2009年06月19日

Berri Txarrak in Chicago(ベリー・チャラック)

Berri Txarrak ロスからシカゴへひとっ飛び... わずか750円で往復のフライトだった。といっても、マイレージ、25000マイルを使っての予約で、その発券手数料がその金額だったということなので、それを「安い」と言っていいのかどうかはわからない。いずれにせよ、驚かされたのは、アメリカの国内便に関して言えば、マイレージを使ってのフライト予約が簡単で、使いやすいなぁということ。国際便となると、マイレージを持っていても使えないことが多々あり、それにこだわってフライトを選ぶのもなんだか騙されているような気持ちになるのだ。

 シカゴに飛んだのは4月14日で、わずか2泊。ここで大好きなバンドのひとつ、ベリ・チャラックがレコーディングしていたのが理由だ。以前もここに書き残しているんだが、彼らの仲間曰く「まるでフォークがそのままメタルになった感じ?」と形容され、エモ・メタルなんぞと呼ばれることもあるバスクのバンド。2年前の来日公演を取材して以来、めちゃくちゃ気に入っていて、マネージャーやバンドともけっこうコンスタントに連絡を取り合っている。なんでも、その彼らがヨーロッパのマーケットに関してロードランナーと契約して、新しいアルバムを録音していたので遊びに行ったという感じかな。なにせ、750円のフライトで、帰りのフライトのコネクションもいい。しかも、スタジオに泊まってもいいというので金もかからない。と、即決だった。いつものことなんだが、こうやって友人のところを転々としていると、日本にいるよりも金がかからないというのが面白い。

Berri Txarrak おそらく、秋口には発表されるだろう、ベリ・チャラックのアルバムをプロデュースしているのはスティーヴ・アルビーニ。彼のエレクトリカル・スタジオでのレコーディングというのだが、みんなに笑われるのを覚悟で書くと、この時点でも、私、この人がどれほど有名な人物かって、全く知らなかったのですな。なにせ、90年代のロック、しかも、アメリカ系となると全く聞いていないのですよ。彼の名前を知らしめることになったというニルヴァーナもピクシーズも聞いていないし、パールジャムもほとんど知りません。というので、この話をする度に笑われております。(今でも、笑えると思いますが)

 そのスティーヴとはほとんど話をしていないんだが、嬉しいのは、レコード好きな自分が中古レコードの店を探していることを告げると、いろいろな店を教えてくれて、わざわざ住所を書いたメモをくれたことかな。おかげで、いろいろな店を訪ねることができたんだが、結局、レコードを買うことになったのは、以前、この町を三味線ツアーで訪ねたときに、トムズ・キャビンの麻田浩さんに連れていってもらった店、Dave's Records。この時はMIyoshi Umeki(ナンシー梅木)の『シングズ・アメリカン・ソングズ・イン・ジャパニーズ』がみつかったのには驚かされた。っても、好きでもない人には「なんじゃらほい」なんですが、自分が愛してやまないハリウッド映画の古典、『サヨナラ』で、日本人初のオスカー受賞者となったジャズ・シンガーのアルバムで、初めてこれを聴いたのは今は亡きパパ・ジョン。横浜は野毛にあるジャズと演歌の店だった。それ以来、探していたアルバムがここでみつかったことになる。

Nancy Umeki さらに、Tut Taylor(タット・テイラー)というドブロ奏者の「Dobrolic Plectral Society」とウイリー・ネルソンのレゲエ・アルバム、『Countryman』ということで、最後の1枚のは新品だったけど、他は中古。ナンシー梅木(ミヨシ・ウメキというのがアメリカでの芸名)がCDで再発されるというのを知ったのは帰国してからと... まぁ、タイミングが悪かったんだが、おそらく、そのオリジナルだろう1枚を入手できたのは嬉しい。

 タット・テイラーもあまりなじみがないと思うんだが、昔からカントリーやブルーグラスが好きで、大好きなアルバム、ノーマン・ブレイクの『The Fields of November』やカントリー勢がジャズをやっている名盤、単純に演奏しているミュージシャンの名前を連ねただけの『Norman Blake / Tut Taylor / Butch Robbins / Vassar Clements / David Holland / Jethro Burns』での演奏が忘れられなくて、こんな機会に手を出してしまうのだ。

 ちなみに、前者の『The Fields of November』は翌年のアルバム、『Old and New』と2 in 1の形で出ているようなんだが、注意書きにCD-Rによる製品とあるのが、買うのを躊躇させます。また、後者のNorman Blake / Tut Taylor / Butch Robbins / Vassar Clements / David Holland / Jethro Burns』は隠れた名盤で、チャンスがあったら絶対に買って欲しいと思う。以前は、アナログからデータを起こして、iTunesに入れていたんだが、実は、今回の旅のロスでまれなCDを発見。購入している。ここに収められた「(Take) 'A' Train」は絶品です。

 さらに、ここで出会ったバンドのことも書きたかったんだが、それはまた次回ですな... なんか長くなりすぎたのです。


投稿者 hanasan : 03:30 | コメント (0)

2009年06月18日

Ozomatliが沖縄にやってくる!

Ozomatli ロスでリラ・ダウンズを取材して、その後は友人宅でお世話になりながら、ちょっとした休暇を楽しんでいた。といっても、昔からの仲間に会ったり... ということは、以前書き残している。加えて、オゾマトリのマネージャーにも会っていた。なにせ、彼らを初めて取材したのが1997年と、すでに彼らとのつきあいは12年目。四方山話をしようということになったんだが、主な目的は彼らを沖縄へ呼ぶことだった。おそらく、このブログをチェックしている人だったら知っていると思うんだが、2007年にピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007を取材して以来、毎回このイヴェントには顔を出していて、なんとか、オゾマトリをここへ呼べないかというのが本当の気持ち。それが無理でも彼らには沖縄へ来て、その現実を体験してほしかったのだ。

 だから、彼らとは会う度にその話をしていた。彼ら以外でも、仲良くなったミュージシャンには、なぜか、「沖縄へ行ってごらん」と話しているようで... 大昔はホットハウス・フラワーズのリアムにも言ったなぁ。ちょうど、彼のお父さんが亡くなって、彼が落ち込んでいたとき。それから、どれほど過ぎた頃かなぁ... 実際に沖縄に行ったらしく、「お前の言っていたことは正しいよ。沖縄は素晴らしかった」と語ってくれたことがある。

 それはともかく、オゾだ。たまたまそんな話をしていたら、マネージャーのエイミーが9月25日にシンガポールでライヴをやるというのだ。だったら、21日に予定されているピース・ミュージック・フェスタ!に出られるかもしれないと思って、交渉を始めていた。といっても、簡単なわけはない。なにせ、主催者はプロのプロモーターではなく、沖縄から米軍基地をなくそうと動いているミュージシャンや仲間たち。当然、金なんてあるわけはない。でも、嬉しかったのは、「そんなことは重要じゃない」と、この申し出を快く承諾してくれたこと。しかも、あのあと、幾度かメールでやりとりをすることになるんだが、そのなかではっきりと彼らに伝えたものだ。

「沖縄の人はアメリカ人、嫌いだよ。だって米軍基地は押しつけられるわ、米兵の犯罪は日常茶飯事だし...」

Ozomatli Live at the Fillmore そうすると、エイミーからは「メンバーは全員、そのことを知っているし、ヴェトナムでライヴをしたこともあれば、中近東でやったこともある。だから、みんな、すごく楽しみにしている」

 という返事が返ってきた。本当に嬉しいと思う。こういった連中と友達でいることが自分の... どこかで誇りなんだろうと思う。

 ちなみに、ここ数年のオゾマトリの作品でベストはというと.... おそらく、『Ozomatli Live at the Fillmore』だろう。DVDが一緒になっていて、この時のライヴを見ることができるんだが、ライヴ・バンドとしての真骨頂をここで確認することができる。できれば、チェックして欲しいと思う。

 ちなみに、このピース・ミュージック・フェスタ!の公式サイトはこちらで、彼らが運営しているブログがこちら。ときおりでもいいので、チェックしてくれると幸い。それに、東京や大阪ではプレ・イヴェントも開かれるようなので、なんとか足を運んでくださいませ。そうやって、お金を生み出さないと彼らも息切れしてしまうのです。宣伝もしてください。それだけじゃなくて、実際に、沖縄に行って、基地の現実を目の当たりにして欲しいと思う。今なら... というか、つい先日、これに合わせて沖縄行きのフライトを予約したんだが、なんとか3万円強で往復のフライトを押さえることができました。連休の時期なので、どんどん安いフライトが押さえられているのですよ。だから、急がないとめちゃくちゃ金がかかるのです。

Monareta さて、そんな話の他にも、オゾのマネージャーとはいろいろな話をしている。例えば、ここ数年、ラテン系のコンテンポラリーなロックとか、そういった音楽にはまっていること。すると、彼女のボーイフレンドがそういったアーティストを中心としたレーベル、Nacional Records(ナショナル・レコード)を運営しているというのだ。そこでいろいろなアルバムを受け取ることになるんだが、面白いのはヴェニス・ビーチでお世話になった友人、かつてジ・アンタッチャブルズをマネージメントしていた彼が、一時期面倒を見ていたメキシコのユニット、プラスティリーナ・モッシュのアルバム、『All U Need Is Mosh』がここから発表されていること。この偶然には驚かされたもんだ。それだけではなく、ここ数年、再来日が待望されているex-マノ・ネグラ、マヌ・チャオの『La Radiolina』から、この話を聞く一月ほど前にオースティンで取材したコロンビアはボゴタからやってきたエレクトリック・クンビアのユニット、Monareta(モナレータ)の最新作、『Picotero』もここから発表さているんだとか。繋がりというのは、本当に面白い。

 さらに、今年のフジロックのラインアップを見ていたら、そのレーベルのアーティスト、Juana Molina(フアナ・モリーナ)の名前が見える。実は、『Un Dia(ウン・ディア)』と呼ばれている最新作を、このレーベルから受け取っていたのだ。世の中、本当に狭いと思うし、まるで見透かされてるように、みんながつながっているのを再発見したように思うのだ。


投稿者 hanasan : 01:33 | コメント (0)

2009年06月14日

ちょいとマリワナ屋さんで一服

The Untouchables リラ・ダウンズの取材でロサンゼルスを訪ねたとき、ひさびさにヴェニス・ビーチにある友人の家に泊まった。かつて、ジ・アンタッチャブルズという、ザ・スペシャルズへのアメリカからの解答として日本でも知られるようになったバンドがデビューした頃のマネージャーがその友人で、今調べてみると『Wild Child』というアルバムが、オリジナルに数々のボーナス・トラックを加えて、手に入るようだ。

 ちなみに、ロスに行くと必ずお世話になるのが、かつてジャンプ・ウィーズ・ジョーイ(アルバム、『Ska-Ba』で80年代の終わりにデビューしているのではないかと思う)というバンドで日本でもかなり売れたスカ・バンドのドラマー、ウイリー・マクニールなんだが、彼がジ・アンタッチャブルズに加わったこともあり、そのアルバムが、日本では当時ソニーから出た『Agent Double O Soul』。ちなみに、実は、ジ・アンタッチャブルズは今も活動を続けているらしく、その動向は彼らのMy Spaceで確認可能だ。今回、ロスを訪ねたときにその時のメンバーのひとりと出会っているんだが、酒屋さんで働きながら、今も音楽をやっているというのが嬉しかった。

 それはさておき、かつての彼らのマネージャーから、「ちょっとマリワナ屋さんに行くんだけど、つきあう?」と言われて、覗いたのがヴェニス・ビーチにあるお店。日本では「汚染」という言葉に伴って、まるで「害毒」のように吹聴されているあのマリワナをきちんとショーケースに並べて、陳列している、そんなお店だった。

医療マリファナの奇跡 おそらく、日本では知らない人の方が多いのではないかと思われるのが、アメリカで前回の大統領選挙に伴って行われた医療用マリワナの合法化に関する投票。実は、その結果、合法化されたのがカリフォルニアなんですが、そんなニュースが日本で流れたことはないように思える。ひょっとして、見たことがないだけないのかもしれないので断定はしませんが、日頃の報道を見ていると、どう考えても「あり得ない」ように思うんですな。なにせ、どのマスメディアでも「大麻」と並んで出てくる言葉が「汚染」。その言葉を辞書で調べてみたら、「汚れること。特に、細菌•ガス•放射能などの有毒成分やちりなどで汚れること」ということからもわかるように、明らかに「大麻が毒物でもあるかのような」意味を込められていることに気がつく。それだけではなく、薬物という書き方も大嘘だ。一般的には薬理作用を有する化学物質を意味するのであり、大麻は草に過ぎない。

 さらに加えて、「マリワナ中毒」の患者が紹介され、「マリワナから抜け出す」ために収容されている施設までが登場する。そんなアホな話があるかい? と、調べてみると、NHKの報道に登場したその場所で「マリワナ中毒患者」が強調されていたにもかかわらず、取材対象になった人物が「マリワナだけ」でそこにいるとはとうてい考えられないのだ。それよりも「そういったイメージ」を植え付けるためのプロパガンダとして「マリワナが強調されている」のであり、少なくとも報道と呼べる代物ではなかった。もしも、報道であるのならば、当然、カリフォルニアで自分が体験した「医者の処方箋を持ってマリワナを買いに行く」という日常的な行為が存在する国外での事情と比較して、少なくとも「検証」すべきだろう。しかも、この処方箋というのが単純な手紙のようなもので、医者に行けば誰でももらえる代物。もし、仮に、「大麻汚染」とか「薬害」と呼ばれるものがあるのであれば、そんな「許可証」を渡す医者は悪魔か鬼畜かってなことになるはずだ。

 しかも、「医療用マリワナ」とはいっても、その友人のみならず、同じく、「許可書」を持っている彼の奥さんも全く病人ではないのですよ。実際に本人に尋ねてみると、「誰でも行けばもらえるよ」とのこと。しかも、このとき、彼が買っていたのは「マリワナいりのクッキー」を少々。NHKやメジャーの放送局が「報道」するような「マリワナ中毒者」の世界とは全く違うんですな。なんだか、ワインをたしなむところに似ている。実際のところ、どう見たって彼らが「中毒患者」には見えないし、社会的にも地位のある人なんですな。この現実の違いを「大麻は怖い」とか「大麻汚染」(それにしてもひどい言葉だと思う)と「宣伝」しているニュース番組を制作している人たちはどう説明してくれるんだろうと思う。

 ちなみに、このとき、お店の人に尋ねたんだけど、ちょっと強めのスティックが1本で20ドル。弱いのは10ドルということなんですけど、私の実感は「高い」。まぁ、オーガニックで「安全な」マリワナということで、そういった値段がついているんだろうなぁと思う。

 いずれにせよ、日本の報道機関の大麻に関する報道はあほらしすぎる。なにせ、被害者がいないのに、まるで重罪であるかのような印象を受け付けることに躍起になっているあたり、北朝鮮のてニュース番組とどこが違うのよ。問題はそれを意図的に行っているという時点で、すでに「ジャーナリズム」ではないし、そんな嘘を公のメディアで流しているという意味で、彼らは「犯罪者に等しい」と思うのですよ。それだけではなく、そんなことよりも、もっと報道しなければいけないことがいっぱいあるでしょうに... 「誰と誰が交際している」といったゴシップにも辟易。ニュース番組でゲーノー人が結婚したとか... もう勘弁してくださいよ。そういえば、先日の「花屋さん」が栽培していて捕まったときのニュースも強烈だったなぁ。「専門知識を使って薬物を...」といった内容だったと思うんですが、マリワナは、放っておいても元気に育ちます。なにせ、もともと雑草なんだから。



投稿者 hanasan : 23:56 | コメント (0)

2007年04月17日

ザ・バンド、レヴォン・ヘルムに会う

The Band 3月に日本を離れて、ニューヨークに向かう前に届いたアルバムに、『Endless Highway』(US import / 国内盤)というのがあった。ザ・バンドの名曲をカバーしたトリビュート・アルバムなんだが、ここでJack JohnsonやAllman Bros. Band、Roseanne Cashなんぞがいい演奏を聴かせてくれている。といっても、もちろん、オリジナルを越えるものはないってのは分かり切っている。時に、そういったものに出くわすこともあるんだけど、そんなことで大騒ぎをするよりなにより、自分の愛するバンドの愛する曲を、同じように愛する人たちが同じような愛情を持って、どう演奏しているかを楽しむだけで十分だ。そんな意味で言えば、このアルバムも楽しかったし、ザ・バンドのファンだったら、持っていてもおかしくない作品だと思う。

 と、そんなことを感じて、当然のようにこのアルバムをiPodに入れて、ニューヨークに向かっていた。その直前、プロモーターの友人、A氏から連絡が入っていた。

「11日にニューヨークにいるんだったら、12日に一緒にウドストックに行かない? ハッピー&アーティに会おうと思うし、トニー・ライスも撮影をしているみたいなんだよね」

 頭の中で「撮影?」と、なんじゃらほいという?マークがよぎったのだが、そんなことはどうでもいい。テキサスはオースティンで開かれるサウスバイ・サウスウエスト取材を前にして、ひさびさにニューヨークの友人のところでのんびりと休息しようとしていただけ。11日にはそのA氏が企画しているジャパン・ナイトというライヴがあって、友人のバンドも出演するというので、それは見ようと思っていたんだが、後は野となれ山となれ。なんでもできるし、時間もある。というので、二つ返事でOKした。

levon Helm で、12日、約束の時間に彼のホテルを訪ねたんだが、彼がみつからない。ホテルの人に尋ねて部屋を調べてもらったり... それでもみつからないというので、メッセージを残して、居候をしていた友人の家に戻ったんだが、地下鉄の駅を出たところでA氏から電話だ。「すまん、寝過ごしちゃった...」ということで、仕方ねぇな、とまたまた彼のホテルへ。このとき、「いやぁ、もう帰るわぁ」なんて言っていたら、こんな幸運はなかっただろう。なにせ、その時点ではなにも知らないんだが、なんと彼が最初に訪ねたのは私が愛するザ・バンドのドラマー、レヴォン・ヘルムのスタジオだったのだ。そりゃぁもう、私、興奮しまくりです。

 で、最初はマネージメントをしている女性と話をして... しばらくしたら、レヴォンが顔を出したんだけど、ひょっとしたら神経質で怖い人なのかなぁ... なんて思っていたら、めちゃくちゃ気さくで... 最初は、おっかなびっくりしながら、「あのぁ、写真撮っていい?」というと、「もちろんさぁ!」って感じで... それで撮影した一枚がこれです。一時期、ドラッグのことや体調を壊して、活動できないってこともあったようなんだけど、最近は元気になったらしく、肌の色もよくて最前線に復活したって感じですかね。

Levon Helm いろいろと作品もリリースしているようで、めちゃくちゃ仲良くなった彼からこのときいろいろなものをもらってしまいました。とてつもなく嬉しいですな。わざわざ名前を入れてサインをしてくれたポスターや、キャップに、できあがったばかりのTシャツ2枚にCDを3セット... 至れり尽くせりです。このとき受け取った作品は、CDとDVDがセットになったもので、『The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 1 』と『The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 2 』に、RCOオール・スターズ名義となる『Live at the Palladium NYC, New Years Eve 1977』(US import / 国内盤)。いやぁ、嬉し嬉しい。

 彼によると、僕らが訪ねたスタジオで定期的ライヴをしているらしく、(それが上述のライヴです)どうやらなんとか時間を作って行ってみたくなった。噂ではずっと先までソールドアウトで、予約してもかなり待たなければいけないんだそうな。それでも、レヴォン曰く、「友達の作っているトウモロコシがなぁ、6月になったら収穫期なんだ。そうしたら、それを食べながらライヴさぁ!」というので、なんとか7月の頭にでも行ければいいんだけど、さすがにフジ・ロックの頃。こりゃぁ、無理だろうなぁと思う。

 さて、そのあとはハッピー・トラムのところに移動。昨年、彼とアーティが来日したときに撮影したこともあって、このときはリラックスした感じでしたな。でも、びっくりしたのは彼の事務所を訪ねたとき。なんかとっても大きい会社の社長って感じで... なんかイメージが全然違う。聞けば、教則本やDVDなんかでいい儲けを出しているらしく、トニー・ライス(アコギの神様ですな)の撮影というのは、要するに教則用のDVD制作のためだったようだ。といっても、この日、彼が風呂場でひっくり返って、救急車で病院に連れていかれたらしく、顔を交わせることはできなかった。それほどシリアスではないということで、一安心したんだけど、なんというタイミングでのなんという事件だこと。

Perter Rowan & Tony Rice そのあと、一緒にウッドストックの町へ。いろいろ案内してくれたんだが、どうしても(ザ・バンドのデビュー・アルバムのタイトル、Music from Big Pinkに出てくる)ビッグ・ピンクを見たいというこちらのリクエストに応えて車を走らせてくれたのが嬉しかった。といっても、記憶が曖昧で全然見つからない。町の本屋に入って、当時の住所を見つけ出してくれたんだが、ストリートは見つかっても番号が変わってしまっていたようで、結局は徒労に終わった。もちろん、探してくれただけで、めちゃくちゃ嬉しかったんですが。

 その後、彼の自宅を訪ねて食事。この頃、やってきたのがピーター・ローワン。大好きなブルーグラスのアルバムで、ジェリー・ガルシアやヴァッサー・クレメンツと一緒に録音したのが『Old In The Way』。そのアルバムのメンバーが目の前にいるのだ。しかも、それからしばらくして顔を出したのがバンジョー奏者のビル・キース。「いやぁ、デヴィッド・グリスマン・クインテットで来日したときにね、僕見てるんですよ」なんて話を始めたり... そのとき、一緒に来日していたトニー・ライスとピーター・ローワンが最近発表したのが『Quartet』という作品で、これは、このあと、速攻で注文しました。そりゃぁ、してしまいますわな。

 あの来日から30年ぐらいだっけ? あのときに見たビル・キースと目の前にいる彼の表情に、その年輪を感じたなぁ。まるでおじいさんって感じだし... あの頃、グランパ・ジョーンズなんてバンジョー奏者のジャケットを見て、おじいさんだなぁ... ほのぼのしていていいなぁ... なんて、思っていたんだけど、まさかビル・キースがこんな感じになっているなんて... 想像できませんでした。

 ということで、私にとって初めてのウッドストック体験は、これ以上ないほどの大感激の嵐。生きていて良かったぁって、ホントに思いましたな。なんでこんなにラッキーなんだろうとも思ったし、これで今年のツキが全部費やされたのかもしれないと思うと、それはそれで怖いんですが、なんと幸せなこと。と、実に嬉しいニューヨーク滞在となりました。って、これって、ただの自慢ですかなぁ。



投稿者 hanasan : 15:39 | コメント (0)

2007年01月12日

再び飲んだくれ三昧の恒例正月行脚

Salif Keita 例年のことなんだが、正月には実家に帰って数日を過ごした後、友人を訪ねながら東に向かって帰京するということになっている。ここで再び飲んだくれるんだが、なによりも嬉しいのはひさびさに友人と顔を合わせること。今回も懐かしい友に会い、彼らを通して新しい友ができた。嬉しいことだ。

 まずは伯備線で倉敷に向かい、地元でレコード店、グリーン・ハウスを経営しながら、FM倉敷というコミュニティ・ラジオを運営している友人のところで一泊。この日、彼の弟の奥さんと子供たちに出会っているんだが、さすが音楽好きですなぁ。ミュージシャンでもある彼の子供たちの名前がミュージシャンにあやかっているというのだ。長男はマリのミュージシャン、サリフ・ケイタからいただいて、ケイタと名付け、次男はジャンゴ・ラインハルトにあやかってハルトなんだとか。前者が日本で初めて紹介されたアルバム、『Soro』の国内盤でライナーを書いているし、フランスのミュゼットを取材したときの延長でジャンゴ・ラインハルトからピックをもらったというギタリスト、ディディ・デュプラとインタヴューしたこともあり、なにやら嬉しいような... しかも、この子供たちはウクレレを演奏するらしく、チック・コリアの名曲、スペインを演奏してしまうんだそうな。(オリジナルは『ライト・アズ・ア・フェザー 』収録なんだけど、自分が好きなのはアル・ジャロウのヴァージョンですな)末恐ろしい子供たちです。

 翌日には岡山でフレスコ画を書いている友人や学生時代の演劇部の仲間で、今は某大学で教授をやっている友人、そして、当時よく足を運んでいたジャズ喫茶(?)イリミテのマスターのところなどを訪ねて歩いた。そこで耳にしたのが開原整体。なんでもかなりユニークな整体らしく、そのマスターの奥さんが自分と全く同じような腰痛を抱えていたんだが、ここで処置してもらって治ったというのだ。これまでにも書いてきたように、自分の腰痛は心因性の疼痛ではないかと思っているんだが、ものは試しと、結局、それから数日後、福山市にあるここを訪ねている。

 周りは田んぼという、けっこうな田舎で、開原整体という看板は探し当てられるんだが、外見はただのクリーニング屋で中に入ると雑貨屋さんといった趣。その店舗のコーナーにカーテンで仕切られた一角があり、そこで処置してもらうんだが、友人のマスター夫婦から聞いていたとおり、めちゃくちゃ痛かった。とんでもなく痛かった。あまりの痛さに目を閉じていたので、実際に何を使ってどうやっているのか皆目わからないんだが、ちらっと目に入ったのがハンマー。おそらく、あれを使ってぐいぐいと骨を押すというか、ある方向に動かすんだろうなぁ... なんでもこの開原さんに言わせると、腰の骨、脊髄の5番目あたりがゆがんでいるというのだ。だから、それを矯正して、本来の角度に戻すというんだが、そんなの痛いに決まっている。

心療内科を訪ねて これも、あのマスター夫婦から聞いていたんだが、処置をしてもらった後もしばらくは「痛さ」が続くということで、あれからすでに4日目なんだが確かに今も痛い。ただ、なんとなくなんだが、「痛さ」がちょっと変化したような感じがしなくもない。そんな状態がしばらく続いて、「痛さ」が消えるとのことなんだが、どうなるんだろう。しばらくはこれにかすかな期待を抱きつつ、様子を見てみようとは思っているが、それでもだめだったら、おそらく、心療内科を目指すことになるんだろうなぁと思う。実は、今回の旅で移動中に読んでいたのが夏樹静子の『心療内科を訪ねて—心が痛み、心が治す』というものなんだが、これを読んでいて思うのは『心』と『身体』の微妙な関係性。今回の腰痛で学んでいるのは、『痛さ』と向き合うことは『自分』に向き合うことでもあるという真理だったように思う。簡単ではないんだが、『素』の自分を見つめたり、さらけ出したり... 周りの人たちには迷惑かもしれないけど、そうすることで本当の自分を探し出そうとしているのかもしれない。その一方で、「何でも試してやろう」と思ってやったのがこの整体。これがどうなるかは、いずれここで書き残すことになると思う。

Sleep Walker 話が前後してしまったが、この福山に向かう前、岡山から京都に移動していた。例年のことなんだが、友人のサックス奏者、スリープ・ウォーカーの中村雅人のところで数日居候するのが恒例になってしいて、今年も6日と7日は彼のところにやっかいになった。面白いのは、彼といるとユニークな人たちにどんどん出会ってしまうこと。今回は、一度彼がやっていた渋谷FMの番組でご一緒したデザイナーの西堀晋氏とかなりの時間を過ごすことが出来た。いつも京都に行ったら必ず立ち寄るのが、彼の作ったカフェ、eFishなんだが、そこで時間をつぶしていたら帰国している彼と再会することになった。現在、彼はアップルのデザイナーとして仕事をしていて、そこの12人(らしい)のスタッフの一人。今回お話を聞くところによるとMacBookのハードディスクの部分(いとも簡単にHDを交換できるという部分)は彼が関わっているとのことなんだが、当然のようにこれから数日後に発表されたiPhoneのことなんかは一切話してはくれない。そんなことをしたら、一発で首になる... というのはアップルの社員じゃなくても、マック好きなら誰でも知っていることだ。

 この日は彼とつもる話をして、ほとんど1日をeFish(えふぃっしゅ)で過ごしていた。ここには、以前記した男前豆腐の人たちもよく立ち寄るらしく、今回もその社長と再会。このとき、以前いただいたTシャツをのお礼をしているんだが、このTシャツは面白いし、安いので気に入った人は公式サイトで購入してみればいいと思いますよ。で、そのとてつもなくファンキーな公式サイトのデザインをやっているデザイナー、尾関幹人(オゼキミキト)さんとも出会った。なんでも彼は切り絵によるアートを出がけていて、このときはA1ぐらいのサイズの作品を見せてくれた。面白いよ。出来れば、彼のサイトで、詳細をチェックしていただければと思うんだが、実際に作品を見ると、そのユニークさにぶっ飛ばされること、間違いなしだと思う。

カンバラクニエ作品集 その日の夜はeFishのスタッフの一人が寿退社するというので、そのお別れ会に同席して、再び「飲み」に走ることになる。その後も何軒かをはしごしていくんだが、高瀬川沿いのある店(2度目なんだが、名前を思い出せない)で偶然出会ったのが、つじあやのさんとカンバラクニエさん。はじめで出会ったというのに、まるでずっと知っているかのように振る舞ってしまった私って... 失礼な人と思われたのではないかと思う。彼女たちは中学生からの仲良しということで、この日は二人で食事をしていたんだとか。そのカンバラさんが自分と同じ大学出身だということ。ひょっとして同じ大学を出た人と出会ったのは卒業以来初めてのことじゃないかなぁ。なんだだか、嬉しくなってしまった。彼女は農学部で、自分は法文学部。すでに、今ではこういった学部はなくて、法学部と文学部に分かれているはずなんだけど、あの大学に彼女も行っていたんだと思うと、なんだか「つながっている」ように思えてしまうのだ。とはいっても、時代が違いすぎる。彼女があそこにいたのは数年前のこと、その一方で、自分がいたのは四半世紀も前のこと。あまりに遠い。

 ちなみに、左は『カンバラクニエ作品集』というもので、こういった絵を描く人なんだとわかったのは、彼女と出会った数日後。ネットで調べたら、いろいろと出てきた。かなり著名な方のようでびっくりです。ここが彼女の公式サイトらしいけど、こういったものをみつけるにつけ、酔っぱらって大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなるんだが、まぁ、それが「素」の自分だから、ご勘弁を.... してくれないかもしれませんが。(笑)いやぁ、かわいい女性だったなぁ。

 一旦、京都から岡山を経由して福山に出たのは、前述の通り。といっても、その途中、牛窓という町に行っている。瀬戸内海の島々への入り口で、ここに行った目的は今の段階では話せない。面白いことをしようとしている人がいて、それに絡むかもしれないということしか書き残せないんだが、このとき、知ったのが瀬戸内海の島々の魅力。大学時代にはそんなことをかけらも考えたことはなかったんだが、「不便さ」のせいか、昔の風情が小さな島々には残っていて、そこを求めてやってくる旅行者が増えているんだそうな。特に海外からの旅行者が好んでいるようで、そのあたりにひょっとしたら自分の仕事があるのかもしれないなぁ... と思ってみたり。ずっと昔から思っていることなんだが、いつか岡山か倉敷あたりに住みたいという気持ちがある。東京は、それなりに面白いところではあるけど、ここで本当に人間的な空間の中に住もうとすれば、それだけでとてつもない時間を金儲けに費やさなければいけない。本当に「生きる」ということの意味を考えたとき、今の自分がそうしているのかどうか、どこかで引っかかるのだ。ひょっとすると、それも腰痛の原因のひとつかもしれない。

Grandpa Jones 福山からは大阪へ移動。mixi仲間... といっても、バード・ソング・カフェで出会った方とミナミで、音楽好きな人が集まる店をはしごです。まずはJazz Boという店でアナログを数枚購入。心斎橋筋の元ソニー・ビルのあたりからすぐだったと思うけど、いつも通りcheapoと呼ばれる捨て値のアルバムを中心に買った。なんでも中心に品揃えをしているのはオリジナルのアメリカ盤で、そのせいか、国内盤の中古などは500円とか300円で売っているのだ。というので、そんな中から買ったのがバンジョーのグランパ・ジョーンズの作品『Pickin' Time』とダニー・コーチマーの『危険な遊び』。また、久しく聞いていなかったカントリー系が中心にちょっとジャズのエッジを持ったものが欲しいんだけど... と店主の横山さんにいろいろ探してもらってBuddy Spicherの『An American Sampler』やAlan Mundeの『The Banjo Kid』にKenny Kosek & Matt Glaserの『Hasty Lonsome』あたりを購入。後は、彼のお薦めで「絶対にええから!」というので、Steve Goodmanの『Affordable Art』というアルバムを買ったんだが、まだBuddy Spicherしか聞いていない。なかなか好きな音楽ですな。久しぶりにこういったものを聞くと落ち着きます。

 その後は飲み屋さんを三軒。最初の店でmixi仲間のテング!ジジイ!さんのお友達と仲良くなって、ひょっとしたら、自分の初恋の人とこの人が知り合いかもしれないという珍妙な話が持ち上がったり... それに毎日新聞の方と話をしたり... いやぁ、わけがわかりません。それでも知らない人に出会って話を聞けるというのは、ホントに面白い。その次の店では「誰がカバやねんロックンロール・ショー」というバンドが今もやっているということを聞いてびっくりしたり、その次の店では自分のiPodに入れている国本武春さんの三味線ブルーグラスを聞かせたら、みんな一目惚れしたり... テング!ジジイ!さんは、その場で携帯からmixiにアクセスして、国本さんのコミュニティをみつけてメールを出していました。久しぶりに大好きな大塚まさじのソロ・デビュー作『遠い昔僕は』をここで聞いて、「やっぱ、あの頃のまさじが最高やね! 今の歌い方はおもろないよ」とそんなことを話し合ったものです。

 その翌日、ベイスメント・ジャックスを撮影して、例によって例のごとく、なじみの店、『Big Cake』で軽く飲んで、翌日恒例の『正月飲み旅』を終えた。こうやって考えると、飲まなかった日は1日もなかったことになる。そのせいなんだろうなぁ、東京を離れたときには71kgまで落ちていた体重がちょっと増えて74kgにまでなってしまった。おそらく、肝臓もダメージを受けているんだろうと思う。ちょっと考えないとなぁ... と、年明けからこんな具合でこの先が思いやられるのだ。



投稿者 hanasan : 17:09 | コメント (0)

2006年12月04日

名古屋から京都、大阪、そして渥美清

渥美清 大下英治氏による『知られざる渥美清』を持って、名古屋から京都、大阪へ行って来た。目的はスマッシング・マグのスタッフ、寄稿家たちとのミーティングで、今後の展開などを確認したり、あるいは、ライターや写真家としてさらに磨きをかけて欲しいという想いを伝えることもその狙いだった。

 その間に読み始めたのが『知られざる渥美清』で、今さっき、読み終えた。実に面白い。ドキュメント小説という手法で、取材に基づいて「伝記」のようで、そうでもなく、小説のようでいてそうでもない微妙なタッチを持つ作風は、渥美清という「役者」の実像を実にヴィヴィッドに浮き上がらせてくれた。素晴らしい。これで渥美清に対する見方が大きく変わったようにも思えるし、彼の出演した作品をもう一度じっくりと見てみたいという気持ちが強くなった。

 今回の旅でまず訪ねたのが名古屋。ここで新たに写真家として仲間に加わった若者と会って、メディアの意味から写真家として、あるいは、メディアの人間としてどうあるべきか... と、諭したわけではないが、自分の考えを伝えた。同時に、地元でプロモーターをしている友人とじっくりといろんなことを話し合った。仲間のバンド、音楽のこと、ビジネスのこと.... こうやって酒を飲みながら、言葉を交わしていると、我々にとって音楽がどれほど重要なものかを再確認できる。実に嬉しい。

男前豆腐 翌日、時間がゆっくりあるので東海道本線で(最も経済的な方法で)京都に向かった。時間は十分あるし、本も読める。大阪でのミーティングまでには時間もあるというので、昔から好きな喫茶店、eFish (エフィッシュ)に向かった。鴨川沿いの五条大橋の袂にある店で、仲間のミュージシャン、まさやん(スリープ・ウォーカーの中村雅人)からここを紹介されたのはずいぶん昔のこと。日本のみならず海外でも著名なデザイナー、西堀晋さんが作っているんだが、彼は現在、アップルで仕事をしているはず。彼にも、一度、お目にかかっているんだが、それもまさやんの紹介だ。彼がDJをしていた渋谷FMの番組に出演した時で、これもかなり昔のことじゃないかと思う。

 実は、MacBookを持っていったんだが、ACアダプターを忘れて頭を抱えていたんだが、この店に同じACアダプターがあって、それを使って充電とSmashing Magの更新作業。そこで働いている女の子たち、(もう、みんな友人です)と四方山話をしながら、時間をつぶすんだが、その時に話題になったのが「男前豆腐」。以前、ここにまさやんと来た時に、たまたま社長がきていて、この写真のイラストが大きく描かれたTシャツをいただいている。ここ数年間に手に入れたTシャツでは最も好きな一枚で、袖には「観客」なんて文字が書かれていて、撮影でこのTシャツを着ることも多い。なにせ、ライヴの撮影で「観客」と書かれたTシャツを着るという「洒落」を楽しんでいるってかんじかね。

 それに、ここが作っている「風に吹かれて豆腐やジョニー」という豆腐の大ファンで、以前はしょっちゅう買っていた。近所のセブン・イレブンにおいていたんだが、いつの頃からか姿を消して、代わりに置かれ始めたのが「波乗りジョニー」というもの。同じ会社のものなのかなぁと思って、一度買ってみたんだが、これはあまり旨くなかった。ところが、この話をすると、なんでも、後者は「男前豆腐」の社長の親父がやっている会社のもので、全く別物だということを知った。そうかぁ、それだったら、また「風に吹かれて豆腐やジョニー」を探し出さなければ... と思っている。特に、このところ、速歩で1時間ぐらい歩くようになって、運動の後にはタンパク質を摂取しなければいけないという話を聞かされているので、これが、けっこう役に立つと思っているのだ。

西堀 店には西堀氏がデザインしたスピーカーが置かれていて、なかなかユニーク。といっても、音は聴いていないあら、そのあたりは想像するしかないが、実際に使ってその役割をきちんと果たせないものを作るデザイナーなんてあり得ない。だから、チャンスがあれば、一度きちんと聴いてみたいものだと思う。

 大阪ではひさびさにドーベルマンのライヴを見た。大好きなスカ系のバンドで、おそらく、日本で最もオリジナルなスタイルを保っていると思う。特に、歌に対する姿勢が好きで、自分の言葉を大切にしているところが理由。演奏もつぼを押さえながらも、客を楽しませ、同時に、自分たちも楽しんでいる。このバンドはもっともっと大きなステージに立って、多くの人たちに知られるべき存在だと思う。ただ、この日の音が全然よくなかったのは実に残念。ベースの音はぶんぶんと、勘弁して欲しいほどに響くんだが、本来分厚いホーンがペラペラに聞こえるし、ヴォーカルがきちんと前面に出てきていない。これがあまりに悲しすぎた。


投稿者 hanasan : 14:17 | コメント (0)

2006年04月27日

easy jetがいいんだけど、取り返しはききません

easy jet 当サイトのvoice outで、その昔、easy jetについて書いたことがある。99年の秋にロンドンからマドリッドに飛んでいるんだが、ここ数年、ヨーロッパでのフライトといえば、必ずこれを使っている。あのときは、たまたま地下鉄の宣伝でこの広告を見て、ウェッブサイトをチェックしたら、フライト代がめちゃくちゃ安かったというのがその理由だ。

 たとえば、トップページに行くと、春のホリデー商品としてイギリスからバルセロナが35.99ポンドなんて値段が出ているし、パリが26.99ポンド。今、1ポンドが210円前後だから、日本的な感覚で言えば新幹線料金以下でいろんな街に飛べるという感覚なのだ。まぁ、いつものことなんだが、早く予約すればするほど格安。日本からだったら不安だからと、たいていの人は旅行代理店を使ってけっこうな料金を払わされるんだが、コンピューターでクリックするだけで予約できて、しかも、(一応、万が一のために詳細をプリントして持って行くけど)予約番号とパスポートだけで簡単にチェックインできる。何も難しくはないのだ。

 というので、今回、3月下旬からのヨーロッパ行きも、それでフライトを用意した。もちろん、さすがにこのeasy jetに長距離フライトはないから、いつも通り、ヨーロッパ内のものになるんだが、まずはバンダ・バソッティのツアーが一旦小休止する直前のジェノヴァからロンドン、そして、その1週間ほど後に野外でフリー・コンサートがあるというので、ロンドンからローマに飛んで日本に戻ろうと計画したわけだ。

easy jet で、バンダ・バソッティのライヴが終わったのが午前2時ぐらいで、それから地元のスキンヘッドの大物、彼らの仲間、通称ボンバ(爆弾の意味ですな)に空港まで送ってもらった。っても、地方空港だから、まだドアも開いていないんだけど。で、ちょうどそのドアの前に車を止めようとしたところ、突然、私服警官に止められて不審尋問となる。巨漢のスキンヘッドにヒッピーのようなアジア人って組み合わせが悪かったのかなぁ。かなり念入りに調べられて... っても、こっちはなんも悪いことしてないから。一人が自分のパスポートを調べている間、もう一人の警官と無駄話を初めて...解放されましたけど。

 で、ドアが開いたのが4時45分。さぁて、カウンターはどこだろう?チェックインが始まるのが5時だから... と探したんだが、ない。ん?イタリアだから、どうせ遅れているんだろう、と、想像していたんだが、しばらくすると、どうやらそうでもないらしいと思い始め... なにかがおかしいと、予約したときにプリントしたアイテナリーを見てみると、とんでもないことを発見する。イタリアのジェノア(ジェノヴァ)というのはGenoa(英語)、あるいは、Genova(イタリア語)と書くんだが、プリントされたものを見ると、Genevaとある。なんとジュネーヴであります。ほとんど目が点になりましたが、あたしゃぁ、イタリアのジェノヴァからのフライトを予約したと思っていたのに、なんとスイスのジュネーヴからのフライトだったのね。頭の中で「ぎゃぁ〜、どうしよう。まいったなぁ」と、茫然自失でもないが、半ば自分のことを笑いながら、あきれかえったわけです。

 っても、面白いのは、それからなんだけど、当然、ロンドンでは友人が待っているわけで、なんとかロンドンに向かわないといけない。というので、「さて、どうやっていこうかぁ..」と悩み始める。で、次にとった行動は、「そうだ、インターネットで調べよう」と発想してしまうのが、さすがに21世紀なんだろうな。空港だったら、ワイヤレス・ネットワークがあるに違いないと思ってPBを開くと1時間2.95ユーロ、確か、5時間で4.95ユーロでのサービスがあって、これを使ってまずはeaqsy jetのフライトがあるかどうかを確認。でも、残念なことに、easy jetはこの空港からのフライトはないようで、そうなると、同じように格安のフライトで有名な会社、Ryan Airのサイトを見つけ出したら、幸運なことに午後のフライトがあるというので、それを予約することになるのだ。といっても、同日のフライトはネット予約できないというので、カウンターを探してそうしたんだが、結局は、このフライトでロンドンに向かうことができた。

 まぁ、当日予約だったからなんだろう、フライト代が270ユーロ(4万円強)と、めちゃくちゃ高い。事前に予約していた、間違いフライト、ジュネーヴからロンドンが160ユーロぐらいだったから、かなり違うんだけど、仕方がない。それに、この160ユーロが戻ってくることはないし.... とんだ無駄遣いをしてしまったという、情けない話が今回のテーマ。スペルはよく確認しましょう。1文字違いで、国が違っちゃうから。あぁ、なさけない。


投稿者 hanasan : 08:34 | コメント (0)

2006年03月01日

ソウルのバーにやられた。こっちもサイケよ。

The Isley Brothers ソウルに行って、いつも驚かされるのがバーだ。っても、たまたま入るわけではなく、いつも音楽仲間に連れて行かれるんだが、今回もとんでもなく素晴らしいバーをみつけることになってしまった。まぁ、その前哨戦として、昨年の6月があるんだけどね。場所は.... あー、全然覚えてません。おそらく、新村近辺だと思うんだが、(というか、そのあたりしかうろついていないんですな)そこは、なんだか舟のような形をしたビルだったように思うんだが、看板はなくて、確か、地下に降りていったと思う。

 ドアを開けると、そこはがらんとした空洞のような店で、天井がめちゃくちゃ高い。そこで靴を脱いでフローリングの床に上がるのだが、真四角のようながら〜んとしたここの右奥の隅っこにカウンターがあって、他には.... なにもないような感覚だ。店に入って左側、壁に沿って、巨大な二段ベッドのようなスペースがあり、その2階にのって酒を飲んでいる人もいる。なんなんだろうね。まるで、ちょっと小さめの体育館かい? テーブルは右側にひとつぐらいだったかなぁ。まるでちゃぶ台のような、それでいてちょっと大きめなテーブルを囲んで仲間が集うのだ。一方、カウンターの反対側には小さなDJブースらしきものがあるんだが、あの時は、ウッドベースにドラムス、それとDJが絡み合ってジャズっぽい音楽の生演奏があった。といっても、それに対してチャージされるわけでもなく、本人達は単純に楽しむために演奏しているような感じかなぁ。それとも、みんなに連れて行かれたから、誰かが払ってくれたのか?

CSN & Y 今回も、とんでもない店に行っているんだが、ミュージシャンや音楽関係者が集まる小さな店で聴いたことのない音楽を発見することもある。たまたま自分が関わったことのなかったタイプの音楽なんだけど、この夜耳に入ってきたのが、ニール・ヤングの名曲「オハイオ」。っても、自分が聞いたことのないヴァージョンだ。おそらく、最も有名なのは、この世紀のライヴ・アルバム、(少なくとも自分にとっては大傑作)『4ウェイ・ストリート』に収録されているもの。学生運動華やかかりし頃、州兵が導入されたケント州の大学で4人の学生が殺されたというニュースを耳にして、ニール・ヤングがわずか20分ほどで曲を書いて、速攻で録音。その1週間後にはシングルで発表されたのがこの曲のオリジナルだ。ちょうど「ティーチ・ユア・チュルドレン」が大ヒットしていた時なのに、それをこの「オハイオ」が引きずりおろしてしまうことになったという話は有名だ。

 が、今回聞いたのはアイズレー・ブラザーズの『Givin' it Back』というアルバム(最初に登場したジャケットね)に収められたヴァージョンで、これを聴いたのは初めて。「なに、これ?誰のヴァージョン?」と店の人に尋ねて教えてもらったんだが、後々に調べて、これが71年に発表されたものだとわかるのだ。「ティーチ・ユア・チュルドレン」を収録した名作中の名作、『Deja Vu』が発表されたのが70年だから、ほぼその直後にアイズレー・ブラザーズのこの作品が発表されたことになる。ちなみに、『4ウェイ・ストリート』に収められているのはライヴ・ヴァージョンで、このスタジオ・ヴァージョンを聞けるのは、おそらく、ニール・ヤングの初期のベスト・アルバムで、『Decade』ぐらいじゃないかなぁと思う。

 ちなみに、アメ盤の『4ウェイ・ストリート』にはニール・ヤングのメドレーで、オリジナルには収録されていなかったものが入っている。彼のファンだったら、これだけでもこのアルバムをもう一度買ってしまおうと思うはずだから。実際、私も、そうしてしまいました。なにせ、The LonerからCinnamon GirlにDown by the Riverと、ソロでやっているんですもの。これを聴かないで、どうする?

Seoul と、また「飲み屋」で新しい音楽を発見してしまうのだが、ソウルも東京も同じよねぇ。と、最近つくづく思う。そんな飲み屋が大好きよ。(あるいは、飲み屋が先で、音楽が後かもしれないという疑問もあるが)

 で、今回、おそらく、これまでの人生で最高の飲み屋(というよりは、バーって言った方がいいかなぁ。まぁ、なによりも気持ちよく飲める、そして時間を過ごすことのできる場所)をソウルでみつけることになってしまうんですね。当然、みつけたのではなく、連れて行かれたんですが、ここも、おそらく、新村から弘大界隈で、やはり看板はなかったように思う。同じく、ここもドアを開けると、地下への階段を降りていって... といっても、右も左もわからない街で、これがどこにあるのか全然説明できないし、これを読んだところで、読んだ人が遊びに行けるわけもない。(まぁ、がんばれば、方法がみつけられないこともないし、一応、手がかりは自分で握っているので、次回ソウルに行ったら、必ずここに行きますけど)が、どうしてもこの店のことを話したかったのね。なにせ、こんなバー、私、これまでの長い人生で体験したことがないし、東京でもお目にかかったことがないから。ひょっとすると、自分が東京を知らないだけで、どこかに似たような場所があるのかもしれないんですけどね。親父の習性というか、結局、同じような店を、同じような時間に訪ねて、同じようなものを飲んでいるという、まるでイギリスのパブ的感覚でしか飲んでいないから。

summer of love ともかく、階段を下りていく時にも、なにやらシルクかなんかの薄いカーテンを幾度かくぐり抜け、階下にたどり着くんですが、ここでも、やはり靴を脱ぐ。裸足で中に入るんだが、そのインテリアというか、デザインというか.... それがどこかでインドっぽいニュアンスを持っている。が、なによりも驚かされたのは店の真ん中にプールというか、水たまりというか.... そういったものがあることかねぇ。よくもまぁ、こんなに無駄なものを作ってくれたと思うが、このおかげでなにやら落ち着くのだ。奥行き1mぐらいで、幅が3mぐらいか? さすがに、手を突っ込んで深さを測るなんて余裕は全然なかったし、かなり疲れていたのに加えて、気持ちがいいもので、うたた寝を始めてしまったんだが、なんか空気が違うのね。明かりは人工のものが少なくて、あっても当然のようにその光度は落としてある。キャンドルの光がメインで、みんな床に腰を下ろして、クッションに寄りかかっているのだ。場所によっては小さなちゃぶ台があるんだけど、椅子が置かれているのはコーナーの一部だけ。さらには、トルコから中近東がルーツなんだろうなぁ、水パイプでハーブタバコかなにかを吸っているのだ。これが、また、奇妙。ドレッドロックの兄ちゃんがプカァ〜っとケムリをくゆらせている様子を見ると、これは禁制品に違いないと思ってしまうんだが、そうじゃないってのがミソなんだろうなぁ。

 まぁ、このあたりの雰囲気は69年の「サマー・オヴ・ラヴ」(Summer of Love, Vol. 1: Tune In (Good Time & Love Vibrations))ですな。その昔、ライノが作ったコンピレーションを買いましたけど、あの当時のサンフランシスコだったら、こういった店がわんさかあったと思うし、ひょっとして今もあるかもしれません。まぁ、そんな雰囲気なんですよ。しかも、ここのDJが素晴らしい。こんな選曲をしてくれるDJなんて、これまでの人生で出会ったことがない。たいてい、DJというのは、ある種のジャンルに縛られている人が多いんですよ。ジャズだとか、ブルースだとか、R&Bだとか、スカだとかレゲエだとか.... それはそれで楽しいし、面白いんだけど、この時のDJが流していた音楽のジャンルには全く脈絡がなかったんですよ。それでも、まるで極楽のような空気を流れるように演出してくれるんですよ。「気」の流れといってもいいかもしれないけど、いわゆる凡庸なクラブ的な発想とは全く違ったアプローチで、新しい曲が流れるたびに「なんじゃぁ、これはぁ」と思いつつも、やたらと気持ちよくなってしまうんですな。

Klaus Schultze 大好きなクラウス・シュルツのアルバム『ミラージュ』なんかも似合うだろうなぁ... と思ったりはするんだが、このDJ、見かけはどこにでもいるような女の子なのに、全く違ったジャンルの音楽を全く自由にアナーキーに流しながらも、けっして出しゃばらず、「空気を演出している」という感じで、新しい曲がでてくるたびに、にたにたしてしまった自分がアホじゃないかと思うぐらいにツボを押さえているのね。脱帽です。降参です。文句なしです。恋をしてしまったぐらいにはまりました。このところ、日本じゃいろんな店が「おしゃれな音楽」を流しているんだけど、演出のねらいがミエミエで、音楽に感動することもなければ、「これ、なんだろう」と思う以前に、「あぁ、これか」と思うのが関の山なんだが、この人は違った。なにせ、知っている曲が皆無で、なにがでてくるか想像もできないのだ。ホントは、紹介してもらいたかったんだけどね、彼女を。(下心はなしですからね、言っておきますけど)その時にはすでにどこかに行っちゃってる感じに陥っていたので、そこまではしなかったけど、今度ソウルに行ったら、絶対にこの店にはもう一度行こうと思う。そして、このDJと話をしよう。

 あぁ、ソウルって、本当に面白い。知れば知るほど、面白い。表面的には伝統的な屋台や焼き肉屋なんてのばかりが目に入ったり、日本の下町的な雰囲気もいっぱいだし、一方で、超近代的な表情もあるのに、一歩踏み込めば、とんでもない異次元のような場所がいっぱい存在するのだ。やっぱ、韓国語を勉強しないとなぁ... つくづくそう思う。この世界は、はまったら抜けられませんわ。


投稿者 hanasan : 19:35 | コメント (0)

2006年02月23日

再びサイケデリックなソウルに遭遇

Kim Hong Tak 昨年10月にソウルに向かった時、Beatball Recordsというレーベルの方からこのアルバムをLPでいただいたことは以前ここに書いている。これを結局は、ハードディスクに落として、CDにしてしまったり、それをiPodに移して聞いているんだが、ここでカバーされているのが、Iron Butterflyのアルバム「In-A-Gadda-Da-Vida」に収められているタイトル・トラックで、こちらも結局手に入れることになってしまったことも記した。といっても、実を言うと、Kim Hong Takのバンド、He6によるヴァージョンの方が、実は、気に入っているんですけどね。オリジナルの方が遙かにすかすかで、こちらの方が厚く感じるのは気のせいかなぁ。

 ともかく、あれ以来、韓国のクラシックなロックが気になって気になって... なんとかそのあたりを掘り下げて取材できないかなぁと思っていた。だから、今回のソウル行きで、このあたりもやっつけようと思っていたんだが、正直言って、「取材」と呼べるものはほとんどできなかった。通訳を雇う金もなく、友人の力を借りていろいろな情報を入手しようとするんだが、彼らも仕事をしているわけで、思い通りにつきあってくれるわけもない。だから、中途半端なことしかできないのだ。だから、今回は取材というより、遊びに行ったようなものだった。

 そんななかで今回、嬉しかったのは、また、新しい友人ができたこと。Jongsoo Hongという方で、名刺を見るとサイケデリック・フラワーという会社をやっている様子。といっても、それがなになのかもわからないんだが、今回、彼と出会えたのは『日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追って』に記されていたShin Jung Hyunの歌、「美しき山河」という作品が収められていたアルバムを探していて、それを彼が持っているという話が伝わったことがその理由。あの本によると、75年に、サイケデリック風にアレンジされたこれが当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)を激怒させて、それがきっかけで彼が監獄に放り込まれることになったとのことだが、それがどんなものかを聞いてみたかったのだ。

Cocore 彼と出会ったのは新村(シンション)と弘大(ホンデー...と聞こえます)の間にあるバー。友人がベースをやっていたゴーストというバンド(こちら)がソウルでライヴをするというので、初めて韓国へ取材に出かけた04年2月に彼らが演奏した小屋(Samzie)の坂を下りたところにあって、ここをやっているのは一昨年のフジ・ロックに出演したココア(Cocore)というバンドをやっていたドラマー。残念ながら、彼らは解散してしまったようで、なんかソウルまで彼らの取材に行った自分たちがあほらしく思えてしまったといういきさつがありますが。ともかく、ここで彼と2時間ぐらい酒を酌み交わしながらの話となった。

 一応、録音機材は持っていっているんだが、なかなかまともな取材にはなりにくい... 結局好きな音楽の話をしながら、楽しむという感じで、この時聞かせてもらったのが、あの本で描かれていた「美しき山河」という曲のオリジナルが収録されたSiun Jung Hyunのアルバム。その曲を聴いて思ったのだが、おそらく、これは、あの年の6月に韓国のバンドの取材に出かけていった時に購入したCDにも収められていたものじゃないかと思う。といっても、ハングルが全然理解できないから、これは想像の域を超えていないことをここに記しておきますけど。

Cocore そのアルバムがこれで、英語で表記されているタイトルは「Shin Jun Hyun & Yup Juns Vol.2」で、このアルバムの頭に入っている曲ではないかと思うんですね。残念ながら、いまだにMac OS9で仕事をしているので、ハングルで曲名をインプットできないですが、もし、ご存じの方がいらっしゃるようだったら教えてくださいませ。

 ともかく、Jongsoo Hongさんとの話でShin Jung Hyunがどちらかというと、日本で言うところのはっぴぃえんどやジャックスに通じる位置にいるアーティストだということは理解できた。Jongsoo Hongさんは日本のロックにも精通しているようで、特にアシッド・フォークやサイケデリック系の音楽についていろんな固有名詞がでてきたんだけど、残念ながら、そのあたり、自分には全然接点がなくて全くわからなかった。いずれにせよ、この会話は全て通訳を経由してのもので、韓国語を話せないことが実に悔しい。歯がゆい。おそらく、通訳をしてくれた友人がベストを尽くしてくれているんだろうけど、言葉のニュアンスがきちんと伝わらないというか... もちろん、取材するたびに全ての言葉を理解するのは不可能だけど、これまではなんとか英語を話していれば、わかったことが全然わからない。やっぱりアジアの言葉をひとつぐらいきちんと勉強しなければいけないなぁと思いつつ、寄る年波に限界を感じることもある。なにせ、記憶力がどんどんなくなっているというか... さぁて、どうしよう。


投稿者 hanasan : 17:45 | コメント (0)

2006年02月22日

ソウルでオアシス

Oasis 20日にソウルに向かった。今回は、友人であるソウルのプロモーターに「オアシス見に来ない?」と誘われて出かけていったんだが、正直なところ、オアシスにそれほど魅力を感じているわけではなく、「ソウルでオアシス」という状況にそそられたというのが正しい。日本からフライトで2時間あまり。距離的には東京から福岡へ飛ぶのとほとんど変わらない場所にあるというのに、今回、オアシスが韓国で演奏するのは初めて。日本へ何度も彼らがやってきていることを考えると、そのギャップに驚かされる。なんでこんなに大きな違いがでているのか... そんなことをも含めて、韓国だけではなく、日本をももっと理解するためにも出かけてみようと思ったのだ。

 これまで何度もソウルに飛んで、彼らのなかでのロック文化が日本よりも遙かに小さいことは知っていた。CDセールスでロックは10%にも及ばず、ソウル以外にはほとんど、日本で言うところのライブハウスが存在しないこと。ソウルでも、ライヴの環境という意味で言えば、下北沢よりも規模は小さい... 彼らにいわせると、まだまだロックという文化が市民権を獲得していないというのが正しいんだろう。といっても、日本だってロックが大ヒットしたことってあるのかなぁとも思う。"カルメン・マキ&OZ"が初めて10万枚を越えるセールスを記録して、可能性を感じさせたのが70年代半ば。それから30年だが、自分自身が「ロック」と思えるものが大ヒットしたことってあるのかなぁと思い返せば、そんなことは全然なかった。それに、ロックだのポップスだのといっても、その定義も曖昧で、どこかで違いがわからないのだ。というか、ないんだよね、そんなもの。問題は「産業」あるいは、「商品」としての音楽とそうでないものとの微妙な違い。それにしても、音楽なんぞ受け取る側でなんとでも映る。所詮はビジネスの餌食になるというのが否定できない一方で、「彼ら」のビジネスではなく、「自分たち」のビジネスとなる音楽を成長させることの重要さも考えないといけないんだろう。っても、難しいなぁ。いずれにせよ、ビジネスのための音楽ではなく、音楽のためのビジネスというシステムを成立させることが重要んじゃないかな。もちろん、それが「書く意味」を持つのかどうかは、また別のテーマとなりますが。

 ともかく、ロックが大きな意味で市民権を獲得していないと思われる、その一方で、そうしようとしている人たちといっぱい出会ってきたソウルでのオアシスに興味があった。そして、「待ちに待った」韓国のロック・ファン、オアシス・ファンの感極まった表情に釣られてシャッターを切ったのが頭の写真だ。これは、バンドがステージに出てきたその瞬間のショット。最前列にいた子供達なんだけど、彼の仕合わせそうなこと。これだけでも、ここにいた意味が自分にはあるように思える。っても、誓約書を書いているので、オアシスの写真はここでは使えないので、それはSmashing Magでチェックしてくださいませ。上の写真をクリックすれば、飛べるようにしているので。

Biuret この日、前座として登場したのがビウレットという韓国のインディ・バンドだった。といっても、正直言って、初めての韓国での撮影っていうことに、ちょっとした緊張感があったからなんだろうな、このバンドがどんな演奏をしたかということが記憶から完全にぶっ飛んでいる。「なかなかいいじゃないか、このバンド」って感じだけは覚えているんだけどね。リード・ヴォーカルの女の子がかっこよかったことだとか、ギターの男の子(女みたいにも見えたんですけど)がTレックスのマーク・ボランにでも影響を受けているのかなぁ... なんてことを思ってみたり... それに、韓国のバンドって女のミュージシャンが多いんだろうって思ってもいた。それと、アバの「ダンシング・クイーン」をカバーして、なんかの曲の導入部として使っていたこととがおかしかったり... それと、さすがに気にしなくてはいけなかったんだろう、幾度となく「オアシス」という言葉が彼らからの口からでていたことも。そりゃぁそうだろ。初の韓国公演で観客の期待値がピークに達している前で演奏しているのだ。そんな場所で彼らが演奏することのプレッシャーといったら、並大抵のものではなかったはずだ。そんなことを考えたら、よくやったんじゃないかなぁと思う。

 で、オアシスなんだけど、いろんな悪い噂を聞いていたから、ヴォーカルのリアムが途中でステージをほっぽり出して、どこかに行ってしまわないだろうか... と、そんなハプニングが起きはしないかと想像もしていたんだけど、けっこう、上機嫌で、いい感じでステージが進行していったって感じかしら。オーディエンスからは、リアムよりも、ノエルに対する声の方が目立ったほどで、韓国ではノエルの方が人気があるのかなぁと思ってみたり。

 おそらく、どこの国でもそうなんだろうけど、バンドと一緒のほぼ全曲を大声で歌っていたのがオーディエンス。そんな光景を見ていると、日本も韓国もなにも変わらないじゃないかと思った。会場はオリンピック公園のなかにあるオリンピック・ホールというところで、会場のキャパシティは5500。当然のように、完全にソールド・アウトで、確か、2日間ぐらいで売り切れたのではなかったかと思う。その後、少しスペースを作って若干の追加チケットを売りだしているはずだけど、それも、当然のようにすぐになくなったとか。

 オアシスのメンバーは、みんな嬉しそうに演奏していた... と、見えた。特にノエルはオーディエンスのコーラスを誘ったりとサービス精神いっぱいで、それに一体となって応えていたのがオーディエンス。そんな意味で言ったら、いいライヴだったと思う。

「これからはもっと韓国に来るようにするから。少なくともあと12年のうちには」

 と、ノエルが言っていたんだけど、これは、韓国に彼らがやってくるまでにデビュー以来の年月が過ぎていることに対する皮肉も込めている。といっても、韓国で本当の意味で自由に音楽が演奏できるようになったのは95年のこと。それまでは強力な検閲のために「国家が認めたもの」しか発表できなかった(はずだ)という事情がある。おそらく、オアシスはそんなことも知らないんだろ。その当時には、検閲も緩やかになっていたらしいが、それだったとしても、「検閲」があるということだけでも、韓国の音楽の現場は我々の70年代や80年代とは遙かに違うのだ。行く先々の国の歴史なんぞ、勉強しようとは思わないだろうけど、誰か、彼らに近い人がいたら、そういったことも知らせてあげるべきだろうし、僕らもそういったことを学ばなければいけないんだろうなぁと思う。特に、韓国はすぐ隣の国。歴史には学べることがいっぱいあるからね。


投稿者 hanasan : 11:40 | コメント (0)

2005年12月25日

ロックするソウル - 光明市ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル -

Hahn Dae Soo 10月の頭に韓国に飛んだ。それはインディーを中心とした、初の大規模なフェスティヴァルと言われている、ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル'05を取材するのが理由で、その結果はこちらに記している。と言っても、このときは、写真の撮影を中心に作業をして、本来の「ものを書く」ことはしなかった。Smashing Magの若手のスタッフを同伴して、彼にその作業を任せたからだ。

 彼のレポートは、「イントロダクション」としては、かなりの内容だと思った。実際の取材を受けて、限られた時間でかなりの資料を読み、情報を得て、「感想文」に肉付けがされていたことは十分に評価したいし、これからさらに深く掘り下げた取材ができるはずだ。大いに期待したいと思っている。自分が始めたSmashing Magは、当初、単純に「発信する人」「情報を受け取る人」と言った旧来のメディアのあり方を覆そうという目的を持っていた。インターネット時代のメディアとして、誰もが情報を発信することができて、多くの人たちに伝わることが必要だと思う。そのプロセスで、才能を秘めている若い人たちにチャンスを与えて、育てていきながら... と言えば、傲慢かもしれないが、写真家として、ライターとして成長してもらって、Magを「新しいオルタナティヴなメディア」に位置づけられるようにしたいし、旧来のメディアにはなかった視点を前面に出せるものにしたいと思っている。ある部分についてはうまくいっていると思うんだが、なかなかどうして簡単にことは動かない。加えて、運営について資金的な問題とか、解決していかなければいけない問題が山積しているなぁというのが現状だ。

 と、まぁ、そういった話は、また別の機会にするとして、今回の韓国取材は、自分に全く新しい世界への扉を開いてくれたように思える。それを象徴するのがこの写真のシンガー&ソングライター、ハン・デー・スー(公式サイト)との出会いだろう。といっても、彼とはまだ話をするチャンスを得るには至ってはいないんだが、おそらく、彼もディランズ・チュルドレンなんだろう、60年代終わりに歌い始めた多くのミュージシャン、シンガー&ソングライターがそうだったように、彼の歌の世界からそれを感じることができた。さらに、ディランを逆ぼってたどり着く、ウッディ・ガスリーにもつながるように思える。このフェスティヴァルでも「ホーチミン」という声が聞こえているんだが、彼が歌い出したあの時代、世界は同時進行で揺れ動いていた。そのあたりをも含めて、75年以前の韓国の音楽状況を彼にいろいろと尋ねてみたいと思った。

Youngbloods といっても、この時点で彼に対する知識はほとんどなかった。帰国してから、彼のことをネットで調べて、ある程度の知識を得ることになるんだが、それによると韓国の軍政に迫害された彼は、韓国を離れて20年ほどアメリカに住んでいたという話が出ている。そんなこともあって、数枚手に入れた彼のアルバムには英語で歌ったものも数多く収録されていて、その中に、自分の大好きなヤングブラッズの「Get Together」(The Essential Youngbloodsに収録)のカバーをみつけることになる。いわゆるヒッピー賛歌というか、フラワームーヴメントがそのピークを迎えていた頃、彼らのアンセムのようにして歌われていたのがこの曲。おそらく、彼はそういった世界に大きな影響を受けているんだろう。自分よりはわずかに年上だと思うんだが、そこに同年代のつながりを感じるのだ。

 といっても、第二次世界大戦後、韓国は日本で言うところの朝鮮戦争(韓国では625事変と呼ぶらしい)を経ている。日本はこの戦争によって景気回復して、70年代の高度経済成長時代を迎えることになるんだが、実に皮肉だと思う。これだって、朝鮮半島の日本による植民地化に端を発しているのであり、日本はこの事態に責任を負うべきだし、同時に、ソヴィエト連邦、中華人民共和国を中心とした社会主義国陣営と、アメリカ合衆国、イギリスに代表される資本主義国陣営も責任を持つべきだろう。いずれにせよ、3年間の戦闘で約400万人が犠牲になったという情報もある。また、この戦争と東西冷戦で日本をアメリカの傘下におくために、連合国側(特にアメリカ)の戦犯追及が和らぎ、これが契機となって日本はサンフランシスコ講和条約を締結して、独立することができるのだ。が、同時に日米安全保障条約を結び、日本は実質的にアメリカの半植民地的な立場を持つようになる。ほぼ時を同じくして、自衛隊の前身が生まれ、日本の再軍備が始まっている。本当は、朝鮮戦争で極秘裏に海上保安隊が軍事行動に関与していたとされているが、表立って日本が軍事行動に加わることができなかったのは、どう考えても日本国憲法のなせる技だろう。同じような憲法を持つこともなかった韓国は、結局、この後、ヴェトナム戦争にも参戦し、数多くの兵士が殺されているんだが、こういった過去を振り返ると日本の平和憲法が日本を守るためにどれほど重要な役割を果たしているかが理解できる。それを変えようとしてる自民党、民主党が今後の日本にとってどれほど危険かは容易に想像できるだろう。

日韓音楽ノート おっと、話がそれてしまったが、朝鮮戦争が一応の終止符を打ったのは53年。48年から李承晩(イ・スンマン)が初代大統領となって反共を核にした強権政治が、60年の四月革命で幕を閉じ、しばらくの後、クーデターが起こり、朴正煕(パク・チョンヒ)の軍事独裁国家へと変遷していく。といっても、このあたりになると資料で読んで得ている知識程度で詳しくは知らない。が、いずれにせよ、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)から、全斗煥(チョン・ドゥファン)という流れの中で、経済的には大きな成長を得たんだろうが、様々な言論弾圧が繰り返され、韓国文化の暗黒時代があった。特に75年からは大幅な検閲が始まり、ロックやフォークといった音楽が抹殺されることになる。と、このあたりの話は地元韓国の人たちにも話を聞いていたし、一応、検閲が幕を閉じるのは95年。韓国のインディ・シーンが生まれたのはこのころであり、オルタナティヴな韓国のシーンが表立って語られるようになったのはこのころからだという。

 そういった情報を得るのに、有益だったのが日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追ってという本だった。著者は在日三世だという姜信子で、日本人でもなく、韓国人でもないという立場から、韓国の音楽にスポットを当てて書かれているんだが、これでかなりの情報を得ることができた。政治的な背景などはいたく参考になるし、大まかな韓国の大衆音楽の系譜がこれでだいたい理解できる。一方で、「日本」と「韓国」に対するこだわりを超えて、同時代音楽としての文化をもっと掘り下げてほしかったという想いもあるが、それは彼女の目指していたことではないんだろう。それはまた違った人間がアプローチすべきなんだろうと思う。

 いずれにせよ、この本でもハン・デー・スーのことは記されているし、(といっても、この表記はHahn Dae Sooという英語からのもので、彼女はハン・デ・スと書いていたように思う)彼女にとってこのミュージシャンがいかに大きい存在だったかということも伺い知ることができた。面白いのは、この本で見つけたShin Jung Hyunのこと。韓国ロックの父だという彼のアナログ盤を復刻している人と、今回の旅で出会い、それをたまた受け取っていたんだが、その彼のこともこの本には記されている。彼がMenというバンドを率いて、60年代から活躍していたということなんだが、この音にジャックスやはっぴぃえんどとの接点を感じざるを得なかった。

 いずれにせよ、ここから韓国ロックのルーツに大きな関心を持つようになるんだが、これは、まだ後日記してみようと思う。



投稿者 hanasan : 11:29 | コメント (0)

2005年12月19日

垣間見えたのはバラ色の未来じゃなかったか? ザ・ウォール・ライヴ -

Roger Waters 28日にベルリンからロンドンに飛んで、その日にKid Carpetのライヴを撮影。そのあと、ちょっと時間があって、ヴァージン・メガストアに行ったら、このDVDが目に入った。といっても、イギリス盤はこれとはジャケットが違ってもっとセンスがいい。おそらく、内容的には同じだと思うんだが、久々にこれを見て、また、いたく感動してしまうことになる。

 これはピンク・フロイドを脱退した(けど、なんでも最近また戻ってツアーするなんて情報が入っているという話も伝わっている)ロジャー・ウォータースを中心に90年の7月21日にベルリンで開催したライヴを収録したものなんだが、これが素晴らしい。すでにこのビデが発売された頃に見ていたんだが、今回、ちょうどベルリンを訪ねたこともあり、今度はDVDヴァージョンで見てみよう... と、これを購入。でも、そのインパクトは今回の方が遙かに大きかった。おそらく、ベルリンで初めて、「壁」の片鱗を見たことや、イーストサイドからブランデンブルグ門まで歩いていった時の風景、すでに観光名所でしかなくなったチェック・ポイントに対する感慨がそうさせているのかも知れないが、あらためてこのライヴを見て、歌の言葉をかみしめていると涙が溢れてしまったのだ。時に、ラストの「The Tide is Turning」(流れが変わりつつあるという意味ですな)は涙なくしてみられないだろう。なにせ、このライヴが行われる半年ほど前に、悪名高き「ベルリンの壁」が崩壊し、誰もがどこかでバラ色の未来を夢見ることができたのだ。

Roger Waters 言うまでもなく、このライヴのベースとなっているのはロジャー・ウォータースが中心となって作ったとされているピンク・フロイドの名作アルバム『ザ・ウォール』。そして、そこからアラン・パーカー監督による映画『ザ・ウォール』が生まれているというのは周知の事実。今回DVD化されたものに収録されているドキュメンタリー(といっても、インタヴューの寄せ集めがメインで、ドキュメンタリーと呼べる代物にはなっていない)によると、ライヴのアイデアは、すでにロジャーがピンク・フロイドを抜けたときからあったようだ。実際に、具体化を考え始めたのは80年代の終わりで、サハラ砂漠やアメリカのモニュメント・ヴァレーなども案として出たらしいんだが、89年11月にベルリンの壁が崩壊すると「理想的な場所」としてベルリンが浮上してきたのだという。そして数ヶ月で交渉、キャスティングなどを進めて、実現するのだが、このインタヴューによるとニール・ヤングやジョー・コッカーあたりにも話が届いていたことが語られている。彼らはスケジュールの都合がつかなかったということなのでしかたがないんだが、面白いのはエリック・クラプトンのくだりかなぁ。臆病風を吹かせて断ったんだとか。笑える。さすがにロック界の大馬鹿者だ。その一方で、ジョニ・ミッチェルは「いいわよ、どこにサインすればいいの」と即決。さすがにザッパと一緒に検閲に闘いを挑んだ骨のあるアーティストで、そんな話を聞くと嬉しくなってしまうのだ。

 まぁ、詳しい話はそのインタヴューを見てもらえればわかるんだが、ともかく驚かされるのはそのスケールだ。ステージの幅は300メートルで、その上をバイクから、リムジン・カー、救急車、バイクが走り抜けるという代物。しかも、そこでバンドが演奏したり、旧ソヴィエト軍の軍楽隊が登場したり、どこにいるのか確認しなければいけないけど、クラシックのフル・オーケストラも参加している。誰を使ったのだろうか、映画さながらに、ナチを思わせる「ハンマーの旗」を持って行進する軍人のような一隊もでてくる。約30万人を集めることになってしまったこれは、そういったバンドやアーティストが、役者やオーケストラ、軍楽隊から映像アーティスト、インフレイタブル(大がかりな空気を入れたオブジェのこと)・アーティストから、オーディエンスをも含めた全てが一緒になって、とてつもない劇場空間を作るようなもの。これは、ロック・ショーというよりは、ミュージカルであり、ロック・オペラであり、映像ショーであり... その全てを「ライヴ」でやってのけた一大文化行事だった。そんな意味で言えば、これまでにすでに伝説となっているウッドストックワイト島のフェスティヴァル、ちょっとニュアンスは違うかもしれないけど、フェスティヴァル・エキスプレスとは比較にならない、文字通り、20世紀最大規模、最高のショーではなかったかと思う。というのは、そういったフェスティヴァルが、基本的には数多くのバンドを集めただけのものだったのに対して、この『ザ・ウォール・ライヴ』は制作から政治的な背景、その全てが前者とは比較にならないのだ。

Roger Waters しかも、たった1回のショーのために、数ヶ月に及ぶ準備があり、越えなければいけない傷害もあった。会場となったポツダム広場は終戦の年、45年から手つかずの緩衝地帯で、所有者はいない。そういった場所をただで使えるという幸運もあったんだろうが、地雷が埋められているかもしれないという事情もあり、その調査をしたらとんでもない数の不発弾や手榴弾等々がでてきたんだそうな。しかも、面白いのは、残っている「壁」を観客の整理のために使おうとしたら、チケットを買った人に加えて、買っていない人までが押し掛けて、25万人を越えたあたりから保安上の理由から、結局、その「壁」をぶっ壊したという話も語られている。嬉しいじゃないか、どこかで「祝福」を求めてきた人たちの「力」が再び壁を壊したわけだ。

 そんな事情もあるんだろう、それぞれのアーティストの気迫もとんでもない。「先生、俺たち、子供を放っておいてくれ」と歌われる「Another Brick in the Wall Part.2」を歌うシンディ・ローパーなんて、飛びすぎだし、初っぱなのスコーピオンズのあとにロジャー・ウオータースのバックでソプラノ・サックスを吹くガース・ハドソンもいい。演奏されている間に背後にどんどん壁が作られ、その壁がスクリーンになって映像が流されたり、芝居が登場したり... その壁の背後で歌っているのが天下のヴァンモリソンやポール・キャラック。シネード・オコナーやジョニ・ミッチェル、ブライアン・アダムス、ザ・バンドのリック・ダンコ、リヴォン・ヘルムとガース・ハドソンにトーマス・ドルビー、ドイツの良心を代表するヴォーカリスト、ウテ・レンパーなど、ラインアップも素晴らしい。

 それでも、圧巻なのは彼らが作った「壁」が壊され、それを見ていたオーディエンスが興奮のピークを迎えるときだろう。あの歓声は、当然ながら、「ベルリンの壁」の終焉を祝福したものであっただろうし、だからこそ、全員が登場して歌うフィナーレ「The Tide is Turning」が涙を誘うのだ。「流れが変わり始めた」という意味に捕らえていいだろう、この曲が、この日ここに集まった全ての人たちにどれほどの意味を持っていたか... そして、全世界の50カ国に放送されたという、そのショーを見ていた人たちにどう伝わったかといえば、明かだろう。あの時、どこかで東西冷戦の終わりを祝福し、バラ色の将来を期待していた人は少なくはなかったはずだ。

 実をいえば、このプロデューサーのひとり、トニー・ホリングスワースにちょうどこの直後に会っているんだが、「本当は、西側が、要するに資本主義が社会主義に勝ったという空気だったから、大きな金が動かせたんだよ」といわれたものだ。バンド・エイドからネルソン・マンデーラのライヴなど、大規模なイヴェントをプロデュースしてきた彼の言葉だけに、その言葉のリアリティは充分に感じることができた。それでも、結局、「ベルリンの壁」という狂気が、実は、けっして「資本主義対社会主義」で生まれたのではなく、そんな看板を被った権力者達の支配欲によって成立しているのだということは、その後の歴史が証明している。キリスト教原理主義、イスラム原理主義... 看板など掃いて捨てるThe Wall
ほどもある。本当は、どす黒い「欲望」や「幻想」のために「民主主義」やら「自由」あるいは、「改革」なんて、それらしいお題目を振りかざすのは、一般市民を搾取する権力者達。彼らにとって、それこそが「正義」であり、「民主主義」なのだ。本当にバラ色の世界がやってくるときというのは、そういった権力者が駆逐されて、それを支えている個々の人が、犠牲になっているひとりひとりの人間がその事実を直視して、実は世界を動かしているのは「自分たち」なのだということを認識し、前向きに関わっていく時代でしかあり得ない。そして、権力者が信じて止まない紙切れや金属片でできている「金」という幻想から完全に抜け出して、ひとりひとりの人間が、本当の豊かさや人間性を基盤においた、地球上の生物としての自然なサイクルによる社会を作っていくほか、あり得ないと思っている。はたして、そんな時代が、自分の生きているうちにやってくるのか... ちうか、それ以前に、申し訳ないが世界が終焉を迎えるようにしか思えないんだけどね。どれほどの人たちが環境の問題をシリアスに捕らえているかはわからないが、すでに研究者達の間では末期的な時代を迎えているというのが定説らしい。そんな時代に人殺しに躍起になっているアホな政治家をのさばらしておいて、愛も平和もあったものじゃない。もう少しでもいいから『政治家』に知性のかけらを持ってほしいと願っているのは、自分だけじゃないだろうな。

 ちなみに、このところ、このザ・ウオール近辺が動いているようで、そのトリビュート・アルバムなんぞがでているような。まだ、聞いたことはないんだけど、なんでなんだろう... ま、ネタがないだけなのかもしれないけど。



投稿者 hanasan : 17:31 | コメント (0)

2005年12月18日

壁の向こうになにが見える? - ベルリンとバンダ・バソッティ -

Berlin ベルリンに飛んだのは11月24日。その日と翌日、SO36という小屋でPunk Italia '05と呼ばれる小規模なフェスティヴァル... というか、数多くのバンドが出演するイヴェントが開催されて、バンダ・バソッティがヘッドライナーを勤めるというので、彼らのレーベル、グリダロ・フォルテからお呼びのかかったのがその理由。なんと、彼らが経費を出してくれて、写真を撮影できるというので、大喜びで出かけていったわけだ。その時の話はすでに、こちらで書いているので、それを読んでもらえればと思うんだが、まずは、驚かされたのがその寒さ。日本が、この時点ではまだそれほど寒くなかったこと、それに、大好きなMA-1を持っていけばなんとかなるだろうと思っていたのが甘かった。なにせ、数年ぶりの寒波がこの時、ヨーロッパを襲ったということで、寒い寒い。Tシャツを2枚ほど重ね着して、その上にパーカーを着て、MA-1だったんだけど、それでは全然太刀打ちできなかったというのが正しい。まぁ、それしかなかったから、なんとかしなければいけなかったんだけど。

 その寒さと共に、やはりなにかを感じざるを得なかったのが「ベルリンの壁」だった。宿泊したのが、あの悪名高い壁の最後の一部が残されているイースト・サイドで、宿泊したホテルの窓からそれが見えるのだ。文字通りイースト・サイド・ホテルと呼ばれるそのホテルの看板は、あの壁に描かれている落書きのオリジナルとなる写真。旧ソヴィエト連邦のトップ、ブレジネフと、東ドイツのトップ、ホーネッカーが熱烈なキスをしているとしか見えないもので、おそらく、これを使っているのは、あの時代の狂気をあざ笑う意味もあるのではないかと思う。1泊25ユーロのこの安宿の階段には、89年11月9日の、壁が壊された日の写真が飾ってあって、すでに15年以上が過ぎた今、あの狂気が観光資源になっているという皮肉な結果生み出している。実際、壁を売っているという話も聞いたし... なんてこったい。

Berlin ライヴが行われたのはクロイツベルグというエリアで、今やさまざまな人々が、ヨーロッパで最もエキサイティングなのは、ロンドンやパリではなく、ここだと言っているらしいんだが、それはほんの数日ここにいるだけで直感できたように思える。人種のるつぼで、雑多な要素が共存しながら「新しいヨーロッパ」を目指しているように思えたものだ。

 ライヴの撮影は25日で、この日のライヴで嬉しかったのは、バンダ・バソッティが想像を遙かに超える人気ぶりだったこと。そして、このイヴェントを主催しているマウロという人物に出会えたこと。なんでもイタリアン・レストランも経営しているらしいんだが、そのレストランにはこの街にやってきたさまざまなミュージシャン達のサインがの残されていた。そのなかのひとつ、フロッギング・モリーはバンダ・バソッティにぞっこんらしいんだが、そのフロッギング・モリーほどには、おそらく、バンダ・バソッティが日本やイギリス、アメリカでは比較にならないほど無名だというのが面白くない。まぁ、どうせ、日本人なんぞ、こと音楽に関する限り、所詮はアメリカやイギリスにしか目を向けようとはしていないんだから、仕方がない。なんと、了見の狭いこと。まるで「アメリカこそが世界だ」と思っているアホ首相と変わらない人種が「ロック界」でも幅を利かせているからかねぇ、日本じゃまともな「視点」も持てない消耗品でしかない歌しか生まれないんだろうなぁと思う。

Berlin そのレストランにはチェ・ゲバラの写真なんかが飾ってあって、おそらく、それがマウロのちょっとした意思表示なんだろうと思えた。もちろん、彼の肖像なんてファッションのようなものだといえばそれまでだけど、どこかにオルタナティヴな空気を感じさせる。タイミングがいいというかなんというか、たまたま成田で買った文庫本が冒険者カストロで、「なんか、はまっているなぁ」と思ってみたり。

 そのマウロが面白かったのはバンダ・バソッティが演奏を終えたときかなぁ。当然のようにアンコールをやって... それでも鳴りやまない拍手に、CDを流しながらオーディエンスとバンドが一緒になって大合唱をしたり、ヴォーカルのピッキオやシガロ、それに、ギターのスコーパまでもが、そのオーディエンスの並にダイヴすることになるんだが、この時、一緒に担ぎ出されて、会場を埋めていたオーディエンスの上を1周したのがマウロ。並のプロモーターがこんなことをするわけがないし、それだけでも彼の「いる場所」がわかるのだ。さらには、バンドがすでに機材を片づけ始めていたというのに、マウロはオーディエンスの要求に応えようと、バンドに声をかけていたのにも驚かされた。職業的なプロモーターがこんなことをするわけがないし、日本じゃ、あり得ない。結局、オーディエンスはバンダ・バソッティの大昔の曲、「Figli Della Stessa Rabbia」を合唱し始めて、機材がなくなり始めた舞台に上って、それを一緒に歌い出したのが、ピッキオやシガロ。久々に、本当のアンコールをみることができた。それがドイツで起きているというのが面白いし、バンダ・バソッティが多くの人たちによってサポートされているのを再発見したという感じだった。

ペッカー ちなみに、彼らの前作「アシ・エス・ミ・ヴィダ(これ、俺の人生)」も、その前の「アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア」も、アマゾンで購入可能なんだが、最新作で、自分がライナーを書いた(あるいは、誰に書ける人間がいなかったようで、締め切り直前に書かされたという方が正しい)「Amore E Odio」が全然入手できないって、どういうことなんだろうなぁ。フジ・ロックを前にしてリリースしたというのに... それに、このレーベルの他の作品は買えるというのに、どういうことなんだろうなぁと思う。

 と、このあたりから、本当は、その後移動したロンドンで買ってしまったDVD、ロジャー・ウォータース中心として開催された90年のザ・ウォール・ライヴについて書きたかったんだが、ちょっと長すぎるというので、それはまた次回ってところでしょうか。



投稿者 hanasan : 22:36 | コメント (0)

2005年11月17日

縁は異なもの... でも、つながる - Royal Crown Revue -

Royal Crown Revue 実は、ロスについたその日、9月4日の夜にウイリーの友人のドラマーがやっているバンド、Royal Crown Revueが、けっこう有名な(らしい)スイング系のクラブ、the Derbyでライヴをやるという連絡を受けて、「じゃ、写真を撮ろうか?」なんて言っていたんだけど、結局、できなかった。というのも、日本を離れる前日、同じく友人のドラマー、沼澤尚君と、彼の友人、マルコス・スサーノのセッションがあって、深夜1時に始まったそれを見終えて帰宅してから荷造りと更新作業をしていたら、徹夜になってしまったのだ。フライト前というのは、たいてい徹夜で仕事をして、空を飛んでいるうちにぐっすり寝るというのがいつものパターンなんだが、今回のシートが最悪で、足は伸ばせない、肘を置くところも固定で動かせない... というので、全然寝られなかったのだ。

 基本的にチェックインするときに選ぶシートは足を伸ばせるところ。"It would be nice to have large leg space"なんぞというんだが、たいていは出入り口のそばで、ここだったら、足を伸ばせる。ゆっくりと寝ることができるのだ。それに、スチュワーデスの座るシートの正面となって、実は、会話が弾むこともある。(まぁ、寝てばかりなので、ほとんどそういったことはありませんが)それでも、この窓側は、非常ドアの出っ張りがじゃまになって、その通路側がエコノミーの、自分にとっては特等席になる。が、今回、行きのフライトでその座席がいっぱいで、仕方がなく、一番先頭、ビジネスとの壁の場所を選んでしまったのだ。一応、レッグ・スペースは広い方だという説明を受けてそうしたんだけど、どうなんだろ、ほとんど変わらなかったように思える。加えて、肘を置く部分が固定されているものだから、窮屈で仕方がない。フライトの時ばかりは小柄の人がうらやましいと、本気で思う。(あと、小さな小屋のフォト・ピットで撮影するとき。じゃまだからといって、髪を引っ張られたり、頭を殴られたりってこともあるから)で、結局ほとんど寝られずじまい。

 そのせいもいもあって、ウイリー宅について、久しぶりだというので、いろいろ話をしたあとに、ちょっと昼寝しますわ... といって寝たら... 起きなかった。というか、一度、ウイリーが起こしてくれたんだけど、「無理しなくていいから」なんていってくれたものだから、「悪い、だめだわ、これは」と、結局、翌日の朝までぐっすりと寝てしまうことになる。なんと睡眠時間17時間。すげぇ!自分でもこれほど寝ることは珍しいのだが、これって、グラストンバリー以来だと思う。だいたい、海外に行くとよく寝るという習性があって、興奮するどころか、仕事のプレッシャーから解放されて、ストレスがなくなるんだな、おそらく。

 で、申し訳ないんだけど、このバンド、Royal Crown Revueを撮影することはできなかった。でも、その翌日、ウイリーがビッグ・ウイリーズ・バーレスクとして今年のフジ・ロックで来日したときのメンバーと一緒に演奏しているレストラン、Chaya Brasserieに遊びに行ったとき、あのバンドのドラマー、Daniel Glassもやってきて、話をすることになった。

Bloodest Saxphone その時、彼らが何度か日本に行ったことがあって、ザ・トラヴェラーズやブラッデスト・サクソフォーンと一緒にやっているという話を聞かされたんだが、実を言えば、ブラサキ(後者の通報です)の甲田くんが、いつもライヴに誘ってくれているんですね。それなのに、タイミングが悪くて、全然見られない状態が続いているという... しかも、今回は、ちょうどこの日に東京で、この新しいアルバムを発表してのツアー・ファイナルを迎えていたわけで... ところが、あまりに忙しくて、メールに返事をすることもできず、ロスに飛んできてしまったといういきさつがある。いやぁ、申し訳ない。彼がここをチェックするとは思わないけど、ごめんなさいね。(ちなみに、ブラサキのこの新しいアルバム、歌は下手だけど、1曲だけ歌ものが収録されていて、裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」なんだな、それが。アイデアはいいなぁ。こういった曲をピックアップしてくれたことは嬉しいなぁ... もうひとつなにかがあれば嬉しいんだけどなぁ)

 まぁ、そうやって考えれば、ロスでも東京でも同じような仲間のバンドに不義理をしたことになる。ダメだなぁ... なんて思います。両方ともスイング・ジャズををベースにしたコンボで、レトロな風味が大好きではあるというタイプ。20年ほど前に、ちょうどロンドンでジャズが再発見されていった頃、ロンドンで同じようなバンドを取材したことがあって、シュヴァリエ・ブラザーズ、レント・パーティ(この2枚は当時、ビクターから発売されたはず)、ビッグ・タウン・プレイボーイズ(ジミー・ページか、ロバート・プラントだっけかと、ジェフ・ベックと仲良しじゃなかったなぁ)あたりがその流れにはいるのかなぁ。そういったスイング系のシーンが、おそらく、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーの影響なんだろうけど、アメリカでも大きくなっているようで、いっぱいいるんだとか。

 こういったシーンはとても健康だと思うし、ライヴでの楽しさは格別。なにせ元々ダンス・ミュージックだったジャズの面白さを十二分に抱えている音楽だから、楽しくないわけはない.. といった趣なのだ。どこかで「お偉くなったジャズ」に欠けていたものを全て彼らが持っているという感じで、好きなんだが、同時に、どこかで「昔と同じじゃん..」という気持ちになることもある。そこに、どうやって「自分たち」の時代や存在が組み込まれていくのか? そんなあたりが鍵になるんじゃないかなぁと思う。そうじゃなければ、踊りのダシだけのバンドになってしまうかもしれないし... 

 ブラサキを初めて見たのは、勝手にしやがれがタワー・レコードの渋谷でイン・ストア・ショーをやったときの前座だったんだけど、この時はすごく面白いと思った。どこかで「いなたい歌謡曲的」ニュアンスが見え隠れして、ベーシックなサウンドとのバランスが微妙に面白く、楽しかったのだ。おそらく、演奏はうまくなっているんだろうけど、ただ「ジャズ」をやりたいんだろうかなぁ... と、以前見たときに思った。

勝手にしやがれ 一方で、勝手にしやがれの方は、元来パンクだったという、彼らのエネルギーが音楽そのものにもどんどん飛び出しているし、雑食なんだろう、いろいろなものを飲み込んでいる。実際、一番新しいアルバム、「シュール・ブルー」(だったと思う)では、一度、ドラマーの昭平君に貸してあげたフランキー堺の名作「この素晴らしい世界」からアイデアをいただいたなんて話も聞かされているし、彼がアストル・ピアソラ(最初に聞くなら、「ラ・カモーラ」かなぁ)からブリジット・フォンテーヌ(「ラジオのように」が名作よ)まで、とてつもなく個性的なアーティストの音楽を吸収しながら、「勝手」の味を作り上げているのが伝わるのだ。加えて、演奏ではメンバーが「エンターテインメントじゃん!」という姿勢と、パンクのエネルギーをごったにして見せつけてくれる。何度見ても飽きないし、彼らのパワーが大きくなっているのがわかる。今の彼らを見ていいて思うのは、まだまだ可能性を秘めていること。そして、まだまだ大きくなるんだろうってこと。別に売れたからいいわけじゃないけど、こんなバンドはもっと売れてほしいと、常々思うのよ。



投稿者 hanasan : 09:16 | コメント (0)

2005年11月13日

なんとなくロスまで

Michael John なんとなくアメリカに向かった。なんでアメリカか?っても、とりわけ大きな理由があるわけでもなく、フライト代が安かったから。それに、久しぶりにロスの友人を訪ねたかった。と、まぁ、それだけのこと。実を言えば、海外で友人の家に泊まることが多くて、下手をすると日本にいるよりもお金がかからないことも多々あるというので、格安のKorean Airを使ったんだが、たいていの場合、トラベルこちゃんという、けっこうふざけた名前のサイトで格安プランを探してチケットを購入することになる。今回は往復のフライト代が36800円なんだけど、結局、税金や燃料チャージ(ふざけてるよね、これ)なんてのがついて56000円強となった。でも、まぁ、いいや!と思って出かけたのだ。

 ところがこの格安フライト、ロスにつくのが朝の7時半。さすがにこの時間に友人に迎えに来てくれとは言えず、到着後、空港の外でタバコを吸っていたときに出会ったのがこのアルバムの主、MJ、マイケル・ジョンという人物だった。アメリカ行きのフライトって、ライターを持っていけないから、(しかも、到着した空港でも売っていない)誰かに火を借りることになるんだけど、なにやらのんびりとコーヒーにでっかいケーキのような代物をほうばりついていたのが中年のおじさん。ギターとちっさなスーツケースをそばに置いていたんだが、ちょっと話を始めたら「おまえ、どこ行くんだ」と尋ねられ、「ハリウッドの友人の家だ」と応えると「じゃ、一緒に来い」と、まぁ、そんな流れになってしまったのだ。

 で、どう見ても悪人面をしていないし、話をしてみたら、ミュージシャンだと言うし... というので、話に乗ったんだが、車を止めている駐車場でひと騒動。なんと、キャッシュが全然ないというので、そこまで送迎してくれたドライヴァーに払うチップもないという。結局、それを自分が払ってあげることになったんだが、さて、駐車場の料金をカードで払おうとしたらリジェクとされて... 「下手すると、俺が払うのか?」と頭のなかで悶々と考え出す羽目になる。そりゃ、ねぇだろう、そうしたら空港に戻って... なんぞと考えつつ、クレジット会社のカスタマー・サービスに電話してみたら?とアドバイス。すったぁもんだのあげく、なんとか、そこの払いはできることになって、移動を始めたわけだ。そして、その道中、自分が音楽関係のジャーナリストで写真家でもある旨を伝えると自分のアルバムを差し出して、聞くことになったのだが、これが全然悪くない。

 第一印象は、けっこうレイドバックしたシンガー・アンド・ソングライターといった感じで、曲によってはジミー・バフェットなんぞを思い出したり... ポコとか、ああいったウェストコースト的な響きのある音なんだが、なによりも思ったのは、ホントに同一人物かい?ってこと。なにせ、隣でおんぼろ車を運転しながらだみ声で話しているおっさんはどう見ても、うだつの上がらない中年男。ところが、アルバムから聞こえてくる声は、かっこいいのだ。しかも、バックのメンバーがいい。っても、名前を知っている人は誰もいないんだけど、メンバーのなかにはスパイロ・ジャイラなんてフュージョン系のグループに関係している人物もいるようで、なかなか面白い。

Michael John といっても、発表しているアルバムは2枚で、こちらは2004年発表最新作の「The Edge of the World」。もう一枚は98年発表と30年のキャリアで2枚のアルバムを発表しただけらしい。ベースを置いているのはコロラドで、どうなんだろうなぁ、音楽でメシを食っているようには見えなかった。

 それでも、このアルバムには「Die for You」という曲が収録されていて、これはどうやらイラク戦争のことを歌っているとのこと。やっぱり、ひさびさの、おそらくは8年ぶりのアメリカに来て最初に出くわしたのはブッシュ政権でのアメリカの影だったように思う。彼自身の関係者でイラクでなくなった兵はいないということだが、あの戦争に対する疑問を彼も抱えてたようだ。その話は、ここで数日間世話になった友人、かつてジャンプ・ウィズ・ジョーイというバンドで活動していたウイリー・マクニールとも繰り返すことになる。自分たちのまわりには誰ひとりとしてブッシュを支持している人間はいないし、彼のおかげでアメリカが世界の嫌われ者になったことを吐き捨てるように語るのだ。そして、西海岸にも東海岸にもブッシュのアメリカがないことを強調する。ただ、中西部などに行くと「バカじゃねぇか!」と思えるほどの「ブッシュのアメリカ」があるんだそうな。といっても、カリフォルニアでさえ、シュワルツネッガーを知事にしてしまっているんだから、西海岸がそれほどまともとも思えないんだけど... っても、この時の選挙でシュワルツネッガーの保守的な政策は全て否定されることになっただけ健康かもしれないが。



投稿者 hanasan : 12:34 | コメント (0)