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2006年06月15日

Rico Rodriguezが伝えてくれたスカの真髄

Rico Rodriguez なにを今更と思うかもしれないが、これはずっと書こうと思っていた。忙しすぎて時機を逸した観のある話題かもしれないが、今年前半で最も嬉しかったことのひとつがリコ・ロドリゲスの来日だった。スカの世界でオリジナルのひとりとして、ファンであれば、知らない人はいないだろう、巨人であり、伝説でもある人物だ。今回の来日で、飲みながら彼と話したときには34年生まれだと言っていたから、今年で72歳。けっこうな年齢なんだが、その演奏に衰えは見えなかった。

 面白いのは、この来日と前後して、自分のサイトを訪ねてくる人が増えたこと。アクセスログを見ると、やたらと「Rico」だとか、「リコ・ロドリゲス」といったキーワードが目立つのだ。よく読まれていたのはこのページで、これを今読み返すと、また、なかなか面白い。自分でも忘れていたことに気がついたり... あの頃、いっこうに再発される気配のなかったリコの名作、『Man From Wareika』も見事に再発されて、そこには、当時、スカ・フレイムスのメンバーだったトロンボーンのナベちゃんの家で初めて聞いた『スター・ウォーズ』のテーマのレゲエ・ヴァージョン『スカ・ウォーズ』もボーナス・トラックとして収録されているのだ。

Rico Rodriguez 一方で、当時発売されていたリコのアルバムで、『Roots to the Bone』は、すでに入手不能になっているようだ。これは、前述の『Man From Wareika』に、完成していながら、リコがその発売元のアイランド・レコードのボス、クリス・ブラックウェルと大げんかして発表されることがなかったという幻のアルバム『Midnight in Ethiopia』を合体させたような作品なんだが、好き者の筆者はこのアルバムを2枚も購入して大切に保管している。手に入らなくなるのはわかっていたし、単純に好きだったから、「なくした時のためにもう1枚」買ってしまったというのが... 笑える。ホント、おめでたい馬鹿者です、私って。蛇足だが、『Man From Wareika』のアナログについても、アメリカのブルーノート・レーベルから発表されたものと、最近、アメリカで復刻されたオリジナルのレプリカ的なアナログも買ってしまった。これでまた、馬鹿者に拍車をかけてしまったわけだ。

 で、あのページに書いていたことなんだけど、99年の来日時に、リコが全くソロを取らなかったことについて触れているんだが、それはバックのバンドがあまりに未熟だったことが理由だ。当時、リコがひとりで来日し、日本でバックのバンドをつけてのツアーということになったんだが、あのライヴは複雑な思いで受け取ったものだ。ライヴのあと、小玉さんと、当時、デタミネーションズのギターだったヒトシ君と飲みながら、いろいろなことを話している。優しい小玉さんは「それでも日本に連れてきてくれたことだけで、喜ばないといけないよぉ」と、語っていたし、一方で、自分は、それはわかるけど、悔しいなぁと文句を言っていたものだ。

Rico Rodriguez その結果が3年後のフジ・ロック・フェスティヴァルとなるのだ。その時のことはここに書いているんだが、あれは嬉しかった。99年の来日以来、「絶対にリコを彼のバンドと一緒に日本に呼ぶんだ」という夢がここで叶っている。しかも、この日はデタミネーションズもでているし、スカ・フレイムスもいた。その後にリコのバンドがでて、続いたのがスキャタライツと、スカからロック・ステディ、レゲエ・ファンにとって至福の1日をフジ・ロックで経験できたことになる。

 残念ながら、スキャタライツが演奏していたときは、レッド・マーキーで20年来の友人、ビリー・ブラッグが演奏していたこともあり、リコやタンタン、マイケル・バミー・ローズ、トニー・ユタが加わってしまったジャマイカン・オール・スターズ的なセッションは見逃すことになったのだが、未だにこのときの話がスカ・ファンに語り継がれていることを考えると、とんでもない光景だったことは容易に想像できる。あぁ、うらやましい。

 今回の来日はそのとき以来で、当然ながら、99年の悪夢が頭をかすめていた。すでに自己のバンドがない状態となっているとのことで、フジ・ロックのような演奏は望めないだろうことは十分想定できた。なにせ、あのときにはタンタンも、マイケル・バミー・ローズも、トニー・ユタもいた。そのそれぞれがとんでもないキャリアと才能の持ち主であり、長年にわたって培ってきたコンビネーションも、ほかの誰とも比較できないだろう。しかも、申し訳ないが、日本で彼を迎えるバンド、クール・ワイズ・メンのことは、名前しか耳にしたことはなかったし、彼らがどの程度の力量を持っているのか、想像もつかなかった。だから、今回の招聘元となった友人には「頼むから、力量のないバンドと組み合わせるのだけは止めてほしいし、そんなことしかできないのであれば、来日させないでくれ」とまで言っていたものだ。

Rico Rodriguez そして、来日。まずはスカ・フレイムスが主催するダウン・ビート・ルーラーで、彼らをバックに軽くジャブを出したって感じかなぁ。っても、このときには、タイミング良く来日していたスカ・クバーノの飛び入りもあったということで、そのメンバー、タンタンとリコのコンビネーション・プレイが見られたのは幸せだった。といっても、「リコを見た」という程度で、ずいぶん昔にジャズ・ジャマイカが来日した時、偶然名古屋で実現した時のセッションと比較できるようなものはなにもなかった。といっても、このときのリコとスカ・フレイムスのコンビネーションのすさまじさといったら... おそらく、人生で二度と味わえないほどの、文字通り、背筋がゾッとするような瞬間を体験している。なにがそうさせたのかはわからないが、あれこそがリコの神髄ではなかったかと思う。

 そして、始まったリコとクール・ワイズ・メンのツアーだが、初日は仕事の都合で見ることができず、結局、大阪に飛ぶことになる。そこで撮影した時のレポートがこれなんだが、なにやら最後の来日で見たローランド・アルフォンソのように、リコがにこにこしているのばかりが目立っていた。その一方で、バンドの方を見ると、みんなガチガチでまるで余裕がない。っても、当然だろう、なにせ、彼らが相手にしているのは「伝説」なのだ。それはそれで仕方がない。もちろん、「楽しみなさい」なんて言ったところで、無理に決まっているんだろうけど、それにしても堅すぎるのだ。賢明にいい雰囲気を作り出そうとしてるペットとベースを除けば、ほかのメンバーたちが、カッチンコッチンになっているのが、妙におかしかった。

 でも、その一方でリコが演奏を楽しんでいるのがわかる。特に、歌がいい。以前は1曲か2曲歌えばいい方だったのに、このときのライヴでは5曲ほども歌っただろうか。そんな彼の歌に対するオーディエンスの反応に、また、リコが嬉しそうな顔をしているのだ。そうすると、こっちまで嬉しくなってしまう。その繰り返しだったように思える。

Rico Rodriguez それに、リコは厳しく、優しかった。曲の流れ、メンバーの力量、次になにがほしいのか、来ればいいのかを直感し、ソロを要求する。メンバーの方を見て、「来い、もっと、来い」という指示を出し、それに対応するのがメンバーたち。あの光景が99年の来日を思い出させるのだが、このクール・ワイズ・メンはあのときのバンドよりも遙かに力量があったんだろう、彼らはリコから毎回いろいろなものを吸収していたようだ。大阪よりも、翌日の名古屋の方が遙かにレスポンスが良くなっていた。それに、写真を見れば一目瞭然なんだが、バンドの表情が全く違っているのが面白い。なんだか、「そうなんだ、リラックスして、楽しく、音楽に身を任せばいいんだ」というのがわかったかのような雰囲気を見せていたのが名古屋。おそらく、余裕なんぞ全然なかったんだろうけど、リコが演奏しているスカやレゲエが、いったいどういったところから生まれ、「なぜ彼が素晴らしのか」がこの経験を通じて、彼らに伝わったんじゃないだろうかとも思えたものだ。

 以前から、リコ自身も語っているんだが、音楽は湧き出てくるもの。レコーディングも全て一発録りなのだ。あの名作、『Man From Wareika』のことを聞いたときも、「俺はなぁ、一回しか演奏していないから」と語っていた。ちょうどジャズがそうであるように、同じ演奏は二度とできないし、する必要もなければ、しようとすることもない。それが音楽なのであり、それが彼にとってのスカやレゲエなのだ。だから、「俺たちはオーセンティックなスカを演奏しています」というバンドだって、リハーサルで繰り返したものをステージで演奏するだけではスカでもレゲエでもなんでもない。ただのコピー。練習の成果をステージで見せるだけで、「スカをやっています」なんて言われると、「あんた達、スカがなにかって、全然理解してないじゃん」と思ってしまうのだ。実際、そんな、あるいは、その程度のバンドが多すぎるのだ。

 そんな意味で言えば、クール・ワイズ・メンというバンドにとって、ひょっとすると、そんな「本当のスカ」に開眼できたのがリコとの演奏ではなかったんだろうかと思う。っても、リコとの最後のライヴとなった東京での演奏以来、彼らのライヴは見てはないんだが、彼らの演奏が変わったといった噂も耳にしている。

Rico Rodriguez ちなみに、リコが今回のライヴで「よく歌っていた」ことに驚かされたんだが、その話をすると、実は、そのきっかけを作ったのが自分だったと言われたのが嬉しかった。95年頃にリコが発表した『Wonderful World』 (現在はRico's Messageというタイトルで、ほぼ同内容のものがアメリカやヨーロッパで発表されている)をレコーディングする前、ポートベロのパブで彼にいろいろなアイデアを話したんだが、そのひとつが「Wondeful World」を歌ってみたらどうだろうというものだった。昔から歌は大好きだったんだが、レコーディングしようとまでは思ってはいなかったようで、これをきっかけにどんどん歌うようになっていったんだとか。その話を聞いた時には、やっぱ、嬉しかったね。

 といっても、あのパブで話したカバー楽曲については「Wnderful World」を除けば、単純にアイデアとして出しただけなのに、結局、全曲録音している。オスカー・ブラウン・ジュニアで有名な『Work Song』に、最も人気あるスタンダードの名曲、スターダストやオーヴァー・ザ・レインボーがそれで... まさかあの時話した曲を全部録音するとは思わなかった。加えて、ジャケットの写真も撮影できて、「俺は写真で笑ったことがない」というリコの、これ以上はないと思えるほどの笑顔を焼き付けることができたのが、自分にとっての勲章のように思える。このアルバムがどういった評価を獲得しているのかわからないが、自分にとっては『Man From Wareika』以降のリコのピークを捕らえた傑作の1枚であり、できることならば、いつか、また、あの写真を使った「オリジナル」の形で再発売させたいと思っている。


投稿者 hanasan : 18:07 | コメント (0)

2006年06月11日

Ben Harper再び

Ben Harper 2年ぶりの日本ツアーとなったベン・ハーパーを追いかけて、初日の横浜から翌日の東京、それから福岡に飛んで広島、大阪、名古屋、そして、最終の東京と全公演7箇所でライヴ撮影をした。交通費や宿泊費など、けっこうな散財だったし、このツアーに合わせるような形で、新しいカメラ、Nikon D200も購入するなど、経済的にはかなりつらかったようにも思うけど、彼らかもライヴからも吸収できたものは大きかった。

 ライヴについては文句なし。というか、見るたびにベンが大きくなっていくのがわかる。前回の来日では、おそらく、ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマとのプロジェクト、『There will be a light』(US import / 国内盤CCCD)やその結果生まれたライヴ・アルバム、『Live at the Apollo』(US import / 国内盤 (CCCD))の流れなんだろう、ゴスペルに根ざしたヴォーカルのスタイルを見事に吸収した「Where Could I Go」に卒倒するほどの魅力を感じていた。記録を見ると、最初にこの曲を歌ったのは'04年の5月で、初めてこれを見たのはロンドンでのライヴ。一月ほど後、フジ・ロックでの演奏を見て、マネージャーに「また、ベンはとんでもないところまでいっちゃったね」なんて言葉を交わしたものだ。

 そして、それから2年となるのが今回のツアー。また、同じように新しい成長の跡を見るのだが、それが「ロック」だった。ベンを語るときに、ブルースであったり、ソウルやファンク、レゲエといった、ルーツィな要素が多く語られるんだが、今回はストーンズあたりのロックにも通じるものを多分に感じたし、「ロック」していたという言い方がそんな様子を表すのに最適の言葉のように思える。

Ben Harper 今回のツアーを前にして発表されたのがこのアルバム『Both Side of the Gun』(US import / 国内盤CCCD)なんだが、実をいうと、これをそんなに聞いていたわけではなかった。嬉しいことにサンプルが届けられてはいたんだが、国内盤はCCCDという代物で、以前これで痛い目にあっているので、なかなか聞くのに勇気がいるというのが理由かなぁ。まぁ、いろいろと試行錯誤をしてここからサウンド・ファイルを吸い込んで、なんとかiPodで聞けるまでにはしたんだが、じっくり聞き始めたのは今回のツアーが始まってからだった。

 面白いのは、「そういった状況なのに」ライヴで演奏されたこのアルバムからの曲に全然違和感も感じなかったことかなぁ。たいてい好きなアーティストとなると、自分の知っている曲やヒットしたものなんかを期待してしまうのに、新しい曲が「ずっとそこにあった」かのように聞こえていたのが、ベン・ハーパーという特異なアーティストの魅力なのではないかと再認識することになるのだ。聴きたい曲はいっぱいあるけど、なによりもベン・ハーパーという人の世界を体験したい... と、そんな感覚の方が大きいんだろう。

 それに、半端じゃない数のライヴをこなしているのがこのバンド。今回のツアーが終わって1週間ほど休憩したら、今度はヨーロッパだというし、なにやら年内はツアーに明け暮れるようだ。しかも、ここ数年、彼らはそんな生活をずっと続けているように思うんだが、そういったなかでいつだってオーディエンスを飲み込んでしまうようなパワーやエネルギーを培ってきているんだと思う。実際、今回のツアーはどの公演も素晴らしかった。毎回期待以上の興奮や感動を与えてくれるし、オーディエンスを裏切ることは全くなかった。それでも、特に素晴らしかったのは名古屋。終電の新幹線で帰京することもあり、「最後の曲」だと思っていた「Better Way」を撮影してから大急ぎで会場を後にしたんだが、なんと、この後も1曲演奏して大盛り上がりだったとか。名古屋を除けば、どの会場でも締めの曲が「Better Way」だったことを考えると、名古屋のオーディエンスとバンドの波長が合わさってなにかが生まれたんだろう。この話を後で知って、実に悔しい思いをしたものだ。

Ben Harper っても、決してほかのライヴが見劣りするなんてことはなかった。どこだったか覚えてはいないけど、ベンを見ながら、涙を流していた女の子が目に入ったこともあったし、自分自身、アコースティック・セットでは撮影を止めて彼の歌に聴き入ることも多かった。

 ツアーそのものだけではなく、一緒に広島で原爆資料館に行ったこともいい経験だった。いろんなミュージシャンにここを訪ねてほしいと思っているんだが、広島入りしたメンバーが全て「絶対に原爆資料館に行くんだ」といっていたのがこのバンドらしい。ここでもベンは展示されているものの説明を全て読みながら、音声ガイドをも全て聞きながら最も時間をかけて歩いていた。というか、そのペースがあまりに遅くて、みんな、けっこうあきれてしまったんだが... このときも、ベンには広島だけではなく、長崎もあれば、沖縄もあること。東京大空襲で10万人の市民が虐殺されたことなども話していた。そして、今、日本が極度に右傾化して、憲法が潰されようとしていることなど... このとき話していて思ったんだが、「国家なんてくそ食らえ」という思いについて、自分と彼の間に共通していることを発見できて嬉しかったものだ。

 興味深いんだが、新幹線に遅れるかもしれないというのに、出かけていったのが原爆ドーム。ここで、彼が95年に来日したときに知り合ったという友人と再会することになる。あの地震で家が全壊したと話していた彼と、あのとき、神戸の地震の話をベンにして、結局、ベンが実際に神戸に行ってしまったことなどを考えると、なにやら象徴的な偶然がここであったことになる。

 それから数日後、東京の最終公演を終えて、打ち上げのパーティでのこと、ベンがこう言ってくれたのが嬉しかった。

「お前はどう思っているか知らないけど、お前の影響が大きいんだよ。神戸のこと...それ以外にも、お前が知らせてくれたことで、自分の社会的な問題や政治的なことについて大きな影響を受けているんだ」

 さて、これなんぞ、額面通りに受け止めていいかどうかわからないし、今回初めて会ったときにも「日本に来て最初に思ったのが、お前のことだった」なんて、お世辞にしか思えないんだが、それでも嬉しいものだ。自分が彼に影響を受けているように、彼もどこかで自分の影響を受けているとしたら、それこそ素晴らしい人間と人間との関係だと思う。おそらく、彼とはこれからも長いつきあいとなるんだろうけど、久しぶりにじっくりと彼とのインタヴューでもするべき時期に来たのかもしれないなぁ...なんて思っている。

 いずれにせよ、実に濃い10日ぐらいを過ごせたことに感謝。でも、これから数千枚の写真をセレクトしてレポートを作らなければいけないと思うと、ゾッとしますが。


投稿者 hanasan : 16:09 | コメント (0)