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2005年05月14日

20年なんてあっという間さ

Gaz Mayall The Ska Flamesが結成20周年ということで、それを記念して開催されたのが今年のDown Beat Rulerというイヴェントだ。実は、これ、かなり前から毎年開かれていたらしいんだが、全然知らなかった。結局、20周年という節目だということで、いろいろなところからまわりまわって情報が届いて、Smashing Magの取材を決定し、写真の撮影をしたのだが、よくもまぁ、こんなに素晴らしいイヴェントを作り上げたものだと感心した。会場は恵比寿ガーデン・ホールなんだが、ホールのなかではライヴが行われ、セットチェンジの間にDJがお皿を回すという構成で、UFOの矢部君や井出君とか、昔の仲間がいっぱい顔を見せいてた。

 ホワイエというか、ロビーでもDJセットがつくられ、その前でも1バンドだけだが、ライヴもあった。ちなみに、この時演奏していたのがLittle Fats & Swingin' hot shot partyというバンドで、これが素晴らしかった。ジャグ・バンドというか、スキッフル・バンドというか、そういった流れにあると思うんだが、今時(だからかもしれないけど)こんなクラシックな音を出すバンドがいるんだぁ... と、かなり驚いたし、楽しんだ。

 使っている楽器はウッシュボード(洗濯板)やウッショタブ(たらい)。っても、それがいったいなにのことなんか、わからない人の方が多いって思うし、今の常識じゃ、なんで?ってことになる。それが歴史なんだけど、要するに楽器を買う余裕のなかった貧しい人たちがこういったものを楽器として使って楽しんでいたわけです。それが音楽の流れを生み出しているんだけど、このほかにもジャグという瓶を使ったり、スプーンをパーカッションにしたりと.. ってのがあって、そのイギリス的展開がスキッフルなんかなぁなんて思ってるんだけど、それほど詳しくないのでわからない。(知っているひとがいたら、教えて欲しいなぁ)

 で、これを見て、20年来の友人、ギャズ・メイオールは、こんなバンドこそがフジ・ロックに出演すべきだと口にしていたんだが、その通り。苗場食堂あたりでこんなバンドが演奏したら、めちゃくちゃハッピーになるだろうなぁと思った。もちろん、ヘヴンあたりでも面白いと思うし、彼らのことはもっともっと知られてしかるべきだと思う。チャンスがあったら、ぜひ彼らを体験てほしいと思う。

Gaz Mayall で、この日は彼らの他にも、面白いバンドがわんさかいて、ホールじゃなくて、ルームの方ではへっこうヘヴィなサウンド・システムなんかも作られて、ちょっとした「都会のフェスティヴァル」ってノリが生み出されていた。これは、面白い。めちゃくちゃ面白い。本当はオールナイトでこういったものを楽しむことができて、出入りも自由になったら、最高だなぁなんて思っていた。

 加えて、スカフレイムスの結成20周年ということで、昔の仲間との同窓会といった趣もあり、懐かしい人たちにいっぱい会っている。まぁ、昔はへこへこしていた奴が、偉そうにしているのを見ると、人間の貧しさを感じて、嫌な思いをしたり... ってのもあったが、そんなのはひとりだけで、あとはみんな、相変わらずで、それぞれがそれぞれの世界をつくっていることが嬉しくもあった。

 今思えば、ちょうど20年前、85年の10月(だったと思う)にロンドンのクラブ・シーンを取材して、この時はじめてギャズ・メイオールに会っているんだが、これが全ての始まりだったように思える。今の若い人は全然知らないんだろうけど、この時代、日本に「クラブ」なんてなかったから。この言葉を使えば、誰もが思い起こしていたのが銀座のクラブ。笑ってしまうかもしれないけど、ホントだからね。近いものであっても、ディスコで、クラブじゃなかった。ところが、ロンドンでは...というか、イギリスではクラブを起点として、面白い音楽が再発見され、創造されていたことに衝撃を受けたというのが正解だろうな。それも含めて、80年から2年ほどイギリスに住んで体験した、あの国の文化のおもしろさがどこからでているのか... というのを掘り下げていったら、ここに突き当たったといえばいいのかもしれない。

IDJ クラブからジャズを再発見して踊り始めた人たちやDJの話は腐るほど書いた。それでも、いまだにアメリカではこの現象を理解していないらしく、5年ほど前にイエール大学の民俗学の教授とカムデンのジャズ・キャフで会ったときも、そんな話を教えられたし、ドナルド・バードとインタヴューしたときも、アメリカでのジャズに対する無理解にあきれているという話を聞いた。ところが、70年代後半から80年代半ばに、全く新しいアプローチ(実は、それこそが本来の姿だったと思うんだが)をはじめたのがジャズとは縁のなかった子供たち。あの時の衝撃は今も鮮明に覚えている。しかも、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズがジャズ・デフェクターズやIDJ(I DNACE JAZZ)といったダンス・グループと共演し、そこにラスト・ポエッツのジャラールが絡んで繰り広げたセッションは、革命的だったと思う。当然ながら、似たようなことが、おそらくは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴあたりの人たちの周辺で存在したんじゃないかとも想像するが、それがポップスの世界に広がり、大きな流れを生み出したという点でいえば、画期的な出来事だった。

 さらに、サイケデリックの再評価を試みていたのがドクター・アンド・ザ・メディックス周辺の人たちで、昔のブルースからR&B、スカといった音楽に夢中になっていたのがギャズ。そして、ジャズ関連ではポール・マーフィというDJがいたんだが、この話を、後に友人となったBBCのDJ、ジョン・ピールに話したら、「ロンドンのカルトDJみんなに会っているだ...」と驚いていたものだ。

 そんな取材を下に、クラブ・キングの桑原茂一氏やSmashの日高氏と一緒に企画したのがギャズ・メイオールとポール・マーフィというDJに、ダンサーとしてジャズ・ディフェクターズを招いて実現したのが日本で、はじめてのクラブ・セッションだった。面白いのは、どこでどう聞きつけたのか...(もちろん、自分自身もかなりプロモーションを手助けはしているんだが)原宿のラフォーレ地下で開かれたこのイヴェントに深夜を過ぎても長蛇の列ができるという現象ができたなんて事件もあった。

 この日はライヴが終わって、スカ・フレイムスの連中やギャズと一緒に朝まで飲んだんだけど、ギャズとはこのあたりの昔話で大いに盛り上がった。おそらく、彼にとっても、自分との出会いが、彼の人生を大きく変えたんだと思うし、それは僕にとっても同じこと。実際、それまで、日本なんて彼のなかでは全く未知の世界だったと思うし、毎年のように日本に来るようになるなんて思っても見なかっただろう。さらには、彼の弟と自分が兄弟のようにつきあうようになるなんて... 面白いものだと思う。

 さらに加えていえば、自分にとってはじめて手がける(日本でのマネージメントのようなもの)ことになる海外のバンド、ジャズ・ディフェクターズが来日してライヴをやったとき、前座として演奏をしてくれたのがスカ・フレイムス。実に、彼らとのつきあいも18年ぐらいになるのだ。

 と、まぁ、そんなことをいろいろと思い出すことになったのがこの日のイヴェントだったんだが、その20年があっという間に過ぎ去ってしまったというか... 毎日鏡で自分の顔を見ていたら、ほとんど気が付かないんだが、ジョン・ピールと一緒に写っている写真を見て驚いた。髪に白いものは全くなくて、がりがりにやせていて、実に「若者」っぽい。あっという間の20年、でも、とんでもなく長い時間の積み重ねがあるんだなぁと複雑な思いを持つことになる。人生ってのは、不思議なもんだねぇ。



投稿者 hanasan : 2005年05月14日 09:01

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