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2008年01月30日

Barbara(バルバラ)のこと

バルバラ 最も好きなシャンソニエのひとり、バルバラを初めて知ったのは、実をいうと、ライヴで聞いた友部正人の歌だった。曲の名前は覚えてはいないんだが、「バルバラのシャンソンでも聴きながら」というフレーズが入っていて、大好きな友部が聴いている音楽って、どんなものなんだろうと思ったのがきっかけだった。(それから20年以上が過ぎて彼と話をしたときに、このことを伝えると「実際に、影響があったんだ。嬉しいな」と彼が言ってくれたんだが、「影響』なんて言葉では計り知れないほどに衝撃を受けたのが友部正人。彼のデビュー・アルバム、『大阪へやってきた』からセカンドの『にんじん』は、生涯手放すことはできない傑作だと思っているし、10代の頃、彼の歌には頭をぶん殴られたかのような衝撃を受けていた。チャンスがあったら、聞いてくださいな)

 その友部がきっかけで知ったバルバラのアルバムで一番最初に買ったのは1964年に発表されたという『Barbara Chante Barbara(邦題 : 私自身のためのシャンソン)』。確か大学生の時ではなかったかと思うのだが、そのアルバムに収録されている「Nantes(ナント)」という曲にいたく感動したのを覚えている。確か『ナントに雨が降る』という邦題が与えられていたように思うんだが、定かではない。か細いながらも、驚くほどの存在感を持つバルバラの声に、異様に少ない音数ながらも、まるで身体を突き刺すような、それでいて、氷のように冷たいタッチを持つピアノで彼女が弾き語るこの曲を聴いたとき、背筋がゾクゾクしたものだ。もちろん、アルバムそのものも素晴らしいんだが、この曲がどこかで自分の琴線に共鳴したんだろう、他の曲のことはほとんど覚えてはいない。それほどまでに圧倒的な響きを持ってた。とはいっても、あの友部の歌じゃないけど、「フランス語なんてわかるわけない」(って、フレーズがあったのを思い出した)。大学ではフランス語が第一専攻で、哲学科にいたからというのでもないんだが、ジョン・ポール・サルトルの著作をフランス語で読まされていたりもしたんだが、この曲でなにが歌われているかなんぞ全然知らなかった。その一方で、この曲に感じたのはどうしようもないもの悲しさや寂寥感。まるでなにもわからないのにかかわらず、この曲に魅せられてしまったわけだ。

バルバラ そのバルバラにとって、おそらく最大のヒットは... というか、日本人が最も慣れ親しんでいるのは「L'aigle Noir(黒いワシ)」ではないかと思う。一時、『Barbara Chante Barbara(邦題 : 私自身のためのシャンソン)』のCDを探していたんだが、なかなかみつからず、結局、彼女のベスト・アルバム、『黒いワシ~ベスト・オブ・バルバラ』を入手しているんだが、巻頭を飾るのはこの曲。自分の持っているのはアメリカ盤で、単純にベストとなっているんだが、さすがに国内盤には「黒いワシ」という言葉が付けられている。それからも、この曲が日本でも知られていることがよくわかるのだ。

 そのバルバラが亡くなったのは97年11月24日というので、昨年の暮れ、没後10年を記念して13枚組の全集ボックス・セットが発表されたということだ。なんでも、彼女の死後、彼女への再評価が高まっていって、この13枚組がフランスでは10万セットも売れたという話も伝わっている。それを3枚のCDまとめたのが左上の『Les 50 Plus Belles Chansons』。バルバラのベスト50曲をを集めたもので、これは容易に手にはいるようだ。と、そんな話を知ったのは、我が家に毎月届けられる数少ない雑誌の一冊、Latina(ラティーナ)の最新号。誰のペンネームなんだろう、向風三郎と名乗る方の連載「それでもセーヌは流れる」の第一回の原稿で取り上げられているのがバルバラだった。

 詳しくは、この雑誌を手にとって読んでもらいたいと思うんだが、「実体験から生まれたのが私の歌であり、全ては歌に込められている」からと、ほとんどインタヴューなどには応えなかったのがバルバラらしい。が、その実体験が想像を絶した世界だったのがこの原稿から読み取れるのだ。1930年にユダヤ人家庭に生まれているということは、第二次世界大戦の頃、ヒットラーの恐怖と貧困の中で子供時代を育ち、加えて、父親から性的虐待を受けていたことも、後に知られることになる。一時は娼婦となりかけたこともあったという彼女の体験を誰が想像できるだろうか。

 その原稿で初めて「ナント」の歌の意味をおぼろげながら、わかってしまうのだ。これは家族を捨てホームレスとなって死んでいった父親の亡骸を看取りにいった街の名前なんだそうな。その歌詞のこともこの原稿に書かれているんだが、「ナントに雨が降る、ナントの空は私を悲しくさせる...」と、そのときの心情を言葉にしたのが、そして、曲にしたのがこの歌らしい。自分を汚し、捨てた父親の亡骸を見て、彼女がなにを思ったのか... 自分には全く想像もできないんだが、その気持ちがあの歌にのり移っているんだろう、全くフランス語の理解できない自分に刻印を与えるように鳴り響くここには言葉を遙かに超えた「音楽」があったということではないかと思っている。

 音楽とはとてつもない力を持っているものだと、また、確認したような気がする。言葉を遙かに超えた言葉がここにあり、そこに命を与えているのはそれを演奏する、唄う、ミュージシャンたち。その演奏によって言葉が言葉を越え、音楽が音楽を越える。このアルバムを買って約30年が過ぎて、再びバルバラを聴きながら、その素晴らしさを再認識するのだ。


投稿者 hanasan : 01:44 | コメント (0)

2008年01月24日

愛の唄、聴かせます Vol. 4 - Lorain : Linton Kwesi Johnson

Linton Kwesi Johnson とどのつまりがラヴ・ソング、愛の唄につきる。そう思うことが少なくない。誰かに恋をしているとき、愛している人がいるとき、そればかりか失ったときにだって、いつも「愛の唄」が、どこかで自分を救い出してくれたり、癒してくれたり... だから、自分にとって宝物のような愛の唄を紹介していこう... と、そう思って始めたのが完全不定期なこのシリーズ。どんなものが飛び出すか、それはこれからのお楽しみ。さて、今回は?

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 いつだったか、自分がプロデュースしたサンドラ・クロスのアルバム・レヴューかなにかで、「日頃過激な発言をしている花房浩一がなんでこんなにロマンティックなアルバムを作れるんだろう....」といった趣の文章を読んだことがある。実をいえば、同じようなことをテレビで一度インタヴューすることになったネヴィル・ブラザーズに尋ねたことがあった。いつもラディカルな姿勢を保ち、そんな曲を数多く歌っているのに、なぜあれほどに甘く切ないラヴ・ソングを歌えるのか? すると、アーロン・ネヴィルの答えはこうだった。

「本当に愛することを知るからこそ、そうなるんだよ」

 と、そんな意味のことを言われたように覚えている。今回取り上げるリントン・クゥエシ・ジョンソンといえば、UKレゲエの世界にあって最も過激で先鋭的な歌詞で、常に「闘争」のまっただ中にいるかのような人物。レゲエのリズムに乗せて、韻を踏んだ詩をジャマイカ人の訛り、パトワで朗読するというダブ・ポエットというスタイルを確立した人物で、それを象徴しているのがデビュー・アルバム、『Dread Beat An' Blood』だ。すでにオリジナルのジャケットでのCDは入手できないようなんだが、そこに描かれていたのは機動隊に向かって火炎瓶かなにかを投げつけようつぃている女性のイラストで、それだけでもいかに過激な作品かは想像できるだろう。(ちなみに、UK盤だとそのジャケットのものが出ているようです。また、その当時の彼をドキュメントした映像を集めたのが右上のDVD、『ドレッド・ビート・アンド・ブラッド』で、これについては、06年8月にここで書いている。興味のある方はチェックしてくださいませ)

 おそらく、最も好きなアルバムはといわれれば、この『Dread Beat An' Blood』をあげるのだが、最も好きな曲はどれかと問われれば、間違いなく「Lorain」。3枚目となるアルバム、『Bass Culture』に収録されている、彼にとって唯一のラヴ・ソングだというのが面白い。

The Band Whenever it rains I think of you, And I always remember that day in May

 と始まるのがこの曲だ。著作権の問題があるので、詳しくはここで読んでもらいたいんだが、この一行はこんな感じになる。

「雨が降るといつも君のことを考える。そして、5月のあの日のことを思い出す」

 簡単に気がつくと思うんだが、Lorain(ロレイン)という名前に、雨(レイン)を引っかけて韻を踏むことで、言葉のリズムを生み出している。

 歌を要約すれば、

「その雨の日に、君をみつけた。なぜかは知らないけど、いつもはシャイなのに、僕は君の名前を尋ね、君はほほえんでロレインよと応えてくれた。傘に入れてもらえませんかというと、彼女は笑いながら、『なんて厚かましい、おチビさん!』って言い返してくるんだ」

 この部分が、まるで語っているかのように歌われ、このあと、ふんだんに韻を踏んで続けられる部分にメロディが乗っかっている。

「僕は雨の中、むなしく突っ立っている。ねぇ、ロレイン、君に会えるかなぁと思っているんだ。涙が雨のように流れてるんだよ、ロレイン、胸が痛むんだ、頭の中で苦痛を感じるんだ、ロレイン。僕は君に振り回されっぱなしなんだ」

 ここでも、むなしいという「in vain、イン・ヴェイン」が、rain(レイン)とLorain(ロレイン)に引っかけられているのがミソで、Hoping to see you againのアゲイン、痛みのペイン、頭のブレイン、You're drivin' me insaneというのは、「あなたに振り回されている」といった感じなんだが、そこで、正気じゃない様を意味するインセインも使われて、リズムを刻んでいる。

 この歌はそうした言葉の遊びのように続いていくんだが、

「初めて君を見たときから、僕にはわかっていた。僕の人生に君が必要だってこと。あの時から思ってた、君を妻にしたいって」

 と、語られ、再び、雨の日の情景が描き出される。

「うちに来て、コーヒーでもどう? というと、君は不機嫌な顔になって、バカなこというんじゃないわよって... 僕は恥ずかしかった、しかも、バスが来て、君が言ってしまったことも気がつかなかったほどに」

 どこかで木訥とした「語り口」が魅力なんだろうか、無垢という言葉が正しいのかどうかわからないんだが、そんな青年の気持ちがいたいほどに伝わるのがここなんだろう。いつもは人種差別を糾弾し、警察や権力の暴力に対して徹底的に闘う歌を作っている彼が、こんなに心温まるラヴ・ソングを録音したことが自分にはちょっとした驚きだった。

 実は、(以前書いたと思うが)『Tings An' Times』というアルバムを発表した頃、来日した彼とインタヴューをしているんだが、彼に、こんな質問をしたものだ。

「ねぇ、リントン、あの『ロレイン』って、ホントのことじゃないの? 自分の体験じゃないの?」

 すると、たちまち彼が真っ赤になって応えてくれたものだ。

「バカなことをいうんじゃないよ。あれは、ロレインとレインという言葉を引っかけただけの言葉の遊びさ」

 とかなんとか、言い返されたんだが、あの表情で全てがわかったように思えたものだ。あれは、間違いなく、彼の体験に基づいているはず。そうじゃなかったら、あんなに真っ赤っかにはならないと思うのだ。あの「過激だ」とされる詩人、リントン・クゥエシ・ジョンソンに、なにやらとってもウブな気持ちがあるのがわかって嬉しかったのがあのとき。あの頃からかなぁ、この歌が最も好きなレゲエのラヴ・ソングとなったのは。


投稿者 hanasan : 03:49 | コメント (0)

2008年01月23日

カンバラクニエの新しい本

カンバラクニエ 昨年の正月過ぎに実家から上京する途中に立ち寄っていたのが京都。いつもここで友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス奏者、中村雅人(通称、マサやん)のところに世話になって飲むというのがここ数年の流れで、そのときによく出かけるというか、連れていかれるのが高瀬川沿いの料理屋、くずし割烹 枝魯枝魯だ。「ぎろぎろ」と読むのだと「覚えた」のは最近で、ネットで検索したら、けっこう有名な店らしく、いろんなところに顔を出している。まぁ、そんなことは全然知らなくて、いつも京都ではマサやんにいろいろなところに引き回されながら、楽しく飲むのだが、彼の周辺にいる興味深い人に出会うのは、たいていここか、eFishという、五条大橋のそばにあるカフェだ。そんな場所でユニークなことをやっている友達作りが広がっていくという感じかなぁ。

 そのくずし割烹 枝魯枝魯で、昨年の正月に出会ったのがカンバラクニエさんというイラストレーターとつじあやのさんというシンガー・ソングライター。とはいっても、その時点で二人ともほとんど知らなかったんだが、あのあと、『カンバラクニエ作品集』という本を買って、「なるほど、なるほど、そういう絵を描くのか...」 と、納得したり、つじあやのさんの『BALANCO(バランソ)』というアルバムを買って、「うん、いい歌を書く人だなぁ」とちょっとはまってしまったり... 去年の夏はそのつじあやのさんがフジ・ロックに出るというので、オンタイムで情報を発信するFuji Rock Expressで、彼女のライヴ写真も撮影していて、それはここでチェックできる。

 残念ながら、今年の正月は東京で用事があったり、6日に友人がベースを担当しているバンドのライヴがあるというので、京都には立ち寄ってはいない。というよりは、実をいえば、友人のマサやんは正月そうそうロンドンに飛んで演奏していたらしいし、カンバラクニエさんはつい先日発表した新しい作品集『ECHO』の準備で大忙しで、一緒に飲む仲間がいなかったことも理由のひとつ。ホントは、京都には面白い店がいっぱいあるし、のんびりしたい町なんだが、今年はちょいとパスしたという感じかもしれない。

カンバラクニエ さて、カンバラクニエさんの『ECHO』が発売され、今、東京で個展を開いている。詳しくは彼女の公式サイト、クニエ会をチェックしていただければいいんだが、東神田のフォイル・ギャラリーで、1月18日から2月11日まで開催されていて、先日、マサやんと一緒に初日のレセプションに出かけてきた。とはいっても、結局、マサやんと一緒にけっこうな量のワインなんぞを飲みながら、うだうだしていただけのような気がしますが。

 なんでも25日にはカンバラクニエさん、つじあやのさん、そして、彼女たちの友達である大宮エリーさんと、なにやらかしましい女性がそろってトーク・イヴェントがあるようなんだけど、定員が50名ですでにパンパンになるんだそうな。それは無理にしても、もし時間があれば、彼女の個展を覗いていただければと思う。本で見るよりもでっかい実物を見ると、また違った趣があると思うし、なにやら発見があるかもしれません。

 それはそうと、先日、某レコード会社に面白いバンドのプレゼンに行ったとき、たまたまそこがつじあやのさんのアルバムを発表している会社で、彼女の新しいアルバム、『Sweet,Sweet Happy Birthday』を聞かせてもらえることになった。正直言って、「愛」の連発は... 私には似合いません。でも、ステキなシンガー・ソングライターだというのには変わりなく、楽しませていただいています。

 それにしても、友人のことを書くと、どうしても「さん」抜きにはできないというの... なにやら奇妙な感じがしますが、仲間の情報もなんとかお伝えしたいと思うのです。


投稿者 hanasan : 20:07 | コメント (0)

2008年01月22日

見逃すなよ、Rodrigo Y Gabriela

Rodrigo Y Gabriela ここでメキシコ人のギター・デュオ、Rodrigo Y Gabriela(ロドリゴ・イ・ガブリエラ)を最初に紹介したのは2006年5月ではなかったかと思う。その前年に友人がグラストンバリーで彼らのライヴを体験して、ぶっ飛ばされたというので、彼らのアルバム、まず最初に『Live: Manchester and Dublin』を入手。「なんじゃぁ、これはぁ!」と衝撃を受けることになったというのはすでにここでお知らせした通りだ。それからしばらく後に、今回日本で発売されることになった『激情ギターラ!』(すんごい、邦題を付けたものですな)のオリジナルで、DVD付きの限定盤『Rodrigo Y Gabriela』を買っている。そりゃぁ、もう、このDVDにはお世話になったというか... 映像で彼らのライヴを見て、再び驚かされることになるのだ。

 そのアルバムを日本で紹介したくて、その頃、数々のレコード会社を訪ねていた。某メジャーのある担当者は「素晴らしい作品だと思うし、なにかができればいいと思うんですが、これを担当できるセクションがないというか、うちでは手に負えないと思うんです」と、丁寧なレスが返ってきた。一方で、全く、なんの反応も示さないどころか、うんともすんともいってこないレコード会社もあったし、「いやぁ、いつもユニークなアーティストをプレゼンしてくれるのですが、ちょっとうちでは今手を出せないですね」なんて応えもあった。

 それからしばらくは動きを止めていたんだが、友人がインディ系のあるレーベルで仕事を始めて、彼にプレゼンすると「なんとかやりたい」という話になった。同時に、素晴らしい仕事を続けているもうひとつのレーベルも関心を示して、マネージャーと連絡を取りながら、話を進めていったんだが、ある日「実は、インターナショナルなメジャーとの契約が実現しそうなので、この話はなかったことにしてくれ」という連絡が入る。それまでの努力が水泡に帰したのだが、最も重要なのはアーティストにとってベストの状況が生まれることであり、そう判断したのならそれでいいと思っていた。

Rodrigo Y Gabriela そのロドリゴ・イ・ガブリエラのライヴを初めて体験することになったのが昨年のグラストンバリー。82年頃からほぼ毎回と言っていいほど出かけているイギリスのフェスティヴァルだった。彼らが登場したのはジャズ&ワールド・ステージ。そういったタイプのバンドが数多く出演するステージなんだが、この日、彼らの前に登場したのは、60年代から70年代と一世を風靡した... というよりは、永遠に素晴らしく鳴り響くCCR(クリーデンス・クリアー・ウォーター・リヴァイヴァル)のフロントマン、ジョン・フォガティで、数年前にはほぼオリジナル・メンバーがそろった(らしい)YESも登場しているし、単純にジャズやワールド・ミュージックに限ることなく、どこかユニークでそそられるアクトがたくさん出演するステージだ。そういえば、2002年だったか、ここに出演して「これまでで最もグラストンバリーらしいバンドだ」と褒めちぎられたのが渋さ知らズ。あの時もすごかった。

 それはさておき、去年のロドリゴ・イ・ガブリエラなんだが、ぶっ飛ばされたと思っていたDVDでの映像がしぼんでしまうほどに強力だった。PAも素晴らしかったんだろうが、もちろん、それを引き出すには演奏がある。アルバムで聞くよりも、遙かにロックなのだ。単純にアコースティック・ギターを演奏しているだけといえば、それだけなんだが、まるでギターが全く違った命を授けられたかのようにロックする。ガブリエラのギター・ボディを使ったパーカッションは、メタル系のドラマーの誰よりも強力で分厚くヘヴィーなリズムをたたき出してくれるのだ。かつて彼らがメタル系のバンドで演奏していたこと、そして、「私たちはロックしている」という言葉を痛いほどに感じさせられたのがこのときのライヴ。生を聞いたら、あれほど素晴らしいアルバムでもかすんでしまうといえば、言い過ぎかもしれないが、それほどのインパクトを与えた「生ギター・デュオ」がロドリゴ・イ・ガブリエラだ。だから、彼らを見逃しては欲しくないと、切に思う。

 結局、レコード会社の数々にプレゼンしていた時点から、DVD映像のおかげらしいのだが、大型輸入盤取扱店でかなりのヒットを記録したのが『Rodrigo Y Gabriela』。業界の人の話によると、輸入盤だけで16000枚を売ってしまったんだそうな。納得できますなぁ。なにせ、amazonとのアフィリエイトをやっているSmashing Magでのデータを見ると1年半で、彼らのアルバムが合計で45枚も売れているのだ。もちろん、かなりのビジターを記録しているサイトではあるけど、これほどまでに売れた作品はいまだかつて記録されてはいない。

 さて、そのロドリゴ・イ・ガブリエラが、この3月に来日をして、たった1回のライヴをすることになっている。この国内盤を出すことになったのは「いつもいいものをプレゼンしてくれるんだが」と言われたレコード会社なんだが、さすがにでっかい会社だから、他のセクションがこれを気に入ったんだろうと察する。おそらくいい仕事をしてくれるとは思うんだが、その発売が3月頭だと言うことを考えれば、今回のライヴはプロモーション的なもので、かなりの業界人が招待されるんだろう。となると、一般に売られるチケットはそれほど多くはないだろうし、会場が渋谷デュオということを考えるとかなりの早さで売り切れると思う。だから、もし、このブログをチェックしている人で、彼らを生で、しかも、これほど小さな会場で「体感」したいと思うのであれば、なんとか早めにチケットを押さえて欲しいと思う。これは、自分の妄想かもしれないが、おそらく、こんな小さな会場で彼らを見られるのは、少なくとも東京に限って言えば、今後望めないと思うのですよ。


投稿者 hanasan : 02:09 | コメント (0)

2008年01月18日

不都合な真実とMarvin Gaye

Marvin Gaye iPod Touchの容量はわずか16GBと、すでに120GBほどになったコンピュータのiTunesデータを全て持ち歩くのは不可能だ。とはいっても、今のところ、160GBのiPod Classicまで買う余裕はないので、iPod Touchがメインの携帯音楽プレイヤーとなっている。だから、ここには絞りに絞って選び出した、大好きなアルバムや気に入った曲を入れていて、ときおり、友人のバーでこれを使ってDJなんぞをすることもあるんだが、基本的にはこれで充分だと思っている。

 そういった携帯プレイヤーの果たした役割で最も大きかったのは、音楽を家の中から持ち出すのを可能にしたことじゃないかと思っている。初めてウォークマンが登場したのは78年か、79年ではなかったかと思うが、人気のない地下鉄の通路で聞いたマイルス・デイヴィスの『死刑台のエレベーター』にはゾクゾクさせられたのを覚えている。また、初めて日本を離れて向かったイギリスのトーキーという、観光客が集まる町の海辺のホテル街で聞いたイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』もなぜか染みたものだ。

 携帯用の音楽プレイヤーが『音楽』にもたらした功罪は、またの機会に書くことがあると思うんだが、旅の途中、電車やバスの窓の向こうに流れる景色をぼんやりと見ながら、音楽を聴くことができるようになったのは単純に嬉しいし、そんなときになにかがひらめくように自分の中にすう〜っと入り込んでくることがある。今回は米子からバズで大阪に向かっているときに聞いた「マーシー・マーシー・ミー 〜 アイ・ウォン・ユー」がそうだった。といっても、これはロバート・パーマーによるカバーで、iPod Touchに入れているのはそのシングル・ヴァージョン。おそらく、今ではそのヴァージョンは入手が難しいはずで、似たヴァージョンは彼のアルバム、『Don't Explain』で聞くことができる。といっても、かつては後半部分の『アイ・ウォンと・ユー』での彼のヴォーカルの壮絶なまでの迫力にふるえたんだが、今回は前半の『マーシー・マーシー・ミー』の言葉が引っかかった。というので、同じiPod Touchに入れているマーヴィン・ゲイのオリジナル、『What's Going on』をじっくりと聞くことになるのだ。

Marvin Gaye & Tammi Terrell おそらく、この『What's Going on』を史上最高のアルバムの1枚にあげる人は自分ひとりではないだろう。特にヴェトナム戦争時代に真正面から『反戦』を歌ったこの曲の意味を知っている人にとって、さらには、このアルバムが生まれたいきさつを少しでも知っている人にとって、ことさらその意味は大きいと思うのだ。簡単に過ぎるかもしれないが、少しだけその流れを説明してみると、このアルバムが生まれる以前、スターとして彼が地位を確立したのはタミー・テレルとのデュエットで、それをまとめたのが『The Complete Duets』というアルバム。が、その一作目となる『United / You're All I Need』(これは、2枚目の『You're All I Need』を一緒にした2 in 1のCD)の時点ですでにタミーは脳腫瘍に冒されていたらしく、名曲「Ain't No Mountain High Enough」の大ヒットを受けてライヴをやっていた最中に彼女がステージで倒れるといった事態があったんだそうな。だから、2枚目の『You're All I Need』ではありものの録音にマーヴィンが彼の声を重ねたり、病床を抜け出して車椅子でレコーディングにやってきたタミーが録音したなんてこともあったという。そのあたりの事情は以前、ここに書いているので、割愛するけど、70年の3月16日に彼女は24歳の若さで他界。そのショックに加えて、ヴェトナム戦争から帰還した弟の経験を知った彼が、それまでのモータウン... どころか、ソウル界にはなかったアルバムの制作に向かっていくのだ。言うまでもなく、その結実が『What's Going on』だった。

 以前のアルバムといえば、ヒット曲の寄せ集めのようなものばかりだったのに、この作品ではマーヴィン自身がプロデュースを担当し、アルバム全体を流れるコンセプトが明確に打ち出されているのだ。その1曲目はヴェトナム戦争に対して明白に「NO」と突きつけたタイトル・トラック。そのタイトルを日本語に置き換えれば、「いったい、どうなっちまったんだい?」といったニュアンスが正しいんだろう。なんでも、フレーズのひとつにマーヴィンから父へのメッセージが込められているという話もあるのだが、そうではあっても、おおきな戦争が起こる度にこの曲がラジオから流れるのは、そんな「歌の意味」に理由がある。おそらく、どこかにDJや放送関係者の良心が込められているんだろう。とはいっても、このアルバムが発表された当時、あの曲に付けられた邦題が『愛のゆくえ』だったというのが、どこかで、悲しくなってしまうのだ。もっと他に選択肢はなかったんだろうか? それではアルバムに込められた『意味』がまるで伝わらない。ひょとして、そのせいなのか、まだ、中学生から高校生となった頃の自分にとって、この曲がそれほど強烈な『思い』の込められた歌だとは思えなくて、単純にラヴ・ソングのように聞こえていたものだ。

 この『What's Going on』の意味を理解できたのは80年頃だったと思う。イギリスでNMEという音楽新聞が歴史を通じたベスト・アルバムというコンセプトの元に特集を組んだとき、No.1として選ばれていたのがこのアルバム。なぜなんだろうと、きちんと聞いたことに加えて、ある程度英語を理解することができていたことが助けてくれたんだと思う。もちろん、そのときには、タイトル・トラックと並んでジ・エコロジーと副題の付けられた「マーシー・マーシー・ミー」の意味も理解していたつもりだった。ところが、それが染みるように伝わったのは今回。前述の米子から大阪へのバスの車中だった

「なにもかもが以前のようではなくなった。青い空はどこへ行ったんだろう。毒が風に乗って北から、南から、そして、東から流れてくる。廃棄物の油が大洋を汚し、それが広がる海で魚たちは救いを求めている。放射能汚染は地上から空へと広がり、土地は人であふれかえる。人類の愚行に地球はどれほど耐えることができるんだろうか...」

Marvin Gaye と、まぁ、簡単に訳してしまえばそうなるんだろうけど、あのアルバムが録音された1970年にマーヴィン・ゲイは実にシリアスな警告を私たちに発していたことに気がつくのだ。おそらく、この歌が染みてしまったのは、ここ数年、誰もが口にし始めた温暖化現象といった「地球の危機」を、少なからず自分自身がおそれているからなのではないかと思うのだ。

 そして、大阪から帰京した翌日だったか、合衆国の前大統領候補だったアル・ゴアがノーベル賞を取ることになった映画『不都合な真実』を見ることになる。直感として迫っていた『人類の終わり』を、あるいは、経験で『実感』していたそれを、実際に撮影された映像やデータで『確信』していくことになるのだ。正直言ってしまえば、そのときが近いだろうことは感じていたんだが、おそらく、それは自分がこの世を去ってからのことではないかと想定していたのが『人類の終わり』だった。が、これを見ると、おそらく、自分がそれを生きて体験することになるように思えてしまうのだ。すでにツバルからモルジブといった島国は国が海の藻屑となっていく事態に直面しているということは、たいていの人なら知っているだろう。そればかりではなく、海流の変化によって生まれる生態系の変化が我々の生活に壊滅的なダメージを与えていくはずだし、その兆候は誰もが『感じている』はずだ。こんな時に愚の骨頂である戦争をやっているバカ野郎たちがいる。また、『経済』や『繁栄』を『正義』だと思っている間抜けたちがいる。救いようのないアホどもが権力を握り、人類を死地に追いやっているのが手にとるようにわかるのだ。

 この映画で繰り返している講演のなかでアル・ゴアが口にする言葉が印象的だったんだが、「今、すぐにでも実行できることをやるだけで、少なくとも1970年の状態にまでは戻すことができる」というのだ。が、その1970年とはマーヴィン・ゲイがこの名作、『What's Going on』を録音した頃。そのときでさえ、彼は「マーシー・マーシー・ミー」と助けを求めていたのではないのか? 公害やスモッグから放射能汚染... 彼がそういった危機感を感じ、認識していた時代にしかさかのぼれないのだ。

 今回、この曲を聴き、そして、あの映画を見て、また思ってしまうのだ。我々はなんという愚行を繰り返しているのだろうか。取り返しの付かないことをしている自分たちの足下をきちんと見つめなければいけない。少しでも生き延びるために行動しなければいけない。そんな思いをいっそう強くすることになるのだ。


投稿者 hanasan : 17:59 | コメント (0)

2008年01月16日

There's somthing in the air...って

いちご白書 昔からのマック・ユーザーにとって、そして、どこかでマック・ファンであるユーザーにとって、当然気になるのがマックワールド。毎回ここで新しい製品が発表されることもあって、その時期になるとなにやらそわそわしてしまうのは無理もない。それが昨日から今日にかけて開かれていた。

 前回の9月にはiPod Touchの発表があって、その素晴らしさに圧倒されたと言いますか... これは発表当日にApple Storeで注文。一般のマーケットに出る1週間前には手元に届けられた。わずか16GBという容量はかなり少ないように思えるが、ネットにつなげられたり、コンピュータのスケジュールを同期できたりと、なにかと便利。けっこう、いい感じで使っている。

 さて、今年のマック・ワールドなんだが、キャッチ・コピーとして登場してきたのが"There's somthing in the air"というフレーズ。となると、昔からの音楽好きであれば、速攻で思い浮かべるのがいまだにDVD化されていない(と思う、見たことがないから)アメリカン・ニュー・シネマの傑作、『いちご白書 』(Soundtrack / 文庫)で使われたイギリスのバンド、サンダークラップ・ニューマン (『Hollywood Dream』に収録)の名曲だ。『みんな一緒にならなければいけない。なぜなら、革命が起きているから』と歌われるもので、学舎の一番高い塔のような場所にたたずむ主人公のまわりをカメラが巡りながら流されたこの曲は、同じ映画で使われたニール・ヤングの『ダウン・バイ・ザ・リバー』や『ヘルプレス』に『ザ・ローナー』といった名曲の数々と並んで、最も大きなインパクトを与えてくれた曲のひとつだ。とはいっても、このサントラ、名曲そろいで大好きなんですけどね。

Summer of Love おそらく、ヴェトナム反戦運動からフラワー・ムーヴメントと、旧来の価値観が突き崩されていったときのシンボルとも言っていい曲なんだろうなぁ。当時のロック・カルチャーをうまく描写してくれている映画『あの頃ペニー・レインと』 (Soundtrack / DVD)でこれがフィーチュされていた理由もよく理解できる。いつだったか、Tom Petty & the Heartbreakers (トム・ペティとハートブレイカーズ)の『Greatest Hits』を買ったときにも、おまけのような新曲(カバー)としてこれが入っていたのが嬉しかったし、おそらく、彼もその影響を受けているんだろうなと想像する。もし、チャンスがあったら、ぜひ聞いて欲しい名曲中の名曲。あの頃の気運を示すものとして、Youngbloods(ヤングブラッズ)の「Get Together」(『The Best of the Youngbloods』に収録)と並んで、ぜひ知っておいて欲しい曲だ。

 ちなみに、当時の空気を伝える絶妙なコンピレーションが『Summer of Love, Vol. 1: Tune In (Good Time & Love Vibrations) 』やその続編、あるいは、『San Francisco Nights』といった作品で、気になったら聞いてみてくださいな。そういった曲がわんさ収録されているので。

 いずれにせよ、アメリカのIT関連企業の人たちって、日本とは全く逆で、こういった流れの元ヒッピー的な人たちがメインになっているんだろうなぁと思う。あんなキャッチ・フレーズを持ってきたことやかつてのキャッチ・コピー、「Think Different」でジョン・レノンのベッドインの写真が使われたりと、「だからこそ」そういった発想ができるんだろうと思う。そのマック・ワールドで発表されたのが最大で厚さ1.94cmで、重さ1.36kgのMacBook Air。なかなかねぇ... いいかもねぇ、とは思うんだが、食指は動かなかった。その理由はというと、まずは中途半端なのだ。確かにデザインはいいし、フォルムもかっこいい。でも、「実務派」のジャーナリスト、ネットで仕事をしている写真家としては現場でも使える「頑丈」でタフなマシンが欲しい。だから、ぽきっと折れてしまいそうなこれからは、金に余裕のある都会派のセカンド・マシーンといったニュアンスを受けるのだ。確かに、ワイヤレスでMacBook Air SuperDriveが使えたり、Time Capsuleが使えるというのは、コンセプトとして面白いけど、そんなものをいつも一緒に持って歩くわけにもいかないし、それは想定していないだろうから、結局は、インフラが理想に近い都会でしか使えませんって。

 逆に、いつも通り、マックス好きのネット情報で噂になっていた12インチの1500ドル前後というのが理想だったかなぁと思う。セカンド・マシンならそれで割り切って使えるから。それなら、それでいいんだが、そういった価格帯でないとつらいと思う。まぁ、自分の妄想ではまるで平ぺったいペン・ケースのようなものを妄想していたんですけどね。ぱかっと開けると両面共に液晶で、当然、両方ともタッチ・パネル式。通常の形で使うには手元の液晶がキーボードになって、ワイヤレスで外付けのドライヴどころかキーボードやマウスも使えるというもの。そして、その両面の液晶画面をひとつのモニタとしても使えるというアイデアなんだが、これって非現実的なのかしら。そうすれば、単純に映像や画像を楽しむときにはどこかに立てかけて使うこともできるし、デスクトップ的に使うこともできる。一方、そのまま持ち出して、町で使うときには小型ラップトップとして有効なわけです。まぁ、夢物語ですが。

 まぁ、想像や妄想が渦巻いて終わったマック・ワールド。私は、次を待ちます。Mac Bookか、Proか、もうちょっと軽くて頑丈で消費電力の少ないものが出てくるのを心待ちにしております。そろそろPower Book G4がおだぶつになりそうなので、最悪の場合はMac Bookの2.2GHでも買って、次につなぐか... といったところでしょうな。


投稿者 hanasan : 18:06 | コメント (0)

2008年01月13日

辺野古は怒っている

Duty Free Shop. 昨年2月に沖縄に飛んでピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007を取材して以来、辺野古のこと、沖縄の基地問題がいつもどこかで脳裏にある。昨年10月に沖縄に行って体験することになった辺野古から復帰後最大の県民大会も、それがきっかけとなっている。あのとき、なかなか連絡の取れなかったソウル・フラワー・ユニオンのひでぼーやピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007の中心人物であるまさくんに、同じく、核になっていたミュージシャン、圧倒的な演奏を見せてくれたデューティ・フリーショップの知花君とも会うことができたのがどれほど嬉しかったか。本土ではそれほど知られてはいないかもしれないが、彼らの公式サイトからダウンロードできる「民のドミノ」という曲は傑作だと思う。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件に抗議する曲なんだが、デューティ・フリーショップとラッパー、カクマクシャカのコンビネーションが生み出したこれは、U2の名曲「サンデー、ブラディー・サンデー」に匹敵するほど重要な曲だと、自分は信じて疑ってはいない。(ちなみに、この曲を収録しているのが『音アシャギ』というアルバム。これは、是非買って欲しいし、自分も購入した。日本にはこういったバンドがなくてはならないと思うし、そういったことで彼らをサポートしたいと思う)

 そのピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007での演奏をDVD化するので、ライナーを執筆して欲しいと、ソウル・フラワー・ユニオンの中川君から連絡があったのは10月ぐらいだっただろうか。Smashing Magでのレポートをベースにして、書いてくれればいいから言われたのだが、実を言うと、それがなかなか難しい。読み返してみるとわかるんだが、イントロとして書いた原稿から、まとめとして書いた総論まで、かなりの量になるし、振り返って読んでもけっこうの力作だったと思うのだ。残念ながら、多少のミスや自分の無知をさらけ出している部分もあるんだが、あのとき、自分がわかったこと、感じたことをストレートに書いたこれを越える原稿を書かないといけないなぁというのがプレッシャーとなってかなり時間がかかってしまった。とはいっても、結局、あのときのイントロ原稿にソウル・フラワー・ユニオンへの思いを込めた文章を加える形で完成させて、それを彼に渡しているんですが。

辺野古 そのライヴDVDの発売がいつになるのか? 聞いてはいないんだが、そう遠くはいないと思う。年末のリキッドルームのライヴあとの打ち上げで、単純にライヴだけではなく、『辺野古』を伝えるための情報もなんらかの形で入れ込むというような話を耳にしたように思うんだが、それがなにだったか覚えてはいない。いずれにせよ、「辺野古をとぎれることなく、伝え続けなければいけない」といった趣のことを語っている彼らも日本では数少ない、伝えるべき言葉を持つバンドだ。そのあたりの彼らに対する自分の気持ちは、あのライナーに書いている。

 と、そんなことがあってしばらくの後、ひでぼーから届いたのがピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007のドキュメンタリー。あくまでインハウス用であって、公の場では公開しないで欲しいという旨の但し書きが加えられていたんだが、なにが理由なんだろう。ミュージシャンのライヴだけではなく、このフェスティヴァルがどういったプロセスで生まれてきたのか... それが、よくわかるように、彼らのインタヴューも交えながら、いい感じで構成されているし、自分としてはできるだけ多くの人たちに見て欲しいと思うんだが、なにか複雑な事情があるのかもしれない。

Mozaik さて、沖縄に住むアイリッシュ・トラッド界の重鎮がドーナル・ラニー。彼も昨年のピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007に出演するだけではなく、イヴェントそのものの手伝いから、後片付けまでをもソウル・フラワー・ユニオンのメンバーと一緒にやってくれたというのはあのときレポートしたとおりだ。プランクシティからムーヴィング・ハーツといったアイリッシュ・トラッドを語るときに避けては通れない最重要バンドの中心人物として、今も現役で活動を続けていて、プランクシティ時代からの盟友、アンディー・アーバインたちと結成したモザイクというバンドを結成。2005年の4月には来日して、そのときのレポートをここに残している。その彼らがつい最近、新しいアルバム、『Changing Trains』を発表しているんだが、沖縄に住んでいるドーナルは、自宅のそばにある嘉手納基地の人権を無視したやり方にぶち切れたようで、先日、抗議の手紙を司令官に送っている。とはいっても、そんなニュースを報じたのは地元の新聞(ここに)だけで、本土のメディアは完全に無視。辺野古から復帰後最大の県民大会の時もそうだったのは、以前にここで報告したとおり。アイルランドでは、ある種、国宝級のミュージシャンであるドーナルも日本では「ただの外人」としてしか受けとられていないのかもしれないが、それにしても悲しい。

 その抗議の手紙の内容についてはここで、日本語訳を読むことができるんだが、このあたりのニュースは非戦音楽人会議のネットワークを通じて登録している人たちに伝えられた。もし、音楽を愛していて、反戦の意志を持っているのであれば、是非仲間に加わっていただきたい。

 まるで人権を無視した、しかも、本国の米国では禁止されている米軍の軍事訓練は、嘉手納だけではなく、厚木基地などでも行われているという話を聞いたことがある。彼らにとってアジア人は「人間」ではなく、属国か植民地の「低級な人間」だとでも言うんだろうか? だからこそ、米兵が犯罪を犯しても、まともに日本の警察が相手にできないような状況ができあがっているんだろう。それに対して、ドーナルのように抗議の声を上げたミュージシャンたちがこの国にどれほどいたんだろうか... このニュースを受けて、そんなことを思ってしまった。


投稿者 hanasan : 14:29 | コメント (0)

2008年01月07日

Banda Bassotti、ニュー・アルバムとカメラの歴史

Banda Bassotti 初めて手にした一眼レフは80年代初めに買ったNikon FEで、その頃から少しずつ写真を撮り始めていった。といっても、なんの知識もなかったのだが、少しずつ勉強を初めて、フリーのジャーナリストとして取材を始めた80年代半ば頃から、原稿を補足するものとして写真を撮っている。当時、自分が写真家だといった意識はなかったんだが、カメラを手にしているだけで「写真家」と呼ばれるようになり... 一時は気恥ずかしかったりもしたんだが、結局、フリーランスのジャーナリストで写真家だと名乗るようになっていた。当然ながら、写真家として、特にライヴを撮影するのに必要なレンズも買いそろえつつ、活動を続けて、今では作らなくなった名刺の肩書きとしてfreelance journalist and photographerと記していたのだ。

 銀塩のカメラについては、結局、FEとFE2の2台で撮影することが多く、後に、FE2の方がダメになって、ほとんど同じようなマニュアル・タイプのFMを買ったり、一応、オート・フォーカスのカメラも必要だと思ってF401からF80へと買い換えたのだが、結局、フィルム代に現像代でとんでもなく金がかかるということから、デジタルへ移行していくことになる。一方で、インターネットのメディアとしての重要性を感じ始めたのが97年頃。当時はまだ20万画素という、今でいえば、おもちゃのようなデジカメを持って撮影するようになっていた。とはいっても、そんなカメラでまともな写真が撮れるわけもなく.... 数十枚に一枚が使えるかなぁという程度でしかなかった時代だ。作品として、世に出せるものは皆無に等しいのだが、少なくともネットで誰の拘束も受けることなく自由に情報を発信できることの方が重要で、このあたりからデジタルにのめり込んでいくことになる。

 そんな流れの中でやっと、ごまかしながらも「写真」として使えるかもしれないと思える撮影ができるようになったのがオリンパスのE10というカメラが発売された頃だった。これが2000年10月で、価格は20万円前後ではなかったかと思う。このカメラで撮影したのが右上の写真。ISO(フィルムの感度に匹敵するもので、これが高ければ高いほど暗いところで撮影ができるというもの)の最大は320でF値は... すでに覚えてはいないんだが、今調べたらF2.0-2.4となっている。これはレンズの明るさのことで、この数字が小さければ小さいほどたくさん光が本体に入ってくる。だから、高いレンズはF値が小さくて、現在でもズームで最も明るいレンズがF2.8となっているからこの数字はけっして悪くはない。とはいっても、はっきり言って、ライヴの撮影となると最低でもISO800ほどでないとまともな撮影はできない。だというのに、まだまだ原始的な一眼レフ・デジカメとも言えるE10で撮影したこの写真をA全という巨大なポスターとして使ってくれたのがローマのバンド、おそらく、ここ10年で自分が最も惚れ込んでいるバンダ・バソッティだった。

Banda Bassotti それがどれほど自分を奮い立たせてくれたか... ライターとしての自分を認めてくれた人は、いろんなところで出会ってはいたし、どこかで「他の誰にもできない仕事をしてきた」という自負や自信を持っていた。が、写真は全く別もので、バンダ・バソッティがこれを使ってくれたことで、写真に対するアプローチが大きく変わっていくことになる。なにせ、彼らはライターとしてばかりではなく、写真家としても自分を評価してくれたのだ。しかも、このポスターがイタリア中に貼られたのだから、その喜びは格別だった。さらに、その翌年から「経費は出すから、イタリアに来てくれ」と依頼されるようになる。オフィシャル写真家としての仕事の始まりだ。おそらく、写真に本気で取り組みようになったのはこの頃からではなかったかと思う。

 E10の後に手にしたのは、すでに生産中止になっているニコンのD100。あれが出たときには「やっとまともにデジタルで銀塩に近い写真」をとれるようになったと思っていた。当然のように、それが大間違いであることは、その後継機として発表されたD200を手にした時点で明らかになるのだが、いずれも発売当時は25万円前後もするこれを購入し、よりよい写真を撮るためにレンズもそろえていった。特に気に入っているのはNikon AF-S VR ズームニッコール ED 70-200mm F2.8Gで、これはかなり高価なのだが、髪の毛一本一本まで実にシャープに撮らせてくれる。気に入っている写真の多くはほとんどこれで撮影されているといってもいいだろう。

 実をいえば、この左上の写真はそのコンビネーションで撮影したもので、今回、新しいアルバムの録音を終えたバンダ・バソッティがジャケットに使用したいと連絡してきたもの。実際にそうなるのかどうか、現時点ではわからないし、気が変わることだってあって当然だから、結果は待つしかないんだが、これも嬉しかった。ちなみに、新曲は彼らのMy Spaceでチェックできるので、気になる方は飛んでみてください。

 いずれにせよ、D200と、その後に手に入れたNikon D80が撮影の主役となり、Nikon AF-S VR ズームニッコール ED 70-200mm F2.8Gの他に、広角系のNikon Ai AF-S ズームニッコール ED 17-35mm F2.8Dに標準ズームのNikon Ai AF-S ズームニッコール ED 28-70mm F2.8Dとそろえていった。さらに、簡易取材のためにNikon AF-S DX VR ズームニッコール ED18-200mm F3.5-5.6Gや、クオリティにそれほど大きな違いがないというので、トキナーの超広角ズームも手に入れている。デジタル・カメラの場合、レンズを交換するとゴミが入って写真が使い物にならなくなる。特にダストだらけのライヴ会場ではなおさらで、どうしてもズーム・レンズが主役になってしまうのだ。

 よくぞここまで金をかけたと思うのだが、いい写真を撮影するために金は惜しんではいられないし、どんどん撮影しなければいけないと常々思っている。特にデジタルの場合はシャッターを押した直後に「絵を確認」できることから、撮影している現場で設定の確認からカメラ本体の露出計などの不具合なり癖が簡単にわかるのだ。特に、さまざまな方向から光が飛び出してくるステージ写真についていえば、カメラの露出計なんぞ当てにしていられない。なによりも経験と勘と「音楽を聴く」ことが要求される。だから、最初の数枚でそのあたりの修正をすることが多々ある。

 加えて、リズムとミュージシャンの癖や動きのタイミングなどを全て見ていないと「音楽が聞こえる」写真が撮れないのはいうまでもない。なによりも、自分が撮影するときに心がけるのは「写真から音楽が聞こえる」こと。そうでなければ、ただなにかが映っているだけのデータの集まりになる。記事を書くためのデータであれば、それでいい。が、作品としての写真はそんなものであってはならないと思うのだ。

Nikon D3 もっといい写真を撮りたい。と、思う。もっともっとヴィヴィッドに音楽を伝え、歌が聞こえてくる、そんな写真を撮りたい。だからなんだろう、新しいカメラが出るとない袖を振ってまた清水寺から飛び降りてしまうのだ。今回もそれだった。大嫌いなローンで手に入れたのは、おそらく、デジタル一眼レフの革命とも呼べるNikon D3。やっと銀塩写真に近づけた名機を購入してしまうことになる。amazonで購入してポイント還元を考えれば52万円という値段になるし、三ヶ月のクレジット・カードの保障も付くということで一瞬考えたんだが、さすがにこの金額を一気に口座から引き落とせる余裕なんぞない。それに、1月中旬にはマックのラップトップの新モデルが登場してくるはず。すでに年代物となっているパワーマックG4はがたが来ていて、旅での仕事を考えるとどうしても購入しなければいけないというので、こうせざるを得なかった。

 が、友人の写真家たちに「絶対に後悔しない」といわれた通り。とんでもない代物だと思う。デジタル一眼レフの革命といってもいいだろうと思えるほどで、クオリティとして考えれば銀塩に限りなく近いと思う。というか、すでに銀塩とデジタルを比較することが間違っていると思うのだが、これはものすごいカメラだ。やっと「写真家」の一眼レフ・デジカメができあがったと断言してもいい。もちろん、デジタルの進化はすさまじく、おそらく、数年もたてば新しい機種が出てくるのだろう。そして、そのときにまた驚かされることになるはずだ。が、D2Xといった旧機種との違いは歴然で、はっきり言って比較する意味もないほどの進化を遂げている。ISO6400でもノイズはなく、絵のシャープさは格別。実は、これを買うか、30万円以上安いD300を購入するか、かなり悩んだのだが、これで正解だったんだろうと思う。実際に、D300に触れて撮影したわけではないので軽はずみなことは言えないし、これもD200とは比較できないほどに進化したと聞いている。ひょとして、すでに18万円ちょっとで購入可能なD300でも十分な仕事はしてくれるかもしれないんだが、Nikon D3を手にしての満足感は格別だ。逆に、おそらく、今度は自分が試されるんだと思う。こんないいカメラでまともな写真を撮れなかったら、写真家だなんて言えませんから。

 ちなみに、CFカード2枚が入るこのNikon D3に合わせて大容量のカードを買ったんだが、これは最近けっこう使っているValue landという店で手に入れた。なんと16GBのCFカードでトランセンドの133倍速というものが17000円ほど。この店の値段はいつもかなり安くて、タイム・バーゲンでときおりとんでもなく安い値段で限定販売してくれるのをつかむのが正解だと思うけど、今回はそれを待てなくて購入だ。

 本当は、実際に使えるかどうか不安だったんだが、今のところ問題はなし。これと、以前買った8GBのものを使えばデータ・カードを交換しなくてもライヴの撮影ができる。転送スピードに若干の心配もあるんだが、これよりは低速のはずの8GBのものもで撮影するときに一切ストレスを感じたことはない。加えて、それほど容量が大きいと、カードが痛んだ時に失う写真の量が多すぎるからと敬遠する人もいるんだが、これまでのところ、CFカードでそんな経験はない。実を言えば、SDカードを使うNikon D80で一度経験しているんだが、あのカメラはサブとして使っているので、それほど大きな損失感はなかった。(もちろん、悔しい思いはしてますけど。去年の暮れにソウル・フラワー・ユニオンを撮影したときにデータが壊れて、写真が使い物にならなかったのですよ。)ちなみに、そのとき、Nikon D80をサービス・センターで修理しているんだが、原因は不明。使用したデータ・カードも持参して全てチェックしてくれたのだが、症状が出なくて、関係する部品を全て無料で交換してくれた。だから、今も若干不安が残るのだが、修理完了以来、同じ症状は出ていない。

 と、写真家というのは実に金がかかる。それなのに、まともなギャラを出さない連中の多いこと。去年も某大手出版社の雑誌が写真を使わせて欲しいと打診してきたんだが、あまりに人をバカにした値段なので、お断りした。欧米のメディアでは写真に対して十分に報酬を出してくれるのに、日本では写真に対する評価があまりに低すぎる。デジタルだから「フィルム代も現像代もかからない」というのが理由らしいが、そりゃぁ、あ〜た、世間を知らなすぎる。そんな連中にまともな編集意識が宿っているのかどうか、実に疑問なのですよ。


投稿者 hanasan : 16:06 | コメント (0)

2008年01月06日

Fermin Muguruzaの写真集付きDVD到着

Fermin Muguruza ずいぶん前にフェルミン・ムグルサから連絡があって、「今度写真集を出すんで、写真を使わせてもらえないか」と依頼を受けていた。もちろん、速攻でOKの返事を出しているんだが、どんなものが出てくるんだろうと思っていたら、あれから数ヶ月を経て仕上がった作品が届いた。タイトルはシンプルに「Fermin Muguruza "Afro-Basque Fire Brigade" Tour 2007」となっていて、サイズはほぼ7インチのアナログ盤で、厚さは表紙を含めて1.5cm。約200ページに及ぶワールド・ツアーの記録が写真集として構成されていて、最後にDVDがつけられている。

 このDVDは18/98と名付けられた2006年のツアーのチャプター、2007年のツアーのライヴ映像のセレクションに加えて、ロード・ムーヴィーの名の下に50分によるドキュメンタリーも収録されている。これ一冊でフェルミン・ムグルサと彼のバンドが世界中でどんな活動をしていたのかが手にとるようにわかるのが嬉しい。

 自分の写真が使用されているのは今年4月にスペインの南部、バルセロナとヴァレンシアの中間あたりで開催されたヴィーニャ・ロック・フェスティヴァルで彼らと合流して向かった、フェルミンの地元、バスク・カントリーのパンプローナにあるトーテムという小屋での写真とフジ・ロックのオレンジ・コートに出演したときの作品で、わずかに4点。ひょっとしたら、表紙に使われているものの1点もそうかもしれないが、定かではない。本音を言えば、他にもいい写真はあったんだけど、これは彼のセンスなんだろう。だから、全く文句を言うつもりはない。なによりも、作品を掲載してくれたこと、そして、きちんと自分の名をクレジットしてくれているのが嬉しい。

Fermin Muguruza 単純に個人的なレベルでいえば、自分の友人や仲間たちがちらほら顔を覗かせているのが嬉しいのだが、大きな発見は写真集としての出来の良さと同時に、フェルミン・ムグルサという人物が我々の想像を遙かに超えて世界中で支持されていることを再認識させてくれることだろう。彼らがツアーしているのはヨーロッパはもちろん、その東の端とも言えるロシアからキューバを含む中南米にアジア。本当は、中国もツアーの地として計画されていたのだが、ドタキャンとなったという話も届いている。いずれにせよ、彼らが英米のバンドの「ワールド・ツアー」を遙かに超えるエリアを旅しているのが面白いのだ。

 しかも、ライヴの会場には数万人を集めるフェスティヴァルからデモや集会までもが含まれる。そこに力ある音楽、リアリティある音楽を垣間見ることができる。彼らの音楽がどこから生まれ、どういった広がりを見せているのか... それが要だと思うのだ。

 加えて、写真集には彼らの視線が見える。この写真集に掲載されているのは単純に彼らのライヴの模様だけではなく、旅の記録もあれば、それぞれの地で彼らが目にした、体験したことが含まれている。通りにたたずむホームレスや眠りこけるサラリーマン。カフェの壁に書かれたジョー・ストラマーの絵から、山のように積み上げられた中古テレビ... 何げない日常をどう見るか、なにを見るか、そこになにかを感じさせるのだ。それがなにかを雄弁に語りかけてくる。かっちりとしたライヴの写真であろうと、ちょいとピンぼけでも同じこと。それが写真であろうと、音楽であろうと、文章であろうと、変わらないと思うのだ。その視線を持つなにかに自分は共鳴しているように思える。

 いろいろ検索してみたんだが、日本でこれを入手するのは、難しそうなんだが、ひょっとしたら、どこかで手にはいるかもしれません。気になる人はチェックしてみてくださいな。


投稿者 hanasan : 15:02 | コメント (0)

2008年01月03日

新年、おめでとう

 といっても、ここ数年、なにがめでたいのか、よくわからない。とりあえずは、生き残ることができたという意味で言えば、それだけで十分におめでたい。なにせ、自由気ままに生きてきて、まだ餓死することもなく、貧乏の極みだとは言っても、世の中にはまだまだ貧しく、飢えている人がいるのだ。それはなにも、絵に描いたような第三世界のことではなく、豊かだと言われているこの国でも同じこと。日本でも生活保護さえ受けられることなく、餓死する人間がいるのだ。それなのに動かない民が大多数だから、おめでたいんだろうか?

 でも、よく考えてみる。そんな状況に生きているのに、「日本は豊かだ」「日本は平和だ」と思っていることの方がよほどおめでたいのではないのか。ネット・カフェ難民だとか、格差の問題だとか、いろいろ騒がれてはいても、「自分はまだそこまでじゃないから」と思ってしまえる自分がおめでたくはないんだろうか。あんた、本当に「豊か」なのか? マネーゲームで遊んでいる連中が、使い切れることもない金を稼いで、社員にもなれず日雇いのような状態で必死に働いている連中が雀の涙の金でその日を食いつなぐ。これが戦後60数年も過ぎた「豊かな日本」なのかい? 自分で選んだ道だから、乞食のような生活をして当然だと考える方がおかしくはないのか? 貧しくとも少なくとも「人間」として生きていけなくて、なにが「豊か」なのか?

 いつまでたってもウサギ小屋に生きて、家賃と食い物に大金をはたいて、最低限「生きる」ために奴隷のようになって働かされる現状が、本当に豊かなのか? 満足な「休息(お休み)」さえ十分に受ける「権利」さえもらえてはいないのだ。職があれば、まだしも、それさえなく、あっても不安定で、いつホームレスになるかもわからない状態で生きているのが豊かなのか? ホームレスになるような状態にならないように「安心して生きていくことができる」社会を作るのが政府ではないのか? 身体が動かなくなって、病に倒れたときに、そんな人々を救うのが社会ではないのか? 年老いて、働けなくなったら、そういった人たちをきちんと支えてあげるのが「普通」の世界ではないのか? そんな政府も社会もないこの国が「豊か」なのか?

 それでも「戦争」がないから日本は「平和」なのか? 「テロとの戦い」のお題目の下、ただでガソリンをやって、ミサイルを積んだ戦艦に手を貸しているのは「戦争」に参加していることではないのか? ファルージャの虐殺に従事した米軍へ物資の輸送をしたのはどこの国で、兵隊はどこから「戦場」に旅立ったのか? その兵士達に日本人なら金持ちしか住めないような家を提供し、「おもいやり」を渡しているのは誰なんだ? その金は苦しくてたまらない生活を送る自分たちが払っている税金ではないのか? それで、あんたは日本が「平和」だと言えるのか? しかも、米国本土では絶対に禁止されている訓練を大都市の真ん中で平気でやられて、「日本を守ってくれている」と思っているあなた、おめでたいのはあんただろ? 

 日本はすでに植民地以下になっていると思わないのかなぁ。去年は「ルワンダ・ホテル」を見たり、「ザ・ラスト・キング・オヴ・スコットランド」なんて映画を見ながら、思ったものだ。あの状態と、今の日本と「程度の違い」はあっても同じことじゃないのかい? 政治家どもや役人や金持ちが国民をこけにして暴利をむさぼり、ゴルフ三昧かい?「格差はあって当然だ」とのたまったアホ総理! 「それは努力した結果」だと奨励されるのだ。どれだけ努力しても報われない状態を作っておいて、弱者を作る作業をしておいて、それを切り落とすことが努力だとしたら、あんたのやってきたことは「殺人行為」さ。

 目を覚ましなさい。「国を守るため」という名目で「使いたくない」、そして、おそらくは訓練でしか「使わない」ものに大金をかけて、その金を民が生きることに使わないということは、それだけで殺人行為なんですよ。薬害エイズから薬害肝炎の問題は国民の「命を守る」もの。それには多額の金を出すのに躊躇して、ミサイルや爆弾になら、ぼったくりを常とする業者やその賄賂にとんでもない金額の税金を投入するわけだ。あほらしくて話になりません。いつまであなたたちはそれが見えないふりをするんですか? 辺野古の基地問題だって「平和」だとか「テロとの戦いだ」とか、「国防」なんて、政治家や役人や資本家どもが甘い汁を吸うための方便以外にどういった理由があるの? まだひとつ他に理由があるとすれば、(実際にプランがあったことが暴かれ出しているけど)要するに、日本の属国化だろ? アメリカさんの。右翼は怒れよ! 民族の尊厳もくそもあったものじゃないだろうに。

 世界最大の武器輸出国であるアメリカの世界第五位のお得意様が日本だって? ジェット機も飛ばすガソリンもないような北朝鮮が日本を攻める? これだけの軍備をしている国が隣にいて、「敵だ」と想定されれば悪あがきだってしたくなるだろう。憲法を守って、米軍はおろか、自衛隊もなくして、サンダーバードのように国際救助隊でも作っていれば、そんなこともなかっただろうに。そんなことをしてきたアホ政治家どもが、のうのうと生きていられて、でっかい屋敷に住んで偉そうな面をしてることがおかしくないのかい? ホントにおめでたい。政治家は国民の家僕だよ。

 おまけにアメリカ本土の米軍基地を作るのに日本が金を出すなんて話をまともな顔でできる政治家なんぞ、売国奴だろ。そんな政治家どもを選んでくれている日本国民って、ホントにおめでたい。と、新年になって、「めでたい」と言えば、そんなことしか思い浮かばないんだが、わたしぁ、被害妄想かい? それとも、正論吐いているのかい? 

 文句のを言うのは簡単さぁ。だったら、具体的な方法論を提示しろ! ってか? 提示したところで、まるで妄想のような「恐怖心」や朽ちた「常識」でしか頭を使えない人たちにはなにもできませんよ。

 もう、やめませんか? 物質的な豊かさや便利さや金なんて追い求めるのは。そんなのが価値だなんて「文明」じゃないんですよ。今の言葉で言う「金持ち」や「セレブ」なんて最も貧相で恥ずかしく、醜いものだということを理解しましょうよ。貧しくても豊かな生活があるんですよ。でも「現実は」というのであれば、その現実に向かい合えばいいでしょ?

 金はね、紙切れか金属の固まりです。燃えればなくなるのさ。欲しいのは金ではないでしょ? 幸せでしょ? 金で買える幸せって、ホントに幸せなのかい?

 なんかめでたい話だと思うかもしれないけど、新年なんだ、これぐらいのことは言い放っておきましょ。アホな政治家の議論には絶対に乗ることのない、地べたに、実は、問題の本質が眠っているということが、きっとわかるときが来るから。もちろん、残念ながら、そのときには遅すぎますけど。そのときに泣いてもなにも始まらないから。

 あぁあ、ぶち切れて始まる2008年。今年はどう転んでいくんでしょうなぁ。


投稿者 hanasan : 21:51 | コメント (0)