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2008年12月20日

誰を怨めばいいのでございましょうか - 三上寛

三上寛 まるで時代が振り出しに戻ったようなもんだろう。なにやら、このところ、そんな気がしてならない。そんな貧困の時代に直面しているように思えるのだ。

 終戦から10年で生まれた自分は、ガキの頃の貧困をよく覚えている。どこかでそれがトラウマになっているのかもしれないんだが、あの頃、みんな貧しかったのは確かだ。自分の経験から過去を振り返れば、権力はそんな貧乏人を喰らうようにして、豊かになっていったのであり、高度経済成長だとか、日本の経済力だとか繁栄だとか富なんぞ、そんな貧乏人の屍の上にしか成り立っていないではないかという思いを抱えている。

 三上寛という希代の才能がこのアルバム、『ひらく夢などあるじゃなし - 三上寛怨歌集』を発表した頃だって、そんな情景が残っていた。都市部に住んでいる人たちなら、どこかで「繁栄」の幻想に踊らされていたのかもしれないが、田舎はそうじゃなかった。まだ、日本ではなかった沖縄から、産業のなかった東北から数多くの貧乏人達が「高度経済成長」の屍として大量に都市部に追い込まれていたのが50年代から60年代だ。そんな彼らを使い捨ての低賃金労働者と言えば、ひょとするとまだ聞こえはいいのかもしれない。が、実際のところは、「人格権さえをも奪われた」弱者の奴隷として、まるでもののように「利用」していたのが権力だった。そんな時代が再び日本を包み込んでいるこの時代、三上寛の歌の数々がとてつもないリアリティを持って迫ってくる。

 オリジナル・パンク、パンク・フォーク... そんな言葉に始まって、怨歌シンガー・ソングライターと、どうやって彼のことを説明したらいいのか容易ではないんだが、ギター一本を武器に、まるで身体のなかから全てをはき出すように、叫び、絞り出すように歌う彼やその音楽を単純な言葉で説明することは出来ない。しかも、多くのミュージシャンが、どこかでディランを代表する洋楽の影響の下にシーンに飛び出してきたのに対して、三上寛の背景は明らかに異色だった。それはうらぶれた田舎の映画館で見た小林旭であったり、高倉健だった。幻想の反映に振り回されていた都市ではなく、当時、当たり前のように貧しく、はかなく、捨て去られたような田舎で流れていた演歌や歌謡曲の世界。そんな音楽にむき出しの言葉が三上寛の歌に重なっているのだ。

三上寛 おそらく、曲に付けられたタイトルを見るだけでも、洋楽かぶれの嘘っぱちロックやただのええかっこしぃのバンドやアーティストもどきとは全く違った世界に彼がいるのがわかるはずだ。例えば、『ひらく夢などあるじゃなし - 三上寛怨歌集』に収録されている曲には、こんなタイトルが並べられている。

1. あなたもスターになれる / 2. ひびけ電気釜!! / 3. 痴漢になった少年 / 4. 股の下を通りすぎるとそこは紅い海だった / 5. パンティストッキングのような空 / 6. 一人の女のフィナーレ / 7. 昭和の大飢餓予告編 / 8. 誰を怨めばいいのでございましょうか / 9. 夢は夜ひらく / 10. 故郷へ帰ったら / 11. 気狂い / 12. 夜中の2時 / 13. 五所川原の日々 / 14. 青森北津軽郡東京村 / 15. 葬式

 1972年に録音されたライヴ、現在では入手が困難な『コンサートライヴ零孤徒』に収められているのがそのあたりの曲の数々。まるで血を流しながら歌うような当時の三上寛がここにドキュメントされているんだが、これを聴いているとまるでナイフで心臓の真ん中をメタメタに刺されているような感覚に陥ることがある。それほどまでに三上寛の歌は聴く者のはらわたをえぐっていた。

三上寛 そんな世界をそのまま、音楽的な広がりを見せたのが『Bang!』と呼ばれる傑作で、山下洋輔トリオあたりをバックにとんでもないところに行ってしまうのだが、それでも「怨念」にも似た叫びがここで渦を巻いていた。

 このところ、三上寛の歌が再び自分の中で「響く」のがわかる。昔から、大好きだった「誰を怨めばいいのでございましょうか」から「青森県北津軽郡東京村」あたりの歌が、なにやら60年代終わりから70年あたりの歌ではなく、まるで今の歌のように聞こえるのだ。そして、「昭和の大飢饉予告編」がまるで平成の今を歌っているようにも思える。貧しさのせいで、自殺が相次ぎ、倒産や首切りで身体を、そして、魂を、人格さえをも売ることでしか生き延びることが出来ない、そんな時代に僕らが生きているんじゃないか? そんなことを思い起こさせるのだ。

「前を向いたら、遅すぎました。後ろを向いたら、早すぎたのです... 生まれてきたとき泣きました。落ちていくとき、泣きました。誰を怨めばいいんでございましょうか?」

 21世紀のこの時代にこの歌が胸を打つ。なんて時代に俺たちは生きているんだろう...


投稿者 hanasan : 12:50 | コメント (0)

2008年12月15日

Crosby, Stills, Nash & Young... 今も強力

Crosby, Stills, Nash & Young このところのドル安円高のせいで、アメリカのamazonで注文することが多くなってきた。特に、DVDの値段が日本とは比較にならないほど安く、数枚まとめて購入すると日本のamazonよりはかなり安いのだ。といっても、一般的にDVDソフトにはリージョン・コード(業者の権利を守るだけの著作権の地域区分けと考えればいい)があって、輸入盤は再生できない前提なんだが、リージョン・フリーのものも多いし、それを助けてくれるのが安物の中国製のDVDプレイヤー。そのほとんどはどんなリージョンにも対応していて、5000円でおつりが来るほどの低価格で販売されている。現在使っているプレイヤーは日本のamazonで購入したDVP-086Aという代物で、これで充分。といっても、一般的にこういった安物のDVDプレイヤーは壊れやすくて、これまでツタヤで購入していたマルチDVDプレイヤーが二度ほど壊れて、これが三台目となるのだが、今のところDVP-086Aに問題はなくて、まともに動いてくれている。

 で、今回注文したDVDの一枚がCrosby, Stills, Nash & Young(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の作品で、『Deja Vu』というもの。日本のamazonで購入しても1500円ほどと、国内盤と比較したら遙かに安いのだが、アメリカのamazonではわずか7ドルほど。まるで日本のシングルCDのような値段で、送料込みでも安いというので購入したんだが、それが昨日うちに届けられた。確認したら、リージョン1で、日本のDVDプレイヤーでは再生できなかったんだが、買って良かったと思う。今ではおじいちゃんといっても良さそうな4人が素晴らしいツアーを実現させたことがドキュメントされているのだ。

Crosby, Stills, Nash & Young おそらく、同世代のロック・ファンだったら、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに関して、なんら説明をする必要はないと思うんだが、簡単に言えば、60年代終わりのスーパー・グループと言ってもいいだろう。元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元バーズのデヴィド・クロスビー、元ホリーズのグレアム・ナッシュが結成したCS&N(クロスビー・スティルス&ナッシュ)に、同じく、元バッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤングが合流して生まれたバンドで、このとき発表されたのが名作として歴史に残る、当時は「唯一のスタジオ・アルバム」とされた『Déjà Vu(デジャヴ)』(国内盤 / US import)だった。

 どんな経緯でこのアルバムに突き当たったのか、今は覚えてはいないんだが、高校生の頃、実にロックなスタイルをした友人がエレキ・ギターを手にストーンズの「Jumpin' Jack Flash」のフレーズを目の前で弾いて、「これがロックや!」と口にしていた一方で、髪を胸あたりまで伸ばしていた自分はアコギでニール・ヤングなんかを引きながら、「俺には、これがロックや」と言い返していたのを覚えている。実際、そのとき、自分にとってストーンズよりも遙かにロックな存在だったのがCrosby, Stills, Nash & Young。特に『Déjà Vu(デジャヴ)』(国内盤 / US import)に続くように発表されたライヴ・アルバム、『4 Way Street(4ウェイ・ストリート)』(国内盤 / US import)にこそロックを感じていたものだ。だからなんだろう、余談になるかもしれないが、正直言ってしまえば、長い間、ストーンズのアルバムもビートルズのアルバムも1枚も持ってはいなかったし、アルバムとして彼らを聴いたことはなかった。

 どこかで、その気持ちは今も全く変わっていなくて、このアルバムに入っている「Southern Man」から「Ohio」にとてつもなくロックなエネルギーを感じるのだ。前者は南部の人種差別を糾弾した曲で、後者はオハイオ州立ケント大学で70年5月4日に起きた事件、軍隊による4人の学生射殺を歌ったもの。そのあたりの話は幾度かここでも書いていて、そのときの原稿はここここに書いているので、繰り返したくはないんだが、あの演奏や曲からあふれ出てくる鬼気迫るパワーに頭をぶん殴られたと言っていい。それぞれのメンバーが卓越したアーティストであり、ヴォーカリストであり、ギタリストでもある。その4人がまるでぶつかり合うように延々と繰り返すギター・バトルは今聴いてもゾクゾクさせられるのだ。

 おそらく、あの時代を最もヴィヴィッドに表出していたのが彼らの音楽で歌だったんだろう。彼らの歌には時代を変え、世界を変えるといった前向きな言葉が溢れていたと思うし、それこそが同時代の人々の声ではなかったかと思う。できれば、「サウンドを聴いただけで、音楽を聞いたつもり」になるのではなく彼らの歌をきちんと聞いて欲しいんだが、そこに反映されているのは、フラワー・ムーヴメントから生まれたオルタナティヴな考え方から、意識革命、そして、ヴェトナム反戦... そんな動きの最前線に彼らの歌があり、どこかであの時代やそのエネルギーを最も象徴していたのが彼らだった。

Neil Young その核にいたのが、今、振り返れば、ニール・ヤングだったのではないかと思う。それを端的に知らせてくれたのが、すでに60歳を超えた彼らが再び一緒になってやったツアーを記録した今回のDVD、『Deja Vu』だった。これを見ているとわかるのだが、発端はブッシュ体制によるイラク戦争にぶち切れた彼が数日間で作り上げてしまったアルバム、『Liveing With War』だったらしい。プロテスト・ソングどころか、「ジョージ・ブッシュ糾弾目的」以外の何ものでもないと言っていいだろう、このアルバムを、ニール・ヤングは、完成すると同時にインターネットで発表。誰もが自由に聞けるばかりではなく、ダウンロードしてCDも焼けるような形で披露していた。やってくれるよなぁ... と思う。利益だとか、商売だとか、音楽産業だとか... そんな常識をぶっ壊して、「歌を届ける」ことをやってのけたのが「過激」を売り物にしているパンクでもなんでもなく、60歳を超えたミュージシャンだ。もし、まだ聴いていないんだったら、今でもニール・ヤングがこのアルバムの発表とほぼ時を同じくして作ったサイト、アメリカの新聞USA Todayをパロったhttp://neilyoung.com/lwwtoday/で聴くことができる。加えて、もし、歌詞をチェックしたいのであれば、こちらをチェックしていただければ、これがどれほど政治的なアルバムかを理解できるはずだ。

 ともかく、それを知ったジャーナリストで、実際にイラク戦争が始まったときに幾度が現地に飛んで取材活動を続けていたマイク・セレーから連絡を受け、彼が同行取材する形で「Freedom of Speach(表現の自由)」と名付けられたツアーが始まっていた。もちろん、それを記録したのが今回手にした彼らのDVD、『Deja Vu』だ。史上最悪、最低の大統領が行っている犯罪をこのツアーで糾弾する目的を彼らが持っていたのは明らかだが、バックに政治家が潜んでいるわけでもない。これが政治に利用された「宣伝集会」でもないも明らかだ。なにせ、会場によってらしいんだが、チケットの値段は200ドルを超えていたらしいし、場所によっては350ドルなんて声も聞こえた。が、たかだかポップ・スターがブッシュにネガティヴなコメントをしただけで袋だたきにされたのが2003年のアメリカだったことを覚えている人も多いだろう。そのポップ・スターとはディクシー・チックスで、その騒ぎをドキュメントした映画が『Shut up and Sing(シャラップ・アンド・シング)』(国内盤 / US import)。これはまだ見ていないのでなんとも言えないんだが、あのヒステリックなほどに盲目的な「愛国主義」が戦争を助長させているのは間違いない。なにせ、「反戦」と口にすることさえもがはばかられていたアメリカは、終戦後のマッカーシー時代を思わせたものだ。少しでもリベラルな考え方を持っているだけで「共産主義者」という烙印を押され、数々のハリウッド・スターが映画界から追放されたのは有名な話だ。そのあたり、ロバート・デニーロが主演した映画、『真実の瞬間』やジョージ・クルーニーの『グッドナイト&グッドラック』が参考になるんだが、わずか2年前のアメリカでさえ、同じような空気が支配していたこと、同時、どこかで『希望』が生まれたことを伝えてくれるのがこの『Deja Vu』じゃないだろうか。

真実の瞬間(とき) このドキュメンタリーは、なぜ彼らがこのツアーをしたのか... そういった問いかけに応えるそれぞれのミュージシャンの声をきちんと伝えていくと同時に、「政治」と「音楽」がぶつかる現場への疑問も正面から取り上げている。彼らのみならず、会場にやってきた人たちからジャーナリストの反応を織り交ぜながらストレートに「答え」を映してくれるのだ。が、そんな疑問さえもがぶっ飛ばされるような現実を目を前にして、好むと好まざるにかかわらず「政治のなかに生きる」我々の現実を思い知らされるのがこのドキュメンタリーでもある。イラクを解放すると信じて戦場に向かった帰還兵達が幾人も登場し、彼らの葛藤を伝えると思えば、最後の曲のバックドロップに映し出される数多くの戦死兵達の写真を見つめながら、涙を隠せない母親がいる。その一方、コンサート会場で「大統領を告発する」という曲、「Let's Impeach the President」を歌ったときの敵意に満ちたオーディエンス達。特に南部ジョージア州アトランタでの反応は、わずか2年前のアメリカでさえ、いかに狂気に満ちていたかを否応なしに我々に伝えてくれるのだ。おそらく、それは、今でもそれほど変わってはいないだろう。それが「怖さ」でもある。

 その一方で、60歳を超えたミュージシャン達が真正面から闘いを挑むように、突き進んでいく様は爽快であると同時に、なぜ新しい世代のミュージシャンではなかったんだろうという疑問にもつながるのだ。おそらく、70年代のツアーで撮影されたんだろう、彼らが名曲「オハイオ」を歌う映像が挟み込まれていたり... と、そういった映像の数々がファンには単純に嬉しいんだが、あの時代ほっそりとして若く、血気盛んだった人たちが,メタボ体型をゆらせながら、今もこういった形で前線に出てくることに一抹の寂しさを感じなくもない。

 それでも嬉しいのは,新しい曲も含めて、彼らの歌がどこかで我々の思いとストレートにつながることだろう。誰かのコメントでも出てくるのだが、「一字一句がぴったりということはなくても、どこかで個人の想いと歌が重なるんだよ」といった言葉があった。その通りだと思う。今からほぼ40年ほど前の1970年に発表された『Déjà Vu(デジャヴ)』(国内盤 / US import)も『4 Way Street(4ウェイ・ストリート)』(国内盤 / US import)も、歌詞が少しでも理解できるようになると、それをいたく感じるし、イラク戦争を前後した狂気の時代に生きている人間にとって『Liveing With War』は、まさしく、自分の声でもあるように思えるのだ。そんな思いを共有できる場所がライヴであり、だからこそ、知らず知らずのうちに声を上げて歌い出してしまうんだろう。今回のDVDでライヴの様子を見ていると、「これこそ、私の気持ちなんだ!」という表情がオーディエンスからほとばしる瞬間を幾度も見ることができる。おそらく、自分があのツアーを取材できていたら、全く同じ反応を同じ曲で示していたのではないかと思う。

Soul Flower Union なかなか日本でそういったバンドにお目にかかることはないのだが、そんな数少ないバンドのひとつがソウル・フラワー・ユニオン。特に、『極東戦線異状なし!?』という曲で「この戦争を止めさせろ」というフレーズが出てくるのだが、ライヴになるとこれを一緒に歌いたくなってしまう気持ちとどこかで似ているんじゃないかと思う。

 さて、そのソウル・フラワーのアコースティック・パルチザンと呼ばれるユニットが20日のレイバー・フェスタに登場することになっているんだが、これには出かけていこうと思っている。すでに報道でも繰り返されているようにブラジルからの移民労働者や派遣労働者がまるでゴミのように捨てられて、合理化の名の下に首切りが当たり前のようにされている時代に、この会場でなにを体験できるのか、楽しみにしている。


投稿者 hanasan : 13:29 | コメント (0)

2008年12月12日

なぜ、誰も追求しないの?

クラスター爆弾なんてもういらない。 この12月3日に日本はクラスター爆弾禁止条約に批准したんだが、それをして、漢字もまともに読めない漫画首相は「これはすごいことなんですよ」とのたまった。ほぉ、確かにすごいとだろうと思う。実際のところ、その条約に先立つこと10ヶ月ほど前、日本がウェリントン会議で署名していたのがクラスター爆弾の「使用、製造、移譲及び貯蔵の禁止」を不可欠の要素とする「宣言」。ところが、そうしたにもかかわらず、陸上自衛隊と航空自衛隊で保有しているのが、そのクラスター爆弾で、それに費やした金額は276億円とされている。

 さて、かのおめでたい首相はこの宣言を遵守し、クラスター爆弾を廃棄してくれるものだと信じたいんだが、それ以前にこんな馬鹿げた兵器を購入した責任は追及されないんだろうかと思う。なんでも購入を開始したのは1987年。中曽根内閣の時代だったらしい。といっても、そんなこと、全然知らなかった。そりゃ、そうだろうなぁ。いちいち、自衛隊がどんな兵器を買っているかなんぞ、考えたこともなければ、調べたこともない。が、こんなことをきっかけとして、なにに我々の税金が使われているのかをメディアはきちんと調査して欲しいと思う。

投稿者 hanasan : 23:29 | コメント (0)

2008年12月11日

690円の密かな楽しみ

Little Feat 再び「こんなことを書いている場合ではない」と思う。大麻報道に見られるメディアの極端な偏向や情報操作に「ジャーナリズムの死」を感じているし、押し寄せる不況の波がなにを生み出していくかという点についても危機感を持っている。当然ながら、そこから派生する不当解雇はまず弱者の直撃だ。最初のターゲットになるのは外国人研修制度の名を借りて奴隷のように扱われる、主にアジア系の労働者やブラジルから出稼ぎに来ている人々。次に来るのは「日雇い」にも匹敵する「低コスト」の派遣労働者だというのはいうまでもないだろう。前者は蚊帳の外に置かれているように思えるのだが、このところ、毎日のようにメディアを騒がせているのが後者だ。「経費削減」のために彼らが捨てられて、続くのは社員の首切り。ほんの少し前までは「史上最大の経常利益」なんて言葉が新聞の紙面を飾っていたと思うんだが、あれはどこへ行った? おそらく、今のメディアのあり方や警察の横暴は、来るべき大衆運動に対する圧力の伏線で、同時に、弱者がより弱い弱者を作る動きが出てくるはず。忘れないで欲しいと思うのだ。ファシズムは優しく、心地よく人を飲み込んでいくということを。歴史が語りかけているのはそれじゃないですか?

 と、そんなことを思いながらも、CDを買い漁って、こんなことを書く自分がいるのです。だってねぇ、信じられないほどの値段で名盤を聴くことができて... そんな喜びを少しでも誰かと共有したいと思うのですよ。例えば、このアルバム、リトル・フィートの名作『Time Loves A Hero』も、この原稿を書いている12月11日の段階でたったの690円。たまりません。アナログでしか持っていなかったこのアルバムもこれを機会にCDを購入。久しぶりにじっくりと聞いて、その素晴らしさに再び感動してしまうわけです。というので、このあたりを紹介してみたいと思ったのです。

Doobie Brothers めちゃくちゃ味のあるスライドを聴かせるローエル・ジョージ率いる... というよりは、彼そのものであったリトル・フィートの名盤として世に知られているのは、もちろん、『Dixie Chicken』。同時にコアなファンにとってみれば、『Sailin' Shoes』も絶品で、少なくとも、この2枚に加えて全盛期のライヴを収めた『Waiting for Columbus』を持っていれば彼らの魅力は充分に理解できると基本的には思う。っても、個人的にベストのベストなのはローエル・ジョージにとって唯一のソロ・アルバムとなった『Thanks I'll Eat It Here』。これがすごい。

 とはいいつつ、実はほぼ全てのアルバムを持っているのだが、CDで持っていなかったというので、今回690円に釣られて購入したのが『Time Loves A Hero』だった。プロデューサーはドゥービー・ブラザーズの一連の作品で知られるテッド・テンプルマンで、このアルバムが発表されたのは77年。その前年に発表されているドゥービー・ブラザーズの『Takin' It to the Streets』と聞き比べると、また面白いのだ。これも690円だというのが嬉しいんだが、ほぼ同じ時期に同じプロデューサーが関わっていて、さらには、それぞれのミュージシャンがそれぞれの作品にゲストとして加わっているわけです。というので、まるでドゥービー・フィート(!?)じゃんと思わせる曲があったり... それでいながら、どうしてもリトル・フィートであり、どうしてもドゥービーだというあたりがさすがなんだと思う。

 特に、今回、この『Time Loves A Hero』をひさびさに聴いて、スピード感のあるグルーヴやタイトなサウンドに昇天してしまうのです。ジャズからファンクの要素を飲み込んで... ライヴだったら、これで延々とジャムってしまうんだろうなぁと思うとゾクゾクします。っても、ライヴは見たことがないんですが。今回これを買ってリピートで、しかも、フルヴォリュームで聴いているのがインストの4曲目「Day At The Dog Races」。この曲でのソロの流れやタイミング... とんでもない傑作だと思う。

The Doobie Brothers 一方、ファンのなかで賛否両論に別れるらしいドゥービーの『Takin' It to the Streets』ですが、正直言ってしまうと、自分の中ではこれが最大の傑作です。もちろん、初期の傑作、これも今690円で購入可能の『Toulouse Street』が素晴らしいのはいうまでもないし、名曲、「Listen to the Music」や「Rockin' Down the Highway」が収録されたこれも持っていて当然。ただ、グイグイと、どこかで押しと乗りの良さだけで突っ走っていたドゥービーが、マイケル・マクドナルドの加入で微妙なリズムやジャズやソウルっぽいタッチを手に入れたのではないかと思うのですよ。その両者が絶妙のバランスの上でせめぎ合っているのが『Toulouse Street』で、それをさらに推し進めたのが77年の作品、『Livin' on the Fault Line』。そして、ポップでAOR色を異様に強くした78年の『Minute by Minute』で、実をいうと、これで「ロックなドゥービー」は幕を閉じたと思えたものです。まぁ、昔から好きだったので、後の『One Step Closer』も買ったけど、これを繰り返して聴くことはほとんどなかったというのが正直なところ。

 と、まぁ、わずか690円でこのあたりのアルバムを購入できるというのが実に嬉しい。探せば、まだまだいろいろあるんですが、この値段がいつまで続くかはわかりません。これを機会に、いわゆる「名盤」を聴いていただければ嬉しと思うのですよ。まぁ、amazonの場合、1500円以上買わないと送料が無料にならないから、3枚ぐらい買う羽目になってしまうんですけどね。

 ちなみに、車を運転するときの定番は『Takin' It to the Streets』。これとオールマン・ブラザーズの『Fillmore East』があれば、気分よく運転できます。おそらく、次回はここにリトル・フィートの『Time Loves A Hero』が加わることになると思いますけど。


投稿者 hanasan : 09:53 | コメント (0)