2017年01月24日

最後の更新は7年前...

 びっくりしました。実は、パスワードを忘れて、このブログにたどり着けなかったのです。が、とりあえずは、なんとかなった。で、どうやって書いていたのか?そのあたりを勉強しつつ、また、何かを書き始めるかもしれない。

投稿者 hanaoyaji : 18:51 | コメント (0)

2009年08月13日

心から愛する川村かおりへ

川村かおり 申し訳ない。結局、通夜にも告別式にも足を運ぶことができなかった。最後の別れというのが、どうも、受け入れられないのだ。

 その一方で、かおりが亡くなったというニュースを耳にして以来、なんだか自分の周りの空気の流れが止まったかのような感覚に幾度となく陥っている。そして、ひっきりなしに彼女の顔が頭に浮かぶのだ。あの翌日なんぞ、打ち合わせに出た渋谷で... 勘弁してほしいと思うほどの音の洪水に見舞われているあの街で、まるで『音』を感じることがなかった。なにやら目の前に広がっていたのは全てがミュートされたかのような世界。それは生まれて初めて目の前で飛び込み自殺を見たときの光景にどこかで似ていたように思う。全ての時間が止まって、自分だけがこの世から全く浮き上がってしまっているような、そんな感覚だ。

 結局、6月にロンドンから送ったメールへのレスがかおりからの最後の言葉になった。「ロンドンに来ると、いつもかおりのことを思い出すよ」と、そんなメールを送ったんだが、本音を言えば、まだかおりが生きていることを確かめたかったに過ぎない。いろいろな話を聞くと、おそらく、そのときにはかなり厳しい状態にあったんだろうと想像する。そのかおりから「ふふふ わすれないでね また行こうね。」というメールが戻ってきたときには、単純に彼女が生きていて良かったと思ったものだ。それと同時に、おそらく、来るべき時が近いのではないかとも思った。そのメールへの返信は「忘れるわけないさ。かおりはハートのクイーンよ」それが彼女への最後の言葉になってしまった。

川村かおり かおりと初めて出会った時のことは、今でもはっきりと覚えている。きっかけは、当時、懇意にしていたエコーズの辻君。彼が同じ時期にロンドンに来てスタジオで仕事をしているというので、オックスフォード・サーカスにあるエアー・スタジオを訪ねた時のことだった。部屋に入ると大きめのソファのような椅子の上で、まるで猫のように身体を丸くして寝ていたのがかおり。彼が手がけていたのが彼女のデビュー・アルバム、『ZOO』で、そのミキシングかなにかではなかったか。詳細はもう覚えてはいないんだが、いずれにせよ、この時点で彼女はまだデビューしていなかったように思う。

 当時、英国に置かれた日本の高校の分校で学んでいたのがかおりで、頻繁にロンドンへの取材を繰り返していたのが筆者。そんなこともあり、あの出会いがきっかけで、ロンドンへ行くと、必ずといっていいほど彼女と顔を合わせるようになっていた。かおりを誘い出してメシを食ったり、ライヴを見に行ったり... 一番覚えているのはロニー・スコッツというジャズ・クラブでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを見たことかなぁ。メンバー・カードを持っているおかげで、ウイークデーにはわずか1ポンドで入れるというので連れていったんだが、あのときのジャズにかおりが衝撃を受けていたなんて... ずいぶんと後に本人から話を聞くまでは全く知らなかった。

中山ラビ かおりが日本に帰ってきてからも、時折会ってメシを食ったり... という感じだった。頻繁に会うことはなかったんだが、いつも思い出したように、顔を合わせていたものだ。ギャズ・メイオールとトロージャンズが来日したときには、一緒にライヴを見に行って、メンバーのバスに乗り込んで... ギャズを初めとしてかおりを目にしたみんながいきなり彼女にアプローチしだしたのが面白かった。小田原に住んでいた頃は、仲間とやる鍋やカレー・パーティに誘ったりもしたし、あいつはひとりで車を飛ばして東京からやって来たものだ。友部正人のライヴで偶然会って、「実は大好きなんだよ」って、かおりの、また違った側面を知らされたりもしたこともある。そういえば、一時、ベイFMで番組をやっていた頃のこと、けっこう危険な日本のフォークやロックを流したときの同録テープをあげたとき、中山ラビの名曲「13円50銭」に頭をぶん殴られたと言われたことも懐かしい。

 ラビのデビュー・アルバム、『私ってこんな』に収録されているあの曲で歌われているのは関東大震災の直後に虐殺された韓国朝鮮人の話だった。すでに、こんなことを知る人は少ないだろう、あの混乱のなかで彼らが蜂起するという噂が流れて始まったのが、自警団と呼ばれる人を中心とした『韓国朝鮮人狩り』だと言われている。大陸からやって来た(連れてこられた)第一世代は韓国語独特の訛りから、濁音をうまく発音できないというので、13円50銭を「ちさんえんこちせん」としか言えなかったというのだ。だからというので、それらしき人を見つけるとその言葉を語らせて、日本人かどうかを判断。その結果、数多くの韓国朝鮮人が殺されたという。あのときにはどさくさに紛れて数多くのリベラルな知識人や活動家も殺されていて、そんな時代を歌にしているのだが、ロシア系ハーフとして日本で生きてきた彼女は、人種差別や理不尽な暴力に対してきわめて敏感ではなかったんだろうかと思う。

 それだけではなかった。かおりは「正しくない」ことに対して、直感で行動する女の子だった。多くの人は知らないだろうが、イラクで日本人が人質になったとき、渋谷ハチ公前で救出をアピールする集まりに来てくれないかと連絡すると、ギターを持って車で乗り付けてきたなんてこともあった。といっても、来た時間があまりに遅くて、結局は何もできなかったんだけど。どこまでもまっすぐに「起きていること」に向かい合うタイプといっていいだろう。ナイーヴなアプローチではあったかもしれないが、社会の不正に対して彼女が語るとき、もどかしい言葉の裏から顔を覗かせるのは弱者に対する優しいまなざしだった。おそらく、それが死ぬ間際まで続いていたんだと思う。

Warren Zevon 巻頭の写真は昨年11月、渋谷のクラブエイジアで、彼女自身がオーガナイズしていたイヴェントでのもの。あの写真の直後、彼女が撮影しているこちらに気付いて、ニコッと笑っているんだが、その瞬間に、もう彼女の撮影をするのは止めようと思った。なぜか? 死ぬとわかっている友人を撮り続ける勇気がなかったのかもしれない。正直言って、自分はそんなにタフじゃない。

 そのかおりに死が迫っていることで思い出したのは、数年前に亡くなったウォーレン・ジヴォンだった。が、結局、そのことも彼女には話せなかった。おそらく、本人には人生の幕が下りようとしているのがわかっているはずなのに、それに追い打ちをかけるようなことなんてできるわけがないじゃないか。これはかおりと同じように自らの死が迫っていることを知ったジヴォンが、最後の作品を録音する様子をドキュメントしたもの。『Keep Me in Your Heart』(僕のことを心にとどめておいてくれ)というタイトルがかおりから受け取った最後のメッセージと同じで、彼女もまたあれから最後の作品を制作したことになる。それが『K』と呼ばれるアルバムであり、『MY SWEET HOME ~君に伝えたいこと~』という本なんだろう。

 でも、彼女はけっしてネガティヴにはならなかった。彼女のメールにはこんなことが書かれてあったものだ。

「そうそう、偶然はないのよ。廻べくして廻ってるのよ、きっとね。」

 と、ありのままを受け入れて生きた彼女が天寿を全うしたと思うことにしている。38歳という年齢を若すぎるというのは簡単だ。が、人の生はその長さではない。どこかで、あいつにはまたきっと会えると思っているんだが、こうやって、あの日以来、幾度も書き直しながら、この文章に向かい合って、やっとかおりの死を受け入れられたのではないかと思う。気がつけば、あの日からすでに2週間以上が過ぎている。

 実は、今年のフジロックで仕事をしながら、「かおりは来ないのかなぁ」なんて思っていた。おそらく、最後の年になるだろうから、無理をしても来てくれないかなぁ... なんぞと都合のいいことを考えていたんだが、そのとき、彼女は病床で最後の闘いをしていたことになる。そして、フジロックが終わって東京に戻ってきて、最初に届いたニュースがかおりの死だった。しかも、最終日に前のマネージャーとかおりのことを話していたというのに... そんな流れも、彼女の言うように、廻るべくして廻ってきたものなんだろう。

 安らかに眠ってください。かおりはいつも私のハートのクイーンです。また、あの世で会おう。お前のことは絶対に忘れないよ。



投稿者 hanasan : 16:54 | コメント (0)

2009年06月20日

ああ、懐かしい

 たまたまなんですが、こんなのみつけて貼り付けちゃいました。今でも、私は西岡恭蔵の大ファンです。そして、この歌は「私の大阪」を象徴しているのですよ。

投稿者 hanasan : 14:34 | コメント (0)

2009年06月19日

Berri Txarrak in Chicago(ベリー・チャラック)

Berri Txarrak ロスからシカゴへひとっ飛び... わずか750円で往復のフライトだった。といっても、マイレージ、25000マイルを使っての予約で、その発券手数料がその金額だったということなので、それを「安い」と言っていいのかどうかはわからない。いずれにせよ、驚かされたのは、アメリカの国内便に関して言えば、マイレージを使ってのフライト予約が簡単で、使いやすいなぁということ。国際便となると、マイレージを持っていても使えないことが多々あり、それにこだわってフライトを選ぶのもなんだか騙されているような気持ちになるのだ。

 シカゴに飛んだのは4月14日で、わずか2泊。ここで大好きなバンドのひとつ、ベリ・チャラックがレコーディングしていたのが理由だ。以前もここに書き残しているんだが、彼らの仲間曰く「まるでフォークがそのままメタルになった感じ?」と形容され、エモ・メタルなんぞと呼ばれることもあるバスクのバンド。2年前の来日公演を取材して以来、めちゃくちゃ気に入っていて、マネージャーやバンドともけっこうコンスタントに連絡を取り合っている。なんでも、その彼らがヨーロッパのマーケットに関してロードランナーと契約して、新しいアルバムを録音していたので遊びに行ったという感じかな。なにせ、750円のフライトで、帰りのフライトのコネクションもいい。しかも、スタジオに泊まってもいいというので金もかからない。と、即決だった。いつものことなんだが、こうやって友人のところを転々としていると、日本にいるよりも金がかからないというのが面白い。

Berri Txarrak おそらく、秋口には発表されるだろう、ベリ・チャラックのアルバムをプロデュースしているのはスティーヴ・アルビーニ。彼のエレクトリカル・スタジオでのレコーディングというのだが、みんなに笑われるのを覚悟で書くと、この時点でも、私、この人がどれほど有名な人物かって、全く知らなかったのですな。なにせ、90年代のロック、しかも、アメリカ系となると全く聞いていないのですよ。彼の名前を知らしめることになったというニルヴァーナもピクシーズも聞いていないし、パールジャムもほとんど知りません。というので、この話をする度に笑われております。(今でも、笑えると思いますが)

 そのスティーヴとはほとんど話をしていないんだが、嬉しいのは、レコード好きな自分が中古レコードの店を探していることを告げると、いろいろな店を教えてくれて、わざわざ住所を書いたメモをくれたことかな。おかげで、いろいろな店を訪ねることができたんだが、結局、レコードを買うことになったのは、以前、この町を三味線ツアーで訪ねたときに、トムズ・キャビンの麻田浩さんに連れていってもらった店、Dave's Records。この時はMIyoshi Umeki(ナンシー梅木)の『シングズ・アメリカン・ソングズ・イン・ジャパニーズ』がみつかったのには驚かされた。っても、好きでもない人には「なんじゃらほい」なんですが、自分が愛してやまないハリウッド映画の古典、『サヨナラ』で、日本人初のオスカー受賞者となったジャズ・シンガーのアルバムで、初めてこれを聴いたのは今は亡きパパ・ジョン。横浜は野毛にあるジャズと演歌の店だった。それ以来、探していたアルバムがここでみつかったことになる。

Nancy Umeki さらに、Tut Taylor(タット・テイラー)というドブロ奏者の「Dobrolic Plectral Society」とウイリー・ネルソンのレゲエ・アルバム、『Countryman』ということで、最後の1枚のは新品だったけど、他は中古。ナンシー梅木(ミヨシ・ウメキというのがアメリカでの芸名)がCDで再発されるというのを知ったのは帰国してからと... まぁ、タイミングが悪かったんだが、おそらく、そのオリジナルだろう1枚を入手できたのは嬉しい。

 タット・テイラーもあまりなじみがないと思うんだが、昔からカントリーやブルーグラスが好きで、大好きなアルバム、ノーマン・ブレイクの『The Fields of November』やカントリー勢がジャズをやっている名盤、単純に演奏しているミュージシャンの名前を連ねただけの『Norman Blake / Tut Taylor / Butch Robbins / Vassar Clements / David Holland / Jethro Burns』での演奏が忘れられなくて、こんな機会に手を出してしまうのだ。

 ちなみに、前者の『The Fields of November』は翌年のアルバム、『Old and New』と2 in 1の形で出ているようなんだが、注意書きにCD-Rによる製品とあるのが、買うのを躊躇させます。また、後者のNorman Blake / Tut Taylor / Butch Robbins / Vassar Clements / David Holland / Jethro Burns』は隠れた名盤で、チャンスがあったら絶対に買って欲しいと思う。以前は、アナログからデータを起こして、iTunesに入れていたんだが、実は、今回の旅のロスでまれなCDを発見。購入している。ここに収められた「(Take) 'A' Train」は絶品です。

 さらに、ここで出会ったバンドのことも書きたかったんだが、それはまた次回ですな... なんか長くなりすぎたのです。


投稿者 hanasan : 03:30 | コメント (0)

2009年06月11日

有罪なのは警察と検察だろ!

志布志事件 おそらく、誰でも知っていると思うけど、このところ、新聞やテレビを騒がせている足利事件で、17年間も不法に拘束され、「犯罪者」にされた菅家利和さんの気持ちが痛いほどわかる。たまたまこのニュースを見て、これを書き始めているんだが、こんなの氷山の一角だろ? たまたま表に出てきただけの話で、自分たちがいつもこんな危険にさらされているということを僕らは理解しなければいけないんだろうと思う。警察や検察は「犯罪者を捕まえたり」する組織ではなく、おそらくは、犯罪者を作る組織ではないのか... と、ずっと思っているんだが、それを見事に証明して見せているのがこの事件じゃないか? しかも、それが「例外的に起きている」とはけっして思えないんですよ。

 いつか、自分の家に「公安」と呼ばれる人が来たときもそうだった。最初は柔らかく話していながら、こちらが否定すると「嘘つくんじゃねぇ!」とテーブルを拳で叩いて恫喝だからね。あれはまだ1回で済んだけど、あれを毎日のようにやらされたら、たまりませんって。それが警察の取り調べの常套手段だとしたら、警察は「脅迫や恫喝」で「犯罪を作っている」としか思えないじゃないか? しかも、そんな事件のあとに「ごめんなさい」って、それで済むのか? 当然ながら、菅家利和さんの人生を奪った警察と検察はその罪を問われてしかるべきであり、彼に対する充分な損害補償と同時に、その「罪」を問われなくてはいけないと思うんだが、どんなものだろう。

志布志事件 もし、これに関して、警察や検察が「無事に済む」ことになったら、それこそ犯罪製造組織としての警察や検察を認めるようなもの。そんなことを認めてはいけないと思うのだ。

 と、そんなことを書きながら思い出したのが志布志事件。これだって、「警察が犯罪を犯した」記録だと思うんだが、このケースでも「事件を作り上げた」警察になんのおとがめもないとしたら、連中のやり放題じゃないんですかな? これなんぞ、警察が集団で「犯罪をでっち上げた」結果、数多くの市民が被害を受けているわけです。これが、戦前の特高警察の時代だったら、「そんな時代もあったなぁ」と語ることができるんだが、これが今の日本で、当たり前のように起きていることが怖いのだ。

 ひょとすると、「普通に生きている普通の人」は「そんなの特殊な人だけに起こる異様なケース」だと思うんだろうけど、You Tubeで探したら、そんなのいっぱい出てくるんですね。「警察が犯罪を作る現場」の映像が。その好例が渋谷で起きた事件。ネットで知り合ったみなさんが「62億円もの価値がある」といいわれる麻生首相の家を見に行こうと集まった人々に対する事件。あの映像を見れば簡単にわかるんだが、充分に渋谷警察の職員と確認をして行ったにもかかわらず、「まるで水戸のご老公の紋所」よろしく、「コーボー」と大声を張り上げて、罪のない「歩いているだけの市民」を逮捕した連中のやり方なんぞ、「警察が犯罪ねつ造組織だ」ということを証明しているようなもの。まぁ、こんなことを書いていたら、そのうち、自分のもしょっ引かれるんだろうという恐怖を感じるほどにめちゃくちゃなのだ。

 と、そんなことをわずか数行の記事で考えてしまった。警察は怖い。と、つくづく思う。



投稿者 hanasan : 00:13 | コメント (0)

2009年06月05日

たかだかハッパに金を使うな

マリファナ・ナウ (この原稿は半年ほど前に書きかけて、手を付けていなかったんだが、ちょいと書き足して、公にすることにしました。なぜ、そうしたのか? それは、次回に書きます)

 まるで殺人事件にでも匹敵するような大騒ぎをしている大麻関連のニュースやメディアの反応を見ていて、「これじゃ、まるで魔女狩りじゃないか」と思っていたら、それと同じ台詞がこの本、マリファナ・ナウの宣伝文句に書かれてあった。っても、ここ数ヶ月の大騒ぎは、本物のマリファナ(マリワナの方が本来の発音に近い)の種を付録にしてこの本が発表された80年代頭とは比較にならないほどにヒステリックで、なにやらきな臭いものを感じるのだ。

 まずはメディアの姿勢だ。まるで「お上の都合」に合わせるように「情報」を垂れ流し、NHKに至っては「政府公報」のように機能しながら、「洗脳」を肩代わりしている。異論を挟む余地もなく、「どこにも被害者がいない」のにとてつもなく「重罪だ」というイメージを「宣伝」し、「大麻汚染」という言葉を一人歩きさせているのだ。が、大麻はそんなに汚い害毒をまき散らしているのか? 日本に古来から自然に生育する草、しかも、市民生活にきわめて有効な役割を果たしてきた素材に過ぎないのに、これがまるで「放射能」のように語られているのはどう考えてもおかしいのだ。その一方で、「放射能」を宣伝している電力会社が非難されるどころか、批判されることもなく、テレビの画面に登場する「異様なメディア」のあり方に「裏」を感じるのが自然じゃないだろうか。

 所詮、メディアというものが今までもこれからもそうした「政府」や「権力」のプロパガンダ的な役割を担っているのは自明の理なんだが、そんななかで「良心」を持って「報道」してきた人たちもいたはずだ。が、なにやら彼らの影がどんどんと薄くなっている。かつて、大新聞のひとつ、毎日新聞では「たかだか大麻で..」といったニュアンスの原稿が発表されたことがあるのだが、この数ヶ月でそういった疑問を提示したマス・メディアを目にしたことは全くない。そんな「きな臭い裏」の最たるものは大麻(麻)を一切検証することなく、「毒」があり、「害」があるという断定を押しつけ、それが「日本だけの常識」になりつつあるところが怖いのだ。

 もし仮に、それが正しいとすれば、ヨーロッパからアメリカの人たちはほとんどがジャンキーで、病人のような有様にも響くのだが、少なくとも海外に頻繁に出かけて取材をしている人間である自分の体験から言えば、大麻なんぞ吸ったことがない人の方が珍しい。ありとあらゆるドラッグを経験している人間に接触したことがあるが、こと大麻に関して言えば、これほどまでにヒステリックに「汚染だ」と騒ぐほどのものではないということは確信を持って断言できるのだ。それどころか、合法化の流れこそが主流であって、なにを今更これほどまでに騒ぐのかといった現象と、それに追従するようなメディアの姿勢にこそ問題の核心があると思っている。

 当然ながら、自分は「大麻」(あるいは、マリワナ)の吸引を勧めているわけではない。基本的に大麻取締法は憲法に違反しているという主張を支持するし、こういった法律がなにを意味するかを理解はしていても、あんなものを吸ったところでそういった現状を変革する力にはなんにもならないと考える。というよりは、そんなもので捕まって時間を無駄にはしたくないという気持ちの方が強い。その一方で、別にワインを飲もうが、コーヒーを飲もうが、煙草を吸おうが、そんなものは個人の勝手であって、他人にとやかく言うことではないとも思う。比較論で言うならば、アルコールの方が遙かに危険だし、煙草の方が中毒性が高い。それは比較にならないほどの差があり、そんな意味で言えば、マリワナを解放して、大昔の専売公社のようなところが販売すればいいと思っている。そうすれば、税収も増えるし、暴力団なんぞの資金源になることもないだろう。

 さらに、エコを謳うのであれば大麻は実に有効な資源であり、逆に、遙か彼方の昔から自生する大麻を減らしていくことは日本の生態系にダメージを与えるものだと思っている。

 いずれにせよ、この大麻問題の騒ぎは異様だ。これは(かなり信憑性の高い)噂に過ぎないんだが、群馬で開かれたレイヴ・パーティかなにかに私服が200人もやってきて、数人がマリワナあたりの所持、私用に絡んで逮捕されたんだそうな。その時のオーディエンスの数は400人ほどだったらしいから、お上がチケットを買ってくれたというので、オーガナイザーはけっこうな利益になったのではないかと察する。が、この200人の私服が「公費」を使って全国の警察署から集まってきて、逮捕したのが数人だったとか。その旅費、宿泊費など、全てが私たちの税金から支払われていることを考えると、あほらしくてたまらん。なにせ、「被害者」がどこにもいないものに、なんでそんなに金をかけるのか? なにかがどこかでおかしいのですよ。



投稿者 hanasan : 12:10 | コメント (0)

2009年05月05日

再び忌野清志郎氏のこと、そして、筑紫哲也氏のこと

筑紫哲也 結局、昨日はニュースに忌野清志郎の顔が出る度に、仕事の手を休めて、そんな番組の画面に見入ってしまうだけでほとんど一日が暮れたように思う。そして、そのたびに、いろいろなことが思い出されるのだ。お断りしておかなければいけないのだが、個人的にはそれほど近くはなかったし、どこかで偶然顔を合わせたときに、挨拶をして、ちょっと言葉を交わしていた方に過ぎない。それでも、どこかで彼は自分にとって重要な人物で、彼と自分をつなぐところに友人も多い。おそらく、自分だけではなく、そんな人も多かったのではないかと思う。

 そんな番組のひとつで、やはり「癌が発覚して」昨年亡くなったニュース・キャスター、筑紫哲也氏と忌野清志郎氏との対談の様子が流れていた。実は、筑紫氏ともほんの少しの繋がりがあって、あのときにも、なにかを書き残そうと思っていたことを思い出した。それは、謝罪と言ってもいいかもしれない。

 彼と初めて会って、まともに言葉を交わしたのは80年代の半ば。まだ、彼が朝日ジャーナルという雑誌の編集長をしていた頃のこと。ひょっとして、副編集長だったかもしれないが、あの頃、なにかのつてでちょっとした原稿を書くチャンスを与えられたことがある。おそらく、84年の夏頃で、テーマはグラストンバリー・フェスティヴァル。雑誌の中程にあるグラビア・ページをいただいて、当時、CNDという反核団体へのチャリティとして行われていたこのフェスティヴァルの様子をレポートしている。

 84年というとまだ20代の終わりで、ずいぶんと若かった。また、メジャーのメディアに原稿を書き始めて、しばらくしかたっていなかったこともあり、はっきり言って「めちゃくちゃ生意気な」ライターだったと思う。同時に、書き始めると同時に、マスコミというものにほとんどジャーナリズムを感じることができなかったことも起因しているんだろう。初めて顔を合わせたというのに、いきなりメディアの現状に文句を連ねて、議論をふっかけていたような節がある。正直言って、アホだった。そういった現状に対する認識を間違っているとは、今も思ってはいないんだが、ケンカをする相手が彼ではなかったのは確かだ。

「だいたい、あんた達メディアが日本をこんな国にしたんだよ」

 とか、なんとか... 若気のなんとかなんだろうが、彼もけっこう頭に来たのか、やたら不機嫌な顔を見せていた。加えて、ほとんど相手にされなかったようにも思う。

 それから、彼の顔を見たことはあっても、口をきくことはなかった。あれ以降の彼はジャーナリストや編集者というよりは、テレビのパーソナリティであり、著名人ということもあり、また違った見方をするようになったと思う。

 彼が亡くなって、当時の報道はまるで彼を聖人のように扱っていたのだが、自分の中ではちょっと違った見方をしていたというのが本音だ。いい人だったことは十二分に認めるし、彼の功績も敬意を払っている。が、とはいっても彼のやったことを完全肯定するつもりはないし、旧世代の左翼リベラルといった趣も感じていたし、彼への批判も理解できる部分を感じるのだ。ただ、当たり前のことなんだが、誰しもが完全ではなく、それぞれがそれぞれの立場で誠意を尽くしてやっているということを否定でいないし、それを否定したいとも思わない。そんな意味で彼の功績は計り知れないほどに大きかったと思うし、彼から学んだことも多い。

 若かりし頃、どこかで全てに対してケンカを売っていたように思うことがある。若さの特権... なんて聞こえはいいんだが、結局は、未熟で無知で経験が不足しているんだと思う。その一方で、そういったエネルギーが自分を突き動かしていたのもまた確か。どこかで今も、同じように、未熟で無知なままなんだが、それでも、メディアの全てを完全否定するほどおめでたくもない。メディアにしろ、今も、ジャーナリズムに対して真摯に取り組んでいる人も知っているし、商売まみれの音楽産業で音楽への愛情を持ち続けながら、商品ではない音楽を成立させると同時に、より多くの人に届けたいと動いている人もいる。そういった人が、たとえマイノリティであっても、存在する限りにおいて、まだ希望も未来もあると思うのだ。おそらく、自分にとって、筑紫氏も忌野氏もそんなところにいる人なんだと思う。そして、自分もそうでありたいと、どこかで思うのだ。

Guckkasten 昨日は、韓国からやってきたバンド、Guckkasten(「ガッカクセン」と読むんだろうか)の演奏を見に、渋谷に出かけた。その前に出たバンドが退屈で、彼らのあとに出たバンドが、あまりにつまらなかったから、すぐに外に出たんだが、韓国というアイデンティティを強力に感じさせた彼らの音楽に聴きいいっていた。完全にロックなんだが、どこかでメロディに「韓国」を思わせるオリジナリティがあって、そこが素晴らしかったのだ。ステージではなんとか日本のオーディエンスになにかを伝えようとするヴォーカルが「メッセージなんだ」といっていたことを口にしていたんだが、残念ながら、韓国語は全く理解できない。それでも、どこかでになにかを感じさせるのが音楽の素晴らしいところ。なんとか彼らが歌っていることを知りたいと思った。

 その後、10時ぐらいから彼らの打ち上げに顔を出してちらりと話をしたんだが、なんでもシュン・ジュン・ヒュンといった、韓国独自のロックを開拓しようとした人たちの音楽を彼らも聞いていたんだとか。それに、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンあたりが好きなんだとか。彼らの誰ひとりとして、音楽を除けば自分との間に共通の言語はなく、通訳をしてくれた友人を介しての会話に過ぎなかったんだが、もっとライヴを見てみたいバンドだと思う。

 その帰り道だったか、久しぶりに友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス、マサヤンに電話。いつか、中目黒のクイーン・シバでセッションをやったときに、忌野清志郎さんがやってきて、彼のソプラノ・サックスを吹いたことなんかを話していた。

「あのソプラノな、もう、売ってしもうてんけどな。素晴らしい体験をさせてもろうたわ」

 と、結局、この日も忌野清志郎氏のことが頭の中から離れなかった。そして、本当は、もうひとり、同じように癌と生きている友人のことがずっと頭から離れないでいる。世の中で最も愛らしい女性の友人で、すでにつきあいは20年を越える。少しでも、長く彼女が子供との時間を過ごせることを祈るばかりなのです。



投稿者 hanasan : 23:03 | コメント (0)

2009年05月03日

忌野清志郎氏の訃報を聞いて

忌野清志郎 昨日の夜、ひさびさに中目黒のバード・ソング・カフェに飲みに出かけた... といっても、スマッシング・マグで写真をやりたいという方との面接ということもあって、ここで待ち合わせたんだが、たまたまこのとき初めて聞いたのが忌野清志郎のライヴで、なんでも某放送局で放送されたもののコピーだった。そのとき、マスターやみんなと彼がどれほど素晴らしいアーティストかを語り合っていた。

 どれほど「ダサイ」と思われている言葉も、彼が歌うときに、とてつもないリアリティを持って迫ってくる。それは、彼のカバーによる「イマジン」や「明日なき世界」といった古典的なプロテスト・ソングを聴いたときに、強力に感じることなんだが、彼のそんな歌を通じて初めてこういった歌が抱えている「歌の力」をまざまざと見せつけられたように思う。彼以外に、そんなことができる人なんて... と、そんな意味で、この夜も彼はオーティス・レディングやボブ・マーリーと並ぶことのできるアーティストだよね... なんぞと話していたのだ。

 この店の電話が鳴ったのは、それから1時間もしていない頃ではなかったかと思う。そのとき、マスターが、「清志郎さんが亡くなった」と、僕らに告げてくれたときの驚きをどう書けばいいんだろう。驚愕の叫びと、それからしばらくの沈黙があった。そして、「なんとかなるかもしれない」と思いつつも、どこかで「ダメかもしれない」と予期していたことが交錯し、いろいろな思い出が吹き出してくる。

 おそらく、彼と最後に交わした言葉は、やはり中目黒のクイーン・シバで偶然会ったときの言葉かもしれない。けっこう満員だったんだけど、テーブルを用意して... その数日前に彼が出演していたテレビ・ドラマで彼が言っていた台詞がめちゃくちゃ気に入った... なんてことを話したと思う。でも、そのとき、その台詞を主出せなくて苦笑いしてましたけど。

 巻頭の写真は03年にバンダ・バソッティが来日して、サルサ・ガムテープ達と一緒にライヴをやったときのもの。実は、「写真をチェックしたい」というマネージメントに対して、「自分は報道として記録しているのであり、そういった検閲にもにた行為は受け付けない」と主張すると、それを清志郎に話したマネージャーから、「いい写真を撮ってくださいね」という言葉をいただいたことがある。彼はね、きちんとこちらの声を聞いてくれる人なんですよ。

忌野清志郎 クイーン・シバでライヴのセッションをやっていたときにも偶然やってきた彼がソプラノ・サックスを吹いて加わってくれたり、歌ってくれたり... たわいもないことかもしれないが、どこかでとても身近にいた人のように思える。フジ・ロックの舞台裏で彼がよくやるカバー、「明日なき世界 (Eves of Destruction)」のことを話したときも、「バリー・マグワイアね」と話すと、「PF・スローンね、曲を書いたのは」と、教えてくれたり... 本当に音楽が好きな、尊敬すべき仲間のようにも思っていた。

 このニュースを耳にしたその後、もう一軒、友人がいる店に行ったら、そこでもみんなが忌野清志郎の音楽を聞きながら、ずっと彼のことを話していた。ちょいと飲んだくれて、帰宅して、一晩が開けて... どこかでぽっかりと大きな穴が開いてしまったような、そんな感じです。今年のフジロックで、彼がフジロックのテーマとして作ってくれたあの曲、「田舎に行こう」が流れたとき、どんな顔で僕らはこの曲を聴くんだろうか。と、そんなことを思ってしまうのです。

 ご冥福をお祈りします。

投稿者 hanasan : 17:46 | コメント (0)

2008年12月12日

なぜ、誰も追求しないの?

クラスター爆弾なんてもういらない。 この12月3日に日本はクラスター爆弾禁止条約に批准したんだが、それをして、漢字もまともに読めない漫画首相は「これはすごいことなんですよ」とのたまった。ほぉ、確かにすごいとだろうと思う。実際のところ、その条約に先立つこと10ヶ月ほど前、日本がウェリントン会議で署名していたのがクラスター爆弾の「使用、製造、移譲及び貯蔵の禁止」を不可欠の要素とする「宣言」。ところが、そうしたにもかかわらず、陸上自衛隊と航空自衛隊で保有しているのが、そのクラスター爆弾で、それに費やした金額は276億円とされている。

 さて、かのおめでたい首相はこの宣言を遵守し、クラスター爆弾を廃棄してくれるものだと信じたいんだが、それ以前にこんな馬鹿げた兵器を購入した責任は追及されないんだろうかと思う。なんでも購入を開始したのは1987年。中曽根内閣の時代だったらしい。といっても、そんなこと、全然知らなかった。そりゃ、そうだろうなぁ。いちいち、自衛隊がどんな兵器を買っているかなんぞ、考えたこともなければ、調べたこともない。が、こんなことをきっかけとして、なにに我々の税金が使われているのかをメディアはきちんと調査して欲しいと思う。

投稿者 hanasan : 23:29 | コメント (0)

2008年11月11日

日本は北朝鮮か? は、その通りです

 なにやら、軍隊のお偉い人がおっしゃった。

「こんなことも言えないのだったら、日本は北朝鮮か」

 え? その通りと違いますの? 首相も政治家も世襲制で、報道機関はお上のお言葉の垂れ流し。話している人が厳つくないというのだけが違いで、柔らかくそれをやっているのではございませんか?


 なんでもお金持ちの家を見に行こうとした人たちが捕まったらしく、(後に釈放されましたけど)そのときの映像を見てみると、こんなのあり? と思ってしまいません?

 これ、そのときの映像ね。

10/26 麻生邸宅見学に向かおうとしたら逮捕

 そんでもって、それをする前にお巡りさんと打ち合わせしている映像も出ているのですね。

渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前

 というので、その釈放後に記者会見しているんですが、そのときの様子がこちら。

記者会見/「麻生太郎邸拝見ツアー」参加者3名不当逮捕

 えっと、その昔、フランコの時代、スペインでは3人以上が集まるのに届け出も必要で、そうしなかったら、捕まっていたようです。日本も、そうなんでしょうかねぇ。

 それと、初めて知りましたが、「コーボー」って、公務執行妨害の意味なんですね。まるで水戸黄門の印籠みたいな響きを持っていますな。コーボー... 笑っちゃいけないんだけど... ひどい世の中になったものです。そのお金持ちは「宣伝」のために学生とは一緒におつきあいで飲むのに、飲む金もなくて困っている人たちには面と向き合って話しもしないんですかね。


投稿者 hanasan : 12:30 | コメント (0)

2008年06月10日

6月22日、上野の辺野古に行こう!

Boikot 去年の2月に初めて沖縄を訪ねたのは、キャンプ・シュワブと呼ばれる米軍基地の隣... というよりは、その基地によって大部分を奪われた美しい浜。そこで新しい軍事基地の建設反対を訴えるために開かれたピース・ミュージック・フェスタ辺野古2007に「いたかった」のがその理由だった。そのレポートを発表しているという意味では取材なんだろうが、それよりなによりこういった動きを作ってくれた人たちとつながりたかったし、少しでも集まる人の数を増やしたかった。自分の気持ちを訴えると同時に、できるだけメディアに取り上げられるような状況作りに手を貸したかったというのもある。

 言うまでもなく、普天間基地返還の代替え地として辺野古の自然を破壊することに、どう転んでも賛成はできないし、いかなる形であれ、それを食い止める力になれればと思っている。それだけではなく、沖縄のみならず、日本という独立している国に海外の軍隊がふんぞり返り、我々の税金に支えられた彼らが行っている殺人や破壊行為を許すことはできない。米軍基地なんぞ、この国から放り出してしまうべきだし、この世の中から消えてなくなればいいと思う。これまで幾度となく書いてきたが、軍事力によって国を守れるなんぞ空論でしかないし、そんなものを持つこと自体が自殺行為で犯罪だと考えている。

 先日の新聞報道でもあったんだが、日本の軍事予算は世界で第5位なんだそうな。それほど莫大な金をどぶに捨ていている政府が、今なにをやっているか? わざわざここで繰り返すこともないだろう。本来、誰もが健康に生きる権利を持ち、平等に教育を受ける権利を持っているというのに、憲法で保障されたこれが国民に与えられてきたことがあっただろうか? それどころか、今の政府は弱者を切り捨て、さらなる負担を国民に押しつけようとしているのだ。貧乏人にはどんどん負担が大きくなる消費税を上げて、その金で「社会保障」だと? 金持ちには痛くもかゆくもなくても、俺たちには死活問題なのよ。消費税が平等な税金だと素面で口にできる政治家って、極端に頭が悪いか、意図的に論理をすり替えているかのどちらか。おそらく、後者なんだろうけど、それをわかっていて、「正論ぶって」いるんだろう。その一方で、莫大な金を懐に入れているのが役人どもや政治家たち。連中のこんな話を聞くに付け、はらわたが煮えくりかえるような思いをしているのは自分ひとりではないはずだ。

Billy Bragg そんな状況をわずかでも変えなければいけないと思うし、なにかをしなければいけないと思う。そりゃぁ確かに、辺野古に行ったからといって、米軍基地がなくなるわけでもなければ、政府が変わるわけでもない。戦争がなくなるなんてあり得ない... 似非インテリの連中がいつも言うのがそれだ。アホ政治家と同じ土壌に立って「正論」をぶつ人たちには、それこそが現実なんだそうな。そして、俺たちはアホな理想家なんだそうな。でも、いつも言うことだけど、理想を現実にやろうともしない人間がやっている判断にひとかけらの正当性もありませんわ。だから、自分はやる... と、それだけのこと。

 今年、オースティンで久しぶりに見たビリー・ブラッグが、新しいアルバム『Mr. Love & Justice』に録音した「I Keep Faith」という曲を歌うときに、それと全く同じことを言っていたのが印象に残っている。

「音楽を演奏して、それだけで世界が変わるわけないさ。でもね、世界を変えるのはひとりひとりの人間なんだよ。そのひとりひとりが前を向いて動くことでしか変わらないんだ。そやぁ、時にはシニカルになったり、斜に構えたりってこともあるだろうさ。でもね、僕は信じているんだよ。信じ続けるんだ」

 と、そんなことを口にしていたけど、その通りだと思う。だから、できることをやるわけだ。もちろん、できることにとどまらないで、もっと「できること」をやる方がいいに決まっている。それが集まれば具体的な「力」になると思うし、それを信じているんですよ。

 だから、今、このブログをチェックしている人たちに呼びかけたいと思う。この6月22日、上野公園の水上音楽堂で開かれるピース・ミュージック・フェスタ (from) 辺野古2008に行こうよ。なくせ米軍基地! そんなものいらんよ。普天間基地の代替案として現実化しつつある辺野古沖の基地建設を止めさせようと訴えるこのライヴに、できるだけ多くの人を集めてニュースにしようよ。と、そう思う。同時に、同じようにこの現実を見ている人たちが、けっしてひとりではないことも感じてもらいたいし、新しい仲間も作って欲しいと思う。

Duty Free Shop. 自分だって大きなことを言えたものではないんだが、わずか一回、沖縄に行ったことで、多くのことを学んだと思う。現時点で言えば、1500日以上も身体を張って、あの浜で新しい軍事基地の建設を阻止している人たちがいること、しかも、彼らは「プロの市民運動家」ではなく、中心となっているのはこの地に住むおじぃやおばぁであること。さらに加えて、沖縄にはこういった現実に真正面から対峙して歌う素晴らしいミュージシャンがいるのを発見できたこともそのひとつ。例えば、実行委員のひとり、知花竜海君率いるデューティ・フリーショップにカクマクシャカのことは以前このブログで書いている。沖縄国際大学に米軍の軍事ヘリコプターが墜落したときに作った「民のドミノ」は傑作だと思うし、彼らの他にもさまざまなバンドやアーティストの演奏に頭をぶん殴られたように思えたものだ。

 日頃ほとんど聴くことのないダンスホール系のレゲエ・アーティストたちが発する「言葉の鋭さ」に脳みそを刺激され、震えたことも幾度もあった。彼らの音楽についても新しい発見がいっぱいあったものだ。沖縄のリズムや楽器をたくみに取り入れたサルサやDJたち。その全てが五感になにかを伝えてくれたと思う。それに、大所帯の渋さ知らズも嬉しかった。会場に着くなり、中心人物の不破さんとガシッと握手をしたときの感触は今でも覚えている。ちょうど、彼らが自腹でこんな場所まで飛んできてくれたことが嬉しかったのと同じように、おそらく、彼も自分をみつけたのが嬉しかったんだろう。そうやって集まってきた人たちの多くが、また、今度は東京の上野公園に集まってくる。できれば、みなさんにもそんな体験をしてもらいたいと思うのだ。

 ピース・ミュージック・フェスタ (from) 辺野古2008について、詳しいことは公式サイトでチェックしていただきたいんだが、同時に、実行委員会のみんなが続けているブログや辺野古での状況を刻一刻と伝えてくれるちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!も見てくれると幸いだ。

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 おっと、そこまで書いて最も重要なバンドのことを一行も書いていないことが気になった。昨年のフェスティヴァルで前日から会場設営の準備を手伝い、終わって翌日には撤収作業もやっていたのがソウル・フラワー・ユニオンの面々。彼らがそのときのライヴを収録したライブ辺野古というDVDを発表している。このDVDはぜひ見ていただきたい。辺野古の問題を考える素材も、ライヴ同様に収録して、辺野古節のCDも入っている。この辺野古を考えるときに最重要な作品であることは言うまでもない。


投稿者 hanasan : 18:25 | コメント (0)

2008年01月23日

カンバラクニエの新しい本

カンバラクニエ 昨年の正月過ぎに実家から上京する途中に立ち寄っていたのが京都。いつもここで友人のミュージシャン、スリープ・ウォーカーのサックス奏者、中村雅人(通称、マサやん)のところに世話になって飲むというのがここ数年の流れで、そのときによく出かけるというか、連れていかれるのが高瀬川沿いの料理屋、くずし割烹 枝魯枝魯だ。「ぎろぎろ」と読むのだと「覚えた」のは最近で、ネットで検索したら、けっこう有名な店らしく、いろんなところに顔を出している。まぁ、そんなことは全然知らなくて、いつも京都ではマサやんにいろいろなところに引き回されながら、楽しく飲むのだが、彼の周辺にいる興味深い人に出会うのは、たいていここか、eFishという、五条大橋のそばにあるカフェだ。そんな場所でユニークなことをやっている友達作りが広がっていくという感じかなぁ。

 そのくずし割烹 枝魯枝魯で、昨年の正月に出会ったのがカンバラクニエさんというイラストレーターとつじあやのさんというシンガー・ソングライター。とはいっても、その時点で二人ともほとんど知らなかったんだが、あのあと、『カンバラクニエ作品集』という本を買って、「なるほど、なるほど、そういう絵を描くのか...」 と、納得したり、つじあやのさんの『BALANCO(バランソ)』というアルバムを買って、「うん、いい歌を書く人だなぁ」とちょっとはまってしまったり... 去年の夏はそのつじあやのさんがフジ・ロックに出るというので、オンタイムで情報を発信するFuji Rock Expressで、彼女のライヴ写真も撮影していて、それはここでチェックできる。

 残念ながら、今年の正月は東京で用事があったり、6日に友人がベースを担当しているバンドのライヴがあるというので、京都には立ち寄ってはいない。というよりは、実をいえば、友人のマサやんは正月そうそうロンドンに飛んで演奏していたらしいし、カンバラクニエさんはつい先日発表した新しい作品集『ECHO』の準備で大忙しで、一緒に飲む仲間がいなかったことも理由のひとつ。ホントは、京都には面白い店がいっぱいあるし、のんびりしたい町なんだが、今年はちょいとパスしたという感じかもしれない。

カンバラクニエ さて、カンバラクニエさんの『ECHO』が発売され、今、東京で個展を開いている。詳しくは彼女の公式サイト、クニエ会をチェックしていただければいいんだが、東神田のフォイル・ギャラリーで、1月18日から2月11日まで開催されていて、先日、マサやんと一緒に初日のレセプションに出かけてきた。とはいっても、結局、マサやんと一緒にけっこうな量のワインなんぞを飲みながら、うだうだしていただけのような気がしますが。

 なんでも25日にはカンバラクニエさん、つじあやのさん、そして、彼女たちの友達である大宮エリーさんと、なにやらかしましい女性がそろってトーク・イヴェントがあるようなんだけど、定員が50名ですでにパンパンになるんだそうな。それは無理にしても、もし時間があれば、彼女の個展を覗いていただければと思う。本で見るよりもでっかい実物を見ると、また違った趣があると思うし、なにやら発見があるかもしれません。

 それはそうと、先日、某レコード会社に面白いバンドのプレゼンに行ったとき、たまたまそこがつじあやのさんのアルバムを発表している会社で、彼女の新しいアルバム、『Sweet,Sweet Happy Birthday』を聞かせてもらえることになった。正直言って、「愛」の連発は... 私には似合いません。でも、ステキなシンガー・ソングライターだというのには変わりなく、楽しませていただいています。

 それにしても、友人のことを書くと、どうしても「さん」抜きにはできないというの... なにやら奇妙な感じがしますが、仲間の情報もなんとかお伝えしたいと思うのです。


投稿者 hanasan : 20:07 | コメント (0)

2008年01月18日

不都合な真実とMarvin Gaye

Marvin Gaye iPod Touchの容量はわずか16GBと、すでに120GBほどになったコンピュータのiTunesデータを全て持ち歩くのは不可能だ。とはいっても、今のところ、160GBのiPod Classicまで買う余裕はないので、iPod Touchがメインの携帯音楽プレイヤーとなっている。だから、ここには絞りに絞って選び出した、大好きなアルバムや気に入った曲を入れていて、ときおり、友人のバーでこれを使ってDJなんぞをすることもあるんだが、基本的にはこれで充分だと思っている。

 そういった携帯プレイヤーの果たした役割で最も大きかったのは、音楽を家の中から持ち出すのを可能にしたことじゃないかと思っている。初めてウォークマンが登場したのは78年か、79年ではなかったかと思うが、人気のない地下鉄の通路で聞いたマイルス・デイヴィスの『死刑台のエレベーター』にはゾクゾクさせられたのを覚えている。また、初めて日本を離れて向かったイギリスのトーキーという、観光客が集まる町の海辺のホテル街で聞いたイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』もなぜか染みたものだ。

 携帯用の音楽プレイヤーが『音楽』にもたらした功罪は、またの機会に書くことがあると思うんだが、旅の途中、電車やバスの窓の向こうに流れる景色をぼんやりと見ながら、音楽を聴くことができるようになったのは単純に嬉しいし、そんなときになにかがひらめくように自分の中にすう〜っと入り込んでくることがある。今回は米子からバズで大阪に向かっているときに聞いた「マーシー・マーシー・ミー 〜 アイ・ウォン・ユー」がそうだった。といっても、これはロバート・パーマーによるカバーで、iPod Touchに入れているのはそのシングル・ヴァージョン。おそらく、今ではそのヴァージョンは入手が難しいはずで、似たヴァージョンは彼のアルバム、『Don't Explain』で聞くことができる。といっても、かつては後半部分の『アイ・ウォンと・ユー』での彼のヴォーカルの壮絶なまでの迫力にふるえたんだが、今回は前半の『マーシー・マーシー・ミー』の言葉が引っかかった。というので、同じiPod Touchに入れているマーヴィン・ゲイのオリジナル、『What's Going on』をじっくりと聞くことになるのだ。

Marvin Gaye & Tammi Terrell おそらく、この『What's Going on』を史上最高のアルバムの1枚にあげる人は自分ひとりではないだろう。特にヴェトナム戦争時代に真正面から『反戦』を歌ったこの曲の意味を知っている人にとって、さらには、このアルバムが生まれたいきさつを少しでも知っている人にとって、ことさらその意味は大きいと思うのだ。簡単に過ぎるかもしれないが、少しだけその流れを説明してみると、このアルバムが生まれる以前、スターとして彼が地位を確立したのはタミー・テレルとのデュエットで、それをまとめたのが『The Complete Duets』というアルバム。が、その一作目となる『United / You're All I Need』(これは、2枚目の『You're All I Need』を一緒にした2 in 1のCD)の時点ですでにタミーは脳腫瘍に冒されていたらしく、名曲「Ain't No Mountain High Enough」の大ヒットを受けてライヴをやっていた最中に彼女がステージで倒れるといった事態があったんだそうな。だから、2枚目の『You're All I Need』ではありものの録音にマーヴィンが彼の声を重ねたり、病床を抜け出して車椅子でレコーディングにやってきたタミーが録音したなんてこともあったという。そのあたりの事情は以前、ここに書いているので、割愛するけど、70年の3月16日に彼女は24歳の若さで他界。そのショックに加えて、ヴェトナム戦争から帰還した弟の経験を知った彼が、それまでのモータウン... どころか、ソウル界にはなかったアルバムの制作に向かっていくのだ。言うまでもなく、その結実が『What's Going on』だった。

 以前のアルバムといえば、ヒット曲の寄せ集めのようなものばかりだったのに、この作品ではマーヴィン自身がプロデュースを担当し、アルバム全体を流れるコンセプトが明確に打ち出されているのだ。その1曲目はヴェトナム戦争に対して明白に「NO」と突きつけたタイトル・トラック。そのタイトルを日本語に置き換えれば、「いったい、どうなっちまったんだい?」といったニュアンスが正しいんだろう。なんでも、フレーズのひとつにマーヴィンから父へのメッセージが込められているという話もあるのだが、そうではあっても、おおきな戦争が起こる度にこの曲がラジオから流れるのは、そんな「歌の意味」に理由がある。おそらく、どこかにDJや放送関係者の良心が込められているんだろう。とはいっても、このアルバムが発表された当時、あの曲に付けられた邦題が『愛のゆくえ』だったというのが、どこかで、悲しくなってしまうのだ。もっと他に選択肢はなかったんだろうか? それではアルバムに込められた『意味』がまるで伝わらない。ひょとして、そのせいなのか、まだ、中学生から高校生となった頃の自分にとって、この曲がそれほど強烈な『思い』の込められた歌だとは思えなくて、単純にラヴ・ソングのように聞こえていたものだ。

 この『What's Going on』の意味を理解できたのは80年頃だったと思う。イギリスでNMEという音楽新聞が歴史を通じたベスト・アルバムというコンセプトの元に特集を組んだとき、No.1として選ばれていたのがこのアルバム。なぜなんだろうと、きちんと聞いたことに加えて、ある程度英語を理解することができていたことが助けてくれたんだと思う。もちろん、そのときには、タイトル・トラックと並んでジ・エコロジーと副題の付けられた「マーシー・マーシー・ミー」の意味も理解していたつもりだった。ところが、それが染みるように伝わったのは今回。前述の米子から大阪へのバスの車中だった

「なにもかもが以前のようではなくなった。青い空はどこへ行ったんだろう。毒が風に乗って北から、南から、そして、東から流れてくる。廃棄物の油が大洋を汚し、それが広がる海で魚たちは救いを求めている。放射能汚染は地上から空へと広がり、土地は人であふれかえる。人類の愚行に地球はどれほど耐えることができるんだろうか...」

Marvin Gaye と、まぁ、簡単に訳してしまえばそうなるんだろうけど、あのアルバムが録音された1970年にマーヴィン・ゲイは実にシリアスな警告を私たちに発していたことに気がつくのだ。おそらく、この歌が染みてしまったのは、ここ数年、誰もが口にし始めた温暖化現象といった「地球の危機」を、少なからず自分自身がおそれているからなのではないかと思うのだ。

 そして、大阪から帰京した翌日だったか、合衆国の前大統領候補だったアル・ゴアがノーベル賞を取ることになった映画『不都合な真実』を見ることになる。直感として迫っていた『人類の終わり』を、あるいは、経験で『実感』していたそれを、実際に撮影された映像やデータで『確信』していくことになるのだ。正直言ってしまえば、そのときが近いだろうことは感じていたんだが、おそらく、それは自分がこの世を去ってからのことではないかと想定していたのが『人類の終わり』だった。が、これを見ると、おそらく、自分がそれを生きて体験することになるように思えてしまうのだ。すでにツバルからモルジブといった島国は国が海の藻屑となっていく事態に直面しているということは、たいていの人なら知っているだろう。そればかりではなく、海流の変化によって生まれる生態系の変化が我々の生活に壊滅的なダメージを与えていくはずだし、その兆候は誰もが『感じている』はずだ。こんな時に愚の骨頂である戦争をやっているバカ野郎たちがいる。また、『経済』や『繁栄』を『正義』だと思っている間抜けたちがいる。救いようのないアホどもが権力を握り、人類を死地に追いやっているのが手にとるようにわかるのだ。

 この映画で繰り返している講演のなかでアル・ゴアが口にする言葉が印象的だったんだが、「今、すぐにでも実行できることをやるだけで、少なくとも1970年の状態にまでは戻すことができる」というのだ。が、その1970年とはマーヴィン・ゲイがこの名作、『What's Going on』を録音した頃。そのときでさえ、彼は「マーシー・マーシー・ミー」と助けを求めていたのではないのか? 公害やスモッグから放射能汚染... 彼がそういった危機感を感じ、認識していた時代にしかさかのぼれないのだ。

 今回、この曲を聴き、そして、あの映画を見て、また思ってしまうのだ。我々はなんという愚行を繰り返しているのだろうか。取り返しの付かないことをしている自分たちの足下をきちんと見つめなければいけない。少しでも生き延びるために行動しなければいけない。そんな思いをいっそう強くすることになるのだ。


投稿者 hanasan : 17:59 | コメント (0)

2008年01月13日

辺野古は怒っている

Duty Free Shop. 昨年2月に沖縄に飛んでピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007を取材して以来、辺野古のこと、沖縄の基地問題がいつもどこかで脳裏にある。昨年10月に沖縄に行って体験することになった辺野古から復帰後最大の県民大会も、それがきっかけとなっている。あのとき、なかなか連絡の取れなかったソウル・フラワー・ユニオンのひでぼーやピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007の中心人物であるまさくんに、同じく、核になっていたミュージシャン、圧倒的な演奏を見せてくれたデューティ・フリーショップの知花君とも会うことができたのがどれほど嬉しかったか。本土ではそれほど知られてはいないかもしれないが、彼らの公式サイトからダウンロードできる「民のドミノ」という曲は傑作だと思う。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件に抗議する曲なんだが、デューティ・フリーショップとラッパー、カクマクシャカのコンビネーションが生み出したこれは、U2の名曲「サンデー、ブラディー・サンデー」に匹敵するほど重要な曲だと、自分は信じて疑ってはいない。(ちなみに、この曲を収録しているのが『音アシャギ』というアルバム。これは、是非買って欲しいし、自分も購入した。日本にはこういったバンドがなくてはならないと思うし、そういったことで彼らをサポートしたいと思う)

 そのピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007での演奏をDVD化するので、ライナーを執筆して欲しいと、ソウル・フラワー・ユニオンの中川君から連絡があったのは10月ぐらいだっただろうか。Smashing Magでのレポートをベースにして、書いてくれればいいから言われたのだが、実を言うと、それがなかなか難しい。読み返してみるとわかるんだが、イントロとして書いた原稿から、まとめとして書いた総論まで、かなりの量になるし、振り返って読んでもけっこうの力作だったと思うのだ。残念ながら、多少のミスや自分の無知をさらけ出している部分もあるんだが、あのとき、自分がわかったこと、感じたことをストレートに書いたこれを越える原稿を書かないといけないなぁというのがプレッシャーとなってかなり時間がかかってしまった。とはいっても、結局、あのときのイントロ原稿にソウル・フラワー・ユニオンへの思いを込めた文章を加える形で完成させて、それを彼に渡しているんですが。

辺野古 そのライヴDVDの発売がいつになるのか? 聞いてはいないんだが、そう遠くはいないと思う。年末のリキッドルームのライヴあとの打ち上げで、単純にライヴだけではなく、『辺野古』を伝えるための情報もなんらかの形で入れ込むというような話を耳にしたように思うんだが、それがなにだったか覚えてはいない。いずれにせよ、「辺野古をとぎれることなく、伝え続けなければいけない」といった趣のことを語っている彼らも日本では数少ない、伝えるべき言葉を持つバンドだ。そのあたりの彼らに対する自分の気持ちは、あのライナーに書いている。

 と、そんなことがあってしばらくの後、ひでぼーから届いたのがピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007のドキュメンタリー。あくまでインハウス用であって、公の場では公開しないで欲しいという旨の但し書きが加えられていたんだが、なにが理由なんだろう。ミュージシャンのライヴだけではなく、このフェスティヴァルがどういったプロセスで生まれてきたのか... それが、よくわかるように、彼らのインタヴューも交えながら、いい感じで構成されているし、自分としてはできるだけ多くの人たちに見て欲しいと思うんだが、なにか複雑な事情があるのかもしれない。

Mozaik さて、沖縄に住むアイリッシュ・トラッド界の重鎮がドーナル・ラニー。彼も昨年のピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007に出演するだけではなく、イヴェントそのものの手伝いから、後片付けまでをもソウル・フラワー・ユニオンのメンバーと一緒にやってくれたというのはあのときレポートしたとおりだ。プランクシティからムーヴィング・ハーツといったアイリッシュ・トラッドを語るときに避けては通れない最重要バンドの中心人物として、今も現役で活動を続けていて、プランクシティ時代からの盟友、アンディー・アーバインたちと結成したモザイクというバンドを結成。2005年の4月には来日して、そのときのレポートをここに残している。その彼らがつい最近、新しいアルバム、『Changing Trains』を発表しているんだが、沖縄に住んでいるドーナルは、自宅のそばにある嘉手納基地の人権を無視したやり方にぶち切れたようで、先日、抗議の手紙を司令官に送っている。とはいっても、そんなニュースを報じたのは地元の新聞(ここに)だけで、本土のメディアは完全に無視。辺野古から復帰後最大の県民大会の時もそうだったのは、以前にここで報告したとおり。アイルランドでは、ある種、国宝級のミュージシャンであるドーナルも日本では「ただの外人」としてしか受けとられていないのかもしれないが、それにしても悲しい。

 その抗議の手紙の内容についてはここで、日本語訳を読むことができるんだが、このあたりのニュースは非戦音楽人会議のネットワークを通じて登録している人たちに伝えられた。もし、音楽を愛していて、反戦の意志を持っているのであれば、是非仲間に加わっていただきたい。

 まるで人権を無視した、しかも、本国の米国では禁止されている米軍の軍事訓練は、嘉手納だけではなく、厚木基地などでも行われているという話を聞いたことがある。彼らにとってアジア人は「人間」ではなく、属国か植民地の「低級な人間」だとでも言うんだろうか? だからこそ、米兵が犯罪を犯しても、まともに日本の警察が相手にできないような状況ができあがっているんだろう。それに対して、ドーナルのように抗議の声を上げたミュージシャンたちがこの国にどれほどいたんだろうか... このニュースを受けて、そんなことを思ってしまった。


投稿者 hanasan : 14:29 | コメント (0)

2008年01月07日

Banda Bassotti、ニュー・アルバムとカメラの歴史

Banda Bassotti 初めて手にした一眼レフは80年代初めに買ったNikon FEで、その頃から少しずつ写真を撮り始めていった。といっても、なんの知識もなかったのだが、少しずつ勉強を初めて、フリーのジャーナリストとして取材を始めた80年代半ば頃から、原稿を補足するものとして写真を撮っている。当時、自分が写真家だといった意識はなかったんだが、カメラを手にしているだけで「写真家」と呼ばれるようになり... 一時は気恥ずかしかったりもしたんだが、結局、フリーランスのジャーナリストで写真家だと名乗るようになっていた。当然ながら、写真家として、特にライヴを撮影するのに必要なレンズも買いそろえつつ、活動を続けて、今では作らなくなった名刺の肩書きとしてfreelance journalist and photographerと記していたのだ。

 銀塩のカメラについては、結局、FEとFE2の2台で撮影することが多く、後に、FE2の方がダメになって、ほとんど同じようなマニュアル・タイプのFMを買ったり、一応、オート・フォーカスのカメラも必要だと思ってF401からF80へと買い換えたのだが、結局、フィルム代に現像代でとんでもなく金がかかるということから、デジタルへ移行していくことになる。一方で、インターネットのメディアとしての重要性を感じ始めたのが97年頃。当時はまだ20万画素という、今でいえば、おもちゃのようなデジカメを持って撮影するようになっていた。とはいっても、そんなカメラでまともな写真が撮れるわけもなく.... 数十枚に一枚が使えるかなぁという程度でしかなかった時代だ。作品として、世に出せるものは皆無に等しいのだが、少なくともネットで誰の拘束も受けることなく自由に情報を発信できることの方が重要で、このあたりからデジタルにのめり込んでいくことになる。

 そんな流れの中でやっと、ごまかしながらも「写真」として使えるかもしれないと思える撮影ができるようになったのがオリンパスのE10というカメラが発売された頃だった。これが2000年10月で、価格は20万円前後ではなかったかと思う。このカメラで撮影したのが右上の写真。ISO(フィルムの感度に匹敵するもので、これが高ければ高いほど暗いところで撮影ができるというもの)の最大は320でF値は... すでに覚えてはいないんだが、今調べたらF2.0-2.4となっている。これはレンズの明るさのことで、この数字が小さければ小さいほどたくさん光が本体に入ってくる。だから、高いレンズはF値が小さくて、現在でもズームで最も明るいレンズがF2.8となっているからこの数字はけっして悪くはない。とはいっても、はっきり言って、ライヴの撮影となると最低でもISO800ほどでないとまともな撮影はできない。だというのに、まだまだ原始的な一眼レフ・デジカメとも言えるE10で撮影したこの写真をA全という巨大なポスターとして使ってくれたのがローマのバンド、おそらく、ここ10年で自分が最も惚れ込んでいるバンダ・バソッティだった。

Banda Bassotti それがどれほど自分を奮い立たせてくれたか... ライターとしての自分を認めてくれた人は、いろんなところで出会ってはいたし、どこかで「他の誰にもできない仕事をしてきた」という自負や自信を持っていた。が、写真は全く別もので、バンダ・バソッティがこれを使ってくれたことで、写真に対するアプローチが大きく変わっていくことになる。なにせ、彼らはライターとしてばかりではなく、写真家としても自分を評価してくれたのだ。しかも、このポスターがイタリア中に貼られたのだから、その喜びは格別だった。さらに、その翌年から「経費は出すから、イタリアに来てくれ」と依頼されるようになる。オフィシャル写真家としての仕事の始まりだ。おそらく、写真に本気で取り組みようになったのはこの頃からではなかったかと思う。

 E10の後に手にしたのは、すでに生産中止になっているニコンのD100。あれが出たときには「やっとまともにデジタルで銀塩に近い写真」をとれるようになったと思っていた。当然のように、それが大間違いであることは、その後継機として発表されたD200を手にした時点で明らかになるのだが、いずれも発売当時は25万円前後もするこれを購入し、よりよい写真を撮るためにレンズもそろえていった。特に気に入っているのはNikon AF-S VR ズームニッコール ED 70-200mm F2.8Gで、これはかなり高価なのだが、髪の毛一本一本まで実にシャープに撮らせてくれる。気に入っている写真の多くはほとんどこれで撮影されているといってもいいだろう。

 実をいえば、この左上の写真はそのコンビネーションで撮影したもので、今回、新しいアルバムの録音を終えたバンダ・バソッティがジャケットに使用したいと連絡してきたもの。実際にそうなるのかどうか、現時点ではわからないし、気が変わることだってあって当然だから、結果は待つしかないんだが、これも嬉しかった。ちなみに、新曲は彼らのMy Spaceでチェックできるので、気になる方は飛んでみてください。

 いずれにせよ、D200と、その後に手に入れたNikon D80が撮影の主役となり、Nikon AF-S VR ズームニッコール ED 70-200mm F2.8Gの他に、広角系のNikon Ai AF-S ズームニッコール ED 17-35mm F2.8Dに標準ズームのNikon Ai AF-S ズームニッコール ED 28-70mm F2.8Dとそろえていった。さらに、簡易取材のためにNikon AF-S DX VR ズームニッコール ED18-200mm F3.5-5.6Gや、クオリティにそれほど大きな違いがないというので、トキナーの超広角ズームも手に入れている。デジタル・カメラの場合、レンズを交換するとゴミが入って写真が使い物にならなくなる。特にダストだらけのライヴ会場ではなおさらで、どうしてもズーム・レンズが主役になってしまうのだ。

 よくぞここまで金をかけたと思うのだが、いい写真を撮影するために金は惜しんではいられないし、どんどん撮影しなければいけないと常々思っている。特にデジタルの場合はシャッターを押した直後に「絵を確認」できることから、撮影している現場で設定の確認からカメラ本体の露出計などの不具合なり癖が簡単にわかるのだ。特に、さまざまな方向から光が飛び出してくるステージ写真についていえば、カメラの露出計なんぞ当てにしていられない。なによりも経験と勘と「音楽を聴く」ことが要求される。だから、最初の数枚でそのあたりの修正をすることが多々ある。

 加えて、リズムとミュージシャンの癖や動きのタイミングなどを全て見ていないと「音楽が聞こえる」写真が撮れないのはいうまでもない。なによりも、自分が撮影するときに心がけるのは「写真から音楽が聞こえる」こと。そうでなければ、ただなにかが映っているだけのデータの集まりになる。記事を書くためのデータであれば、それでいい。が、作品としての写真はそんなものであってはならないと思うのだ。

Nikon D3 もっといい写真を撮りたい。と、思う。もっともっとヴィヴィッドに音楽を伝え、歌が聞こえてくる、そんな写真を撮りたい。だからなんだろう、新しいカメラが出るとない袖を振ってまた清水寺から飛び降りてしまうのだ。今回もそれだった。大嫌いなローンで手に入れたのは、おそらく、デジタル一眼レフの革命とも呼べるNikon D3。やっと銀塩写真に近づけた名機を購入してしまうことになる。amazonで購入してポイント還元を考えれば52万円という値段になるし、三ヶ月のクレジット・カードの保障も付くということで一瞬考えたんだが、さすがにこの金額を一気に口座から引き落とせる余裕なんぞない。それに、1月中旬にはマックのラップトップの新モデルが登場してくるはず。すでに年代物となっているパワーマックG4はがたが来ていて、旅での仕事を考えるとどうしても購入しなければいけないというので、こうせざるを得なかった。

 が、友人の写真家たちに「絶対に後悔しない」といわれた通り。とんでもない代物だと思う。デジタル一眼レフの革命といってもいいだろうと思えるほどで、クオリティとして考えれば銀塩に限りなく近いと思う。というか、すでに銀塩とデジタルを比較することが間違っていると思うのだが、これはものすごいカメラだ。やっと「写真家」の一眼レフ・デジカメができあがったと断言してもいい。もちろん、デジタルの進化はすさまじく、おそらく、数年もたてば新しい機種が出てくるのだろう。そして、そのときにまた驚かされることになるはずだ。が、D2Xといった旧機種との違いは歴然で、はっきり言って比較する意味もないほどの進化を遂げている。ISO6400でもノイズはなく、絵のシャープさは格別。実は、これを買うか、30万円以上安いD300を購入するか、かなり悩んだのだが、これで正解だったんだろうと思う。実際に、D300に触れて撮影したわけではないので軽はずみなことは言えないし、これもD200とは比較できないほどに進化したと聞いている。ひょとして、すでに18万円ちょっとで購入可能なD300でも十分な仕事はしてくれるかもしれないんだが、Nikon D3を手にしての満足感は格別だ。逆に、おそらく、今度は自分が試されるんだと思う。こんないいカメラでまともな写真を撮れなかったら、写真家だなんて言えませんから。

 ちなみに、CFカード2枚が入るこのNikon D3に合わせて大容量のカードを買ったんだが、これは最近けっこう使っているValue landという店で手に入れた。なんと16GBのCFカードでトランセンドの133倍速というものが17000円ほど。この店の値段はいつもかなり安くて、タイム・バーゲンでときおりとんでもなく安い値段で限定販売してくれるのをつかむのが正解だと思うけど、今回はそれを待てなくて購入だ。

 本当は、実際に使えるかどうか不安だったんだが、今のところ問題はなし。これと、以前買った8GBのものを使えばデータ・カードを交換しなくてもライヴの撮影ができる。転送スピードに若干の心配もあるんだが、これよりは低速のはずの8GBのものもで撮影するときに一切ストレスを感じたことはない。加えて、それほど容量が大きいと、カードが痛んだ時に失う写真の量が多すぎるからと敬遠する人もいるんだが、これまでのところ、CFカードでそんな経験はない。実を言えば、SDカードを使うNikon D80で一度経験しているんだが、あのカメラはサブとして使っているので、それほど大きな損失感はなかった。(もちろん、悔しい思いはしてますけど。去年の暮れにソウル・フラワー・ユニオンを撮影したときにデータが壊れて、写真が使い物にならなかったのですよ。)ちなみに、そのとき、Nikon D80をサービス・センターで修理しているんだが、原因は不明。使用したデータ・カードも持参して全てチェックしてくれたのだが、症状が出なくて、関係する部品を全て無料で交換してくれた。だから、今も若干不安が残るのだが、修理完了以来、同じ症状は出ていない。

 と、写真家というのは実に金がかかる。それなのに、まともなギャラを出さない連中の多いこと。去年も某大手出版社の雑誌が写真を使わせて欲しいと打診してきたんだが、あまりに人をバカにした値段なので、お断りした。欧米のメディアでは写真に対して十分に報酬を出してくれるのに、日本では写真に対する評価があまりに低すぎる。デジタルだから「フィルム代も現像代もかからない」というのが理由らしいが、そりゃぁ、あ〜た、世間を知らなすぎる。そんな連中にまともな編集意識が宿っているのかどうか、実に疑問なのですよ。


投稿者 hanasan : 16:06 | コメント (0)

2008年01月03日

新年、おめでとう

 といっても、ここ数年、なにがめでたいのか、よくわからない。とりあえずは、生き残ることができたという意味で言えば、それだけで十分におめでたい。なにせ、自由気ままに生きてきて、まだ餓死することもなく、貧乏の極みだとは言っても、世の中にはまだまだ貧しく、飢えている人がいるのだ。それはなにも、絵に描いたような第三世界のことではなく、豊かだと言われているこの国でも同じこと。日本でも生活保護さえ受けられることなく、餓死する人間がいるのだ。それなのに動かない民が大多数だから、おめでたいんだろうか?

 でも、よく考えてみる。そんな状況に生きているのに、「日本は豊かだ」「日本は平和だ」と思っていることの方がよほどおめでたいのではないのか。ネット・カフェ難民だとか、格差の問題だとか、いろいろ騒がれてはいても、「自分はまだそこまでじゃないから」と思ってしまえる自分がおめでたくはないんだろうか。あんた、本当に「豊か」なのか? マネーゲームで遊んでいる連中が、使い切れることもない金を稼いで、社員にもなれず日雇いのような状態で必死に働いている連中が雀の涙の金でその日を食いつなぐ。これが戦後60数年も過ぎた「豊かな日本」なのかい? 自分で選んだ道だから、乞食のような生活をして当然だと考える方がおかしくはないのか? 貧しくとも少なくとも「人間」として生きていけなくて、なにが「豊か」なのか?

 いつまでたってもウサギ小屋に生きて、家賃と食い物に大金をはたいて、最低限「生きる」ために奴隷のようになって働かされる現状が、本当に豊かなのか? 満足な「休息(お休み)」さえ十分に受ける「権利」さえもらえてはいないのだ。職があれば、まだしも、それさえなく、あっても不安定で、いつホームレスになるかもわからない状態で生きているのが豊かなのか? ホームレスになるような状態にならないように「安心して生きていくことができる」社会を作るのが政府ではないのか? 身体が動かなくなって、病に倒れたときに、そんな人々を救うのが社会ではないのか? 年老いて、働けなくなったら、そういった人たちをきちんと支えてあげるのが「普通」の世界ではないのか? そんな政府も社会もないこの国が「豊か」なのか?

 それでも「戦争」がないから日本は「平和」なのか? 「テロとの戦い」のお題目の下、ただでガソリンをやって、ミサイルを積んだ戦艦に手を貸しているのは「戦争」に参加していることではないのか? ファルージャの虐殺に従事した米軍へ物資の輸送をしたのはどこの国で、兵隊はどこから「戦場」に旅立ったのか? その兵士達に日本人なら金持ちしか住めないような家を提供し、「おもいやり」を渡しているのは誰なんだ? その金は苦しくてたまらない生活を送る自分たちが払っている税金ではないのか? それで、あんたは日本が「平和」だと言えるのか? しかも、米国本土では絶対に禁止されている訓練を大都市の真ん中で平気でやられて、「日本を守ってくれている」と思っているあなた、おめでたいのはあんただろ? 

 日本はすでに植民地以下になっていると思わないのかなぁ。去年は「ルワンダ・ホテル」を見たり、「ザ・ラスト・キング・オヴ・スコットランド」なんて映画を見ながら、思ったものだ。あの状態と、今の日本と「程度の違い」はあっても同じことじゃないのかい? 政治家どもや役人や金持ちが国民をこけにして暴利をむさぼり、ゴルフ三昧かい?「格差はあって当然だ」とのたまったアホ総理! 「それは努力した結果」だと奨励されるのだ。どれだけ努力しても報われない状態を作っておいて、弱者を作る作業をしておいて、それを切り落とすことが努力だとしたら、あんたのやってきたことは「殺人行為」さ。

 目を覚ましなさい。「国を守るため」という名目で「使いたくない」、そして、おそらくは訓練でしか「使わない」ものに大金をかけて、その金を民が生きることに使わないということは、それだけで殺人行為なんですよ。薬害エイズから薬害肝炎の問題は国民の「命を守る」もの。それには多額の金を出すのに躊躇して、ミサイルや爆弾になら、ぼったくりを常とする業者やその賄賂にとんでもない金額の税金を投入するわけだ。あほらしくて話になりません。いつまであなたたちはそれが見えないふりをするんですか? 辺野古の基地問題だって「平和」だとか「テロとの戦いだ」とか、「国防」なんて、政治家や役人や資本家どもが甘い汁を吸うための方便以外にどういった理由があるの? まだひとつ他に理由があるとすれば、(実際にプランがあったことが暴かれ出しているけど)要するに、日本の属国化だろ? アメリカさんの。右翼は怒れよ! 民族の尊厳もくそもあったものじゃないだろうに。

 世界最大の武器輸出国であるアメリカの世界第五位のお得意様が日本だって? ジェット機も飛ばすガソリンもないような北朝鮮が日本を攻める? これだけの軍備をしている国が隣にいて、「敵だ」と想定されれば悪あがきだってしたくなるだろう。憲法を守って、米軍はおろか、自衛隊もなくして、サンダーバードのように国際救助隊でも作っていれば、そんなこともなかっただろうに。そんなことをしてきたアホ政治家どもが、のうのうと生きていられて、でっかい屋敷に住んで偉そうな面をしてることがおかしくないのかい? ホントにおめでたい。政治家は国民の家僕だよ。

 おまけにアメリカ本土の米軍基地を作るのに日本が金を出すなんて話をまともな顔でできる政治家なんぞ、売国奴だろ。そんな政治家どもを選んでくれている日本国民って、ホントにおめでたい。と、新年になって、「めでたい」と言えば、そんなことしか思い浮かばないんだが、わたしぁ、被害妄想かい? それとも、正論吐いているのかい? 

 文句のを言うのは簡単さぁ。だったら、具体的な方法論を提示しろ! ってか? 提示したところで、まるで妄想のような「恐怖心」や朽ちた「常識」でしか頭を使えない人たちにはなにもできませんよ。

 もう、やめませんか? 物質的な豊かさや便利さや金なんて追い求めるのは。そんなのが価値だなんて「文明」じゃないんですよ。今の言葉で言う「金持ち」や「セレブ」なんて最も貧相で恥ずかしく、醜いものだということを理解しましょうよ。貧しくても豊かな生活があるんですよ。でも「現実は」というのであれば、その現実に向かい合えばいいでしょ?

 金はね、紙切れか金属の固まりです。燃えればなくなるのさ。欲しいのは金ではないでしょ? 幸せでしょ? 金で買える幸せって、ホントに幸せなのかい?

 なんかめでたい話だと思うかもしれないけど、新年なんだ、これぐらいのことは言い放っておきましょ。アホな政治家の議論には絶対に乗ることのない、地べたに、実は、問題の本質が眠っているということが、きっとわかるときが来るから。もちろん、残念ながら、そのときには遅すぎますけど。そのときに泣いてもなにも始まらないから。

 あぁあ、ぶち切れて始まる2008年。今年はどう転んでいくんでしょうなぁ。


投稿者 hanasan : 21:51 | コメント (0)

2007年11月18日

音楽はどこで聴く? Signmarkのこと

Signmark よくあることなんだが、また、日にちを間違えた。今年の七夕の日に取材したイヴェント、サインソニックのヘッドライナーだった、フィンランドのラップユニット、サインソニックが再来日をするというので楽しみにしていたのに... しかも、メンバーのKimからは直接メールも受け取っていたのだ。そのメールに返事を出そうとして書き始めていたのが16日の夕方。その時気がつくのだ。17日だと思っていた東京公演が、実は、この日、16日だと。いかん! と、コンピュータをシャットオフして、大急ぎで初台のドアーズに急行。19時開演でライヴが始まっていて、会場に入ったのは、40分ほど過ぎた時点。と、大失態をしてしまった。

 とはいいながら、それから1時間弱、ライヴを楽しむことが出来たので、よしとするべきなんだろう。しかも、背後に飾られたスクリーンからは、ラップで語られる言葉が日本語で描かれ、前回とは違って彼らがラップしている「意味」が理解できたことが大きな収穫だった。これを見ながら、7月のサインソニックで、想像したとおりの言葉が語られていたことに嬉しくなるのだ。

 サインソニックというのは聴覚障害を持つ人たち、簡単に言えば、耳が聞こえない人たちのロック・イヴェントで、自分にとって今年最も大きなインパクトを与えられたものがこれだった。なにせ、演奏しているバンドのミュージシャン達の多くがそういった障害を持っているのだ。一般的な常識でいえば、「それで演奏できるのか?」ってことになるんだろうけど、決して悪くない。これはお世辞でもなんでもなくて、活動歴10数年だというブライト・アイズという名古屋のバンドなんて、とんでもない迫力だった。それに、このとき、初めて体験することになる「手話」ヴォーカルも興味深かった。Rimiという女性なんだが、口からは一言も発することなく、文字通り、「手話」で歌うのだ。バックで流されるテープにはヴォーカルがつけられているから、どこかで奇妙な感じがしないでもないし、下手をすると単純に踊っているようにしか見えないかもしれないが、確かに「手が」歌っているのが見える。手話を全く理解できていない身には、「聞こえる」といった方が正解なのかもしれないが、どこかで「聞こえる」ように思えるのが不思議だ。

Eddie Reader そのライヴを前にして思い出したのがエディ・リーダーのアルバム『Mirmama』(UK import / US import)に収録された曲「What You Do with What You've Got」。文字通り、彗星のごとく現れて、そのピークに突然、しかも、日本でのツアーをきっかけに解散してしまったバンド、フェアグランド・アトラクションのヴォーカルだったエディ・リーダーの、ソロ・デビューとなったこの作品で歌っている曲なんだが、そこで歌われていたことを思い出したのだ。

「力強い二本の足があるのに、あなたは逃げ出すだけ?」
「素晴らしい声があるのに、何も素晴らしいことは口に出来ないの?」
「まともな耳を二つも持っているのに、あなたを愛する人の声も聞こえないの?」

 と、歌はそんな感じで歌われるのだが、手話を交えて作られたプロモーション・ビデオやこの曲のことを話題に、もう10数年も前にどこかのスタジオの中でインタヴューした時のことを思い出した。「耳があるのに、あなたは本当に聞いているの?」と、あのときはそんな会話を交わしたように思う。なんでもこれはアイリッシュの詩人の作品で、初めてこの曲を聴いたときに、彼女いわく「頭がぶっ飛ばされた感じだった」らしい。と、それは後にMaSpaceを通じて、彼女とコンタクトをとったときにメールでやりとりで教えてくれたものだ。

 その歌を知ってからだろうか、いつも思っている。僕らは本当に「聞いている」んだろうか。たとえば、音楽にしても、音楽を聴くとはどういうことなんだろう。それは、鼓膜の振動で「音を認識する」ことなのか? 耳に入ってくるということが聞くということなんだろうか。聞くと聴くとの違いもあるだろうし、鼓膜ではなく身体で音楽を聴くこともあるだろう。また、「聴く」ことは「知覚」するということでもあるんじゃないだろうかとも思う。

 そんないろいろな思いが交錯したのがサインソニック。そして今回、サインマークの見える「言葉」によって、また、そんなことを考えてみる。手話によって「言葉」を持つことが、そして、「語る」ことが出来た、その喜びを語る歌は音楽が決して「耳」だけで「聞く」ものではないことを教えてくれているように思えるのだ。


投稿者 hanasan : 10:52 | コメント (0)

2007年10月02日

辺野古から復帰後最大の県民大会へ

辺野古 たいした理由もなく、ちょっとひと休みしたくなって沖縄に向かった。たまたま貯めていたマイレージが使えるのと、泊めてもらえる友人がいること... 1年のうちで最も時間に余裕ができる時期だというので、韓国か台湾か沖縄に行こうかと迷っているときに「空港まで迎えに行ってあげるよ」という友人の申し出に乗ったというのが直接のきっかけだろう。

 といっても、なにをやろうと思っていたわけでもない。が、それでも、今年の2月に辺野古で開催されたピース・フェスタを取材して以降、沖縄のことがずっと気にはなっていた。普天間の代替えとして、辺野古の珊瑚礁をつぶして新しい米軍基地が作られようとしていること、そして、その阻止運動がずっと続いていることも非戦音楽人会議のMLで伝わっていた。キャンプ・シュワブを人間の鎖で包囲するというキャンペーンやなんと自衛隊まで乗り込んできての環境アセスメント作業強行を止める運動のために人手が必要だという話があったんだが、当時は忙しくて現地に飛ぶことはできなかった。現時点ではそれほど逼迫した動きが出ていないようだが、なにかをしなければいけないという気持ちがありながら、なにをしていいのかもわからないし、行ったところで足手まといになるだけではないか... と、そうも思っていた。

 とはいうものの、やはりこの目でなにが起きているのかを見てみたいと思って1日だけ足を運んでみた。これがそのときの写真なんだが、キャンプ・シュワブとの間にある有刺鉄線に数多くつけられていたアピール付きのリボンやバナーが台風の影響で吹き飛ばされたらしく、その取り付けを助けることになった。この有刺鉄線は、昔のものとは違ってまるで剃刀のような「歯」がつけられている代物。幾度か指に切り傷をつけながら、この日に用意されていたリボンを阻止運動に参加している人たちと一緒になってくっつけていった。

 写真でわかると思うのだが、この有刺鉄線の向こうに見えるのは海から陸に上がってきた水陸両用のタンク。(っても、名称さえも知りません。水陸両用の、おそらくは戦艦から飛び出してくるものだと思いますけど)それが手が届くような場所で「軍事訓練」をやっているという光景は気持ちのいいものではないし、彼らがここから戦場に出かけていることは誰でも想像できる。今、沖縄が、そして、日本がこういった軍事活動に手を貸しているのを認めざるを得ない光景がここでは日常茶飯事のものとしてあることを改めて感じるのだ。

辺野古 辺野古を訪ねた9月28日、グリーンピースが現地を訪ねて、環境アセスメントに抗議するためのキャンペーン用フォト・セッションをしていた。海は苦手なんだが、とりあえず船に乗せてもらってその様子を撮影。すでにこの「環境アセスメント」を理由に珊瑚が傷つけられているんだが、そんな場所を探しながら、水中、水上で撮影している様子がこの写真。といっても、場所が簡単には見つけられないらしく、かなり時間がかかった。

 どうやら、東京あたりから辺野古にやってきて運動に加わっている人たちがいっぱいいるようで、今回の先導役として動いていた女性はなんと東京は千代田区出身だとか。とはいっても、真っ黒に日焼けして動いている様子を見ると、すでに地元の海人のようで、実に頼もしい。他にも数人が東京からやってきているという話も聞いているし、コンスタントにここに全国から人が集まっているのがわかって嬉しかった。

沖縄 その翌日、沖縄を離れる前日だったんだが、出かけていったのは「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。なんでこれを知ったのか... 全然覚えてはないんだが、この話をたまたま知って是非出かけたいと思っただけ。そして、自分の意志を示したかったし、集まった人たちの数をひとり分だけでも増やしたかったのだ。なにせ、軍隊が国民を守るためにあるなんて言うのは完全な幻想で、彼らが守るのは国。民はいつだって「国のため」というお題目の下でぼろ切れのように捨てられ、使われていたというのは、今更説明の必要もないだろうし、それは歴史が雄弁に物語っている。それを率先してやってきたのが軍隊であり、警察だったことも疑う余地はない。その認識がなかったら、また再び同じことが起きるだろうに、その事実を歴史から消し去ろうとしているのが政府のお抱え機関であり、そんな思惑が如実に反映されているのが教科書だ。そこから、民が(今回は特に沖縄の)軍の強制のみならず、可視不可視、有形無形の圧力と洗脳で殺された事実が「なくされて」しまったことに端を発したのが今回の集会だった。

 実は、前日地元のミュージシャンの関係者と話をしていたとき、「噂では10万人が集まる」って聞いたけど... というと、「そりゃぁ、無理でしょ。いいとこ5万じゃないですか」といい返されたものだ。ところが、主催者によると11万6千人が集まったというのだ。まぁ、こういった数字をどうやって数えるのか全然わかりませんが、予想を遙かに超えた人たちが集まっていたのは確かだろう。3時に集会が始まると言われていたのに、会場に着いたのは3時半。その時点で会場には満杯の人がいたんだが、まだまだ流れを作るように会場を目指していた人が絶えなかったし、車で近場に駐車して... と、考えていた友人は集会が幕を閉じた頃になってもたどり着けなかったほどだ。

 その会場では号外が配られ、翌日の「琉球新報」を写真に撮影したのが上の写真なんだが、一面だけではなく、裏面までをも使ってド〜ンと紙面を構成するあたり、これがどれほどのインパクトを我々に与えたか、容易に想像できるだろう。ところが、その翌日東京に戻ってきて新聞を買うと、あまりの落差に驚かされるのだ。一応、一面トップで扱っていたのは朝日と毎日。読売に至っては、一面にほぼ掲載されていなかったと言った方が正しいだろう。新聞の名前が出ている左側に、まるでちっぽけなバナーのようにちょこっと「コンテンツ」を紹介する感じで数行記されているだけ。しかも、ほとんど三面記事扱いで5段程度を使っているだけという有様だ。加えて、朝日だって毎日だって、それほど大きな扱いにはしていないし、このあたりを観ていると本土での「沖縄」がどれほど「些細なことか」実によくわかってしまうのだ。そんななかで東京新聞だけがかなり大きなスペースを使って、問題点を浮き上がらせようとしていたのが印象に残る。一方で、一億総白痴化を目指すスポーツ新聞系は話にならなかった。確かスポニチは5行で終わっていたように思う。

 現地沖縄であれほどまで多くの人たちのなかにいて、なにかのエネルギーを共有した身からすれば本土でのこの反応に「作為」を感じざるを得なかった。まぁ、読売なんぞは「作為のたまもの」だと思うし、リベラル面している「朝日」なんぞを「リベラル」と呼んでるのはよほど反動的な発想を持った人ぐらいだろうと、逆に認識できたように思う。あの程度がリベラルだと思うから、「戦争反対」といっただけで「テロリスト呼ばわりする低脳」がいっぱい出てくるんだろう。

 それはともかく、この県民集会でひさびさに顔を合わせることが出来たのがソウルフラワーのひでぼうやデューティ・フリー・ショップの知花くんやピース・フィスタの仲間達。本土ではいまだこの問題や基地問題が「肌に感じる」ほどの切迫感を持って受け入れられてはいないように感じるけど、少しずつなにかが動き出している気配は感じる。まぁ、メディアはミャンマーのファッショを大きく取り上げているけど、この新聞のどうしようもないていたらくを観ていたら、そんな現状を認識できない本土の危険なほどの鈍感ぶりに開いた口がふさがらないと言ったらいいのかしら。なんてこったい。


投稿者 hanasan : 09:51 | コメント (0)

2007年07月23日

選挙に行こう、政権を変えよう

 よくもこれほどまで民主主義を愚弄した政府を生み出したものだと、あきれかえっているのがここ数年。小泉もひどかったけど、安部もそれに輪をかけてひどい。なにせ、強行採決以外で成立した法案はあるのかと疑問に思うほどの「強行」の嵐だ。しかも、まるで戦前の亡霊が甦ってきたかのような言動のひとつひとつに身の毛がよだつといった方がいいだろう。こんな人間が日本の顔として存在することが、苦痛でならない。

 あげればきりがないほどの「戦前ファッショ」的な言動や政策に付いては、書ききれないほどで、こちらが麻痺しそうな感じ? おそらく、それが狙いなんだろうと思うけど、それ以前に「人間」としての資質を疑うのだ。まぁ、ファッショ的なことを平然とやってのけるという意味で、彼がまともな人間だとは思えないけど、詐欺師のたぐいを平然と内閣で飼育して、かばっているあの神経はまともじゃない。一度、医者に診てもらった方がいいと思うのは、俺だけかしら。

 なにせ、信じられないほどのアホ大臣、アホ政治家が雁首をそろえて、日本の政治を勝手放題にめちゃくちゃにして、金持ちどもを肥え太らせると同時に、貧乏人をまるで奴隷のように扱いやがる。年金問題なんて、振り込め詐欺以下だろ? いつも言うけど、これが南米で起きていたら、今頃は革命でも起きてるだろうし、東南アジアだったらクーデターだろうなと思う。いずれにせよ、こんな政府をのさばらせてたら、骨の髄まで吸い取られて、国民総棄民時代がやってくるとしか思えないからな。というか、実際に、そういう時代なのだ。実際、知らない間に住民税が引き上げられて、それをいきなり知ってしまった人の台所が火の車になっている。ふざけんじゃないよ。

 だから、選挙に行くのだ。絶対に、自民党と公明党を政権の座から引きづり降ろすために「投票」するのだ。というか、もう、すませてきた。だから、今、自分の仲間や友達に声をかけている。自民、公明の独裁的な体制に待ったをかけるためにも、良識ある参議院を作るためにも絶対に彼等に勝たせてはいけないと思う。もちろん、参議院で野党が多数派になったところで、衆議院はまだまだ自民公明の「独裁」状態であることに変わりはない。ただ、少なくとも「強行採決」という横暴で全てを勝手にされることだけは少なくなる。そのためにも絶対に野党に勝たせなければいけないと思っている。

 じゃ、誰に投票すればいいのか? いつも悩まされるのはそれだろう。なぜなら、支持できる政党なんていないのだ。それぞれがそれぞれに問題を抱えて、誰に投票しても変わらないように思えるのも確かだ。ただ、十分に認識しておかなければいけないのは、投票しないと言うことは「現状を肯定する」ということ。なんにも変わらないから... ではなく、それは今の政府を支持しているのとなんら変わらないのだ。もちろん、そうならば、それでいいだろう。投票に行かないことで、十分に自民党を支持し、公明党を支持することに匹敵する。

 同じく、無記名投票も同じこと。格好をつけて、あるいは、それらしい理由をつけてそうすると公言するアホが多いけど、それも投票に行かないのと同じこと。結局は、現勢力、現政権を支持することとなにも変わらない。だからこそ、誰かに投票する。しかも、もし、あなたが現政権に対して危惧を抱いているのなら、その政権を潰すという理由で対抗馬となる誰に投票するかを決めてもいいだろう。

 考えても見ればいい。自分の一票がはたして無力なのか? 100人にひとり、わずか1%の人間が投票しただけで動くのは80万票。これがなにも変えないと思えますか? これまで投票に対してネガティヴな考えを持っていた人は、その現実を見つめるべきです。わずか1%の人間が動いただけでもなにかが大きく変わるんですよ。特に、民主主義を否定したかのような小選挙区制はこれだけの人間で「権力を移行させる」力を誰かに与えたのであり、その結果が今の極端に右翼的な政権の礎となっているわけです。

 だから、投票しよう。声を上げよう。動こう。1%でもなにかが変わることを体験してください。面白いぐらいに世界が変わるから。

 こちらは明日からフジ・ロックの会場入り。これから仕事で走り回ることになるんですが、それが終わって東京に戻ってきたときに、参議院で、少なくとも野党が多数派となっていることを期待しています。もちろん、フジモリなんて独裁者だった人験を担ぎ出した政党なんてどうでもいい。元自民党が集まった政党も期待なんてかけらもしていない。かといって、社民がいいとも共産がいいとも思わない。それでも、自民党を落とし、公明党を減らすためだったら、鬼にでも投票するかもしれないなぁと思う。というか、すでにどこかに投票はしているんだが、それをあえてここで言うことはしないでおこうと思う。自分できちんと彼等の主張をしていることをチェックして、「勝たせる」ためではなく、「負けさせる」ための投票もちょっとした武器であるということは認識しておいてほしいと思いますな。


 

投稿者 hanasan : 17:53 | コメント (0)

2007年06月13日

よくわからんが、Lastfmに登録しちまった

http://www.lastfm.jp/user/koichihanafusa/

 というのでこれが、URLなんだが、なんとはなく、試してやろうと思って、ここに登録してみました。なんと、面白い(恐ろしい)ことに自宅のiTunesで再生している音楽のリストがどんどんここに出てくる。まぁ、めちゃくちゃなリストだし、これがどう転んでどうなるのか、全然理解してはいないんだが、これからいろいろと試してみようと思っている。

 ということで、気になる人は見ちゃってください。なんか、他人の自宅を覗き見する感覚に近いと思うけど。あと、もし、知っている人がいたら、教えて欲しいですね、ここでなにができるのか。おもしろ展開の仕方ができれば、どんどん活用したいと持っているし。

 そうそう、MySpaceにも登録してしまいました。

http://www.myspace.com/koichihanafusa

 これも、まだよくわかってはないです。ただ、ここを通して、昔の仲間たちとどんどん連絡が取れて、なかなか楽しい。それに、自分が好きな音楽を聴かせたりもできる... っても、1曲だけなんですけどね。まぁ、興味があったら、覗いてみてくださいな。

投稿者 hanasan : 17:45 | コメント (0)

2007年04月13日

追悼 : 民主主義

Phil Ochs 国民投票法案の強行採決に、再び、日本には民主主義がないことを実感した。というか、幻想であったとしても、少なくとも民主主義の希望があったと思っていたのだが、この強行採決でそれが木っ端みじんに葬られたことを実感している。

 自分がミュージシャンだったら、次のアルバムのジャケットは民主主義の墓標だろうな。ちょうど、フィル・オックスが『Rehearsals for Retirement』というアルバムで、自分の墓標をジャケットに使ったようなもので、完全にあきれかえった。

 多数決が原則だというのは、当然受け入れてるし、そういった方法で決定せざるを得ないのも当然だろう。もちろん、その間に十分な議論がなされ、反対側の問題点をも十分に配慮した上での妥協点が結実されなければいけない。その上で、考えてみるのだ。この国民投票法案は全ての国民の生死に直接関わる『憲法』の問題を対象としている。そうではなかったとしても、国民投票を必要とする重要な判断を迫られるとき、国民の過半数が、少なくとも、有権者の過半数が明確にそれを支持していることを証明できるものでなければならない。ところが、そうであるとは全く考えられないどころか、それから逃げるための方法論としてこれを作っているのが見え見えなのだ。

 有効投票数だって、決める立場にあるのは政府であり、国民ではない。しかも投票する対象や議案に関しても、政府が有利なように提出することができる。国民はいつも置いてけぼりなのだ。そんな状況でなぜ『国民の意思』を判断できるのか? しかも、今の議会民主主義にしても、民意を反映したものではない。少なくとも、小選挙区制によって選ばれた議員たちは、大多数の国民の支持を得たものではなく、選挙区でひとりしか選ばれないことと投票率を考えれば、組織力を持つ団体がこそが『全権力を掌握できる』という構図を作った上で作られた人間たちだ。そんな人間、政治家どもが民主主義を体現していないのは明らかであり、彼等が強行採決するということはその時点で民主主義の抹殺であり、すなわち、それは民に対する冒涜であると考える。

 現行憲法に問題があろうと、なかろうと、現行憲法の上に立って我々の権利が保障され、民主主義が保証されているはずだ。だとしたら、現政府のやっていることの多くが憲法に反することであり、自分は彼等の決定したものを受け入れることはできないし、彼等こそが犯罪者なんだと思う。

 簡単に言ってしまえば、法を犯している人間が、法を作る国だろう。これって、正当性を持てるのか? それをして、美しい国と言える、安部首相とは人間としての感性を喪失し、知性を失った人物であり、民意を反映しない政治家と呼ばれる無法者のボスであり、この国を醜く破壊しているのは誰あろう、この人物なのだ。日本をアメリカに売り渡し、日本民族を陵辱している売国奴。まるで右翼のような言い分だが、それ以外にどう言えるのか? 非国民という言葉は、安部首相にこそふさわしい。

 民主主義が葬られた今日、その思いをいっそう強くした。日本を破滅に追いやっているのは、安部首相を長とする自民党、そして、それを支える創価学会の公明党や、そういった状況を生み出していった全ての政治家たち。覚えていればいい。すでに、破滅が始まっている。もちろん、環境問題などで終末が近づいているのは誰にでもわかること。それを加速させているのがこういった政治家であり、これから数十年後、それを実感するのがこれからの世代。ひょっとして今日は、今生きる、これから生き続ける人たちの墓標を作った日かもしれない。それは歴史が証明するはずだ。



投稿者 hanasan : 22:55 | コメント (0)

2007年02月11日

ネット・ショッピングにはまる

コントレックス いきなりなんの写真が出てきたんだろうか... と思われても仕方がないと思うんだが、これは微炭酸入りのミネラル・ウォーターでコントレックス - ウォーターファインブルスというもの。このところ、とどのつまりはこんなものまでをネットで買うようになってしまった。理由は単純で、買いに行くのが面倒であったり、持って帰るのが面倒であったり... 要するにものぐさなのだ。一方で、買いに行くための交通費を考えると、こっちの方が効率的だという理由もある。実際、けっこう頻繁に消費するものだったら、一回の注文で数本を買うのも悪くはない。というので、この傾向のものはたいていネットで購入するようになってしまった。

 それに、ものによっては、ネットで買う方が安いこともある。例えば、一度報告したプリンター。うちのプリンターが壊れて、結局、新しいのを買ったんだが、こんなもの、機種が決まっていれば、最も安く、楽に買う方法を考えるのは当然のこと。というので、EPSON カラリオの PX-G5100にねらいを決めて、例によって例のごとく、www.kakaku.comで調べたんだが、購入を考えたときの最低価格が6万円弱。 amazonを見てみると、若干高いんだが、ポイント還元がある。これはどんどん変化するから、その時々にチェックしなければいけないんだが、このときは10%ほど。というので、交通費を考えて、結局は amazonで購入。それによって還元されたのが5000円分のポイントだというので、それを使って、清水の舞台から飛び降りた気持ちで前略おふくろ様のDVDボックスセットを購入したのは、以前書いたとおり。まぁ、結局は使ってしまうんだから、得をしているのか、損をしているのかよくわかりませんけど、CDやDVDを定期的に購入している音楽ファンにとってみれば、それが安くなると考えれば、これでいいじゃないかと思う。

Mac Fan そんなものだから、最近は雑誌までアマゾンで買うようになってしまった。毎月決まって買う雑誌といえば、Mac FanMac Peopleなんだけど、amazonで注文していれば発売日にはうちにこれが届けられる。もうすぐ、Old Macパワーアップガイドというのが発表されるんだけど、いまだにMac OS9で仕事をしている身分としては、こんな本も持っておかなければ... と、これも注文を考えている。本やCDに関して言えば、どうせ欲しいものを求めて店に行っても置いていないというのがいつものパターン。無駄な労力を使うよりもクリック一発で買う方がお気楽なのですよ。

 基本的にどこで買っても値段がそれほど変わらないもの、例えば、マック関連はアマゾンでの購入が多い。例えば、新しいiPod shuffle もそうだったし、それ以前に買ったiPod 80GB Apple AppleCare Protection Plan for iPod あたりがそうだった。確かに高額商品に関しては躊躇するのは当然だけど、場合によってはネットの方がかなり安く買えることも多いのだ。

 他にも、時間さえあれば、いろいろチェックして値段を調べるのも手ですな。例えば、アルファ.・インダストリーズのMA1というジャケットなんだが、仕事に便利なので、必ず海外に持っていくのがこれ。持っているのがぼろぼろになったので買い換えようと思ってネットで探したら、かなり安く入手できる。実は、じっくり調べることなくある店でグレイのものを15000円弱で購入した後、ネットでチェックしたら3000円ほど安く売っているところがあって.... 焦って買い物をしたら駄目だなぁと痛感したものだ。しかも、バーゲンもあって、今調べたら5980円でユース・ヴァージョンというのがあるのをみつけた。なにやら、また注文してしまいそうで怖い。というか... 笑ってしまいますが、注文してしまいました。だって、これは長持ちするし、色違いをいくつか持っていると便利なのね。(でも、本物かなぁ... こうやってだまされる危険がなくもないからなぁと、若干不安だったりして)

 ただ、こういった傾向からもわかるように、きちんと使った金額を把握していないと... クレジット・カードの引き落としの時期に頭を抱えることになるのだ。思うに、ここ1年ほど、そういった状態が続いているようで... 得をしているのやら、損をしているのやら... まぁ、どれほど便利なようでも、消費主義に毒されちゃダメだよってことなんだろうなぁ。と、ちょいと反省気味の今日この頃でござりまするな。



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2007年01月02日

新しい1年の始まり... ですか?

Theatre Brook 年末は27日に友人のバンド、シアター・ブルックのライヴを撮影。結局、これが撮影納めになった。いつも思うけど、彼らのライヴに感じる前向きなエネルギーやそれに応えるオーディエンスのパワーが好きで、それをどうやって伝えるかに神経を使う。といっても、それが理由でステージの上からオーディエンスと一緒にメンバーを撮影しようとするんだけど、なかなかいい瞬間をとらえられなくて苦労するのだ。いい迷惑なんだろうけど、メンバーだけではなく、スタッフもそれを快く受け入れてくれて、オーディエンスも撮影されることを喜んでくれているように感じることが多い。いいミュージシャンにはいいスタッフやいいオーディエンスがいつも一緒だなぁと思ってしまうんだが、その典型がシアター・ブルック。おそらく、いろんな意味で長いつきあいをしていくバンドだと思う。

 ヴォーカルのタイジが「反逆のロックや!」といったことをステージで口にしていたんだが、ステージで話をするタイジはどこかでいつももどかしい。ホントはもっといろいろなことを整理して話をしたいんだろうが、堰を切ったようにいろいろな想いがそのまま出てくるといった感じかな。ただ、それが歌になったときに、「伝わる」のがミュージシャンであるゆえんだと思う。

 29日にはスマッシング・マグとフジ・ロッカーズのスタッフと忘年会で飲んだくれ、大晦日はひさびさに国に帰るエチオピア・レストラン、クイーンシバの店主夫婦と食事。その後、一緒にバード・ソング・カフェで年越しとなった。年越しそばを食べて、カウントダウン、そして、雑煮を食して家路に向かった。今、エチオピアはソマリアの反政府勢力に対して軍事介入をしているんだが、彼は国に帰って大丈夫なんだろうか... と、どこかで心配しているんだが、本人はなんとも思っていない様子。まぁ、そんなものなんだろう。

 これで1年が終わって、新しい年になった... はずなんだが、いつの頃からか、そんな感慨も抱かなくなった。なぜなんだろう。すでに年賀状も書かなくなって久しい。02年に自分にとって大きな変化があり、その年に自分の祖母が105歳で大往生して、友人のジョー・ストラマーが亡くなったことをいいわけにしていたんだが、それが今も続いている。一時は300枚ほどの年賀状を送り、毎年、年の初めに(いや、年の終わりか?)いろいろなことに思いをはせながら、小さなはがきにぎっしりと文字を敷き詰めたメッセージを発信していたんだが、今はそれもなくなった。面白いことに、それまでは何百枚もの年賀状がうちにも届けられていたんだが、今ではそれもほんのわずかになってしまった。それでも送ってくれる人たちには、やはり感謝しているし、レスを返さなくてはと思う。

素晴らしき哉、人生 そんなことを考えながら、羽田に向かっているとき、今年になって最初の電話がニューヨークの友人から入ってきた。SMSの彼のメッセージに応えて、長いレスを返すのが面倒なので、「全然調子がよくない」といった旨のメールを送ったら「どうしたんだよ」と心配顔で尋ねてくれるのだ。持つべきものは友だと思う。大好きな映画『素晴らしき哉、人生』のラスト・シーンで、守護神、クラレンスが残したメッセージそのままで、自分にとってなによりも重要なのは友人であり、仲間なんだという気持ちはずっと以前から変わってはいない。彼は一度、ゆっくりとニューヨークに来てのんびりすればいいじゃないかと言ってくれるんだが、ネットの仕事をしていると休む時間も暇もなくなってしまうのだ。まるでコンピュータの奴隷のような日々に、どこかで決着を付けないとぼろぼろになってしまいそうな気もする。一方で、1日、わずか7~8000人とはいえ、Smashing Magにやってきてくれる人がいて、このサイトだって1日に1000人ぐらいは遊びに来てくれて、自分の言葉に耳を傾けてくれる。伝えなければいけないことがあり、伝えられなければいけない人や物がある。それがある限り、自分が止めることはできないと思うのだ。

 ただ、今年こそはなんとか金をかけてでも更新の方法を変えようと考えている。できるだけ、ストレスをなくして、もっと効率よく情報を発信できる方法を生み出していかなければいけない。そうすることで、さらにいろいろなものをいい形で発信できるはずだ。

 さて、新しい年になにを思う? もちろん、ここにやってくる人たち、友人、仲間、そして、どこかでつながっている人たちに実りあるすばらしい1年が訪れることを祈っているのは当然のこと。でも、目の前にあるのは、残念ながら、バラ色の未来ではなく、イバラの道なんだと思う。政治的な状況を見れば、どんどん悪くなっている。もう「想い」や「気持ち」ではなく、具体的に「行動」することで「意志」を明確に表現し、伝えていきながら、それを形にしなければ歯止めをすることはできないだろう。それはすでに目の前に見えていることなのだ。

 それでも、あの名作『素晴らしき哉、人生』を想い浮かべる自分がいる。この地球上の60数億人の一人でしかない自分ではあっても、自分はかけがいのない自分であるということをもう一度確認しようと思う。もし、自分がいなければ、世界はこうはなっていなかっただろうし、あなたがいなかったら、私はこうはなっていなかっただろう。あなたがいるから、自分がいる。そんなことを思う年の始まり。これからも「無垢に」人を愛し、音楽を愛し、地球を愛し、どこかで自分が愛されていることを感謝しながら、生きていこうと思う。あぁあ、なんとたわいのない年の始まりよ。



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2006年12月28日

ライヴ三昧、酒三昧で千鳥足の年の暮れ

What's Love? 23日は久しぶりにワッツ・ラヴ?のライヴだった。スカ帝国という名前で、彼らがいろいろなゲストを呼んで続けているシリーズのライヴで、この時が40回目とかなんとかいっていたように思う。ずいぶん前のことだが、このスカ帝国でクレイジーケン・バンドを見たのが新宿ロフトで開かれたときだったし、勝手にしやがれというバンドを初めて見たのも渋谷デセオでのスカ帝国だった。そのゲストたちは、両方とも大きくなってしまったけど、当のワッツ・ラヴ?は相変わらず。

 でも、いいのだ。昔から好きなバンドで、「本流の歌謡曲」に匹敵するメロディや詩をベースに、スカからレゲエのエッセンスをしっかりと吸収しているところがその魅力。特に彼らが録音した「みちのく一人旅」のレゲエ・ヴァージョンは、日本のレゲエ史(んなものがあるのかどうか、よく知らないが)に残る大傑作だと思う。それが『温故知新』というアルバムに収められているんですが、これは、迷わずに買ってください。「みちのく」の他に「襟裳岬」から「知床旅情」、「赤いスイートピー」などなど、彼らのテイストでレゲエやスカに料理した名曲が楽しめる。絶対に損はさせないから。

 なんでもこの23日のライヴでベースがバンドを離れるということになったとのことだけど、まぁ、最初に見たときのワッツ・ラヴ?のメンバーこそが自分にとってのこのバンドだと思うなぁ。そりゃぁ、仕方がないんだけどね。ちなみに、今彼らはベース奏者を募集しているらしく、誰かいい人がいたら、彼らにコンタクトしてみてくださいな。

 2年ぶり(ぐらい)に彼らを見て、楽しかったんだけど、撮影をしていたから、のんびり楽しむって感じではなかったな。それと、いつもの不満だけど、彼らが「みちのく」をやることは滅多になくて、この日も、当然のようになし。おそらく、彼らがライヴでこの曲をやったのに遭遇したのは一度だけではなかったかなぁと思う。演歌をやるのは恥ずかしいのか、冗談だとしか思われないと思ってるのかな。誰がなにを言おうと、私は、彼らの「みちのく」がオリジナルを遙かに超えていると思っているんですけどね。

 そのライヴの後、恵比寿に流れて、マグのカメラマンが親しい事務所の忘年会、その二次会に流れ込んだんだけど、まぁ、面白いもので、ここにいた某女史のボーイ・フレンドがワッツ・ラヴ?のバックで演奏しているということがわかったり... 世の中狭いというよりは、いつものことだが、みんなつながっているんだなぁと思う。そんな流れの中で、また、朝まで痛飲ですな。へろへろです。

 その翌日は横浜のキューバ・レストラン、エル・パライソへ。これをやっているのが友人なのだが、前日に連絡が入り、「ライヴをやるんだけど、予約が少なくて困っているから、友達を連れてきてよ」と頼まれたのだ。けど、クリスマス・イヴに暇な人間なんぞ、俺ぐらいしかいない。いろいろと仲間に連絡をしてみたんだけど、結局はひとりで横浜まで行った。

 ライヴはシンプルな、おそらく、日本に住んでいるキューバ人+日本人という感じのバンドなんだけど、これがなぁ、なかなかいいんですよ。ギター&ヴォーカルに、ギターみたいなスタイルのベースと、8弦のギターみたいな楽器... マンドリンがギターみたいになったやつで、それがリードをとって、パーカッションが入る。プロの流しのラテン系って趣ですな。でも、これがよかったのよ。もう少しお客さんが入っていればもっと楽しい雰囲気になったんだろうなと思いますね。

寿魂 で、25日には新宿のネイキッド・ロフトで寿というバンドの本、『
寿魂』の出版記念パーティに出かけた。時間を間違ってちょっと早めについてしまったから、近所でメシを食ってしまったんだが、この日はバンドや関係者からふるまい「泡盛」に「手料理」ってのがあって... 腹一杯なのに、ここでも食ったというのが笑えます。(実際、断れないですよ、これは)

 この日はビデオで昔の彼らの姿を見せてもらったりしたんだけど、びっくりしました。彼らって「イカ天」に出たバンドだったんだとか。彼らを見たのは昨年3月が最初で、彼らがどんな世界でどう生きてきたのか、全然知らなかったから、この日は実に興味深く彼らの歴史をかいま見ることができた。ヴォーカルのナビィが「封印してしまいたい」なんてことを言っていたんですが、このイカ天の時の映像を見たら、その気持ち、理解できました。正直言って、同じバンドだとは思えなかったからね。ちょっとニューウェーヴで... 目の前で「自分たちの過去だ」と説明されているんだけど、あまりに違いすぎる。実際、寿の二人の顔までが違って見える。これ、きっと別人です。(笑)

 そして、彼らにとっての転機となったというエストニアでのフェスティヴァルや寿町フリー・コンサートでのライヴの映像を交えながら、いろいろな話を聞くことができたんだが、今の彼らがあるのはそんな経験や体験のおかげだとか。きっとそうだろう、別人になったほどのインパクトがそういった人たちの出会いにあったんだろうと思う。その結果が彼らの歌であり、だからこそ、その「歌」が伝わるのではないかと思う。パレスチナ人とイスラエル人の友人の話やそこから生まれた「シャローム、サラーム」や「夢を広げよう」と歌う「ひろげよう」、ライヴでおなじみのこういった曲は、確実に彼らの旅してきた世界中のいろいろな国や地域での出会いや体験を反映したものだろう。国や言葉が違ってもそこには、血の通ったふつうの人間がいる。そして、まるでその体を流れる血のようにしみる歌がある。彼らの歌に感じるのはそんなぬくもりのある血じゃないんだろうかと思う。(血ってネガティヴなイメージがあるけど、自分にはそうでもないんだな)

バリー・マクガイア この日は最後にシンプルなライヴが開かれているんだけど、いつものようにナビィの笑顔にやられるんです。なんであんな顔で歌えるんだろう? お世辞にもステージのしゃべりが上手いとは言えないんだが、それでも気持ちが「伝わる」し、その笑顔から歌い出される前向きな歌がまっすぐに心を打つ。しかも、歌の言葉にはかなり直球的なものもあるんだが、忌野清志郎が歌う「イマジン」や「明日なき世界」のように自分の体にしみこんでくるのがわかる。

 その彼らが1月20日に東京でちょっと大きめのライヴをやるんだけど、これも撮影させてもらおうかと思っている。それに、ソウル・フラワーの伊丹英子が企画に加わっているという沖縄 Peace Music Festa! 辺野古'07に彼らも出演するようなんだが、これに行ってこようかなぁと思いだした。辺野古の海を、人を守り、新たな米軍基地の建設を阻止するため、それを訴えるためのもので、こういったイヴェントをサポートしなければいけないと思うし、出来るだけ多くの人たちに伝えなければいけない。出来るだけ多くの人にサポートしてもらいたいとも思う。すでに1日に7000人以上のビジターを記録しているSmashing Magでも何かの役に立つともうのだ。

 なお、このプレ・イヴェントとして(残念ながら、寿のライヴと同じ日なんだけど)1月20日に吉祥寺スターパインズカフェで、翌21日には大阪バナナホールでつづら折りの宴 わったー地球(しま)はわったーが守るというのが開催されます。ぜひ、皆さんに出かけていってほしいと思います。

 と、書かなければいけないことが山盛りだ。知人のフリーライター、烏賀陽弘道氏がオリコンから訴えられたという情報が入ったのはこの頃かなぁ。彼には一度取材してもらったことがあって、それからしばらくはコンタクトがあったのだが、もう、おそらく、10年ほどはコンタクトがなくなっている。その彼が月刊誌「サイゾー」4月号の記事でだした、わずか20行のコメントに関して5000万円の損害賠償を求めているんだが、こんなのありか? まず、なぜ著作者ではなく、コメントを寄せた人物を訴えるのか? 文章の責任は執筆者にあるし、コメントを出そうが、その真偽がどうであれ、それを掲載する責任は執筆者、編集者、出版社にある。それなのに、彼らではなく、烏賀陽弘道氏個人を訴えた理由は、彼をメディアから抹殺しようとしているとしか思えないのだ。なにせ、企業対個人だ。訴訟に対抗するにも経済力の違いは明らかであり、周辺からのサポートがなければ「闘うすべ」もないのだ。

Jポップの心象風景 しかも、問題となっている記事を読めばわかるのだが、このコメントは問題とされているチャート操作を「断定」はしていない。国語が理解できるのであれば、「可能性が高い」という言葉の意味ぐらいわかるだろうに。ここで細部を語る必要性はないし、それぞれが「コメント」を読めばオリコンの訴状の方に多くの問題を見つけられることになる。わずか20行のコメントで「連結売上高約57億円」の会社、オリコンが受ける「直接的、間接的損害を過小評価することは出来ない」と言える根拠ってどこにあるんだろうね。あまりにばかばかしいんだが、弱者を袋だたきにするような訴状が認められ、もし、仮に、これで烏賀陽弘道氏が負けるようなことにでもなれば、我々は何も語れなくなるだろう。要するに、この事件は金や権力を持っている連中が、真正面から表現の自由、報道の自由に対して挑戦しているということなのだと理解するしかないんですよ。だから、私個人はこのケースに関していえば、烏賀陽弘道氏を全面的に支持する。

 さて、26日は友人のプロモーターでレーベルも始めたジャポニクスの忘年会に出かけたんだが、ここでまたワッツ・ラヴ?絡みなんだが、やめたばかりのベーシストが加わっているバンドを見てしまった。なんとまぁ、繋がっていること。それに来年3月に来日することになっているThe Slackersの元メンバーで、今は日本に住んでいる人と再会。(すまん、名前を覚えてはいない)と、その後、中目黒のクイーン・シバに立ち寄って、恵比寿のキッチン・ソルナで、一杯というおきまりのコース。それで帰路についてところで、偶然、シャーベッツのN氏に遭遇して.... 「一杯行きますかぁ」と、深みにはまってしまうのだ。しかも、このとき、ワッツでサックスを演奏している?君を紹介される。(すまん、また名前を忘れた)で、焼き肉屋からN氏の自宅に回って自宅に向かったのは、前夜の土砂降りの雨が信じられないほどにまぶしい青空の下。なんてぇことだぁ。ぐるぐるといろいろなところで友達の輪を感じながら、飲み続ける年の暮れ。なんとまぁ、忙しいこと。



投稿者 hanasan : 13:15 | コメント (0)

2006年12月24日

大竹伸朗の初体験

大竹伸朗 あまりに刺激的な毎日の連続に興奮して、本当は毎日のように書きたいこと、伝えたいこと、語りたいことがある。ところが、そんな興奮に浸っていると、それもできないイライラの連続に欲求不満が蓄積してしまうという、この悪循環。どうすりゃいいんだろうね。とはいいながら、まるで多感な少年のようにドキドキ過ごす毎日の面白いことよ。腰痛は相変わらずだが、そんな興奮がそこからの突破口をみつけてくれるのではないかと思ってみたり。と、そんな毎日なのだ。

 まずは21日だったか、友人から「暇だったら、大竹伸朗を見に行こう」というメッセージが入った。っても、こっちは「誰、それ?」と、全然わからない。それでも、いいのだ。信頼する友からの誘いにはほいほいとついて行く。ちょっとでも時間があれば、それでいいというお気楽な自分は訳もわからずに行ったこともない地下鉄の駅、清澄白河に向かう。そこになにがあるかも知らなかったんだが、そこにあるのが東京現代美術館だというのは、現地で友人に落ち合って初めて知った。とはいっても、「そうか、アートなのね」というだけで、なにも期待していない。興味がないというのではないが、なにせ美術館の「冷たい」感触があまり好きではないから、自分で行こうなんて思ったことはほとんどないのだ。実際、東京では皆無。それほどに別世界なのだ。

 ところが、初っぱなから嫌な予感がした。なにせ、その東京現代美術館の屋根にネオンで「宇和島駅」とある。ん? こんなところに、宇和島という駅があるのか? んなわけないだろうが、と思いつつも、自分の住んでいるエリア以外の東京を全然知らない自分は「あれ、どこの駅?」と友人に尋ねてしまうのだ。

「いやぁ、あれはね、昔の宇和島駅のネオン・サインなんだけど、それを捨てるとかいわれて、大竹さんがもらったか、買ったかしたみたいよ」

 と、それを聞いて、こっちは目が点になる。ほぉ、そうなん? としか答えようがない。なんでも彼は宇和島に住んでいるアーティストなんだそうな。で、会場に入る。一番最初の部屋は彼が収集した「これでもかというほどに」雑多なものが貼り付けられている本というか、ノートというか、それが展示されている。なんでも彼は自分と同じ年で、同じ頃にロンドンにたんだそうな。というので、一番最初に目に入ったのは当時のロンドンの地下鉄の切符やバスの回数券。「懐かしい!」今では1円で買える(そうなのよ、amazonのマーケット・プレイスでは)私の著作『ロンドン・ラジカル・ウォーク』に写っていた地下鉄の切符自動販売機で売られていたのがこれだったのね。とはいいながら、「これがアートなん?」と、その時点ではよくわからない。

大竹伸朗 そして、次の部屋へ。なんだかいろんなものが登場してくる。もちろん、絵もあるんだが、次から次へといろんなスタイルの絵が出てきて、そのぞれぞれがなにやら面白い。といっても、たいていのアーティストって、何かのスタイルってのがあるはずなんだが、この人の場合にはとてつもなく「いろんな顔」が出ているのだ。大昔、ロンドンのテイト・ミュージアムとか、いろんなところに、一応は行ってみたけど、アーティストはみんな自分のスタイルを模索して、その後に「どこかにはまる」といった感じがしていたんだけど、この人の場合は、全然そうじゃないみたい。しかも、それを楽しんでいるようにも思えるのだ

 しかも、自分と同じ年齢だからか、面白い発見がいっぱいある。ロックもあれば、ザ・ピーナッツから小林旭... それがいろいろなところに顔を見せている。なんなんだろう、この人は? と、めちゃくちゃな好奇心をそそられてしまうのだ。さらには、マラケシュの「こぎれいな」絵を見た時には、「あぁ、これを見た場所がわかる!」とも思ってしまった。82年だっけかに、モロッコに行っているんだけど、その時、俄然楽しんだのが、マラケシュ。どの街も面白いのだが、ここで3時間を費やして「値切った」記憶がある。欲しくもないものを売りつけようとする店のおじさんとの会話が面白くて、「いやぁ、これはね、650ディーラムなんだよ」といわれて、「アカンなぁ、わしゃ、そんな金は出せんよ。せいぜい50やな」と始まって、結局、90まで落とした。とはいっても、「わし、旅できているんで、買い物には興味ないから、帰るわ」というと、それまで150ぐらいの値段を出していた親父が「じゃ、それでいい!」というものだから、「これは、まだ落とせるなぁ」と、もうひとつのものも含めて再び値切りを楽しんだ。結局、「お前はモロッコ人よりタフや」といわれてしまうんだが、その時にあの広場で見た光景が彼の絵にはあったのだ。

 でも、特に面白かったのは一番でっかい部屋に置かれた二つの掘っ立て小屋。その一つには楽器が並べられていて、話を聞くと、ここでライヴをやったこともあったんだそうな。ほぉ〜、いいねぇ、美術館でライヴ。そのときの映像が小さなモニターに映されていたんだが、「よくも、こんなことをしたもんだぁ」と、なにやら嬉しくなってしまう。と思っていたら、いきなり音が流れ始めた。その小屋の中には楽器が並べられていて、そのそれぞれが機械仕掛けで「音を出す」ように作られている。昔の「からくり人形」ならぬ、「からくり楽団」なのだ。最初はドラムスとパーカッション系で、その後にターンテーブル、そして、ギター、ベースあたりが聞こえてきて、そのほかにもいろんな音がアナーキーに飛び出してくる。これは楽しかった。しかも、本人の大竹伸朗氏がもうひとつの小屋でギターを鳴らしているのだ。そうすると、いっぱい人が集まってきて、コンサートのような雰囲気になってしまった。そのとき、そこで働いているおねぇさんが耳を押さえて、嫌そうな顔をしたのも面白かった。

 いやぁ、面白い。なにが面白いかって、なによりも、まるで子供のような感覚でいろんな遊びを彼がやっていることかしら。といったら、彼に失礼なのかもしれないけど... なにせ、友人によると著名なアーティストで彼のやっていることを「遊び」というのはどうかと思うが、それでも、彼の楽しんでいるのがなにやら伝わってしまうから仕方がありません。

 ということで、本当はもっといろんなことを書きたかったけど、あまり長いものを読んでくれる人もいないだろうから、また、明日にでも書いてみよう。っても、また、明日、面白い体験をするんだろけど。

 ちなみに、今回のことはここでいろいろとチェックできるみたいです。関心のある人はチェックしてみればどうでしょ。



投稿者 hanasan : 01:17 | コメント (0)

2006年12月23日

青島幸男様、ありがとうございました。

クレイジー・キャッツ テレビ・ニュースで彼の死を知った。しばらく顔を見ないと思ったら.... こんなことになるとは。

 といっても赤の他人であり、もちろん、個人的な知り合いではないんだが、しばらくぶりに彼の名前がメディアに登場したと思ったら、それは訃報だったというのが残念でならない。そのニュースの画面で家族が彼のことを話すとき、けっして悲しそうな表情を見せないどころか、(悲しくないわけはないと思うんだが)なにやら和やかな感じで、それが「やっぱ、青島だ」なんて思ったものだ。そんな赤の他人のことを、悲しむのは、なにかどこかでお門違いだとも思うんだが、彼の冥福を祈りたいし、彼の功績をたたえたいと思うのだ。加えて、この時期になくなってよかったかもしれないとも思う。なにせ、今の日本は彼が全く望んでいたものからはほど遠く、おそらく、逆の方向に進んでいるはずだ。そんな時代に生きていて、なにやら彼から大きなものを託されたようにも感じてしまうのだ。

 物心ついた頃から、青島は自分の世界にいた。そのきっかけがクレイジー・キャッツだった。今の人には、わからないだろうけど、簡単に言えば、ドリフターズの親分のようなものと思っていただいたらいいだろう。まだ、モノクロが普通だった時代によく見ていたテレビ番組が「シャボン玉ホリデー」で、ここに出てくる彼らのおかしかったこと。まぁ、これも従兄弟の影響で見始めたんだが、橋幸夫ファンだった彼女の趣味はそれほど理解できなかったけど、おかげで知ったクレイジー・キャッツは子供でも十分に喜ばせてくれた。

 その歌の多くを書いていたのが青島幸男だったんだが、そんなことを子供が知るわけもない。ただただ楽しかった。特に植木等を中心として展開した「無責任」な感覚とか、人を食ったようなブラック・ユーモア満載の歌は、無知な子供でさえはまってしまうほどのおかしさを僕らに与えてくれたんだが、そんな歌の意味をきちんと考え始めたのはずいぶんと後のことになる。

青島幸男 なにが面白いかといえば、世の常識や良識を「ふざけんじゃないよ」と、一笑に付しながら、それとは全く逆の「非常識」で、「不遜な」歌を次々と出していったことじゃないかと思う。誰もが「一生懸命働く」ことを美徳としていたのに、「サラリーマンはぁ、気楽な稼業と来たもんだぁ」と、「タイム・レコーダー、がちゃんと押せば、どうにかなるもんだ」なんぞを真正面から歌っている。その「ドント節」同様に「ゴマすり行進曲」では積極的にゴマすりを勧め、「無責任一代男」では「人生で大事なことはタイミングにC調に無責任」と言い切っているのだ。全くのアナーキーだ。このあたりをじっくり考えると、青島幸男の詩の世界は、時代こそ違え、パンクに通じるものを感じるし、ワッハッハと笑えるレベル・ミュージック(反抗の歌)やプロテスト・ソング(抵抗の歌)を最もポップな形で作った人物じゃないかと思うのだ。

 しかも、貧しくても、モテなくても、笑ってすます、その超絶した前向きさも素晴らしい。「だまって俺について来い」では「金がない時、俺んとこに来い。俺もないけど、なんとかなるさ」だからね。彼女がいなくても、仕事がなくても「なんとかなるさ」とお気楽に歌うことで、実はそんなことより、空を見ようよ、夕焼けを見ようと語りかける。このシンプルな歌に込められている想いに、聴けば聴くほど、いろんな「思想」が見えてしまうのだ。

 実際のところ、彼の歌を調べだしたら、きりがないほどに名曲にぶつかっていくんだろうと思う。坂本九の『明日があるさ』だって青島幸男が書いている。これから彼のそういった作品を探してみようか... なんて思い出しているし、とりあえずは、彼のことをもっと知りたくて『ちょっとまった!青島だァ』という本を購入した。これからじっくり読んでみようと思う。

 その後彼が政治家になっていったことは、みんな知っていると思うけど、その全てにいい評価をすることはできないかもしれないが、大きな流の中で考えれば、彼の果たした役割は大きかったと思う。特にヤミ献金問題で罰金だけで済んだ金丸信に議員辞職を求めてハンガー・ストライキをやったことなんてのが記憶に残っているんだが、基本的にはリベラルな人だったと思うし、それがどんなところから来ているのか、この本でも読んで勉強してみようと思う。

 作詞や政治の他にも役者としても「意地悪ばぁさん」で面白いところを見せてくれたし... いろいろな才能に溢れた、いつも「刺激」を与えてくれた人物だったと思う。いろんな意味で多くのことを学ばせてもらったり、考えさせてくれた青島幸男が亡くなったというのは、どこかで、やはりひとつの時代が終わったことを知らせてくれる。少なくとも、作詞に関していえば、クレイジー・キャッツ関連での作品を聞けばわかるように、彼を越える人が出てくるのかどうか... 私にはわかりません。

 青島幸男様 いろいろとありがとうございました。ご冥福を祈ります。



投稿者 hanasan : 04:19 | コメント (0)

2006年12月14日

詐欺の代償は100万円ですむのか、安倍首相?

http://www.asahi.com/politics/update/1213/009.html

 この記事を見て、どう思う?「教育問題こそが....」とのたまっていた安倍首相が、官房長官だったときに、タウン・ミーティングなるものが仕掛けられていたわけだ。まるで歴史を逆行させる教育基本法の改悪をねらって、ここで「やらせ」があったことが公になって来たんだが、その責任が100万円ですむらしい。あほくさい。しかも、会見では「過度な経費」の問題をこそ話こそすれ、「やらせ」という姑息な手段を使って、税金で国民をまだそうとしたことに関してはほとんど語らない。こんな詐欺師を首相として認める日本の国民はアホの集団か? と、そう思った。

 加えて、そんなことをする「政治屋」に「教育」を語る資質なんぞあるわけがないじゃないか。逆にいえば、そんな連中が押しつける「教育」が、まともなものになるわけがないし、それを実証しているのが歴史なのだ。

 先日の、自民党造反議員の復党問題にしても、欲しいのは金と票だけ。政治家としての信念もなければ、自負もないご都合主義の「政治屋」どもが、まともな人間としてメディアに登場できることの「非常識が」常識となっているこの国ってなになのさ?と、ぶち切れまくる今日この頃。彼らは「あり得ない」選挙で国民の信を問うて、当選した人たちだろ? あのときの自民党の政策に「反対だ」と主張して、それを支持する人たちがこの「復党した政治家もどき」に投票しているのだ。とすれば、要するに「復党した」連中はどう考えても「詐欺師」なのだ。それなのに、まともな顔で「言い訳できる神経」はさすがに政治屋ですな。あんな連中、全員監獄にぶち込むべきだよ。

 と、そんな自民党への不満ばかりが鬱積する。実は、今日、友人のレストランに外務大臣が来るという話があって、「遊びに来れば?」なんて言われたんだが、当然行かなかった。当然だろう、あの醜い顔を見て、黙っていられるわけもないし、国民を裏切り続ける詐欺師と同じ空気を狭い店で吸うなんて考えられません。

 それにしても、日本人はなぜ怒らないのか? こういった政治家にダシにされ、こけにされ、裏切られ、虐げられているのはあなたたちなのよ。なぜ、彼らに投票するの?わからない、わからない、まるで添田唖蝉坊ですな。ホント、わからない。



投稿者 hanasan : 00:45 | コメント (0)

2006年12月04日

名古屋から京都、大阪、そして渥美清

渥美清 大下英治氏による『知られざる渥美清』を持って、名古屋から京都、大阪へ行って来た。目的はスマッシング・マグのスタッフ、寄稿家たちとのミーティングで、今後の展開などを確認したり、あるいは、ライターや写真家としてさらに磨きをかけて欲しいという想いを伝えることもその狙いだった。

 その間に読み始めたのが『知られざる渥美清』で、今さっき、読み終えた。実に面白い。ドキュメント小説という手法で、取材に基づいて「伝記」のようで、そうでもなく、小説のようでいてそうでもない微妙なタッチを持つ作風は、渥美清という「役者」の実像を実にヴィヴィッドに浮き上がらせてくれた。素晴らしい。これで渥美清に対する見方が大きく変わったようにも思えるし、彼の出演した作品をもう一度じっくりと見てみたいという気持ちが強くなった。

 今回の旅でまず訪ねたのが名古屋。ここで新たに写真家として仲間に加わった若者と会って、メディアの意味から写真家として、あるいは、メディアの人間としてどうあるべきか... と、諭したわけではないが、自分の考えを伝えた。同時に、地元でプロモーターをしている友人とじっくりといろんなことを話し合った。仲間のバンド、音楽のこと、ビジネスのこと.... こうやって酒を飲みながら、言葉を交わしていると、我々にとって音楽がどれほど重要なものかを再確認できる。実に嬉しい。

男前豆腐 翌日、時間がゆっくりあるので東海道本線で(最も経済的な方法で)京都に向かった。時間は十分あるし、本も読める。大阪でのミーティングまでには時間もあるというので、昔から好きな喫茶店、eFish (エフィッシュ)に向かった。鴨川沿いの五条大橋の袂にある店で、仲間のミュージシャン、まさやん(スリープ・ウォーカーの中村雅人)からここを紹介されたのはずいぶん昔のこと。日本のみならず海外でも著名なデザイナー、西堀晋さんが作っているんだが、彼は現在、アップルで仕事をしているはず。彼にも、一度、お目にかかっているんだが、それもまさやんの紹介だ。彼がDJをしていた渋谷FMの番組に出演した時で、これもかなり昔のことじゃないかと思う。

 実は、MacBookを持っていったんだが、ACアダプターを忘れて頭を抱えていたんだが、この店に同じACアダプターがあって、それを使って充電とSmashing Magの更新作業。そこで働いている女の子たち、(もう、みんな友人です)と四方山話をしながら、時間をつぶすんだが、その時に話題になったのが「男前豆腐」。以前、ここにまさやんと来た時に、たまたま社長がきていて、この写真のイラストが大きく描かれたTシャツをいただいている。ここ数年間に手に入れたTシャツでは最も好きな一枚で、袖には「観客」なんて文字が書かれていて、撮影でこのTシャツを着ることも多い。なにせ、ライヴの撮影で「観客」と書かれたTシャツを着るという「洒落」を楽しんでいるってかんじかね。

 それに、ここが作っている「風に吹かれて豆腐やジョニー」という豆腐の大ファンで、以前はしょっちゅう買っていた。近所のセブン・イレブンにおいていたんだが、いつの頃からか姿を消して、代わりに置かれ始めたのが「波乗りジョニー」というもの。同じ会社のものなのかなぁと思って、一度買ってみたんだが、これはあまり旨くなかった。ところが、この話をすると、なんでも、後者は「男前豆腐」の社長の親父がやっている会社のもので、全く別物だということを知った。そうかぁ、それだったら、また「風に吹かれて豆腐やジョニー」を探し出さなければ... と思っている。特に、このところ、速歩で1時間ぐらい歩くようになって、運動の後にはタンパク質を摂取しなければいけないという話を聞かされているので、これが、けっこう役に立つと思っているのだ。

西堀 店には西堀氏がデザインしたスピーカーが置かれていて、なかなかユニーク。といっても、音は聴いていないあら、そのあたりは想像するしかないが、実際に使ってその役割をきちんと果たせないものを作るデザイナーなんてあり得ない。だから、チャンスがあれば、一度きちんと聴いてみたいものだと思う。

 大阪ではひさびさにドーベルマンのライヴを見た。大好きなスカ系のバンドで、おそらく、日本で最もオリジナルなスタイルを保っていると思う。特に、歌に対する姿勢が好きで、自分の言葉を大切にしているところが理由。演奏もつぼを押さえながらも、客を楽しませ、同時に、自分たちも楽しんでいる。このバンドはもっともっと大きなステージに立って、多くの人たちに知られるべき存在だと思う。ただ、この日の音が全然よくなかったのは実に残念。ベースの音はぶんぶんと、勘弁して欲しいほどに響くんだが、本来分厚いホーンがペラペラに聞こえるし、ヴォーカルがきちんと前面に出てきていない。これがあまりに悲しすぎた。


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2006年11月21日

自民党は非国民である + 腰痛日記

なぜ変える?教育基本法 「愛国心」が笑える。今、憲法改悪の前哨戦として、クーデターのように教育基本法の改悪を強行したのが政権与党。こんな連中に「愛国心」を語れるのか? はなはだ疑問だ。というよりは、彼らこそが日本をアメリカに売り渡した張本人たちで、売国奴のそしりを免れないはずだ。単純に考えてみればいい。日本になぜ外国の軍隊がふんぞり返っていられるのか? 常時日本には5万人の米兵がいて、そのために自分たちの血税が使われて、連中がそこいら中を闊歩していやがる。うちの近所の山王ホテルは治外法権で日本の円も使えないし、日本人が普通に立ち入ることもできない。そこから出てくる米兵やその家族を見ていると、実に幸せそうで... そりゃぁ、そうだろ。彼らにとって日本なんぞ植民地なのだ。我が物顔でのし歩いていやがる。それを見てなにも思わないのであれば、それこそが非国民であり、愛国心のかけらもないということにはならないのかね?

 そんな状態を作ったのは誰か?自民党だろ?「国を守る」といういいわけに、日本を売ったのだ。沖縄を売り払ったのだ。どれだけ北朝鮮がアホな国だといったところで、「六カ国協議に日本はいらない」といった彼らの発言のぜひはともかく、その理由としてあげた言葉には否定できないものがあるのだ。

「どうせ日本はアメリカの言いなりだから、そこにいる必要性はない」

 ごもっともだ。これまでアメリカに疑問を呈したこともなければ、反論をしたこともない。それが戦後ずっと日本を引っ張ってきた自民党政権だろ? そんな連中に「愛国心」を語れるのか? 小泉が忠犬、ポチなら、安部はなになんだろう。彼の場合はもっと凶暴な素顔を持っているように思えるけど。

「いじめ」なんて言葉でごまかされている人権侵害、暴力行為、それに、「援助交際」と呼ばれる「売春行為」だって、そんな土壌を作ってきたのは、戦後ずっと教育を支配してきた自民党だろ? もし、そうじゃないとしたら誰なんだ? 日教組? 彼らがもっとしっかりしていたら、こんなことにはなってないさ。彼らが政府自民党に対抗できる力を持っていた時代はいつだったのさ? あったとして、それがどれだけ続いたのさ? 結局、今なんて「第二組合」程度ものじゃないか。かといって、第一組合が対抗勢力たる資質を備えられるとも思ってはいないけど。

 そんな売国奴たちが今、しきりに「愛国心」を語り始めた。彼らがいう「愛国」とはかつての右翼(大昔のだよ)が、語った「愛国」とは全く違った代物で、「愛国体」だろ? 国民が死に絶えようが、貧困に苦しもうが、飢えようが、「国体」さえ保つことができれば、それが「愛国」なのだ。そんなものクソ食らえ。

 と、そう思う日々。これも腰痛のせいで気が立っているからなんだろうか。

ヒーリング・バックペイン さて、『ヒーリング・バックペイン』を読みながら、毎日のように速歩で運動していることも、ひょっとしてTMSのワナなのではないかと思い始めた。この本でサーノ博士が強調しているのは、腰痛の原因に対する既成概念をまずは捨て去ることだとしている。要するに、原因だとされてきたことに対する論理的な証明は一切されていなくて、統計的なデータを見ても原因とされるものと結果が一致しないとしている。だから、逆にいえば、これまでささやかれてきた打開策も、実は、その呪縛なかで生まれてきたものであり、それを実行している間はけっして腰痛はなくならないのだ... としている。腹筋を鍛えたり、背筋を鍛えたり、あるいは、ストレッチで筋をのばすことでさえ、それは「既成概念を受け入れている証拠」なのであり、TMSをきちんと理解していないことになる。と、主張するのだ。もちろん、その一方で、通常の運動として健康のためにそれをやるのは全然間違ってはいないから、やめる必要性はない。なによりも、「普通に生活」することが重要であり、TMSを理解することが最優先されるべきなのだとしている。

 何度も繰り返しているけど、簡単に言えば、TMSとは潜在意識、無意識のうちに心的なストレスが自律神経に働きかけて身体に痛さを与えるというもの。そうすることで、その問題による精神の平衡感覚喪失から救い出す、あるいは、警告のようなものだとしている。だから、自分に向き合い、その心的なストレスに直面することでしか、痛さはなくならないとしている。しかも、痛さに害はない.. というんだけど... あるよなぁ。痛いから。ホントに痛いからね。それでも博士は「その痛さを感じるたびに、自分に条件付けをしている」というのね。こうしたら痛い、ああしたら痛い... それが「当たり前の生活」から自分を遠ざけ、ワナに陥っているんだと。そうは言うけどねぇ、実際にいたいからなぁ。こうすればいたいというのもあるし... どうすりゃいいんでしょうね。

 まぁ、わからないけど、とりあえずは、この本をきちんと読みましょ。じっくりと読みましょ。そして、その通りにやってみましょう。ストレスの原因だと思うものに直面して、それをリスト化して考えましょ。とまぁ、そうするしかないように思えるんですな、今のところは。

 でも、歩きは続けるつもり。汗をかくのは気持ちいいし、30年ほど前にイギリスから帰国した頃の体重は64kgだったんだから、それぐらいにまではなりたいじゃないですか。嬉しいことに、着実に減量していて、現在は72kg。一時期80を越えるような状態にあったことを考えれば、かなりいい線を行っているように思える。昨日はうちからいつもとは逆に五反田方面に出て、山手通から目黒通りを目黒に向かって、三田通りへ。そこから恵比寿に出て、ウェスティン・ホテルの前を通って、帰ってきた。久しぶりだったので1時間と20分ぐらいの散歩。でも、びっしりと汗をかいて、天気のいい今日はお洗濯と、なにやら実に健康的な日々を送っているような気がする。おかげで飲み屋で使う金も減ったし、経済的なことこの上ない日々。貧乏人は歩け! と思うなぁ。



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2006年11月20日

連日のEdgar Jonesにリトル・クリーチャーズ、そして、やはり腰痛

Edgar Jones 前日の渋谷クアトロでエドガー・ジョーンズを見た後は、速攻で帰宅した。なにせ、その翌日、できるだけ早い時点でレポートをアップして、より多くの人に、この特異な味を持ったアーティストを見るチャンスを与えたいと思ったのがその理由。なにせ、こういったアーティストが何度も何度も来日することができるわけではなく、次はいつになるかなんてわからない。何度も来日している大物アーティストだとか、すでに実績もあるような人たちに関しては、そんなに焦る必要もないし、自分がわざわざ骨を折ることもないと思うんだけど、「好きなアーティスト」で、売れていないだろうなぁ... なんて思うと、そんな気持ちが出てきてしまう。なんとまぁ、損な性格だこと。

 会場は代官山ユニット。当然のように、自宅から歩いて会場に向かった。といっても、いつも歩いている距離を考えたら、非常に短い。時間がないから、いつものように運動のための歩きはできなかった。実に残念。しかも、翌日朝から始まった雨は全然止むことなく、ここ数日、全然運動していないことになる。特に、このライヴの日は腰痛がひどく、撮影するのも大変だった。なにせ、動くたびにキリキリとした痛みが走るのだ。そのせいか、撮影に集中できない。もちろん、ある程度の写真は撮って当然だし、それは見てもらったらわかるんだけど、こんなことのためにシャッター・チャンスをかなり失ったのは確かだと思う。だから、早く直さないと... 絶対に直してやると、また決意を強くするのだ。

 この日のライヴの後、エドガーのアルバム『Soothing Music For Stray Cats』を日本で出してくれたT氏と、この日のサポート・アクトとしてステージに立ったリトル・クリーチャーズのドラマー、栗原氏と、けっこう深い話をしてしまった。音楽メディアのあり方から今の音楽の意味などなど。その時、「今、僕らが聞かされているのが音楽だと思っているのって、おかしいよね」という言葉が自然に出てきてしまった。テレビやラジオから聴くものに襲いかかるように押し出されてくるものが、自分には音楽だとは思えないし、僕らは「音楽を聴く」という行為さえも失ってきているのではないかとも思う。

 このことはいつも思っているんだけど、特にCDの時代になってから、僕らは本当に「音楽を聴いているんだろうか」という疑問が強くなっている。確かにCDはLPよりも多くの時間の音楽を詰め込めることができる。アナログだったら片面で30分が限度で、両面でも60分。といっても、たいていの場合、片面で一区切りということで、じっくりと音楽を「聞く」時間を作り、そうしていたように思えるのだ。人間が集中して音楽を聴くことができる時間なんて、そんなに長くもないだろうし、そんな意味で言えば、CDは「音楽を聴く」ためではなく「流す」ための道具なんじゃないだろうか... とも思えてしまうのだ。

 おそらく、そんな反動のなかで再びアナログを引っ張り出して聞き始めているようにも思うし、iPodというデジタル・オーディオ機器に音を入れる時にも、中心となるのが昔の音楽になってしまうんじゃないかとも思う。あるいは、単純に年齢のせいかねぇ? 実際のところ、CDでしか発売されていないここ10数年のバンドのことは、ほとんど知らないし... なんだろうね、この変化は。

Karen Dalton そう言えば、初のCD化ということで注文していたカレン・ダルトンの名作『In My Own Time』がやっと到着した。素晴らしいパッケージだ。まずはそれに驚いた。デジパックでかなり分厚いブックレット付き。ここにはレニー・ケイからニック・ケイヴ、それに、デヴェンドラ・バンハートあたり(後者はインタヴューをまとめたものだが)の解説も付いていて、おそらく、未発表ではないかと思う数々の写真も加えられていて、このCDを作った人たちのカレンに対する愛情を感じることができるのだ。

 オリジナルのマスター・テープからリマスターしたということで、オークションで買ったアナログをデジタル化したものよりは、遙かにクリアに音が聞こえてくる。特にバックのストリングス、ヴァイオリンの音などが美しくて、音の奥行きが深まったというのが第一印象だ。カレンのか細い声も良く聞こえる。実に嬉しい。

 しかも、このCDと共にアナログもプレスされたようで、このリマスターによって作られたものであったら、入手して聴き比べてもいいかもしれない... なんて思いだしている自分が、救いようのない音楽バカのように思えてしまうのだ。オークションで購入したものは、オリジナルのプレスらしいが、頭のあたりでちょっとしたソリがあって、通常だと音飛びが起こるのだ。それがない状態で、このリマスターだったら、どんな音が聞こえてくるんだろう... 興味津々なのだ。でも、どこで買えばいいんだろう?

 さて、腰痛の方だが、あまり変化はない。若干だが、「ドン」とした痛みから、少し刺すような痛みに変わったようにも思えるが、それは気のせいだろう。サーノ博士の『ヒーリング・バックペイン』は、ほぼ半分を読んだところ。TMS理論の骨格がやっと見えてきたという感じかな。やはりオリジナルの方が「意味」を理解しやすいと思った。もちろん、『腰痛は怒りである』も役には立つんだが、なにかが不足している。とはいっても、「この本を読んで腰痛がなくなった」という人たちの声については、未だに懐疑的だ。もし、そんなことになったら、嬉しいんだが、さて、どうなることやら。



投稿者 hanasan : 17:38 | コメント (0)

2006年11月17日

腰痛日記 検査入院続編

 15日に関東労災病院に入って、その日、まずはブロック注射。脊髄のL5左(という脊髄の位置)にこの注射を打ち込むんだが、はっきり言って、これは腰痛よりも痛い。痛いものをなくすために、この、それ以上に痛い注射をしなければいけないというのがなんとも皮肉だ。

 本来なら、これで「痛み」が消える... 要するに「麻痺」するはずなんだが、実際は、必ずそうなるとはいえないし、実際のところ、その注射を打った直後から「病人」の気分になった。しかも、痛さは全然消えない。

 そして、翌日の朝になって、若干痛さが消えていったようにも思えるのだが、この日に待っていたのは造影撮影。脊髄に造影液を注入して、脊髄の細部をCTスキャンなどで確認し、痛さの原因がどこにあるのかをみつけだすんだが、この液体を身体に入れる時にかなりの痛さを伴うと聞いていた。加えて、副作用もかなりあるようで、こちらとしてはかなり身構えていたんだが、実際のところ、それはなかった。注入する時の痛さもブロック注射に比べれば、たいしたことはない。

 ただ、これが終わってから4時間は絶対に安静にしなければいけない。帰りはストレッチベッドに載せられて、それで病室に移動するわけだ。同時に、造影液を出さないといけないので、大量の水を飲まなければいけない。病院側からの指示で2リットル程度の水を用意して、飲みまくったら、出るわ出るわ...  安静にしておかなければいけないといわれているのに、我慢しながらも数回トイレに向かった。

 と、こうやってまた一晩をこの病院で過ごして、検査入院は終わり、家路につくんだが、面白いのは、この時、病院に行って以来最も痛みが少なかったということ。実をいえば、絶対安静からさめて、9階の病室から1階の売店まで行ったんだが、この時の痛みといったら... 今では「差別用語」とされている言葉でしか表現できないんだが、びっこを引きながら歩いたほど。なんの検査なのか... 検査というものをする度に痛さが増しているような気がしてならない。

 結局、今日の朝、病院を離れる時は最も「痛さを感じない」状態になっていたのが皮肉で仕方がない。

 ただ、疑問なのは、こうやって使った金が8万円強。差額ベッド代があったから、それを差し引いても4万円ほどなんだが、こんな金額で本当に普通の人が気楽に病院に行けるのかなぁ。仕事のこともあり、個室にしたんだが、その経費はでかく、これでしばらくは貧乏生活をしなければいけないのは当然。でも、それでなかったとしても、この金額はでかい。本当に嫌になる。

 しかも、この検査の結果を教えてくれるのは12月8日ときた。考えてもらいたいと思う。私達はなぜ病院に行くのか?少しの痛さや、耐えられるものだったら無理をしても行かないのだ。当然、自分たちでできる限りの方法で身体を治そうとしている。それでも、耐えられなくて病院に行き、とんでもない金額を出費して検査をしているというのに、検査から数週間、全くなんの処置をされることもなく、アドバイスももらえないで、痛さを耐えて、患者は待たなければいけない。これが「医療」のあり方なんだろうか? 

 最初に病院に行ってすでに2ヶ月以上が過ぎている。症状はいっこうに良くならず、自分で考えられるありとあらゆる方法を模索して、本もいっぱい読んだ。もちろん、そうやって自分なりの対策を練って実行しているし、その効果がそんなに早く出てくるとは予想はしていない。が、それにしても、あまりに病院というのは無慈悲ではないかと思うのだ。これが当たり前だとしたら、医療の意味ってなになのさ.. と、今日はそんなことを思った。



投稿者 hanasan : 15:01 | コメント (0)

2006年11月16日

腰痛日記 検査入院の巻

ヒーリング・バックペイン 結局は、ジョン・サーノ博士のこの本、『ヒーリング・バックペイン』を持って、検査入院をしながら、じっくり読もうと思っていたんだが、どうやら入れ違いで、病院に持ってくることはできなかった。

 14日に代々木のザー・ザ・ズーで中山うりのライヴがあり自宅から代々木までちょっとペースを落として歩いていった。所要時間は1時間とちょっと。先日、新宿までをほぼ同じ時間で歩いたのを比べるとのんびりしているのがわかる。本当は撮影するつもりだあったんだが、マグのスタッフでいい写真を撮る人間がいたので、代わってもらった。同じ人間が撮影するよりも、他の人間との写真を見比べた方が面白い。といったら失礼かもしれないが、アーティストのいろんな顔を見せることができると思って、彼に頼んでみた。さて、どんな写真になることやら。

 この撮影の後、集まった4人のスタッフと居酒屋で軽く食事。なんでまぁ、男ばかりが集まるとこんな会話になるのか... まるで子供の下ネタだっただが、女が絡まないネタは、まるで小説のネタになるほど面白く可笑しい。なんと幸せなこと。

 そして、徒歩で帰宅。この日は結局、いつも通り2時間強の歩行をしたことになる。そして、プロテインを接種して、検査入院の準備。といっても、たかだか2泊。それほど用意するものはないはずなんだが、書類の山がいっぱい。なんで検査入院で『連帯保証人』を要求するのか全然理解できなかったが、結局、記入せずに来たら、なにもいわれなかった。

 病院は元住吉にある関東労災病院。15日9時半から10時までに来てくれということだったんだが、行くといきなり「部屋が用意できていない」という言い訳うをぐだぐだ続けるので、「じゃ、どれぐらい待てばいいんですか?」とストレートに尋ねると「いやぁ、○○の用意をして、片づけをして...」とそんなことばかり。日本人はなぜ簡単な質問に単刀直入に答えてくれないんだ?おっと、日本人じゃなくて、担当者のことなんだけど、こう思ってしまうのはなぜなんだろうね。

 とは言いながら、昼前には部屋に入って昼ご飯。いつもながら、なんとまぁ、病院のメシはまずいんだろうと思う。でも、全てをきれいに平らげる私はなになんでしょ。とそんなことがあって、約束通り、いろいろな説明を受けて、この日はブロック注射。例によって痛いのなんの。ハッキリ言って、自分の腰痛よりもこちらの方が遙かに痛い。特に今回は、液体を注入しているときにめちゃくちゃ痛かった。北里研究所で同じところにブロック注射をしたときには、そうでもなかったんだが... 確かに、打つときは痛い。なぜなら綿のかけらが落ちても全身に痛さが走る神経に注射するわけだ。その全身に走る痛さを確認してから打つので、それは当然。だが、北里では液体が入っていったときには、かなり気持ちよくなったんだが... なにが違うんだろう、今回は入れれば入れるほどに痛みが強くなった。結局、その注射の後、まるで病人のような面を下げて車いすで自室に戻された。

南正人 ところが、このブロック注射、あまり効果は感じなかった。前回よりも遙かに効かない。といって、一晩寝た後の、朝はかなり痛みが消えていたんだが、それはいつものことだから、ブロック注射のおかげかどうかはわからない。

 病院というのは、当然ながら、暇だ。なにもやることがない。とは言いながら、いつも通り、スマッシング・マグの更新作業をしてmixiの仲間に状況報告。それでも時間が余る。だから、結局は本を読んだり、ビデオを見たりということになるのだ。

 というので、先日、偶然再会を果たした南正人の本『キープ・オン! 南正人』を読み始めるんだが、これが面白い。ちょうど、小田実の『なんでも見てやろう』の影響なのかなぁ... っても、この頃はみんなそうだったけど、61年に出版されたこの本を読んで、私自身がそれから20年ぐらい後に日本を出ていくことになる。今じゃ、海外に出ていくなんざ、なんでもないことだけど、60年代にそうしていた人たちって、大変だったと思います。そんな中のひとりがこの南正人で、『キープ・オン! 南正人』をあのころ読んでいたら、間違いなく決定打になっただろうと思う。「日本を飛び出して彼が体験した話」のみならず、国内でのハッパ関係の話など、面白すぎて、アッという間に半分ほどを読んでしまった。

 そして、先日ここで記した八ヶ岳の命の祭りのところに出てきた自分の原稿のことに関して、彼が大手の新聞社や雑誌社の原稿ではなく、自分の書いたものを使いたかった理由もわかったように思う。あの夜、彼と30年ぶりに再会はしても、あの本を読んでいると共通の友人達の名前が出てくる。世の中って、そんなものだと思うが、人間はみんなつながっているのだ。と、そんな思いを強くさせる。この本、日本のロックの歴史やオルタナティヴな文化の歴史について関心があるのであったら、絶対に読んだ方がいいよ。もちろん、それだけではなく、南正人が自分をさらけ出すことで見えてくる「人間」ってなになんだろって問いかけも面白い。と、そういえば、失礼になるかもしれないけど、少なくとも自分は、にたところを突っ走っている人間としてとても共感できる部分があった。(まだ、全部読んでいないんだけどね)

Sayuri
 で、本を読むのに疲れたというので、MacBookにディスク・イメージとして取り込んでいた映画『Sayuri』を見る。これを日本の映画としてみるのは大間違いで、あくまでハリウッド映画なのね。だから、そういった意味では、映像の良さとか、それなりに楽しめたし、けっこうな外国映画なんだけど、それほどの時間を感じさせることはなかったなぁ。でも、今回も子役で出てくる女の子にやられます。子供時代の「千代」を演じている彼女がかわいいねぇ。あの目がなんともなく魅力なんだけど、それがそのまま映画で鍵となっているのが面白い。それになのに、大人になった千代を演じる女優の目に、それがないことにどれほど違和感を持たされたか。

 また、この映画のなかで描かれた「芸者」って、「アーティストだ」と説明しながら、結局は、高級売春婦でしかないと描いているあたりに、「そうなんだろうけさ、で、なにを言いたいのさ」という疑問が残ってしまった。これって、「なにの映画なの?」特に最後のテロップが笑えるのさ。ま、それを言っちゃおしまいだから、書かないけど。

 で、これを見た後に、iPodに入れている『Sayonara』を見ながら、アメリカ映画の中の日本を考えてしまうのだ。この映画が撮影されたのは57年。先日、ここで書いた『三丁目の夕日』の舞台設定と同じ。今じゃ、これも入手しづらいようだけど。日本に対する視線とかが、どこかで屈折しているのは当然として、同時に、時代を超えた日本を見る自分たちの視線もすでにどこかで屈折していることも感じてしまうのだ。わずか数十年前のことだって、明確な感触を伴って伝えることが難しい。そして、それぞれの人のフィルターを通して世界が変わっていく。恐ろしいと思う。

 だからこそ、戦前回帰の教育基本法改悪が強行採決されても、デモも起こらず、抗議運動も広がらない。あの狂気の時代が、どこかでもてはやされ、評価され、一大決心の下、絶対にこの過ちを繰り返さないとして生まれた憲法が代えられる危機に直面し、その一部としても良かっただろう、教育基本法が瀕死となっている。それほどあなた達がどうでもいいと思うのであれば総一億のみなさん、愛国の志士となって、命を「国」に捧げてくださいな。私はそんなこと絶対にしません。民の国でない限りにおいて、それは「彼ら」でしかないですから。私は非国民として、地球市民として生きていきますから。



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2006年11月11日

腰痛日記(続編)

腰痛は怒りである とりあえず、この本『腰痛は怒りである』は読んだ。基本的なコンセプトは、まず第一に「腰痛の常識」とされている嘘を暴くことから始まっている。そして、その呪縛から解放されなさいと説く。具体的なデータをあげながら、椎間板ヘルニアなどのMRIやレントゲンなどによる脊髄内の突出部分の大小が症状に比例しないことなどを症例から実証して、それが原因であるとは確定できないと示す。同時に、常識的に言われ続けている「年齢のせい」、「腰痛は人間であるから必然だ」「身体のゆがみ」といったこともことごとく否定。そのデータ的な部分について私達には確認できないから、これを鵜呑みにしていいのかどうかはわからないが、おそらくそうなんだろう。実際、自分のMRIの結果についても「通常ではそんなに痛くはない」と医者に言われている。が、痛いのだ。一時期は、あるいは、ある時間帯なのか、ある姿勢に依存するのか、めちゃくちゃ痛かったし、今も痛い。それはもう、ぶった切ってやりたくなるほど痛い。だから、そういった指摘についてはかなり納得できたように思う。

 加えて、従来の治療法についての問題を指摘。ブロック注射から腰ベルトに腰を引っ張るといった療法に関して、よい結果が確証されているものではないというのだ。それもある程度理解できた。要するに、そうして治った人もいれば、治らない人もいる。その意味で言えば、確実に有効であるとは断言できないと言うわけだ。そうだろう、確かにそうだ。原因が明確ではないのに、対処する方法がわかるという方が論理的におかしい。

 そして、登場するのがサーノ博士による『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』に登場するTMS理論。Tension Myositis Syndromeの略で、緊張性筋炎症候群というもの。簡単に言ってしまえば、心的なストレスが問題だと指摘している。精神的な問題から自分の身を守るために防衛本能、あるいは、防衛機能として自律神経に働きかけ、その問題から意識をそらせるために肉体的な苦痛を与えて、意識をそこに向かわせるというわけだ。だから、そのストレスに真正面から対峙して、それを解決しなければ痛みはなくならない... という発想なんだと思う。簡単に言えば、病は気から。気持ちがすっきりしなければ治らない。だから、そこに目を向けようというのだ。

 それもどこかで正しいんだろうと思う。自分の場合を見つめ直して、ストレスがないといえば嘘になる。生活なんぞ、ストレスで溢れている。ただ、その説明だと、どこかで納得できないのは、「それならば、なぜ同じ時期に(私の場合は毎年9月ぐらい)痛みが出るのか?」という点だ。今回はそれがひどくなって例年とは違う痛みを感じているんだが、それにしても、そこになにかの因果関係を想定してしまうのだ。とはいっても、例年の場合、1ヶ月もすれば忘れてしまうほどになるのに、今回、それが長引いているのは、おそらく、その心因性のストレスによるところがあるのではないかとは想像できる。いやぁ、いろいろ思い当たる節がある。

 そう言えば、今、fujirockers.orgにやってきたスパム・メールの削除作業をしているんだが、8月から昨日までの数は18000。といっても、それはここに送られたものではなく、送ってもないメールが行方しれずで戻ってくるというもので、サーバーの管理者だったらチェックせざるを得ない、しかも、削除できないアカウントにこれが積もっている。その容量だけで110MBもあった。なんとか、今日削除できたのが12000通。受け取りを拒否できる設定をみつけたので、これからはこんなことはないと思うが、それにしても、仕事の関係で管理しなければいけないアカウントが多すぎる。だから、このところスパムだけで1日に7〜800通は受け取っている。それに加えて、スタッフ関連のメールの数も多いし... これがストレスにならないでどうする。

 おっと、話がそれてしまったが、この本はそういったストレスを列記して、それに向かい合うところから始めようと語りかけている。特に完全主義者でいい人はこういったことになりやすいとか。それって鬱病なんかも同じように思える。あれも、心的なストレスが自律神経を痛めていって身体に異常をきたしていくはずだ。ただ、いい人であるのを攻められる感覚って、なんか、嫌ね。まぁ、友人によく言われるんだが、あんたは人が良すぎるって。だったら、悪い人になれるかといえば、そりゃ、無理でしょ。

 ともかく、こういったことを自覚して、普通に生活することがいいと語りかけているんだが、ちょっと宗教じみているなぁ。西洋医学を否定しているわけではないといいながら、どこかで信仰にもに近い気持ちにならなければいけないとしたら... まぁ、それが「無意識的にも信じる」ってことなんだろうけど。そして、瞑想をしたりしながら... と書かれているが、どうもうまく理解していないんだろ。

 と、もう一度読んでみようと思っているが、一通り読んだ結果として、自分がやっているのは、とりあえず、適度な運動。っても、1日に1時間以上も歩くのがそうなのかはわからない。ただし、いつも家でコンピュータに向かい合っているだけの毎日なので、それほどおかしくもないだろうし、普通だろう。実際、一昨日は自宅から原宿、そこから新宿、そして、代々木と歩いて、そこから電車で恵比寿に移動して、歩いて帰宅した。昨日は自宅から明治通りを渋谷に向かい、そこから池尻大橋に出て、中目黒の友人の店でちょっと休憩して恵比寿経由で歩いて帰宅。ただ、歩くことは全然苦痛ではないし、どんどん楽しくなっている。このまま行けば走り出しそうで、そうなったらそれでまたいいだろう。

 おかげで、確かに体調は良くなっているような気がする。もちろん、そういった運動に伴ってタンパク質を補給することや健康な食事をすることも心がけ始めているし。ただ、そうやって筋力を付けても、(たかだか1週間ほどで変わるとは思いませんが)痛みはそれほど変わってはいない。机に向かって仕事をしているときはほとんど感じないのだが起き上がった時、寝る時などはかなり痛い。どうやら、筋肉がつったときのような痛みで、時に刺すような痛みにも感じる。

 というので、始めたのがストレッチだ。この参考にしているのは『腰痛は絶対治る!』という本。なんでも阪神タイガーズのコーチもしていたという中川 卓爾という人が書いたもの。症状によってどういったストレッチが必要なのかを丁寧に説明している。といっても、その例というのは7パターンぐらいなんだが、なんとなく、これがいいような気がしてきているから不思議。まぁ、これもまだ始めたばかり。これからどうなるか、まぁ、それは身体が教えてくれるだろう。



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2006年11月10日

白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々- を見て思うこと

白バラの祈り 映画が公開されていたときに、見よう、見ようと思っていながら見られなかった作品に『白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々- 』があった。なんでも第二次世界大戦の末期が近づいた頃、ヒットラーのお膝元で反ナチズム運動を展開していた学生達がいたという。白バラ運動と呼ばれたそのうちひとりの女性、ゾフィーの最後を描いた映画で、レンタルで見ればいいものを、つい最近購入してしまった。なんでかなぁ。よくわからないけど、単純に見たかった。

 で、これを見てどう思ったか? そんなに甘かったの?というのが感想。要するに、彼女たちが大学で本当の戦況を伝えるビラをまいて、反政府活動をしていると逮捕されるというストーリー。そして、不当な(以外にあり得ない)裁判の後に死刑になる。それだけのことなんだが、だからどうなんだ... と思った。あれからこれまで世界中でそんなことは日常茶飯事のように起きているし、あの時代にそれだけですんだんだろうかと疑問にも思った。

 だって、そうだろ? 日本プロレタリア文学の巨匠で、名作『蟹工船』を書いた小林多喜二が特高(特別高等警察)に幾度も捕まった末、1933年に拷問によって虐殺されたことを思えば、あんなに簡単に殺されたのが奇妙にさえ写るのだ。なにせ、小林多喜二は身体が倍にふくらむほどの拷問を受けている。それでも信念を貫き通した彼にどれだけあこがれたって、自分にはできない芸当だろう。なにせ、腰痛だけでも悲鳴を上げているのだ。(笑)

 それほどまでに狂気の時代を生きて、ファシズムと闘った人たちをばかにするつもりは毛頭ない。逆に、無数の無名の市民達に対して尊敬の念を持っている。だからこそ、この映画が「実話に基づいている」のがどこかで信じられないのだ。そんなに楽には死ねなかっただろうと想像するのは間違いなんだろうか。

 ちょうど時を同じくして、『ヒトラー ~最期の12日間~ 』も見た。自国の歴史を直視して、ヒットラーを、そして、あの独裁者に心酔した一般庶民をも断罪しようというこのアプローチに、歴史を直視できない日本人の悲しさを感じたといったらいいだろうか。ヒットラーの狂気の沙汰を、まさしく異常をきたした人間として描く度合いに、大げさなものも感じたけど、同時に、彼を熱狂で迎えたあの時代の市民にあの頃の日本人を見たようにも思う。

 ところが、日本でこれほどまでに歴史を直視した映画があっただろうか? その片鱗だってあるのかもしれない... いや、あるはずがないだろうけど、ひょっとしたらと思って、一応見てみたのが『男たちの大和 / YAMATO 』。よくもこんなにあほらしい映画を作ったものだ。おそらく、政府なり、政治家なり、自衛隊なりの援護射撃があったんだろう。『戦国自衛隊1549』が見事な自衛隊プロモーションだったとの同程度の、国威高揚プロモーション映画でしかないのがよくわかった。実にあほらしい。

 一方で、海外の多くの国や地域がそうしているように、ファシズムと闘った人々が真摯に描かれた映画って日本にあるんだろうか... と思って、いろいろ考えたんだが、一本も頭に浮かばない。所詮は、アカと呼ばれた彼らは浮かばれないのが日本じゃないかと思うのだ。

 だからこそ、靖国神社なんて代物が未だに存在するのだ。あれは戦死者をまつっているのではない。広島や長崎で、あるいは日本兵に多くの市民が虐殺された沖縄や東京大空襲や全国の空襲で犠牲になった市民はそこに加えられることなく、兵士として「御国」のために闘ったとされる人だけが祭られているわけだ。しかも、その多くは自分の意志ではなく、赤紙で「行かされた」のであり、あそこに祭られている東条英機らの軍人たちがそんな人々の命をぼろぞうきんのように捨て去ったのだ。小泉が語る特攻隊だって、敵艦のそばにも寄れないような複葉機で死にに行った兵士もいるのだ。それは単純な自殺行為であるばかりか、軍人による日本人の殺人でもある。

 ある時、テレビでお偉い評論家がのたまった。

「それでも、東条英機は死してその責任をとったんですよ」

 ふざけるな。何百万人をも殺していて、たったひとりの人間が自決するのはただの責任逃れだ。そんなことが美化されて、歴史を直視しないこの国は、すでにあの時代に逆戻りしていると思っている。こんな国は、私の愛する日本ではない。一連の映画を見ていて、そんな思いをどんどん強くした。



投稿者 hanasan : 14:25 | コメント (0)

2006年11月07日

腰痛日記

真実の瞬間(とき) なんとアホなことを書き始めるのか... と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、事態はかなりシリアス。でも、それだったら向かい合ってやろうと、こんな記録を残すことにした。っても、自分のやっていることが正しいのかどうか、そんなことはわからないが、こういった努力をやってどんな結果がでるか、見物だと思う。ただ、それだけのことだ。

 とりあえず、前回ここに書いた『腰痛は怒りである』という本は本日到着。でも、まだ全ては読んではいない。その前に、ここまでのいきさつを記すとこんな感じになる。

 よし、向かい合ってやろうと思って、まずやり始めたのが歩くこと。一昨日は自宅の白金から中目黒の友人のやっているレストランまで一気に歩いた。かかった時間は30分。ノンストップで、かなり足早に歩いたという感じ。なかなか気持ちいい。っても、それでビールを飲んで、焼酎を2杯。でもって、その仲間とワインを1杯飲んで、そこからまた恵比寿まで歩いて再び焼酎を1杯。要するに、ただの飲んだくれですな。結局、その頃から強力な痛みを感じ始めて... そりゃぁ、そうだろ。そんな不健康なことをやっていたら、身体にいいわけがない。

 というので、翌日はちょっと控えた。同じように、といっても、今度はダイエット用に買った協栄ジム開発... サウナスーツみたいなのを着込んで、再びうちから中目黒に向かう。といっても、今回は到着してビールを1杯と薄目の水割りで焼酎を2杯。しかも、のんびりと閉店後DVDを見ながらとなったので、自分のなかで飲んだうちには入らない。この時見たのが『真実の瞬間(とき)』という傑作で、ハリウッドに対するレッド・パージ(赤狩り)を描いた作品。今の日本のメディアがそうなりつつあるのをわかってみていると、めちゃくちゃ面白い。今じゃ、『国を愛しています』と言わなければ非国民扱いされるし、メディアでやたらと日の丸君が代を奉っているのがその傾向だと思っていないようじゃ、よほど鈍感だと思う。

 それはさておき、その後、再び中目黒から自宅まで一気に歩いて帰る。この日は途中でどこに立ち寄ることもまっすぐ帰って、服を着替えてまた仕事。コンピュータに向かい合ったんだが、途中で倒れるように寝てしまう。が、それほどひどい痛みは感じなかった。

 今日は自宅から新宿まで歩く。8時45分に家を出て、10時前にヨドバシに着こうと決めて(要するに、小さなリュックを買いたかったのね。そんなもの、どこでも売っているんだけど)で、途中、何度か信号で止まらなければいけなかったけど、甲州街道の南口あたりについたのが9時50分で、なんとか閉店に間に合って購入。その後、メシでも食ってから帰ろうかなぁ.. と思ったんだけど、あんまり食欲がなくて、そのまま再び歩き出して帰路に。その時が10時10分。途中、友達の店で一杯飲んで帰ろうかとも思ったが、1日ぐらいサケを抜かないといけないと思って、そのまま帰ってしまった。といっても、近所で買い物をしたから家に着いたのは11時半。今日は2時間半ぐらい歩いたことになる。これで聞けたのは43曲。(当然、iPodです)なんだか、歩いていると、どこまでも歩いていけそうで面白い。今度、小田原まで歩いていってみようかと考えたり... 80kmぐらいだから、きちんと休んでいけば、2日でたどり着けるかなぁ。と考えたり、友人が「タンパク質をとらないといけない」とアドバイスをしてくれたことから、頭のなかはタンパク質だらけ。なにを喰えばいいんだ?と、大豆しか頭に浮かばない。

 で、今、Google Earthの新しいヴァージョンを下に距離を測ってみたら、直線で5km強。だから、片道6kmぐらいを歩いたんだろう。帰って来てから、しばらく休憩しながら軽く食事。といっても、そんなに食欲はなくてコンビニで買ったサンドイッチに飲むヨーグルト。以上。なんと粗末な食事だ。タンパク質もクソもあったもんじゃない。そして、こうやって腰痛日記を残している。

腰痛は怒りである で、今日届いた『腰痛は怒りである』という本を読み始める。すでに半分ぐらい読んだけど、これまでのくだりは『腰痛の原因は全然わかっていない』ということと医者の処方が『効果なしだ』ということ。それをいろいろなデータを加えて書いてくれているんだが、当然ながら、そのデータに関しての信憑性を判断するすべを読者は持っていない。なにせ、専門家じゃないから。このあたりは著者を信用するしかないのだが、そうやっていくと「どないなっとるんじゃい」ということになる。ただ、多くの医者が言うように「年のせいである」とか「人間にとって腰痛は避けられない」といった発言が、全然意味を持たないことだけは理解できる。

 まだ半分ぐらいの段階で、どうやら最も強調しているのがプラシーボ効果のこと。要するに、信じるものは救われるということが書かれているのだ。すでに、この時点で結論がわかってきてしまったような感じ?といったら、筆者に失礼だが、自分で信じなければいけないのね。直るのよ、直すのよ。でも、安静にしているだけではいけない、というか、日常生活を普通にしているのが一番といった記述は仲間の体験者の言葉にも通じる。といって、運動すればよくなるとも断じてはいない。健康のために運動はいいんだというので、やればいい。が、それが腰痛に効くとは全然認められてないと来た。さぁて、これからどうなるか。明日までには全部読んでみよう。 それでもって、どう転がるかだ。

 ちなみに、あれほど歩いた今日は、はっきり言って、めちゃくちゃ痛い。ただ、角度によるんだけど。椅子から起き上がるとき、寝ようと思ってベッドに入ったときが強烈に痛い。さぁて、どうやって寝ればいいんだろう。


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2006年11月04日

腰痛に泣く毎日

腰痛は怒りである いきなり、なんでこんな本を... と思われる人もいるかもしれない。なにせ、ここで書いてきたことといえば、音楽を中心にエンタテイメント系がほとんどで政治的なことなんかもあるんだが、なんと今回のテーマは腰痛なのだ。が、めちゃくちゃ苦しんでいる。勘弁してくれよ、と思うほどに痛い。痛くてやりきれないのだ。そんなところから話が始まってしまうのだ。

 実は、3年ほど前から兆候は出ていた。が、それがこれほどひどくなるとは思ってもみなかった。最初は左手のしびれだった。朝目が覚めて、左手がしびれていたんだが、おそらく、寝方が悪かったんだろう... とタカをくくっていたのだ。ところが、夕方になっても、そのしびれが消えることはなく、心配になって近所の病院に出かけることになる。頭のMRIなんぞをやって、いろいろと調べるんだが、どこにも異常はない。医者も、年齢によっていろいろな障害が出てくるものだから、それほど気にしなくてもいい... と、まぁ、そんなことをいうわけだ。受け取った薬も、結局はビタミン剤であったり、まるで治療していないようなもの。そうしているうちに、しびれの感覚が薄らいできて... っても、なくなったわけではなく、慣れなんだろうが、しばらくすると忘れてしまうことになるのだ。

 ところが、それから約1年後、今度は左足の関節が痛くなる。しびれも左手から左足にまで広がり、腰痛も感じるようになった。というので、再び、同じ病院へ。すると、医者が「去年も同じ時期に来てますね」と教えてくれる。そうなのか、なんでだろうと思いながらも、偶然だろうと思っていた。で、このときも治療は同じ。いろいろ調べることはしてくれる。このときは腰のMRIをとった。が、異常はなし。同じように、ビタミン剤と鎮痛剤のようなものをもらって、しばらく通院してみるんだが、結局、知らないうちに痛みが和らぎ、しびれも忘れていった。

 そして、今回だ。やはり時期は前回と同じ頃。が、前回との違いは... 痛みがひどい。めちゃくちゃひどいのだ。というので、再びMRIで、今回は腰だけではなく首もチェックする。それによると、いわゆる「ヘルニア」というものらしいんだが、その検査結果を見ても「これだったら、そんなにひどくはないですよ」となる。ホンマかい!だったら、この痛さはなになんだぁと思いつつ、結局、前回と同じような流れになるんだろうかと思っていたんだが、痛さはどんどんひどくなる。まぁ、ひどくないときもあるんだが、ひどいときには耐えられないほどの痛みになって、精神的にもかなりストレスを感じるようになってきた。

サーノ博士のヒーリング・バックペイン というので、友人の薦めで針にいってみたり... っても、これも最初はなんとかなりそうな感じがしたんだが、2回目はそれほど効果もなかった。それに、はっきり言って金がない。メシを食うにも困るほどの貧乏人がこんな治療をしていたら、干上がってしまう。それでも痛い... 通っている病院で脊髄に直接針を打ち込むというブロック注射も試してみた。なにせ、注射をする前に麻酔を打って、それから打つというもので、痛いのなんの。こりゃぁ、拷問だと思いましたな。確かに痛みは消えるんだが、持っても数日。結局は、痛みが戻ってくる。そりゃぁ、そうだろ、麻痺させているだけなんだから。

 というので、いろいろ調べたら関東労災病院が腰痛に関して評判がいいというので、紹介状を書いてもらって訪ねてみた。担当してもらったのは夏山元伸という先生で、なんでも内視鏡による手術では有名らしい。要するに、こちらとしては脊髄の中の飛び出している軟骨か髄核を切り取ってもらいたい... と、そう期待しているんだが、当然ながら、「じゃ、手術しましょ」とはならない。MRIを見ても、この日、レントゲンを撮ってもらって、それもチェックしてくれているんだが、どうやら「痛みに相当する」ものが見あたらないというのが本音のようだ。というので、結局、検査入院をする予定となっている。これでまた貧乏になるわけだ。

 といっても、それは検査でしかなく、今も、痛みはひどい。時には耐えられないほど痛いという状況は全然変わってはいない。というので、当然、こちらも考えなければいけないというので、調べ初めていろいろな本が出版されていることに気がついた。友人の間でも腰痛持ちがかなりいることが発覚して、よくも、みんなこんな痛みを隠して生きているなぁと思ったり。それがどの程度かは他人にはわからないが、実際に自分がそうなってみると、みんな大変なんだろうなと思う。要するに、腰痛は実にポピュラーな病気で、それに苦しんでいる人がいっぱいいるからこそ、いろいろな書物が出ているということだ。それに、どこかで医者や病院には信頼感を持っていないということもあり、なんとか自分で直す方法を探さないといけないと思い始めているところから、こういった本を探し出したわけだ。

 そこでみつけてきたのがこういった本の数々。当然、まだ読んではいないし、これから注文するんだが、まずは読んでみようと思ったのが腰痛は怒りであるというもの。これはサーノ博士のヒーリング・バックペインをベースにそれをわかりやすく解説したものとされている。なんでも腰痛は心的要因がかなりあるということらしいが、これから読もうとしているのでまだなにも語れない。が、本当かどうか、読者からのコメントを見るとまるでマジックのように「この本で腰痛が治った」と書かれてある。なんか怪しいなぁとは思うものの、溺れる者は藁をもつかむということで、これからこれを注文してみようと思う。

 それに、もう一冊腰痛は絶対治る!—ひとりでできる速効治療のすべても買ってしまおう。つんどくよりは乱読です。納得したことだけをやればいいんだから。それに、医者頼りではなく、結局、自分で直す気持ちを持たなければいつまで経っても同じこと。基本的にこの原因は、おそらく、こうやって毎日毎日コンピュータ・モニターに向かい合って座りっぱなしで仕事をしていることが大きいだろうし、運動をしていないことによって体がおかしくなっているに違いない。だから、まずは体を動かし、根本から生活を改造しなければいけないんだろうと思う。

 まぁ、分かり切ったことなんだけど、それにしても痛い。この痛み、いつまで続くかわからないけど、絶対に直してやると、そう決意したのであります。



投稿者 hanasan : 12:48 | コメント (0)

2006年05月23日

phitenのチタンネックレス、ほんなに効くのかい?

Banda Bassotti 実は、話は3月のアメリカでの三味線ツアーにさかのぼるのだが、そのとき、現地のコーディネーターとして大活躍していた方が、身につけていたのがファイテンのネックレス。なんでもアクアチタンとかいわれるものが入っていて、肩こりなんかにいいというのだ。

「よく効きますよ、それに、この...」

 なんていいながら、なにやらサロンパスのような代物も持ち出して、「これもねぇ、効くんですよ」と、嬉々として説明を始めるのだ。日頃から、コンピュータに向き合う毎日。はっきり言って、自分の肩こりは半端ではない。筋肉が骨のようになっていて、時折マッサージ屋に行くんだが、これもかなり金がかかる。というので、肩こりから救ってくれるんだったら、藁にだってすがりたい... と、いってしまえば大げさだが、試してみようかなぁと思ったら、なんと、このネックレスを売っている店が近所にあるというので行ってきたのだ。

 すると、商品の宣伝の仕方や説明の仕方が、かなり宗教じみている。なにやら、マニュアルがあって、その効用を信じ込んで「布教する」かのごとくの勢いで説明されるのだ。おそらく、これ、どこの店に行っても同じだと思うので、みなさんも試してみればいい。それを聞いていると、なにやら暗示にかけられているようなうさんくささを感じるのだが、まぁ、こっちは気休めでもいいからと思ってそれを購入。まぁ、デザインもいいかなぁと思って、バンダ・バソッティのメンバーにおみやげとしていくつか買っていったわけだ。そうしたら、面白いことに、みんな、気に入ったようで、以来ずっとそれを身につけいてた... という証拠写真がこれ。

phiten っても、これって、本当に効くのかなぁ。自分にはよくわからない。実は、30倍のアクアチタンが入っていているというものを2本(そのうち1本はなんとタイガース・ファン向けの限定もの)を買ったんだが、実際に効いているという感覚は、正直なところない。ひょっとしてちょっとは効いているのかもしれないけどね。ただ、病は気から... じゃないけど、信じるものは救われると思うので、とりあえずは、これを付けている。でも、ホントのところはどうなんでしょうね。そういった科学的な実証を見たいというか、知りたいというか... それが本音ですな。

 といっても、なんでもこれが野球の選手あたりにはやっているようで、ファイテンのサイトに行くと、なんとランディ・ジョンソンまで登場しているから驚かされる。確か、ワールド・ベースボール・クラシックの時も誰かがこれを付けていて、しかも、三つ編みにしていたのがかなり目立っていたように思う。あれは松中だっけ? おそらく、実際の効用よりは、ちょっとした遊び心を満足させるアクセサリーって感じなんだろう。実をいえば、自分もそんな感覚で身につけているんだが、似合っているのかどうか... 元々、おしゃれなんてことにはてんで興味がないし、そういった感覚は持ち合わせてはいない。

 自分の肩こりはちょっとはましになっているのかしら? 実感ねぇな。それよりも、こんなものにまで頼らなければいけないってほどに年をとったということなんかなぁ... と、そんなことばかりが頭に浮かぶ。



投稿者 hanasan : 15:07 | コメント (0)

2006年03月28日

書きたいことは山々なれど...

国本武春 いやぁ、あまりに忙しいです。残念ながら、なかなか更新はできません。3月15日に日本を出て、テキサスに飛んで、サウス・バイ・サウスウェストというフェスティヴァルのお手伝いに出かけていったんですが、今回はなんとステージに立ってお話をするというMCがメインの仕事。それも、日頃はあまりなじみのない三味線の音楽について話し、アーティストを紹介していくというんですが、実は、めちゃくちゃ面白かった。

 出演したのは石垣島の大島保克氏(最新作は「島めぐり~Island Journey~」)、沖縄の内里美香さん(最新作は「 風のションカネー 」)、大野敬正氏、(最新作は「ambience」)うめ吉さん、(最新作は「大江戸出世唄」)そして、国本武春氏(最新作は「sushi & gravy」)というラインナップ。沖縄の三線から、津軽三味線、そして、江戸の芸者を思わせる都々逸や小唄、民謡あたりに、浪曲師ということで、いろいろな種類の三味線音楽を楽しんでもらおうというもの。そのそれぞれのスタイルを紹介しながら、テキサスのオースティン、ニューヨーク、シカゴ、オークランド、そして、ロスと10日間ほどツアーをしてきたんだが、これがめちゃくちゃ面白かった。本当はそのあたりの話をじっくりと書きたいんだが、25日に帰国して、今日、28日には再び日本を離れてローマに飛んでしまう.. という状況。イタリアで時間があれば、このあたりのご報告をすることになるんですが、どうなることやら。

 ということで、状況報告のみですが...


投稿者 hanasan : 04:33 | コメント (0)

2006年02月27日

なぜ創価学会は叩かれないのか?

藤原正彦 先日、建築関係の友人と話をしていて、例の姉歯物件(なんて言葉ですべてがわかるというのも恐ろしいが)の話題になった。これは、巷ではよく知られた話なんだが、彼は創価学会の会員らしく、2004年9月に国土交通大臣に就任した北側一雄は公明党所属である。ということで、当然ながら、その関係がけっこう「怪しい」という疑惑はみんなが持っていた。

 で、まさかと思っていたんだが、例のヒューザーという会社、なんでも彼によるとその社長も創価学会で、その社員はほぼすべてが創価学会の会員なんだという噂を聞いた。創価大学ってぇのがあるというのは、みなさん、ご存じだと思いますけど、その宗教大学を卒業する時に大学関連企業として就職斡旋される企業のなかにこの会社が含まれているんだそうな。なんでも優良企業として名を連ねているとか。おそらく、マスコミの人間だったら、それぐらいの話(噂)は知っていて当然なんだろうけどなぜ誰も書かないのか? 一番怖いのはここだな。怖いよなぁ、この世は。自民党と宗教団体の支配する世の中になってしまっているってぇのか、今の日本って? だったとしたら、めちゃくちゃ怖くないか?

 さらに、つまらない話かもしれないが、ある日、テレビ関係の友人と話していたときのこと。創価学会じゃないと、番組にでるのも難しくなりつつあるという話(噂)も耳に入ってきた。要するに仕事がとりにくいんだそうな。今、メディアで人気の、わっはっはなんとかってぇの、あれも創価学会なんだと。ふ〜ん、なるほどなぁ。へたくそなベースを弾いて売れているあの人も、そうらしく、そうやって探していけば、テレビは創価学会だらけになるという噂もある。まぁ、これは、噂。だから、信憑性についてここではなにも言いません。自分で判断するなり、取材するなりしてくださいませ。でも、もし、仮に、そう、仮にだよ、メディアが創価学会に牛耳られていれば、当然ながら、創価学会に批判的な報道はされませんわな。実際、人殺しマンションを建てた人間たちが、創価学会との関連を、そして、内閣の重要ポジションにいる人たちとの関連を全く叩かれることなく、疑われることもなく、のうのうとしていられるんだから。かなり怪しいなぁ。うん、常識的な想像力を持っていたら、なにかが怪しいと思って普通だろうな。そうだとは、ここでは断言しませんけど。できないしな。

 今、国会で話題となっている「メール事件」なんだけど、こんなの小さい、小さい。まぁ、そんな状況を少しでも認識するなり、感じるなりしていたら、そう思うだろ? 自民党が金でしか動いていないっての、常識以外の何ものでもないって、誰でも想像できるじゃん。「え、みんながそうじゃない」って? そうかぁ。そりゃぁ、それを証明できるものを見たいなぁと言う気持ちは否定しないけど。いずれにせよ、これは、そういった「噂はある」って程度しかないから、ここでも、「噂」だとしか言いませんけど。その「噂」に立って、想像力を働かせて言っているだけだから、本当じゃないことは十分にあり得ると言うことで、これを真剣には受け取ってもらっても、それは、読む人の想像力のなせる技でしかないと断っておきますけど。だってねぇ、お縄になんてなりたくなないじゃないですか。たかだかこの程度で?と、思う人もきっといると思いますけど、そういった世の中になりつつありますから。私、口が裂けても、公明党や自民党、創価学会を「犯罪人」だなんて言いませんから。

 でも、面白くないですか? このあたりをじっくりと調べていくと、かなり不気味な世界が垣間見えますよ。ひょっとして自民党や民主党でも、主流派が創価学会ってこともあるように思える今日この頃。だったら、すごいね。あながち、それも空想ではないのかもしれませんなぁ。

 と、なにをここに書いているのか?空想です。妄想です。これをどう受け取るかは、あなたの勝手。ただねぇ、「噂」に振り回されるメールなんて、証拠にもならないような世界で必死になるんだったら、そろそろ業界のタブーとされている世界に首をつっこむメディアの人間や政治家はいないんだろうかね。


投稿者 hanasan : 02:43 | コメント (0)

2006年02月22日

ソウルでオアシス

Oasis 20日にソウルに向かった。今回は、友人であるソウルのプロモーターに「オアシス見に来ない?」と誘われて出かけていったんだが、正直なところ、オアシスにそれほど魅力を感じているわけではなく、「ソウルでオアシス」という状況にそそられたというのが正しい。日本からフライトで2時間あまり。距離的には東京から福岡へ飛ぶのとほとんど変わらない場所にあるというのに、今回、オアシスが韓国で演奏するのは初めて。日本へ何度も彼らがやってきていることを考えると、そのギャップに驚かされる。なんでこんなに大きな違いがでているのか... そんなことをも含めて、韓国だけではなく、日本をももっと理解するためにも出かけてみようと思ったのだ。

 これまで何度もソウルに飛んで、彼らのなかでのロック文化が日本よりも遙かに小さいことは知っていた。CDセールスでロックは10%にも及ばず、ソウル以外にはほとんど、日本で言うところのライブハウスが存在しないこと。ソウルでも、ライヴの環境という意味で言えば、下北沢よりも規模は小さい... 彼らにいわせると、まだまだロックという文化が市民権を獲得していないというのが正しいんだろう。といっても、日本だってロックが大ヒットしたことってあるのかなぁとも思う。"カルメン・マキ&OZ"が初めて10万枚を越えるセールスを記録して、可能性を感じさせたのが70年代半ば。それから30年だが、自分自身が「ロック」と思えるものが大ヒットしたことってあるのかなぁと思い返せば、そんなことは全然なかった。それに、ロックだのポップスだのといっても、その定義も曖昧で、どこかで違いがわからないのだ。というか、ないんだよね、そんなもの。問題は「産業」あるいは、「商品」としての音楽とそうでないものとの微妙な違い。それにしても、音楽なんぞ受け取る側でなんとでも映る。所詮はビジネスの餌食になるというのが否定できない一方で、「彼ら」のビジネスではなく、「自分たち」のビジネスとなる音楽を成長させることの重要さも考えないといけないんだろう。っても、難しいなぁ。いずれにせよ、ビジネスのための音楽ではなく、音楽のためのビジネスというシステムを成立させることが重要んじゃないかな。もちろん、それが「書く意味」を持つのかどうかは、また別のテーマとなりますが。

 ともかく、ロックが大きな意味で市民権を獲得していないと思われる、その一方で、そうしようとしている人たちといっぱい出会ってきたソウルでのオアシスに興味があった。そして、「待ちに待った」韓国のロック・ファン、オアシス・ファンの感極まった表情に釣られてシャッターを切ったのが頭の写真だ。これは、バンドがステージに出てきたその瞬間のショット。最前列にいた子供達なんだけど、彼の仕合わせそうなこと。これだけでも、ここにいた意味が自分にはあるように思える。っても、誓約書を書いているので、オアシスの写真はここでは使えないので、それはSmashing Magでチェックしてくださいませ。上の写真をクリックすれば、飛べるようにしているので。

Biuret この日、前座として登場したのがビウレットという韓国のインディ・バンドだった。といっても、正直言って、初めての韓国での撮影っていうことに、ちょっとした緊張感があったからなんだろうな、このバンドがどんな演奏をしたかということが記憶から完全にぶっ飛んでいる。「なかなかいいじゃないか、このバンド」って感じだけは覚えているんだけどね。リード・ヴォーカルの女の子がかっこよかったことだとか、ギターの男の子(女みたいにも見えたんですけど)がTレックスのマーク・ボランにでも影響を受けているのかなぁ... なんてことを思ってみたり... それに、韓国のバンドって女のミュージシャンが多いんだろうって思ってもいた。それと、アバの「ダンシング・クイーン」をカバーして、なんかの曲の導入部として使っていたこととがおかしかったり... それと、さすがに気にしなくてはいけなかったんだろう、幾度となく「オアシス」という言葉が彼らからの口からでていたことも。そりゃぁそうだろ。初の韓国公演で観客の期待値がピークに達している前で演奏しているのだ。そんな場所で彼らが演奏することのプレッシャーといったら、並大抵のものではなかったはずだ。そんなことを考えたら、よくやったんじゃないかなぁと思う。

 で、オアシスなんだけど、いろんな悪い噂を聞いていたから、ヴォーカルのリアムが途中でステージをほっぽり出して、どこかに行ってしまわないだろうか... と、そんなハプニングが起きはしないかと想像もしていたんだけど、けっこう、上機嫌で、いい感じでステージが進行していったって感じかしら。オーディエンスからは、リアムよりも、ノエルに対する声の方が目立ったほどで、韓国ではノエルの方が人気があるのかなぁと思ってみたり。

 おそらく、どこの国でもそうなんだろうけど、バンドと一緒のほぼ全曲を大声で歌っていたのがオーディエンス。そんな光景を見ていると、日本も韓国もなにも変わらないじゃないかと思った。会場はオリンピック公園のなかにあるオリンピック・ホールというところで、会場のキャパシティは5500。当然のように、完全にソールド・アウトで、確か、2日間ぐらいで売り切れたのではなかったかと思う。その後、少しスペースを作って若干の追加チケットを売りだしているはずだけど、それも、当然のようにすぐになくなったとか。

 オアシスのメンバーは、みんな嬉しそうに演奏していた... と、見えた。特にノエルはオーディエンスのコーラスを誘ったりとサービス精神いっぱいで、それに一体となって応えていたのがオーディエンス。そんな意味で言ったら、いいライヴだったと思う。

「これからはもっと韓国に来るようにするから。少なくともあと12年のうちには」

 と、ノエルが言っていたんだけど、これは、韓国に彼らがやってくるまでにデビュー以来の年月が過ぎていることに対する皮肉も込めている。といっても、韓国で本当の意味で自由に音楽が演奏できるようになったのは95年のこと。それまでは強力な検閲のために「国家が認めたもの」しか発表できなかった(はずだ)という事情がある。おそらく、オアシスはそんなことも知らないんだろ。その当時には、検閲も緩やかになっていたらしいが、それだったとしても、「検閲」があるということだけでも、韓国の音楽の現場は我々の70年代や80年代とは遙かに違うのだ。行く先々の国の歴史なんぞ、勉強しようとは思わないだろうけど、誰か、彼らに近い人がいたら、そういったことも知らせてあげるべきだろうし、僕らもそういったことを学ばなければいけないんだろうなぁと思う。特に、韓国はすぐ隣の国。歴史には学べることがいっぱいあるからね。


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2006年02月13日

「楽園は何処に 祖国を訴えた日本移民」を見て

 テレビもたまには良心を見せる。おそらく、現場で仕事をしている人たちの最後の踏ん張りなんだろう。たまたまドミニカに渡った移民達の話をまとめたドキュメンタリーを見た。調べたら、NNNドキュメント'06というシリーズの1本で、タイトルは「楽園は何処に 祖国を訴えた日本移民」となっている。これを見ながら、悔しさに涙が出た。怒りで涙が出た。簡単にいえば、政府が詐欺行為をして、ドミニカに(おそらく、この国だけではないはずだ)国民を棄てた、その物語だ。そのドキュメンタリーのなかで、まだ話をしてくれていた移民一世の山本福槌(やまもとふくつち)さんが亡くなり、画面には出てはこなかったが、その奥さんも亡くなられていたように見えた。

 取材を始めた時、すでに83歳だったという山本さんがどんどんやせ衰えて、涙ながらに「祖国を訴えなければいけない」悲しみを語り、「人間も、国もうそをついてはならん」と語る時、だらだらといいわけを続ける外務省と日本政府と、そして、裁判を長引かせる裁判所に言葉では言い表せない怒りを感じるのだ。そして、山本福槌さんが病に倒れ、立ち上がることもできなくなった時の映像、彼が他界する三ヶ月前の映像がその怒りに拍車をかける。骨と皮になって、まともに話をすることができなくなっても、怒り拳を上げようとするその姿に、こんな非人間的な政府を支えている人間のひとりが自分だということに、どうしようもない焦燥感を持つのだ。彼を骨と皮だけにしたのは誰だ?ちょうど、俺が生まれた頃、人口の爆発的増加から「民を棄てた」政府は、なぜその責任を認めないのか?

 体面を保つだけの自衛隊派兵に莫大な金をかけ、私利私欲にだけは執着する政治家どもに対する怒りで体が震える。18ヘクタールの土地を無償で与えるだと?そんな嘘で人間を釣って、どうしようもない荒れ地を引き渡し、逃げ場のない奴隷のような生活を強要したのは誰か?それを政府のいうとおりに動いた団体の責任だと責任逃れをして、挙げ句の果てには「請求権は20年で時効だ」と抜かせる政府ってなになんだ?「日本政府は、それでも人間か?」と問いかける、原告団の人たちの声に、あんたたちはどう答えるんだ?

 って、書いてもこの話の内容が説明できていないことにまたいらだつんだけどね。たださぁ、悔しくて、頭に来て、殴り書いたんですよ。とりあえず、こんな本『ドミニカ移住の国家犯罪—移民という名の偽装「海外派兵」』をみつけたから、それを読むのもいいだろうし、ネットで検索するのが一番早いと思うけど、知ってほしいなぁと思った。確か以前にも同じようなドキュメンタリーを見た記憶があって、実際、ネットでこんなのをみつけた。そのあたりを参考にしていただければ幸いだ。

そこに楽園はなかった ドミニカ移民の半世紀
ドミニカの日本移民
ドミニカ移民問題から見た日本の移民政策
予算委員会議事録

 などなど。知れば知るほどに胸くそ悪くなる。


投稿者 hanasan : 01:00 | コメント (0)

2006年02月03日

勝ち馬に乗るのが良いことか - 「改革」ってなにさ?

藤原正彦 たまたま、仕事から帰ったのが遅くて、テレビのスイッチを入れたのがよかった。なんと、NHK教育テレビの番組の再放送があって、藤原正彦という方が話しているのを聞いて、大笑いしてしまった。彼は「改革」を取り上げて、「これは要するに勝ち馬にのること」なんだと、けっこう、悪態をつくようにして小泉内閣の「改革」を叩いていたんだが、あまりに説得力のある説明に脱帽してしまった。

 なぜ、国民が改革を支持するのか?

「閉塞感なんですね。『改革』と言われれば、そこから抜けられると思ってしまうんですよ。でもねぇ、本当はね、『改革』なんて市場原理を強調しているだけなんですね。だから、力のないもの、資本のないものにとってはねぇ、自分の首をねぇ、絞めるだけなんですね。」

 と、しらふで話している。

「平等ですか?勝ったものがもうけていい?最初からねぇ、立場の弱い人がいるんですね。不利な人も。だいたいが元が平等じゃないんだから、差はどんどん開きますねぇ」

 なんか、朝方にコンピュータに向かってウェッブ・サイトの更新作業をしながら、プッと笑ってしまったんだが、この人のこの説得力ってなになんだろう... と、思って、ネットで検索してみたら、結構面白い人のようだ。お茶の水女子大で数学を教えているらしいんだが、この論理的な説明の仕方はそのあたりから来るんだろうか。なんでも「国家の品格」という本がヒットしているらしく、その感想を見てみると、まぁ、いろいろあるようだ。当方は、所詮、国家なんぞ、権力のいいわけに使われるだけの代物で、国なんてなくなってしまえばいいと思っている大馬鹿者の非国民だから、そんなものを持ち上げられてもなんとも応えようがない。

 この番組でも、「その昔、海外から日本に来た人が『日本人というのは、貧しいことを恥じることだと思っていない』というに驚かされた」ということを使って、日本の美徳などを語っていたんだが、それは、おそらく、「日本の」というものではなく、どこの世界にだって同じようなものがあったと私は思っている。要するに、経済なり、階級なりといったもののせいで『貧しさ』という概念が生まれているのであり、おそらくは、「金の上に」作られた資本主義だとか、社会主義といったお題目に踊らされている、大前提を越えられないインテリ達の見方の限界がここにあるんじゃないんだろうかと、そう思うのよ。

 おっと、そう言ってまたインテリに対するひがみにもにた批判をしてしまうのだが、それはさておき、このわずか10分の放送で、小泉のうそっぱちをいとも簡単に、おそらくは、だれにでもわかるように説明してしまった彼の言葉の説得力は素晴らしい。

 国会の答弁のみならず、日頃の言動を見ていると、知性のかけらも持ち合わせていないのが小泉首相。アメリカにしっぽを振るだけの忠犬、ポチにふさわしい脳みその少なさにあきれかえり、論理的な説明もできないで自分を批判する人間をわからないと切り捨てる。思考する努力を棄てたら、そりゃぁ、もう、人間としての評価なんてできるわけないですからな。「改革」の念仏を唱えるんだったら、神社には行きなさんな。その一方で、「右翼の顔」だとも思っていたナベツネが「靖国神社に祭っているのはヒットラーと同じなんだよ」といいきったことを、小泉はなんと思っているんだろうか。いやぁ、考えていないんだろうな。なにせ、国土がアメリカの軍隊に植民地のように奪われて、独立国だというのに、米兵にへこへこするしかない警察を持っている政府の長だ。非国民だとか、売国奴だとか、国賊だとか.... そういった言葉は、小泉にこそ与えられてしかるべきものだろうに。これって時代がちょっと違っていたら、最も右翼に狙われるのがこの人だと思うなぁ。

 こちとら、右翼も左翼も信用なんてしていないし、そんなもので世界が変わるとは思ってはいないから、どうでもいいんだが、こんな人間に代表される政府、こんな低能な人間を持ち上げている自民党だとか、公明党だとかが国会から姿を消さないと、日本はどうしようもなりません。もちろん、そんな人間達に投票しているのが「大多数」と呼ばれる国民だ。といっても、本当は、それもうそっぱちで、小選挙区のおかげで国民の意思が実際の政府に反映されていないわけで、良識や正論が完全に無視されるようなシステムを作られているのだ。計算してみればわかるさ。ひとつの選挙区からひとりしか議員が選ばれないんだろう?その投票率が50%そこそこの国なわけだろ、日本は? ベストな状況でも選ばれた人間は25%の支持しか得ていないのに、(実際にはそれ以下で、10数%だろうと思うが)100%の顔となるわけですよ。逆をいえば、下手をすると80%の人間が「支持していない」政治家が国を動かしているというこの不思議。このあたりを真剣に考えていくと、なんてひどい国に住んでいるんだろうと、つくづく思いますな。


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2006年01月27日

お前ら、ニッポンのガキ、なに知ってる?パカタレ! - パッチギのこと -

朝山実 正月、実家に帰った時、弟と映画「パッチギ」の話でで盛り上がった。彼も、やはりこの映画を見ていて、「泣けたなぁ」と話し始めたんだが、「あそこやろ?」と、「ウン、あそこや、葬式のな」と、ほとんどこれで会話が通じてしまうのがおかしかった。

 いつか友人から「映画の話を書く時にはな、書いたらアカンことがあるやろ」と怒られたことがあって、詳しいストーリーを書いたら、映画を見る楽しみがなくなる。ということもあって、ここであまり詳しくは書きたくないんだが、いつもは優しい在日一世のおじさんが葬式の最中に、主人公に向かって放った言葉で泣いた。

「お前ら、ニッポンのガキ、なに知ってる? 知らんかったら、この先もずーっと知らんやろ、このパカタレ!」

 1968年の時代背景があり、戦争が終わってまだ20年そこそこですでに僕らはなにも知らなかった。

「国会議事堂の大理石、どこから持ってきて、だれが積み上げたか知ってるか?」

 これを具体的に調べるすべを僕は持っていないが、朝鮮半島からさらわれて、日本に連れてこられた韓国朝鮮人が奴隷のように扱われていたことはいろいろな文献で見ている。このシーンで語られたことはその事実を僕らに告げているんだろう。映画は映画、作り事だというのは簡単だ。が、この話が「作り事」には思えないし、このほかに語られていることだってそうだ。が、当然のように、自分はなにも知らなかった。あの68年にまだ13歳だった自分は当然のように、そして、すでに50歳になった自分ですらも、このことをなにも知らなかった。あのおじさんの言った「パカタレ」のひとりが自分なのだ。おそらく、この映画で「この先、ずーっと知らんやろ!」と声をかけられたのは自分であり、ひょっとしてこの言葉こそがこの映画が僕らに突きつけているものなんじゃないだろうか。と、そう思ったら、涙が止まらなかった。

 もっとこの映画のことを知りたいと、原作と言われる書籍「パッチギ」を買ってきて、これも読んだ。といっても、ほとんど映画のまんまで台詞部分もほとんど同じだから、これは、この映画のなかで語られている「言葉」を再確認するようなものだったけど、松山猛氏の「少年Mのイムジン河」は、また未知の世界を伝えてくれた。

松山猛 この本を買ったのは、以前、映画「パッチギ」について書いた時に、このサイトで、松山氏の話を読んで「そうかぁ、彼の体験が映画の原案なんだ」と思ったのが理由だ。わずか1000円の、まるで子供向けに書かれたような、絵本のような内容で、30分もすれば全てを読み終えてしまいそうな簡単な本。でも、中身は濃い。それに、「長いあとがき」がとてつもなく興味深かった。そこに書かれてあったのは、彼と、あの映画の根っこになっている名曲「イムジン河」との出会いのことであったり、あの曲をフォーク・クルセダーズが歌うことになったいきさつや、当時の反応のこと、そして、松山氏が実際に韓国の国境線にあるイムジン河を見たときの話などが盛り込まれている。

 といっても、「イムジン河」という曲がどういったものかを知っている人も少ないんだろうなぁと思う。実際、自分自身、聞き覚えはあっても、詳しい話はとっくの昔に忘れ去っていた。今回、映画「パッチギ」を見て、歌を思い出し、上記の本を買って、さらに、オリジナルのままで再発売されたCD「ハレンチ」まで購入して、初めてその一端を理解できたように思えるのだ。

(ちなみに、このCD、ジャケットがLPサイズの限定版で、それとは知らずに購入してびっくりした。映画のなかでこのオリジナル、あるいは、それを模したLPが登場するんだが、なにやらそれを手にしたような錯覚に陥って、なんだが、嬉しかったなぁ。というか、それも戦略なのかなぁ...)

フォーク・クルセダーズ この歌のオリジナルの作曲はコ ジョンハン、作詞のパク セヨンとされていて... といっても、この歌を60年代に初めて耳にした松山氏は「朝鮮民謡」だと思ったとか。そのオリジナルを日本語に訳して、さらに独自の詞を加えて生まれたのがフォーク・クルセダーズのヴァージョンだった。これは、たまたま解散を記念して自主制作で300枚ほどプレスしたアルバムに収録されていたのだが、この曲よりも脚光を浴びたのが、同じくこのアルバムに収録されていた「帰ってきたヨッパライ」という冗談ソング。これがラジオでヒットして、それが彼らの東芝レコードとの契約に結びついていく。その結果、おそらく、シングルだと思うが、200万枚という爆発的なヒットを記録することになるのだ。実は、それに続くシングルとしてこの「イムジン河」の発売が決定し、実際にプレスされたようだが、いろいろな事情で発売中止、存在したものも全て回収されたという話が伝わっている。当然ながら、発売中止を受けて、以降、これが放送されることはなくなった。そんな状態が数年前まで続いていたのだ。

 なぜこの曲が発売中止になったのか... 諸説あって、真相はまだ明確にはなっていないように思う。松山猛氏の本にもそのことに関しては詳しくは触れていないし、ネットで調べても明確な答えは出てこない。小林たかし氏による報告教えて!gooコミュニティ3asian.comあたりも参考になるし、この曲が再び日の目を見たことについて書かれている、ハンギョレ21も興味深かった。いずれにせよ、「政治」の波に飲み込まれてしまったということなんだろうが、自分が知る限り、このオリジナルが朝鮮民主人民共和国のプロパガンダ的な色彩を帯びたものに対して、フォーク・クルセダーズのヴァージョンは国境や壁のない世界を希求した、どこかで優しいプロテスト・ソングだったんだろうと思う。

 それに対して、これが「盗作だ」とか騒いでいる人々もいたし、今もいるみたいだが、歌は生き物であって、なにもかもを忠実に「再現」する必要はないと思っている。ウッディ・カスリーがそうやったように、民謡のメロディにのせて、どんどん自分の言葉をのせていった人もいるし、高田渡がやったことだってそうだった。それでなにが悪い? と、思ってしまうんだが、少なくとも素晴らしいメロディを作った人への敬意が表されていれば十分だろうし、著作権の使用料を支払っていればなにも問題はないだろう。今回、この「イムジン河」のことを調べていて思ったのは、そういったビジネスや政治が、本来自由だった「歌」さえをも「檻」に入れてきた現実。僕ら、まだ、「越えられない河」を抱えているというのが悔しくもあり、悲しくもある。そして、再び、この発売中止によって生まれた名曲「悲しくてやりきれない」を思い出すのだ。なんでも、「イムジン河」を逆回転させて作ったのがこの曲だとか。そんなささやかな抵抗が、また、名曲を生み出していく。音楽とは、なんと不思議なものなんだろう。


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2006年01月01日

新年、おめでとう。生きててよかった...か?

バンダ・バソッティ 新年、あけましておめでとうございます。

 といっても、正直なところ、過去3年間というもの、どこかでそういった晴れた気持ちにはなれなくて、かつては毎年300枚ぐらいの年賀状を送ってのがゼロになってしまった。理由はいろいろあって、いつかそれを説明した年賀状を出せる時が来るんだろうと思っているが、まだ、そこにまでは達してはいない。

 それでも、コンスタントに連絡をくれるみなさんには、実に申し訳ないと思うし、彼らには連絡を取らなければ... と思っている。

 晴れない気分の核には、きわめて個人的な事情があるんだろうが、それが人間や世界に対する見方に、かなりネガティヴな影響を及ぼしている。よくないことは重々承知の上、逆のパワーを持たなければいけないと思うし、そういったエネルギーを求めてまたいろいろなところを旅するようになっているのかなぁとも思う。おそらく、そのなかで最も重要なバンドのひとつがイタリアのバンダ・バソッティと彼らを取り巻く仲間だろう。だからこそ、彼らから呼ばれれば、どこにでも出ていくし、呼ばれなくても声をかけることもある。なんでも2月にはほぼノンストップで20日間にわたって、彼らがドイツをツアーするらしく、できれば、それに同行してツアーのドキュメントを撮影し、レポートできないかなぁと考えているところだ。まぁ、その前に、少しでもイタリア語を話せるようになった方がいいのかもしれないけど。あるいは、スペイン語かなぁ。英語だけでは、深い話ができないし、通訳が入ると、どうも核心にたどり着けないように思うことも多い。

 彼らを経由して仲良くなったバスクのフェルミン・ムグルザやカタロニアのバンドなど、そういった人たちにもエネルギーをもらい、去年の韓国で知った、全体主義の元でも戦い続けた、あるいは、したたかに生きてきたミュージシャンたちにエネルギーをもらえるように思える。日本でも淡谷のり子やフランキー堺の逸話にそれを感じてきたし、ずいぶんと昔になるけど、自分が翻訳した本、「音楽は世界を変える」をまた読み返してみる頃に来ているのかも知れない。

映画日本国憲法 気分が晴れないという事情には、日本人のアホさ加減にもあるように思える。まともな知性もない人間が、あたかも「知性があるように振る舞って」世の中が動かされているようにしか思えない。自民党もアホなら、民主党もアホで、宗教団体の公明党は確信犯で、それを支持しているのが国民だという、このアホさ加減。しかも、対抗勢力となるべき社民党や共産党だって硬直した「政治意識」に振り回されている。かっこよさで政治家を選ぶ人気投票が日本の選挙で、「改革」と吠えれば全てが許されると思っているおめでたい国民が住むこの国に、未来なんてあるのかい?アメリカの大統領にしっぽを振って、舌を出しておべっかを使っている「低能」首相を選んでいる国民が、「評論家」気取りで政治を語り、経済を語る。お偉いものだよ、あんたたちは。じゃあ、あんたたちの生活が少しでもよくなったのかい?貧乏人はどんどん貧乏人になり、弱者はどんどん弱者になり、「それはおまえのせいだ」と尻をたたかれ... そういった犠牲の下で「彼らと比較したら豊かだ」と思えることが幸せだとしたら、今の日本は士農工商の江戸時代以前に逆戻りだろう。よく考えてみればいい。日本で自殺した人の数が、イラク戦争で犠牲になった民間人の数と変わらない... っての、なになんだろうね?(アメリカ政府が出している数字は極端に少ない実体を反映していないし、これは民間人団体が調査した数。実際は、もっと多いだろうと推測される)「生きる希望を持てない」国にしたのは誰なんだい?

 しかも、まともに物言える状況まで潰しているのは?政府や権力者どもプロパガンダに振り回されて、「日本が嘆かわしい状況になったのは...」と、他人を攻めることに躍起になっている、お偉い政治家さんよ、それを作ってきたのはあんた達であり、最も責任を取らなければいけないのはあんた達だ?早く政治家を辞めろよ。その方がよほど世のためになる。そして、そういった政治家を選んでいる国民も、あまりにおめでたい。まともに食えなくなっている状況を作っているのは、あんた達が人気投票した「政治家」なんだよ。そんな政治家が「憲法が悪い。変えなければいけない」と、偉そうに言っているけど、その憲法を潰すための政治が戦後ほぼ60年間にわたって繰り広げられてきたんじゃないか?まともに憲法が守られてきたか?政治の歴史を振り返ってみれば、それが一目瞭然となるんじゃないのかい?そんな政治家達を選んでいる国民に愛想が尽きそうなのよ。

 どこかで瀕死となっている憲法がもうすぐ抹殺されるだろう。その日は、想像するより遙かに早くやってくると思っている。そして、そうなったとき、誰もが「それほどの変化」を感じないで過ごすことになるだろう。が、今の憲法下であっても、(それが憲法に違反しているにもかかわらず)表現の自由が奪われ、生存権が脅かされ、これほど経済がだめになっているというのに、軍備にだけは莫大な金が使われているのだ。これが変えられれば、我々は自分の権利を守るために「闘うすべ」までもが奪われていくはずだ。そうなったときには、すでに遅い。もちろん、そうならないために、ありとあらゆる方法論でなにかをしていくんだろうが、もしそうなったら... こんな国は、捨てた方がいいだろうなぁと思う。こんな悲観的な状況が「おめでたい」と心から言えない理由なんだろうと、思う。

 もちろん、自分が今も生きていること、少なくとも数百人がこのサイトを見に来てくれていること、そういったことに感謝をしなければいけないし、「生きていることだけで充分におめでたい」のかも知れない。でも、どうも晴れた気持ちでそういえない自分がいる。これでいいわけはないように思うんだが...


投稿者 hanasan : 18:20 | コメント (0)

2005年12月25日

ロックするソウル - 光明市ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル -

Hahn Dae Soo 10月の頭に韓国に飛んだ。それはインディーを中心とした、初の大規模なフェスティヴァルと言われている、ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル'05を取材するのが理由で、その結果はこちらに記している。と言っても、このときは、写真の撮影を中心に作業をして、本来の「ものを書く」ことはしなかった。Smashing Magの若手のスタッフを同伴して、彼にその作業を任せたからだ。

 彼のレポートは、「イントロダクション」としては、かなりの内容だと思った。実際の取材を受けて、限られた時間でかなりの資料を読み、情報を得て、「感想文」に肉付けがされていたことは十分に評価したいし、これからさらに深く掘り下げた取材ができるはずだ。大いに期待したいと思っている。自分が始めたSmashing Magは、当初、単純に「発信する人」「情報を受け取る人」と言った旧来のメディアのあり方を覆そうという目的を持っていた。インターネット時代のメディアとして、誰もが情報を発信することができて、多くの人たちに伝わることが必要だと思う。そのプロセスで、才能を秘めている若い人たちにチャンスを与えて、育てていきながら... と言えば、傲慢かもしれないが、写真家として、ライターとして成長してもらって、Magを「新しいオルタナティヴなメディア」に位置づけられるようにしたいし、旧来のメディアにはなかった視点を前面に出せるものにしたいと思っている。ある部分についてはうまくいっていると思うんだが、なかなかどうして簡単にことは動かない。加えて、運営について資金的な問題とか、解決していかなければいけない問題が山積しているなぁというのが現状だ。

 と、まぁ、そういった話は、また別の機会にするとして、今回の韓国取材は、自分に全く新しい世界への扉を開いてくれたように思える。それを象徴するのがこの写真のシンガー&ソングライター、ハン・デー・スー(公式サイト)との出会いだろう。といっても、彼とはまだ話をするチャンスを得るには至ってはいないんだが、おそらく、彼もディランズ・チュルドレンなんだろう、60年代終わりに歌い始めた多くのミュージシャン、シンガー&ソングライターがそうだったように、彼の歌の世界からそれを感じることができた。さらに、ディランを逆ぼってたどり着く、ウッディ・ガスリーにもつながるように思える。このフェスティヴァルでも「ホーチミン」という声が聞こえているんだが、彼が歌い出したあの時代、世界は同時進行で揺れ動いていた。そのあたりをも含めて、75年以前の韓国の音楽状況を彼にいろいろと尋ねてみたいと思った。

Youngbloods といっても、この時点で彼に対する知識はほとんどなかった。帰国してから、彼のことをネットで調べて、ある程度の知識を得ることになるんだが、それによると韓国の軍政に迫害された彼は、韓国を離れて20年ほどアメリカに住んでいたという話が出ている。そんなこともあって、数枚手に入れた彼のアルバムには英語で歌ったものも数多く収録されていて、その中に、自分の大好きなヤングブラッズの「Get Together」(The Essential Youngbloodsに収録)のカバーをみつけることになる。いわゆるヒッピー賛歌というか、フラワームーヴメントがそのピークを迎えていた頃、彼らのアンセムのようにして歌われていたのがこの曲。おそらく、彼はそういった世界に大きな影響を受けているんだろう。自分よりはわずかに年上だと思うんだが、そこに同年代のつながりを感じるのだ。

 といっても、第二次世界大戦後、韓国は日本で言うところの朝鮮戦争(韓国では625事変と呼ぶらしい)を経ている。日本はこの戦争によって景気回復して、70年代の高度経済成長時代を迎えることになるんだが、実に皮肉だと思う。これだって、朝鮮半島の日本による植民地化に端を発しているのであり、日本はこの事態に責任を負うべきだし、同時に、ソヴィエト連邦、中華人民共和国を中心とした社会主義国陣営と、アメリカ合衆国、イギリスに代表される資本主義国陣営も責任を持つべきだろう。いずれにせよ、3年間の戦闘で約400万人が犠牲になったという情報もある。また、この戦争と東西冷戦で日本をアメリカの傘下におくために、連合国側(特にアメリカ)の戦犯追及が和らぎ、これが契機となって日本はサンフランシスコ講和条約を締結して、独立することができるのだ。が、同時に日米安全保障条約を結び、日本は実質的にアメリカの半植民地的な立場を持つようになる。ほぼ時を同じくして、自衛隊の前身が生まれ、日本の再軍備が始まっている。本当は、朝鮮戦争で極秘裏に海上保安隊が軍事行動に関与していたとされているが、表立って日本が軍事行動に加わることができなかったのは、どう考えても日本国憲法のなせる技だろう。同じような憲法を持つこともなかった韓国は、結局、この後、ヴェトナム戦争にも参戦し、数多くの兵士が殺されているんだが、こういった過去を振り返ると日本の平和憲法が日本を守るためにどれほど重要な役割を果たしているかが理解できる。それを変えようとしてる自民党、民主党が今後の日本にとってどれほど危険かは容易に想像できるだろう。

日韓音楽ノート おっと、話がそれてしまったが、朝鮮戦争が一応の終止符を打ったのは53年。48年から李承晩(イ・スンマン)が初代大統領となって反共を核にした強権政治が、60年の四月革命で幕を閉じ、しばらくの後、クーデターが起こり、朴正煕(パク・チョンヒ)の軍事独裁国家へと変遷していく。といっても、このあたりになると資料で読んで得ている知識程度で詳しくは知らない。が、いずれにせよ、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)から、全斗煥(チョン・ドゥファン)という流れの中で、経済的には大きな成長を得たんだろうが、様々な言論弾圧が繰り返され、韓国文化の暗黒時代があった。特に75年からは大幅な検閲が始まり、ロックやフォークといった音楽が抹殺されることになる。と、このあたりの話は地元韓国の人たちにも話を聞いていたし、一応、検閲が幕を閉じるのは95年。韓国のインディ・シーンが生まれたのはこのころであり、オルタナティヴな韓国のシーンが表立って語られるようになったのはこのころからだという。

 そういった情報を得るのに、有益だったのが日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追ってという本だった。著者は在日三世だという姜信子で、日本人でもなく、韓国人でもないという立場から、韓国の音楽にスポットを当てて書かれているんだが、これでかなりの情報を得ることができた。政治的な背景などはいたく参考になるし、大まかな韓国の大衆音楽の系譜がこれでだいたい理解できる。一方で、「日本」と「韓国」に対するこだわりを超えて、同時代音楽としての文化をもっと掘り下げてほしかったという想いもあるが、それは彼女の目指していたことではないんだろう。それはまた違った人間がアプローチすべきなんだろうと思う。

 いずれにせよ、この本でもハン・デー・スーのことは記されているし、(といっても、この表記はHahn Dae Sooという英語からのもので、彼女はハン・デ・スと書いていたように思う)彼女にとってこのミュージシャンがいかに大きい存在だったかということも伺い知ることができた。面白いのは、この本で見つけたShin Jung Hyunのこと。韓国ロックの父だという彼のアナログ盤を復刻している人と、今回の旅で出会い、それをたまた受け取っていたんだが、その彼のこともこの本には記されている。彼がMenというバンドを率いて、60年代から活躍していたということなんだが、この音にジャックスやはっぴぃえんどとの接点を感じざるを得なかった。

 いずれにせよ、ここから韓国ロックのルーツに大きな関心を持つようになるんだが、これは、まだ後日記してみようと思う。



投稿者 hanasan : 11:29 | コメント (0)

2005年12月18日

壁の向こうになにが見える? - ベルリンとバンダ・バソッティ -

Berlin ベルリンに飛んだのは11月24日。その日と翌日、SO36という小屋でPunk Italia '05と呼ばれる小規模なフェスティヴァル... というか、数多くのバンドが出演するイヴェントが開催されて、バンダ・バソッティがヘッドライナーを勤めるというので、彼らのレーベル、グリダロ・フォルテからお呼びのかかったのがその理由。なんと、彼らが経費を出してくれて、写真を撮影できるというので、大喜びで出かけていったわけだ。その時の話はすでに、こちらで書いているので、それを読んでもらえればと思うんだが、まずは、驚かされたのがその寒さ。日本が、この時点ではまだそれほど寒くなかったこと、それに、大好きなMA-1を持っていけばなんとかなるだろうと思っていたのが甘かった。なにせ、数年ぶりの寒波がこの時、ヨーロッパを襲ったということで、寒い寒い。Tシャツを2枚ほど重ね着して、その上にパーカーを着て、MA-1だったんだけど、それでは全然太刀打ちできなかったというのが正しい。まぁ、それしかなかったから、なんとかしなければいけなかったんだけど。

 その寒さと共に、やはりなにかを感じざるを得なかったのが「ベルリンの壁」だった。宿泊したのが、あの悪名高い壁の最後の一部が残されているイースト・サイドで、宿泊したホテルの窓からそれが見えるのだ。文字通りイースト・サイド・ホテルと呼ばれるそのホテルの看板は、あの壁に描かれている落書きのオリジナルとなる写真。旧ソヴィエト連邦のトップ、ブレジネフと、東ドイツのトップ、ホーネッカーが熱烈なキスをしているとしか見えないもので、おそらく、これを使っているのは、あの時代の狂気をあざ笑う意味もあるのではないかと思う。1泊25ユーロのこの安宿の階段には、89年11月9日の、壁が壊された日の写真が飾ってあって、すでに15年以上が過ぎた今、あの狂気が観光資源になっているという皮肉な結果生み出している。実際、壁を売っているという話も聞いたし... なんてこったい。

Berlin ライヴが行われたのはクロイツベルグというエリアで、今やさまざまな人々が、ヨーロッパで最もエキサイティングなのは、ロンドンやパリではなく、ここだと言っているらしいんだが、それはほんの数日ここにいるだけで直感できたように思える。人種のるつぼで、雑多な要素が共存しながら「新しいヨーロッパ」を目指しているように思えたものだ。

 ライヴの撮影は25日で、この日のライヴで嬉しかったのは、バンダ・バソッティが想像を遙かに超える人気ぶりだったこと。そして、このイヴェントを主催しているマウロという人物に出会えたこと。なんでもイタリアン・レストランも経営しているらしいんだが、そのレストランにはこの街にやってきたさまざまなミュージシャン達のサインがの残されていた。そのなかのひとつ、フロッギング・モリーはバンダ・バソッティにぞっこんらしいんだが、そのフロッギング・モリーほどには、おそらく、バンダ・バソッティが日本やイギリス、アメリカでは比較にならないほど無名だというのが面白くない。まぁ、どうせ、日本人なんぞ、こと音楽に関する限り、所詮はアメリカやイギリスにしか目を向けようとはしていないんだから、仕方がない。なんと、了見の狭いこと。まるで「アメリカこそが世界だ」と思っているアホ首相と変わらない人種が「ロック界」でも幅を利かせているからかねぇ、日本じゃまともな「視点」も持てない消耗品でしかない歌しか生まれないんだろうなぁと思う。

Berlin そのレストランにはチェ・ゲバラの写真なんかが飾ってあって、おそらく、それがマウロのちょっとした意思表示なんだろうと思えた。もちろん、彼の肖像なんてファッションのようなものだといえばそれまでだけど、どこかにオルタナティヴな空気を感じさせる。タイミングがいいというかなんというか、たまたま成田で買った文庫本が冒険者カストロで、「なんか、はまっているなぁ」と思ってみたり。

 そのマウロが面白かったのはバンダ・バソッティが演奏を終えたときかなぁ。当然のようにアンコールをやって... それでも鳴りやまない拍手に、CDを流しながらオーディエンスとバンドが一緒になって大合唱をしたり、ヴォーカルのピッキオやシガロ、それに、ギターのスコーパまでもが、そのオーディエンスの並にダイヴすることになるんだが、この時、一緒に担ぎ出されて、会場を埋めていたオーディエンスの上を1周したのがマウロ。並のプロモーターがこんなことをするわけがないし、それだけでも彼の「いる場所」がわかるのだ。さらには、バンドがすでに機材を片づけ始めていたというのに、マウロはオーディエンスの要求に応えようと、バンドに声をかけていたのにも驚かされた。職業的なプロモーターがこんなことをするわけがないし、日本じゃ、あり得ない。結局、オーディエンスはバンダ・バソッティの大昔の曲、「Figli Della Stessa Rabbia」を合唱し始めて、機材がなくなり始めた舞台に上って、それを一緒に歌い出したのが、ピッキオやシガロ。久々に、本当のアンコールをみることができた。それがドイツで起きているというのが面白いし、バンダ・バソッティが多くの人たちによってサポートされているのを再発見したという感じだった。

ペッカー ちなみに、彼らの前作「アシ・エス・ミ・ヴィダ(これ、俺の人生)」も、その前の「アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア」も、アマゾンで購入可能なんだが、最新作で、自分がライナーを書いた(あるいは、誰に書ける人間がいなかったようで、締め切り直前に書かされたという方が正しい)「Amore E Odio」が全然入手できないって、どういうことなんだろうなぁ。フジ・ロックを前にしてリリースしたというのに... それに、このレーベルの他の作品は買えるというのに、どういうことなんだろうなぁと思う。

 と、このあたりから、本当は、その後移動したロンドンで買ってしまったDVD、ロジャー・ウォータース中心として開催された90年のザ・ウォール・ライヴについて書きたかったんだが、ちょっと長すぎるというので、それはまた次回ってところでしょうか。



投稿者 hanasan : 22:36 | コメント (0)

2005年11月17日

縁は異なもの... でも、つながる - Royal Crown Revue -

Royal Crown Revue 実は、ロスについたその日、9月4日の夜にウイリーの友人のドラマーがやっているバンド、Royal Crown Revueが、けっこう有名な(らしい)スイング系のクラブ、the Derbyでライヴをやるという連絡を受けて、「じゃ、写真を撮ろうか?」なんて言っていたんだけど、結局、できなかった。というのも、日本を離れる前日、同じく友人のドラマー、沼澤尚君と、彼の友人、マルコス・スサーノのセッションがあって、深夜1時に始まったそれを見終えて帰宅してから荷造りと更新作業をしていたら、徹夜になってしまったのだ。フライト前というのは、たいてい徹夜で仕事をして、空を飛んでいるうちにぐっすり寝るというのがいつものパターンなんだが、今回のシートが最悪で、足は伸ばせない、肘を置くところも固定で動かせない... というので、全然寝られなかったのだ。

 基本的にチェックインするときに選ぶシートは足を伸ばせるところ。"It would be nice to have large leg space"なんぞというんだが、たいていは出入り口のそばで、ここだったら、足を伸ばせる。ゆっくりと寝ることができるのだ。それに、スチュワーデスの座るシートの正面となって、実は、会話が弾むこともある。(まぁ、寝てばかりなので、ほとんどそういったことはありませんが)それでも、この窓側は、非常ドアの出っ張りがじゃまになって、その通路側がエコノミーの、自分にとっては特等席になる。が、今回、行きのフライトでその座席がいっぱいで、仕方がなく、一番先頭、ビジネスとの壁の場所を選んでしまったのだ。一応、レッグ・スペースは広い方だという説明を受けてそうしたんだけど、どうなんだろ、ほとんど変わらなかったように思える。加えて、肘を置く部分が固定されているものだから、窮屈で仕方がない。フライトの時ばかりは小柄の人がうらやましいと、本気で思う。(あと、小さな小屋のフォト・ピットで撮影するとき。じゃまだからといって、髪を引っ張られたり、頭を殴られたりってこともあるから)で、結局ほとんど寝られずじまい。

 そのせいもいもあって、ウイリー宅について、久しぶりだというので、いろいろ話をしたあとに、ちょっと昼寝しますわ... といって寝たら... 起きなかった。というか、一度、ウイリーが起こしてくれたんだけど、「無理しなくていいから」なんていってくれたものだから、「悪い、だめだわ、これは」と、結局、翌日の朝までぐっすりと寝てしまうことになる。なんと睡眠時間17時間。すげぇ!自分でもこれほど寝ることは珍しいのだが、これって、グラストンバリー以来だと思う。だいたい、海外に行くとよく寝るという習性があって、興奮するどころか、仕事のプレッシャーから解放されて、ストレスがなくなるんだな、おそらく。

 で、申し訳ないんだけど、このバンド、Royal Crown Revueを撮影することはできなかった。でも、その翌日、ウイリーがビッグ・ウイリーズ・バーレスクとして今年のフジ・ロックで来日したときのメンバーと一緒に演奏しているレストラン、Chaya Brasserieに遊びに行ったとき、あのバンドのドラマー、Daniel Glassもやってきて、話をすることになった。

Bloodest Saxphone その時、彼らが何度か日本に行ったことがあって、ザ・トラヴェラーズやブラッデスト・サクソフォーンと一緒にやっているという話を聞かされたんだが、実を言えば、ブラサキ(後者の通報です)の甲田くんが、いつもライヴに誘ってくれているんですね。それなのに、タイミングが悪くて、全然見られない状態が続いているという... しかも、今回は、ちょうどこの日に東京で、この新しいアルバムを発表してのツアー・ファイナルを迎えていたわけで... ところが、あまりに忙しくて、メールに返事をすることもできず、ロスに飛んできてしまったといういきさつがある。いやぁ、申し訳ない。彼がここをチェックするとは思わないけど、ごめんなさいね。(ちなみに、ブラサキのこの新しいアルバム、歌は下手だけど、1曲だけ歌ものが収録されていて、裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」なんだな、それが。アイデアはいいなぁ。こういった曲をピックアップしてくれたことは嬉しいなぁ... もうひとつなにかがあれば嬉しいんだけどなぁ)

 まぁ、そうやって考えれば、ロスでも東京でも同じような仲間のバンドに不義理をしたことになる。ダメだなぁ... なんて思います。両方ともスイング・ジャズををベースにしたコンボで、レトロな風味が大好きではあるというタイプ。20年ほど前に、ちょうどロンドンでジャズが再発見されていった頃、ロンドンで同じようなバンドを取材したことがあって、シュヴァリエ・ブラザーズ、レント・パーティ(この2枚は当時、ビクターから発売されたはず)、ビッグ・タウン・プレイボーイズ(ジミー・ページか、ロバート・プラントだっけかと、ジェフ・ベックと仲良しじゃなかったなぁ)あたりがその流れにはいるのかなぁ。そういったスイング系のシーンが、おそらく、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーの影響なんだろうけど、アメリカでも大きくなっているようで、いっぱいいるんだとか。

 こういったシーンはとても健康だと思うし、ライヴでの楽しさは格別。なにせ元々ダンス・ミュージックだったジャズの面白さを十二分に抱えている音楽だから、楽しくないわけはない.. といった趣なのだ。どこかで「お偉くなったジャズ」に欠けていたものを全て彼らが持っているという感じで、好きなんだが、同時に、どこかで「昔と同じじゃん..」という気持ちになることもある。そこに、どうやって「自分たち」の時代や存在が組み込まれていくのか? そんなあたりが鍵になるんじゃないかなぁと思う。そうじゃなければ、踊りのダシだけのバンドになってしまうかもしれないし... 

 ブラサキを初めて見たのは、勝手にしやがれがタワー・レコードの渋谷でイン・ストア・ショーをやったときの前座だったんだけど、この時はすごく面白いと思った。どこかで「いなたい歌謡曲的」ニュアンスが見え隠れして、ベーシックなサウンドとのバランスが微妙に面白く、楽しかったのだ。おそらく、演奏はうまくなっているんだろうけど、ただ「ジャズ」をやりたいんだろうかなぁ... と、以前見たときに思った。

勝手にしやがれ 一方で、勝手にしやがれの方は、元来パンクだったという、彼らのエネルギーが音楽そのものにもどんどん飛び出しているし、雑食なんだろう、いろいろなものを飲み込んでいる。実際、一番新しいアルバム、「シュール・ブルー」(だったと思う)では、一度、ドラマーの昭平君に貸してあげたフランキー堺の名作「この素晴らしい世界」からアイデアをいただいたなんて話も聞かされているし、彼がアストル・ピアソラ(最初に聞くなら、「ラ・カモーラ」かなぁ)からブリジット・フォンテーヌ(「ラジオのように」が名作よ)まで、とてつもなく個性的なアーティストの音楽を吸収しながら、「勝手」の味を作り上げているのが伝わるのだ。加えて、演奏ではメンバーが「エンターテインメントじゃん!」という姿勢と、パンクのエネルギーをごったにして見せつけてくれる。何度見ても飽きないし、彼らのパワーが大きくなっているのがわかる。今の彼らを見ていいて思うのは、まだまだ可能性を秘めていること。そして、まだまだ大きくなるんだろうってこと。別に売れたからいいわけじゃないけど、こんなバンドはもっと売れてほしいと、常々思うのよ。



投稿者 hanasan : 09:16 | コメント (0)

2005年11月16日

なんて眩しい月夜なんだ

Paul Anka 今日の夜空は(といっても、まだ、朝になる前の夜空よ)雲ひとつない快晴のようで、満月がとてつもなく眩しく輝いている。ちょうど今、ゴミを捨てに行ったんだけど、あまりのまぶしさ、そして、夜空の明るさにびっくりしてしまった。

 その月の下にやたらにきらめくような光を放っている星があるんだけど、これって、なにだっけ? と、そんなことを思っていたら、頭のなかでこのアルバムが聞こえてきた。今回、ロスに行って、友人のウイリーが、奥さんに買ってあげたアルバムなんだけど、これ、こんな夜空の下で聞いていたら、ひとっ飛びに映画のような世界に放り込まれるってな感じ? 「ダイアナ」とかってポップな歌の世界でしか、ほとんど知られていないだろう、ポール・アンカが、ビッグ・バンドのジャズをバックに、めちゃくちゃおしゃれなスイング感いっぱいでロックの名曲を歌っているというアルバムなんだけど、これにははまった。車のなかで初めて聞くことになったんだけど、本当のビッグなバンドが完璧なアレンジで演奏し、それにのせて「ジャズ」としかいいようのない声があふれ出るように聞こえてくる。これ、一発ではまりました。

 しかも、ここに収録されている曲は、いわゆるロックのヒット曲ばかり。しかも、ニルヴァーナからボン・ジョビ、キュアー、オアシス... と、そんなのが、「ン?オリジナルって、っどうなんだっけ?」と思えるほどの完全なジャズとして演奏され、歌われているわけだ。実際のところ、そういったロックの有名な曲をあまり知らない自分にとっては、それとは無関係に素晴らしいジャズ・アルバムだなぁと感心したのが最初で、カバーだと知ったのは説明を聞かされてから。いやぁ、あっぱれです。

Barry Manilow しかも、このアルバムを発表しているレーベルはヴァーヴ。ダイアナ・クラールで大成功した老舗ジャズ・レーベルが、またまたやってくれたという感じ。これを聞いていて、思い出したのが、その昔、「コパカバーナ」というポップスのヒット曲しか知らなかったバリー・マニロウが作ったアルバム「2:00 AM Paradise Cafe」。結局、このアルバムも終生のベスト・ジャズ・アルバムということになってしまったんだが、これを聴いたときと同じような衝撃を受けたというか... なにせ、アレンジにしろ、ヴォーカルの表現力といい、もう、脱帽です!ってほどにジャズの魅力を全て詰め込んでくれているのだ。

 まぁ、あまりジャズなんて興味ないって人もいるかもしれないけど、いいよぉ、こうゆうの。たまには聞いてみればどうでしょうね?バリー・マニロウより、このポール・アンカの方がロック・ファンには入りやすいかもしれませんけど。なにもかくにも曲がロック・ファンにはなじみのあるものばかりなので。

 でも、それよりなにより、このアレンジ、演奏... 全てがすごすぎますなぁ、このアルバム。聞いて直ぐに買おうと思ったのって久しぶりです。まぁ、ちょっと気になるのは、アメリカ盤の輸入盤が最近、やたらに高いのって、例の輸入盤禁止の法律のせいじゃないのかしらってこと。アメリカの業者から直に取り寄せたら1800円(それに送料がかかるんだが)ぐらいだというのに、アマゾンでもアメリカ盤の方が日本盤よりも高い。そういったことに、最近、頻繁に気がつくようになったんだけど、こうやって「慣らされて」政治的な圧力を忘れさせられるのではないかと思う。どう思います?



投稿者 hanasan : 02:39 | コメント (0)

2005年11月15日

My Friend, Willie McNeilとKing King

Willie McNeil ロスに行って、お世話になったのはウイリー・マクニールの家。かつてジャンプ・ウィズ・ジョーイという、実にユニークなスカ・バンドの中心メンバーでドラマー。そのバンドで何度も来日しているし、80年代終わりぐらいからのスカ・ファンだったら、おそらく、彼らのアルバムも持っているかもしれない。オーセンティックなスカをベースとしながらも、ロカビリーからジャズ、キューバン・ミュージック的な要素も含みながら、独特のテイストを持っていたのが彼ら。そのファンも多かった。日本で最初に発表されたのは"Ska-Ba"というアルバムで、そのアルバムのライナーを自分自身とスマッシュの日高氏が書いていたように覚えている。

Jump With Joey その後、スキャタライツのアルバム・ジャケットをパロった... というか、そのままいただいた"Strictly for You 2"を発表して、すでに他界したローランド・アルフォンソや、トロンボーンの巨匠、リコ・ロドリゲス、それにウォーのロニー・ジョーダンなどをゲストに迎えて、名作、"Generations United"と続いている。その3枚はクアトロにライセンスされて、日本でもしばらく入手可能だったんだが、その後、99年に"Swingin' Ska Goes South of the Border"というタイトルで発表された作品は、残念ながら、日本では発表されなかったんじゃないだろうか。ウイリー曰く、これこそが自分たちにとって最高傑作だったと語っているんだが、実に残念だ。結局、これが最後のアルバムとなって、バンドの中心だったジョーイ・アルトゥルーダは映画音楽の方面に進み、ウイリーはキューバン・ミュージックに傾いていくことになる。

Jump With Joey といっても、その終焉からしばらくの後、ジョーイのプロジェクト、"Cocktails with Joey"をウイリーが手伝っていたこともあった。マーティン・デニーあたりのセンスにも近いエキゾチックなタッチを持ったこのアルバムも素晴らしかったし、自分の仲間内では、2枚目として登場した"Kingston Cocktail"の評価が異様に高かったのも覚えている。もし、チャンスがあったら、そして、あの、癖のある、ユニークなスカ・バンド、ジャンプ・ウィズ・ジョーイを気に入っていたようだったら、このアルバムは絶対にチェックしてほしいと思う。絶対に後悔はさせないから。確か、このアルバムには、本来、映画"ゲット・ショーティ"のために作られたという曲も収録されていたはずだ。なにが問題だったのかは覚えてはいないが、結局、それが使われることはなく、そのタイトルを「フォーゲット・ショーティ」とした、なんて話を聞いたものだ。

Solsonics その一方で、ウイリーはアシッド・ジャズに接近。(キューバ音楽に完全にとっぷりとはまる前のことなんですが)Solsonicsというバンドを作って"Jazz in the Present Tense"というアルバムを発表している。これは日本盤が発表されていて、そのライナーを書いているのが私です。なかなかいいアルバムで、これはよく聴いた。面白いのは、このバンドのメンバーとして、かつてフィッシュボーンのツアー・マネージャーをしていた日系人のジミー・スズキがメンバーとして加わっていたこと。この時も世の中って狭いなぁと思ったもんです。

 そういえば、実をいえば、ジョーイとウイリーのつきあいはめちゃくちゃ長くて、70年代終わりのロス・アンダーグランド・シーンで最も人気のあった3グループのひとつが、彼らの作っていたチュペーロ・チェイン・セックスというバンド。で、他の二つというと、フィッシュボーンとレッド・ホット・チリ・ペパーズということで、そのあたりからもウイリーのロスでの評価や立っている場所が想像できると思う。(しかも、このバンドの3枚目を今回、中古盤屋さんでみつけて購入しているんだが、そのなかにロンドンの仲間、ジェイソン・メイオールのクレジットがみつかる。この頃、ジェイソンはロスで映画の勉強や中古衣料の買い付けの仕事をしていたらしい。彼らのつきあいも長いのだ)

 で、この"Jazz in the Present Tense"を出した頃には、ウイリーはいろいろなところでその才能を発揮しているんだが、そのひとつがSkatemaster Tateというグループ。(メンバーだという説もあるんだが、確認してはいない)その音作りを手伝って、それが"Rebirth of the Cool"というコンピレーションに収録されているはず。(なお、このシリーズはめちゃくちゃいい。ジャズのティップを持ったいろいろな曲が楽しめる)今、手元にはアナログしかないんだけど、確か、このCDを買ったときに彼のクレジットを見たような記憶がある。その他、Guruが"Jazzmatazz 2"を出した頃には、そのドラマーとしてロンドンでライヴもやっていた。実は、この時の前座が大好きなベン・ハーパーで、満足にリハもさせてもらえなかったというのに、Guruたちを完全に喰ってしまったのがベン。いまだに、この時のライヴが、過去10年間で最高のものだと思っている。

 おっと、話がそれてしまったが、デビューする前にプロデュースをウイリーに依頼してきたのがグラミー賞を取ってしまった"オゾマトリ"。なんでもこの時は、「おまえたちはもう完璧だから、俺のプロデュースなんて必要ないよ」と断ったというんだけど、もったいない話だ。とまぁ、ともかく、いろんな意味で才能があり、ドラマーとしても屈指の存在がウイリーで、ロスで最も信頼できる友人のひとりが彼なのだ。

Willie McNeil その彼がジャンプ・ウィズ・ジョーイの頃からレギュラーとして演奏していたのがクラブ、キング・キング。といっても、あの当時のキング・キングはラ・ブレアにあったと思うのだが、それが一時閉店して、再び復活したのがハリウッド・ブルーヴァード。以前のキングキングはこぢんまりしていて、文字通り中華料理屋さんを改造して作られてもので、ステージの脇だったかに、龍が空を飛んでいるってな雰囲気の飾りがあったように思う。で、復活したキングキングは、以前のものよりも遙かに大きい。といっても、あの中国風味はそのままで、もっとおしゃれになった感じだ。

 なんでもロスではお皿を回すDJ主体のクラブはいっぱいあるんだが、実際にライヴを演奏して楽しめるようなクラブはほとんどないらしく、そんな意味でもここがライヴ・ミュージックにとってとても重要な場所となっているんだそうだ。そういえば、ロスについた翌日だったかに、ここで日本のバンドがいっぱい集まってライヴをやっていたという話も聞いた。

Willie McNeil で、そのキング・キングで毎週火曜日にライヴをやっているのが、ウイリーを中心としたSono Luxというバンドで、本格的なキューバン・ミュージック。なんでも、こういったバンドはいるらしいんだが、ライヴになると正装して行くのがスペイン語系の人たちの世界。だから、もっとラフな感じで、楽しくできるものを目指しているんだとか。しかも、9時から10時まではダンス・レッスンもあるようで、ちょうどウイリーたちがセッティングをしている間にそのレッスンの様子を見ることができた。まぁ、基本的にダンス・ミュージックで、バンドが演奏しても、それが最も大きな楽しみだというので、ステージを見て楽しんでいる人たちよりも、踊りまくっている人たちの方が多かったのが、一般的なライヴとの大きな違いだったが、この楽しい雰囲気はやみつきになりそう。なにせ、踊れなくても、自然に身体が動いてしまうのが彼らの音楽。キューバンミュージックやサルサあたりになると、ほとんど知らないんだけど、否応なしに身体を動かすというだけでも、彼らの音楽は素晴らしいと思うのだ。

 そんなに簡単にロスに遊びに行くこともないとは思うが、もし、チャンスがあったら、このキングキングには遊びに行って欲しいと思う。けっこうオルタナティヴなハリウッドが覗けると思うので。



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2005年11月13日

なんとなくロスまで

Michael John なんとなくアメリカに向かった。なんでアメリカか?っても、とりわけ大きな理由があるわけでもなく、フライト代が安かったから。それに、久しぶりにロスの友人を訪ねたかった。と、まぁ、それだけのこと。実を言えば、海外で友人の家に泊まることが多くて、下手をすると日本にいるよりもお金がかからないことも多々あるというので、格安のKorean Airを使ったんだが、たいていの場合、トラベルこちゃんという、けっこうふざけた名前のサイトで格安プランを探してチケットを購入することになる。今回は往復のフライト代が36800円なんだけど、結局、税金や燃料チャージ(ふざけてるよね、これ)なんてのがついて56000円強となった。でも、まぁ、いいや!と思って出かけたのだ。

 ところがこの格安フライト、ロスにつくのが朝の7時半。さすがにこの時間に友人に迎えに来てくれとは言えず、到着後、空港の外でタバコを吸っていたときに出会ったのがこのアルバムの主、MJ、マイケル・ジョンという人物だった。アメリカ行きのフライトって、ライターを持っていけないから、(しかも、到着した空港でも売っていない)誰かに火を借りることになるんだけど、なにやらのんびりとコーヒーにでっかいケーキのような代物をほうばりついていたのが中年のおじさん。ギターとちっさなスーツケースをそばに置いていたんだが、ちょっと話を始めたら「おまえ、どこ行くんだ」と尋ねられ、「ハリウッドの友人の家だ」と応えると「じゃ、一緒に来い」と、まぁ、そんな流れになってしまったのだ。

 で、どう見ても悪人面をしていないし、話をしてみたら、ミュージシャンだと言うし... というので、話に乗ったんだが、車を止めている駐車場でひと騒動。なんと、キャッシュが全然ないというので、そこまで送迎してくれたドライヴァーに払うチップもないという。結局、それを自分が払ってあげることになったんだが、さて、駐車場の料金をカードで払おうとしたらリジェクとされて... 「下手すると、俺が払うのか?」と頭のなかで悶々と考え出す羽目になる。そりゃ、ねぇだろう、そうしたら空港に戻って... なんぞと考えつつ、クレジット会社のカスタマー・サービスに電話してみたら?とアドバイス。すったぁもんだのあげく、なんとか、そこの払いはできることになって、移動を始めたわけだ。そして、その道中、自分が音楽関係のジャーナリストで写真家でもある旨を伝えると自分のアルバムを差し出して、聞くことになったのだが、これが全然悪くない。

 第一印象は、けっこうレイドバックしたシンガー・アンド・ソングライターといった感じで、曲によってはジミー・バフェットなんぞを思い出したり... ポコとか、ああいったウェストコースト的な響きのある音なんだが、なによりも思ったのは、ホントに同一人物かい?ってこと。なにせ、隣でおんぼろ車を運転しながらだみ声で話しているおっさんはどう見ても、うだつの上がらない中年男。ところが、アルバムから聞こえてくる声は、かっこいいのだ。しかも、バックのメンバーがいい。っても、名前を知っている人は誰もいないんだけど、メンバーのなかにはスパイロ・ジャイラなんてフュージョン系のグループに関係している人物もいるようで、なかなか面白い。

Michael John といっても、発表しているアルバムは2枚で、こちらは2004年発表最新作の「The Edge of the World」。もう一枚は98年発表と30年のキャリアで2枚のアルバムを発表しただけらしい。ベースを置いているのはコロラドで、どうなんだろうなぁ、音楽でメシを食っているようには見えなかった。

 それでも、このアルバムには「Die for You」という曲が収録されていて、これはどうやらイラク戦争のことを歌っているとのこと。やっぱり、ひさびさの、おそらくは8年ぶりのアメリカに来て最初に出くわしたのはブッシュ政権でのアメリカの影だったように思う。彼自身の関係者でイラクでなくなった兵はいないということだが、あの戦争に対する疑問を彼も抱えてたようだ。その話は、ここで数日間世話になった友人、かつてジャンプ・ウィズ・ジョーイというバンドで活動していたウイリー・マクニールとも繰り返すことになる。自分たちのまわりには誰ひとりとしてブッシュを支持している人間はいないし、彼のおかげでアメリカが世界の嫌われ者になったことを吐き捨てるように語るのだ。そして、西海岸にも東海岸にもブッシュのアメリカがないことを強調する。ただ、中西部などに行くと「バカじゃねぇか!」と思えるほどの「ブッシュのアメリカ」があるんだそうな。といっても、カリフォルニアでさえ、シュワルツネッガーを知事にしてしまっているんだから、西海岸がそれほどまともとも思えないんだけど... っても、この時の選挙でシュワルツネッガーの保守的な政策は全て否定されることになっただけ健康かもしれないが。



投稿者 hanasan : 12:34 | コメント (0)

2005年05月24日

わからんことが多すぎる

囚われのイラク イラクでは毎日のように幾人もの人たちが「テロ」の恐怖に直面し、殺されているという現状がある。いうまでもなく、ありもしない大量殺戮兵器をいいわけに、同時に、「証拠もないのに」テロリストを支援しているということを口実に米英軍が、不法な侵略をしたというのが、イラク戦争に関する見解なのだが、「テロ撲滅」どころか、それ以前の方が「遙かにテロは少なかった」という事実は否定できないだろう。というよりは、英米(そして日本やイタリアといった国々)による「侵略行為」が現在の混乱を生み出したと見る方が遙かに正当性を持っている。

 自明の理なのだが、「暴力は確実に暴力の連鎖を生む」わけで、ちょいと斜に構えていってみれば、「イラクに駐留している軍人が殺されようと自業自得でしょ」ということになる。それはファルージャ虐殺のきっかけとなった、警備会社の名を借りた私設軍隊のアメリカ人殺害だって、起こるべくして起きたものだ。当然ながら、殺人を正当化するつもりは毛頭ないが、どんな名目であろうと、現実問題として「軍事力で制圧した侵略者」を警備している人間が「兵士」であると認識されても仕方がないだろう。それに、そういった「私設兵士」を多用することで問題の政治化を避けようとしている英米政府のもくろみを感じざるを得ない。

 いずれにせよ、あまりに「テロ」事件が頻発していることで、よほど大きな事件でもない限り、そんなニュースがテレビでもあまり報道されなくなったし、新聞でもあまり触れられなくなっているように思える。同時に、僕らの感覚も麻痺してるのではないかとも思う。大物政治家や権力者が襲われたりするとニュースになるけど、実際のところは、その影で数多くの一般市民が殺されていること、そうではないにしろ恐怖におののき、人間としての営みを「普通に」送れないという事実を思うと胸が痛む。

 と思っていたら、イラクで日本人が捕まったという話が飛びだしてきたのが5月8日。なんでも元自衛官でかつてフランスの外人部隊にいたとか。でもって、イギリスの警備会社の社員となって、イラクに赴任していたということだが、結局は米軍の警備が仕事だというんだから、米兵の一部だといってもいい。彼のことで再び多くの人たちが騒ぎ出したとき、「日本人」というだけで大騒ぎをするメディアに、そして、我々にまた嫌な気分になったものだ。かつて人質になった安田純平執筆による『囚われのイラク』を読んだり、彼の講演会に出かけて話を聞いたときに、印象に残ったのが『あんたたち日本人は、日本人が犠牲になったから、ここにいるんだろ』と地元の人たちに言われたくだり。確かに、日本人が巻き込まれた事件が報道されるのは、当然なんだが、その裏で無数の人たちがもがき、苦しんでいることを、私達は事実として認識しているんだろうかという疑問がわき起こる。しかも、そのきっかけを作った米英軍の侵略行為を盲目的に支持して受け入れ、地元の人たちよりなにより、主に米政府の要請で自衛隊という軍隊を送り込んでいることが、その混乱に拍車をかけていることも見逃せない。同じだけの予算をもっと有効に使えば、日本や日本人はイラクの人たちにとって救世主にもなるというのに、結局は、『軍隊を送る』という『意図』に執着した日本政府の目指すところが『人道支援』だとはとうてい考えられない。

 まぁ、そういった話には食傷気味だが、わからないのは、ある時期から『とらわれの身となっている、あの日本人警備員(実質的には傭兵)に関するニュースがメディアから消えたこと。いっさい耳にしなくなったんだが、それはなにが理由なんだろうか?

映画日本国憲法読本 もともと、あの事件に関しては疑問ばかりが頭に浮かんでいた。ニュースが入ってきたとき、最初の人質事件の時のような「自己責任」バッシングなんてかけらも起こらなかったのが奇妙だ。なんでだろう。こんな人間こそ、「自己責任の問題」であり、殺されようが、消えてなくなろうが、知ったことじゃない。と、そういわれても仕方がないだろう。が、それが全く聞こえてはこなかった。それどころか、「自衛隊の精鋭だった」という、勇敢な兵士の顔ばかりが脚光を浴びていた。不思議だよな。日本人3名が人質になったときに起こったバッシングは政府が仕掛けたという説があるのだが、このあたりの動きを見ているとどこかに「かなりうさんくさいもの」を感じるのだが、みなさんはどう思ったんだろう。

 しかも、この人物は傭兵部隊にいたということで、「政府公認」で殺人訓練を受けていた軍人であるという点を考えると、一般的な常識を持って語れば、「犯罪人」だ。その昔、チャップリンが殺人狂時代で語っていたように、「ひとりを殺せば殺人だが、百万人を殺せば英雄になれる」という言葉で国家権力による戦争犯罪を糾弾しているのだが、「治安」を名目にさまざまな国に派遣され、そのお題目の下で人を殺す行為をする人間たちを、自分には健全な人間として受け入れられないどころか、犯罪人だとしか思えない。うちの近所には米兵のホテルがあるんだが、ここでアメリカ人を見るたびに、どこかで恐怖を感じる。もちろん、米軍基地のある街と比較すればなんでもないんだろうが、武器を持つものは、その時点で犯罪者であり、「恐怖」そのものであるという認識は変わらないだろう。

 なにがきっかけか、映画日本国憲法読本という本を読んでいて、我々日本が持っている憲法がどれほど素晴らしい「理想を現実にする力」を持っているかを再認識するに至るのだが、この理念に照らし合わせたとき、この人質を「海外で武器を携帯し、それを使用していいた人物」という意味で、犯罪人として引き渡しを求めることの方が遙かに合理的な解釈に思える。それとも、日本をでれば、なにをしても罪に問われないんだろうか?

 と、そんな疑問を感じていたら、この話題がメディアから一斉に消えてしまったことに再び恐怖感を持った。あれほど騒いでいたのに、その痕跡もないような状態が続いている。なんで? どこかで情報操作でもされているんだろうか。それが不思議でならない。まぁ、メディアに対してかけらの信頼感も持っていないし、かつての時代のように「大政翼賛会」時代のメディアが再び幅を利かせていると思えるのが今日この頃。自分の目と耳だけはとぎすましていなければ... と思うのだ。



投稿者 hanasan : 17:45 | コメント (0)

2005年05月18日

いい人ぶるの、やめてくれるかなぁ

友部正人 JR西日本の尼崎での事故のあと、まるでリンチのようにメディアや、どうでもいい普通の善良な市民が「あの日に遊んでいた」社員を叩いていることに、正直言って、頭に来た。本質的な問題に対する追求の必要性は、当然あるし、それが、結局は、企業としての姿勢の問題であるのは明らかだ。要するに、金さえ儲かれば、人間の命なんてどうでもいいのさ。労働者は、消耗される部品であって、問題があれば全部労働者に負わせればいい.. という姿勢がはなっから見えるから。

 でも、企業として、ああいった緊急時にどういった対処をすべきかといいことに関しては、当然、「想定範囲内」として準備されていなければいけないことだろうし、それを怠っていたのは企業の問題だと思う。が、同時に、同じ会社の社員だからといって、なんで現場から離れたところにいる社員までもが、酒を飲んでいたら、叩かれなければいけないのか理解に苦しむ。逆に、そういったことで彼らを叩いている人間の「非人間性」にあきれかえるのだ。そういうことを言っている、あんたたちは、あの日、一日中テレビを見て、「生のドラマ」を楽しんでいたんじゃないの?「何人死にました」「最悪の事故です」というニュースを見ながら、「かわいそうね」「JR西日本は最低ね」「ひどい会社ね」なんて言いながら、自分のことは棚に上げて「楽しんでいた」んじゃないのかな? それにいっさい目を向けることなく、善良な市民のふりをしている人間にとてつもない醜さを感じるのだ。

 それは、高校生の頃に聞いて、頭をぶん殴られた友部正人の歌、「乾杯」(にんじん収録)のまんまなのだ。

 あの歌は、連合赤軍が浅間山荘を占拠して、テレビとしては初めて「生の事件を」実況中継した時のこと。歌のなかで友部が歌うのだ。「メシ屋に入ったのに、注文も取りに来ない...」というくだりがあって、確か、人質に取られていたのが、ヤスコさんという名前だったと思うんだが、「みんな、ヤスコさんにだけはさわりたいらしい」でも、「通りで倒れていた浮浪者にはさわろうともしない」と、そんなフレーズがでてくる。「かわいそうだ」という善良な市民の声がそこらじゅうで聞こえてくるんだが、そういった善良な市民たちは、目の前にある現実にはなんとも思っていない。まだ10代の頃に聞いたこのアルバムが、おそらく、自分にとって、あれ以降の人生に大きな影響を与えることになるんだが、今回もあれと同じことを思い出した。善良な市民は「他人を攻めること」で自分を正当化しようとしているだけ。わずか数分の遅れで文句を言っていたのは誰さ?それをいつも要求していながら、いざ事件が起こったら、「非人間的だ」と善人ぶる「大衆」のいやらしさを思い知らされたという感じかね。

 まぁ、最も醜いのは、「ここぞとばかりにしゃしゃり出てくる」テレビのコメンテイターかなぁ。まるで、自分こそが世論で善人だという顔をして、弱いものいじめをして喜んでいるという構図に、胸くそ悪くなる。あの時のJR西日本職員の端っこにいる人たちの気持ちを考えたら、かわいそうだなぁと思った。彼らだって、奴隷のような扱いを受けている被害者だろ?そこまで追いつめられている弱者を捕まえて、「おまえは人間じゃない」と言える人間の非人間性になぜ気が付かないんだろうか... と、そんなことを思ったなぁ...



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2005年05月14日

20年なんてあっという間さ

Gaz Mayall The Ska Flamesが結成20周年ということで、それを記念して開催されたのが今年のDown Beat Rulerというイヴェントだ。実は、これ、かなり前から毎年開かれていたらしいんだが、全然知らなかった。結局、20周年という節目だということで、いろいろなところからまわりまわって情報が届いて、Smashing Magの取材を決定し、写真の撮影をしたのだが、よくもまぁ、こんなに素晴らしいイヴェントを作り上げたものだと感心した。会場は恵比寿ガーデン・ホールなんだが、ホールのなかではライヴが行われ、セットチェンジの間にDJがお皿を回すという構成で、UFOの矢部君や井出君とか、昔の仲間がいっぱい顔を見せいてた。

 ホワイエというか、ロビーでもDJセットがつくられ、その前でも1バンドだけだが、ライヴもあった。ちなみに、この時演奏していたのがLittle Fats & Swingin' hot shot partyというバンドで、これが素晴らしかった。ジャグ・バンドというか、スキッフル・バンドというか、そういった流れにあると思うんだが、今時(だからかもしれないけど)こんなクラシックな音を出すバンドがいるんだぁ... と、かなり驚いたし、楽しんだ。

 使っている楽器はウッシュボード(洗濯板)やウッショタブ(たらい)。っても、それがいったいなにのことなんか、わからない人の方が多いって思うし、今の常識じゃ、なんで?ってことになる。それが歴史なんだけど、要するに楽器を買う余裕のなかった貧しい人たちがこういったものを楽器として使って楽しんでいたわけです。それが音楽の流れを生み出しているんだけど、このほかにもジャグという瓶を使ったり、スプーンをパーカッションにしたりと.. ってのがあって、そのイギリス的展開がスキッフルなんかなぁなんて思ってるんだけど、それほど詳しくないのでわからない。(知っているひとがいたら、教えて欲しいなぁ)

 で、これを見て、20年来の友人、ギャズ・メイオールは、こんなバンドこそがフジ・ロックに出演すべきだと口にしていたんだが、その通り。苗場食堂あたりでこんなバンドが演奏したら、めちゃくちゃハッピーになるだろうなぁと思った。もちろん、ヘヴンあたりでも面白いと思うし、彼らのことはもっともっと知られてしかるべきだと思う。チャンスがあったら、ぜひ彼らを体験てほしいと思う。

Gaz Mayall で、この日は彼らの他にも、面白いバンドがわんさかいて、ホールじゃなくて、ルームの方ではへっこうヘヴィなサウンド・システムなんかも作られて、ちょっとした「都会のフェスティヴァル」ってノリが生み出されていた。これは、面白い。めちゃくちゃ面白い。本当はオールナイトでこういったものを楽しむことができて、出入りも自由になったら、最高だなぁなんて思っていた。

 加えて、スカフレイムスの結成20周年ということで、昔の仲間との同窓会といった趣もあり、懐かしい人たちにいっぱい会っている。まぁ、昔はへこへこしていた奴が、偉そうにしているのを見ると、人間の貧しさを感じて、嫌な思いをしたり... ってのもあったが、そんなのはひとりだけで、あとはみんな、相変わらずで、それぞれがそれぞれの世界をつくっていることが嬉しくもあった。

 今思えば、ちょうど20年前、85年の10月(だったと思う)にロンドンのクラブ・シーンを取材して、この時はじめてギャズ・メイオールに会っているんだが、これが全ての始まりだったように思える。今の若い人は全然知らないんだろうけど、この時代、日本に「クラブ」なんてなかったから。この言葉を使えば、誰もが思い起こしていたのが銀座のクラブ。笑ってしまうかもしれないけど、ホントだからね。近いものであっても、ディスコで、クラブじゃなかった。ところが、ロンドンでは...というか、イギリスではクラブを起点として、面白い音楽が再発見され、創造されていたことに衝撃を受けたというのが正解だろうな。それも含めて、80年から2年ほどイギリスに住んで体験した、あの国の文化のおもしろさがどこからでているのか... というのを掘り下げていったら、ここに突き当たったといえばいいのかもしれない。

IDJ クラブからジャズを再発見して踊り始めた人たちやDJの話は腐るほど書いた。それでも、いまだにアメリカではこの現象を理解していないらしく、5年ほど前にイエール大学の民俗学の教授とカムデンのジャズ・キャフで会ったときも、そんな話を教えられたし、ドナルド・バードとインタヴューしたときも、アメリカでのジャズに対する無理解にあきれているという話を聞いた。ところが、70年代後半から80年代半ばに、全く新しいアプローチ(実は、それこそが本来の姿だったと思うんだが)をはじめたのがジャズとは縁のなかった子供たち。あの時の衝撃は今も鮮明に覚えている。しかも、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズがジャズ・デフェクターズやIDJ(I DNACE JAZZ)といったダンス・グループと共演し、そこにラスト・ポエッツのジャラールが絡んで繰り広げたセッションは、革命的だったと思う。当然ながら、似たようなことが、おそらくは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴあたりの人たちの周辺で存在したんじゃないかとも想像するが、それがポップスの世界に広がり、大きな流れを生み出したという点でいえば、画期的な出来事だった。

 さらに、サイケデリックの再評価を試みていたのがドクター・アンド・ザ・メディックス周辺の人たちで、昔のブルースからR&B、スカといった音楽に夢中になっていたのがギャズ。そして、ジャズ関連ではポール・マーフィというDJがいたんだが、この話を、後に友人となったBBCのDJ、ジョン・ピールに話したら、「ロンドンのカルトDJみんなに会っているだ...」と驚いていたものだ。

 そんな取材を下に、クラブ・キングの桑原茂一氏やSmashの日高氏と一緒に企画したのがギャズ・メイオールとポール・マーフィというDJに、ダンサーとしてジャズ・ディフェクターズを招いて実現したのが日本で、はじめてのクラブ・セッションだった。面白いのは、どこでどう聞きつけたのか...(もちろん、自分自身もかなりプロモーションを手助けはしているんだが)原宿のラフォーレ地下で開かれたこのイヴェントに深夜を過ぎても長蛇の列ができるという現象ができたなんて事件もあった。

 この日はライヴが終わって、スカ・フレイムスの連中やギャズと一緒に朝まで飲んだんだけど、ギャズとはこのあたりの昔話で大いに盛り上がった。おそらく、彼にとっても、自分との出会いが、彼の人生を大きく変えたんだと思うし、それは僕にとっても同じこと。実際、それまで、日本なんて彼のなかでは全く未知の世界だったと思うし、毎年のように日本に来るようになるなんて思っても見なかっただろう。さらには、彼の弟と自分が兄弟のようにつきあうようになるなんて... 面白いものだと思う。

 さらに加えていえば、自分にとってはじめて手がける(日本でのマネージメントのようなもの)ことになる海外のバンド、ジャズ・ディフェクターズが来日してライヴをやったとき、前座として演奏をしてくれたのがスカ・フレイムス。実に、彼らとのつきあいも18年ぐらいになるのだ。

 と、まぁ、そんなことをいろいろと思い出すことになったのがこの日のイヴェントだったんだが、その20年があっという間に過ぎ去ってしまったというか... 毎日鏡で自分の顔を見ていたら、ほとんど気が付かないんだが、ジョン・ピールと一緒に写っている写真を見て驚いた。髪に白いものは全くなくて、がりがりにやせていて、実に「若者」っぽい。あっという間の20年、でも、とんでもなく長い時間の積み重ねがあるんだなぁと複雑な思いを持つことになる。人生ってのは、不思議なもんだねぇ。



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2005年05月09日

愛国有罪でしょ?

石原慎太郎 中国の反日デモにでてきた言葉、「愛国無罪」に笑った。如実に「愛国」の本質を突いていて、正直嬉しかったという方がいいかもしれない。「愛国」だったら「なにをやっても許される」っての?だから、みんな人を殺して、戦争やってきたってことだというのを証明しているようで、あの一連の動きを見ていて、「愛国心」なんて言っている連中の裏側がよく見えた。要するに、中国の首脳部と石原都知事の発想が限りなく近いということなんだろうと思う。

 一方で、支配構造なんて、「資本主義」という看板だろうが、「共産主義」という看板だろうが、なんも変わらないことも教えてくれている。中国のどこが「共産主義」や「社会主義」なのか、自分には全然理解できていないし、だいたいが日本と中国の人間に対する支配構造に関して言えば、それほど大きな違いは感じない。「少なくとも日本の方が自由にものが発言できる」といっても、現地に行けば、「捕まったら死刑になる」という表層の下で、ドラッグも自由にやっているし、売春からやくざまでなんでもそろっているのが中国。パンク・バンドだってわんさかいるし、クラブ・シーンと呼べるものがあるのかどうはわからないけど、レイヴ・パーティだってでっかいという話は地元に何度も足を運んでいたり、あるいは、住んでいた人間から聞いている。もちろん、田舎の方に行けば、とんでもなく原始的な噂が幅を利かしていたりというのも聞いているけど、下手をすると、日本の方が自由じゃないかもしれないってことは覚悟していた方がいいんだろうなぁと思う。

 当然ながら、教科書問題は理解できる部分も多々あるし、日本の政府がきわめて右傾化しているというのも事実だ。そうじゃなかったら、ビラを配って留置場にぶち込まれるなんて事態にはならないだろうし、多少過激なことを言っても袋だたきに合うことはないだろう。でも、そういった心配をせざるを得ないところにまで来ているということは、「右傾化」の証明以外の何ものでもない。

 が、一方で、結局、あの国で愛国が生み出したのは、都合のいい人種差別でしかないというのが正直なところ。経済がうまくいかなくなって、貧富の差が拡大し、社会なりに対する不満が鬱積すると、欲求不満のはけ口として「対象になる」のが、どこの国であろうと、たいていの場合がそれだ。そこに、いい「いいわけ」があるものだから、政府は政府でそれを利用して大衆の不満のガス抜きをして、同時に政治圧力として利用しようとするわけだ。そこに「愛国」という都合のいいものが用意されている。それだけのこと。

 「反日政府」と、正確な表現をしてくれたら、面白かったんだけど、そうじゃないところがミソで、逆に日本政府がこれで大きな収益を得たようにも思える。日本人の「愛国心」に火を付けることができるし、それはたいていの場合、こういったものへの反動として生まれるからね。このところ、しきりにこういった言葉や「日の丸」「君が代」がでてくるのは支配する側からすれば実に好都合だ。

 でも、いつも言っていることだけど、「愛国」ってのは、「愛民」に置き換えられるべきで、一般的に言われているこれは、いつも「愛政府」にすり替えられている。だからこそ、私ゃ、「愛国有罪」と言ってしまうのさ。それに加えて、人種差別の温床でもある。「自分の国を愛する」んだったら、「あなたの国も愛してよ」となって当然だろうに、日本はアメリカさんしか愛していないような... まぁ、あほくさい。

 それに、曲がりなりにも日本で「愛国」を謳うんだったら、日本国民統合の象徴である天皇の言葉を無視するなよ。と、そう思う。ことあるごとに、天皇が「強制はいけませんよ」と言っているのに、それを無視している人間がいるわけだ。石原都知事もそうなら「つくる会」のおえらいさんもそうだろう。昔はこうゆうのを「不敬罪」とかなんとか言わなかっただろうか。正直言って、天皇制なんてなくなればいいと思っているけど、人間として天皇はつくづくいい人なんだなぁと思う。当然ながら、会って話をしたわけでもあるまいに。単純に彼の発言を耳にして思うことなんだけど、彼はすごく「人間的な」人物だということが想像できる。こんなことを書いたら、右からも左からも叩かれるんだろうけど、今の天皇はいい人だと思うなぁ。天皇家の先祖に韓国の血が混じっていることを明言し、日の丸や君が代を強制したらいけませんよと、彼が「あえて口にする」意味は重い。それをきちんと受け止められない「右翼」に「右翼性」が見えないというのは短絡的か?(そうだぁ、てめぇはバカだという声が聞こえるなぁ)



投稿者 hanasan : 08:51 | コメント (0)

2005年05月07日

この訳詞には、やられたなぁ...

Carley Simon いつだったか、中目黒の運河沿いを花見気分で歩いていたとき、ちらっと目に入った店があった。窓にはカーリー・サイモンの『No Secrets』やニール・ヤングの『Harvest』、それに、The Bandの『Northern Lights-Southern Cross』のアナログのジャケットが飾られている。この時代にこの音楽ねぇ... 嬉しいなぁ... なんて思いながら、その時には足を踏み入れなかったんだが、先日、ひょんなことから入ってしまった。

 店の名前はBird Song Cafe (URLはhttp://birdsongcafe.oops.jp/) で、ここのblogにこの時のことが少し記されている。たまたま、エチオピア・レストラン、クイーン・シバのソロモンと一緒に出かけていったのだが、面白いのは、お店のお客さんが彼の友人で何年ぶりかで顔を合わせたんだとか。世の中、実に狭い。

久保田麻琴と夕焼け楽団 で、こういった好き者の店にはいると、ついついジョン・キューザックの『ハイ・フィデリティ』になってしまって、いろいろなミュージシャンの名前を出したりする。このあたり、本当に、音楽バカだと思う。そういえば、『スクール・オブ・ロック』でも、がきんちょにCDを渡しながら、「このアルバムのこの曲をチェックするんだぞ、この曲!」と勉強するようにすすめるあたり、実に... その「好き者の」気持ちがわかるのね。

 というので、なんだかんだとミュージシャンの名前を出して、なぜかその時、ローエル・ジョージのソロ・アルバム『Thanks I'll Eat It Here』を聴きたくなって...その名前を出したら、がさがさと動き出したのがマスター。で、しばらくしたら流れてきたのがリトル・フィートの曲で... 声は間違いなくローエル・ジョージなんだけど、全然聞いたことがなかったヴァージョン。なんだろうなぁ、と思って尋ねると、「実は、死ぬ直前に録音していたソロでのもの」ということ。詳しい話は聞いてはいないんだが、おそらく、ブートか、それに似たようなものじゃないかと思う。

 いずれにせよ、それがきっかけとなっていろいろと話をしたんだが、盛り上がったのが久保田麻琴のこと。この『The Lucky Old Sun』というアルバムのタイトル・トラックが以前から大好きで、たまたま入った店のマスターがそのアルバムを知っていたこと、加えて、この曲が好きだというのを知って、それがが嬉しくて、けっこういろいろな話をした。この曲、正確には『That Lucky Old Sun』で、Haven Gillespie / Beasley Smithによるもので(調べました)最初はFrankie Laineでヒットしたんだそうな。でも、自分のなかでは、Ray Cherlesのヴァージョンこそがオリジナルのようなもので、他にも、ルイ・アームストロングやフランク・シナトラのヴァージョンが有名らしいが、聞いたことはない。

Paul Williams そういえば、以前、友人で漫画家、イラストレーター、そして映画評論家の三留まゆみから聞いた話で、二人とも大好きなポール・ウイリアムス(大傑作『Old Fashioned Love Song』を聞きなさい)が来日していたとき、彼の父親の訃報が届いて、涙を流しながらこの名曲、「That Lucky Old Sun」を歌ったんだとか... いずれにせよ、名曲中の名曲。といっても、じつは、久保田麻琴がこのアルバムを発表したとき、そんなこと全然知らなかった。ただいい曲だなぁと思っていたんだが、年を重ねてからこれがカバーで、しかも、原曲の詩を訳して歌っているのがわかったという次第。英語が理解できるようになって、両者を比較すると、その訳の妙にいたく感動したというか... しかも、それを歌う久保田麻琴の声もなぁ、いいのよ。

 ただ、けっこう悲しい記憶も残っている。このアルバムが発表されたとき、大学生でありながら、岡山でプロモーターをしていたのさ。で、彼のライヴを企画して、金がないものだから、自分で照明もやって...(なんと、ピン・スポットをあてていたのが私なのさ)倹約したんだけど、あまりにも人気がなくて大赤字を記録。結局は、これが原因で廃業することになっている。そのおかげでプロモーション盤は当然として、おそらく、今ではコレクターズ・アイテムと化している45回転12インチのダイジェスト盤もある。(っても、人気がなければ意味がないとも思うが)そういった意味で、人生を変えてしまった1枚といってもいいだろなぁと思う。

久保田麻琴と夕焼け楽団 で、この『The Lucky Old Sun』は、当時大ヒットしていたイーグルスの影響なんだろう、ほとんどイーグルスみたいな曲が入っているというのが面白い。というか、つまらないというか... あくの強い夕焼け楽団が、かなり『売り』を意識していたんじゃないのかなぁなんて、当時は思ったものだ。でも、これに続く、『Second Line』では、強力にニューオリンズを意識した内容で、本来の彼らが戻ってきたと思えた。これ、名作です。嬉しいことにこれは今も入手可能なので、れこはぜひ聞いてもらいたいと思う。

 ということで、おそらく、また、Bird Song Cafe、たまには顔を出すようになるレギュラーの店になるかもしれないなぁと思う、今日この頃。実は、昨日の晩も立ち寄ってしまったのよ。



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2005年05月06日

999円の楽しみ

The Last Waltz 基本的に値段に弱いのは関西人の性か... というか、以前もこんなことを書いたなぁ。敷居値段が2000円だという感じだったと思うんだが、今回はそれをさらに下回る999円。ご承知のように、ネット関連の経費を浮かせるためにアフィリエイトというのをやっていて、このサイトから契約しているサイトに飛んでショッピングをしてくれるとわずかながらのコミッションが入るというシステム。今このサイトではそれをamazonとやっているんだが、そんなこともあって、よくamazonをチェックするわけだ。そうすると、否応なしにバーゲンものに目がいってしまって、値段につられてついクリックしてしまうようになってしまった。なにせ、1500円以上の買い物だったら送料もタダ。渋谷やら新宿に出かけて買うよりも遙かに安くつくのだ。しかも、発売前に予約するとDVDはたいていの場合、20%以上安くなるというので、ついついここで買うようになってしまった。

 で、みつけたのがこの999円シリーズのDVD。なんか、電車やタクシーでビデオ・レンタルに行くよりも買ってしまう方が安くつく。まぁ、プラプラと街を歩いていて、たまたまみつけて買ってしまったというのもあるんだが、その最初の1枚が『ファントム・オブ・パラダイス』だった。これは、大好きなシンガー&ソングライターのポール・ウイリアムスが主演して音楽も担当している作品で、まぁ、懐かしいという感じかなぁ。で、先日買ったのがオリバー・ストーン監督の『サルバドル - 遙かなる日々 - 』と、これだけだと送料がかかるので、なんとなく『霧の中で散歩』を買った。キアヌ・リーブス主演の、まぁ、ちょっとしたロマンスものなんだが、ほのぼのとしていて、30年代から40年だといったアメリカのヒスパニックの人たちの背景なんかが読みとれて面白かった。これで、999円だったら充分だろうと思ってチェックしてみたら、あるのね、面白いのがいっぱい。

Rocky Horror Picture Show 今回チェックしてみて、びっくりしたのはザ・バンドの『ラスト・ワルツ』や『ロッキー・ホラー・ショー』までがこの値段ででていること。これはたまらんぞ。おそらく、期間限定といった感じだとは思うけど、この値段にはなぁ... 実際、驚かされる。特に、こうやってネット・ショッピングが一般的になってきて、以前だったら都市部の輸入盤屋さんでしか購入できなかったものが地方でも簡単に買えるのも嬉しい。

 さらに、面白いのは、探してみると、『カサブランカ』や『アラバマ物語』あるいは、『素晴らしき哉、人生』といった、古典の名作が、なんと500円なんて値段ででているのがみつかった。まぁ、こうなると冗談みたいな感じで、これは両親のために購入しておくってあげた。でも、どれぐらいのクオリティなのかは全然わからない。これを実際に購入した消費者の言葉を見ると、かなり安く作っているようではあるけど、映画を見るという楽しみだけで考えれば充分だろう。

 で、こういった値段をみていて思うのは、「なんでこれがDVDだけなんだ?」ということ。基本的にはすでに映画として公開されて、充分な収益を上げている、あるいは、償却が済んでいるから、これが可能なんだが、音楽の世界でここまで思い切ったものがなかなかでてこない。廉価版の値段も1000円となると、かなりレアで、安くて1500円。DVDもCDも、生産コストは変わらないと思うし、ひょっとするとJASRACに対する著作権使用料がネックとなってこういう結果を生んでいるんじゃないだろうかとも考える。確証はないんだが、映画に音楽が使用される場合にはその使用料の支払い方が違うというような話も聞いた。あるいは、それよりも再販に絡むレコード会社の体質なのか、あるいは、単純に姿勢の問題なのか... そのあたり、知りたいなぁと思う。

 だってねぇ、値段が安ければ、気軽に音楽を聴けるようになる。それが音楽のマーケットをどんどん拡大する方法のひとつだと思うし、今のように3000円もするようなアルバム、何枚も買えませんから。同じ価格で下手をすると素晴らしい映画のDVDを3枚も買えるんでしょ?そりゃぁ、ないだろうって思うじゃないですか。おそらく、近い将来、ビデオ・レンタルもなくなって全てがネット経由で見るようなるはずなんだが、そうすればそうしたで、家にかさばるDVDもおいておく必要性もなくなる。もちろん、ヴィジュアルのおもしろさもあるから、パッケージ商品が消えてなくなるとは思わないけど、この値段がネックとなって、商品どころか、音楽そのものが消えてなくなる日の方がこわいなぁと思う今日この頃。

 さて、また、安くて面白いDVDで物色するか...



投稿者 hanasan : 12:59 | コメント (0)

2005年05月03日

いかん、渡が離れない

バーボン・ストリートブルース 結局、高田渡を送る会には出かけていくことができなかった。悔しかった。仕事のせいなんだが、自宅でコンピュータに向かい合い、原稿を書きながら、こんなことよりももっと大切なことがあるようにも思いつつ、単純に生活のための仕事もでないというジレンマにイライラしていたということか。

 彼の死のニュースを聞いて、アナログでしか持っていなかった『Fishin' On Sunday』のCDと同時にこの本、『バーボン・ストリートブルース』を購入した。それほどの分量がある本でもないので、一気に読んだのだが、ここでまた高田渡に惚れ込んでしまっていた。

 貧しくて仕方がなかった子供の頃の話から、10代の頃に三橋一夫さんと出会っていたこと。実は、自分にとっても、「歌」に向かわせた大きなきっかけのひとつが、彼の書いた『プロテスト・ソング』という本で、確か中学生の頃に読んだ記憶がある。ここで音楽が持つ力に圧倒され、その流れのなかで岡林信康といった人たちの作品に接することになるのだ。といっても、高田渡のアプローチには、すでにあの頃から、(まだ、彼が10代だった頃から)どこかでクールなスタンスがあったようで、直接的な言葉による表現の「嘘っぽさ」を感じていたことなども記されている。といって、他の人たちを非難しているわけでもないんだが。

 彼との年齢差はわずか6歳だというので、この本に登場する人たちにも懇意にしている人がいたり、同時に、同じ現場に自分もいたということで、大きな接点を感じていた。アルバムを通して知ることになった詩人の、山之口貘のことやら金子光晴氏との出会い、そして、永山則夫のこと... 自分も大好きだった『ミミズのうた』のことなども書かれているのだが、気になっていたものが全てここで語られていた。

 わずか1500円程度で買える本だから、少なくとも彼の音楽が好きな人にはぜひ読んで欲しいと思うのだが、この本が、いわゆる音楽関係の出版社ではなく、山と渓谷社から出版されているのが興味深い。音楽や歌と言った意味で、おそらく、とてつもなく重要なことが書かれているのに、音楽の出版関係の人にはそれが全く理解できていなかったということなんだろうか、あるいは、渡に経済性を全く見なかったということか... そうかもしれない。なにせ、4年ほど前に出版されているのに、今回買ったのは初版で... 全然売れていなかったんだろうと察する。

 でも、歌や言葉のこと、詩のことについて、渡が語る言葉は実に鋭いし、なぜ音楽なんだろう、なぜ言葉なんだろう、なぜ歌うんだろうといった諸々の、最も重要な部分が彼の口からすんなりと語られているのが嬉しかった。同時に、その本で「死ぬまで歌う」と書き、「酒が飲めなくなったときにパタンと死ねたら最高だと思う」というくだりがあって、なんだか全てを見透かしていたようにも感じる。まぁ、そのあと、ホルマリンならぬ、酒漬けにして保存していたら生き返るかもしれないとも書いているのだが、そんなことをしなくても渡は生きている。先日も、同世代の友人と話していたんだが、「渡が死んでから、渡ばっかり聞いてんねん」なんてことになった。死んでしまったことが、きっかけになって昔のアルバムを引っ張り出して聴いているという、自分の冷たさにもあきれるんだが、自分も同じようなもので、彼の作品の素晴らしさをいやというほど思い知らされているというのは以前書いたとおり。しばらくは、渡の歌がこびりついて離れそうにないのだ。



投稿者 hanasan : 07:38 | コメント (0)

2005年05月01日

小説より事実の方がよほどとんでもない

Jason and Gary その昔、自分が高校生だった頃に買っていたアルバムにJohn Mayallの『Moving On』というのがあった。すでに30年以上も昔のことなので、はっきりとは覚えてはいないんだが、けっこうジャズっぽいインプロ満載のアルバムではなかったかと思う。当然ながら、この当時に、自分が音楽関係の仕事をするようになるとは思っても見なかったし、(ミュージシャンにはなりたいという気持ちがなかったわけではないけど)このアルバムの主と結婚式で会うなんて想像もできなかった。

 ところが、それから10数年で彼の息子に出会い、それからまた数年後に彼の結婚式で親父である、John Mayallに会うことになるのだ。しかも、その日のディナー・パーティでとなりに座っていたのがフランク・ザッパの奥さんで、その時交わした会話が「何年か前にロスにある自宅に行きました...」という内容。86年だったかに友人の日高氏と一緒に来日公演の交渉に向かったことがあって、その時、フランク・ザッパ氏に会っている。(その時の話はここに詳細を書いています)なんでも奥さんとの話では、すでにこの時にザッパが自分の死を認識していたらしく、それを頭に入れてあの時のインタヴューを思い起こすと、とてつもなく深い話を彼がしてくれたことを再認識したものだ。

 そんな昔の話はさておき、息子のジェイソンとはまるで兄弟のようにつきあっていて、ロンドンに行くこと必ず彼の家に泊まる。嫁さんとも子供たちとも、けっこう家族のような感じで、前回ロンドンにいたときも、引っ越ししたばかりの家のペンキ塗りとかをやりながら、過ごしていたんだが、彼といると、とんでもない人間に出会うこと出会うこと。というので、今回もそんなことが起きた。

 例えば、頭の写真なんだが、これは彼と彼の友人、Gary Chapmanと映画を見に行ったときのもの。ちなみに、自分は覚えてはいなかったんだが、彼は僕のことを覚えていたらしく、なんと99年のフジ・ロックにスタッフとしてきていたんだとか。で、実をいうと、この映画、彼が監督した作品で、『valiant』というアニメーションなんだが、なかなか楽しかった。第二次世界大戦中に伝書鳩に志願した鳩の子供の物語。家族に見に行くタイプのもので、ハリウッド映画とは比較にならない低予算で仕上がっているんだが、もうひとつ人気が出ていない模様。だって、この時、公開して間もないというのに、映画館には数えるほどの人しかいなかった。なんかかわいそうだったけど、彼は気にしている様子でもなく、淡々としていたなぁ。

 で、その前日か前々日か、ジェイソンの兄貴のギャズに会いに行ったんだが、なんでもパーティにいるというので、そこに出かけていった。そうしたら、黒髪のだみ声の親父がしきりに自分に話しかけていて、「どっかで見たことあるなぁ...」と思っていたら、Alabama3というバンドのメンバーだというのをあとで聞かされた。まぁ、音楽関係の仕事をしているわけだから、こういった人と会うのは、当然といえば当然なんだろう。でも、そのあと、教えてくれたんだが、あの場所にいたひとりが、イギリス最大の(列車?)強盗の息子で... あやふやな記憶をたぐれば、おそらく、この親父の話が映画になっていなかったかなぁなんて思い出した。まぁ、とんでもない人間に会うものだ。

 それに、ジェイソンの新しい事務所の場所が、ほとんど映画の舞台のようなポンコツ車が集められた場所で、「あそこのコンテナで海賊放送やってるから...」なんて、ドアを開けて覗くと、若い黒人の子供たちがラップをやっている。どうやら、完全なおじゃま虫のようだったので、そのままそこをあとにしたんだが、車のラジオを付けると、その連中の声が聞こえてくるという... まぁ、わけわかりません。というか、こういった体験をそのまま凝縮して、ある種のストーリーを整理したら、完全に小説になっちまうなぁなんて思うのだ。

勝新太郎 その昔から、「事実は小説よりも奇なり」なんてことを言うんだが、先日、勝新太郎のこのアルバムを買ったとき、amazonのキャンペーンで「本と一緒に買うと500円のギフト券プレゼント」というのにつられて、『俺 勝新太郎—人生は回るフィルムのように』という本を買った。イタリアに飛んだときに読んだのだが、この人の人生も(多少の脚色があるだろうが)人生そのままが小説よりも遙かに面白い。なんだかんだといっても、生きているそのことの方が... といえば、語弊があるかもしれないが、少なくとも『本』を読んで世界を知ったかのような面をしている人間よりも、世の中に出て精一杯に生きている人間そのものにもっともっと大きなドラマも感じるし、地上に生きているひとりひとりの人間にそんなおもしろさを感じる。実際、fujirockers.orgの仕事で『普通の人たち』とのインタヴューをすることがあったのだが、彼らの人生の面白いこと。多くのことを教えられ、考えさせられる。本当は、『無名の人々』という本を書きたいと昔から思っているのだが、こんなもの売れるわけないから無理だろうなぁ... でもね、自分の隣にいる人、電車でたまたま会う人、交差点で立ち止まったときに隣にいる人、どこにでもいるどんな人にもその人にしか体験できないストーリーを持っているんだろうなと思うんですよ。これって、ヘンかなぁ...



投稿者 hanasan : 10:40 | コメント (0)

2005年04月22日

どんどんいなくなってしまうなぁ

Albert Ayler なにやら、どんどん人が亡くなっていく。先日も、高田渡のことを書いた。大好きなアーティストが亡くなっていくのは、寄る年波のせいで、おそらく、これからもどんどん増えていくんだろうけど、これほど続くと、毎回毎回亡くなった人のことを書かなければいけないんだろうかと思ってもしまう。それほど多くの、「気になる人たちが」この世とおさらばしている。

 数週間前は岡田史子だった。大学の頃、漫画にこっていた友人で、おそらく今は東北に住んでいる、もうやんに教えてもらったように思う。思うに、このもうやんは花登筐(はなと・こばこ)の小説「どてらい奴」に登場する主人公(演じたのは西郷輝彦)で、大阪の商人系のドラマがはやったときに一世を風靡したもの。彼はそこから名前をもらっていたと思うんだが、当時、ガロやCOMあたりにはまっていた学生が多く、その流れで彼から「少女漫画」、この岡田史子の作品を紹介してもらったのを覚えている。

Kenny Drew で、彼女の作品、「ガラス玉」を買って、独特の心象風景を描くこれを大切にしていたものだ。おそらく、家捜しすれば、どこかに隠れているはずなんだが、その彼女も亡くなった。

 で、今日、下北沢に向かった途中に買った夕刊でみつけたのがペデルセンの訃報。この人、確か、オランダ人じゃなかったかと思うが、名前がやたら長い。Niels-Henning Orsted Pedersenというんだが、ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンだっけか? いまだに正確に名前を読むことができない。ともかく、この人が亡くなったという記事を読んだ。

 巻頭に、おいているアルバムは、この世で最も好きなジャズ・サックス奏者、アルバート・アイラーの、なかでも大好きなアルバム「My Name Is Albert Ayler」で、ここでベースを演奏しているのがこの人だ。記憶では、確か、この時彼はまだ17歳ではなかったかと思うが、いずれにせよ、北欧系のジャズマンらしい音を聞かせる人で、学生時代に気に入っていたレーベル、Steeple Chaseで数多くの作品を残している。特に気に入っていたのが、アルバート・ヒースのペタペタとしたドラムスとペデルセンとのトリオによるKenny Drewのリーダー作『Dark Beauty』。これはよく聞いた。特に1曲目のベースで入るトラックなんてはまりますもの。それに、盲目のピアニスト、Tete Montoliuのバックでもかなりの作品を残しているし... まぁ、けっしてスターにはなれなかったけど、この人も、この世とおさらばした。

 本当は、詳しい情報を探したくてネットのなかを泳いでみたんだが、結局みつからず。それなのに、朝日新聞の夕刊に載っていたというのは... 自分の読み違いか、あるいは、担当者がこの人に思い入れを持っていたかどっちかだろうな。

 まぁ、死んで、こうやって誰にかに伝えられるってのは、まだいいけど、俺なんてどうなんだろうね。俺が生きていようが死んでしまおうが、おそらく、誰にも気づかれることなく、放っておかれるのではないか... と、そう思うことがある。今日も、たまたまメシを食う暇もなく、まるで深夜営業のゴミのようなジャンク・フードを喰わせる店でちょこっと食べなければいけなかったんだが、その店で老婆がひとりで食事をしているのを見たとき、なぜだか、無性に悲しくなった。一生懸命生きてきた老人が、たったひとりで深夜のこんな店で食事をしなければいけないって、どうゆうことさ?お年寄りを大切にしようよ。子供とか、旦那とか、孫とか、近所の人とか、誰かがいるだろうに。

 と、そう思っているそばから、はたと自分のことを考えてしまった。どこでどう間違ったか、ずっと独り者で、いまだに学生のような生活をしている自分こそ、ひょっとしたら、同じようなものかもしれない。まだまだ若いとは思っているが、今年で半世紀の年齢を迎えることを考えると、ああなることも近いんだろう。ブスでなんの甲斐性も取り柄もなく、性格も悪い、どうしようもない女でも嫁にすればいいんだろうか... と、ちょいと弱気になってしまったが、おそらく、数秒と持たないだろうことは火を見るよりも明らかで、同じく数秒で(正気)笑気に戻った。そんなことだったら、死んでも誰にも知られないでも、いいじゃねぇか。いつものように、俺は、吉永小百合と原節子以外はいらないよと、また開き直ってしまうのだ。



投稿者 hanasan : 00:42 | コメント (0)

2005年04月17日

高田渡様 ありがとうございました。

高田渡 唐突にやってくるのが訃報というやつで、今回、初めてこのニュースを知ったのは、仲間と始めた非戦音楽人会議のMLだった。当然ながら、これは「戦争を拒否すると宣言した人たち」のネットワークで、いろいろな情報を交換しているんだが、ここを通して第一報を知ることになる。なんでも16日の午前1時30分に釧路の病院でなくなったとのこと。一応、確認しないといけないので、一般メディアの情報をチェックして、確認したあと、Smashing Magで速報している。

 その後、札幌の仲間からメールがあって、詳しい情報を受け取っている。なんでも3日に釧路管内白糠町でライヴがあって、ちょっと足下がふらついていたらしいんだが、その日は15曲(なんでも、私が愛してやまない名曲、「生活の柄」も入っている)を演奏。そのあと、意識を失って病院に連れて行かれたらしく、そのまま意識が戻ることなく亡くなったとのこと。

Mississippi John Hurt かなり酒を飲んでライヴをやって... 居眠りをしてしまうといった伝説なども持っている方で、おそらく、かなり無理をしているんだろうなぁとは思ってはいたが、それでも、これほど若くして亡くなられるとは思ってもいなかったし、最近は、ある時期、かなりさけていたようにも思えた「政治的な色彩を持つ」ライヴにも出演していることを知って、さすがに「日本のウッディ・ガスリーだ」なぁなんて再認識していたところだった。

 私達のような世代にとって高田渡がどれほど重要な存在だったか... 言い尽くせないものがある。若かった頃は何度も何度も彼のライヴを見ているし、大学生の頃には彼の歌、「生活の柄」なんぞをフォーク・ギターを抱えて歌っていたこともある。今の自分しか知らない人には想像できないんだろうけど、おそらく、人生で最も好きなアーティスト、(それは、高田渡のルーツでもあり、彼の影響でもあるんだけど)Mississippi John Hurt(絶対に聞かなければいけない傑作がLast Sessions)の曲をコピーしたりしていたものだ。

高田渡 大好きだったアルバムはごあいさつで、これは何度も何度も聞き返した記憶がある。おそらく、彼を一躍有名したのは、単純に高田渡/五つの赤い風船と名付けられたスプリット・アルバムで、ここに収録されている「自衛隊に入ろう」が大ヒットしたのはご存じの方も多いだろう。最初、北海道の有線放送で火がついて、(自衛隊員が多いのだ、ここは)なんと防衛庁から「宣伝用に使わせて欲しい」と連絡があったとか。それは、高田渡とインタヴューした93年に直接話を伺っているのだが、「バッカだよねぇ、あいつら。ホントの話だよ」と話していたものだ。(ちなみに、そのときの話はこちらにアップしているので、読んでいただければと思う)ちょうどPKOのことで、自衛隊の海外派遣が議論されていた頃で、本当はこの時のインタヴューで彼は「派兵された自衛隊なんて、みんな殺されてしまえばいいんだ」と過激なことをおっしゃっていた。その彼がイラクに派兵された自衛隊のことをどう思っていたかは簡単に想像できる。しかも、憲法が改悪されようとしている現状に対してどれほどの思いを持っていたか... おそらく、最近、政治的な動きを見せ始めていたのはそのあたりに背景があるんだろう。

 一番最初に買ったのは汽車が田舎を通るその時で、これはあのスピリット・アルバムの後に発表された高田渡のデビュー・アルバムで、そこに続いたのが最も好きだったごあいさつ。「生活の柄」はここに収録されている。ホームレス(だけではなく、貧しきもの、そして、ウッディのような旅、生き方をする人)の悲しみや寂寥を歌ったこれは、レコードがすり切れるほど聞いたし、反骨精神で溢れた彼の名曲「値上げ」(とんでもなく素晴らしく簡潔なるも高級な詩だと思っている)に「失業手当」や「銭がなけりゃ」も好きだったし、「自転車に乗って」もよく歌ったように思う。それに、「コーヒー・ブルース」で覚えたのが京都の喫茶店で、そのおかげでその店、イノダに行ったこともある。

高田渡 ごあいさつの次に発表したのが系図という作品で、ここに収められている名曲「手紙を書こう」が大好きで... 連続射殺魔として、死刑宣告され、97年に処刑された永山則夫の書いた作品で、これをかつて共同通信でやっていた連載の最終回にちらっと使わせてもらったこともある。

「あて名のない手紙を書こう。まわりまわって戻らない...」

 正確には覚えてはいないが、そのフレーズがこびりついて、連載を通じて自分が書いていたのは、「あて名のない手紙」ではなかったかと思っていると締めたものだ。おそらく、獄中で文学者となった永山則夫が抱えたものを高田渡は理解していたんだろうとも思う。

 このアルバムを通して、永山則夫や金子光晴、それに山之口貘といった詩人を知り、ジョルジュ・ブラッサンスといったシャンソンの世界も教えてもらった。実に、高田渡はアメリカ民謡というトラッド・ミュージックをぱくってはこういった詩人の詩を歌にしていたというんだが、同時に、そういった人々の世界を飲み込んだ彼の詩もしみた。今では誰も覚えてはいないかもしれないが、高校生の頃か大学生の頃、「個人的理由」という彼の詩集が出版されて、当然のようにそれを買い、読んでいた。ひとつひとつの言葉の抱える意味の深さを、そして、「見方」「聞き方」を教えてくれたのも彼だったように思える。

 そのアルバムに山之口貘の「告別式」という詩を使った曲があるんだが、久々にこれを手にして思ったのは、ひょっとして、この詩の通りのことを、あの世で彼はやっているんではないかと思ってしまった。「お金ばかりを借りて、歩き、まわっているうちに、ぼくは、ある日、死んで、しまったのだ...」と始まり、「あの世も、この世もあまり変わりないような...」と終わるこれが、なにやら、今のワタルを思わせるのだ。本人は、きっと、死んだこともわからずに居眠りをしていて、気がついたら、あの世で、おそらく、同じように、世捨て人のような、それでいて、どこかに反骨精神を抱えながら、歌っているのではないか... と、そんなことを思ってしまうのだ。

 学生時代にプロモーターだった頃、彼のライヴを一度企画して、という傑作を録音した頃、20年ぶりぐらいに、今度はインタヴューで再会して... 以来、結局、接点が生まれることはなかったのだが、自分にとって、どこかで必ず戻っていく「歌」を聞かせてくれる素晴らしい詩人であり、アーティストであり、反骨の人だった。

 葬儀に行くことは、どこか自分のなかでは「高田渡的」ではないと思えるから、そうすることはないだろうが、彼には感謝しきれないほどのことを教えていただいた。本当に、ありがとうございました。あなたも、私の人生を大きく変えたひとりでした。ご冥福をお祈りします。



投稿者 hanasan : 06:42 | コメント (0)

2005年04月13日

敷居値は2000円かなぁ

POCO いつだったか、テレビで「敷居値」という言葉を聞いたことがある。例えば、誰かが「良心を感じていながら、悪さをしてしまう」という時に、ある種の敷居があって、それを越えてしまうと「まぁ、いいかぁ」と思っちゃうということらしいんだが、自分の場合、CDとかDVDを買うときに、「ま、いいかぁ、買っちまえ」と思ってしまう敷居値の値段が、これまでの傾向を分析にすると2000円を切ったあたりだというのがわかる。

 といっても、それは、単一のアルバムで、ちょっと気になるけど、絶対に持っていなきゃいけないものでもないし... ちょっと聞いてみたいなぁ... って流れにある作品で、このラインが2000円を切っているとけっこう手を出してしまうのだ。その結果、買ったのがこのアルバムで、自分にとってはちょっと懐かしいPOCO。といっても、このアルバムの場合、DVD(リージョン・フリーよ)とCDの2枚組で1900円弱というので、日本的な常識から考えるとめちゃくちゃ安い... というので、まぁ、ある時期のウェストコースとの音楽が好きだったら、買って当然でしょという値段なのだ。

 それに、(これは買った結果としてしか言えないことだけど)内容が素晴らしかった。なんでも、04年に行われたライヴで、オリジナル・メンバーのRusty youngとRichie Furayに加えて、少し遅れて合流したPaul Cottonが中核で、彼らの70年代末期のアルバム『Legend』が好きだった自分にとって、充分「いいメンバー」によるものになるはずだった。

POCO もちろん、結成時には後期Buffalo Springfieldのメンバーで、後にLoggins & Messinaを結成するJim Messinaや(Oasisが隠れた大傑作で、これは聞いて欲しいなぁ)、イーグルスに合流するRandy Meisnerがいるんだけど、実をいうとその頃の作品はそれほど聞いていなくて、はまりにはまったのは『Legend』であり、その次のアルバム『Under the Gun』もよく聞いていた。

 まぁ、このPOCOって、いなくなったのかなぁと思ったら、89年に『Legacy』でカムバック。っても、ほとんど再結成という感じだったのに、結成以来の大ヒットをとばしているんだが、どうやらこの時はPaul Cottonは不在。まぁ、メンバーが出たり入ったりしていたんだが、結局は、ラスティ・ヤングとポール・コットンを中心に地味ながらもずっと続いていたようで、しばらくぶりに聞いてみようかと、この「敷居値段」が理由で買った見たわけだ。

 そうしたら、複雑なんだなぁ... もちろん、いいのよ。ほとんど当時のままで同じように美しいコーラスを聴かせてくれるし、切ない響きを持つラスティ、ポール、リッチーのヴォーカルもそのまま。気持ちのいい、そして、もの悲しい名曲の数々は、自分にとって「裏」イーグルスであるPOCOの魅力を十二分に堪能させてくれるのだ。かなり懐かしいってのも否めないけど、派手な照明や効果もなく、ただいいメロディといい歌をいい演奏で聞かせてくれるという、「音楽ってこうなんだよね」ということを再認識させてくれるのが嬉しいのだ。

 ただ、音を聞いているだけなのと、映像を見るのはかなり違って... 映像で見るメンバーたちの「老い」には驚かされるのだ。みんな「おじさん」になっていて(当然なんだけど)そういった現実をつきつけられるのが、ちょっと寂しくもあったり... とはいいながら、逆に、そういったおじさんたちが昔と同じように歌えること、演奏できることに驚かされたりって感じでしたなぁ。

 で、話は元に戻るのだが、その敷居値のこともあり、2000円台後半のアルバムなんてほとんど買ったことがない。日本のアーティストのアルバムって、ほとんどがそういった値段で、おそらく、日本のミュージシャンをほとんど知らないのはそのあたりが原因ではないかと思う。

 ちなみに、値段が1000円を切ってしまう、おなじみの980円ものは、けっこう頻繁に買ってみたり... といっても、ちりも積もれば同じでけっこうな金額になっちゃうんだけどね。

投稿者 hanasan : 13:18 | コメント (0)

2005年04月10日

脱帽です、ありがとう

服部良一 まだじっくりとは聞いてはいないんだが、先日、このアルバムを買った。躊躇なく買った。というのも、日本のポップスの歴史を考えたとき、最も大きな功績を残した作曲家の筆頭が、自分にとってはこの服部良一で、大好きな笠置シヅ子を(一緒に)作った人物でもある。

 当然ながら、笠置シヅ子の3枚組のアルバム「ブギの女王」も持っているし、服部良一の3枚組のアルバム「僕の音楽人生」も持っている。さすがに、7枚組の超大作「オリジナル盤による服部良一全集 音楽生活70周年記念」には手を出せなかったが、この3枚組2セットも、躊躇なく買った。なぜなら、西洋の音楽、特にジャズやラテンを十二分に吸収し、オリジナルなものとして「日本的なるもの」を作り上げたという意味で、はっぴぃえんどと同様にとんでもない才能を持っている人物としてこの服部良一を認めざるを得ないからだ。

 まぁ、学術的な意味で買っただけだったら、「学究の徒」ってことなんだろうけど、そこにまるっきり興味がないと言えばうそになるけど、実際のところ、「嬉しい音楽」がここに凝縮されているというのがその理由だろう。音楽を聴いて想像する世界やイメージ、夢も希望もあり、親しみやすいメロディから、斬新ながらも、どこかで日常と直結している歌の世界を、おそらくは、試行錯誤しながら、そう、かなりの無理をしながらも、そうは感じさせないように作り上げた服部良一氏の才能に惚れ込んでいるということ大きな理由だ。

笠置シヅ子 ポップスがポップスとして、普通の人たちの「娯楽」から楽しみや悲しみを共有する何かとして、完成されていった時代の音楽として、録音の状態が原因か、今じゃ「先生」と呼ばれる人たちの歌に関していえば、まだまだ未完の(へたっぴぃな)人も多いことは認める。でも、その人たちの魅力を浮き上げる彼の作曲から編曲の才能は、おそらく、誰にも比べることができないほどの完成度を持っていることは感じることができる。 そして、なによりも、服部良一でしかない世界を作り得ていることに敬服してしまうのだ。

服部良一 おそらく、ここに収められている歌の数々は、若い人たちには全くなじみのないものであり、すでに半世紀の年齢を迎えようとしている自分自身にとっても、全く未知の音楽だ。(すでに、いろいろなチャンネルを経由して聞いたことはあるとしても)同時代の音楽とは言えないし、自分の父や母、あるいは、祖母や祖父の世界なんだろうけど、それでも、言葉と音楽がこれほどまでに見事に融合されながら、西洋の音楽を日本の音楽的な土壌と共に融合していた服部良一に「ロックは日本語では歌えない」といった時代があったことを申し訳ないと思うのだ。70年代初め、そんな議論をしていた馬鹿者たちが、どれほど音楽を聴いていなかったか、あるいは、ロックに過大な幻想を抱いていたかを、特別なものと見ていたかをこういった人たちの作品からうかがい知ることができる。

 たかだか音楽。されど音楽。これほど単純な言い回しに、実は、とんでもない意味が含まれていることを、こういった作品を通して感じしまうのだ。特に、今回、すでに入手可能だった(あるいは、再評価に積極的だった)コロムビアの音源ではなく、ビクター音源がまとめられた意味が大きいし、嬉しい。これで、やっとじっくりと服部良一の世界を堪能できるというものだ。



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2005年03月15日

戦後60年って、今は戦中、戦前じゃないか?

寿 12日、日頃はほとんど足を向けることのない、上野に向かった。「戦後60年、沖縄から平和を開くコンサート」を見るためだ。出演バンドは渋さ知らズ、寿、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの面々。4時から始まるとのことだったのだが、到着したのは開始時間を30分ほど過ぎた頃。なにせ、会場がどこかわからないので、みつけるのに時間がかかったのが理由。近くに行くと、すでに演奏している渋さの音が聞こえてきて、「あっちなんだろう」というのはわかるんだが、なかなかたどり着けない。それでもなんとか会場に到着し、チケットを購入して、入ることができたんだが、しばらくするとアナウンスがあり今日はソールドアウトになったとか。嬉しいものだ。こういったことを真正面からアピールしているライヴがソールドアウトになるなんて。

 渋さはいつも通り。彼らが悪かった試しがない。彼らのテンションがどういったあたりにあったかはわからないが、どこかでこの会場の一番上に掲げられている言葉がなにかしらのパワーを彼らに与えていたのではないかと思う。

 が、この日、自分にとって大きな発見だったのは寿というバンドだった。渋さが終わった後、ソウル・フラワーの中川君たちと話をしていて、最初は見逃したのだが、ヴォーカルのナビィの声が「伝わる」のにまず驚かされた。彼女が発する言葉のひとつひとつがストレートに伝わってくる。本当は、この日、ソウル・フラワーを撮影するためというのが主目的だったのだが、最初のバンド、渋さから撮影。(これは、いつもと違って、ちょっと遠慮がちだった。なにせ、許可を得ていなかったから。いつも大丈夫だし、彼らのことはよく知っているので、問題にならないのはわかっていたけど... ちょっと遠慮したのさ)この寿に関しては、許可ももらってはいなかったし、(ソウル・フラワーを通じて、主催者には伝わっていたと思うけど)なにも期待していなかったんだが、あまりの素晴らしさに自分を押さえられなくなってしまったというのが正しい。
寿 特に、「上を向いて歩こう」の替え歌、「前を向いて歩こう」にははまった。「涙がこぼれてもいいじゃないか」と歌われるこれは、オリジナルの作詞家、永六輔氏にきちんと許諾を取った「お墨付き」らしいのだが、これがいい。実は、あまりの素晴らしさに、涙が出た。「幸せは空の上にはない。心にある」といったくだりとか.. 数年前にソウル・フラワーがフジ・ロックに出たとき、この曲を少し歌ったんだが、「そうか、この歌は彼らのヴァージョンをちらっといただいたんだろうか」と思ったほど。実際は、「いやぁ、俺らも替え歌やってんねんけどな」とは中川君の弁。それはそれでいいけど、あの時は、(単純に忙しかったからかなぁ)涙は出なかった。けど、この日、ナビィの歌うこの曲に、涙を出しながら、がむしゃらにシャッターを押し始めていた。

 そのほかにも、真正面から平和を望む声をだし、ストレートな言葉で「歌うべき言葉」を発している彼女の力強さは、いったいどこから出てくるんだろう。それに、そういった歌がなぜ、これほどまでにじんじんと響くのか... その理由はわからないけど、初めての体験で一瞬にして彼らのファンになってしまった。こういった人たちこそ、「ヒット」するべきなんだと思うし、その可能性を感じるのだ。

 ライブの後、中川君に彼女を紹介してもらって、アルバムを買った。このアルバムはスタジオ・ライヴという形で録音されているらしいんだが、残念ながら、あのライヴの迫力をとどめるまでには至ってはいない。なにがどう違うのか... それはよくわからないんだが、歌の良さ、そして、ライヴでの良さが封印されていないというのが正直な感想。でも、彼らへの評価が幾ばくも変わってはいない。今度、チャンスがあったら、絶対に見に行こう。そして、写真を撮ろうと思う。

OZOMATLI それから2日後の14日、夕方、鮫洲で国際運転免許を取得して、芝税務署で確定申告をして、出かけていったのが銀座のアップル・ストア。明後日からオゾマトリのツアーが始まるのだが、今回、iPodの宣伝で彼らの曲が使われていることもあり、ここで、フリー・ライヴが開かれることになっていた。15日には(これから数時間後ですが)成田に向かい、イタリアに飛ぶので、今回のツアーは見られないというので、出かけていったのだが、宣伝ではアコースティック・ライヴとなっていたのに、これ、ほとんど普通のライヴと同じやんけ!というノリで、わずか30分だったけど、おそらく、OZOのことなんぞ全然知らなかったろう人たちまでをも巻き込んでの大パーティ大会へとなってしまった。さすがです。なにせ、連中のテンションが違いすぎる。一気にあのパワーを出せる彼らって、すごいなぁと再認識。今日15日は大阪心斎橋のアップル・ストアで演奏するはずなんだけど、これ、見逃したらそんですよ。もちろん、連中の本チャンのライヴはそれに輪をかけてとんでもないから、全部体験して欲しいけど。

 ということで、これからイタリアに向かいます。Street Beat Festivalの取材なんですが、向こうから更新ができるかどうか... かなり疑問ですが、なんとかやってみようと思っています。



投稿者 hanasan : 04:36 | コメント (0)

2005年03月13日

お疲れさま、George Scott, the blindboy of Alabama

The Blidboys of Alabama とりわけニュースをチェックしているわけではないんだが、Smashing magででスタッフが用意したテキサス取材のリンク先をチェックしていたら、このニュースが目に入ってしまった。昨年のフジ・ロックで、おそらく、最も無名でいながら、最も好評だったアクトのひとつ、The Blindboys of Alabamaのオリジナルメンバーで、1939年のグループ結成時から昨年まで歌っていたGeorge Scottが3月9日に永眠したらしい。なんでも、その前の晩にクラレンス・ファウンテンがジョージと話をしているらしく、そのときはなにごともなく、元気だったらしい。が、その晩、眠りについたまま、目を覚ますことがなかったということだ。

 そのクラレンスの言葉が象徴的なんだが、「誰かに会っているとき、いつが最後になるかわからない。だから、周囲の人たちにはいつも感謝しておかなければ...」というの、しみます。

 なお、彼にとって最後の作品となったのが、葬儀の行われる15日に発表されることになってしまったアルバムで、『ATOM BOMB』なんだが、このタイトルがなにを意味するのか... 気になる。

The Blidboys of Alabama その前の作品というと、Ben Harper and The Innocent Criminalsと録音したこのアルバムで、これは、The Blindboys of Alabamaにとって4回目となるグラミー賞受賞作。その録音の前後にベン・ハーパーの日本ツアーがあって、そのときのライヴは全て撮影しているんだが、それは当サイトのphoto galleryで確認できます。とりあえず、日本ツアー最終日はこちらでみつかります。

 昨年のフジ・ロック、オレンジ・コートで彼らのステージにベン・ハーパーが飛び入り、一緒に歌ったときは、泣けましたな。というか、実際に泣きました。ぼろぼろ涙を流しながら、感動したものです。そのときのステージにGeorge Scottがいたのかどうか、私にはわかりませんが...

 ということで、毎日更新はやっぱり無理だと実感。気長に行きます。



投稿者 hanasan : 10:21 | コメント (0)

2005年03月11日

照屋林助、てるりん氏のこと

照屋林助 おそらく、すでにみなさんご存じのことともうが、沖縄の巨人、照屋林助氏が亡くなった。なんでも肺炎だったらしいんだが、詳しくはこちらなどで確認できる。彼がどれほど偉大な人物だったのか、正直言って、自分にはわからない。残念ながら、彼の「芸」に接するチャンスもなかったし、いまだに沖縄には足を踏み入れてはいない。どれほど沖縄が抱えるものが大きいかは、どこかで納得していても、自分が抱えている世界での仕事やプロジェクトで忙しすぎて、そこまで手が回らなかったというのが理由だと思う。

 だから、多くを語ることはできないのだが、あのニュースが入ってから、非戦音楽人会議のMLでは、まず中川君が一報を入れて、藤田正さんが言葉を流してくれた。それがしみた。彼がどれほどの思い入れを持っていたか、そして、照屋林助氏がどれほど重要な人物であったのか、彼の書かれた文章を読めば一目でわかる。同時に、彼が本当にいい仕事をしているなぁと感心してしまうのだ。

 当然ながら、彼の書かれたものをここにコピペすることはできない。それは私たちの声明に賛同していただき、MLに加わっていただくしかないのだが、これから少しずつ照屋林助氏の作品を聞いて、じっくりとそのあたりを学んでいこうと思っている。

 かつてTV神奈川でファンキー・トマトをやっていたとき、照屋林助氏の長男である、林賢さん(りんけん・バンド)と奥さんのとも子さん、あと、じゃがたらのOTOと一緒にいろいろな話をしたことがあり、そのときに、親父さんの話をいろいろと伺った。そのときの話だけでも、照屋林助氏がどれほど「でっかい人」だったかを感じることができた。

「逆に演奏できるんですね。歌も楽器も。だから、それを録音して、逆回転で再生すると、まともに聞こえるんです」

 なんで、そんなことを... というのは簡単だけど、「芸人」として生きてきた彼らはそういった「芸」の達人たちであり、そこに「芸」の歴史を感じるのだ。りんけんさんの奥さんでヴォーカルのとも子さんも、聞いたところによると琉球武術の達人らしく、チェーンの両端に鎌を付けたものを使ってブルース・リーのぬんちゃくばりに操ることができるなんて話も聞いた。この時、沖縄の「芸」の世界に踏み込んでいればなぁ.. と思う。

 加えて、国籍のない子供たち。アメリカによる占領時代の落とし子のこと、あるいは、戦争が始まれば沖縄で米兵による犯罪が増えること。要するに、刑務所にはいることで戦地に赴くことをさけようとする人たちが出てきて、その被害を沖縄の人たちが受けていることなど、いろいろな話を聞いている。もちろん、米軍基地があることだけですでに、「植民地」であることを「感じていても」、それを現実のものとしては「認識」できていない本土の人間の無責任さや、同時に冷淡さを感じざるを得なかった。あえて言うこともないだろうが、米兵による犯罪で新聞やテレビのネタになるのは氷山の一角でしかなく、数え切れないほどの犯罪が起きている。それに対して、私たちに責任がないとは思えない。

 いつか、イタリアでmongol800のメンバーと話したことがある。
「なんでインタヴューしないかっていうと、どうせ沖縄のことをわかっているジャーナリストなんていないじゃないですか」
 音楽関係の人たちを、主に示すんだろうが、沖縄が置かれている現実があり、それをふまえた上で彼らの生活が、そして、音楽が成り立っている。それを抜きにして、語ることはできないはずなのに、本土の人たちがあまりにも無理解だということを彼は言おうとしたんだと思う。

 いろいろとまだまだ勉強しなければいけないことがあるなぁ。もちろん、全てを知ることは不可能で、単純に知らないことを攻めるばかりじゃなにも始まらないとは思う。が、少なくとも、大きく目を開けて、耳の穴をあけて、五感を全開にして沖縄を、日本を、そして、世界を見つめていきたいと思う。



投稿者 hanasan : 10:12 | コメント (0)

2005年03月10日

さて、映画デビューかな?

The Absolute Beginners もうずいぶん昔のことになるが、(今考えたら、20年前だ)映画監督のジュリアン・テンプルとインタヴューしたことがある。ちょうど、彼がロンドンを舞台にミュージカル、『ビギナーズ(原題 : The Absolute Biginner)』を撮影し終わった頃で、当然ながら、話の中心はこの映画のこと。といっても、パンクが好きな人なら当然知っているだろう、『The Great Rock'n'Roll Swindle』を作ったのもこの人。まだ、映画を勉強していた頃にセックス・ピストルズの2回目めのライヴを目撃して、それ以来、彼らを撮りまくって、それをまとめて作ったこの作品で映画界にデビューしたという人物なのだが、もちろん、彼とのインタヴューでこのあたりはさけて通れない。

 というので、この時のインタヴューは宝島に発表し、ここにアップしているので、お暇でしたら、チェックしてくださいませ。結構面白いから。
Julien Temple ちなみに、この写真は彼の事務所で撮影したもの。ちょうど、ソーホーのど真ん中、Old Compton St.とDean St.が交差しているところの角にあるビルの3階ではなかったかと思うが、窓に勝手なネオンを作って通りに面して飾り、その奥で彼が仕事をしていたと覚えている。

 彼が抱えているのは、著名人が住んでいた家の壁に掲げられているもので、正式な名前は忘れた。なんとカール・マルクスは、あの当時、1階でストリップ・ショーをやっていた家の2階に住んで、大英博物館に通いながら、『資本論』を執筆したんだそうだ。もちろん、彼が住んでいた頃に、ストリップ・ショーはなかったと思うが。まぁ、イギリスに行ったら、こういったものをチェックしながら、街を歩くのも面白いですよ。ロック・ミュージシャンでは初めてジミ・ヘンドリックスのものが登場したし(場所は忘れたけど、友人のトランペット奏者、アスワドのバックで有名なタンタンが彼とフラットをシェアーしていたらしい)モーツアルト(だっけ?)に森鴎外もあったように記憶している。

The Great Rock'n'Roll Swindle まぁ、そんな話はともかく、彼とはあのインタヴューの後、ハリウッドで会っている。スマッシュの日高氏と一緒にフランク・ザッパに会いに行ったときに、サンセット・ブルーバードの「なんじゃこれ?」ってスシ・バーでメシを食いながら、いろんな話をしているんだが、この時は「いやぁ、俺の親父は共産党員で...」ってので、そうかぁ... なんて思ったり。友人のピート・ジェナーズ(ピンクフロイドやクラッシュのマネージャーをしていた人物)によるとイギリスではけっこう有名な政治家だったんだとか。それと、なにかの映画かプロモーション・ビデオの撮影かプロモーションかで日本にきたときに帝国ホテルのロビーでも会ったな。なにせ、ストーンズの『Rewind』からABCの作品など、当時の作品は驚異的な出来で、評価も高く、ひょっとして日本人アーティストの作品からみできていたのかもしれない。

 で、その彼と久々に再会したのが3年前のグラストンバリー。ジョー・ストラマーが亡くなることになってしまったあの年の6月、いつも一緒にキャンプしている場所にジョーとジュリアンが一緒に姿を見せた時だった。そのとき、ジョーが「俺の友達でジュリアンっていうんだ」なんて紹介されて... 以前、ジュリアンと何度も会っていたというのに、完全に忘れ去られてしまっていたようで、昔話をしたら、やっと思い出したって感じだったけど。

 で、ジュリアンによると、グラストンバリー・フェスティヴァルのドキュメンタリー映画を撮影しているらしく、自分が彼にインタヴューされてしまったなんてことがあった。その話が面白かったのか、「よっしゃ、おまえはこの映画に出演するからな」なんて言われたものだ。それからまた1年、グラストンバリーの街を訪ねて、フェスティヴァルのプレス関係のチケットの手配をしていたとき、その担当者から「昔のグラストの映像を探しているんだが...」というので、「持ってまっせ」と、応えたのが今回の話のきっかけだ。かつてTV神奈川の番組、ファンキー・トマトをやっていたときにフェスティヴァルを紹介するためにフェスティヴァルを自分で撮影していて、この時の映像、数時間分を彼らに送ることになったのだ。どうやら、それが気に入ったらしく、この映画で使いたいと打診してきた。いやぁ、仕事って積み重ねだよね。まだ、ビデオ・ジャーナリズムなんて存在していなかったときに、そんなことをしていたんだが、そのとき撮影した映像が「歴史的な価値」を持つことになったわけだ。いやぁ、面白い。

 というので、今度、イギリスに行くときにそのオリジナルを彼らに渡して、契約なんぞをすることになるんだろう。ということは、この映画が完成されれば、きちんとクレジットされて、(おそらく、出演もして)その作品を、将来はDVDかなにかで持っていられるんだろうな。嬉しいねえ。っても、どんな作品になるのか、ジュリアン次第だけど。それは気長に待つってことになるんだろう。楽しみだ。



投稿者 hanasan : 00:16 | コメント (0)

2005年03月09日

これもblog効果か?

 電話を買い換えてしまった。その理由は、バッテリーが死にそうだから。いくら充電しても、ほんの少しの時間でなくなってしまうし、バッテリーを買い換えればかなりの金額になるし... というのがその理由。加えて、かなり長い間機種交換をしていないので、(おそらく、3世代前)なんとかポイントを使えば、かなり安くなるはずだ。実際、今回も1.5万円ぐらいの値引きになった。それに加えて、いつも使ってるヨドバシのポイント還元分を使って、数千円のキャッシュで新しいものを買うことができた。

 買ったのはmovaじゃなくて、(ずっとドコモ・ユーザーなので、電話番号を変えたくないというだけの理由で同じ会社のものを使っているんですが)今回はfomaにした。大きな理由のひとつは通話料。最低料金が30秒刻みらしく、movaの1分刻みよりも安くつく。ほとんどの場合長時間の通話はしないし、(したくもない、かけてこられるのも好きじゃない)これまで最も頭にきたのは、通話が途中でとぎれること。しかも、出たと思ったら切れる... ひょっとして、このたびに1分間分の料金を僕らは払わせられているのかなぁ... と、めちゃくちゃ頭に来ていたのだ。なんで、誰も怒らないんだろうね?日本人って、ホント、お人好しだ。

 これはfomaだろうとなんだろうと、今じゃ普通なんだろうけど、小さいデジカメが欲しかったのもおおきな理由だな。こうやってblogで日記のように、なんだかんだと書いていると、素材として絵が欲しくなる。そりゃぁ、写真家として撮影はしていても、でっかい一眼レフをいつも持ち歩いてはいませんから。電話だったら、ポケットにも入るし、ちょっとした記録なら、これで充分だろう。だから、画質がきれいで、待ち受け時間が長くて... という機種のものということで、買ったのが、D901iというもの。確か、携帯を買ったのは95年に入院して、どうしても仕事関係の連絡をしなければいけなかったからなんだが、あの時から二つ折りのタイプだった。が、今回は初めてそれとは違うスライド式のものを買った。

 今回のこれは、なんか昔のもののようにでっかくて、電話というよりはカメラってがたいなんだが、まぁ、いいや。はっきり言って、こういったものにはあまり愛着がわかないから。と、しばらくはこれでいろいろとトライしてみようと思っている。

 とはいうものの、取扱説明書のぶっといことにあきれかえる。これじゃ、まるで学習参考書じゃねぇか。どんな「頭の悪い」(逆説的にいえば、お利口さん)人間が編集しているんだろうなと思う。あまりにばかばかしすぎるほどに編集が悪すぎるし... というよりは、「編集」って概念がないんだろうな、こういったものを作っている人たちは。思うに、いろいろな機種が抱えている機能なんてことよりも、「こうやったら、楽しいぞ」っていうことがすぐにでもわかるような取扱説明書で機種を選ぶようにした方が楽なような気がしてならない。今度は、このあたりの仕事でもしてみようかなぁ。まるで漫画のように、あるいは、雑誌の特集のように、いっぱい写真があって、絵があって、「マル秘テクニック」とか「隠れ機能」なんてのが一直線でわかるようなものを作ることができれば、こんなに苦労することはないのに、と、ふたを開けてからというもの、かなり気分が悪かった。結局、ほとんど読むことなく、本体をいじくりながら、いろいろと設定して、使えるようになったというか... まぁ、それでも、わからないことが多すぎるけど。

 で、明日は、散歩でもしながら、これでなにかを撮影でもしてみようかなんて思っております。(それにしても、よくもこんな退屈なことを書くなぁ...)



 

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2005年03月08日

任侠道

銀幕ロック 学生の頃読んだ姓名判断の本で、自分の名前の画数なんぞをチェックすると、映画で言えばやくざ映画、任侠映画に出てくるキャラクターのような性格を抱えていると指摘されたことがある。まぁ、あんなものを本気で受け取るわけはないんだが、なんとなくそう思ってしまうのが人の性。確かに、義理だとか人情だとかっていったものに執着するきらいがあるとは自分でも思う。一度、兄弟のようなちぎりを結ぶと、絶対に裏切らないというか... その一方で、それが裏切られると、はっきり言って、一生まともな人間として認めない。友人は「おまえは、本当に冷たいなぁ」というのだが、悪いけど、冷たい以上ですから。だってねぇ、人間として認めないから。仕事でつきあわなければいけないときは、「仕事の人間」としてしか見ない。だから、それ以上の期待をいっさいしないというタイプ。「バカは死ななきゃ直らない」ってことで、こういった自分の性格は変わらないと思う。不器用で、実直で、アホで、間抜けなんだろう。

 と、そこまで前ふりをしていうのも気が引けるが、やくざ映画のなかでの高倉健や菅原文太がやっぱ好きなのよ。彼らを(そうじゃなくて、彼らが演じているキャラクターなんだけど)不器用で、実直で、アホで、間抜けと呼んでいいのかどうか、躊躇しながら、やはりそうだと思いますね。それでも、やはり彼らは主人公で、それなりにかっこいいわけです。ところが、脇役は、それほどかっこよくもなくて、なんだか、ただ「無駄死にする」ためだけにそこにいるようにも思えるんですね。そういった脇役たちも、実は、好きなんだな。

 おそらく、このアルバムを買ってしまったのは、こういったやくざ映画好きが転じて... 感じなんだろうな。これが発表されたのは2年前で、おそらく、タランティーノの映画『キル・ビル』にのっかっての企画だろう。あの映画で使われた梶芽衣子の『怨み節』が収録されているし、ジャケットに貼ってるステッカーにも、それが記されていた。タランティーノがこのあたりに注目したのも理解できるし、60年代から70年ぐらいのやくざ映画が抱える刹那的な世界や様式美にひかれたのもわかる。真正面から真剣に考えたら、笑うしかないのに、どこかでその世界から逃れられない自分がいるんだな。なんだろうね。

銀幕ロック 実際、このアルバムを聴いて、めちゃくちゃはまる部分と、あほくさくてたまらない部分が同居していて、それが人間の本質を突いているように思えるのよ。まぁ、理屈じゃなくて、べたな人間の本音を感じるのかな。特に1枚目はいいね。

 で、2枚目になると、ちょっとなぁってのがある。やくざにこだわって欲しかったのに、旭の『銀座旋風児』や『ギターを持った渡り鳥』とか裕次郎の『嵐を呼ぶ男』に、赤木圭一郎の『霧笛が俺を呼んでいる』が収録されているわけだ。そういった曲が大好きだからこそかもしれないが、このコンセプトのなかに彼らを混ぜたらいけません。それは違ったコンセプトの下でコンピレーションを作って欲しかったなぁ。

 だったら、買わなければいいじゃないか... というのも正しいんだけど、ここには菅原文太の『一番星ブルース』が入っていたんですよ。たまたまブラック・ボトム・ブラス・バンドのモンキーと話をしていて、彼が映画『トラック野郎』にはまっているってのが出てきて... いやぁ、実は、俺、あのシリーズの一作目、真剣に映画館に行って見たからねって話になってさ。それに、勝新太郎の『座頭市』とかも聞きたいし、新しい発見もしたいしってところで買ってしまいました。

 ちなみに、その昔、廃盤復活同盟というのを変態漫画家、根本敬氏が作っていて、めちゃくちゃ面白いコンピレーションをシリーズで出していたんだけど、ひょっとして彼や仲間がこのあたりにも絡んでいるのかなぁ。と、そんな想像もしてみました。梅宮辰夫あたりの、笑ってしまわざるを得ないヘンな歌が入っているあたりに、それを感じるんだけど、実際のところどうなんだろう。

 ところで、話は変わるのだが、(いや、元に戻るのか?)あの姓名判断によると、性格的にはやくざ映画の高倉健あたりが演ずるキャラクターに加えて、連続暴行犯、大久保清にも似ているんだとか記されていた。すごく大胆な姓名判断だと思う。どう考えても、あの両者を並列できる著者の神経が理解できない。だって、そう考えても、接点を感じないのよ。まぁ、犯罪者という部分が接点かもしれないけど。ということは、俺の性格は犯罪者なのか? 勘弁して欲しいなぁ。



投稿者 hanasan : 02:09 | コメント (0)

2005年03月07日

日の丸、君が代に反対したら逮捕か

非国民のすすめ また、こんなニュースがみつかった。なんでも校門の外でビラを配っていたのに、「建造物侵入容疑」で逮捕されたという。なんで?先日ここに記したおおさかエコムーヴ事件と同じようなものだと思うんだが、めちゃくちゃな話がまかり通っている。今回は釈放されたらしいけど、その逮捕の仕方とか見ていると、やっぱり日本は狂っているとしか思えない。あれほど素晴らしい憲法を持っていても、まるでファシスト政権の下に生きているような事態が進行している。これで、憲法が変えられたら、この国に生きる人々の自由は消えてなくなるのは目に見えている。

 しかも、こうやって大きなメディアに報じられるのは氷山の一角に過ぎない。それをまず知っておかなければいけない。要するに、それも戦略なんだろうが、あまりに多くてマスメディアでは相手にされないのだ。一方で、実を言えば、いろいろなネットワークを通じてさまざまな情報が飛び交っている。もちろん、どれが本当でどれがうそかを見抜く力を要するとは言いながら、周辺情報も入ってくるので、それを下に判断すると、日本がとんでもない状態になっているのがわかるのだ。こういった情報はさまざまなMLなどで入手可能なので、どこかでそういったものに加わることをおすすめする。

 とりあえずは、僕やソウルフラワーの中川君たち、音楽関係者が立ち上げた非戦音楽人会議でも、MLを作っているので、ここでそういった情報を得ることもいいだろう。といっても、ここに加わるには声明に賛同しなければいけない。誰も拘束するものではなく、「自分は戦争に荷担しない」と宣言することを条件としている。そういった仲間が自分たちのネットワークを作ろうと言うのがなによりも目指しているところなので、非戦音楽人会議は組織でもなんでもない。だいたいが、組織なんて嫌いな自由人ばかりが集まってきたって、組織なんてできるわけがない。(笑)そんな気持ちでいる人は誰ひとりとしていない。それでなにができるのかとバカにされるんだろうが、そんなことはどうでもいい。少なくとも、「私は戦争に荷担しない」ということを公の場で宣言することが重要なのだ。

 ともかく、目に見えないところでこういった「政治的な意見表明」が犯罪にされている一方で、右翼の暴力は全然取り締まられてはいないように思える。街頭宣伝車が苦痛以外の何ものでもない大音量で騒音以外のなにものでもない軍歌を流しながら、警官の目の前をとっても、注意もされなければ、捕まることもない。軍歌を全て否定するものではないが、音楽として聞くには「音楽」として聞ける音のクオリティや音量がある。連中の耳が壊れているのかもしれないが、できればPA関係のプロを雇って「いい音」で流すべきでしょ。じゃなければ、あれは拷問です。でも、警察は止めない。なぜ?

 新宿南口によく行くのだが(ヨドバシ、ソフマップ系ですな)あの角で、おそらくは、非合法な薬物を売っているんだろうなと思える二人組がずっと商売をしているように見えるんだが、彼らが捕まったという話はテレビのドキュメンタリーで1度見ただけ。しかも、それ以前から、数年にわたって、そして、今もあの光景を見ている。まさか、「にぃちゃん、なに売ってるの?」なんて聞けるわけもないから、想像でしかないけど、おそらく、トルエンとか、その類のもののように想像する、実際、あのドキュメンタリーではそういった説明をしていたし、あたかもスクープのように話していたんだが、あの後も、まだ、普通にあそこにいますよ。警察はこういった犯罪には目をつぶっても、ビラを配っただけで捕まえるんだが、これ、なんで?

 腐ってるよなぁ、日本は。こんな国にしたのは誰や?はっきり言って、これ以上に日本がおかしくなっていったら、憲法が変えられたら、日本を捨てなければいけないのかなぁと、どこかで思っている。もう、うんざりです。いいたいことも言えず、下手なことを口走ると、別件とか、適当ないいわけを付けて「逮捕されるのではないか」と思いながら、生きていかなければならないとしたら、(今でも、そうですやん)こんな国に未練はない。いつでも「日本」なんて看板は捨て去って、どこかの国の山奥にでも行って残りの人生を送ろうかなんぞと考えている。

 ったく、とんでもない世の中だ。



投稿者 hanasan : 13:08 | コメント (0)

2005年03月04日

公安は特高ですね、やっぱ。

街から反戦の声が消えるとき なにも悪いことをした覚えはない。それでも、「公安」と呼ばれる警察がうちにきたことが何度かある。下手をしたら、しょっ引かれたんだろうと思うと、ぞっとする。このところ、そんな事件が立て続けに起きている。正直、こわい。まるで戦前の日本が帰ってきたようだ。(というより、日本は戦時中なんだと認識した方がいいと思う)

 立川事件なんてその好例で、ピザや出前のチラシを配ってもいいのに、「自衛官・ご家族の皆さんへ 自衛隊のイラク派兵反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」という趣旨のビラを入れたら、「住居不法侵入」だとして逮捕され、数十日間にわたって拘留されたという事件があった。どう考えても、こりゃぁ、おかしいだろ?その経緯はここに詳しいけど、どうしてこんなことがまかり通るんだ?私の住んでいるこの日本の憲法は、表現の自由を保障しているんじゃないの?

 一応、一審では無罪となったし、それがかなり大きく新聞やテレビのニュースでも取り上げられたから、この事件のことを知っている人も多いと思うけど、この無罪判決を受けて地検は控訴。(マジに、この人たち戦前の特高感覚だよ、これ)日本のどこが民主主義なんだよ。これは、独裁政権の北朝鮮となんもかわらんじゃないの。しかも、この裁判で、被告とされた人たちにかかる経費はひとり200万円だとか。拘留されて、仕事ができるわけもなく、通常だったら、仕事だって首になって、家賃だって払えなくなって... 俺なんかだったら、一直線にホームレスだろう。要するに、この事件が語りかけているのは「だから、浮き上がったことはするなよ」という政治圧力以外の何ものでもないじゃないか。

 と思っていたら、今度はおおさかエコムーヴのメンバー、3人が「詐欺」容疑で逮捕された。なんとその理由がこう説明されている。

「賃貸マンションを5年前に契約した際に、「母、 妹と一緒に住む」という条件で契約したのに、その条件を守らずに○○さんと一緒に暮らしていたことで不法の利益を得た、それが「詐欺」に該当する」

 いっておくけど、これ、冗談じゃないです。びっくりカメラでもないです。なんでも逮捕したときに、「アジトで新聞を売って利益を得ていた」と公安が言っていたらしいんだけど、「アジト」ってなによ?それが自分の家だとして、ミニコミ誌を作ったり、こうやってホームページを運営したりして、ちょっとでもお金を稼ぐことになったら、犯罪なんですか?だったら、俺なんぞいつ逮捕されてもおかしくはないし、俺どころか、みんな捕まるよ。アフィリエイトで副業をしている主婦なんて日本中にごまんといるし、賃貸マンションで同棲している人だっているでしょ?それ、犯罪なんですって。逮捕されるほどの! この国はどうなってるんだ?

 このおおさかエコムーヴは環境問題や反戦平和運動に取り組むNGOグループらしく、このサイトに行ってみると、ハリウッド映画のレヴューなんかもしていたりと、ほのぼのとしていい感じなのに、公安にとっちゃ彼らは「アジト」を作って暗躍している過激派なんだと。めちゃくちゃな話だ。

 といって、笑えないのさ。なぜかというと、自分自身が同じような圧力を受けているからなのね。ずいぶん昔だけど、イギリスから日本に帰ってきて、フリーのライターとしていろいろなことを書いていたんだが、そのとき、中心になって書いていたのはイギリスの反核運動のこと。それが以前お伝えしたアトミック・カフェにつながっていったんだけど、フリーになる前、バイト感覚で書き始めた頃に公安がやってきたからね。しかも、職場に!まだ、独り立ちできなかったから、とあるちっぽけな通信社で仕事をしていたんだが、そこに彼らがやってきたわけだ。

「いやぁ、お手間は取らせませんから...」と、最初は丁寧に話しているんだが、途中からやくざになったからね。なんでも、自分がヨーロッパで使っていた名刺を過激派の幹部が持っていたので...なんて説明をされるんだが、そんなものヨーロッパでメモ代わりに人に上げただけで、誰にあげたかも覚えちゃいませんって。しかも、日本じゃ使っていないものが、国内の過激派の手にあったといわれても、そんなこと知りませんよ。なんて(といっても、こっちも、小心者のプチブルだから)丁寧に応えてたんだけど、途中で、いきなり(喫茶店でだよ)テーブルをどんと大きな音を立てて、叩いて、「白状しろ!」と、ぬかしやがった。これ、こわいよ。実際、さすがに警察はやくざと戦えるんだなぁと思ったから。やくざより、こわいもの。

 まぁ、そうはいっても、実際のところが、知らないものは知らないし、過激派なんて類の人が知り合いには全然いないし... というので、話し続けたというか、答え続けたというか.. だって、それ以外できませんから。「なにかわかったら、また来るからな」なんて言われて、帰っていったんだけど。いやぁ、こわかったよ。公安は、ホント、こわいよ。絶対に友達にはしたくないなぁと思いましたから。

 でも、それで終わりじゃなかったんですね。それから1年か2年かして、今度は自宅にきたから。どうやって探しだしたのか、なにが問題なのか、全然わからないけど、それがちょうどアトミック・カフェの頃ですね。反戦とか、反核とか、戦争反対って言ったら、公安が来るという論理なんだと思っています。もちろん、それのどこが悪いんだと思うじゃないですか?暴力に反対して、爆弾に反対して、放射能汚染をさけようとして.. なんて、まともな神経なり、頭脳の持ち主だったら、「声を大にして言う」ことはないかもしれないけど、(だから、時代は悪い方向に動いてるんだが)当然、思いますよね? 経済の発展のためには原子力エネルギーが... ってのが幅を利かせているけど、私、経済なんて発展しなくてもいいと思ってますから。

追及・北海道警「裏金」疑惑 まぁ、それはともかく、最も平和的なことを口にしたら、公安が来る... これ、お願いだから、やめてください。あなた達が追いかけなきゃいけないのは、こんなにおめでたい平和主義者じゃなくて、国民の税金を詐欺同様に懐に入れて私腹を肥やしている政治家や、あんたたちの上司でしょ?警察がどれほど税金を盗んできたか... ここ数年、内部告発されているじゃないですか?交番で夜も寝ないで働いているお巡りさんを見ると、実は、いつも声をかけちゃうのね、僕。「お疲れさまです」とか「ご苦労様です」とか。だってね、彼らはかわいそうよ、こういったアホ幹部の矢面に立たされて、「税金ドロボー」なんて言われるんだから。

 とは、言いながら、現実問題として、仲間と一緒に非戦音楽人会議を立ち上げたし、また、公安にチェックされるんだろうなぁと思う。そして、下手をすると、な〜んも悪いことをしていないのに、逮捕される可能性が出てきたよう思える。困ったなぁ。Smashing Magも続けたいし、Fuji Rockにも行きたいし... まるで漫画だけど、「逮捕するぞ」なんて言われたらどうしよう。ゲロできることがあって、それで逮捕を免れるんだったら、いいんだけど、ゲロすることないからね。困ったもんだ。

 なんて、俺は冗談を言っていられるけど、(少なくとも今は)そんなので捕まってしまった人たちのことを思うと、かわいそうでかわいそうで... 頭に来るのは、もちろんだけど、まともな生活もできないほどの貧困に直面している自分にはカンパすることもできないという悲しさ。だから、こんなことが起きているんだということを人に伝えるしかないのだとつくづく思うのさ。たまらんぞ。



投稿者 hanasan : 23:24 | コメント (0)

2005年02月28日

懐かしいねぇ、スティール・パルスかい?

Steel Pulse 今年のフジ・ロック・フェスティヴァルのラインアップ第一弾が発表されて、スタッフが大忙しで情報集めをしていたんだが、その中にみつけたのがSteel Pulse。えっ、ラインナップのこと全然知らなかったの?関係者でしょ?なんてことを、よく言われるのだが、正直、全然知らない。今初めて知った。というか、誰が出るのか、みんなと一緒に驚き、失望する方が楽しいから、別に聞き出そうともしていない。それに、有名なアーティストにもそれほど興味はないし、毎回「まったく知らない」アーティストへの興味の方が大きい。今回発表された24アクトで最も「なんじゃろ?」と思わせた、そして、興味を持たせてくれたのはYonder Mountain String Band。なんとなく気になっていたんだが、「なるほど」日高氏らしいチョイスだなぁと、このあたりに感心してしまうのだ。

 で、その発表を受けて、スタッフが情報探しを始めだした。「写真はないか?」「オフィシャル・サイトは?」なんて言うので、引っ張り出してきたのがSteel Pulseのこの写真。なんと撮影は82年の5月5日。ブライトンのtop rankでのライヴだ。なんと23年前。うっひゃぁ、そんなに昔かい?自分でびっくりしちまうな。

 この時は、後にレゲエ・フィルハーモニック・オーケストラを結成することになるマイケル・ライリーが在籍していた頃で、ステージ上の演出でKu Klux Klanを小馬鹿にしたり... なんてことをしていたものだ。後に、彼に出会ったとき、「kkkの服着てたの、俺なんだよ」と教えられるのだが、当時、アスワドと双璧をなす、最も過激なUKレゲエの顔が彼らだった。

Steel Pulse アスワドがロンドンのノッティングヒル界隈(ハレスデンだっけ?正確な名前は忘れたけど、その西のエリア)出身で、それに対して、スティール・パルスはバーミンガムのハンズワース出身。ロンドンのブリクストンやリヴァプールのトックステス(だったと思う)あたりは、いわゆる労働者階級というか、低所得者がいっぱい住んでいるエリアで、当然、その中心はジャマイカを中心としたウェスト・インディーズの人たちだ。実は、UB40もそのハンズワース出身で、だからこそ、子供の頃からレゲエやスカのサウンド・システムと普通に接していたらしく、それが彼らのレゲエに結びついていくわけだ。

 レゲエにはまったのは80年、ブライトンに住み始めた頃で、おそらく、ルーツ・レゲエが最もその輝きを持っていた頃じゃないかと思う。しかも、UKレゲエがジャマイカとは違った独自の色を持ち始めていた頃で、多くのバンドがボブ・マーリーの影響を吸収して、その地位を確立していった頃だと思う。当時のアスワドとか... かなりこわかったというか、ヘヴィだったというか... そのあたりは、以前、ここで紹介した映画『バビロン』が最も良く描写していたと思う。

Steel Pulse そのアスワドが、80年代の終わりから徐々に、ある種ソフトに、ポップになっていったのに対して、スティール・パルスは当初のオリジナリティを保ちながら、どんどんディープに自分たちの世界を確立していったように思える。いつか、このあたりのことに関して、スティール・パルスがデビューした当時にエンジニアとして仕事をしていたゴドウィン・ロギーと話をしたときに、「違いはねぇ」と説明を受けたことがある。スティール・パルスが積極的にアメリカに進出して、ライヴを通して、彼ら本来のサウンドやパワーで地位を確立して、体力を付けていったのに対して、アスワドはほとんどツアーをすることなく、自分たちのサーキットのなかでしか動いていなかったからだと言っていたのだが、それもあり得る思う。結局、アルバムやスタジオでマーケットを拡大していったアスワドは、そのマーケットによって押しつぶされていったんじゃないのかなぁ。まぁ、ブリンズリーが離れる直前まで、ライヴでそのゴドウィンがエンジニアをしていて、彼が加わったときの生ダブがめちゃ良かったんだけど。(ちなみに、ボブ・マーリーのパンキー・レゲエ・パーティも彼がやっていて、彼とはじゃがたらのパリ録音で親しくなった。キング・サニー・アデやシェブ・ハレッドあたりをプロデュースしたマルタン・メソニエの仲間でもある)

 ともかく、アスワドが面白くなくなっていったとき、スティール・パルスが久々に来日して、インタヴューをしたんだが、(そのときの原稿、どこに行ったかわからないけど)彼らのヘーヴィでルーツィなライヴに、80年当時やたらと言われていた「レゲエ体験」って言葉を思い出していた。濃厚な空気に身体ごと持っていかれる本物のレゲエだけが持つ「場」をそのライヴで感じたものだ。彼らが今もそうであることを期待しつつ、今年は、きっと彼らの写真を撮影してやろう... なんて思ってます。嬉しいねぇ。

 ちなみに、彼らの曲で最も好きな「MARCUS SAY」がどのアルバムに入っているか知っている人いる?DUBは「True Democracy」に収録されているんだけど、ダブじゃなくて、本チャンの方を探しています。知っている人がいたら教えてくださいませ。なんか、20年ぐらい探しているように思うが...ひょっとして、「アイランド・レゲエ・クラシックス-スティール・パルス」って、国内盤に収録されている「予言」って曲かしら。タイトルが日本語の場合、オリジナルのタイトルに忠実でないことが多いので、想像することしかできないからなぁ... 持っている人がいたら、そのオリジナル・タイトル、教えてくれないかなぁ。



投稿者 hanaoyaji : 01:37 | コメント (0)

2005年02月27日

最後のGSは「楽しい」戦略が面白い

The Captains 昨日、ザ・キャプテンズのライヴを見に新宿のMarzに出かけた。自分が企画制作編集運営する(まぁ、結局、全部自分で基盤を作ったという意味で、今は中核スタッフが共同で作っているオンライン・メディア)Smashing Magで、ライターのnobが2003年の秋からずっと追いかけてきた仙台のバンドで、彼のレポートやmagのフォト・レポートでずっと「なんじゃらほい、このバンドは?」と思っていた。そんな彼らがメジャーのレコード会社と契約したとういうこともあって、見てみようと思ったわけだ。そっか、そうなんだ。こうゆうのもありなんだ... ふ〜ん、なんか好奇心がくすぐられるじゃないか... と、実際、彼らがどんなバンドで、なにをしているのか、確認したかったというのが理由だろう。

ザ・キャプテンズ 加えて、もともとグループ・サウンズというレトロなものも嫌いじゃない。結局は、あとで魅力を再発見することになるんだが、歌謡曲の魅力を凝縮した彼らは「作られたもの」ではあったかもしれないが、「娯楽」として確かに楽しかった。まぁ、まだ中学生とか小学生の自分が口ずさんだりできるほどに明瞭なメロディと歌詞というコンビネーションはポップスというか、歌謡曲というか、歌にとって基本の基本で、そういった意味で言えば、完成されていたと思う。もちろん、それ以上の感動を生むものがなかったから、「こだわる」ことはなかったんだけど。

 それでも、スパイダースの「風が泣いている」とか「バン・バン・バン」は名曲だと思うし、おそらく、今彼らの音を聞いたら、また違った感慨を持つに違いない。みんな、海外のロックやロックンロールにあこがれて、「芸能界」との狭間でやりたいことをしたかったんだと思うし、そのあたりに関して、ゴールデン・カップスのドキュメンタリー映画、『ワン・モア・タイム』に入っていたショーケンのコメントが面白い。

「カップスは好き勝手な服を着てやっているのに、なんで俺たちはあんな服を着せられて... なんて思っていたから」

 当時彼は、テンプターズというバンドのヴォーカルだったんだが、そのあたりにゴールデン・カップスの独自性というか、あくまでブルース・ロックを貴重としたロックをやりたかった彼らの姿勢が想像できる。といっても、結局、彼らも同じようなグループ・サウンズ路線に入っていくことになる。それはそれで面白かったけどね。

ザ・ゴールデンカップス ちなみに、カップスの横浜、ZENでのライヴ、チャンスがあったら聞いてくださいませ。これ、初めて聞いたときは、「あれぇ、あの人たちってグループ・サウンズじゃなかったの?すんげぇ、ごりごりのロックじゃん」と腰を抜かすほどにびっくりしたものだ。

 それはさておき、仙台から出てきたザ・キャプテンズは、そんな発想を見事に逆手にとって、昔懐かしのグループ・サウンズを「絵に」書いてくれているのだ。といっても、彼らの根底にあるのは、普通に若い人たちが聴いている音楽で、確かにしっかりと演奏もしている。(まぁ、リード・ヴォーカルの歌は、どちらかというとヘタウマだと思うし、多分に演劇的な「作り物性」を前面に出しているけどね。それ、実は、面白いんですけど)同時に、ロックの日本的解釈で「ロック」と「歌謡曲」の狭間で生まれた、独特のおもしろさを持つグループ・サウンズに注目して、(それだけの人はいっぱいいるんですが)それを形にしようとしているところがすごいなぁと思う。

 さらに、女の子たちが「ワー!」「キャー」と言って大騒ぎをする雰囲気作りも楽しいし、それをわかっているのかどうか、微妙にクロスしているところで、オーディエンスが楽しいんでいるのが、また面白いのだ。それだけではなく、レトロな「ブロマイド」に注目したり、「歌謡曲的な」あるいは、「グラム・ロック的な」華々しさを演出したり... しかも、そういった端々に「音楽」好きな彼らの趣味がちらちらと顔を覗かせている。単純に、面白いです。

 あと、思ったんだけど、絶対にお客さんを楽しませてやるぞという彼らのエンタテイナーぶりが素晴らしい。GSだとか、ロックだとかインディだとか、そんなことはまるで関係なく、チケットを買って遊びに来たお客さんが「楽しかったね」と語りながら家路につける... 絶対にそれをやってのけるというエンタテイナーとしてのプロ意識には敬服する。

 でも、このライヴで一番面白かったのはメジャー・デビューが決まったということで、昔一緒に仕事をした「今は偉い人」たちがいっぱい顔を見せていたこと。さぁて、こういった偉い人たちはこのフェイクなグループ・サウンズをどう見たんだろう。そっちの方がもっと興味深いと思ってしまうのはなぜなんでしょ。

 *なお、今回借用しているザ・キャプテンズの写真はSmashing Magのスタッフ、Izumi "izumikuma" Kumazawaが撮影したもので、使用許可をいただいて、掲載しております。多謝!



投稿者 hanaoyaji : 09:18 | コメント (0)

2005年02月26日

アトミック・カフェから20年

Atmic Cafe 今から20年ほど昔、アトミック・カフェ・フェスティヴァルというのがあって、そのとき、初めて知り合うことになったのがスマッシュの日高氏、当時、ロッキング・オンの社員だった大久保氏、そして、編集者だった藤川Qといった面々だった。このDVDはそのきっかけになったものなんだが、彼らとの関わり合いを生むきっかけとなったのは、80年から2年ほどイギリスに住んでいたことだろうな。このころ、反核だとか、自然食といったオルタナティヴ運動に大きな刺激を受けることになるのだが、それが後の人生に大きな影響を与える。まぁ、単純に言ってしまえば、人生が変わったのね。で、その流れでこういった人たちに出会ってそれが加速されていくわけだ。

 alternativeという言葉は直訳すれば「もうひとつの」とかってことになるんだろうけど、オルタナティヴな運動というのは、「残された唯一の選択肢」といった感覚で受け取っている。反核を含む環境問題はその象徴的なもので、旧来の政治思想なんてまったく意味をなさない。右であろうが、左であろうが、核爆弾が落とされたら、みんな死んでしまうわけだ。だいたい1発で終わるわけがないだろ? さらに加えて、それから数千年にわたって放射能に汚染され、たとえそのときに生き延びてもじわじわと殺されていくことになる。

 それは原発でも同じこと。メルトダウンが起きたら、みんなおだぶつ。それでなくても核廃棄物(毒)を作ること自体がやっちゃぁいかんことなのに、「未来に責任を持って地中奥深く埋める」なんてことを真顔で言っているデレビの政府公報ってなんなのさ。あれに虫酸が走ることなくて見ていられる人、あんなものを放送している人間の無責任さにあきれかえります。「公共性」だとか、「公益」だとか、「報道」だなんぞとのたまう放送局のお偉いサン、あんたらの頭のなかにそんなものがかけらもないのはこれだけでも明らかでしょ。

 ともかく、問題は「生きる」か、「死ぬ」かにつきる。こういった問題の前に出れば、社会主義も、資本主義も、独裁も民主主義も関係あるかい。金持ちも貧乏人も無関係。まぁ、目の前の「ご利益」にしか目を向けられない「低能」な人たちが政治を押さえ、経済を牛耳っていることが今のとんでもなく危険で、精神的に(それは科学的にも)貧しい状態を生み出しているんだが、それに気づいた人たちの動きに触発されて、ヨーロッパででの反核運動、オルタナティヴ運動のことを日本に伝え始めたのが83年ぐらい。しかも、そのなかで音楽や文化の果たしている役割の大きさに驚嘆することになる。デモや集会には必ず音楽があった。CRASSといった究極のパンクからポップ・グループといったエキセントリックな流れだけではなく、ビートからスペシャルズ、マッドネスといった2トーンにジャムやビリー・ブラッグ、エルヴィス・コステロ... 名前を上げればきりがないだろう、そんなミュージシャンが現場に顔を見せ、それを集約したのが当時のグラストンバリー・フェスティヴァルだった。

 そんなものに大きな刺激を受けて、「なぜ日本ではミュージシャンの政治意識があまりに希薄なのか」という疑問に突き当たることになる。なんとかできないか... と思っていたところで、前述の人たちと出会い、それが形になったのがアトミック・カフェ・フェスティヴァルだった。大きく記憶に残っているのは尾崎豊のデビューとなった日比谷野外音楽堂。昨年この時の映像を見たんだが、彼の音楽にはまったく魅力を感じないけど、この時の彼の鬼気迫るパフォーマンスは確かに強烈だった。(まぁ、後にインタヴューをして、彼があまりに凡人であることに安心したり、失望したりするんだけど)それに、後楽園ホールでのものも素晴らしかった。ここにはアスワドも出てくれたし、アイスハウスとか、ロス・ロボスも名前を連ねていたんじゃないだろうか。スマッシュというプロモーターであるはずの彼らが、よくもまぁ、こんなことをやってくれたものだと思う。採算もくそもなく、「気持ち」でミュージシャンを説得して、形にしてくれた彼らへの信頼感はこのころから一度も揺らいだことがない。

 実は、うちを家捜しすれば、このころ、ビリー・ブラッグと一緒にわずか200人ぐらいで銀座から赤坂あたりをデモしたときの映像が残っていると思うのだが、この時は、エコーズというバンドをやっていた(今は作家の先生になってしまった)辻君なんかも顔を出しているはずだ。わずか200人程度。それでも、初めて普通に音楽を好きな人たちがこうやって集まれたことが嬉しかったような、同時に、わずか200人でしかなかったことが悔しかったような記憶が残っている。

 そのときの中心人物のひとり、大久保君がどうやら次の都議会選挙に立候補するようだ。世田谷区らしいだが、自分は区民ではないので、投票することはできない。それに、たいていの選挙ではいかに「自民党」と「公明党」を落とすかだけで投票するんだが、都議会選挙だったら、まだ、「支持できる人間」に投票することの意味があると思う。なんとか彼には当選して欲しいものだ。石原ファシスト政権の牙城にくさびを打つには、こういった人たちが絶対に必要なのだ。



投稿者 hanaoyaji : 11:49 | コメント (0)

2005年02月23日

つながるなぁ

Buffalo Daughter こうゆうことって、やっぱ、あるんですね。昨日、恵比寿でのミーティングのあと、例によって中目黒のクイーン・シバに出かけて、時間をつぶしていたら、先日、Leyonaと一緒にここに来ていた韓国人のサンが仲間を引き連れてやってきた。そのなかのひとりが「花房さんじゃないですか?」って声をかけるわけです。「そうだけど...」と応えると、「覚えてますか?昔、クラブ・ハウスで一緒だったんですけど... 今、バッファロー・ドーターやってるんですよ」なんて話が出てきた。

 ん? クラブ・ハウス?それって20年ぐらい前の話じゃん。あれは、東京に出てきて、大学時代の仲間が立ち上げた会社のような、編集プロダクションのようなものに合流したんだけど、それが発展して、この名前を名乗っていたように思う。どうも、そこで彼と出会っているというのだ。といっても、ずいぶん昔のことで、(これって、よくあることなんだけど、なかなか人を覚えないというか、すぐに忘れてしまうのね。まぁ、昔から老人のようなのよ、私って)思い出せない。おそらく、当時の写真とか、もう少し時間があれば思い出せるのか知らないけど。といったわけで、「もしわけないなぁ...」と思っていたわけです。

 実は、この時の仲間が今、いろいろなところで活躍している。中心人物だったKくんは会社を作っていろいろやってるし、かつて写真家志望だったSくんは、自分にとってマックの先生のようになり、今は、なぜかウインドウズ・ユーザーでコンピュータ関連の仕事で上海にいる。また、当時、売れないフリーのライターだったNくんはミッシェルガン・エレファントのマネージャーになり、その相棒のKくんとは、昔PILの、入手不能だったアルバムの輸入を一緒にやっている。ちわきまゆみと一緒にバンドをやっていたNさんとか、けっこう有名なライターとなったNくんもいれば、じゃがたらのOTOと一緒にいろいろなプロジェクトを手がけているKくんに、レコード会社に行ってウルフルズをみつけてきたKくん... いやぁ、イニシャルだけだったら、全然わからないと思うけど、仲間にはわかるでしょ?

Buffalo Daughterg ってなことで、人ってつながっているなあ。なんて思ったわけです。しかも、彼がやっているというバンド、Buffalo Daughterって、昨年のライジング・サン・ロック・フェスティヴァルで写真を撮影していたのね。ここで見られるんだけど、当然撮影していたときに、そんなことわかってるわけはないわけで... いやぁ、面白い。

 しかも、彼と一緒に来ていた女の子が、その昔ファンキー・トマトというTV番組をやっていたときに、いつも見ていてくれたらしく、初めて出版した本、「ロンドン・ラジカル・ウォーク」(すでに中古でしか入手不能)も読んでいてくれたんだとか。さらに、バンドをやっているらしく、今度撮影しに行くことになった。いやぁ、つながるね。つながる。



投稿者 hanaoyaji : 15:24 | コメント (0)

2005年02月22日

バカは死ななきゃ...

Crosby Stills Nash & Young やっぱ、直らない。また、やっちまった。でも、嬉しいのだ。

 なにをやったかというと、同じアルバムを買うこと。子供の頃から大好きだったCrosby Stills Nash & Youngの名作ライヴ・アルバム『4 Way Street』なんだけど、かなり前にCDを買っていた。実をいうと、日本で一番最初に発売されたもので、これはレコード会社が回収を要求したものだった。なんでも、原盤元のレコード会社の許諾をすることなく、勇み足で発表したんだが、出荷後に、それが発覚して、小売店に「回収」を求めたというもの。といっても、たまたまその話を友人のレコード屋さんで耳にして「いやぁ、実は、僕も好きなものだったから、『売れちゃった』といって、回収させなかったんだ。だって、これは、欲しい人が絶対にいる名作だから」ってなことで、それを買ったのが自分だった。

 あれは1989年のことで、CD化されるだけで嬉しかった時代。しかも、ファン心理というのか、「これは、コレクターズ・アイテムになってしまうなぁ」という思惑もあった。というんで、買ってしまったのだが、後悔はしていない。なにせ、高校生の頃、最もロックを感じさせてくれた名盤だ。2枚組で1枚目はアコースティックで、2枚目はエレクトリックという構成。そのエレクトリックの方に収録されている『Southern Man』や『Ohio』が好きで、文字通り、「聞き狂った」と言えるほど気に入っていた。人種差別問題を前面に出した前者、そして、オハイオの大学で4人の学生が州兵に殺された事件をテーマにしたのが後者。鬼気迫るニール・ヤングの声、ギター、それに触発されたかのようにバトルを繰り返す、それぞれのメンツのリード・ギターにとてつもない「叫び」を感じたものだ。もちろん、そんな印象は今も変わらず、いつ聞いても10代だったあの頃と変わらない新鮮さで迫ってくる。

Neil Young そのアルバムが、また、CD化された。しかも、例によって例のごとくなんだが、ボーナス・トラックが入っている。なぜか国内盤にはボーナス・トラックが1曲少なくて...(なんでなんだろね)しかも、アメ盤にしか収録されていない曲がニール・ヤングの(実は、このアルバムで、最も魅力を感じるアーティストでもある)メドレーで、 The Loner / Cinnamon Girl / Down by the Riverときた。いやぁ、この曲名を見て、聞きたくないニール・ヤング・ファンは絶対にいないよなぁ... 69年のソロ・デビュー作、『Neil Young』に入っている曲、2枚目となる、そして、クレイジー・ホースとの『Everybody Knows This Is Nowhere』の巻頭を飾る曲、同じく、そのアルバムに収録されていて、しかも、個人的には最も思い入れのある映画『いちご白書』でフィーチャーされたのが最後を飾る。(ちなみに、このサントラはほとんどニール・ヤングのアルバムに近いですけど...と思って、アルバムの収録曲をチェックしようと思ったら、CDが見あたらない... 困った。記憶では、この曲の他に、『Helpless』が入っていたし、『The Loner』も入っていたように思うんだけど、どうだったっけ? それに、ニール・ヤングの曲じゃないけど、Thunderclap Newmanの『Something In The Air』がめちゃいい。)

 おっと、話題がそれてしまったけど、ニール・ヤングのこのメドレーだけで、『即買い』を判断してしまったんだけど、いいんだなぁ。考えたら、1曲(メドレーだけど)のために数千円を支払った感じだね。アホーです。まあ、大人げないです。でも、いいんだなぁ。と、結局、死ぬまでこれが続くんだろうなと思います。情けない。



投稿者 hanaoyaji : 02:03 | コメント (0)

2005年02月21日

日本人じゃなかったら、ええんか?

Italia 朝日新聞のニュースでこういったものがあった。イラクで拉致されたイタリア人女性ジャーナリスト、ジュリアナ・スグレナさんの解放を求めて20万人がローマでデモ行進をしたというニュースで、おそらく、あの街が虹色の旗で埋まったんだろうと想像できる。

 2年前の3月、仲間のバンド、Banda Bassottiのツアーを取材するため、そして、彼らにツアー・ドキュメントの撮影の依頼を受けて、ローマに飛んで彼らとしばらく一緒に過ごしていたんだが、あの時、最も驚かされたのは町中が「PACE」(イタリア語で平和)と記されたに地色の旗に覆われていたことだった。アメリカとイギリスによるイラク攻撃を受けて、個人がその意志を自分の場で表明するというもので、自分自身もそれを受けて、数枚購入し、今も自分の家の窓にこれを出している。少なくとも、自分はこういった事態に「反対している」ということを明白に主張するのが目的だ。

 あのイタリア取材で覚えたのはPACEという言葉と「CONTORO LA GUERRA」(戦争反対)で、普通の会話になる言葉が全然覚えられなかったのに、これだけはしっかりと記憶に残っているのが面白い。
そのイタリアで、今、、昨年4月の日本のような事態が起きていることになる。

 あの時、日本人の人質が取られたということで、数多くの人たちが「動いた」。当然、自分もそのひとりで、デモをしたわけでもないけど、「個人として」メールで、アラブ系のメディアに対して、「人質になったのはイラク人への人道支援のためにいるのであり、イラク攻撃している勢力とはまったく関係ないどころか、そういった動きに反対しているのだ」ということを伝えまくったことを覚えている。また、一般でもいろいろな動きがあった。まぁ、その結果として解放された人質を暖かく迎えるどころか、「自己責任」という罵声を上げた日本人は世界の恥さらしになり、「国家」の方が「国民」よりも遙かに、比較もできないほどに優先されるというか、「国民の犠牲」は「国益のためには当然だ」という、小泉政権や政治家たちのファシストぶりが明らかになったわけだ。国を作っている民の利益こそが国益なのに対して、「国家」を作っている政治家や権力者の利益が「国益」だとされていることに対して、まったく理解できない「国民」のあほさ加減も明白になった。犠牲にされるのは、あんたたちなんだよ。それがはっきりしたというのにな。

安田純平 それはともかく、あれからも数多くの人たちが人質になり、殺害されていった。それどころか、あのイラクでは数え切れない人々が今も虐殺されているのだ。もちろん、「民主主義と自由」を「教える」そして、「導入しようとした」アメリカやイギリス、だけではなく、「自己責任宣伝」で功を奏した日本などのおかげで、本当の情報がマス・メディアで流されることがなくなり、幅を利かせているのは「大本営」のプロモーションをになう「宣伝屋」のプロパガンダ。ここ数年の大本営発表中継局、NHKなどその際足るもので、自衛隊と小泉政権の宣伝屋以外の何者でもないといったていたらくを見せている。もちろん、はなっからNHKなんぞを「ジャーナリズム」だとは思っていないので、信頼なんかしていないけど。

 あの頃、後に人質にされて解放されることになった安田純平の本を読んでいるのだが、その記述や彼の講演会で最もひっかっかっていたのは、「あんたたち、日本人が人質になったからここにいるんだろ?日本人は心配でも、ここで殺されている俺たちのことは二の次なんじゃないか」ってな言葉をかけられたという下だった。 正確ではないんだが、結局「日本人が心配なんだろ。俺たちのことなんてどうでもいいんだろ?」そうんだろうなぁと、今回もそう思った。イタリア人のジャーナリストがどうなろうと、イラクの人たちが虐殺されようと、「戦争」ではないにしろ、アフリカでは毎日何百人がエイズで死んでいること、その多くが子供たちだということ、そんなことどうでもいいんだろう。自分たちだけの小さな世界で、自分たちだけが幻想の「平和」のなかで生きていりゃ、それでいいんだろうと思うのだ。

 でも、我々ひとりひとりが大きな流れのなかでつながっていることを忘れてはいけないと思う。我々が海外から入ってくる「安い商品」を買うとき、そこには、低賃金で奴隷のように働かされ、人間としての生得権を奪われた人たちがいること、イラク(だけじゃないけど)で人の血が流されているとき、自分たちの税金によって「殺害のための物資」が動かされていること、そんな意味でいえば、我々は殺人の当事者であることを認識すべきなんだろうと、そう思う。

 そして、それを現実のものとして認識するためには、「平和」というものを、「戦争」がない世界を作るには、私という個人と「あなた」という個人がコンタクトし、つながらなければいけないということを感じる。最も有効な平和運動はグローバルな意味での友達を作り、仲間を作り、それぞれの人たちに対する敬意の念を持つこと、尊重し合うこと以外にはないんだろうなと思う。



投稿者 hanaoyaji : 07:20 | コメント (0)

2005年02月20日

キャンドルに火を付けて...

 戦争がなくなるのか?どうやって国を守るんだ。
 非戦音楽人会議を立ち上げて、そういったメールが入ってきた。よほどおめでたい「頭脳」をもっているんだろうと思う。理解できないんだろうが、「キャンドルに火を付けようが」「国家予算分の爆弾を落とそうが」戦争は終わらない。それだけのことです。だから、「あたり前」と思われている発想をやめましょうよといっているんですよ。

 平和を守る? どこが平和やねん?税金で、あるいは、それ以外でもいい。自分の金が「武器」に使われているということで、「平和」ではないんです。武器はなにのためにありますか?「国を守るため?」でも、武器はものを壊すことしかできないんです。それがその役割なんです。だから、それを持っていることで、すでに暴力であり、敵を仮想することなんです。仮想するということは敵を作ることなんです。当然でしょ?さらに、ホームレスがいて、貧困があって、震災などで家を失った人がいて... って、そういった人に、同じお金を使わないということで、それはすでに「殺人」であり、反「平和」行為なんです。

 じゃ、どうやって国を守るのか?そんなもの守らなくていいです。国ってなに?騙されてないですか?政治家が「国」というのは、彼らが利権を得るための組織であり、体制でしかないです。だって、私たちの生活を守ってくれてますか?年金の額がどんどん、払えないほどに大きくなって、払えなかったら、「おまえはダメだ」ってか?そのくせ、連中は年金や税金という名の下で吸い取った金でなにを買った?戦車1両10億円。これ、1量の値段です。その金で中越地震の被災者のどれほどの家族が家を建てることができます?1回の自衛隊の演習で使われた金額が32億円。イラクで殺された橋田さんというジャーナリストのレポートで、「サマワでは2lのペットボトルに入っているミネラル・ウォーターが40円で買えるんです。でも、自衛隊は850lの水を作るのに1日の計算でいえば、2000万円を使っているんです」というのがあった。その時点の話だけど、こんな不条理がまかり通るわけでしょ?迫撃砲が落ちました。だから、4週間「最も完全で快適な(地元の家を壊されて、仕事もなく、途方に暮れている人たちに比べれば)陣地で「仕事をしていた」自衛隊員に特別支給された税金はいくら?

 あほらしい。僕らが知らなければいけないのは、そのお金が僕らの支払っている税金がその「正義」や「国益」に使われているってことです。「国益」というのは、お金をどぶに捨てることなんだとしか思えないんだな。そんな金があったら、地元の人たちが仕事を作って、自分たちの足で立って生きるために使えばいい。簡単な話、武器を作るなら、軍隊を送るなら、金送れ。でしょ?だいたい、自衛隊なんて言葉、大うそつきです。あれは軍隊です。ニュースを聞いていて、「Self Force Difence」なんていっているものはありません。日本は軍隊を戦地に送っている。それだけのこと。

 で、憲法に従属するはずの首相が「あれは軍隊です」と、正々堂々と「憲法違反を宣言している」わけです。なぜ、こんな人間が刑務所に入れられることなく、とんでもない額の給与(私たちの税金)を毎月のように受け取り、その税金を支払っている我々が極貧にあえいでいるのか?そんな単純な疑問がなぜ正論として受け取られないのか?単純にいってしまえば、みんなアホーだと思ってしまう今日この頃。まぁ、これは、ぼやきですけど。



投稿者 hanaoyaji : 03:43 | コメント (0)

2005年02月19日

無理して毎日書くことたぁねぇが...

Maceo Parker たまたまなんだけど、ときおり、本当に見てみたい、聴いてみたいと思うようなサンプルがうちに届くことがあって、これはそんな1枚。JBズの要、メイシオ・パーカーのDVDなんだけど、例によって国内盤はべらぼうに高くて、(せっかくサンプルもらったのに、悪いけど)おすすめできません。だって、これを2枚買えば、昨日書いたあのボックス・セットが買えてしまいそうだから。でも、US importは、CDより安いので、こっちがおすすめ。(なんでも、リージョン・フリーらしい、これ)そんな心配をしたくないのだったら、マルチ・リージョン用のDVDプレイヤーを探してくださいませ。ちなみに、秋葉原で5000円も出せば、マルチのDVDプレイヤーを購入できるので、日本で再生できないといわれる輸入盤のDVDを数枚買えば、元は取れます。

 で、このメイシオの作品なんですが、「ファンクってのはこういうもんなんだ」ってのを、正確に伝えてくれているという意味で、これ以外にないだろうと思えるほどに素晴らしい。amazonでのファンの書き込みは「演奏の途中でインタヴューが入る...」とかって文句いってるけど、そんなのほんの少しだし、ただライヴの映像だけを楽しみたいんだったら、買わないでよろしい。でも、ファンクってのがなになのか、そのベストのものを知りたかったら、そして、身体の中に吸収したかったら、これでしょ。というのが私の考え方。充分に素晴らしい作品です。


 さらに加えて、実をいうと、この時、ベースを弾いていたのがジェリー。中目黒のソロモンのレストランに来ていた人だったら知っていると思うけど、昨年のいつぐらいまでだったかは覚えていいないんだけど、毎週火曜日にジャム・セッションが開かれていて、その中心となっていたのがこの人。はっきり言って、こんなにベースがうまい人は見たことがありません。タッチも強力で、時にはベースの弦が2本も切れることがあって... それなのに、そのまま演奏を続けてウルトラ・ファンキーな音を出してたという... まぁ、信じられない人です。しかも、ベースだけでの弾き語りでソウルの名曲を歌うかと思えば、とんでもないソロを見せてくれたり... ジャコ・パストリアスと共演させたら面白いだろうななんて本気で思いましたもの。

 ちなみに彼とのセッションには友人のミュージシャンがけっこう加わっていて、ケムリのホーン・セクションの亮介や、コバケンも一緒にやったし、ワッツラヴ?のホーンをやっている高木君、ブラック・ボトム・ブラス・バンドのモンキーやヤッシーも、元ミュートビートの増井君やスリープウォーカーのマサやん、それに、スリーピースのかおりちゃんや原君、一度、忌野清志郎もここにいたように思う。ともかく、毎週のようにそんなセッションが繰り広げられていたわけだ。

Young Disciples そのジェリーと話をすると、なんでも彼がまだ若かった頃、地元のアマチュア・バンドの流れで知り合ったのが、後にイギリスに渡ってヤング・ディサイプルズのヴォーカルとなるCarleen Anderson。(名作中の名作はRoad To Freedomで、このblogに来る人ならもっていなきゃダメでしょうな)彼女の父親はソウル界の大御所、Bobby Byrdで、ある日、ジェリーが彼女の家にこないかと誘われたんだと。「うわぉ、こんなかわいい娘に!」なんて思ったらしいけど、それを見越した彼女は「はっきり言っとくけど、私は見かけより歳いってるから...」と言われたんだそうな。実際、彼女に会った80年代、すでに彼女には17歳の息子がいたからなぁ... それはいいとして、その家に行って驚いたんだそうな。「おまえ、なかなかいい筋をしてるじゃないか」と言われたのが、そのBobby。ジェリーにとっては神様のようなソウルの伝説的人物で真っ青になったんだとか。その彼に誘われて、彼のバックで演奏を始めていったとか。ところが、彼はあまりライヴをしていなかったんだが、彼を経由して紹介してもらったのがメイシオ・パーカー。ほんでもって、彼に気に入られてバンドのメンバーになり、10年近く一緒に演奏していたのだ。そのときのライヴがこのDVDで、仲間がこういった作品に登場して、しかも、演奏がいいだけではなく、歌も歌っているのがいいのよ。実を言うと、彼の歌があまりに良くて、ショーを乗っ取られるのが嫌で、それほどは歌わせなかったらしいが、ここで彼はマーヴィン・ゲイの曲を歌っております。実を言うと、この歌の世界が中目黒のあのエチオピア・レストランで毎週聞けたのね。いろんな友人に彼のことを紹介したけど、誰も本気にしなかったのさ。一度でも彼の演奏を見れば、一緒に演奏したいと思うはずなのに... もったいないよなぁ。

 ってなことで、そんな素晴らしいミュージシャンがこのDVDで演奏しています。もちろん、メイシオも、Pee WeeもFredもとんでもないです。ファンクってぇのは、小屋が揺れる音楽なのよ。実際、彼らを渋谷のOn Air Eastで見た時なんて、壁が揺れていたもの。それを見事に伝えてくれているのがこの作品。チェックしてくださいませ。



投稿者 hanaoyaji : 02:38 | コメント (0)

2005年02月18日

こわい... けど、嬉し

Godfathers and Son ネット・ショッピングはこわい。だってね、基本的にクレジット・カードで支払うことが多いから、どこかで実際にいくら使っているのか... ってのがわからなくなることがあるのよ。でも、いいものはいい。欲しいものは欲しい。と、清水の舞台から飛び降りる気分で、かなりの覚悟を決めて購入確認ボタンをクリックしまうことになる。そのひとつが、なんと7枚組のDVDボックス・セット、「Martin Scorsese Presents the Blues」。まぁ、1枚平均で言ったらそれほど高いものではないし、逆に安いように思えるんだが、さすがに7枚組となるとすごい。

 レートによって若干違うけど、僕がクリックしたときは15200円弱だった。でも、注文の時の確認ページで見ると配送されてくるのはかなり先のことで、それだったら引き落としも先だから、なんとかなるだろうと思っていたら、やってきてしまった。しかも、同じように、「どこでも在庫がなくなっている」というiPod shuffleも「数週間はこないだろう」と注文していたら、2日続けてamazonから配送があった。「ぎゃぁ〜、どないせいっちゅうねん!」と思ったけど、後の祭り。金はなんとかするけど、しばらく「なにも買わない」「贅沢は敵だ」(というか、できない)状態を続けないといけない羽目になった。

 それでも、実は、嬉しいのだ。当然ながら、なかなか時間がなくて、全てを見ているわけではないんだけど、一番最初に見てしまったこの作品、マーク・レヴィン監督の『Godfathers and Son』だけでも、昇天しそうなほど気に入ってしまったわけです。この監督はストリート詩人というか、ラッパーというか、そんな黒人を主人公にした映画『スラム』を作った人で、あの映画でも感じたアフロ・アメリカンの文化に対する敬愛の念に溢れた視線が、この『ブルースの旅』をコンセプトにした映画でもにじみ出ているのだ

Godfathers and Son この映画に関する説明はいろいろなサイトでされているから、そのあたりをチェックしてくれればいいんだけど、ここにある『ラップとブルース』がまったく同じものであるという発想や流れが、実感として伝わってくるのが素晴らしいのだ。68年に発表されたというマディ・ウォータースのアルバム『Electric Mud』との出会いで、ブルースにはまったというパブリック・エネミーのチャックDがルーツを探していくというストーリーといえばそうなんだけど、そのシーンのひとつひとつに感動したり、興奮して自分の心臓の鼓動が聞こえたり... と、この1本を見て、それだけで「安い買い物だ」と思ってしまったのだ。

 映画は見てしまわないといけないものだから、あまり内容のことは書きたくないんだけど、最後の方に登場するオリジナルのブルース・マンたちとチャックDやThe Rootsのメンツとのセッションなんて鳥肌ものです。それだけじゃなくて、ちらりと登場したハウリング・ウルフの映像なんて、これまで見たことがなかったからなぁ。と思っていたら、このDVDには、ボーナス・トラックがあって、映画のなかでは全て見せられなかった演奏シーンがきちんと収録されているのだ。おそらく、本邦初公開だろう、ハウリング・ウルフの晩年の演奏である「Evil (Is Going On)」が全て見られるし、そのほかにもOtis RushやKoko Taylerなど、それだけでも30分ぐらいの映像として楽しむことができる。また、まだ見ていないんだけど、監督とのインタヴューとか... このあたりも見なければと思っている。正直、このハウリング・ウルフの映像だけでも、元は取れたと思ってしまった私って、アホかもしれませんが、やっぱ、いいよ、彼は。

 ちなみに、amazonの説明ではリージョン1で日本のDVDプレイヤーでは再生できないと記されているけど、全然問題ないです。さらに加えて、マーケット・プレイスではこのボックス・セットが(新品なのに)さらに3000円ほど安く買えるようです。(気が付かなかった!失敗)もちろん、字幕は付いていないけど、少し英語がわかれば意味はわかると思いますね。(まだ、1本しか見ていないけど)もし、字幕付きの国内盤が欲しければ、「ザ・ブルース ムーヴィー・プロジェクト コンプリートDVD-BOX」として、国内発売されるようです。3/4発売で、予約すると20%オフで、23000円弱。輸入盤と比べると、とんでもなく高いですが..

 ってなことで、次はクリント・イーストウッド監督のを見ようかしら。その結果はまた、書くことになると思いますね。いや、きっと書くはずよ。


投稿者 hanaoyaji : 04:46 | コメント (0)

2005年02月16日

Rockers25周年!

Leyona 昨日の夜、行きつけの(ほとんど自分にとっては飲み屋になっている友人のレストラン)中目黒のエチオピア・レストラン、クイーン・シバでLeyonaと会った。といっても、彼女が仲間と一緒に食事に来ていて、そこに少し加わらせてもらったということなんだけど、彼女とはBen Harperがきたとき(そのときのフォト・レポートはこちら)にシアター・ブルックのタイジに紹介されて、結局、昨年の11月に彼女のライヴを撮影している。隣の写真はそのときのもので、そのときのレポートはこちらで確認できる。

 そのとき、一緒だったのが、大好きな映画「Rockers」に関係された方で、今年はあの映画が公開されて25周年になるという話を伺った。それを契機に、世界中でいろいろな動きが出てくるというか、作ろうとしているらしく、あの映画の大ファンとしては実に嬉しいニュースだ。なにせ、この映画に登場しているのはレゲエが最もヴィヴィッドだった時代のスターたち。今は亡きオーガスタス・パブロ、ジェイコブ・ミラー、トミー・マクックから、健在のグレゴリー・アイザックス、デリンジャー、ロビー・シェイクスピアーになんと、ジョー・ヒグス(まだ生きてるよね?)といったプロデューサーまでが登場している。他にも、名前と顔が一致しない人もいると思うんだけど、ジミー・クリフが主演したクラシック、『ハーダー・ゼイ・カム』と並んで名作中の名作映画だと思っている。

Rockers 詳しい話はそれほど聞いてはいないけど、この映画がリマスターされてDVDとして発売されるとか。今でもこの作品のDVDはこちらで入手可能だけど、ワイドスクリーンになって、ボーナス映像もいろいろと考えているんだとか。嬉しいねぇ。めちゃくちゃ嬉しいねぇ。なにせ、あの映画の中にはオーガスタス・パブロのレコーディング・シーンとかも入っているし、どんな未発表映像が飛び出してくるのか興味津々だ。

 それに、以前、ロンドンの友人から「バーニングスピアのシーン、あるじゃない。海岸で彼がホースマウスの隣で歌うシーン。あの時、周りにはいっぱい人がいたのに、みんながシーンとしてあの光景を見ていたんだよ」なんて話を聞いていたものだから、その話をすると、「なんで、そんなこと知ってるの?実際、そうだったの。ものすごい人がいたんだけど、誰ひとりとして物音もたてなかったのよ」と伺った。いやあ、あの映画は奥深い。すでに何度も見ているんだけど、そこまでのディテールに注意してみているわけではないから、あまり多くは語れないかもしれないけど、今度またゆっくりとそんなところを確認しながら見てやろうか... なんて思ってしまった。

 加えて、イギリスのレゲエ映画『Babylon』もなんとかDVDにして欲しいものだと思う。アスワドのリード・ヴォーカル、ブリンズリー・フォードが主演しているもので、確か80年ぐらいに当時住んでいたBrightonでこの映画を見ている。ここにはJah Shakaなんかも登場していて、これも傑作。でも、日本では公開されたこともなく、確か、これはまだDVD化されてはいないと思うし、ビデオにもなってはいないように思う。ほしぃなぁ。というか、今度、ロンドンに行ったら、このあたりをチェックして、日本で出したやろうと思う。と、また、昔の仕事に戻っていくような気配を感じるな。だってねぇ、世の中にはいい作品がいっぱいあるのに、日の目を見ていないものがいっぱいあるのよ。



投稿者 hanaoyaji : 11:40 | コメント (0)

2005年02月14日

広島に三代目春駒小林一彦という人物がいる

DIANA KRALLn 出会いはKEMURIのTyphoonツアーの時。広島クアトロの楽屋で初めて顔を合わせただけで、よく考えるとあれ以来全然会っていない。KEMURIのフミオによると、「あの人、ああ見えても、武術家ですから。それで、音楽やってるんです」と言われたんだが、なかなかそうは見えなくて、「人は見かけによらないなぁ」と思いつつ、楽屋のラジカセで「こんなのを作ったんですよ」と聴いたのが『その男、ヨシオ』とタイトルの付けられたCDだった。そのあたりのことは本来のサイトのFAVOURITES の奥深くに書いているので、読んでもらえればと思うが、たまたま非戦音楽人会議のことを伝えようと思って、彼のサイトににアクセスして、BBSにメッセージを載せたら、どうやら彼も僕のことを思いだしていたらしく、レスが返ってきた。しかも、CD入りの郵便物まで届いてしまった。

 その中に入れられていたのは、「ぞっこんイカ・レボリューション」とタイトルの付けられた新しい曲で... それを聴いて思い出したのは、あがた森魚の大昔の曲、「元祖ラジヲ焼」。さて、小林君がこの曲を知っているかどうか... あれを頭に入れて作ったとは思わないし、おそらくは偶然の符合なんだろうけど、面白い。

 でも、なによりも嬉しかったのは、おそらく、簡単な機材で録音したんだろう、彼のライヴを焼いたCDだった。いたく惚れ込んでいた、彼のおじぃさんの歌、「その男、ヨシオ」は当然はいっている。ピカドンから3日後には風呂を作って、身体を洗ったというたくましい人物の歌は、まるでマーヴィン・ゲイそのままだった、あのCDのヴァージョンとは違ってシンプルなんだけど、「生きている歌」の力強さは、そんなことをみじんも感じさせず、頭の中枢になだれ込んでくる。いい歌があり、伝わる声があることがどれほどの力になるかを雄弁に物語っているように思えた。

 それに、まるで演歌のような「夫婦蛸」も素晴らしい。おそらく、彼の中にはソウルもファンクもブルースもレゲエも関係なく、「いい音楽」が、心打つ音楽が、そして、それを聴き取ることのできる人間の優しさがあるんだろう。なにを歌ってもとてつもない説得力を持って迫ってくるのだ。

 そして、「38度線」から「ひかりのうた」とライヴは終幕に向かうのだが、タイトルからも想像できるように歌の背景には「政治」がある。そういえば、むき出しのプロパガンダしか思い起こせない人は、とんでもなくかわいそうだと思うけど、そうじゃなく、どこまでも優しく、人間的な感性を持ち合わせていれば、政治に向き合わざるを得ないという現実が歌になっているということだと思う。

 送ってくれた自家製のCDに収められているのは6曲。そのうち、以前もらったCDに収録されているのは2曲だけで、残りは初めて聞くもの。でも、そのすばらしさに、またまいってしまった。レコード会社から送られてくるサンプル盤なんて、ほとんど聴くことがなくなって... 要するにつまらないものばかりだから、レコード会社が送ってくるのは「ダメなものなんだ」という偏見が作られたんだろうと思うけど。それなのに、録音状態もいいとは言えない、自家製のこのライヴCDを何度聞いただろうか。

 特に、最後の曲「ひかりのうた」はずしんと重たく心に響き、なぜか涙が出た。こんな簡単な説明でいいのかどうかわからないけど、「悲しい世界に住んでいるけど、どんなにつらくても、僕らにはうたがあり、心にひかりのうたをとどけたい」といった感じか? 曲の終わり近く、広島から、長崎から、沖縄から、東京から、ニューヨークから、バグダッドから.. と街の名が続き、この街から、この場所から、この国から、もう一度悲しみの中で笑えるように、ひかりのうたを... と、クライマックスを迎える。こんなに素晴らしいうたを聴いたのは久しぶりじゃないだろうか。

 なんでも地元の広島を中心にラジオのパーソナリティをしたりという生活らしく、ほとんど東京でライヴをやることはないんだそうな。いいねぇ、広島の人たちはこんなに素晴らしい歌を生で聴くチャンスがあるんだから。できれば、今度彼がライヴをやるときには広島に出かけてみようかと思う。彼が歌う姿を写真に撮りたいし、生で聴きたいと、そんな想いが募り始めた。

 おそらく、彼のCDを入手するには彼のサイトにを通じてコンタクトを取るしかないと思うけど、(地元広島では買える店があるようだけど)できれば、買って聴いてみて欲しいと思います。歌がどれほど素晴らしい力を持っているか、きっとわかると思うから。


 

投稿者 hanaoyaji : 05:08 | コメント (0)

2005年02月13日

フランスの高校生たちに乾杯

 たまたま電車で大崎に行くことがあり、そのときに夕刊を買った。気になったのはこの記事。記事によると、バカロレア(大学入学共通資格試験)の科目を減らすことに対して高校生たちが反対して... とあるけど、本当はその程度のことではないはずだ。記事では「総合評価」によって貧困層が不利益になるといった簡単な記述がある程度だけど、もっとなにかがあると見た。

 いずれにせよ、全仏で10万人の高校生がデモに参加して、政府の政策を変更させそうだとのこと。この行動力に対して、敬服するしかないように思える。おそらく、日本でこんなことはあり得ないだろう。といっても、高校生たちの方が、「わかったようなふりをしている」大人たちよりも遙かに行動力があると思うが、そういった動きがでても、おそらく、そのわかったふりをした大人たちにつぶされるのではないかと思える。

 それはかつてラディカルだった大人たちに濃厚で、かつて保守的だった大人たちよりも癖が悪いと思っている。その理由はわからないし、経験上の判断でしかないんだが、かつて友人のジャーナリストが、「かつての革命家は今の反動家である」といっていた言葉にそのまま当てはまる。今、日本の軍事大国化が当然のこととなり、(海外では誰ひとりとしてこうは呼んではいないが)自衛隊が軍隊として機能し始めているというのに、誰ひとりとして「かつての革命家」が動こうとしていないのはなぜ?それとも、私たちが知らないだけ?

 スマトラ沖地震と津波の被災者への人道支援として陸海空三軍が大挙して現地に向かったとき、それに反対した政治家はいたか?市民はいたか?とんでもない大金をつぎ込んでいるくせに、あの翌日には日本を離れて、現地の救援活動に入った草の根のグループを支援することもなく、金を出すこともなく、自衛隊(軍隊)宣伝への格好の素材だとメディアをフルに利用するのが目的なのは、ガキにでもわかる。中越地震に関しても、自衛隊が宣伝に使われただけだ。1日の演習で35億円を使っても、個人の被災者にどれほどの金銭的な支援を与えたのか?二重ローンや生命保険の問題で、どれほど多くの個人が自殺に追いやられたか、私は忘れてはいない。「国を守る」という言葉の裏で、「軍備」だけが国を守れるなんて発想しかもてない政治家をやめさせようよ。かつて軍備が「国を守ったことがあったのか?」真剣に考えてみればいい。結局、取るに足らない個人は全て犠牲となり、残されたのは権力の中枢にいた人たちと、そこにへばりついていた少数の金持ちや資本家たち。一般市民は苦汁を飲まされてばかりじゃないか。もう、そんな発想がまったく機能しないことを僕らは肝に銘じるべきだ。使われないために、使われる莫大な金が、戦争になろうが、なるまいが、その時点で僕らをじわじわと殺しているということになぜ気が付かないのか?

 私はそういった化石のような発想に完全に決別して、なにがどうあっても戦争やそれに荷担する行為、あるいは、「行動しない」という行為も否定します。そんな意味を込めて非戦音楽人会議を友人たちと立ち上げました、といっても、最も重要なことは「組織でなにかをする」ということではなく、「個人としてその決意を公の場で表明すること」。その意味が理解できる方にはこの声明に賛同してもらって、戦争拒否する人たちのネットワークを作っていければと思っている。



投稿者 hanaoyaji : 04:32 | コメント (0)

2005年02月11日

ごあいさつ

 本当はvoice outの更新をしなければいけないんだけど、じっくりと「なぜ、こうなったのか」という説明をするには時間がなくなってしまったこともあり、こんなblogを始めてしまいます。
 といっても、未だ、ブログに対する理解もできていない状況で、これからどうやってカスタマイズしていけるのか、それ以前に、なにがどうなのかを理解しなければいけないという状況。でも、まぁ、それも、自分のサイトを始めたときと同じようなもの。まあ、なんとかなるだろう。
 よろしく。

投稿者 hanaoyaji : 04:41 | コメント (0)

ごあいさつ

 本当はvoice outの更新をしなければいけないんだけど、じっくりと「なぜ、こうなったのか」という説明をするには時間がなくなってしまったこともあり、こんなblogを始めてしまいます。
 といっても、未だ、ブログに対する理解もできていない状況で、これからどうやってカスタマイズしていけるのか、それ以前に、なにがどうなのかを理解しなければいけないという状況。でも、まぁ、それも、自分のサイトを始めたときと同じようなもの。まあ、なんとかなるだろう。
 よろしく。

投稿者 hanaoyaji : 04:41 | コメント (0)