また大量虐殺の兆しが聞こえてきた

 アナン国連事務総長がバグダッドに向かい、フセインに最後の交渉をするような... 国連の査察を無条件で受け入れろということなんだが、ここぞとばかりに国連ではなく、アメリカという世界最大の軍事国が戦争の準備に入っている。また、湾岸戦争の繰り返しか?

 圧倒的賛成多数でアメリカの軍事運動を支持することになったイギリスの国会で、私の敬愛する労働党左翼のトニー・ベンが「これに票を投じたものは大量虐殺の責任を負うべきだ」と反対声明を発表したという。私はその主張を全面的に支持し、自分のホームページにその記録をとどめておこうと思う。

 こんかい、ここに復刻することになった原稿を書いたのは85年のクリスマス直前だったと思う。私がイギリスに住んでいたときに起こったフォークランド戦争、そして、わずか数年前の湾岸戦争と、今も限りなく野蛮で無益で、結局は、底辺の人間と我々を生かしている自然を破壊することしかできない愚行が繰り返されていく。世間は我々を戦後世代というらしいが、我々に戦後はなく、あるのは戦前ばかりのような気がする。

国境や体制を超えて〜ジョン・レノンの死

 毎年クリスマスが近づくと思い出すのは、一九八○年十二月のあの朝だ。それは僕がイギリス南部、ブライトンの友人の家に居候していたころ。目を覚ますと、真っ先に耳に入ってきたのはやはり居候していたカナダ人の友人の言葉だった。彼がベッドルームに飛び込んできて「ジョンが殺されたよ、クソッ!」。そのヒトコト、今も覚えている。

 もちろん、それはジョン・レノンが殺された十二月八日のことだ。その日、ラジオやテレビは一日中ジョンとビートルズにささげられ、クリスマスには彼の名作「イマジン」と「ハッピークリスマス」がヒットチャートを飾った。 「世界は間違っている。だから、今日こそは楽しいクリスマスをすべての人々に。みんな闘いをやめて、恐怖のない年がやってくるよう祈ろう。本当に望めば戦争は終わるはずだ」(ハッピークリスマス)その詞は彼の残したメッセージだったのだろう。

 再ぴジョンに触れたのはその一年後、ロンドンのハイドパークだ。十〜二十代の若者たちを中心に二十五万人が反核のために集まった時。スピーチがすべて終わり、ステージから人影が消えると、どこからともなく聞こえてきたのが「平和を我らに」。だれが歌えと言う訳でもなく、自然に声が大きくなっていった。ジョンは「私が言ってるのは、ただ平和に機会を与えて欲しいってことだけなんだ」そう書いていた。

 そして、昨年面白いニュースを目にした。それはチェコスロバキアのプラハにあるジョン・レノンの壁。といっても、それはなんの変哲もない壁に無名の市民が落書きを重ねて出来上がったもの。中央にはジョンの墓が描かれ、その傍らにピース・マークやピース&ラブなんて言葉が無造作に書かれている。彼のメッセージは国境や社会体制を趨えて、世界中の人々に届いている、と僕には思えた。

 でも、今も戦争は世界中で続発し、軍備に使われるのは一分間に百万ウといわれている。その一方で飢えに苦しむ人々が数億人。五年前と何が変わったんだろう。「イマジン」は確かこう言ってたはずだ。「想像するんだ。国もなく、そのために人を殺すことも、死ぬこともないって。夢想家と呼ばれるかもしれないけど、僕はひとりじゃない。君もいつかこの中に入ってくるはずだ。そして、世界はひとつになるんだ」

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