« 2005年03月 | メイン | 2005年05月 »

2005年04月22日

どんどんいなくなってしまうなぁ

Albert Ayler なにやら、どんどん人が亡くなっていく。先日も、高田渡のことを書いた。大好きなアーティストが亡くなっていくのは、寄る年波のせいで、おそらく、これからもどんどん増えていくんだろうけど、これほど続くと、毎回毎回亡くなった人のことを書かなければいけないんだろうかと思ってもしまう。それほど多くの、「気になる人たちが」この世とおさらばしている。

 数週間前は岡田史子だった。大学の頃、漫画にこっていた友人で、おそらく今は東北に住んでいる、もうやんに教えてもらったように思う。思うに、このもうやんは花登筐(はなと・こばこ)の小説「どてらい奴」に登場する主人公(演じたのは西郷輝彦)で、大阪の商人系のドラマがはやったときに一世を風靡したもの。彼はそこから名前をもらっていたと思うんだが、当時、ガロやCOMあたりにはまっていた学生が多く、その流れで彼から「少女漫画」、この岡田史子の作品を紹介してもらったのを覚えている。

Kenny Drew で、彼女の作品、「ガラス玉」を買って、独特の心象風景を描くこれを大切にしていたものだ。おそらく、家捜しすれば、どこかに隠れているはずなんだが、その彼女も亡くなった。

 で、今日、下北沢に向かった途中に買った夕刊でみつけたのがペデルセンの訃報。この人、確か、オランダ人じゃなかったかと思うが、名前がやたら長い。Niels-Henning Orsted Pedersenというんだが、ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンだっけか? いまだに正確に名前を読むことができない。ともかく、この人が亡くなったという記事を読んだ。

 巻頭に、おいているアルバムは、この世で最も好きなジャズ・サックス奏者、アルバート・アイラーの、なかでも大好きなアルバム「My Name Is Albert Ayler」で、ここでベースを演奏しているのがこの人だ。記憶では、確か、この時彼はまだ17歳ではなかったかと思うが、いずれにせよ、北欧系のジャズマンらしい音を聞かせる人で、学生時代に気に入っていたレーベル、Steeple Chaseで数多くの作品を残している。特に気に入っていたのが、アルバート・ヒースのペタペタとしたドラムスとペデルセンとのトリオによるKenny Drewのリーダー作『Dark Beauty』。これはよく聞いた。特に1曲目のベースで入るトラックなんてはまりますもの。それに、盲目のピアニスト、Tete Montoliuのバックでもかなりの作品を残しているし... まぁ、けっしてスターにはなれなかったけど、この人も、この世とおさらばした。

 本当は、詳しい情報を探したくてネットのなかを泳いでみたんだが、結局みつからず。それなのに、朝日新聞の夕刊に載っていたというのは... 自分の読み違いか、あるいは、担当者がこの人に思い入れを持っていたかどっちかだろうな。

 まぁ、死んで、こうやって誰にかに伝えられるってのは、まだいいけど、俺なんてどうなんだろうね。俺が生きていようが死んでしまおうが、おそらく、誰にも気づかれることなく、放っておかれるのではないか... と、そう思うことがある。今日も、たまたまメシを食う暇もなく、まるで深夜営業のゴミのようなジャンク・フードを喰わせる店でちょこっと食べなければいけなかったんだが、その店で老婆がひとりで食事をしているのを見たとき、なぜだか、無性に悲しくなった。一生懸命生きてきた老人が、たったひとりで深夜のこんな店で食事をしなければいけないって、どうゆうことさ?お年寄りを大切にしようよ。子供とか、旦那とか、孫とか、近所の人とか、誰かがいるだろうに。

 と、そう思っているそばから、はたと自分のことを考えてしまった。どこでどう間違ったか、ずっと独り者で、いまだに学生のような生活をしている自分こそ、ひょっとしたら、同じようなものかもしれない。まだまだ若いとは思っているが、今年で半世紀の年齢を迎えることを考えると、ああなることも近いんだろう。ブスでなんの甲斐性も取り柄もなく、性格も悪い、どうしようもない女でも嫁にすればいいんだろうか... と、ちょいと弱気になってしまったが、おそらく、数秒と持たないだろうことは火を見るよりも明らかで、同じく数秒で(正気)笑気に戻った。そんなことだったら、死んでも誰にも知られないでも、いいじゃねぇか。いつものように、俺は、吉永小百合と原節子以外はいらないよと、また開き直ってしまうのだ。



投稿者 hanasan : 00:42 | コメント (0)

2005年04月17日

高田渡様 ありがとうございました。

高田渡 唐突にやってくるのが訃報というやつで、今回、初めてこのニュースを知ったのは、仲間と始めた非戦音楽人会議のMLだった。当然ながら、これは「戦争を拒否すると宣言した人たち」のネットワークで、いろいろな情報を交換しているんだが、ここを通して第一報を知ることになる。なんでも16日の午前1時30分に釧路の病院でなくなったとのこと。一応、確認しないといけないので、一般メディアの情報をチェックして、確認したあと、Smashing Magで速報している。

 その後、札幌の仲間からメールがあって、詳しい情報を受け取っている。なんでも3日に釧路管内白糠町でライヴがあって、ちょっと足下がふらついていたらしいんだが、その日は15曲(なんでも、私が愛してやまない名曲、「生活の柄」も入っている)を演奏。そのあと、意識を失って病院に連れて行かれたらしく、そのまま意識が戻ることなく亡くなったとのこと。

Mississippi John Hurt かなり酒を飲んでライヴをやって... 居眠りをしてしまうといった伝説なども持っている方で、おそらく、かなり無理をしているんだろうなぁとは思ってはいたが、それでも、これほど若くして亡くなられるとは思ってもいなかったし、最近は、ある時期、かなりさけていたようにも思えた「政治的な色彩を持つ」ライヴにも出演していることを知って、さすがに「日本のウッディ・ガスリーだ」なぁなんて再認識していたところだった。

 私達のような世代にとって高田渡がどれほど重要な存在だったか... 言い尽くせないものがある。若かった頃は何度も何度も彼のライヴを見ているし、大学生の頃には彼の歌、「生活の柄」なんぞをフォーク・ギターを抱えて歌っていたこともある。今の自分しか知らない人には想像できないんだろうけど、おそらく、人生で最も好きなアーティスト、(それは、高田渡のルーツでもあり、彼の影響でもあるんだけど)Mississippi John Hurt(絶対に聞かなければいけない傑作がLast Sessions)の曲をコピーしたりしていたものだ。

高田渡 大好きだったアルバムはごあいさつで、これは何度も何度も聞き返した記憶がある。おそらく、彼を一躍有名したのは、単純に高田渡/五つの赤い風船と名付けられたスプリット・アルバムで、ここに収録されている「自衛隊に入ろう」が大ヒットしたのはご存じの方も多いだろう。最初、北海道の有線放送で火がついて、(自衛隊員が多いのだ、ここは)なんと防衛庁から「宣伝用に使わせて欲しい」と連絡があったとか。それは、高田渡とインタヴューした93年に直接話を伺っているのだが、「バッカだよねぇ、あいつら。ホントの話だよ」と話していたものだ。(ちなみに、そのときの話はこちらにアップしているので、読んでいただければと思う)ちょうどPKOのことで、自衛隊の海外派遣が議論されていた頃で、本当はこの時のインタヴューで彼は「派兵された自衛隊なんて、みんな殺されてしまえばいいんだ」と過激なことをおっしゃっていた。その彼がイラクに派兵された自衛隊のことをどう思っていたかは簡単に想像できる。しかも、憲法が改悪されようとしている現状に対してどれほどの思いを持っていたか... おそらく、最近、政治的な動きを見せ始めていたのはそのあたりに背景があるんだろう。

 一番最初に買ったのは汽車が田舎を通るその時で、これはあのスピリット・アルバムの後に発表された高田渡のデビュー・アルバムで、そこに続いたのが最も好きだったごあいさつ。「生活の柄」はここに収録されている。ホームレス(だけではなく、貧しきもの、そして、ウッディのような旅、生き方をする人)の悲しみや寂寥を歌ったこれは、レコードがすり切れるほど聞いたし、反骨精神で溢れた彼の名曲「値上げ」(とんでもなく素晴らしく簡潔なるも高級な詩だと思っている)に「失業手当」や「銭がなけりゃ」も好きだったし、「自転車に乗って」もよく歌ったように思う。それに、「コーヒー・ブルース」で覚えたのが京都の喫茶店で、そのおかげでその店、イノダに行ったこともある。

高田渡 ごあいさつの次に発表したのが系図という作品で、ここに収められている名曲「手紙を書こう」が大好きで... 連続射殺魔として、死刑宣告され、97年に処刑された永山則夫の書いた作品で、これをかつて共同通信でやっていた連載の最終回にちらっと使わせてもらったこともある。

「あて名のない手紙を書こう。まわりまわって戻らない...」

 正確には覚えてはいないが、そのフレーズがこびりついて、連載を通じて自分が書いていたのは、「あて名のない手紙」ではなかったかと思っていると締めたものだ。おそらく、獄中で文学者となった永山則夫が抱えたものを高田渡は理解していたんだろうとも思う。

 このアルバムを通して、永山則夫や金子光晴、それに山之口貘といった詩人を知り、ジョルジュ・ブラッサンスといったシャンソンの世界も教えてもらった。実に、高田渡はアメリカ民謡というトラッド・ミュージックをぱくってはこういった詩人の詩を歌にしていたというんだが、同時に、そういった人々の世界を飲み込んだ彼の詩もしみた。今では誰も覚えてはいないかもしれないが、高校生の頃か大学生の頃、「個人的理由」という彼の詩集が出版されて、当然のようにそれを買い、読んでいた。ひとつひとつの言葉の抱える意味の深さを、そして、「見方」「聞き方」を教えてくれたのも彼だったように思える。

 そのアルバムに山之口貘の「告別式」という詩を使った曲があるんだが、久々にこれを手にして思ったのは、ひょっとして、この詩の通りのことを、あの世で彼はやっているんではないかと思ってしまった。「お金ばかりを借りて、歩き、まわっているうちに、ぼくは、ある日、死んで、しまったのだ...」と始まり、「あの世も、この世もあまり変わりないような...」と終わるこれが、なにやら、今のワタルを思わせるのだ。本人は、きっと、死んだこともわからずに居眠りをしていて、気がついたら、あの世で、おそらく、同じように、世捨て人のような、それでいて、どこかに反骨精神を抱えながら、歌っているのではないか... と、そんなことを思ってしまうのだ。

 学生時代にプロモーターだった頃、彼のライヴを一度企画して、という傑作を録音した頃、20年ぶりぐらいに、今度はインタヴューで再会して... 以来、結局、接点が生まれることはなかったのだが、自分にとって、どこかで必ず戻っていく「歌」を聞かせてくれる素晴らしい詩人であり、アーティストであり、反骨の人だった。

 葬儀に行くことは、どこか自分のなかでは「高田渡的」ではないと思えるから、そうすることはないだろうが、彼には感謝しきれないほどのことを教えていただいた。本当に、ありがとうございました。あなたも、私の人生を大きく変えたひとりでした。ご冥福をお祈りします。



投稿者 hanasan : 06:42 | コメント (0)

2005年04月13日

敷居値は2000円かなぁ

POCO いつだったか、テレビで「敷居値」という言葉を聞いたことがある。例えば、誰かが「良心を感じていながら、悪さをしてしまう」という時に、ある種の敷居があって、それを越えてしまうと「まぁ、いいかぁ」と思っちゃうということらしいんだが、自分の場合、CDとかDVDを買うときに、「ま、いいかぁ、買っちまえ」と思ってしまう敷居値の値段が、これまでの傾向を分析にすると2000円を切ったあたりだというのがわかる。

 といっても、それは、単一のアルバムで、ちょっと気になるけど、絶対に持っていなきゃいけないものでもないし... ちょっと聞いてみたいなぁ... って流れにある作品で、このラインが2000円を切っているとけっこう手を出してしまうのだ。その結果、買ったのがこのアルバムで、自分にとってはちょっと懐かしいPOCO。といっても、このアルバムの場合、DVD(リージョン・フリーよ)とCDの2枚組で1900円弱というので、日本的な常識から考えるとめちゃくちゃ安い... というので、まぁ、ある時期のウェストコースとの音楽が好きだったら、買って当然でしょという値段なのだ。

 それに、(これは買った結果としてしか言えないことだけど)内容が素晴らしかった。なんでも、04年に行われたライヴで、オリジナル・メンバーのRusty youngとRichie Furayに加えて、少し遅れて合流したPaul Cottonが中核で、彼らの70年代末期のアルバム『Legend』が好きだった自分にとって、充分「いいメンバー」によるものになるはずだった。

POCO もちろん、結成時には後期Buffalo Springfieldのメンバーで、後にLoggins & Messinaを結成するJim Messinaや(Oasisが隠れた大傑作で、これは聞いて欲しいなぁ)、イーグルスに合流するRandy Meisnerがいるんだけど、実をいうとその頃の作品はそれほど聞いていなくて、はまりにはまったのは『Legend』であり、その次のアルバム『Under the Gun』もよく聞いていた。

 まぁ、このPOCOって、いなくなったのかなぁと思ったら、89年に『Legacy』でカムバック。っても、ほとんど再結成という感じだったのに、結成以来の大ヒットをとばしているんだが、どうやらこの時はPaul Cottonは不在。まぁ、メンバーが出たり入ったりしていたんだが、結局は、ラスティ・ヤングとポール・コットンを中心に地味ながらもずっと続いていたようで、しばらくぶりに聞いてみようかと、この「敷居値段」が理由で買った見たわけだ。

 そうしたら、複雑なんだなぁ... もちろん、いいのよ。ほとんど当時のままで同じように美しいコーラスを聴かせてくれるし、切ない響きを持つラスティ、ポール、リッチーのヴォーカルもそのまま。気持ちのいい、そして、もの悲しい名曲の数々は、自分にとって「裏」イーグルスであるPOCOの魅力を十二分に堪能させてくれるのだ。かなり懐かしいってのも否めないけど、派手な照明や効果もなく、ただいいメロディといい歌をいい演奏で聞かせてくれるという、「音楽ってこうなんだよね」ということを再認識させてくれるのが嬉しいのだ。

 ただ、音を聞いているだけなのと、映像を見るのはかなり違って... 映像で見るメンバーたちの「老い」には驚かされるのだ。みんな「おじさん」になっていて(当然なんだけど)そういった現実をつきつけられるのが、ちょっと寂しくもあったり... とはいいながら、逆に、そういったおじさんたちが昔と同じように歌えること、演奏できることに驚かされたりって感じでしたなぁ。

 で、話は元に戻るのだが、その敷居値のこともあり、2000円台後半のアルバムなんてほとんど買ったことがない。日本のアーティストのアルバムって、ほとんどがそういった値段で、おそらく、日本のミュージシャンをほとんど知らないのはそのあたりが原因ではないかと思う。

 ちなみに、値段が1000円を切ってしまう、おなじみの980円ものは、けっこう頻繁に買ってみたり... といっても、ちりも積もれば同じでけっこうな金額になっちゃうんだけどね。

投稿者 hanasan : 13:18 | コメント (0)

2005年04月10日

脱帽です、ありがとう

服部良一 まだじっくりとは聞いてはいないんだが、先日、このアルバムを買った。躊躇なく買った。というのも、日本のポップスの歴史を考えたとき、最も大きな功績を残した作曲家の筆頭が、自分にとってはこの服部良一で、大好きな笠置シヅ子を(一緒に)作った人物でもある。

 当然ながら、笠置シヅ子の3枚組のアルバム「ブギの女王」も持っているし、服部良一の3枚組のアルバム「僕の音楽人生」も持っている。さすがに、7枚組の超大作「オリジナル盤による服部良一全集 音楽生活70周年記念」には手を出せなかったが、この3枚組2セットも、躊躇なく買った。なぜなら、西洋の音楽、特にジャズやラテンを十二分に吸収し、オリジナルなものとして「日本的なるもの」を作り上げたという意味で、はっぴぃえんどと同様にとんでもない才能を持っている人物としてこの服部良一を認めざるを得ないからだ。

 まぁ、学術的な意味で買っただけだったら、「学究の徒」ってことなんだろうけど、そこにまるっきり興味がないと言えばうそになるけど、実際のところ、「嬉しい音楽」がここに凝縮されているというのがその理由だろう。音楽を聴いて想像する世界やイメージ、夢も希望もあり、親しみやすいメロディから、斬新ながらも、どこかで日常と直結している歌の世界を、おそらくは、試行錯誤しながら、そう、かなりの無理をしながらも、そうは感じさせないように作り上げた服部良一氏の才能に惚れ込んでいるということ大きな理由だ。

笠置シヅ子 ポップスがポップスとして、普通の人たちの「娯楽」から楽しみや悲しみを共有する何かとして、完成されていった時代の音楽として、録音の状態が原因か、今じゃ「先生」と呼ばれる人たちの歌に関していえば、まだまだ未完の(へたっぴぃな)人も多いことは認める。でも、その人たちの魅力を浮き上げる彼の作曲から編曲の才能は、おそらく、誰にも比べることができないほどの完成度を持っていることは感じることができる。 そして、なによりも、服部良一でしかない世界を作り得ていることに敬服してしまうのだ。

服部良一 おそらく、ここに収められている歌の数々は、若い人たちには全くなじみのないものであり、すでに半世紀の年齢を迎えようとしている自分自身にとっても、全く未知の音楽だ。(すでに、いろいろなチャンネルを経由して聞いたことはあるとしても)同時代の音楽とは言えないし、自分の父や母、あるいは、祖母や祖父の世界なんだろうけど、それでも、言葉と音楽がこれほどまでに見事に融合されながら、西洋の音楽を日本の音楽的な土壌と共に融合していた服部良一に「ロックは日本語では歌えない」といった時代があったことを申し訳ないと思うのだ。70年代初め、そんな議論をしていた馬鹿者たちが、どれほど音楽を聴いていなかったか、あるいは、ロックに過大な幻想を抱いていたかを、特別なものと見ていたかをこういった人たちの作品からうかがい知ることができる。

 たかだか音楽。されど音楽。これほど単純な言い回しに、実は、とんでもない意味が含まれていることを、こういった作品を通して感じしまうのだ。特に、今回、すでに入手可能だった(あるいは、再評価に積極的だった)コロムビアの音源ではなく、ビクター音源がまとめられた意味が大きいし、嬉しい。これで、やっとじっくりと服部良一の世界を堪能できるというものだ。



投稿者 hanasan : 16:04 | コメント (0)

2005年04月08日

20年待ったのさ、このアルバム。

弘田三枝子 おそらく、このサイトを見ている人、あるいは、Smashing Magをチェックしている人はすでに、何度もこの話を聞かされていると思うけど、自分にとって最も「音楽を楽しめる」飲み屋が、横浜は野毛にある「パパ・ジョン」で、ここのマスター、通称パパ・ジョンにはいろいろな音楽を教えてもらった。一度、紹介したゴールデンカップスなんかもそうなんだけど、この親父はその現場で彼らを見ていたという人物で、そんじょそこらの「ペーパー音楽評論家なんぞ」よりも、遙かに「楽しい」うんちくが聞けるというので、ときおり飲みに出かけるのだ。まぁ、さすがに、横浜なので、あの街で仕事をしていたときのように毎週のように遊びに行けないのが残念でたまらないんだけどね。

 そこで、おそらく、20年ほど前に聞かせてもらったのが弘田三枝子のジャズ・アルバムだった。はっきり言って、一度ではまりました。特に、彼女の歌う「マック・ザ・ナイフ」は、(異論反論は承知の上で書くけど)最高のヴァージョンを録音したと言われるエラ・フィッツジェラルドと比較できるほどに素晴らしい。しかも、この曲を彼女が録音したときは、なんと16歳だったというから、またまたぶっ飛ぶのだ。16歳だよ、16歳。どうする?

 というので、当然ながら、中古レコード屋を探し回った。なんとかオリジナルを入手できないものかと、中古盤屋が目に入ったら、一通りジャズと歌謡曲のセクションに目を通してチェックしていたんだが、あきらめた。で、いつだったか、よくあるレコード会社のおざなりな仕事の一環で登場する「ベスト・ヒット」的なCDに数曲収録されていたので、それを買って我慢していたんだが、当然ながら、レコード会社ってぇのは、ホントに、音楽の魅力がわかってねぇなぁなんて文句ばかり言っていたのさ。

 そうしたら、出ましたねぇ、やっとこさ。しかも、オリジナルのステレオ・ヴァージョンとモノラル・ヴァージョンをカップリングして、しかも、紙ジャケットで発表ときた。まぁ、その分値段が張ってしまうので、それがいいのかどうか疑問は残るし、過去のレコーディングを再発するのに、この値段はねぇだろうというほど高い。だいたい、昔の録音なんて、すでに減価償却は済んでいるんだから、安い値段で発表しろよと思う。このあたりがDVDの世界との大きな違いで、レコード会社ってぇのはホントに「楽して(消費者からぼったくることで)金儲けをしようとしている」としか思えない。無駄なことにばかり金を使って、消費者の見方とも呼べる輸入盤の値段が安いと、大元に文句を言ったり、そういった入手方法をつぶそうとするわけだ。輸入盤の禁止なんてのもその流れで、まず最初にやらなければいけないのは、自らの企業努力や経費節減(プロモーション経費じゃないよ、無駄な金がどこに流れているかを自覚すること)だと思うのだ。

 それはともかく、やはりいいのよ、このジャズ・アルバム。弘田三枝子は、やっぱ、とんでもなく素晴らしいヴォーカリストだったことがよくわかるし、あのベストヒットのCDで我慢していた欲求不満が一気に解消されたって感じで、なんか便秘のあとの快便状態ね。あぁ、楽しい、気持ちいい。

 パパ・ジョンの話では、アメリカで録音したということだったんだが、おそらく、それは、1曲だけじゃないのかなぁ。1曲はネルソン・リドル・オーケストラがバックについていて、(これって、彼らが来日したときに録音したのかなぁ。解説を読んだら、書いているかもしれないなぁ...)他は、宮間利之とニューハードとか、八城一夫を中心としたコンボなんだが、バックの人たちは彼女と仕事をするのが楽しかっただろうなぁと思う。彼らも若かったと思うけど、16歳の少女のジャズ・ヴォーカルには驚喜したのではないかと想像する。まぁ、その魅力は買って聴いて確認してくださいませ。最近のジャズ風ヴォーカリストよりも遙かにとんでもないスイング感を持っているから。

弘田三枝子 ちなみに、彼女がしばらくの間、シーンから消えてなくなるのだが、再デビューしたのが名曲、「人形の家」。オリジナルはシャンソンのスタンダードなんだが、パパ・ジョン曰く(そして、実際に聞かせてもらったんだが)このヴァージョンがベースにしているのはレイ・ブライアントが録音したもので、この時にも、彼女がジャズに対するある種のこだわりを持っていたのを理解することができる。なにせ、ピアノの雰囲気をヴォーカルに置き換えているからなぁ。

 いつだったか、テレビの番組にすでにかなりの年齢になった彼女が登場したことがあって、今も歌っているということを話していたように記憶している。どう転んでも16歳の時の、あの、張りのある、そして、パンチのある(これもクラシックな言い方なんだが、それ以外に彼女のあの素晴らしい声を描ききる言葉がないのね)声を今、彼女に期待することはできないだろう。一方で、年齢を積み重ねてこそ出てくる声を彼女が持っているのかどうか... 確認したいという気持ちもあるけど、当時に、失望したくもないというので最近の彼女の作品は聞いてはいない。どうなんでしょうね。知っている人がいたら、教えてもらいたいですなぁ。



投稿者 hanasan : 15:17 | コメント (0)