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2005年12月30日

僕らの歌が生まれた時 - ニューポート・フォーク・フェスティヴァル -

Newport Folk Festival まだ、モノクロの時代だったけど、なにもかもが色づき始めていた... そんな時代のドキュメント、Newport Folk FestivalのDVD(US import / 国内盤)を買った。オリジナルのタイトルは単純に「Festival!」となっていて、ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、ピーター・ポール・アンド・マリー、ドノヴァンの名前が大書きされている。こういった名前が出てくるだけで、おそらく、自分たちのような世代には十分にこれが何のことなのか伝わってしまうというのが奇妙だ。どこでどう知ったのか、即座にニューポート・フォーク・フェスティヴァルが頭に浮かび、「ディランがフォークからロックへと転身した」なんてことで大騒ぎになったという逸話を思い出す。こういった名前が一緒に出てくるとすれば、もう、それは「プロテスト・ソング」が生まれ、大きく花を開かせた、あの時代の記録でしかあり得ない。

 しかも、タイトルも言い得て妙なのだ。おそらく、フェスティヴァルといってみんなが思い浮かべるのは、このブログに何度も登場してきている"ウッドストック"が筆頭だろう。それに"ワイト島のフェスティヴァル"や"モンタレー・ポップ・フェスティヴァル"がそこに続く。思うに、高校生の頃に戎橋筋と道頓堀の交差するあたりにある映画館で前者を見ているんだが、(確か当時は戎橋劇場とかなんとか言わなかったかなぁと思うが、定かではない。映画"ブラック・レイン"で、異様な姿を見せている黒っぽいあのビルの前身です)それが70年前後。フラワー・ムーヴメントの波と共に、「フェスティヴァル」と言えば、どうしてもこのあたりが頭に浮かぶし、具体的なイメージも出てくるんだが、それ以前のニューポート・フォーク・フェスティヴァルについて言えば、名前は知っていても全くイメージが思い浮かばなかった。だからなんだろう、そのDVDが発表されたという話をみつけた時に速攻で注文して、手に入れていた。そして、これを見て、「フェスティヴァル」というタイトルが付けられている、その意味を理解することになるのだ。思うに、これこそが"モンタレー・ポップ・フェスティヴァル"の複線であり、さらにそこから"ウッドストック"につながっていくということが手に取るようにわかる。いやぁ、いいものを見た。

Bob Dylan なんでもニューポート・フォーク・フェスティヴァルが始まったのは1959年らしいんだが、これは63年から64年、そして、65年を撮影した映像を編集してのドキュメンタリー。ということで、単純に演奏を楽しむというだけだったら、不満は残ることになると思う。なにせ1曲がフルで収録されているものはあまりない。が、そうではあっても、伝説としか言いようのない人物や光景が確実にここに記録されていることは驚異に値する。おそらく、動いている姿が映っているだけで宝もになってしまうだろうアーティストが何人も登場しているのだ。自分にとってヒーローだったミシシッピー・ジョン・ハートが「なんでこの曲をみんなが好きなのか知らないけど...」と「キャンディー・マン」を歌い出す、そのさわりも見ることができる。これで彼が動いている映像を見たのは3本目となるんだけど、貴重だと思うよ。それに、ハウリン・ウルフのライヴ。"Howlin' Wolf Story"や"American Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.2"でも動いている彼を見ているんだが、ここでの彼も強力です。「フォーク・フェスティヴァル」での彼は、演奏だけを見れば、正直言って、ディランとポール・バターフィールド・ブルース・バンドとの「マギーズ・ファーム」より遙かにインパクトが強い。あの事件だけが大きく取り上げられるのは、ディランが、時代のヒーロー」となっていたことや、その後のロック・シーンを大きく変えることになった「歴史的事件」だったというのがその理由だ。
(なお、なんでも歴史的瞬間はここでは、それほど登場しない... というか、「マギーズ・ファーム」は全て収録されているんだが、観客はここにはほとんど映ってはいない。が、マーティン・スコセッシ監督による「No Direction Home」にはこの時の映像がもっと使われているんだそうな。困ったぁ、また買わないといけないなぁ...)

 いずれにせよ、そういった映像の貴重さよりなにより、なぜフォークだったのか?と、そんな意味を含めて、アメリカのマスな意味でのオルタナティヴ文化生誕期を、いろんな角度から記録しているのが素晴らしいのだ。残念ながら、自分が購入したのはアメリカ盤のリージョン1で、通常のプレイヤーでは再生できないし、当然字幕はない。これは国内盤を買った方がいいだろうなぁ... と思う。というのは、ここで語られているいろんな人々の言葉を理解しなければ、おそらく、このDVDの意味を理解できないからだ。

 まだ、2回しか見ていないんだが、今では「フォーク界の女王」的なニュアンスで、政治運動家然とした横柄な態度に嘘くささしか感じないジョーン・バエズも新鮮だ。「髪が長いとか... 私は好きよ」なんぞという彼女の言葉にも説得力を感じるのだ。なにせ、この映像でわかるんだが、ヒッピーが生まれる前の時代。まだまだ観客のなかに長髪の男性もほとんど見かけることはできない、そんな時代なのだ。それに、ドノヴァンが「これはBBCが放送しないといった曲だ」といってヴェトナム戦争絡みの曲を歌うシーンなど、こういった音楽が旧来の価値観とは違ったところをバックグランドにして生まれてきたことがわかる。ジュディコリンズ、バフィー・セント・メリー、ピート・シーガー、PPMといったスターの他にも、おそらく、アメリカでもそれほど知られていなかっただろう、あるいは、それほどの価値を認められていなかっただろう「民謡」をベースにしたグループも多々出演しているのも注目だ。おそらく、アイリッシュをルーツに持つカントリーのダンスからパーカッションとティン・ホイッスルだけのEd Young Fife & Drum Corpとか、ゴスペルのフリーダム・シンガーズ、ステイプル・シンガース、男性クアワイアも演奏している。どうやら南アフリカのクエラと呼ばれる音楽を作った人物....ではないかと思うんだが、Spokes Mashiyaneの演奏までもが飛び出してくる。ここでは有名無名を問わず、(おそらく、当時は、このほとんどがそれほど著名な存在ではなかったかと思うが)さまざまな音楽が、ステージだけではなく、広場のような場所でも演奏され、多くの人を集めているのだ。

 誰だったかは覚えてはいないが、「フォークがもたらしてくれたのは、誰でも歌えるってことなんだよね..」と言っていたように思う。まぁ、きちんと口にしていることを記せば、もっと意味が伝わるんだろうけど、これを耳にした時に、結局、パンクと同じじゃないかと思った。それまで「商品」としての音楽しかなかったのに、誰もがギターを持って、あるいは、それがなくても、歌うことで「なにかを表現できる」ということ、それが音楽に対する意識を変え、テレビでしか放映されなかったポップスとは違った音楽の流れを生み出していったというのだ。そうだろうなぁと思う。

Newport Folk Festival その他、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのマイク・ブルームフィールドがなんでブルースか... ということを延々と語っているシーンがあるんだが、これとクロスするようにサン・ハウスの「ブルースってのはねぇ...」と、同じようにブルースを説明するところが紹介されていたり... この当時、数多くのブルース・シンガー達が再発見されて、こういった場所を経て復帰していくんだが、このブルースがアメリカの若い世代に大きな影響を与えることになったのも、このあたりのDVDを見ていると十分理解できる。実際には、前述のハウリン・ウルフ、ミシシッピ・ジョン・ハートの他にも、フレッド・マクドゥエルやブラウニー・マギーとソニー・テリー、当然、サン・ハウスの演奏も少しだが収録。その他、若い頃の(それでも、同じ声だった!)ジョニー・キャッシュやブルーグラス系のオズボーン・ブラザーズや、ジム・クェスキンのジャグ・バンド... てんこ盛りに珍しいバンドを見ることができるのだ。

 さらに加えて、「フェスティヴァル文化」の始まりを記録したものとしても貴重だ。ゲートが開いたところだと思うんだが、そんなシーンを見ていると、走るようにして、ステージに向かっているんだろうという人たちの光景が目にはいる。これなんぞ、97年のフジ・ロックと変わらない。(まあ、のんびりした人の方が遙かに多いんだけど)しかも、メインステージの前には木製の椅子が並べられていて、このあたりは"モンタレー・ポップ・フェスティヴァル"と同じような光景だ。さらには、ハウリン・ウルフのシーンでも立って踊っている人もちらほらいるけど、ほとんどの人が今で言う体育会座りで演奏を見ているのだ。さらに、テントを張って宿泊している人よりも、寝袋だけで寝ている人、毛布を巻き付けて寝ている人の方が多く画面に登場するなどなど、天候がいい時期の暖かいエリアだからこそできたのんびりした光景も目に入ってくる。が、一時的に雨にやられたり... この会場でさまざまなドラマが生まれただろうということは容易に想像できるのだ。

 今のフェスティヴァルより面白そうだと思ったのは、ロックやポップスの範疇から遙かに飛び抜けたさまざまな音楽を楽しめることかなぁと思ってみたり。といっても、結局は、西洋のものでしかないんだが、日本のフェスティヴァルももっともっと幅広い音楽や文化を紹介できるようなものになってくれればなぁなんて思っちゃいましたね。



投稿者 hanasan : 15:49 | コメント (0)

2005年12月29日

向き合おうよ - 韓国と日本 -

好きになってはいけない国 おそらくは、朝鮮戦争が終わった50年代半ばの、日本から10年ほど遅れての終戦(休戦が正しいんだろうが)から60年代、そして、軍事独裁政権によってオルタナティヴな文化が潰される始める75年までに生まれ、育った韓国の歌、音楽、ロックに大きな魅力を感じているのはキム・ホン・タックやシン・ジュン・ヒュンというとてつもない才能を持ったギタリストの発見に端を発しているし、ハン・デー・スーを体験したこともその要因となっている。想像するに、全体主義の元でも、どこかで育っていたオルタナティヴな音楽があったに違いないし、音楽や文化が表層で潰されることはあっても、そのずっと根本で確実に生きていただろう、そうした世界はこれから徐々にでも探り当てていきたいと思う。まぁ、これは自分がこれまで様々な音楽を取材してきての体験からきているんだが、どれほどの圧力があっても、文化が死に絶えることはない。文化とは人間そのものであり、人間を根底から支えているものだと思うからだ。それは同じような歴史を歩んできたアイルランドや沖縄、バスク、カタロニア、ガリシア... あるいは、軍事独裁政権の元でたくましく生き延び、進化していった南米から東南アジア、東ヨーロッパの音楽など、調べ上げれば限りなく出てくるだろう、そういったエリアの音楽が今も脈々と生き続けていることが雄弁に物語っている。

 いずれにせよ、こういった音楽再発見から韓国に関する本を読み始めている。その文化の歴史の一部分を教えてくれた最初の一冊が「日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追って」だったことはすでに記した。それから、いろいろな本を物色しているんだが、なかなかいいものが見つからない。韓流ブームに乗っかって、かなりの韓国本が見つかるんだが、当然ながら、売れてもないロックやフォークやアンダーグランドな文化が商品になるわけはないし、そんなことについて記されたものは、前述の本を除けば皆無に近い。ひょっとしてまだまだ探し方が不足しているのかもしれないけど、実際のところ、今の韓国のロックなんぞマーケット的に見ればああまりにも力がなさすぎる。韓国内でさえ、全マーケットの売り上げの10%にも満たないのがロックだという話を聞いたこともあるし、ダンス・ミュージック系のクラブはあっても、ライヴができる小屋はソウルを除けばほとんどないという噂もある。日本から見ればそんなものにビジネス的な魅力がないのは当然だし、書籍になって出てくることはまずないだろう。といっても、実は、それは日本とて同じことで、オルタナティヴな音楽や文化と呼べるものがどれぐらい売れていて、影響力があるかといえばかなり疑問だ。もちろん、何がオルタナティヴなのかを語るのは容易ではないかもしれないし、そう見えていても、実は、そんな看板を持っているだけのものも多々ある。インディなんてその典型で、日本の現状を考えて、それをきちんとした(現状を見た)訳語で書けば... 「大手ではないという看板を持っただけのレコード会社」ってことになるのかしら。なかには良心的なものもあるんだろうけど、メジャーのレコード会社の人間が「インディ」セクションをやってます...ってアプローチされたりすると、けっこう笑ってしまうのだ。

 それはともかく、韓国、そして、いわゆる若者文化につながるものを読もうとして買ったのが「好きになってはいけない国 韓国発!日本へのまなざし」という本だった。といっても、ここで扱われているのはマスの文化で、インディもパンクもロックもオルタナティヴも関係ない。ただ、韓国の若い人たちが日本の大衆文化に対してどういった見方をしていて、それの根拠がどこにあるんだろう... と、取材を重なっていった記録を残しているという構成だ。韓国のごく一般的な若者達、子供達の感覚が手に取るようにわかるという意味で、それなりに面白いんだが、この「ウケ狙い」のタイトルからも想像できるように、どこかに希薄さを感じざるを得なかった。特に、著者の現状認識に関するあまりの甘さが「ここまでの本」にしているんだろうと思う。

「あれほど謝罪しているのに、なぜ韓国が日本を嫌うのか?」

 と、まぁ、一般的な言葉を使えばそういった意識が見え隠れするんだが、問題は「謝罪」ってなによ?という疑問なのだ。「ごめんなさい」と謝っていればそれでいいわけ?では、実際に、誘拐されるように日本に送り込まれて、奴隷のように強制労働を強いられた人たちに対して、どういった補償がされたの? よしんば、日本に来たのが自らの意志だとして、その根拠となる「理由」が日本による搾取の結果として、現実問題として「追い込まれていたら」それを単純に「自分の意志で」と言い切れるのか? 「従軍慰安婦」... というよりは、女性の人間としての尊厳を踏みにじって強制的に売春をさせられた人たちに対して、政府がなにをしてきたのか?それが、仮に「政府は関知しない私企業による暴力だった」としても、そういった「私企業」が、被害者に対してどういった補償をしたのか?ドイツではユダヤ人に対する虐待、大量虐殺、強制労働に対して私企業も補償をしている(していないアホ企業も若干あるという話は聞いている)というのに、では、日本の企業は?

映画日本国憲法 そういった各論に関しては上げていけばきりがないだろうが、さらに大きな問題は「政府」の姿勢なのだ。死んでも人間を差別し、「英霊」と呼ばれる元軍人を「戦争の犠牲者を祭る」という詭弁で、国の長たる首相が靖国神社に「参拝する」ということがなにを意味するのか? あそこには、東京のみならず、日本中の大都市への大空襲で、広島と長崎の原爆で、あるいは、日本軍に虐殺された沖縄の住民、戦争に反対して虐殺されていた人たち、そういった戦争の犠牲者は祭られてはいないのだ。その一方で、「英でた霊」、要するに、優秀だった霊が祭られているのであり、そこには第二次世界大戦で数え切れない犠牲者を生み出し、国土を破壊し、他国を破壊した張本人も含まれている。それはヒットラーやムッソリーニに肩を並べるファシストなのだ。それを「お参りする」ことが、どこでどう「国際平和」につながるのか? さらに加えて、第二次世界大戦の反省から生まれた「謝罪」であり、同時に「恒久平和の祈願」とその実現への「宣言」である憲法を「解釈」をいいわけにないがしろにしてきたのが政府。すでに、先進国と肩を並べる以上の戦力を保持し、植民地のように国民の土地を奪い、常時5万人と呼ばれる米軍人を抱えているではないか。しかも、それがアジアの国々にとって脅威でないわけがないだろう。さらに加えて、教育基本法の改悪から有事関連法の成立と、並べていったらきりがない「再軍備」が進んでいるのだ。しかも、「謝罪」と「不戦の誓い」だった根本である憲法までをも変えようとしている。その状況を確固たるものにするために情報管理と「詭弁」による洗脳が進んでいるのが現状だ。これで「日本が謝罪している」と、どう解釈できるのか?問題はここにある。

 が、この本の著者は本当にこういった日韓のみならず、日本と世界との関連のなかで、権力によって作り出された「歴史」ではなく、底辺に生きる普通の人たちの「歴史」に向き合っているんだろうか?そんな疑問をぬぐうことができなかった。当然ながら、戦後生まれの人間達にとって「過去を変える」ことはできない。が、その過去に真摯に向き合い、戦後60年を過ぎても本質的な部分での「謝罪」ができていない現状に対して、「政府」を選んで、作っている「私達」ひとりひとりが責任を持つべきだと思うのだ。その上で韓国人、日本人ではなく、人間と人間のつながりを作っていくという視点が求められているように思う。



投稿者 hanasan : 17:53 | コメント (0)

2005年12月27日

30年なぁ、そんなに変わらんぞ - ロギンス&メッシーナ -

Loggins and Messina まぁ、偶然見つけちゃったのね、というか、ここ数年、値段のことも、便利さのこともあって、amazonでCDやDVDを買うことが多いんだけど、ここは、ほんとに頭いいプログラムを作っていると思う。何かをチェックすると、必ず出てくるのが関連商品というやつ。同一アーティストの過去の作品だったり、そういったアーティストが関わっている作品だったり... あるいは、ジャンルで出てくることもあるし... これが、買ったときだけではなくて、チェックしたときにも、その商品に反応していろいろとネタを提供してくれるのだ。もちろん、時には大はずれをすることもあるけど、けっこうな頻度で「ん?こんなのが出ていたんだぁ」とクリックしてしまうことがある。で、買ってしまうという、まぁ、レコ中(レコード中毒)には、嬉しいような、悲しいような仕掛けが準備されているわけですな。

 で、そんな流れの中で、こんなものを発見してしまったわけです。おそらく、最近買ったブルース・スプリングスティーンの「Born To Run」とか、あるいは、しばらく前に買った、格安のCD(DVD付き)で、ポコの「Keeping the Legend Alive」あたりが伏線となっていると思うんですが... やっぱり買ってしまいました。これはロギンス・アンド・メッシーナの再結成ライヴを収録したDVDで、確か最初にヒットしたのがCDの方だったと思うんですな。でも、それだったらDVDが出ているに違いないとちょっと探ったら、ありました。しかも、面白いことにCDヴァージョンの値段が約2600円で、DVDヴァージョンが約2500円。なんか、このあたりの事情はよくわかりませんが、なんでこうなるんだろうね。しかも、CDの収録曲が13曲で、DVDは20曲に加えて、なんと73年のライヴの演奏も6曲収録されている。私、ほんとに、理解に苦しみます。

 もちろん、これ、アメリカ盤で、最近のDVDはリージョン・フリーものもが多いんだけど、残念ながら、これはリージョン1で、通常の日本でのDVDプレイヤーでは再生できません。それが理由でリージョン・フリーのDVDプレイヤーを買ってきて使っているんですが、なんだか最近調子が悪くて、買い換えかなぁ... と思うこともあるけど、なんとか見ることができた。

Loggins and Messina で、このロギンス・アンド・メッシーナ、昔、大好きだったユニットで、名作中の名作は、やっぱり一番最初のアルバム「Sittin In」だろうな。だからこそ、今回のDVD(CDも)タイトルは「Sittin in Again」となっているんだと思う。といっても、このアルバムでのクレジットではKenny Loggins with Jim Messinaということで、この時点では、Loggins and Messinaというユニットの名前としては発表されてはいない。今回のDVDでケニー・ロギンスが語っているんだが、自分のソロ・アルバムを録音するに当たって、バッファロー・スプリングフィールドのラスト・アルバムやポコをプロデュースしたジム・メッシーナにプロデュースをしてほしかったというのがきっかけらしい。(ジミーはバファロー・スプリングフィールドのリッチー・フューレイとポコを結成しているはずなのね)

 おっと、今思ったんだけど、ロギンス・アンド・メッシーナの一人がケニー・ロギンスで、今の人でもそっちしか知らないんだろうな。それでもずいぶんと昔の話だから、それさえも怪しいけど、映画「フットルース」のテーマ曲が大ヒットして、その後も、映画「トップガン」の挿入歌もヒットさせたのがケニー・ロギンス。今じゃ、スター歌手って感じなんだろうけど、どうなんだろ。今の人にとって見れば、おそらく、過去の人じゃないかなぁ。で、そのまた昔に彼がやっていたのがこのユニットだったわけです。(一応、知らない人のために)

 ともかく、彼らにとって初のアルバム、「Sittin In」が好評で、二人が意気投合したんだろうなぁと察することができる。このアルバムには先日、ここで紹介したニッティ・グリッティ・ダート・バンドの「Uncle Charlie & His Dog Teddy」にも収められている名曲「プー横町の家」が収録されていて、実は、この曲を書いていたのがケニー・ロギンス。それに、もうひとつ、ここに収録されている名曲が「ダニーズ・ソング」で、これも彼の作品となっている。ちょっとフォーキィな作品で、このあたりからケニー・ロギンスの背景を伺うことができる。いずれにせよ、この「Sittin In」は、もし、聞いたことがなかったら、是非聞いてもらいたい名盤だと思っています。

 で、今回のこのDVDですが、彼らの最後のスタジオ作「Native Sons」が発表されたのが1976年だから、ほぼ30年ぶりの再結成ということなんだろうけど、そんなせいもあってオーディエンスが明らかに「昔若かった人たち」であふれかえっている。といってもライヴが始まった頃には空席もぽろぽろ目に入って、(解説ではこのツアーはどこもソールドアウトだったように記されてはいるけど)ちょっと悲しいかなぁという感じがしなくもない。それでも、途中の休憩を挟んで、日が暮れていく頃になると空席も埋まっていい感じになっているんだけどね。

 彼らのアルバムは「Sittin In」と、2枚目で、ユニット名義としては最初の作品となる「Loggins and Messina」(「ママはダンスを踊らない」という曲が大ヒットしてますな)をよく聞いた記憶があるし、その後、「On Stage」という2枚組のライヴ・アルバムを発表して、「Full Sail」とつながっていくんだけど、彼らの音楽をよく聴いていたのはこのころまでかなぁ。

Jimie Messina それでも、このライヴを聴いていて、(見ていて)けっこう、いろんな曲を覚えているなぁなんて思っちゃいましたね。もちろん、オリジナルの楽曲の素晴らしさがあってのことなんだろうけど、バックのメンバーもいいミュージシャンをそろえているし... ホーンが2本で、ドラムス、パーカション、ベース、キーボードにフィドルとドブロを演奏するというメンツ。ちなみに、このフィドル弾きがかなりパンクな出で立ちなのがアンバランスで面白い。っても、テクニックはすごいけど。それに加えて、ケニーとジミーが(後のクレジットで、ジム・メッセーなではなく、ジミー・メッシーナとなっているんですよ)ギターを演奏するんだけど、元々ジミーがいいギターを弾くのは知っていたけど、ケニーもうまいのね。ということもあるんだろう、間奏部分でのインプロの応酬が楽しい。実は、この、通称、ロギメシが解散して、それぞれがソロ・プロジェクトを始めていったときもジャズやファンク的な要素を強調していたし、昔のライヴ・アルバムを聴いてもそういった、けっこうワイルドなソロ合戦が魅力でもあったから、けっこう、昔やっていたことを同じようにやってくれているのかしらんと思ってみたり....

Kenny Loggins ちなみに、ジミー・メッシーナの隠れた名作が、この「オアシス」(右)で、ケニー・ロギンスのソロ・デビュー・アルバムが「ナイト・ウォッチ」(左)。両方ともよく聴いたアルバムなんだけど、ジミーの方はそれからほとんど噂を耳にすることはなくなったし、ケニーの方はといえば、アルバムを出すごとにつまらなくなった。おそらく、最初のソロ作でのジャズ指向のタッチとか、やっぱ、コマーシャルな意味では全然成功しなかったということなんだろうな。というので、前述の「フットルース」をやった時点で、彼への興味は全くなくなった。

 さて、このDVDに収められているボーナスが、73年のライヴなんだけど、どこかで「今とどこが違うの?」ってぐらいにいい。もちろん、この二人に30年の年月が降りかかっているし、ジミー・メッシーナは完全におっさん風。ケニーもかなりの年期を感じさせるし... 一方で、昔の映像を見ると、どこかでポップ・バンド然としている衣装とかステージ・セッティングがダサイというか... っても、これはどうやらテレビ用のセットだったようで、仕方がないようにも思えるけど。それにしても、両方とも演奏はいいなぁ。30年分の年期がケニーのヴォーカルやジミーの(ヴォーカルもいいけど)ギターの円熟味に確実に寄与しているのもわかる。いやぁ、面白い。

 ちなみに、この2005年の再結成ライヴではジミーがポコの名曲で、リッチー・フューレイが書いた「カインド・ウーマン」を歌っているんだけど、さすがにケニー・ロギンスの大ヒット曲を「演奏していない」のが嬉しいですな。こんなところで、あのあたりをやられたら興ざめだから。といっても、ケニーのソロ作品についてはほとんど知らないから、よくわかりませんけど。

 ってなことで、昔懐かしい、この作品、十分に楽しませていただきました。彼らが70年代からレゲエやラテン風味の曲をやっていたことや、ジャズの影響を受けていたことを再認識できたし...買ってよかったなぁと思ってます。



投稿者 hanasan : 09:13 | コメント (0)

2005年12月26日

サイケデリック・ソウルに揺れる - Kim Hong Tak -

Kim Hong Tak 前回の続きなんだが、ソウルで出会ったのがBeatball RecordsというレーベルをやっているLee Bong Sooさんと、Han Yoo Sungさんのお二人。ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァルに出演したマングースというバンドの作品を発表しているレーベルなんだが、過去のレアな作品の再発売もしているということで、「これ、きっと気に入ると思うから...」と、プレゼントしてくれたのがこのボックス・セットだった。

 当然ながら、その時点でこの音は聞いてないんだが、アナログのボックス・セットで、ふたを開けると、Go Go Sound 71というタイトルの付けられた2枚のシリーズもののが入っている。加えて、おそらく、当時のものを再現したんだろう、でっかいポスターに、英語の紹介文も付けられたブックレットも封入。なんでも、この頃、韓国でもグループ・サウンドという言葉が使われていたようで、このブックレットにはそんなレトロな雰囲気の写真も満載されている。こりゃぁ、面白そうだ、と、それだけで嬉しくなってしまった。

 といっても、帰国した時点でアンプが故障していて、まともに聞くことできず、悶々としていたんだが、結局、全く同じタイプの中古アンプを購入してやっと聞くことができるようになったのが11月に入ってから。ぶっ飛ばされたのはその時だった。なんだ、これは?とんでもないバンドが韓国にいたことに大いに驚かされることになるのだ。

 バンドの中心となっているのはKim Hong Takというギタリストで、バンドの名前はHe6。ネットで検索してみると、ここにかなり詳しい情報が掲載されているんだが、なんでもかつては「韓国のビートルズ」と呼ばれていたKey Boysというバンドを率いていたらしいんだが、67年に当時のいろんなバンドのトップ・ミュージシャン達が集まってHe5(おそらく、それが発展してHe6になったんだろう)を結成。そこにKim Hong Takが加わって最強のバンドになったと記されている。

 自分が受け取ったのは、おそらく、かなり後期の録音だと思うんだが71年の作品で、ほとんどがインストで占められている。ギター2本、ベース、ドラムス、フルート、オルガンという構成で、サイケデリックでジャズの要素もふんだんに感じられる作品。時にドアーズやオールマン・ブラザーズ的なニュアンスを感じることもあれば、プロコルハルムからジェスロ・タル(フルートが入っていたら当然、そう発想してしまうんですけど)を感じさせたり、現在のジャム・ロック的な流れもあるし、曲によってはファンキーなタッチもあってグルーヴもある。いずれにせよ、なんの情報もなく、これを聞かせたら、「誰、これ?かっこいいじゃないか」といった反応がでてくること請け合いで、このところの愛聴盤となっている。といっても、例によって、このアナログ盤からデータを取ってCDにして聴いていたり、iPodに入れて楽しんでいるんだが、面白いことに、こうやって焼いたCDをコンピュータに入れると、トラック名は取得できるというのが... よくわからない。どうなっているんだろう。

Shin Jung Hyun この時、もう1枚、アナログを受け取っているんだが、それがこのアルバム。Shin Joong Hyun & The Men feat. Yoon Yong Gyunと記されているのはわかるんだが、その他全てがハングルでアルバム・タイトルも読めない。(ちなみに、Shin Jung Hyunという表記の方が正しいのではないかと思う。これだと、ネットでもかなりヒットするのだ)ここでみつかるのが同じようなジャケットに見えるんだが、曲数が合わないので別物だろう。詳しい情報はここでチェックできるんだが、73年の録音とされるこのアルバムのぶっ飛び具合も強力だ。なにせ、B面は22分を超える1トラック。延々とインプロを続けるという代物で、これこそサイケデリックでアシッドなロックの典型といったところ。昨日紹介した本、日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追ってによると、このアルバムの中心人物、Shin Jung Hyunは75年に、当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)の逆鱗に触れ、音楽業界を永久追放されたという記述がある。直接的な理由は大麻だったらしいが、(といっても、本人がそれを使ったのではないらしいが)本当は、国民的人気アーティストになっていた彼が、大統領の意向に逆らって「美しき山河」という曲をサイケデリックで演奏したことが引き金になったんだとか。なんでも、この頃は、長髪禁止が決められ、コンサートでははさみを持った警察官が観客を狙っていたというから驚かされる。それが大衆文化浄化運動と呼ばれるもので、ここから検閲も徹底されるようになって、オルタナティヴな韓国ロックが潰されていくんだろう。

Shin Jung Hyun Shin Jung Hyun(シン・ジュン・ヒュン)のアルバムを聴くと、インスト的な展開が強調されてはいても、そこには必ず歌があり、そのあたりがKim Hong Takの前述のアルバムとはかなり毛色が違うように思える。このアナログの他に、昨年韓国に行った時に入手していたアルバムが2枚ほど手元にあるんだが、こちらは、どちらかというと、ジャックスからはっぴぃえんどの1枚目に近いニュアンスがあって、より日本に近いように思えた。といっても、曲中のインプロ展開は、日本のバンドでははちみつぱいが「コウモリが飛ぶ頃」という曲でやっていた部分に近いのかもしれないけど、こういったバンドが当時の日本にそれほど多くいたのかどうかは定かではない。少なくとも、自分は知らないし、きわめてユニークに聞こえるんだけど、どうなんだろう。

 一方で、Kim Hong Takの方は、韓国というよりは、アメリカやイギリスのサイケデリックなニュアンスを感じて、今の日本だったら、こちらの方が高い評価を受けるのではないかと思う。いずれにせよ、この両者が韓国ロック界を代表する2大ギタリストで、彼らのアルバムはもっともっと聴きたいと思うし、探し出したいと思う。ネットで探すとかなりでてくるので、これからしばらくは70年代、独裁政権につぶされることになった、でも、おそらくは、どこかで生き残っていった韓国ロックの源流を探っていきたいと思う。



投稿者 hanasan : 17:32 | コメント (0)

2005年12月25日

ロックするソウル - 光明市ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル -

Hahn Dae Soo 10月の頭に韓国に飛んだ。それはインディーを中心とした、初の大規模なフェスティヴァルと言われている、ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル'05を取材するのが理由で、その結果はこちらに記している。と言っても、このときは、写真の撮影を中心に作業をして、本来の「ものを書く」ことはしなかった。Smashing Magの若手のスタッフを同伴して、彼にその作業を任せたからだ。

 彼のレポートは、「イントロダクション」としては、かなりの内容だと思った。実際の取材を受けて、限られた時間でかなりの資料を読み、情報を得て、「感想文」に肉付けがされていたことは十分に評価したいし、これからさらに深く掘り下げた取材ができるはずだ。大いに期待したいと思っている。自分が始めたSmashing Magは、当初、単純に「発信する人」「情報を受け取る人」と言った旧来のメディアのあり方を覆そうという目的を持っていた。インターネット時代のメディアとして、誰もが情報を発信することができて、多くの人たちに伝わることが必要だと思う。そのプロセスで、才能を秘めている若い人たちにチャンスを与えて、育てていきながら... と言えば、傲慢かもしれないが、写真家として、ライターとして成長してもらって、Magを「新しいオルタナティヴなメディア」に位置づけられるようにしたいし、旧来のメディアにはなかった視点を前面に出せるものにしたいと思っている。ある部分についてはうまくいっていると思うんだが、なかなかどうして簡単にことは動かない。加えて、運営について資金的な問題とか、解決していかなければいけない問題が山積しているなぁというのが現状だ。

 と、まぁ、そういった話は、また別の機会にするとして、今回の韓国取材は、自分に全く新しい世界への扉を開いてくれたように思える。それを象徴するのがこの写真のシンガー&ソングライター、ハン・デー・スー(公式サイト)との出会いだろう。といっても、彼とはまだ話をするチャンスを得るには至ってはいないんだが、おそらく、彼もディランズ・チュルドレンなんだろう、60年代終わりに歌い始めた多くのミュージシャン、シンガー&ソングライターがそうだったように、彼の歌の世界からそれを感じることができた。さらに、ディランを逆ぼってたどり着く、ウッディ・ガスリーにもつながるように思える。このフェスティヴァルでも「ホーチミン」という声が聞こえているんだが、彼が歌い出したあの時代、世界は同時進行で揺れ動いていた。そのあたりをも含めて、75年以前の韓国の音楽状況を彼にいろいろと尋ねてみたいと思った。

Youngbloods といっても、この時点で彼に対する知識はほとんどなかった。帰国してから、彼のことをネットで調べて、ある程度の知識を得ることになるんだが、それによると韓国の軍政に迫害された彼は、韓国を離れて20年ほどアメリカに住んでいたという話が出ている。そんなこともあって、数枚手に入れた彼のアルバムには英語で歌ったものも数多く収録されていて、その中に、自分の大好きなヤングブラッズの「Get Together」(The Essential Youngbloodsに収録)のカバーをみつけることになる。いわゆるヒッピー賛歌というか、フラワームーヴメントがそのピークを迎えていた頃、彼らのアンセムのようにして歌われていたのがこの曲。おそらく、彼はそういった世界に大きな影響を受けているんだろう。自分よりはわずかに年上だと思うんだが、そこに同年代のつながりを感じるのだ。

 といっても、第二次世界大戦後、韓国は日本で言うところの朝鮮戦争(韓国では625事変と呼ぶらしい)を経ている。日本はこの戦争によって景気回復して、70年代の高度経済成長時代を迎えることになるんだが、実に皮肉だと思う。これだって、朝鮮半島の日本による植民地化に端を発しているのであり、日本はこの事態に責任を負うべきだし、同時に、ソヴィエト連邦、中華人民共和国を中心とした社会主義国陣営と、アメリカ合衆国、イギリスに代表される資本主義国陣営も責任を持つべきだろう。いずれにせよ、3年間の戦闘で約400万人が犠牲になったという情報もある。また、この戦争と東西冷戦で日本をアメリカの傘下におくために、連合国側(特にアメリカ)の戦犯追及が和らぎ、これが契機となって日本はサンフランシスコ講和条約を締結して、独立することができるのだ。が、同時に日米安全保障条約を結び、日本は実質的にアメリカの半植民地的な立場を持つようになる。ほぼ時を同じくして、自衛隊の前身が生まれ、日本の再軍備が始まっている。本当は、朝鮮戦争で極秘裏に海上保安隊が軍事行動に関与していたとされているが、表立って日本が軍事行動に加わることができなかったのは、どう考えても日本国憲法のなせる技だろう。同じような憲法を持つこともなかった韓国は、結局、この後、ヴェトナム戦争にも参戦し、数多くの兵士が殺されているんだが、こういった過去を振り返ると日本の平和憲法が日本を守るためにどれほど重要な役割を果たしているかが理解できる。それを変えようとしてる自民党、民主党が今後の日本にとってどれほど危険かは容易に想像できるだろう。

日韓音楽ノート おっと、話がそれてしまったが、朝鮮戦争が一応の終止符を打ったのは53年。48年から李承晩(イ・スンマン)が初代大統領となって反共を核にした強権政治が、60年の四月革命で幕を閉じ、しばらくの後、クーデターが起こり、朴正煕(パク・チョンヒ)の軍事独裁国家へと変遷していく。といっても、このあたりになると資料で読んで得ている知識程度で詳しくは知らない。が、いずれにせよ、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)から、全斗煥(チョン・ドゥファン)という流れの中で、経済的には大きな成長を得たんだろうが、様々な言論弾圧が繰り返され、韓国文化の暗黒時代があった。特に75年からは大幅な検閲が始まり、ロックやフォークといった音楽が抹殺されることになる。と、このあたりの話は地元韓国の人たちにも話を聞いていたし、一応、検閲が幕を閉じるのは95年。韓国のインディ・シーンが生まれたのはこのころであり、オルタナティヴな韓国のシーンが表立って語られるようになったのはこのころからだという。

 そういった情報を得るのに、有益だったのが日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追ってという本だった。著者は在日三世だという姜信子で、日本人でもなく、韓国人でもないという立場から、韓国の音楽にスポットを当てて書かれているんだが、これでかなりの情報を得ることができた。政治的な背景などはいたく参考になるし、大まかな韓国の大衆音楽の系譜がこれでだいたい理解できる。一方で、「日本」と「韓国」に対するこだわりを超えて、同時代音楽としての文化をもっと掘り下げてほしかったという想いもあるが、それは彼女の目指していたことではないんだろう。それはまた違った人間がアプローチすべきなんだろうと思う。

 いずれにせよ、この本でもハン・デー・スーのことは記されているし、(といっても、この表記はHahn Dae Sooという英語からのもので、彼女はハン・デ・スと書いていたように思う)彼女にとってこのミュージシャンがいかに大きい存在だったかということも伺い知ることができた。面白いのは、この本で見つけたShin Jung Hyunのこと。韓国ロックの父だという彼のアナログ盤を復刻している人と、今回の旅で出会い、それをたまた受け取っていたんだが、その彼のこともこの本には記されている。彼がMenというバンドを率いて、60年代から活躍していたということなんだが、この音にジャックスやはっぴぃえんどとの接点を感じざるを得なかった。

 いずれにせよ、ここから韓国ロックのルーツに大きな関心を持つようになるんだが、これは、まだ後日記してみようと思う。



投稿者 hanasan : 11:29 | コメント (0)

2005年12月23日

ミスター・ボージャングルと言えば... デヴィッド・ブロムバーグよ

Nitty Gritty Dirt Band このところ、アナログをデータ取りして、CDに焼くという作業をしている。ととっても、そんなに頻繁にやっているわけではないんだが、CDだと気軽に持ち運べるし、すでにアナログは貴重品。なかなか外には持ち出せない... 車を運転する時にはCDがあると楽だし... とまぁ、そんな事情が重なって、ときおりそんな作業をすることになる。それに、CDで音楽を聴くのは普通になって... それじゃぁ、いかんなぁと、最近は再びアナログも聞くようにはなったんだが、CD化されていない傑作については、自分でCDを作って友人のところで聞いたり... ってことになってしまった。

 古くは、17歳の時に買ったブルース・ピアニスト、オーティス・スパンの名作、"The Blues Is Where It's At"とか、ジャニス・ジョプリンがあこがれていたというビッグ・ママ・ソーントンの"With the Muddy Waters Blues Band 1966"とかを焼いて、楽しんでいたんだけど、これも、CD化されて... というか、おそらく、気がつかなかっただけなんじゃないだろうかと思うんだけどね。今じゃ、簡単に手に入れることができるようになっている。

 最近はTバードという金沢のバンドのアルバムをCDに焼いていた。だって、全然CD化される気配がなかったから... ところが、今、これを書きながら、ネットを検索したら、なんとCD化されているとのこと。詳しくはこちらで確認できるんだが、なんと、北朝鮮に拉致されていた蓮池さんが学生時代によく聞いていたということで、マスコミからの問い合わせが増えて再結成したんだと... うわぁ、びっくり。(その話はこちらに書かれてあった)実は、その昔、北陸地方で彼らの曲「オレンジ色の風」というのがスマッシュ・ヒットしたらしく、何度か聞いたこれを20年ほど前に探していたというのが私。で、最初に、なんとその7インチを入手して、それから徐々にアルバムを探し当てたんだけど、嬉しいのはオーリアンズの名曲"Dance With Me" ("Still the One"というベスト・アルバムに収録)を彼らがカバーしていて、日本語で歌っているがいいのだ。どっちがファーストで、どっちがセカンドか記憶が定かではないんだけど、確かファーストでこれをカバーしていて、セカンドに「オレンジ色の風」が収録されていたように思う。彼らは3枚のアルバムを発表して解散するんだけど、結局、3枚目はポップになりすぎて、あまり好きじゃなかった。でも、最初の2枚は大好きでよく聞いてました。今も、好きだし... まぁ、それにしても再結成は驚いたけど... 見に行けばよかったなぁ。

Jerry Jeff Walker で、なんでミスター・ボージャングルか... というと、同じようなことをやっていたわけです。世間一般では、この曲といえばニッティ・グリッティ・ダート・バンドの大ヒットで知られているんですな。その曲が収録されているアルバムのタイトルは、『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』というもので、チャーリーおじさんがなにかを話して、テディがそれに合わせるように吠えるというか、歌うというか... そしてこの曲が始まるという代物。これがいいんだ。でも、オリジナルはジェリー・ジェフ・ウォーカーというシンガー&ソングライターの作品。自分が持っていたのは"Mr. Bojangles"というアルバムで、(よく見れば、ミスター・ボージャングルズとなっているんですけど)これもずいぶん昔に買ったように思う。でも、最近、これがオリジナルではなくて、"Five Years Gone"なんだという話を聞いた。まぁ、どっちでもいいんだけど、あの頃は、このオリジナルよりも中川五郎によるヴァージョンをよく聞いていたように思う。

David Bromberg でも、自分にとって傑作中の傑作ヴァージョンは、カントリーとブルーグラス、そしてスイングとジャズが一緒になったような傑作アルバム、"Hillbilly Jazz"の主力ミュージシャン、ギタリストであったデヴィッド・ブロムバーグのアルバム、Demon in Disguiseに収録されているもので、ライヴ収録されているヴァージョン。彼はジェリー・ジェフ・ウォーカーと一緒にずっとこの曲を演奏していたと、この歌の演奏の最中に話しているんだが、その語りがいいのだ。どうやってこの曲が生まれたか... それがここで語られているんだが、ちょっとだみ声で歌われるこれがねぇ、泣けるのよ。しかも、ここに収録されているテネシー・ワルツもいい。というので、これを仲間に聴かせたくて、アナログからCDに起こしたんだけど... またまたみつけてしまったのね、これ、長い間CDでは手に入らなかったのに、今年の夏前にCD化されていたんですわ。なんか、悲しいような、嬉しいような... まぁ、これでこの人のこの名作が再び入手可能になったわけで、聞いてくれる人が増えるんだろうから、、そりゃぁ、嬉しいんだけど、こんなことだったら、これを買ってしまえばよかったなぁ。なんて思ってしまう今日この頃。無駄な努力をしたようで、なんかなさけないのさ。



投稿者 hanasan : 18:19 | コメント (0)

2005年12月22日

享年50歳 - Joe Strummer & the Mescaleros - Streetcore

Joe Strummer 自分もその年齢になってしまった。この年齢で、この世とおさらばか...

 3年前の12月23日、ロンドンからの電話でジョーの訃報を知らされた。前日は、仲間と山奥に出かけて、凍えるほどの寒さの中、上半身裸になってたき火にあたりながら、大騒ぎをしていたんだが、どうやら、その頃、彼が逝ってしまったらしい。その時の話は、フジ・ロックのプロデューサー、日高氏が記した感動もののライナーに詳しい。実をいえば、この時、一緒に山で大騒ぎをしていたのが彼で、ライターでもない彼が書いた文章にいたく感動したものだ。どこかで自分も書きたいなぁとは思っていたが、遺作となったこのアルバムのライナーを書くに値する人間は彼の他になかっただろう。そんな意味もあって、このアルバムは国内盤をすすめている。

 ジョーとの思い出はつきない。おそらく、世界中にそんな人々がいるはずだ。ライヴが終わっても、必ずファンとの交流をしていたのがジョー。日本での最後となった新宿リキッドッルームの階段で、ずらりと並んだファンと話をしている彼にスタッフに「もう、片づけは終わったから、ここは俺たちに任せて帰っていいよ」と言われたとき、彼がなんと応えたか...

「うるさい! これは俺の仕事なんだ」

 いつもそうだった。だからこそ、彼の死後、ウェッブサイトに寄せられた世界中からのメッセージにもそれを見ることができた。

 その遺作となったこのアルバムに収められているボブ・マーリーのカバー、「レデンプション・ソング」を初めて聞いたのは、それから半年後、ジョーの自宅を訪ねたとき。焚き火をしながら、満天の星の下、朝方の4時頃だったろうか、これを聞いた。で、涙が出た。泣かいでか!なんでも、ジョニー・キャッシュがレコーディングしている時にスタジオに通い続けて一緒にレコーディングしたのがこのナンバー。デュエットしているのは"Unearthed"というジョニーのボックス・セットで聞いているんだが、このブックレットに掲載されている写真で見るジョーの笑顔がたまらない。よほど嬉しかったんだろうな。正直、この1曲のためだけにでもこのアルバムを買う価値があると思うのだ。

 おそらく、フジ・ロックやグラストンバリーのことを歌っているんだろう、ロックンロールな「コマ・ガール」に、なぜか朝霧での演奏が鮮明に記憶に残っている「ゲット・ダウン・モーゼス」や・ジョーニー・キャッシュのことを歌ったフォーキィな「ロング・シャドー」と、スタイルはさまざま。でも、それこそがジョーであり、彼のなかにウッディ・ガスリーからボブ・マーリーにジョン・レノンといったレベル・ミュージックが脈々と流れているのがわかる。

 国内盤が嬉しいのは、ボーナス・トラックとして収録されているジミー・クリフの名曲「ハーダー・ゼイ・カム」のカバーやスペシャルズで有名になった「ア・メッセージ・トゥ・ユー、ルーディ。特に後者は朝霧ジャムで「スカ・フレイムスに捧げる」と言って演奏してくれたのが嬉しかった。今思えば、この時、同じ場所にいたスカのゴッド・ファーザー、ローレル・エイトキンも他界して、天国の人となってしまった。なんかセンチメンタルになってしまう年の暮れ、この時期になるとどうしてもこのアルバムを思い出して、また聞いてしまうのだ。



投稿者 hanasan : 14:31 | コメント (0)

タイミングやねぇ... - ブルース・スプリングスティーン -

Bruce Springsteen  タイミングがいいというかなんというか、どうやらこのアルバムの国内盤の発売日が21日だったらしい。別にそれをねらって書いている訳じゃないんだが、2〜3週間前にこのアメリカ盤を買った。なんでか? 理由は簡単で、2枚のDVDが加えられているから。そのうちの1枚が75年のロンドンはハマースミス・オデオンでのライヴだというので、興味を持ってしまったわけだ。おそらく、このころだったら、一番好きだった頃のブルース・スプリングスティーンに近いのではないか... と、そう思ったわけだ。といっても、初めて彼が気に入ったのは"The River"の頃。残念ながら、そのころはライヴを見てはいないんだが、このアルバムが発表された80年ぐらいだったか、ブライトンに住んでいた頃に、友人がブライトン・センターでライヴをみて興奮しきっていたのを覚えている。

 でも、その後、全然彼を見るチャンスがなくて、ずっと後になって日本で(確か、代々木体育館だったように思う)ライヴを見た記憶がある。そのときのブルース・スプリングスティーンは"Born In The USA"の後で、なんか、このマッチョなイメージが好きにはなれなかった。歌そのものは、アメリカへの疑問を歌っているんだろうけど、この顕著なアメリカの「筋肉質の男」のイメージにはついてはいけなかったのだ。基本的に、アメリカ音楽は好きだけど、アメリカそのものは好きではないという、まぁ、そんなところが自分の中にあるし、それがまんま打ち出された感じで、しばらくは彼の音楽もあまり聴くことはなかった。

 といっても、いつだっけか、国際フォーラムにやってきて、ソロでライヴをやったとき、いたく感動してしまうことになる。ステージにはギター1本持った彼が立っているだけ。でも、そのギターから出てくる音の表情が曲によってどんどん変わり、まるでトム・ウェイツのような語り口や、聞くものを簡単に自分の世界に引き込んでしまう、その演奏にすっかり魅入られてしまったわけだ。加えて、あくまでオーディエンスとのコミュニケーションを大切にしようとしているんだろう、教えてもらった日本語を一生懸命に話しながら、歌を伝えようとしている姿勢も嬉しかった。彼はただのスターじゃないんだというのはよくわかったし、それは反ブッシュのキャンペーンのために真剣に動いていた様からもうかがい知れるのだ。

 で、このボックス・セット。ディテールにはそれほど興味がないんだけど、アナログ盤を意識したCDのデザインもいいし、箱の中には紙ジャケットに入れられたオリジナル・アルバム、ライヴDVD、そして、このアルバムについてのドキュメンタリーが収録されたDVDに加えて、丁寧なブックレットがついている。なによりも、強力なのはライヴDVDで、2時間以上に及ぶ、このライヴの迫力ってなによ?ってぐらいに、とんでもない傑作。なんでこれがこれまで発表されてなかったの? 私には理解できませんよ。素晴らしすぎるのね。まだまだ若く、やせっぽちで、ウールの帽子を目深にかぶっているブルース・スプリングスティーン。これこそ、自分が好きだった彼で、また、彼が好きになってしまった。

 正直言って、イギリス人って、アメリカ人が嫌いで、アメリカそのものも嫌いな人が多いんだけど、会場の雰囲気なんて沸騰しているような大騒ぎ。ほとんどオーディエンスの姿は出てこないんだけど、なんか伝わってくるのさ。75年と言えば、ちょうどパンクが爆発しかけていた頃じゃないかあなぁと思うけど、このストレートなロックは、おそらく、イギリスの人たちにもすんなりと受け入れられたんじゃないだろうか。

 ドキュメンタリーの方はまだ、きちんと見ていないんだけど、国内盤 の解説を読んでいると、おもしろそうなので、これからじっくりと見てみようと思っている。まぁ、字幕がないのはちょっとつらいけど。値段が違いすぎるからなぁ... 国内盤 は買えません。私ゃ、これでまた英語の勉強をしますよ。と、貧乏人はこんなところでも鍛えられるのだ。



投稿者 hanasan : 14:09 | コメント (0)

2005年12月20日

またレコ中に火がついた... ペッカーと日本のレゲエ

ペッカー 手を出さないでいれば、しばらくは、すっかり忘れたようにして、全然買おうとはしないんだが、どこかでなにかが引っかかると、いきなり、毎日のようにレコードなり、CDなりを買い始めてしまうという、まぁ、昔からのレコード中毒患者が自分だと思っている。実際のところ、かつてラジオやテレビで仕事をしていたときには、毎月10万円以上をCDやLPにつぎ込んでいた。といっても、これは、まだ仕事だから許せる。なにせ、これによって仕事ができて、収入を得られることができるわけで、ちょっと無理をしてもけっこう簡単に元が取れたように思えたものだ。

 もちろん、あの時も、今も、音楽の仕事をしているわけだから、同じようなものなんだけど、ウェッブの仕事では金にならないというので、あんなに贅沢に聞きたいものを買うわけにはいかくなってかなりが過ぎた。ところが、収入こそわずかだが、BSフジで、瓢箪から駒の企画が成立してしまって、月に一度だが、テレビの仕事を始めたことがきっかけなんだろうなぁと思う。番組の内容はといえば、飲み屋で音楽談義、ロック談義をするというもので、なんでも番組名はGIGSというらしい。舞台は中目黒の店、バード・ソング・カフェで、役者の佐野史郎氏がメインの展開となっている。ここはたまたま入ったら、めちゃくちゃはまってしまったロック好きの親父たちが集まる飲み屋で、ここで音楽にまつわる昔話に花を咲かせたり、新しい音楽やアルバムを発見をしたり、情報を入手するという、そういった感じになってしまったわけだ。雑誌を読まなくなって、こういったところで得る情報で「○○が再発された」とか「このアルバムがいいねぇ」なんて話で盛り上がり、また火がつくわけよ。

 で、そこで情報を受け取って買ったのがペッカーのレゲエ・アルバム。アナログは持っているんだが、CDがほしいなぁと思って、買ってしまいました。これ、バックはウェイラーズ一派と、スラロビのロッカーズ一派で、アルト・クラリネットで坂田明とか、バック・コーラスで吉田美奈子とかってのが加わっていて、名作"マン・フロム・ワレイカ"を発表して数年後のリコなんてのも名前をつられている... というだけで食指が動くと思うんだが、実に名作なんですな。特に、10インチで発表された「インスタント・ラスタ」というアルバムが強力で、その前の「ペッカー・パワー」というアルバムが2 in 1という形になったのがこのCD。みなさんも買ってくださいな。

ペッカー でもって、そんな気分でロスに行ったもんだから、どうしてもレコード屋さんに行きたい。というので、友人のウイリーに教えてもらったのがサンセットブルーヴァードにあるAmoeba Music Storeという店。これにははまった。めちゃくちゃはまった。なにせ、サイズがでかい。こりゃぁ、まるで体育館です。そこに中古や新品のアナログからCD、ビデオ、DVD、レーザー・ディスクから、ありとあらゆるものがそろっている。というので、どこから手をつけていいか全然わからなくなるのだ。というか、結局、端から順番に、とりあえずはロックのセクションの適当なところから目星をつけてチェックし始めたんだが、時間がいくらあっても全然はかどりません。物量が異様なのよ。

 で、とりあえず、ここで貧乏性が出てしまうのさ。たとえば、この時買ったアルバムの値段の中心がだいたい2ドル(約250円)だからね。まずは、ロックのセクションから始めたというので、目に入ったジェシ・コリン・ヤングの昔のアルバムを3枚ほど買った。「The Soul of a City Boy」や「Together」に「Perfect Stranger」ってのをアナログで買って、テイラー兄弟のアレックスのアルバム、「Dinnertime」も買った。これも2ドル程度だったんだけど、今、アマゾンでチェックすると、このCDが7000円以上の値段になっている。ひょぇ〜。 初めて知ったんだけど、これって、キャプリコーン・レーベルなのね。だから、バックにSea Levelの(今は、ストーンズでやっているみたいだけど)チャック・リーベル(元オールマンね)が入っていたりと... それで興味を持ったのが買った理由ですな。

 あと、ロック系では、レオン・ラッセルのライヴを編集したプロモ盤とか.. .別にコレクターじゃないなんだけど、ん? こんなのあったっけ? ま、いいかぁ、安いし。と、手を伸ばしてしまうんだよね。それに、ここに連れてきてくれたウイリーがやってたバンドで、かつてLAの三大アンダーグランド・バンドとして、レッド・ホット・チリ・ペパーズやフィッシュボーンと肩を並べていたチュペーロ・チェイン・セックスのアルバムとか... アマゾンで「4」というタイトルのアルバムを見つけてしまったけど、これじゃなくて、この前の3枚目が6ドルで見つかった。なかなかどうして、そのアルバムを作っていた本人と一緒に買うのって、面白い!(笑)

Vasser Clements それでも探しているものはなかなか見つけられなくて、本当は「Hillbilly Jazz Rides Again」という、私が愛して止まない傑作、「Hillbilly Jazz」の続編がほしかったんだけど、やっぱりありませんでした。まぁ、そんなものです。実際、どこのレコード屋に行っても、ほしかったアルバムを手に入れたことがないですから。というので、結局、彼がニッティ・グリッティのメンバーを交えて一緒に録音しているアルバム、単純に「Vassar Clements」(75年) ってタイトルのものと、「Superbow」(75)ってのを買ってしまいました。それと、まぁ、結局CDもチェックして、たまたま目に入ったのがケンタッキー・カーネルズの傑作「Appalachian Swing!」。っても、ここにリンクを張ったものじゃなくて、ボーナス・トラック抜きの最初にCD化された方で、わずか6ドル弱。なんか、このあたりのアルバムばかりを並べていたら、私、ブルーグラス・ファンみたいですけど、まぁ、こうゆうのも好きなのよ。たまりませんなぁ。

 でもって、"マン・フロム・ワレイカ"のアナログ再発盤、しかも、盤が厚いものを発見して、新品を買ってしまったり... 実を言うと、このアルバムは、一時、アメリカのブルーノート・レーベルから発売されたことがあって、そのブルーノート盤をもっているというのに、分厚い盤だったら音がいいはずだ...  と、また買ってしまう私。アホです。あと、レゲエ関係では、DVDとCDがパッケージされていたバーニング・スピアの最近の作品とか... 本当は「Marcus Garvey / Garvey's Ghost」とか、初期の作品がいいんだけど、数年前にグラストンバリーでジョー・ストラマーと一緒に見た時もすごかったもなあ、この人。そういえば、今、これをアマゾンでチェックしたら、この解説を書いているのが友人のポール・ブラッドショウだった!びっくり。イギリスでStraight No Chaserって雑誌をやっているんだけど、こんなところでも仕事をしているんだぁ。驚いたなぁ。

Vasser Clements そうそう、せっかくアメリカに来ているんだから、日本じゃなかなか手に入らないようなDVDでも買おうかぁと思って、ブルース系をチェックしていたら、みつけちゃったよ。敬愛するミシシッピー・ジョン・ハートが動いている代物。びっくり!なんでも、ピート・シーガーがやっていたテレビ番組のシリーズをDVD化しているんだけど、この巻ではブラウニー・マギーとソニー・テリーとの部分と、ジョン・ハートの部分で2倍おいしい!っても、あとで、これを調べたら、日本でも購入が可能だったんだけどね。特に、このシリーズは、ルーツ・ミュージックをチェックするには最適で、余裕ができたら、またなにかを見てみたいなぁと思いましたね。ちなみに、ピート・シーガーの息子がジョン・ハートの大ファンで、ギターのスタイルを見せてほしいなんてリクエストがあって、それに応えてみせてくれたり... こうやって彼のギター・スタイルを見ると、「そうんや、そうやって演奏していたんだぁ」なんて、今頃になって驚いたり... それに、ピートがジョン・ハートに「なにがきっかけでギターを弾き始めたの?」って質問して、彼が答えていたり... こうやって映像で見ると、彼がめちゃくちゃちっさなおじいさんだったというのがわかって、また愛情が増したなぁ。それにしても、あのライヴ・アルバム、「The Best of Mississippi John Hurt」のまんまで、めちゃくちゃ嬉しかった。

 と、結局、この店で過ごしたのは2時間。で、アナログを10枚近く。DVD数枚にCDもちょっと買って、170ドルぐらい使いました。やめられません。アホです。でも、安いでしょ?ちなみに、この店、嬉しいのは、本当に音楽が好きな担当者がけっこういて、かなり詳しい情報をもっていること。キューバ・ミュージックに惚れ込んでいるウイリーが、「いやぁ、あの担当者は、なんでも知っているから、ここに来ちゃうんだよね」なんて言ってました。みなさんも、チャンスがあったら、覗いてみればどうでしょう。シスコとバークレーにも支店があるみたいだし、きっとはまってしまうと思うから。



投稿者 hanasan : 20:22 | コメント (0)

2005年12月19日

垣間見えたのはバラ色の未来じゃなかったか? ザ・ウォール・ライヴ -

Roger Waters 28日にベルリンからロンドンに飛んで、その日にKid Carpetのライヴを撮影。そのあと、ちょっと時間があって、ヴァージン・メガストアに行ったら、このDVDが目に入った。といっても、イギリス盤はこれとはジャケットが違ってもっとセンスがいい。おそらく、内容的には同じだと思うんだが、久々にこれを見て、また、いたく感動してしまうことになる。

 これはピンク・フロイドを脱退した(けど、なんでも最近また戻ってツアーするなんて情報が入っているという話も伝わっている)ロジャー・ウォータースを中心に90年の7月21日にベルリンで開催したライヴを収録したものなんだが、これが素晴らしい。すでにこのビデが発売された頃に見ていたんだが、今回、ちょうどベルリンを訪ねたこともあり、今度はDVDヴァージョンで見てみよう... と、これを購入。でも、そのインパクトは今回の方が遙かに大きかった。おそらく、ベルリンで初めて、「壁」の片鱗を見たことや、イーストサイドからブランデンブルグ門まで歩いていった時の風景、すでに観光名所でしかなくなったチェック・ポイントに対する感慨がそうさせているのかも知れないが、あらためてこのライヴを見て、歌の言葉をかみしめていると涙が溢れてしまったのだ。時に、ラストの「The Tide is Turning」(流れが変わりつつあるという意味ですな)は涙なくしてみられないだろう。なにせ、このライヴが行われる半年ほど前に、悪名高き「ベルリンの壁」が崩壊し、誰もがどこかでバラ色の未来を夢見ることができたのだ。

Roger Waters 言うまでもなく、このライヴのベースとなっているのはロジャー・ウォータースが中心となって作ったとされているピンク・フロイドの名作アルバム『ザ・ウォール』。そして、そこからアラン・パーカー監督による映画『ザ・ウォール』が生まれているというのは周知の事実。今回DVD化されたものに収録されているドキュメンタリー(といっても、インタヴューの寄せ集めがメインで、ドキュメンタリーと呼べる代物にはなっていない)によると、ライヴのアイデアは、すでにロジャーがピンク・フロイドを抜けたときからあったようだ。実際に、具体化を考え始めたのは80年代の終わりで、サハラ砂漠やアメリカのモニュメント・ヴァレーなども案として出たらしいんだが、89年11月にベルリンの壁が崩壊すると「理想的な場所」としてベルリンが浮上してきたのだという。そして数ヶ月で交渉、キャスティングなどを進めて、実現するのだが、このインタヴューによるとニール・ヤングやジョー・コッカーあたりにも話が届いていたことが語られている。彼らはスケジュールの都合がつかなかったということなのでしかたがないんだが、面白いのはエリック・クラプトンのくだりかなぁ。臆病風を吹かせて断ったんだとか。笑える。さすがにロック界の大馬鹿者だ。その一方で、ジョニ・ミッチェルは「いいわよ、どこにサインすればいいの」と即決。さすがにザッパと一緒に検閲に闘いを挑んだ骨のあるアーティストで、そんな話を聞くと嬉しくなってしまうのだ。

 まぁ、詳しい話はそのインタヴューを見てもらえればわかるんだが、ともかく驚かされるのはそのスケールだ。ステージの幅は300メートルで、その上をバイクから、リムジン・カー、救急車、バイクが走り抜けるという代物。しかも、そこでバンドが演奏したり、旧ソヴィエト軍の軍楽隊が登場したり、どこにいるのか確認しなければいけないけど、クラシックのフル・オーケストラも参加している。誰を使ったのだろうか、映画さながらに、ナチを思わせる「ハンマーの旗」を持って行進する軍人のような一隊もでてくる。約30万人を集めることになってしまったこれは、そういったバンドやアーティストが、役者やオーケストラ、軍楽隊から映像アーティスト、インフレイタブル(大がかりな空気を入れたオブジェのこと)・アーティストから、オーディエンスをも含めた全てが一緒になって、とてつもない劇場空間を作るようなもの。これは、ロック・ショーというよりは、ミュージカルであり、ロック・オペラであり、映像ショーであり... その全てを「ライヴ」でやってのけた一大文化行事だった。そんな意味で言えば、これまでにすでに伝説となっているウッドストックワイト島のフェスティヴァル、ちょっとニュアンスは違うかもしれないけど、フェスティヴァル・エキスプレスとは比較にならない、文字通り、20世紀最大規模、最高のショーではなかったかと思う。というのは、そういったフェスティヴァルが、基本的には数多くのバンドを集めただけのものだったのに対して、この『ザ・ウォール・ライヴ』は制作から政治的な背景、その全てが前者とは比較にならないのだ。

Roger Waters しかも、たった1回のショーのために、数ヶ月に及ぶ準備があり、越えなければいけない傷害もあった。会場となったポツダム広場は終戦の年、45年から手つかずの緩衝地帯で、所有者はいない。そういった場所をただで使えるという幸運もあったんだろうが、地雷が埋められているかもしれないという事情もあり、その調査をしたらとんでもない数の不発弾や手榴弾等々がでてきたんだそうな。しかも、面白いのは、残っている「壁」を観客の整理のために使おうとしたら、チケットを買った人に加えて、買っていない人までが押し掛けて、25万人を越えたあたりから保安上の理由から、結局、その「壁」をぶっ壊したという話も語られている。嬉しいじゃないか、どこかで「祝福」を求めてきた人たちの「力」が再び壁を壊したわけだ。

 そんな事情もあるんだろう、それぞれのアーティストの気迫もとんでもない。「先生、俺たち、子供を放っておいてくれ」と歌われる「Another Brick in the Wall Part.2」を歌うシンディ・ローパーなんて、飛びすぎだし、初っぱなのスコーピオンズのあとにロジャー・ウオータースのバックでソプラノ・サックスを吹くガース・ハドソンもいい。演奏されている間に背後にどんどん壁が作られ、その壁がスクリーンになって映像が流されたり、芝居が登場したり... その壁の背後で歌っているのが天下のヴァンモリソンやポール・キャラック。シネード・オコナーやジョニ・ミッチェル、ブライアン・アダムス、ザ・バンドのリック・ダンコ、リヴォン・ヘルムとガース・ハドソンにトーマス・ドルビー、ドイツの良心を代表するヴォーカリスト、ウテ・レンパーなど、ラインアップも素晴らしい。

 それでも、圧巻なのは彼らが作った「壁」が壊され、それを見ていたオーディエンスが興奮のピークを迎えるときだろう。あの歓声は、当然ながら、「ベルリンの壁」の終焉を祝福したものであっただろうし、だからこそ、全員が登場して歌うフィナーレ「The Tide is Turning」が涙を誘うのだ。「流れが変わり始めた」という意味に捕らえていいだろう、この曲が、この日ここに集まった全ての人たちにどれほどの意味を持っていたか... そして、全世界の50カ国に放送されたという、そのショーを見ていた人たちにどう伝わったかといえば、明かだろう。あの時、どこかで東西冷戦の終わりを祝福し、バラ色の将来を期待していた人は少なくはなかったはずだ。

 実をいえば、このプロデューサーのひとり、トニー・ホリングスワースにちょうどこの直後に会っているんだが、「本当は、西側が、要するに資本主義が社会主義に勝ったという空気だったから、大きな金が動かせたんだよ」といわれたものだ。バンド・エイドからネルソン・マンデーラのライヴなど、大規模なイヴェントをプロデュースしてきた彼の言葉だけに、その言葉のリアリティは充分に感じることができた。それでも、結局、「ベルリンの壁」という狂気が、実は、けっして「資本主義対社会主義」で生まれたのではなく、そんな看板を被った権力者達の支配欲によって成立しているのだということは、その後の歴史が証明している。キリスト教原理主義、イスラム原理主義... 看板など掃いて捨てるThe Wall
ほどもある。本当は、どす黒い「欲望」や「幻想」のために「民主主義」やら「自由」あるいは、「改革」なんて、それらしいお題目を振りかざすのは、一般市民を搾取する権力者達。彼らにとって、それこそが「正義」であり、「民主主義」なのだ。本当にバラ色の世界がやってくるときというのは、そういった権力者が駆逐されて、それを支えている個々の人が、犠牲になっているひとりひとりの人間がその事実を直視して、実は世界を動かしているのは「自分たち」なのだということを認識し、前向きに関わっていく時代でしかあり得ない。そして、権力者が信じて止まない紙切れや金属片でできている「金」という幻想から完全に抜け出して、ひとりひとりの人間が、本当の豊かさや人間性を基盤においた、地球上の生物としての自然なサイクルによる社会を作っていくほか、あり得ないと思っている。はたして、そんな時代が、自分の生きているうちにやってくるのか... ちうか、それ以前に、申し訳ないが世界が終焉を迎えるようにしか思えないんだけどね。どれほどの人たちが環境の問題をシリアスに捕らえているかはわからないが、すでに研究者達の間では末期的な時代を迎えているというのが定説らしい。そんな時代に人殺しに躍起になっているアホな政治家をのさばらしておいて、愛も平和もあったものじゃない。もう少しでもいいから『政治家』に知性のかけらを持ってほしいと願っているのは、自分だけじゃないだろうな。

 ちなみに、このところ、このザ・ウオール近辺が動いているようで、そのトリビュート・アルバムなんぞがでているような。まだ、聞いたことはないんだけど、なんでなんだろう... ま、ネタがないだけなのかもしれないけど。



投稿者 hanasan : 17:31 | コメント (0)

2005年12月18日

壁の向こうになにが見える? - ベルリンとバンダ・バソッティ -

Berlin ベルリンに飛んだのは11月24日。その日と翌日、SO36という小屋でPunk Italia '05と呼ばれる小規模なフェスティヴァル... というか、数多くのバンドが出演するイヴェントが開催されて、バンダ・バソッティがヘッドライナーを勤めるというので、彼らのレーベル、グリダロ・フォルテからお呼びのかかったのがその理由。なんと、彼らが経費を出してくれて、写真を撮影できるというので、大喜びで出かけていったわけだ。その時の話はすでに、こちらで書いているので、それを読んでもらえればと思うんだが、まずは、驚かされたのがその寒さ。日本が、この時点ではまだそれほど寒くなかったこと、それに、大好きなMA-1を持っていけばなんとかなるだろうと思っていたのが甘かった。なにせ、数年ぶりの寒波がこの時、ヨーロッパを襲ったということで、寒い寒い。Tシャツを2枚ほど重ね着して、その上にパーカーを着て、MA-1だったんだけど、それでは全然太刀打ちできなかったというのが正しい。まぁ、それしかなかったから、なんとかしなければいけなかったんだけど。

 その寒さと共に、やはりなにかを感じざるを得なかったのが「ベルリンの壁」だった。宿泊したのが、あの悪名高い壁の最後の一部が残されているイースト・サイドで、宿泊したホテルの窓からそれが見えるのだ。文字通りイースト・サイド・ホテルと呼ばれるそのホテルの看板は、あの壁に描かれている落書きのオリジナルとなる写真。旧ソヴィエト連邦のトップ、ブレジネフと、東ドイツのトップ、ホーネッカーが熱烈なキスをしているとしか見えないもので、おそらく、これを使っているのは、あの時代の狂気をあざ笑う意味もあるのではないかと思う。1泊25ユーロのこの安宿の階段には、89年11月9日の、壁が壊された日の写真が飾ってあって、すでに15年以上が過ぎた今、あの狂気が観光資源になっているという皮肉な結果生み出している。実際、壁を売っているという話も聞いたし... なんてこったい。

Berlin ライヴが行われたのはクロイツベルグというエリアで、今やさまざまな人々が、ヨーロッパで最もエキサイティングなのは、ロンドンやパリではなく、ここだと言っているらしいんだが、それはほんの数日ここにいるだけで直感できたように思える。人種のるつぼで、雑多な要素が共存しながら「新しいヨーロッパ」を目指しているように思えたものだ。

 ライヴの撮影は25日で、この日のライヴで嬉しかったのは、バンダ・バソッティが想像を遙かに超える人気ぶりだったこと。そして、このイヴェントを主催しているマウロという人物に出会えたこと。なんでもイタリアン・レストランも経営しているらしいんだが、そのレストランにはこの街にやってきたさまざまなミュージシャン達のサインがの残されていた。そのなかのひとつ、フロッギング・モリーはバンダ・バソッティにぞっこんらしいんだが、そのフロッギング・モリーほどには、おそらく、バンダ・バソッティが日本やイギリス、アメリカでは比較にならないほど無名だというのが面白くない。まぁ、どうせ、日本人なんぞ、こと音楽に関する限り、所詮はアメリカやイギリスにしか目を向けようとはしていないんだから、仕方がない。なんと、了見の狭いこと。まるで「アメリカこそが世界だ」と思っているアホ首相と変わらない人種が「ロック界」でも幅を利かせているからかねぇ、日本じゃまともな「視点」も持てない消耗品でしかない歌しか生まれないんだろうなぁと思う。

Berlin そのレストランにはチェ・ゲバラの写真なんかが飾ってあって、おそらく、それがマウロのちょっとした意思表示なんだろうと思えた。もちろん、彼の肖像なんてファッションのようなものだといえばそれまでだけど、どこかにオルタナティヴな空気を感じさせる。タイミングがいいというかなんというか、たまたま成田で買った文庫本が冒険者カストロで、「なんか、はまっているなぁ」と思ってみたり。

 そのマウロが面白かったのはバンダ・バソッティが演奏を終えたときかなぁ。当然のようにアンコールをやって... それでも鳴りやまない拍手に、CDを流しながらオーディエンスとバンドが一緒になって大合唱をしたり、ヴォーカルのピッキオやシガロ、それに、ギターのスコーパまでもが、そのオーディエンスの並にダイヴすることになるんだが、この時、一緒に担ぎ出されて、会場を埋めていたオーディエンスの上を1周したのがマウロ。並のプロモーターがこんなことをするわけがないし、それだけでも彼の「いる場所」がわかるのだ。さらには、バンドがすでに機材を片づけ始めていたというのに、マウロはオーディエンスの要求に応えようと、バンドに声をかけていたのにも驚かされた。職業的なプロモーターがこんなことをするわけがないし、日本じゃ、あり得ない。結局、オーディエンスはバンダ・バソッティの大昔の曲、「Figli Della Stessa Rabbia」を合唱し始めて、機材がなくなり始めた舞台に上って、それを一緒に歌い出したのが、ピッキオやシガロ。久々に、本当のアンコールをみることができた。それがドイツで起きているというのが面白いし、バンダ・バソッティが多くの人たちによってサポートされているのを再発見したという感じだった。

ペッカー ちなみに、彼らの前作「アシ・エス・ミ・ヴィダ(これ、俺の人生)」も、その前の「アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア」も、アマゾンで購入可能なんだが、最新作で、自分がライナーを書いた(あるいは、誰に書ける人間がいなかったようで、締め切り直前に書かされたという方が正しい)「Amore E Odio」が全然入手できないって、どういうことなんだろうなぁ。フジ・ロックを前にしてリリースしたというのに... それに、このレーベルの他の作品は買えるというのに、どういうことなんだろうなぁと思う。

 と、このあたりから、本当は、その後移動したロンドンで買ってしまったDVD、ロジャー・ウォータース中心として開催された90年のザ・ウォール・ライヴについて書きたかったんだが、ちょっと長すぎるというので、それはまた次回ってところでしょうか。



投稿者 hanasan : 22:36 | コメント (0)

2005年12月08日

これは生き方だったと思う - John Lennon - Imagine

John Lennon「くそ、ジョン・レノンが殺された」

 英国のブライトンに住んでいた25年前の12月8日朝、目を覚ますと、真っ先に耳に入ってきたのが、同じ家に同居していたカナダ人の友人が口にしたそんな言葉だった。そして、いつものようにキッチンで仲間に顔を合わせると、誰もが沈痛な表情でラジオに耳を傾けている。そのラジオから流れていたのはビートルズとジョン・レノンの曲ばかり。テレビで見たニュースだっただろうかあるいは、ラジオだっただろうか、確か、ザ・フーのピート・タウンゼントが「I don't fu**in' believe it!」という言葉を口にしのも覚えている。「嘘だろ!」という、その気持ちは痛いようにわかった。

 といっても、正直言えば、ビートルズに熱狂したこともなければ、アルバムも買ったことはなかった。ジョン・レノンの作品だって、友人のものを借りて聞いたり、テープにダビングしたりはしていても、買ったことはなかった。それでも、ビートルズ... というよりはジョン・レノンが自分のなかでどんどん大きな存在になっていったというのが正しいだろう。それは、自分が、おそらく、以降の人生に大きな影響を与えることになる英国滞在時。その最大のものが彼の死だった。

 彼の死からしばらくの後、ぐんぐんとチャートを登っていったのが"Happy Xmas (War Is Over)" (『シェイヴド・フィッシュ』に収録)。この時は、おそらく、彼を追悼する意味も込めて、(同時に商魂もあったはずだ)この曲が再びシングル・カットされて、それを買った覚えがある。まともに英語を理解し始めていたこともあったんだろう、この歌を聞くと涙が溢れてきたものだ。

 ジョンの子供、キョーコとジュリアンに「クリスマス、おめでとう」と声をかける彼のささやきで始まるこの曲の頭は「クリスマス、また、古い1年が終わり、また新しい1年が始まる」というフレーズ。そして、「この新しい1年が恐怖のない年となりますよう」と続いていく。「世界は間違っている。だから、若い人も年老いた人も、白人も黒人も黄色人種にも、金持ちも貧しい人も、争いをやめようよ」そして、「本当に望めば、戦争は終わるんだ」と、あまりにも当たり前のことを歌いかけている。それなのに、なぜ、戦争がなくならないのか? 権力を握っている(と思われてる)政治家や資本家と呼ばれる野蛮人がそれを「理想主義だ」と許さないから?あるいは、ひょっとすると、そう決めつけているのは「あなた」であり、「私」ではないのか? この歌からはそんなジョンの問いかけが聞こえるのだ。理想を「理想」と切り離すことで、すでに私達は理想を現実の力とすることを拒絶しているんじゃないだろうか? でも、この曲をじっくりと聴くことで、少なくとも自分は理想を現実と捕らえ、この間違った世界をよりいい方向には向かわせる、わずかな力になろうと思ったものだ。もちろん、それは今でも全く変わらない。この曲はそんな自分の生き方、考え方、姿勢に大きな影響を与えてくれた。

 それから数年後、ハイド・パークに25万人が集まって反核集会が開催されたときに出会ったのもジョン・レノンだった。全てのスピーチが終わり、ビリー・ブラッグやポール・ウエイラーの演奏も終わり、集まった人々が家路に向かい始めたとき、どこからともなく聞こえ始めたのが名曲「平和を我らに (Give Peace a Chance)」(『シェイヴド・フィッシュ』に収録)。かつて10代の頃に見た映画「いちご白書」のクライマックスで使われたこの曲を歌う声が徐々に大きくなり、ハイド・パークを包み込んだとき、全ての人々が笑顔を見せていた。その光景のまっただ中で、文字通り、背筋がゾクっとしたのも忘れられない。くだらない理屈もなにも関係なく、自分のなかで「だから、音楽なんだ」と思えた。ジョン・レノンがなくなろうと、歌は生き残り、いつまでもこだましていく... 自分にとって音楽は「趣味」や「余興」や、ただ「楽しい」だけのものでもなく、「生きていること」そのものだと確信を持てるようになったのもこの頃だった。

 そして、すでに言い尽くされているだろう、「イマジン」が持つ意味をまた考えてみる。「想像してみればいい」と始まるこれに、どこかで最も近いものがあるとすれば日本国憲法なんじゃないかと思う。特に、憲法9条はその理想を謳いあげたものであり、それがどれほど有名無実化している現実があっても、最後の砦として「これが存在すること」を誇りと思うし、それが僕らの救いとなっているんだろうと考えている。

 さらに、ここで自分が記しているもの、おそらく、それは自分の生き方なんだろうが、その全てがこの歌のなかに含まれていると言ってもいい。

「君は僕のことを理想家だというかもしれない。でも、僕はひとりじゃない。きっと、いつか君も僕らと一緒になってくれるよう。そうすれば世界はひとつになる」

 そんな自分をどこかで支えてくれているのがジョン・レノンの作品でもあるように思えるのだ。

 できれば、ひとりでも多くの人たちにジョン・レノンの「歌」を聞いてもらいたいと思う。そして、この間違った世界で、それを正すことができるのは「政治」や「経済」を遙かに越えた、普通の人たちなんだということを再認識してもらえればと思う。



投稿者 hanasan : 14:25 | コメント (0)

2005年12月02日

私には歌えません - Mississippi John Hurt - Last Sessions

Mississippi John Hurt くるくる回るお皿を斜め上から見ながら、曲頭に針を落とす。でもって、ギターを構えて、音を聞きながら、独特のギター・スタイルをコピーするんだが、これが難しい。それに面倒だ。今なら、ポイントを決めてCDをリピートさせれば済むんだが、30数年前といったら、これしか方法はなかった。

 そうやって何度も何度も聞いたのが『The Immortal(不滅のミシシッピー・ジョン・ハート)』という輸入盤だった。といっても、実際にアルバムを手にするのは初めて聞いてから数年後で、まだステレオなんて持っていなかった頃に聞いていたのはカセット・テープ。今じゃ信じられないだろうが、中学生の頃に高石友也というフォーク・シンガーがやっていた深夜放送で初めて耳にして、あまりの素晴らしさに、放送中に局へ電話。「カセット・テープを送るからなんとかダビングしてくれないか」と頼み込んで手に入れたものだった。(ありがとう、あの時そうしてくれたのが誰かは全然わからないけど、そのおかげで、人生が変わりました。今だったら、そんなこと、ありえません。)

 あまり期待されても困るけど、このアルバムに刻み込まれているのはジョン・ハートという老人の声と彼の生ギターだけ。基本的には親指でベースを弾きながら、人差し指と中指を使って高音部の弦をつま弾きながら演奏するスリー・フィンガーのスタイルで、一般的なブルースってよりもフォークっぽい響きを持っているのが彼の音楽。ありきたりなかっこよさとは全く無縁で、ロックやテクノを聴いている人には退屈かもしれないほどの、木訥とした語りのように聞こえても仕方がない音楽だ。

 でも、彼の声に泣かされるのだ。まるで無垢な子供に聞かせるようでいて、実は、そうでもない。アルバムから聞こえるのは酸いも甘いも噛み分けた、優しさいっぱいの声。しかも、彼がこの世とおさらばする少し前に録音されたこの『ラスト・セッションズ』では、彼のため息や息づかいまでもが聞こえてきて、めろめろになったのを覚えている。

 1927年にデビューして、世界恐慌の時代に消え去ってしまった伝説のブルース・アーティスト。極貧の状態で再発見されたのはリバイバルが起きた1963年で、そのわずか3年後に他界してしまうのだが、彼を溺愛するミュージシャンも多い。日本では高田渡や加川良がこのスタイルをいただいているし、いつかベン・ハーパーと話したときも、「実は、俺のヒーローはミシシッピー・ジョン・ハートなんだ」と意気投合したことがある。この"Last Sessions"はその最後のアルバム。息づかいまでもが心を癒してくれる傑作中の傑作だ。

 実をいえば、なんとか彼のギターはある程度コピーできたんだが、なにもかもを超越した人間の優しさを抱えたあの声を出すのは絶対に無理だと思って、歌うのをあきらめることになった。そんなアーティスト。あるインタヴューによると、ベン・ハーパーもジョン・ハートを聞いて、同じような気持ちになったということを口にしていたのが面白い。



投稿者 hanasan : 14:15 | コメント (0)