2007年02月14日

未だに痛い、腰痛は永遠か?

 今年の正月に実家に帰った後、帰京ついでにいろいろな町を訪ねていったのはここで報告したとおり。そのとき、友人の薦めで福山の片田舎にある開原整体を訪ねたのが1月8日か9日ではなかったかと思う。そこでとてつもなく痛い処置をしてもらって、「腰の骨のゆがみ」を矯正してもらって、ほぼ一ヶ月が過ぎた。ここで記していったように、腰痛の原因は、おそらく、心因であろうと推測していたわけだから、これで治るとは期待はしていなかった。とはいっても、実際に友人がそれで腰痛から解放されたというので、一抹の期待をしていたんだが、まだ、痛い。とはいっても、一時のように歩けないほどの痛さはなくなったというか、減ったというか... あの前とは違って、腰から足の先までの神経がしびれているといった感覚に襲われている。ひょっとしたら、これは治らないのかなぁ... と思いつつ、痛いのを我慢していれば、別に害は感じないから、まぁ、いいかぁとタカをくくっている状態だな、最近は。

 っても、このままじゃぁよくないから、ホット・ヨガの教室に行こうかと思ったことがある。腰にいいし、痩せるだろうし、かわいい女の子もいるだろう。その不純さがひんしゅくものだが、どうも経済の状態がそれを許さない。スッカラカンなのだ。それなのに、今月下旬には沖縄に飛ばなければいけない。ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子女史がスタッフになって開催するPeace Music Festa! 辺野古 '07を取材するのが目的。こういったものがきちんと紹介されないといけないと思うし、その場にいて自分の意志を示したい。これが仕事になれば、嬉しいんだが、どこかの雑誌のためではなく、Smashing Magに報告しようと思っているので、当然収入はない。さらに、それから帰京してすぐに実家に帰ろうと思っている。まぁ、私事なんですが....

DIGA(ディーガ) DMR-XP20V しかも、それからしばらくして今度はサウス・バイ・サウス・フェスティヴァルの取材のためにアメリカに飛ぶことになる。そのときには、ひさびさに友人に会いたくて、ニューヨークを経由しようと思っている。彼の家に転がり込むので金はかからないんだが、それでも出費がかさむ... この取材もSmashing Mag用で、雑誌にアプローチをしている時間もないし、レコード会社とつるんでのPR取材も嫌だし.... 困ったものだ。

 と、こういったスッカラカンのすかんぴん状態の時に限ってトラブルが続発する。DVDプレイヤーがいかれて、VHSのプレイヤーも壊れてしまった。やれやれ... まぁ、仕事の必要性から、マルチのDVDプレイヤーも持っているし、マルチのVHSも持っているから、このままでもいいといえば、いいんだけど、これをきっかけにHDとDVDとVHSが一緒のマシンを買ってみようかな.... と思って、今、いろいろと調べているところ。まぁ、買うにはしばらく時間がかかるとは思いますが。

 で、最初に調べたのが東芝のRD-W300www.kakaku.comで調べると最安値は6万円ぐらいで推移している。そのライバル機種となるパナソニックのDIGA(ディーガ) DMR-XP20Vは若干高くて6.5万円ぐらいが最安値。こりゃぁ、無理だなぁと、あきらめモードですな。

 と、悶々とする日々。ニュースでは憲法を無視した国民投票法案が強行される気配がしてきた。生活を直撃する、しかも、憲法の理念に反するものがどんどんと強行されている。僕らはとんでもない政府の下で生きているのを実感する今日この頃。弱者はどんどん切り捨てられ、日常の苦しみを知らないアホ政治家どもが自分たちに都合のいい社会を作っていく。いつから憲法は殺されたのだ? かつてこの国で憲法が守られたことはあるのか? と、そんなことを思う。一度、みなさん、憲法を読んでくださいな。そうすれば、政治家どもこそが憲法を潰して蛮行を繰り返しているのがよくわかるから。そんな連中が、最後の砦、への突っ張りにもならない個人を唯一守ってくれる憲法を、守らないどころか、改悪しようとしている。とんでもない世の中だと思うのは、私だけかね

 

投稿者 hanasan : 18:23 | コメント (0)

2007年01月12日

再び飲んだくれ三昧の恒例正月行脚

Salif Keita 例年のことなんだが、正月には実家に帰って数日を過ごした後、友人を訪ねながら東に向かって帰京するということになっている。ここで再び飲んだくれるんだが、なによりも嬉しいのはひさびさに友人と顔を合わせること。今回も懐かしい友に会い、彼らを通して新しい友ができた。嬉しいことだ。

 まずは伯備線で倉敷に向かい、地元でレコード店、グリーン・ハウスを経営しながら、FM倉敷というコミュニティ・ラジオを運営している友人のところで一泊。この日、彼の弟の奥さんと子供たちに出会っているんだが、さすが音楽好きですなぁ。ミュージシャンでもある彼の子供たちの名前がミュージシャンにあやかっているというのだ。長男はマリのミュージシャン、サリフ・ケイタからいただいて、ケイタと名付け、次男はジャンゴ・ラインハルトにあやかってハルトなんだとか。前者が日本で初めて紹介されたアルバム、『Soro』の国内盤でライナーを書いているし、フランスのミュゼットを取材したときの延長でジャンゴ・ラインハルトからピックをもらったというギタリスト、ディディ・デュプラとインタヴューしたこともあり、なにやら嬉しいような... しかも、この子供たちはウクレレを演奏するらしく、チック・コリアの名曲、スペインを演奏してしまうんだそうな。(オリジナルは『ライト・アズ・ア・フェザー 』収録なんだけど、自分が好きなのはアル・ジャロウのヴァージョンですな)末恐ろしい子供たちです。

 翌日には岡山でフレスコ画を書いている友人や学生時代の演劇部の仲間で、今は某大学で教授をやっている友人、そして、当時よく足を運んでいたジャズ喫茶(?)イリミテのマスターのところなどを訪ねて歩いた。そこで耳にしたのが開原整体。なんでもかなりユニークな整体らしく、そのマスターの奥さんが自分と全く同じような腰痛を抱えていたんだが、ここで処置してもらって治ったというのだ。これまでにも書いてきたように、自分の腰痛は心因性の疼痛ではないかと思っているんだが、ものは試しと、結局、それから数日後、福山市にあるここを訪ねている。

 周りは田んぼという、けっこうな田舎で、開原整体という看板は探し当てられるんだが、外見はただのクリーニング屋で中に入ると雑貨屋さんといった趣。その店舗のコーナーにカーテンで仕切られた一角があり、そこで処置してもらうんだが、友人のマスター夫婦から聞いていたとおり、めちゃくちゃ痛かった。とんでもなく痛かった。あまりの痛さに目を閉じていたので、実際に何を使ってどうやっているのか皆目わからないんだが、ちらっと目に入ったのがハンマー。おそらく、あれを使ってぐいぐいと骨を押すというか、ある方向に動かすんだろうなぁ... なんでもこの開原さんに言わせると、腰の骨、脊髄の5番目あたりがゆがんでいるというのだ。だから、それを矯正して、本来の角度に戻すというんだが、そんなの痛いに決まっている。

心療内科を訪ねて これも、あのマスター夫婦から聞いていたんだが、処置をしてもらった後もしばらくは「痛さ」が続くということで、あれからすでに4日目なんだが確かに今も痛い。ただ、なんとなくなんだが、「痛さ」がちょっと変化したような感じがしなくもない。そんな状態がしばらく続いて、「痛さ」が消えるとのことなんだが、どうなるんだろう。しばらくはこれにかすかな期待を抱きつつ、様子を見てみようとは思っているが、それでもだめだったら、おそらく、心療内科を目指すことになるんだろうなぁと思う。実は、今回の旅で移動中に読んでいたのが夏樹静子の『心療内科を訪ねて—心が痛み、心が治す』というものなんだが、これを読んでいて思うのは『心』と『身体』の微妙な関係性。今回の腰痛で学んでいるのは、『痛さ』と向き合うことは『自分』に向き合うことでもあるという真理だったように思う。簡単ではないんだが、『素』の自分を見つめたり、さらけ出したり... 周りの人たちには迷惑かもしれないけど、そうすることで本当の自分を探し出そうとしているのかもしれない。その一方で、「何でも試してやろう」と思ってやったのがこの整体。これがどうなるかは、いずれここで書き残すことになると思う。

Sleep Walker 話が前後してしまったが、この福山に向かう前、岡山から京都に移動していた。例年のことなんだが、友人のサックス奏者、スリープ・ウォーカーの中村雅人のところで数日居候するのが恒例になってしいて、今年も6日と7日は彼のところにやっかいになった。面白いのは、彼といるとユニークな人たちにどんどん出会ってしまうこと。今回は、一度彼がやっていた渋谷FMの番組でご一緒したデザイナーの西堀晋氏とかなりの時間を過ごすことが出来た。いつも京都に行ったら必ず立ち寄るのが、彼の作ったカフェ、eFishなんだが、そこで時間をつぶしていたら帰国している彼と再会することになった。現在、彼はアップルのデザイナーとして仕事をしていて、そこの12人(らしい)のスタッフの一人。今回お話を聞くところによるとMacBookのハードディスクの部分(いとも簡単にHDを交換できるという部分)は彼が関わっているとのことなんだが、当然のようにこれから数日後に発表されたiPhoneのことなんかは一切話してはくれない。そんなことをしたら、一発で首になる... というのはアップルの社員じゃなくても、マック好きなら誰でも知っていることだ。

 この日は彼とつもる話をして、ほとんど1日をeFish(えふぃっしゅ)で過ごしていた。ここには、以前記した男前豆腐の人たちもよく立ち寄るらしく、今回もその社長と再会。このとき、以前いただいたTシャツをのお礼をしているんだが、このTシャツは面白いし、安いので気に入った人は公式サイトで購入してみればいいと思いますよ。で、そのとてつもなくファンキーな公式サイトのデザインをやっているデザイナー、尾関幹人(オゼキミキト)さんとも出会った。なんでも彼は切り絵によるアートを出がけていて、このときはA1ぐらいのサイズの作品を見せてくれた。面白いよ。出来れば、彼のサイトで、詳細をチェックしていただければと思うんだが、実際に作品を見ると、そのユニークさにぶっ飛ばされること、間違いなしだと思う。

カンバラクニエ作品集 その日の夜はeFishのスタッフの一人が寿退社するというので、そのお別れ会に同席して、再び「飲み」に走ることになる。その後も何軒かをはしごしていくんだが、高瀬川沿いのある店(2度目なんだが、名前を思い出せない)で偶然出会ったのが、つじあやのさんとカンバラクニエさん。はじめで出会ったというのに、まるでずっと知っているかのように振る舞ってしまった私って... 失礼な人と思われたのではないかと思う。彼女たちは中学生からの仲良しということで、この日は二人で食事をしていたんだとか。そのカンバラさんが自分と同じ大学出身だということ。ひょっとして同じ大学を出た人と出会ったのは卒業以来初めてのことじゃないかなぁ。なんだだか、嬉しくなってしまった。彼女は農学部で、自分は法文学部。すでに、今ではこういった学部はなくて、法学部と文学部に分かれているはずなんだけど、あの大学に彼女も行っていたんだと思うと、なんだか「つながっている」ように思えてしまうのだ。とはいっても、時代が違いすぎる。彼女があそこにいたのは数年前のこと、その一方で、自分がいたのは四半世紀も前のこと。あまりに遠い。

 ちなみに、左は『カンバラクニエ作品集』というもので、こういった絵を描く人なんだとわかったのは、彼女と出会った数日後。ネットで調べたら、いろいろと出てきた。かなり著名な方のようでびっくりです。ここが彼女の公式サイトらしいけど、こういったものをみつけるにつけ、酔っぱらって大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなるんだが、まぁ、それが「素」の自分だから、ご勘弁を.... してくれないかもしれませんが。(笑)いやぁ、かわいい女性だったなぁ。

 一旦、京都から岡山を経由して福山に出たのは、前述の通り。といっても、その途中、牛窓という町に行っている。瀬戸内海の島々への入り口で、ここに行った目的は今の段階では話せない。面白いことをしようとしている人がいて、それに絡むかもしれないということしか書き残せないんだが、このとき、知ったのが瀬戸内海の島々の魅力。大学時代にはそんなことをかけらも考えたことはなかったんだが、「不便さ」のせいか、昔の風情が小さな島々には残っていて、そこを求めてやってくる旅行者が増えているんだそうな。特に海外からの旅行者が好んでいるようで、そのあたりにひょっとしたら自分の仕事があるのかもしれないなぁ... と思ってみたり。ずっと昔から思っていることなんだが、いつか岡山か倉敷あたりに住みたいという気持ちがある。東京は、それなりに面白いところではあるけど、ここで本当に人間的な空間の中に住もうとすれば、それだけでとてつもない時間を金儲けに費やさなければいけない。本当に「生きる」ということの意味を考えたとき、今の自分がそうしているのかどうか、どこかで引っかかるのだ。ひょっとすると、それも腰痛の原因のひとつかもしれない。

Grandpa Jones 福山からは大阪へ移動。mixi仲間... といっても、バード・ソング・カフェで出会った方とミナミで、音楽好きな人が集まる店をはしごです。まずはJazz Boという店でアナログを数枚購入。心斎橋筋の元ソニー・ビルのあたりからすぐだったと思うけど、いつも通りcheapoと呼ばれる捨て値のアルバムを中心に買った。なんでも中心に品揃えをしているのはオリジナルのアメリカ盤で、そのせいか、国内盤の中古などは500円とか300円で売っているのだ。というので、そんな中から買ったのがバンジョーのグランパ・ジョーンズの作品『Pickin' Time』とダニー・コーチマーの『危険な遊び』。また、久しく聞いていなかったカントリー系が中心にちょっとジャズのエッジを持ったものが欲しいんだけど... と店主の横山さんにいろいろ探してもらってBuddy Spicherの『An American Sampler』やAlan Mundeの『The Banjo Kid』にKenny Kosek & Matt Glaserの『Hasty Lonsome』あたりを購入。後は、彼のお薦めで「絶対にええから!」というので、Steve Goodmanの『Affordable Art』というアルバムを買ったんだが、まだBuddy Spicherしか聞いていない。なかなか好きな音楽ですな。久しぶりにこういったものを聞くと落ち着きます。

 その後は飲み屋さんを三軒。最初の店でmixi仲間のテング!ジジイ!さんのお友達と仲良くなって、ひょっとしたら、自分の初恋の人とこの人が知り合いかもしれないという珍妙な話が持ち上がったり... それに毎日新聞の方と話をしたり... いやぁ、わけがわかりません。それでも知らない人に出会って話を聞けるというのは、ホントに面白い。その次の店では「誰がカバやねんロックンロール・ショー」というバンドが今もやっているということを聞いてびっくりしたり、その次の店では自分のiPodに入れている国本武春さんの三味線ブルーグラスを聞かせたら、みんな一目惚れしたり... テング!ジジイ!さんは、その場で携帯からmixiにアクセスして、国本さんのコミュニティをみつけてメールを出していました。久しぶりに大好きな大塚まさじのソロ・デビュー作『遠い昔僕は』をここで聞いて、「やっぱ、あの頃のまさじが最高やね! 今の歌い方はおもろないよ」とそんなことを話し合ったものです。

 その翌日、ベイスメント・ジャックスを撮影して、例によって例のごとく、なじみの店、『Big Cake』で軽く飲んで、翌日恒例の『正月飲み旅』を終えた。こうやって考えると、飲まなかった日は1日もなかったことになる。そのせいなんだろうなぁ、東京を離れたときには71kgまで落ちていた体重がちょっと増えて74kgにまでなってしまった。おそらく、肝臓もダメージを受けているんだろうと思う。ちょっと考えないとなぁ... と、年明けからこんな具合でこの先が思いやられるのだ。



投稿者 hanasan : 17:09 | コメント (0)

2006年12月10日

腰痛日記 - 検査結果編 + ジョン・レノンとポール・ブレイディのこと。

John Lennon なにげに朝のワイドショーで「今日は、ジョン・レノンがなくなった日か、太平洋戦争の始まった日か... どう思うかで世代がわかる」なんて声が聞こえてきた。自分の世代は明らかに前者で、あの日のことは記憶にはっきりと残っている。それは80年代にやっていた共同通信との連載コラムに書いていたこの記事を読んでもらえばわかると思うが、今振り返っても、音楽という文化が、どこかで正当に評価されている国と、所詮は「娯楽」でしかない日本とのギャップを感じざるを得ない。

 ジョンが亡くなったとき、射殺というショッキングな事件であったことから... というだけではなく、彼がどれほど大きな役割を果たしたかという意味で、イギリスでは全てのメディアが彼のことを大きく取り上げていたのを覚えている。新聞からテレビ、ラジオから雑誌... どこもジョン・レノンばかりだった。しかも、その年、クリスマスの前にヒット・チャートのトップを飾ったのは、ジョンとヨーコによる『Happy Xmas (War Is over)/Give Peace a Change』(Shaved Fish - ジョン・レノンの軌跡 に収録)で、あの曲を聴くとどうしてもあの日のことを思い出してしまうのだ。まだまだ20代だった自分が居候していたブライトンとその仲間たち... そして、それから数年後の反核運動の高まりや、ハイドパークで40万人を集めた集会の終わりに帰路につく人たちの間で自然発生的に歌われ、うねりのようになって広がっていった『平和を我らに』というジョンの名曲も思い出す。その日が、狂気の沙汰としか思えない判断をした日本政府が戦争... というよりは、アジアを中心とした人々のみならず、日本人をも含む大量虐殺の時代へ突入した日だというのがなにやら皮肉に思えてしまうのだ。

 なんでこんな朝早くからワイドショーを見たのがというと、くたくたになった前日、あまりに早く寝てしまったために夜中に目が覚めて、ずっと仕事をしていたから。しかも、この日は朝から元住吉にある関東労災病院に行く必要があったのもその理由だ。11月中旬に大枚をはたいて「造影撮影」なる検査を受けたことはすでに記している。これは脊髄に特殊な液体を注入しでX線撮影するというもので、神経の細部をチェックするというもの。自分の腰痛の原因を探るためにこれをやったのだ。最初に訪ねた北里病院でMRIをやってチェックしたんだが、「この程度ではそんなに痛くなるようなことはないと思うんだがなぁ...」なんて言われて、どうしようかと思っているときに入ってきたのが身内からの情報。なんでも関東労災病院には内視鏡手術で椎間板ヘルニアの原因とされる髄核をとってくれる名医がいるらしく、身内の知人がその手術を受けてあっという間に「痛み」から解放されたというのだ。では、その名医に会って手術してもらえばいいじゃないか... と思うのは当然だろう。

 一方で、「さっさと切ってくれ」と言ったって「はい、わかりました」なんてことになるはずがない。それぞれの医師がきちんと自分で患者を確認して判断するのは当然のこと。北里で撮影したMRIの写真を持って行って、その名医と相談したんだが、それを見た段階でいうと、この医師は手術には実に否定的だった。加えて、このときに独自にレントゲンで腰を見てもらっているんだが、それでも、この名医が知っている常識の範囲内では「異常」が認められなかったようだ。

夏樹静子 が、痛いのだ。めちゃくちゃ痛い。というので、「可能な限り慎重に調べてくれ」と頼んで、この検査となったんだが、その頃から読み出した本で知ったのが「心因性ストレスによる疼痛」のこと。(特に示唆に富んでいたのが『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』)しかも、造影撮影のために検査入院したとき、「じゃ、今度は12月8日に来てください」といわれた時点で「こいつら、患者の気持ちも症状も全く理解できていない」と思うようになったのは理解できるだろう。だからこそ、その検査の10日後に、このブログのここで、だいたいどうなるかという、自分の予想を書き残していたのだ。

 検査報告を受けた当日、名医といわれ、テレビにもけっこう登場している夏山先生はその通りの反応を見せてくれた。「これでは手術をしてもいい結果が出るとは思えない」とのこと。では、どうすればいいんだろうかと思うのは患者の当然の発想なんだが、それに対して自らどうすればいいのかといったアドバイスは全然出てこない。こちらが尋ねた結果として、初めて「ブロック注射をやっていって治る人もいますし、ストレッチとかのリハビリで治る人もいますし...」と、その程度の答えしか出てこないのだ。それではと、腰痛に関して勉強した成果として心療内科はどうなんだと尋ねると、「必ずしも治るとは言えませんが、そういった選択肢もあるでしょうね」と、そんなことは言われなくてもわかっている。その程度のことしか言えないというのが、どこかでばかばかしく思えてきた。全て想定内のことで、判で押したような反応に「患者の気持ち」をまるで理解できない日本の医療の貧しさを実感してしまうのだ。こちらは絶望的な気分で病院を訪ね、なけなしの金をはたいて検査をしている。それに対して、彼が言っていることは、言葉を換えれば、「わかりません」ということでしかない。それは受け入れることはできるんだが、その一方で、苦しんでいる人間を前に、「じゃぁ、次はこういうことを調べれば?」といったアドバイスもないのだ。

 さぁて、どうする? これまで読んできた本で得た知識からすれば、心療内科を目指すべきなのか? といっても、これも海千山千で、高い金でちょっと話をしただけで、たらい回しのようにされることもあるらしい。もちろん、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に出てきた先生を訪ねるのも手だろう。一方で、この痛みの原因が「整形外科の常識」以外の肉体的な問題による可能性はないんだろうか? と、思ってみたり... わからない。

 痛みは相変わらずで、その状態で仕事を続けている。8日は夜10時から新木場でKyoto Jazz Massiveの沖野くんが中心になってやっているイヴェントで朝まで撮影。ほとんどずっとびっこを引きながら、痛さに泣きながら仕事をした。帰宅したのは朝8時前。データをHDに落としてから寝たんだが、午後3時過ぎに起床して、今度は17時に始まるケルティック・クリスマスというイヴェントの撮影だ。これもびっこを引きながら撮影して徹夜で作業中。その休憩の合間にこれを書いているんだが、「本当に腰痛が治ることはあるんだろうか...」という不安が頭の中にちらほら顔を出している。もちろん、絶対に直してやるという意志を持たなければいけないこと、そのための努力は続けているつもりだけど、弱気な自分がいないといえば嘘になる。

Paul Brady ところで、そのケルティック・クリスマスで最も期待していたのがポール・ブレイディというシンガーソングライター。わずかの時間しか歌ってくれなかったけど、やっぱ、この人は素晴らしい。数年前にグラストンバリーで彼を見たときに、まるでヴァン・モリソンのような迫力を感じたんだが、ギター一本でステージに登場して歌っていても、同じような迫力を感じた。なぜ彼の声や歌にはそんな説得力があるんだろう。ひしひしと伝わってくるのだ。

 彼のアルバムは数枚持っているんだが、この日歌ってくれた曲名はわからない。知っている曲も出てきたけど... 曲名を覚えているのは、いまだに発音ができないんだが、「Lakes of Ponchartrain」というトラッドが筆頭かな。最初にこれを聞いたのは「Bring It All Back Home」というアルバムで、確かBBCが制作したアイリッシュ音楽のドキュメンタリーのサウンド・トラックとして発表されたアルバム。ここではホットハウス・フラワーズが歌っていて、これも素晴らしいんだが、この日のポール・ブレイディは、途中、アカペラのようなスタイルで歌っていて、それがジ〜ンときた。実に感動的なヴァージョンだった。それに、山口洋がカバーした「Homes of Donegal」。(『The Paul Brady Songbook』というベスト・アルバムで聞けます)「ヒロシがここにいないのが残念だけど... 」といいながら歌ってくれたこれも良かったなぁ。

 このポール・ブレイディだけではなく、各ミュージシャンの演奏時間は腹五分といったところで、いろいろなミュージシャンの演奏を楽しめるという意味ではいいんだけど、たっぷりと魅力を味わうのは、これから始まるそれぞれのライヴに足を運ぶしかない。なかでも、このポール・ブレイディについては絶対に見逃して欲しくないと思うし、12日の渋谷デュオでのライヴには絶対に足を運ぶつもりだ。絶対に損はさせないから、みなさんにも、見てもらいたいと思う。いいよぉ、めちゃくちゃいいよぉ。



投稿者 hanasan : 02:03 | コメント (0)

2006年12月08日

イノセント・ボイスを見る + 腰痛日記

イノセント・ボイス なにやら穏やかな一日... というより、どこかで疲れが蓄積しているのか、一歩も家を出なかったし、出る元気もなかった。左臀部の痛みはそれほどひどくはないんだが、足がつったような感覚をずっと持ち続けていることの違和感が、なにやら気分まで重たくしているという感じだろうか。身体の疲れもとれないし、酒にも弱くなったのか、昨晩の数杯が効いているのか、なにかだるいのだ。

 もちろん、仕事もしなければいけないから、更新作業はするんだが、こんな日はのんびりとしていようと、ベッドに横になって見たのが『イノセント・ボイス』という映画だった。中米のエルサルバドルを舞台に、実際にあった物語をベースにしているというのだが、あまりにむごい現実を見せられた。80年代のエルサルバドルは軍事独裁政権とそれに抵抗する解放軍との戦争の時代だったんだが、そのとき独裁政権の軍隊によって12歳になると有無をいわせず兵士にされていたのが子供たち。平和な日本の常識から見れば、完全な誘拐で、北朝鮮の拉致とも同じようなものなのだが、それに抵抗することもできない市民や学校の先生たち、牧師たちの姿が実に哀れだ。

 かといって、ただただ「哀れ」を誘ったり「反戦を訴える」映画としての押しつけがましさは全く感じさせない。それが作品としての素晴らしさにつながっているようにも思える。特に、素晴らしい演技を見せる子供たちのあどけない表情や遊んでいる風景、ナイーヴな恋心、あるいは、知的傷害を持つ青年の無垢な姿をほのぼのとしたタッチで描くことで、むごたらしい現実との対比をめちゃくちゃうまく浮き上がらせている。

サルバドル-遥かなる日々- 同じ時代の状況を描いた作品にオリヴァー・ストーン監督の『サルバドル-遥かなる日々-』という映画もあって、もちろん、ずいぶん昔だが、これも見ている。ファシスト政権をサポートするアメリカを断罪するかのような作品で、これを見ながら、アメリカに対する「怒り」を感じざるを得なかった。今考えれば、この時のファシストと同じことを中近東で続けているのがアメリカだと思えるんだが、この先、アメリカの映画人たちはこれをどう描いていくんだろうか... なんてことを思ってしまった。

 一方で、この作品に描かれていなかった世界が、今回見た『イノセント・ボイス』に出ているんだが、まるで異質なのが面白いのだ。「怒り」ばかりが印象に残っているあの作品に対して、こちらでは「哀しさ」や人間のたくましさ、弱さ、美しさや醜さ、といったさまざまな断片が渦を巻くようにわき出てくる。やはり主人公が子供で、その視線をうまく描写しているところから来るのかなぁ... あまりにも美しく、あどけなく、それでいて、優しい彼のまなざしが、どこかで「希望」を語りかけているようにも思えるのだ。よくもあんなに素晴らしい演技ができたものだ。

 それに嬉しかったシーンもある。レジスタンスに加わっている叔父が訪ねてきた時、銃撃が飛び交うなか、家で身を低くしていたみんなを恐怖から救い出すように、その叔父が歌を歌い出していた。のんきな我々には想像できないんだろうが、絶望の淵にあっても「歌」は、確かに我々を救い出してくれる。「歌」が商品となることで、日本ではそんな文化が失われつつあるのではないだろうかとも思ってしまうのだ。僕らがそんな状況のなかで歌える歌はあるんだろうか?

 エンドロールに近づく頃、字幕で語りかける事実に僕らは注目しなければいけない。

「現在も約40カ国で30万人以上の子供たちが兵士として戦場に送られている」

 もちろん、それだけではなく、世界では奴隷のような労働力として使われている子供たちが無数にいるという現実も、僕らは知っているはずだ。この現実に僕らはなにをすればいいんだろう... と、そんなことを思わざるを得なかった。なぜ富を独占する国や階層があり、それが是正されないのか? こんなことを書けばまた「古くさい共産主義的発想」だといわれるんだろうが、主義もクソも関係ない。富めるものが貧しきものへ、人間として当然の役割として、富を分配すればいいだけの話なのだ。ところが、こういった問題が出てくると最も協力的なのが貧しき普通の人々。富や権力を持つものが最も醜い態度に出る。

 と、そんなことを思っていたら、テレビのニュースで我々の払った税金を高級キャバレーやレストランで散財して喜んでいる政治家の話がでてきた。それだけではなく、領収書を偽造しているという話から、それに対して謝罪もしないという態度にむかっ腹が立つのだ。昔から「政治家は泥棒だ」と思っているんだが、文字通り、彼らは泥棒だ。目黒区では公明党の議員が辞職したという話があったんだが、なんでそれだけでいいんだ? 品川区の自民党区議はなんで「謝罪もしない」んだろ? こんな連中を誰が選んだんだ? それがもっと肥大したのが国会議員じゃないのかい? ああぁ、胸くそ悪くなる。なんとか自民党や公明党の議員を落選させる方法はないんだろうかとつくづく思います。まぁ、他の政党だって五十歩百歩だけど、政権与党をその座から引きずりおろさないと、この状態がずっと続くと思うんですよ。なんとかならないもんだろうか。



投稿者 hanasan : 06:13 | コメント (0)

2006年12月06日

渋さ知らズ、中川五郎、朝崎郁恵とライヴ3連ちゃん

渋さ知らズ 真っ黄色になった御堂筋の銀杏並木の美しさにうっとりしたことなんてなかったのに、なにやら新鮮に見えた大阪を離れて、帰路についたのは3日の朝。新幹線で帰京して、夕方友人のサックス奏者、通称まさやん(中村雅人)と一緒にひさびさの渋さ知らズを見に行った。会場は世田谷パブリックシアターという場所で、シート付きのホール。ということで、いつものようにスタンディングではない。といったって、そういった場所での彼らのライヴも幾度か見たことはあるんだが、あまり面白くはなかった。彼らにしてみれば、いつもと同じことをしているんだろうし、どう感じようが客の勝手だと思っているんだろう。ただ、面白くなかった。

 初めて彼らを見たときのことはここに書いている。そのときも同じように、「おもろない」と書き始めたんだが、結局は彼らの演奏に引き込まれて、「ああ面白かった」と結んでいる。が、今回は、単純に面白くなかった。あのときのライヴにしろ、彼らのライヴで面白かったのは「なにが飛び出してくるのかわからない」ようなスリルにあった。それはゲストのせいかもしれないし、なんでもアナーキーに飲み込んでしまう彼らのエネルギーのなせる技でもあったと思う。それはゲストがいなくても同じこと。それぞれの自由な演奏が微妙な化学変化を起こして、縦横無尽に宇宙に飛び出していきながら、どこかで「渋さ」というエネルギーに変換され、昇華されていく。それが魅力なのだ。が、ここ数回彼らを見ていて、それが身内の輪のなかでしかめぐっていないようで、それなりに面白くても「突き抜けて」面白くはなくなったというのが正直なところ。

中川五郎 その翌日は下北沢のラ・カーニャにて、音楽業界で大好きな友人で、執筆家でミュージシャンでもある中川五郎氏のライヴを取材。新しいアルバム、『そしてぼくはひとりになる』を発表して、それを核にしたライヴなんだが、バックが実に豪華。中川イサト、村上律、松永孝義といったところが、私が知っている人たち。その他、今井忍、竹田裕美子、あんさんがバックを勤め、ゲストで金子マリとのデュエットも披露したんだが、これがめちゃくちゃ面白かったなぁ。アドリブで五郎ちゃんにチャチャを入れていた金子マリの素晴らしいこと。ゾクゾクするほど魅力を感じる彼女のライヴをきちんと見ないといけないなぁ。なんて、感じました。

 この日、彼の歌で撮影できなくなったほど聞き入ってしまったのは、高田渡が亡くなった日のことを、まるで「記録する」ように歌った1曲。あの日、彼のサイトを見た記憶があるんだけど、高田渡の死がどれほど大きい悲しみとなって彼を襲ったか... あれを読んだ時に思ったものです。彼のサイトにある「徒然」と呼ばれる日記のようなセクションのこのあたり前後を読んでいただければと思うんだが、本当に、時間がたてばたつほどに高田渡というアーティストの素晴らしさを感じてしまうのだ。そんなこともあり、これには身動き取れなくなってしまったなぁ。

 本当は、この日のメインとなった新しい曲のことなんかを書かないといけないんだろうけど、なぜかちょっと難しい。いい言葉がみつからないから、簡単にはかけないのだ。でも、最後の最後に「俺とボギー・マギー」を歌ってくれたんだが、10代の頃にこれを聞いたのと同じような気持ちで、ちょいと口ずさみながら、嬉しい気持ちになった。クリス・クリストファーソンのオリジナルで『The Very best of Kris Kristofferson』あたりが、それを聞くにはお手頃な作品だと思うし、ジャニス・ジョプリンの『Pearl』で聞けるのが大ヒットしたヴァージョン。なによりも、この歌詞で好きなのは「自由っていうのは、失うものが、なにもないことだ」という部分で、いつか、これを日本語で(おそらく、五郎ちゃんと同じヴァージョンだと思う)歌ったレヨナと話した時、彼女も同じことを言っていたように思う。

朝崎郁恵 そして、昨晩のこと。19時をちょっとまわった頃に、昨年一緒にサウスバイサウスウエストというフェスティヴァルに一緒に出かけたA氏から電話が入り、「すごいいいミュージシャンがいるんだけど、見に来ない?」というので、出かけたのが青山にある、月見る君想ふという小屋。ここで朝崎郁恵という、奄美大島の歌い手さんのライヴを見ることになった。奄美物産展でもないが、島の料理なんかも楽しめるという雰囲気で、幕開けは東京に住む若者たちによる島の伝統的な踊りと歌。彼らは素人なんだが、この雰囲気は実によかった。素晴らしい音楽は単純にそれだけで素晴らしいのだ。声と太鼓と踊りと... それだけなんだが、なにやら島に連れて行ってくれたような幕開けに、実に幸せな気分になった。

 続いて紹介されたのは、なんとか(名字は聞き取れなかった)ヤマト君という高校生のミュージシャン。なんでも、失われつつある島の言葉をほぼ完璧に話すことができる彼が、三線を引きながら歌ってくれたんだが、これにはぶっ飛ばされるぐらいの衝撃を感じた。東京でライヴをするのは初めてで、本人曰く「冷や汗かいてます」とのことだったんだが、ひとたび彼の歌が出てくると、その歌声に圧倒されてしまうのだ。こんなに素晴らしいミュージシャンが眠っているんだと、大いに感激する。そして、彼と祖父母が奄美出身だという女性をバックに朝崎郁恵さんが登場して歌い出すんだが、これも素晴らしい。また驚異的なアーティストを知ることができたと大喜びしたのがこの前半だった。


 ちょっとした休憩の後に、後半が始まったのだが、その感激が吹っ飛んでしまうほどにひどかった。なんでも「ダンス・ミュージック」ということらしいんだが、バックについたのはキーボードとパーカッション。「奄美の歌は3曲聴いたら、全部同じに聞こえる」と言われたことで、朝崎郁恵さんがバックにピアノを入れて歌い出したと説明するんだが、シンプルな歌と三線だけでも十二分に素晴らしい輝きを持っていたのに、この日は、そのピアノとパーカッションがそれを消し飛ばしてしまったというのが正直な感想だ。演奏を聴けば聴くほどに、「出しゃばる」バックにイライラを感じる。隣のA氏や、彼の友人のKT氏も同じように、拍手もしなくなった。当然ながら、自分も「勘弁してよ」と思いながら、本来の音楽の魅力を粉々にするバックの演奏に、正直言ってしまえば、腹が立ってきたのだ。しかも、まるで雰囲気をぶちこわすソロなんて、あり得ないぐらいに「邪魔」でしかなかった。その昔、フラコ・ヒメネスのライヴを見たときに、ライ・クーダーがバックで入ったのを見たことがあるんだが、当然ながら、彼はプロもミュージシャンであり、バックに徹してけっして出しゃばることもなかったし、耳障りなソロもしなかった。それこそがバックの役割だと思う。その役割を果たしていないのだ。

 これまで多くの伝統的な音楽を演奏するミュージシャンを見てきて思うのは、本来の音楽が持つ力強さや美しさをまずは認識すべきだということ。それこそがまるで宝石のような輝きを持っているのだ。単純に西洋に迎合するような形で、ごてごてと装飾をしたところで、それは邪魔でしかない。この日の後半はそれが悪い形で出た典型だったようにも思える。しかも、それを楽しんでいるオーディエンスにも失望した。楽しかったらいいのかなぁ。あなたたちは「音楽」を聴いているの? そんな様子を見ていたら、なにやら歯がゆく、悲しく、悔しい気分になってしまったんだが、それは私ひとりではなく、A氏もKT氏も同じこと。なぜそれが理解できないんだろうか。

 ただ、この日買った『おぼくり』というアルバムは素晴らしかった。「最もバックがシンプルな作品を聴きたいんですが」と会場で売られていた作品から選んだのがこの作品。ライヴのひどさと比べたら、このアルバムでは実にしっとりと「バックがバックの役割」を果たしている。ああ、よかった。

 さて、あまり変化がないので、それほど書かなくなったんだが、腰痛は相変わらず。左の臀部に痛みが集中し、足の筋に、どうやら痙攣する寸前のような緊張というか、なにやら「張った」ようなものを感じる。時には、びっこを引いて歩かなければいけないほどになっていて... といっても、それは椅子に座っていて歩き出したときで、しばらく歩くとその状態からは解放されるのが不思議なんだけど、周りの人にはかなりの重症に見えるようで、椅子を譲ってくれたりするのは、正直嬉しい。

 「歩く」ことはずっと続けていて、渋さの日には三軒茶屋から自宅までを1時間弱で歩いたし、五郎ちゃんの日には渋谷から歩いて帰宅した。たまたま昨晩は仲間が恵比寿で飲んでいたということもあり、そこまでタクシーで向かったんだが、当然、そこからは歩いて帰っている。まあ、朝日が昇りかけている道を帰るときの、なにやらもの悲しい気分は格別であまり体験したくはないなぁ。とはいっても、この日はKT氏と、そして、シャーベッツというバンドの方々といろいろな話をして、実りある日だったと思う。しかも、KT氏は自分の書いた「ロンドン・ラジカル・ウォーク」という本を片手に、「これを書いた花房さんですよね」なんて話しかけてられたし、シャーベッツのベースの方もその話をしてくれた。すでに20年も昔に書いた本が、どこかで何かのつながりを作ってくれたことは、素直に嬉しいと思うのだ。



投稿者 hanasan : 16:16 | コメント (0)

2006年11月27日

夏樹静子 : 腰痛放浪記 + 私の腰痛日記

夏樹静子 夏樹静子というミステリー作家が書いた『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』をむさぼるように読んだ。かなりの部分を占めている「苦しみの記録」は、ちょっとくどいようにも思えるのだが、おそらく、実際にこの奇妙な腰痛を経験したものにしか彼女の気持ちは理解できないだろう。だが、すでにそれを経験し始めた自分には、いろいろな側面でこの苦しみが絶望的な「痛み」を与え続けているのがわかるし、この部分を読むのは「苦」ではなかった。もちろん、どこかで「早く先に行ってください」と思う気持ちがなかったわけではないし、「現実に希望を求めて」この本にたどり着いた人間にはまどろっこしいかもしれないというのも理解できる。が、それだけ彼女の経験が「現実の出来事なのだ」ということがひしひしと伝わってきた。

 実際、笑われようがどうしようが、自分だってこうやってブログで書かざるを得ないほどに、「腰痛」が自分の生活を変えてしまったのだ。毎日目が覚めて、最初に思うことは「今日は、どうなっているんだろう。ひどくなっているんだろうか、良くなっているんだろうか...」そして、ベッドを出る時に感じる「痛み」に、また、「どうやったらいいんだろう」という1日が始まるのだ。

 そして、これまで得た情報で「考え」始める。今日も運動をして、ストレッチをして... ところが、それを続けてもいっこうに良くなる気配も見せず、「痛さ」は増すばかりだ。ひょっとして、そうなってはいないのかも知れないが、ほとんど条件反射のように「痛さ」に全神経がいってしまうのは間違いない。ちょっとましだと思って、あるいは、ちょっとひどいと思って一喜一憂する姿は、それだけで自分の生活が「腰痛」を核にしてプログラムされていることに気がついてしまうのだ。実際のところ、今の生活は「腰痛」なくしてなにもないほどに振り回されている。

 その「腰痛」のせいで、これまでなにをしてきたかは、逐一ここで報告している。『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』から『腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべて』という本も読んだ。毎日のように散歩を称して1時間以上を速歩で運動したり、上述の本に関して思考をめぐらしたり... 「読んだら腰痛はなくなる」と言われる『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』に関して言えば、確かにどこかで「納得」できる内容だったし、それでも、プログラムされた「心」と「身体」の関係は簡単に突き崩すことはできないでいる。彼らにすれば、「きちんと理解していない」からだと言うんだろうが、そんなに簡単に理解できるのだったら、こんなに苦しまないだろう。その「理解」が難しいんだと思う。

 が、どこかで、おそらく、それこそが原因なんだろうということは気付き始めている。それを決定的にするのは、先に報告した関東労災病院での造影撮影による結果になるはずだ。これは単純に私の感でしかないんだが、「なにも悪いところはない」という結果がでてくるように思える。医師は、単純な断言を避けるという傾向があるから、そこまでのことは言わないかもしれないが、「結果を見ると、確かに若干の問題はないことはないんだが、一般的にはこれだけのことでそんな痛さがでてくることは想定できない」というのではないかと思う。全くその通りだったら、笑えるんだが、なにやらそうなりそうな予感がしてならない。実際、この前に通っていた北里病院でも同じような報告を得ている。MRIによって腰と首をチェックしているんだが、「これぐらいだったら、ひどくないんですね」と言われているし、そのあたりの世界で仕事をしている弟にその写真を見せても、「こんなん、普通やで」と一笑に付されてしまった。

 だからこそ、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』の結末に納得してしまうのだ。結局、彼女が頼っていたのは平木クリニックの医師、平木英人氏。彼は心療内科のエキスパートで、「心因によって慢性疼痛が生じる」という考え方の下に、その原因を探し出し、対処していくのだ。その処置の様子がこと細かく書かれているのがこの本で、それを読むと、「そうなんだ」と大いに納得できる。平木英人氏の著書を見てみるとパニック障害の権威のようで、この病院が主な病気の解説としてパニック障害、うつ状態などが慢性疼痛と一緒に並んでいる。ここまでいろいろなことを調べてきて、要は精神にあり、この腰痛は「精神病」なのだと思うに至った... と言ったら、「俺、頭が変になったの?」と言われそうだが、非常に広い意味での「精神の病」という意味では確かにそうではないかと思う。

 それがこの『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に詳しく記されているのだ。「自分自身の奥底に眠る、そして、実は、自分の心だけではなく、身体もコントロールしている潜在意識」に向かい合っていく様子が、「確かにあったことと」として記録されている。それが、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』よりも遙かに現実のものとして伝わってくるのだ。学問として後者は、実に理解できる。が、実際に、どうすれば、そうできるのか? 潜在意識に向かい合えるのか? それほど簡単なことはないし、だからこそ、今もどうすればいいのかわからない自分がいるように思えるのだ。が、夏樹静子女史の記録は、全くの暗闇のなかにほのかに姿を見せた一筋の光にも見える。

 しかも、そのために彼女が平木医師と共にやった絶食治療の話も面白かった。心因性の問題に向き合うために、ただ「精神」だけではなく、それを共存することで人間と為す「身体」を共に癒す... と言うよりは、本来の力を取り戻すための方法として絶食を取り上げ、それがどういった効果を生むかに関しても詳しく記されている。「潜在意識」(サーノ博士によると「怒り」なんだろうが)が自律神経に働きかけて、身体に変調をきたしていくと知ったのだが、人間本来持っている自然治癒能力を高めるために「絶食」という方法論があるんだそうだ。

 そういったプロセスを経て、彼女は「潜在意識にある自分」と向き合うことで、この腰痛を乗り越えていくことになる。そのあたりに関して書かれている部分にも、自分自身との共通項をたくさんみつけることができた。これは性格の接点なんだが、当然ながら、性格を変えることはできないと思う。が、そうではなく、「潜在意識」に向かい合うのだ。それこそが必要とされていることであり、そんな作業のために最も必要だったのがこの本ではないかと思えるようになった。おそらく、それは簡単ではないと思うし、これをくぐり抜けるにはまだまだ時間がかかるだろう。が、ここにも記されていたように、この「腰痛」は自分に「必要」なんだと思う。人間として生きていく上で、今、経験しなくてはならない人生の転機として、潜在意識が私の身体に語りかけているものであり、それに向き合うことで、新しい自分、あるいは、まだ見ぬ自分にたどり着くんではないだろうか... 逆に言えば、そんな期待さえ感じてしまうのだ。

 なんで腰痛から「新しい自分なんだ?」と思う人もいるだろうし、これを経験しなかったら、こんな結論に達することもないだろう。が、予感がする。いずれにせよ、失うものなんてなにもないんだから、これでいいじゃないかと、今、自分に言い聞かせているところ。だから、これからもこの記録を続けていこうと思う。夏樹静子女史とは比較できないが、自分だって、ものを書くことを生業としてきた人間のひとり。自分がこうやって書き続けることで、自分を救い出したいし、同じ「痛み」を感じている人にとって、どこかで光明となるかもしれない。

 さて、これからどうなることやら.. 若干の不安はある。でも、必ず、抜け出すし、「腰痛」からおさらばする意志はますます強くなってきたし、どこかでちょっとした自信が出てきた。そんな意味でも、この『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』は素晴らしいと思う。少なくとも、今、腰痛で苦しんでいる人は絶対に読むべき本だろう。



投稿者 hanasan : 14:09 | コメント (0)

2006年11月26日

ウォーク・ザ・ライン (Johnny Cash)に泣く + 腰痛日記

ウォーク・ザ・ライン  本当は、天気も良かったので散歩に出たいと思っていた。10数年ぶりに巣鴨にでも出て、(もうないかもしれないけど)当時食った八目鰻の店でも探してみようか なんて思っていたんだが、それを邪魔したのが七輪だった。って、なんのことかわからないと思うが、数年前、サンマを焼いて食いたいと思って七輪を買っていたのだ。ところが、練炭を買う店が見つからなくて、埃をかぶっていたんだが、先日インターネットで福田屋というのをみつけて注文。念願叶って、ちょいと時季外れだが、サンマを焼いて食った。ベランダで焼いたんだが、煙が部屋の中に入ってきて、けっこうな目にあったのが笑える。それでも、実にうまかったのだ。その流れで、昨日も昼から火を付けて、いつでもコーヒーや紅茶を飲めるようにしていたんだが、その火がなかなか消えないというか、持ちがいい。そんな状態で、当然、家を出ることができないというので、結局はうちにいる羽目になったのだ。

 というので、見たのが巨人、ジョニー・キャッシュの伝記的な映画『ウォーク・ザ・ライン』だった。数日前にも見ようと思って、見始めたんだが、途中で睡魔に襲われて、「こりゃぁ、ダメかなぁ」とも思った作品だ。一度、どこかに飛んだときに機内でも放映されていたんだが、それも途中で寝てしまったといういきさつもある。だから、全然期待していなかった。

 ところが、はまった。めちゃくちゃはまった。ストーリー自体は、以前見たレイ・チャールズの伝記映画『Ray』(つい先日まで1000円以下で購入できたのに... もうダメみたい)と似たり寄ったり。まぁ、白人だから人種差別みたいなものが立ち入る余地はなかったけど、貧困問題というか、そういったものはちょっと顔を出していたので、流れは同じだと思う。ただ、これはラヴ・ストーリーが中心で、そのあたりの力点の置き方が良かったんだろうなぁ。はまりました。

Johnny Cash  といっても、彼のことをよく知っているのでもなく、持っているアルバムといえば、『Uneared』というボックスセット(買った当時はわずか5000円ぐらいだった)や、『American Recordings』に『American III』ぐらい。全てリック・ルービンと組んだ、比較的新しい作品で、正直言って、彼の魅力はよくわからなかった。実際、このボックスで一番嬉しかったのはジョー・ストラマーがスタジオのジョニーを訪ねていった時に撮影された二人の写真で、ジョーの嬉しそうな顔が忘れられない。すでに二人ともこの世にはいないということが、そんな想いに拍車をかけるんだろうが。

 それでもジョニー・キャッシュが偉大なカントリーのアーティストであり、彼に対する評価は知っていた。かなり前にグラストンバリーで生を見ているんだが、あの時の反応も凄かったし... その一方で、実をいえば、自分にとって魅力だったのはジューン・カーター。カントリー系の音楽を知っている人だったら避けては通れないカーター・ファミリーのひとりであり、70年代にニッティ・グリッティ・ダート・バンドが中心となって、カントリー界の大物たちと若手が大集合して録音した『Will The Circle Be Unbroken』で聞こえてきたマザー・メイベル・カーターの声に惚れ込んでいたこともあるんだろう。当時知ったカントリーの曲が登場すると、それだけでも嬉しくなったものだ。

 そんな楽しみもあったんだが、なによりもジョニーのジューンに対する愛情と思いの丈やを映画と通じて知ることができたことが大きいように思える。だからなんだろう、この映画とクロスして、『Will The Circle Be Unbroken』の、出るわけがないと持っていた三作目『Will The Circle Be Unbroken3』での彼を思い出すのだ。このアルバムでジョニーが歌っていたのは70年代終わりに亡くなったマザー・メイベルとサラ・カーターに捧げるTears In The Holston Riverという曲。これがやけに悲しいのだ。特に、このアルバムが録音されたのは2003年。実は、妻のジューンもここで録音しているのだが、彼女が5月になくなり、ジョニーは、その後を追うように9月に亡くなっている。そんな事実が重なって、この曲がやけに悲しく響く。

Johnny Cash  実は、『Will The Circle Be Unbroken3』を制作した時にDVDも発表されている。メインになるパート、これを記念したライヴの様子はそれほど面白いと思ったことはなかったんだが、録音の様子を中心にまとめたドキュメンタリーがボーナスとして収録されていて、これが素晴らしい。なにせ、生きているジョニー・キャッシュがこの曲を録音している情景が、泣かせるのだ。それに、やはり今はもう亡くなってしまったヴァッサー・クレメンツなんかの顔も見えるし、彼らは今回のみならず最初の作品となった『Will The Circle Be Unbroken』のことなども、嬉しそうに語ってくれている。おそらく、カントリー・ファンにしてみれば、これは貴重だろう。

(なお、お買い得はこれまで発表された三枚の作品に上述のDVDがセットとなって売られている『Will The Circle Be Unbroken The Trilogy』。一時はこれが5000円以下で入手できたし、今でもマーケット・プレイスでは4700円以下で買えます)

 この映画のおかげでジョニー・キャッシュの初期のアルバムがかなり復刻されたようで、ドラッグ漬けの生活から復活して大ヒットを飛ばすことになる『At Folsom Prison』(US import / 国内盤)』なんぞ、この映画での話を知ってから聞くと、とんでもない魅力を感じるんだろうなと思う。それにジューンとのデュエット・アルバムも、そのものズバリ『デュエット』の他に、数々の作品が発表されている。というか、彼の場合、あまりに大物で、発表されている作品が多すぎる。なにを聞けばいいのか全然想像もつかないというのが正直なところですな。

夏樹静子 さて、腰痛ですが、全くいい変化は出てきてはいない。左臀部の神経が直接反応を起こしているような鋭い痛みはそのまま。かといって、デスクについて仕事をしている時には問題はないし、歩き始めると痛さはそれほど感じないんだが、立ち上がる時の痛さは格別で、正直ずっと寝転がっていた方がいいのではないかとも思えるほど。かといって、それは朝のことで、目が覚めた時にはそれほどの痛さは感じないのだ。ただ、立ち上がると「来る」。それに、デスクで仕事をしていて、立ち上がって動こうとすると腰をまっすぐにして歩くのはほぼ不可能だ。まるでおいぼれのジジィのような感じで歩く様は、おそらく、実に滑稽だと思う。といっても、こちらは必死だし、この痛さによる苦しみは経験したものにしかわからないだろう。

 そんな状況の下、夏樹静子女史が書かれた『腰痛放浪記 椅子がこわい』を新たに購入。到着してすぐに読み始めたのだが、彼女の気持ちが手に取るように理解できる。突然、腰痛になり、藁にもすがる想いでいろいろなものを試してきたことが詳しく書かれていて、それが数年続いたというのだ。自分の場合はまだ数ヶ月。それでも、すでにふたつの病院に行って、針も試みた。さて、次は整体かなぁなんてことも思っているんだが、友人がそれぞれ知っている『凄い人』を紹介してくれる。こんな流れも同じで、届いた日のうちにすでに半分は読んでしまった。さて、これからどういった展開で治っていくんだろうかと思うが、おそらく、『ヒーリング・バックペイン』や『腰痛は怒りである』といった世界に近づいていくのではないかと思っている。

 すでにその二冊は読んでいてるんだが、この本を買う前に見た読者の感想やお勧め文にある「読み終わったら、腰痛がなくなった」という事態にはなってはいない。というか、変化はないといった方がいいだろう。ストレッチはちょっとさぼり気味だが、毎日の運動としての速歩は続けている。といっても、雨の日にはできない。それに、すでに10日以上をこうした運動に費やしていても、なんの変化も出てはこない。もちろん、それぐらいの期間では筋力もクソもないんだろうが、ひょっとして、これこそが『ヒーリング・バックペイン』を書いたサーノ博士による「プログラム」ではないかとも思える。彼はそういった方法では腰痛がなくなることはないと断言しているのだ。要するに、呪術をかけられているようなもので、それを実行することは、本当の問題から目をそらすようなものだとも続けているのだ。

 だから、彼が何度もこの本で書いているように、「自分を見つめ」「ストレス」と思われるものを列挙し、その原因になるようなことについてじっくりと考えるようにしている。要するに、自分の脳に働きかけないといけないんだとか。「痛さ」なんてなんでもない。そうやって、無意識が自分に仕掛けているんだと、脳と対決をするんだそうな。だからなんだろう、時には、友人とまるで人生相談のような話をして、その問題を探し出そうとしたり... といっても、簡単には気づかないことが、実はとんでもないストレスの元になっていることもあるらしい。それがなになのか、わかれば、あっという間に腰痛が消えてなくなるというのだが、どうなることやら。でも、絶対に直してやろうと思っている。というか、この「痛さ」から飛び出してやると、決意している。今に見てろよ!



投稿者 hanasan : 09:43 | コメント (0)

2006年11月25日

Flags of The Fathers (父親たちの星条旗) + 腰痛日記

父親たちの星条旗 クリント・イーストウッドが記者会見か、インタヴューで語った言葉が真実だと思っていた。

「政治家たちがどれぐらいの人たちを殺してきたか...」

 と、そんな感じだったと思うが、正確には覚えてない。いずれにせよ、意味はわかる。その通りなのだ。政治家を権力者に置き換えてもいいだろう。権力を持つものが、弱者である「一般人」を殺してきたのは歴史が全て物語っている。だからというのではないが、硫黄島をベースにした彼の監督作『Flags of The Fathers (父親たちの星条旗)』は見たいと思っていた。そう語る彼の視点が絶対に前面に出ているに違いない。というので、昨日見てきた。

 といっても、いつもの散歩の流れで結末としてこれを渋谷で見たことになるんだが、今日のコースは自宅から麻布十番、御成門、新橋、銀座と出て、そこから秋葉原に出るかどうするか... 悩み出したんだが、まぁ、1時間も歩けば今日の運動は充分だろうから、丸の内ピカデリーで上映時間をチェックすると19時からだというので、まだ1時間半も時間が余っている。じゃぁ... と、渋谷に移動。食事をして、19時15分からの上映を見た。映画館で映画... なんて、どれぐらいだろうなぁ。前回見たのを覚えていないところを考えると、数年ぶりなんだと思う。(試写会では『グッドナイト&グッドラック』を見ていて、その時のことはここに書いている。)

 驚いた。あまりに観客が少ないのだ。平日... といっても、金曜日。しかも、夜19時15分の上映だから、もう少し人がいるかと思ったんだが、この映画、メディアで騒がれているのとは裏腹に全然人気がないのかなぁ。30人ぐらいしか観客はいないんじゃなかったかと思う。

 この映画になにを期待していたのか? 別になにも期待していたわけではないんだが、クリント・イーストウッドの視点にだけは期待していた。まさか、彼がジョン・ウェインの『硫黄島の砂』みたいな陳腐な作品を作るとは思ってはいなかったから。でも、感動もなにもしなかった。ただただむごたらしく、醜い戦争の姿を見せつけられただけのように思える。それは「戦場」という現場のことだけではなく、「戦場」から遠く離れたアメリカ本土でさえ醜くむごたらしかった。おそらく、イーストウッドが見せたかったのは、これなんだろうが、あまりに悲しかった。

父親たちの星条旗 ストーリーは基本的に、あの硫黄島に星条旗を立てたとされる人の息子が書いた本。日本で言えば、「肉弾三勇士」といった趣に仕立て上げられる兵士の息子の目を通して、あの激戦の模様とそのむごたらしいまでの戦争の事実が描かれているという感じなんだが、まず思い出したのは『プライベート・ライアン』だった。あまりにむごたらしい「戦争の事実」(と思える)シーンの連続に、人間のばからしさをこれでもかと見せつけられ、ファシズムに対する「戦い」をも正当化できないということを再認識させられるのだ。ちなみに、この戦闘シーン、気の弱い人にはお勧めできません。あまりにグロです。気持ちが悪すぎます。おそらく、本当はもっと凄惨を極めているんだろうけど、それにしても... 吐き気がしました。

 さらに、「英雄」が作られる。そこに果たしたメディアの役割を考えざるを得ないのだ。日本とて同じだった。「肉弾三勇士」を検索して調べてみればいい。ほぼ同じことが行われているのだ。当時の大新聞がこぞって「英雄」を賛美し、狂気の戦争にみんなを駆り立てていった。その結果がどうなったかをここでわざわざ記すこともないだろうが、簡単に言ってしまえば、「権力者による市民の虐殺」だ。「救国」や「愛国」のスローガンの下、市民のみならず、どれだけの兵士が無駄死にを強要されていったか、思い出せばいい。この映画では、その英雄たちが結局は落ちぶれて亡くなっていったことなどが語られているんだが、映画を見た後の帰り道でなにもかもがむなしく、悲しく、人間のあほらしさを感じたというか.... 

硫黄島からの手紙 そのエンドロールを見ながら、誰も席を立たなかったのは、その続編の宣伝が流れるからなんだが、立場を逆にして描かれたという「硫黄島からの手紙」がこの続編としてもうすぐ上映されることになっている。さて、それは同じ島での闘いをどう描いているんだろう。それも、見に行こうと思う。なぜか、このごろ、「戦争」が頭を離れないのだ。湾岸戦争からイラク戦争、そして、その結果としての「逆戻りの世界」に生きているのが我々だ。間近に「戦争」があるというのに、そして、それほどまで多くの人たちが「政治家」に虐殺され、その片棒を担がされているというのに、その実感を感じることができないもどかしさ... しかも、日本は今戦前を生きている。あの時代と同じことが繰り返されているというのに、誰も動こうとはしないし、肌でその危険を感じようともしない。なぜか?

 今、小林多喜二の『蟹工船 一九二八・三・一五』を読み返しているんだが、それも、そんな気持ちの流の中にある。初めてあの話を読んだのはまだ中学生の頃だったと思うから、ほぼ35〜6年ぶりにこれを読むことになったんだが、あの舞台になっているのは今から70年ほど前の話。気が遠くなるほど昔にも思えるし、そうでないようにも思える、そんな時代の話だ。それを読みながら、時代を考えるようになった。しかも、ここ数年、年に数回は訪ねることになっている北海道の鉄道の歴史も知った。あの枕木は、そのひとつひとつが人間の死体によってできたんだと、ここに記されているんだが、そんな時代の上に今があることをもう一度再認識しようと思う。私達の今は無数の市民の亡骸の上で成り立っているんだという思いが強くなるのだ。

 あの映画を見た帰り道、第二次世界大戦に対する反戦運動があったこと、その時に主力となったのがウッディ・ガスリーやピート・シーガーだったこと... そんなことを思い出していた。奇妙なもので、iPodのスイッチを入れて、流れてきたのがエリック・アンダーソンの名作『ブルー・リヴァー』。なにやら、ガ〜ンと頭をぶん殴られたような気持ちになって帰宅した。


投稿者 hanasan : 01:33 | コメント (0)

2006年11月23日

Tom Waits到着 * 腰痛日記

Tom Waits さきほどTom Waitsの新しいアルバム、3枚組の『orphans』が届いた。現在、そのうちの1枚目を聴いているところ。さぁて、僕はこのアルバムにどんな感想を持つんだろうか。1枚目の『Closing Time』や2枚目の『The Heart Of Saturay Night』にぞっこんの身としては、どう転んでもそれ以上の評価を持つことはないようにも思えるんだが... 

 腰痛は相変わらず。といっても、異様に痛いときとそうでないときがあって、その違いがどこから出てくるのか全く想像ができない。昨日は、なにを思ったか、箱根に出かけてしまった。なんとなく、温泉に入りたいというのと、紅葉でも見ようかと思い立って家を出たのだが、ちょっと遅すぎましたな。2時にうちをで歩いて恵比寿まで約10分。それから新宿に出て、久々の小田急ロマンスカーで箱根湯本に出たんだが、その時点ですでに16時を回っていた。もう、薄暗いのだ。アホです。

 温泉の名前もうろ覚えではあったんだが、以前小田原に住んでいた頃に何度も行っていたから道は覚えているというので、そこから歩き出したのはいいんだけど、感でしか距離がわからないというのはかなり不安。しかも、さすがに山だというので、けっこう真夜中のように暗い。以前、青森にひとりでぷらっと行ったときの経験を思い出したしね。あれも同じような時期で、4時ぐらいだったのに真っ暗闇で下北半島のしがない温泉町に宿泊したことがある。宿ぐらい探せばいくらでもあるんだろうけど、不安になってしまうのだ。まぁ、同じような不安を感じてしまったのがこのときかな。

 といっても、天山という、銭湯のような温泉までに要した時間は30分。結局、そんなに遠くはなかったということだ。

 しばらく行ってはいなかったんだが、ちょっと変わっていましたな。昔は受付みたいなところでお金を払っていたんだけど、今は自動販売機。でもって、なか... というか、露天風呂も一番下の岩風呂が水風呂になっていて、以前は内風呂だったと思う場所がそのまま外に開かれていた。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど、身体を伸ばしてのんびりと風呂です。といっても、身体を伸ばすと、腰というか、左臀部の上の方なんだけど、ここが痛い。奇妙なもので、全く痛さを感じない座り方というか姿勢があって、そうやっていれば、まるで健康な人に見えるというのが腰痛の嫌なところですな。外見上は全くの健康体に見えるんだから。

ヒーリング・バックペイン 帰りは、さすがに歩きではなくバスで箱根湯本の駅に出て、そこから小田原を経由して東海道本線で品川に向かい、自宅に戻った。っても、ひさびさに飲もうかと思って中目黒のバードへ。ここは、いいんだな。音楽が好きな人がいっぱいいて、話題に事欠かない。お客さんもほとんど常連で、なんの気兼ねをすることもなく飲めるし、話もできる。自分にとって新しいお客さんだって、誰かの友人だったり... というので、この日は『腰痛談義』。話をしてみると、腰痛仲間がこんなにいるとというのが面白い。ホントに驚かされます。そして、それぞれが「ああすればいいよ」「こうすればいい」といろんなアドバイスをくれるのだ。それはそれでありがたいんだけど、このあたりが、ちょうど読み終えた『ヒーリング・バックペイン』では否定的に書かれている部分。さぁて、どうすればいいんでしょ。わかりませんなぁ。

 結局、バードでも、二軒目の寿司屋『いろは』でもほとんど痛さは感じなかったのに、三軒目でいきなりやってきたという感じかなぁ。強烈な痛さがおそってきて、ほとんどびっこを引くようにして家路についた。といっても、さすがに歩いて帰ることはできなくて、この日はタクシー。なにせ、歩くのもままならないほどの痛さだったのだ。

 さて、その痛さの変化はどこに起因するのか? 店か? 店にる客による精神的なストレスの変化か?『ヒーリング・バックペイン』を鵜呑みにするつもりもないんだが、これによると心因性のストレスが潜在意識化で自律神経に働きかけて『痛み』を発生させるというのだが、確かに、実際の運動や肉体的な問題に起因するとしたら、店の違いでここまでの変化が出るというのは実に奇妙だ。

ヒーリング・バックペイン とはいいながら、『では、どうやってそれを克服するのか』が問題で、このあたりをもう一度読み直してみようと思っている。なにせ、この本の宣伝文句ではないが、なによりも直すことがこの本を読んでいる理由なのだ。

 そういえば、数日前から毎月定額によるDVDレンタルのサービスに契約して、今、一ヶ月の無料サービス中。すでに『オリバー・ツイスト』と『シリアナ』が届いた。前者は昔のイギリス英語が楽しめて良かったけど、後者は... よくわからなかった。実際のところ、なにの映画なんだろうな。で、それを返却して代わりに届いたのが『ミュンヘン』と『ウォーク・ザ・ライン』で、その次に借りようと思っているのが『イノセント・ボイス~12歳の戦場~』と『ブラディ・サンデー 』。我ながら、音楽と政治的なものが多いなぁと思ってしまいますな。特に、『イノセント・ボイス~12歳の戦場~』はすごい期待をしているんですが、どうなりますことやら。

 とはいいながら、このサービス、無料期間だけで止めてしまうかもしれません。見たいものを検索しても出てこないし、結局は「あるものあら選ぶ」だけ。確かに安いし、便利だから、続けて本契約に入るのも手かもしれないけど、どうなんだろうなぁ... 判断しかねております。



投稿者 hanasan : 15:16 | コメント (0)

2006年11月21日

自民党は非国民である + 腰痛日記

なぜ変える?教育基本法 「愛国心」が笑える。今、憲法改悪の前哨戦として、クーデターのように教育基本法の改悪を強行したのが政権与党。こんな連中に「愛国心」を語れるのか? はなはだ疑問だ。というよりは、彼らこそが日本をアメリカに売り渡した張本人たちで、売国奴のそしりを免れないはずだ。単純に考えてみればいい。日本になぜ外国の軍隊がふんぞり返っていられるのか? 常時日本には5万人の米兵がいて、そのために自分たちの血税が使われて、連中がそこいら中を闊歩していやがる。うちの近所の山王ホテルは治外法権で日本の円も使えないし、日本人が普通に立ち入ることもできない。そこから出てくる米兵やその家族を見ていると、実に幸せそうで... そりゃぁ、そうだろ。彼らにとって日本なんぞ植民地なのだ。我が物顔でのし歩いていやがる。それを見てなにも思わないのであれば、それこそが非国民であり、愛国心のかけらもないということにはならないのかね?

 そんな状態を作ったのは誰か?自民党だろ?「国を守る」といういいわけに、日本を売ったのだ。沖縄を売り払ったのだ。どれだけ北朝鮮がアホな国だといったところで、「六カ国協議に日本はいらない」といった彼らの発言のぜひはともかく、その理由としてあげた言葉には否定できないものがあるのだ。

「どうせ日本はアメリカの言いなりだから、そこにいる必要性はない」

 ごもっともだ。これまでアメリカに疑問を呈したこともなければ、反論をしたこともない。それが戦後ずっと日本を引っ張ってきた自民党政権だろ? そんな連中に「愛国心」を語れるのか? 小泉が忠犬、ポチなら、安部はなになんだろう。彼の場合はもっと凶暴な素顔を持っているように思えるけど。

「いじめ」なんて言葉でごまかされている人権侵害、暴力行為、それに、「援助交際」と呼ばれる「売春行為」だって、そんな土壌を作ってきたのは、戦後ずっと教育を支配してきた自民党だろ? もし、そうじゃないとしたら誰なんだ? 日教組? 彼らがもっとしっかりしていたら、こんなことにはなってないさ。彼らが政府自民党に対抗できる力を持っていた時代はいつだったのさ? あったとして、それがどれだけ続いたのさ? 結局、今なんて「第二組合」程度ものじゃないか。かといって、第一組合が対抗勢力たる資質を備えられるとも思ってはいないけど。

 そんな売国奴たちが今、しきりに「愛国心」を語り始めた。彼らがいう「愛国」とはかつての右翼(大昔のだよ)が、語った「愛国」とは全く違った代物で、「愛国体」だろ? 国民が死に絶えようが、貧困に苦しもうが、飢えようが、「国体」さえ保つことができれば、それが「愛国」なのだ。そんなものクソ食らえ。

 と、そう思う日々。これも腰痛のせいで気が立っているからなんだろうか。

ヒーリング・バックペイン さて、『ヒーリング・バックペイン』を読みながら、毎日のように速歩で運動していることも、ひょっとしてTMSのワナなのではないかと思い始めた。この本でサーノ博士が強調しているのは、腰痛の原因に対する既成概念をまずは捨て去ることだとしている。要するに、原因だとされてきたことに対する論理的な証明は一切されていなくて、統計的なデータを見ても原因とされるものと結果が一致しないとしている。だから、逆にいえば、これまでささやかれてきた打開策も、実は、その呪縛なかで生まれてきたものであり、それを実行している間はけっして腰痛はなくならないのだ... としている。腹筋を鍛えたり、背筋を鍛えたり、あるいは、ストレッチで筋をのばすことでさえ、それは「既成概念を受け入れている証拠」なのであり、TMSをきちんと理解していないことになる。と、主張するのだ。もちろん、その一方で、通常の運動として健康のためにそれをやるのは全然間違ってはいないから、やめる必要性はない。なによりも、「普通に生活」することが重要であり、TMSを理解することが最優先されるべきなのだとしている。

 何度も繰り返しているけど、簡単に言えば、TMSとは潜在意識、無意識のうちに心的なストレスが自律神経に働きかけて身体に痛さを与えるというもの。そうすることで、その問題による精神の平衡感覚喪失から救い出す、あるいは、警告のようなものだとしている。だから、自分に向き合い、その心的なストレスに直面することでしか、痛さはなくならないとしている。しかも、痛さに害はない.. というんだけど... あるよなぁ。痛いから。ホントに痛いからね。それでも博士は「その痛さを感じるたびに、自分に条件付けをしている」というのね。こうしたら痛い、ああしたら痛い... それが「当たり前の生活」から自分を遠ざけ、ワナに陥っているんだと。そうは言うけどねぇ、実際にいたいからなぁ。こうすればいたいというのもあるし... どうすりゃいいんでしょうね。

 まぁ、わからないけど、とりあえずは、この本をきちんと読みましょ。じっくりと読みましょ。そして、その通りにやってみましょう。ストレスの原因だと思うものに直面して、それをリスト化して考えましょ。とまぁ、そうするしかないように思えるんですな、今のところは。

 でも、歩きは続けるつもり。汗をかくのは気持ちいいし、30年ほど前にイギリスから帰国した頃の体重は64kgだったんだから、それぐらいにまではなりたいじゃないですか。嬉しいことに、着実に減量していて、現在は72kg。一時期80を越えるような状態にあったことを考えれば、かなりいい線を行っているように思える。昨日はうちからいつもとは逆に五反田方面に出て、山手通から目黒通りを目黒に向かって、三田通りへ。そこから恵比寿に出て、ウェスティン・ホテルの前を通って、帰ってきた。久しぶりだったので1時間と20分ぐらいの散歩。でも、びっしりと汗をかいて、天気のいい今日はお洗濯と、なにやら実に健康的な日々を送っているような気がする。おかげで飲み屋で使う金も減ったし、経済的なことこの上ない日々。貧乏人は歩け! と思うなぁ。



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2006年11月20日

連日のEdgar Jonesにリトル・クリーチャーズ、そして、やはり腰痛

Edgar Jones 前日の渋谷クアトロでエドガー・ジョーンズを見た後は、速攻で帰宅した。なにせ、その翌日、できるだけ早い時点でレポートをアップして、より多くの人に、この特異な味を持ったアーティストを見るチャンスを与えたいと思ったのがその理由。なにせ、こういったアーティストが何度も何度も来日することができるわけではなく、次はいつになるかなんてわからない。何度も来日している大物アーティストだとか、すでに実績もあるような人たちに関しては、そんなに焦る必要もないし、自分がわざわざ骨を折ることもないと思うんだけど、「好きなアーティスト」で、売れていないだろうなぁ... なんて思うと、そんな気持ちが出てきてしまう。なんとまぁ、損な性格だこと。

 会場は代官山ユニット。当然のように、自宅から歩いて会場に向かった。といっても、いつも歩いている距離を考えたら、非常に短い。時間がないから、いつものように運動のための歩きはできなかった。実に残念。しかも、翌日朝から始まった雨は全然止むことなく、ここ数日、全然運動していないことになる。特に、このライヴの日は腰痛がひどく、撮影するのも大変だった。なにせ、動くたびにキリキリとした痛みが走るのだ。そのせいか、撮影に集中できない。もちろん、ある程度の写真は撮って当然だし、それは見てもらったらわかるんだけど、こんなことのためにシャッター・チャンスをかなり失ったのは確かだと思う。だから、早く直さないと... 絶対に直してやると、また決意を強くするのだ。

 この日のライヴの後、エドガーのアルバム『Soothing Music For Stray Cats』を日本で出してくれたT氏と、この日のサポート・アクトとしてステージに立ったリトル・クリーチャーズのドラマー、栗原氏と、けっこう深い話をしてしまった。音楽メディアのあり方から今の音楽の意味などなど。その時、「今、僕らが聞かされているのが音楽だと思っているのって、おかしいよね」という言葉が自然に出てきてしまった。テレビやラジオから聴くものに襲いかかるように押し出されてくるものが、自分には音楽だとは思えないし、僕らは「音楽を聴く」という行為さえも失ってきているのではないかとも思う。

 このことはいつも思っているんだけど、特にCDの時代になってから、僕らは本当に「音楽を聴いているんだろうか」という疑問が強くなっている。確かにCDはLPよりも多くの時間の音楽を詰め込めることができる。アナログだったら片面で30分が限度で、両面でも60分。といっても、たいていの場合、片面で一区切りということで、じっくりと音楽を「聞く」時間を作り、そうしていたように思えるのだ。人間が集中して音楽を聴くことができる時間なんて、そんなに長くもないだろうし、そんな意味で言えば、CDは「音楽を聴く」ためではなく「流す」ための道具なんじゃないだろうか... とも思えてしまうのだ。

 おそらく、そんな反動のなかで再びアナログを引っ張り出して聞き始めているようにも思うし、iPodというデジタル・オーディオ機器に音を入れる時にも、中心となるのが昔の音楽になってしまうんじゃないかとも思う。あるいは、単純に年齢のせいかねぇ? 実際のところ、CDでしか発売されていないここ10数年のバンドのことは、ほとんど知らないし... なんだろうね、この変化は。

Karen Dalton そう言えば、初のCD化ということで注文していたカレン・ダルトンの名作『In My Own Time』がやっと到着した。素晴らしいパッケージだ。まずはそれに驚いた。デジパックでかなり分厚いブックレット付き。ここにはレニー・ケイからニック・ケイヴ、それに、デヴェンドラ・バンハートあたり(後者はインタヴューをまとめたものだが)の解説も付いていて、おそらく、未発表ではないかと思う数々の写真も加えられていて、このCDを作った人たちのカレンに対する愛情を感じることができるのだ。

 オリジナルのマスター・テープからリマスターしたということで、オークションで買ったアナログをデジタル化したものよりは、遙かにクリアに音が聞こえてくる。特にバックのストリングス、ヴァイオリンの音などが美しくて、音の奥行きが深まったというのが第一印象だ。カレンのか細い声も良く聞こえる。実に嬉しい。

 しかも、このCDと共にアナログもプレスされたようで、このリマスターによって作られたものであったら、入手して聴き比べてもいいかもしれない... なんて思いだしている自分が、救いようのない音楽バカのように思えてしまうのだ。オークションで購入したものは、オリジナルのプレスらしいが、頭のあたりでちょっとしたソリがあって、通常だと音飛びが起こるのだ。それがない状態で、このリマスターだったら、どんな音が聞こえてくるんだろう... 興味津々なのだ。でも、どこで買えばいいんだろう?

 さて、腰痛の方だが、あまり変化はない。若干だが、「ドン」とした痛みから、少し刺すような痛みに変わったようにも思えるが、それは気のせいだろう。サーノ博士の『ヒーリング・バックペイン』は、ほぼ半分を読んだところ。TMS理論の骨格がやっと見えてきたという感じかな。やはりオリジナルの方が「意味」を理解しやすいと思った。もちろん、『腰痛は怒りである』も役には立つんだが、なにかが不足している。とはいっても、「この本を読んで腰痛がなくなった」という人たちの声については、未だに懐疑的だ。もし、そんなことになったら、嬉しいんだが、さて、どうなることやら。



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2006年11月18日

Edgar Jones + 腰痛日記

Happy & Edgar Jones 朝、検査入院していた関東労災病院から帰ってきて、選択や更新作業と相変わらずの日常を満喫。そして、夕方には渋谷に向かって歩き出していた。この日は待ちに待ったエドガー・ジョーンズの東京公演初日。その撮影をすることになっているので嬉々として、うちから、また歩いていった。運動できなかったのはわずか2日間。だというのに、なにやら嬉しい。しかも、痛みを感じることなく足取りも軽かった。30分ほどで渋谷に到着し、宇田川町交番の裏にある安いラーメン屋で肉なす炒め定食、700円。なんとまずい米を食わせるんだ、この店は... と、思いつつも、この値段で文句を言うのは間違っているんだろうとも思う。この場所でこの価格。本当にまともなものを食べさせてくれるわけがないと考えるのが普通だろう。

 ちなみに、会場のクアトロでビールを一杯飲んだけど、翌日が港区の成人検査の一環としてやってくれる胃のレントゲン検査。夜9時以降はなにも食べてはいけないし、飲んでもいけないと伝えられているので、それ以降いっさいなにも口にしてはいない。

 この日のプロモーターはプランクトンで、アイルランドやマヌーシュ系のアーティストを数多く手がけている。先日、ハッピー&アーティ・トラウムを招聘したトムズ・キャビンと同じようにユニークなテイストを持っていて、二つとも大好きなプロモーターだ。

 想像していたのは、エゴ・ラッピンがサポート・アクトで登場するというものなんだが、受付で尋ねてみるとエドガーのセット中に彼らが登場して絡むというもので、写真撮影について確認。そうすると、エゴ・ラッピンのものについては「写真を確認してからでないと掲載できない」というので、「じゃ、撮影はするけど、使いません」と応えた。当然だろう。ジャーナリズムの世界で生きる人間がなんでそんな検閲を認められるわけがない。だから、ライヴが終わって朝までかかってアップした彼らのフォト・レポートには一切、エゴ・ラッピンは登場していない。

 いつも思うんだが、「掲載する前に写真を見せろ」とか「原稿をチェックさせろ」なんていうのは日本の「事務所」だけで、このあたりの体質は、日本じゃ音楽が「芸能産業の商品」でしかないことをまざまざと伝えてくれる。彼らにとってミュージシャンも、音楽も商品でしかなく、「商品に傷が付けられる」という発想でそういった圧力をジャーナリズムに押しつけてくるわけだ。海外でこんな目にあったことはないし、そんなことがあったら大騒ぎになるだろう。要するに、「表現の自由」から「報道の自由」に対する明白な圧力なのだ。

 特にライヴは「公共の場で繰り広げられる」ことであり、メディアはそれをさらに大きな公共の場に伝えることを旨としている。大きな責任が伴うことは当然として、その「情報を操作」しようということは、それ自体がすでに犯罪であり、もし、仮にそれが「表現者」とされる人間が試みようとしたら、その時点で表現者の自殺行為でもある。だから、逆にいえば、そういった試みをする人たちは「表現者」とは規定するも理解することもできない。

 これまでそういった人たちの取材を私は一切拒否してきた。ある時期まで取材してきて、自分の取材リストから姿を消したのはそういった「表現者の姿を借りた産業バンドやアーティストもどき」。とはいっても、今回たまたまこうなった先方は、おそらく、ここまで問題を大きく捕らえてはいないだろうと思う。彼らにとっては「業界の習慣」としてしか口にしていないのは、容易に想像できるのだ。当然のように、悪意もない。だから、彼らを嫌いになったわけでもない。なぜなら、全然話をしていないから。が、それこそが、「宣伝でしかない」音楽メディアを支えるものであり、それを自ら変えていこうとしない限り、彼らの音楽は「商品」としてしか伝えられることはないだろう。言うまでもなく、取材をしなくなった人たちは、その話を十二分にして、それでも理解しようとしない人たちであり、それ以降、私は彼らのライヴを見たこともなければ、音を聞いたこともない。彼らにそんな価値がひとかけらもないと思うからだ。

Edgar Jones さて、エドガーだ。楽しかった。なにやら、どこにでもいるようなお兄ちゃん的な表情を見せているのがエドガーなんだが、ひとたび歌い出すと、どっしりとした分厚い声が聞こえてきて、音楽が好きなんだなぁというのが良く伝わってくる。とりわけ、ジャズってことじゃないんだが、屈折した奇妙なジャズ風味にファンクやスカあたりの要素が絡んだ彼らの音楽が、ライヴではアルバム「よりジャズではない」雰囲気を打ち出しているのがおもしろい。楽器の構成は、下手からキーボード、ギター&サックス、バックにドラムスがいて、フロントにエドガーのヴォーカル。そして、上手奥にはウッドベースがいて、フロントにギターがいる。構成を見れば、かなりジャズ指向なのは当然としても、この奇妙な感覚がエドガーの色なんだと思う。

 エゴ・ラッピンとの絡みも楽しかった。当然ながら、日本での認知度が低い彼らを助けるためにエゴの二人がステージに登場してくれたんだと思うし、おそらく、わずかの時間でしかリハーサルができなかったにもかかわらず、いい感じのコンビネーションが出来上がっていたのはさすがだった。そのいい絡みを素晴らしい写真で撮影しているんだが、それを発表できないのが実に悲しい。また、その絡みのあと、アンコールで再び彼らが登場してエゴの曲でエドガーのバンドがバックで支えるという光栄があった。この時、ステージを降りて楽しそうに彼らの演奏を見ていたのがエドガー本人。その光景も写真に収めているんだが、当然ながら、それも公表することはない。これほどの楽しい時間を切り取った私の写真はこのままHDの片隅で埋もれてしまうのだ。それが、誰のメリットになるんだろうか? 

 ちなみに、朝目が覚めて隣の北里研究所で胃のレントゲン検査。ところが、腰痛がひどい。びっこを引きながら、やっとの事でとなりに出かけて3階で検査ななんだが、係りの人の対応の悪いこと。看護婦が「腰痛で困っていらっしゃるので」と話しているにもかかわらず、腰をひねるのでさえとんでもない苦痛が走るというのに、せかすように、そして、機械的に右向け、左向け、ひっくり返って... ああぁ、お前もこの苦しみを味わって見ろ! と、そんな悪態もつきたくなった。

 痛みは変わらず。やっと読み始めた『ヒーリング・バックペイン』だが、今のところ、『腰痛は怒りである』よりも理路整然として、自分には理解しやすいという印象。さぁて、これでまたなにを学ぶことができるんだろう。楽しみだ。



投稿者 hanasan : 11:30 | コメント (0)

2006年11月17日

腰痛日記 検査入院続編

 15日に関東労災病院に入って、その日、まずはブロック注射。脊髄のL5左(という脊髄の位置)にこの注射を打ち込むんだが、はっきり言って、これは腰痛よりも痛い。痛いものをなくすために、この、それ以上に痛い注射をしなければいけないというのがなんとも皮肉だ。

 本来なら、これで「痛み」が消える... 要するに「麻痺」するはずなんだが、実際は、必ずそうなるとはいえないし、実際のところ、その注射を打った直後から「病人」の気分になった。しかも、痛さは全然消えない。

 そして、翌日の朝になって、若干痛さが消えていったようにも思えるのだが、この日に待っていたのは造影撮影。脊髄に造影液を注入して、脊髄の細部をCTスキャンなどで確認し、痛さの原因がどこにあるのかをみつけだすんだが、この液体を身体に入れる時にかなりの痛さを伴うと聞いていた。加えて、副作用もかなりあるようで、こちらとしてはかなり身構えていたんだが、実際のところ、それはなかった。注入する時の痛さもブロック注射に比べれば、たいしたことはない。

 ただ、これが終わってから4時間は絶対に安静にしなければいけない。帰りはストレッチベッドに載せられて、それで病室に移動するわけだ。同時に、造影液を出さないといけないので、大量の水を飲まなければいけない。病院側からの指示で2リットル程度の水を用意して、飲みまくったら、出るわ出るわ...  安静にしておかなければいけないといわれているのに、我慢しながらも数回トイレに向かった。

 と、こうやってまた一晩をこの病院で過ごして、検査入院は終わり、家路につくんだが、面白いのは、この時、病院に行って以来最も痛みが少なかったということ。実をいえば、絶対安静からさめて、9階の病室から1階の売店まで行ったんだが、この時の痛みといったら... 今では「差別用語」とされている言葉でしか表現できないんだが、びっこを引きながら歩いたほど。なんの検査なのか... 検査というものをする度に痛さが増しているような気がしてならない。

 結局、今日の朝、病院を離れる時は最も「痛さを感じない」状態になっていたのが皮肉で仕方がない。

 ただ、疑問なのは、こうやって使った金が8万円強。差額ベッド代があったから、それを差し引いても4万円ほどなんだが、こんな金額で本当に普通の人が気楽に病院に行けるのかなぁ。仕事のこともあり、個室にしたんだが、その経費はでかく、これでしばらくは貧乏生活をしなければいけないのは当然。でも、それでなかったとしても、この金額はでかい。本当に嫌になる。

 しかも、この検査の結果を教えてくれるのは12月8日ときた。考えてもらいたいと思う。私達はなぜ病院に行くのか?少しの痛さや、耐えられるものだったら無理をしても行かないのだ。当然、自分たちでできる限りの方法で身体を治そうとしている。それでも、耐えられなくて病院に行き、とんでもない金額を出費して検査をしているというのに、検査から数週間、全くなんの処置をされることもなく、アドバイスももらえないで、痛さを耐えて、患者は待たなければいけない。これが「医療」のあり方なんだろうか? 

 最初に病院に行ってすでに2ヶ月以上が過ぎている。症状はいっこうに良くならず、自分で考えられるありとあらゆる方法を模索して、本もいっぱい読んだ。もちろん、そうやって自分なりの対策を練って実行しているし、その効果がそんなに早く出てくるとは予想はしていない。が、それにしても、あまりに病院というのは無慈悲ではないかと思うのだ。これが当たり前だとしたら、医療の意味ってなになのさ.. と、今日はそんなことを思った。



投稿者 hanasan : 15:01 | コメント (0)

2006年11月16日

腰痛日記 検査入院の巻

ヒーリング・バックペイン 結局は、ジョン・サーノ博士のこの本、『ヒーリング・バックペイン』を持って、検査入院をしながら、じっくり読もうと思っていたんだが、どうやら入れ違いで、病院に持ってくることはできなかった。

 14日に代々木のザー・ザ・ズーで中山うりのライヴがあり自宅から代々木までちょっとペースを落として歩いていった。所要時間は1時間とちょっと。先日、新宿までをほぼ同じ時間で歩いたのを比べるとのんびりしているのがわかる。本当は撮影するつもりだあったんだが、マグのスタッフでいい写真を撮る人間がいたので、代わってもらった。同じ人間が撮影するよりも、他の人間との写真を見比べた方が面白い。といったら失礼かもしれないが、アーティストのいろんな顔を見せることができると思って、彼に頼んでみた。さて、どんな写真になることやら。

 この撮影の後、集まった4人のスタッフと居酒屋で軽く食事。なんでまぁ、男ばかりが集まるとこんな会話になるのか... まるで子供の下ネタだっただが、女が絡まないネタは、まるで小説のネタになるほど面白く可笑しい。なんと幸せなこと。

 そして、徒歩で帰宅。この日は結局、いつも通り2時間強の歩行をしたことになる。そして、プロテインを接種して、検査入院の準備。といっても、たかだか2泊。それほど用意するものはないはずなんだが、書類の山がいっぱい。なんで検査入院で『連帯保証人』を要求するのか全然理解できなかったが、結局、記入せずに来たら、なにもいわれなかった。

 病院は元住吉にある関東労災病院。15日9時半から10時までに来てくれということだったんだが、行くといきなり「部屋が用意できていない」という言い訳うをぐだぐだ続けるので、「じゃ、どれぐらい待てばいいんですか?」とストレートに尋ねると「いやぁ、○○の用意をして、片づけをして...」とそんなことばかり。日本人はなぜ簡単な質問に単刀直入に答えてくれないんだ?おっと、日本人じゃなくて、担当者のことなんだけど、こう思ってしまうのはなぜなんだろうね。

 とは言いながら、昼前には部屋に入って昼ご飯。いつもながら、なんとまぁ、病院のメシはまずいんだろうと思う。でも、全てをきれいに平らげる私はなになんでしょ。とそんなことがあって、約束通り、いろいろな説明を受けて、この日はブロック注射。例によって痛いのなんの。ハッキリ言って、自分の腰痛よりもこちらの方が遙かに痛い。特に今回は、液体を注入しているときにめちゃくちゃ痛かった。北里研究所で同じところにブロック注射をしたときには、そうでもなかったんだが... 確かに、打つときは痛い。なぜなら綿のかけらが落ちても全身に痛さが走る神経に注射するわけだ。その全身に走る痛さを確認してから打つので、それは当然。だが、北里では液体が入っていったときには、かなり気持ちよくなったんだが... なにが違うんだろう、今回は入れれば入れるほどに痛みが強くなった。結局、その注射の後、まるで病人のような面を下げて車いすで自室に戻された。

南正人 ところが、このブロック注射、あまり効果は感じなかった。前回よりも遙かに効かない。といって、一晩寝た後の、朝はかなり痛みが消えていたんだが、それはいつものことだから、ブロック注射のおかげかどうかはわからない。

 病院というのは、当然ながら、暇だ。なにもやることがない。とは言いながら、いつも通り、スマッシング・マグの更新作業をしてmixiの仲間に状況報告。それでも時間が余る。だから、結局は本を読んだり、ビデオを見たりということになるのだ。

 というので、先日、偶然再会を果たした南正人の本『キープ・オン! 南正人』を読み始めるんだが、これが面白い。ちょうど、小田実の『なんでも見てやろう』の影響なのかなぁ... っても、この頃はみんなそうだったけど、61年に出版されたこの本を読んで、私自身がそれから20年ぐらい後に日本を出ていくことになる。今じゃ、海外に出ていくなんざ、なんでもないことだけど、60年代にそうしていた人たちって、大変だったと思います。そんな中のひとりがこの南正人で、『キープ・オン! 南正人』をあのころ読んでいたら、間違いなく決定打になっただろうと思う。「日本を飛び出して彼が体験した話」のみならず、国内でのハッパ関係の話など、面白すぎて、アッという間に半分ほどを読んでしまった。

 そして、先日ここで記した八ヶ岳の命の祭りのところに出てきた自分の原稿のことに関して、彼が大手の新聞社や雑誌社の原稿ではなく、自分の書いたものを使いたかった理由もわかったように思う。あの夜、彼と30年ぶりに再会はしても、あの本を読んでいると共通の友人達の名前が出てくる。世の中って、そんなものだと思うが、人間はみんなつながっているのだ。と、そんな思いを強くさせる。この本、日本のロックの歴史やオルタナティヴな文化の歴史について関心があるのであったら、絶対に読んだ方がいいよ。もちろん、それだけではなく、南正人が自分をさらけ出すことで見えてくる「人間」ってなになんだろって問いかけも面白い。と、そういえば、失礼になるかもしれないけど、少なくとも自分は、にたところを突っ走っている人間としてとても共感できる部分があった。(まだ、全部読んでいないんだけどね)

Sayuri
 で、本を読むのに疲れたというので、MacBookにディスク・イメージとして取り込んでいた映画『Sayuri』を見る。これを日本の映画としてみるのは大間違いで、あくまでハリウッド映画なのね。だから、そういった意味では、映像の良さとか、それなりに楽しめたし、けっこうな外国映画なんだけど、それほどの時間を感じさせることはなかったなぁ。でも、今回も子役で出てくる女の子にやられます。子供時代の「千代」を演じている彼女がかわいいねぇ。あの目がなんともなく魅力なんだけど、それがそのまま映画で鍵となっているのが面白い。それになのに、大人になった千代を演じる女優の目に、それがないことにどれほど違和感を持たされたか。

 また、この映画のなかで描かれた「芸者」って、「アーティストだ」と説明しながら、結局は、高級売春婦でしかないと描いているあたりに、「そうなんだろうけさ、で、なにを言いたいのさ」という疑問が残ってしまった。これって、「なにの映画なの?」特に最後のテロップが笑えるのさ。ま、それを言っちゃおしまいだから、書かないけど。

 で、これを見た後に、iPodに入れている『Sayonara』を見ながら、アメリカ映画の中の日本を考えてしまうのだ。この映画が撮影されたのは57年。先日、ここで書いた『三丁目の夕日』の舞台設定と同じ。今じゃ、これも入手しづらいようだけど。日本に対する視線とかが、どこかで屈折しているのは当然として、同時に、時代を超えた日本を見る自分たちの視線もすでにどこかで屈折していることも感じてしまうのだ。わずか数十年前のことだって、明確な感触を伴って伝えることが難しい。そして、それぞれの人のフィルターを通して世界が変わっていく。恐ろしいと思う。

 だからこそ、戦前回帰の教育基本法改悪が強行採決されても、デモも起こらず、抗議運動も広がらない。あの狂気の時代が、どこかでもてはやされ、評価され、一大決心の下、絶対にこの過ちを繰り返さないとして生まれた憲法が代えられる危機に直面し、その一部としても良かっただろう、教育基本法が瀕死となっている。それほどあなた達がどうでもいいと思うのであれば総一億のみなさん、愛国の志士となって、命を「国」に捧げてくださいな。私はそんなこと絶対にしません。民の国でない限りにおいて、それは「彼ら」でしかないですから。私は非国民として、地球市民として生きていきますから。



投稿者 hanasan : 10:58 | コメント (0)

2006年11月13日

三丁目の夕日... なにもなかった時代に胸躍る + 腰痛日記

三丁目の夕日 このところ、夜、眠れない。なにせ、腰が痛い。1週間ほど毎日少なくとも1時間は歩くようにしていて、今日も歩いてきた。自宅の白金から古川橋、麻布十番、飯倉、溜池、皇居から日比谷、霞ヶ関、神谷町、飯倉と巡って同じコースで帰ってきたんだが、2時間弱で8kmぐらいかなぁ。で、いつものように帰宅したらプロテインを補給して仕事。更新作業をして、風呂に入って、さて、寝ようかと思うんだが、痛いのはこれからだ。ベッドに横になると、痛い痛い。というので、DVDでも見て、痛さを忘れるぐらいにのめり込んで、あるいは、あまりに退屈な映画だからと眠たくなるのを待つという感じだ。

 そのせいか、このところ、毎晩のようにDVDを見る。昨日は『Mr.&Mrs.スミス』を見たんだが、別にブラッド・ピットのファンでもなければ、アンジェリーナ・ジョリーに魅力を感じるわけでもないんだが、単純に楽しめるという意味では、こういった映画も悪くはない。所詮は、ハリウッド映画だから、この程度でいいのだ。まぁ、何度も見たいとは思わないし... どうでもいいけど。

 で、今日は『三丁目の夕日』を見た。いつもながら、レンタル屋でたくさん借りてきて、コピーしておいて、暇なときに見るというパターンで... だからこそ、こうやって、このところ連続して毎日のようにDVDを見ているんだが、前回借りた6枚のうちの1枚がこれで、とりわけ期待することもなく、暇つぶしのために借りたもの。でも、なんか、良かったなぁ。

 原作は西岸 良平の漫画で『夕焼けの詩』。大学生の頃から、漫画週刊誌『ビッグコミック・オリジナル』で連載されていたものだ。今、wikipediaで、ちょっと調べてみたら、なんと彼は高校生の頃、かの細野晴臣と同級生だったんだとか。びっくりですな。(そういえば、『クラウン イヤーズ オブ ハリーホソノ 1975-1976』というのが、12/20に出るんだそうな。名作『トロピカルダンディー』と『泰安洋行』のリマスタリング + ボーナス・トラックに加え、1976年横浜中華街や神田共立講堂でのライヴを収録した20分ほどのDVDに、中華街ライヴのCDという4枚組のボックスセットとなるんだそうだ。これでまた、買ってしまうことになる。やばい!)

ワン・フロム・ザ・ハート で、この映画です。全然期待していなかったのに、とんでもなくいろいろなことを考えさせられた。というか、思い出した。もちろん、作り物の映画だから、『芝居がかっている』のは当然。しかも、作っている人たちが、『映画』好きなんだろなぁとも思う。初っぱなの長まわしなんて、ヒッチコックや溝口やデ・パルマなんかを思い起こさせるし、芝居っぽい、作り物的な映画でいえば、どこかでコッポラ監督の『ワン・フロム・ザ・ハート』だろうなぁ、比較したくなったのは。『Foreign Affairs』でのトム・ウェイツとベット・ミドラーのデュエットを聴いて、この映画を作ったらしいが、あの感覚に近い長まわしで、懐かしい東京が姿を見せるのだ。

 といっても、この時代の東京を自分が知っているわけはない。それでも時代は同じなのだ。自分が生まれたのは1955年の昭和30年。この映画の舞台となった58年のちょっと前となる。だから、(正確な時代考証はよくわからないけど)この映画から飛び出してくるそれぞれの瞬間に全てがつながってしまうのだ。ガキの頃、ラジオにかじりついて『赤胴鈴之助』を聴いていたクチだし、風呂敷をマントに月光仮面ごっこをやっていた。1960年頃、隣の家がテレビを買って、それを見せてもらっていたり... そのときに見た『チロリン村』なんて、いまだに記憶に残っていることを考えると、よほどの衝撃だったんだろう。冷蔵庫なんてなくて、氷を買って冷やす冷蔵庫のようなものが普通に存在した。そんな時代だ。そんな状況を簡単な言葉で言えば、なにやらモノクロの世界から総天然色に変わったって感じかねぇ。舞台はそんな時代の町なのだ。

 そこで繰り広げられるありふれた日常の喜怒哀楽を、いい感じでまとめている『漫画』の映画。それを見ながら、なにもかもが新しく、輝いて見えた時代があったことを思い起こされた。もちろん、本当のあの時代は苦しかったし、誰もが貧しかった。親父は組合運動で首になり、ストライキを続けていた彼の仲間たちは極貧にあえいでいた。一方で、高度経済成長の陰で公害問題が派生し、生まれ故郷の岡山あたりでは森永ヒ素ミルク事件が起きていた。下手をしたら、自分だってその被害者だったかもしれない時代だ。朝鮮戦争にレッド・パージ(共産党を中心とした左翼に対する弾圧事件、労働運動に対する弾圧)もあった。それでもどこかで『未来』を夢見ていたように思えるのだ。おそらく、それを象徴するのが登場人物の「縁もゆかりもない子供」やその仲間が見る未来なんだろう。正直言って、この映画、こういった子役たちにめちゃくちゃ救われていると思う。

あがた森魚 が、今の現実はどうなんだろう。あの頃は、いろいろな問題が目の前にあっても、どこかできっと「今よりはいい時代が来る」という期待を持つことができた。今でも、そういった気持ちを持たなければいけないと思うんだが、素直に、そうはなれない。なにをどう考えても、時代は終末に向かっているとしか思えないのだ。もちろん、70年代にもそう思ったことはある。それを端的に示しているのが松本隆プロデュースによるあがた森魚の名作『噫無情(レ・ミゼラブル) 』のオリジナルに入っていた松本の文章だった。

「昭和の子らよ、死合わせに眠くなれ!」

 という彼の言葉がずっと心に残っている。彼がどれほどの意味を込めて、この文章を書いたのか、想像するしかないが、どこかで単なる「あきらめ」ではなかったようにも思えてしまうのだ。が、21世紀となってかなりの時間が過ぎて、僕らは本当に「期待できる未来」を描けるのか? 正直言って、どこかで否定的な気持ちになってしまう。いつだったか、ロンドンのブリクストン・アカデミーでジョー・ストラマーのライヴを見た後、ぐでんぐでんに酔っぱらったジョーがショーの後、自分の眼前でこういった言葉を思い出してしまうのだ。

「It's fuckin' too late,man. Fuckin' too late!」

 もう、間に合わないんだよ、もうダメなんだ。と彼は言っていたんだが、それはおそらく、環境問題のことだと思う。馬鹿げた戦争や石油で右往左往している暇はない。僕らは確実に終末への速度を上げているのだ。それなのに、なぜ、そのスピードを遅くする努力をしないのか? こんなにのんびりしてはいられないはずなのに... たった1本の映画から、こんなことまで考えてしまう自分は、おかしいんだろうか。当たり前の感性を持っていたら、これぐらいのことに気づいてもいいだろうに。



投稿者 hanasan : 03:15 | コメント (0)

2006年11月11日

腰痛日記(続編)

腰痛は怒りである とりあえず、この本『腰痛は怒りである』は読んだ。基本的なコンセプトは、まず第一に「腰痛の常識」とされている嘘を暴くことから始まっている。そして、その呪縛から解放されなさいと説く。具体的なデータをあげながら、椎間板ヘルニアなどのMRIやレントゲンなどによる脊髄内の突出部分の大小が症状に比例しないことなどを症例から実証して、それが原因であるとは確定できないと示す。同時に、常識的に言われ続けている「年齢のせい」、「腰痛は人間であるから必然だ」「身体のゆがみ」といったこともことごとく否定。そのデータ的な部分について私達には確認できないから、これを鵜呑みにしていいのかどうかはわからないが、おそらくそうなんだろう。実際、自分のMRIの結果についても「通常ではそんなに痛くはない」と医者に言われている。が、痛いのだ。一時期は、あるいは、ある時間帯なのか、ある姿勢に依存するのか、めちゃくちゃ痛かったし、今も痛い。それはもう、ぶった切ってやりたくなるほど痛い。だから、そういった指摘についてはかなり納得できたように思う。

 加えて、従来の治療法についての問題を指摘。ブロック注射から腰ベルトに腰を引っ張るといった療法に関して、よい結果が確証されているものではないというのだ。それもある程度理解できた。要するに、そうして治った人もいれば、治らない人もいる。その意味で言えば、確実に有効であるとは断言できないと言うわけだ。そうだろう、確かにそうだ。原因が明確ではないのに、対処する方法がわかるという方が論理的におかしい。

 そして、登場するのがサーノ博士による『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』に登場するTMS理論。Tension Myositis Syndromeの略で、緊張性筋炎症候群というもの。簡単に言ってしまえば、心的なストレスが問題だと指摘している。精神的な問題から自分の身を守るために防衛本能、あるいは、防衛機能として自律神経に働きかけ、その問題から意識をそらせるために肉体的な苦痛を与えて、意識をそこに向かわせるというわけだ。だから、そのストレスに真正面から対峙して、それを解決しなければ痛みはなくならない... という発想なんだと思う。簡単に言えば、病は気から。気持ちがすっきりしなければ治らない。だから、そこに目を向けようというのだ。

 それもどこかで正しいんだろうと思う。自分の場合を見つめ直して、ストレスがないといえば嘘になる。生活なんぞ、ストレスで溢れている。ただ、その説明だと、どこかで納得できないのは、「それならば、なぜ同じ時期に(私の場合は毎年9月ぐらい)痛みが出るのか?」という点だ。今回はそれがひどくなって例年とは違う痛みを感じているんだが、それにしても、そこになにかの因果関係を想定してしまうのだ。とはいっても、例年の場合、1ヶ月もすれば忘れてしまうほどになるのに、今回、それが長引いているのは、おそらく、その心因性のストレスによるところがあるのではないかとは想像できる。いやぁ、いろいろ思い当たる節がある。

 そう言えば、今、fujirockers.orgにやってきたスパム・メールの削除作業をしているんだが、8月から昨日までの数は18000。といっても、それはここに送られたものではなく、送ってもないメールが行方しれずで戻ってくるというもので、サーバーの管理者だったらチェックせざるを得ない、しかも、削除できないアカウントにこれが積もっている。その容量だけで110MBもあった。なんとか、今日削除できたのが12000通。受け取りを拒否できる設定をみつけたので、これからはこんなことはないと思うが、それにしても、仕事の関係で管理しなければいけないアカウントが多すぎる。だから、このところスパムだけで1日に7〜800通は受け取っている。それに加えて、スタッフ関連のメールの数も多いし... これがストレスにならないでどうする。

 おっと、話がそれてしまったが、この本はそういったストレスを列記して、それに向かい合うところから始めようと語りかけている。特に完全主義者でいい人はこういったことになりやすいとか。それって鬱病なんかも同じように思える。あれも、心的なストレスが自律神経を痛めていって身体に異常をきたしていくはずだ。ただ、いい人であるのを攻められる感覚って、なんか、嫌ね。まぁ、友人によく言われるんだが、あんたは人が良すぎるって。だったら、悪い人になれるかといえば、そりゃ、無理でしょ。

 ともかく、こういったことを自覚して、普通に生活することがいいと語りかけているんだが、ちょっと宗教じみているなぁ。西洋医学を否定しているわけではないといいながら、どこかで信仰にもに近い気持ちにならなければいけないとしたら... まぁ、それが「無意識的にも信じる」ってことなんだろうけど。そして、瞑想をしたりしながら... と書かれているが、どうもうまく理解していないんだろ。

 と、もう一度読んでみようと思っているが、一通り読んだ結果として、自分がやっているのは、とりあえず、適度な運動。っても、1日に1時間以上も歩くのがそうなのかはわからない。ただし、いつも家でコンピュータに向かい合っているだけの毎日なので、それほどおかしくもないだろうし、普通だろう。実際、一昨日は自宅から原宿、そこから新宿、そして、代々木と歩いて、そこから電車で恵比寿に移動して、歩いて帰宅した。昨日は自宅から明治通りを渋谷に向かい、そこから池尻大橋に出て、中目黒の友人の店でちょっと休憩して恵比寿経由で歩いて帰宅。ただ、歩くことは全然苦痛ではないし、どんどん楽しくなっている。このまま行けば走り出しそうで、そうなったらそれでまたいいだろう。

 おかげで、確かに体調は良くなっているような気がする。もちろん、そういった運動に伴ってタンパク質を補給することや健康な食事をすることも心がけ始めているし。ただ、そうやって筋力を付けても、(たかだか1週間ほどで変わるとは思いませんが)痛みはそれほど変わってはいない。机に向かって仕事をしているときはほとんど感じないのだが起き上がった時、寝る時などはかなり痛い。どうやら、筋肉がつったときのような痛みで、時に刺すような痛みにも感じる。

 というので、始めたのがストレッチだ。この参考にしているのは『腰痛は絶対治る!』という本。なんでも阪神タイガーズのコーチもしていたという中川 卓爾という人が書いたもの。症状によってどういったストレッチが必要なのかを丁寧に説明している。といっても、その例というのは7パターンぐらいなんだが、なんとなく、これがいいような気がしてきているから不思議。まぁ、これもまだ始めたばかり。これからどうなるか、まぁ、それは身体が教えてくれるだろう。



投稿者 hanasan : 17:00 | コメント (0)

2006年11月10日

南正人と30年ぶりに遭遇 + 腰痛日記

南正人 昨日は歩かなかった。まぁ、時間がなかったのだ。というのも、6時半に大塚に出て中山うりとのインタヴューに立ち会うことになっていて、家で作業をしていたら、その時間がなくなってしまったのだ。だから、とりあえず、うちから恵比寿まで歩いて、山手線で大塚に移動。そこでインタヴューと相成った。といっても、自分はアシスト役で担当は別の若者。かなりいい文章を書くし、いいセンスもある青年で、どんな原稿になってくるのか興味津々だ。

 その後、写真の担当者と彼と一緒に新宿でちょっと食事。韓国食堂というところで、久しぶりに旨い韓国料理を食った。それで、ちょっと飲もうかと向かったのがネイキッド・ロフト。っても、その前にここにあった店を期待していたんだが、それはとっくの昔になくなっていた。そのネイキッド・ロフトではなにやらイヴェントがあったらしく、なんか入りづらいなぁ... と思っていたら、目の前にいるおじさんが「入れば」って声をかけてくれたんだが、どこかで見たことがあるなぁ... と思って、名前を尋ねると南正人だった。びっくり。なにせ、今から30年ほど前、岡山でプロモーターをしていた頃、彼のライヴをやったことがある。そのあと、確か一緒に広島に行ってライヴをやって、地元のプロモーターの自宅に泊まることになったんだが、それがちょうど瀬戸内海の沿岸にあって、真夜中に全員で海辺に降りていったのを覚えている。まぁ、つまらない話をしながら、のんびりとしていたんだが、そうしたら、知らないうちに海に入っていたのが南正人。そばを通る山陽本線を列車が走ると「夜汽車よぉ」なんて、海のなかから彼が叫んでいたのがめちゃくちゃ面白かった。

 と、そんな思い出話をしていたら、少しは当時のことを思い出したようで、「いやぁ、今日は僕の本の出版記念でライヴをやってたんだ」という話を聞くことになる。で、その本を見せてもらったんだが、それが『キープオン!南正人』というものだった。なんでも、以前に出版したものも含めて、新たに書いたものも一緒にして、さらにデビュー20周年のライヴDVD(1989年のものらしい)も加えて出版したんだとか。

 ん? となると、以前宝島で出版したものも入っているのか?と、気になった。なにせ、あれが出版された時、自分が雑誌の方に発表していた原稿を、自分には全く連絡することなく使用されていたといういきさつがある。当時の編集長は、(今じゃ、お偉いさんらしい)自分が書いた『ロンドン・ラジカル・ウォーク』のあとがきを書いてくれていたし、まぁ、いいかぁと問題にはしなかったんだが、あまり気持ちのいいものではなかった。

 というので見てみたら... 出ている。使われている。今回も、私はいっさい連絡も受けていないし、一銭の原稿使用料ももらってはいない。いいのかぁ?こんなことで。著作権というのがあるだろうに。少なくとも、連絡をしてきて、許諾を得るべきだろう。と、思いながらも、この原稿は素晴らしい。自分でも惚れ惚れするほどだ。っても、どこかで気負っていて、「期待」と「希望」が入り交じった文章であることは否めないし、そう信じていくんだという宣言のようなもの。それができるだけ多くの人に読まれるべきだという気持ちは今もある。だから、使われているのは嬉しいんだが... どこかで、「これでいいのかなぁ」と疑問に思っている。

 それから、新宿を離れて中目黒のバードソング・カフェから恵比寿のソルナへとハシゴ酒。結局、朝方まで飲んで帰宅した。全く不健康の極みである。結果として、依然として腰は痛い。まぁ、左臀部ですけど。

 それがあけて、今日は1日コンピュータに向かって更新作業。その後、10時ぐらいから歩き出した。今日のコースは自宅から恵比寿、中目黒を経由して、池尻大橋あたりまで。それから、目黒川沿いに歩いて、恵比寿で一杯飲んで帰ろうかと思っていたら、友人がコンピュータ関連で助けてくれというので、再び中目黒に出て... わずか5分でその作業をして、そこから一気に自宅まで帰ってきた。実際に歩いたのは1時間半ぐらいかな。帰ってきてから、これを書いているんだが、痛みは変わらず。慣れてきたのか、今の段階ではそれほど苦痛ではない。おそらく、これから寝る時にまたあの痛みを感じるんだろうけど....



投稿者 hanasan : 00:55 | コメント (0)

2006年11月08日

Happy & Artie Traum with 律とイサト +腰痛日記

Happy & Artie Traum 腰痛の状況は全く変わってはいない。左臀部の痛みは相変わらず。というか、若干ひどくなっているようにも思う。といっても、いつも痛いわけではなく、ある種の方向に体が動いたとき、あるいは、ある角度で腰に負担がかかったときに痛みが走るといった感じ。その痛さは並大抵のものではないんだが、歩いたりしているときにそれを感じることはない。というので、今日も歩く。今日は、先日ツアー初日の取材をした昔懐かしいハッピー&アーティ・トラウム(おそらく、正確にはトロムと発音するのではないかと思うが、昔はトラムと呼んでいた)の最終日ということで、彼らの奥さんがほしがっていた、初日の写真をDVD-Rに焼いて持って行った。

 コースは自宅の白金から外苑西通りを北上して西麻布から青山三丁目、信濃町、四谷三丁目、曙橋というコース。5時15分にうちを出て6時20分には会場となるバック・イン・タウンに着いていた。こうやって毎日歩くと、歩くことが全然苦ではなくなる。面白い。町の表情が変化していることもよくわかって、歩くこと自体が楽しくなってきた。

 ライヴは素晴らしかった。音に関していえば、初日の横浜サムズアップの方が遙かによかったけれど、楽しさという点ではこっちだろうな。会場は小さかったけど、一昨日に続いてソールドアウトで、当初、チケットが売れないという主催者のぼやきが嘘のようにいい雰囲気だ。といっても、お客さん達の年齢層は、おそらく50代が中心。いつものライヴでは自分が最も年寄りだと感じてしまうんだが、ここでは全然それがない。

ヒーリング・バックペイン 会場に入ってライヴが始まる前に楽屋に入れてもらって、彼らに写真を渡してあげたんだが、その楽屋にいたのが昔から大好きなミュージシャン、中川イサトや友人の翻訳家で今年、アメリカのテレビ・キャスター、ラリー・ケインが執筆したビートルズ 1964 - 65
マジカル・ヒストリー・ツアー
を出版した室矢憲治。そこに連れて行ってくれたのが昔からの仲間でハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルを手伝っている川村恭子。ここで昔話に話が咲いていた。70年代に彼らが来日したときにイサトの家を訪ねていたことや、当時のアルバムのこと。みんな、音楽が好きなのがよくわかる。詳しくは知らないんだが、おそらく、マッド・エイカーズとして来日した頃のことではないかと思うけど、話の流れでそう思っただけなので、確証はない。

 そのとき、いろいろと話をしたんだが、面白いことに、話題が腰痛に及ぶとアーティも読んでいたのが『サーノ博士のヒーリング・バックペイン—腰痛・肩こりの原因と治療』(当然、彼が読んでいるのはオリジナルの『Healing Back Pain: The Mind-Body Connection』で、前者は翻訳版です)という本。どうやら、彼も腰痛や肩こりで悩んでいるようで、指圧やマッサージの話なども出ていた。

律とイサト さて、ライヴの方なんだけど、途中休憩を挟んで始まったセカンド・セットが強力だった。まずは律とイサト(村上律と中川イサト)がゲストとして2曲披露。それから、ハッピー&アーティのステージとなるんだが、あまりに気持ちよくて途中でうとうとしてしまったんだが、うれしさのあまり興奮してしまったのが、彼らと一緒に律とイサトがステージに立ったとき。特に、ミシシッピー・ジョン・ハートへのオマージュとして作られたハッピー&アーティの名曲『ミシシッピー・ジョン』を演奏したときには、なんかジーンとしましたなぁ。なんでも、律とイサトが99年に発表したセカンド・アルバム(なんでも27年ぶりだったらしい)にこの曲が収録されていて、ハッピーとイサトが交互にヴォーカルをとりながら歌ったこれにはまいりました。実は、彼らにとっての最初のアルバムは持っているんだけど、こっちは知らなかった。いやぁ、素晴らしい。なにせ、自分にとっても、ミシシッピー・ジョン・ハートはギターだけではなく、音楽の神様のような人。『Last Sessions』なんて、涙なくしては聞けないし、彼が生きていて動いている映像が見ることができるDVD『Rainbow Quest』も宝物だ。そのジョン・ハートへの愛情と尊敬と感謝の気持ちを込めたこの曲を録音している二組のデュオが日本語と英語で一緒に歌っている光景は、それだけで感動ものです。

 加えて、ザ・バンドのベッシー・スミスとか...最後の名曲、「I Shall Be Released」なんてねぇ、どうしようもありません。ちょいと涙も感じつつ、懐かしさも感じながら、この会場を後にした。ああ、楽しかった。こんなライヴは久しぶりだなぁ。

 で、この日はカナダから日本に来ていた友人の友人で地元のラジオ局で日本のインディ系の音楽をずっと流し続けている人物と会うため、歩くことはなかった。まぁ、恵比寿で一杯飲んだ後は、もちろん、歩いて自宅に向かいましたけど。

 こんな忙しさもあり、『腰痛は『怒り』である』はまだ読み終わってはいない。ほぼ読み終えて、だいたいの流れは理解してきているんだけど。



投稿者 hanasan : 02:14 | コメント (0)

2006年11月07日

腰痛日記

真実の瞬間(とき) なんとアホなことを書き始めるのか... と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、事態はかなりシリアス。でも、それだったら向かい合ってやろうと、こんな記録を残すことにした。っても、自分のやっていることが正しいのかどうか、そんなことはわからないが、こういった努力をやってどんな結果がでるか、見物だと思う。ただ、それだけのことだ。

 とりあえず、前回ここに書いた『腰痛は怒りである』という本は本日到着。でも、まだ全ては読んではいない。その前に、ここまでのいきさつを記すとこんな感じになる。

 よし、向かい合ってやろうと思って、まずやり始めたのが歩くこと。一昨日は自宅の白金から中目黒の友人のやっているレストランまで一気に歩いた。かかった時間は30分。ノンストップで、かなり足早に歩いたという感じ。なかなか気持ちいい。っても、それでビールを飲んで、焼酎を2杯。でもって、その仲間とワインを1杯飲んで、そこからまた恵比寿まで歩いて再び焼酎を1杯。要するに、ただの飲んだくれですな。結局、その頃から強力な痛みを感じ始めて... そりゃぁ、そうだろ。そんな不健康なことをやっていたら、身体にいいわけがない。

 というので、翌日はちょっと控えた。同じように、といっても、今度はダイエット用に買った協栄ジム開発... サウナスーツみたいなのを着込んで、再びうちから中目黒に向かう。といっても、今回は到着してビールを1杯と薄目の水割りで焼酎を2杯。しかも、のんびりと閉店後DVDを見ながらとなったので、自分のなかで飲んだうちには入らない。この時見たのが『真実の瞬間(とき)』という傑作で、ハリウッドに対するレッド・パージ(赤狩り)を描いた作品。今の日本のメディアがそうなりつつあるのをわかってみていると、めちゃくちゃ面白い。今じゃ、『国を愛しています』と言わなければ非国民扱いされるし、メディアでやたらと日の丸君が代を奉っているのがその傾向だと思っていないようじゃ、よほど鈍感だと思う。

 それはさておき、その後、再び中目黒から自宅まで一気に歩いて帰る。この日は途中でどこに立ち寄ることもまっすぐ帰って、服を着替えてまた仕事。コンピュータに向かい合ったんだが、途中で倒れるように寝てしまう。が、それほどひどい痛みは感じなかった。

 今日は自宅から新宿まで歩く。8時45分に家を出て、10時前にヨドバシに着こうと決めて(要するに、小さなリュックを買いたかったのね。そんなもの、どこでも売っているんだけど)で、途中、何度か信号で止まらなければいけなかったけど、甲州街道の南口あたりについたのが9時50分で、なんとか閉店に間に合って購入。その後、メシでも食ってから帰ろうかなぁ.. と思ったんだけど、あんまり食欲がなくて、そのまま再び歩き出して帰路に。その時が10時10分。途中、友達の店で一杯飲んで帰ろうかとも思ったが、1日ぐらいサケを抜かないといけないと思って、そのまま帰ってしまった。といっても、近所で買い物をしたから家に着いたのは11時半。今日は2時間半ぐらい歩いたことになる。これで聞けたのは43曲。(当然、iPodです)なんだか、歩いていると、どこまでも歩いていけそうで面白い。今度、小田原まで歩いていってみようかと考えたり... 80kmぐらいだから、きちんと休んでいけば、2日でたどり着けるかなぁ。と考えたり、友人が「タンパク質をとらないといけない」とアドバイスをしてくれたことから、頭のなかはタンパク質だらけ。なにを喰えばいいんだ?と、大豆しか頭に浮かばない。

 で、今、Google Earthの新しいヴァージョンを下に距離を測ってみたら、直線で5km強。だから、片道6kmぐらいを歩いたんだろう。帰って来てから、しばらく休憩しながら軽く食事。といっても、そんなに食欲はなくてコンビニで買ったサンドイッチに飲むヨーグルト。以上。なんと粗末な食事だ。タンパク質もクソもあったもんじゃない。そして、こうやって腰痛日記を残している。

腰痛は怒りである で、今日届いた『腰痛は怒りである』という本を読み始める。すでに半分ぐらい読んだけど、これまでのくだりは『腰痛の原因は全然わかっていない』ということと医者の処方が『効果なしだ』ということ。それをいろいろなデータを加えて書いてくれているんだが、当然ながら、そのデータに関しての信憑性を判断するすべを読者は持っていない。なにせ、専門家じゃないから。このあたりは著者を信用するしかないのだが、そうやっていくと「どないなっとるんじゃい」ということになる。ただ、多くの医者が言うように「年のせいである」とか「人間にとって腰痛は避けられない」といった発言が、全然意味を持たないことだけは理解できる。

 まだ半分ぐらいの段階で、どうやら最も強調しているのがプラシーボ効果のこと。要するに、信じるものは救われるということが書かれているのだ。すでに、この時点で結論がわかってきてしまったような感じ?といったら、筆者に失礼だが、自分で信じなければいけないのね。直るのよ、直すのよ。でも、安静にしているだけではいけない、というか、日常生活を普通にしているのが一番といった記述は仲間の体験者の言葉にも通じる。といって、運動すればよくなるとも断じてはいない。健康のために運動はいいんだというので、やればいい。が、それが腰痛に効くとは全然認められてないと来た。さぁて、これからどうなるか。明日までには全部読んでみよう。 それでもって、どう転がるかだ。

 ちなみに、あれほど歩いた今日は、はっきり言って、めちゃくちゃ痛い。ただ、角度によるんだけど。椅子から起き上がるとき、寝ようと思ってベッドに入ったときが強烈に痛い。さぁて、どうやって寝ればいいんだろう。


投稿者 hanasan : 01:20 | コメント (0)

2006年11月04日

腰痛に泣く毎日

腰痛は怒りである いきなり、なんでこんな本を... と思われる人もいるかもしれない。なにせ、ここで書いてきたことといえば、音楽を中心にエンタテイメント系がほとんどで政治的なことなんかもあるんだが、なんと今回のテーマは腰痛なのだ。が、めちゃくちゃ苦しんでいる。勘弁してくれよ、と思うほどに痛い。痛くてやりきれないのだ。そんなところから話が始まってしまうのだ。

 実は、3年ほど前から兆候は出ていた。が、それがこれほどひどくなるとは思ってもみなかった。最初は左手のしびれだった。朝目が覚めて、左手がしびれていたんだが、おそらく、寝方が悪かったんだろう... とタカをくくっていたのだ。ところが、夕方になっても、そのしびれが消えることはなく、心配になって近所の病院に出かけることになる。頭のMRIなんぞをやって、いろいろと調べるんだが、どこにも異常はない。医者も、年齢によっていろいろな障害が出てくるものだから、それほど気にしなくてもいい... と、まぁ、そんなことをいうわけだ。受け取った薬も、結局はビタミン剤であったり、まるで治療していないようなもの。そうしているうちに、しびれの感覚が薄らいできて... っても、なくなったわけではなく、慣れなんだろうが、しばらくすると忘れてしまうことになるのだ。

 ところが、それから約1年後、今度は左足の関節が痛くなる。しびれも左手から左足にまで広がり、腰痛も感じるようになった。というので、再び、同じ病院へ。すると、医者が「去年も同じ時期に来てますね」と教えてくれる。そうなのか、なんでだろうと思いながらも、偶然だろうと思っていた。で、このときも治療は同じ。いろいろ調べることはしてくれる。このときは腰のMRIをとった。が、異常はなし。同じように、ビタミン剤と鎮痛剤のようなものをもらって、しばらく通院してみるんだが、結局、知らないうちに痛みが和らぎ、しびれも忘れていった。

 そして、今回だ。やはり時期は前回と同じ頃。が、前回との違いは... 痛みがひどい。めちゃくちゃひどいのだ。というので、再びMRIで、今回は腰だけではなく首もチェックする。それによると、いわゆる「ヘルニア」というものらしいんだが、その検査結果を見ても「これだったら、そんなにひどくはないですよ」となる。ホンマかい!だったら、この痛さはなになんだぁと思いつつ、結局、前回と同じような流れになるんだろうかと思っていたんだが、痛さはどんどんひどくなる。まぁ、ひどくないときもあるんだが、ひどいときには耐えられないほどの痛みになって、精神的にもかなりストレスを感じるようになってきた。

サーノ博士のヒーリング・バックペイン というので、友人の薦めで針にいってみたり... っても、これも最初はなんとかなりそうな感じがしたんだが、2回目はそれほど効果もなかった。それに、はっきり言って金がない。メシを食うにも困るほどの貧乏人がこんな治療をしていたら、干上がってしまう。それでも痛い... 通っている病院で脊髄に直接針を打ち込むというブロック注射も試してみた。なにせ、注射をする前に麻酔を打って、それから打つというもので、痛いのなんの。こりゃぁ、拷問だと思いましたな。確かに痛みは消えるんだが、持っても数日。結局は、痛みが戻ってくる。そりゃぁ、そうだろ、麻痺させているだけなんだから。

 というので、いろいろ調べたら関東労災病院が腰痛に関して評判がいいというので、紹介状を書いてもらって訪ねてみた。担当してもらったのは夏山元伸という先生で、なんでも内視鏡による手術では有名らしい。要するに、こちらとしては脊髄の中の飛び出している軟骨か髄核を切り取ってもらいたい... と、そう期待しているんだが、当然ながら、「じゃ、手術しましょ」とはならない。MRIを見ても、この日、レントゲンを撮ってもらって、それもチェックしてくれているんだが、どうやら「痛みに相当する」ものが見あたらないというのが本音のようだ。というので、結局、検査入院をする予定となっている。これでまた貧乏になるわけだ。

 といっても、それは検査でしかなく、今も、痛みはひどい。時には耐えられないほど痛いという状況は全然変わってはいない。というので、当然、こちらも考えなければいけないというので、調べ初めていろいろな本が出版されていることに気がついた。友人の間でも腰痛持ちがかなりいることが発覚して、よくも、みんなこんな痛みを隠して生きているなぁと思ったり。それがどの程度かは他人にはわからないが、実際に自分がそうなってみると、みんな大変なんだろうなと思う。要するに、腰痛は実にポピュラーな病気で、それに苦しんでいる人がいっぱいいるからこそ、いろいろな書物が出ているということだ。それに、どこかで医者や病院には信頼感を持っていないということもあり、なんとか自分で直す方法を探さないといけないと思い始めているところから、こういった本を探し出したわけだ。

 そこでみつけてきたのがこういった本の数々。当然、まだ読んではいないし、これから注文するんだが、まずは読んでみようと思ったのが腰痛は怒りであるというもの。これはサーノ博士のヒーリング・バックペインをベースにそれをわかりやすく解説したものとされている。なんでも腰痛は心的要因がかなりあるということらしいが、これから読もうとしているのでまだなにも語れない。が、本当かどうか、読者からのコメントを見るとまるでマジックのように「この本で腰痛が治った」と書かれてある。なんか怪しいなぁとは思うものの、溺れる者は藁をもつかむということで、これからこれを注文してみようと思う。

 それに、もう一冊腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべても買ってしまおう。つんどくよりは乱読です。納得したことだけをやればいいんだから。それに、医者頼りではなく、結局、自分で直す気持ちを持たなければいつまで経っても同じこと。基本的にこの原因は、おそらく、こうやって毎日毎日コンピュータ・モニターに向かい合って座りっぱなしで仕事をしていることが大きいだろうし、運動をしていないことによって体がおかしくなっているに違いない。だから、まずは体を動かし、根本から生活を改造しなければいけないんだろうと思う。

 まぁ、分かり切ったことなんだけど、それにしても痛い。この痛み、いつまで続くかわからないけど、絶対に直してやると、そう決意したのであります。



投稿者 hanasan : 12:48 | コメント (0)