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2007年11月26日

整備済製品でビンゴ!

iMac いわゆるマック・ファンなのだと思う。最初に買ったのがLC630で、あれを買ったのが95年のこと。86年からワープロで原稿を書き始めて... と、それからすでに20年以上が過ぎていることにびっくりするのだが、あれ以来、ほとんど手でペンを握ることがほとんどなくなった。おかげで今ではペンでなにかを書こうとすると漢字を思い出せなくて困ることが多い。とんでもない世の中... もとい、「自分」だと思う。

 それはともあれ、当時のハード・ディスクの容量が確か250MBで、メモリは8MBではなかったかと思う。あれ以来ずっとマック・ユーザーで、これまで何台のコンピュータを買ったのかと考えてみると、とんでもない数になっている。特に、昔は新しいマシンが出たら、比較的中古の値段が高い時期に売り抜けして、新しいマシンを買うようにしていたものだ。おそらく、デスクトップと同時にラップトップを使うようになって、双方の処理スピードの違いにイライラし始めたことが原因だろうなぁ。新しいマシンを使うと、確実に時間を節約できるというのが理由... と、まるで麻薬にでもはまったかのように買い換えていたものだ。

 デスクトップに関しては、LC630から確か、6100に7200、8500、9500、G3、G4Cubeと変遷したように思うし、ラップトップは550から1400、2400、G3を経て、G4は867GHと1Gではなかったかと思うが、すでに定かではない。それしても、とんでもない金額をマックに貢いでいるように思える。

 ところが、MacOSXの時代になって、それが様変わりし始めた。ずっとMacOS9で仕事をしてきたせいもあり、そういった機械でOSXにしてみても、処理スピードが速くなった気が全然しなかったのだ。というので、MacOS9が使えるマシンを末永く使用することになる。特に音の静かさとコンパクトさでCubeをずっと手放せなかったし、PowerMacG4MDDに至っては、(あのめちゃくちゃうるさい音に耐えながらも)内蔵ハード・ディスクを満タンの4台にして使ってきたし、PowerBookG4も未だにチタン製の最終型を使用している。

Peter Tosh が、こと、ネットに関する限り、OS9は使い物にならなくなって、結局、OSXに移行して実際に使い出したのがTigerから。そうすると、そろそろ新しいマシンが欲しくなる... 特に、なにかと便利に思える『MacOS X v10.5 Leopard』も発売されたし... というので、これがプリ・インストールされたか、あるいは、マシンに付属しているようだったら買ってみようとしてクリックしたのが
Apple Storeだった。ここで格安の整備済製品を購入することになる。

 今回注文したのはiMac24インチの整備済製品で価格は195200円と、20インチの値段よりも安くなっている。初期不良などで回収されたものが、文字通り、アップルによって整備されたもので、基本的に新品と変わらないし、保障もついているというので、これを試してみようと思ったのだ。そうやって届いた製品にびっくりすることになるのだ。Apple Storeのサイトで「一部カスタマイズ製品を含むため、記載されている標準モデルよりスペックの高い仕様でのお届けになる可能性もあります」と説明されているように、なんと今回届けられたのはCPUが2.8GHの最も高いモデル。しかも、ハード・ディスクは500GBで、メモリも4GBに増設されたものだった。おそらく、Apple Storeでカスタマイズされたものだと思うのだが、それで値段を計算してみると388000円となる。それを195200円で購入できたというので、まるで宝くじにでも当たったかのような気分になってしまった。

 とはいっても、今回のMacOS X v10.5 Leopardに搭載されたTime Machineという機能を使うには外付けのHD、しかも、本体の容量を考えると少なくとも500GBが必要になってくる。というので、秋葉原の秋葉館で売られているFRONT ATTACK DDTというHDのケースを購入。これで初めてfirewireの800という規格のインターフェイスを使うことになる。加えて、内蔵ハード・ディスクはウェスタン・デジタルの製品を初めて採用。どこかの雑誌で記事を読んだときのイメージが残っていたんだが、値段もいつも使っている日立のものよりも安い。いつも安い値段をつけている秋葉原のブレスや九十九電機で値段を確認した後、2台購入して、1台をTime Machine用、もう一台をデータ用として使い始めた。

 とりあえず、使い始めて数日なんだが、使用感はかなりいいし、大きなトラブルはない。といっても、プリンタを認識してはいるんだが、なぜかプリントできないといったトラブルはあるんだが、その他に関してはまずまずといったところ。これから、プリンタの問題を解決すれば、これでスムーズに仕事ができるようになると思う。まぁ、完全にOSXに移行するということで、OS9ベースで使っていたアプリも捨て去ることになるので、慣れなければいけないことが多々あるんだが、まぁ、大丈夫だろう。

 ちなみに、これで最も驚かされたのがモニターのサイズ。店頭で見ていたよりも遙かにでかい。これまで使っていた20インチがめちゃくちゃ小さく見えるというのがすごいのだ。それに、すでにOSXに慣れている人には「なにを今更...」なんだろうけど、Apple Remoteの楽しいこと。これで音楽を聴いたり、ビデオを見たり... 映画の予告編を見たりしていると、隣に置かれている21インチの古ぼけたテレビがかなり貧しく見えてしまうのだ。なんとまぁ、世の中は進化していたんだろうと思う、ここ数日間。なにか新しい生活にはいったように思えてしまうガジェット・ボーイぶりを大いに楽しんでいるといったところですな。


投稿者 hanasan : 05:00 | コメント (0)

2007年11月19日

Glastonbury FestivalのDVDが届きました

Glastonbury Festival もうずいぶん昔にこの映画『Glastonbury The Film』(国内盤 / 輸入盤)については触れている。確か、昨年の4月にロンドンで公開された日にこれを見ていて、その時に書き残したものはここでチェックできる。セックス・ピストルズのセミ・ドキュメンタリーといった感じの映画『Great Rock'n'Roll Swindle』(国内盤 / 輸入盤)でデビューすることになったジュリアン・テンプル監督による作品で、イギリスのフェスティヴァル、グラストンバリーを、おそらく、最も完璧に近い形で描いたドキュメンタリーと言っていいだろう、この作品がこれでやっと日本にDVDで姿を見せたことになる。といっても、今買えばちょっと安めなんだが、日本で買うDVDはなんでこんなに高いんだろう。

 今、UKでのamazonで値段をチェックしてみたんだが、約7ポンドと、同じ二枚組で1500円もしない値段で購入することが出来るし、同じ作品のアメリカ盤を日本でも3000円以下で入手することが出来る。このあたりの価格の問題って、なんとかならないんだろうかと思う。ちなみに、イギリスでは本が一緒になったデラックス盤というのもあるようで、こちらが日本での価格に近いのがわかる。ちなみに、amazonでは、これを書き始めた11月19日の段階で26%オフとなっているので、欲しい人は今のうちに買っておく方がいいように思う。

 このサンプルが届いた日のこと、パッケージを開けてビックリするのだが、許諾も与えていない自分の原稿がブックレットに使われているのだ。これには、正直言って、ぶち切れた。こういった原稿を執筆すること、写真を撮影して、その著作物の使用料を生活の糧としている我々フリーの写真家、ジャーナリストにとって、これは窃盗被害にも匹敵する行為に映る。かつても、自分の原稿が無許可で使用料も受け取れずに書籍で使われていたことがあるし、まるで盗作のような形で使われて一銭ももらえなかったことがあるんだが、こんなことが許されていいわけはない。

 以前だったら、まぁ、いいかぁと思う自分がいたんだが、今回は、さすがに黙ってはいなかった。元々あの原稿はあの作品が映画として発表されたときのパンフレット用に執筆したもので、DVDに転用されるなんて話は聞いていない。著作物についてはどんな媒体であれ、「使用する」度にその使用許諾を著作者から得なければいけないし、それに対して著作権を持つ者は使用料を請求できる。というので、あの原稿を書いた先にメールを送付。説明を求めた。

 大失態をやってくれたが、幸運だったのは、今回の担当者が素直に非を認めて、原稿の使用料をきちんと支払ってくれるようになったこと。丁寧に連絡をくれて、直接会って謝罪したいということで、すでに彼等への文句も恨みもない。ただ、こういったことが往々にして起こりうることを、我々著作物に関わる人間は十分に認識すべきだと思うという動機でこれをここに書き残しているに過ぎない。

 いずれにせよ、この『Glastonbury The Film』(国内盤 / 輸入盤)は見て欲しいと思う。日本でもフェスティヴァルという言葉が市民権を得て入るんだが、その多くを見ても、結局は「与えられた」巨大コンサートにしか過ぎない。ただ、ミュージシャンを集めれば、それでフェスティヴァルだという発想はあまりに貧しすぎるのだ。その典型的な例が、世界的に有名なビッグバンドを並べてウドーが開催したものだろう。あのときのレポートを「媒体」ではなく、個人がやっているのを見たときに笑ってしまったんだが、大いなる勘違いが「笑えない」ほど悲惨な状況を作り出したんだろうと思う。

 といって、なにもグラストンバリーが完璧だとは露ほども思ってはいない。巨大な壁に囲まれ、見張り台まで作られた強制収容所のようなものが、フェスティヴァルと呼べるのかどうか、81年からほぼ毎回この会場に足を運んでいる人間としては大いに疑問を感じるのだ。そうでもしなければ、ただで入ってくる人間が無数にいるという現実はあるにせよ、どこかでなにかが間違っているように思う。一方で、数多くの人たちが小規模ながらも各地で開催しているフェスティヴァルに興味を持ち始めたのはそんなところが理由ではないかと思う。


投稿者 hanasan : 23:48 | コメント (0)

浪曲師、国本武春のブルーグラスDVD

国本武春 このところ、自分が関わったものに関する作品のリリースが相次いでいるんだが、これも、どこかでそんな一枚。浪曲師で、同時に、ブルーグラスのミュージシャンでもある国本武春のライヴを収録したものだ。『どかーん!武春劇場 tour 2007』というタイトルのDVDで、これが一昨日、うちに届けられた。このジャケットの表四(裏表紙)に自分が撮影した作品が使われているんだが、それは今年の7月4日の渋谷パルコ公演での写真で、そのときの様子をレポートしたのがこれ。このDVDで使われているのは、あのレポートでは掲載していないものなんだが、ウェッブというメディア、そして、組写真によるライヴのレポートという意味で、『いいなぁ』と思っても使えない写真が多々あり、これもそんな一枚だ。

 そのDVDの顔、国本さんと初めて出会ったのは昨年のサウスバイ・サウスウエストで、一緒にアメリカに渡り、全米(って、そんなに大げさではないと思うけど)6箇所ほどをツアーしている。なんとそのときの自分の役割はステージでのMCだったんだが、同時にライヴの写真も撮影するというもので、時には、通訳的にみんなを助けたりもしなければいけなかったんだが、実に楽しかった。そのときの様子はこちらのオースティン公演を皮切りに、全行程のフォト・レポートをアップしているので、チェックしていただければ幸い。

 ちなみに、彼がイースト・テネシー大学に留学した頃から一緒に演奏しているラスト・フロンティアとのブルーグラス・ライヴはオースティンでの2本のみ。残りは彼がソロで演奏するというものだったんだが、ニューヨークからシカゴ、オークランドからサンタ・モニカと、どこの会場でも最もお客さんを湧かせたのが彼ではなかったかと思う。なにせ、三味線でブルースもやれば、カントリーもやるし、ボトルネック奏法まで飛び出してくる。その楽しさは一度見たらやみつきになるのだ。しかも、締めはいつも浪曲で『忠臣蔵』のさわりをやってくれるんだが、日本語がわからなくても「笑える」ほどのエンターテイナーぶりを見せてくれる。さすがに「生」でずっとステージに立ってきた人だと大いに感心したものだ。日本語が理解できようと出来まいと、そんなことは無関係。英語なんぞほとんど話していないというのに、アンコールを求める声がやまなかったのが面白い。

国本武春 ところで、彼の他に数々の三味線演奏家と一緒のツアーでMCを担当するという話を持ちかけられた時に、当然、全アクトの資料を取り寄せているんだが、その時、(あるいは、それ以前だったかもしれないが、ちょいと記憶がはっきりしない)彼のウェッブサイトの通販で購入したのが1枚目のアルバム、『アパラチアン三味線』だった。すでに、続編的なアルバム『Sushi & Gravy』も発表されているんだが、今のところ、後者は彼の公式サイトか、彼のライヴでしか購入できないようだ。とはいっても、どんな音楽を演奏しているのかをチェックしようと思えば、そこでも出来るし、Takeharu Kunimoto & The Last FrontierのMySpaceでも、4曲ほど聴くことが出来る。が、出来れば、『アパラチアン三味線』は聞いてもらいたいと思う。掛け値なしの傑作です。一般的にいえば「際物」的な見られ方をするんだろうが、そんな発想をするのは実際に聞いていないからだろうと思う。単純に三味線でブルーグラスをやっているという域を遙かに超えて、カントリーやブルーグラスのルーツの上に根ざして、東洋的なメロディのオリジナルを、しかも、名曲を彼が生み出していることに驚かされるのだ。実に素晴らしい。

 今回のDVD、『どかーん!武春劇場 tour 2007』はまだ到着したばかりだし、仕事がたまっているので見てはいないんだが、だいたいは想像できる。おそらく、強者のミュージシャン達だから、毎日演奏曲目に若干の変化はあっただろうと察するが、基本的に横浜でのライヴを収録したこれも、自分が撮影した7月4日とそれほどは変わらないように思えるのだ。が、楽しみはブルーグラスではなく浪曲の方。実は、あのシリーズのライヴ、毎日前半が浪曲の歴史を実演付きで解説するというもので、自分が撮影した初日は「そもそも浪曲はどこから始まった?」といったもの。で、数日後に、自分が大好きな先代の広沢虎造のことを話してくれたんだが、このときは虎造のスタイルに沿って、国本さんがうなってくれていて... それを見たくてカメラなしでパルコ劇場に向かったものだ。

 DVDのパッケージを見ると、第一部として「三味線弾き語りで綴る浪曲の歴史」というのがあるから、おそらく、このシリーズ・コンサートの毎日の浪曲部分をダイジェストのような形でまとめてくれているのではないかと察する。だとしたら、実演付きで浪曲の美味しいところをつまみ食いできるといった感じかねぇ。だから、実に楽しみなのだ。

 とはいっても、一度は生で浪曲を見てみたいなぁと思っている。だから、年末恒例の彼のツアーにでも出かけてみようかと思っている。出し物は彼の十八番、時期も完璧な忠臣蔵で三味線弾き語りのワンマン・ライヴだとか。詳しい日程は公式サイトでチェックしていただきたいのだが、初日が11月28日の八王子ということで、実は、今、悩んでいるのです。なんでも、噂で聞くには、観客を大笑いさせて、大泣きさせるというのが彼の浪曲。だったら、見てみたいと思うじゃないですか。

追記

これを書いて、その翌日、ちょいとこのDVDを見てみたんだが、前半部分、毎日の公演を撮影してのダイジェストではなく、横浜のライヴで「浪曲の歴史」を一人でステージに立ってまとめたものでした。残念。バジェットのせいかしら。もちろん、それでも面白いんですが。


投稿者 hanasan : 13:38 | コメント (0)

2007年11月18日

音楽はどこで聴く? Signmarkのこと

Signmark よくあることなんだが、また、日にちを間違えた。今年の七夕の日に取材したイヴェント、サインソニックのヘッドライナーだった、フィンランドのラップユニット、サインソニックが再来日をするというので楽しみにしていたのに... しかも、メンバーのKimからは直接メールも受け取っていたのだ。そのメールに返事を出そうとして書き始めていたのが16日の夕方。その時気がつくのだ。17日だと思っていた東京公演が、実は、この日、16日だと。いかん! と、コンピュータをシャットオフして、大急ぎで初台のドアーズに急行。19時開演でライヴが始まっていて、会場に入ったのは、40分ほど過ぎた時点。と、大失態をしてしまった。

 とはいいながら、それから1時間弱、ライヴを楽しむことが出来たので、よしとするべきなんだろう。しかも、背後に飾られたスクリーンからは、ラップで語られる言葉が日本語で描かれ、前回とは違って彼らがラップしている「意味」が理解できたことが大きな収穫だった。これを見ながら、7月のサインソニックで、想像したとおりの言葉が語られていたことに嬉しくなるのだ。

 サインソニックというのは聴覚障害を持つ人たち、簡単に言えば、耳が聞こえない人たちのロック・イヴェントで、自分にとって今年最も大きなインパクトを与えられたものがこれだった。なにせ、演奏しているバンドのミュージシャン達の多くがそういった障害を持っているのだ。一般的な常識でいえば、「それで演奏できるのか?」ってことになるんだろうけど、決して悪くない。これはお世辞でもなんでもなくて、活動歴10数年だというブライト・アイズという名古屋のバンドなんて、とんでもない迫力だった。それに、このとき、初めて体験することになる「手話」ヴォーカルも興味深かった。Rimiという女性なんだが、口からは一言も発することなく、文字通り、「手話」で歌うのだ。バックで流されるテープにはヴォーカルがつけられているから、どこかで奇妙な感じがしないでもないし、下手をすると単純に踊っているようにしか見えないかもしれないが、確かに「手が」歌っているのが見える。手話を全く理解できていない身には、「聞こえる」といった方が正解なのかもしれないが、どこかで「聞こえる」ように思えるのが不思議だ。

Eddie Reader そのライヴを前にして思い出したのがエディ・リーダーのアルバム『Mirmama』(UK import / US import)に収録された曲「What You Do with What You've Got」。文字通り、彗星のごとく現れて、そのピークに突然、しかも、日本でのツアーをきっかけに解散してしまったバンド、フェアグランド・アトラクションのヴォーカルだったエディ・リーダーの、ソロ・デビューとなったこの作品で歌っている曲なんだが、そこで歌われていたことを思い出したのだ。

「力強い二本の足があるのに、あなたは逃げ出すだけ?」
「素晴らしい声があるのに、何も素晴らしいことは口に出来ないの?」
「まともな耳を二つも持っているのに、あなたを愛する人の声も聞こえないの?」

 と、歌はそんな感じで歌われるのだが、手話を交えて作られたプロモーション・ビデオやこの曲のことを話題に、もう10数年も前にどこかのスタジオの中でインタヴューした時のことを思い出した。「耳があるのに、あなたは本当に聞いているの?」と、あのときはそんな会話を交わしたように思う。なんでもこれはアイリッシュの詩人の作品で、初めてこの曲を聴いたときに、彼女いわく「頭がぶっ飛ばされた感じだった」らしい。と、それは後にMaSpaceを通じて、彼女とコンタクトをとったときにメールでやりとりで教えてくれたものだ。

 その歌を知ってからだろうか、いつも思っている。僕らは本当に「聞いている」んだろうか。たとえば、音楽にしても、音楽を聴くとはどういうことなんだろう。それは、鼓膜の振動で「音を認識する」ことなのか? 耳に入ってくるということが聞くということなんだろうか。聞くと聴くとの違いもあるだろうし、鼓膜ではなく身体で音楽を聴くこともあるだろう。また、「聴く」ことは「知覚」するということでもあるんじゃないだろうかとも思う。

 そんないろいろな思いが交錯したのがサインソニック。そして今回、サインマークの見える「言葉」によって、また、そんなことを考えてみる。手話によって「言葉」を持つことが、そして、「語る」ことが出来た、その喜びを語る歌は音楽が決して「耳」だけで「聞く」ものではないことを教えてくれているように思えるのだ。


投稿者 hanasan : 10:52 | コメント (0)

2007年11月16日

結局、買ってしまったHarder They Come

Jimmy Cliff 先日書いた『バーゲンでレゲエ三昧』という日記で、ちらりと取り上げた、レゲエ映画の大傑作『Harder They Come』のサウンドトラック、『Harder They Come』なんだが、結局、クリックしてしまった。これも音楽中毒のなせる技なんだろう。やっぱり、いつでも聞くことが出来るiTunesに入れておきたいし、CDの方がiTunesより安かったから... というので、買ってしまったのだ。

 ところが、面白いのはこのCDをiTunesで吸い取った時のことだ。ジャケットが自動的に落ちてこないというので、amazonからジャケットの絵を取ってこようと検索して、最初にヒットしたのが2003年に発表されたという『Harder They Come - Deluxe Edition』。ん? 当然、頭の中で?マークが点滅し始めるのだ。けっこうな値段だから、簡単には買えないのはわかっているんだけど、これ、なに? ずいぶんと長い間、この映画の『Harder They Come』は見ていないから、ディテールを覚えてはいないんだが、そんなにたくさん音楽が使われていたかなぁ.... と、考えてしまうのだ。なにせ、この『Deluxe Edition』にはオリジナルの12曲のDisc1に対して、18曲も入っているDisc2というのがついてくるのだ。さぁて、どうだったっけ? また、レコード会社がコレクターズ意識をくすぐって、売り上げを上げようとしているだけじゃないの? なんて思ってしまうのだが、なにやら気にかかる。

Harder They Come と、結局、『DVD』も買わなければいけないのか? と、悩み込んでしまうのだ。といっても、もう勘弁してほしいと思うのですよ。いくらなんでも、こんなことをしていたら、経済が続かない。というので、DVDを持っていそうな友人にコンタクト。アメリカ版ならあるというのだ。当然字幕はないし、リージョン1。っても、まぁ、癖のあるジャマイカ英語だろうが、だいたいのことはわかるだろうと、彼が持っていることを確認して借りることにした。

 とはいうものの、全てをきちんと見る時間はない。奇妙な話が、時間はないのに気になる。とうので、とりあえずはボーナスで収録されているインタヴューなんぞを再生しながら、横目でちらちら見て他の仕事をしているという有様だ。そのあたり、自分がアホじゃないかと思うんだが、仕事がつまっていて、まともにDVDも見られない状況なのですよ。だから、そんな詳しいことを発見できるわけがないのだ。

 ところが、ボーナス映像の話を聞いているだけで、この映画どれほど重要な意味を持っていたかということを再び感じてしまうのだ。撮影は16mmのフィルムだったこととか、かなりの低バジェットだったこと、タイトルはジミー・クリフが撮影の後に録音したサウンドトラック用の曲から生まれたこと... などは理解できたんだが、横目でちらちら見ているだけなので、心許ない。が、いずれにせよ、この映画をもう一度じっくりと見る必要を感じてしまった。となったら、アメリカ版より国内版を買ってみた方がいいじゃないだろうかなぁ... なんぞを思ってしまう自分がいるのがおかしいわ。

 それにしても、『Harder They Come - Deluxe Edition』が気になりますけどね。だれか、そのあたりの内容を知っている人っていないかねぇ。


投稿者 hanasan : 06:11 | コメント (0)

2007年11月14日

Otis ReddingやSam & Dave、40年前の音楽にふるえます

Stax-Volt Revue: Live in Norway 1967 たまたまなんだが、ある日、このDVDを見つけた。『Stax-Volt Revue: Live in Norway 1967』というタイトルで、オーティス・レディングやサム&デイヴといった名前が見える。といっても、その時点でタイトルにある「ノルウェーのライヴ」というのも見えなかった。単純に「スタックス」や「オーティス・レディング」に「サム&デイヴ」あたりしか目に入ってはないんだが、それだけで引きつけられた。しかも、1967年のライヴなら、基本的に悪いわけはない。なにせ、オーティスが「生きている」時の映像だ。ところが、このところあたりにたくさんの金をCDにかけてしまっているので、なかなか注文できない。というので、このあたりのクラシックなソウルやブルースに目がない友人に「これ、持ってた? 俺は買えないけど、とりあえずお、知らせておこうと思って」とメールしたのがいつのことだったか... もうすっかり忘れていた。

 ところが、昨晩、例によって例のごとく、その友人のやっているレストラン、中目黒のクイーン・シバに出かけると、そのDVDのパッケージが目の前にある。さすがですな、このあたりの音楽、ソウルからブルースには目がない店主、ソロモンのことだけはある。というので、早速見せてもらったら、これがいい。めちゃくちゃいい。

 とはいっても、映像を見ると、なにかよく似ているのだ。『Remembering Otis』(US import / 国内盤)で見た映像に。これは、あまりにも有名な『Monterey Pop Festival』(US import / 国内盤)での映像を中心に構成されているんだが、他の場所でのライヴ映像も入っていたわけで、おそらく、今回の『Stax-Volt Revue: Live in Norway 1967』の映像を加えて、できあがっているのが、『Remembering Otis』(US import / 国内盤)ではないかと思う。まだ、きちんと見比べてはいないんだが、ブッカーT&MGズの着ている服とか、全く同じに見えるのね、記憶に間違いがなければ。だから、もし、この二組のみを期待しているのであれば、そして、『Remembering Otis』(US import / 国内盤)を持っているのであれば、これを買う必要はないだろうなぁと思う。

Sam & Dave 一方で、もし、本格的なスタックス・ファンだったら、絶対に買うべきなんだろうなと思う。というのも、このDVDの解説にもあるんだが、これまで発表されていなかった20分の映像がここに収められているというんだが、おそらく、それがザ・マーキーズ、アーサー・コーンリー、エディ・フロイドの歌っている部分だと思うのだ。この部分は、当然、見たことがないから、アーサー・コーンリーの「ミッド・ナイト・アワー」を見て、「ん?ウイルソン・ピケットか?」と一瞬思いましたもの。だって、私の場合、かつてここでも紹介した『Soul To Soul』(US import / 国内盤)で彼が歌っているこの曲のインパクトに完全にKOされてますから。この曲を耳にすると、条件反射的に彼の名前が出てくるのです。でも、当然、違うんですけどね。

 まぁ、スタックスといっても、私の場合、『Wattstax』(US import / 国内盤)ぐらいしか知らなくて、ソウル・ファンからすれば、非常に無知ですから。なにも語れませんなぁ。単純に、どれを聞いてもめちゃくちゃいいぐらいしか思い浮かびません。

 そういえば、先日お知らせした、amazonの輸入盤掘り出し市で、左上にジャケットを見せているRhino編纂による『The Best of Sam & Dave』が、やはり680円で売られておりました。これは、持っているだけに、悔しいなぁ。

 それと、もうすぐオーティス・レディングが不慮の事故で他界して40年です。命日は確か、12月の10日ではなかったかと思う。このとき、彼は26歳のはず。どう見ても映像から見えてくる彼はそんな若者じゃないんですが。今更ながら、とんでもない天才だったんだなぁと、彼の映像のみならず、音楽に接して思うのですよ。


投稿者 hanasan : 14:56 | コメント (0)

2007年11月12日

バーゲンでレゲエ三昧

Culture 実をいえば、ほとんど同じことを自分が編集長をやっているSmashing Magで書いているんだけど、まぁ、あれがイントロで、こちらがその続編のようなものだと思っていただければ幸い。

 そのSmashing Magなんだが、すでに1日に1万人近くがやってくるウェッブ・サイトとなっている。しかも、音楽に特化したサイトを運営しているというのに、スポンサーはなし。(その努力をしていないという説もあるけど)というので、わずかな金にしかならなくても、アフィリエイトでサーバーの経費なんかを得ようとしているのは言うまでもない。それはここでも同じことで、いろいろなウェッブ・サイト用に年間10万円を超えるサーバー代を支払っていて、そういったネット関連の経費を浮かせるために、どうしてもアフィリエイトが必要となってくる。基本的にamazonが中心なんだが、それぞれのアーティストのレポートにバック・カタログのリストも加えるというので、関連するアーティストの作品を事細かく調べることになるのだ。

 本当は、そこからビジターにクリックしてもらって、なにかを購入してもらうとちょっとしたコミッションが支払われるという仕組みなんだが、本来が音楽好きでたまらない人間がそんな作業をやるわけだ。だから、苦にはならないし、毎回面白い発見があって楽しいことこの上ないんだが、いつものことながら、ミイラ取りがミイラになってしまうのだ。要するに、そうやって調べていくと、面白いアルバムに出くわして、つい買ってしまうのですよ。特に、音楽中毒とも言えるほどの筆者など、その典型で、よく考えてみれば、コミッションを遙かに超える金額を費やしてアルバムを買っているのに驚かされる。今回もその作業半ばに、なんでも輸入盤の掘り出し市なんてのをやっているというのが目に入って、チェックしていったらいい作品がめちゃくちゃ安い値段でごろごろしているのを発見。というので、全リストを点検(!?)して、またまたごっそりと買ってしまいました。

 トップのアルバムはそんな中の一枚で、カルチャーというレゲエ・グループの『International Herb』という作品で、昔からジャケットだけは知っていたけど、聞いたことがなかったもの。でも、いいんだなぁ、これが。わずか680円でこんな名作を入手してしまったわけです。 

Peter Tosh そうやって、買ってしまったのがSmashing Magで、紹介しているほとんどの作品なんですな。はっきり言って、今回安い値段ででているレゲエもののほとんどは、レゲエが最もレゲエらしかった70年代のアルバムの数々。だから、いいものが多いんですよ。ベースがびんびんで、ダブも面白いし、歌っていることも、ボブ・マーリーを核として「レゲエが世界を変えた」って背景もあったからだろう、ストレートに強力なメッセージを放っている。このあたりの魅力ははまると抜けられません。

 カルチャーについて言えば、最も有名なのが『Two Sevens Clash』というアルバムで、これはアナログでもっているんだが、CDで持っていたのは『Too Long in Slavery』と『in Culture』の2枚。ここに名作の誉れ高い『International Herb』が加わったわけだ。実に満足だし、美味しいなぁ、このあたりのレゲエはと、つくづく思う。

 で、今回は680円で名作がいっぱい出てきたので、次いでピーター・トッシュの『Mystic Man』を注文。ローリング・ストーンズのレーベルと契約して発表した『Bush Doctor』に続く作品なんだが、この頃のピーター・トッシュのパワーはとんでもない。『Bush Doctor』ではミック・ジャガーとのデュエットでやっている「(You’ve Gotta Walk) Don't Look Back」が文句なし。なんでもテンプテーションズのカバーらしいけど、私、オリジナルを知りません。と、その次の作品だからというので、悪いわけはありません。

 そのアルバムを買ったことをきっかけに一連の名作『Legalize It』、『Equal Rights』から『Bush Doctor』に『Mystic Man』と、連続して聞いてみたけど、どれも傑作です。『Equal Rights』に収録されている「Stepping Razor」という曲が大好きで、映画『Rockers』なんて思い出しました。これは、間違いなくレゲエ映画の名作ですなぁ。

Jimmy Cliff と、そんなことを考えていたら、『The Harder They Come』のサントラも買ってしまいたいなぁという欲求が出てくるのが怖い。このところ、気に入ったアルバムは全てiTunesでコンピュータに入れているんだが、要するに、聞きたいときに簡単に音楽を聴くことができるという利便性が理由なんですね。だから、データを中心としたiPodなんかのおかげでCDが売れなくなったとかってのが、実はよくわかっていないんですな。データでダウンロードしてもHDがクラッシュしたら一巻の終わりだけど、なくしたり傷をつけない限りはCDだったら、何度でも使えるし... それに、『The Harder They Come』のアメ盤にしても、iTunesで買うより安いのではないかなぁ。おそらく、CDが売れなくなったのは、パッケージ商品としての魅力が薄れているからじゃないですかね。どれを買っても同じようなプラスティック・ケースで、「もの」としての魅力なんて皆無ですから。一方で、昔のアナログは、まるでアート作品を買うような感触がありましたもの。それに、アメ盤に比較したら、CDの値段が高すぎるのが問題なんですよ。こういったバーゲン価格が普通だったら、もっと気安く買えるのに... と思いますね。

 と、話がそれたけど、ピーター・トッシュ、カルチャーの他に手を出したのは鬼才、デニス・ボヴェールの2枚。この人は、確かに『Matumbi』というバンドの核としてUKレゲエを代表する人物とされたんだが、自分にとって見れば、LKJ(リントン・クゥエシ・ジョンソン)とワン・パッケージなのですな。70年代にアイランド・レコードと同じく、メジャー的な展開で素晴らしいレゲエのアルバムを続々とリリースしていったものに、ヴァージン系のフロント・ラインというのがあるんだけど、この中心アドバイザーとして動いていたのがリントンで、当然そこにデニスもいたのではないかと察するのだ。その二人が『Dread Beat An' Blood』で、衝撃を与えることになるんだが、このこぎれいになったジャケットは悲しいねぇ。オリジナルは子連れの黒人の女性が片手に瓶を持って機動隊に対峙していたもので、その緊迫した当時の英国の表情が音楽に全て注ぎ込まれていたものだ。

Dennis Bovell で、リントンのバックで音を作っていたのがデニスで、すでに名作と呼ばれる『Audio Active』と『I Wah Dub 』は持っているので、『Brain Damage』と2 in 1の『Ah Who Seh Go Deh?/Leggo! Ah-Fi-We-Dis』を購入。両方とも680円。安い! で、実際に聞いてみて、前者はまぁまぁかなぁ。レゲエじゃない曲も入っていて、このあたり、彼が中心となって音楽の側面を仕切ったUKレゲエ映画の傑作『バビロン』のサウンド・トラックの世界に近いようにも感じる。その一方、『Ah Who Seh Go Deh?/Leggo! Ah-Fi-We-Dis』は強力だった。基本的にThe 4th Street Orchestraというバンドのクレジットとなっていて、デニスが「Presents』と記されているので、これが彼のアルバムなんかどうかはよく知りませんが、どうも、タンタンの名作『Musical Nostalgia For Today』のバックにも絡んでいる連中がここにいるのでははないんだろうかと思ってしまいます。Steve Gregory(『Bush Fire』)やJohn Kpiaye(『Red Gold & Blues』)あたりが絡んでいるじゃないかなぁ... といっても、まだアルバムを買って2度ほど聞いただけで、ジャケットのディテールまでチェックしていないので、これからやってみます。

 でもって、あとはザ・マイティ・ダイアモンズの名作『Deeper Roots』を購入。素晴らしいコーラスが売り物の、彼らの78年の作品らしいんだが、どこかのサイトでは76年と記してあった。この中に収録されている「4000 years」とか、名曲の名演奏ですな。結局、この前年に録音したとされる『Ice on Fire』も注文しちゃったけど、前者の方が遙かに出来はいい。ダブっぽくないダブのヴァージョンもなかなか魅力だし。ちなみに、後者はアラン・トゥーサンが絡んでいるということを書いている人がいて、そのあたりもきちんと調べてみようと思ってます。そういった知識は全然ないし、そうだとしたら、これは驚きです。

U-Roy で、ルーツ・レゲエ系の最後の一枚として今回注文したのが『Natty Rebel』。大傑作です。やはり680円で『Version of Wisdom』も見つけましたが、こちらはすでに持っているというので、前者を買ってます。これも名作なんだというのがよくわかりますな。タイトル・トラックの『Natty Rebel』は名曲「Soul Rebel」のヴァージョンなですが、これがいいのです。一発で撃沈するぐらいにはまります。このヴァージョン、どこかで何度も聞いていたんだけど、ベストものかなにかに入っていたのかなぁなんて思いながら、いやぁ、いい買い物をしたなぁと、とっても満足なここ数日間。実際、安いじゃないですか。1枚680円ですからね。iTunesで買うより全然安くて、こういったリイシューものって、けっこうなライナーも入っていたりするし...

 とはいっても、結局、ここには書かなかった他のも加えてみれば、10枚も注文していました。救いようのない音楽中毒だという状況は全然変わりません。ちりも積もってなんとやら。気をつけないといけません、ホントに。ただ、今回のセール、在庫がなくなれば終了するというので、この値段がいつまでも続くとは思わないようにしておいてくださいませ。これがまた、『罠』なんですけどね。困ったものです。


投稿者 hanasan : 14:42 | コメント (0)

2007年11月10日

Rico Rodriguez (リコ・ロドリゲス)の初DVD!

Rico Rodriguez ひさびさにDVDのライナーを書いたんだが、それがこの作品、『Rico Rodriguez meets Cool Wise Men』。もちろん、そのライナーはしばらくして、自分のウェッブ・サイトのライナー・セクションに加える予定なんだが、これが昨日、やっと入手できた。といっても、一般の発売は12月5日の予定で、今、amazonで注文すると3000円弱と、かなりやすく買えるようになっているようだ。おそらく、このサイトに幾度か訪ねてきている人だったら、自分がどれほどリコ・ロドリゲスに心酔しているかは想像できるだろう。当然、この『Rico Rodriguez meets Cool Wise Men』も買ってもらいたいと思っている。なにせ、リコのライヴを押さえた映像といえば、現時点ではこれしかないのだ。

 このDVDの映像は彼が今年の5月に地元のバンド、クール・ワイズ・メンと一緒にやったツアーの最終日、上野の水上音楽堂での模様を編集したもので、その時の模様はこちらでチェックできる。ブログでのこの原稿をアップした時点で筆者のウェッブ・サイト、The Vioce of Silenceのトップ・ページにアップしているのがこのときのリコの写真。その表情が物語るように、彼とクール・ワイズ・メンが昨年から始めた演奏の集大成のような素晴らしい演奏、いわば、そのピークを抑えているのがこのDVDだと思ってくれればいいだろう。リコのこれほどまでにハッピーな顔なんて、そんなにみられるものじゃないですから。

 で、昨晩(9日)は一般発売に先立ってこのDVDを購入できるという、バックのバンド、クール・ワイズ・メンのライヴが渋谷のクラブ・クアトロであって、それを見に行ってきた。といっても、リコ抜きで彼らを見るのって、初めてではないかと思う。たいてい、リコと一緒にやるときも数曲を彼らだけで演奏して、リコをステージに迎えるという感じだったから、「初めて」とは言えないかもしれないけど、全セットを彼らのみで見るのは間違いなく初めてだった。

Cool Wise Men 基本的には実にいいバンドだと思っているし、それはリコとのツアーで十分認識しているつもりだ。とはいっても、今回はリコ抜き。というので、ライヴが始まってしばらくの間は、あまりにも「まとまりすぎている」あるいは、「上手くまとめようとしている」のがわかって、面白味に欠けたなぁと思う。演奏は決してまずくはないんだけど、まるでルーティーン・ワークのようにソロを回して、曲をまとめ上げているように見えるのだ。そんな意味で言うと、はっきり言って「つまらない」。

 おそらく、そう思ってしまうのは、リコとのステージで「スリリングな瞬間」を幾度も経験してきたからだろう。それぞれのミュージシャンがステージで火花を飛ばすようなソロを展開して、それが互いを触発して発光していったかのように見えたのがあのときのツアー。生の音楽、特にインプロヴィゼーションを要とするこういったバンドで最も期待するのがここになるし、明らかにリコの存在がメンバーにとてつもない緊張感を作り出していたのがわかる。って、そりゃぁ、そうだと思う。なにせ、あちらは「伝説」の人なんだから、それで緊張感を持つなという方が無理だ。といっても、その緊張感が、逆に、メンバーをガチガチにさせていたのがリコとツアーを始めた頃。ツアーも回数を重ねて、その緊張感が薄らぎながら、それでもどこかに張り詰めたものがあったときの彼らが素晴らしかったのだ。

 そのピークをとらえているのが『Rico Rodriguez meets Cool Wise Men』の時の演奏だと思うんだが、今回はそういった「瞬間」を、少なくとも前半では感じなかったように思う。おそらく、彼らのエンジンが掛かり始めたのが遅かったからかなぁ。この日は、ミキシングをやっている内田君がダブでバンドの演奏に加わってきた頃から、徐々に演奏の面白さが出てきたように思う。

 その彼らのアルバムをこの日、受け取ることができた。奇妙な話かもしれないが、リコとのライヴと、一緒に飲んで騒いだこと以外、実を言うと、彼らのことはほとんど知らないんですよ。というので、こちらか、じっくりと彼らのアルバムを聞いて見ようと思っている。

 ちなみに、先日来日していたJah Shakaが『Rico Rodriguez meets Cool Wise Men』のラフ編集盤を見ているんだが、その映像の途中で「I want to have a copy」と言ってました。『俺も、このDVDがほしい』というんですけど、残念ながら、日本でしか発売しないと思うなぁ。とはいっても、彼からはアスワドのブリンズリーが主演している伝説のレゲエ映画『バビロン』のコピーをもらったし... さぁて、どうしようかねぇ。


投稿者 hanasan : 17:33 | コメント (0)

2007年11月09日

私、在日やねん - 映画『パッチギ!』を見て

パッチギ! 『パッチギ!Love & Peace』を見た。すでに廉価版の出ている前作の『パッチギ!』がめちゃくちゃ気に入って、当然のようにこれを見たわけだ。といっても、公開からずっと時間が過ぎて、DVDで見ているんだが、なかなか映画館に足を向ける時間がなかったというのが理由。

 正直言って、最初の作品の方が面白かった。おそらく、その理由は立ち位置の違いだろう。前作の『パッチギ!』が基本的には『日本人』に視点があったように思えるんだが、今回は、その視点がほぼ完全に『在日の人』たちにおかれている分、どこかに違和感があったんだろうと思う。というのは、自分自身が在日ではないという単純な理由で、その視点の重要性を否定するつもりは全然ないし、逆に、そういった視点の重要性を少しでも感じることが出来たのが良かったように思う。(誤解のないように言っておけば、あるいは、また誤解を呼ぶのかもしれないけど、自分にとって、在日と日本人の違いが全然理解できないというのが本音です。もちろん、ペーパー上の違いがあることは充分認識しているし、歴史の違いもわかる。が、同じ土地に住む人間として、その土地が日本と呼ばれる国だという意味において、日本人でいいと思うし、何年も住んでいれば日本人でいいじゃないかと思うのです。もちろん、税金を払わされているのに、選挙権がないということには全く同意していないし、人間として最低限の権利だと思う選挙権を獲得しなければいけないとも思います。いかがなものでしょう。)

 監督の井筒さんは高校生の頃にお世話になった人で、おそらく、彼は自分よりも三つぐらい年上じゃないかなぁ。宗右衛門町のモリスフォームにたむろしていた頃に、彼がそこにいて... 酔っぱらいのサラリーマンなんかを蹴散らしたりしてたのを見たような記憶がある。ええ場所やった。彼は大好きやった。

 この映画で思い出したのは、その昔、仕事仲間の女の子と飲んでいた時に、突然「私、在日やねん」といわれたこと。あのときは、なんでか知らんが、中山ラビのアルバム、『私って、こんな』に収録されている曲「13円50銭」の話になって... そのことを話していたときだったと思う。要するに、朝鮮半島から日本に連れてこられたり、やって来た一世には韓国語の訛りがあって、これを「ちさんえん、こちせん」と発音してしまうんだそうな。そうやって、関東大震災の後、数多くの一世が「朝鮮人狩り」の中で日本人に虐殺されたという、そんな話をしていたんだと思う。

中山ラビ そうだ、思い出した。実は、FMで番組をやっていたときに、プロデューサーと喧嘩したことがあって、それがきっかけなんだと思う。「放送上、問題がありそうな曲は流すな」といわれたんだが、実をいうと、内緒でいっぱい流していた曲のひとつがそれだった。(というか、連中は音楽のことなんぞ、ほとんど知らないから、前もってそんな話をプロデューサーとしていない限り、たいしたことはないんですけどね)おそらく、そんなことを彼女と話していて、その流れでこの曲の話になって.... そうしたら、「あんた、日本人でなんでそんな話を知ってるの」と、言われた直後に、彼女に「私、在日やねん」と、まぁ、そう告白されたわけです。でも、自分にとっては、そんなことは些細なことなんですけどね。彼らにしてみれば、「そうじゃない」というところに、今回のパッチギ!の核があるんだろうなぁと思った次第。

 ただ、自分自身に関していえば、映画であったような世界を全く知らないんですね。大阪の田舎で育ったというのに、自分の周りでも、そう言った韓国朝鮮人差別を実感したこともなかったし、被差別部落の問題も体験しなかった。幸か不幸か、そういった背景のみならず、日本を飛び出して海外に住んでいた経験からか、「日本人もへったくれもあるかい」といったことが普通になっているから、よけいにわからないのかもしれない。微妙な問題だけど... というのは、イギリスで「チンク」って呼ばれて、つばを吐きかけられたり、裕仁が死んだときには生卵を投げつけられたり... と、まぁ、そんなこともあったんです。実際、日本人だから、あるいは、アジア人だからというだけで差別されたことは何度もあるし... とはいっても、自分の仲間はそんなのと全然関係ない世界で生きてきているわけです。国でも人種でもなく、単純にそういった差別をする人たちが「あっち側」の人としか思えない自分がいるわけだ。奇妙なもんです。それが理由なんだろう、周りの人間が人種」や「肌の色」で差別的な言葉を使うと、瞬間沸騰って感じでぶち切れるてしまいますね。

 ちなみに、あの映画で嬉しいのは、東京が舞台だというのに、主に大阪弁と韓国語がメインになっているということ。私、やっぱり、関西人。関西弁が気色ええんですわ。東京に住んでいて、知らない間に、東京の変な共通語を話しているのが、どこかできっとストレスになっているんだろうなぁと思う。やっぱり、大阪弁でっせ。まぁ、京都弁も、神戸の辺の訛りもええけど、自分にはやっぱり河内の言葉ですな。

 あと、にかぁ〜っとしたのはエンディングで出てきた、「あの素晴らしい恋をもう一度」って曲なんですけど、いつも思うんです。加藤和彦と中川五郎の声が同じに聞こえてしまうんですね。それ、私だけですかなぁ。


投稿者 hanasan : 16:48 | コメント (0)

2007年11月05日

淡谷のり子に闘うアーティストを学ぶ

淡谷のり子 少なくとも公の場で書くという意味において、このブログに関しては慎重に文章を書こうと心がけてきた。それは当然のことなんだが、そのせいもあって、更新する頻度がかなり落ちているのも事実。毎日毎日いろいろなことを経験して、いろいろなことを伝えたいのに、それもできない状況が続いているわけだ。もちろん、仕事としてやっているSmashing Magの更新作業をまずは優先しなければいけない。実際、撮影したのに写真をアップできないほど忙しいということもあり、それをさしおいて、こっちを更新するのは申し訳ないという気持ちもある。でも、それはそれでまた心苦しいというので、(もちろん、書いていることには責任をとるのだが)もう少し、気楽に書いていくことにしようと思う。そうじゃないと、なかなか更新できないんですよ。

 で、ここ数ヶ月で読んだ本で実に面白かった... というか、勉強になった『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』のことを書き残しておこうと思う。

 いつだったか、終戦のことを書いたような記憶がある。あれって、ひょっとしてmixiに書いただけだったかもしれないんだが、終戦記念日になぜか伝わってくるのは重苦しい雰囲気ばかり。これはおかしいのではないかといつも疑問に思っていたのだ。確かに600万人が殺されたとか、広島や長崎、さらには日本軍にも虐殺された犠牲者が出ていた沖縄、中国から朝鮮半島での犠牲者のことを考えると、重苦しい気持ちにさせられるのだが、その一方で「これでやっと自由になれる」と思った人はいなかったのか? 押し入れに隠れてジャズを聴いていたミュージシャンや音楽ファンは、「アメリカさんがやってくる、ジャズだぁ!」って思わなかったのかなぁ。そりゃぁ、洗脳はあったかもしれない。女は強姦されて、男は殺される.... なにせ、鬼畜米英だったんだから。

 それでも、「敗戦」ではなく、「解放」を喜んだ人たちのことが全く語られていない日本の戦後史ってなになんだろうと、ずっと疑問に思っていたのだ。そんな疑問を打ち消してくれたのが、この人、淡谷のり子だった。終戦の日の彼女の言葉を借りれば、こうなる。

 「これで電気をつけて、ふろに入れる。これから自由に歌も歌えるし。玉音聴いてみんな泣いていたけど、私はニコニコでした」
 
 と、そんなところから読み出したのがこの本、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』だった。

淡谷のり子 加えて、日本の大衆音楽の歴史についても知りたいことはいっぱいあった。戦前戦中と国威を高揚するために音楽を武器にして、多くの人を戦地に送った人たちがいたに違いない。自分から見れば、彼らは戦犯であり、断罪されなければいけないと常々思っているのだが、日本でそんなことが話題になったこともなかったように思えるのだ。その時代の背景を知りたいと思っていたのだが、政治的な側面から大衆音楽に関して記したものは目にしたことはなくて、遙か昔の大学生時代に、紙芝居で有名な加太こうじさんが記した、『歌の昭和史』という本が、唯一自分の接した本だったように思う。だから、ひょとすると、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』に、そんな部分が記されているのではないかと思ったのだ。

 とはいっても、この本は、あくまで淡谷のり子という、たぐいまれな才能を持ち、自らを鍛えながら生きたアーティストについて書かれている伝記のようなもの。津軽のじょっぱり(頑固者って意味かなぁ)である淡谷のり子の半生を知らせてくれるのだが、大金持ちから極貧の生活、そして、両親の離婚から音楽人生の始まりと、そういった部分もいろいろな意味で、興味深く読むことができたし、一般的には『懐メロ歌手』的なイメージしかなかった(かもしれない)淡谷のり子のアーティストとしての資質や才能を思い知らせてくれたのも確かだ。実際、きちんと彼女のレコーディングを聞きたいとアルバムを探し始めている。

淡谷のり子 さらに加えて、本の多くの部分がさかれている戦前から戦中の淡谷のり子の生き方にいろんな意味で共鳴してしまったというのが本音だろう。『欲しがりません、勝つまでは』と、戦費を得るために化粧も禁止され、贅沢が敵だといわれていた時代に、あくまで真っ赤な口紅とつけまつげと派手な服を着続けた淡谷のり子の姿勢は、それだけでも『レベル』(反逆)の人だったことを雄弁に伝えてくれるし、どれほどの圧力を加えられても、絶対に『戦争を肯定する』ような歌は歌わなかったという。いわゆる「慰問」についても、軍のお金では一度も出かけなかったそうだ。自分の金で自分の歌を、「まだ、本土より圧力の少なかった外地」で歌いたかったことが理由だというのだ。しかも、つもるほどの数の始末著を書き、当局にねらわれていたという説もあると聞く。

 そんな逸話の数々はこの本で読んで、知ってもらいたいと思うし、ズタボロになっていた兵士が、けっして「戦意を高揚させる歌」を求めていなかったことが伝えられている下りや、特攻隊の兵士達が淡谷のり子のブルース(と呼ばれていた)歌を求めていたことなどから「歌」の持つ力を再認識するのだ。

 もっと早く彼女のことを知っておくべきだったと思う。すでに他界されてから8年。彼女に直接お話を伺うことは出来ないのだが、この『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』を読んで、けっして妥協を許さず生き抜いた素晴らしいアーティストを知ることが出来たように思う。

 さて、どのアルバムから聴いてみようか。まずは、いわゆるブルースと呼ばれた(本人は、ブルースじゃないですよと語っているんですが)コロンビア時代の『淡谷のり子全曲集』とシャンソンを中心としたビクター時代の『淡谷のり子ベスト』の2枚を聞けば、だいたいの流れはつかめるはずだ。(ちなみに、『私の好きな歌~mes cheres chansons Noriko Awaya Victor Rec』も発見。これが究極かなぁ...)もちろん、テイチク時代の音源も聞きたいんでが... そして、『懐メロ歌手』といわれたことに抵抗するように、泉たくと一緒に制作した、『昔一人の歌い手がいた』も聴いてみたいと思う。録音は1971年らしいのだが、ぞれ以前のものが、どうしてもシングルを集めただけのものに対して、これは明らかにアルバムとして作られたもの。そこに晩年... と言えば、失礼かもしれないが、すでに還暦を過ぎてなお、本物の歌手であったことを証明する傑作だと聞いたことがあるからだ。

 ちなみに、淡谷のり子は常に反戦平和の姿勢を貫いた数少ない大御所だったことは、忘れてならないように思う。


投稿者 hanasan : 00:55 | コメント (0)