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2006年11月30日

U2を見て、なぜがジョー・ストラマーに泣く

U2 ときおり、あり得ないようなことが起こる。今日は、そんな日だったのかもしれない。昔からの友人から誘われて、埼玉まで出かけてU2を見てしまった。たまたまチケットが余っていた(ということにしていきます)らしく、「U2見ない?」ときたので、「いいよぉ」と二つ返事で見に行った。

 本当はでっかい会場でのライヴは全然好きじゃなくて、そういった、いわゆる大物のショーは見たくないと思っているたちなのよ、私って。天の邪鬼だけじゃなくて、特に東京ドームは大嫌い。二度と行きたくないと思っている。なにせ、音が悪すぎる。いつかサイモンとガーファンクルのライヴを見た時なんて、ステージの音と手拍子のずれで吐き気をもよおしたこともあるし、アース・ウィンド・アンド・ファイアーを見た時には、警備員のあまりの態度の悪さにぶち切れて、途中で帰ったなんてこともあった。なにせ、あの野郎、俺の耳元ででかい声で怒鳴り散らしながら、椅子の上に立っている人間に注意をしていたんだが、あまりに耳障りなので、「うるせぇよ、この野郎!」といったら、「てめぇ、出てこい」と抜かしやがった。そうしたらそうしたで、隣の客がうるせぇ、と怒鳴ってくる。と、まぁ、めちゃくちゃ嫌な気持ちになったのが理由で、この会場でのライヴは絶対に行かないと決めたのだ。

 それに、大物は、基本的に、それだけで好きではない。奇妙なもので、売れていない時は取材をしたり、書いたりするし、興味もわくんだけど、スターになってしまうと、どこかで「俺がやる必要性はないだろう」と思うのだ。だって、やりたい人間はいっぱいいるし、自分なら面白いインタヴューができると思っても、面白いことをしているのに報われない人たちを助けることに時間を割いた方が有益だと考えてしまうのだ。だから、あまり興味はなくなってくる。でっかい会場で見ると肌で音楽を感じられないというジレンマも感じるからね。

U2 でも、U2はけっして嫌いなバンドではないし、どちらかというと好きなバンドだから、それに、さいたまスーパー・アリーナって行ったこともないし... と、行くことにしたのだ。

 ただ、今のU2は全然知らない。自分が知っているのは『War』とか、『Boy』に『October』から、『Unforgetable Fire』、『The Joshua Tree』あたりまでで、それ以降はほとんど聞くことはなくなったから、最近の曲なんて全然知らない。友達は『How to Dismantle an Atomic Bomb』に収録されている「Vertigo」ぐらいは知っているはずだという。なんでもiTuneの宣伝で使われたらしいんだが、さぁて、全然思いつかない。

 そんな状態で出かけたのだ。でも、感動して泣いてしまったのね、実を言うと。実際、知っている曲はあまりなくて... 隣の客がうるさいぐらいにほぼ全曲を歌っていたので、なんか申し訳ないなぁと思ったほど。でも、最初に出てきた知っている曲が「I Still Haven't Found What I'm Looking For」。けっこうジ〜ンときました、正直。実は、The Chimesという、ソウル・トゥ・ソウルがヒットした頃の同じような流の中で出てきたバンドが、この曲をカバーしていてそのヴァージョンが大好きだったんですね。といっても、彼らのアルバムはすでに廃盤でほとんど入手できないようで、2〜3ヶ月前にアナログからCDを作って、iPodにも入れてよく聞いていたので。

 その次が「ブラディ・サンデー」です。この時、途中でザ・クラッシュの「ロック・ザ・カスバ」(『Combat Rock』)のフレーズが出てきて.... ボーノがジョー・ストラマーのことを話し出したんですよ。具体的になにを話したのか、全然覚えていないんだが、そうしたら、ジョーの顔が浮かんできて.... 当然、「ブラディ・サンデー」が語っていることがなにかは知っているわけで... その流の中でジョーのことを思い出してしまったのだ。最後までビジネスに自分を売ることなく、闘い続けた彼の人生のこと、個人的な彼との思い出や彼がやってきたことなんかがめいっぱい頭のなかにわき起こってきて... 「いつまでこの歌を歌わなければいけないだ」というフレーズで涙が頬を伝ったわけです。

 それからは知っている曲もあったけど、知らない曲でも、そんなことは関係なくて、なんか感動してしまっていたわけです。ボーノが世界人権宣言のことを歌い、語り、イラクの問題のことを語り、「共存すること」を訴え、アフリカの貧困のことを歌う。それが「慈善」で言っているのではないことも十分知っているものだから、なんかジ〜ンと来るんですよ。なんかそれが嬉しかったし、同時に、会場に集まっていたお客さんたちも一緒に歌っているんですね、そういった歌を。この人たちって、本物なんだなぁとひしひしと思いました。

 イカン、新しいアルバムもきちんと聴かなくっちゃ... と、反省もし、感動もした一晩。そして、一緒にライヴを見た友人と、そんなライヴのことからジョーのこと、そして、今抱えている腰痛と、おそらくは、自分が転機にさしかかっているんだろうといったこと、そんなことを語り明かした一晩。なんと充実した1日を過ごせたことか!



投稿者 hanasan : 01:05 | コメント (0)

2006年11月28日

Simon & Garfunkel : Bridge Over Troubled WaterでもStill Water

Simon & Garfunkel 昨日、「さて、一段落したし、散歩にでも出ようか」と思ったのが10時前。その時、見てもしないテレビが付いていたのがいけなかった。ここから聞こえてきたのがサイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』(UK import / 国内盤 / US import)で、そのまま歌に引きつけられて、この番組を見る羽目になってしまった。

 番組のタイトルは『プライム10』というもので、この日のタイトルは「世紀を刻んだ歌 - 明日に架ける橋・賛美歌になった愛の歌」となっていた。一番最初からじっくりと見ていたわけではないんだが、気がついたのはこの曲が9/11の後にアメリカで放送自粛されたというくだりではなかったかと思う。なんでも、3番目の歌詞が「飛行にを思わせる」とか、そんなところがひっかったかのような話ではなかっただろうか。といって、それほど正確には覚えてはいない。それよりも、この曲が発表されたのが70年で、ヴェトナム戦争時代の「低迷していたアメリカ」(だけではなかったと思うけど)を象徴する1曲として大ヒットしたこと、そして、この番組で取材された誰かが「9/11以降だからこそ、この曲が聴かれなければいけないんだ」なんてことを語っていたように覚えている。

 いずれにせよ、そういった「放送自粛」なんて受け入れる土壌が、自ら「表現の自由を放棄する」事態を生み、「政府による放送命令」を受け入れるメディアを作り出している。なんでNHKに対する支払いを拒否しているかと言えば、NHKが「中立、公正な報道をしていない」政府機関でしかないからで、政府や自分の曲の宣伝番組が主流を占めている、要するにプロパガンダの放送局だというのが大きな理由だ。それに、有無を言わさないで勝手に電波を押しつけて「金払え!」というのは押し売り以外の何ものでもない。だったら、うちだけ、電波を送らないでほしいと真剣に思っている。

 おっと、また話がそれてしまったが、この番組で実は、この曲がゴスペルからヒントを得て生まれたことや、あの3番目の歌詞が録音を始めた時にはできていなかった裏話が伝えられた。う〜ん、そうなんだぁ... と頷くことしきり。60年代末期からに数々のヒット曲を飛ばしていたのがサイモンとガーファンクルで、当時はラジオこそが音楽の入り口だったから、いろんな曲を聞いてはいたし、知ってもいた。でも、そんな裏話は全然知らなかった。おそらく、ファンだったら、それぐらいのことは知っているんだろうが、いろいろな意味で新鮮だったのがこの番組。それに、たった1曲の歌を取り上げるというのも嬉しかった。自分を振り返っても、わずか1曲で人生を変えられるほどの(実際にそうなった曲もある)歌を取り上げて、それがどんな風に広がっていったのかを、実際に旅をしながら追いかけていくというドキュメンタリーの作り方が嬉しかったのだ。

Aretha Franklin この曲を追いかけて南アフリカに向かったのがこの番組。プレゼンターというのが緒川たまきという女優なんだが、すいません、私、この人全然知りません。いずれにせよ、彼女が南アフリカに渡り、まだアパルトヘイトという狂気がこの国を支配していた時代から「明日に架ける橋」が聞かれていたことを見つけだしていくという構成だ。といっても、彼らが知っていたのはサイモンとガーファンクルのヴァージョンではなく、アレサ・フランクリン。これが面白い。そのヴァージョンを聞くと、ポール・サイモンがゴスペルからヒントを得て作ったこの曲が、ゴスペルとして蘇っているのがわかる。そして、そのヴァージョンが、当時、人種差別によって耐え難い圧力の下で生活せざるを得なかった人たちの「支え」となっていたことが伝えられるのだ。

 そして、この曲がアパルトヘイトへの闘いへの力となっていったらしい。といっても、もちろん、自分自身がこの国で闘い続けたミュージシャンに何度も出会っているし、あの闘いに力を貸した曲は無数にある。ショットガンを持った警官隊に踏み込まれながら歌い続けたジョニー・クレッグもそんなひとりだし、そのあたりの話は自分のライナーに書いているはずだ。(Heat, Dust & DreamsShadow Manを読んでくだされ)他にも、ピーター・ゲイブリエルのBikoにシンプル・マインズもStreet Fighting Yearsというアルバムで「マンデラ・デイ」という曲を発表しているし、なによりも、スペシャルズのジェリー・ダマーズがSpecial AKAの名の下に発表したIn The Studioで録音した名曲「Free Nelson Mandela」も忘れてはならないだろう。これは、彼自身から聞いた話なんだが、自分の作ったこの曲が南アフリカの反アパルトヘイトのデモで歌われていたのを聞いた時、涙が止まらなかったそうだ。

 番組では、アレサ・フランクリンのヴァージョンが、地元のゴスペル、しかも、独特の南アフリカ、おそらく、ズールーではないかと思うが、そのスタイルで歌い継がれている様子を描いて終わっていった。それを見終わってから、夜の11時だというのに、夜中の散歩に出かけていったのだが、当然ながら、この日の音楽はアレサ・フランクリンの『30 Greatest Hits』。自宅から明治通を渋谷に向かい、そこから246を左に折れて、新山手通へ。駒沢通りとの交差点を恵比寿に向かって歩いたんだが、ランダムに設定したiPodからはなかなかこの曲が聞こえてこなかった。ところが、友人の店でビールを一杯飲んで、休憩した後、店を出て聞き始めたら初っぱなに流れてきたのがこのヴァージョン。いいねぇ、Still Water Runs... とかなんとかって、コーラスが聞こえてきて、ひょっとしたら、アレサが「ゴスペルからヒントを得た」というこの曲を、意図的にそのヒントを得た曲に近づけようとしたんじゃないだろうか... なんて想像してしまった。さて、本当はどうなんだろうね。



投稿者 hanasan : 13:20 | コメント (0)

渥美清 : あゝ声なき友 - 戦争は終わってはいない

渥美清 この流れがどこからきているのか... よくはわからないが、おそらく、しばらく前にここに書いた白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々- を見て思うことに端を発しているのではないかと思う。もちろん、その『白バラの祈り』はきっかけであり、逆に、あまりにばかばかしい内容だった『男たちの大和 / YAMATO 』への反動として、今から60年以上も前の戦争をまともに見つめた作品はないんだろうかと、日本の映画を探し出したところから、渥美清主演のこの作品,今井正監督による『あゝ声なき友』にたどり着いたように思える。といっても、これが本当に素晴らしい映画なのかという判断はまだできではいない。ただ、これを見て、日本の映画人の「良心」は見えたように思う。

 映画は、すでに「寅さんシリーズ」が始まって、人気者になり始めていた渥美清が、自分でプロダクションを作って制作したという作品。おそらく、どこかで彼が「戦争」や「平和」といった問題にこだわっていたのではないかと想像できる。ストーリーは戦争で生き残った西山民次(もちろん、演じるのは渥美清)という人物が、戦争で亡くなった戦友たちに託さされた遺言状を配達するというもの。主人公は8年かけて、その遺書を宛名の人々に届けていくんだが、そのそれぞれから「戦争」が彼らの人生をどう変えていったのかをのぞき込もうとしている。おそらく、その全てが「戦争」のもたらしたことだったんだろう。といって、とりわけ全てが不幸な生活をしているわけでもなく、それぞれの人生がそこにあるというだけなのかもしれない。あまりに劇的な出会いや別れの描写は、どこかで作り物的にも見えるのだが、それでもそういった偶然を数多く体験している身としては、実際の人生がそういったものなんだろうとも思える。そんな作り手の作為はどうであれ、どうしても「戦争」から離れて人間が存在はしていなかったということだけはわかるのだ。

 単純に戦争を憎んでいるとか、批判しているといったものでもない。もちろん、根底にその意識が脈々と流れているのはわかるのだが、どこかで優しい視点を持ちながら、お人好しの西山が最後に漏らす台詞こそがこの映画のいいたかったことではないかと思う。それをここに書くことは、作品の紹介としては最低なんだけど、あえて書けば「俺には戦争は終わっていないんだよ」という言葉だった。その通り、その感慨は、戦争が終わって10年後に生を受けた自分にも言える言葉なのだ。こんな若造になにが言えるのか? おそらく、あの世代の人たちは言うんだろう。が、自分には戦争に行った父親がいる。その父親と始めたインタヴューはまだ1時間ほどでしかないが、強烈なものだった。さらに加えて、消えることのない日本と韓国や中国との関係はこれを避けては通れないだろうし、その地に生きる友人たちとのつながりのなかでも、同じような意味を持ってこれがあるのだ。そんなことを考えさせられる。

渥美清 同時に、渥美清という俳優にも興味を持った。私の世代にとって、初めて彼を意識したのはまだモノクロ・テレビの時代のドラマ、『泣いてたまるか』だった。このリンクはその第20巻で、この時のエピソードのタイトルが「男はつらい」というもの。ここからギネス・ブックにも載ることになった「寅さん」のシリーズが生まれているという話を読んだことがある。そんな意味でいえば、さまざまなキャラクターを演じながらも、「寅さん」の原型とも言える「渥美清」が見えるシリーズなんだが、それぞれのエピソードが完結するというもので、毎回違った「人」を彼は演じていたのだ。それでも、どう転んでも渥美清でしかない強烈な個性が光っていた。これはテレビ幕開け時代の大ヒット作で、いつかこれがどこかの出版社(通販を中心としてやっているところ)が発売した時に、両親のために全巻をそろえたのは一昨年ではなかったかと思う。私達の世代にはそれほど大きな「ぬくもり」を与えてくれたシリーズだったのだ。

(余談だが、この「泣いてたまるか」のシリーズには青島幸男も主役として出ている。全てが渥美ではなかったらしいが、自分の記憶のなかで、どうしても渥美清がこの「泣いてたまるか」の人となって残っている)

 あのシリーズは66年だったというから、自分はまだ11歳。それでも、漠然と覚えているし、頭から離れなかったのがこのテーマ音楽。だというので、一昨年かに、『ゴールデン・ベスト』なんて企画もののアルバムを購入している。

「天(そら)が泣いたら、雨になる。山が泣く時ゃ、水が出る。俺が泣いても、なんにも出ない...」

 と、その曲を聴きたいがためにこのアルバムを購入し、実は、ソウルフラワーの中川君に聞かせたら、いつだったか、モノノケのライヴでこの曲を歌ってくれた。さすがに反応はしょぼくて、すすめたことに責任を感じたし、世代の格差を目の当たりにしなければいけなかったけど、自分には名曲なのだ。

 今回、『あゝ声なき友』を見て、なにやらむくむくと渥美清への興味が出てきてしまった。私生活を一切人には見せなかった人だという噂は聞いていたんだが、実際はどんな人だったんだろう。というので、(オヨヨ大統領シリーズで楽しませてもらった作家)小林信彦が書いた『おかしな男 渥美清』や大下英司による『知られざる渥美清 』なんぞを読んでみようかと思ったり... なんでも今年は彼の没後10年らしく、いろいろな企画が出ていたらしいが、今回見た映画に始まって、そんなことまで知ることになってしまった。

 ああ、読みたい本も見たい映画も山ほどあって、聞きたい音楽も数え切れない。しかも、それぞれ体験して書きたいことも伝えたいこともどんどん出てきてしまう。とんでもない性を抱えたものです。ひょっとしたら、それも腰痛の原因か? 笑ってしまいますな。



投稿者 hanasan : 03:35 | コメント (0)

2006年11月27日

夏樹静子 : 腰痛放浪記 + 私の腰痛日記

夏樹静子 夏樹静子というミステリー作家が書いた『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』をむさぼるように読んだ。かなりの部分を占めている「苦しみの記録」は、ちょっとくどいようにも思えるのだが、おそらく、実際にこの奇妙な腰痛を経験したものにしか彼女の気持ちは理解できないだろう。だが、すでにそれを経験し始めた自分には、いろいろな側面でこの苦しみが絶望的な「痛み」を与え続けているのがわかるし、この部分を読むのは「苦」ではなかった。もちろん、どこかで「早く先に行ってください」と思う気持ちがなかったわけではないし、「現実に希望を求めて」この本にたどり着いた人間にはまどろっこしいかもしれないというのも理解できる。が、それだけ彼女の経験が「現実の出来事なのだ」ということがひしひしと伝わってきた。

 実際、笑われようがどうしようが、自分だってこうやってブログで書かざるを得ないほどに、「腰痛」が自分の生活を変えてしまったのだ。毎日目が覚めて、最初に思うことは「今日は、どうなっているんだろう。ひどくなっているんだろうか、良くなっているんだろうか...」そして、ベッドを出る時に感じる「痛み」に、また、「どうやったらいいんだろう」という1日が始まるのだ。

 そして、これまで得た情報で「考え」始める。今日も運動をして、ストレッチをして... ところが、それを続けてもいっこうに良くなる気配も見せず、「痛さ」は増すばかりだ。ひょっとして、そうなってはいないのかも知れないが、ほとんど条件反射のように「痛さ」に全神経がいってしまうのは間違いない。ちょっとましだと思って、あるいは、ちょっとひどいと思って一喜一憂する姿は、それだけで自分の生活が「腰痛」を核にしてプログラムされていることに気がついてしまうのだ。実際のところ、今の生活は「腰痛」なくしてなにもないほどに振り回されている。

 その「腰痛」のせいで、これまでなにをしてきたかは、逐一ここで報告している。『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』から『腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべて』という本も読んだ。毎日のように散歩を称して1時間以上を速歩で運動したり、上述の本に関して思考をめぐらしたり... 「読んだら腰痛はなくなる」と言われる『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』に関して言えば、確かにどこかで「納得」できる内容だったし、それでも、プログラムされた「心」と「身体」の関係は簡単に突き崩すことはできないでいる。彼らにすれば、「きちんと理解していない」からだと言うんだろうが、そんなに簡単に理解できるのだったら、こんなに苦しまないだろう。その「理解」が難しいんだと思う。

 が、どこかで、おそらく、それこそが原因なんだろうということは気付き始めている。それを決定的にするのは、先に報告した関東労災病院での造影撮影による結果になるはずだ。これは単純に私の感でしかないんだが、「なにも悪いところはない」という結果がでてくるように思える。医師は、単純な断言を避けるという傾向があるから、そこまでのことは言わないかもしれないが、「結果を見ると、確かに若干の問題はないことはないんだが、一般的にはこれだけのことでそんな痛さがでてくることは想定できない」というのではないかと思う。全くその通りだったら、笑えるんだが、なにやらそうなりそうな予感がしてならない。実際、この前に通っていた北里病院でも同じような報告を得ている。MRIによって腰と首をチェックしているんだが、「これぐらいだったら、ひどくないんですね」と言われているし、そのあたりの世界で仕事をしている弟にその写真を見せても、「こんなん、普通やで」と一笑に付されてしまった。

 だからこそ、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』の結末に納得してしまうのだ。結局、彼女が頼っていたのは平木クリニックの医師、平木英人氏。彼は心療内科のエキスパートで、「心因によって慢性疼痛が生じる」という考え方の下に、その原因を探し出し、対処していくのだ。その処置の様子がこと細かく書かれているのがこの本で、それを読むと、「そうなんだ」と大いに納得できる。平木英人氏の著書を見てみるとパニック障害の権威のようで、この病院が主な病気の解説としてパニック障害、うつ状態などが慢性疼痛と一緒に並んでいる。ここまでいろいろなことを調べてきて、要は精神にあり、この腰痛は「精神病」なのだと思うに至った... と言ったら、「俺、頭が変になったの?」と言われそうだが、非常に広い意味での「精神の病」という意味では確かにそうではないかと思う。

 それがこの『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に詳しく記されているのだ。「自分自身の奥底に眠る、そして、実は、自分の心だけではなく、身体もコントロールしている潜在意識」に向かい合っていく様子が、「確かにあったことと」として記録されている。それが、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』よりも遙かに現実のものとして伝わってくるのだ。学問として後者は、実に理解できる。が、実際に、どうすれば、そうできるのか? 潜在意識に向かい合えるのか? それほど簡単なことはないし、だからこそ、今もどうすればいいのかわからない自分がいるように思えるのだ。が、夏樹静子女史の記録は、全くの暗闇のなかにほのかに姿を見せた一筋の光にも見える。

 しかも、そのために彼女が平木医師と共にやった絶食治療の話も面白かった。心因性の問題に向き合うために、ただ「精神」だけではなく、それを共存することで人間と為す「身体」を共に癒す... と言うよりは、本来の力を取り戻すための方法として絶食を取り上げ、それがどういった効果を生むかに関しても詳しく記されている。「潜在意識」(サーノ博士によると「怒り」なんだろうが)が自律神経に働きかけて、身体に変調をきたしていくと知ったのだが、人間本来持っている自然治癒能力を高めるために「絶食」という方法論があるんだそうだ。

 そういったプロセスを経て、彼女は「潜在意識にある自分」と向き合うことで、この腰痛を乗り越えていくことになる。そのあたりに関して書かれている部分にも、自分自身との共通項をたくさんみつけることができた。これは性格の接点なんだが、当然ながら、性格を変えることはできないと思う。が、そうではなく、「潜在意識」に向かい合うのだ。それこそが必要とされていることであり、そんな作業のために最も必要だったのがこの本ではないかと思えるようになった。おそらく、それは簡単ではないと思うし、これをくぐり抜けるにはまだまだ時間がかかるだろう。が、ここにも記されていたように、この「腰痛」は自分に「必要」なんだと思う。人間として生きていく上で、今、経験しなくてはならない人生の転機として、潜在意識が私の身体に語りかけているものであり、それに向き合うことで、新しい自分、あるいは、まだ見ぬ自分にたどり着くんではないだろうか... 逆に言えば、そんな期待さえ感じてしまうのだ。

 なんで腰痛から「新しい自分なんだ?」と思う人もいるだろうし、これを経験しなかったら、こんな結論に達することもないだろう。が、予感がする。いずれにせよ、失うものなんてなにもないんだから、これでいいじゃないかと、今、自分に言い聞かせているところ。だから、これからもこの記録を続けていこうと思う。夏樹静子女史とは比較できないが、自分だって、ものを書くことを生業としてきた人間のひとり。自分がこうやって書き続けることで、自分を救い出したいし、同じ「痛み」を感じている人にとって、どこかで光明となるかもしれない。

 さて、これからどうなることやら.. 若干の不安はある。でも、必ず、抜け出すし、「腰痛」からおさらばする意志はますます強くなってきたし、どこかでちょっとした自信が出てきた。そんな意味でも、この『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』は素晴らしいと思う。少なくとも、今、腰痛で苦しんでいる人は絶対に読むべき本だろう。



投稿者 hanasan : 14:09 | コメント (0)

2006年11月26日

ウォーク・ザ・ライン (Johnny Cash)に泣く + 腰痛日記

ウォーク・ザ・ライン  本当は、天気も良かったので散歩に出たいと思っていた。10数年ぶりに巣鴨にでも出て、(もうないかもしれないけど)当時食った八目鰻の店でも探してみようか なんて思っていたんだが、それを邪魔したのが七輪だった。って、なんのことかわからないと思うが、数年前、サンマを焼いて食いたいと思って七輪を買っていたのだ。ところが、練炭を買う店が見つからなくて、埃をかぶっていたんだが、先日インターネットで福田屋というのをみつけて注文。念願叶って、ちょいと時季外れだが、サンマを焼いて食った。ベランダで焼いたんだが、煙が部屋の中に入ってきて、けっこうな目にあったのが笑える。それでも、実にうまかったのだ。その流れで、昨日も昼から火を付けて、いつでもコーヒーや紅茶を飲めるようにしていたんだが、その火がなかなか消えないというか、持ちがいい。そんな状態で、当然、家を出ることができないというので、結局はうちにいる羽目になったのだ。

 というので、見たのが巨人、ジョニー・キャッシュの伝記的な映画『ウォーク・ザ・ライン』だった。数日前にも見ようと思って、見始めたんだが、途中で睡魔に襲われて、「こりゃぁ、ダメかなぁ」とも思った作品だ。一度、どこかに飛んだときに機内でも放映されていたんだが、それも途中で寝てしまったといういきさつもある。だから、全然期待していなかった。

 ところが、はまった。めちゃくちゃはまった。ストーリー自体は、以前見たレイ・チャールズの伝記映画『Ray』(つい先日まで1000円以下で購入できたのに... もうダメみたい)と似たり寄ったり。まぁ、白人だから人種差別みたいなものが立ち入る余地はなかったけど、貧困問題というか、そういったものはちょっと顔を出していたので、流れは同じだと思う。ただ、これはラヴ・ストーリーが中心で、そのあたりの力点の置き方が良かったんだろうなぁ。はまりました。

Johnny Cash  といっても、彼のことをよく知っているのでもなく、持っているアルバムといえば、『Uneared』というボックスセット(買った当時はわずか5000円ぐらいだった)や、『American Recordings』に『American III』ぐらい。全てリック・ルービンと組んだ、比較的新しい作品で、正直言って、彼の魅力はよくわからなかった。実際、このボックスで一番嬉しかったのはジョー・ストラマーがスタジオのジョニーを訪ねていった時に撮影された二人の写真で、ジョーの嬉しそうな顔が忘れられない。すでに二人ともこの世にはいないということが、そんな想いに拍車をかけるんだろうが。

 それでもジョニー・キャッシュが偉大なカントリーのアーティストであり、彼に対する評価は知っていた。かなり前にグラストンバリーで生を見ているんだが、あの時の反応も凄かったし... その一方で、実をいえば、自分にとって魅力だったのはジューン・カーター。カントリー系の音楽を知っている人だったら避けては通れないカーター・ファミリーのひとりであり、70年代にニッティ・グリッティ・ダート・バンドが中心となって、カントリー界の大物たちと若手が大集合して録音した『Will The Circle Be Unbroken』で聞こえてきたマザー・メイベル・カーターの声に惚れ込んでいたこともあるんだろう。当時知ったカントリーの曲が登場すると、それだけでも嬉しくなったものだ。

 そんな楽しみもあったんだが、なによりもジョニーのジューンに対する愛情と思いの丈やを映画と通じて知ることができたことが大きいように思える。だからなんだろう、この映画とクロスして、『Will The Circle Be Unbroken』の、出るわけがないと持っていた三作目『Will The Circle Be Unbroken3』での彼を思い出すのだ。このアルバムでジョニーが歌っていたのは70年代終わりに亡くなったマザー・メイベルとサラ・カーターに捧げるTears In The Holston Riverという曲。これがやけに悲しいのだ。特に、このアルバムが録音されたのは2003年。実は、妻のジューンもここで録音しているのだが、彼女が5月になくなり、ジョニーは、その後を追うように9月に亡くなっている。そんな事実が重なって、この曲がやけに悲しく響く。

Johnny Cash  実は、『Will The Circle Be Unbroken3』を制作した時にDVDも発表されている。メインになるパート、これを記念したライヴの様子はそれほど面白いと思ったことはなかったんだが、録音の様子を中心にまとめたドキュメンタリーがボーナスとして収録されていて、これが素晴らしい。なにせ、生きているジョニー・キャッシュがこの曲を録音している情景が、泣かせるのだ。それに、やはり今はもう亡くなってしまったヴァッサー・クレメンツなんかの顔も見えるし、彼らは今回のみならず最初の作品となった『Will The Circle Be Unbroken』のことなども、嬉しそうに語ってくれている。おそらく、カントリー・ファンにしてみれば、これは貴重だろう。

(なお、お買い得はこれまで発表された三枚の作品に上述のDVDがセットとなって売られている『Will The Circle Be Unbroken The Trilogy』。一時はこれが5000円以下で入手できたし、今でもマーケット・プレイスでは4700円以下で買えます)

 この映画のおかげでジョニー・キャッシュの初期のアルバムがかなり復刻されたようで、ドラッグ漬けの生活から復活して大ヒットを飛ばすことになる『At Folsom Prison』(US import / 国内盤)』なんぞ、この映画での話を知ってから聞くと、とんでもない魅力を感じるんだろうなと思う。それにジューンとのデュエット・アルバムも、そのものズバリ『デュエット』の他に、数々の作品が発表されている。というか、彼の場合、あまりに大物で、発表されている作品が多すぎる。なにを聞けばいいのか全然想像もつかないというのが正直なところですな。

夏樹静子 さて、腰痛ですが、全くいい変化は出てきてはいない。左臀部の神経が直接反応を起こしているような鋭い痛みはそのまま。かといって、デスクについて仕事をしている時には問題はないし、歩き始めると痛さはそれほど感じないんだが、立ち上がる時の痛さは格別で、正直ずっと寝転がっていた方がいいのではないかとも思えるほど。かといって、それは朝のことで、目が覚めた時にはそれほどの痛さは感じないのだ。ただ、立ち上がると「来る」。それに、デスクで仕事をしていて、立ち上がって動こうとすると腰をまっすぐにして歩くのはほぼ不可能だ。まるでおいぼれのジジィのような感じで歩く様は、おそらく、実に滑稽だと思う。といっても、こちらは必死だし、この痛さによる苦しみは経験したものにしかわからないだろう。

 そんな状況の下、夏樹静子女史が書かれた『腰痛放浪記 椅子がこわい』を新たに購入。到着してすぐに読み始めたのだが、彼女の気持ちが手に取るように理解できる。突然、腰痛になり、藁にもすがる想いでいろいろなものを試してきたことが詳しく書かれていて、それが数年続いたというのだ。自分の場合はまだ数ヶ月。それでも、すでにふたつの病院に行って、針も試みた。さて、次は整体かなぁなんてことも思っているんだが、友人がそれぞれ知っている『凄い人』を紹介してくれる。こんな流れも同じで、届いた日のうちにすでに半分は読んでしまった。さて、これからどういった展開で治っていくんだろうかと思うが、おそらく、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』といった世界に近づいていくのではないかと思っている。

 すでにその二冊は読んでいてるんだが、この本を買う前に見た読者の感想やお勧め文にある「読み終わったら、腰痛がなくなった」という事態にはなってはいない。というか、変化はないといった方がいいだろう。ストレッチはちょっとさぼり気味だが、毎日の運動としての速歩は続けている。といっても、雨の日にはできない。それに、すでに10日以上をこうした運動に費やしていても、なんの変化も出てはこない。もちろん、それぐらいの期間では筋力もクソもないんだろうが、ひょっとして、これこそが『ヒーリング・バックペイン』を書いたサーノ博士による「プログラム」ではないかとも思える。彼はそういった方法では腰痛がなくなることはないと断言しているのだ。要するに、呪術をかけられているようなもので、それを実行することは、本当の問題から目をそらすようなものだとも続けているのだ。

 だから、彼が何度もこの本で書いているように、「自分を見つめ」「ストレス」と思われるものを列挙し、その原因になるようなことについてじっくりと考えるようにしている。要するに、自分の脳に働きかけないといけないんだとか。「痛さ」なんてなんでもない。そうやって、無意識が自分に仕掛けているんだと、脳と対決をするんだそうな。だからなんだろう、時には、友人とまるで人生相談のような話をして、その問題を探し出そうとしたり... といっても、簡単には気づかないことが、実はとんでもないストレスの元になっていることもあるらしい。それがなになのか、わかれば、あっという間に腰痛が消えてなくなるというのだが、どうなることやら。でも、絶対に直してやろうと思っている。というか、この「痛さ」から飛び出してやると、決意している。今に見てろよ!



投稿者 hanasan : 09:43 | コメント (0)

2006年11月25日

Flags of The Fathers (父親たちの星条旗) + 腰痛日記

父親たちの星条旗 クリント・イーストウッドが記者会見か、インタヴューで語った言葉が真実だと思っていた。

「政治家たちがどれぐらいの人たちを殺してきたか...」

 と、そんな感じだったと思うが、正確には覚えてない。いずれにせよ、意味はわかる。その通りなのだ。政治家を権力者に置き換えてもいいだろう。権力を持つものが、弱者である「一般人」を殺してきたのは歴史が全て物語っている。だからというのではないが、硫黄島をベースにした彼の監督作『Flags of The Fathers (父親たちの星条旗)』は見たいと思っていた。そう語る彼の視点が絶対に前面に出ているに違いない。というので、昨日見てきた。

 といっても、いつもの散歩の流れで結末としてこれを渋谷で見たことになるんだが、今日のコースは自宅から麻布十番、御成門、新橋、銀座と出て、そこから秋葉原に出るかどうするか... 悩み出したんだが、まぁ、1時間も歩けば今日の運動は充分だろうから、丸の内ピカデリーで上映時間をチェックすると19時からだというので、まだ1時間半も時間が余っている。じゃぁ... と、渋谷に移動。食事をして、19時15分からの上映を見た。映画館で映画... なんて、どれぐらいだろうなぁ。前回見たのを覚えていないところを考えると、数年ぶりなんだと思う。(試写会では『グッドナイト&グッドラック』を見ていて、その時のことはここに書いている。)

 驚いた。あまりに観客が少ないのだ。平日... といっても、金曜日。しかも、夜19時15分の上映だから、もう少し人がいるかと思ったんだが、この映画、メディアで騒がれているのとは裏腹に全然人気がないのかなぁ。30人ぐらいしか観客はいないんじゃなかったかと思う。

 この映画になにを期待していたのか? 別になにも期待していたわけではないんだが、クリント・イーストウッドの視点にだけは期待していた。まさか、彼がジョン・ウェインの『硫黄島の砂』みたいな陳腐な作品を作るとは思ってはいなかったから。でも、感動もなにもしなかった。ただただむごたらしく、醜い戦争の姿を見せつけられただけのように思える。それは「戦場」という現場のことだけではなく、「戦場」から遠く離れたアメリカ本土でさえ醜くむごたらしかった。おそらく、イーストウッドが見せたかったのは、これなんだろうが、あまりに悲しかった。

父親たちの星条旗 ストーリーは基本的に、あの硫黄島に星条旗を立てたとされる人の息子が書いた本。日本で言えば、「肉弾三勇士」といった趣に仕立て上げられる兵士の息子の目を通して、あの激戦の模様とそのむごたらしいまでの戦争の事実が描かれているという感じなんだが、まず思い出したのは『プライベート・ライアン』だった。あまりにむごたらしい「戦争の事実」(と思える)シーンの連続に、人間のばからしさをこれでもかと見せつけられ、ファシズムに対する「戦い」をも正当化できないということを再認識させられるのだ。ちなみに、この戦闘シーン、気の弱い人にはお勧めできません。あまりにグロです。気持ちが悪すぎます。おそらく、本当はもっと凄惨を極めているんだろうけど、それにしても... 吐き気がしました。

 さらに、「英雄」が作られる。そこに果たしたメディアの役割を考えざるを得ないのだ。日本とて同じだった。「肉弾三勇士」を検索して調べてみればいい。ほぼ同じことが行われているのだ。当時の大新聞がこぞって「英雄」を賛美し、狂気の戦争にみんなを駆り立てていった。その結果がどうなったかをここでわざわざ記すこともないだろうが、簡単に言ってしまえば、「権力者による市民の虐殺」だ。「救国」や「愛国」のスローガンの下、市民のみならず、どれだけの兵士が無駄死にを強要されていったか、思い出せばいい。この映画では、その英雄たちが結局は落ちぶれて亡くなっていったことなどが語られているんだが、映画を見た後の帰り道でなにもかもがむなしく、悲しく、人間のあほらしさを感じたというか.... 

硫黄島からの手紙 そのエンドロールを見ながら、誰も席を立たなかったのは、その続編の宣伝が流れるからなんだが、立場を逆にして描かれたという「硫黄島からの手紙」がこの続編としてもうすぐ上映されることになっている。さて、それは同じ島での闘いをどう描いているんだろう。それも、見に行こうと思う。なぜか、このごろ、「戦争」が頭を離れないのだ。湾岸戦争からイラク戦争、そして、その結果としての「逆戻りの世界」に生きているのが我々だ。間近に「戦争」があるというのに、そして、それほどまで多くの人たちが「政治家」に虐殺され、その片棒を担がされているというのに、その実感を感じることができないもどかしさ... しかも、日本は今戦前を生きている。あの時代と同じことが繰り返されているというのに、誰も動こうとはしないし、肌でその危険を感じようともしない。なぜか?

 今、小林多喜二の『蟹工船 一九二八・三・一五』を読み返しているんだが、それも、そんな気持ちの流の中にある。初めてあの話を読んだのはまだ中学生の頃だったと思うから、ほぼ35〜6年ぶりにこれを読むことになったんだが、あの舞台になっているのは今から70年ほど前の話。気が遠くなるほど昔にも思えるし、そうでないようにも思える、そんな時代の話だ。それを読みながら、時代を考えるようになった。しかも、ここ数年、年に数回は訪ねることになっている北海道の鉄道の歴史も知った。あの枕木は、そのひとつひとつが人間の死体によってできたんだと、ここに記されているんだが、そんな時代の上に今があることをもう一度再認識しようと思う。私達の今は無数の市民の亡骸の上で成り立っているんだという思いが強くなるのだ。

 あの映画を見た帰り道、第二次世界大戦に対する反戦運動があったこと、その時に主力となったのがウッディ・ガスリーやピート・シーガーだったこと... そんなことを思い出していた。奇妙なもので、iPodのスイッチを入れて、流れてきたのがエリック・アンダーソンの名作『ブルー・リヴァー』。なにやら、ガ〜ンと頭をぶん殴られたような気持ちになって帰宅した。


投稿者 hanasan : 01:33 | コメント (0)

2006年11月24日

Sayonaraでシンクロ

Miyoshi Umeki しばらく前のこと、久しぶりに横浜の桜木町近くにある野毛小路のパパ・ジョンにいった。店に入ると流れていたのがこのアルバムだった。一時、入院していたというマスターのパパ・ジョンが「これはな、売れなかったジャズ・ヴォーカルのアルバムってシリーズでよ、出てたんだな」と、ニコニコしながら説明してくれたのがこの作品だ。アルバムの主はMiyoshi Umeki。で、その時に流していたのはアナログだったんだが、CDでも『シングズ・アメリカン・ソングズ・イン・ジャパニーズ』というタイトルで2001年に発表されていたのを後に知ることになる。で、このMiyoshi Umekiというのは、後にナンシー梅木と改名して数々のポップス・アルバムを発表していくんだが、そっちのナンシー梅木だったら、うちのレトロ系の棚にLPの1枚や2枚はあるはずだと思っていた。(結局、コンピレーションがそれぐらいあっただけでしたが)

 で、なんの流れかは知らないんだが、たまたまこのところはまっているのがiPodで映画を見ること。というので、そんな話も彼にしていたのね。要するに、一般に発表されているDVDなんぞをリップして、小さめに加工。iPodに入れる時には、英語の字幕だけにして、まぁ、電車かなんかで移動する時に、それを見ながら、英語を勉強するというものなんだが、当然、ここには名作中の名作しか入れてはいない。だってさ、映画をiPodで見るとけっこうバッテリーを喰うのね。それに容量だって喰われるじゃないですか。

 それで今入っているのが、『カサブランカ』(このヴァージョンの英語の字幕、最高です。)に『イージー・ライダー』やジャマイカ英語勉強のために『ロッカーズ』(自分が持っているのはイギリスで買ったヴァージョン)あたりなんですが、クラシックな映画の方が英語は素晴らしいというので、マーロン・ブランド主演の『サヨナラ』も入れていたんですな。で、これがシンクロなんですが、実はこの映画に出演しているのがあのアルバムの主、ミヨシ梅木なんですよ。

Sayonara びっくりですね、この偶然。しかも、それを知ってこの映画を見るとまた面白いんですな。

 映画のストーリーはというと、朝鮮戦争時代の兵士が日本に駐屯していて、日本人女性に恋をするというもの。主人公のマーロン・ブランドが恋に落ちるのが、「マツバヤシ」という歌劇団の女性で、当然ながら、これは宝塚を想定しているんですが、そのトップスターを落としてしまうわけです。そして、その前哨戦というものがあって、それが彼の友人、ケリーで、彼が一足先に結婚してしまったのがミヨシ梅木演ずるクラシックな日本女性。ご本人には申し訳ないんだが、けっして美人ではなく、どこかで野暮ったい感じ。それでも、「アメリカが望んだ日本人女性」の典型として描かれているんですな。なんでも彼女は普通に英語も話せるはずの、今で言う帰国子女系なんだが、この映画のなかではそんな表情を一切見せずに演じているところが面白い。まぁ、時代の設定のこともあるし、この映画が当時の日本をいい感じで描いているかどうかは.... よくわからない。なにせ、この舞台設定は私が生まれてからしばらく前のこと。よくわかりませんから。

 それでも、この時の演技が良かったようで、彼女は東洋人女性として初めてオスカーを受賞したというのだ。これはびっくりですね。当然ながら、日本では大騒ぎをしたと思うんだが、記録によると凱旋公演は、それほど好評ではなかったらしい。

 と、まぁ、偶然の一致で、パパ・ジョンをひさびさに訪ねたら、ナンシー梅木で一致した。先日バードにいった時にも「病は気から」なんて話で「ちょうどそのことを話していたのね」なんて言葉が飛び出てきたんだが、世の中ってそういったもの。どこかでなにかがつながっている。いやぁ、面白い。



投稿者 hanasan : 11:11 | コメント (0)

2006年11月23日

灰谷健次郎氏死去

灰谷健次郎 つい先ほどのニュースで知ったんだが、作家の灰谷健次郎氏が亡くなられたということだ。一時期、彼の作品にはまりまくって、なかでも最も印象が強かったのがこの作品、『太陽の子』だった。神戸の下町にある沖縄料理や『てだのふあ』の娘を主人公に描かれた小説で、沖縄のこと、戦争のことなど、いろいろなことを学ばせてもらった。

 かつて、Bay FMでラジオ番組のDJをしていた時に、沖縄音楽の特集をして、確かネーネーズの曲を数曲流しながら、この小説の一節を読んだ記憶がある。それは「沖縄の海の青」を、主人公のお父さんが話して聞かせている部分ではなかったかと思うが、それを読みながら涙が出てきたことがあった。けっして難しい文章を書く人ではなくて、子供にも読める、そして、理解できる簡単な言葉と文章で、とてつもなく深い世界を描き出していた彼の筆の力に心服したのがこの頃だった。

 あれから文庫として登場した彼の作品はなんでも読むようになっていた。『兎の眼』から『砂場の少年』、『少女の器』あたりが代表作なんだろうけど、これを機会にまた読み直してみようかと思う。

 いつだっけっか、友人に彼のことを話したら、「沖縄のええとこに家を建てて、地元ではあんまり人気ないでぇ」なんて言われたんだが、それがどういった意味なのか、自分にはよくわかりません。ただ、一連の作品を読んで、自分がぶん殴られたように感動したのだけは忘れられません。

 こういった「児童文学」とでも呼べそうな作品からどれほどのものを学ぶことができるのか、自分には語ることができないように思えるが、殺伐とした「教育制度」ではけっして語られることのない世界がここにはあるように思えます。

 また、ライフワークとなったという『天の瞳 (幼年編1)』から『天の瞳 (幼年編2)』、『天の瞳 (少年編1)』、『天の瞳 (少年編2)』、『天の瞳 (成長編1)』、『天の瞳 (成長編2)』も、かなりの量だけど、読んでみようかなぁなんぞと思っています。

 いずれにせよ、私にものを書くことの奥深さを教えていただいた方として、ご冥福を祈ります。



投稿者 hanasan : 16:30 | コメント (0)

Tom Waits到着 * 腰痛日記

Tom Waits さきほどTom Waitsの新しいアルバム、3枚組の『orphans』が届いた。現在、そのうちの1枚目を聴いているところ。さぁて、僕はこのアルバムにどんな感想を持つんだろうか。1枚目の『Closing Time』や2枚目の『The Heart Of Saturay Night』にぞっこんの身としては、どう転んでもそれ以上の評価を持つことはないようにも思えるんだが... 

 腰痛は相変わらず。といっても、異様に痛いときとそうでないときがあって、その違いがどこから出てくるのか全く想像ができない。昨日は、なにを思ったか、箱根に出かけてしまった。なんとなく、温泉に入りたいというのと、紅葉でも見ようかと思い立って家を出たのだが、ちょっと遅すぎましたな。2時にうちをで歩いて恵比寿まで約10分。それから新宿に出て、久々の小田急ロマンスカーで箱根湯本に出たんだが、その時点ですでに16時を回っていた。もう、薄暗いのだ。アホです。

 温泉の名前もうろ覚えではあったんだが、以前小田原に住んでいた頃に何度も行っていたから道は覚えているというので、そこから歩き出したのはいいんだけど、感でしか距離がわからないというのはかなり不安。しかも、さすがに山だというので、けっこう真夜中のように暗い。以前、青森にひとりでぷらっと行ったときの経験を思い出したしね。あれも同じような時期で、4時ぐらいだったのに真っ暗闇で下北半島のしがない温泉町に宿泊したことがある。宿ぐらい探せばいくらでもあるんだろうけど、不安になってしまうのだ。まぁ、同じような不安を感じてしまったのがこのときかな。

 といっても、天山という、銭湯のような温泉までに要した時間は30分。結局、そんなに遠くはなかったということだ。

 しばらく行ってはいなかったんだが、ちょっと変わっていましたな。昔は受付みたいなところでお金を払っていたんだけど、今は自動販売機。でもって、なか... というか、露天風呂も一番下の岩風呂が水風呂になっていて、以前は内風呂だったと思う場所がそのまま外に開かれていた。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど、身体を伸ばしてのんびりと風呂です。といっても、身体を伸ばすと、腰というか、左臀部の上の方なんだけど、ここが痛い。奇妙なもので、全く痛さを感じない座り方というか姿勢があって、そうやっていれば、まるで健康な人に見えるというのが腰痛の嫌なところですな。外見上は全くの健康体に見えるんだから。

ヒーリング・バックペイン 帰りは、さすがに歩きではなくバスで箱根湯本の駅に出て、そこから小田原を経由して東海道本線で品川に向かい、自宅に戻った。っても、ひさびさに飲もうかと思って中目黒のバードへ。ここは、いいんだな。音楽が好きな人がいっぱいいて、話題に事欠かない。お客さんもほとんど常連で、なんの気兼ねをすることもなく飲めるし、話もできる。自分にとって新しいお客さんだって、誰かの友人だったり... というので、この日は『腰痛談義』。話をしてみると、腰痛仲間がこんなにいるとというのが面白い。ホントに驚かされます。そして、それぞれが「ああすればいいよ」「こうすればいい」といろんなアドバイスをくれるのだ。それはそれでありがたいんだけど、このあたりが、ちょうど読み終えた『ヒーリング・バックペイン』では否定的に書かれている部分。さぁて、どうすればいいんでしょ。わかりませんなぁ。

 結局、バードでも、二軒目の寿司屋『いろは』でもほとんど痛さは感じなかったのに、三軒目でいきなりやってきたという感じかなぁ。強烈な痛さがおそってきて、ほとんどびっこを引くようにして家路についた。といっても、さすがに歩いて帰ることはできなくて、この日はタクシー。なにせ、歩くのもままならないほどの痛さだったのだ。

 さて、その痛さの変化はどこに起因するのか? 店か? 店にる客による精神的なストレスの変化か?『ヒーリング・バックペイン』を鵜呑みにするつもりもないんだが、これによると心因性のストレスが潜在意識化で自律神経に働きかけて『痛み』を発生させるというのだが、確かに、実際の運動や肉体的な問題に起因するとしたら、店の違いでここまでの変化が出るというのは実に奇妙だ。

ヒーリング・バックペイン とはいいながら、『では、どうやってそれを克服するのか』が問題で、このあたりをもう一度読み直してみようと思っている。なにせ、この本の宣伝文句ではないが、なによりも直すことがこの本を読んでいる理由なのだ。

 そういえば、数日前から毎月定額によるDVDレンタルのサービスに契約して、今、一ヶ月の無料サービス中。すでに『オリバー・ツイスト』と『シリアナ』が届いた。前者は昔のイギリス英語が楽しめて良かったけど、後者は... よくわからなかった。実際のところ、なにの映画なんだろうな。で、それを返却して代わりに届いたのが『ミュンヘン』と『ウォーク・ザ・ライン』で、その次に借りようと思っているのが『イノセント・ボイス~12歳の戦場~』と『ブラディ・サンデー 』。我ながら、音楽と政治的なものが多いなぁと思ってしまいますな。特に、『イノセント・ボイス~12歳の戦場~』はすごい期待をしているんですが、どうなりますことやら。

 とはいいながら、このサービス、無料期間だけで止めてしまうかもしれません。見たいものを検索しても出てこないし、結局は「あるものあら選ぶ」だけ。確かに安いし、便利だから、続けて本契約に入るのも手かもしれないけど、どうなんだろうなぁ... 判断しかねております。



投稿者 hanasan : 15:16 | コメント (0)

2006年11月22日

愛の唄、聴かせます Vol. 3 - Simple Man : Paul Williams

Paul Williams とどのつまりがラヴ・ソング、愛の唄につきる。そう思うことが少なくない。誰かに恋をしているとき、愛している人がいるとき、そればかりか失ったときにだって、いつも「愛の唄」が、どこかで自分を救い出してくれたり、癒してくれたり... だから、自分にとって宝物のような愛の唄を紹介していこう... と、そう思って始めたのが完全不定期なこのシリーズ。どんなものが飛び出すか、それはこれからのお楽しみ。さて、今回は?

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 実は全然好きでなかったカーペンターズのヒット曲の多くのを作ったのが、今回ご紹介するポール・ウイリアムスというシンガー&ソングライター。「雨の日と月曜日は」から「愛は夢のなかに」、あるいは、「愛のプレリュード」といった、誰もが知っている名曲を生み出したのは、背の低い、そして、全然男前でもなく、ひょっとしたら、かなり不細工な、嫌われ者の役を演じていた俳優でもあるというのが面白い。その俳優として最も有名なのが、『ファントム・オブ・パラダイス』という映画。そして、映画の音楽を全て担当した名作として知られるのが、まだ子役だったジョディ・フォスターが素晴らしい『ダウンタウン物語』だ。

 彼の声といえば、美しくもなく、なにやら簡単におれてしまいそうな弱さを持っているんだが、その声で歌われるラヴ・ソングが切ないほどに心に響くのだ。カーペンターズからダイアナ・ロス、スリー・ドッグ・ナイト... 彼の曲は他の人たちに歌われることで大ヒットを記録しているのだが、なによりも聞いて欲しいのが本人の唄。そして、数多く発表されている作品のなかで、ベストと言えるアルバムが今日取り上げるJusr An Old Fashioned Love Song』。そのものズバリ、『ただの流行遅れの恋の歌』と題されたこの作品だ。

 このなかで最も知られているのは、おそらく、「愛のプレリュード」で、同じくカーペンターズがカバーした「あなたの影になりたい」で、タイトル・トラックもスリー・ドッグ・ナイトで大ヒットしている。といっても、こういったタイトルをみていて思うのは、なんでそうなるの?という疑問。「愛のプレリュード」って、原題は「We've Just Begun」。「私達は始まったばかり」なのにこれだ。それに、「あなたの影になりたい」も「Let Me The One」と、「なにか悲しいことがあった時、苦しい時に頼ってくれる人になりたい」という意味で、どう考えても「影」ではないと思うのだ。まぁ、それはどうでもいいかぁ... と思いつつ、素晴らしい曲がてんこ盛りのこのアルバムで、もっとよく聴いたのが「シンプル・マン」(単純な男)と題されたものだった。といっても、面白いことに、このアルバムで唯一のカバー。実は、グラハム・ナッシュの曲だというのを、今回初めて知った。皮肉なものだなぁと思う。

 で、その歌はこんな風に始まっている。

I'm a simple man, and I sing a simple song.I've never been so much in love and never hurt so bad at the same time.

 僕は単純な男で、単純な歌を歌っているにすぎない。と始まり、これまでこんなに恋をしたこともなければ、同時に、これほど傷つけられたこともないと続くのだ。

I'm a simple man, and I play a simple tune. I wish that I could see you once again across the room like the first time. I just hold you, I don't want to hold you down.

 なんか悲しい予感がするでしょ? このあたり「僕はシンプルな男で、シンプルな曲を演奏する。もう一度君に会いたい。この部屋を通り抜けて、初めての時のように... 抱きしめたい。無理強いするのではなく。

I hear what you are saying and you're spinning my head around. I can't make it alone.The ending of the tale is the singing of the song. Make me proud to be your man. Only you can make me strong like the last time.

 と、実をいうとこのあたりの意味はよくわかっていない。おそらく、君の口にしていることが聞こえて、僕が振り回されている... ということだと思う。そして、自分じゃなにもできなくて、結局、ことの終わりはこの歌を歌うこと。君の男だったということに誇りを感じるし、最初がそうだったように、僕を逞しくしてくれるのは君...

 と、そう続いていく。でもねぇ、要するに、男は女に振り回され続けるってことのようにも思えるんですけどね。そういった優しさなんて、どこの女が理解してくれるんだろうと思う。かといって、こんな言葉のひとつやふたつかければうっとりしてしまう女の人ってぇのも、なにやら怪しいし... 実に、男と女、愛と恋の話は珍妙でまどろっこしく、理解不能なのだ。


投稿者 hanasan : 22:44 | コメント (0)

2006年11月21日

自民党は非国民である + 腰痛日記

なぜ変える?教育基本法 「愛国心」が笑える。今、憲法改悪の前哨戦として、クーデターのように教育基本法の改悪を強行したのが政権与党。こんな連中に「愛国心」を語れるのか? はなはだ疑問だ。というよりは、彼らこそが日本をアメリカに売り渡した張本人たちで、売国奴のそしりを免れないはずだ。単純に考えてみればいい。日本になぜ外国の軍隊がふんぞり返っていられるのか? 常時日本には5万人の米兵がいて、そのために自分たちの血税が使われて、連中がそこいら中を闊歩していやがる。うちの近所の山王ホテルは治外法権で日本の円も使えないし、日本人が普通に立ち入ることもできない。そこから出てくる米兵やその家族を見ていると、実に幸せそうで... そりゃぁ、そうだろ。彼らにとって日本なんぞ植民地なのだ。我が物顔でのし歩いていやがる。それを見てなにも思わないのであれば、それこそが非国民であり、愛国心のかけらもないということにはならないのかね?

 そんな状態を作ったのは誰か?自民党だろ?「国を守る」といういいわけに、日本を売ったのだ。沖縄を売り払ったのだ。どれだけ北朝鮮がアホな国だといったところで、「六カ国協議に日本はいらない」といった彼らの発言のぜひはともかく、その理由としてあげた言葉には否定できないものがあるのだ。

「どうせ日本はアメリカの言いなりだから、そこにいる必要性はない」

 ごもっともだ。これまでアメリカに疑問を呈したこともなければ、反論をしたこともない。それが戦後ずっと日本を引っ張ってきた自民党政権だろ? そんな連中に「愛国心」を語れるのか? 小泉が忠犬、ポチなら、安部はなになんだろう。彼の場合はもっと凶暴な素顔を持っているように思えるけど。

「いじめ」なんて言葉でごまかされている人権侵害、暴力行為、それに、「援助交際」と呼ばれる「売春行為」だって、そんな土壌を作ってきたのは、戦後ずっと教育を支配してきた自民党だろ? もし、そうじゃないとしたら誰なんだ? 日教組? 彼らがもっとしっかりしていたら、こんなことにはなってないさ。彼らが政府自民党に対抗できる力を持っていた時代はいつだったのさ? あったとして、それがどれだけ続いたのさ? 結局、今なんて「第二組合」程度ものじゃないか。かといって、第一組合が対抗勢力たる資質を備えられるとも思ってはいないけど。

 そんな売国奴たちが今、しきりに「愛国心」を語り始めた。彼らがいう「愛国」とはかつての右翼(大昔のだよ)が、語った「愛国」とは全く違った代物で、「愛国体」だろ? 国民が死に絶えようが、貧困に苦しもうが、飢えようが、「国体」さえ保つことができれば、それが「愛国」なのだ。そんなものクソ食らえ。

 と、そう思う日々。これも腰痛のせいで気が立っているからなんだろうか。

ヒーリング・バックペイン さて、『ヒーリング・バックペイン』を読みながら、毎日のように速歩で運動していることも、ひょっとしてTMSのワナなのではないかと思い始めた。この本でサーノ博士が強調しているのは、腰痛の原因に対する既成概念をまずは捨て去ることだとしている。要するに、原因だとされてきたことに対する論理的な証明は一切されていなくて、統計的なデータを見ても原因とされるものと結果が一致しないとしている。だから、逆にいえば、これまでささやかれてきた打開策も、実は、その呪縛なかで生まれてきたものであり、それを実行している間はけっして腰痛はなくならないのだ... としている。腹筋を鍛えたり、背筋を鍛えたり、あるいは、ストレッチで筋をのばすことでさえ、それは「既成概念を受け入れている証拠」なのであり、TMSをきちんと理解していないことになる。と、主張するのだ。もちろん、その一方で、通常の運動として健康のためにそれをやるのは全然間違ってはいないから、やめる必要性はない。なによりも、「普通に生活」することが重要であり、TMSを理解することが最優先されるべきなのだとしている。

 何度も繰り返しているけど、簡単に言えば、TMSとは潜在意識、無意識のうちに心的なストレスが自律神経に働きかけて身体に痛さを与えるというもの。そうすることで、その問題による精神の平衡感覚喪失から救い出す、あるいは、警告のようなものだとしている。だから、自分に向き合い、その心的なストレスに直面することでしか、痛さはなくならないとしている。しかも、痛さに害はない.. というんだけど... あるよなぁ。痛いから。ホントに痛いからね。それでも博士は「その痛さを感じるたびに、自分に条件付けをしている」というのね。こうしたら痛い、ああしたら痛い... それが「当たり前の生活」から自分を遠ざけ、ワナに陥っているんだと。そうは言うけどねぇ、実際にいたいからなぁ。こうすればいたいというのもあるし... どうすりゃいいんでしょうね。

 まぁ、わからないけど、とりあえずは、この本をきちんと読みましょ。じっくりと読みましょ。そして、その通りにやってみましょう。ストレスの原因だと思うものに直面して、それをリスト化して考えましょ。とまぁ、そうするしかないように思えるんですな、今のところは。

 でも、歩きは続けるつもり。汗をかくのは気持ちいいし、30年ほど前にイギリスから帰国した頃の体重は64kgだったんだから、それぐらいにまではなりたいじゃないですか。嬉しいことに、着実に減量していて、現在は72kg。一時期80を越えるような状態にあったことを考えれば、かなりいい線を行っているように思える。昨日はうちからいつもとは逆に五反田方面に出て、山手通から目黒通りを目黒に向かって、三田通りへ。そこから恵比寿に出て、ウェスティン・ホテルの前を通って、帰ってきた。久しぶりだったので1時間と20分ぐらいの散歩。でも、びっしりと汗をかいて、天気のいい今日はお洗濯と、なにやら実に健康的な日々を送っているような気がする。おかげで飲み屋で使う金も減ったし、経済的なことこの上ない日々。貧乏人は歩け! と思うなぁ。



投稿者 hanasan : 14:58 | コメント (0)

2006年11月20日

連日のEdgar Jonesにリトル・クリーチャーズ、そして、やはり腰痛

Edgar Jones 前日の渋谷クアトロでエドガー・ジョーンズを見た後は、速攻で帰宅した。なにせ、その翌日、できるだけ早い時点でレポートをアップして、より多くの人に、この特異な味を持ったアーティストを見るチャンスを与えたいと思ったのがその理由。なにせ、こういったアーティストが何度も何度も来日することができるわけではなく、次はいつになるかなんてわからない。何度も来日している大物アーティストだとか、すでに実績もあるような人たちに関しては、そんなに焦る必要もないし、自分がわざわざ骨を折ることもないと思うんだけど、「好きなアーティスト」で、売れていないだろうなぁ... なんて思うと、そんな気持ちが出てきてしまう。なんとまぁ、損な性格だこと。

 会場は代官山ユニット。当然のように、自宅から歩いて会場に向かった。といっても、いつも歩いている距離を考えたら、非常に短い。時間がないから、いつものように運動のための歩きはできなかった。実に残念。しかも、翌日朝から始まった雨は全然止むことなく、ここ数日、全然運動していないことになる。特に、このライヴの日は腰痛がひどく、撮影するのも大変だった。なにせ、動くたびにキリキリとした痛みが走るのだ。そのせいか、撮影に集中できない。もちろん、ある程度の写真は撮って当然だし、それは見てもらったらわかるんだけど、こんなことのためにシャッター・チャンスをかなり失ったのは確かだと思う。だから、早く直さないと... 絶対に直してやると、また決意を強くするのだ。

 この日のライヴの後、エドガーのアルバム『Soothing Music For Stray Cats』を日本で出してくれたT氏と、この日のサポート・アクトとしてステージに立ったリトル・クリーチャーズのドラマー、栗原氏と、けっこう深い話をしてしまった。音楽メディアのあり方から今の音楽の意味などなど。その時、「今、僕らが聞かされているのが音楽だと思っているのって、おかしいよね」という言葉が自然に出てきてしまった。テレビやラジオから聴くものに襲いかかるように押し出されてくるものが、自分には音楽だとは思えないし、僕らは「音楽を聴く」という行為さえも失ってきているのではないかとも思う。

 このことはいつも思っているんだけど、特にCDの時代になってから、僕らは本当に「音楽を聴いているんだろうか」という疑問が強くなっている。確かにCDはLPよりも多くの時間の音楽を詰め込めることができる。アナログだったら片面で30分が限度で、両面でも60分。といっても、たいていの場合、片面で一区切りということで、じっくりと音楽を「聞く」時間を作り、そうしていたように思えるのだ。人間が集中して音楽を聴くことができる時間なんて、そんなに長くもないだろうし、そんな意味で言えば、CDは「音楽を聴く」ためではなく「流す」ための道具なんじゃないだろうか... とも思えてしまうのだ。

 おそらく、そんな反動のなかで再びアナログを引っ張り出して聞き始めているようにも思うし、iPodというデジタル・オーディオ機器に音を入れる時にも、中心となるのが昔の音楽になってしまうんじゃないかとも思う。あるいは、単純に年齢のせいかねぇ? 実際のところ、CDでしか発売されていないここ10数年のバンドのことは、ほとんど知らないし... なんだろうね、この変化は。

Karen Dalton そう言えば、初のCD化ということで注文していたカレン・ダルトンの名作『In My Own Time』がやっと到着した。素晴らしいパッケージだ。まずはそれに驚いた。デジパックでかなり分厚いブックレット付き。ここにはレニー・ケイからニック・ケイヴ、それに、デヴェンドラ・バンハートあたり(後者はインタヴューをまとめたものだが)の解説も付いていて、おそらく、未発表ではないかと思う数々の写真も加えられていて、このCDを作った人たちのカレンに対する愛情を感じることができるのだ。

 オリジナルのマスター・テープからリマスターしたということで、オークションで買ったアナログをデジタル化したものよりは、遙かにクリアに音が聞こえてくる。特にバックのストリングス、ヴァイオリンの音などが美しくて、音の奥行きが深まったというのが第一印象だ。カレンのか細い声も良く聞こえる。実に嬉しい。

 しかも、このCDと共にアナログもプレスされたようで、このリマスターによって作られたものであったら、入手して聴き比べてもいいかもしれない... なんて思いだしている自分が、救いようのない音楽バカのように思えてしまうのだ。オークションで購入したものは、オリジナルのプレスらしいが、頭のあたりでちょっとしたソリがあって、通常だと音飛びが起こるのだ。それがない状態で、このリマスターだったら、どんな音が聞こえてくるんだろう... 興味津々なのだ。でも、どこで買えばいいんだろう?

 さて、腰痛の方だが、あまり変化はない。若干だが、「ドン」とした痛みから、少し刺すような痛みに変わったようにも思えるが、それは気のせいだろう。サーノ博士の『ヒーリング・バックペイン』は、ほぼ半分を読んだところ。TMS理論の骨格がやっと見えてきたという感じかな。やはりオリジナルの方が「意味」を理解しやすいと思った。もちろん、『腰痛は怒りである』も役には立つんだが、なにかが不足している。とはいっても、「この本を読んで腰痛がなくなった」という人たちの声については、未だに懐疑的だ。もし、そんなことになったら、嬉しいんだが、さて、どうなることやら。



投稿者 hanasan : 17:38 | コメント (0)

2006年11月18日

Edgar Jones + 腰痛日記

Happy & Edgar Jones 朝、検査入院していた関東労災病院から帰ってきて、選択や更新作業と相変わらずの日常を満喫。そして、夕方には渋谷に向かって歩き出していた。この日は待ちに待ったエドガー・ジョーンズの東京公演初日。その撮影をすることになっているので嬉々として、うちから、また歩いていった。運動できなかったのはわずか2日間。だというのに、なにやら嬉しい。しかも、痛みを感じることなく足取りも軽かった。30分ほどで渋谷に到着し、宇田川町交番の裏にある安いラーメン屋で肉なす炒め定食、700円。なんとまずい米を食わせるんだ、この店は... と、思いつつも、この値段で文句を言うのは間違っているんだろうとも思う。この場所でこの価格。本当にまともなものを食べさせてくれるわけがないと考えるのが普通だろう。

 ちなみに、会場のクアトロでビールを一杯飲んだけど、翌日が港区の成人検査の一環としてやってくれる胃のレントゲン検査。夜9時以降はなにも食べてはいけないし、飲んでもいけないと伝えられているので、それ以降いっさいなにも口にしてはいない。

 この日のプロモーターはプランクトンで、アイルランドやマヌーシュ系のアーティストを数多く手がけている。先日、ハッピー&アーティ・トラウムを招聘したトムズ・キャビンと同じようにユニークなテイストを持っていて、二つとも大好きなプロモーターだ。

 想像していたのは、エゴ・ラッピンがサポート・アクトで登場するというものなんだが、受付で尋ねてみるとエドガーのセット中に彼らが登場して絡むというもので、写真撮影について確認。そうすると、エゴ・ラッピンのものについては「写真を確認してからでないと掲載できない」というので、「じゃ、撮影はするけど、使いません」と応えた。当然だろう。ジャーナリズムの世界で生きる人間がなんでそんな検閲を認められるわけがない。だから、ライヴが終わって朝までかかってアップした彼らのフォト・レポートには一切、エゴ・ラッピンは登場していない。

 いつも思うんだが、「掲載する前に写真を見せろ」とか「原稿をチェックさせろ」なんていうのは日本の「事務所」だけで、このあたりの体質は、日本じゃ音楽が「芸能産業の商品」でしかないことをまざまざと伝えてくれる。彼らにとってミュージシャンも、音楽も商品でしかなく、「商品に傷が付けられる」という発想でそういった圧力をジャーナリズムに押しつけてくるわけだ。海外でこんな目にあったことはないし、そんなことがあったら大騒ぎになるだろう。要するに、「表現の自由」から「報道の自由」に対する明白な圧力なのだ。

 特にライヴは「公共の場で繰り広げられる」ことであり、メディアはそれをさらに大きな公共の場に伝えることを旨としている。大きな責任が伴うことは当然として、その「情報を操作」しようということは、それ自体がすでに犯罪であり、もし、仮にそれが「表現者」とされる人間が試みようとしたら、その時点で表現者の自殺行為でもある。だから、逆にいえば、そういった試みをする人たちは「表現者」とは規定するも理解することもできない。

 これまでそういった人たちの取材を私は一切拒否してきた。ある時期まで取材してきて、自分の取材リストから姿を消したのはそういった「表現者の姿を借りた産業バンドやアーティストもどき」。とはいっても、今回たまたまこうなった先方は、おそらく、ここまで問題を大きく捕らえてはいないだろうと思う。彼らにとっては「業界の習慣」としてしか口にしていないのは、容易に想像できるのだ。当然のように、悪意もない。だから、彼らを嫌いになったわけでもない。なぜなら、全然話をしていないから。が、それこそが、「宣伝でしかない」音楽メディアを支えるものであり、それを自ら変えていこうとしない限り、彼らの音楽は「商品」としてしか伝えられることはないだろう。言うまでもなく、取材をしなくなった人たちは、その話を十二分にして、それでも理解しようとしない人たちであり、それ以降、私は彼らのライヴを見たこともなければ、音を聞いたこともない。彼らにそんな価値がひとかけらもないと思うからだ。

Edgar Jones さて、エドガーだ。楽しかった。なにやら、どこにでもいるようなお兄ちゃん的な表情を見せているのがエドガーなんだが、ひとたび歌い出すと、どっしりとした分厚い声が聞こえてきて、音楽が好きなんだなぁというのが良く伝わってくる。とりわけ、ジャズってことじゃないんだが、屈折した奇妙なジャズ風味にファンクやスカあたりの要素が絡んだ彼らの音楽が、ライヴではアルバム「よりジャズではない」雰囲気を打ち出しているのがおもしろい。楽器の構成は、下手からキーボード、ギター&サックス、バックにドラムスがいて、フロントにエドガーのヴォーカル。そして、上手奥にはウッドベースがいて、フロントにギターがいる。構成を見れば、かなりジャズ指向なのは当然としても、この奇妙な感覚がエドガーの色なんだと思う。

 エゴ・ラッピンとの絡みも楽しかった。当然ながら、日本での認知度が低い彼らを助けるためにエゴの二人がステージに登場してくれたんだと思うし、おそらく、わずかの時間でしかリハーサルができなかったにもかかわらず、いい感じのコンビネーションが出来上がっていたのはさすがだった。そのいい絡みを素晴らしい写真で撮影しているんだが、それを発表できないのが実に悲しい。また、その絡みのあと、アンコールで再び彼らが登場してエゴの曲でエドガーのバンドがバックで支えるという光栄があった。この時、ステージを降りて楽しそうに彼らの演奏を見ていたのがエドガー本人。その光景も写真に収めているんだが、当然ながら、それも公表することはない。これほどの楽しい時間を切り取った私の写真はこのままHDの片隅で埋もれてしまうのだ。それが、誰のメリットになるんだろうか? 

 ちなみに、朝目が覚めて隣の北里研究所で胃のレントゲン検査。ところが、腰痛がひどい。びっこを引きながら、やっとの事でとなりに出かけて3階で検査ななんだが、係りの人の対応の悪いこと。看護婦が「腰痛で困っていらっしゃるので」と話しているにもかかわらず、腰をひねるのでさえとんでもない苦痛が走るというのに、せかすように、そして、機械的に右向け、左向け、ひっくり返って... ああぁ、お前もこの苦しみを味わって見ろ! と、そんな悪態もつきたくなった。

 痛みは変わらず。やっと読み始めた『ヒーリング・バックペイン』だが、今のところ、『腰痛は怒りである』よりも理路整然として、自分には理解しやすいという印象。さぁて、これでまたなにを学ぶことができるんだろう。楽しみだ。



投稿者 hanasan : 11:30 | コメント (0)

2006年11月17日

腰痛日記 検査入院続編

 15日に関東労災病院に入って、その日、まずはブロック注射。脊髄のL5左(という脊髄の位置)にこの注射を打ち込むんだが、はっきり言って、これは腰痛よりも痛い。痛いものをなくすために、この、それ以上に痛い注射をしなければいけないというのがなんとも皮肉だ。

 本来なら、これで「痛み」が消える... 要するに「麻痺」するはずなんだが、実際は、必ずそうなるとはいえないし、実際のところ、その注射を打った直後から「病人」の気分になった。しかも、痛さは全然消えない。

 そして、翌日の朝になって、若干痛さが消えていったようにも思えるのだが、この日に待っていたのは造影撮影。脊髄に造影液を注入して、脊髄の細部をCTスキャンなどで確認し、痛さの原因がどこにあるのかをみつけだすんだが、この液体を身体に入れる時にかなりの痛さを伴うと聞いていた。加えて、副作用もかなりあるようで、こちらとしてはかなり身構えていたんだが、実際のところ、それはなかった。注入する時の痛さもブロック注射に比べれば、たいしたことはない。

 ただ、これが終わってから4時間は絶対に安静にしなければいけない。帰りはストレッチベッドに載せられて、それで病室に移動するわけだ。同時に、造影液を出さないといけないので、大量の水を飲まなければいけない。病院側からの指示で2リットル程度の水を用意して、飲みまくったら、出るわ出るわ...  安静にしておかなければいけないといわれているのに、我慢しながらも数回トイレに向かった。

 と、こうやってまた一晩をこの病院で過ごして、検査入院は終わり、家路につくんだが、面白いのは、この時、病院に行って以来最も痛みが少なかったということ。実をいえば、絶対安静からさめて、9階の病室から1階の売店まで行ったんだが、この時の痛みといったら... 今では「差別用語」とされている言葉でしか表現できないんだが、びっこを引きながら歩いたほど。なんの検査なのか... 検査というものをする度に痛さが増しているような気がしてならない。

 結局、今日の朝、病院を離れる時は最も「痛さを感じない」状態になっていたのが皮肉で仕方がない。

 ただ、疑問なのは、こうやって使った金が8万円強。差額ベッド代があったから、それを差し引いても4万円ほどなんだが、こんな金額で本当に普通の人が気楽に病院に行けるのかなぁ。仕事のこともあり、個室にしたんだが、その経費はでかく、これでしばらくは貧乏生活をしなければいけないのは当然。でも、それでなかったとしても、この金額はでかい。本当に嫌になる。

 しかも、この検査の結果を教えてくれるのは12月8日ときた。考えてもらいたいと思う。私達はなぜ病院に行くのか?少しの痛さや、耐えられるものだったら無理をしても行かないのだ。当然、自分たちでできる限りの方法で身体を治そうとしている。それでも、耐えられなくて病院に行き、とんでもない金額を出費して検査をしているというのに、検査から数週間、全くなんの処置をされることもなく、アドバイスももらえないで、痛さを耐えて、患者は待たなければいけない。これが「医療」のあり方なんだろうか? 

 最初に病院に行ってすでに2ヶ月以上が過ぎている。症状はいっこうに良くならず、自分で考えられるありとあらゆる方法を模索して、本もいっぱい読んだ。もちろん、そうやって自分なりの対策を練って実行しているし、その効果がそんなに早く出てくるとは予想はしていない。が、それにしても、あまりに病院というのは無慈悲ではないかと思うのだ。これが当たり前だとしたら、医療の意味ってなになのさ.. と、今日はそんなことを思った。



投稿者 hanasan : 15:01 | コメント (0)

2006年11月16日

腰痛日記 検査入院の巻

ヒーリング・バックペイン 結局は、ジョン・サーノ博士のこの本、『ヒーリング・バックペイン』を持って、検査入院をしながら、じっくり読もうと思っていたんだが、どうやら入れ違いで、病院に持ってくることはできなかった。

 14日に代々木のザー・ザ・ズーで中山うりのライヴがあり自宅から代々木までちょっとペースを落として歩いていった。所要時間は1時間とちょっと。先日、新宿までをほぼ同じ時間で歩いたのを比べるとのんびりしているのがわかる。本当は撮影するつもりだあったんだが、マグのスタッフでいい写真を撮る人間がいたので、代わってもらった。同じ人間が撮影するよりも、他の人間との写真を見比べた方が面白い。といったら失礼かもしれないが、アーティストのいろんな顔を見せることができると思って、彼に頼んでみた。さて、どんな写真になることやら。

 この撮影の後、集まった4人のスタッフと居酒屋で軽く食事。なんでまぁ、男ばかりが集まるとこんな会話になるのか... まるで子供の下ネタだっただが、女が絡まないネタは、まるで小説のネタになるほど面白く可笑しい。なんと幸せなこと。

 そして、徒歩で帰宅。この日は結局、いつも通り2時間強の歩行をしたことになる。そして、プロテインを接種して、検査入院の準備。といっても、たかだか2泊。それほど用意するものはないはずなんだが、書類の山がいっぱい。なんで検査入院で『連帯保証人』を要求するのか全然理解できなかったが、結局、記入せずに来たら、なにもいわれなかった。

 病院は元住吉にある関東労災病院。15日9時半から10時までに来てくれということだったんだが、行くといきなり「部屋が用意できていない」という言い訳うをぐだぐだ続けるので、「じゃ、どれぐらい待てばいいんですか?」とストレートに尋ねると「いやぁ、○○の用意をして、片づけをして...」とそんなことばかり。日本人はなぜ簡単な質問に単刀直入に答えてくれないんだ?おっと、日本人じゃなくて、担当者のことなんだけど、こう思ってしまうのはなぜなんだろうね。

 とは言いながら、昼前には部屋に入って昼ご飯。いつもながら、なんとまぁ、病院のメシはまずいんだろうと思う。でも、全てをきれいに平らげる私はなになんでしょ。とそんなことがあって、約束通り、いろいろな説明を受けて、この日はブロック注射。例によって痛いのなんの。ハッキリ言って、自分の腰痛よりもこちらの方が遙かに痛い。特に今回は、液体を注入しているときにめちゃくちゃ痛かった。北里研究所で同じところにブロック注射をしたときには、そうでもなかったんだが... 確かに、打つときは痛い。なぜなら綿のかけらが落ちても全身に痛さが走る神経に注射するわけだ。その全身に走る痛さを確認してから打つので、それは当然。だが、北里では液体が入っていったときには、かなり気持ちよくなったんだが... なにが違うんだろう、今回は入れれば入れるほどに痛みが強くなった。結局、その注射の後、まるで病人のような面を下げて車いすで自室に戻された。

南正人