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2006年11月28日
Simon & Garfunkel : Bridge Over Troubled WaterでもStill Water
昨日、「さて、一段落したし、散歩にでも出ようか」と思ったのが10時前。その時、見てもしないテレビが付いていたのがいけなかった。ここから聞こえてきたのがサイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』(UK import / 国内盤 / US import)で、そのまま歌に引きつけられて、この番組を見る羽目になってしまった。
番組のタイトルは『プライム10』というもので、この日のタイトルは「世紀を刻んだ歌 - 明日に架ける橋・賛美歌になった愛の歌」となっていた。一番最初からじっくりと見ていたわけではないんだが、気がついたのはこの曲が9/11の後にアメリカで放送自粛されたというくだりではなかったかと思う。なんでも、3番目の歌詞が「飛行にを思わせる」とか、そんなところがひっかったかのような話ではなかっただろうか。といって、それほど正確には覚えてはいない。それよりも、この曲が発表されたのが70年で、ヴェトナム戦争時代の「低迷していたアメリカ」(だけではなかったと思うけど)を象徴する1曲として大ヒットしたこと、そして、この番組で取材された誰かが「9/11以降だからこそ、この曲が聴かれなければいけないんだ」なんてことを語っていたように覚えている。
いずれにせよ、そういった「放送自粛」なんて受け入れる土壌が、自ら「表現の自由を放棄する」事態を生み、「政府による放送命令」を受け入れるメディアを作り出している。なんでNHKに対する支払いを拒否しているかと言えば、NHKが「中立、公正な報道をしていない」政府機関でしかないからで、政府や自分の曲の宣伝番組が主流を占めている、要するにプロパガンダの放送局だというのが大きな理由だ。それに、有無を言わさないで勝手に電波を押しつけて「金払え!」というのは押し売り以外の何ものでもない。だったら、うちだけ、電波を送らないでほしいと真剣に思っている。
おっと、また話がそれてしまったが、この番組で実は、この曲がゴスペルからヒントを得て生まれたことや、あの3番目の歌詞が録音を始めた時にはできていなかった裏話が伝えられた。う〜ん、そうなんだぁ... と頷くことしきり。60年代末期からに数々のヒット曲を飛ばしていたのがサイモンとガーファンクルで、当時はラジオこそが音楽の入り口だったから、いろんな曲を聞いてはいたし、知ってもいた。でも、そんな裏話は全然知らなかった。おそらく、ファンだったら、それぐらいのことは知っているんだろうが、いろいろな意味で新鮮だったのがこの番組。それに、たった1曲の歌を取り上げるというのも嬉しかった。自分を振り返っても、わずか1曲で人生を変えられるほどの(実際にそうなった曲もある)歌を取り上げて、それがどんな風に広がっていったのかを、実際に旅をしながら追いかけていくというドキュメンタリーの作り方が嬉しかったのだ。
この曲を追いかけて南アフリカに向かったのがこの番組。プレゼンターというのが緒川たまきという女優なんだが、すいません、私、この人全然知りません。いずれにせよ、彼女が南アフリカに渡り、まだアパルトヘイトという狂気がこの国を支配していた時代から「明日に架ける橋」が聞かれていたことを見つけだしていくという構成だ。といっても、彼らが知っていたのはサイモンとガーファンクルのヴァージョンではなく、アレサ・フランクリン。これが面白い。そのヴァージョンを聞くと、ポール・サイモンがゴスペルからヒントを得て作ったこの曲が、ゴスペルとして蘇っているのがわかる。そして、そのヴァージョンが、当時、人種差別によって耐え難い圧力の下で生活せざるを得なかった人たちの「支え」となっていたことが伝えられるのだ。
そして、この曲がアパルトヘイトへの闘いへの力となっていったらしい。といっても、もちろん、自分自身がこの国で闘い続けたミュージシャンに何度も出会っているし、あの闘いに力を貸した曲は無数にある。ショットガンを持った警官隊に踏み込まれながら歌い続けたジョニー・クレッグもそんなひとりだし、そのあたりの話は自分のライナーに書いているはずだ。(Heat, Dust & DreamsやShadow Manを読んでくだされ)他にも、ピーター・ゲイブリエルのBikoにシンプル・マインズもStreet Fighting Yearsというアルバムで「マンデラ・デイ」という曲を発表しているし、なによりも、スペシャルズのジェリー・ダマーズがSpecial AKAの名の下に発表したIn The Studioで録音した名曲「Free Nelson Mandela」も忘れてはならないだろう。これは、彼自身から聞いた話なんだが、自分の作ったこの曲が南アフリカの反アパルトヘイトのデモで歌われていたのを聞いた時、涙が止まらなかったそうだ。
番組では、アレサ・フランクリンのヴァージョンが、地元のゴスペル、しかも、独特の南アフリカ、おそらく、ズールーではないかと思うが、そのスタイルで歌い継がれている様子を描いて終わっていった。それを見終わってから、夜の11時だというのに、夜中の散歩に出かけていったのだが、当然ながら、この日の音楽はアレサ・フランクリンの『30 Greatest Hits』。自宅から明治通を渋谷に向かい、そこから246を左に折れて、新山手通へ。駒沢通りとの交差点を恵比寿に向かって歩いたんだが、ランダムに設定したiPodからはなかなかこの曲が聞こえてこなかった。ところが、友人の店でビールを一杯飲んで、休憩した後、店を出て聞き始めたら初っぱなに流れてきたのがこのヴァージョン。いいねぇ、Still Water Runs... とかなんとかって、コーラスが聞こえてきて、ひょっとしたら、アレサが「ゴスペルからヒントを得た」というこの曲を、意図的にそのヒントを得た曲に近づけようとしたんじゃないだろうか... なんて想像してしまった。さて、本当はどうなんだろうね。
投稿者 hanasan : 2006年11月28日 13:20