2009年06月16日

The Uk Jazz Danceって本が出たよ

UKジャズ・ダンス・ヒストリー 去年の暮れ、大昔からのロンドンの友人で、かつてStraight No Chaser(ストレート・ノー・チェイサー)という雑誌を作っていたジャーナリストで編集者のポール・ブラッドショーからひさびさに連絡がた。

「今度、イギリスでのジャズ・ダンスの歴史に関して本を出すんだが、翻訳をやってくれないか」

 というのだ。80年代の半ばからこのシーンを取材していて、いろいろな形で一緒にプロジェクトを手がけたりということもあって、当然ながら、やりたいと思ったんだが、その段階で設定されていた出版時期があまりに早すぎて、お断りすることになる。当時のシーンを取材してきた人間として、やるべきだしやりたかったんだが、時間がない。なにせ、Smashing Magの更新作業で、毎日何時間もとられるのに加えて、ディテールにこだわるせいか、翻訳にはかなり時間がかかるのだ。

 しばらくこの話のことを忘れていたんだが、先日、彼から再び連絡があって、東京のブリティッシュ・カウンシルで、その本の著者でDJ、そして、ミュージシャンでもあるSnowboyをゲストに呼んでイヴェントをやるので遊びに行ってほしいとあった。というので、スリープウォーカーのサックス、まさやんを誘ってここに出かけたんだが、まるで同窓会だ。キョート・ジャズ・マッシヴの沖野君やUFOのラファエル... と、当時からの「顔」が見える。しかも、スノウボーイがこの本に記しているダンス・ジャズの歴史をいろいろな映像を取り混ぜて話してくれるんだが、これも懐かしい。なかでも、80年代当時のクラブ、Wag(ワグ)でよく演奏していたTommy Chase(トミー・チェイス)カルテットの演奏を見たときには、あの時の熱気が甦ってきたように感じたものだ。これは「Jazzin' Soho」というビデオに収録されている映像で、まるで全盛期のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズよろしく演奏する彼らの前で踊っていたのがIDJ(I Dace Jazz)というダンス・グループ。このコンビネーションは強力だ。彼らのアルバム、「Groove Merchant」(グルーヴ・マーチャント)がスティッフ・レーベルから発表されたのが1987年で、イギリスのチャンネル4が制作することになったこのビデオはその前年に発表されている。

Jazz Dekektors このビデオのサントラがあったらぜひ欲しいと思うんだが、ここでジョージィ・フェイムが歌っているソーホーの歌がめちゃくちゃいいのだ。(っても、タイトルもわからないし、不親切なビデオのパッケージにはなにも記されてはいない。)

 これまで幾度も書いているんだが、その前年にロンドンのショー・シアターで開かれたのが生涯で最も大きな印象を残したライヴ。なにせ、演奏しているのは今は亡きアート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャーズで、そこにザ・ラスト・ポエッツのジャラールが詩の朗読からラップで絡み、その前で踊っていたのが前述のIDJにマンチェスターからやってきていたジャズ・デフェクターズ。特にアート・ブレイキーが満面の笑みを浮かべながら、ドラム・ソロでダンスのソロとバトルをしているときの光景なんぞ、忘れようとしても忘れられない。この頃からジャズ・ディフェクターズと仕事をするようになるんだが、ダンスに関してはIDJの方が勝っていたかなぁと思う。といってもIDJがタップ・ダンスを基調としたサザン・スタイルだったことに対して、JDズはバレー的な要素を入れたノーザン・スタイル。簡単に比較はできないんだが、きわめてオリジナルなジャズをベースとしたダンス・グループとして彼らが「評価」される時代がやってきたことは充分に認識できた。しかも、彼らが同じステージに立っていたのはジャズの歴史と言っていいだろう、アートブレイキーなのだ。

 さて、スノウボーイとのひさびさの再会があったときに、「日本でツアーするから、見に来てよ」というので、ぜひ撮影したいと応えていたんだが、連絡はなし。というか、こっちもずっと先のことだと思っていたら、すでにツアー中というのがわかってしまった。最も撮影しやすい渋谷デュオでのライヴが11日だったらしく、あとはビルボードあたりでの演奏となるので撮影は難しい。しかも、あそこはあまりに高くて貧乏人の私には見に行けません。ということで、今回の取材はないだろうと思う。

Kenny Rankin なお、この日程を知って、大急ぎでSmashing Magに書いたのがダンス・ジャズからブルーノートの格安再発盤を漁るという原稿。知らないうちに発表されていたこの本『UKジャズ・ダンス・ヒストリー』の翻訳版を軽く紹介して、スノウボーイのことも書いた。さらには、タイミングよく、ジャズ・レーベル、ブルーノートの設立70周年を記念して1100円で100枚の名盤再発が始まるというので、80年代のジャズ再発見時になくてはならなかったクラシックなアルバムの数々も簡単に紹介している。もし、チャンスがあったら、そのなかのアルバムをチェックしていただければ幸い。50年だから60年代初期に録音された音楽が、今もとてつもなくホットで魅力的か... それが痛いほどわかりますぜ。

 ちなみに、ブルーボート・レーベルに残されたそういった曲からセレクションしたコンピレーション、『Make It Deep & Phunky』と『Mo' Deep Mo' Phunky / Volume 2』を、ポール・ブラッドショーや、今じゃ、有名人のジャイルス・ピーターソンと一緒に作っているんだが、当然、現在は入手不能。まぁ、コンピレーションだから、それも仕方がないか.... それにしても、このアルバムが1万枚ほども売れたんじゃなかったかなぁ、あの当時。それが若い人たちへのジャズへの入り口になっていったように思うんだが、自分もそのひとり。このあたりを聴き漁ったものです。



投稿者 hanasan : 11:22 | コメント (0)

2009年05月19日

東京ロック地図

東京ロック地図 ん? そうだ、お伝えしておかなければ... と、思ったのは、このブログや自分が運営するウェッブ・マガジン、スマッシング・マグからリンクされているamazonのアフィリエイト・データのサイトを見ていたとき。どうせこんなものわずかな金にしかならないから、どれだけ売れようと、売れまいと、どうでもいいし、実際のところ、ほとんど売れないんですけどね。でも、やってきた人がなにをチェックしているのかをのぞき込めるのが面白い。当然のように(でいいのかな)、音楽好きな人がやはり多いらしく、彼らが買ったアルバムから、「ありゃ、こんなアルバムが出ているんだ」と発見することも多いのだ。そして、本末転倒なんだろうが、ミイラ取りがミイラになるという流れが生まれるのです。いずれにせよ、ミュージシャンのデータを調べていると、どんどん面白そうなアルバムがみつかって、わなにはまるのはいつものことなんですが。

 それで気がついたことなんだが、誰かがこの本、東京ロック地図を買っていた。これは友人の編集者が関わっている本で、基本的には東京のロックな店のガイドブックのようなもの。そのなかに、行きつけの店、中目黒のバードソング・カフェも掲載されていて、どんな流れだったか、この編集者からインタヴューを受けることになったのです。しかも、場所はこのバーなんですが、今振り返れば、なんでこの本に自分が登場するのか... よくわからない。ロック喫茶やバーに、とりわけ自分が関係あるとは思わないんだが、とりあえずは、ここに顔を出してしまったわけです。

 本来ならば、ロック・バーあたりの魅力を話すべきなんだろうけど、なぜかフェスティヴァルの話で... なんだかんだと、話しております。興味のある方は手に取ってみるなり、あるいは、買ってもいいかもしれません。なにせ、結構面白そうなバーや店が掲載されていて、また、レコード中毒の虫がうずきだしたら、この本を手にして散策に出かけるかもしれません... って、結局、飲んだくれるので、はしごなんてできないと思いますが。

 こういった取材を受けた時って、基本的に「後は野となれ山となれ...」というのが基本的な姿勢。というのも、ジャーナリストとして、彼らがどう書こうと自分の問題ではないし、インタヴューで確信を持って語っている限りにおいて、事実を曲げない限り、それをどう解釈しようと書く人間が絶対の責任を持たなければいけないと思っているのです。ただ、面白いのは、とんでもない耳を持っている人がときおりいて、間違いだらけの記事になることがある。いつだっけかロフトの発行しているフリー・マガジンでインタヴューされた時なんて、正確に書かれている固有名詞の方が少ないんじゃないかと思えるほどに間違いだらけで、笑うに笑えませんでしたな。っても、取材するということは、裏付けを取りに来るということで、結果はジャーナリストの責任なんだが、あれは、ジャーナリストじゃないから、それでいいのか? と、かなり疑問に思いましたが。

東京ロック地図 ただ、今回のこの記事に関しては、頼んでもいないのに「チェックしてください」という連絡があった。信頼している編集者なんだけど、なんでこんな聞き間違いをするの?と思える部分があるんですな。それが彼の言葉として書いている原稿の上であったら、文句を言う筋合いはないけど、自分の言葉になっていたことから修正を求めたのです。単純ミスだけど、あまりこういったことはしたくないなぁと思います。

 それはともかく、こんなこともやっていますというご報告。ホントはロック喫茶のことを話したかったなぁ。高校生の頃、毎日のように行っていた、大阪は南にあった『ディラン』こそが自分にとっての『始まり』で、今も、西岡恭蔵のデビュー・アルバム、『ディランにて』を聞くと当時のことが思い出されます。いつもカウンターのなかにいた洋子さんがまぶしかったなぁ、高校生の私には。煙草をくわえて、コーヒーを入れていた当時の姿が脳裏に焼き付いております。



投稿者 hanasan : 09:35 | コメント (0)

2008年01月23日

カンバラクニエの新しい本

カンバラクニエ 昨年の正月過ぎに実家から上京する途中に立ち寄っていたのが京都。いつもここで友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス奏者、中村雅人(通称、マサやん)のところに世話になって飲むというのがここ数年の流れで、そのときによく出かけるというか、連れていかれるのが高瀬川沿いの料理屋、くずし割烹 枝魯枝魯だ。「ぎろぎろ」と読むのだと「覚えた」のは最近で、ネットで検索したら、けっこう有名な店らしく、いろんなところに顔を出している。まぁ、そんなことは全然知らなくて、いつも京都ではマサやんにいろいろなところに引き回されながら、楽しく飲むのだが、彼の周辺にいる興味深い人に出会うのは、たいていここか、eFishという、五条大橋のそばにあるカフェだ。そんな場所でユニークなことをやっている友達作りが広がっていくという感じかなぁ。

 そのくずし割烹 枝魯枝魯で、昨年の正月に出会ったのがカンバラクニエさんというイラストレーターとつじあやのさんというシンガー・ソングライター。とはいっても、その時点で二人ともほとんど知らなかったんだが、あのあと、『カンバラクニエ作品集』という本を買って、「なるほど、なるほど、そういう絵を描くのか...」 と、納得したり、つじあやのさんの『BALANCO(バランソ)』というアルバムを買って、「うん、いい歌を書く人だなぁ」とちょっとはまってしまったり... 去年の夏はそのつじあやのさんがフジ・ロックに出るというので、オンタイムで情報を発信するFuji Rock Expressで、彼女のライヴ写真も撮影していて、それはここでチェックできる。

 残念ながら、今年の正月は東京で用事があったり、6日に友人がベースを担当しているバンドのライヴがあるというので、京都には立ち寄ってはいない。というよりは、実をいえば、友人のマサやんは正月そうそうロンドンに飛んで演奏していたらしいし、カンバラクニエさんはつい先日発表した新しい作品集『ECHO』の準備で大忙しで、一緒に飲む仲間がいなかったことも理由のひとつ。ホントは、京都には面白い店がいっぱいあるし、のんびりしたい町なんだが、今年はちょいとパスしたという感じかもしれない。

カンバラクニエ さて、カンバラクニエさんの『ECHO』が発売され、今、東京で個展を開いている。詳しくは彼女の公式サイト、クニエ会をチェックしていただければいいんだが、東神田のフォイル・ギャラリーで、1月18日から2月11日まで開催されていて、先日、マサやんと一緒に初日のレセプションに出かけてきた。とはいっても、結局、マサやんと一緒にけっこうな量のワインなんぞを飲みながら、うだうだしていただけのような気がしますが。

 なんでも25日にはカンバラクニエさん、つじあやのさん、そして、彼女たちの友達である大宮エリーさんと、なにやらかしましい女性がそろってトーク・イヴェントがあるようなんだけど、定員が50名ですでにパンパンになるんだそうな。それは無理にしても、もし時間があれば、彼女の個展を覗いていただければと思う。本で見るよりもでっかい実物を見ると、また違った趣があると思うし、なにやら発見があるかもしれません。

 それはそうと、先日、某レコード会社に面白いバンドのプレゼンに行ったとき、たまたまそこがつじあやのさんのアルバムを発表している会社で、彼女の新しいアルバム、『Sweet,Sweet Happy Birthday』を聞かせてもらえることになった。正直言って、「愛」の連発は... 私には似合いません。でも、ステキなシンガー・ソングライターだというのには変わりなく、楽しませていただいています。

 それにしても、友人のことを書くと、どうしても「さん」抜きにはできないというの... なにやら奇妙な感じがしますが、仲間の情報もなんとかお伝えしたいと思うのです。


投稿者 hanasan : 20:07 | コメント (0)

2008年01月06日

Fermin Muguruzaの写真集付きDVD到着

Fermin Muguruza ずいぶん前にフェルミン・ムグルサから連絡があって、「今度写真集を出すんで、写真を使わせてもらえないか」と依頼を受けていた。もちろん、速攻でOKの返事を出しているんだが、どんなものが出てくるんだろうと思っていたら、あれから数ヶ月を経て仕上がった作品が届いた。タイトルはシンプルに「Fermin Muguruza "Afro-Basque Fire Brigade" Tour 2007」となっていて、サイズはほぼ7インチのアナログ盤で、厚さは表紙を含めて1.5cm。約200ページに及ぶワールド・ツアーの記録が写真集として構成されていて、最後にDVDがつけられている。

 このDVDは18/98と名付けられた2006年のツアーのチャプター、2007年のツアーのライヴ映像のセレクションに加えて、ロード・ムーヴィーの名の下に50分によるドキュメンタリーも収録されている。これ一冊でフェルミン・ムグルサと彼のバンドが世界中でどんな活動をしていたのかが手にとるようにわかるのが嬉しい。

 自分の写真が使用されているのは今年4月にスペインの南部、バルセロナとヴァレンシアの中間あたりで開催されたヴィーニャ・ロック・フェスティヴァルで彼らと合流して向かった、フェルミンの地元、バスク・カントリーのパンプローナにあるトーテムという小屋での写真とフジ・ロックのオレンジ・コートに出演したときの作品で、わずかに4点。ひょっとしたら、表紙に使われているものの1点もそうかもしれないが、定かではない。本音を言えば、他にもいい写真はあったんだけど、これは彼のセンスなんだろう。だから、全く文句を言うつもりはない。なによりも、作品を掲載してくれたこと、そして、きちんと自分の名をクレジットしてくれているのが嬉しい。

Fermin Muguruza 単純に個人的なレベルでいえば、自分の友人や仲間たちがちらほら顔を覗かせているのが嬉しいのだが、大きな発見は写真集としての出来の良さと同時に、フェルミン・ムグルサという人物が我々の想像を遙かに超えて世界中で支持されていることを再認識させてくれることだろう。彼らがツアーしているのはヨーロッパはもちろん、その東の端とも言えるロシアからキューバを含む中南米にアジア。本当は、中国もツアーの地として計画されていたのだが、ドタキャンとなったという話も届いている。いずれにせよ、彼らが英米のバンドの「ワールド・ツアー」を遙かに超えるエリアを旅しているのが面白いのだ。

 しかも、ライヴの会場には数万人を集めるフェスティヴァルからデモや集会までもが含まれる。そこに力ある音楽、リアリティある音楽を垣間見ることができる。彼らの音楽がどこから生まれ、どういった広がりを見せているのか... それが要だと思うのだ。

 加えて、写真集には彼らの視線が見える。この写真集に掲載されているのは単純に彼らのライヴの模様だけではなく、旅の記録もあれば、それぞれの地で彼らが目にした、体験したことが含まれている。通りにたたずむホームレスや眠りこけるサラリーマン。カフェの壁に書かれたジョー・ストラマーの絵から、山のように積み上げられた中古テレビ... 何げない日常をどう見るか、なにを見るか、そこになにかを感じさせるのだ。それがなにかを雄弁に語りかけてくる。かっちりとしたライヴの写真であろうと、ちょいとピンぼけでも同じこと。それが写真であろうと、音楽であろうと、文章であろうと、変わらないと思うのだ。その視線を持つなにかに自分は共鳴しているように思える。

 いろいろ検索してみたんだが、日本でこれを入手するのは、難しそうなんだが、ひょっとしたら、どこかで手にはいるかもしれません。気になる人はチェックしてみてくださいな。


投稿者 hanasan : 15:02 | コメント (0)

2007年11月05日

淡谷のり子に闘うアーティストを学ぶ

淡谷のり子 少なくとも公の場で書くという意味において、このブログに関しては慎重に文章を書こうと心がけてきた。それは当然のことなんだが、そのせいもあって、更新する頻度がかなり落ちているのも事実。毎日毎日いろいろなことを経験して、いろいろなことを伝えたいのに、それもできない状況が続いているわけだ。もちろん、仕事としてやっているSmashing Magの更新作業をまずは優先しなければいけない。実際、撮影したのに写真をアップできないほど忙しいということもあり、それをさしおいて、こっちを更新するのは申し訳ないという気持ちもある。でも、それはそれでまた心苦しいというので、(もちろん、書いていることには責任をとるのだが)もう少し、気楽に書いていくことにしようと思う。そうじゃないと、なかなか更新できないんですよ。

 で、ここ数ヶ月で読んだ本で実に面白かった... というか、勉強になった『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』のことを書き残しておこうと思う。

 いつだったか、終戦のことを書いたような記憶がある。あれって、ひょっとしてmixiに書いただけだったかもしれないんだが、終戦記念日になぜか伝わってくるのは重苦しい雰囲気ばかり。これはおかしいのではないかといつも疑問に思っていたのだ。確かに600万人が殺されたとか、広島や長崎、さらには日本軍にも虐殺された犠牲者が出ていた沖縄、中国から朝鮮半島での犠牲者のことを考えると、重苦しい気持ちにさせられるのだが、その一方で「これでやっと自由になれる」と思った人はいなかったのか? 押し入れに隠れてジャズを聴いていたミュージシャンや音楽ファンは、「アメリカさんがやってくる、ジャズだぁ!」って思わなかったのかなぁ。そりゃぁ、洗脳はあったかもしれない。女は強姦されて、男は殺される.... なにせ、鬼畜米英だったんだから。

 それでも、「敗戦」ではなく、「解放」を喜んだ人たちのことが全く語られていない日本の戦後史ってなになんだろうと、ずっと疑問に思っていたのだ。そんな疑問を打ち消してくれたのが、この人、淡谷のり子だった。終戦の日の彼女の言葉を借りれば、こうなる。

 「これで電気をつけて、ふろに入れる。これから自由に歌も歌えるし。玉音聴いてみんな泣いていたけど、私はニコニコでした」
 
 と、そんなところから読み出したのがこの本、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』だった。

淡谷のり子 加えて、日本の大衆音楽の歴史についても知りたいことはいっぱいあった。戦前戦中と国威を高揚するために音楽を武器にして、多くの人を戦地に送った人たちがいたに違いない。自分から見れば、彼らは戦犯であり、断罪されなければいけないと常々思っているのだが、日本でそんなことが話題になったこともなかったように思えるのだ。その時代の背景を知りたいと思っていたのだが、政治的な側面から大衆音楽に関して記したものは目にしたことはなくて、遙か昔の大学生時代に、紙芝居で有名な加太こうじさんが記した、『歌の昭和史』という本が、唯一自分の接した本だったように思う。だから、ひょとすると、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』に、そんな部分が記されているのではないかと思ったのだ。

 とはいっても、この本は、あくまで淡谷のり子という、たぐいまれな才能を持ち、自らを鍛えながら生きたアーティストについて書かれている伝記のようなもの。津軽のじょっぱり(頑固者って意味かなぁ)である淡谷のり子の半生を知らせてくれるのだが、大金持ちから極貧の生活、そして、両親の離婚から音楽人生の始まりと、そういった部分もいろいろな意味で、興味深く読むことができたし、一般的には『懐メロ歌手』的なイメージしかなかった(かもしれない)淡谷のり子のアーティストとしての資質や才能を思い知らせてくれたのも確かだ。実際、きちんと彼女のレコーディングを聞きたいとアルバムを探し始めている。

淡谷のり子 さらに加えて、本の多くの部分がさかれている戦前から戦中の淡谷のり子の生き方にいろんな意味で共鳴してしまったというのが本音だろう。『欲しがりません、勝つまでは』と、戦費を得るために化粧も禁止され、贅沢が敵だといわれていた時代に、あくまで真っ赤な口紅とつけまつげと派手な服を着続けた淡谷のり子の姿勢は、それだけでも『レベル』(反逆)の人だったことを雄弁に伝えてくれるし、どれほどの圧力を加えられても、絶対に『戦争を肯定する』ような歌は歌わなかったという。いわゆる「慰問」についても、軍のお金では一度も出かけなかったそうだ。自分の金で自分の歌を、「まだ、本土より圧力の少なかった外地」で歌いたかったことが理由だというのだ。しかも、つもるほどの数の始末著を書き、当局にねらわれていたという説もあると聞く。

 そんな逸話の数々はこの本で読んで、知ってもらいたいと思うし、ズタボロになっていた兵士が、けっして「戦意を高揚させる歌」を求めていなかったことが伝えられている下りや、特攻隊の兵士達が淡谷のり子のブルース(と呼ばれていた)歌を求めていたことなどから「歌」の持つ力を再認識するのだ。

 もっと早く彼女のことを知っておくべきだったと思う。すでに他界されてから8年。彼女に直接お話を伺うことは出来ないのだが、この『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』を読んで、けっして妥協を許さず生き抜いた素晴らしいアーティストを知ることが出来たように思う。

 さて、どのアルバムから聴いてみようか。まずは、いわゆるブルースと呼ばれた(本人は、ブルースじゃないですよと語っているんですが)コロンビア時代の『淡谷のり子全曲集』とシャンソンを中心としたビクター時代の『淡谷のり子ベスト』の2枚を聞けば、だいたいの流れはつかめるはずだ。(ちなみに、『私の好きな歌~mes cheres chansons Noriko Awaya Victor Rec』も発見。これが究極かなぁ...)もちろん、テイチク時代の音源も聞きたいんでが... そして、『懐メロ歌手』といわれたことに抵抗するように、泉たくと一緒に制作した、『昔一人の歌い手がいた』も聴いてみたいと思う。録音は1971年らしいのだが、ぞれ以前のものが、どうしてもシングルを集めただけのものに対して、これは明らかにアルバムとして作られたもの。そこに晩年... と言えば、失礼かもしれないが、すでに還暦を過ぎてなお、本物の歌手であったことを証明する傑作だと聞いたことがあるからだ。

 ちなみに、淡谷のり子は常に反戦平和の姿勢を貫いた数少ない大御所だったことは、忘れてならないように思う。


投稿者 hanasan : 00:55 | コメント (0)

2007年01月12日

再び飲んだくれ三昧の恒例正月行脚

Salif Keita 例年のことなんだが、正月には実家に帰って数日を過ごした後、友人を訪ねながら東に向かって帰京するということになっている。ここで再び飲んだくれるんだが、なによりも嬉しいのはひさびさに友人と顔を合わせること。今回も懐かしい友に会い、彼らを通して新しい友ができた。嬉しいことだ。

 まずは伯備線で倉敷に向かい、地元でレコード店、グリーン・ハウスを経営しながら、FM倉敷というコミュニティ・ラジオを運営している友人のところで一泊。この日、彼の弟の奥さんと子供たちに出会っているんだが、さすが音楽好きですなぁ。ミュージシャンでもある彼の子供たちの名前がミュージシャンにあやかっているというのだ。長男はマリのミュージシャン、サリフ・ケイタからいただいて、ケイタと名付け、次男はジャンゴ・ラインハルトにあやかってハルトなんだとか。前者が日本で初めて紹介されたアルバム、『Soro』の国内盤でライナーを書いているし、フランスのミュゼットを取材したときの延長でジャンゴ・ラインハルトからピックをもらったというギタリスト、ディディ・デュプラとインタヴューしたこともあり、なにやら嬉しいような... しかも、この子供たちはウクレレを演奏するらしく、チック・コリアの名曲、スペインを演奏してしまうんだそうな。(オリジナルは『ライト・アズ・ア・フェザー 』収録なんだけど、自分が好きなのはアル・ジャロウのヴァージョンですな)末恐ろしい子供たちです。

 翌日には岡山でフレスコ画を書いている友人や学生時代の演劇部の仲間で、今は某大学で教授をやっている友人、そして、当時よく足を運んでいたジャズ喫茶(?)イリミテのマスターのところなどを訪ねて歩いた。そこで耳にしたのが開原整体。なんでもかなりユニークな整体らしく、そのマスターの奥さんが自分と全く同じような腰痛を抱えていたんだが、ここで処置してもらって治ったというのだ。これまでにも書いてきたように、自分の腰痛は心因性の疼痛ではないかと思っているんだが、ものは試しと、結局、それから数日後、福山市にあるここを訪ねている。

 周りは田んぼという、けっこうな田舎で、開原整体という看板は探し当てられるんだが、外見はただのクリーニング屋で中に入ると雑貨屋さんといった趣。その店舗のコーナーにカーテンで仕切られた一角があり、そこで処置してもらうんだが、友人のマスター夫婦から聞いていたとおり、めちゃくちゃ痛かった。とんでもなく痛かった。あまりの痛さに目を閉じていたので、実際に何を使ってどうやっているのか皆目わからないんだが、ちらっと目に入ったのがハンマー。おそらく、あれを使ってぐいぐいと骨を押すというか、ある方向に動かすんだろうなぁ... なんでもこの開原さんに言わせると、腰の骨、脊髄の5番目あたりがゆがんでいるというのだ。だから、それを矯正して、本来の角度に戻すというんだが、そんなの痛いに決まっている。

心療内科を訪ねて これも、あのマスター夫婦から聞いていたんだが、処置をしてもらった後もしばらくは「痛さ」が続くということで、あれからすでに4日目なんだが確かに今も痛い。ただ、なんとなくなんだが、「痛さ」がちょっと変化したような感じがしなくもない。そんな状態がしばらく続いて、「痛さ」が消えるとのことなんだが、どうなるんだろう。しばらくはこれにかすかな期待を抱きつつ、様子を見てみようとは思っているが、それでもだめだったら、おそらく、心療内科を目指すことになるんだろうなぁと思う。実は、今回の旅で移動中に読んでいたのが夏樹静子の『心療内科を訪ねて—心が痛み、心が治す』というものなんだが、これを読んでいて思うのは『心』と『身体』の微妙な関係性。今回の腰痛で学んでいるのは、『痛さ』と向き合うことは『自分』に向き合うことでもあるという真理だったように思う。簡単ではないんだが、『素』の自分を見つめたり、さらけ出したり... 周りの人たちには迷惑かもしれないけど、そうすることで本当の自分を探し出そうとしているのかもしれない。その一方で、「何でも試してやろう」と思ってやったのがこの整体。これがどうなるかは、いずれここで書き残すことになると思う。

Sleep Walker 話が前後してしまったが、この福山に向かう前、岡山から京都に移動していた。例年のことなんだが、友人のサックス奏者、スリープ・ウォーカーの中村雅人のところで数日居候するのが恒例になってしいて、今年も6日と7日は彼のところにやっかいになった。面白いのは、彼といるとユニークな人たちにどんどん出会ってしまうこと。今回は、一度彼がやっていた渋谷FMの番組でご一緒したデザイナーの西堀晋氏とかなりの時間を過ごすことが出来た。いつも京都に行ったら必ず立ち寄るのが、彼の作ったカフェ、eFishなんだが、そこで時間をつぶしていたら帰国している彼と再会することになった。現在、彼はアップルのデザイナーとして仕事をしていて、そこの12人(らしい)のスタッフの一人。今回お話を聞くところによるとMacBookのハードディスクの部分(いとも簡単にHDを交換できるという部分)は彼が関わっているとのことなんだが、当然のようにこれから数日後に発表されたiPhoneのことなんかは一切話してはくれない。そんなことをしたら、一発で首になる... というのはアップルの社員じゃなくても、マック好きなら誰でも知っていることだ。

 この日は彼とつもる話をして、ほとんど1日をeFish(えふぃっしゅ)で過ごしていた。ここには、以前記した男前豆腐の人たちもよく立ち寄るらしく、今回もその社長と再会。このとき、以前いただいたTシャツをのお礼をしているんだが、このTシャツは面白いし、安いので気に入った人は公式サイトで購入してみればいいと思いますよ。で、そのとてつもなくファンキーな公式サイトのデザインをやっているデザイナー、尾関幹人(オゼキミキト)さんとも出会った。なんでも彼は切り絵によるアートを出がけていて、このときはA1ぐらいのサイズの作品を見せてくれた。面白いよ。出来れば、彼のサイトで、詳細をチェックしていただければと思うんだが、実際に作品を見ると、そのユニークさにぶっ飛ばされること、間違いなしだと思う。

カンバラクニエ作品集 その日の夜はeFishのスタッフの一人が寿退社するというので、そのお別れ会に同席して、再び「飲み」に走ることになる。その後も何軒かをはしごしていくんだが、高瀬川沿いのある店(2度目なんだが、名前を思い出せない)で偶然出会ったのが、つじあやのさんとカンバラクニエさん。はじめで出会ったというのに、まるでずっと知っているかのように振る舞ってしまった私って... 失礼な人と思われたのではないかと思う。彼女たちは中学生からの仲良しということで、この日は二人で食事をしていたんだとか。そのカンバラさんが自分と同じ大学出身だということ。ひょっとして同じ大学を出た人と出会ったのは卒業以来初めてのことじゃないかなぁ。なんだだか、嬉しくなってしまった。彼女は農学部で、自分は法文学部。すでに、今ではこういった学部はなくて、法学部と文学部に分かれているはずなんだけど、あの大学に彼女も行っていたんだと思うと、なんだか「つながっている」ように思えてしまうのだ。とはいっても、時代が違いすぎる。彼女があそこにいたのは数年前のこと、その一方で、自分がいたのは四半世紀も前のこと。あまりに遠い。

 ちなみに、左は『カンバラクニエ作品集』というもので、こういった絵を描く人なんだとわかったのは、彼女と出会った数日後。ネットで調べたら、いろいろと出てきた。かなり著名な方のようでびっくりです。ここが彼女の公式サイトらしいけど、こういったものをみつけるにつけ、酔っぱらって大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなるんだが、まぁ、それが「素」の自分だから、ご勘弁を.... してくれないかもしれませんが。(笑)いやぁ、かわいい女性だったなぁ。

 一旦、京都から岡山を経由して福山に出たのは、前述の通り。といっても、その途中、牛窓という町に行っている。瀬戸内海の島々への入り口で、ここに行った目的は今の段階では話せない。面白いことをしようとしている人がいて、それに絡むかもしれないということしか書き残せないんだが、このとき、知ったのが瀬戸内海の島々の魅力。大学時代にはそんなことをかけらも考えたことはなかったんだが、「不便さ」のせいか、昔の風情が小さな島々には残っていて、そこを求めてやってくる旅行者が増えているんだそうな。特に海外からの旅行者が好んでいるようで、そのあたりにひょっとしたら自分の仕事があるのかもしれないなぁ... と思ってみたり。ずっと昔から思っていることなんだが、いつか岡山か倉敷あたりに住みたいという気持ちがある。東京は、それなりに面白いところではあるけど、ここで本当に人間的な空間の中に住もうとすれば、それだけでとてつもない時間を金儲けに費やさなければいけない。本当に「生きる」ということの意味を考えたとき、今の自分がそうしているのかどうか、どこかで引っかかるのだ。ひょっとすると、それも腰痛の原因のひとつかもしれない。

Grandpa Jones 福山からは大阪へ移動。mixi仲間... といっても、バード・ソング・カフェで出会った方とミナミで、音楽好きな人が集まる店をはしごです。まずはJazz Boという店でアナログを数枚購入。心斎橋筋の元ソニー・ビルのあたりからすぐだったと思うけど、いつも通りcheapoと呼ばれる捨て値のアルバムを中心に買った。なんでも中心に品揃えをしているのはオリジナルのアメリカ盤で、そのせいか、国内盤の中古などは500円とか300円で売っているのだ。というので、そんな中から買ったのがバンジョーのグランパ・ジョーンズの作品『Pickin' Time』とダニー・コーチマーの『危険な遊び』。また、久しく聞いていなかったカントリー系が中心にちょっとジャズのエッジを持ったものが欲しいんだけど... と店主の横山さんにいろいろ探してもらってBuddy Spicherの『An American Sampler』やAlan Mundeの『The Banjo Kid』にKenny Kosek & Matt Glaserの『Hasty Lonsome』あたりを購入。後は、彼のお薦めで「絶対にええから!」というので、Steve Goodmanの『Affordable Art』というアルバムを買ったんだが、まだBuddy Spicherしか聞いていない。なかなか好きな音楽ですな。久しぶりにこういったものを聞くと落ち着きます。

 その後は飲み屋さんを三軒。最初の店でmixi仲間のテング!ジジイ!さんのお友達と仲良くなって、ひょっとしたら、自分の初恋の人とこの人が知り合いかもしれないという珍妙な話が持ち上がったり... それに毎日新聞の方と話をしたり... いやぁ、わけがわかりません。それでも知らない人に出会って話を聞けるというのは、ホントに面白い。その次の店では「誰がカバやねんロックンロール・ショー」というバンドが今もやっているということを聞いてびっくりしたり、その次の店では自分のiPodに入れている国本武春さんの三味線ブルーグラスを聞かせたら、みんな一目惚れしたり... テング!ジジイ!さんは、その場で携帯からmixiにアクセスして、国本さんのコミュニティをみつけてメールを出していました。久しぶりに大好きな大塚まさじのソロ・デビュー作『遠い昔僕は』をここで聞いて、「やっぱ、あの頃のまさじが最高やね! 今の歌い方はおもろないよ」とそんなことを話し合ったものです。

 その翌日、ベイスメント・ジャックスを撮影して、例によって例のごとく、なじみの店、『Big Cake』で軽く飲んで、翌日恒例の『正月飲み旅』を終えた。こうやって考えると、飲まなかった日は1日もなかったことになる。そのせいなんだろうなぁ、東京を離れたときには71kgまで落ちていた体重がちょっと増えて74kgにまでなってしまった。おそらく、肝臓もダメージを受けているんだろうと思う。ちょっと考えないとなぁ... と、年明けからこんな具合でこの先が思いやられるのだ。



投稿者 hanasan : 17:09 | コメント (0)

2007年01月03日

天の瞳 : 気持ちわかるなぁ!

灰谷健次郎 灰谷健次郎氏が亡くなって、読み始めたのが、遺作となった『天の瞳』という長編小説だった。12月14日にそのことを書いて、早速、この本を購入。全て文庫なんだが、なんとか全8冊をそろえたのは年末の12月29日だったと思う。それを全て読み終えた。本当だったら、このまま続きが延々と発表され、ひとりの少年の人生を描きながら、彼は「人間」のなにかを伝えたかったんだろうが、主人公、倫太郎は中学生のまま永遠に記憶の中に生きることになる。あるいは、読者の想像の中で成長していくのかもしれないんだが、それは読み手次第だろう。

 その本を読みながら、どこかで自分自身を見ているような気になったのが面白い。おそらく、誰もがそうなんだろうが、登場人物のある時期に接点を見いだすのだ。特に、自分に重なったのはメイン・ストリームとは相容れない倫太郎や、納得できないことは受け入れないミツル。しかも、この本でさかんに使われているのが大阪弁ということもあり、他人事には思えなかったのだ。自分が育ったのは大阪の田舎、南河内郡美原町で、言葉の響きまでもが重なっている。数年前にここは堺市の一部に編入されてしまったんだが、自分のなかでは今も故郷は南海高野線の初芝を、あるいは、萩原天神の駅を降りてすぐのあの町なのだ。そこでの経験がこの本のストーリーになにやら似ているように思えてならない。

 といっても、この本は保育園の頃から始まっているんだが、自分が生まれ故郷の岡山から大阪に越していったのは小学校へ入学する頃。半年ほど市内の淀川のそばにいて、それから南河内へ移っている。それから高校を卒業するまで過ごしたのがここだった。残念ながら、幼稚園時代の記憶はほとんど消えて、トラックにひかれたことや、頭に飴のついた割り箸を目に突き刺して血まみれになった話など、親から聞いて覚えているだけ。鮮明に覚えているのは紫の風呂敷をマント代わりに三輪車に乗って月光仮面ごっこをしていたことぐらいか... なんと幸せな幼年期よ!

小林多喜二 で、小学校の時、おそらく、岡山弁の訛りがあったんだろう、「いじめ」なんてものがあったのかもしれない。が、自分はそんな感覚では受け止めていなかったようで、ちょっとぐれていたって感じかなぁ。その頃、ある教師に「不良」だという烙印を押されて、めちゃくちゃ反感を持ったものだ。『天の瞳』のなかで、そういった教師を子供たちは「センコ」と呼んでいるんだが、あれから40年以上が過ぎてなお、自分にとってもあの女教師は「センコ」であり、許せない存在だ。まぁ、当の本人はなんも覚えちゃいないんだろう、そんな無責任アホ教師にしか思えないのだ。ところが、4年生になると同時に担任になった「先生」は、そんな自分を救い出してくれた方で、この頃から大量の本を読むようになっている。(ここにその実名を出したところで、なんもならんと思うが、氏本芳男先生という方で、数年前に他界された。一介の教師なんだろうが、自分にとって彼は命の恩人であり、彼なくして今の自分はない。ありがとうございました!)

 その恩師は左翼でもなんでもない、良心の人だったと信じるんだが、彼のおかげで漁るようにいろいろな本を読んだ。今でも記憶しているのは一月に最高記録で28冊の本を読破したこと。実は、今日40年ぶりぐらいに読み終えた(プロレタリアート文学の巨匠)小林多喜二の『蟹工船』も、その頃に読んだ一冊だ。恐ろしく早熟な子供だったと思うが、本を読むことのおもしろさを教えてくれたのがあの先生だった。

 そのほか、「赤い怪物がやってくる」という一文が記憶に残っているマルクスとエンゲルス共著による『共産党宣言』からエンゲルスの『空想から科学へ』も読んだ。... が、当然ながら、ちんぷんかんぷんでなんにも覚えてはいないんだが、そんなとんがった本のおかげかどうか、中学校では「頭髪自由化闘争」を仕掛けていた。『天の瞳』のミツルはもっと先を行って、入学式の日から私服で長髪のまま登校し、それを続けていったんだが、自分の場合は2年生の頃だったかなぁ。そんなものに疑問を感じて、早朝登校して全校にビラを貼りまくった記憶がある。ガリ版刷りなんてのを知る遙か以前で、カーボン用紙を使って手書きのビラを貼りまくったのだ。が、このときは.... 負けた。校長か、教頭と議論をして、歯が立たなかったのだ。っても、その反抗的態度はそのままで、歴史を教えていた教師、同時に、私がキャプテンをやっていたバスケットボール部の顧問とはいろいろなところでぶつかった。なにせ、歴史の授業でソビエト人を「ロスケ!」という差別用語で話したときにはぶち切れて、ケンケンがくがくの議論をしたことがある。加えて、バスケット部で、切れてしまった彼が「そんなんやったら、勝手にせぇ!」と言われたときには、「はい、わかりました!」と、他の部員が「どないすんねん!」と言っているときに、なにもかもを自分でしようとしたほどの「生意気な」ガキだったのだ。

西岡恭蔵 それに輪をかけたのが高校生時代で、「優等生面」で入学したというのに、1年生の終わりには学校をふけては難波のディランという喫茶店に入り浸っていた。しかも、制服をあざ笑うように黒のジーンズにボタン・ダウンのシャツで登校。当然のように担任に呼び出されるんだが、この頃は絶対に議論に負けることはなかった。おかげで卒業するまでこの教師は自分を嫌っていたらしいが、「制服の定義なんか、どこにもないのに、なにを抜かしとんじゃぁ」と、まるでやくざのようなけんかをしていたものだ。その延長として、制服廃止闘争をやって、これは実現させた。なにせ、全校生徒の80%以上の署名を集め、私服登校の日を設定するなど、めちゃくちゃなことをしていたのだ。ただ、実行日の直前に教職員委員会から「生徒会で話してもいい」ということになり、全校生徒に中止を連絡... したはずなのに、ひとりだけ、連絡が届いていなかった友人がいて、彼には悪いことをしたと、今でも思っている。

 ところが、生徒会というのがくせ者で、「自主規制」なんてことを話し始めて、ぶち切れる。そんな審議をしている最中に「ふざけんなぁ!」と私服での登校をたったひとりで決行。挙げ句の果ては現代国語の教師と授業を無視しての大激論をしたものだ。その次の政治経済の教師は皮肉しか言わないというので、プッツン。挙げ句の果てに、「なにを抜かしとんじゃぁ」と学校を飛び出して、前述のディランで煙草を吸いながら、友達と音楽の話をしていた。今考えると、とんでもない直情型なんだが、いまだに自分がしたことが悪かったとは思ってはいない。おめでたいものです。

 この『天の瞳』を読んでいて、思い出したのがそんなガキの頃の話だった。とはいっても、ここには知的障害児の話なども登場するし、テーマが多岐にわたっているのが「小説のなせる技」なんだろう。いろいろなことを考えさせられた。生きること、他者との関係、世代を超えた人間としてのコミュニケーションのあり方、人間を愛することの意味等々、いろいろなことを学ばせていただいた。この小説が続いていけば、まだまだいろんなことが出てきたはずなんだが、それももうありえない。確かにどこかで説教臭さがあり、「絵に描いた餅」的な理想論もあったかもしれない。が、それは小説だからこそのものであり、それをどう受け取りかは読み手次第だろう。いろんな意味で刺激を与えてくれた長編だった。もし、時間に余裕があるようだったら、これを読んでみればどうだろう。amazonのマーケット・プレイスでは、自分が書いた『ロンドン・ラジカル・ウォーク』同様、1円で中古を買うこともできるようだ。(ちなみに、「見識に問題あり」と、俺の本をレヴューしている「志村真幸」という人間に、「あんた。かしこいんやなぁ」と感じている今日この頃ですが。88年がパンクのまっただ中と思える見識にあきれかえるのですよ)

 と、波乱の幕開け(!?)となった2007年も「勝手に、言いたい放題」で行きたいと思っとります。



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2006年12月28日

ライヴ三昧、酒三昧で千鳥足の年の暮れ

What's Love? 23日は久しぶりにワッツ・ラヴ?のライヴだった。スカ帝国という名前で、彼らがいろいろなゲストを呼んで続けているシリーズのライヴで、この時が40回目とかなんとかいっていたように思う。ずいぶん前のことだが、このスカ帝国でクレイジーケン・バンドを見たのが新宿ロフトで開かれたときだったし、勝手にしやがれというバンドを初めて見たのも渋谷デセオでのスカ帝国だった。そのゲストたちは、両方とも大きくなってしまったけど、当のワッツ・ラヴ?は相変わらず。

 でも、いいのだ。昔から好きなバンドで、「本流の歌謡曲」に匹敵するメロディや詩をベースに、スカからレゲエのエッセンスをしっかりと吸収しているところがその魅力。特に彼らが録音した「みちのく一人旅」のレゲエ・ヴァージョンは、日本のレゲエ史(んなものがあるのかどうか、よく知らないが)に残る大傑作だと思う。それが『温故知新』というアルバムに収められているんですが、これは、迷わずに買ってください。「みちのく」の他に「襟裳岬」から「知床旅情」、「赤いスイートピー」などなど、彼らのテイストでレゲエやスカに料理した名曲が楽しめる。絶対に損はさせないから。

 なんでもこの23日のライヴでベースがバンドを離れるということになったとのことだけど、まぁ、最初に見たときのワッツ・ラヴ?のメンバーこそが自分にとってのこのバンドだと思うなぁ。そりゃぁ、仕方がないんだけどね。ちなみに、今彼らはベース奏者を募集しているらしく、誰かいい人がいたら、彼らにコンタクトしてみてくださいな。

 2年ぶり(ぐらい)に彼らを見て、楽しかったんだけど、撮影をしていたから、のんびり楽しむって感じではなかったな。それと、いつもの不満だけど、彼らが「みちのく」をやることは滅多になくて、この日も、当然のようになし。おそらく、彼らがライヴでこの曲をやったのに遭遇したのは一度だけではなかったかなぁと思う。演歌をやるのは恥ずかしいのか、冗談だとしか思われないと思ってるのかな。誰がなにを言おうと、私は、彼らの「みちのく」がオリジナルを遙かに超えていると思っているんですけどね。

 そのライヴの後、恵比寿に流れて、マグのカメラマンが親しい事務所の忘年会、その二次会に流れ込んだんだけど、まぁ、面白いもので、ここにいた某女史のボーイ・フレンドがワッツ・ラヴ?のバックで演奏しているということがわかったり... 世の中狭いというよりは、いつものことだが、みんなつながっているんだなぁと思う。そんな流れの中で、また、朝まで痛飲ですな。へろへろです。

 その翌日は横浜のキューバ・レストラン、エル・パライソへ。これをやっているのが友人なのだが、前日に連絡が入り、「ライヴをやるんだけど、予約が少なくて困っているから、友達を連れてきてよ」と頼まれたのだ。けど、クリスマス・イヴに暇な人間なんぞ、俺ぐらいしかいない。いろいろと仲間に連絡をしてみたんだけど、結局はひとりで横浜まで行った。

 ライヴはシンプルな、おそらく、日本に住んでいるキューバ人+日本人という感じのバンドなんだけど、これがなぁ、なかなかいいんですよ。ギター&ヴォーカルに、ギターみたいなスタイルのベースと、8弦のギターみたいな楽器... マンドリンがギターみたいになったやつで、それがリードをとって、パーカッションが入る。プロの流しのラテン系って趣ですな。でも、これがよかったのよ。もう少しお客さんが入っていればもっと楽しい雰囲気になったんだろうなと思いますね。

寿魂 で、25日には新宿のネイキッド・ロフトで寿というバンドの本、『
寿魂』の出版記念パーティに出かけた。時間を間違ってちょっと早めについてしまったから、近所でメシを食ってしまったんだが、この日はバンドや関係者からふるまい「泡盛」に「手料理」ってのがあって... 腹一杯なのに、ここでも食ったというのが笑えます。(実際、断れないですよ、これは)

 この日はビデオで昔の彼らの姿を見せてもらったりしたんだけど、びっくりしました。彼らって「イカ天」に出たバンドだったんだとか。彼らを見たのは昨年3月が最初で、彼らがどんな世界でどう生きてきたのか、全然知らなかったから、この日は実に興味深く彼らの歴史をかいま見ることができた。ヴォーカルのナビィが「封印してしまいたい」なんてことを言っていたんですが、このイカ天の時の映像を見たら、その気持ち、理解できました。正直言って、同じバンドだとは思えなかったからね。ちょっとニューウェーヴで... 目の前で「自分たちの過去だ」と説明されているんだけど、あまりに違いすぎる。実際、寿の二人の顔までが違って見える。これ、きっと別人です。(笑)

 そして、彼らにとっての転機となったというエストニアでのフェスティヴァルや寿町フリー・コンサートでのライヴの映像を交えながら、いろいろな話を聞くことができたんだが、今の彼らがあるのはそんな経験や体験のおかげだとか。きっとそうだろう、別人になったほどのインパクトがそういった人たちの出会いにあったんだろうと思う。その結果が彼らの歌であり、だからこそ、その「歌」が伝わるのではないかと思う。パレスチナ人とイスラエル人の友人の話やそこから生まれた「シャローム、サラーム」や「夢を広げよう」と歌う「ひろげよう」、ライヴでおなじみのこういった曲は、確実に彼らの旅してきた世界中のいろいろな国や地域での出会いや体験を反映したものだろう。国や言葉が違ってもそこには、血の通ったふつうの人間がいる。そして、まるでその体を流れる血のようにしみる歌がある。彼らの歌に感じるのはそんなぬくもりのある血じゃないんだろうかと思う。(血ってネガティヴなイメージがあるけど、自分にはそうでもないんだな)

バリー・マクガイア この日は最後にシンプルなライヴが開かれているんだけど、いつものようにナビィの笑顔にやられるんです。なんであんな顔で歌えるんだろう? お世辞にもステージのしゃべりが上手いとは言えないんだが、それでも気持ちが「伝わる」し、その笑顔から歌い出される前向きな歌がまっすぐに心を打つ。しかも、歌の言葉にはかなり直球的なものもあるんだが、忌野清志郎が歌う「イマジン」や「明日なき世界」のように自分の体にしみこんでくるのがわかる。

 その彼らが1月20日に東京でちょっと大きめのライヴをやるんだけど、これも撮影させてもらおうかと思っている。それに、ソウル・フラワーの伊丹英子が企画に加わっているという沖縄 Peace Music Festa! 辺野古'07に彼らも出演するようなんだが、これに行ってこようかなぁと思いだした。辺野古の海を、人を守り、新たな米軍基地の建設を阻止するため、それを訴えるためのもので、こういったイヴェントをサポートしなければいけないと思うし、出来るだけ多くの人たちに伝えなければいけない。出来るだけ多くの人にサポートしてもらいたいとも思う。すでに1日に7000人以上のビジターを記録しているSmashing Magでも何かの役に立つともうのだ。

 なお、このプレ・イヴェントとして(残念ながら、寿のライヴと同じ日なんだけど)1月20日に吉祥寺スターパインズカフェで、翌21日には大阪バナナホールでつづら折りの宴 わったー地球(しま)はわったーが守るというのが開催されます。ぜひ、皆さんに出かけていってほしいと思います。

 と、書かなければいけないことが山盛りだ。知人のフリーライター、烏賀陽弘道氏がオリコンから訴えられたという情報が入ったのはこの頃かなぁ。彼には一度取材してもらったことがあって、それからしばらくはコンタクトがあったのだが、もう、おそらく、10年ほどはコンタクトがなくなっている。その彼が月刊誌「サイゾー」4月号の記事でだした、わずか20行のコメントに関して5000万円の損害賠償を求めているんだが、こんなのありか? まず、なぜ著作者ではなく、コメントを寄せた人物を訴えるのか? 文章の責任は執筆者にあるし、コメントを出そうが、その真偽がどうであれ、それを掲載する責任は執筆者、編集者、出版社にある。それなのに、彼らではなく、烏賀陽弘道氏個人を訴えた理由は、彼をメディアから抹殺しようとしているとしか思えないのだ。なにせ、企業対個人だ。訴訟に対抗するにも経済力の違いは明らかであり、周辺からのサポートがなければ「闘うすべ」もないのだ。

Jポップの心象風景 しかも、問題となっている記事を読めばわかるのだが、このコメントは問題とされているチャート操作を「断定」はしていない。国語が理解できるのであれば、「可能性が高い」という言葉の意味ぐらいわかるだろうに。ここで細部を語る必要性はないし、それぞれが「コメント」を読めばオリコンの訴状の方に多くの問題を見つけられることになる。わずか20行のコメントで「連結売上高約57億円」の会社、オリコンが受ける「直接的、間接的損害を過小評価することは出来ない」と言える根拠ってどこにあるんだろうね。あまりにばかばかしいんだが、弱者を袋だたきにするような訴状が認められ、もし、仮に、これで烏賀陽弘道氏が負けるようなことにでもなれば、我々は何も語れなくなるだろう。要するに、この事件は金や権力を持っている連中が、真正面から表現の自由、報道の自由に対して挑戦しているということなのだと理解するしかないんですよ。だから、私個人はこのケースに関していえば、烏賀陽弘道氏を全面的に支持する。

 さて、26日は友人のプロモーターでレーベルも始めたジャポニクスの忘年会に出かけたんだが、ここでまたワッツ・ラヴ?絡みなんだが、やめたばかりのベーシストが加わっているバンドを見てしまった。なんとまぁ、繋がっていること。それに来年3月に来日することになっているThe Slackersの元メンバーで、今は日本に住んでいる人と再会。(すまん、名前を覚えてはいない)と、その後、中目黒のクイーン・シバに立ち寄って、恵比寿のキッチン・ソルナで、一杯というおきまりのコース。それで帰路についてところで、偶然、シャーベッツのN氏に遭遇して.... 「一杯行きますかぁ」と、深みにはまってしまうのだ。しかも、このとき、ワッツでサックスを演奏している?君を紹介される。(すまん、また名前を忘れた)で、焼き肉屋からN氏の自宅に回って自宅に向かったのは、前夜の土砂降りの雨が信じられないほどにまぶしい青空の下。なんてぇことだぁ。ぐるぐるといろいろなところで友達の輪を感じながら、飲み続ける年の暮れ。なんとまぁ、忙しいこと。



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2006年12月22日

寿魂 - 大好きなバンド、寿の本が出ました

寿魂 ここでも何度か紹介したことがあるんですが、去年の3月に上野水上音楽堂で初めて体験したバンドに寿(ことぶき)というのがあって、あの時のステージにいたく感動して以来、何度かライヴを見ているし、撮影もしている、お気に入りのバンドです。いつだったか、その彼らから連絡があって、本を出版するので写真を使わせて欲しいとのこと。いいよぉと、写真を送って数ヶ月、昨日、うちにその本が届けられた。

 本のタイトルは『寿魂 - ことぶきたましい』というもので、20年にわたる彼らの活動の記録などがここに収められているとのこと。もちろん、昨日届いたばかりなので、まだまだ内容はわかりませんが、おそらく、面白いだろう。ステージを見ていたらわかるんだが、このバンドの要って、人との出会いだと思う。そして、そこでの体験が歌になって出てきているように思えて、彼らがこれまでどんな人たちと出会ってきたかをこれでのぞき込むことができるわけだ。楽しみです。

 ちなみに、私の写真が使われているのは最後の方のページで数点がセレクトされて1ページの中にちりばめられているという感じ。嬉しいものです。もし、よかったら、手にとってこの本を読んでいただければと思います。ここ数年、日本のバンドで「心を動かされる」ものが少ないんですが、彼らはそうなってしまったひとつ。どの歌も素晴らしいんだけど、「上を向いてあるこう」の替え歌「前を向いて歩こう」は、ライヴで聴くたびにキュンと来る。さすがに、オリジナルの作詞をした永六輔氏が認めただけのことはある。きっと、彼はそうやって寿が歌っているのが嬉しいんだろうなと思うよ。そのほかにもいい曲がいっぱい。彼らはもっともっと売れて欲しいし、多くの人に知ってもらいたいと思っています。チャンスがあったら、是非見に行ってくださいな。



投稿者 hanasan : 21:46 | コメント (0)

2006年12月14日

物知りに、かしこい奴はおらんなぁ - 灰谷健次郎の「天の瞳」のこと

灰谷健次郎 灰谷健次郎氏が亡くなったことをきっかけに、彼の本をまた読み返している。と、同時に、未読の本も買って読み始めたんだが、それが『天の瞳 幼年編〈1〉』で、まずは1冊目を読み終えて、『天の瞳 幼年編〈2〉』に入っている。

 実を言うと、これを読み始めたとき、ちょっと不満に思ったことがある。同じ著者が書いているのだから、当然といえば、当然なんだが、どうも灰谷作品にある「決まり切ったパターン」の繰り返しに、最初はとまどった。というか、「またかぁ」と、優しさや親切さの押し売りにも感じられる文章にちょっと「濃すぎる」なぁと引いてしまう自分がいるのがわかるのだ。とは言っても、素直に読めばそれだけで、物語に入っていってしまうんだが、今回はちょっとだけ手間取った。それでも、「大阪弁の会話」を基調とした彼の文章はすんなりと物語の中に読み手を導いてくれるし、結局は、あっという間に1冊目を読んで2冊目に入ったわけだ。

 物語はやたらユニークな「自然児」とでも呼べそうな倫太郎という子供の成長を核に、教育の問題、あるいは、親と子、先生と子供や人と人のあるべき関係を描き出そうとしているといった感じなんだが、「こんなにおもろい子供が、どこにおるんや」というぐらいに倫太郎がユニークなのが、現実離れしているなぁと思うこともある。加えて、幾度も反省を繰り返しながらも、あまりにできすぎな親や周辺の人物に、結局は「小説」という「絵空事」のニュアンスも感じるのだ。「そりゃぁ、そんなできた人もおるけど...」といった感じ? それでも、そういった人間の関係を求めていたからこそ、これを書いたんだろうし、同時に、どこかで「似たような人もいるかなぁ」と思わせるところがミソなんだろう。さまざまな「普通の人々」を登場させることで、現実との近似値をにおわせているのが面白いんだろうと思う。まぁ、なんだかんだと言いながら、どんどん先を読みたくなってこのシリーズの文庫を全て注文したわけだ。

灰谷健次郎 こんな本を読んでいると、時にめちゃくちゃ的を射た言葉や表現に突き当たるんだが、それが今回のタイトル。

「物知りに、かしこい奴はおらんなぁ」

 その通りだ。こんな言葉が物語の要でもなければ、重要でもないはずなんだが、なにやら嬉しくなるフレーズや言葉が出てくると、そこで一瞬、「あはぁ!」と止まることがあって、これが気になった。そうなったら、とりあえずは書き留めておこうと思った次第。

 ひょっとして、これは自分の物書きとしての仕事の一環でそう思うことなのかもしれない。まるで知識を持っていることが、あるいは、うんちくを語ることができるだけで「偉い」と思っている人がどれほど多いことか。知識だけだったら、調べればわかる。そういった情報を調べた結果として述べるのはいいんだろうが、少なくとも自分にとってそれだけが「書く」ことであってたまるかぁという思いがある。書くことの意味は「思い」を伝えることであり、読み手に少なくとも、情報をこえた「私」の思いを最もいい形で伝えたいと思っている。おそらく、そんな自分の感覚がこのフレーズに反応したんだろう。

 さてさて、この先、この本がどんな世界を自分に伝えてくれるのか? まだまだ先は長いんだが、楽しみになってきた。といっても、最後のパートはまだ文庫になっていないようだし... どうしよ。値段の高い単行本はほとんど買わないから、それまでに文庫本が出ていることを期待しますけど、このペースで読み続ければ、あっという間に読み終えてしまいそうで困ったものです。いやぁ、本って、本当に面白いよね。



投稿者 hanasan : 17:49 | コメント (0)

2006年12月04日

名古屋から京都、大阪、そして渥美清

渥美清 大下英治氏による『知られざる渥美清』を持って、名古屋から京都、大阪へ行って来た。目的はスマッシング・マグのスタッフ、寄稿家たちとのミーティングで、今後の展開などを確認したり、あるいは、ライターや写真家としてさらに磨きをかけて欲しいという想いを伝えることもその狙いだった。

 その間に読み始めたのが『知られざる渥美清』で、今さっき、読み終えた。実に面白い。ドキュメント小説という手法で、取材に基づいて「伝記」のようで、そうでもなく、小説のようでいてそうでもない微妙なタッチを持つ作風は、渥美清という「役者」の実像を実にヴィヴィッドに浮き上がらせてくれた。素晴らしい。これで渥美清に対する見方が大きく変わったようにも思えるし、彼の出演した作品をもう一度じっくりと見てみたいという気持ちが強くなった。

 今回の旅でまず訪ねたのが名古屋。ここで新たに写真家として仲間に加わった若者と会って、メディアの意味から写真家として、あるいは、メディアの人間としてどうあるべきか... と、諭したわけではないが、自分の考えを伝えた。同時に、地元でプロモーターをしている友人とじっくりといろんなことを話し合った。仲間のバンド、音楽のこと、ビジネスのこと.... こうやって酒を飲みながら、言葉を交わしていると、我々にとって音楽がどれほど重要なものかを再確認できる。実に嬉しい。

男前豆腐 翌日、時間がゆっくりあるので東海道本線で(最も経済的な方法で)京都に向かった。時間は十分あるし、本も読める。大阪でのミーティングまでには時間もあるというので、昔から好きな喫茶店、eFish (エフィッシュ)に向かった。鴨川沿いの五条大橋の袂にある店で、仲間のミュージシャン、まさやん(スリープ・ウォーカーの中村雅人)からここを紹介されたのはずいぶん昔のこと。日本のみならず海外でも著名なデザイナー、西堀晋さんが作っているんだが、彼は現在、アップルで仕事をしているはず。彼にも、一度、お目にかかっているんだが、それもまさやんの紹介だ。彼がDJをしていた渋谷FMの番組に出演した時で、これもかなり昔のことじゃないかと思う。

 実は、MacBookを持っていったんだが、ACアダプターを忘れて頭を抱えていたんだが、この店に同じACアダプターがあって、それを使って充電とSmashing Magの更新作業。そこで働いている女の子たち、(もう、みんな友人です)と四方山話をしながら、時間をつぶすんだが、その時に話題になったのが「男前豆腐」。以前、ここにまさやんと来た時に、たまたま社長がきていて、この写真のイラストが大きく描かれたTシャツをいただいている。ここ数年間に手に入れたTシャツでは最も好きな一枚で、袖には「観客」なんて文字が書かれていて、撮影でこのTシャツを着ることも多い。なにせ、ライヴの撮影で「観客」と書かれたTシャツを着るという「洒落」を楽しんでいるってかんじかね。

 それに、ここが作っている「風に吹かれて豆腐やジョニー」という豆腐の大ファンで、以前はしょっちゅう買っていた。近所のセブン・イレブンにおいていたんだが、いつの頃からか姿を消して、代わりに置かれ始めたのが「波乗りジョニー」というもの。同じ会社のものなのかなぁと思って、一度買ってみたんだが、これはあまり旨くなかった。ところが、この話をすると、なんでも、後者は「男前豆腐」の社長の親父がやっている会社のもので、全く別物だということを知った。そうかぁ、それだったら、また「風に吹かれて豆腐やジョニー」を探し出さなければ... と思っている。特に、このところ、速歩で1時間ぐらい歩くようになって、運動の後にはタンパク質を摂取しなければいけないという話を聞かされているので、これが、けっこう役に立つと思っているのだ。

西堀 店には西堀氏がデザインしたスピーカーが置かれていて、なかなかユニーク。といっても、音は聴いていないあら、そのあたりは想像するしかないが、実際に使ってその役割をきちんと果たせないものを作るデザイナーなんてあり得ない。だから、チャンスがあれば、一度きちんと聴いてみたいものだと思う。

 大阪ではひさびさにドーベルマンのライヴを見た。大好きなスカ系のバンドで、おそらく、日本で最もオリジナルなスタイルを保っていると思う。特に、歌に対する姿勢が好きで、自分の言葉を大切にしているところが理由。演奏もつぼを押さえながらも、客を楽しませ、同時に、自分たちも楽しんでいる。このバンドはもっともっと大きなステージに立って、多くの人たちに知られるべき存在だと思う。ただ、この日の音が全然よくなかったのは実に残念。ベースの音はぶんぶんと、勘弁して欲しいほどに響くんだが、本来分厚いホーンがペラペラに聞こえるし、ヴォーカルがきちんと前面に出てきていない。これがあまりに悲しすぎた。


投稿者 hanasan : 14:17 | コメント (0)

2006年12月01日

渥美清 : 全然おかしくなかった「おかしな男 渥美清」

渥美清 『あゝ声なき友』というDVDを見て、むくむと興味が湧いた渥美清のことを知りたいと思って買った二冊の本のうち、小林信彦氏による『おかしな男 渥美清』を早速購入して読んでみた。でも、どこかで何かがかみ合っていなかった。

 まだまだ渥美清が売れていなかった頃から、知己だったという小林信彦氏の『おかしな男 渥美清』は資料的な価値としては確かに面白かった。加えて、それなりに「知られていなかった」渥美清の素顔の一端を見せてくれるという意味では、読む価値は十分にある。加えて、「喜劇」から「コメディアン」、「喜劇役者」を見る著者の視点の鋭さは、読んでいて、素直に感嘆した。よく映画を見ているし、役者を見ている。それでも、どこかで、なにかがしっくりこない。さぁて、それはなになんだろう。

 これは渥美清と初めて遭遇した「世代」の違いからくるのかなぁとも思う。小林信彦がこの世界に足をつっこんだのは私がもの心つく遙かに昔のこと。しかも、私が渥美清を知ったのは、以前書いたように「泣いてたまるか」というテレビのシリーズであるにもかかわらず、この本ではそれに関してほとんど書かれていない。そういった「個人的な」指向の他に、あくまで「役者」としての渥美清という人間のことしか書かれていないから、自分にとってはつまらないのかなぁと思う。「役者」としての渥美清を見る著者の視点や鋭さは、重ねて書くが、素晴らしい。でも、渥美清の「役者の向こうになにを見ていたのか」を知りたかった。ひょっとして、そんなものは端からなかったのかもしれないし、小林氏がここで書こうとしていたことではないのかもしれないんだが...

渥美清 その一方で、この本のおかげで初期の渥美清の傑作と呼ばれる『拝啓天皇陛下様』を、もう一度見てみようかと思った。所詮、一般的には渥美清は『男はつらいよ』の車寅次郎なんだし、確かに、このシリーズでなにかをきわめたんだろうけど、自分には、それ以前の彼、そこにたどり着こうとしていた彼の方に魅力を感じるのだ。

 といって、この成功で役者としての可能性をどこかで「絶たれる」というところから、『あゝ声なき友』に至ったという、この本の説明も納得できた。渥美清の「役者」としての素晴らしさを十分に引き出せなかったと説明されるが、逆に「渥美清だからこそ」そう語らざるを得なかったという意味で、渥美清の存在感を否定することもできないんだろう。


渥美清 いずれにせよ、この頃から、どうあがいても、結局は寅さんとしてしか見られなくなった渥美清の悲しみが生まれるという話は、実に納得するし、ジーンと来る。そんな意味でこの本は面白いと思う。

 で、これから読むのは大下英司による『知られざる渥美清 』。これで、渥美清のどんな顔を知ることになるんだろう。

 ちなみに、この本で知ったんだが、今年はフランキー堺の没後10年でもあるんだそうな。勝手にしやがれの武藤くんも影響を受けたというアルバム、『この素晴らしい世界』をまた聴いて供養しよう。これは日本ジャズ史上の名作の一枚だと思っている。



投稿者 hanasan : 13:17 | コメント (0)

2006年11月27日

夏樹静子 : 腰痛放浪記 + 私の腰痛日記

夏樹静子 夏樹静子というミステリー作家が書いた『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』をむさぼるように読んだ。かなりの部分を占めている「苦しみの記録」は、ちょっとくどいようにも思えるのだが、おそらく、実際にこの奇妙な腰痛を経験したものにしか彼女の気持ちは理解できないだろう。だが、すでにそれを経験し始めた自分には、いろいろな側面でこの苦しみが絶望的な「痛み」を与え続けているのがわかるし、この部分を読むのは「苦」ではなかった。もちろん、どこかで「早く先に行ってください」と思う気持ちがなかったわけではないし、「現実に希望を求めて」この本にたどり着いた人間にはまどろっこしいかもしれないというのも理解できる。が、それだけ彼女の経験が「現実の出来事なのだ」ということがひしひしと伝わってきた。

 実際、笑われようがどうしようが、自分だってこうやってブログで書かざるを得ないほどに、「腰痛」が自分の生活を変えてしまったのだ。毎日目が覚めて、最初に思うことは「今日は、どうなっているんだろう。ひどくなっているんだろうか、良くなっているんだろうか...」そして、ベッドを出る時に感じる「痛み」に、また、「どうやったらいいんだろう」という1日が始まるのだ。

 そして、これまで得た情報で「考え」始める。今日も運動をして、ストレッチをして... ところが、それを続けてもいっこうに良くなる気配も見せず、「痛さ」は増すばかりだ。ひょっとして、そうなってはいないのかも知れないが、ほとんど条件反射のように「痛さ」に全神経がいってしまうのは間違いない。ちょっとましだと思って、あるいは、ちょっとひどいと思って一喜一憂する姿は、それだけで自分の生活が「腰痛」を核にしてプログラムされていることに気がついてしまうのだ。実際のところ、今の生活は「腰痛」なくしてなにもないほどに振り回されている。

 その「腰痛」のせいで、これまでなにをしてきたかは、逐一ここで報告している。『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』から『腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべて』という本も読んだ。毎日のように散歩を称して1時間以上を速歩で運動したり、上述の本に関して思考をめぐらしたり... 「読んだら腰痛はなくなる」と言われる『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』に関して言えば、確かにどこかで「納得」できる内容だったし、それでも、プログラムされた「心」と「身体」の関係は簡単に突き崩すことはできないでいる。彼らにすれば、「きちんと理解していない」からだと言うんだろうが、そんなに簡単に理解できるのだったら、こんなに苦しまないだろう。その「理解」が難しいんだと思う。

 が、どこかで、おそらく、それこそが原因なんだろうということは気付き始めている。それを決定的にするのは、先に報告した関東労災病院での造影撮影による結果になるはずだ。これは単純に私の感でしかないんだが、「なにも悪いところはない」という結果がでてくるように思える。医師は、単純な断言を避けるという傾向があるから、そこまでのことは言わないかもしれないが、「結果を見ると、確かに若干の問題はないことはないんだが、一般的にはこれだけのことでそんな痛さがでてくることは想定できない」というのではないかと思う。全くその通りだったら、笑えるんだが、なにやらそうなりそうな予感がしてならない。実際、この前に通っていた北里病院でも同じような報告を得ている。MRIによって腰と首をチェックしているんだが、「これぐらいだったら、ひどくないんですね」と言われているし、そのあたりの世界で仕事をしている弟にその写真を見せても、「こんなん、普通やで」と一笑に付されてしまった。

 だからこそ、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』の結末に納得してしまうのだ。結局、彼女が頼っていたのは平木クリニックの医師、平木英人氏。彼は心療内科のエキスパートで、「心因によって慢性疼痛が生じる」という考え方の下に、その原因を探し出し、対処していくのだ。その処置の様子がこと細かく書かれているのがこの本で、それを読むと、「そうなんだ」と大いに納得できる。平木英人氏の著書を見てみるとパニック障害の権威のようで、この病院が主な病気の解説としてパニック障害、うつ状態などが慢性疼痛と一緒に並んでいる。ここまでいろいろなことを調べてきて、要は精神にあり、この腰痛は「精神病」なのだと思うに至った... と言ったら、「俺、頭が変になったの?」と言われそうだが、非常に広い意味での「精神の病」という意味では確かにそうではないかと思う。

 それがこの『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に詳しく記されているのだ。「自分自身の奥底に眠る、そして、実は、自分の心だけではなく、身体もコントロールしている潜在意識」に向かい合っていく様子が、「確かにあったことと」として記録されている。それが、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』よりも遙かに現実のものとして伝わってくるのだ。学問として後者は、実に理解できる。が、実際に、どうすれば、そうできるのか? 潜在意識に向かい合えるのか? それほど簡単なことはないし、だからこそ、今もどうすればいいのかわからない自分がいるように思えるのだ。が、夏樹静子女史の記録は、全くの暗闇のなかにほのかに姿を見せた一筋の光にも見える。

 しかも、そのために彼女が平木医師と共にやった絶食治療の話も面白かった。心因性の問題に向き合うために、ただ「精神」だけではなく、それを共存することで人間と為す「身体」を共に癒す... と言うよりは、本来の力を取り戻すための方法として絶食を取り上げ、それがどういった効果を生むかに関しても詳しく記されている。「潜在意識」(サーノ博士によると「怒り」なんだろうが)が自律神経に働きかけて、身体に変調をきたしていくと知ったのだが、人間本来持っている自然治癒能力を高めるために「絶食」という方法論があるんだそうだ。

 そういったプロセスを経て、彼女は「潜在意識にある自分」と向き合うことで、この腰痛を乗り越えていくことになる。そのあたりに関して書かれている部分にも、自分自身との共通項をたくさんみつけることができた。これは性格の接点なんだが、当然ながら、性格を変えることはできないと思う。が、そうではなく、「潜在意識」に向かい合うのだ。それこそが必要とされていることであり、そんな作業のために最も必要だったのがこの本ではないかと思えるようになった。おそらく、それは簡単ではないと思うし、これをくぐり抜けるにはまだまだ時間がかかるだろう。が、ここにも記されていたように、この「腰痛」は自分に「必要」なんだと思う。人間として生きていく上で、今、経験しなくてはならない人生の転機として、潜在意識が私の身体に語りかけているものであり、それに向き合うことで、新しい自分、あるいは、まだ見ぬ自分にたどり着くんではないだろうか... 逆に言えば、そんな期待さえ感じてしまうのだ。

 なんで腰痛から「新しい自分なんだ?」と思う人もいるだろうし、これを経験しなかったら、こんな結論に達することもないだろう。が、予感がする。いずれにせよ、失うものなんてなにもないんだから、これでいいじゃないかと、今、自分に言い聞かせているところ。だから、これからもこの記録を続けていこうと思う。夏樹静子女史とは比較できないが、自分だって、ものを書くことを生業としてきた人間のひとり。自分がこうやって書き続けることで、自分を救い出したいし、同じ「痛み」を感じている人にとって、どこかで光明となるかもしれない。

 さて、これからどうなることやら.. 若干の不安はある。でも、必ず、抜け出すし、「腰痛」からおさらばする意志はますます強くなってきたし、どこかでちょっとした自信が出てきた。そんな意味でも、この『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』は素晴らしいと思う。少なくとも、今、腰痛で苦しんでいる人は絶対に読むべき本だろう。



投稿者 hanasan : 14:09 | コメント (0)

2006年11月23日

灰谷健次郎氏死去

灰谷健次郎 つい先ほどのニュースで知ったんだが、作家の灰谷健次郎氏が亡くなられたということだ。一時期、彼の作品にはまりまくって、なかでも最も印象が強かったのがこの作品、『太陽の子』だった。神戸の下町にある沖縄料理や『てだのふあ』の娘を主人公に描かれた小説で、沖縄のこと、戦争のことなど、いろいろなことを学ばせてもらった。

 かつて、Bay FMでラジオ番組のDJをしていた時に、沖縄音楽の特集をして、確かネーネーズの曲を数曲流しながら、この小説の一節を読んだ記憶がある。それは「沖縄の海の青」を、主人公のお父さんが話して聞かせている部分ではなかったかと思うが、それを読みながら涙が出てきたことがあった。けっして難しい文章を書く人ではなくて、子供にも読める、そして、理解できる簡単な言葉と文章で、とてつもなく深い世界を描き出していた彼の筆の力に心服したのがこの頃だった。

 あれから文庫として登場した彼の作品はなんでも読むようになっていた。『兎の眼』から『砂場の少年』、『少女の器』あたりが代表作なんだろうけど、これを機会にまた読み直してみようかと思う。

 いつだっけっか、友人に彼のことを話したら、「沖縄のええとこに家を建てて、地元ではあんまり人気ないでぇ」なんて言われたんだが、それがどういった意味なのか、自分にはよくわかりません。ただ、一連の作品を読んで、自分がぶん殴られたように感動したのだけは忘れられません。

 こういった「児童文学」とでも呼べそうな作品からどれほどのものを学ぶことができるのか、自分には語ることができないように思えるが、殺伐とした「教育制度」ではけっして語られることのない世界がここにはあるように思えます。

 また、ライフワークとなったという『天の瞳 (幼年編1)』から『天の瞳 (幼年編2)』、『天の瞳 (少年編1)』、『天の瞳 (少年編2)』、『天の瞳 (成長編1)』、『天の瞳 (成長編2)』も、かなりの量だけど、読んでみようかなぁなんぞと思っています。

 いずれにせよ、私にものを書くことの奥深さを教えていただいた方として、ご冥福を祈ります。



投稿者 hanasan : 16:30 | コメント (0)

2006年11月16日

腰痛日記 検査入院の巻

ヒーリング・バックペイン 結局は、ジョン・サーノ博士のこの本、『ヒーリング・バックペイン』を持って、検査入院をしながら、じっくり読もうと思っていたんだが、どうやら入れ違いで、病院に持ってくることはできなかった。

 14日に代々木のザー・ザ・ズーで中山うりのライヴがあり自宅から代々木までちょっとペースを落として歩いていった。所要時間は1時間とちょっと。先日、新宿までをほぼ同じ時間で歩いたのを比べるとのんびりしているのがわかる。本当は撮影するつもりだあったんだが、マグのスタッフでいい写真を撮る人間がいたので、代わってもらった。同じ人間が撮影するよりも、他の人間との写真を見比べた方が面白い。といったら失礼かもしれないが、アーティストのいろんな顔を見せることができると思って、彼に頼んでみた。さて、どんな写真になることやら。

 この撮影の後、集まった4人のスタッフと居酒屋で軽く食事。なんでまぁ、男ばかりが集まるとこんな会話になるのか... まるで子供の下ネタだっただが、女が絡まないネタは、まるで小説のネタになるほど面白く可笑しい。なんと幸せなこと。

 そして、徒歩で帰宅。この日は結局、いつも通り2時間強の歩行をしたことになる。そして、プロテインを接種して、検査入院の準備。といっても、たかだか2泊。それほど用意するものはないはずなんだが、書類の山がいっぱい。なんで検査入院で『連帯保証人』を要求するのか全然理解できなかったが、結局、記入せずに来たら、なにもいわれなかった。

 病院は元住吉にある関東労災病院。15日9時半から10時までに来てくれということだったんだが、行くといきなり「部屋が用意できていない」という言い訳うをぐだぐだ続けるので、「じゃ、どれぐらい待てばいいんですか?」とストレートに尋ねると「いやぁ、○○の用意をして、片づけをして...」とそんなことばかり。日本人はなぜ簡単な質問に単刀直入に答えてくれないんだ?おっと、日本人じゃなくて、担当者のことなんだけど、こう思ってしまうのはなぜなんだろうね。

 とは言いながら、昼前には部屋に入って昼ご飯。いつもながら、なんとまぁ、病院のメシはまずいんだろうと思う。でも、全てをきれいに平らげる私はなになんでしょ。とそんなことがあって、約束通り、いろいろな説明を受けて、この日はブロック注射。例によって痛いのなんの。ハッキリ言って、自分の腰痛よりもこちらの方が遙かに痛い。特に今回は、液体を注入しているときにめちゃくちゃ痛かった。北里研究所で同じところにブロック注射をしたときには、そうでもなかったんだが... 確かに、打つときは痛い。なぜなら綿のかけらが落ちても全身に痛さが走る神経に注射するわけだ。その全身に走る痛さを確認してから打つので、それは当然。だが、北里では液体が入っていったときには、かなり気持ちよくなったんだが... なにが違うんだろう、今回は入れれば入れるほどに痛みが強くなった。結局、その注射の後、まるで病人のような面を下げて車いすで自室に戻された。

南正人 ところが、このブロック注射、あまり効果は感じなかった。前回よりも遙かに効かない。といって、一晩寝た後の、朝はかなり痛みが消えていたんだが、それはいつものことだから、ブロック注射のおかげかどうかはわからない。

 病院というのは、当然ながら、暇だ。なにもやることがない。とは言いながら、いつも通り、スマッシング・マグの更新作業をしてmixiの仲間に状況報告。それでも時間が余る。だから、結局は本を読んだり、ビデオを見たりということになるのだ。

 というので、先日、偶然再会を果たした南正人の本『キープ・オン! 南正人』を読み始めるんだが、これが面白い。ちょうど、小田実の『なんでも見てやろう』の影響なのかなぁ... っても、この頃はみんなそうだったけど、61年に出版されたこの本を読んで、私自身がそれから20年ぐらい後に日本を出ていくことになる。今じゃ、海外に出ていくなんざ、なんでもないことだけど、60年代にそうしていた人たちって、大変だったと思います。そんな中のひとりがこの南正人で、『キープ・オン! 南正人』をあのころ読んでいたら、間違いなく決定打になっただろうと思う。「日本を飛び出して彼が体験した話」のみならず、国内でのハッパ関係の話など、面白すぎて、アッという間に半分ほどを読んでしまった。

 そして、先日ここで記した八ヶ岳の命の祭りのところに出てきた自分の原稿のことに関して、彼が大手の新聞社や雑誌社の原稿ではなく、自分の書いたものを使いたかった理由もわかったように思う。あの夜、彼と30年ぶりに再会はしても、あの本を読んでいると共通の友人達の名前が出てくる。世の中って、そんなものだと思うが、人間はみんなつながっているのだ。と、そんな思いを強くさせる。この本、日本のロックの歴史やオルタナティヴな文化の歴史について関心があるのであったら、絶対に読んだ方がいいよ。もちろん、それだけではなく、南正人が自分をさらけ出すことで見えてくる「人間」ってなになんだろって問いかけも面白い。と、そういえば、失礼になるかもしれないけど、少なくとも自分は、にたところを突っ走っている人間としてとても共感できる部分があった。(まだ、全部読んでいないんだけどね)

Sayuri
 で、本を読むのに疲れたというので、MacBookにディスク・イメージとして取り込んでいた映画『Sayuri』を見る。これを日本の映画としてみるのは大間違いで、あくまでハリウッド映画なのね。だから、そういった意味では、映像の良さとか、それなりに楽しめたし、けっこうな外国映画なんだけど、それほどの時間を感じさせることはなかったなぁ。でも、今回も子役で出てくる女の子にやられます。子供時代の「千代」を演じている彼女がかわいいねぇ。あの目がなんともなく魅力なんだけど、それがそのまま映画で鍵となっているのが面白い。それになのに、大人になった千代を演じる女優の目に、それがないことにどれほど違和感を持たされたか。

 また、この映画のなかで描かれた「芸者」って、「アーティストだ」と説明しながら、結局は、高級売春婦でしかないと描いているあたりに、「そうなんだろうけさ、で、なにを言いたいのさ」という疑問が残ってしまった。これって、「なにの映画なの?」特に最後のテロップが笑えるのさ。ま、それを言っちゃおしまいだから、書かないけど。

 で、これを見た後に、iPodに入れている『Sayonara』を見ながら、アメリカ映画の中の日本を考えてしまうのだ。この映画が撮影されたのは57年。先日、ここで書いた『三丁目の夕日』の舞台設定と同じ。今じゃ、これも入手しづらいようだけど。日本に対する視線とかが、どこかで屈折しているのは当然として、同時に、時代を超えた日本を見る自分たちの視線もすでにどこかで屈折していることも感じてしまうのだ。わずか数十年前のことだって、明確な感触を伴って伝えることが難しい。そして、それぞれの人のフィルターを通して世界が変わっていく。恐ろしいと思う。

 だからこそ、戦前回帰の教育基本法改悪が強行採決されても、デモも起こらず、抗議運動も広がらない。あの狂気の時代が、どこかでもてはやされ、評価され、一大決心の下、絶対にこの過ちを繰り返さないとして生まれた憲法が代えられる危機に直面し、その一部としても良かっただろう、教育基本法が瀕死となっている。それほどあなた達がどうでもいいと思うのであれば総一億のみなさん、愛国の志士となって、命を「国」に捧げてくださいな。私はそんなこと絶対にしません。民の国でない限りにおいて、それは「彼ら」でしかないですから。私は非国民として、地球市民として生きていきますから。



投稿者 hanasan : 10:58 | コメント (0)

2006年11月11日

腰痛日記(続編)

腰痛は怒りである とりあえず、この本『腰痛は怒りである』は読んだ。基本的なコンセプトは、まず第一に「腰痛の常識」とされている嘘を暴くことから始まっている。そして、その呪縛から解放されなさいと説く。具体的なデータをあげながら、椎間板ヘルニアなどのMRIやレントゲンなどによる脊髄内の突出部分の大小が症状に比例しないことなどを症例から実証して、それが原因であるとは確定できないと示す。同時に、常識的に言われ続けている「年齢のせい」、「腰痛は人間であるから必然だ」「身体のゆがみ」といったこともことごとく否定。そのデータ的な部分について私達には確認できないから、これを鵜呑みにしていいのかどうかはわからないが、おそらくそうなんだろう。実際、自分のMRIの結果についても「通常ではそんなに痛くはない」と医者に言われている。が、痛いのだ。一時期は、あるいは、ある時間帯なのか、ある姿勢に依存するのか、めちゃくちゃ痛かったし、今も痛い。それはもう、ぶった切ってやりたくなるほど痛い。だから、そういった指摘についてはかなり納得できたように思う。

 加えて、従来の治療法についての問題を指摘。ブロック注射から腰ベルトに腰を引っ張るといった療法に関して、よい結果が確証されているものではないというのだ。それもある程度理解できた。要するに、そうして治った人もいれば、治らない人もいる。その意味で言えば、確実に有効であるとは断言できないと言うわけだ。そうだろう、確かにそうだ。原因が明確ではないのに、対処する方法がわかるという方が論理的におかしい。

 そして、登場するのがサーノ博士による『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』に登場するTMS理論。Tension Myositis Syndromeの略で、緊張性筋炎症候群というもの。簡単に言ってしまえば、心的なストレスが問題だと指摘している。精神的な問題から自分の身を守るために防衛本能、あるいは、防衛機能として自律神経に働きかけ、その問題から意識をそらせるために肉体的な苦痛を与えて、意識をそこに向かわせるというわけだ。だから、そのストレスに真正面から対峙して、それを解決しなければ痛みはなくならない... という発想なんだと思う。簡単に言えば、病は気から。気持ちがすっきりしなければ治らない。だから、そこに目を向けようというのだ。

 それもどこかで正しいんだろうと思う。自分の場合を見つめ直して、ストレスがないといえば嘘になる。生活なんぞ、ストレスで溢れている。ただ、その説明だと、どこかで納得できないのは、「それならば、なぜ同じ時期に(私の場合は毎年9月ぐらい)痛みが出るのか?」という点だ。今回はそれがひどくなって例年とは違う痛みを感じているんだが、それにしても、そこになにかの因果関係を想定してしまうのだ。とはいっても、例年の場合、1ヶ月もすれば忘れてしまうほどになるのに、今回、それが長引いているのは、おそらく、その心因性のストレスによるところがあるのではないかとは想像できる。いやぁ、いろいろ思い当たる節がある。

 そう言えば、今、fujirockers.orgにやってきたスパム・メールの削除作業をしているんだが、8月から昨日までの数は18000。といっても、それはここに送られたものではなく、送ってもないメールが行方しれずで戻ってくるというもので、サーバーの管理者だったらチェックせざるを得ない、しかも、削除できないアカウントにこれが積もっている。その容量だけで110MBもあった。なんとか、今日削除できたのが12000通。受け取りを拒否できる設定をみつけたので、これからはこんなことはないと思うが、それにしても、仕事の関係で管理しなければいけないアカウントが多すぎる。だから、このところスパムだけで1日に7〜800通は受け取っている。それに加えて、スタッフ関連のメールの数も多いし... これがストレスにならないでどうする。

 おっと、話がそれてしまったが、この本はそういったストレスを列記して、それに向かい合うところから始めようと語りかけている。特に完全主義者でいい人はこういったことになりやすいとか。それって鬱病なんかも同じように思える。あれも、心的なストレスが自律神経を痛めていって身体に異常をきたしていくはずだ。ただ、いい人であるのを攻められる感覚って、なんか、嫌ね。まぁ、友人によく言われるんだが、あんたは人が良すぎるって。だったら、悪い人になれるかといえば、そりゃ、無理でしょ。

 ともかく、こういったことを自覚して、普通に生活することがいいと語りかけているんだが、ちょっと宗教じみているなぁ。西洋医学を否定しているわけではないといいながら、どこかで信仰にもに近い気持ちにならなければいけないとしたら... まぁ、それが「無意識的にも信じる」ってことなんだろうけど。そして、瞑想をしたりしながら... と書かれているが、どうもうまく理解していないんだろ。

 と、もう一度読んでみようと思っているが、一通り読んだ結果として、自分がやっているのは、とりあえず、適度な運動。っても、1日に1時間以上も歩くのがそうなのかはわからない。ただし、いつも家でコンピュータに向かい合っているだけの毎日なので、それほどおかしくもないだろうし、普通だろう。実際、一昨日は自宅から原宿、そこから新宿、そして、代々木と歩いて、そこから電車で恵比寿に移動して、歩いて帰宅した。昨日は自宅から明治通りを渋谷に向かい、そこから池尻大橋に出て、中目黒の友人の店でちょっと休憩して恵比寿経由で歩いて帰宅。ただ、歩くことは全然苦痛ではないし、どんどん楽しくなっている。このまま行けば走り出しそうで、そうなったらそれでまたいいだろう。

 おかげで、確かに体調は良くなっているような気がする。もちろん、そういった運動に伴ってタンパク質を補給することや健康な食事をすることも心がけ始めているし。ただ、そうやって筋力を付けても、(たかだか1週間ほどで変わるとは思いませんが)痛みはそれほど変わってはいない。机に向かって仕事をしているときはほとんど感じないのだが起き上がった時、寝る時などはかなり痛い。どうやら、筋肉がつったときのような痛みで、時に刺すような痛みにも感じる。

 というので、始めたのがストレッチだ。この参考にしているのは『腰痛は絶対治る!』という本。なんでも阪神タイガーズのコーチもしていたという中川 卓爾という人が書いたもの。症状によってどういったストレッチが必要なのかを丁寧に説明している。といっても、その例というのは7パターンぐらいなんだが、なんとなく、これがいいような気がしてきているから不思議。まぁ、これもまだ始めたばかり。これからどうなるか、まぁ、それは身体が教えてくれるだろう。



投稿者 hanasan : 17:00 | コメント (0)

2006年11月10日

白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々- を見て思うこと

白バラの祈り 映画が公開されていたときに、見よう、見ようと思っていながら見られなかった作品に『白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々- 』があった。なんでも第二次世界大戦の末期が近づいた頃、ヒットラーのお膝元で反ナチズム運動を展開していた学生達がいたという。白バラ運動と呼ばれたそのうちひとりの女性、ゾフィーの最後を描いた映画で、レンタルで見ればいいものを、つい最近購入してしまった。なんでかなぁ。よくわからないけど、単純に見たかった。

 で、これを見てどう思ったか? そんなに甘かったの?というのが感想。要するに、彼女たちが大学で本当の戦況を伝えるビラをまいて、反政府活動をしていると逮捕されるというストーリー。そして、不当な(以外にあり得ない)裁判の後に死刑になる。それだけのことなんだが、だからどうなんだ... と思った。あれからこれまで世界中でそんなことは日常茶飯事のように起きているし、あの時代にそれだけですんだんだろうかと疑問にも思った。

 だって、そうだろ? 日本プロレタリア文学の巨匠で、名作『蟹工船』を書いた小林多喜二が特高(特別高等警察)に幾度も捕まった末、1933年に拷問によって虐殺されたことを思えば、あんなに簡単に殺されたのが奇妙にさえ写るのだ。なにせ、小林多喜二は身体が倍にふくらむほどの拷問を受けている。それでも信念を貫き通した彼にどれだけあこがれたって、自分にはできない芸当だろう。なにせ、腰痛だけでも悲鳴を上げているのだ。(笑)

 それほどまでに狂気の時代を生きて、ファシズムと闘った人たちをばかにするつもりは毛頭ない。逆に、無数の無名の市民達に対して尊敬の念を持っている。だからこそ、この映画が「実話に基づいている」のがどこかで信じられないのだ。そんなに楽には死ねなかっただろうと想像するのは間違いなんだろうか。

 ちょうど時を同じくして、『ヒトラー ~最期の12日間~ 』も見た。自国の歴史を直視して、ヒットラーを、そして、あの独裁者に心酔した一般庶民をも断罪しようというこのアプローチに、歴史を直視できない日本人の悲しさを感じたといったらいいだろうか。ヒットラーの狂気の沙汰を、まさしく異常をきたした人間として描く度合いに、大げさなものも感じたけど、同時に、彼を熱狂で迎えたあの時代の市民にあの頃の日本人を見たようにも思う。

 ところが、日本でこれほどまでに歴史を直視した映画があっただろうか? その片鱗だってあるのかもしれない... いや、あるはずがないだろうけど、ひょっとしたらと思って、一応見てみたのが『男たちの大和 / YAMATO 』。よくもこんなにあほらしい映画を作ったものだ。おそらく、政府なり、政治家なり、自衛隊なりの援護射撃があったんだろう。『戦国自衛隊1549』が見事な自衛隊プロモーションだったとの同程度の、国威高揚プロモーション映画でしかないのがよくわかった。実にあほらしい。

 一方で、海外の多くの国や地域がそうしているように、ファシズムと闘った人々が真摯に描かれた映画って日本にあるんだろうか... と思って、いろいろ考えたんだが、一本も頭に浮かばない。所詮は、アカと呼ばれた彼らは浮かばれないのが日本じゃないかと思うのだ。

 だからこそ、靖国神社なんて代物が未だに存在するのだ。あれは戦死者をまつっているのではない。広島や長崎で、あるいは日本兵に多くの市民が虐殺された沖縄や東京大空襲や全国の空襲で犠牲になった市民はそこに加えられることなく、兵士として「御国」のために闘ったとされる人だけが祭られているわけだ。しかも、その多くは自分の意志ではなく、赤紙で「行かされた」のであり、あそこに祭られている東条英機らの軍人たちがそんな人々の命をぼろぞうきんのように捨て去ったのだ。小泉が語る特攻隊だって、敵艦のそばにも寄れないような複葉機で死にに行った兵士もいるのだ。それは単純な自殺行為であるばかりか、軍人による日本人の殺人でもある。

 ある時、テレビでお偉い評論家がのたまった。

「それでも、東条英機は死してその責任をとったんですよ」

 ふざけるな。何百万人をも殺していて、たったひとりの人間が自決するのはただの責任逃れだ。そんなことが美化されて、歴史を直視しないこの国は、すでにあの時代に逆戻りしていると思っている。こんな国は、私の愛する日本ではない。一連の映画を見ていて、そんな思いをどんどん強くした。



投稿者 hanasan : 14:25 | コメント (0)

南正人と30年ぶりに遭遇 + 腰痛日記

南正人 昨日は歩かなかった。まぁ、時間がなかったのだ。というのも、6時半に大塚に出て中山うりとのインタヴューに立ち会うことになっていて、家で作業をしていたら、その時間がなくなってしまったのだ。だから、とりあえず、うちから恵比寿まで歩いて、山手線で大塚に移動。そこでインタヴューと相成った。といっても、自分はアシスト役で担当は別の若者。かなりいい文章を書くし、いいセンスもある青年で、どんな原稿になってくるのか興味津々だ。

 その後、写真の担当者と彼と一緒に新宿でちょっと食事。韓国食堂というところで、久しぶりに旨い韓国料理を食った。それで、ちょっと飲もうかと向かったのがネイキッド・ロフト。っても、その前にここにあった店を期待していたんだが、それはとっくの昔になくなっていた。そのネイキッド・ロフトではなにやらイヴェントがあったらしく、なんか入りづらいなぁ... と思っていたら、目の前にいるおじさんが「入れば」って声をかけてくれたんだが、どこかで見たことがあるなぁ... と思って、名前を尋ねると南正人だった。びっくり。なにせ、今から30年ほど前、岡山でプロモーターをしていた頃、彼のライヴをやったことがある。そのあと、確か一緒に広島に行ってライヴをやって、地元のプロモーターの自宅に泊まることになったんだが、それがちょうど瀬戸内海の沿岸にあって、真夜中に全員で海辺に降りていったのを覚えている。まぁ、つまらない話をしながら、のんびりとしていたんだが、そうしたら、知らないうちに海に入っていたのが南正人。そばを通る山陽本線を列車が走ると「夜汽車よぉ」なんて、海のなかから彼が叫んでいたのがめちゃくちゃ面白かった。

 と、そんな思い出話をしていたら、少しは当時のことを思い出したようで、「いやぁ、今日は僕の本の出版記念でライヴをやってたんだ」という話を聞くことになる。で、その本を見せてもらったんだが、それが『キープオン!南正人』というものだった。なんでも、以前に出版したものも含めて、新たに書いたものも一緒にして、さらにデビュー20周年のライヴDVD(1989年のものらしい)も加えて出版したんだとか。

 ん? となると、以前宝島で出版したものも入っているのか?と、気になった。なにせ、あれが出版された時、自分が雑誌の方に発表していた原稿を、自分には全く連絡することなく使用されていたといういきさつがある。当時の編集長は、(今じゃ、お偉いさんらしい)自分が書いた『ロンドン・ラジカル・ウォーク』のあとがきを書いてくれていたし、まぁ、いいかぁと問題にはしなかったんだが、あまり気持ちのいいものではなかった。

 というので見てみたら... 出ている。使われている。今回も、私はいっさい連絡も受けていないし、一銭の原稿使用料ももらってはいない。いいのかぁ?こんなことで。著作権というのがあるだろうに。少なくとも、連絡をしてきて、許諾を得るべきだろう。と、思いながらも、この原稿は素晴らしい。自分でも惚れ惚れするほどだ。っても、どこかで気負っていて、「期待」と「希望」が入り交じった文章であることは否めないし、そう信じていくんだという宣言のようなもの。それができるだけ多くの人に読まれるべきだという気持ちは今もある。だから、使われているのは嬉しいんだが... どこかで、「これでいいのかなぁ」と疑問に思っている。

 それから、新宿を離れて中目黒のバードソング・カフェから恵比寿のソルナへとハシゴ酒。結局、朝方まで飲んで帰宅した。全く不健康の極みである。結果として、依然として腰は痛い。まぁ、左臀部ですけど。

 それがあけて、今日は1日コンピュータに向かって更新作業。その後、10時ぐらいから歩き出した。今日のコースは自宅から恵比寿、中目黒を経由して、池尻大橋あたりまで。それから、目黒川沿いに歩いて、恵比寿で一杯飲んで帰ろうかと思っていたら、友人がコンピュータ関連で助けてくれというので、再び中目黒に出て... わずか5分でその作業をして、そこから一気に自宅まで帰ってきた。実際に歩いたのは1時間半ぐらいかな。帰ってきてから、これを書いているんだが、痛みは変わらず。慣れてきたのか、今の段階ではそれほど苦痛ではない。おそらく、これから寝る時にまたあの痛みを感じるんだろうけど....



投稿者 hanasan : 00:55 | コメント (0)

2006年04月05日

離日直前に「いちご白書」と「ジョニーは戦場に行った」を購入

いちご白書 ローマに来てからというもの、忙しかったり、PBG4のハードディスクが損傷して、数日間メールもチェックできないような状況に直面したり、同時に、データ用に持ち歩いている外付けのHDの一部も損傷するといった感じでにっちもさっちもいかなかったんだが、とりあえず、OSXでは仕事ができるようにはなった。ちょっとした時間の余裕もできた(はずはないんだけど、作った)ので、ひさびさにブログの更新です。

 アメリカの三味線ツアー(そのときの初日の模様はSmashing Magでレポートしています)から帰国して、結局、3日間日本にいるだけでローマに飛んできたんですが、日本を離れる瀬戸際に成田で見つけたのがこの本『いちご白書』でした。おそらく、10代の自分に最も影響を与えてくれた映画の1本がこれを下に作られた映画なんだが、残念ながら、DVD化されてはいない。わずかにレンタル屋さんに残っているという感じで、今じゃどれほどの人がこの作品を知っているかというとどうも疑問。それに、あの後、ユーミンだっけかが作った歌で、「軟派な映画のイメージ」を与えられたような気がして、本当の意味がどれだけ知れ渡っているかもよくわかりません。でも、いい映画なんですよ。

 簡単に言えば大学紛争のさなかに、女の子をナンパするつもりでストの中に入っていったノンポリが、ある女の子に恋をして次第に運動に巻き込まれていったというストーリーなんだけど、それは逆に当時の紛争がどれほど一般的な不条理に反駁していたか、そして、それを「不条理だ」ととらえる人間の感性が生きていたかを証明したようなものだと思っています。

 っても、そんなに難しいものではなく、結局は、いわゆる青春映画っていってもいいと思うんですけど、音楽はめちゃくちゃすごかった。今思えば、ほとんどニール・ヤングの映画のようなもので、この映画で惚れ込んでしまったのが「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」や「ヘルプレス」だったりするわけです。今じゃ、この映画のサントラも入手できないようで、確かうちにはどこで眠っているような気がするが、これもこのところ見つからないでいる。そのあたり、実に情けない。

 その原作を書いたのがジェイムス・クネンという当時の学生で、68年に起きた事件を下にしているんだが、映画を見たのは70年か71年だったように思う。この映画を見たとき、まだ15~16歳ぐらいだった自分がこの原作を読んだ記憶がかすかにあって、彼の名前もコロンビア大学の学生だったということも覚えているのはそれが理由ではないかと思うのだが、読むべき時にまた読めばいいと、これを買ったのだ。

 といっても、まだ、読み始めてはいないだけど、解説を書いているのが『放送禁止歌』を書いた森達也氏。彼とは一度会ったことがあって、ここに記されていることが自分とかなりの部分重なるのが面白かった。まぁ、チャンスがあれば、読んでみればどう?

ジョニーは戦場へ行った このとき成田で同時にもう一冊買っているんだけど、それが『ジョニーは戦場へ行った』という、やはり映画の原作。ひょっとして、このあたりはメタリカ・ファンだったら知っているんだろうけど、これも名作で、オリジナルは「ジョニーは銃を取った」。実は、アメリカのレッド・パージ(マッカーシーによる赤狩り、左翼弾圧)でハリウッドを追放されたドルトン・トランボが書いた本で、アメリカ・ニュー・シネマの流れのなかで、これも70年前後に日本に紹介され、いたく感動した作品だった。嬉しいことに、こちらはDVDが購入可能なので、こちらを見た方がよくわかるかもしれないけど、これも当時と同じように原作を読み直してみようと思ったわけだ。たしか、この映画にはドナルド・サザーランド(やはりニュー・シネマの代表作『MASH』の主役)やティモシー・ボトムズ(ピーター・ボグダノヴィッチ監督の名作『ラストショー』でも好演)が登場していて、第一次世界大戦を痛烈に批判した反戦映画なんだけど、当然ながら、これはヴェトナム反戦を念頭に置いて作られたはず。戦争で手も足も、顔も失った『芋虫』のような兵士が主人公で、なんとかメッセージを送ろうとする...そして、そのメッセージの内容はというと... と、これを書いてしまったらおしまいのように思えるから、見てのお楽しみという感じですが、これも頭をぶん殴られたような印象を持っています。

いちご白書 日本とアメリカじゃずいぶんと距離が離れているけど、実は、これは江戸川乱歩の名作
芋虫』とどこかで重なる部分があり、同時に、山上たつひこが「ガキデカ』で大ヒットする前に描いた傑作漫画『光る風』にもつながるのだ。さらに加えれば、これが、16歳の時に読んだ大江健三郎の傑作『セブンティーン』にも重なるのだが、まぁ、そのあたり、読んでみれば面白いと思う。偉そうに過激なことを口にしている人間は、あっという間に反動家となっていくという構図が後者二冊に共通しているんだが、青臭い『正義感』を持つ左翼が簡単に『右翼』へと変貌し、平和主義者が暴力主義者へと変わっていくか... それが見事に描かれていた。

 っても、これを読んだのは15〜16歳の頃。これを今読んでどう思うか... そんな興味を持って
いちご白書』と『ジョニーは戦場へ行った』を再読してみようと思う。さて、どうなることやら。


投稿者 hanasan : 23:05 | コメント (0)

2006年03月07日

マックにぶち切れ!

マックトラブル本 つい先日、今もマックが大好きだぁと書いたばかりなのに、うちのマックがトラブルに見舞われて、なんと6時間も格闘する羽目になってしまった。自宅のマックで、ほとんど音楽専用に使っているのが、懐かしのCube。すでに、保証も切れているので、わずか20GBしかなかったハードディスクを120GBのものに入れ替えて、それを二つにパーティションして、片方は完全にMac OS9.2.2で、そうして、もう一方はMac OSXにして使っている。そのあたりはずいぶん前にで書いているんだけど、あれ以来、ほとんど問題なくいい感じで動いてくれてたのね。そのときにお世話になったのが『Macintosh改造道—最強のチューンアップ解説書』という本で、ずっと調子の悪いDVD-ROMを入れ替えようかとも考えているけど、その値段が確か、4万円近いというので、これには手をつけてはいない。まぁ、実際、今となっては、ほとんど売っていないですからね、Cube用なんて。しかも、外付けがあまりに安いのに、そんなもの必要ないとも思うし。

 安定していたとはいっても、自動的にソフトウェア・アップデートをしていて、時折問題になったのが、なぜかインストール後の再起動でまたまた「再起動しろ」という奇妙なアラートがでること。起動し始めてブルーのバック・グランド画面が少し暗くなって、その上に黒字に白で書かれたこれが出てくるんですが、幾度か再起動を繰り返していくとなんとかなってたんですね、いつもは。実は、今回、同じようなことがあったんだけど、起動してもマウスを認識しなくなって... その原因が全然わからなくなったんですね。しかも、最悪の場合にはOSを再インストールすれば元に戻るのに、その途中でトラブルが発生して、インストールもできなくなったわけです。

 これにはひやりですね。当然ながら、ディスク・メインテナンス用のソフトでいろいろ確認するんだけど、これも途中でエラーが出てきて、にっちもさっちもいかなくなったわけです。当然ながら、MacOS9の方で起動して、そちら側から修復を試みたり... それでもだめ。大昔はこういったトラブルがけっこう頻繁に起きていたから、慣れっこにはなっているものの、OSXに関してはそれほど頼りになるメンテナンス用のユーティリティ・ソフトって持っていないし... おそらく、トライしても無理だったように思いますけどね。

Art Blakey & The Jazz Messengers というので、ディスクを初期化してまっさらな状態でシステムを再インストールするしかないかぁと思ったんだけど、そこで気がついた。じゃ、ここに入っている4400曲分のmp3がぶっ飛んでしまうわけ?そりゃぁ、ないだろう!ということになったわけです。だってさぁ、自分のCDをこつこつと入れて作ったファイルだから、これがなくなったら... と、想像すると、目の前が真っ暗になります。なにせ、ブルーノートのアルバムが約250枚分、1500番台と4000番台の最初の150枚分ぐらいは入っているわけで... というので頭を抱えた。おそらくベストなのは、まだ完全にクラッシュしてしまう前に、データをほかにディスクにバックアップして、それから、新規にシステムを再インストールすること。

 でもって、また頭を抱えることになる。おそらく、15台ぐらいは持っているだろう、外付けハードディスクも、データのバック用で、それを潰すこともできない... でも... というので、結局、DVDのデータを蓄積していた1台を潰すことにしてしまった。これにCubeのOSXをインストールしているパーティション分を完全にバックアップして、それからシステムを新規インストールするわけだ。もちろん、この時点ではこのバックアップが可能かどうかもわからなかったんだけど、めちゃくちゃ時間がかかったものの、なんとかなった。でもって、Cubeのディスクを初期化して、インストールが完了したときにバックアップと同期させるという形で元に戻ったんですが、このために費やした時間がなんと6時間。頭がぶち切れそうになりました。

 つい前日、I still love Macって言ったところなのに... なんてこったい!


投稿者 hanasan : 19:34 | コメント (0)

2006年01月27日

お前ら、ニッポンのガキ、なに知ってる?パカタレ! - パッチギのこと -

朝山実 正月、実家に帰った時、弟と映画「パッチギ」の話でで盛り上がった。彼も、やはりこの映画を見ていて、「泣けたなぁ」と話し始めたんだが、「あそこやろ?」と、「ウン、あそこや、葬式のな」と、ほとんどこれで会話が通じてしまうのがおかしかった。

 いつか友人から「映画の話を書く時にはな、書いたらアカンことがあるやろ」と怒られたことがあって、詳しいストーリーを書いたら、映画を見る楽しみがなくなる。ということもあって、ここであまり詳しくは書きたくないんだが、いつもは優しい在日一世のおじさんが葬式の最中に、主人公に向かって放った言葉で泣いた。

「お前ら、ニッポンのガキ、なに知ってる? 知らんかったら、この先もずーっと知らんやろ、このパカタレ!」

 1968年の時代背景があり、戦争が終わってまだ20年そこそこですでに僕らはなにも知らなかった。

「国会議事堂の大理石、どこから持ってきて、だれが積み上げたか知ってるか?」

 これを具体的に調べるすべを僕は持っていないが、朝鮮半島からさらわれて、日本に連れてこられた韓国朝鮮人が奴隷のように扱われていたことはいろいろな文献で見ている。このシーンで語られたことはその事実を僕らに告げているんだろう。映画は映画、作り事だというのは簡単だ。が、この話が「作り事」には思えないし、このほかに語られていることだってそうだ。が、当然のように、自分はなにも知らなかった。あの68年にまだ13歳だった自分は当然のように、そして、すでに50歳になった自分ですらも、このことをなにも知らなかった。あのおじさんの言った「パカタレ」のひとりが自分なのだ。おそらく、この映画で「この先、ずーっと知らんやろ!」と声をかけられたのは自分であり、ひょっとしてこの言葉こそがこの映画が僕らに突きつけているものなんじゃないだろうか。と、そう思ったら、涙が止まらなかった。

 もっとこの映画のことを知りたいと、原作と言われる書籍「パッチギ」を買ってきて、これも読んだ。といっても、ほとんど映画のまんまで台詞部分もほとんど同じだから、これは、この映画のなかで語られている「言葉」を再確認するようなものだったけど、松山猛氏の「少年Mのイムジン河」は、また未知の世界を伝えてくれた。

松山猛 この本を買ったのは、以前、映画「パッチギ」について書いた時に、このサイトで、松山氏の話を読んで「そうかぁ、彼の体験が映画の原案なんだ」と思ったのが理由だ。わずか1000円の、まるで子供向けに書かれたような、絵本のような内容で、30分もすれば全てを読み終えてしまいそうな簡単な本。でも、中身は濃い。それに、「長いあとがき」がとてつもなく興味深かった。そこに書かれてあったのは、彼と、あの映画の根っこになっている名曲「イムジン河」との出会いのことであったり、あの曲をフォーク・クルセダーズが歌うことになったいきさつや、当時の反応のこと、そして、松山氏が実際に韓国の国境線にあるイムジン河を見たときの話などが盛り込まれている。

 といっても、「イムジン河」という曲がどういったものかを知っている人も少ないんだろうなぁと思う。実際、自分自身、聞き覚えはあっても、詳しい話はとっくの昔に忘れ去っていた。今回、映画「パッチギ」を見て、歌を思い出し、上記の本を買って、さらに、オリジナルのままで再発売されたCD「ハレンチ」まで購入して、初めてその一端を理解できたように思えるのだ。

(ちなみに、このCD、ジャケットがLPサイズの限定版で、それとは知らずに購入してびっくりした。映画のなかでこのオリジナル、あるいは、それを模したLPが登場するんだが、なにやらそれを手にしたような錯覚に陥って、なんだが、嬉しかったなぁ。というか、それも戦略なのかなぁ...)

フォーク・クルセダーズ この歌のオリジナルの作曲はコ ジョンハン、作詞のパク セヨンとされていて... といっても、この歌を60年代に初めて耳にした松山氏は「朝鮮民謡」だと思ったとか。そのオリジナルを日本語に訳して、さらに独自の詞を加えて生まれたのがフォーク・クルセダーズのヴァージョンだった。これは、たまたま解散を記念して自主制作で300枚ほどプレスしたアルバムに収録されていたのだが、この曲よりも脚光を浴びたのが、同じくこのアルバムに収録されていた「帰ってきたヨッパライ」という冗談ソング。これがラジオでヒットして、それが彼らの東芝レコードとの契約に結びついていく。その結果、おそらく、シングルだと思うが、200万枚という爆発的なヒットを記録することになるのだ。実は、それに続くシングルとしてこの「イムジン河」の発売が決定し、実際にプレスされたようだが、いろいろな事情で発売中止、存在したものも全て回収されたという話が伝わっている。当然ながら、発売中止を受けて、以降、これが放送されることはなくなった。そんな状態が数年前まで続いていたのだ。

 なぜこの曲が発売中止になったのか... 諸説あって、真相はまだ明確にはなっていないように思う。松山猛氏の本にもそのことに関しては詳しくは触れていないし、ネットで調べても明確な答えは出てこない。小林たかし氏による報告教えて!gooコミュニティ3asian.comあたりも参考になるし、この曲が再び日の目を見たことについて書かれている、ハンギョレ21も興味深かった。いずれにせよ、「政治」の波に飲み込まれてしまったということなんだろうが、自分が知る限り、このオリジナルが朝鮮民主人民共和国のプロパガンダ的な色彩を帯びたものに対して、フォーク・クルセダーズのヴァージョンは国境や壁のない世界を希求した、どこかで優しいプロテスト・ソングだったんだろうと思う。

 それに対して、これが「盗作だ」とか騒いでいる人々もいたし、今もいるみたいだが、歌は生き物であって、なにもかもを忠実に「再現」する必要はないと思っている。ウッディ・カスリーがそうやったように、民謡のメロディにのせて、どんどん自分の言葉をのせていった人もいるし、高田渡がやったことだってそうだった。それでなにが悪い? と、思ってしまうんだが、少なくとも素晴らしいメロディを作った人への敬意が表されていれば十分だろうし、著作権の使用料を支払っていればなにも問題はないだろう。今回、この「イムジン河」のことを調べていて思ったのは、そういったビジネスや政治が、本来自由だった「歌」さえをも「檻」に入れてきた現実。僕ら、まだ、「越えられない河」を抱えているというのが悔しくもあり、悲しくもある。そして、再び、この発売中止によって生まれた名曲「悲しくてやりきれない」を思い出すのだ。なんでも、「イムジン河」を逆回転させて作ったのがこの曲だとか。そんなささやかな抵抗が、また、名曲を生み出していく。音楽とは、なんと不思議なものなんだろう。


投稿者 hanasan : 07:57 | コメント (0)

2005年12月29日

向き合おうよ - 韓国と日本 -

好きになってはいけない国 おそらくは、朝鮮戦争が終わった50年代半ばの、日本から10年ほど遅れての終戦(休戦が正しいんだろうが)から60年代、そして、軍事独裁政権によってオルタナティヴな文化が潰される始める75年までに生まれ、育った韓国の歌、音楽、ロックに大きな魅力を感じているのはキム・ホン・タックやシン・ジュン・ヒュンというとてつもない才能を持ったギタリストの発見に端を発しているし、ハン・デー・スーを体験したこともその要因となっている。想像するに、全体主義の元でも、どこかで育っていたオルタナティヴな音楽があったに違いないし、音楽や文化が表層で潰されることはあっても、そのずっと根本で確実に生きていただろう、そうした世界はこれから徐々にでも探り当てていきたいと思う。まぁ、これは自分がこれまで様々な音楽を取材してきての体験からきているんだが、どれほどの圧力があっても、文化が死に絶えることはない。文化とは人間そのものであり、人間を根底から支えているものだと思うからだ。それは同じような歴史を歩んできたアイルランドや沖縄、バスク、カタロニア、ガリシア... あるいは、軍事独裁政権の元でたくましく生き延び、進化していった南米から東南アジア、東ヨーロッパの音楽など、調べ上げれば限りなく出てくるだろう、そういったエリアの音楽が今も脈々と生き続けていることが雄弁に物語っている。

 いずれにせよ、こういった音楽再発見から韓国に関する本を読み始めている。その文化の歴史の一部分を教えてくれた最初の一冊が「日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追って」だったことはすでに記した。それから、いろいろな本を物色しているんだが、なかなかいいものが見つからない。韓流ブームに乗っかって、かなりの韓国本が見つかるんだが、当然ながら、売れてもないロックやフォークやアンダーグランドな文化が商品になるわけはないし、そんなことについて記されたものは、前述の本を除けば皆無に近い。ひょっとしてまだまだ探し方が不足しているのかもしれないけど、実際のところ、今の韓国のロックなんぞマーケット的に見ればああまりにも力がなさすぎる。韓国内でさえ、全マーケットの売り上げの10%にも満たないのがロックだという話を聞いたこともあるし、ダンス・ミュージック系のクラブはあっても、ライヴができる小屋はソウルを除けばほとんどないという噂もある。日本から見ればそんなものにビジネス的な魅力がないのは当然だし、書籍になって出てくることはまずないだろう。といっても、実は、それは日本とて同じことで、オルタナティヴな音楽や文化と呼べるものがどれぐらい売れていて、影響力があるかといえばかなり疑問だ。もちろん、何がオルタナティヴなのかを語るのは容易ではないかもしれないし、そう見えていても、実は、そんな看板を持っているだけのものも多々ある。インディなんてその典型で、日本の現状を考えて、それをきちんとした(現状を見た)訳語で書けば... 「大手ではないという看板を持っただけのレコード会社」ってことになるのかしら。なかには良心的なものもあるんだろうけど、メジャーのレコード会社の人間が「インディ」セクションをやってます...ってアプローチされたりすると、けっこう笑ってしまうのだ。

 それはともかく、韓国、そして、いわゆる若者文化につながるものを読もうとして買ったのが「好きになってはいけない国 韓国発!日本へのまなざし」という本だった。といっても、ここで扱われているのはマスの文化で、インディもパンクもロックもオルタナティヴも関係ない。ただ、韓国の若い人たちが日本の大衆文化に対してどういった見方をしていて、それの根拠がどこにあるんだろう... と、取材を重なっていった記録を残しているという構成だ。韓国のごく一般的な若者達、子供達の感覚が手に取るようにわかるという意味で、それなりに面白いんだが、この「ウケ狙い」のタイトルからも想像できるように、どこかに希薄さを感じざるを得なかった。特に、著者の現状認識に関するあまりの甘さが「ここまでの本」にしているんだろうと思う。

「あれほど謝罪しているのに、なぜ韓国が日本を嫌うのか?」

 と、まぁ、一般的な言葉を使えばそういった意識が見え隠れするんだが、問題は「謝罪」ってなによ?という疑問なのだ。「ごめんなさい」と謝っていればそれでいいわけ?では、実際に、誘拐されるように日本に送り込まれて、奴隷のように強制労働を強いられた人たちに対して、どういった補償がされたの? よしんば、日本に来たのが自らの意志だとして、その根拠となる「理由」が日本による搾取の結果として、現実問題として「追い込まれていたら」それを単純に「自分の意志で」と言い切れるのか? 「従軍慰安婦」... というよりは、女性の人間としての尊厳を踏みにじって強制的に売春をさせられた人たちに対して、政府がなにをしてきたのか?それが、仮に「政府は関知しない私企業による暴力だった」としても、そういった「私企業」が、被害者に対してどういった補償をしたのか?ドイツではユダヤ人に対する虐待、大量虐殺、強制労働に対して私企業も補償をしている(していないアホ企業も若干あるという話は聞いている)というのに、では、日本の企業は?

映画日本国憲法 そういった各論に関しては上げていけばきりがないだろうが、さらに大きな問題は「政府」の姿勢なのだ。死んでも人間を差別し、「英霊」と呼ばれる元軍人を「戦争の犠牲者を祭る」という詭弁で、国の長たる首相が靖国神社に「参拝する」ということがなにを意味するのか? あそこには、東京のみならず、日本中の大都市への大空襲で、広島と長崎の原爆で、あるいは、日本軍に虐殺された沖縄の住民、戦争に反対して虐殺されていた人たち、そういった戦争の犠牲者は祭られてはいないのだ。その一方で、「英でた霊」、要するに、優秀だった霊が祭られているのであり、そこには第二次世界大戦で数え切れない犠牲者を生み出し、国土を破壊し、他国を破壊した張本人も含まれている。それはヒットラーやムッソリーニに肩を並べるファシストなのだ。それを「お参りする」ことが、どこでどう「国際平和」につながるのか? さらに加えて、第二次世界大戦の反省から生まれた「謝罪」であり、同時に「恒久平和の祈願」とその実現への「宣言」である憲法を「解釈」をいいわけにないがしろにしてきたのが政府。すでに、先進国と肩を並べる以上の戦力を保持し、植民地のように国民の土地を奪い、常時5万人と呼ばれる米軍人を抱えているではないか。しかも、それがアジアの国々にとって脅威でないわけがないだろう。さらに加えて、教育基本法の改悪から有事関連法の成立と、並べていったらきりがない「再軍備」が進んでいるのだ。しかも、「謝罪」と「不戦の誓い」だった根本である憲法までをも変えようとしている。その状況を確固たるものにするために情報管理と「詭弁」による洗脳が進んでいるのが現状だ。これで「日本が謝罪している」と、どう解釈できるのか?問題はここにある。

 が、この本の著者は本当にこういった日韓のみならず、日本と世界との関連のなかで、権力によって作り出された「歴史」ではなく、底辺に生きる普通の人たちの「歴史」に向き合っているんだろうか?そんな疑問をぬぐうことができなかった。当然ながら、戦後生まれの人間達にとって「過去を変える」ことはできない。が、その過去に真摯に向き合い、戦後60年を過ぎても本質的な部分での「謝罪」ができていない現状に対して、「政府」を選んで、作っている「私達」ひとりひとりが責任を持つべきだと思うのだ。その上で韓国人、日本人ではなく、人間と人間のつながりを作っていくという視点が求められているように思う。



投稿者 hanasan : 17:53 | コメント (0)

2005年05月26日

おまけにゃ負ける

UNCUT イギリスを旅するというか、仕事絡みで、あるいは、「流れ」でイギリスに行くことが、年に数回あるんだが、帰国するときに必ず手を出すというか、買ってしまうものに雑誌がある。たいていは音楽雑誌や映画雑誌なんだが、実を言うと、国内でそういった雑誌を買ったことはない。もちろん、大昔、まだまだ雑誌でしか情報が得られなかった時代にはよく買っていた。好きだったのはレコード・コレクターズやミュージック・マガジン。といっても、後者の一部、反論もできないようなところでぼろくそに書かれてから買わなくなった。だって、そうでしょ。そんなものに金を出す気になれますか?っても、そういった雑誌を買っていたのは広告をチェックするためで、興味をそそられるわずかなものを除いて、原稿を読むことはあまりなかった。なぜ広告かというと、小さな輸入盤屋さんが独自の趣味や指向で興味深いアルバムを扱っていたりして、それを見ているとわくわくしたし、「本当に音楽が好きなんだなぁ」という気持ちを共有することができたからだ。

 でも、それも昔のこと。今ではMac関連や食べ物関連以外、ほとんど雑誌を手に取ることはなくなった。「そば」の特集とか「スシ」の特集とか... そのあたりには弱いし.. 一時は「きょうの料理」なんて雑誌を買いながら、料理に打ち込んでいたこともある。が、結局は、資源ゴミでいっぱいになって、棄てるのがオチ。というので、このところ、「勉強」になるMacの雑誌ぐらいしか買わなくなったのだ。これもこのごろではあまり「勉強」にならなくなってきたから、惰性で買っている感は否めいないけど。

 ところが、イギリスから帰るときには、必ず音楽雑誌と映画雑誌を買ってしまうのだ。それはなぜか... 要するに、おまけに弱いのだ。しかも、そのおまけが面白い。めちゃくちゃ面白い。

 例えば、前回イギリスに渡ったのはイタリアでのBanda Bassotti取材の直後で、その帰りに買った雑誌のひとつがこのUNCUTというもの。ご覧のように、私の大好きなザ・バンドの大特集で「知られざる物語」なんてのが掲載されているんだが、嬉しいのは、ここにCDがおまけで付けられていること。タイトルは、彼らのボックス・セット『Across The Great Divide』をそのままいただいたもので、その下に赤で『Music Inspired By The Band』と書かれている。要するに、ザ・バンドの特集と言うことで、彼らに触発されたアーティストの作品を集めてみましたという内容で、収録曲は16。リストを見ると、Mercury Revの「Opus40」、Drive-By Truckersの「Danko/Manuel」、Little Featの「Rag Mama Rag」、Brinsley Schwarzの「Silver Pistol」、Wilcoの「Theologians」、Will Johnsonの「Just to Know What You've Been Dreaming」、Grandaddyの「Lost On Yer Merry Way」、Ray LaMontagneの「Narrow Escape」、Corey Harissの「Frankie Doris」、The Gourdsの「Dying Of The Pines」、Procol Harumの「The Devil Came From Kansas」、Ben Weaverの「Old Mule」、Marc Carrollの「No Time At All」、Sparklehorseの「Painbirds」、Sufjan Stevensの「For The Widows In Paradise, For The Fatherless In Ypsilant」、そして、The Bandの曲「King Harvest (Has Surely Come)」が収められている。

 正直言って、ここに並べられているアーティストの半分ぐらいは名前も聞いたことがない。それでも、雑誌の値段は4.20ポンドということで、1000円弱。それで、これだけの音楽を楽しめるんだったら、充分に元を取れるし、なによりも、ここに収録された曲を聴きながら、ザ・バンドのどんなところに触発されたのかを確認するのも面白い。実際のところ、これまでもこういった雑誌におまけで収録されている曲で新しい発見をしたことは幾度もあるし、こんなものをきっかけにこういった未知のアーティストのアルバムを買い始めることも少なくはなかった。素晴らしいプロモーションなのだ。

NME cassette しかも、雑誌でチェックしてみると、選曲をしているのはRoy CarrとAllan Jones。後者は知らないんだが、前者はよく知っている。っても、面識はないんだが、25年ほど前、イギリスに住んでいた頃、よく買っていたNMEという音楽新聞のおまけでいろいろなコンピレーションをつくっていた人だ。まぁ、それもおまけのようなもので、数週間分のNMEを買って、そこに掲載されているクーポンを集めて申し込むと、結構面白い独自企画によるコンピレーションがめちゃくちゃ安い値段で購入できるというもので、初期のものは全て集めている。

 その第一弾が『Rough Trade』と題されたカセットで24曲入り。値段は覚えてはいないけど、1ポンドとか2ポンドとか、まぁ、子供のお小遣いのような値段で発売されたはずだ。懐かしくてたまらないんだが、ここに収録されているのはScritty PolittiとかThe beat、Wah! Heatと始まっていくんだが、全てを記すのはかなり面倒なので、割愛させてもらうけど、Robert WyattやIan Duryなど、大好きなアーティストの曲がてんこ盛りで、こういったものを通して新しいアーティストを発見していった。貧乏人丸出しだった当時、こういった企画がどれほど音楽好きを助けてくれたか... そして、ヴァイナル・ジャンキーと呼ばれる「好き者に」自分を育ててくれたか計り知れない。まぁ、そういった戦略にまんまとのせられていったということなんだが、それでも「単純な宣伝力」だけでしか「音楽を知ることがない」状況を打破してくれたのがこういった流れだったように思う。

 おそらく、これが大成功してどんどんシリーズが発展していくんだが、このあとに登場したのが過去の素晴らしい音源を集めたもので、スタックス・ソウルからアイランド・レーベルのレゲエもの、ブルーノートのジャズと、それまで普通には耳にするチャンスのなかったものが発表され、またまた音楽の深みにはまっていくことになるのだ。そのあたりの話は20年近く前に発表した本『ロンドン・ラジカル・ウォーク』のここに書いているので、暇があったら、読んでもらえればと思うのだが、後に、単純に過去の音源を集めるだけではなく、テーマに沿ったオリジナルのレコーディングを集めるものまで登場することになる。それがどれほど素晴らしかったかは別の機会に書いてみようと思うが、イギリスではこういった『雑誌におまけCD』というのがごく普通に行われているのだ。

 話がUNCUTに戻るけど、読み物としてザ・バンドの話が登場し、それを裏付けるように音楽を耳にする。そして、音楽の魅力にまたはまっていくという... 音楽ジャンキーにはたまらないのが、このおまけ付き。それが理由なんだろう、この時他にもいっぱい雑誌を買っている。MOJOという雑誌ではJoy DivisionのIan Curtisが亡くなって25年だというので、その特集を組み、78年から2005年にまで至るポスト・パンクの音源を15曲集めたコンピレーションCDが付けられていた。っても、私ゃ、カウント・オージィやドクター・ジョンの話の方がそそられたけど。それに、もう一冊買ったWORDという(これは音楽雑誌じゃないけど)雑誌ではEverything But The Girl他(全然知らない人ばかりだったけど)10アーティストの曲が入ったCDがついていた。

 CDの他にもDVDのおまけが付いている雑誌もあって、今回はなんか全然面白くないB級映画がついてきたし、雑誌によっては予告編を集めまくっているものもある。っても、日本での公開なんてずっと先だから、これを見ているだけでも楽しい。もちろん、監督や俳優とのインタヴューも収録されていて、なんか得した気分になるのだ。実をいうと、そんなおまけで手に入れたのがジョー・ストラマーが出演していた映画で去年か一昨年だっけの朝霧ジャムで上映された「Straight To Hell」。タダです。これ。信じられます?

 一方で、こういったことがなぜ日本でできないのか?かつてデジタル・メディア作りの仕事を手伝っているときにわかったのだが、JASRACのせいなのだ。要するに、使用している音源の楽曲著作権(作曲、作詞に関して)使用料を支払わないと不可能なのだ。ここで、常識的にわかるのだが、雑誌の場合、通常のレコード以上の枚数をプレスしなければいけない。20年ほど前のNMEでさえ、週刊で15万部ぐらいだといわれていたから、ここにおまけを付けるとなるとヒット・チャートに登場している作品と同じぐらいの金額を支払う必要性がでてくるのだ。そりゃぁ、無理だろう。加えて、音源を持っているレコード会社がどれぐらいこういったことを理解してくれるかも未知数だ。連中の発想としたら、「なんでタダでレコードを上げなければいけないの?」ってなことになるんだろう。

 それなのに、なぜイギリスでこれが可能なのか... 実は、こういった動きの最初が、まずインディから始まっていたことが第一の理由。柔軟な発想を持つ彼らはこれが有効なプロモーションになることを充分に理解して、結果をつくっていったからだ。そういった動きに、最終的にメジャーもおれていくということになったのだ。

 さらに加えて、JASRACのような組織が、当然、イギリスにもあるのだが、彼らはプロモーション目的による配布に関しては楽曲著作権使用料を免除しているという話を聞いたことがある。だから、こんな大それたことが可能なんだそうな。実際、ぼったくり組織にしか思えないJASRACにこの件に関して何度も問い合わせをした結果、JASRACや国内の音楽出版社と著作権契約をしていない、海外の楽曲に関しては、本来の楽曲著作権を持つ人(や会社)が使用料支払いを免除するという証明があれば、そういったことが可能であるとの話を聞いて、同じようなことをしたことがある。あの時はCD-Rによる雑誌だったのだが、ここでは音楽をきちんと視聴できるようにした作品をつくったものだ。といっても、小規模なものだったから、それほど相手にされなかったのかもしれないが、少なくともこういったプロモーションによって未知の音楽に触れ、実際にある程度の売り上げをつくることができたことはきちんと伝えておきたいと思う。

 さて、そんな面白いことが20年以上にわたってくり広がられているのがイギリス。それに対して、ほとんどそれができないのが日本。その違いがどこにあるのか、じっくりと考えてみたいものだ。加えて、JASRACへの使用料のおかげでどんどんつぶされていっているのがジャズ喫茶やロック喫茶。こと、ジャズに関する限り、ジャズ喫茶なくして、世界で最も大きいといわれるジャズのマーケットはできなかったはずだ。そういった「本当に音楽を愛して、知らしめている人たち」をつぶしていくってのはどういう意味なんだろうかと思う。そんな意味で言えば、ミュージシャンや作曲やといった人たちを守るという建前の下で、実は、確実に音楽を殺しているのがJASRACじゃないだろうかと思えるほどだ。音楽に関わる僕らはこういった問題を避けては通れないはずなんだが、不思議なことに真っ向からこういった問題に戦いを挑んでいったメディアもジャーナリストもほとんど目撃したことがない。なででしょうね?



投稿者 hanasan : 23:54 | コメント (0)

2005年05月03日

いかん、渡が離れない

バーボン・ストリートブルース 結局、高田渡を送る会には出かけていくことができなかった。悔しかった。仕事のせいなんだが、自宅でコンピュータに向かい合い、原稿を書きながら、こんなことよりももっと大切なことがあるようにも思いつつ、単純に生活のための仕事もでないというジレンマにイライラしていたということか。

 彼の死のニュースを聞いて、アナログでしか持っていなかった『Fishin' On Sunday』のCDと同時にこの本、『バーボン・ストリートブルース』を購入した。それほどの分量がある本でもないので、一気に読んだのだが、ここでまた高田渡に惚れ込んでしまっていた。

 貧しくて仕方がなかった子供の頃の話から、10代の頃に三橋一夫さんと出会っていたこと。実は、自分にとっても、「歌」に向かわせた大きなきっかけのひとつが、彼の書いた『プロテスト・ソング』という本で、確か中学生の頃に読んだ記憶がある。ここで音楽が持つ力に圧倒され、その流れのなかで岡林信康といった人たちの作品に接することになるのだ。といっても、高田渡のアプローチには、すでにあの頃から、(まだ、彼が10代だった頃から)どこかでクールなスタンスがあったようで、直接的な言葉による表現の「嘘っぽさ」を感じていたことなども記されている。といって、他の人たちを非難しているわけでもないんだが。

 彼との年齢差はわずか6歳だというので、この本に登場する人たちにも懇意にしている人がいたり、同時に、同じ現場に自分もいたということで、大きな接点を感じていた。アルバムを通して知ることになった詩人の、山之口貘のことやら金子光晴氏との出会い、そして、永山則夫のこと... 自分も大好きだった『ミミズのうた』のことなども書かれているのだが、気になっていたものが全てここで語られていた。

 わずか1500円程度で買える本だから、少なくとも彼の音楽が好きな人にはぜひ読んで欲しいと思うのだが、この本が、いわゆる音楽関係の出版社ではなく、山と渓谷社から出版されているのが興味深い。音楽や歌と言った意味で、おそらく、とてつもなく重要なことが書かれているのに、音楽の出版関係の人にはそれが全く理解できていなかったということなんだろうか、あるいは、渡に経済性を全く見なかったということか... そうかもしれない。なにせ、4年ほど前に出版されているのに、今回買ったのは初版で... 全然売れていなかったんだろうと察する。

 でも、歌や言葉のこと、詩のことについて、渡が語る言葉は実に鋭いし、なぜ音楽なんだろう、なぜ言葉なんだろう、なぜ歌うんだろうといった諸々の、最も重要な部分が彼の口からすんなりと語られているのが嬉しかった。同時に、その本で「死ぬまで歌う」と書き、「酒が飲めなくなったときにパタンと死ねたら最高だと思う」というくだりがあって、なんだか全てを見透かしていたようにも感じる。まぁ、そのあと、ホルマリンならぬ、酒漬けにして保存していたら生き返るかもしれないとも書いているのだが、そんなことをしなくても渡は生きている。先日も、同世代の友人と話していたんだが、「渡が死んでから、渡ばっかり聞いてんねん」なんてことになった。死んでしまったことが、きっかけになって昔のアルバムを引っ張り出して聴いているという、自分の冷たさにもあきれるんだが、自分も同じようなもので、彼の作品の素晴らしさをいやというほど思い知らされているというのは以前書いたとおり。しばらくは、渡の歌がこびりついて離れそうにないのだ。



投稿者 hanasan : 07:38 | コメント (0)

2005年02月17日

ひさびさに本にちょっと執筆

ライヴ・エイドの軌跡 このところ、ネットの仕事や写真の仕事(全然金にならないんですが)ばかりに時間がとられていて、本来の「ものを書く」という仕事がなかなかできないという状況が続いている。取材をして、ものを書くことのおもしろさは、新しい世界を知ることができたり、勉強ができたり、新しい刺激を受けたりと、そんなところにあるんだが、そのための資金も時間もないといった感じかねぇ。それに、営業に行く時間もないし...

 と、そんな状況が続いていたんだが、昔から仕事をしていた関係の人からたまに原稿執筆の依頼がやってくる。これもそんななかのひとつで、実は、依頼されたとき、単行本の原稿だとは全然思っていなかった。というか、しっかりと雑誌の原稿だと思っていたわけで、自分がかなりおめでたいと思う。(笑)

ライヴ・エイド 書いて欲しかったことは、80年代半ばのイギリスの音楽と政治の状況。それこそがずっとこだわり続けて取材していたことで、実は、ここ数年、毎年春になったらイタリアのローマに飛ぶのも、そんな流れのなかで生まれたことだと言っていいだろう。それに関しては、また書くことになると思うが、ともかく、あの頃のイギリスは限りなくホットだった。サッチャー政権に対抗して労働党政権を作ろうとミュージシャンたちが政治圧力団体を作って動き出していた。その中心人物となったシンガーソングライター、ビリー・ブラッグは84年から取材を続けていた人物で、もうひとりの中心人物はNMEというメディアの当時の編集長で、彼も友人だった。レッド・ウェッジと呼ばれるこれの最初の記者会見に顔を出して、ミュージシャンたちと話をしたこともある。その中のひとりが、ドクター・ロバート。ブロウ・モンキーズというバンドのリーダーで、彼の口にした言葉にはびっくりしたものだ。

「売れなきゃ、誰もなにも聞いてくれないから。今、やっとはっきりと政治的な表明ができて、影響力を与えることができる」
 と、その確信犯的な彼の言葉に、こんな人間が日本にいたらなぁ... と思ったものだ。

 その前に、バンドエイドが起きていたんだが、あの時は、こういった動きに興奮して... というか、すごく嬉しくて、バンドエイドの事務所の取材もやっていた。その倉庫には全英から送られてきた救助物資が山のようにあって、その写真を撮影して事務所で働くスタッフの方々とインタヴューをして... その前後に、グラストンバリーでボブ・ゲルドフを捕まえてコメントをもらったり... そのとき録音したテープは、初めてグラストに出演したポール・ウェラーがステージでコメントするだろうと思って、友人にそのテープを渡して録音してもらおうとしていたら、マネージャーにみつかって(笑)結局、破棄されてしまったという、笑えない事故があった。なにせ、あのテープが残っていたら大スクープで、それだけでメジャーの雑誌に原稿を書けたはずだ。まぁ、メジャーの雑誌に覚えているコメントだけで原稿は書いているんですが。

 と、まぁ、その当時の話をこの本の7ページをもらって書いている。関心のある方は読んでくださいませ。



投稿者 hanaoyaji : 00:10 | コメント (0)