2008年01月23日

カンバラクニエの新しい本

カンバラクニエ 昨年の正月過ぎに実家から上京する途中に立ち寄っていたのが京都。いつもここで友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス奏者、中村雅人(通称、マサやん)のところに世話になって飲むというのがここ数年の流れで、そのときによく出かけるというか、連れていかれるのが高瀬川沿いの料理屋、くずし割烹 枝魯枝魯だ。「ぎろぎろ」と読むのだと「覚えた」のは最近で、ネットで検索したら、けっこう有名な店らしく、いろんなところに顔を出している。まぁ、そんなことは全然知らなくて、いつも京都ではマサやんにいろいろなところに引き回されながら、楽しく飲むのだが、彼の周辺にいる興味深い人に出会うのは、たいていここか、eFishという、五条大橋のそばにあるカフェだ。そんな場所でユニークなことをやっている友達作りが広がっていくという感じかなぁ。

 そのくずし割烹 枝魯枝魯で、昨年の正月に出会ったのがカンバラクニエさんというイラストレーターとつじあやのさんというシンガー・ソングライター。とはいっても、その時点で二人ともほとんど知らなかったんだが、あのあと、『カンバラクニエ作品集』という本を買って、「なるほど、なるほど、そういう絵を描くのか...」 と、納得したり、つじあやのさんの『BALANCO(バランソ)』というアルバムを買って、「うん、いい歌を書く人だなぁ」とちょっとはまってしまったり... 去年の夏はそのつじあやのさんがフジ・ロックに出るというので、オンタイムで情報を発信するFuji Rock Expressで、彼女のライヴ写真も撮影していて、それはここでチェックできる。

 残念ながら、今年の正月は東京で用事があったり、6日に友人がベースを担当しているバンドのライヴがあるというので、京都には立ち寄ってはいない。というよりは、実をいえば、友人のマサやんは正月そうそうロンドンに飛んで演奏していたらしいし、カンバラクニエさんはつい先日発表した新しい作品集『ECHO』の準備で大忙しで、一緒に飲む仲間がいなかったことも理由のひとつ。ホントは、京都には面白い店がいっぱいあるし、のんびりしたい町なんだが、今年はちょいとパスしたという感じかもしれない。

カンバラクニエ さて、カンバラクニエさんの『ECHO』が発売され、今、東京で個展を開いている。詳しくは彼女の公式サイト、クニエ会をチェックしていただければいいんだが、東神田のフォイル・ギャラリーで、1月18日から2月11日まで開催されていて、先日、マサやんと一緒に初日のレセプションに出かけてきた。とはいっても、結局、マサやんと一緒にけっこうな量のワインなんぞを飲みながら、うだうだしていただけのような気がしますが。

 なんでも25日にはカンバラクニエさん、つじあやのさん、そして、彼女たちの友達である大宮エリーさんと、なにやらかしましい女性がそろってトーク・イヴェントがあるようなんだけど、定員が50名ですでにパンパンになるんだそうな。それは無理にしても、もし時間があれば、彼女の個展を覗いていただければと思う。本で見るよりもでっかい実物を見ると、また違った趣があると思うし、なにやら発見があるかもしれません。

 それはそうと、先日、某レコード会社に面白いバンドのプレゼンに行ったとき、たまたまそこがつじあやのさんのアルバムを発表している会社で、彼女の新しいアルバム、『Sweet,Sweet Happy Birthday』を聞かせてもらえることになった。正直言って、「愛」の連発は... 私には似合いません。でも、ステキなシンガー・ソングライターだというのには変わりなく、楽しませていただいています。

 それにしても、友人のことを書くと、どうしても「さん」抜きにはできないというの... なにやら奇妙な感じがしますが、仲間の情報もなんとかお伝えしたいと思うのです。


投稿者 hanasan : 20:07 | コメント (0)

2008年01月06日

Fermin Muguruzaの写真集付きDVD到着

Fermin Muguruza ずいぶん前にフェルミン・ムグルサから連絡があって、「今度写真集を出すんで、写真を使わせてもらえないか」と依頼を受けていた。もちろん、速攻でOKの返事を出しているんだが、どんなものが出てくるんだろうと思っていたら、あれから数ヶ月を経て仕上がった作品が届いた。タイトルはシンプルに「Fermin Muguruza "Afro-Basque Fire Brigade" Tour 2007」となっていて、サイズはほぼ7インチのアナログ盤で、厚さは表紙を含めて1.5cm。約200ページに及ぶワールド・ツアーの記録が写真集として構成されていて、最後にDVDがつけられている。

 このDVDは18/98と名付けられた2006年のツアーのチャプター、2007年のツアーのライヴ映像のセレクションに加えて、ロード・ムーヴィーの名の下に50分によるドキュメンタリーも収録されている。これ一冊でフェルミン・ムグルサと彼のバンドが世界中でどんな活動をしていたのかが手にとるようにわかるのが嬉しい。

 自分の写真が使用されているのは今年4月にスペインの南部、バルセロナとヴァレンシアの中間あたりで開催されたヴィーニャ・ロック・フェスティヴァルで彼らと合流して向かった、フェルミンの地元、バスク・カントリーのパンプローナにあるトーテムという小屋での写真とフジ・ロックのオレンジ・コートに出演したときの作品で、わずかに4点。ひょっとしたら、表紙に使われているものの1点もそうかもしれないが、定かではない。本音を言えば、他にもいい写真はあったんだけど、これは彼のセンスなんだろう。だから、全く文句を言うつもりはない。なによりも、作品を掲載してくれたこと、そして、きちんと自分の名をクレジットしてくれているのが嬉しい。

Fermin Muguruza 単純に個人的なレベルでいえば、自分の友人や仲間たちがちらほら顔を覗かせているのが嬉しいのだが、大きな発見は写真集としての出来の良さと同時に、フェルミン・ムグルサという人物が我々の想像を遙かに超えて世界中で支持されていることを再認識させてくれることだろう。彼らがツアーしているのはヨーロッパはもちろん、その東の端とも言えるロシアからキューバを含む中南米にアジア。本当は、中国もツアーの地として計画されていたのだが、ドタキャンとなったという話も届いている。いずれにせよ、彼らが英米のバンドの「ワールド・ツアー」を遙かに超えるエリアを旅しているのが面白いのだ。

 しかも、ライヴの会場には数万人を集めるフェスティヴァルからデモや集会までもが含まれる。そこに力ある音楽、リアリティある音楽を垣間見ることができる。彼らの音楽がどこから生まれ、どういった広がりを見せているのか... それが要だと思うのだ。

 加えて、写真集には彼らの視線が見える。この写真集に掲載されているのは単純に彼らのライヴの模様だけではなく、旅の記録もあれば、それぞれの地で彼らが目にした、体験したことが含まれている。通りにたたずむホームレスや眠りこけるサラリーマン。カフェの壁に書かれたジョー・ストラマーの絵から、山のように積み上げられた中古テレビ... 何げない日常をどう見るか、なにを見るか、そこになにかを感じさせるのだ。それがなにかを雄弁に語りかけてくる。かっちりとしたライヴの写真であろうと、ちょいとピンぼけでも同じこと。それが写真であろうと、音楽であろうと、文章であろうと、変わらないと思うのだ。その視線を持つなにかに自分は共鳴しているように思える。

 いろいろ検索してみたんだが、日本でこれを入手するのは、難しそうなんだが、ひょっとしたら、どこかで手にはいるかもしれません。気になる人はチェックしてみてくださいな。


投稿者 hanasan : 15:02 | コメント (0)

2007年11月05日

淡谷のり子に闘うアーティストを学ぶ

淡谷のり子 少なくとも公の場で書くという意味において、このブログに関しては慎重に文章を書こうと心がけてきた。それは当然のことなんだが、そのせいもあって、更新する頻度がかなり落ちているのも事実。毎日毎日いろいろなことを経験して、いろいろなことを伝えたいのに、それもできない状況が続いているわけだ。もちろん、仕事としてやっているSmashing Magの更新作業をまずは優先しなければいけない。実際、撮影したのに写真をアップできないほど忙しいということもあり、それをさしおいて、こっちを更新するのは申し訳ないという気持ちもある。でも、それはそれでまた心苦しいというので、(もちろん、書いていることには責任をとるのだが)もう少し、気楽に書いていくことにしようと思う。そうじゃないと、なかなか更新できないんですよ。

 で、ここ数ヶ月で読んだ本で実に面白かった... というか、勉強になった『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』のことを書き残しておこうと思う。

 いつだったか、終戦のことを書いたような記憶がある。あれって、ひょっとしてmixiに書いただけだったかもしれないんだが、終戦記念日になぜか伝わってくるのは重苦しい雰囲気ばかり。これはおかしいのではないかといつも疑問に思っていたのだ。確かに600万人が殺されたとか、広島や長崎、さらには日本軍にも虐殺された犠牲者が出ていた沖縄、中国から朝鮮半島での犠牲者のことを考えると、重苦しい気持ちにさせられるのだが、その一方で「これでやっと自由になれる」と思った人はいなかったのか? 押し入れに隠れてジャズを聴いていたミュージシャンや音楽ファンは、「アメリカさんがやってくる、ジャズだぁ!」って思わなかったのかなぁ。そりゃぁ、洗脳はあったかもしれない。女は強姦されて、男は殺される.... なにせ、鬼畜米英だったんだから。

 それでも、「敗戦」ではなく、「解放」を喜んだ人たちのことが全く語られていない日本の戦後史ってなになんだろうと、ずっと疑問に思っていたのだ。そんな疑問を打ち消してくれたのが、この人、淡谷のり子だった。終戦の日の彼女の言葉を借りれば、こうなる。

 「これで電気をつけて、ふろに入れる。これから自由に歌も歌えるし。玉音聴いてみんな泣いていたけど、私はニコニコでした」
 
 と、そんなところから読み出したのがこの本、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』だった。

淡谷のり子 加えて、日本の大衆音楽の歴史についても知りたいことはいっぱいあった。戦前戦中と国威を高揚するために音楽を武器にして、多くの人を戦地に送った人たちがいたに違いない。自分から見れば、彼らは戦犯であり、断罪されなければいけないと常々思っているのだが、日本でそんなことが話題になったこともなかったように思えるのだ。その時代の背景を知りたいと思っていたのだが、政治的な側面から大衆音楽に関して記したものは目にしたことはなくて、遙か昔の大学生時代に、紙芝居で有名な加太こうじさんが記した、『歌の昭和史』という本が、唯一自分の接した本だったように思う。だから、ひょとすると、『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』に、そんな部分が記されているのではないかと思ったのだ。

 とはいっても、この本は、あくまで淡谷のり子という、たぐいまれな才能を持ち、自らを鍛えながら生きたアーティストについて書かれている伝記のようなもの。津軽のじょっぱり(頑固者って意味かなぁ)である淡谷のり子の半生を知らせてくれるのだが、大金持ちから極貧の生活、そして、両親の離婚から音楽人生の始まりと、そういった部分もいろいろな意味で、興味深く読むことができたし、一般的には『懐メロ歌手』的なイメージしかなかった(かもしれない)淡谷のり子のアーティストとしての資質や才能を思い知らせてくれたのも確かだ。実際、きちんと彼女のレコーディングを聞きたいとアルバムを探し始めている。

淡谷のり子 さらに加えて、本の多くの部分がさかれている戦前から戦中の淡谷のり子の生き方にいろんな意味で共鳴してしまったというのが本音だろう。『欲しがりません、勝つまでは』と、戦費を得るために化粧も禁止され、贅沢が敵だといわれていた時代に、あくまで真っ赤な口紅とつけまつげと派手な服を着続けた淡谷のり子の姿勢は、それだけでも『レベル』(反逆)の人だったことを雄弁に伝えてくれるし、どれほどの圧力を加えられても、絶対に『戦争を肯定する』ような歌は歌わなかったという。いわゆる「慰問」についても、軍のお金では一度も出かけなかったそうだ。自分の金で自分の歌を、「まだ、本土より圧力の少なかった外地」で歌いたかったことが理由だというのだ。しかも、つもるほどの数の始末著を書き、当局にねらわれていたという説もあると聞く。

 そんな逸話の数々はこの本で読んで、知ってもらいたいと思うし、ズタボロになっていた兵士が、けっして「戦意を高揚させる歌」を求めていなかったことが伝えられている下りや、特攻隊の兵士達が淡谷のり子のブルース(と呼ばれていた)歌を求めていたことなどから「歌」の持つ力を再認識するのだ。

 もっと早く彼女のことを知っておくべきだったと思う。すでに他界されてから8年。彼女に直接お話を伺うことは出来ないのだが、この『別れのブルース—淡谷のり子 歌うために生きた92年』を読んで、けっして妥協を許さず生き抜いた素晴らしいアーティストを知ることが出来たように思う。

 さて、どのアルバムから聴いてみようか。まずは、いわゆるブルースと呼ばれた(本人は、ブルースじゃないですよと語っているんですが)コロンビア時代の『淡谷のり子全曲集』とシャンソンを中心としたビクター時代の『淡谷のり子ベスト』の2枚を聞けば、だいたいの流れはつかめるはずだ。(ちなみに、『私の好きな歌~mes cheres chansons Noriko Awaya Victor Rec』も発見。これが究極かなぁ...)もちろん、テイチク時代の音源も聞きたいんでが... そして、『懐メロ歌手』といわれたことに抵抗するように、泉たくと一緒に制作した、『昔一人の歌い手がいた』も聴いてみたいと思う。録音は1971年らしいのだが、ぞれ以前のものが、どうしてもシングルを集めただけのものに対して、これは明らかにアルバムとして作られたもの。そこに晩年... と言えば、失礼かもしれないが、すでに還暦を過ぎてなお、本物の歌手であったことを証明する傑作だと聞いたことがあるからだ。

 ちなみに、淡谷のり子は常に反戦平和の姿勢を貫いた数少ない大御所だったことは、忘れてならないように思う。


投稿者 hanasan : 00:55 | コメント (0)

2007年01月12日

再び飲んだくれ三昧の恒例正月行脚

Salif Keita 例年のことなんだが、正月には実家に帰って数日を過ごした後、友人を訪ねながら東に向かって帰京するということになっている。ここで再び飲んだくれるんだが、なによりも嬉しいのはひさびさに友人と顔を合わせること。今回も懐かしい友に会い、彼らを通して新しい友ができた。嬉しいことだ。

 まずは伯備線で倉敷に向かい、地元でレコード店、グリーン・ハウスを経営しながら、FM倉敷というコミュニティ・ラジオを運営している友人のところで一泊。この日、彼の弟の奥さんと子供たちに出会っているんだが、さすが音楽好きですなぁ。ミュージシャンでもある彼の子供たちの名前がミュージシャンにあやかっているというのだ。長男はマリのミュージシャン、サリフ・ケイタからいただいて、ケイタと名付け、次男はジャンゴ・ラインハルトにあやかってハルトなんだとか。前者が日本で初めて紹介されたアルバム、『Soro』の国内盤でライナーを書いているし、フランスのミュゼットを取材したときの延長でジャンゴ・ラインハルトからピックをもらったというギタリスト、ディディ・デュプラとインタヴューしたこともあり、なにやら嬉しいような... しかも、この子供たちはウクレレを演奏するらしく、チック・コリアの名曲、スペインを演奏してしまうんだそうな。(オリジナルは『ライト・アズ・ア・フェザー 』収録なんだけど、自分が好きなのはアル・ジャロウのヴァージョンですな)末恐ろしい子供たちです。

 翌日には岡山でフレスコ画を書いている友人や学生時代の演劇部の仲間で、今は某大学で教授をやっている友人、そして、当時よく足を運んでいたジャズ喫茶(?)イリミテのマスターのところなどを訪ねて歩いた。そこで耳にしたのが開原整体。なんでもかなりユニークな整体らしく、そのマスターの奥さんが自分と全く同じような腰痛を抱えていたんだが、ここで処置してもらって治ったというのだ。これまでにも書いてきたように、自分の腰痛は心因性の疼痛ではないかと思っているんだが、ものは試しと、結局、それから数日後、福山市にあるここを訪ねている。

 周りは田んぼという、けっこうな田舎で、開原整体という看板は探し当てられるんだが、外見はただのクリーニング屋で中に入ると雑貨屋さんといった趣。その店舗のコーナーにカーテンで仕切られた一角があり、そこで処置してもらうんだが、友人のマスター夫婦から聞いていたとおり、めちゃくちゃ痛かった。とんでもなく痛かった。あまりの痛さに目を閉じていたので、実際に何を使ってどうやっているのか皆目わからないんだが、ちらっと目に入ったのがハンマー。おそらく、あれを使ってぐいぐいと骨を押すというか、ある方向に動かすんだろうなぁ... なんでもこの開原さんに言わせると、腰の骨、脊髄の5番目あたりがゆがんでいるというのだ。だから、それを矯正して、本来の角度に戻すというんだが、そんなの痛いに決まっている。

心療内科を訪ねて これも、あのマスター夫婦から聞いていたんだが、処置をしてもらった後もしばらくは「痛さ」が続くということで、あれからすでに4日目なんだが確かに今も痛い。ただ、なんとなくなんだが、「痛さ」がちょっと変化したような感じがしなくもない。そんな状態がしばらく続いて、「痛さ」が消えるとのことなんだが、どうなるんだろう。しばらくはこれにかすかな期待を抱きつつ、様子を見てみようとは思っているが、それでもだめだったら、おそらく、心療内科を目指すことになるんだろうなぁと思う。実は、今回の旅で移動中に読んでいたのが夏樹静子の『心療内科を訪ねて—心が痛み、心が治す』というものなんだが、これを読んでいて思うのは『心』と『身体』の微妙な関係性。今回の腰痛で学んでいるのは、『痛さ』と向き合うことは『自分』に向き合うことでもあるという真理だったように思う。簡単ではないんだが、『素』の自分を見つめたり、さらけ出したり... 周りの人たちには迷惑かもしれないけど、そうすることで本当の自分を探し出そうとしているのかもしれない。その一方で、「何でも試してやろう」と思ってやったのがこの整体。これがどうなるかは、いずれここで書き残すことになると思う。

Sleep Walker 話が前後してしまったが、この福山に向かう前、岡山から京都に移動していた。例年のことなんだが、友人のサックス奏者、スリープ・ウォーカーの中村雅人のところで数日居候するのが恒例になってしいて、今年も6日と7日は彼のところにやっかいになった。面白いのは、彼といるとユニークな人たちにどんどん出会ってしまうこと。今回は、一度彼がやっていた渋谷FMの番組でご一緒したデザイナーの西堀晋氏とかなりの時間を過ごすことが出来た。いつも京都に行ったら必ず立ち寄るのが、彼の作ったカフェ、eFishなんだが、そこで時間をつぶしていたら帰国している彼と再会することになった。現在、彼はアップルのデザイナーとして仕事をしていて、そこの12人(らしい)のスタッフの一人。今回お話を聞くところによるとMacBookのハードディスクの部分(いとも簡単にHDを交換できるという部分)は彼が関わっているとのことなんだが、当然のようにこれから数日後に発表されたiPhoneのことなんかは一切話してはくれない。そんなことをしたら、一発で首になる... というのはアップルの社員じゃなくても、マック好きなら誰でも知っていることだ。

 この日は彼とつもる話をして、ほとんど1日をeFish(えふぃっしゅ)で過ごしていた。ここには、以前記した男前豆腐の人たちもよく立ち寄るらしく、今回もその社長と再会。このとき、以前いただいたTシャツをのお礼をしているんだが、このTシャツは面白いし、安いので気に入った人は公式サイトで購入してみればいいと思いますよ。で、そのとてつもなくファンキーな公式サイトのデザインをやっているデザイナー、尾関幹人(オゼキミキト)さんとも出会った。なんでも彼は切り絵によるアートを出がけていて、このときはA1ぐらいのサイズの作品を見せてくれた。面白いよ。出来れば、彼のサイトで、詳細をチェックしていただければと思うんだが、実際に作品を見ると、そのユニークさにぶっ飛ばされること、間違いなしだと思う。

カンバラクニエ作品集 その日の夜はeFishのスタッフの一人が寿退社するというので、そのお別れ会に同席して、再び「飲み」に走ることになる。その後も何軒かをはしごしていくんだが、高瀬川沿いのある店(2度目なんだが、名前を思い出せない)で偶然出会ったのが、つじあやのさんとカンバラクニエさん。はじめで出会ったというのに、まるでずっと知っているかのように振る舞ってしまった私って... 失礼な人と思われたのではないかと思う。彼女たちは中学生からの仲良しということで、この日は二人で食事をしていたんだとか。そのカンバラさんが自分と同じ大学出身だということ。ひょっとして同じ大学を出た人と出会ったのは卒業以来初めてのことじゃないかなぁ。なんだだか、嬉しくなってしまった。彼女は農学部で、自分は法文学部。すでに、今ではこういった学部はなくて、法学部と文学部に分かれているはずなんだけど、あの大学に彼女も行っていたんだと思うと、なんだか「つながっている」ように思えてしまうのだ。とはいっても、時代が違いすぎる。彼女があそこにいたのは数年前のこと、その一方で、自分がいたのは四半世紀も前のこと。あまりに遠い。

 ちなみに、左は『カンバラクニエ作品集』というもので、こういった絵を描く人なんだとわかったのは、彼女と出会った数日後。ネットで調べたら、いろいろと出てきた。かなり著名な方のようでびっくりです。ここが彼女の公式サイトらしいけど、こういったものをみつけるにつけ、酔っぱらって大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなるんだが、まぁ、それが「素」の自分だから、ご勘弁を.... してくれないかもしれませんが。(笑)いやぁ、かわいい女性だったなぁ。

 一旦、京都から岡山を経由して福山に出たのは、前述の通り。といっても、その途中、牛窓という町に行っている。瀬戸内海の島々への入り口で、ここに行った目的は今の段階では話せない。面白いことをしようとしている人がいて、それに絡むかもしれないということしか書き残せないんだが、このとき、知ったのが瀬戸内海の島々の魅力。大学時代にはそんなことをかけらも考えたことはなかったんだが、「不便さ」のせいか、昔の風情が小さな島々には残っていて、そこを求めてやってくる旅行者が増えているんだそうな。特に海外からの旅行者が好んでいるようで、そのあたりにひょっとしたら自分の仕事があるのかもしれないなぁ... と思ってみたり。ずっと昔から思っていることなんだが、いつか岡山か倉敷あたりに住みたいという気持ちがある。東京は、それなりに面白いところではあるけど、ここで本当に人間的な空間の中に住もうとすれば、それだけでとてつもない時間を金儲けに費やさなければいけない。本当に「生きる」ということの意味を考えたとき、今の自分がそうしているのかどうか、どこかで引っかかるのだ。ひょっとすると、それも腰痛の原因のひとつかもしれない。

Grandpa Jones 福山からは大阪へ移動。mixi仲間... といっても、バード・ソング・カフェで出会った方とミナミで、音楽好きな人が集まる店をはしごです。まずはJazz Boという店でアナログを数枚購入。心斎橋筋の元ソニー・ビルのあたりからすぐだったと思うけど、いつも通りcheapoと呼ばれる捨て値のアルバムを中心に買った。なんでも中心に品揃えをしているのはオリジナルのアメリカ盤で、そのせいか、国内盤の中古などは500円とか300円で売っているのだ。というので、そんな中から買ったのがバンジョーのグランパ・ジョーンズの作品『Pickin' Time』とダニー・コーチマーの『危険な遊び』。また、久しく聞いていなかったカントリー系が中心にちょっとジャズのエッジを持ったものが欲しいんだけど... と店主の横山さんにいろいろ探してもらってBuddy Spicherの『An American Sampler』やAlan Mundeの『The Banjo Kid』にKenny Kosek & Matt Glaserの『Hasty Lonsome』あたりを購入。後は、彼のお薦めで「絶対にええから!」というので、Steve Goodmanの『Affordable Art』というアルバムを買ったんだが、まだBuddy Spicherしか聞いていない。なかなか好きな音楽ですな。久しぶりにこういったものを聞くと落ち着きます。

 その後は飲み屋さんを三軒。最初の店でmixi仲間のテング!ジジイ!さんのお友達と仲良くなって、ひょっとしたら、自分の初恋の人とこの人が知り合いかもしれないという珍妙な話が持ち上がったり... それに毎日新聞の方と話をしたり... いやぁ、わけがわかりません。それでも知らない人に出会って話を聞けるというのは、ホントに面白い。その次の店では「誰がカバやねんロックンロール・ショー」というバンドが今もやっているということを聞いてびっくりしたり、その次の店では自分のiPodに入れている国本武春さんの三味線ブルーグラスを聞かせたら、みんな一目惚れしたり... テング!ジジイ!さんは、その場で携帯からmixiにアクセスして、国本さんのコミュニティをみつけてメールを出していました。久しぶりに大好きな大塚まさじのソロ・デビュー作『遠い昔僕は』をここで聞いて、「やっぱ、あの頃のまさじが最高やね! 今の歌い方はおもろないよ」とそんなことを話し合ったものです。

 その翌日、ベイスメント・ジャックスを撮影して、例によって例のごとく、なじみの店、『Big Cake』で軽く飲んで、翌日恒例の『正月飲み旅』を終えた。こうやって考えると、飲まなかった日は1日もなかったことになる。そのせいなんだろうなぁ、東京を離れたときには71kgまで落ちていた体重がちょっと増えて74kgにまでなってしまった。おそらく、肝臓もダメージを受けているんだろうと思う。ちょっと考えないとなぁ... と、年明けからこんな具合でこの先が思いやられるのだ。



投稿者 hanasan : 17:09 | コメント (0)

2007年01月03日

天の瞳 : 気持ちわかるなぁ!

灰谷健次郎 灰谷健次郎氏が亡くなって、読み始めたのが、遺作となった『天の瞳』という長編小説だった。12月14日にそのことを書いて、早速、この本を購入。全て文庫なんだが、なんとか全8冊をそろえたのは年末の12月29日だったと思う。それを全て読み終えた。本当だったら、このまま続きが延々と発表され、ひとりの少年の人生を描きながら、彼は「人間」のなにかを伝えたかったんだろうが、主人公、倫太郎は中学生のまま永遠に記憶の中に生きることになる。あるいは、読者の想像の中で成長していくのかもしれないんだが、それは読み手次第だろう。

 その本を読みながら、どこかで自分自身を見ているような気になったのが面白い。おそらく、誰もがそうなんだろうが、登場人物のある時期に接点を見いだすのだ。特に、自分に重なったのはメイン・ストリームとは相容れない倫太郎や、納得できないことは受け入れないミツル。しかも、この本でさかんに使われているのが大阪弁ということもあり、他人事には思えなかったのだ。自分が育ったのは大阪の田舎、南河内郡美原町で、言葉の響きまでもが重なっている。数年前にここは堺市の一部に編入されてしまったんだが、自分のなかでは今も故郷は南海高野線の初芝を、あるいは、萩原天神の駅を降りてすぐのあの町なのだ。そこでの経験がこの本のストーリーになにやら似ているように思えてならない。

 といっても、この本は保育園の頃から始まっているんだが、自分が生まれ故郷の岡山から大阪に越していったのは小学校へ入学する頃。半年ほど市内の淀川のそばにいて、それから南河内へ移っている。それから高校を卒業するまで過ごしたのがここだった。残念ながら、幼稚園時代の記憶はほとんど消えて、トラックにひかれたことや、頭に飴のついた割り箸を目に突き刺して血まみれになった話など、親から聞いて覚えているだけ。鮮明に覚えているのは紫の風呂敷をマント代わりに三輪車に乗って月光仮面ごっこをしていたことぐらいか... なんと幸せな幼年期よ!

小林多喜二 で、小学校の時、おそらく、岡山弁の訛りがあったんだろう、「いじめ」なんてものがあったのかもしれない。が、自分はそんな感覚では受け止めていなかったようで、ちょっとぐれていたって感じかなぁ。その頃、ある教師に「不良」だという烙印を押されて、めちゃくちゃ反感を持ったものだ。『天の瞳』のなかで、そういった教師を子供たちは「センコ」と呼んでいるんだが、あれから40年以上が過ぎてなお、自分にとってもあの女教師は「センコ」であり、許せない存在だ。まぁ、当の本人はなんも覚えちゃいないんだろう、そんな無責任アホ教師にしか思えないのだ。ところが、4年生になると同時に担任になった「先生」は、そんな自分を救い出してくれた方で、この頃から大量の本を読むようになっている。(ここにその実名を出したところで、なんもならんと思うが、氏本芳男先生という方で、数年前に他界された。一介の教師なんだろうが、自分にとって彼は命の恩人であり、彼なくして今の自分はない。ありがとうございました!)

 その恩師は左翼でもなんでもない、良心の人だったと信じるんだが、彼のおかげで漁るようにいろいろな本を読んだ。今でも記憶しているのは一月に最高記録で28冊の本を読破したこと。実は、今日40年ぶりぐらいに読み終えた(プロレタリアート文学の巨匠)小林多喜二の『蟹工船』も、その頃に読んだ一冊だ。恐ろしく早熟な子供だったと思うが、本を読むことのおもしろさを教えてくれたのがあの先生だった。

 そのほか、「赤い怪物がやってくる」という一文が記憶に残っているマルクスとエンゲルス共著による『共産党宣言』からエンゲルスの『空想から科学へ』も読んだ。... が、当然ながら、ちんぷんかんぷんでなんにも覚えてはいないんだが、そんなとんがった本のおかげかどうか、中学校では「頭髪自由化闘争」を仕掛けていた。『天の瞳』のミツルはもっと先を行って、入学式の日から私服で長髪のまま登校し、それを続けていったんだが、自分の場合は2年生の頃だったかなぁ。そんなものに疑問を感じて、早朝登校して全校にビラを貼りまくった記憶がある。ガリ版刷りなんてのを知る遙か以前で、カーボン用紙を使って手書きのビラを貼りまくったのだ。が、このときは.... 負けた。校長か、教頭と議論をして、歯が立たなかったのだ。っても、その反抗的態度はそのままで、歴史を教えていた教師、同時に、私がキャプテンをやっていたバスケットボール部の顧問とはいろいろなところでぶつかった。なにせ、歴史の授業でソビエト人を「ロスケ!」という差別用語で話したときにはぶち切れて、ケンケンがくがくの議論をしたことがある。加えて、バスケット部で、切れてしまった彼が「そんなんやったら、勝手にせぇ!」と言われたときには、「はい、わかりました!」と、他の部員が「どないすんねん!」と言っているときに、なにもかもを自分でしようとしたほどの「生意気な」ガキだったのだ。

西岡恭蔵 それに輪をかけたのが高校生時代で、「優等生面」で入学したというのに、1年生の終わりには学校をふけては難波のディランという喫茶店に入り浸っていた。しかも、制服をあざ笑うように黒のジーンズにボタン・ダウンのシャツで登校。当然のように担任に呼び出されるんだが、この頃は絶対に議論に負けることはなかった。おかげで卒業するまでこの教師は自分を嫌っていたらしいが、「制服の定義なんか、どこにもないのに、なにを抜かしとんじゃぁ」と、まるでやくざのようなけんかをしていたものだ。その延長として、制服廃止闘争をやって、これは実現させた。なにせ、全校生徒の80%以上の署名を集め、私服登校の日を設定するなど、めちゃくちゃなことをしていたのだ。ただ、実行日の直前に教職員委員会から「生徒会で話してもいい」ということになり、全校生徒に中止を連絡... したはずなのに、ひとりだけ、連絡が届いていなかった友人がいて、彼には悪いことをしたと、今でも思っている。

 ところが、生徒会というのがくせ者で、「自主規制」なんてことを話し始めて、ぶち切れる。そんな審議をしている最中に「ふざけんなぁ!」と私服での登校をたったひとりで決行。挙げ句の果ては現代国語の教師と授業を無視しての大激論をしたものだ。その次の政治経済の教師は皮肉しか言わないというので、プッツン。挙げ句の果てに、「なにを抜かしとんじゃぁ」と学校を飛び出して、前述のディランで煙草を吸いながら、友達と音楽の話をしていた。今考えると、とんでもない直情型なんだが、いまだに自分がしたことが悪かったとは思ってはいない。おめでたいものです。

 この『天の瞳』を読んでいて、思い出したのがそんなガキの頃の話だった。とはいっても、ここには知的障害児の話なども登場するし、テーマが多岐にわたっているのが「小説のなせる技」なんだろう。いろいろなことを考えさせられた。生きること、他者との関係、世代を超えた人間としてのコミュニケーションのあり方、人間を愛することの意味等々、いろいろなことを学ばせていただいた。この小説が続いていけば、まだまだいろんなことが出てきたはずなんだが、それももうありえない。確かにどこかで説教臭さがあり、「絵に描いた餅」的な理想論もあったかもしれない。が、それは小説だからこそのものであり、それをどう受け取りかは読み手次第だろう。いろんな意味で刺激を与えてくれた長編だった。もし、時間に余裕があるようだったら、これを読んでみればどうだろう。amazonのマーケット・プレイスでは、自分が書いた『ロンドン・ラジカル・ウォーク』同様、1円で中古を買うこともできるようだ。(ちなみに、「見識に問題あり」と、俺の本をレヴューしている「志村真幸」という人間に、「あんた。かしこいんやなぁ」と感じている今日この頃ですが。88年がパンクのまっただ中と思える見識にあきれかえるのですよ)

 と、波乱の幕開け(!?)となった2007年も「勝手に、言いたい放題」で行きたいと思っとります。



投稿者 hanasan : 00:32 | コメント (0)

2006年12月28日

ライヴ三昧、酒三昧で千鳥足の年の暮れ

What's Love? 23日は久しぶりにワッツ・ラヴ?のライヴだった。スカ帝国という名前で、彼らがいろいろなゲストを呼んで続けているシリーズのライヴで、この時が40回目とかなんとかいっていたように思う。ずいぶん前のことだが、このスカ帝国でクレイジーケン・バンドを見たのが新宿ロフトで開かれたときだったし、勝手にしやがれというバンドを初めて見たのも渋谷デセオでのスカ帝国だった。そのゲストたちは、両方とも大きくなってしまったけど、当のワッツ・ラヴ?は相変わらず。

 でも、いいのだ。昔から好きなバンドで、「本流の歌謡曲」に匹敵するメロディや詩をベースに、スカからレゲエのエッセンスをしっかりと吸収しているところがその魅力。特に彼らが録音した「みちのく一人旅」のレゲエ・ヴァージョンは、日本のレゲエ史(んなものがあるのかどうか、よく知らないが)に残る大傑作だと思う。それが『温故知新』というアルバムに収められているんですが、これは、迷わずに買ってください。「みちのく」の他に「襟裳岬」から「知床旅情」、「赤いスイートピー」などなど、彼らのテイストでレゲエやスカに料理した名曲が楽しめる。絶対に損はさせないから。

 なんでもこの23日のライヴでベースがバンドを離れるということになったとのことだけど、まぁ、最初に見たときのワッツ・ラヴ?のメンバーこそが自分にとってのこのバンドだと思うなぁ。そりゃぁ、仕方がないんだけどね。ちなみに、今彼らはベース奏者を募集しているらしく、誰かいい人がいたら、彼らにコンタクトしてみてくださいな。

 2年ぶり(ぐらい)に彼らを見て、楽しかったんだけど、撮影をしていたから、のんびり楽しむって感じではなかったな。それと、いつもの不満だけど、彼らが「みちのく」をやることは滅多になくて、この日も、当然のようになし。おそらく、彼らがライヴでこの曲をやったのに遭遇したのは一度だけではなかったかなぁと思う。演歌をやるのは恥ずかしいのか、冗談だとしか思われないと思ってるのかな。誰がなにを言おうと、私は、彼らの「みちのく」がオリジナルを遙かに超えていると思っているんですけどね。

 そのライヴの後、恵比寿に流れて、マグのカメラマンが親しい事務所の忘年会、その二次会に流れ込んだんだけど、まぁ、面白いもので、ここにいた某女史のボーイ・フレンドがワッツ・ラヴ?のバックで演奏しているということがわかったり... 世の中狭いというよりは、いつものことだが、みんなつながっているんだなぁと思う。そんな流れの中で、また、朝まで痛飲ですな。へろへろです。

 その翌日は横浜のキューバ・レストラン、エル・パライソへ。これをやっているのが友人なのだが、前日に連絡が入り、「ライヴをやるんだけど、予約が少なくて困っているから、友達を連れてきてよ」と頼まれたのだ。けど、クリスマス・イヴに暇な人間なんぞ、俺ぐらいしかいない。いろいろと仲間に連絡をしてみたんだけど、結局はひとりで横浜まで行った。

 ライヴはシンプルな、おそらく、日本に住んでいるキューバ人+日本人という感じのバンドなんだけど、これがなぁ、なかなかいいんですよ。ギター&ヴォーカルに、ギターみたいなスタイルのベースと、8弦のギターみたいな楽器... マンドリンがギターみたいになったやつで、それがリードをとって、パーカッションが入る。プロの流しのラテン系って趣ですな。でも、これがよかったのよ。もう少しお客さんが入っていればもっと楽しい雰囲気になったんだろうなと思いますね。

寿魂 で、25日には新宿のネイキッド・ロフトで寿というバンドの本、『
寿魂』の出版記念パーティに出かけた。時間を間違ってちょっと早めについてしまったから、近所でメシを食ってしまったんだが、この日はバンドや関係者からふるまい「泡盛」に「手料理」ってのがあって... 腹一杯なのに、ここでも食ったというのが笑えます。(実際、断れないですよ、これは)

 この日はビデオで昔の彼らの姿を見せてもらったりしたんだけど、びっくりしました。彼らって「イカ天」に出たバンドだったんだとか。彼らを見たのは昨年3月が最初で、彼らがどんな世界でどう生きてきたのか、全然知らなかったから、この日は実に興味深く彼らの歴史をかいま見ることができた。ヴォーカルのナビィが「封印してしまいたい」なんてことを言っていたんですが、このイカ天の時の映像を見たら、その気持ち、理解できました。正直言って、同じバンドだとは思えなかったからね。ちょっとニューウェーヴで... 目の前で「自分たちの過去だ」と説明されているんだけど、あまりに違いすぎる。実際、寿の二人の顔までが違って見える。これ、きっと別人です。(笑)

 そして、彼らにとっての転機となったというエストニアでのフェスティヴァルや寿町フリー・コンサートでのライヴの映像を交えながら、いろいろな話を聞くことができたんだが、今の彼らがあるのはそんな経験や体験のおかげだとか。きっとそうだろう、別人になったほどのインパクトがそういった人たちの出会いにあったんだろうと思う。その結果が彼らの歌であり、だからこそ、その「歌」が伝わるのではないかと思う。パレスチナ人とイスラエル人の友人の話やそこから生まれた「シャローム、サラーム」や「夢を広げよう」と歌う「ひろげよう」、ライヴでおなじみのこういった曲は、確実に彼らの旅してきた世界中のいろいろな国や地域での出会いや体験を反映したものだろう。国や言葉が違ってもそこには、血の通ったふつうの人間がいる。そして、まるでその体を流れる血のようにしみる歌がある。彼らの歌に感じるのはそんなぬくもりのある血じゃないんだろうかと思う。(血ってネガティヴなイメージがあるけど、自分にはそうでもないんだな)

バリー・マクガイア この日は最後にシンプルなライヴが開かれているんだけど、いつものようにナビィの笑顔にやられるんです。なんであんな顔で歌えるんだろう? お世辞にもステージのしゃべりが上手いとは言えないんだが、それでも気持ちが「伝わる」し、その笑顔から歌い出される前向きな歌がまっすぐに心を打つ。しかも、歌の言葉にはかなり直球的なものもあるんだが、忌野清志郎が歌う「イマジン」や「明日なき世界」のように自分の体にしみこんでくるのがわかる。

 その彼らが1月20日に東京でちょっと大きめのライヴをやるんだけど、これも撮影させてもらおうかと思っている。それに、ソウル・フラワーの伊丹英子が企画に加わっているという沖縄 Peace Music Festa! 辺野古'07に彼らも出演するようなんだが、これに行ってこようかなぁと思いだした。辺野古の海を、人を守り、新たな米軍基地の建設を阻止するため、それを訴えるためのもので、こういったイヴェントをサポートしなければいけないと思うし、出来るだけ多くの人たちに伝えなければいけない。出来るだけ多くの人にサポートしてもらいたいとも思う。すでに1日に7000人以上のビジターを記録しているSmashing Magでも何かの役に立つともうのだ。

 なお、このプレ・イヴェントとして(残念ながら、寿のライヴと同じ日なんだけど)1月20日に吉祥寺スターパインズカフェで、翌21日には大阪バナナホールでつづら折りの宴 わったー地球(しま)はわったーが守るというのが開催されます。ぜひ、皆さんに出かけていってほしいと思います。

 と、書かなければいけないことが山盛りだ。知人のフリーライター、烏賀陽弘道氏がオリコンから訴えられたという情報が入ったのはこの頃かなぁ。彼には一度取材してもらったことがあって、それからしばらくはコンタクトがあったのだが、もう、おそらく、10年ほどはコンタクトがなくなっている。その彼が月刊誌「サイゾー」4月号の記事でだした、わずか20行のコメントに関して5000万円の損害賠償を求めているんだが、こんなのありか? まず、なぜ著作者ではなく、コメントを寄せた人物を訴えるのか? 文章の責任は執筆者にあるし、コメントを出そうが、その真偽がどうであれ、それを掲載する責任は執筆者、編集者、出版社にある。それなのに、彼らではなく、烏賀陽弘道氏個人を訴えた理由は、彼をメディアから抹殺しようとしているとしか思えないのだ。なにせ、企業対個人だ。訴訟に対抗するにも経済力の違いは明らかであり、周辺からのサポートがなければ「闘うすべ」もないのだ。

Jポップの心象風景 しかも、問題となっている記事を読めばわかるのだが、このコメントは問題とされているチャート操作を「断定」はしていない。国語が理解できるのであれば、「可能性が高い」という言葉の意味ぐらいわかるだろうに。ここで細部を語る必要性はないし、それぞれが「コメント」を読めばオリコンの訴状の方に多くの問題を見つけられることになる。わずか20行のコメントで「連結売上高約57億円」の会社、オリコンが受ける「直接的、間接的損害を過小評価することは出来ない」と言える根拠ってどこにあるんだろうね。あまりにばかばかしいんだが、弱者を袋だたきにするような訴状が認められ、もし、仮に、これで烏賀陽弘道氏が負けるようなことにでもなれば、我々は何も語れなくなるだろう。要するに、この事件は金や権力を持っている連中が、真正面から表現の自由、報道の自由に対して挑戦しているということなのだと理解するしかないんですよ。だから、私個人はこのケースに関していえば、烏賀陽弘道氏を全面的に支持する。

 さて、26日は友人のプロモーターでレーベルも始めたジャポニクスの忘年会に出かけたんだが、ここでまたワッツ・ラヴ?絡みなんだが、やめたばかりのベーシストが加わっているバンドを見てしまった。なんとまぁ、繋がっていること。それに来年3月に来日することになっているThe Slackersの元メンバーで、今は日本に住んでいる人と再会。(すまん、名前を覚えてはいない)と、その後、中目黒のクイーン・シバに立ち寄って、恵比寿のキッチン・ソルナで、一杯というおきまりのコース。それで帰路についてところで、偶然、シャーベッツのN氏に遭遇して.... 「一杯行きますかぁ」と、深みにはまってしまうのだ。しかも、このとき、ワッツでサックスを演奏している?君を紹介される。(すまん、また名前を忘れた)で、焼き肉屋からN氏の自宅に回って自宅に向かったのは、前夜の土砂降りの雨が信じられないほどにまぶしい青空の下。なんてぇことだぁ。ぐるぐるといろいろなところで友達の輪を感じながら、飲み続ける年の暮れ。なんとまぁ、忙しいこと。



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2006年12月22日

寿魂 - 大好きなバンド、寿の本が出ました

寿魂 ここでも何度か紹介したことがあるんですが、去年の3月に上野水上音楽堂で初めて体験したバンドに寿(ことぶき)というのがあって、あの時のステージにいたく感動して以来、何度かライヴを見ているし、撮影もしている、お気に入りのバンドです。いつだったか、その彼らから連絡があって、本を出版するので写真を使わせて欲しいとのこと。いいよぉと、写真を送って数ヶ月、昨日、うちにその本が届けられた。

 本のタイトルは『寿魂 - ことぶきたましい』というもので、20年にわたる彼らの活動の記録などがここに収められているとのこと。もちろん、昨日届いたばかりなので、まだまだ内容はわかりませんが、おそらく、面白いだろう。ステージを見ていたらわかるんだが、このバンドの要って、人との出会いだと思う。そして、そこでの体験が歌になって出てきているように思えて、彼らがこれまでどんな人たちと出会ってきたかをこれでのぞき込むことができるわけだ。楽しみです。

 ちなみに、私の写真が使われているのは最後の方のページで数点がセレクトされて1ページの中にちりばめられているという感じ。嬉しいものです。もし、よかったら、手にとってこの本を読んでいただければと思います。ここ数年、日本のバンドで「心を動かされる」ものが少ないんですが、彼らはそうなってしまったひとつ。どの歌も素晴らしいんだけど、「上を向いてあるこう」の替え歌「前を向いて歩こう」は、ライヴで聴くたびにキュンと来る。さすがに、オリジナルの作詞をした永六輔氏が認めただけのことはある。きっと、彼はそうやって寿が歌っているのが嬉しいんだろうなと思うよ。そのほかにもいい曲がいっぱい。彼らはもっともっと売れて欲しいし、多くの人に知ってもらいたいと思っています。チャンスがあったら、是非見に行ってくださいな。



投稿者 hanasan : 21:46 | コメント (0)

2006年12月14日

物知りに、かしこい奴はおらんなぁ - 灰谷健次郎の「天の瞳」のこと

灰谷健次郎 灰谷健次郎氏が亡くなったことをきっかけに、彼の本をまた読み返している。と、同時に、未読の本も買って読み始めたんだが、それが『天の瞳 幼年編〈1〉』で、まずは1冊目を読み終えて、『天の瞳 幼年編〈2〉』に入っている。

 実を言うと、これを読み始めたとき、ちょっと不満に思ったことがある。同じ著者が書いているのだから、当然といえば、当然なんだが、どうも灰谷作品にある「決まり切ったパターン」の繰り返しに、最初はとまどった。というか、「またかぁ」と、優しさや親切さの押し売りにも感じられる文章にちょっと「濃すぎる」なぁと引いてしまう自分がいるのがわかるのだ。とは言っても、素直に読めばそれだけで、物語に入っていってしまうんだが、今回はちょっとだけ手間取った。それでも、「大阪弁の会話」を基調とした彼の文章はすんなりと物語の中に読み手を導いてくれるし、結局は、あっという間に1冊目を読んで2冊目に入ったわけだ。

 物語はやたらユニークな「自然児」とでも呼べそうな倫太郎という子供の成長を核に、教育の問題、あるいは、親と子、先生と子供や人と人のあるべき関係を描き出そうとしているといった感じなんだが、「こんなにおもろい子供が、どこにおるんや」というぐらいに倫太郎がユニークなのが、現実離れしているなぁと思うこともある。加えて、幾度も反省を繰り返しながらも、あまりにできすぎな親や周辺の人物に、結局は「小説」という「絵空事」のニュアンスも感じるのだ。「そりゃぁ、そんなできた人もおるけど...」といった感じ? それでも、そういった人間の関係を求めていたからこそ、これを書いたんだろうし、同時に、どこかで「似たような人もいるかなぁ」と思わせるところがミソなんだろう。さまざまな「普通の人々」を登場させることで、現実との近似値をにおわせているのが面白いんだろうと思う。まぁ、なんだかんだと言いながら、どんどん先を読みたくなってこのシリーズの文庫を全て注文したわけだ。

灰谷健次郎 こんな本を読んでいると、時にめちゃくちゃ的を射た言葉や表現に突き当たるんだが、それが今回のタイトル。

「物知りに、かしこい奴はおらんなぁ」

 その通りだ。こんな言葉が物語の要でもなければ、重要でもないはずなんだが、なにやら嬉しくなるフレーズや言葉が出てくると、そこで一瞬、「あはぁ!」と止まることがあって、これが気になった。そうなったら、とりあえずは書き留めておこうと思った次第。

 ひょっとして、これは自分の物書きとしての仕事の一環でそう思うことなのかもしれない。まるで知識を持っていることが、あるいは、うんちくを語ることができるだけで「偉い」と思っている人がどれほど多いことか。知識だけだったら、調べればわかる。そういった情報を調べた結果として述べるのはいいんだろうが、少なくとも自分にとってそれだけが「書く」ことであってたまるかぁという思いがある。書くことの意味は「思い」を伝えることであり、読み手に少なくとも、情報をこえた「私」の思いを最もいい形で伝えたいと思っている。おそらく、そんな自分の感覚がこのフレーズに反応したんだろう。

 さてさて、この先、この本がどんな世界を自分に伝えてくれるのか? まだまだ先は長いんだが、楽しみになってきた。といっても、最後のパートはまだ文庫になっていないようだし... どうしよ。値段の高い単行本はほとんど買わないから、それまでに文庫本が出ていることを期待しますけど、このペースで読み続ければ、あっという間に読み終えてしまいそうで困ったものです。いやぁ、本って、本当に面白いよね。



投稿者 hanasan : 17:49 | コメント (0)

2006年12月04日

名古屋から京都、大阪、そして渥美清

渥美清 大下英治氏による『知られざる渥美清』を持って、名古屋から京都、大阪へ行って来た。目的はスマッシング・マグのスタッフ、寄稿家たちとのミーティングで、今後の展開などを確認したり、あるいは、ライターや写真家としてさらに磨きをかけて欲しいという想いを伝えることもその狙いだった。

 その間に読み始めたのが『知られざる渥美清』で、今さっき、読み終えた。実に面白い。ドキュメント小説という手法で、取材に基づいて「伝記」のようで、そうでもなく、小説のようでいてそうでもない微妙なタッチを持つ作風は、渥美清という「役者」の実像を実にヴィヴィッドに浮き上がらせてくれた。素晴らしい。これで渥美清に対する見方が大きく変わったようにも思えるし、彼の出演した作品をもう一度じっくりと見てみたいという気持ちが強くなった。

 今回の旅でまず訪ねたのが名古屋。ここで新たに写真家として仲間に加わった若者と会って、メディアの意味から写真家として、あるいは、メディアの人間としてどうあるべきか... と、諭したわけではないが、自分の考えを伝えた。同時に、地元でプロモーターをしている友人とじっくりといろんなことを話し合った。仲間のバンド、音楽のこと、ビジネスのこと.... こうやって酒を飲みながら、言葉を交わしていると、我々にとって音楽がどれほど重要なものかを再確認できる。実に嬉しい。

男前豆腐 翌日、時間がゆっくりあるので東海道本線で(最も経済的な方法で)京都に向かった。時間は十分あるし、本も読める。大阪でのミーティングまでには時間もあるというので、昔から好きな喫茶店、eFish (エフィッシュ)に向かった。鴨川沿いの五条大橋の袂にある店で、仲間のミュージシャン、まさやん(スリープ・ウォーカーの中村雅人)からここを紹介されたのはずいぶん昔のこと。日本のみならず海外でも著名なデザイナー、西堀晋さんが作っているんだが、彼は現在、アップルで仕事をしているはず。彼にも、一度、お目にかかっているんだが、それもまさやんの紹介だ。彼がDJをしていた渋谷FMの番組に出演した時で、これもかなり昔のことじゃないかと思う。

 実は、MacBookを持っていったんだが、ACアダプターを忘れて頭を抱えていたんだが、この店に同じACアダプターがあって、それを使って充電とSmashing Magの更新作業。そこで働いている女の子たち、(もう、みんな友人です)と四方山話をしながら、時間をつぶすんだが、その時に話題になったのが「男前豆腐」。以前、ここにまさやんと来た時に、たまたま社長がきていて、この写真のイラストが大きく描かれたTシャツをいただいている。ここ数年間に手に入れたTシャツでは最も好きな一枚で、袖には「観客」なんて文字が書かれていて、撮影でこのTシャツを着ることも多い。なにせ、ライヴの撮影で「観客」と書かれたTシャツを着るという「洒落」を楽しんでいるってかんじかね。

 それに、ここが作っている「風に吹かれて豆腐やジョニー」という豆腐の大ファンで、以前はしょっちゅう買っていた。近所のセブン・イレブンにおいていたんだが、いつの頃からか姿を消して、代わりに置かれ始めたのが「波乗りジョニー」というもの。同じ会社のものなのかなぁと思って、一度買ってみたんだが、これはあまり旨くなかった。ところが、この話をすると、なんでも、後者は「男前豆腐」の社長の親父がやっている会社のもので、全く別物だということを知った。そうかぁ、それだったら、また「風に吹かれて豆腐やジョニー」を探し出さなければ... と思っている。特に、このところ、速歩で1時間ぐらい歩くようになって、運動の後にはタンパク質を摂取しなければいけないという話を聞かされているので、これが、けっこう役に立つと思っているのだ。

西堀 店には西堀氏がデザインしたスピーカーが置かれていて、なかなかユニーク。といっても、音は聴いていないあら、そのあたりは想像するしかないが、実際に使ってその役割をきちんと果たせないものを作るデザイナーなんてあり得ない。だから、チャンスがあれば、一度きちんと聴いてみたいものだと思う。

 大阪ではひさびさにドーベルマンのライヴを見た。大好きなスカ系のバンドで、おそらく、日本で最もオリジナルなスタイルを保っていると思う。特に、歌に対する姿勢が好きで、自分の言葉を大切にしているところが理由。演奏もつぼを押さえながらも、客を楽しませ、同時に、自分たちも楽しんでいる。このバンドはもっともっと大きなステージに立って、多くの人たちに知られるべき存在だと思う。ただ、この日の音が全然よくなかったのは実に残念。ベースの音はぶんぶんと、勘弁して欲しいほどに響くんだが、本来分厚いホーンがペラペラに聞こえるし、ヴォーカルがきちんと前面に出てきていない。これがあまりに悲しすぎた。


投稿者 hanasan : 14:17 | コメント (0)

2006年12月01日

渥美清 : 全然おかしくなかった「おかしな男 渥美清」

渥美清 『あゝ声なき友』というDVDを見て、むくむと興味が湧いた渥美清のことを知りたいと思って買った二冊の本のうち、小林信彦氏による『おかしな男 渥美清』を早速購入して読んでみた。でも、どこかで何かがかみ合っていなかった。

 まだまだ渥美清が売れていなかった頃から、知己だったという小林信彦氏の『おかしな男 渥美清』は資料的な価値としては確かに面白かった。加えて、それなりに「知られていなかった」渥美清の素顔の一端を見せてくれるという意味では、読む価値は十分にある。加えて、「喜劇」から「コメディアン」、「喜劇役者」を見る著者の視点の鋭さは、読んでいて、素直に感嘆した。よく映画を見ているし、役者を見ている。それでも、どこかで、なにかがしっくりこない。さぁて、それはなになんだろう。

 これは渥美清と初めて遭遇した「世代」の違いからくるのかなぁとも思う。小林信彦がこの世界に足をつっこんだのは私がもの心つく遙かに昔のこと。しかも、私が渥美清を知ったのは、以前書いたように「泣いてたまるか」というテレビのシリーズであるにもかかわらず、この本ではそれに関してほとんど書かれていない。そういった「個人的な」指向の他に、あくまで「役者」としての渥美清という人間のことしか書かれていないから、自分にとってはつまらないのかなぁと思う。「役者」としての渥美清を見る著者の視点や鋭さは、重ねて書くが、素晴らしい。でも、渥美清の「役者の向こうになにを見ていたのか」を知りたかった。ひょっとして、そんなものは端からなかったのかもしれないし、小林氏がここで書こうとしていたことではないのかもしれないんだが...

渥美清 その一方で、この本のおかげで初期の渥美清の傑作と呼ばれる『拝啓天皇陛下様』を、もう一度見てみようかと思った。所詮、一般的には渥美清は『男はつらいよ』の車寅次郎なんだし、確かに、このシリーズでなにかをきわめたんだろうけど、自分には、それ以前の彼、そこにたどり着こうとしていた彼の方に魅力を感じるのだ。

 といって、この成功で役者としての可能性をどこかで「絶たれる」というところから、『あゝ声なき友』に至ったという、この本の説明も納得できた。渥美清の「役者」としての素晴らしさを十分に引き出せなかったと説明されるが、逆に「渥美清だからこそ」そう語らざるを得なかったという意味で、渥美清の存在感を否定することもできないんだろう。


渥美清 いずれにせよ、この頃から、どうあがいても、結局は寅さんとしてしか見られなくなった渥美清の悲しみが生まれるという話は、実に納得するし、ジーンと来る。そんな意味でこの本は面白いと思う。

 で、これから読むのは大下英司による『知られざる渥美清 』。これで、渥美清のどんな顔を知ることになるんだろう。

 ちなみに、この本で知ったんだが、今年はフランキー堺の没後10年でもあるんだそうな。勝手にしやがれの武藤くんも影響を受けたというアルバム、『この素晴らしい世界』をまた聴いて供養しよう。これは日本ジャズ史上の名作の一枚だと思っている。



投稿者 hanasan : 13:17 | コメント (0)

2006年11月27日

夏樹静子 : 腰痛放浪記 + 私の腰痛日記

夏樹静子 夏樹静子というミステリー作家が書いた『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』をむさぼるように読んだ。かなりの部分を占めている「苦しみの記録」は、ちょっとくどいようにも思えるのだが、おそらく、実際にこの奇妙な腰痛を経験したものにしか彼女の気持ちは理解できないだろう。だが、すでにそれを経験し始めた自分には、いろいろな側面でこの苦しみが絶望的な「痛み」を与え続けているのがわかるし、この部分を読むのは「苦」ではなかった。もちろん、どこかで「早く先に行ってください」と思う気持ちがなかったわけではないし、「現実に希望を求めて」この本にたどり着いた人間にはまどろっこしいかもしれないというのも理解できる。が、それだけ彼女の経験が「現実の出来事なのだ」ということがひしひしと伝わってきた。

 実際、笑われようがどうしようが、自分だってこうやってブログで書かざるを得ないほどに、「腰痛」が自分の生活を変えてしまったのだ。毎日目が覚めて、最初に思うことは「今日は、どうなっているんだろう。ひどくなっているんだろうか、良くなっているんだろうか...」そして、ベッドを出る時に感じる「痛み」に、また、「どうやったらいいんだろう」という1日が始まるのだ。

 そして、これまで得た情報で「考え」始める。今日も運動をして、ストレッチをして... ところが、それを続けてもいっこうに良くなる気配も見せず、「痛さ」は増すばかりだ。ひょっとして、そうなってはいないのかも知れないが、ほとんど条件反射のように「痛さ」に全神経がいってしまうのは間違いない。ちょっとましだと思って、あるいは、ちょっとひどいと思って一喜一憂する姿は、それだけで自分の生活が「腰痛」を核にしてプログラムされていることに気がついてしまうのだ。実際のところ、今の生活は「腰痛」なくしてなにもないほどに振り回されている。

 その「腰痛」のせいで、これまでなにをしてきたかは、逐一ここで報告している。『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』から『腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべて』という本も読んだ。毎日のように散歩を称して1時間以上を速歩で運動したり、上述の本に関して思考をめぐらしたり... 「読んだら腰痛はなくなる」と言われる『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』に関して言えば、確かにどこかで「納得」できる内容だったし、それでも、プログラムされた「心」と「身体」の関係は簡単に突き崩すことはできないでいる。彼らにすれば、「きちんと理解していない」からだと言うんだろうが、そんなに簡単に理解できるのだったら、こんなに苦しまないだろう。その「理解」が難しいんだと思う。

 が、どこかで、おそらく、それこそが原因なんだろうということは気付き始めている。それを決定的にするのは、先に報告した関東労災病院での造影撮影による結果になるはずだ。これは単純に私の感でしかないんだが、「なにも悪いところはない」という結果がでてくるように思える。医師は、単純な断言を避けるという傾向があるから、そこまでのことは言わないかもしれないが、「結果を見ると、確かに若干の問題はないことはないんだが、一般的にはこれだけのことでそんな痛さがでてくることは想定できない」というのではないかと思う。全くその通りだったら、笑えるんだが、なにやらそうなりそうな予感がしてならない。実際、この前に通っていた北里病院でも同じような報告を得ている。MRIによって腰と首をチェックしているんだが、「これぐらいだったら、ひどくないんですね」と言われているし、そのあたりの世界で仕事をしている弟にその写真を見せても、「こんなん、普通やで」と一笑に付されてしまった。

 だからこそ、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』の結末に納得してしまうのだ。結局、彼女が頼っていたのは平木クリニックの医師、平木英人氏。彼は心療内科のエキスパートで、「心因によって慢性疼痛が生じる」という考え方の下に、その原因を探し出し、対処していくのだ。その処置の様子がこと細かく書かれているのがこの本で、それを読むと、「そうなんだ」と大いに納得できる。平木英人氏の著書を見てみるとパニック障害の権威のようで、この病院が主な病気の解説としてパニック障害、うつ状態などが慢性疼痛と一緒に並んでいる。ここまでいろいろなことを調べてきて、要は精神にあり、この腰痛は「精神病」なのだと思うに至った... と言ったら、「俺、頭が変になったの?」と言われそうだが、非常に広い意味での「精神の病」という意味では確かにそうではないかと思う。

 それがこの『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に詳しく記されているのだ。「自分自身の奥底に眠る、そして、実は、自分の心だけではなく、身体もコントロールしている潜在意識」に向かい合っていく様子が、「確かにあったことと」として記録されている。それが、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』よりも遙かに現実のものとして伝わってくるのだ。学問として後者は、実に理解できる。が、実際に、どうすれば、そうできるのか? 潜在意識に向かい合えるのか? それほど簡単なことはないし、だからこそ、今もどうすればいいのかわからない自分がいるように思えるのだ。が、夏樹静子女史の記録は、全くの暗闇のなかにほのかに姿を見せた一筋の光にも見える。

 しかも、そのために彼女が平木医師と共にやった絶食治療の話も面白かった。心因性の問題に向き合うために、ただ「精神」だけではなく、それを共存することで人間と為す「身体」を共に癒す... と言うよりは、本来の力を取り戻すための方法として絶食を取り上げ、それがどういった効果を生むかに関しても詳しく記されている。「潜在意識」(サーノ博士によると「怒り」なんだろうが)が自律神経に働きかけて、身体に変調をきたしていくと知ったのだが、人間本来持っている自然治癒能力を高めるために「絶食」という方法論があるんだそうだ。

 そういったプロセスを経て、彼女は「潜在意識にある自分」と向き合うことで、この腰痛を乗り越えていくことになる。そのあたりに関して書かれている部分にも、自分自身との共通項をたくさんみつけることができた。これは性格の接点なんだが、当然ながら、性格を変えることはできないと思う。が、そうではなく、「潜在意識」に向かい合うのだ。それこそが必要とされていることであり、そんな作業のために最も必要だったのがこの本ではないかと思えるようになった。おそらく、それは簡単ではないと思うし、これをくぐり抜けるにはまだまだ時間がかかるだろう。が、ここにも記されていたように、この「腰痛」は自分に「必要」なんだと思う。人間として生きていく上で、今、経験しなくてはならない人生の転機として、潜在意識が私の身体に語りかけているものであり、それに向き合うことで、新しい自分、あるいは、まだ見ぬ自分にたどり着くんではないだろうか... 逆に言えば、そんな期待さえ感じてしまうのだ。

 なんで腰痛から「新しい自分なんだ?」と思う人もいるだろうし、これを経験しなかったら、こんな結論に達することもないだろう。が、予感がする。いずれにせよ、失うものなんてなにもないんだから、これでいいじゃないかと、今、自分に言い聞かせているところ。だから、これからもこの記録を続けていこうと思う。夏樹静子女史とは比較できないが、自分だって、ものを書くことを生業としてきた人間のひとり。自分がこうやって書き続けることで、自分を救い出したいし、同じ「痛み」を感じている人にとって、どこかで光明となるかもしれない。

 さて、これからどうなることやら.. 若干の不安はある。でも、必ず、抜け出すし、「腰痛」からおさらばする意志はますます強くなってきたし、どこかでちょっとした自信が出てきた。そんな意味でも、この『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』は素晴らしいと思う。少なくとも、今、腰痛で苦しんでいる人は絶対に読むべき本だろう。



投稿者 hanasan : 14:09 | コメント (0)

2006年11月23日

灰谷健次郎氏死去

灰谷健次郎 つい先ほどのニュースで知ったんだが、作家の灰谷健次郎氏が亡くなられたということだ。一時期、彼の作品にはまりまくって、なかでも最も印象が強かったのがこの作品、『太陽の子』だった。神戸の下町にある沖縄料理や『てだのふあ』の娘を主人公に描かれた小説で、沖縄のこと、戦争のことなど、いろいろなことを学ばせてもらった。

 かつて、Bay FMでラジオ番組のDJをしていた時に、沖縄音楽の特集をして、確かネーネーズの曲を数曲流しながら、この小説の一節を読んだ記憶がある。それは「沖縄の海の青」を、主人公のお父さんが話して聞かせている部分ではなかったかと思うが、それを読みながら涙が出てきたことがあった。けっして難しい文章を書く人ではなくて、子供にも読める、そして、理解できる簡単な言葉と文章で、とてつもなく深い世界を描き出していた彼の筆の力に心服したのがこの頃だった。

 あれから文庫として登場した彼の作品はなんでも読むようになっていた。『兎の眼』から『砂場の少年』、『少女の器』あたりが代表作なんだろうけど、これを機会にまた読み直してみようかと思う。

 いつだっけっか、友人に彼のことを話したら、「沖縄のええとこに家を建てて、地元ではあんまり人気ないでぇ」なんて言われたんだが、それがどういった意味なのか、自分にはよくわかりません。ただ、一連の作品を読んで、自分がぶん殴られたように感動したのだけは忘れられません。

 こういった「児童文学」とでも呼べそうな作品からどれほどのものを学ぶことができるのか、自分には語ることができないように思えるが、殺伐とした「教育制度」ではけっして語られることのない世界がここにはあるように思えます。

 また、ライフワークとなったという『天の瞳 (幼年編1)』から『天の瞳 (幼年編2)』、『天の瞳 (少年編1)』、『天の瞳 (少年編2)』、『天の瞳 (成長編1)』、『天の瞳 (成長編2)』も、かなりの量だけど、読んでみようかなぁなんぞと思っています。

 いずれにせよ、私にものを書くことの奥深さを教えていただいた方として、ご冥福を祈ります。



投稿者 hanasan : 16:30 | コメント (0)

2006年11月16日

腰痛日記 検査入院の巻

ヒーリング・バックペイン 結局は、ジョン・サーノ博士のこの本、『ヒーリング・バックペイン』を持って、検査入院をしながら、じっくり読もうと思っていたんだが、どうやら入れ違いで、病院に持ってくることはできなかった。

 14日に代々木のザー・ザ・ズーで中山うりのライヴがあり自宅から代々木までちょっとペースを落として歩いていった。所要時間は1時間とちょっと。先日、新宿までをほぼ同じ時間で歩いたのを比べるとのんびりしているのがわかる。本当は撮影するつもりだあったんだが、マグのスタッフでいい写真を撮る人間がいたので、代わってもらった。同じ人間が撮影するよりも、他の人間との写真を見比べた方が面白い。といったら失礼かもしれないが、アーティストのいろんな顔を見せることができると思って、彼に頼んでみた。さて、どんな写真になることやら。

 この撮影の後、集まった4人のスタッフと居酒屋で軽く食事。なんでまぁ、男ばかりが集まるとこんな会話になるのか... まるで子供の下ネタだっただが、女が絡まないネタは、まるで小説のネタになるほど面白く可笑しい。なんと幸せなこと。

 そして、徒歩で帰宅。この日は結局、いつも通り2時間強の歩行をしたことになる。そして、プロテインを接種して、検査入院の準備。といっても、たかだか2泊。それほど用意するものはないはずなんだが、書類の山がいっぱい。なんで検査入院で『連帯保証人』を要求するのか全然理解できなかったが、結局、記入せずに来たら、なにもいわれなかった。

 病院は元住吉にある関東労災病院。15日9時半から10時までに来てくれということだったんだが、行くといきなり「部屋が用意できていない」という言い訳うをぐだぐだ続けるので、「じゃ、どれぐらい待てばいいんですか?」とストレートに尋ねると「いやぁ、○○の用意をして、片づけをして...」とそんなことばかり。日本人はなぜ簡単な質問に単刀直入に答えてくれないんだ?おっと、日本人じゃなくて、担当者のことなんだけど、こう思ってしまうのはなぜなんだろうね。

 とは言いながら、昼前には部屋に入って昼ご飯。いつもながら、なんとまぁ、病院のメシはまずいんだろうと思う。でも、全てをきれいに平らげる私はなになんでしょ。とそんなことがあって、約束通り、いろいろな説明を受けて、この日はブロック注射。例によって痛いのなんの。ハッキリ言って、自分の腰痛よりもこちらの方が遙かに痛い。特に今回は、液体を注入しているときにめちゃくちゃ痛かった。北里研究所で同じところにブロック注射をしたときには、そうでもなかったんだが... 確かに、打つときは痛い。なぜなら綿のかけらが落ちても全身に痛さが走る神経に注射するわけだ。その全身に走る痛さを確認してから打つので、それは当然。だが、北里では液体が入っていったときには、かなり気持ちよくなったんだが... なにが違うんだろう、今回は入れれば入れるほどに痛みが強くなった。結局、その注射の後、まるで病人のような面を下げて車いすで自室に戻された。

南正人 ところが、このブロック注射、あまり効果は感じなかった。前回よりも遙かに効かない。といって、一晩寝た後の、朝はかなり痛みが消えていたんだが、それはいつものことだから、ブロック注射のおかげかどうかはわからない。

 病院というのは、当然ながら、暇だ。なにもやることがない。とは言いながら、いつも通り、スマッシング・マグの更新作業をしてmixiの仲間に状況報告。それでも時間が余る。だから、結局は本を読んだり、ビデオを見たりということになるのだ。

 というので、先日、偶然再会を果たした南正人の本『キープ・オン! 南正人』を読み始めるんだが、これが面白い。ちょうど、小田実の『なんでも見てやろう』の影響なのかなぁ... っても、この頃はみんなそうだったけど、61年に出版されたこの本を読んで、私自身がそれから20年ぐらい後に日本を出ていくことになる。今じゃ、海外に出ていくなんざ、なんでもないことだけど、60年代にそうしていた人たちって、大変だったと思います。そんな中のひとりがこの南正人で、『キープ・オン! 南正人』をあのころ読んでいたら、間違いなく決定打になっただろうと思う。「日本を飛び出して彼が体験した話」のみならず、国内でのハッパ関係の話など、面白すぎて、アッという間に半分ほどを読んでしまった。

 そして、先日ここで記した八ヶ岳の命の祭りのところに出てきた自分の原稿のことに関して、彼が大手の新聞社や雑誌社の原稿ではなく、自分の書いたものを使いたかった理由もわかったように思う。あの夜、彼と30年ぶりに再会はしても、あの本を読んでいると共通の友人達の名前が出てくる。世の中って、そんなものだと思うが、人間はみんなつながっているのだ。と、そんな思いを強くさせる。この本、日本のロックの歴史やオルタナティヴな文化の歴史について関心があるのであったら、絶対に読んだ方がいいよ。もちろん、それだけではなく、南正人が自分をさらけ出すことで見えてくる「人間」ってなになんだろって問いかけも面白い。と、そういえば、失礼になるかもしれないけど、少なくとも自分は、にたところを突っ走っている人間としてとても共感できる部分があった。(まだ、全部読んでいないんだけどね)

Sayuri
 で、本を読むのに疲れたというので、MacBookにディスク・イメージとして取り込んでいた映画『Sayuri』を見る。これを日本の映画としてみるのは大間違いで、あくまでハリウッド映画なのね。だから、そういった意味では、映像の良さとか、それなりに楽しめたし、けっこうな外国映画なんだけど、それほどの時間を感じさせることはなかったなぁ。でも、今回も子役で出てくる女の子にやられます。子供時代の「千代」を演じている彼女がかわいいねぇ。あの目がなんともなく魅力なんだけど、それがそのまま映画で鍵となっているのが面白い。それになのに、大人になった千代を演じる女優の目に、それがないことにどれほど違和感を持たされたか。

 また、この映画のなかで描かれた「芸者」って、「アーティストだ」と説明しながら、結局は、高級売春婦でしかないと描いているあたりに、「そうなんだろうけさ、で、なにを言いたいのさ」という疑問が残ってしまった。これって、「なにの映画なの?」特に最後のテロップが笑えるのさ。ま、それを言っちゃおしまいだから、書かないけど。

 で、これを見た後に、iPodに入れている『Sayonara』を見ながら、アメリカ映画の中の日本を考えてしまうのだ。この映画が撮影されたのは57年。先日、ここで書いた『三丁目の夕日』の舞台設定と同じ。今じゃ、これも入手しづらいようだけど。日本に対する視線とかが、どこかで屈折しているのは当然として、同時に、時代を超えた日本を見る自分たちの視線もすでにどこかで屈折していることも感じてしまうのだ。わずか数十年前のことだって、明確な感触を伴って伝えることが難しい。そして、それぞれの人のフィルターを通して世界が変わっていく。恐ろしいと思う。

 だからこそ、戦前回帰の教育基本法改悪が強行採決されても、デモも起こらず、抗議運動も広がらない。あの狂気の時代が、どこかでもてはやされ、評価され、一大決心の下、絶対にこの過ちを繰り返さないとして生まれた憲法が代えられる危機に直面し、その一部としても良かっただろう、教育基本法が瀕死となっている。それほどあなた達がどうでもいいと思うのであれば総一億のみなさん、愛国の志士となって、命を「国」に捧げてくださいな。私はそんなこと絶対にしません。民の国でない限りにおいて、それは「彼ら」でしかないですから。私は非国民として、地球市民として生きていきますから。



投稿者 hanasan : 10:58 | コメント (0)

2006年11月11日

腰痛日記(続編)

腰痛は怒りである とりあえず、この本『腰痛は怒りである』は読んだ。基本的なコンセプトは、まず第一に「腰痛の常識」とされている嘘を暴くことから始まっている。そして、その呪縛から解放されなさいと説く。具体的なデータをあげながら、椎間板ヘルニアなどのMRIやレントゲンなどによる脊髄内の突出部分の大小が症状に比例しないことなどを症例から実証して、それが原因であるとは確定できないと示す。同時に、常識的に言われ続けている「年齢のせい」、「腰痛は人間であるから必然だ」「身体のゆがみ」といったこともことごとく否定。そのデータ的な部分について私達には確認できないから、これを鵜呑みにしていいのかどうかはわからないが、おそらくそうなんだろう。実際、自分のMRIの結果についても「通常ではそんなに痛くはない」と医者に言われている。が、痛いのだ。一時期は、あるいは、ある時間帯なのか、ある姿勢に依存するのか、めちゃくちゃ痛かったし、今も痛い。それはもう、ぶった切ってやりたくなるほど痛い。だから、そういった指摘についてはかなり納得できたように思う。

 加えて、従来の治療法についての問題を指摘。ブロック注射から腰ベルトに腰を引っ張るといった療法に関して、よい結果が確証されているものではないというのだ。それもある程度理解できた。要するに、そうして治った人もいれば、治らない人もいる。その意味で言えば、確実に有効であるとは断言できないと言うわけだ。そうだろう、確かにそうだ。原因が明確ではないのに、対処する方法がわかるという方が論理的におかしい。

 そして、登場するのがサーノ博士による『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』に登場するTMS理論。Tension Myositis Syndromeの略で、緊張性筋炎症候群というもの。簡単に言ってしまえば、心的なストレスが問題だと指摘している。精神的な問題から自分の身を守るために防衛本能、あるいは、防衛機能として自律神経に働きかけ、その問題から意識をそらせるために肉体的な苦痛を与えて、意識をそこに向かわせるというわけだ。だから、そのストレスに真正面から対峙して、それを解決しなければ痛みはなくならない... という発想なんだと思う。簡単に言えば、病は気から。気持ちがすっきりしなければ治らない。だから、そこに目を向けようというのだ。

 それもどこかで正しいんだろうと思う。自分の場合を見つめ直して、ストレスがないといえば嘘になる。生活なんぞ、ストレスで溢れている。ただ、その説明だと、どこかで納得できないのは、「それならば、なぜ同じ時期に(私の場合は毎年9月ぐらい)痛みが出るのか?」という点だ。今回はそれがひどくなって例年とは違う痛みを感じているんだが、それにしても、そこになにかの因果関係を想定してしまうのだ。とはいっても、例年の場合、1ヶ月もすれば忘れてしまうほどになるのに、今回、それが長引いているのは、おそらく、その心因性のストレスによるところがあるのではないかとは想像できる。いやぁ、いろいろ思い当たる節がある。

 そう言えば、今、fujirockers.orgにやってきたスパム・メールの削除作業をしているんだが、8月から昨日までの数は18000。といっても、それはここに送られたものではなく、送ってもないメールが行方しれずで戻ってくるというもので、サーバーの管理者だったらチェックせざるを得ない、しかも、削除できないアカウントにこれが積もっている。その容量だけで110MBもあった。なんとか、今日削除できたのが12000通。受け取りを拒否できる設定をみつけたので、これからはこんなことはないと思うが、それにしても、仕事の関係で管理しなければいけないアカウントが多すぎる。だから、このところスパムだけで1日に7〜800通は受け取っている。それに加えて、スタッフ関連のメールの数も多いし... これがストレスにならないでどうする。

 おっと、話がそれてしまったが、この本はそういったストレスを列記して、それに向かい合うところから始めようと語りかけている。特に完全主義者でいい人はこういったことになりやすいとか。それって鬱病なんかも同じように思える。あれも、心的なストレスが自律神経を痛めていって身体に異常をきたしていくはずだ。ただ、いい人であるのを攻められる感覚って、なんか、嫌ね。まぁ、友人によく言われるんだが、あんたは人が良すぎるって。だったら、悪い人になれるかといえば、そりゃ、無理でしょ。

 ともかく、こういったことを自覚して、普通に生活することがいいと語りかけているんだが、ちょっと宗教じみているなぁ。西洋医学を否定しているわけではないといいながら、どこかで信仰にもに近い気持ちにならなければいけないとしたら... まぁ、それが「無意識的にも信じる」ってことなんだろうけど。そして、瞑想をしたりしながら... と書かれているが、どうもうまく理解していないんだろ。

 と、もう一度読んでみようと思っているが、一通り読んだ結果として、自分がやっているのは、とりあえず、適度な運動。っても、1日に1時間以上も歩くのがそうなのかはわからない。ただし、いつも家でコンピュータに向かい合っているだけの毎日なので、それほどおかしくもないだろうし、普通だろう。実際、一昨日は自宅から原宿、そこから新宿、そして、代々木と歩いて、そこから電車で恵比寿に移動して、歩いて帰宅した。昨日は自宅から明治通りを渋谷に向かい、そこから池尻大橋に出て、中目