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2007年10月18日

そりゃぁ、ないだろう、ひばりさん!

美空ひばり って、よりもコロンビアさん! ってのが、正しいんだろうなぁ。

 前回、たまたまナンシー梅木のことを書いて、amazonでいろいろな作品をチェックしていたら、こんなものがでてきやがった。『LOVE! MISORA HIBARI JAZZ & STANDARD COMPLETE COLLECTION 1955-66』というんだが、またかよぉ! と、嬉しいような悲しいような気分になっているんですな。というのも、この元になっているのは間違いなく、昔から大好きで、すでに購入して何年も過ぎた『ジャズ&スタンダード』と『ナット・キング・コールをしのんで ひばりジャズを歌う』の2枚。と思って、調べてみた。

 まずは『ジャズ&スタンダード』に収録されている曲は「歩いて帰ろう」という曲を除いて全て、また、『ナット・キング・コールをしのんで ひばりジャズを歌う』についても、4曲を除いて全て、2年前に発売されたという、この『LOVE! MISORA HIBARI JAZZ & STANDARD COMPLETE COLLECTION 1955-66』に収録されているのだ。まぁ、こちらの収録曲は2枚組で全41曲なんだけど、なんか悔しいなぁ...

 もちろん、現時点では録音日時が同じかどうか、ひょっとして違ったプロジェクトでの録音なのかもしれないし... とは思うけど、おそらく、同じなんだろう。調べてみないと正確なことはわからないけど、どう転んでもこういったプロジェクトを幾度も繰り返してきたとは想像できないのだ。

美空ひばり というので、『ジャズ&スタンダード』と『ナット・キング・コールをしのんで ひばりジャズを歌う』を引っ張り出してきて、解説かなにかをチェックしようと思ったんだが、こういった「歌謡曲の世界」のCDって、ほとんどの場合、解説も入っていなければ、録音データが入っていないものもある。なにやらレコードが消耗品のように扱われていて、いつも悲しい思いをしているのだが、それがてきめん形になっているといった感じ? 全然わからないのだ。

 一方で、amazonの方を見ると、好き者が書き込みをされていて、「上海」と「アゲイン」は53年録音で16歳の時だったらしいし、55年(生まれた年だ!)に録音されたのが「A列車で行こう」なんだとか。さすがに天才なんだろうと思う。確か、この頃、彼女が大きな励みになったというか、笠置シヅ子にいじめられていた彼女を助けたのが淡谷のり子だったなんて話も聞いている。逆に、こんな話を聞いて、こういったレコーディングをチェックしたり、ナンシー梅木を聴いて、きちんと淡谷のり子を聴かなければいけないなぁと、思うのです。その理由は、また、書くとして、いずれにせよ、結果として、これでまた出費が増えるのだ。たまりません。


投稿者 hanasan : 17:37 | コメント (0)

2007年10月16日

Sayonara...ナンシー梅木様

ナンシー梅木 すでに他界されてからずいぶん過ぎてしまったんだが、それがきっかけでこのアルバム、『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954』を購入した。以前から彼女のことは気になっていたんだが、自分のなかでのナンシー梅木とは、マーロン・ブランド主演の名作映画、『Sayonara』に登場する人物。なんとかという女優がアカデミー賞にノミネートされたとき、日本人で最初にオスカーを取った女優として彼女の名前が出てきたこともあったんだが、実は、この映画を初めて見たとき、そんなことは全く知らなかった。幾度も繰り返して見てしまう大好きな映画なんだが、そういったことは自分にとって全く眼中になかったんだろう。それよりも、自分の友人の両親が、おそらく、この映画で描かれている「異端の恋」の現場にいたんだろうと想像できたことの方が興味深かったというのが正しい。(この当時、映画の舞台になっている朝鮮戦争時代、米兵は日本人女性と結婚してはいけないという法律があったんだとか)

 そんな映画のなかで重要な役割をしている彼女が、実は素晴らしいジャズ・ヴォーカリストだと知ったのは、ずいぶんと後のことになるんだが、そのことは以前ここで書いたように思う。横浜桜木町駅近く、大好きなジャズ・バー、パパ・ジョンを久しぶりに訪ねたときに流されていたのが彼女のアルバム、今ではすでに入手不可能な『ナンシー梅木・シングズ・アメリカン・ソングズ・イン・ジャパニーズ』で... その時は主に映画のことを書いていたと思う。

 まぁ、あの映画にはまったきっかけはというと、元々は細野晴臣の『泰安洋行』だと思う。そのアルバムが2作目となる彼のエキゾチカ・シリーズを経由して、知ったのがマーティン・デニーで、最初に買ったのが『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー』。このなかに細野晴臣がカバーしていた名曲「Japanese Farewell Song (Sayonara)」のオリジナルが入っていて、そこから映画をみつけていくのだ。(ちなみに、今、マーティン・デニーのことを調べていたら、同一ジャケットで、本当はオリジナルのデビュー作『エキゾティカ』が紙ジャケットで再発売されているのを発見してしまった。こっちには「Japanese Farewell Song (Sayonara)」は入っていないのだが、24曲入りと数が多いなぁと思っていたら、モノとステレオ・ヴァージョンが収録されているので、実質12曲入りですが、やばい! 買ってしまいそうだぁ!)

ナンシー梅木 さて、そんなプロセスを経て話を振り出しに戻すんだが、『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954』が実にいいのだ。昔懐かしいほんわかとしたジャズ。大昔のハリウッド映画を思い出すような感覚で、しかも、ジャズといえば、未だに英語で歌う人ばかりなんだが、日本語で歌っている曲も多い。その言葉の素晴らしさや奥深さにはまりまくったという感じかなぁ。それに、映画で見る野暮ったいイメージとは全く違って、かなりセクシーで大人の女を感じさせる声に入ってしまうのだ。声だけ聴いていると、主人公の絵に描いたように美しい女性のそれを感じさせるなぁ。加えて、これほどオリジナルなタッチを持った人って、それほど多くはいないと思うのだ。というか、キャッチ・コピーによると日本で初めてのジャズ・シンガーだったといった言葉も並べられていて、他の作品をもっと聞きたくなっているというところかしら。と思っていたら、このアルバムの『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954[Delux Edition]』というのが出てくるんだそうな。悔しいなぁ、こうゆうの。

 まぁ、こうやって深みにはまっていくんだろうなぁ。調べたら、ビクターからはかなり広範囲の時代をまとめた『シング・シング・シング~昭和のジャズ・ソング名唱選』といったものがでているし、コロンビアからは『日本のジャズ・ソング~戦前篇・栄光のコロムビアジャズミュージシャン』というシリーズが、けっこう低価格で昨年暮れに発表されたようだ。うずうずと「聴きたい!」という気持ちになっているのがおかしい。このあたりといえば、最近ちょいと騒がれている服部良一の作品でもチェックできるはずななんですけどね。集大成的なものとして自分が持っているのは、やはりコロンビアの『僕の音楽人生』という3枚組やビクターからでている『東京の屋根の下~僕の音楽人生1948~1954』という2枚組。おそらく、この2作品でほとんどのジャズ・ソングはカバーできるのではないかと思うけど、今年は彼の生誕100周年ということで、トリビュートは作られるわ、再発が続くわ... どれを買えばいいのか、頭を抱えてしまいますけどね。『服部良一生誕100周年記念企画 ハットリ・ジャズ&ジャイブ』なんてジャケットもかっこいいし、『服部良一生誕100周年記念企画 僕の音楽人生』は、自分が持っているものを値段を下げて再発売しているのかなぁ... これもちょっと悔しいなぁ... と思ってみたり。(いや、いいんだ、少ない金でいろな人が彼の音楽を楽しめるのであれば)

 このあたりの日本語のジャズといえば、ディック・ミネの『ジャズ・ヴォーカル』というのがあったんだが、すでに廃盤のようで見つけられなかった。名作なのになぁ。まぁ、なにか大きなきっかけでもない限り、こんなアルバムだしてくれないんだろうなぁと思う。今回のナンシー梅木みたいに死んでしまったら、アルバムも出るんだろうし、『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954[Delux Edition]』が発表されたものそれが理由だろう。死をきっかけにこういった素晴らしいアーティストを見つけてしまうって、なんか悲しいなぁと思うのであります。

 Sayonara、さよなら、ナンシーさん。ずっと前に知っていたら、会いに行ってお話を伺いたかったと思います。ご冥福をお祈りします。


投稿者 hanasan : 19:27 | コメント (0)

2007年10月02日

辺野古から復帰後最大の県民大会へ

辺野古 たいした理由もなく、ちょっとひと休みしたくなって沖縄に向かった。たまたま貯めていたマイレージが使えるのと、泊めてもらえる友人がいること... 1年のうちで最も時間に余裕ができる時期だというので、韓国か台湾か沖縄に行こうかと迷っているときに「空港まで迎えに行ってあげるよ」という友人の申し出に乗ったというのが直接のきっかけだろう。

 といっても、なにをやろうと思っていたわけでもない。が、それでも、今年の2月に辺野古で開催されたピース・フェスタを取材して以降、沖縄のことがずっと気にはなっていた。普天間の代替えとして、辺野古の珊瑚礁をつぶして新しい米軍基地が作られようとしていること、そして、その阻止運動がずっと続いていることも非戦音楽人会議のMLで伝わっていた。キャンプ・シュワブを人間の鎖で包囲するというキャンペーンやなんと自衛隊まで乗り込んできての環境アセスメント作業強行を止める運動のために人手が必要だという話があったんだが、当時は忙しくて現地に飛ぶことはできなかった。現時点ではそれほど逼迫した動きが出ていないようだが、なにかをしなければいけないという気持ちがありながら、なにをしていいのかもわからないし、行ったところで足手まといになるだけではないか... と、そうも思っていた。

 とはいうものの、やはりこの目でなにが起きているのかを見てみたいと思って1日だけ足を運んでみた。これがそのときの写真なんだが、キャンプ・シュワブとの間にある有刺鉄線に数多くつけられていたアピール付きのリボンやバナーが台風の影響で吹き飛ばされたらしく、その取り付けを助けることになった。この有刺鉄線は、昔のものとは違ってまるで剃刀のような「歯」がつけられている代物。幾度か指に切り傷をつけながら、この日に用意されていたリボンを阻止運動に参加している人たちと一緒になってくっつけていった。

 写真でわかると思うのだが、この有刺鉄線の向こうに見えるのは海から陸に上がってきた水陸両用のタンク。(っても、名称さえも知りません。水陸両用の、おそらくは戦艦から飛び出してくるものだと思いますけど)それが手が届くような場所で「軍事訓練」をやっているという光景は気持ちのいいものではないし、彼らがここから戦場に出かけていることは誰でも想像できる。今、沖縄が、そして、日本がこういった軍事活動に手を貸しているのを認めざるを得ない光景がここでは日常茶飯事のものとしてあることを改めて感じるのだ。

辺野古 辺野古を訪ねた9月28日、グリーンピースが現地を訪ねて、環境アセスメントに抗議するためのキャンペーン用フォト・セッションをしていた。海は苦手なんだが、とりあえず船に乗せてもらってその様子を撮影。すでにこの「環境アセスメント」を理由に珊瑚が傷つけられているんだが、そんな場所を探しながら、水中、水上で撮影している様子がこの写真。といっても、場所が簡単には見つけられないらしく、かなり時間がかかった。

 どうやら、東京あたりから辺野古にやってきて運動に加わっている人たちがいっぱいいるようで、今回の先導役として動いていた女性はなんと東京は千代田区出身だとか。とはいっても、真っ黒に日焼けして動いている様子を見ると、すでに地元の海人のようで、実に頼もしい。他にも数人が東京からやってきているという話も聞いているし、コンスタントにここに全国から人が集まっているのがわかって嬉しかった。

沖縄 その翌日、沖縄を離れる前日だったんだが、出かけていったのは「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。なんでこれを知ったのか... 全然覚えてはないんだが、この話をたまたま知って是非出かけたいと思っただけ。そして、自分の意志を示したかったし、集まった人たちの数をひとり分だけでも増やしたかったのだ。なにせ、軍隊が国民を守るためにあるなんて言うのは完全な幻想で、彼らが守るのは国。民はいつだって「国のため」というお題目の下でぼろ切れのように捨てられ、使われていたというのは、今更説明の必要もないだろうし、それは歴史が雄弁に物語っている。それを率先してやってきたのが軍隊であり、警察だったことも疑う余地はない。その認識がなかったら、また再び同じことが起きるだろうに、その事実を歴史から消し去ろうとしているのが政府のお抱え機関であり、そんな思惑が如実に反映されているのが教科書だ。そこから、民が(今回は特に沖縄の)軍の強制のみならず、可視不可視、有形無形の圧力と洗脳で殺された事実が「なくされて」しまったことに端を発したのが今回の集会だった。

 実は、前日地元のミュージシャンの関係者と話をしていたとき、「噂では10万人が集まる」って聞いたけど... というと、「そりゃぁ、無理でしょ。いいとこ5万じゃないですか」といい返されたものだ。ところが、主催者によると11万6千人が集まったというのだ。まぁ、こういった数字をどうやって数えるのか全然わかりませんが、予想を遙かに超えた人たちが集まっていたのは確かだろう。3時に集会が始まると言われていたのに、会場に着いたのは3時半。その時点で会場には満杯の人がいたんだが、まだまだ流れを作るように会場を目指していた人が絶えなかったし、車で近場に駐車して... と、考えていた友人は集会が幕を閉じた頃になってもたどり着けなかったほどだ。

 その会場では号外が配られ、翌日の「琉球新報」を写真に撮影したのが上の写真なんだが、一面だけではなく、裏面までをも使ってド〜ンと紙面を構成するあたり、これがどれほどのインパクトを我々に与えたか、容易に想像できるだろう。ところが、その翌日東京に戻ってきて新聞を買うと、あまりの落差に驚かされるのだ。一応、一面トップで扱っていたのは朝日と毎日。読売に至っては、一面にほぼ掲載されていなかったと言った方が正しいだろう。新聞の名前が出ている左側に、まるでちっぽけなバナーのようにちょこっと「コンテンツ」を紹介する感じで数行記されているだけ。しかも、ほとんど三面記事扱いで5段程度を使っているだけという有様だ。加えて、朝日だって毎日だって、それほど大きな扱いにはしていないし、このあたりを観ていると本土での「沖縄」がどれほど「些細なことか」実によくわかってしまうのだ。そんななかで東京新聞だけがかなり大きなスペースを使って、問題点を浮き上がらせようとしていたのが印象に残る。一方で、一億総白痴化を目指すスポーツ新聞系は話にならなかった。確かスポニチは5行で終わっていたように思う。

 現地沖縄であれほどまで多くの人たちのなかにいて、なにかのエネルギーを共有した身からすれば本土でのこの反応に「作為」を感じざるを得なかった。まぁ、読売なんぞは「作為のたまもの」だと思うし、リベラル面している「朝日」なんぞを「リベラル」と呼んでるのはよほど反動的な発想を持った人ぐらいだろうと、逆に認識できたように思う。あの程度がリベラルだと思うから、「戦争反対」といっただけで「テロリスト呼ばわりする低脳」がいっぱい出てくるんだろう。

 それはともかく、この県民集会でひさびさに顔を合わせることが出来たのがソウルフラワーのひでぼうやデューティ・フリー・ショップの知花くんやピース・フィスタの仲間達。本土ではいまだこの問題や基地問題が「肌に感じる」ほどの切迫感を持って受け入れられてはいないように感じるけど、少しずつなにかが動き出している気配は感じる。まぁ、メディアはミャンマーのファッショを大きく取り上げているけど、この新聞のどうしようもないていたらくを観ていたら、そんな現状を認識できない本土の危険なほどの鈍感ぶりに開いた口がふさがらないと言ったらいいのかしら。なんてこったい。


投稿者 hanasan : 09:51 | コメント (0)