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2007年04月23日

Move Against G8とChe Sudaka

Banda Bassotti アメリカでの出来事についてもまだご報告できていないというのに、4月19日には東京を離れてローマに飛んだ。25日から始まる恒例のストリート・ビート・フェスティヴァル取材が目的なんだが、それを前にして、その中心的なバンドであるバンダ・バソッティがベルリンで開かれる「Move Against G8」というイヴェントに出演。それを取材するために、21日にベルリンに移動した。宿泊しているのは前回と同じイースト・サイド・ホテルで、そのときのことはここに記している。ホーネッカーとブレジネフが強烈なディープ・キスをしている写真を看板にしているホテルで、そのそばには最後に残された、あの「狂気の壁」がある。昨日、その壁にそって1~2kmを歩いたんだが、この壁のおかげでどれだけの人が殺されたのかを思うと、胸が痛んだ。といっても、それはすでに18年も前のこと。時代は変わるのだ。

 ベルリンでは、基本的にはバンダ・バソッティを撮影しただけなんだが、20日から開催されたこれには1日約20バンドが出演。とんでもないパワーのライヴを繰り返していたのが、彼等のショーを見ているだけでもわかるというので、翌日、カメラをホテルにおいて見に出かけた。そして、ここで再び、英語圏以外のバンドのとてつもないパワーに圧倒されることになるのだ。

Che Sudaka ここ数年、英米系のロックにほとんど心が動かされたことはなかった。といっても、それは新しいというか、いわゆるロックと呼ばれるものに関してなんだけど、この傾向がどんどん強くなっている。日本で「このバンドがいいんだぁ」と言われて見たバンドって、ほとんどが退屈で、こんなことなら無理をして見に来るんじゃなかったなぁと思うことが多い。

 ところが、こうやってヨーロッパに来ると、それぞれのバンドが持っているはじけるような、燃えさかってるようなパワーに圧倒されるのだ。今回のMove Against G8ライヴでも卒倒しそうなバンドに出会ったんだが、その筆頭が最初に見たチェ・スダカ。アルゼンチンのバンドらしく、ライヴのあと、ホテルに戻ってきて、速攻で『Alerta Bihotza』と『Trippie Town』という2枚のアルバムを注文。このバンド、下手をしたらマノ・ネグラ的に売れるかもしれないと思えるほどの盛り上がりだった。

 最初は、いわゆるスカ・パンクと思っていたんだけど、聞けば聞くほど奥が深くて、徐々にいろんな音があふれ出てきた。カバーでスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」をパロったような曲や「レヴォリューション・ロック」のユニークな解釈に、すげぇと思って、そのあと半ばアンコールのような展開で「歌詞が一言の歌」が登場。単純に、Te'quiro mas...と思うんだが、スペイン語で「もっとくれ!」と繰り返すだけの歌とか、オーディエンスののせ方とか、乗りやすさとか、そんな意味で言ったら、こんなにすごいバンドはいないだろうと思う。これはなんとか日本に紹介したいし、絶対に成功すると確信できる。

Betagarri で、そのあとはタルコというヴェニスのバンド。去年のストリート・ビート・フェスティヴァルのベルガモで見ているんだけど、あのときと違ってサウンドに厚みができてタイトになっている。バンダ・バソッティのフォロワー的な色彩が強かったんだが、今回は違うなぁ。下手をすると、数年後にはその跡を継ぐ、そして、越えるバンドとして認識されているんだろうなぁと思った。

 そして、日本に二度ほど来たことがあるバスクのベタガリ。彼等も、日本で見たときや前回、ストリート・ビート・フェスティヴァルで見たときと比べても格段にパワフルになっている。それに見逃したけど、フランスのBrigada Flores Magonに、先日、日本に来ていた、今、バスクで絶大な人気を誇るBerri Txarrakもここにいた。今回のストリート・ビート・フェスティヴァルでも、また新しいそういったバンドに出会うことになるんだろうけど、楽しみで仕方がない。

 いずれにせよ、そんなバンドの数々を見ながら思ったのは、連中の音楽の持っている、人を動かすパワー。それに、おそらく、ラテン音楽にどこかで近似値を持つと言われているのが日本の音楽だったり、音階だからなんだろうなぁ、馴染みやすいメロディやリズムに、すぅっと持って行かれてしまうのだ。すごいと思う。しかも、「客が歌いたい言葉」がそこにあるんだろう、多くの人が大声で歌っているのだ。一方で、日本にそんな歌がどれぐらいあるんだろう。僕らには歌える歌がないと、痛切に思ったのがこのMove Against G8だった。



投稿者 hanasan : 20:56 | コメント (0)

2007年04月17日

ザ・バンド、レヴォン・ヘルムに会う

The Band 3月に日本を離れて、ニューヨークに向かう前に届いたアルバムに、『Endless Highway』(US import / 国内盤)というのがあった。ザ・バンドの名曲をカバーしたトリビュート・アルバムなんだが、ここでJack JohnsonやAllman Bros. Band、Roseanne Cashなんぞがいい演奏を聴かせてくれている。といっても、もちろん、オリジナルを越えるものはないってのは分かり切っている。時に、そういったものに出くわすこともあるんだけど、そんなことで大騒ぎをするよりなにより、自分の愛するバンドの愛する曲を、同じように愛する人たちが同じような愛情を持って、どう演奏しているかを楽しむだけで十分だ。そんな意味で言えば、このアルバムも楽しかったし、ザ・バンドのファンだったら、持っていてもおかしくない作品だと思う。

 と、そんなことを感じて、当然のようにこのアルバムをiPodに入れて、ニューヨークに向かっていた。その直前、プロモーターの友人、A氏から連絡が入っていた。

「11日にニューヨークにいるんだったら、12日に一緒にウドストックに行かない? ハッピー&アーティに会おうと思うし、トニー・ライスも撮影をしているみたいなんだよね」

 頭の中で「撮影?」と、なんじゃらほいという?マークがよぎったのだが、そんなことはどうでもいい。テキサスはオースティンで開かれるサウスバイ・サウスウエスト取材を前にして、ひさびさにニューヨークの友人のところでのんびりと休息しようとしていただけ。11日にはそのA氏が企画しているジャパン・ナイトというライヴがあって、友人のバンドも出演するというので、それは見ようと思っていたんだが、後は野となれ山となれ。なんでもできるし、時間もある。というので、二つ返事でOKした。

levon Helm で、12日、約束の時間に彼のホテルを訪ねたんだが、彼がみつからない。ホテルの人に尋ねて部屋を調べてもらったり... それでもみつからないというので、メッセージを残して、居候をしていた友人の家に戻ったんだが、地下鉄の駅を出たところでA氏から電話だ。「すまん、寝過ごしちゃった...」ということで、仕方ねぇな、とまたまた彼のホテルへ。このとき、「いやぁ、もう帰るわぁ」なんて言っていたら、こんな幸運はなかっただろう。なにせ、その時点ではなにも知らないんだが、なんと彼が最初に訪ねたのは私が愛するザ・バンドのドラマー、レヴォン・ヘルムのスタジオだったのだ。そりゃぁもう、私、興奮しまくりです。

 で、最初はマネージメントをしている女性と話をして... しばらくしたら、レヴォンが顔を出したんだけど、ひょっとしたら神経質で怖い人なのかなぁ... なんて思っていたら、めちゃくちゃ気さくで... 最初は、おっかなびっくりしながら、「あのぁ、写真撮っていい?」というと、「もちろんさぁ!」って感じで... それで撮影した一枚がこれです。一時期、ドラッグのことや体調を壊して、活動できないってこともあったようなんだけど、最近は元気になったらしく、肌の色もよくて最前線に復活したって感じですかね。

Levon Helm いろいろと作品もリリースしているようで、めちゃくちゃ仲良くなった彼からこのときいろいろなものをもらってしまいました。とてつもなく嬉しいですな。わざわざ名前を入れてサインをしてくれたポスターや、キャップに、できあがったばかりのTシャツ2枚にCDを3セット... 至れり尽くせりです。このとき受け取った作品は、CDとDVDがセットになったもので、『The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 1 』と『The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 2 』に、RCOオール・スターズ名義となる『Live at the Palladium NYC, New Years Eve 1977』(US import / 国内盤)。いやぁ、嬉し嬉しい。

 彼によると、僕らが訪ねたスタジオで定期的ライヴをしているらしく、(それが上述のライヴです)どうやらなんとか時間を作って行ってみたくなった。噂ではずっと先までソールドアウトで、予約してもかなり待たなければいけないんだそうな。それでも、レヴォン曰く、「友達の作っているトウモロコシがなぁ、6月になったら収穫期なんだ。そうしたら、それを食べながらライヴさぁ!」というので、なんとか7月の頭にでも行ければいいんだけど、さすがにフジ・ロックの頃。こりゃぁ、無理だろうなぁと思う。

 さて、そのあとはハッピー・トラムのところに移動。昨年、彼とアーティが来日したときに撮影したこともあって、このときはリラックスした感じでしたな。でも、びっくりしたのは彼の事務所を訪ねたとき。なんかとっても大きい会社の社長って感じで... なんかイメージが全然違う。聞けば、教則本やDVDなんかでいい儲けを出しているらしく、トニー・ライス(アコギの神様ですな)の撮影というのは、要するに教則用のDVD制作のためだったようだ。といっても、この日、彼が風呂場でひっくり返って、救急車で病院に連れていかれたらしく、顔を交わせることはできなかった。それほどシリアスではないということで、一安心したんだけど、なんというタイミングでのなんという事件だこと。

Perter Rowan & Tony Rice そのあと、一緒にウッドストックの町へ。いろいろ案内してくれたんだが、どうしても(ザ・バンドのデビュー・アルバムのタイトル、Music from Big Pinkに出てくる)ビッグ・ピンクを見たいというこちらのリクエストに応えて車を走らせてくれたのが嬉しかった。といっても、記憶が曖昧で全然見つからない。町の本屋に入って、当時の住所を見つけ出してくれたんだが、ストリートは見つかっても番号が変わってしまっていたようで、結局は徒労に終わった。もちろん、探してくれただけで、めちゃくちゃ嬉しかったんですが。

 その後、彼の自宅を訪ねて食事。この頃、やってきたのがピーター・ローワン。大好きなブルーグラスのアルバムで、ジェリー・ガルシアやヴァッサー・クレメンツと一緒に録音したのが『Old In The Way』。そのアルバムのメンバーが目の前にいるのだ。しかも、それからしばらくして顔を出したのがバンジョー奏者のビル・キース。「いやぁ、デヴィッド・グリスマン・クインテットで来日したときにね、僕見てるんですよ」なんて話を始めたり... そのとき、一緒に来日していたトニー・ライスとピーター・ローワンが最近発表したのが『Quartet』という作品で、これは、このあと、速攻で注文しました。そりゃぁ、してしまいますわな。

 あの来日から30年ぐらいだっけ? あのときに見たビル・キースと目の前にいる彼の表情に、その年輪を感じたなぁ。まるでおじいさんって感じだし... あの頃、グランパ・ジョーンズなんてバンジョー奏者のジャケットを見て、おじいさんだなぁ... ほのぼのしていていいなぁ... なんて、思っていたんだけど、まさかビル・キースがこんな感じになっているなんて... 想像できませんでした。

 ということで、私にとって初めてのウッドストック体験は、これ以上ないほどの大感激の嵐。生きていて良かったぁって、ホントに思いましたな。なんでこんなにラッキーなんだろうとも思ったし、これで今年のツキが全部費やされたのかもしれないと思うと、それはそれで怖いんですが、なんと幸せなこと。と、実に嬉しいニューヨーク滞在となりました。って、これって、ただの自慢ですかなぁ。



投稿者 hanasan : 15:39 | コメント (0)

2007年04月14日

大嫌いなアメリカの大好きなアメリカってか?

America ある日のこと、例によってamazon.co.jpをプラプラしていた。なにかを買おうとか、そういったことではなく、なんか面白いものはないかと、最近のリリースなんぞをチェックするって感じでのぞき込んでいたわけだ。おそらく、一度でもamazonを使ったことがある人だったらわかると思うんだが、このサイト、実によくできている。なにかを買うと、同じようなタイプのものが、いかにもクリックされるのを待っているように顔を見せるのだ。そんななかの一枚がアメリカというバンドのこのアルバム、『Here and Now』(US import / 国内盤)だった。

 なにを買ったから、これが出てきたのか、よくわからないんだが、おそらく、バーズとかポコ、バッファロー・スプリングフィールドといった流れの音楽がだろう。そのあたりは昔から好きだし、これまでにそういったところをぽろぽろ買っていたことがきっかけだと思う。

 アメリカといえば、70年代の、いわゆるウエストコーストを象徴するバンドのひとつと思うんだが、日本で最初のヒットとなったのは『名前のない馬』と放題のつけられたデビュー・アルバムからの曲だった。といっても、オリジナル・タイトルは単純にバンド名そのままの『America』。しかも、彼等がデビューしたのはイギリスだったというのが面白い。アメリカ人二人とイギリス人とのトリオで、当時、圧倒的な人気を持っていたCSN&Yに対するイギリスからの回答じゃなかったかなぁ。っても、そんなことはメディアが勝手に宣伝していただけで、このアルバムのあと、しばらくして彼等はアメリカに活動拠点を移している。

America といっても、CSNYと比較すると、あまりに軽くて、デビューした当時はそれほど聴いてはいなかったと思うし、ポップなバンドとしてしか見てはいなかった。が、大学生の頃になると、ウェストコーストという流れのなかで徐々に彼等に魅力を感じてきて、当時、最も気に入っていたのが『Harbor 』というアルバムだった。このジャケットの感覚が、どこかでセンチメンタル・シティ・ロマンスの最も好きなアルバム『シティ・マジック』によく似ているなぁと思うんだが、そのアルバムは一度CD化されただけで、すでに廃盤。ラッキーにも、手には入れましたけど。(ちなみに、このアメリカに近い流れの音楽をやっているのがセンチだと思いますが、現在、『ゴールデン☆ベスト』という企画ものの廉価盤で昔の音が聞けます。興味のある人は是非聞いてみてください)

 おっと、話がまたそれてしまったが、あの『Harbor 』と同時期に録音された『Live』が、当時の愛聴盤で、この二枚は本当によく聴きました。その後も、彼等は二人になって順調にアルバムを発表していったと思うんだけど、自分の音楽の趣味が変わったのか、20年ぐらいご無沙汰していた。といっても、時にこの二枚を引っ張り出して聴くことはあったんですけどね。

 しばらく活動を休止していたと思っていたし、噂も聞かなかったのに... というか、興味をなくして気にもしていなかったというのが本音。彼等なりになにかをしていたようで、調べるとライヴのDVDなんかも発表されているようだ。でも、そんな自分に唐突という感じで目に入ってきたのが『Here and Now』(US import / 国内盤)。なかなか面白いジャケットだし、最初にみつけたのはアメリカ盤で2枚組だというのに1900円台(今は、ちょっと高いようだけど)。というので、手を出してしまった。1枚はスタジオ録音による新作で、もう一枚はこれまでのベストの曲を集めてのライヴを収めたというもので、実にお買い得なのよ。こういったものには弱くて、つい手を出してしまうんですな。しかも、説明によると、ライアン・アダムスやベン・クウェラーに、スマッシング・パンプキンズやファウンテインズ・オブ・ウェインといったバンドのメンバーが絡んでいるという。これを最初に読んだときには頭の中が?マークりましたけど。特にポスト・パンクの人たちにはこういったものが毛嫌いされていたと思うんだな。だから、そういった若手の人たちとアメリカというバンドが全然結びつかないんですね。

America それでも、これは大正解。今の人たちがどう思うかは全然わからないけど、いわゆるウエストコースト的な、ポップで軽快なサウンドに乗せて、最高のコーラスと甘い歌声で迫るというもので、気持ちいいことこの上ない。しかも、ポップスの王道だと思うんだが、素晴らしいメロディに歌詞があり、美しいギターの音色があり... 人間の温かさがある。いやぁ、このアルバムにははまりました。なんで今頃... なんだろうけど、いいものはいいのです。なにやら心が温かくなるんですな。

「Chasing The Rainbow」という曲では、どこかでカラパナを思い出したり... 70年代のサーファーに受けたハワイのバンドで、当時はこのあたりをサーフ・ロックなんて呼んでいたように思います。懐かしい! このカラパナは曲によってフュージョン的なアプローチもしていたけど、どこかでウエストコースト的だったんですな。『Kalapana2』というアルバムには「I'D Chase The Rainbow』というサブタイトルのつけられた曲が入っていて、曲のタイトルだけじゃなくて、アメリカのこの曲には、なにかニュアンスの接点を感じてしまうんですな。それに「インディアン・サマー」という曲で思い出したのは、当然、ポコの名作。『インディアン・サマー』。近いサウンドを持ったグループだけに、どうしてもこれが出てきます。ちなみに、アメリカのこの新譜の日本盤はこの『インディアン・サマー』を放題にしている。なんといい加減な!

 さぁて、ここ数年脚光を浴びているサーフ系の人たちも、この頃の音楽に注目しているのではないかと、思うんですが、そんなことよりなにより、いいメロディと詩と素晴らしいコーラスと... それだけあったら、それで十分。その魅力を満載したのが今回、アメリカが発表した『Here and Now』(US import / 国内盤)。まぁ、単純にそんな音楽を聴きたかったら、これをぜひチェックして欲しいと思いますね。

PS: ほぼ同内容のものをSmashing Magのブログ、「音楽中毒のアルバム購入日記」でも書いております。あちらを知らない人のために、多少修正して、こちらにもアップしております。ご了承くださいませ。



投稿者 hanasan : 01:53 | コメント (0)

2007年04月13日

追悼 : 民主主義

Phil Ochs 国民投票法案の強行採決に、再び、日本には民主主義がないことを実感した。というか、幻想であったとしても、少なくとも民主主義の希望があったと思っていたのだが、この強行採決でそれが木っ端みじんに葬られたことを実感している。

 自分がミュージシャンだったら、次のアルバムのジャケットは民主主義の墓標だろうな。ちょうど、フィル・オックスが『Rehearsals for Retirement』というアルバムで、自分の墓標をジャケットに使ったようなもので、完全にあきれかえった。

 多数決が原則だというのは、当然受け入れてるし、そういった方法で決定せざるを得ないのも当然だろう。もちろん、その間に十分な議論がなされ、反対側の問題点をも十分に配慮した上での妥協点が結実されなければいけない。その上で、考えてみるのだ。この国民投票法案は全ての国民の生死に直接関わる『憲法』の問題を対象としている。そうではなかったとしても、国民投票を必要とする重要な判断を迫られるとき、国民の過半数が、少なくとも、有権者の過半数が明確にそれを支持していることを証明できるものでなければならない。ところが、そうであるとは全く考えられないどころか、それから逃げるための方法論としてこれを作っているのが見え見えなのだ。

 有効投票数だって、決める立場にあるのは政府であり、国民ではない。しかも投票する対象や議案に関しても、政府が有利なように提出することができる。国民はいつも置いてけぼりなのだ。そんな状況でなぜ『国民の意思』を判断できるのか? しかも、今の議会民主主義にしても、民意を反映したものではない。少なくとも、小選挙区制によって選ばれた議員たちは、大多数の国民の支持を得たものではなく、選挙区でひとりしか選ばれないことと投票率を考えれば、組織力を持つ団体がこそが『全権力を掌握できる』という構図を作った上で作られた人間たちだ。そんな人間、政治家どもが民主主義を体現していないのは明らかであり、彼等が強行採決するということはその時点で民主主義の抹殺であり、すなわち、それは民に対する冒涜であると考える。

 現行憲法に問題があろうと、なかろうと、現行憲法の上に立って我々の権利が保障され、民主主義が保証されているはずだ。だとしたら、現政府のやっていることの多くが憲法に反することであり、自分は彼等の決定したものを受け入れることはできないし、彼等こそが犯罪者なんだと思う。

 簡単に言ってしまえば、法を犯している人間が、法を作る国だろう。これって、正当性を持てるのか? それをして、美しい国と言える、安部首相とは人間としての感性を喪失し、知性を失った人物であり、民意を反映しない政治家と呼ばれる無法者のボスであり、この国を醜く破壊しているのは誰あろう、この人物なのだ。日本をアメリカに売り渡し、日本民族を陵辱している売国奴。まるで右翼のような言い分だが、それ以外にどう言えるのか? 非国民という言葉は、安部首相にこそふさわしい。

 民主主義が葬られた今日、その思いをいっそう強くした。日本を破滅に追いやっているのは、安部首相を長とする自民党、そして、それを支える創価学会の公明党や、そういった状況を生み出していった全ての政治家たち。覚えていればいい。すでに、破滅が始まっている。もちろん、環境問題などで終末が近づいているのは誰にでもわかること。それを加速させているのがこういった政治家であり、これから数十年後、それを実感するのがこれからの世代。ひょっとして今日は、今生きる、これから生き続ける人たちの墓標を作った日かもしれない。それは歴史が証明するはずだ。



投稿者 hanasan : 22:55 | コメント (0)

2007年04月08日

辺野古の浜に立つ

ピース・ミュージック・フェスタ ずいぶんと更新がなされていないんだが、それは強力に忙しい状況が続いているのが理由。っても、その間にとんでもない経験を続けていて、それを少しでも時間を作りながら、順次ここでご報告していきたいと思うんだが、その最たるもののひとつがこれだった。

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 2月23日、生まれて初めての沖縄への旅に出た。といっても、遊びではなく、辺野古で開催されたピース・ミュージック・フェスタ! 辺野古2007を取材するのが目的だった。いや、取材というのも正しくはないだろう、なによりも、その場にいたかったというのが正しい。主催者というか、実行委員会に名前を連ねているのはソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子。昔から好きだったバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの中心人物のひとりで、この話を耳にしたときから無理をしてでも行ってみたいと思っていた。

 その理由を... 一言で説明するのは簡単ではないんだが、その昔好きだった岡林信康の曲「だからここに来た」に近いものがある。内容よりもそのタイトルばかりを覚えているという感じなんだけど、どこかで共通の意識を持った人たちがいて、そんな人たちと出会ってつながりたかったし、そこにいることで「自分の意思を表明する」ことも必要だと思えたからだ。それは辺野古の海に海上ヘリポートを建設しようという動きに対して反対するだけではなく、そういった意志を持っている人が少なくともこの国には「存在するのだ」ということを表明したかった。実は、それが一番大きい。

 詳しい話は知らなかったが、ここで米軍基地、ヘリポートの建設を阻止している人たちの噂は届いていた。だからこそ、明確にそれに反対することを打ち出したこのフェスティヴァルをサポートしたかった。「沖縄に基地はいらない」 もちろんだ。それどころか、日本に基地はいらない。もっと、はっきりと自分の立場を示せば、自衛隊も要らないと信じて疑ってはいない。サンダーバードじゃないけど、自衛隊は国際救助隊というのに発展的解消をしてしまって、武器弾薬なんて全部捨ててしまえばいいのだ。武器なんぞあるから敵を作る。そして生まれるのが、相手が怖がって武器をため込むという悪循環。その端的な例が北朝鮮だろう。自分の隣に世界最強の軍隊がしこたま軍事力をため込んで、さらには、予算だけを取ってみれば世界屈指の「自衛隊」なる軍隊が存在する。しかも、アメリカも日本も北朝鮮を「敵」と想定しているのだ。そりゃぁ、小便でもちびりたいような気持ちで、必死に対抗措置をとるのは目に見えてる。

辺野古 そして、それをいいわけに、「北朝鮮がミサイルを撃ってくる」と、軍事力が増強されるのだ。こんな論理をまともに考えれば、それでなにが潤っているのかは一目瞭然だ。独裁者と政府のお偉いさんと、武器を作っている人たちが「一番美味しい思いをしている」 それを考えると、連中がつるんでいるとしか思えないのだ。そうは思いませんか?

 それでも、「国の平和を」と考える人がいれば、ちょっとでも考えてみればいい。そのためにどれほどの金が使われるのか? そのおかげでわざわざ「敵」を作るどころか、この国に住む住民の血税が吸い取られ、「使われてはいけない」ものに費やされているのだ。一方で、福祉予算が削られ、生活保護の予算だって減らされて、ホームレスが見捨てられる。その分を年金にでも使ってくれりゃぁいいのにそれもない。結局、多くの人たちが貧困にあえぐ状況を生み出すのだ。それはそのまま「殺人行為」に等しい。そして、政治家どもがまともな面でこうのたまうのだ。「国益のためです」。そもそもそこに住む民の利益こそが国益であり、間抜け面した金の亡者としか思えない政治家どもの体面や銭が国益じゃないだろう。

 沖縄をアメリカに売り渡した天皇や日本政府に対する怒りもあるし、その結果として沖縄に日本の全米軍基地の75%が置かれて、(国内に90程度の米軍専用施設があって、常時、約5万人の米兵が日本にいる。米軍が使えることになっている施設を全て含めると数はもっとある)沖縄の約20%が、まるで要塞のように使われている現実があるわけです。これは異常と言っていい。ところが、そこにまた新たに基地を作ろうとしていることにいたたまれなくなるのだ。しかも、そこは世界遺産にしてもいいほどの素晴らしい珊瑚の海だ。ジュゴンの他にもここでしか見られない生物もいる。加えて、すでにその村の90%が米軍施設として奪われているというのに、残されたわずかな財産、しかも、地元の人たちが生活の糧としている海を奪おうというのだ。

 といっても、詳しいことは全然知らなかった。ところが、このフェスティヴァルの前にソウル・フラワーの中川くんから「このビデオ見た方がいいよ。」と言って貸してくれたものがあった。といっても、時間がなくて見られなかったんだが、しばらくの後、やっとそれを見た。琉球朝日放送が制作したドキュメンタリーで、ここに出てくるのは辺野古の海を守った地元の人たちの闘いの記録。92歳のおばぁがすごかったけど、こういった年寄りたちが命を削って闘ってきたことが伝えられている。こんなことがあったことは全然知らなかったし、僕と中川くんで始めた非戦音楽人会議(http://ilovepeace.com) のMLで大変な事態となっていることが伝わってはいたけど、それさえもが「実感」を伴って理解できたことはなかった。実は、それ以前からもっともっととんでもない事態が起きて、辺野古の人たちを潰そうと政府が躍起になっていたわけだ。その間、自分はなにをしたのか? なにもしていなかった。なにも知らなかったのだ。

ピース・ミュージック・フェスタ それを考えると、とてつもない自己嫌悪に陥ってしまうのだ。知らされていないといえば、それまでなのかもしれないが、結局は自分の問題としてこれを考えてこなかったんじゃないだろうか。もし、あのとき、彼らの闘いを知っていたら、時間を作ってでも沖縄に飛んだだろう。辺野古に行っただろう。そして、なにもできないかもしれないけど、彼らと一緒に限られた時間であっても、阻止行動に参加しただろうと思う。

 今回辺野古に出かけたのは、こんな自分を見つめるためじゃなかったのかと思う。彼らをサポートするだけだったら、カンパを送ればいい。でも、あそこにいたかった。本当のことを知りたかった。そして、多くのことを知った。本土にいてもわからないことも少しだけど、わかることができた。なにか、新しい扉が開かれたことをひしひしと感じている。

 あの場所で、某有名アーティストが観客として来ていたことも面白かった。彼女本人が言ったのではないんだが、彼女の友人から、その後電話でこういわれた。

「彼女が会場にいたことは書かないでね。島だから、大変なのよ」

 基地問題が住民を分断して、権力者の思うつぼになっている。そんなことがあるなんて、全然知らなかった。意を決して参加した辺野古出身の(と思ったら、大阪出身で辺野古育ちなんだと)大城美佐子さんがこのフェスティヴァルに出演するにあたって辺野古の親戚を訪ねて歩いたことをソウル・フラワーの伊丹英子に聞いた。沖縄の宝物のような大城美佐子さんでさえ、そうせざるを得ない状況がここにある。しかも、フェスの翌日、ソウル・フラワーのメンバーと後片付けを手伝っていたとき、海岸に来たおばぁと話をしていた主催者のひとりが教えてくれたんだが「あの人は、大城さんの親戚で、怒っているって言われたよ。電話するって」。そういった状況に僕らはどう向かえばいいんだろう... 

ピース・ミュージック・フェスタ 一方で、たまたま昔大好きだったミュージシャンの大塚まさじが会場にいてびっくりした。なんでこんなところにいるの? と尋ねると、前日に沖縄のどこかで新良幸人とライヴをやって、この話を聞いて来てくれたんだとか。それに、その昔、ボブ・マーリーが日本に来たとき、レコード会社の社員として、担当ディレクターとして彼を世話していた友人と10数年ぶりに再会。また、渋さ知らズの不破さんが会場に入ったとき、僕をみつけてびっくり。演奏が終わったときに固く握手をして、互いがここにいることの意味を感じあった。30人以上のメンバーが自費で沖縄まで飛んできて、このライヴをやったことの意味は大きいと思う。そんな気持ちを共有できたことがなによりも嬉しかった。僕が「だからここに来た」というのはそんな意味だ。

 それだけじゃなくて、非戦音楽人会議(http://ilovepeace.com)を作ったときから名前しか知らなかった人とやっと出会えたり... といっても、「あんな文章を書く人がこんな人だったとは」と、あまりのイメージに違いに愕然としていたようですけど。それでも、こっちは積もる話ができて、嬉しかった。

 それよりなにより、あのドキュメンタリーを見て、あの闘いを続けた人たちがいた場所に自分がいられたことがもっと嬉しかった。といっても、まだまだ闘いは終わっていなくて、何十年も昔に作られた青写真が形になろうとしていることに対して闘っていかないといけない。それに、つい最近暴露されたこともある。なんと「欠陥機」といわれているMV22オスプレイと呼ばれる飛行機(ヘリコプターのように離着陸できるもの)が、新しく作られようとしているこのヘリポートで使われるという密約が政府間であったというのだ。(詳しくは,a href="http://www.okinawatimes.co.jp/day/200704051300_03.html" target="_new">こちらを参照)問題は山積しているが、少なくとも初めての沖縄で辺野古を体験できたことは自分にとって実に貴重な財産となったと思う。おそらく、それがどこかで予想できたんだろうなぁ。「だからここに来た」と思うんですよ。

 これからも沖縄だけではなく、基地の問題、平和の問題、僕らの生き方の問題から目をそらすことなく、向き合っていきたいと思う。そして、できることをなんでもやっていこうと思う。友人に語ること、自分で作ったメディアで語ること、そして、どんどん体験していくこと、それをやっていこう。

 おそらく、これから沖縄を目指すことも多くなると思う。

「だからここに来た」

 これです。その昔、イギリスのグリーンナム米軍基地で座り込みをしていた女性たちを訪ねたときも同じことを感じた。現場に行かなければわからないことがいっぱいある。本やメディアより強力な何かが。だから、どこにでも出ていこうと思う。身体で体験しなければいけない。そんなことを再認識した今回の沖縄行き。ミュージシャンたちの声、現場で会った人たちの声、絶対に忘れません。



投稿者 hanasan : 19:21 | コメント (0)