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2006年04月29日

始まりはBilly Braggだった

Billy Bragg 3月にテキサスはオースティンで開催されていたサウスバイ・ウェストと呼ばれるフェスティヴァルに向かったとき、プログラムをチェックしていて、昔からの友人でシンガー・ソングライターのビリー・ブラッグがライヴをやっていることを発見した。といっても、こちらは日本から現地に向かった三味線のミュージシャンたちのライヴでMCをやったり、あるいは、写真を撮影したりという仕事なので、好き勝手にライヴを見に行くことはできないというので、ちょっと悔しい思いをしていた。

 しかも、フェスティヴァルは3日間ぐらいあるんだが、この後の三味線ツアーのこともあり、2日目には次の目的地、ニューヨークに移動しなければいけない。というので、彼と会うのはあきらめていたんだが、どこかでなにかが呼び合うんだろう。なんと早朝4時15分にホテルの前で車を待っていたときのこと。なかなか車が来ないと、ほかのスタッフがいらいらしている隣で、ポケッ〜っと待っていたら、あの人なつっこい顔のビリーがホテルに向かって歩いて来るじゃないか。

「Hey, Billy!」

 と、思わず、彼と同じく、ロンドンのコックニーっぽい訛りで、彼に声をかけると、「Koichi! What a hell are you doing here?」ということに相成った。要するに、「おまえ、ここでいったい何をしてるんだぁ」ということなんだが、久々の再会を祝福し、四方山話に花が咲いた。といっても、時間も時間だから、そんなに話していたわけではないが、昨年暮れになくなった昔からのマネージャーの奥さんのことなどを話して、ことの時は彼と別れることになる。

 その三味線ツアーの後、帰国して3日でローマに飛んで、イタリアでバンダ・バソッティの撮影をして、一時、ロンドンに行くのだが、このとき、彼の昔のアルバムがボックス・セットで発表されていることを知った。CDが7枚にDVDが二枚入っていて、現地の価格がいくらだったかわからないが、それが今回購入したBilly Bragg Volume1という作品。デビュー・アルバム「Life's a Riot With Spy vs Spy」から、かつて自分がライナーを執筆した「Brewing Up With Billy Bragg」(20年ほど前に執筆したライナーはこちらで読めます)や「Talking With The Taxman About Poetry」に「The Internationale」といったアルバム初期の作品全てに、EPやシングルとして発表された様々な作品が一緒になってつめ込まれているのだ。しかも、ボックスを開けると、それぞれが丁寧な紙ジャケット見開き2枚組4セットで整理されていて、そのうち7枚がCDとなっている。偶数にならないことから想像できると思うが、最後の1枚はDVDで、さらに加えて、シンプルな紙ジャケットでDVDが1枚はいっているという代物。そのUKインポートが今日現在6800円となっているんだが、このヴォリュームを考えれば決して高くはないだろう。と、早速購入した。

 このヴォリュームを考えればわかると思うけど、まだ全てを聞いたわけではない。それに、この頃のものは、けっこう今では入手しににくくなったとはいうものの、オリジナルのアナログを持っているから、買う必要もないんだろうが、これを買わせたきっかけは、やはりDVDだった。しかも、80年代半ば、彼を取材し始めてもっとも濃密な時間を彼と過ごした時期のライヴや彼のドキュメンタリーがここに収録されている。たった一人でアンプをバックパックにしょってエレキギターをかき鳴らしながら歌っていた時代のビリーがそこにいる。クラッシュのライヴを見て「本当に世界を変えることができると思った」という彼のまなざしの真剣なこと。当時、彼にインタヴューしたとき、同じようなことを彼が語っていたのを、当然、僕も耳にしていた。まだベルリンの壁が崩壊する前、彼がやった東ベルリンでのライヴも面白い。彼の演奏の前で驚喜する「社会主義国東ドイツ」のオーディエンスの表情など、「プロテスト・フォーク」ではなく、あくまでロックしていた「ワンマン・クラッシュ」、ビリー・ブラッグのすばらしさをひしひしと感じることができるのだ。実は、まだわずか1枚のDVDしか見ていないのに、嬉しくてたまらない。

U2 今、このブログを読んでいる人がどれぐらいいるのか、さらには、そんななかにビリー・ブラッグを知っている人がどれぐらいいるのか想像はできないが、おそらく、それは限りなく少数の人たちだろうことは想像できる。が、この頃、彼が自分に前向きに生きる力を与え、そして、どれほどのエネルギーをくれたかは計り知れない。自分にとって最も重要なミュージシャンであり、ジャーナリストとして「書く」動機を与えてくれた、あるいは、「今、自分がこうなっている」大きなきっかけになったのがビリーだったのだ。

 ちょうど日本でも反核運動がちょっとした高まりを見せた頃、彼がアトミック・カフェ・フェスティヴァルを助けてくれたのを覚えている人もいるかもしれない。彼をジープの上にのせて、歌を歌いながらデモをしたこと。彼は僕らと一緒になって大声を張り上げて反核を訴え、歌ってくれたものだ。そして、日航機が墜落した年だったと思うけど、日本をツアーしたときには彼と広島で落ち合っている。原爆資料館で生き残った人たちの描いた絵が展示されていたとき、一緒に中に入ったのに... 徐々に、それぞれが一人になって... あまりの衝撃に涙がぼろぼろできてて、そんな顔を見られたくなかった。なんてこともあった。結局このときの絵をU2のボーノも見たようで、それが後に「The Unforgettable Fire」というアルバムに結実することになる。ちなみに、このときのツアー、今でこそフジ・ロック・フェスティヴァルのプロデューサーで、プロモーター、スマッシュの社長として、英国政府から勲章までもらうことになってしまった日高氏がツアー・マネージャーとしてギターを抱えながら九州にも向かっているのだ。そのときには流しの、はやり原爆資料館を訪ねて、ビリーは長々とメッセージ帳になにかを書いていた... なんて話も日高氏から聞かされたものだ。

 これはそんな時代のビリー・ブラッグの全てが詰め込まれているボックス・セット。もちろん、ビリーは今でも登場と変わらない素晴らしいアーティストであり、その姿勢だって全く変わってはいない。今も、自分にとってもっとも前向きで信頼できる、アーティストである以前に「人間」で「仲間」だという認識は変わっていないんだが、たった1枚のDVDを見ただけでそれを再認識したし、また、当時の自分を振り返ることができた。

 そんなアーティストがこれを読んでいるあなたにとってどれほどの価値があるのかどうかはわからないが、もし、あのころ、同じように、彼に大きな影響を受け、得体の知れない「なにか」に突き動かされた人がいたら、絶対にこれを見てほしいと思う。歌を歌うことが何なのか? そして、歌がどういった意味を持ち、なぜ自分たちはそこから離れられないのか?それを認識するにはベストのボックス・セットだと思う。


投稿者 hanasan : 11:54 | コメント (0)

2006年04月27日

easy jetがいいんだけど、取り返しはききません

easy jet 当サイトのvoice outで、その昔、easy jetについて書いたことがある。99年の秋にロンドンからマドリッドに飛んでいるんだが、ここ数年、ヨーロッパでのフライトといえば、必ずこれを使っている。あのときは、たまたま地下鉄の宣伝でこの広告を見て、ウェッブサイトをチェックしたら、フライト代がめちゃくちゃ安かったというのがその理由だ。

 たとえば、トップページに行くと、春のホリデー商品としてイギリスからバルセロナが35.99ポンドなんて値段が出ているし、パリが26.99ポンド。今、1ポンドが210円前後だから、日本的な感覚で言えば新幹線料金以下でいろんな街に飛べるという感覚なのだ。まぁ、いつものことなんだが、早く予約すればするほど格安。日本からだったら不安だからと、たいていの人は旅行代理店を使ってけっこうな料金を払わされるんだが、コンピューターでクリックするだけで予約できて、しかも、(一応、万が一のために詳細をプリントして持って行くけど)予約番号とパスポートだけで簡単にチェックインできる。何も難しくはないのだ。

 というので、今回、3月下旬からのヨーロッパ行きも、それでフライトを用意した。もちろん、さすがにこのeasy jetに長距離フライトはないから、いつも通り、ヨーロッパ内のものになるんだが、まずはバンダ・バソッティのツアーが一旦小休止する直前のジェノヴァからロンドン、そして、その1週間ほど後に野外でフリー・コンサートがあるというので、ロンドンからローマに飛んで日本に戻ろうと計画したわけだ。

easy jet で、バンダ・バソッティのライヴが終わったのが午前2時ぐらいで、それから地元のスキンヘッドの大物、彼らの仲間、通称ボンバ(爆弾の意味ですな)に空港まで送ってもらった。っても、地方空港だから、まだドアも開いていないんだけど。で、ちょうどそのドアの前に車を止めようとしたところ、突然、私服警官に止められて不審尋問となる。巨漢のスキンヘッドにヒッピーのようなアジア人って組み合わせが悪かったのかなぁ。かなり念入りに調べられて... っても、こっちはなんも悪いことしてないから。一人が自分のパスポートを調べている間、もう一人の警官と無駄話を初めて...解放されましたけど。

 で、ドアが開いたのが4時45分。さぁて、カウンターはどこだろう?チェックインが始まるのが5時だから... と探したんだが、ない。ん?イタリアだから、どうせ遅れているんだろう、と、想像していたんだが、しばらくすると、どうやらそうでもないらしいと思い始め... なにかがおかしいと、予約したときにプリントしたアイテナリーを見てみると、とんでもないことを発見する。イタリアのジェノア(ジェノヴァ)というのはGenoa(英語)、あるいは、Genova(イタリア語)と書くんだが、プリントされたものを見ると、Genevaとある。なんとジュネーヴであります。ほとんど目が点になりましたが、あたしゃぁ、イタリアのジェノヴァからのフライトを予約したと思っていたのに、なんとスイスのジュネーヴからのフライトだったのね。頭の中で「ぎゃぁ〜、どうしよう。まいったなぁ」と、茫然自失でもないが、半ば自分のことを笑いながら、あきれかえったわけです。

 っても、面白いのは、それからなんだけど、当然、ロンドンでは友人が待っているわけで、なんとかロンドンに向かわないといけない。というので、「さて、どうやっていこうかぁ..」と悩み始める。で、次にとった行動は、「そうだ、インターネットで調べよう」と発想してしまうのが、さすがに21世紀なんだろうな。空港だったら、ワイヤレス・ネットワークがあるに違いないと思ってPBを開くと1時間2.95ユーロ、確か、5時間で4.95ユーロでのサービスがあって、これを使ってまずはeaqsy jetのフライトがあるかどうかを確認。でも、残念なことに、easy jetはこの空港からのフライトはないようで、そうなると、同じように格安のフライトで有名な会社、Ryan Airのサイトを見つけ出したら、幸運なことに午後のフライトがあるというので、それを予約することになるのだ。といっても、同日のフライトはネット予約できないというので、カウンターを探してそうしたんだが、結局は、このフライトでロンドンに向かうことができた。

 まぁ、当日予約だったからなんだろう、フライト代が270ユーロ(4万円強)と、めちゃくちゃ高い。事前に予約していた、間違いフライト、ジュネーヴからロンドンが160ユーロぐらいだったから、かなり違うんだけど、仕方がない。それに、この160ユーロが戻ってくることはないし.... とんだ無駄遣いをしてしまったという、情けない話が今回のテーマ。スペルはよく確認しましょう。1文字違いで、国が違っちゃうから。あぁ、なさけない。


投稿者 hanasan : 08:34 | コメント (0)

2006年04月23日

Good Night & Good Luckって、それでいいのか?

Good Night & Good Luck しばらく前から気になっていた映画があって、昨日それを見てきた。監督は役者のジョージ・クルーニーで、50年代のマッカーシーの「赤狩り」(共産党員やシンパへの弾圧や追放政策)時代に、闘いを挑んだ放送ジャーナリスト、エド・マローをテーマにした作品。実は、どことなく、以前から好きだった役者がジョージ・クルーニーで、それがきっかけだろう。おそらく、最初に気に入ったのはフロム・ダスト・ティル・ドーンという、タランティーノの映画。これは強烈だったなぁ。ただの犯罪者の逃亡劇、そんなロード・ムーヴィだと思っていたら、結末は大違いだからなぁ。あれにはぶっ飛ばされましたなあ。っても、それ以外はあまり印象に残っていなくて、きちんと覚えているのはピース・メーカーぐらいかなぁ。おそらく、彼の場合オーシャンズ11あたりが有名なんだろうけど、もう全然覚えてないし、その続編のオーシャンズ12なんて何度見ても途中で寝てしまうのだ。

 それはともかく、Good Night & Good Luck(DVDは未発)のシンポジウム付き試写会というのがあって見に行った。シンポジウムの出席者は筑紫哲也、嶌信彦、星浩で、司会進行役が服部孝章となっているんだが、筑紫哲也氏は知っていたけど、嶌信彦氏は顔と声を聞いてわかったという程度で、他の人は全然知らなかった。

 映画は全編モノクロで、実際のマッカーシーの映像や当時の映像をそのまま使うことでものすごいリアリティを感じさせることに成功していたように思う。それに加えて、最後のエンドロールでわかったんだけど、ダイアン・リーヴスを中心としたコンボによる、劇中に使われているジャズが実に渋い。しかも、曲の意味がわかるとなおさら「音楽が世界を語りかけていて」、そういった流れが、あの時代を見事に演出していたという感じだろうか。

The Great Dictator といっても、なにか釈然としない。確かに美しい物語だと思う。以前、ここにも書いたと思うが、名作『ローマの休日』の脚本を書きながら、変名でクレジットされざるを得なかったダルトン・トランボ(彼が監督脚本などを手がけた名作『ジョニーは戦場に行った』が公開された当時は、ドルトン・トランボと表記されていたんだが)はその「赤狩り」の被害者で、そのあたりの話は「ハリウッドテン」という項目で検索してくれればいろいろ出てくるはず。要するに、リベラルな人間が「共産党員、あるいは、そのシンパ」として弾圧され、追放されたアメリカの暗黒時代がこれで、『独裁者』といった不朽の名作の数々を生み出した映画界の最重要人物、チャーリー・チャップリンもその被害を受けた人物だった。

 その「赤狩り」(マッカーシー旋風ともいうが)に対して、メディアの連中が恐怖におののいている時代に、真正面から闘いを挑んだテレビ・キャスターとクルーニー演ずるプロデューサーが一種のヒーローとして描かれていることに「映画的」なあるいは、結局はハリウッド的な「軽さ」を感じてしまうのだ。もちろん、実際に残されている当時の記録フィルムに刻まれた「狂気」を見たときの、ドキュメンタリーにも似た迫力は強烈で、スターリン時代のソヴィエトとなんら変わらなかったアメリカの本来の姿を感じることはできたけどね。

真実の瞬間(とき) 実際のところ、これは本当に名作なのかどうかと問われれば、同じ「赤狩り」を扱ったロバート・デ・ニーロ主演の『真実の瞬間(とき)』の方に軍配を上げる。こちらの方が圧倒的に「熱」を感じたし、今は1000円以下の廉価で発表されているから、まだ、見ていない人がいたら是非見てもらいたいと思う傑作だ。

 おそらく、ジョージ・クルーニー監督は「今のアメリカ」に対して「言葉を濁して」批判的なことをにおわせているという感じもするのだが、彼の父親がジャーナリストであったことから、どこかで、当時の狂気に対する「追求」よりは、ヒーローを「賛美」する部分の方を感じざるを得ないのだ。そういった意味でかなり物足りないなぁというのが本音。それに、当時のテレビ局のトップに対する優しすぎる描き方とかなぁ... 本当かよぉ... とも思えるな。

 あと、映画にはよくある話なんだけど、結局は「最初が最後につながっている」というのの典型で、言いたいことを登場人物のスピーチで「語りきっている」というのが、凡庸でもある。これって、それを最後に持ってきた、オリバー・ストーン監督の『JFK』と同じだよなぁ。まあ、あちらは「あっという間に3時間」がすぎてしまったという意味で、すごい魅力があったけど。

 ちなみに、ジョージ・クルーニーについては『シリアナ』も、けっこう政治色が強くて、見てみたいと思っている。どこかで彼のなかに「社会的な問題意識」があるからこういった動きをしているんだろうかね。

 あと、シンポジウムですが、あまりに決まりきったことが綿々と語られるだけで、非常に退屈だった。というか、眠ってしまいました。嶌信彦氏の父親が、あの当時、日本でも吹き荒れた「赤狩り」(レッド・パージ)の被害者であったことを知ったのは興味深かったが、問題は映画の巻頭で語られるエド・マローの言葉だということを言ってほしかったなぁ。内容はほとんど『JFK』のケヴィン・コスナー扮する弁護士なんですけどね。それは、映画を見て感じてくださいませ。

 さらに、蛇足として加えるなら、映画にばかばかたばこを吸うシーンがあったのが、時代的だけど、俺も吸いたかったなぁ。それと、気になったのは。あのエド・マローが「私だって共産主義は脅威だと疑っていない」という台詞を吐いている点。リベラルでも、アメリカではそういった「反共産主義信仰」で洗脳されているということでしょ。アメリカは決して「民主主義」の国ではなかったし、今でもそうではないこと。それを知るべきだと思う。同時に、ソビエトだって中国だって決して「共産主義」の国ではなかった。短絡的な「資本主義」vs「共産主義」といった二元論で語ることができる時代は大間違いだし、democracyという言葉が「民主主義」だと訳すのも間違っているようにも思える。有色人種に選挙権が認められてから半世紀も過ぎていない国が、どうして成熟した民主主義の国だといえるのか?たかだか時間が尺度になるとは思わないが、それにしても彼らの口にするdemocracyとは、あまりに、反民主主義的なんですよ。どう思います?


投稿者 hanasan : 15:40 | コメント (0)

2006年04月22日

再びMacと大格闘、典型的マック貧乏だぁ!

LaCie ポルシェ2.5 100GB 実は、ローマで大変な目にあった。っても、犯罪とかじゃなくて、初日のフィレンツェでのバンダ・バソッティの撮影を終えて、ローマに戻って「さぁて、写真をまとめよう...」と思ったら、データを入れている外付けのハード・ディスクが認識されない。なんでだぁ? きちんと電流が流れているサインであるランプもついているのに、おかしぃなぁ... と、よ〜く見たら、なんと裏側がかなりの衝撃を受けてへっこんでいるわけだ。自分がリュックサックを持っていいたときには、そんな事件は起きていないわけで、おそらく、撮影中に誰かが何かを落としたか... まぁ、そんな事件があったんだろうと察する。

 外付けで使っていたのは、MacファンにはおなじみのLaCie ポルシェ2.5というシリーズの80GBモデル。すっきりしたデザインもいいし、コンパクトで「頑丈に見える」のでこれを愛用していたんだが、あのへこみ具合を見るとそうでもない。もう二度度買わないぞと思うことになるんだが、そのへこみがケーブルをくっつける部分だったから、おそらく、なかのHD自体はダメージを受けていないじゃないか? と思って、翌日、ドラマーのぺぺにコンピュータ用の専門店(っても、ちっぽけな店)に連れて行ってもらって、外付けのケースを買うことになった。面白いことに、ファイアーワイヤー用のケースはUSBより格段に高いのが常識なのに、ローマでは29ユーロぐらいで見つけることができて、お店のおじさんがHDを入れ替えてくれた。そして、店で愛用するPower Book G4(Mac OS9で起動可能な最終モデル)に接続してみると、認識できる! やったぁ! という感じで一安心したわけだ。

 ところが、悪夢はその後にやってきた。ケースを買って、宿泊していたぺぺの家に戻って作業を再開すると、PBG4が「ポンポンポンポン...」と異様な音を発し、「ハード・ディスクが損傷を受けました」とアラートが出たわけだ。真っ青です。これまでいろいろなアラートが出てきたけど、「ちょっと違うなぁ」と思いつつ、当然ながら、ユーティリティ・ソフト、Disk First Aidで修復を試みる。が、それもできない。途中で「修復不能」と出てきてしまう。まぁ、下手をしたらこういったこともあるだろうと踏んで、とりあえずは用意していたOSのインストール用のDVDで起動して、そちらのディスク・ユーティリティで修復を試みるんだが、それでもできないという、真っ暗闇の状況に直面してしまったわけです。

 まぁ、なんとか、OSXで起動することができて、作業もできるんだが、それだと大幅に作業スピードが落ちるというので、どうしても完全な修復をしたくなって、結局、持っていたのと同じような外付けのHDをローマで買おうということになった。なにせ、こういったHD系のアラートは不気味な兆候で、下手をするとデータがすべてぶっ飛んで再起不能になる可能性もある。そうなる前にどうするか... こうなったら、本体を丸ごとバックアップして、OSを再インストール。その上でバックアップしたところからデータを移行させるのが一番楽なのだ。

LaCie d2 300GB HDD で、グリダロフォルテ(バンダ・バソッティのレーベル)そばにある電気屋さんに行ってみるんだが、まともなものが置かれていない。というので、結局、コンピュータの専門店のひとつで、価格もてごろだという店に連れて行ってもらったんだけど、正直言って、商品のヴァリエーションは、かなりしょぼい。おそらく、それほどマックの人気がないことに加え、ファイアーワイヤー用が極端に少ないのだ。というので、持っていたのと同じタイプの2.5インチのHDはインターフェイスがUSBのみ。仕方がないから、3.5インチのを買うことにした。本当はそんなに大きなものを買っても、持って帰るのが大変だからいやなんだけど。で、買ったのが同じLaCieのCie d2 300GB HDD Triple I/F Extreme。店の人がFireWire 800にも対応しているし...なんて言いながら、実際は160GBのものとチョイスは二つしかなくて、結局、でっかい方を購入。加えて、この時点で外付けの2.5インチのデータ用HDも変調を来し始めていたので、もう一個ケースを買って、合計約270ユーロの出費であります。痛ぇぞ!

 ところが、インストールDVDで起動してディスク・ユーティリティの復元を使えば、全てがバックアップされるはずなのに、95%ほどできたとことで、魔の虹色ぐるぐるマークが出てきてハングアップ。こんなこともあるだろう(と思ってしまうのね、長年のマック・ユーザーは)と、300GBのDHを二つにパーティションしていたから、残りの方を使ってもう一度試みるんだが、これも同じ。しかも、それに数時間がかかるというので、ほとんどぶち切れ状態になるのだ。で、あきらめた。まぁ、万が一のことを考えて、日本を出る前に本体をバックアップしていたから、それを元に帰国してから完全修復を目指そうということで、とりあえずは使える状態にするというので、まずはPBG4本体の初期化をして新たにOSをインストール。その中途半端なバックアップからデータを移行することで、なんとかOSXでは使えるようになったわけだ。といっても、なんとかweb関連のファイルが入った部分は生き残ったから、通常の作業はできたんだが、OS9での起動はできるものの、まともに動作しないという状況が続いていたわけです。加えて、その影響なんだろう、外付けの2.5HDのパーティションの一部もご臨終して... いやぁ、たまりません。

CSG25FU2SV 2.5インチHDDケース で、帰国して最初にやったのが、バックアップからのPBG4の修復作業。嬉しいことにこれは問題なくできた。それでも、外付けHDがおかしいまま。しかも、新たにイタリアで購入したケースはOSXでしか認識できないというので、秋葉原に飛んでまたまた購入。まずは秋葉館で、今回購入したのは
CSG25FU2SV 2.5インチHDDケースというもので、4980円。このケース、なかなか頑丈にできていて気に入りました。OS9での起動は無理らしいけど、きちんと認識されるし、今のところ、大きな不満点はない。でも、0S9でも起動できるものがほしかったので、matheiから出ているiTouchAというアルミ筐体の、これまた頑丈なものを買った。というのは、 Travelstar 7K100シリーズの100GBで7200回転のものがPCサクセスで18000円台で出ていたから。

*このあたりをいつもチェックするのがwww.kakaku.com。いつもPCサクセスイー・トレンドPCボンバーがかなりいい値段を出している。デジタル・カメラもこのあたりがねらい目ですな。

 こういったでっかい容量のHDを買うのは、要するに、外付けHD1台に本体のバックアップもとれて、同時にデータ的な部分も、旅で撮影した写真データも十分につっこめるという判断したからだ。まぁ、それにしても、2.5インチのHDがとんどん安くなっていることに驚かされるね。なんでも最近は160GBのものもあるそうで、値段が手頃になって発熱量もあまり高くないようだったら、PB本体のHDも交換してやろうと思っている。

 というわけで、この復旧作業に費やした時間がほぼ二日間。やっと、本来の作業に取りかかれるようになった。いやぁ、マックを使っていると、ほんとに貧乏になります。しかも、ストレスで胃がおかしくなりそうですな。


投稿者 hanasan : 19:15 | コメント (0)

2006年04月21日

また、Joe Strummerのこと...

Joe Strummer あぁ、忘れていた。ジョー・ストラマーのドキュメンタリー映画のDVDが発表されるんだぁ。今日、amazonのアフィリエイトのデータをみていたら、このDVDが注文されていた。というので、私も速攻で注文です。初回限定版(Tシャツなんぞがついているコレクターズもの)と通常版があって、今のところ両方とも20%ほど安くなっている。(予約時点でこういったことが多いですな、amazonの場合)

 内容については、Smashing Magでimakazが書いているので、それを参考にしてもらえればわかると思うんだけど、ディック・ルード監督によるこれは、あの台風の日の新宿リキッドルームでのライヴの様子も入っているらしく、あれを見ている人間にとってみれば、絶対に忘れることができないはずだ。なにせ、あれが、日本でジョーを見ることができた最後の姿なのだ。

 ライヴからの帰り、新宿駅に向かうとき、確か靖国通りの街灯が折れ曲がっていて、それがニュースで流されたはずで、あの後、ジョーたちは中目黒の友人の店、クイーンシバで、飲み明かして帰路についたということだ。それから数ヶ月後、誰が彼の訃報を想像できただろうか。実は、そのニュースを聞いてすぐに出かけていったのがクイーンシバ。そこで朝まで飲み明かすことになった。あのときはスマッシュの日高氏、スカ・フレイムスの宮崎君たちが合流してお通夜となってしまったものだ。

 そして、数ヶ月後、イギリスに渡ることになって、彼の自宅を訪ねている。そのしばらく後に発表されることになった遺作ストリートコアに収録されているボブ・マーリーのカバー、「リデンプション・ソング」を、彼の仲間たちとたき火を囲みながら聞くことになったんだが、そのときの気分といったら... 空から降ってきそうなほどの星を見ていたら、やっぱ、めちゃくちゃ悲しくなったもんだ。

 実をいえば、先日、ロンドンでグラストンバリーの映画を見たときにも、強烈な印象を残してくれたのがジョー・ストラマーで、本気でカメラマンに対してマイク・スタンドをぶっつけていた姿が目に焼き付いている。この映画を見た後、フジ・ロックのパレス・オブ・ワンダーを仕切っているジェイソン・メイオールとインタヴューをしているんだが、「ぐたぐたといつまでもジョーを引き合いに出してフジ・ロックのことをしゃべるのも、あのキャンプ・ファイヤーを追悼の場所にするのも嫌だし、ジョーが、そんなことは一番望んでいないと思うんだよね」と、そんな話をしたものだ。もちろん、ジョーはいつまでも自分たちと一緒だけど、振り返るために彼がいるわけでなければ、彼との思い出があるわけでもない。ぐたぐた言わないで、ロックしようぜ!というこの映画のタイトル「Let's Rock Again」ってのって、そんな意味を語りかけているように思える。

 このDVDが発売されるのは6月7日とのこと。残念ながら、映画は見ていないので、今はこれが届くのを楽しいにしていようと思う。


投稿者 hanasan : 10:52 | コメント (0)

2006年04月16日

映画「グラストンバリー」見てみました。

Glastonbury 右側のこれは、ずいぶん前から注文しては「品物が入荷しませんでした」というメールが来ていたという代物で、まだ見てはない。っても、ひょっとしてずいぶん昔にイギリスの友人から送ってもらったVHSのテープと同じではないかと思うんだが... 無責任なことはいえないけど。
 
 それはともかく、以前からここで書いていた、ジュリアン・テンプル監督によるグラストンバリー・フェスティヴァルのドキュメンタリーが完成して、つい先日プレミア・ショーがあったようだ。っても、イギリス入りしたのがその直前で、情報もなかったから、そのチケットは全然入手できなくて行けなかったんだが、昨晩、ポートベロにあるエレクトリック・シネマで見てきた。チケットを買ったのは夕方で、その時点で残っていたのが2枚だけ。ということは、結構な人気なのかなぁと思ったけど、実際のところ、会場のキャパが150ぐらいのちっぽけな小屋。その分、シートがめちゃくちゃ広くてゆったりしているので、楽に見られたのが嬉しいが、大きな話題になっているのかどうかはわからない。

 なんでも、全国でも23の小屋でしか公開されないらしく、ロンドンでも5館ほど。加えて、夜の最終上映のみという扱いだから、DVDとして販売するためのプロモーションでしかないんだろうなと思う。実際、ヒットするような代物ではないと思うし、それはそれで仕方がないんだろう。

Glastonbury で、上映が始まったのは9時半で、予告編などが終わって、エンドロールが出てきたのが午前0時10分だったから、実質は2時間半ぐらいの映画ではないかと思う。さすがにイギリスだなぁと思うのは、レイ・デイヴィスや「30年ぶりにここで演奏するんだ」といったことを口にしていたデビッド・ボウイがきちんとフィーチャーされていること。しかも、めちゃくちゃかっこいい。(実をいえば、ボウイがここで演奏した70年か71年と、この映像での髪型が同じような感じだったのがほほえましい)それにプライマル・スクリームからケミカル・ブラザーズ、ビョーク、プロディジーにフェイスレス... 彼らの演奏もすさまじいし、それに輪をかけてとんでもない表情を見せているオーディエンスが圧巻だ。そのほか、古いところでは70年頃のメラニーとか、もうひとつバンドの演奏があるんだけど、これが誰かはわからなかった。

 さらには、「どうしてこんな映像が残っていたんだろう」と思わせたのが、おそらく、初めて自分がグラストを体験した81年か82年に出演したブラック・ウフルー。すでに亡くなってしまったピューマ・ジョーンズにマイケル・ローズ、ダッキー・シンプソンクをフロントに鉄壁のリズム・セクション、スライ&ロビーがバックに控えたもので、このときのライヴ映像が残っていたら、なんとかそのまま発表してほしいなぁと思ったり。あと、どこかでウッドストックとの接点を想定してるのか、リッチー・ヘヴンスの「フリーダム」が登場したのも面白かった。実は、ウッドストックで彼の祭りの意味を十二分に歌い上げていたのがこの曲だったように思えるのだ。

 そのほかには本気でテレビのカメラをぶちこわしにかかっているジョー・ストラマーの映像や、僕らの仲間であるギャズ・メイオールとトロージャンズ。それに、グラストにも、フジ・ロックにも欠かせない存在となってしまったミュートイド・ウェイスト・カンパニーのジョー・ラッシュあたりが、大きくフィーチャーされていて、実に嬉しかった。

Glastonbury といっても、こういった音楽のシーンは、おそらく、全部で1時間にも満たないと思う。ひょっとしたら、30分ほどかなぁ。何よりも重きが置かれているのは「フェスティヴァル」という文化であり、その歴史であったり、社会の動きだったり...そういったものとの絡みのなかで育っていった、おそらくは、世界で最もユニークでオルタナティヴなフェスティヴァルとなったグラストの抱えている世界なのだ。初めてフェスティヴァルが開かれたときのこと、そして、まだまだ若々しかった主催者で農場主のマイケル・イーヴィス。すでにかなりの年齢になっている彼と、それぞれの時代の彼が交差して「変わっていった」歴史と「変わらないもの」を巧みに映し出してくれる。よくもまぁ、これほどまでの映像素材を集めたものだと思えるほどに、すべてがグッとここに凝縮されているのだ。

(ちなみに、Glasutoを詳しく知るにはGlastonbury Tailsという本がお勧め。そのほかに、英国最良最高のDJ、ジョン・ピールが書いているGlastonbury The Festivalというのもみつけましたけど)

 そのほかにも、ヒッピーとはまた違ったトラヴェラーズ文化の片鱗が姿を見せ、80年代に繰り広げられていたストーンヘンジ・フェスティヴァルのこと、そして、定住を拒絶してジプシーのような生活を選んだ彼らが行き場を失ったときにグラストがその避難キャンプのようになったことなども登場する。そして、そんな動きを象徴するような90年代初めのトラヴェラーズのライヴが持つ異様な迫力も素晴らしい。それと前後して、トラヴェラーズに与えられた警察の暴力を映し出す映像のショッキングなこと。実に、フェスティヴァルという文化は、どこかで既成概念に対する闘いでもあったことが語られているようにも思えるのだ。

Levellers 一方で、巨大産業化していく現状も映し出されている。何が間違っていて、何が正しいのか?この映画はそういったことを断定しているのではなく、ただ、無限とも思える記録映像を下に、「フェスティヴァルとは何なんだろう?」と語りかけているように思える。しかも、それはグラストそのものだけに関わっているのではなく、我々一人一人の生き方にも問いかけているようにさえ思えるのだ。

 そうやってこの映画を見たとき、日本という国で「フェスティヴァル」文化を根付かせようとしている、あるいは、創造しようとしているフジ・ロック・フェスティヴァルや朝霧ジャムの意味が抱える大きさを考えざるを得ないのだ。もちろん、それはグラストをまねたものではないし、日本とイギリスの文化や歴史の違いもある。だから、短絡的な比較ができではないのは重々承知している。一方で、国や歴史は違ってはいても、人間としての営みに違いはない。そして、その底辺に流れるものこそが「フェスティヴァル」の文化であり、それを真正面からとらえたとき、フジ・ロックも朝霧もまだまだ、一般的なメディアや業界人たちがいうような「完成」からはほど遠いところにいることは歴然としている。

 いろいろな人たちにこの映画を見てもらいたいと思う。そして、日本で語られる「フェスティヴァル」が、いかに勘違いされているかを知っていただければと思う。バンドが出てくるだけのものは、フェスティヴァルでもなんでもなく、ただのコンサート。音楽の向こうに何かを突き動かす世界があるとすれば、おそらく、そここそが「核」となるのがフェスティヴァルであり、その文化だ。多くの問題を抱えながらも、それを内包し続けるグラストは、やはり、どこかでとてつもない魅力をもつものとして、これからも自分のなかに生き続けるのだと思う。


投稿者 hanasan : 06:23 | コメント (0)

2006年04月09日

バンダ・バソッティは、やっぱ、最強のライヴ・バンド

Banda Bassotti イタリアに飛んできたのが3月の28日。その翌日には早速バンダ・バソッティと一緒にフィレンツェの小屋、Flogに移動して、今回初めての撮影となる。

 ここはすでにブラフマンとやったときにも来ているし、ドーベルマンとも一緒だった。といっても、前回も、前々回もストリート・ビート・フェスティヴァルというタイトルの下、二つか三つのバンドと一緒にまわってるんだが、今回はいろいろな問題でバンダ・バソッティ単独のツアーという形になっている。まぁ、その問題は彼らが唯一、確実に金を稼げる会場、ローマのヴィラジオ・グローバーレで、ライヴができるかどうか、不確実な状況になっていたからだ。

 不法占拠から始まってコミュニティ・センター化している場所が「セントロ・ソシアル」と呼ばれていて、それが全イタリアに150箇所ぐらいあるんだが、その最大のものがローマのヴィラジオ・グローバーレ。ここにはバーやクラブから職業訓練センターからいろいろなものがあるんだけど、大型のライヴ会場としても使われていた。ところが、数ヶ月前に設置してあった大型のテント、おそらく、5〜6千人は収容できるそれを警察が取り壊したというのだ。そのあとには大型のショッピング・センターができるという噂を聞いているんだが、以前テントがあった場所は立ち入り禁止になっている。

 結局、ここにまたテントをぶちたてて、ライヴをしてしまうことになるんだが、それは後に報告するとして、まずは今回の撮影初日となったフィレンツェでのライヴ。相変わらずといえば、そうなんだけど、彼らのライヴを見ていると「音楽」の意味を再確認させられるというか... 政治的にラディカルであるという言い方はあまりに貧弱なんだが、要するに、生活する一般の、普通の人たちの気持ちがそのまま歌になっていったら、社会的で政治的なものになってしまったということ。でも、同時に、自分たちが闘う意志として音楽を作り、歌い、普通に仕事もしているというバンドがバンダ・バソッティ。だからなんだろうなぁ、会場に行くと、はっきり言って、ほぼ全員が彼らと一緒に大声を出して歌うんですよ。ほぼ最初から最後まで。当然のように、興奮の度合いが高まる後半になると、まるで嵐のような騒ぎになって、オーディエンスが波のようになってステージに襲いかかるって感覚かしら。これを目の当たりにすると、並のロックのライヴなんて全く興味がなくなってしまうように、とてつもない迫力なのよ。

Banda Bassotti 今回も、それを感じました。初日から、とてつもなく感じました。そりゃぁ、そんなバンドがいろいろいるんだろうけどさ。オアシスだって、みんな歌うじゃない。でもね、バンダ・バソッティのオーディエンスは桁違いにうるさいよ。しかも、歌の意味をわかって歌ってるから。ただ、自分たちに言い聞かせるためだけじゃなくて、ほかの連中に大声で伝えるため。だから、ぶっ飛ばされるんだよね。

 まぁ、チャンスがあったらヨーロッパで彼らを見てくださいよ。ドイツでも、スペインでも、フランスでも... どこでも彼らの人気... じゃなくて、オーディエンスの熱狂ぶりは保証付きだから。ベルリンで見たときもそうだったし、日本でかなり人気の出てきているFloging Molly(だっけ)もバンダ・バソッティにはぞっこんらしいから。

 ということで、とりあえずは、初日の話しね。


投稿者 hanasan : 14:10 | コメント (0)

2006年04月05日

離日直前に「いちご白書」と「ジョニーは戦場に行った」を購入

いちご白書 ローマに来てからというもの、忙しかったり、PBG4のハードディスクが損傷して、数日間メールもチェックできないような状況に直面したり、同時に、データ用に持ち歩いている外付けのHDの一部も損傷するといった感じでにっちもさっちもいかなかったんだが、とりあえず、OSXでは仕事ができるようにはなった。ちょっとした時間の余裕もできた(はずはないんだけど、作った)ので、ひさびさにブログの更新です。

 アメリカの三味線ツアー(そのときの初日の模様はSmashing Magでレポートしています)から帰国して、結局、3日間日本にいるだけでローマに飛んできたんですが、日本を離れる瀬戸際に成田で見つけたのがこの本『いちご白書』でした。おそらく、10代の自分に最も影響を与えてくれた映画の1本がこれを下に作られた映画なんだが、残念ながら、DVD化されてはいない。わずかにレンタル屋さんに残っているという感じで、今じゃどれほどの人がこの作品を知っているかというとどうも疑問。それに、あの後、ユーミンだっけかが作った歌で、「軟派な映画のイメージ」を与えられたような気がして、本当の意味がどれだけ知れ渡っているかもよくわかりません。でも、いい映画なんですよ。

 簡単に言えば大学紛争のさなかに、女の子をナンパするつもりでストの中に入っていったノンポリが、ある女の子に恋をして次第に運動に巻き込まれていったというストーリーなんだけど、それは逆に当時の紛争がどれほど一般的な不条理に反駁していたか、そして、それを「不条理だ」ととらえる人間の感性が生きていたかを証明したようなものだと思っています。

 っても、そんなに難しいものではなく、結局は、いわゆる青春映画っていってもいいと思うんですけど、音楽はめちゃくちゃすごかった。今思えば、ほとんどニール・ヤングの映画のようなもので、この映画で惚れ込んでしまったのが「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」や「ヘルプレス」だったりするわけです。今じゃ、この映画のサントラも入手できないようで、確かうちにはどこで眠っているような気がするが、これもこのところ見つからないでいる。そのあたり、実に情けない。

 その原作を書いたのがジェイムス・クネンという当時の学生で、68年に起きた事件を下にしているんだが、映画を見たのは70年か71年だったように思う。この映画を見たとき、まだ15~16歳ぐらいだった自分がこの原作を読んだ記憶がかすかにあって、彼の名前もコロンビア大学の学生だったということも覚えているのはそれが理由ではないかと思うのだが、読むべき時にまた読めばいいと、これを買ったのだ。

 といっても、まだ、読み始めてはいないだけど、解説を書いているのが『放送禁止歌』を書いた森達也氏。彼とは一度会ったことがあって、ここに記されていることが自分とかなりの部分重なるのが面白かった。まぁ、チャンスがあれば、読んでみればどう?

ジョニーは戦場へ行った このとき成田で同時にもう一冊買っているんだけど、それが『ジョニーは戦場へ行った』という、やはり映画の原作。ひょっとして、このあたりはメタリカ・ファンだったら知っているんだろうけど、これも名作で、オリジナルは「ジョニーは銃を取った」。実は、アメリカのレッド・パージ(マッカーシーによる赤狩り、左翼弾圧)でハリウッドを追放されたドルトン・トランボが書いた本で、アメリカ・ニュー・シネマの流れのなかで、これも70年前後に日本に紹介され、いたく感動した作品だった。嬉しいことに、こちらはDVDが購入可能なので、こちらを見た方がよくわかるかもしれないけど、これも当時と同じように原作を読み直してみようと思ったわけだ。たしか、この映画にはドナルド・サザーランド(やはりニュー・シネマの代表作『MASH』の主役)やティモシー・ボトムズ(ピーター・ボグダノヴィッチ監督の名作『ラストショー』でも好演)が登場していて、第一次世界大戦を痛烈に批判した反戦映画なんだけど、当然ながら、これはヴェトナム反戦を念頭に置いて作られたはず。戦争で手も足も、顔も失った『芋虫』のような兵士が主人公で、なんとかメッセージを送ろうとする...そして、そのメッセージの内容はというと... と、これを書いてしまったらおしまいのように思えるから、見てのお楽しみという感じですが、これも頭をぶん殴られたような印象を持っています。

いちご白書 日本とアメリカじゃずいぶんと距離が離れているけど、実は、これは江戸川乱歩の名作
芋虫』とどこかで重なる部分があり、同時に、山上たつひこが「ガキデカ』で大ヒットする前に描いた傑作漫画『光る風』にもつながるのだ。さらに加えれば、これが、16歳の時に読んだ大江健三郎の傑作『セブンティーン』にも重なるのだが、まぁ、そのあたり、読んでみれば面白いと思う。偉そうに過激なことを口にしている人間は、あっという間に反動家となっていくという構図が後者二冊に共通しているんだが、青臭い『正義感』を持つ左翼が簡単に『右翼』へと変貌し、平和主義者が暴力主義者へと変わっていくか... それが見事に描かれていた。

 っても、これを読んだのは15〜16歳の頃。これを今読んでどう思うか... そんな興味を持って
いちご白書』と『ジョニーは戦場へ行った』を再読してみようと思う。さて、どうなることやら。


投稿者 hanasan : 23:05 | コメント (0)