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2006年04月29日

始まりはBilly Braggだった

Billy Bragg 3月にテキサスはオースティンで開催されていたサウスバイ・ウェストと呼ばれるフェスティヴァルに向かったとき、プログラムをチェックしていて、昔からの友人でシンガー・ソングライターのビリー・ブラッグがライヴをやっていることを発見した。といっても、こちらは日本から現地に向かった三味線のミュージシャンたちのライヴでMCをやったり、あるいは、写真を撮影したりという仕事なので、好き勝手にライヴを見に行くことはできないというので、ちょっと悔しい思いをしていた。

 しかも、フェスティヴァルは3日間ぐらいあるんだが、この後の三味線ツアーのこともあり、2日目には次の目的地、ニューヨークに移動しなければいけない。というので、彼と会うのはあきらめていたんだが、どこかでなにかが呼び合うんだろう。なんと早朝4時15分にホテルの前で車を待っていたときのこと。なかなか車が来ないと、ほかのスタッフがいらいらしている隣で、ポケッ〜っと待っていたら、あの人なつっこい顔のビリーがホテルに向かって歩いて来るじゃないか。

「Hey, Billy!」

 と、思わず、彼と同じく、ロンドンのコックニーっぽい訛りで、彼に声をかけると、「Koichi! What a hell are you doing here?」ということに相成った。要するに、「おまえ、ここでいったい何をしてるんだぁ」ということなんだが、久々の再会を祝福し、四方山話に花が咲いた。といっても、時間も時間だから、そんなに話していたわけではないが、昨年暮れになくなった昔からのマネージャーの奥さんのことなどを話して、ことの時は彼と別れることになる。

 その三味線ツアーの後、帰国して3日でローマに飛んで、イタリアでバンダ・バソッティの撮影をして、一時、ロンドンに行くのだが、このとき、彼の昔のアルバムがボックス・セットで発表されていることを知った。CDが7枚にDVDが二枚入っていて、現地の価格がいくらだったかわからないが、それが今回購入したBilly Bragg Volume1という作品。デビュー・アルバム「Life's a Riot With Spy vs Spy」から、かつて自分がライナーを執筆した「Brewing Up With Billy Bragg」(20年ほど前に執筆したライナーはこちらで読めます)や「Talking With The Taxman About Poetry」に「The Internationale」といったアルバム初期の作品全てに、EPやシングルとして発表された様々な作品が一緒になってつめ込まれているのだ。しかも、ボックスを開けると、それぞれが丁寧な紙ジャケット見開き2枚組4セットで整理されていて、そのうち7枚がCDとなっている。偶数にならないことから想像できると思うが、最後の1枚はDVDで、さらに加えて、シンプルな紙ジャケットでDVDが1枚はいっているという代物。そのUKインポートが今日現在6800円となっているんだが、このヴォリュームを考えれば決して高くはないだろう。と、早速購入した。

 このヴォリュームを考えればわかると思うけど、まだ全てを聞いたわけではない。それに、この頃のものは、けっこう今では入手しににくくなったとはいうものの、オリジナルのアナログを持っているから、買う必要もないんだろうが、これを買わせたきっかけは、やはりDVDだった。しかも、80年代半ば、彼を取材し始めてもっとも濃密な時間を彼と過ごした時期のライヴや彼のドキュメンタリーがここに収録されている。たった一人でアンプをバックパックにしょってエレキギターをかき鳴らしながら歌っていた時代のビリーがそこにいる。クラッシュのライヴを見て「本当に世界を変えることができると思った」という彼のまなざしの真剣なこと。当時、彼にインタヴューしたとき、同じようなことを彼が語っていたのを、当然、僕も耳にしていた。まだベルリンの壁が崩壊する前、彼がやった東ベルリンでのライヴも面白い。彼の演奏の前で驚喜する「社会主義国東ドイツ」のオーディエンスの表情など、「プロテスト・フォーク」ではなく、あくまでロックしていた「ワンマン・クラッシュ」、ビリー・ブラッグのすばらしさをひしひしと感じることができるのだ。実は、まだわずか1枚のDVDしか見ていないのに、嬉しくてたまらない。

U2 今、このブログを読んでいる人がどれぐらいいるのか、さらには、そんななかにビリー・ブラッグを知っている人がどれぐらいいるのか想像はできないが、おそらく、それは限りなく少数の人たちだろうことは想像できる。が、この頃、彼が自分に前向きに生きる力を与え、そして、どれほどのエネルギーをくれたかは計り知れない。自分にとって最も重要なミュージシャンであり、ジャーナリストとして「書く」動機を与えてくれた、あるいは、「今、自分がこうなっている」大きなきっかけになったのがビリーだったのだ。

 ちょうど日本でも反核運動がちょっとした高まりを見せた頃、彼がアトミック・カフェ・フェスティヴァルを助けてくれたのを覚えている人もいるかもしれない。彼をジープの上にのせて、歌を歌いながらデモをしたこと。彼は僕らと一緒になって大声を張り上げて反核を訴え、歌ってくれたものだ。そして、日航機が墜落した年だったと思うけど、日本をツアーしたときには彼と広島で落ち合っている。原爆資料館で生き残った人たちの描いた絵が展示されていたとき、一緒に中に入ったのに... 徐々に、それぞれが一人になって... あまりの衝撃に涙がぼろぼろできてて、そんな顔を見られたくなかった。なんてこともあった。結局このときの絵をU2のボーノも見たようで、それが後に「The Unforgettable Fire」というアルバムに結実することになる。ちなみに、このときのツアー、今でこそフジ・ロック・フェスティヴァルのプロデューサーで、プロモーター、スマッシュの社長として、英国政府から勲章までもらうことになってしまった日高氏がツアー・マネージャーとしてギターを抱えながら九州にも向かっているのだ。そのときには流しの、はやり原爆資料館を訪ねて、ビリーは長々とメッセージ帳になにかを書いていた... なんて話も日高氏から聞かされたものだ。

 これはそんな時代のビリー・ブラッグの全てが詰め込まれているボックス・セット。もちろん、ビリーは今でも登場と変わらない素晴らしいアーティストであり、その姿勢だって全く変わってはいない。今も、自分にとってもっとも前向きで信頼できる、アーティストである以前に「人間」で「仲間」だという認識は変わっていないんだが、たった1枚のDVDを見ただけでそれを再認識したし、また、当時の自分を振り返ることができた。

 そんなアーティストがこれを読んでいるあなたにとってどれほどの価値があるのかどうかはわからないが、もし、あのころ、同じように、彼に大きな影響を受け、得体の知れない「なにか」に突き動かされた人がいたら、絶対にこれを見てほしいと思う。歌を歌うことが何なのか? そして、歌がどういった意味を持ち、なぜ自分たちはそこから離れられないのか?それを認識するにはベストのボックス・セットだと思う。


投稿者 hanasan : 2006年04月29日 11:54

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