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2007年06月02日
Fermin Muguruzaで目が覚めたよ
4月28日にバンダ・バソッティを中心とした恒例のストリート・ビート・フェスティヴァル最終日をローマで取材。いつものことながら、ここのオーディエンスはぶっ飛んでいて、このあたりはSmashing Magのレポートででも確認していただければ、一目でわかると思う。オーディエンスから生まれるこの熱狂はバンダ・バソッティがどれほどの支持を受けているかの証明だろうし、政治や社会に真正面から向かい合ったこういったバンドがきちんと活動できて、しかも、支持されるという状況を持つイタリアが羨ましい。といっても、それはイタリアだけではなく、「そうではない」日本の方が例外的であり、孤立しているのだということをしっかり認識しなければいけない。日本は明らかに「精神的に貧しい」と思う。それは自分だけの見方ではないはずだ。
さて、28日のライヴが終わって、彼等の仲間の家で休息の後、早朝に空港に向かって移動。次に目指したのはスペインの地中海岸、ヴァレンシアとバルセローナの真ん中から少し南に下った街、ベニカシムで開催されていたVina Rock Festival(ヴィーニャ・ロック・フェスティヴァル)だった。本当はヴァレンシアに向かうフライトを予約していたんだが、なんと2分遅れでチェックインできず。というので、路頭に迷うところだったんだが、空港でフライトを探しまくってなんとかバルセロナ行きの格安フライトを発見。今回偶然みつけたのがVueling Airlinesという会社なんだけど、なんとかなるものだ。(ちなみに、よく使っているのはバジェットなんだけど、そのフライトはみつからなかった)
バルセロナからは列車で南下してCastellon(カステジョン)という駅で降りた。バンダ・バソッティやストリート・ビート・フェスティヴァルで仲良くなったマドリッドのバンド、ボイコットなんかと連絡を取って、彼等の仲間が迎えに来てくれることになる。このあたり、仲間のありがたさを痛感することになる。
会場は列車の窓からちらりと見えたんだが、実際に足を踏み入れてみると、かなりでかいのがわかる。ボイコットのメンバーか、あるいは、フェルミンがパスを用意してくれていたようで、なんとか中には入れたんだが、基本的にスペイン語ばかり。ほかの人たちとあまりコミュニケーションもとれず、なんとか居場所をみつけたという感じかなぁ。とりあえず、英語を話す人たちから聞いた話によると55000人がこの会場に来ていたんだそうな。
本当は、いろんなバンドを見たかった。一応、下調べをした時点でマヌ・チャオが出ていたことや、再結成したトドス・トゥス・ムエルトスもどこかで演奏していたようだし、ボイコットもフェルミンとあまり違わない時間帯に演奏するはずだったんだが、前日の大雨で大幅にタイムテーブルが変更したんだそうな。なにせ、カステジョンの駅が水浸しになっていたほど。嵐のような天候だったらしい。
この日は最終日で、主目的はフェルミン・ムグルサ。彼が出演する数時間前に会場入りしたこともあって、ほかのバンドに関してはあまりチェックできなかった。なにせ、どこに荷物を置けばいいのか、預かってくれる場所はあるのかもわからない。旅の途中だということで、全ての荷物を持ってきているので、ほとんど身動きがとれないのだ。
それでも、聞こえてくる音や歓声、そして、プレス関係者がたむろするテントに設置されているモニターを見ていると、なにやらとんでもない世界が広がっているのがわかる。聞いたことも、見たこともない、日本人にとっては「全く未知」のバンドの演奏に会場が揺れ動いているのがわかる。要するに、我々が無知なのだ。単純な話が「洋楽」というのは、本来の意味で「洋楽」ではなく「英米楽」といってもいいだろう。我々が情報を得ているのはそんなパイプを通してのみなのだ。そんな自分の無知さ加減を実感し、同時に、フェルミンのみならず、そういった「未知のバンド」の衝撃が新しい世界への扉を開いてくれたような気がしたものだ。
フェルミンは素晴らしかった。彼が登場したのは10時45分ぐらいではなかったかと思うが、いわゆるヘッドライナーの時間。その前には4万人オーディエンスがいたということだ。これは後でわかったことなんだが、まだまだヨーロッパやラテン・アメリカのバンドが英語で歌っていた時、彼は「失われかけていたバスク語」で演奏を始めていた。そのパワーが数多くのバンドを突き動かしたらしい。「なんで英語で歌わなければいけないんだ?自分の言葉でこそ歌うべきじゃないか」と、そんな動きを触発し、シーンが変わっていったというのも理解できる。
今回、ベルリンでタルコやベタガリに圧倒され、チェ・スダカに鉄槌を下されたようなものだった。そして、いつも通り、バンダ・バソッティのエネルギーに触れ、フェルミンが決定打となったようにも思う。決まり切ったパターで「産業化」された英米のロックに、どこかで欠けていたものを抱えているのがドイツ、イタリア、スペインと旅をして接することになったバンドの数々。どうやら、今回の取材が自分の指向性に大きな変化をもたらしたようだ。あれ以来、英米系の音楽にほとんど魅力を感じることなく、こういった世界の音楽を探し求めだしている。しかも、そんな流の中でどんどんと新しいバンドが耳に入ってくるのだが、それはまた後ほど報告することになるように思う。
投稿者 hanasan : 2007年06月02日 23:47