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2006年11月27日

夏樹静子 : 腰痛放浪記 + 私の腰痛日記

夏樹静子 夏樹静子というミステリー作家が書いた『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』をむさぼるように読んだ。かなりの部分を占めている「苦しみの記録」は、ちょっとくどいようにも思えるのだが、おそらく、実際にこの奇妙な腰痛を経験したものにしか彼女の気持ちは理解できないだろう。だが、すでにそれを経験し始めた自分には、いろいろな側面でこの苦しみが絶望的な「痛み」を与え続けているのがわかるし、この部分を読むのは「苦」ではなかった。もちろん、どこかで「早く先に行ってください」と思う気持ちがなかったわけではないし、「現実に希望を求めて」この本にたどり着いた人間にはまどろっこしいかもしれないというのも理解できる。が、それだけ彼女の経験が「現実の出来事なのだ」ということがひしひしと伝わってきた。

 実際、笑われようがどうしようが、自分だってこうやってブログで書かざるを得ないほどに、「腰痛」が自分の生活を変えてしまったのだ。毎日目が覚めて、最初に思うことは「今日は、どうなっているんだろう。ひどくなっているんだろうか、良くなっているんだろうか...」そして、ベッドを出る時に感じる「痛み」に、また、「どうやったらいいんだろう」という1日が始まるのだ。

 そして、これまで得た情報で「考え」始める。今日も運動をして、ストレッチをして... ところが、それを続けてもいっこうに良くなる気配も見せず、「痛さ」は増すばかりだ。ひょっとして、そうなってはいないのかも知れないが、ほとんど条件反射のように「痛さ」に全神経がいってしまうのは間違いない。ちょっとましだと思って、あるいは、ちょっとひどいと思って一喜一憂する姿は、それだけで自分の生活が「腰痛」を核にしてプログラムされていることに気がついてしまうのだ。実際のところ、今の生活は「腰痛」なくしてなにもないほどに振り回されている。

 その「腰痛」のせいで、これまでなにをしてきたかは、逐一ここで報告している。『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』から『腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべて』という本も読んだ。毎日のように散歩を称して1時間以上を速歩で運動したり、上述の本に関して思考をめぐらしたり... 「読んだら腰痛はなくなる」と言われる『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』に関して言えば、確かにどこかで「納得」できる内容だったし、それでも、プログラムされた「心」と「身体」の関係は簡単に突き崩すことはできないでいる。彼らにすれば、「きちんと理解していない」からだと言うんだろうが、そんなに簡単に理解できるのだったら、こんなに苦しまないだろう。その「理解」が難しいんだと思う。

 が、どこかで、おそらく、それこそが原因なんだろうということは気付き始めている。それを決定的にするのは、先に報告した関東労災病院での造影撮影による結果になるはずだ。これは単純に私の感でしかないんだが、「なにも悪いところはない」という結果がでてくるように思える。医師は、単純な断言を避けるという傾向があるから、そこまでのことは言わないかもしれないが、「結果を見ると、確かに若干の問題はないことはないんだが、一般的にはこれだけのことでそんな痛さがでてくることは想定できない」というのではないかと思う。全くその通りだったら、笑えるんだが、なにやらそうなりそうな予感がしてならない。実際、この前に通っていた北里病院でも同じような報告を得ている。MRIによって腰と首をチェックしているんだが、「これぐらいだったら、ひどくないんですね」と言われているし、そのあたりの世界で仕事をしている弟にその写真を見せても、「こんなん、普通やで」と一笑に付されてしまった。

 だからこそ、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』の結末に納得してしまうのだ。結局、彼女が頼っていたのは平木クリニックの医師、平木英人氏。彼は心療内科のエキスパートで、「心因によって慢性疼痛が生じる」という考え方の下に、その原因を探し出し、対処していくのだ。その処置の様子がこと細かく書かれているのがこの本で、それを読むと、「そうなんだ」と大いに納得できる。平木英人氏の著書を見てみるとパニック障害の権威のようで、この病院が主な病気の解説としてパニック障害、うつ状態などが慢性疼痛と一緒に並んでいる。ここまでいろいろなことを調べてきて、要は精神にあり、この腰痛は「精神病」なのだと思うに至った... と言ったら、「俺、頭が変になったの?」と言われそうだが、非常に広い意味での「精神の病」という意味では確かにそうではないかと思う。

 それがこの『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に詳しく記されているのだ。「自分自身の奥底に眠る、そして、実は、自分の心だけではなく、身体もコントロールしている潜在意識」に向かい合っていく様子が、「確かにあったことと」として記録されている。それが、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』よりも遙かに現実のものとして伝わってくるのだ。学問として後者は、実に理解できる。が、実際に、どうすれば、そうできるのか? 潜在意識に向かい合えるのか? それほど簡単なことはないし、だからこそ、今もどうすればいいのかわからない自分がいるように思えるのだ。が、夏樹静子女史の記録は、全くの暗闇のなかにほのかに姿を見せた一筋の光にも見える。

 しかも、そのために彼女が平木医師と共にやった絶食治療の話も面白かった。心因性の問題に向き合うために、ただ「精神」だけではなく、それを共存することで人間と為す「身体」を共に癒す... と言うよりは、本来の力を取り戻すための方法として絶食を取り上げ、それがどういった効果を生むかに関しても詳しく記されている。「潜在意識」(サーノ博士によると「怒り」なんだろうが)が自律神経に働きかけて、身体に変調をきたしていくと知ったのだが、人間本来持っている自然治癒能力を高めるために「絶食」という方法論があるんだそうだ。

 そういったプロセスを経て、彼女は「潜在意識にある自分」と向き合うことで、この腰痛を乗り越えていくことになる。そのあたりに関して書かれている部分にも、自分自身との共通項をたくさんみつけることができた。これは性格の接点なんだが、当然ながら、性格を変えることはできないと思う。が、そうではなく、「潜在意識」に向かい合うのだ。それこそが必要とされていることであり、そんな作業のために最も必要だったのがこの本ではないかと思えるようになった。おそらく、それは簡単ではないと思うし、これをくぐり抜けるにはまだまだ時間がかかるだろう。が、ここにも記されていたように、この「腰痛」は自分に「必要」なんだと思う。人間として生きていく上で、今、経験しなくてはならない人生の転機として、潜在意識が私の身体に語りかけているものであり、それに向き合うことで、新しい自分、あるいは、まだ見ぬ自分にたどり着くんではないだろうか... 逆に言えば、そんな期待さえ感じてしまうのだ。

 なんで腰痛から「新しい自分なんだ?」と思う人もいるだろうし、これを経験しなかったら、こんな結論に達することもないだろう。が、予感がする。いずれにせよ、失うものなんてなにもないんだから、これでいいじゃないかと、今、自分に言い聞かせているところ。だから、これからもこの記録を続けていこうと思う。夏樹静子女史とは比較できないが、自分だって、ものを書くことを生業としてきた人間のひとり。自分がこうやって書き続けることで、自分を救い出したいし、同じ「痛み」を感じている人にとって、どこかで光明となるかもしれない。

 さて、これからどうなることやら.. 若干の不安はある。でも、必ず、抜け出すし、「腰痛」からおさらばする意志はますます強くなってきたし、どこかでちょっとした自信が出てきた。そんな意味でも、この『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』は素晴らしいと思う。少なくとも、今、腰痛で苦しんでいる人は絶対に読むべき本だろう。



投稿者 hanasan : 2006年11月27日 14:09

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