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2006年07月08日

Jazz Defektors、20年ぶりに復刻ですか。

Jazz Dekektors 噂は聞いていたんだが、調べてみたら発売されていた。これはジャズ・ディフェクターズというバンドの最初で最後のアルバムで、自分が日本で海外のバンドの作品を発売させたりするアレンジをした最初の作品だ。その頃の詳しい話はここに書いているんだが、98年の段階で「コレクターズ・アイテム」と書いていたこれが手にはいるようになったわけだ。

 日本でアルバムを発表させる時、たいていの場合、存在するアルバムをライセンスするという形を取るのが一般的なんだが、彼らの場合、話が生まれた時点でアルバムは存在しなかった。当時、スタイル・カウンシルをやっていたポール・ウエラーが彼らに力を貸して、録音したのが「Ooh This Feling」という曲で、もう1曲ぐらいは、どこかのコンピレーション・アルバム用に自分たちでレコーディングしたトラックがあったかもしれないという程度。おそらく、あの時点で録音されていたのはその2曲ぐらいではなかったかと思う。

 いずれにせよ、彼らが最初に脚光を浴びたのは、その独特なスタイルのダンスで、そこからバンド結成に向かったというユニークな存在だった。実際、彼らが初めて来日したのはそのダンスを見せるためで、彼らがアート・ブレイキーやリー・モーガン、あるいは、ホレス・シルヴァーといったジャズ・ミュージシャンの名曲で見せてくれたダンスには圧倒されたものだ。

Jazz Dekektors この写真は85年に彼らがロンドンのショー・シアターでアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズと競演したときのものなんだが、この日はマンチェスターのジャズ・デフェクターズ(JDs)と共にロンドンのIDJ(I Dance Jazz)というグループも踊っている。マンチェスターのJDsがブレイク・ダンスとバレーやラテン系のダンスを融合したスタイルだったのに対して、IDJはタップダンスにブレイク・ダンスを融合したスタイルで、このアート・ブレイキーとのショーでは、IDJの方が、実を言えば、かっこよかった。特に、アート・ブレイキーがドラムスのソロでIDJのひとりとバトルを繰り返した瞬間は鳥肌が立ったほどだ。

 JDsは、ジュリアン・テンプルの映画『ビギナーズ』にフィーチャーされていて、そのジュリアンから紹介されたのが最初。その後、彼らがダンサーとして来日し、その流れでバンドもやっているという彼らの音が、自分の手からレコード会社に伝わり、デビューにつながっていくんだが、日本での発売が決まってレコーディングに入っていったわけだ。マンチェスターのイエローというスタジオで録音していて、このスタジオにも行っている。実際、あの後日本で最初に発表されることになったアルバムのクレジットを見ると、「クリエイティヴ・コーディネーター」として自分の名前が記されているし、自分とポール・ウェラーがいなかったら、このアルバムが生まれていなかったと書かれている。嬉しいものです。今回の再発でそれがきちんと残っているかどうか、実に気になりますが...

Stevie Wonder ちなみに、今回このアルバムが再発されたきっかけとなっているのはKyoto Jazz Massiveの沖野修也氏。80年代半ば、こういった動きを宝島を中心に発表していた原稿に触発されてDJを目指すようになったと、本人が言って入るんだが、おそらく、お世辞も入っていると思う。その沖野君がこのアルバムに収録されている「Another Star」をいたく気に入って、コンスタントにクラブで流し続けていたという話はよく聞かされていた。そのおかげなんだろう、発表から20年近くなってこの曲が日本ばかりかヨーロッパのダンス・フロアでヒットするようになり、いろいろな人たちがこのアルバムの所在を求めて動いていたらしい。その結果、キーボードのダンカンと連絡が取れて、日の目を見るに至ったというのだ。

 ところで、この「Another Star」だが、オリジナルはスティーヴィ・ワンダー。名作中の名作『Songs in the Key of Life』に収められていて、これと比較して聴いてもらえれば嬉しい。といっても、もちろん、この『Songs in the Key of Life』は完璧な作品で、これ以上のものができるとは誰も思ってはいなかったと思う。JDsのヴァージョンがオリジナルより良いなんてことは、口が裂けても言えないけど、彼らのヴァージョンはこの曲に新しい局面を与えたようにも思える。いろんな人たちがカバーしているに違いないが、飛びに抜けて素晴らしいヴァージョンであるには違いない。


投稿者 hanasan : 15:20 | コメント (0)

2006年07月05日

Allen Tousaintのライヴでのこと

Allen Tousaint 詳しくはフォト・レポートにコメントを残しているので、ここでは繰り返さないが、急遽決定した来日に数多くの人が驚かされたアラン・トゥーサン。彼の人柄がにじみ出た素晴らしいライヴは、すでに自分の中で今年のトップ5にはいるだろうというほどのインパクトを残してくれた。

 といっても、それは、入れ替え制で行われた最初の公演で、2回目のは... 正直言って、かなりへこんだ。おそらく、その原因は「ゲストであるはずの」エルヴィス・コステロで、あの人のおかげでいい気分をぶちこわしにされたと言ってもいいだろう。噂では、コステロがアランと名前を連ねて発表したアルバムのプロモーションが目的で、急遽決定したのがアランのライヴ。だからこそ、タワー・レコードでの両者がそろったサイン会が開かれたり、品川のどこかで両者一緒のライヴが開かれたってことがあったんだろう。だから、今回「アラン・トゥーサン」のライヴに、おそらく、エルヴィス・コステロが顔を出すであろうことは、誰もが想像していたに違いない。

 が、当然ながら、このライヴは「アラン・トゥーサン」のライヴであり、両者の名前では打ち出されてはいない。ということは、わずかしかないチケットを必死の思いで入手したオーディエンスは彼を見に来たのであって、どれほど有名だろうが、スターだろうが、ゲストは「ゲスト」でしかないはずだ。が、この日の2回目の公演は、それを遙かに逸脱したものであり、はっきり言ってしまえば、アラン・トゥーサンに対して、あるいは、彼のファンに対して、実に失礼なものだったと思えるのだ。

 最初の3曲だけで終わってくれていたら... もう一度アランに声をかけられたときも1曲で終わってくれていたら、こんな気分にはならなかったんだろうけど、6曲か7曲だったと思う彼のステージは、どう考えてもやりすぎだ。お金を払って客としていっていたら、おそらく、文句のひとつぐらい言っただろうなぁ... と思う。

Allen Toussaint そのエルヴィスに対して、日本じゃ、おそらく、遙かに売れているだろう、中島美嘉の方が、この日は「美しかった」。といっても、正直言ってしまえば、この人のことはなにも知らない。どんな歌を歌っているのかも知らないし、この日までどんな顔をしているのかも知らなかった。一切出しゃばることもなく、(そうしたい気持ちはあったのかもしれないけど)そこにいただけ。加えて、アランがニューオリンズの生み出した天才、ルイ・アームストロングの名曲「ワンダフル・ワールド」を奏でながら、「美嘉は、本当に素晴らしい人間なんだ。彼女がどれだけのことを僕らにしてくれたか...」と語りかけていたシーンは、実に感動的だったし、実際、彼女は素晴らしい人なんだろうと思った。

 なんでもハリケーン・カトリーナの被害者へのチャリティとして『All Hands Together』という曲を、ニューオリンズのミュージシャンたちと録音したらしいんだが、その気持ちに僕は「音楽」を見たように思う。チャリティが偽善だとか、なんだとか言うのは簡単だ。が、なにもしようとしていない人たちに、そんな言葉を語る資格はない。それを確実に形にした中島美嘉にとってこの経験は、彼女のこれからにとてつもなく大きな意味を持ってくるんだろうと思う。

 そういえば、この日、なによりも感動したのはアラン・トゥーサンという人間の素晴らしさであり、だからこそああいった曲が生まれているんだという、単純な真実だと思う。だからこそ、「歌」が「歌」たり得るんだろう。『River in Reverse』(US import / 国内盤)というアルバムは、どう考えても、アランのアルバムじゃないだろう。それは、アランの面倒を見ている人物もはっきり口にしていたものだ。が、そのおまけで付いているDVDの中でアランはエルヴィスよりも遙かに重要だったし、あれを見れば、彼の偉大さや、歌の意味を再確認できる。だから、それを見るためだけでも、あのアルバムは手にしてほしいと思った。


投稿者 hanasan : 13:24 | コメント (0)