和之編『憲法判例百選』〔第三版〕有斐閣、一九九四年、二九一頁。
(34) 奥平・前掲論文(注30)、三七八〜三七九頁 -10-
出典:季刊 教育法110号、総特集●教育基本法50年、エイデル研究所、
1997年6月、4-10頁。
現在はNo 9が表示されています。お読みになりたい号数をクリックして下さい。
簡単な目次はこちらに掲載していますのでご覧下さい。
      
|