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2007年10月02日

辺野古から復帰後最大の県民大会へ

辺野古 たいした理由もなく、ちょっとひと休みしたくなって沖縄に向かった。たまたま貯めていたマイレージが使えるのと、泊めてもらえる友人がいること... 1年のうちで最も時間に余裕ができる時期だというので、韓国か台湾か沖縄に行こうかと迷っているときに「空港まで迎えに行ってあげるよ」という友人の申し出に乗ったというのが直接のきっかけだろう。

 といっても、なにをやろうと思っていたわけでもない。が、それでも、今年の2月に辺野古で開催されたピース・フェスタを取材して以降、沖縄のことがずっと気にはなっていた。普天間の代替えとして、辺野古の珊瑚礁をつぶして新しい米軍基地が作られようとしていること、そして、その阻止運動がずっと続いていることも非戦音楽人会議のMLで伝わっていた。キャンプ・シュワブを人間の鎖で包囲するというキャンペーンやなんと自衛隊まで乗り込んできての環境アセスメント作業強行を止める運動のために人手が必要だという話があったんだが、当時は忙しくて現地に飛ぶことはできなかった。現時点ではそれほど逼迫した動きが出ていないようだが、なにかをしなければいけないという気持ちがありながら、なにをしていいのかもわからないし、行ったところで足手まといになるだけではないか... と、そうも思っていた。

 とはいうものの、やはりこの目でなにが起きているのかを見てみたいと思って1日だけ足を運んでみた。これがそのときの写真なんだが、キャンプ・シュワブとの間にある有刺鉄線に数多くつけられていたアピール付きのリボンやバナーが台風の影響で吹き飛ばされたらしく、その取り付けを助けることになった。この有刺鉄線は、昔のものとは違ってまるで剃刀のような「歯」がつけられている代物。幾度か指に切り傷をつけながら、この日に用意されていたリボンを阻止運動に参加している人たちと一緒になってくっつけていった。

 写真でわかると思うのだが、この有刺鉄線の向こうに見えるのは海から陸に上がってきた水陸両用のタンク。(っても、名称さえも知りません。水陸両用の、おそらくは戦艦から飛び出してくるものだと思いますけど)それが手が届くような場所で「軍事訓練」をやっているという光景は気持ちのいいものではないし、彼らがここから戦場に出かけていることは誰でも想像できる。今、沖縄が、そして、日本がこういった軍事活動に手を貸しているのを認めざるを得ない光景がここでは日常茶飯事のものとしてあることを改めて感じるのだ。

辺野古 辺野古を訪ねた9月28日、グリーンピースが現地を訪ねて、環境アセスメントに抗議するためのキャンペーン用フォト・セッションをしていた。海は苦手なんだが、とりあえず船に乗せてもらってその様子を撮影。すでにこの「環境アセスメント」を理由に珊瑚が傷つけられているんだが、そんな場所を探しながら、水中、水上で撮影している様子がこの写真。といっても、場所が簡単には見つけられないらしく、かなり時間がかかった。

 どうやら、東京あたりから辺野古にやってきて運動に加わっている人たちがいっぱいいるようで、今回の先導役として動いていた女性はなんと東京は千代田区出身だとか。とはいっても、真っ黒に日焼けして動いている様子を見ると、すでに地元の海人のようで、実に頼もしい。他にも数人が東京からやってきているという話も聞いているし、コンスタントにここに全国から人が集まっているのがわかって嬉しかった。

沖縄 その翌日、沖縄を離れる前日だったんだが、出かけていったのは「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。なんでこれを知ったのか... 全然覚えてはないんだが、この話をたまたま知って是非出かけたいと思っただけ。そして、自分の意志を示したかったし、集まった人たちの数をひとり分だけでも増やしたかったのだ。なにせ、軍隊が国民を守るためにあるなんて言うのは完全な幻想で、彼らが守るのは国。民はいつだって「国のため」というお題目の下でぼろ切れのように捨てられ、使われていたというのは、今更説明の必要もないだろうし、それは歴史が雄弁に物語っている。それを率先してやってきたのが軍隊であり、警察だったことも疑う余地はない。その認識がなかったら、また再び同じことが起きるだろうに、その事実を歴史から消し去ろうとしているのが政府のお抱え機関であり、そんな思惑が如実に反映されているのが教科書だ。そこから、民が(今回は特に沖縄の)軍の強制のみならず、可視不可視、有形無形の圧力と洗脳で殺された事実が「なくされて」しまったことに端を発したのが今回の集会だった。

 実は、前日地元のミュージシャンの関係者と話をしていたとき、「噂では10万人が集まる」って聞いたけど... というと、「そりゃぁ、無理でしょ。いいとこ5万じゃないですか」といい返されたものだ。ところが、主催者によると11万6千人が集まったというのだ。まぁ、こういった数字をどうやって数えるのか全然わかりませんが、予想を遙かに超えた人たちが集まっていたのは確かだろう。3時に集会が始まると言われていたのに、会場に着いたのは3時半。その時点で会場には満杯の人がいたんだが、まだまだ流れを作るように会場を目指していた人が絶えなかったし、車で近場に駐車して... と、考えていた友人は集会が幕を閉じた頃になってもたどり着けなかったほどだ。

 その会場では号外が配られ、翌日の「琉球新報」を写真に撮影したのが上の写真なんだが、一面だけではなく、裏面までをも使ってド〜ンと紙面を構成するあたり、これがどれほどのインパクトを我々に与えたか、容易に想像できるだろう。ところが、その翌日東京に戻ってきて新聞を買うと、あまりの落差に驚かされるのだ。一応、一面トップで扱っていたのは朝日と毎日。読売に至っては、一面にほぼ掲載されていなかったと言った方が正しいだろう。新聞の名前が出ている左側に、まるでちっぽけなバナーのようにちょこっと「コンテンツ」を紹介する感じで数行記されているだけ。しかも、ほとんど三面記事扱いで5段程度を使っているだけという有様だ。加えて、朝日だって毎日だって、それほど大きな扱いにはしていないし、このあたりを観ていると本土での「沖縄」がどれほど「些細なことか」実によくわかってしまうのだ。そんななかで東京新聞だけがかなり大きなスペースを使って、問題点を浮き上がらせようとしていたのが印象に残る。一方で、一億総白痴化を目指すスポーツ新聞系は話にならなかった。確かスポニチは5行で終わっていたように思う。

 現地沖縄であれほどまで多くの人たちのなかにいて、なにかのエネルギーを共有した身からすれば本土でのこの反応に「作為」を感じざるを得なかった。まぁ、読売なんぞは「作為のたまもの」だと思うし、リベラル面している「朝日」なんぞを「リベラル」と呼んでるのはよほど反動的な発想を持った人ぐらいだろうと、逆に認識できたように思う。あの程度がリベラルだと思うから、「戦争反対」といっただけで「テロリスト呼ばわりする低脳」がいっぱい出てくるんだろう。

 それはともかく、この県民集会でひさびさに顔を合わせることが出来たのがソウルフラワーのひでぼうやデューティ・フリー・ショップの知花くんやピース・フィスタの仲間達。本土ではいまだこの問題や基地問題が「肌に感じる」ほどの切迫感を持って受け入れられてはいないように感じるけど、少しずつなにかが動き出している気配は感じる。まぁ、メディアはミャンマーのファッショを大きく取り上げているけど、この新聞のどうしようもないていたらくを観ていたら、そんな現状を認識できない本土の危険なほどの鈍感ぶりに開いた口がふさがらないと言ったらいいのかしら。なんてこったい。


投稿者 hanasan : 2007年10月02日 09:51

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