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2009年05月25日

Lila DownsにはまってLAに

Lila Downs この4月、ロスに飛んでいる。惚れ込んでしまったアーティスト、リラ・ダウンズの取材が目的で、こんなことをやるのは久しぶり。たまたま知り合ったロドリゴ・イ・ガブリエラのモニター・エンジニアの友人が、リラのサウンド関連でツアーしているというので、マネージャーの連絡先を教えてもらって、コンタクトすることができたのだ。溺愛したら即行動... というパターンなんだが、こんなこと、そんなにできることではないのです。パターンとしては84年のビリー・ブラッグとか、85年のジャズ・ディフェクターズ以来かもしれません。

 日本を離れたのは4月7日で、このときのフライト代が6万円ほど。安い。燃料チャージが激減したことで、この価格となったらしい。もちろん、探せばもっと安い物があるんだろうけど、スケジュールの都合が優先するので、これで決めた。ところが、面白いのがホテル代。リラ・ダウンズのパーティと同じホテルの方が都合いいだろうと思って、そこに止まったんだが、わずか二日分の宿泊費がフライトの半分だった。ありえんなぁ... と思ったのが、本音。それはともかく、その日に彼女や旦那さんのポール・コーエン、それに、ツアー・マネージャーに挨拶だ。そして、翌日はギブソンのショールームでプロモーション用のライヴ。そこで撮影をした。

 その時にも驚かされるのだが、リラの音楽的バックグランド同様にバックのミュージシャンも幅広いヴァリエーションを感じさせるのだ。パラグアイ人、ニューヨーク在住のブラジル人、中国系アメリカ人と日本人のハーフ... これこそアメリカの縮図であり、リラ・ダウンズの音楽だ。なにせ、メキシコ南部のインディオのシンガーを母に持ち、そこで生まれて.... スコットランド人左翼の大学教授がお父さん。なんとディランがお父さんの授業を聴講に来ていたというのには驚かされた。クラシックもやっていて、ジャズの素養もあり、デッドヘッズでもあった.... それで限りなくルーツにたって、フォークからロック、ジャズのエッセンスを持ちながら音楽を創造し続ける.... 少なくとも、そんなミュージシャンは自分の周りにはいないのだ。

Lila Downs さて、その中国系アメリカ人と日本人のハーフ、ダナ・レオンなんだが、ちょっと話をしていると、バスクに関連があるという。なんと、フェルミン・ムグルサの新しいアルバムで彼がトロンボーンを吹いているトラックが含まれているんだとか。彼自身のアルバムは『Anthems of Life』といって、ジャズ・ノット・ジャズ、アシッド・ジャズ系なんだが、これも面白い。しかも、バルカン・ビートボックスのメンバーでもあるというのが興味深い。ザ・スラッカーズのドラマーが彼らをたまに助けると言っていたように思うし、このところアメリカのテイスト・メイカーの間でバルカン系が注目されているところにもつながるのかもしれない。

 その他にもハープのミュージシャンでCelso Duarte(セルソ・ドゥランテ?)も気になった。そもそもハープの存在が面白いんだが、これがリラ・ダウンズの音楽にとても重要な役割を果たしていると思えるし、ブラジル人のアコーディオン奏者、ロブ・クルトのタッチも面白い。

 いずれにせよ、人間の繋がりを感じて、21世紀の音楽の潮流を間近に体験することができたのがこのとき。実を言えば、わずか30分ほどのインタヴューをすることができたんだが、帰ってから原稿を書きながら、調べ物をすることが楽しくて仕方がないのだ。メキシコの民族問題から、先住民族のインディオのこと。それに、サパティスタ民族解放からマルコス副司令官の話し... 彼はジョー・ストラマーであり、ボブー・マーリーだというニュアンスも感じさせる。

 なんとまぁ、巨大な世界への扉を開いてくれたことか... リラ・ダウンズに感謝したのがそれのように思えるのだ。



投稿者 hanasan : 09:08 | コメント (0)

2009年05月19日

東京ロック地図

東京ロック地図 ん? そうだ、お伝えしておかなければ... と、思ったのは、このブログや自分が運営するウェッブ・マガジン、スマッシング・マグからリンクされているamazonのアフィリエイト・データのサイトを見ていたとき。どうせこんなものわずかな金にしかならないから、どれだけ売れようと、売れまいと、どうでもいいし、実際のところ、ほとんど売れないんですけどね。でも、やってきた人がなにをチェックしているのかをのぞき込めるのが面白い。当然のように(でいいのかな)、音楽好きな人がやはり多いらしく、彼らが買ったアルバムから、「ありゃ、こんなアルバムが出ているんだ」と発見することも多いのだ。そして、本末転倒なんだろうが、ミイラ取りがミイラになるという流れが生まれるのです。いずれにせよ、ミュージシャンのデータを調べていると、どんどん面白そうなアルバムがみつかって、わなにはまるのはいつものことなんですが。

 それで気がついたことなんだが、誰かがこの本、東京ロック地図を買っていた。これは友人の編集者が関わっている本で、基本的には東京のロックな店のガイドブックのようなもの。そのなかに、行きつけの店、中目黒のバードソング・カフェも掲載されていて、どんな流れだったか、この編集者からインタヴューを受けることになったのです。しかも、場所はこのバーなんですが、今振り返れば、なんでこの本に自分が登場するのか... よくわからない。ロック喫茶やバーに、とりわけ自分が関係あるとは思わないんだが、とりあえずは、ここに顔を出してしまったわけです。

 本来ならば、ロック・バーあたりの魅力を話すべきなんだろうけど、なぜかフェスティヴァルの話で... なんだかんだと、話しております。興味のある方は手に取ってみるなり、あるいは、買ってもいいかもしれません。なにせ、結構面白そうなバーや店が掲載されていて、また、レコード中毒の虫がうずきだしたら、この本を手にして散策に出かけるかもしれません... って、結局、飲んだくれるので、はしごなんてできないと思いますが。

 こういった取材を受けた時って、基本的に「後は野となれ山となれ...」というのが基本的な姿勢。というのも、ジャーナリストとして、彼らがどう書こうと自分の問題ではないし、インタヴューで確信を持って語っている限りにおいて、事実を曲げない限り、それをどう解釈しようと書く人間が絶対の責任を持たなければいけないと思っているのです。ただ、面白いのは、とんでもない耳を持っている人がときおりいて、間違いだらけの記事になることがある。いつだっけかロフトの発行しているフリー・マガジンでインタヴューされた時なんて、正確に書かれている固有名詞の方が少ないんじゃないかと思えるほどに間違いだらけで、笑うに笑えませんでしたな。っても、取材するということは、裏付けを取りに来るということで、結果はジャーナリストの責任なんだが、あれは、ジャーナリストじゃないから、それでいいのか? と、かなり疑問に思いましたが。

東京ロック地図 ただ、今回のこの記事に関しては、頼んでもいないのに「チェックしてください」という連絡があった。信頼している編集者なんだけど、なんでこんな聞き間違いをするの?と思える部分があるんですな。それが彼の言葉として書いている原稿の上であったら、文句を言う筋合いはないけど、自分の言葉になっていたことから修正を求めたのです。単純ミスだけど、あまりこういったことはしたくないなぁと思います。

 それはともかく、こんなこともやっていますというご報告。ホントはロック喫茶のことを話したかったなぁ。高校生の頃、毎日のように行っていた、大阪は南にあった『ディラン』こそが自分にとっての『始まり』で、今も、西岡恭蔵のデビュー・アルバム、『ディランにて』を聞くと当時のことが思い出されます。いつもカウンターのなかにいた洋子さんがまぶしかったなぁ、高校生の私には。煙草をくわえて、コーヒーを入れていた当時の姿が脳裏に焼き付いております。



投稿者 hanasan : 09:35 | コメント (0)

2009年05月15日

再び、岡林信康にガツーン!

岡林信康 本当は、もっと他に書かなければいけないことが多々あるんだが... 例えば、2月末には韓国に行って、とんでもなく面白いことを発見し、3月はオースティンでSXSW取材。4月はロス、そして、その下旬には台湾と、たまたま格安のフライト・チケットが手に入ったというので、そんな場所をふらふらしているんだが、それを飛び越えて、先日手に入れたアルバムのことを書いてしまいたいのです。それは岡林信康のCD。なぜか知らないけど、このところとんでもない勢いで、「こんなのが出るの?」と言えるほどに岡林信康のレアな音源がどんどんCD化されているんですな。と言っても、その全てを買えるわけもなく... とはいいながら、まるで清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買うこともあるのです。なにせ、国内盤はめちゃくちゃ高い。1枚買う金で輸入盤だったら、下手をすると3〜4枚は購入可能だというので、ほとんど買う気にはならないのです。が、これは、やってしまった。

 それが『岡林信康URCシングル集 +8』というコンピレーション。すでに購入されている方がamazonでいろいろな情報を書いてくれていて、それをチェックして判断したんだが、これがとんでもなく素晴らしいのだ。特に、ぶっ飛んでいるのは、はっぴいえんどと録音した数々のシングル。60年代の終わりから70年代の初めという、この時期といえば当然のように名作、『わたしを断罪せよ』から『見るまえに跳べ』、そして、『俺らいちぬけた』が、自分の中での『岡林信康三部作』といってもいい傑作の流れで、当然ながら、これは全て持っている。それだけではなく、数え切れないほど聞いてもいるのだ。おそらく、自分にとって、彼のベストの時代で、最も影響を受けた時代でもある。サウンドという、一面的な部分で言えば、見るまえに跳べ』が、おそらくベストなんだろうが、当時のシングルを集めたという、『岡林信康URCシングル集 +8』では、アルバムでは聴くことができなかった(ように思える)素晴らしいヴァージョンが収録されていることに改めて驚かされることになる。といっても、全てを聞き比べてはいないんだが、このアルバムを聴いた瞬間思ったものだ。「すげてぇ、また頭をぶん殴られたようなもんだぁ」と、驚喜したのが、このブログを書くきっかけだ。

 特に素晴らしいと思うのは、やはり「岡林信康 With はっぴいえんど」とクレジットされている一連の曲。その名前で収録されているのは、おそらく、昔の岡林信康好きだったら知っていて当然の曲ばかりで、「愛する人へ」、「ラブ・ゼネレーション」、「だからここに来た」、「コペルニクス的転回のすすめ」、「家は出たけれど」、「君を待っている」、「自由への長い旅」、「今日をこえて」、「それで自由になったのかい」の10曲なんだが、特に強烈だったのは「だからここに来た」と「コペルニクス的転回のすすめ」。おそらく、前者ははっぴいえんどのボックスセットに収録されている「バッキング音源集」と同じヴァージョンだと思うのだが、「コペルニクス的転回のすすめ」はそのボックスセットは違うヴァージョンで、今回最も強烈なインパクトを与えてくれたように思う。おそらく、はっぴぃのファーストにして、名盤といわれる、通称『ゆでめん』の頃のレコーディングじゃないかと想像するんだが、バックの演奏が持つエネルギーが素晴らしい。加えて、ヴォーカルの岡林信康が抱えている「熱」がとんでもないのだ。それをまとめて聴くことができるのがこの『岡林信康URCシングル集 +8』の嬉しいところなんだろう。

岡林信康 とはいっても、歌はどこかで最初にインパクトを受け取ったその録音が最も決定的で、今回、CDではほとんど入手できない岡林信康の初期の曲で、「チューリップのアップリケ」を求めて、同じように再発された『岡林信康』も買ってみたんだが、なにかがどこかで面白くない。なにかが微妙に違うのだ。

 なによりも自分が慣れ親しんできたもの、しかも、まだまだ子供だった頃にラジオで聞いて衝撃を受けたのは、今では入手不能となっている『岡林信康の世界 第一集』に収録されているヴァージョン。いくら待ってもこのCDが発表されないというので、結局、中古盤屋でみつけたこのアルバムのデータをコンピュータに落として、デジタル化。それをiTunesで読み込んでいるんだが、自分にはこれがベストに思えるのだ。探してみると、この曲のスタジオ録音ヴァージョンがCDで聴くことができるのは『大いなる遺産』のみだとamazonでは説明されているんだが、それが録音されたのは1975年。前述の、おそらく、これこそがオリジナルだろう、70年録音とは別もののように思える。

 まぁ、こんなことを書いていると、まるで岡林信康オタクのようにも思えるんだが、今回、『岡林信康URCシングル集 +8』を「買ってしまって」そんなことを思ったというだけのこと。よほどのファンでもない限り、こういった寄せ集めを買う必要はないと思うんだが、ここに収録されているはっぴぃえんどとの録音は、久しぶりにあの時代のエネルギーを感じさせてくれたということなんだろう。

 が、いずれにせよ、自分にとって彼の傑作は『わたしを断罪せよ』と『見るまえに跳べ』に『俺らいちぬけた』の三枚。そして、『岡林信康の世界 第一集』でしか聞くことができない、あの頃の「チューリップのアップリケ」ではないかと思う。

 そういえば、「チューリップのアップリケ」で検索していたら、引っかかったのが笹生実久という女性のアルバム、『チューリップのアップリケ』。どうやら、岡林のこの曲のみならず、同じようにあの時代に売れた新谷のり子の「フランシーヌの場合」までカバーされていることにちょっとビックリです。なにがどうしてこうなったのか、そうして、彼女はこういった曲をどう歌っているのか... 実に気になるのであります。



投稿者 hanasan : 03:06 | コメント (0)

2009年05月05日

再び忌野清志郎氏のこと、そして、筑紫哲也氏のこと

筑紫哲也 結局、昨日はニュースに忌野清志郎の顔が出る度に、仕事の手を休めて、そんな番組の画面に見入ってしまうだけでほとんど一日が暮れたように思う。そして、そのたびに、いろいろなことが思い出されるのだ。お断りしておかなければいけないのだが、個人的にはそれほど近くはなかったし、どこかで偶然顔を合わせたときに、挨拶をして、ちょっと言葉を交わしていた方に過ぎない。それでも、どこかで彼は自分にとって重要な人物で、彼と自分をつなぐところに友人も多い。おそらく、自分だけではなく、そんな人も多かったのではないかと思う。

 そんな番組のひとつで、やはり「癌が発覚して」昨年亡くなったニュース・キャスター、筑紫哲也氏と忌野清志郎氏との対談の様子が流れていた。実は、筑紫氏ともほんの少しの繋がりがあって、あのときにも、なにかを書き残そうと思っていたことを思い出した。それは、謝罪と言ってもいいかもしれない。

 彼と初めて会って、まともに言葉を交わしたのは80年代の半ば。まだ、彼が朝日ジャーナルという雑誌の編集長をしていた頃のこと。ひょっとして、副編集長だったかもしれないが、あの頃、なにかのつてでちょっとした原稿を書くチャンスを与えられたことがある。おそらく、84年の夏頃で、テーマはグラストンバリー・フェスティヴァル。雑誌の中程にあるグラビア・ページをいただいて、当時、CNDという反核団体へのチャリティとして行われていたこのフェスティヴァルの様子をレポートしている。

 84年というとまだ20代の終わりで、ずいぶんと若かった。また、メジャーのメディアに原稿を書き始めて、しばらくしかたっていなかったこともあり、はっきり言って「めちゃくちゃ生意気な」ライターだったと思う。同時に、書き始めると同時に、マスコミというものにほとんどジャーナリズムを感じることができなかったことも起因しているんだろう。初めて顔を合わせたというのに、いきなりメディアの現状に文句を連ねて、議論をふっかけていたような節がある。正直言って、アホだった。そういった現状に対する認識を間違っているとは、今も思ってはいないんだが、ケンカをする相手が彼ではなかったのは確かだ。

「だいたい、あんた達メディアが日本をこんな国にしたんだよ」

 とか、なんとか... 若気のなんとかなんだろうが、彼もけっこう頭に来たのか、やたら不機嫌な顔を見せていた。加えて、ほとんど相手にされなかったようにも思う。

 それから、彼の顔を見たことはあっても、口をきくことはなかった。あれ以降の彼はジャーナリストや編集者というよりは、テレビのパーソナリティであり、著名人ということもあり、また違った見方をするようになったと思う。

 彼が亡くなって、当時の報道はまるで彼を聖人のように扱っていたのだが、自分の中ではちょっと違った見方をしていたというのが本音だ。いい人だったことは十二分に認めるし、彼の功績も敬意を払っている。が、とはいっても彼のやったことを完全肯定するつもりはないし、旧世代の左翼リベラルといった趣も感じていたし、彼への批判も理解できる部分を感じるのだ。ただ、当たり前のことなんだが、誰しもが完全ではなく、それぞれがそれぞれの立場で誠意を尽くしてやっているということを否定でいないし、それを否定したいとも思わない。そんな意味で彼の功績は計り知れないほどに大きかったと思うし、彼から学んだことも多い。

 若かりし頃、どこかで全てに対してケンカを売っていたように思うことがある。若さの特権... なんて聞こえはいいんだが、結局は、未熟で無知で経験が不足しているんだと思う。その一方で、そういったエネルギーが自分を突き動かしていたのもまた確か。どこかで今も、同じように、未熟で無知なままなんだが、それでも、メディアの全てを完全否定するほどおめでたくもない。メディアにしろ、今も、ジャーナリズムに対して真摯に取り組んでいる人も知っているし、商売まみれの音楽産業で音楽への愛情を持ち続けながら、商品ではない音楽を成立させると同時に、より多くの人に届けたいと動いている人もいる。そういった人が、たとえマイノリティであっても、存在する限りにおいて、まだ希望も未来もあると思うのだ。おそらく、自分にとって、筑紫氏も忌野氏もそんなところにいる人なんだと思う。そして、自分もそうでありたいと、どこかで思うのだ。

Guckkasten 昨日は、韓国からやってきたバンド、Guckkasten(「ガッカクセン」と読むんだろうか)の演奏を見に、渋谷に出かけた。その前に出たバンドが退屈で、彼らのあとに出たバンドが、あまりにつまらなかったから、すぐに外に出たんだが、韓国というアイデンティティを強力に感じさせた彼らの音楽に聴きいいっていた。完全にロックなんだが、どこかでメロディに「韓国」を思わせるオリジナリティがあって、そこが素晴らしかったのだ。ステージではなんとか日本のオーディエンスになにかを伝えようとするヴォーカルが「メッセージなんだ」といっていたことを口にしていたんだが、残念ながら、韓国語は全く理解できない。それでも、どこかでになにかを感じさせるのが音楽の素晴らしいところ。なんとか彼らが歌っていることを知りたいと思った。

 その後、10時ぐらいから彼らの打ち上げに顔を出してちらりと話をしたんだが、なんでもシュン・ジュン・ヒュンといった、韓国独自のロックを開拓しようとした人たちの音楽を彼らも聞いていたんだとか。それに、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンあたりが好きなんだとか。彼らの誰ひとりとして、音楽を除けば自分との間に共通の言語はなく、通訳をしてくれた友人を介しての会話に過ぎなかったんだが、もっとライヴを見てみたいバンドだと思う。

 その帰り道だったか、久しぶりに友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス、マサヤンに電話。いつか、中目黒のクイーン・シバでセッションをやったときに、忌野清志郎さんがやってきて、彼のソプラノ・サックスを吹いたことなんかを話していた。

「あのソプラノな、もう、売ってしもうてんけどな。素晴らしい体験をさせてもろうたわ」

 と、結局、この日も忌野清志郎氏のことが頭の中から離れなかった。そして、本当は、もうひとり、同じように癌と生きている友人のことがずっと頭から離れないでいる。世の中で最も愛らしい女性の友人で、すでにつきあいは20年を越える。少しでも、長く彼女が子供との時間を過ごせることを祈るばかりなのです。



投稿者 hanasan : 23:03 | コメント (0)

2009年05月03日

忌野清志郎氏の訃報を聞いて

忌野清志郎 昨日の夜、ひさびさに中目黒のバード・ソング・カフェに飲みに出かけた... といっても、スマッシング・マグで写真をやりたいという方との面接ということもあって、ここで待ち合わせたんだが、たまたまこのとき初めて聞いたのが忌野清志郎のライヴで、なんでも某放送局で放送されたもののコピーだった。そのとき、マスターやみんなと彼がどれほど素晴らしいアーティストかを語り合っていた。

 どれほど「ダサイ」と思われている言葉も、彼が歌うときに、とてつもないリアリティを持って迫ってくる。それは、彼のカバーによる「イマジン」や「明日なき世界」といった古典的なプロテスト・ソングを聴いたときに、強力に感じることなんだが、彼のそんな歌を通じて初めてこういった歌が抱えている「歌の力」をまざまざと見せつけられたように思う。彼以外に、そんなことができる人なんて... と、そんな意味で、この夜も彼はオーティス・レディングやボブ・マーリーと並ぶことのできるアーティストだよね... なんぞと話していたのだ。

 この店の電話が鳴ったのは、それから1時間もしていない頃ではなかったかと思う。そのとき、マスターが、「清志郎さんが亡くなった」と、僕らに告げてくれたときの驚きをどう書けばいいんだろう。驚愕の叫びと、それからしばらくの沈黙があった。そして、「なんとかなるかもしれない」と思いつつも、どこかで「ダメかもしれない」と予期していたことが交錯し、いろいろな思い出が吹き出してくる。

 おそらく、彼と最後に交わした言葉は、やはり中目黒のクイーン・シバで偶然会ったときの言葉かもしれない。けっこう満員だったんだけど、テーブルを用意して... その数日前に彼が出演していたテレビ・ドラマで彼が言っていた台詞がめちゃくちゃ気に入った... なんてことを話したと思う。でも、そのとき、その台詞を主出せなくて苦笑いしてましたけど。

 巻頭の写真は03年にバンダ・バソッティが来日して、サルサ・ガムテープ達と一緒にライヴをやったときのもの。実は、「写真をチェックしたい」というマネージメントに対して、「自分は報道として記録しているのであり、そういった検閲にもにた行為は受け付けない」と主張すると、それを清志郎に話したマネージャーから、「いい写真を撮ってくださいね」という言葉をいただいたことがある。彼はね、きちんとこちらの声を聞いてくれる人なんですよ。

忌野清志郎 クイーン・シバでライヴのセッションをやっていたときにも偶然やってきた彼がソプラノ・サックスを吹いて加わってくれたり、歌ってくれたり... たわいもないことかもしれないが、どこかでとても身近にいた人のように思える。フジ・ロックの舞台裏で彼がよくやるカバー、「明日なき世界 (Eves of Destruction)」のことを話したときも、「バリー・マグワイアね」と話すと、「PF・スローンね、曲を書いたのは」と、教えてくれたり... 本当に音楽が好きな、尊敬すべき仲間のようにも思っていた。

 このニュースを耳にしたその後、もう一軒、友人がいる店に行ったら、そこでもみんなが忌野清志郎の音楽を聞きながら、ずっと彼のことを話していた。ちょいと飲んだくれて、帰宅して、一晩が開けて... どこかでぽっかりと大きな穴が開いてしまったような、そんな感じです。今年のフジロックで、彼がフジロックのテーマとして作ってくれたあの曲、「田舎に行こう」が流れたとき、どんな顔で僕らはこの曲を聴くんだろうか。と、そんなことを思ってしまうのです。

 ご冥福をお祈りします。

投稿者 hanasan : 17:46 | コメント (0)

2009年05月01日

なんと4ヶ月ぶり...Black Joe Lewisのこと

Black Joe Lewis & The Honeybears 実をいえば、忙しくて忙しくて、自分の好き勝手に書けるこのブログはずっと休眠状態です。トップページで更新素材として表示しているのもSmashing Magで書いたレヴュー原稿を移行させているだけで、新たにここに書いたものではない。が、本当に忙しいんです。

 でも、これからはほんの数行でも思いついたことなどを書き残しておこうと思うのです。そのひとつが、この3月にテキサス州はオースティンで開かれたフェスティヴァル、サウス・バイ・サウスウエストに出かけたときにみつけたこのアーテイスト。Black Joe Lewis & The Honeybears(ブラック・ジョー・ルイス & ザ・ハニーベアーズ)というんだが、彼らが飛び抜けて面白かったのです。といっても、ザ・ハニーベアーズというバンドを伴って、その名義でアルバムを発表したのは最近のようで、その名義で出ているのが『Tell 'Em What Your Name Is!』というアルバムと、バンド名そのままにタイトルの付けられた10インチのアナログEPの4曲入り、『Black Joe Lewis & the Honeybears』の二枚。今回、オースティンではこのほかに、単純に『Black Joe Lewis』と付けられた2007年のアルバムも買っていて、このバンドとしての活動はここ2年ほどのものではないかと想像する。

 彼らのことを知ったのは、日本で見たときよりも遙かにエキサイティングだったトニー・ジョー・ホワイトを撮影していたときのこと。オーディエンスのひとりが、その日の早く、ソニーズ・ヴィンテージという、50年代から60年代を中心とした中古品を中心として売る店で演奏していたイーライ・『ペイパーボーイ』・リードとザ・トゥルー・ラヴを撮影していた自分を覚えていたらしく、ドイツ語訛りの英語で、こう言うのだ。

『あのバンドが好きだったら、絶対に見た方がいいよ。ブラック・ジョー・ルイス。最高だから』

Black Joe Lewis & The Honeybears と、それが取材を決めた理由だ。たまたま時間もあったし... というので、その会場、ザ・パリッシュのドアの前に並んだんだが、同じ小屋でトニー・ジョーを見たときにはすんなりと入れたのに、こちらはほぼ30分ほども待たされただろうか。地元、オースティン出身ということもあるんだろうが、なにやらやたら人気があるというのはこれだけでも理解できた。会場のドアを開けたときには、すでに演奏は始まっていたし、びっしりとめいっぱいのオーディエンスで埋まってる。これもトニージョーとは大違いで驚かされることになる。おかげで、実に撮影しにくいんだが、なんとか形になる写真だけは撮れたかなぁ... という感じ?(それはもうすぐSmashing Magにアップの予定)

 で、その音楽はというと、基本的にはスタックスあたりを思い出させるソウルやファンクなんだが、ヴォーカルでギターのブラック・ジョー・ルイスがユニークなのだ。ギターやヴォーカルの感触にロック的なエッジを感じさせるし、それがバックのもろ王道ソウル&ファンク路線と重なるといい味を出してくれるのだ。2007年の本人名義のアルバムでは、もっとブルース的なニュアンスの方を強く感じるんだけど、それがいい具合に進化していったんだろうなぁと思う。

 歌を聴いていると、けっこうラップ世代にも通じるワイルドなタッチを持ちながらも、「働いても働いても、クソ貧乏!」的な歌詞が耳についたんだけど、おそらく、このあたりの感覚はブルースやソウルに根ざしつつも、パンクからラップ世代にもつながっていて、それがサウンドを絡まってコンテンポラリーな味を出して要るんだと思う。

 もし、興味があったら、ぜひ、聴いてくださいませ。なにせ、『Tell 'Em What Your Name Is!』と『Black Joe Lewis & the Honeybears』を両方買っても、現時点で2000円ほどと安い。ちなみに、後者のアナログ10インチ、『Black Joe Lewis & the Honeybears』のジャケットにはただでMP3のファイルをダウンロードできると記されているんだが、アメリカでこのアルバムを買って、日本でダウンロードしようとしたら、「アメリカ以外ではできません」という結果になったのがショックでしたけど。まぁ、アメリカ在住の友人に依頼して、結局は入手できたんですけどね、このあたり、なんとかならないのかなぁと思いますな。



投稿者 hanasan : 20:14 | コメント (0)