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2006年12月28日

ライヴ三昧、酒三昧で千鳥足の年の暮れ

What's Love? 23日は久しぶりにワッツ・ラヴ?のライヴだった。スカ帝国という名前で、彼らがいろいろなゲストを呼んで続けているシリーズのライヴで、この時が40回目とかなんとかいっていたように思う。ずいぶん前のことだが、このスカ帝国でクレイジーケン・バンドを見たのが新宿ロフトで開かれたときだったし、勝手にしやがれというバンドを初めて見たのも渋谷デセオでのスカ帝国だった。そのゲストたちは、両方とも大きくなってしまったけど、当のワッツ・ラヴ?は相変わらず。

 でも、いいのだ。昔から好きなバンドで、「本流の歌謡曲」に匹敵するメロディや詩をベースに、スカからレゲエのエッセンスをしっかりと吸収しているところがその魅力。特に彼らが録音した「みちのく一人旅」のレゲエ・ヴァージョンは、日本のレゲエ史(んなものがあるのかどうか、よく知らないが)に残る大傑作だと思う。それが『温故知新』というアルバムに収められているんですが、これは、迷わずに買ってください。「みちのく」の他に「襟裳岬」から「知床旅情」、「赤いスイートピー」などなど、彼らのテイストでレゲエやスカに料理した名曲が楽しめる。絶対に損はさせないから。

 なんでもこの23日のライヴでベースがバンドを離れるということになったとのことだけど、まぁ、最初に見たときのワッツ・ラヴ?のメンバーこそが自分にとってのこのバンドだと思うなぁ。そりゃぁ、仕方がないんだけどね。ちなみに、今彼らはベース奏者を募集しているらしく、誰かいい人がいたら、彼らにコンタクトしてみてくださいな。

 2年ぶり(ぐらい)に彼らを見て、楽しかったんだけど、撮影をしていたから、のんびり楽しむって感じではなかったな。それと、いつもの不満だけど、彼らが「みちのく」をやることは滅多になくて、この日も、当然のようになし。おそらく、彼らがライヴでこの曲をやったのに遭遇したのは一度だけではなかったかなぁと思う。演歌をやるのは恥ずかしいのか、冗談だとしか思われないと思ってるのかな。誰がなにを言おうと、私は、彼らの「みちのく」がオリジナルを遙かに超えていると思っているんですけどね。

 そのライヴの後、恵比寿に流れて、マグのカメラマンが親しい事務所の忘年会、その二次会に流れ込んだんだけど、まぁ、面白いもので、ここにいた某女史のボーイ・フレンドがワッツ・ラヴ?のバックで演奏しているということがわかったり... 世の中狭いというよりは、いつものことだが、みんなつながっているんだなぁと思う。そんな流れの中で、また、朝まで痛飲ですな。へろへろです。

 その翌日は横浜のキューバ・レストラン、エル・パライソへ。これをやっているのが友人なのだが、前日に連絡が入り、「ライヴをやるんだけど、予約が少なくて困っているから、友達を連れてきてよ」と頼まれたのだ。けど、クリスマス・イヴに暇な人間なんぞ、俺ぐらいしかいない。いろいろと仲間に連絡をしてみたんだけど、結局はひとりで横浜まで行った。

 ライヴはシンプルな、おそらく、日本に住んでいるキューバ人+日本人という感じのバンドなんだけど、これがなぁ、なかなかいいんですよ。ギター&ヴォーカルに、ギターみたいなスタイルのベースと、8弦のギターみたいな楽器... マンドリンがギターみたいになったやつで、それがリードをとって、パーカッションが入る。プロの流しのラテン系って趣ですな。でも、これがよかったのよ。もう少しお客さんが入っていればもっと楽しい雰囲気になったんだろうなと思いますね。

寿魂 で、25日には新宿のネイキッド・ロフトで寿というバンドの本、『
寿魂』の出版記念パーティに出かけた。時間を間違ってちょっと早めについてしまったから、近所でメシを食ってしまったんだが、この日はバンドや関係者からふるまい「泡盛」に「手料理」ってのがあって... 腹一杯なのに、ここでも食ったというのが笑えます。(実際、断れないですよ、これは)

 この日はビデオで昔の彼らの姿を見せてもらったりしたんだけど、びっくりしました。彼らって「イカ天」に出たバンドだったんだとか。彼らを見たのは昨年3月が最初で、彼らがどんな世界でどう生きてきたのか、全然知らなかったから、この日は実に興味深く彼らの歴史をかいま見ることができた。ヴォーカルのナビィが「封印してしまいたい」なんてことを言っていたんですが、このイカ天の時の映像を見たら、その気持ち、理解できました。正直言って、同じバンドだとは思えなかったからね。ちょっとニューウェーヴで... 目の前で「自分たちの過去だ」と説明されているんだけど、あまりに違いすぎる。実際、寿の二人の顔までが違って見える。これ、きっと別人です。(笑)

 そして、彼らにとっての転機となったというエストニアでのフェスティヴァルや寿町フリー・コンサートでのライヴの映像を交えながら、いろいろな話を聞くことができたんだが、今の彼らがあるのはそんな経験や体験のおかげだとか。きっとそうだろう、別人になったほどのインパクトがそういった人たちの出会いにあったんだろうと思う。その結果が彼らの歌であり、だからこそ、その「歌」が伝わるのではないかと思う。パレスチナ人とイスラエル人の友人の話やそこから生まれた「シャローム、サラーム」や「夢を広げよう」と歌う「ひろげよう」、ライヴでおなじみのこういった曲は、確実に彼らの旅してきた世界中のいろいろな国や地域での出会いや体験を反映したものだろう。国や言葉が違ってもそこには、血の通ったふつうの人間がいる。そして、まるでその体を流れる血のようにしみる歌がある。彼らの歌に感じるのはそんなぬくもりのある血じゃないんだろうかと思う。(血ってネガティヴなイメージがあるけど、自分にはそうでもないんだな)

バリー・マクガイア この日は最後にシンプルなライヴが開かれているんだけど、いつものようにナビィの笑顔にやられるんです。なんであんな顔で歌えるんだろう? お世辞にもステージのしゃべりが上手いとは言えないんだが、それでも気持ちが「伝わる」し、その笑顔から歌い出される前向きな歌がまっすぐに心を打つ。しかも、歌の言葉にはかなり直球的なものもあるんだが、忌野清志郎が歌う「イマジン」や「明日なき世界」のように自分の体にしみこんでくるのがわかる。

 その彼らが1月20日に東京でちょっと大きめのライヴをやるんだけど、これも撮影させてもらおうかと思っている。それに、ソウル・フラワーの伊丹英子が企画に加わっているという沖縄 Peace Music Festa! 辺野古'07に彼らも出演するようなんだが、これに行ってこようかなぁと思いだした。辺野古の海を、人を守り、新たな米軍基地の建設を阻止するため、それを訴えるためのもので、こういったイヴェントをサポートしなければいけないと思うし、出来るだけ多くの人たちに伝えなければいけない。出来るだけ多くの人にサポートしてもらいたいとも思う。すでに1日に7000人以上のビジターを記録しているSmashing Magでも何かの役に立つともうのだ。

 なお、このプレ・イヴェントとして(残念ながら、寿のライヴと同じ日なんだけど)1月20日に吉祥寺スターパインズカフェで、翌21日には大阪バナナホールでつづら折りの宴 わったー地球(しま)はわったーが守るというのが開催されます。ぜひ、皆さんに出かけていってほしいと思います。

 と、書かなければいけないことが山盛りだ。知人のフリーライター、烏賀陽弘道氏がオリコンから訴えられたという情報が入ったのはこの頃かなぁ。彼には一度取材してもらったことがあって、それからしばらくはコンタクトがあったのだが、もう、おそらく、10年ほどはコンタクトがなくなっている。その彼が月刊誌「サイゾー」4月号の記事でだした、わずか20行のコメントに関して5000万円の損害賠償を求めているんだが、こんなのありか? まず、なぜ著作者ではなく、コメントを寄せた人物を訴えるのか? 文章の責任は執筆者にあるし、コメントを出そうが、その真偽がどうであれ、それを掲載する責任は執筆者、編集者、出版社にある。それなのに、彼らではなく、烏賀陽弘道氏個人を訴えた理由は、彼をメディアから抹殺しようとしているとしか思えないのだ。なにせ、企業対個人だ。訴訟に対抗するにも経済力の違いは明らかであり、周辺からのサポートがなければ「闘うすべ」もないのだ。

Jポップの心象風景 しかも、問題となっている記事を読めばわかるのだが、このコメントは問題とされているチャート操作を「断定」はしていない。国語が理解できるのであれば、「可能性が高い」という言葉の意味ぐらいわかるだろうに。ここで細部を語る必要性はないし、それぞれが「コメント」を読めばオリコンの訴状の方に多くの問題を見つけられることになる。わずか20行のコメントで「連結売上高約57億円」の会社、オリコンが受ける「直接的、間接的損害を過小評価することは出来ない」と言える根拠ってどこにあるんだろうね。あまりにばかばかしいんだが、弱者を袋だたきにするような訴状が認められ、もし、仮に、これで烏賀陽弘道氏が負けるようなことにでもなれば、我々は何も語れなくなるだろう。要するに、この事件は金や権力を持っている連中が、真正面から表現の自由、報道の自由に対して挑戦しているということなのだと理解するしかないんですよ。だから、私個人はこのケースに関していえば、烏賀陽弘道氏を全面的に支持する。

 さて、26日は友人のプロモーターでレーベルも始めたジャポニクスの忘年会に出かけたんだが、ここでまたワッツ・ラヴ?絡みなんだが、やめたばかりのベーシストが加わっているバンドを見てしまった。なんとまぁ、繋がっていること。それに来年3月に来日することになっているThe Slackersの元メンバーで、今は日本に住んでいる人と再会。(すまん、名前を覚えてはいない)と、その後、中目黒のクイーン・シバに立ち寄って、恵比寿のキッチン・ソルナで、一杯というおきまりのコース。それで帰路についてところで、偶然、シャーベッツのN氏に遭遇して.... 「一杯行きますかぁ」と、深みにはまってしまうのだ。しかも、このとき、ワッツでサックスを演奏している?君を紹介される。(すまん、また名前を忘れた)で、焼き肉屋からN氏の自宅に回って自宅に向かったのは、前夜の土砂降りの雨が信じられないほどにまぶしい青空の下。なんてぇことだぁ。ぐるぐるといろいろなところで友達の輪を感じながら、飲み続ける年の暮れ。なんとまぁ、忙しいこと。



投稿者 hanasan : 13:15 | コメント (0)

2006年12月26日

Bloody Sunday - 血まみれの日曜日とU2

Bloody Sunday とてつもない映画だった。『ブラディ・サンデー』という、このタイトルを見て、我々の世代、あるいは、その後のロック・ファンだったら、当然、U2を思い浮かべるだろう。『War』というアルバムに収録されている曲で「Sunday, Bloody Sunday」というのがあって、この映画こそが歌われているその事件を描いているものなのだ。

 それは72年のこと、北アイルランドのロンドンデリーで、英国軍がデモ隊に発砲して、多数の死傷者を出したというものなのだが、その歌の背景を自分が翻訳した『音楽は世界を変える』で初めて知ることになった。この本、ラッキーだったら、古書でみつかるんだが、なにせ印刷したのは2830冊のみで、出版社がまともなプロモーションもしていなかったことを知ったのは、出版されてからしばらくの後。それがわかってからというもの、自分でいろいろな媒体に書いていったんだが、結局は、徒労に終わった。まるで商業主義の権化のような出版物の山に埋もれて、一部のミュージシャンや私の仲間を除けば、その存在さえもが知られていないというありさまだ。自分のなかではとてつもなく重要な音楽の本なのだが、残念ながら、増刷は有り得ず、消えてしまったというのが正しいだろう。

 一方で、読んだ人たちからは「なんとかして出版できないだろうか」といわれることが多々あるんだが、朝日新聞、集英社あたりをまわってみたけど、いい反応はもらえなかった。自費出版という手もあるんだろうが、翻訳であり、自分の書き下ろしではない。だから、そうは簡単に事が運ばないし、著者への支払いを自分が細々と続けていくという仕事を抱えるのにも無理がある。というので、結局、事実上この本を読むのは不可能になってしまったのだ。

U2 それはさておき、このDVD『ブラディ・サンデー』を入手したのはU2が来日する少し前のこと。といっても、その時点でまさか自分が彼らのライヴを見ることになるとは思ってはいなかった。ここでも書いているように、たまたまあのライヴを見に行くことになったので、単純に偶然なんだが、こうなってしまったのは、いつも通り、どこかで何かがつながっているからなんだろうか。しかも、そこで書いているように、涙を流してしまったのは彼らが「Sunday, Bloody Sunday」を歌ったとき。最も感動した瞬間があのときだったと思う。といっても引き金になったのはヴォーカルのボーノがジョー・ストラマーのことを話し出したときだったということはそこで書いたとおり。が、この曲が始まったとたんに思い出していたのは『音楽は世界を変える』の第六章を翻訳していた時のことだった。笑い話かもしれないが、自分は翻訳しながら泣いていたのだ。それはボーノが北アイルランドのベルファストで初めてこの曲を演奏した時のこと。その曲で彼が訴えていたのは、原則として「互いが『降伏』する」という考え方であり、「同時に「愛し合う』」ということなのだ。それは最近のインタヴューでも語っていることだが、それをあの当時のベルファストで演奏することがどれほどの意味を持つか容易に想像できる。「正義」を信じて闘い続けている人たちに、「止めろ」というのだ。ハンガー・ストライキで数々の政治囚が死んでいった(殺されてた)頃からわずかな時間しか過ぎていない時代。その抵抗運動が武装闘争として大きくなり、その正当性が主張されていた頃なのだ。が、あえてボーノはそれをやった。この曲が受け入れられなかったら、録音を中止する腹を決めての演奏だ。が、プロテスタントもカトリックも入れ混じったオーディエンスはこれを受け入れ、ボーノ自身、涙が止まらなかったという。来日公演でこの曲を聴いたときにそんなことが頭の中で渦巻いていたのだ。

 その核となった事件を知ろうと『ブラディ・サンデー』を後追いする形で見たんだが、まるでドキュメンタリーのように迫ってくる映像と出演者に驚かされてしまうことになる。これは特典として含まれているインタヴュー等による情報なんだが、役者はほとんどいなくて、多くが一般の市民だという。その中には72年の惨劇を体験した人が数多くいて、一方の英国軍兵士として登場している兵士役にも同じように惨劇を与えた側の人たちがいた。照明は一切使わず、カメラは全て手持ち。まるでニュースのような映像に、とてつもないリアリティを感じるのだ。

 もちろん、これは『映画』であり、作り物だ。それをそのまま『歴史』とするのは、間違っているように思う。が、この監督はイギリス人であり、アイルランド人ではない。両者がそれぞれの歴史で一方では「隠され」、一方では「過大に」(という言葉が正確かどうかは疑問だが)描かれていたものを直視して、本当に起きたことを極力正確に再現したらしい。そんな意味で、これを事実と受け取っていいんだろう。あまりにもリアリティ溢れる映像と演技に、あのとき、あの場所にいたアイルランド人の怒りや悲しみが肌に伝わってきたといえばいいだろうか。

 そして、この映画の最後を飾るのはU2の「Sunday, Bloody Sunday」。その歌詞をきちんと字幕で見せながら、エンドロールとなるんだが、ここで再び怒りと悲しみと希望の涙を流してしまうことになる。これは72年の北アイルランドのこと。が、先日の来日でU2が語りかけていたように、これと全く同じことがイラクのみならず世界中で繰り返されている。それを「かわいそう」というのは簡単なことなんだが、それからそれほど遠くないところで、そこに自分たちがつながっているんだということを私たちは理解しなければいけないんじゃないだろうか、とそう思うのだ。



投稿者 hanasan : 15:19 | コメント (0)

2006年12月25日

Joe Strummerの命日に

Joe Strummer なぜか12月は好きな人がこの世からいなくなってしまうようだ。ちょっと前に青島幸男のことを書いた。同じ頃に、岸田今日子が亡くなって... 彼女のことは書かなかったけど、それでも、あのユニークな役者は好きだった。と思っていたら、今日(25日)はジェイムス・ブラウンが亡くなったというニュースに驚かされた。彼をよく知っているわけじゃないけど、81年頃に彼のライヴをブライトンのディスコで見たときには、ぶっ飛ばされましたもの。そうか、これがソウル、これがファンクなんだと、その迫力に圧倒されました。残念ですな。

 で、振り返ってみるとジョン・レノンが亡くなったのも12月。で、ジョー・ストラマーが亡くなったのも12月なのだ。とはいっても、忙しい年末のこと、そんなことを忘れてしまいそうだったのに、スマッシング・マグの若手ライターの有望株から22日に電話があって、「ソロモンのところ」(中目黒のエチオピア・レストラン、クイーンシバ)に行こうというのだ。「ん?」と思ってたら、「今日は特別な日じゃないですか」と迫ってくる。というので、思い出した。そう、2002年の12月22日にジョーは亡くなったのだ。しかも、その二ヶ月前には日本にいて、その年の朝霧ジャムに出ている。その後、(だったかな)新宿のリキッドルームでライヴをやって、そのときには撮影しているんだが、この日は台風で確か靖国通りの街灯が風で倒れたようにように覚えている。

Joe Strummer そのライヴの後、彼が行ったのが中目黒のエチオピア・レストラン、クイーンシバで、そこで朝まで飲んで、ほぼそのままホテルから成田に向かったと聞かされている。彼が座っていたのは店に入って、右奥の席なんだが、それから二ヶ月後、彼の訃報が届いたときに、自分が行ったのもこの店だった。そのときのことは、彼が亡くなってから発表されることになった彼とメスカレロスのアルバム、『ストリートコア』のライナーにちらりと書かれている。それを書いたのがスマッシュの日高氏で、その中で名前は出ていないが、ジョーの死のことを彼に伝えたとされているのが自分だった。このライナー、めちゃくちゃ名作で、それがためにこれは日本盤を買うことをおすすめしますが、あの日のことは今も鮮明に覚えている。

 そのあたりの話を繰り返すのも面倒だが、一度はきちんと書いておかなければと思う。あの日、日高氏とクイーンシバの主、ソロモン他数名とキャンプに出かけていた。アウトドアに全く興味のない自分が出かけたというのが異例なんだけど、めちゃくちゃ楽しんだ。そして、それから帰ってきて首都高の天現寺出口を出て、車から降りたとたんにロンドンの友人から電話が入ってきたのだ。

「ジョーが亡くなった。スカイテレビでそう報じられているんだけど、知らなかったいけないと思って...」

 ジョーとのつきあいがあることを知っている彼女は真っ先に自分に電話をしてくれたことになる。おそらく、知っている人も多いと思うが、ジョーとフジ・ロックのつながりは実にタイトで、当然ながら、第一報を私が担当しているfujirockers.orgで発表するべきだと考えた。かといって、十分に裏をとって情報を集めなければいけないし、それよりなにより、日本で彼と最も近い存在である日高氏に連絡しなければいけない。当然、そうして、ロンドンからの情報を集めて発表した第一報がこれだ。その後、葬儀の話を書き、しばらく後に追悼文を書いている。

 あの夜、クイーンシバに日高氏が来て、それからしばらくして、スカ・フレイムスの宮崎くんが来た。さらに、最後の日本ツアーでジョーの面倒を見ていたスタッフが来て、朝まで飲み明かしたものだ。それぞれの体験を話しながら、僕らだけでお通夜をした。結局、同じことを何度も繰り返して口にしながら、ジョーがどれほど重要だったかを再確認していたのだ。そんなことも、スマッシング・マグの若手ライターは知りたかったようだ。

The Clash というので、この22日も飲んだ。毎日のように、飲んでいるんだが、この日は... どうなんだろう。いろんなことを思い出すんだが、ジョーの魅力を伝えるために話すことが、どこかで「ジョーをこれだけ知っているんだ」という自慢話に思われてしまうのが、嫌だなぁと思い始めている。確かに、彼はとてつもなく重要な存在だったし、伝説になってしまったバンド、ザ・クラッシュの要でもある。ロックが好きな人だったら、どこかでこのバンドを経由しているだろうし、ジョーは「スター」でもあり、歴史の人なのだ。その人物と幾度も時間を共有できたことは幸運だったんだろうが、それを語るときは限られたプライヴェートな場で、本当に仲の良い人とだけにしておきたい。といいながら、その翌日、また、その話をしてしまった。今もジョーを敬愛する人々が後を絶たないということの証明なんだろう。それはそれとして、受け入れるべきだし、彼の重要性を語り継がなければいけないんだろうとも思う。

 ちなみに、あの若手ライターくんは12月20日に発売された
the CLASH SINGLES '77-'85というアナログの方をすでに注文しているとか。けっこうな買い物だが、手が出る気持ちは十分理解できる。といっても、こちらはプリンターが壊れてしまって、A3の印刷が可能なEPSON カラリオ PX-G5100を購入。これまで買う余裕はない。悔しいけど、先立つものは金ですから、あきらめましたわ。



投稿者 hanasan : 02:54 | コメント (0)

2006年12月24日

大竹伸朗の初体験

大竹伸朗 あまりに刺激的な毎日の連続に興奮して、本当は毎日のように書きたいこと、伝えたいこと、語りたいことがある。ところが、そんな興奮に浸っていると、それもできないイライラの連続に欲求不満が蓄積してしまうという、この悪循環。どうすりゃいいんだろうね。とはいいながら、まるで多感な少年のようにドキドキ過ごす毎日の面白いことよ。腰痛は相変わらずだが、そんな興奮がそこからの突破口をみつけてくれるのではないかと思ってみたり。と、そんな毎日なのだ。

 まずは21日だったか、友人から「暇だったら、大竹伸朗を見に行こう」というメッセージが入った。っても、こっちは「誰、それ?」と、全然わからない。それでも、いいのだ。信頼する友からの誘いにはほいほいとついて行く。ちょっとでも時間があれば、それでいいというお気楽な自分は訳もわからずに行ったこともない地下鉄の駅、清澄白河に向かう。そこになにがあるかも知らなかったんだが、そこにあるのが東京現代美術館だというのは、現地で友人に落ち合って初めて知った。とはいっても、「そうか、アートなのね」というだけで、なにも期待していない。興味がないというのではないが、なにせ美術館の「冷たい」感触があまり好きではないから、自分で行こうなんて思ったことはほとんどないのだ。実際、東京では皆無。それほどに別世界なのだ。

 ところが、初っぱなから嫌な予感がした。なにせ、その東京現代美術館の屋根にネオンで「宇和島駅」とある。ん? こんなところに、宇和島という駅があるのか? んなわけないだろうが、と思いつつも、自分の住んでいるエリア以外の東京を全然知らない自分は「あれ、どこの駅?」と友人に尋ねてしまうのだ。

「いやぁ、あれはね、昔の宇和島駅のネオン・サインなんだけど、それを捨てるとかいわれて、大竹さんがもらったか、買ったかしたみたいよ」

 と、それを聞いて、こっちは目が点になる。ほぉ、そうなん? としか答えようがない。なんでも彼は宇和島に住んでいるアーティストなんだそうな。で、会場に入る。一番最初の部屋は彼が収集した「これでもかというほどに」雑多なものが貼り付けられている本というか、ノートというか、それが展示されている。なんでも彼は自分と同じ年で、同じ頃にロンドンにたんだそうな。というので、一番最初に目に入ったのは当時のロンドンの地下鉄の切符やバスの回数券。「懐かしい!」今では1円で買える(そうなのよ、amazonのマーケット・プレイスでは)私の著作『ロンドン・ラジカル・ウォーク』に写っていた地下鉄の切符自動販売機で売られていたのがこれだったのね。とはいいながら、「これがアートなん?」と、その時点ではよくわからない。

大竹伸朗 そして、次の部屋へ。なんだかいろんなものが登場してくる。もちろん、絵もあるんだが、次から次へといろんなスタイルの絵が出てきて、そのぞれぞれがなにやら面白い。といっても、たいていのアーティストって、何かのスタイルってのがあるはずなんだが、この人の場合にはとてつもなく「いろんな顔」が出ているのだ。大昔、ロンドンのテイト・ミュージアムとか、いろんなところに、一応は行ってみたけど、アーティストはみんな自分のスタイルを模索して、その後に「どこかにはまる」といった感じがしていたんだけど、この人の場合は、全然そうじゃないみたい。しかも、それを楽しんでいるようにも思えるのだ

 しかも、自分と同じ年齢だからか、面白い発見がいっぱいある。ロックもあれば、ザ・ピーナッツから小林旭... それがいろいろなところに顔を見せている。なんなんだろう、この人は? と、めちゃくちゃな好奇心をそそられてしまうのだ。さらには、マラケシュの「こぎれいな」絵を見た時には、「あぁ、これを見た場所がわかる!」とも思ってしまった。82年だっけかに、モロッコに行っているんだけど、その時、俄然楽しんだのが、マラケシュ。どの街も面白いのだが、ここで3時間を費やして「値切った」記憶がある。欲しくもないものを売りつけようとする店のおじさんとの会話が面白くて、「いやぁ、これはね、650ディーラムなんだよ」といわれて、「アカンなぁ、わしゃ、そんな金は出せんよ。せいぜい50やな」と始まって、結局、90まで落とした。とはいっても、「わし、旅できているんで、買い物には興味ないから、帰るわ」というと、それまで150ぐらいの値段を出していた親父が「じゃ、それでいい!」というものだから、「これは、まだ落とせるなぁ」と、もうひとつのものも含めて再び値切りを楽しんだ。結局、「お前はモロッコ人よりタフや」といわれてしまうんだが、その時にあの広場で見た光景が彼の絵にはあったのだ。

 でも、特に面白かったのは一番でっかい部屋に置かれた二つの掘っ立て小屋。その一つには楽器が並べられていて、話を聞くと、ここでライヴをやったこともあったんだそうな。ほぉ〜、いいねぇ、美術館でライヴ。そのときの映像が小さなモニターに映されていたんだが、「よくも、こんなことをしたもんだぁ」と、なにやら嬉しくなってしまう。と思っていたら、いきなり音が流れ始めた。その小屋の中には楽器が並べられていて、そのそれぞれが機械仕掛けで「音を出す」ように作られている。昔の「からくり人形」ならぬ、「からくり楽団」なのだ。最初はドラムスとパーカッション系で、その後にターンテーブル、そして、ギター、ベースあたりが聞こえてきて、そのほかにもいろんな音がアナーキーに飛び出してくる。これは楽しかった。しかも、本人の大竹伸朗氏がもうひとつの小屋でギターを鳴らしているのだ。そうすると、いっぱい人が集まってきて、コンサートのような雰囲気になってしまった。そのとき、そこで働いているおねぇさんが耳を押さえて、嫌そうな顔をしたのも面白かった。

 いやぁ、面白い。なにが面白いかって、なによりも、まるで子供のような感覚でいろんな遊びを彼がやっていることかしら。といったら、彼に失礼なのかもしれないけど... なにせ、友人によると著名なアーティストで彼のやっていることを「遊び」というのはどうかと思うが、それでも、彼の楽しんでいるのがなにやら伝わってしまうから仕方がありません。

 ということで、本当はもっといろんなことを書きたかったけど、あまり長いものを読んでくれる人もいないだろうから、また、明日にでも書いてみよう。っても、また、明日、面白い体験をするんだろけど。

 ちなみに、今回のことはここでいろいろとチェックできるみたいです。関心のある人はチェックしてみればどうでしょ。



投稿者 hanasan : 01:17 | コメント (0)

2006年12月23日

青島幸男様、ありがとうございました。

クレイジー・キャッツ テレビ・ニュースで彼の死を知った。しばらく顔を見ないと思ったら.... こんなことになるとは。

 といっても赤の他人であり、もちろん、個人的な知り合いではないんだが、しばらくぶりに彼の名前がメディアに登場したと思ったら、それは訃報だったというのが残念でならない。そのニュースの画面で家族が彼のことを話すとき、けっして悲しそうな表情を見せないどころか、(悲しくないわけはないと思うんだが)なにやら和やかな感じで、それが「やっぱ、青島だ」なんて思ったものだ。そんな赤の他人のことを、悲しむのは、なにかどこかでお門違いだとも思うんだが、彼の冥福を祈りたいし、彼の功績をたたえたいと思うのだ。加えて、この時期になくなってよかったかもしれないとも思う。なにせ、今の日本は彼が全く望んでいたものからはほど遠く、おそらく、逆の方向に進んでいるはずだ。そんな時代に生きていて、なにやら彼から大きなものを託されたようにも感じてしまうのだ。

 物心ついた頃から、青島は自分の世界にいた。そのきっかけがクレイジー・キャッツだった。今の人には、わからないだろうけど、簡単に言えば、ドリフターズの親分のようなものと思っていただいたらいいだろう。まだ、モノクロが普通だった時代によく見ていたテレビ番組が「シャボン玉ホリデー」で、ここに出てくる彼らのおかしかったこと。まぁ、これも従兄弟の影響で見始めたんだが、橋幸夫ファンだった彼女の趣味はそれほど理解できなかったけど、おかげで知ったクレイジー・キャッツは子供でも十分に喜ばせてくれた。

 その歌の多くを書いていたのが青島幸男だったんだが、そんなことを子供が知るわけもない。ただただ楽しかった。特に植木等を中心として展開した「無責任」な感覚とか、人を食ったようなブラック・ユーモア満載の歌は、無知な子供でさえはまってしまうほどのおかしさを僕らに与えてくれたんだが、そんな歌の意味をきちんと考え始めたのはずいぶんと後のことになる。

青島幸男 なにが面白いかといえば、世の常識や良識を「ふざけんじゃないよ」と、一笑に付しながら、それとは全く逆の「非常識」で、「不遜な」歌を次々と出していったことじゃないかと思う。誰もが「一生懸命働く」ことを美徳としていたのに、「サラリーマンはぁ、気楽な稼業と来たもんだぁ」と、「タイム・レコーダー、がちゃんと押せば、どうにかなるもんだ」なんぞを真正面から歌っている。その「ドント節」同様に「ゴマすり行進曲」では積極的にゴマすりを勧め、「無責任一代男」では「人生で大事なことはタイミングにC調に無責任」と言い切っているのだ。全くのアナーキーだ。このあたりをじっくり考えると、青島幸男の詩の世界は、時代こそ違え、パンクに通じるものを感じるし、ワッハッハと笑えるレベル・ミュージック(反抗の歌)やプロテスト・ソング(抵抗の歌)を最もポップな形で作った人物じゃないかと思うのだ。

 しかも、貧しくても、モテなくても、笑ってすます、その超絶した前向きさも素晴らしい。「だまって俺について来い」では「金がない時、俺んとこに来い。俺もないけど、なんとかなるさ」だからね。彼女がいなくても、仕事がなくても「なんとかなるさ」とお気楽に歌うことで、実はそんなことより、空を見ようよ、夕焼けを見ようと語りかける。このシンプルな歌に込められている想いに、聴けば聴くほど、いろんな「思想」が見えてしまうのだ。

 実際のところ、彼の歌を調べだしたら、きりがないほどに名曲にぶつかっていくんだろうと思う。坂本九の『明日があるさ』だって青島幸男が書いている。これから彼のそういった作品を探してみようか... なんて思い出しているし、とりあえずは、彼のことをもっと知りたくて『ちょっとまった!青島だァ』という本を購入した。これからじっくり読んでみようと思う。

 その後彼が政治家になっていったことは、みんな知っていると思うけど、その全てにいい評価をすることはできないかもしれないが、大きな流の中で考えれば、彼の果たした役割は大きかったと思う。特にヤミ献金問題で罰金だけで済んだ金丸信に議員辞職を求めてハンガー・ストライキをやったことなんてのが記憶に残っているんだが、基本的にはリベラルな人だったと思うし、それがどんなところから来ているのか、この本でも読んで勉強してみようと思う。

 作詞や政治の他にも役者としても「意地悪ばぁさん」で面白いところを見せてくれたし... いろいろな才能に溢れた、いつも「刺激」を与えてくれた人物だったと思う。いろんな意味で多くのことを学ばせてもらったり、考えさせてくれた青島幸男が亡くなったというのは、どこかで、やはりひとつの時代が終わったことを知らせてくれる。少なくとも、作詞に関していえば、クレイジー・キャッツ関連での作品を聞けばわかるように、彼を越える人が出てくるのかどうか... 私にはわかりません。

 青島幸男様 いろいろとありがとうございました。ご冥福を祈ります。



投稿者 hanasan : 04:19 | コメント (0)

2006年12月22日

寿魂 - 大好きなバンド、寿の本が出ました

寿魂 ここでも何度か紹介したことがあるんですが、去年の3月に上野水上音楽堂で初めて体験したバンドに寿(ことぶき)というのがあって、あの時のステージにいたく感動して以来、何度かライヴを見ているし、撮影もしている、お気に入りのバンドです。いつだったか、その彼らから連絡があって、本を出版するので写真を使わせて欲しいとのこと。いいよぉと、写真を送って数ヶ月、昨日、うちにその本が届けられた。

 本のタイトルは『寿魂 - ことぶきたましい』というもので、20年にわたる彼らの活動の記録などがここに収められているとのこと。もちろん、昨日届いたばかりなので、まだまだ内容はわかりませんが、おそらく、面白いだろう。ステージを見ていたらわかるんだが、このバンドの要って、人との出会いだと思う。そして、そこでの体験が歌になって出てきているように思えて、彼らがこれまでどんな人たちと出会ってきたかをこれでのぞき込むことができるわけだ。楽しみです。

 ちなみに、私の写真が使われているのは最後の方のページで数点がセレクトされて1ページの中にちりばめられているという感じ。嬉しいものです。もし、よかったら、手にとってこの本を読んでいただければと思います。ここ数年、日本のバンドで「心を動かされる」ものが少ないんですが、彼らはそうなってしまったひとつ。どの歌も素晴らしいんだけど、「上を向いてあるこう」の替え歌「前を向いて歩こう」は、ライヴで聴くたびにキュンと来る。さすがに、オリジナルの作詞をした永六輔氏が認めただけのことはある。きっと、彼はそうやって寿が歌っているのが嬉しいんだろうなと思うよ。そのほかにもいい曲がいっぱい。彼らはもっともっと売れて欲しいし、多くの人に知ってもらいたいと思っています。チャンスがあったら、是非見に行ってくださいな。



投稿者 hanasan : 21:46 | コメント (0)

2006年12月19日

素晴らしき哉、人生 - 何度見ても泣ける傑作クリスマス映画

素晴らしき哉、人生 クリスマスが近づくと、どうしても見てしまう名作に『素晴らしき哉、人生』がある。1946年の作品で主演はアメリカの良心、ジェイムス・スチュアートで監督はフランク・キャプラ。これを初めて見たのはいつのことだったか、全然覚えてはいないんだが、これまでの半世紀の人生で見た映画で五本の指に入る傑作で、私が狂いまくっている『カサブランカ』と並んでこれまで幾度となく、いろんなフォーマットで購入した作品だ。

 今回、iPodにこれを入れたくて、世界名作映画全集のシリーズとして安い値段で発表された『素晴らしき哉、人生』を購入したんだが、もうちょっと調べてから買えば良かったと後悔している。映画そのものは文句なく素晴らしい傑作中の傑作で、涙なくしては見られないんだが、これは映画がそのまま収録されているだけで、解説もなにも入ってはいない。というので、これがうちに届いて、見た直後に『素晴らしき哉、人生 (特別版)』を探し出してきて注文してしまった。ここにはジェイムス・スチュワートとフランク・カプラのインタヴューやメイキングの様子が収められているんだそうな。こんなことなら、世界名作映画全集シリーズの一枚として発表された、この新しい『素晴らしき哉、人生』ではなくて、500円のシリーズで出ているムック形式の『素晴らしき哉、人生』でも買っていれば良かったかなぁと反省。きちんと「調べて」ものを書くという消費者の基本を学ばせてもらった。

素晴らしき哉、人生 映画の話をするのに、あまりにディテールを語ると、これから見る人にとって「面白くもない」なんてよく言われているけど、これはどれほどストーリーがわかっていても、何度見ても泣けてしまう。だからこそ、これは傑作であり、「一度見てしまえば終わってしまう」娯楽作品でもないのだ。逆に言ってしまえば、それが理解できない人には見る意味もないんじゃないかと思う。それほどの傑作と考えてみればいいかもしれない。

 この映画の核は絶望にうちひしがれた主人公が「神からいただいた最も大切なものを」投げ出そうとするところ。そして、「生まれてこなければよかった」という言葉に呼応して、彼を救おうとする天使が、その世界をかいま見せるというもの。といっても、それまでに至る部分も十二分に面白く、楽しく、ほのぼのとしていて、同時に、弱きものを助け、慎ましいながらも幸せな人間の有り様を、全くの押しつけがましさ無しで描いてくれる。そんな前半の「素晴らしく人間的な」主人公が、絶望の淵に絶たされたとき、「こうも変わってしまうのか」と思えるほどに変貌してしまうのだが、これは、一途にジェイムス・スチュワートの役者根性のなせる技だと思う。今じゃ、少し大げさにも思える演技かもしれないし、カメラのアングルなんかも実に「映画的」過ぎると思われるかもしれないのだが、そんな思いに至る前に「映画」の世界に吸い込まれてしまうのだ。

 まぁ、そのあたり、見てもらうしかないと思うんだが、最後の最後、天使が残したメッセージにこの映画で訴えたかったキャプラの良心が浮き上がっている。

「友がいる人に負け犬はいない」

 とでも訳せばいいんだろうが、どれほど絶望の淵に立たされて、どうしようもなくなっても、どこかで愛する人が自分を救ってくれるということかなぁ。人間を愛することの美しさを、これほどまでに美しく謳った映画って、なかなかないと思うのだ。ふつうに月並みにありのままに人を愛し、そうされることで愛されるという人間の素晴らしさを、否応なしに感じることができる。その美しさに涙を流し、そして、生きていることに感謝できる。だからこそ、アメリカの映画史上で最も素晴らしい傑作のひとつとして今に語り継がれ、クリスマスになると毎年これがテレビで放送されるんだろう。

 っても、これだけではクリスマスの映画かどうかはわからないと思うが、舞台となっているのはクリスマスの日。もちろん、この背後にはキリスト教的な世界観も反映されているのは間違いない。が、今のブッシュが振り回されている原理教とは大違いの、もっとシンプルな世界観がそこにはあるのだ。

 なにはともあれ、一度は見て欲しい。わずか500円弱で買えるし、何度でも見てみたくなるし、語りたくなる。もちろん、気に入ったのなら、もっといろんなことを知ることができる『素晴らしき哉、人生 (特別版)』をおすすめしますけど。

追記

 その『素晴らしき哉、人生 (特別版)』を、当然のように買ったんだが、なんと、英語の字幕が入っていない。なんじゃぁ、これはぁ!と、また、ショック。っても、確かに、メイキングあたりやインタヴューは面白かったけど。なかなか、満足できるヴァージョンは手に入りませなぁ。



投稿者 hanasan : 17:51 | コメント (0)

2006年12月14日

物知りに、かしこい奴はおらんなぁ - 灰谷健次郎の「天の瞳」のこと

灰谷健次郎 灰谷健次郎氏が亡くなったことをきっかけに、彼の本をまた読み返している。と、同時に、未読の本も買って読み始めたんだが、それが『天の瞳 幼年編〈1〉』で、まずは1冊目を読み終えて、『天の瞳 幼年編〈2〉』に入っている。

 実を言うと、これを読み始めたとき、ちょっと不満に思ったことがある。同じ著者が書いているのだから、当然といえば、当然なんだが、どうも灰谷作品にある「決まり切ったパターン」の繰り返しに、最初はとまどった。というか、「またかぁ」と、優しさや親切さの押し売りにも感じられる文章にちょっと「濃すぎる」なぁと引いてしまう自分がいるのがわかるのだ。とは言っても、素直に読めばそれだけで、物語に入っていってしまうんだが、今回はちょっとだけ手間取った。それでも、「大阪弁の会話」を基調とした彼の文章はすんなりと物語の中に読み手を導いてくれるし、結局は、あっという間に1冊目を読んで2冊目に入ったわけだ。

 物語はやたらユニークな「自然児」とでも呼べそうな倫太郎という子供の成長を核に、教育の問題、あるいは、親と子、先生と子供や人と人のあるべき関係を描き出そうとしているといった感じなんだが、「こんなにおもろい子供が、どこにおるんや」というぐらいに倫太郎がユニークなのが、現実離れしているなぁと思うこともある。加えて、幾度も反省を繰り返しながらも、あまりにできすぎな親や周辺の人物に、結局は「小説」という「絵空事」のニュアンスも感じるのだ。「そりゃぁ、そんなできた人もおるけど...」といった感じ? それでも、そういった人間の関係を求めていたからこそ、これを書いたんだろうし、同時に、どこかで「似たような人もいるかなぁ」と思わせるところがミソなんだろう。さまざまな「普通の人々」を登場させることで、現実との近似値をにおわせているのが面白いんだろうと思う。まぁ、なんだかんだと言いながら、どんどん先を読みたくなってこのシリーズの文庫を全て注文したわけだ。

灰谷健次郎 こんな本を読んでいると、時にめちゃくちゃ的を射た言葉や表現に突き当たるんだが、それが今回のタイトル。

「物知りに、かしこい奴はおらんなぁ」

 その通りだ。こんな言葉が物語の要でもなければ、重要でもないはずなんだが、なにやら嬉しくなるフレーズや言葉が出てくると、そこで一瞬、「あはぁ!」と止まることがあって、これが気になった。そうなったら、とりあえずは書き留めておこうと思った次第。

 ひょっとして、これは自分の物書きとしての仕事の一環でそう思うことなのかもしれない。まるで知識を持っていることが、あるいは、うんちくを語ることができるだけで「偉い」と思っている人がどれほど多いことか。知識だけだったら、調べればわかる。そういった情報を調べた結果として述べるのはいいんだろうが、少なくとも自分にとってそれだけが「書く」ことであってたまるかぁという思いがある。書くことの意味は「思い」を伝えることであり、読み手に少なくとも、情報をこえた「私」の思いを最もいい形で伝えたいと思っている。おそらく、そんな自分の感覚がこのフレーズに反応したんだろう。

 さてさて、この先、この本がどんな世界を自分に伝えてくれるのか? まだまだ先は長いんだが、楽しみになってきた。といっても、最後のパートはまだ文庫になっていないようだし... どうしよ。値段の高い単行本はほとんど買わないから、それまでに文庫本が出ていることを期待しますけど、このペースで読み続ければ、あっという間に読み終えてしまいそうで困ったものです。いやぁ、本って、本当に面白いよね。



投稿者 hanasan : 17:49 | コメント (0)

詐欺の代償は100万円ですむのか、安倍首相?

http://www.asahi.com/politics/update/1213/009.html

 この記事を見て、どう思う?「教育問題こそが....」とのたまっていた安倍首相が、官房長官だったときに、タウン・ミーティングなるものが仕掛けられていたわけだ。まるで歴史を逆行させる教育基本法の改悪をねらって、ここで「やらせ」があったことが公になって来たんだが、その責任が100万円ですむらしい。あほくさい。しかも、会見では「過度な経費」の問題をこそ話こそすれ、「やらせ」という姑息な手段を使って、税金で国民をまだそうとしたことに関してはほとんど語らない。こんな詐欺師を首相として認める日本の国民はアホの集団か? と、そう思った。

 加えて、そんなことをする「政治屋」に「教育」を語る資質なんぞあるわけがないじゃないか。逆にいえば、そんな連中が押しつける「教育」が、まともなものになるわけがないし、それを実証しているのが歴史なのだ。

 先日の、自民党造反議員の復党問題にしても、欲しいのは金と票だけ。政治家としての信念もなければ、自負もないご都合主義の「政治屋」どもが、まともな人間としてメディアに登場できることの「非常識が」常識となっているこの国ってなになのさ?と、ぶち切れまくる今日この頃。彼らは「あり得ない」選挙で国民の信を問うて、当選した人たちだろ? あのときの自民党の政策に「反対だ」と主張して、それを支持する人たちがこの「復党した政治家もどき」に投票しているのだ。とすれば、要するに「復党した」連中はどう考えても「詐欺師」なのだ。それなのに、まともな顔で「言い訳できる神経」はさすがに政治屋ですな。あんな連中、全員監獄にぶち込むべきだよ。

 と、そんな自民党への不満ばかりが鬱積する。実は、今日、友人のレストランに外務大臣が来るという話があって、「遊びに来れば?」なんて言われたんだが、当然行かなかった。当然だろう、あの醜い顔を見て、黙っていられるわけもないし、国民を裏切り続ける詐欺師と同じ空気を狭い店で吸うなんて考えられません。

 それにしても、日本人はなぜ怒らないのか? こういった政治家にダシにされ、こけにされ、裏切られ、虐げられているのはあなたたちなのよ。なぜ、彼らに投票するの?わからない、わからない、まるで添田唖蝉坊ですな。ホント、わからない。



投稿者 hanasan : 00:45 | コメント (0)

2006年12月10日

腰痛日記 - 検査結果編 + ジョン・レノンとポール・ブレイディのこと。

John Lennon なにげに朝のワイドショーで「今日は、ジョン・レノンがなくなった日か、太平洋戦争の始まった日か... どう思うかで世代がわかる」なんて声が聞こえてきた。自分の世代は明らかに前者で、あの日のことは記憶にはっきりと残っている。それは80年代にやっていた共同通信との連載コラムに書いていたこの記事を読んでもらえばわかると思うが、今振り返っても、音楽という文化が、どこかで正当に評価されている国と、所詮は「娯楽」でしかない日本とのギャップを感じざるを得ない。

 ジョンが亡くなったとき、射殺というショッキングな事件であったことから... というだけではなく、彼がどれほど大きな役割を果たしたかという意味で、イギリスでは全てのメディアが彼のことを大きく取り上げていたのを覚えている。新聞からテレビ、ラジオから雑誌... どこもジョン・レノンばかりだった。しかも、その年、クリスマスの前にヒット・チャートのトップを飾ったのは、ジョンとヨーコによる『Happy Xmas (War Is over)/Give Peace a Change』(Shaved Fish - ジョン・レノンの軌跡 に収録)で、あの曲を聴くとどうしてもあの日のことを思い出してしまうのだ。まだまだ20代だった自分が居候していたブライトンとその仲間たち... そして、それから数年後の反核運動の高まりや、ハイドパークで40万人を集めた集会の終わりに帰路につく人たちの間で自然発生的に歌われ、うねりのようになって広がっていった『平和を我らに』というジョンの名曲も思い出す。その日が、狂気の沙汰としか思えない判断をした日本政府が戦争... というよりは、アジアを中心とした人々のみならず、日本人をも含む大量虐殺の時代へ突入した日だというのがなにやら皮肉に思えてしまうのだ。

 なんでこんな朝早くからワイドショーを見たのがというと、くたくたになった前日、あまりに早く寝てしまったために夜中に目が覚めて、ずっと仕事をしていたから。しかも、この日は朝から元住吉にある関東労災病院に行く必要があったのもその理由だ。11月中旬に大枚をはたいて「造影撮影」なる検査を受けたことはすでに記している。これは脊髄に特殊な液体を注入しでX線撮影するというもので、神経の細部をチェックするというもの。自分の腰痛の原因を探るためにこれをやったのだ。最初に訪ねた北里病院でMRIをやってチェックしたんだが、「この程度ではそんなに痛くなるようなことはないと思うんだがなぁ...」なんて言われて、どうしようかと思っているときに入ってきたのが身内からの情報。なんでも関東労災病院には内視鏡手術で椎間板ヘルニアの原因とされる髄核をとってくれる名医がいるらしく、身内の知人がその手術を受けてあっという間に「痛み」から解放されたというのだ。では、その名医に会って手術してもらえばいいじゃないか... と思うのは当然だろう。

 一方で、「さっさと切ってくれ」と言ったって「はい、わかりました」なんてことになるはずがない。それぞれの医師がきちんと自分で患者を確認して判断するのは当然のこと。北里で撮影したMRIの写真を持って行って、その名医と相談したんだが、それを見た段階でいうと、この医師は手術には実に否定的だった。加えて、このときに独自にレントゲンで腰を見てもらっているんだが、それでも、この名医が知っている常識の範囲内では「異常」が認められなかったようだ。

夏樹静子 が、痛いのだ。めちゃくちゃ痛い。というので、「可能な限り慎重に調べてくれ」と頼んで、この検査となったんだが、その頃から読み出した本で知ったのが「心因性ストレスによる疼痛」のこと。(特に示唆に富んでいたのが『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』)しかも、造影撮影のために検査入院したとき、「じゃ、今度は12月8日に来てください」といわれた時点で「こいつら、患者の気持ちも症状も全く理解できていない」と思うようになったのは理解できるだろう。だからこそ、その検査の10日後に、このブログのここで、だいたいどうなるかという、自分の予想を書き残していたのだ。

 検査報告を受けた当日、名医といわれ、テレビにもけっこう登場している夏山先生はその通りの反応を見せてくれた。「これでは手術をしてもいい結果が出るとは思えない」とのこと。では、どうすればいいんだろうかと思うのは患者の当然の発想なんだが、それに対して自らどうすればいいのかといったアドバイスは全然出てこない。こちらが尋ねた結果として、初めて「ブロック注射をやっていって治る人もいますし、ストレッチとかのリハビリで治る人もいますし...」と、その程度の答えしか出てこないのだ。それではと、腰痛に関して勉強した成果として心療内科はどうなんだと尋ねると、「必ずしも治るとは言えませんが、そういった選択肢もあるでしょうね」と、そんなことは言われなくてもわかっている。その程度のことしか言えないというのが、どこかでばかばかしく思えてきた。全て想定内のことで、判で押したような反応に「患者の気持ち」をまるで理解できない日本の医療の貧しさを実感してしまうのだ。こちらは絶望的な気分で病院を訪ね、なけなしの金をはたいて検査をしている。それに対して、彼が言っていることは、言葉を換えれば、「わかりません」ということでしかない。それは受け入れることはできるんだが、その一方で、苦しんでいる人間を前に、「じゃぁ、次はこういうことを調べれば?」といったアドバイスもないのだ。

 さぁて、どうする? これまで読んできた本で得た知識からすれば、心療内科を目指すべきなのか? といっても、これも海千山千で、高い金でちょっと話をしただけで、たらい回しのようにされることもあるらしい。もちろん、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に出てきた先生を訪ねるのも手だろう。一方で、この痛みの原因が「整形外科の常識」以外の肉体的な問題による可能性はないんだろうか? と、思ってみたり... わからない。

 痛みは相変わらずで、その状態で仕事を続けている。8日は夜10時から新木場でKyoto Jazz Massiveの沖野くんが中心になってやっているイヴェントで朝まで撮影。ほとんどずっとびっこを引きながら、痛さに泣きながら仕事をした。帰宅したのは朝8時前。データをHDに落としてから寝たんだが、午後3時過ぎに起床して、今度は17時に始まるケルティック・クリスマスというイヴェントの撮影だ。これもびっこを引きながら撮影して徹夜で作業中。その休憩の合間にこれを書いているんだが、「本当に腰痛が治ることはあるんだろうか...」という不安が頭の中にちらほら顔を出している。もちろん、絶対に直してやるという意志を持たなければいけないこと、そのための努力は続けているつもりだけど、弱気な自分がいないといえば嘘になる。

Paul Brady ところで、そのケルティック・クリスマスで最も期待していたのがポール・ブレイディというシンガーソングライター。わずかの時間しか歌ってくれなかったけど、やっぱ、この人は素晴らしい。数年前にグラストンバリーで彼を見たときに、まるでヴァン・モリソンのような迫力を感じたんだが、ギター一本でステージに登場して歌っていても、同じような迫力を感じた。なぜ彼の声や歌にはそんな説得力があるんだろう。ひしひしと伝わってくるのだ。

 彼のアルバムは数枚持っているんだが、この日歌ってくれた曲名はわからない。知っている曲も出てきたけど... 曲名を覚えているのは、いまだに発音ができないんだが、「Lakes of Ponchartrain」というトラッドが筆頭かな。最初にこれを聞いたのは「Bring It All Back Home」というアルバムで、確かBBCが制作したアイリッシュ音楽のドキュメンタリーのサウンド・トラックとして発表されたアルバム。ここではホットハウス・フラワーズが歌っていて、これも素晴らしいんだが、この日のポール・ブレイディは、途中、アカペラのようなスタイルで歌っていて、それがジ〜ンときた。実に感動的なヴァージョンだった。それに、山口洋がカバーした「Homes of Donegal」。(『The Paul Brady Songbook』というベスト・アルバムで聞けます)「ヒロシがここにいないのが残念だけど... 」といいながら歌ってくれたこれも良かったなぁ。

 このポール・ブレイディだけではなく、各ミュージシャンの演奏時間は腹五分といったところで、いろいろなミュージシャンの演奏を楽しめるという意味ではいいんだけど、たっぷりと魅力を味わうのは、これから始まるそれぞれのライヴに足を運ぶしかない。なかでも、このポール・ブレイディについては絶対に見逃して欲しくないと思うし、12日の渋谷デュオでのライヴには絶対に足を運ぶつもりだ。絶対に損はさせないから、みなさんにも、見てもらいたいと思う。いいよぉ、めちゃくちゃいいよぉ。



投稿者 hanasan : 02:03 | コメント (0)

2006年12月08日

イノセント・ボイスを見る + 腰痛日記

イノセント・ボイス なにやら穏やかな一日... というより、どこかで疲れが蓄積しているのか、一歩も家を出なかったし、出る元気もなかった。左臀部の痛みはそれほどひどくはないんだが、足がつったような感覚をずっと持ち続けていることの違和感が、なにやら気分まで重たくしているという感じだろうか。身体の疲れもとれないし、酒にも弱くなったのか、昨晩の数杯が効いているのか、なにかだるいのだ。

 もちろん、仕事もしなければいけないから、更新作業はするんだが、こんな日はのんびりとしていようと、ベッドに横になって見たのが『イノセント・ボイス』という映画だった。中米のエルサルバドルを舞台に、実際にあった物語をベースにしているというのだが、あまりにむごい現実を見せられた。80年代のエルサルバドルは軍事独裁政権とそれに抵抗する解放軍との戦争の時代だったんだが、そのとき独裁政権の軍隊によって12歳になると有無をいわせず兵士にされていたのが子供たち。平和な日本の常識から見れば、完全な誘拐で、北朝鮮の拉致とも同じようなものなのだが、それに抵抗することもできない市民や学校の先生たち、牧師たちの姿が実に哀れだ。

 かといって、ただただ「哀れ」を誘ったり「反戦を訴える」映画としての押しつけがましさは全く感じさせない。それが作品としての素晴らしさにつながっているようにも思える。特に、素晴らしい演技を見せる子供たちのあどけない表情や遊んでいる風景、ナイーヴな恋心、あるいは、知的傷害を持つ青年の無垢な姿をほのぼのとしたタッチで描くことで、むごたらしい現実との対比をめちゃくちゃうまく浮き上がらせている。

サルバドル-遥かなる日々- 同じ時代の状況を描いた作品にオリヴァー・ストーン監督の『サルバドル-遥かなる日々-』という映画もあって、もちろん、ずいぶん昔だが、これも見ている。ファシスト政権をサポートするアメリカを断罪するかのような作品で、これを見ながら、アメリカに対する「怒り」を感じざるを得なかった。今考えれば、この時のファシストと同じことを中近東で続けているのがアメリカだと思えるんだが、この先、アメリカの映画人たちはこれをどう描いていくんだろうか... なんてことを思ってしまった。

 一方で、この作品に描かれていなかった世界が、今回見た『イノセント・ボイス』に出ているんだが、まるで異質なのが面白いのだ。「怒り」ばかりが印象に残っているあの作品に対して、こちらでは「哀しさ」や人間のたくましさ、弱さ、美しさや醜さ、といったさまざまな断片が渦を巻くようにわき出てくる。やはり主人公が子供で、その視線をうまく描写しているところから来るのかなぁ... あまりにも美しく、あどけなく、それでいて、優しい彼のまなざしが、どこかで「希望」を語りかけているようにも思えるのだ。よくもあんなに素晴らしい演技ができたものだ。

 それに嬉しかったシーンもある。レジスタンスに加わっている叔父が訪ねてきた時、銃撃が飛び交うなか、家で身を低くしていたみんなを恐怖から救い出すように、その叔父が歌を歌い出していた。のんきな我々には想像できないんだろうが、絶望の淵にあっても「歌」は、確かに我々を救い出してくれる。「歌」が商品となることで、日本ではそんな文化が失われつつあるのではないだろうかとも思ってしまうのだ。僕らがそんな状況のなかで歌える歌はあるんだろうか?

 エンドロールに近づく頃、字幕で語りかける事実に僕らは注目しなければいけない。

「現在も約40カ国で30万人以上の子供たちが兵士として戦場に送られている」

 もちろん、それだけではなく、世界では奴隷のような労働力として使われている子供たちが無数にいるという現実も、僕らは知っているはずだ。この現実に僕らはなにをすればいいんだろう... と、そんなことを思わざるを得なかった。なぜ富を独占する国や階層があり、それが是正されないのか? こんなことを書けばまた「古くさい共産主義的発想」だといわれるんだろうが、主義もクソも関係ない。富めるものが貧しきものへ、人間として当然の役割として、富を分配すればいいだけの話なのだ。ところが、こういった問題が出てくると最も協力的なのが貧しき普通の人々。富や権力を持つものが最も醜い態度に出る。

 と、そんなことを思っていたら、テレビのニュースで我々の払った税金を高級キャバレーやレストランで散財して喜んでいる政治家の話がでてきた。それだけではなく、領収書を偽造しているという話から、それに対して謝罪もしないという態度にむかっ腹が立つのだ。昔から「政治家は泥棒だ」と思っているんだが、文字通り、彼らは泥棒だ。目黒区では公明党の議員が辞職したという話があったんだが、なんでそれだけでいいんだ? 品川区の自民党区議はなんで「謝罪もしない」んだろ? こんな連中を誰が選んだんだ? それがもっと肥大したのが国会議員じゃないのかい? ああぁ、胸くそ悪くなる。なんとか自民党や公明党の議員を落選させる方法はないんだろうかとつくづく思います。まぁ、他の政党だって五十歩百歩だけど、政権与党をその座から引きずりおろさないと、この状態がずっと続くと思うんですよ。なんとかならないもんだろうか。



投稿者 hanasan : 06:13 | コメント (0)

2006年12月06日

渋さ知らズ、中川五郎、朝崎郁恵とライヴ3連ちゃん

渋さ知らズ 真っ黄色になった御堂筋の銀杏並木の美しさにうっとりしたことなんてなかったのに、なにやら新鮮に見えた大阪を離れて、帰路についたのは3日の朝。新幹線で帰京して、夕方友人のサックス奏者、通称まさやん(中村雅人)と一緒にひさびさの渋さ知らズを見に行った。会場は世田谷パブリックシアターという場所で、シート付きのホール。ということで、いつものようにスタンディングではない。といったって、そういった場所での彼らのライヴも幾度か見たことはあるんだが、あまり面白くはなかった。彼らにしてみれば、いつもと同じことをしているんだろうし、どう感じようが客の勝手だと思っているんだろう。ただ、面白くなかった。

 初めて彼らを見たときのことはここに書いている。そのときも同じように、「おもろない」と書き始めたんだが、結局は彼らの演奏に引き込まれて、「ああ面白かった」と結んでいる。が、今回は、単純に面白くなかった。あのときのライヴにしろ、彼らのライヴで面白かったのは「なにが飛び出してくるのかわからない」ようなスリルにあった。それはゲストのせいかもしれないし、なんでもアナーキーに飲み込んでしまう彼らのエネルギーのなせる技でもあったと思う。それはゲストがいなくても同じこと。それぞれの自由な演奏が微妙な化学変化を起こして、縦横無尽に宇宙に飛び出していきながら、どこかで「渋さ」というエネルギーに変換され、昇華されていく。それが魅力なのだ。が、ここ数回彼らを見ていて、それが身内の輪のなかでしかめぐっていないようで、それなりに面白くても「突き抜けて」面白くはなくなったというのが正直なところ。

中川五郎 その翌日は下北沢のラ・カーニャにて、音楽業界で大好きな友人で、執筆家でミュージシャンでもある中川五郎氏のライヴを取材。新しいアルバム、『そしてぼくはひとりになる』を発表して、それを核にしたライヴなんだが、バックが実に豪華。中川イサト、村上律、松永孝義といったところが、私が知っている人たち。その他、今井忍、竹田裕美子、あんさんがバックを勤め、ゲストで金子マリとのデュエットも披露したんだが、これがめちゃくちゃ面白かったなぁ。アドリブで五郎ちゃんにチャチャを入れていた金子マリの素晴らしいこと。ゾクゾクするほど魅力を感じる彼女のライヴをきちんと見ないといけないなぁ。なんて、感じました。

 この日、彼の歌で撮影できなくなったほど聞き入ってしまったのは、高田渡が亡くなった日のことを、まるで「記録する」ように歌った1曲。あの日、彼のサイトを見た記憶があるんだけど、高田渡の死がどれほど大きい悲しみとなって彼を襲ったか... あれを読んだ時に思ったものです。彼のサイトにある「徒然」と呼ばれる日記のようなセクションのこのあたり前後を読んでいただければと思うんだが、本当に、時間がたてばたつほどに高田渡というアーティストの素晴らしさを感じてしまうのだ。そんなこともあり、これには身動き取れなくなってしまったなぁ。

 本当は、この日のメインとなった新しい曲のことなんかを書かないといけないんだろうけど、なぜかちょっと難しい。いい言葉がみつからないから、簡単にはかけないのだ。でも、最後の最後に「俺とボギー・マギー」を歌ってくれたんだが、10代の頃にこれを聞いたのと同じような気持ちで、ちょいと口ずさみながら、嬉しい気持ちになった。クリス・クリストファーソンのオリジナルで『The Very best of Kris Kristofferson』あたりが、それを聞くにはお手頃な作品だと思うし、ジャニス・ジョプリンの『Pearl』で聞けるのが大ヒットしたヴァージョン。なによりも、この歌詞で好きなのは「自由っていうのは、失うものが、なにもないことだ」という部分で、いつか、これを日本語で(おそらく、五郎ちゃんと同じヴァージョンだと思う)歌ったレヨナと話した時、彼女も同じことを言っていたように思う。

朝崎郁恵 そして、昨晩のこと。19時をちょっとまわった頃に、昨年一緒にサウスバイサウスウエストというフェスティヴァルに一緒に出かけたA氏から電話が入り、「すごいいいミュージシャンがいるんだけど、見に来ない?」というので、出かけたのが青山にある、月見る君想ふという小屋。ここで朝崎郁恵という、奄美大島の歌い手さんのライヴを見ることになった。奄美物産展でもないが、島の料理なんかも楽しめるという雰囲気で、幕開けは東京に住む若者たちによる島の伝統的な踊りと歌。彼らは素人なんだが、この雰囲気は実によかった。素晴らしい音楽は単純にそれだけで素晴らしいのだ。声と太鼓と踊りと... それだけなんだが、なにやら島に連れて行ってくれたような幕開けに、実に幸せな気分になった。

 続いて紹介されたのは、なんとか(名字は聞き取れなかった)ヤマト君という高校生のミュージシャン。なんでも、失われつつある島の言葉をほぼ完璧に話すことができる彼が、三線を引きながら歌ってくれたんだが、これにはぶっ飛ばされるぐらいの衝撃を感じた。東京でライヴをするのは初めてで、本人曰く「冷や汗かいてます」とのことだったんだが、ひとたび彼の歌が出てくると、その歌声に圧倒されてしまうのだ。こんなに素晴らしいミュージシャンが眠っているんだと、大いに感激する。そして、彼と祖父母が奄美出身だという女性をバックに朝崎郁恵さんが登場して歌い出すんだが、これも素晴らしい。また驚異的なアーティストを知ることができたと大喜びしたのがこの前半だった。


 ちょっとした休憩の後に、後半が始まったのだが、その感激が吹っ飛んでしまうほどにひどかった。なんでも「ダンス・ミュージック」ということらしいんだが、バックについたのはキーボードとパーカッション。「奄美の歌は3曲聴いたら、全部同じに聞こえる」と言われたことで、朝崎郁恵さんがバックにピアノを入れて歌い出したと説明するんだが、シンプルな歌と三線だけでも十二分に素晴らしい輝きを持っていたのに、この日は、そのピアノとパーカッションがそれを消し飛ばしてしまったというのが正直な感想だ。演奏を聴けば聴くほどに、「出しゃばる」バックにイライラを感じる。隣のA氏や、彼の友人のKT氏も同じように、拍手もしなくなった。当然ながら、自分も「勘弁してよ」と思いながら、本来の音楽の魅力を粉々にするバックの演奏に、正直言ってしまえば、腹が立ってきたのだ。しかも、まるで雰囲気をぶちこわすソロなんて、あり得ないぐらいに「邪魔」でしかなかった。その昔、フラコ・ヒメネスのライヴを見たときに、ライ・クーダーがバックで入ったのを見たことがあるんだが、当然ながら、彼はプロもミュージシャンであり、バックに徹してけっして出しゃばることもなかったし、耳障りなソロもしなかった。それこそがバックの役割だと思う。その役割を果たしていないのだ。

 これまで多くの伝統的な音楽を演奏するミュージシャンを見てきて思うのは、本来の音楽が持つ力強さや美しさをまずは認識すべきだということ。それこそがまるで宝石のような輝きを持っているのだ。単純に西洋に迎合するような形で、ごてごてと装飾をしたところで、それは邪魔でしかない。この日の後半はそれが悪い形で出た典型だったようにも思える。しかも、それを楽しんでいるオーディエンスにも失望した。楽しかったらいいのかなぁ。あなたたちは「音楽」を聴いているの? そんな様子を見ていたら、なにやら歯がゆく、悲しく、悔しい気分になってしまったんだが、それは私ひとりではなく、A氏もKT氏も同じこと。なぜそれが理解できないんだろうか。

 ただ、この日買った『おぼくり』というアルバムは素晴らしかった。「最もバックがシンプルな作品を聴きたいんですが」と会場で売られていた作品から選んだのがこの作品。ライヴのひどさと比べたら、このアルバムでは実にしっとりと「バックがバックの役割」を果たしている。ああ、よかった。

 さて、あまり変化がないので、それほど書かなくなったんだが、腰痛は相変わらず。左の臀部に痛みが集中し、足の筋に、どうやら痙攣する寸前のような緊張というか、なにやら「張った」ようなものを感じる。時には、びっこを引いて歩かなければいけないほどになっていて... といっても、それは椅子に座っていて歩き出したときで、しばらく歩くとその状態からは解放されるのが不思議なんだけど、周りの人にはかなりの重症に見えるようで、椅子を譲ってくれたりするのは、正直嬉しい。

 「歩く」ことはずっと続けていて、渋さの日には三軒茶屋から自宅までを1時間弱で歩いたし、五郎ちゃんの日には渋谷から歩いて帰宅した。たまたま昨晩は仲間が恵比寿で飲んでいたということもあり、そこまでタクシーで向かったんだが、当然、そこからは歩いて帰っている。まあ、朝日が昇りかけている道を帰るときの、なにやらもの悲しい気分は格別であまり体験したくはないなぁ。とはいっても、この日はKT氏と、そして、シャーベッツというバンドの方々といろいろな話をして、実りある日だったと思う。しかも、KT氏は自分の書いた「ロンドン・ラジカル・ウォーク」という本を片手に、「これを書いた花房さんですよね」なんて話しかけてられたし、シャーベッツのベースの方もその話をしてくれた。すでに20年も昔に書いた本が、どこかで何かのつながりを作ってくれたことは、素直に嬉しいと思うのだ。



投稿者 hanasan : 16:16 | コメント (0)

2006年12月04日

名古屋から京都、大阪、そして渥美清

渥美清 大下英治氏による『知られざる渥美清』を持って、名古屋から京都、大阪へ行って来た。目的はスマッシング・マグのスタッフ、寄稿家たちとのミーティングで、今後の展開などを確認したり、あるいは、ライターや写真家としてさらに磨きをかけて欲しいという想いを伝えることもその狙いだった。

 その間に読み始めたのが『知られざる渥美清』で、今さっき、読み終えた。実に面白い。ドキュメント小説という手法で、取材に基づいて「伝記」のようで、そうでもなく、小説のようでいてそうでもない微妙なタッチを持つ作風は、渥美清という「役者」の実像を実にヴィヴィッドに浮き上がらせてくれた。素晴らしい。これで渥美清に対する見方が大きく変わったようにも思えるし、彼の出演した作品をもう一度じっくりと見てみたいという気持ちが強くなった。

 今回の旅でまず訪ねたのが名古屋。ここで新たに写真家として仲間に加わった若者と会って、メディアの意味から写真家として、あるいは、メディアの人間としてどうあるべきか... と、諭したわけではないが、自分の考えを伝えた。同時に、地元でプロモーターをしている友人とじっくりといろんなことを話し合った。仲間のバンド、音楽のこと、ビジネスのこと.... こうやって酒を飲みながら、言葉を交わしていると、我々にとって音楽がどれほど重要なものかを再確認できる。実に嬉しい。

男前豆腐 翌日、時間がゆっくりあるので東海道本線で(最も経済的な方法で)京都に向かった。時間は十分あるし、本も読める。大阪でのミーティングまでには時間もあるというので、昔から好きな喫茶店、eFish (エフィッシュ)に向かった。鴨川沿いの五条大橋の袂にある店で、仲間のミュージシャン、まさやん(スリープ・ウォーカーの中村雅人)からここを紹介されたのはずいぶん昔のこと。日本のみならず海外でも著名なデザイナー、西堀晋さんが作っているんだが、彼は現在、アップルで仕事をしているはず。彼にも、一度、お目にかかっているんだが、それもまさやんの紹介だ。彼がDJをしていた渋谷FMの番組に出演した時で、これもかなり昔のことじゃないかと思う。

 実は、MacBookを持っていったんだが、ACアダプターを忘れて頭を抱えていたんだが、この店に同じACアダプターがあって、それを使って充電とSmashing Magの更新作業。そこで働いている女の子たち、(もう、みんな友人です)と四方山話をしながら、時間をつぶすんだが、その時に話題になったのが「男前豆腐」。以前、ここにまさやんと来た時に、たまたま社長がきていて、この写真のイラストが大きく描かれたTシャツをいただいている。ここ数年間に手に入れたTシャツでは最も好きな一枚で、袖には「観客」なんて文字が書かれていて、撮影でこのTシャツを着ることも多い。なにせ、ライヴの撮影で「観客」と書かれたTシャツを着るという「洒落」を楽しんでいるってかんじかね。

 それに、ここが作っている「風に吹かれて豆腐やジョニー」という豆腐の大ファンで、以前はしょっちゅう買っていた。近所のセブン・イレブンにおいていたんだが、いつの頃からか姿を消して、代わりに置かれ始めたのが「波乗りジョニー」というもの。同じ会社のものなのかなぁと思って、一度買ってみたんだが、これはあまり旨くなかった。ところが、この話をすると、なんでも、後者は「男前豆腐」の社長の親父がやっている会社のもので、全く別物だということを知った。そうかぁ、それだったら、また「風に吹かれて豆腐やジョニー」を探し出さなければ... と思っている。特に、このところ、速歩で1時間ぐらい歩くようになって、運動の後にはタンパク質を摂取しなければいけないという話を聞かされているので、これが、けっこう役に立つと思っているのだ。

西堀 店には西堀氏がデザインしたスピーカーが置かれていて、なかなかユニーク。といっても、音は聴いていないあら、そのあたりは想像するしかないが、実際に使ってその役割をきちんと果たせないものを作るデザイナーなんてあり得ない。だから、チャンスがあれば、一度きちんと聴いてみたいものだと思う。

 大阪ではひさびさにドーベルマンのライヴを見た。大好きなスカ系のバンドで、おそらく、日本で最もオリジナルなスタイルを保っていると思う。特に、歌に対する姿勢が好きで、自分の言葉を大切にしているところが理由。演奏もつぼを押さえながらも、客を楽しませ、同時に、自分たちも楽しんでいる。このバンドはもっともっと大きなステージに立って、多くの人たちに知られるべき存在だと思う。ただ、この日の音が全然よくなかったのは実に残念。ベースの音はぶんぶんと、勘弁して欲しいほどに響くんだが、本来分厚いホーンがペラペラに聞こえるし、ヴォーカルがきちんと前面に出てきていない。これがあまりに悲しすぎた。


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2006年12月01日

渥美清 : 全然おかしくなかった「おかしな男 渥美清」

渥美清 『あゝ声なき友』というDVDを見て、むくむと興味が湧いた渥美清のことを知りたいと思って買った二冊の本のうち、小林信彦氏による『おかしな男 渥美清』を早速購入して読んでみた。でも、どこかで何かがかみ合っていなかった。

 まだまだ渥美清が売れていなかった頃から、知己だったという小林信彦氏の『おかしな男 渥美清』は資料的な価値としては確かに面白かった。加えて、それなりに「知られていなかった」渥美清の素顔の一端を見せてくれるという意味では、読む価値は十分にある。加えて、「喜劇」から「コメディアン」、「喜劇役者」を見る著者の視点の鋭さは、読んでいて、素直に感嘆した。よく映画を見ているし、役者を見ている。それでも、どこかで、なにかがしっくりこない。さぁて、それはなになんだろう。

 これは渥美清と初めて遭遇した「世代」の違いからくるのかなぁとも思う。小林信彦がこの世界に足をつっこんだのは私がもの心つく遙かに昔のこと。しかも、私が渥美清を知ったのは、以前書いたように「泣いてたまるか」というテレビのシリーズであるにもかかわらず、この本ではそれに関してほとんど書かれていない。そういった「個人的な」指向の他に、あくまで「役者」としての渥美清という人間のことしか書かれていないから、自分にとってはつまらないのかなぁと思う。「役者」としての渥美清を見る著者の視点や鋭さは、重ねて書くが、素晴らしい。でも、渥美清の「役者の向こうになにを見ていたのか」を知りたかった。ひょっとして、そんなものは端からなかったのかもしれないし、小林氏がここで書こうとしていたことではないのかもしれないんだが...

渥美清 その一方で、この本のおかげで初期の渥美清の傑作と呼ばれる『拝啓天皇陛下様』を、もう一度見てみようかと思った。所詮、一般的には渥美清は『男はつらいよ』の車寅次郎なんだし、確かに、このシリーズでなにかをきわめたんだろうけど、自分には、それ以前の彼、そこにたどり着こうとしていた彼の方に魅力を感じるのだ。

 といって、この成功で役者としての可能性をどこかで「絶たれる」というところから、『あゝ声なき友』に至ったという、この本の説明も納得できた。渥美清の「役者」としての素晴らしさを十分に引き出せなかったと説明されるが、逆に「渥美清だからこそ」そう語らざるを得なかったという意味で、渥美清の存在感を否定することもできないんだろう。


渥美清 いずれにせよ、この頃から、どうあがいても、結局は寅さんとしてしか見られなくなった渥美清の悲しみが生まれるという話は、実に納得するし、ジーンと来る。そんな意味でこの本は面白いと思う。

 で、これから読むのは大下英司による『知られざる渥美清 』。これで、渥美清のどんな顔を知ることになるんだろう。

 ちなみに、この本で知ったんだが、今年はフランキー堺の没後10年でもあるんだそうな。勝手にしやがれの武藤くんも影響を受けたというアルバム、『この素晴らしい世界』をまた聴いて供養しよう。これは日本ジャズ史上の名作の一枚だと思っている。



投稿者 hanasan : 13:17 | コメント (0)