2005年12月22日

享年50歳 - Joe Strummer & the Mescaleros - Streetcore

Joe Strummer 自分もその年齢になってしまった。この年齢で、この世とおさらばか...

 3年前の12月23日、ロンドンからの電話でジョーの訃報を知らされた。前日は、仲間と山奥に出かけて、凍えるほどの寒さの中、上半身裸になってたき火にあたりながら、大騒ぎをしていたんだが、どうやら、その頃、彼が逝ってしまったらしい。その時の話は、フジ・ロックのプロデューサー、日高氏が記した感動もののライナーに詳しい。実をいえば、この時、一緒に山で大騒ぎをしていたのが彼で、ライターでもない彼が書いた文章にいたく感動したものだ。どこかで自分も書きたいなぁとは思っていたが、遺作となったこのアルバムのライナーを書くに値する人間は彼の他になかっただろう。そんな意味もあって、このアルバムは国内盤をすすめている。

 ジョーとの思い出はつきない。おそらく、世界中にそんな人々がいるはずだ。ライヴが終わっても、必ずファンとの交流をしていたのがジョー。日本での最後となった新宿リキッドッルームの階段で、ずらりと並んだファンと話をしている彼にスタッフに「もう、片づけは終わったから、ここは俺たちに任せて帰っていいよ」と言われたとき、彼がなんと応えたか...

「うるさい! これは俺の仕事なんだ」

 いつもそうだった。だからこそ、彼の死後、ウェッブサイトに寄せられた世界中からのメッセージにもそれを見ることができた。

 その遺作となったこのアルバムに収められているボブ・マーリーのカバー、「レデンプション・ソング」を初めて聞いたのは、それから半年後、ジョーの自宅を訪ねたとき。焚き火をしながら、満天の星の下、朝方の4時頃だったろうか、これを聞いた。で、涙が出た。泣かいでか!なんでも、ジョニー・キャッシュがレコーディングしている時にスタジオに通い続けて一緒にレコーディングしたのがこのナンバー。デュエットしているのは"Unearthed"というジョニーのボックス・セットで聞いているんだが、このブックレットに掲載されている写真で見るジョーの笑顔がたまらない。よほど嬉しかったんだろうな。正直、この1曲のためだけにでもこのアルバムを買う価値があると思うのだ。

 おそらく、フジ・ロックやグラストンバリーのことを歌っているんだろう、ロックンロールな「コマ・ガール」に、なぜか朝霧での演奏が鮮明に記憶に残っている「ゲット・ダウン・モーゼス」や・ジョーニー・キャッシュのことを歌ったフォーキィな「ロング・シャドー」と、スタイルはさまざま。でも、それこそがジョーであり、彼のなかにウッディ・ガスリーからボブ・マーリーにジョン・レノンといったレベル・ミュージックが脈々と流れているのがわかる。

 国内盤が嬉しいのは、ボーナス・トラックとして収録されているジミー・クリフの名曲「ハーダー・ゼイ・カム」のカバーやスペシャルズで有名になった「ア・メッセージ・トゥ・ユー、ルーディ。特に後者は朝霧ジャムで「スカ・フレイムスに捧げる」と言って演奏してくれたのが嬉しかった。今思えば、この時、同じ場所にいたスカのゴッド・ファーザー、ローレル・エイトキンも他界して、天国の人となってしまった。なんかセンチメンタルになってしまう年の暮れ、この時期になるとどうしてもこのアルバムを思い出して、また聞いてしまうのだ。



投稿者 hanasan : 14:31 | コメント (0)

2005年12月08日

これは生き方だったと思う - John Lennon - Imagine

John Lennon「くそ、ジョン・レノンが殺された」

 英国のブライトンに住んでいた25年前の12月8日朝、目を覚ますと、真っ先に耳に入ってきたのが、同じ家に同居していたカナダ人の友人が口にしたそんな言葉だった。そして、いつものようにキッチンで仲間に顔を合わせると、誰もが沈痛な表情でラジオに耳を傾けている。そのラジオから流れていたのはビートルズとジョン・レノンの曲ばかり。テレビで見たニュースだっただろうかあるいは、ラジオだっただろうか、確か、ザ・フーのピート・タウンゼントが「I don't fu**in' believe it!」という言葉を口にしのも覚えている。「嘘だろ!」という、その気持ちは痛いようにわかった。

 といっても、正直言えば、ビートルズに熱狂したこともなければ、アルバムも買ったことはなかった。ジョン・レノンの作品だって、友人のものを借りて聞いたり、テープにダビングしたりはしていても、買ったことはなかった。それでも、ビートルズ... というよりはジョン・レノンが自分のなかでどんどん大きな存在になっていったというのが正しいだろう。それは、自分が、おそらく、以降の人生に大きな影響を与えることになる英国滞在時。その最大のものが彼の死だった。

 彼の死からしばらくの後、ぐんぐんとチャートを登っていったのが"Happy Xmas (War Is Over)" (『シェイヴド・フィッシュ』に収録)。この時は、おそらく、彼を追悼する意味も込めて、(同時に商魂もあったはずだ)この曲が再びシングル・カットされて、それを買った覚えがある。まともに英語を理解し始めていたこともあったんだろう、この歌を聞くと涙が溢れてきたものだ。

 ジョンの子供、キョーコとジュリアンに「クリスマス、おめでとう」と声をかける彼のささやきで始まるこの曲の頭は「クリスマス、また、古い1年が終わり、また新しい1年が始まる」というフレーズ。そして、「この新しい1年が恐怖のない年となりますよう」と続いていく。「世界は間違っている。だから、若い人も年老いた人も、白人も黒人も黄色人種にも、金持ちも貧しい人も、争いをやめようよ」そして、「本当に望めば、戦争は終わるんだ」と、あまりにも当たり前のことを歌いかけている。それなのに、なぜ、戦争がなくならないのか? 権力を握っている(と思われてる)政治家や資本家と呼ばれる野蛮人がそれを「理想主義だ」と許さないから?あるいは、ひょっとすると、そう決めつけているのは「あなた」であり、「私」ではないのか? この歌からはそんなジョンの問いかけが聞こえるのだ。理想を「理想」と切り離すことで、すでに私達は理想を現実の力とすることを拒絶しているんじゃないだろうか? でも、この曲をじっくりと聴くことで、少なくとも自分は理想を現実と捕らえ、この間違った世界をよりいい方向には向かわせる、わずかな力になろうと思ったものだ。もちろん、それは今でも全く変わらない。この曲はそんな自分の生き方、考え方、姿勢に大きな影響を与えてくれた。

 それから数年後、ハイド・パークに25万人が集まって反核集会が開催されたときに出会ったのもジョン・レノンだった。全てのスピーチが終わり、ビリー・ブラッグやポール・ウエイラーの演奏も終わり、集まった人々が家路に向かい始めたとき、どこからともなく聞こえ始めたのが名曲「平和を我らに (Give Peace a Chance)」(『シェイヴド・フィッシュ』に収録)。かつて10代の頃に見た映画「いちご白書」のクライマックスで使われたこの曲を歌う声が徐々に大きくなり、ハイド・パークを包み込んだとき、全ての人々が笑顔を見せていた。その光景のまっただ中で、文字通り、背筋がゾクっとしたのも忘れられない。くだらない理屈もなにも関係なく、自分のなかで「だから、音楽なんだ」と思えた。ジョン・レノンがなくなろうと、歌は生き残り、いつまでもこだましていく... 自分にとって音楽は「趣味」や「余興」や、ただ「楽しい」だけのものでもなく、「生きていること」そのものだと確信を持てるようになったのもこの頃だった。

 そして、すでに言い尽くされているだろう、「イマジン」が持つ意味をまた考えてみる。「想像してみればいい」と始まるこれに、どこかで最も近いものがあるとすれば日本国憲法なんじゃないかと思う。特に、憲法9条はその理想を謳いあげたものであり、それがどれほど有名無実化している現実があっても、最後の砦として「これが存在すること」を誇りと思うし、それが僕らの救いとなっているんだろうと考えている。

 さらに、ここで自分が記しているもの、おそらく、それは自分の生き方なんだろうが、その全てがこの歌のなかに含まれていると言ってもいい。

「君は僕のことを理想家だというかもしれない。でも、僕はひとりじゃない。きっと、いつか君も僕らと一緒になってくれるよう。そうすれば世界はひとつになる」

 そんな自分をどこかで支えてくれているのがジョン・レノンの作品でもあるように思えるのだ。

 できれば、ひとりでも多くの人たちにジョン・レノンの「歌」を聞いてもらいたいと思う。そして、この間違った世界で、それを正すことができるのは「政治」や「経済」を遙かに越えた、普通の人たちなんだということを再認識してもらえればと思う。



投稿者 hanasan : 14:25 | コメント (0)

2005年12月02日

私には歌えません - Mississippi John Hurt - Last Sessions

Mississippi John Hurt くるくる回るお皿を斜め上から見ながら、曲頭に針を落とす。でもって、ギターを構えて、音を聞きながら、独特のギター・スタイルをコピーするんだが、これが難しい。それに面倒だ。今なら、ポイントを決めてCDをリピートさせれば済むんだが、30数年前といったら、これしか方法はなかった。

 そうやって何度も何度も聞いたのが『The Immortal(不滅のミシシッピー・ジョン・ハート)』という輸入盤だった。といっても、実際にアルバムを手にするのは初めて聞いてから数年後で、まだステレオなんて持っていなかった頃に聞いていたのはカセット・テープ。今じゃ信じられないだろうが、中学生の頃に高石友也というフォーク・シンガーがやっていた深夜放送で初めて耳にして、あまりの素晴らしさに、放送中に局へ電話。「カセット・テープを送るからなんとかダビングしてくれないか」と頼み込んで手に入れたものだった。(ありがとう、あの時そうしてくれたのが誰かは全然わからないけど、そのおかげで、人生が変わりました。今だったら、そんなこと、ありえません。)

 あまり期待されても困るけど、このアルバムに刻み込まれているのはジョン・ハートという老人の声と彼の生ギターだけ。基本的には親指でベースを弾きながら、人差し指と中指を使って高音部の弦をつま弾きながら演奏するスリー・フィンガーのスタイルで、一般的なブルースってよりもフォークっぽい響きを持っているのが彼の音楽。ありきたりなかっこよさとは全く無縁で、ロックやテクノを聴いている人には退屈かもしれないほどの、木訥とした語りのように聞こえても仕方がない音楽だ。

 でも、彼の声に泣かされるのだ。まるで無垢な子供に聞かせるようでいて、実は、そうでもない。アルバムから聞こえるのは酸いも甘いも噛み分けた、優しさいっぱいの声。しかも、彼がこの世とおさらばする少し前に録音されたこの『ラスト・セッションズ』では、彼のため息や息づかいまでもが聞こえてきて、めろめろになったのを覚えている。

 1927年にデビューして、世界恐慌の時代に消え去ってしまった伝説のブルース・アーティスト。極貧の状態で再発見されたのはリバイバルが起きた1963年で、そのわずか3年後に他界してしまうのだが、彼を溺愛するミュージシャンも多い。日本では高田渡や加川良がこのスタイルをいただいているし、いつかベン・ハーパーと話したときも、「実は、俺のヒーローはミシシッピー・ジョン・ハートなんだ」と意気投合したことがある。この"Last Sessions"はその最後のアルバム。息づかいまでもが心を癒してくれる傑作中の傑作だ。

 実をいえば、なんとか彼のギターはある程度コピーできたんだが、なにもかもを超越した人間の優しさを抱えたあの声を出すのは絶対に無理だと思って、歌うのをあきらめることになった。そんなアーティスト。あるインタヴューによると、ベン・ハーパーもジョン・ハートを聞いて、同じような気持ちになったということを口にしていたのが面白い。



投稿者 hanasan : 14:15 | コメント (0)