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2006年11月18日

Edgar Jones + 腰痛日記

Happy & Edgar Jones 朝、検査入院していた関東労災病院から帰ってきて、選択や更新作業と相変わらずの日常を満喫。そして、夕方には渋谷に向かって歩き出していた。この日は待ちに待ったエドガー・ジョーンズの東京公演初日。その撮影をすることになっているので嬉々として、うちから、また歩いていった。運動できなかったのはわずか2日間。だというのに、なにやら嬉しい。しかも、痛みを感じることなく足取りも軽かった。30分ほどで渋谷に到着し、宇田川町交番の裏にある安いラーメン屋で肉なす炒め定食、700円。なんとまずい米を食わせるんだ、この店は... と、思いつつも、この値段で文句を言うのは間違っているんだろうとも思う。この場所でこの価格。本当にまともなものを食べさせてくれるわけがないと考えるのが普通だろう。

 ちなみに、会場のクアトロでビールを一杯飲んだけど、翌日が港区の成人検査の一環としてやってくれる胃のレントゲン検査。夜9時以降はなにも食べてはいけないし、飲んでもいけないと伝えられているので、それ以降いっさいなにも口にしてはいない。

 この日のプロモーターはプランクトンで、アイルランドやマヌーシュ系のアーティストを数多く手がけている。先日、ハッピー&アーティ・トラウムを招聘したトムズ・キャビンと同じようにユニークなテイストを持っていて、二つとも大好きなプロモーターだ。

 想像していたのは、エゴ・ラッピンがサポート・アクトで登場するというものなんだが、受付で尋ねてみるとエドガーのセット中に彼らが登場して絡むというもので、写真撮影について確認。そうすると、エゴ・ラッピンのものについては「写真を確認してからでないと掲載できない」というので、「じゃ、撮影はするけど、使いません」と応えた。当然だろう。ジャーナリズムの世界で生きる人間がなんでそんな検閲を認められるわけがない。だから、ライヴが終わって朝までかかってアップした彼らのフォト・レポートには一切、エゴ・ラッピンは登場していない。

 いつも思うんだが、「掲載する前に写真を見せろ」とか「原稿をチェックさせろ」なんていうのは日本の「事務所」だけで、このあたりの体質は、日本じゃ音楽が「芸能産業の商品」でしかないことをまざまざと伝えてくれる。彼らにとってミュージシャンも、音楽も商品でしかなく、「商品に傷が付けられる」という発想でそういった圧力をジャーナリズムに押しつけてくるわけだ。海外でこんな目にあったことはないし、そんなことがあったら大騒ぎになるだろう。要するに、「表現の自由」から「報道の自由」に対する明白な圧力なのだ。

 特にライヴは「公共の場で繰り広げられる」ことであり、メディアはそれをさらに大きな公共の場に伝えることを旨としている。大きな責任が伴うことは当然として、その「情報を操作」しようということは、それ自体がすでに犯罪であり、もし、仮にそれが「表現者」とされる人間が試みようとしたら、その時点で表現者の自殺行為でもある。だから、逆にいえば、そういった試みをする人たちは「表現者」とは規定するも理解することもできない。

 これまでそういった人たちの取材を私は一切拒否してきた。ある時期まで取材してきて、自分の取材リストから姿を消したのはそういった「表現者の姿を借りた産業バンドやアーティストもどき」。とはいっても、今回たまたまこうなった先方は、おそらく、ここまで問題を大きく捕らえてはいないだろうと思う。彼らにとっては「業界の習慣」としてしか口にしていないのは、容易に想像できるのだ。当然のように、悪意もない。だから、彼らを嫌いになったわけでもない。なぜなら、全然話をしていないから。が、それこそが、「宣伝でしかない」音楽メディアを支えるものであり、それを自ら変えていこうとしない限り、彼らの音楽は「商品」としてしか伝えられることはないだろう。言うまでもなく、取材をしなくなった人たちは、その話を十二分にして、それでも理解しようとしない人たちであり、それ以降、私は彼らのライヴを見たこともなければ、音を聞いたこともない。彼らにそんな価値がひとかけらもないと思うからだ。

Edgar Jones さて、エドガーだ。楽しかった。なにやら、どこにでもいるようなお兄ちゃん的な表情を見せているのがエドガーなんだが、ひとたび歌い出すと、どっしりとした分厚い声が聞こえてきて、音楽が好きなんだなぁというのが良く伝わってくる。とりわけ、ジャズってことじゃないんだが、屈折した奇妙なジャズ風味にファンクやスカあたりの要素が絡んだ彼らの音楽が、ライヴではアルバム「よりジャズではない」雰囲気を打ち出しているのがおもしろい。楽器の構成は、下手からキーボード、ギター&サックス、バックにドラムスがいて、フロントにエドガーのヴォーカル。そして、上手奥にはウッドベースがいて、フロントにギターがいる。構成を見れば、かなりジャズ指向なのは当然としても、この奇妙な感覚がエドガーの色なんだと思う。

 エゴ・ラッピンとの絡みも楽しかった。当然ながら、日本での認知度が低い彼らを助けるためにエゴの二人がステージに登場してくれたんだと思うし、おそらく、わずかの時間でしかリハーサルができなかったにもかかわらず、いい感じのコンビネーションが出来上がっていたのはさすがだった。そのいい絡みを素晴らしい写真で撮影しているんだが、それを発表できないのが実に悲しい。また、その絡みのあと、アンコールで再び彼らが登場してエゴの曲でエドガーのバンドがバックで支えるという光栄があった。この時、ステージを降りて楽しそうに彼らの演奏を見ていたのがエドガー本人。その光景も写真に収めているんだが、当然ながら、それも公表することはない。これほどの楽しい時間を切り取った私の写真はこのままHDの片隅で埋もれてしまうのだ。それが、誰のメリットになるんだろうか? 

 ちなみに、朝目が覚めて隣の北里研究所で胃のレントゲン検査。ところが、腰痛がひどい。びっこを引きながら、やっとの事でとなりに出かけて3階で検査ななんだが、係りの人の対応の悪いこと。看護婦が「腰痛で困っていらっしゃるので」と話しているにもかかわらず、腰をひねるのでさえとんでもない苦痛が走るというのに、せかすように、そして、機械的に右向け、左向け、ひっくり返って... ああぁ、お前もこの苦しみを味わって見ろ! と、そんな悪態もつきたくなった。

 痛みは変わらず。やっと読み始めた『ヒーリング・バックペイン』だが、今のところ、『腰痛は怒りである』よりも理路整然として、自分には理解しやすいという印象。さぁて、これでまたなにを学ぶことができるんだろう。楽しみだ。



投稿者 hanasan : 2006年11月18日 11:30

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