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2006年04月23日
Good Night & Good Luckって、それでいいのか?
しばらく前から気になっていた映画があって、昨日それを見てきた。監督は役者のジョージ・クルーニーで、50年代のマッカーシーの「赤狩り」(共産党員やシンパへの弾圧や追放政策)時代に、闘いを挑んだ放送ジャーナリスト、エド・マローをテーマにした作品。実は、どことなく、以前から好きだった役者がジョージ・クルーニーで、それがきっかけだろう。おそらく、最初に気に入ったのはフロム・ダスト・ティル・ドーンという、タランティーノの映画。これは強烈だったなぁ。ただの犯罪者の逃亡劇、そんなロード・ムーヴィだと思っていたら、結末は大違いだからなぁ。あれにはぶっ飛ばされましたなあ。っても、それ以外はあまり印象に残っていなくて、きちんと覚えているのはピース・メーカーぐらいかなぁ。おそらく、彼の場合オーシャンズ11あたりが有名なんだろうけど、もう全然覚えてないし、その続編のオーシャンズ12なんて何度見ても途中で寝てしまうのだ。
それはともかく、Good Night & Good Luck(DVDは未発)のシンポジウム付き試写会というのがあって見に行った。シンポジウムの出席者は筑紫哲也、嶌信彦、星浩で、司会進行役が服部孝章となっているんだが、筑紫哲也氏は知っていたけど、嶌信彦氏は顔と声を聞いてわかったという程度で、他の人は全然知らなかった。
映画は全編モノクロで、実際のマッカーシーの映像や当時の映像をそのまま使うことでものすごいリアリティを感じさせることに成功していたように思う。それに加えて、最後のエンドロールでわかったんだけど、ダイアン・リーヴスを中心としたコンボによる、劇中に使われているジャズが実に渋い。しかも、曲の意味がわかるとなおさら「音楽が世界を語りかけていて」、そういった流れが、あの時代を見事に演出していたという感じだろうか。
といっても、なにか釈然としない。確かに美しい物語だと思う。以前、ここにも書いたと思うが、名作『ローマの休日』の脚本を書きながら、変名でクレジットされざるを得なかったダルトン・トランボ(彼が監督脚本などを手がけた名作『ジョニーは戦場に行った』が公開された当時は、ドルトン・トランボと表記されていたんだが)はその「赤狩り」の被害者で、そのあたりの話は「ハリウッドテン」という項目で検索してくれればいろいろ出てくるはず。要するに、リベラルな人間が「共産党員、あるいは、そのシンパ」として弾圧され、追放されたアメリカの暗黒時代がこれで、『独裁者』といった不朽の名作の数々を生み出した映画界の最重要人物、チャーリー・チャップリンもその被害を受けた人物だった。
その「赤狩り」(マッカーシー旋風ともいうが)に対して、メディアの連中が恐怖におののいている時代に、真正面から闘いを挑んだテレビ・キャスターとクルーニー演ずるプロデューサーが一種のヒーローとして描かれていることに「映画的」なあるいは、結局はハリウッド的な「軽さ」を感じてしまうのだ。もちろん、実際に残されている当時の記録フィルムに刻まれた「狂気」を見たときの、ドキュメンタリーにも似た迫力は強烈で、スターリン時代のソヴィエトとなんら変わらなかったアメリカの本来の姿を感じることはできたけどね。
実際のところ、これは本当に名作なのかどうかと問われれば、同じ「赤狩り」を扱ったロバート・デ・ニーロ主演の『真実の瞬間(とき)』の方に軍配を上げる。こちらの方が圧倒的に「熱」を感じたし、今は1000円以下の廉価で発表されているから、まだ、見ていない人がいたら是非見てもらいたいと思う傑作だ。
おそらく、ジョージ・クルーニー監督は「今のアメリカ」に対して「言葉を濁して」批判的なことをにおわせているという感じもするのだが、彼の父親がジャーナリストであったことから、どこかで、当時の狂気に対する「追求」よりは、ヒーローを「賛美」する部分の方を感じざるを得ないのだ。そういった意味でかなり物足りないなぁというのが本音。それに、当時のテレビ局のトップに対する優しすぎる描き方とかなぁ... 本当かよぉ... とも思えるな。
あと、映画にはよくある話なんだけど、結局は「最初が最後につながっている」というのの典型で、言いたいことを登場人物のスピーチで「語りきっている」というのが、凡庸でもある。これって、それを最後に持ってきた、オリバー・ストーン監督の『JFK』と同じだよなぁ。まあ、あちらは「あっという間に3時間」がすぎてしまったという意味で、すごい魅力があったけど。
ちなみに、ジョージ・クルーニーについては『シリアナ』も、けっこう政治色が強くて、見てみたいと思っている。どこかで彼のなかに「社会的な問題意識」があるからこういった動きをしているんだろうかね。
あと、シンポジウムですが、あまりに決まりきったことが綿々と語られるだけで、非常に退屈だった。というか、眠ってしまいました。嶌信彦氏の父親が、あの当時、日本でも吹き荒れた「赤狩り」(レッド・パージ)の被害者であったことを知ったのは興味深かったが、問題は映画の巻頭で語られるエド・マローの言葉だということを言ってほしかったなぁ。内容はほとんど『JFK』のケヴィン・コスナー扮する弁護士なんですけどね。それは、映画を見て感じてくださいませ。
さらに、蛇足として加えるなら、映画にばかばかたばこを吸うシーンがあったのが、時代的だけど、俺も吸いたかったなぁ。それと、気になったのは。あのエド・マローが「私だって共産主義は脅威だと疑っていない」という台詞を吐いている点。リベラルでも、アメリカではそういった「反共産主義信仰」で洗脳されているということでしょ。アメリカは決して「民主主義」の国ではなかったし、今でもそうではないこと。それを知るべきだと思う。同時に、ソビエトだって中国だって決して「共産主義」の国ではなかった。短絡的な「資本主義」vs「共産主義」といった二元論で語ることができる時代は大間違いだし、democracyという言葉が「民主主義」だと訳すのも間違っているようにも思える。有色人種に選挙権が認められてから半世紀も過ぎていない国が、どうして成熟した民主主義の国だといえるのか?たかだか時間が尺度になるとは思わないが、それにしても彼らの口にするdemocracyとは、あまりに、反民主主義的なんですよ。どう思います?
投稿者 hanasan : 2006年04月23日 15:40