2009年06月18日

Ozomatliが沖縄にやってくる!

Ozomatli ロスでリラ・ダウンズを取材して、その後は友人宅でお世話になりながら、ちょっとした休暇を楽しんでいた。といっても、昔からの仲間に会ったり... ということは、以前書き残している。加えて、オゾマトリのマネージャーにも会っていた。なにせ、彼らを初めて取材したのが1997年と、すでに彼らとのつきあいは12年目。四方山話をしようということになったんだが、主な目的は彼らを沖縄へ呼ぶことだった。おそらく、このブログをチェックしている人だったら知っていると思うんだが、2007年にピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2007を取材して以来、毎回このイヴェントには顔を出していて、なんとか、オゾマトリをここへ呼べないかというのが本当の気持ち。それが無理でも彼らには沖縄へ来て、その現実を体験してほしかったのだ。

 だから、彼らとは会う度にその話をしていた。彼ら以外でも、仲良くなったミュージシャンには、なぜか、「沖縄へ行ってごらん」と話しているようで... 大昔はホットハウス・フラワーズのリアムにも言ったなぁ。ちょうど、彼のお父さんが亡くなって、彼が落ち込んでいたとき。それから、どれほど過ぎた頃かなぁ... 実際に沖縄に行ったらしく、「お前の言っていたことは正しいよ。沖縄は素晴らしかった」と語ってくれたことがある。

 それはともかく、オゾだ。たまたまそんな話をしていたら、マネージャーのエイミーが9月25日にシンガポールでライヴをやるというのだ。だったら、21日に予定されているピース・ミュージック・フェスタ!に出られるかもしれないと思って、交渉を始めていた。といっても、簡単なわけはない。なにせ、主催者はプロのプロモーターではなく、沖縄から米軍基地をなくそうと動いているミュージシャンや仲間たち。当然、金なんてあるわけはない。でも、嬉しかったのは、「そんなことは重要じゃない」と、この申し出を快く承諾してくれたこと。しかも、あのあと、幾度かメールでやりとりをすることになるんだが、そのなかではっきりと彼らに伝えたものだ。

「沖縄の人はアメリカ人、嫌いだよ。だって米軍基地は押しつけられるわ、米兵の犯罪は日常茶飯事だし...」

Ozomatli Live at the Fillmore そうすると、エイミーからは「メンバーは全員、そのことを知っているし、ヴェトナムでライヴをしたこともあれば、中近東でやったこともある。だから、みんな、すごく楽しみにしている」

 という返事が返ってきた。本当に嬉しいと思う。こういった連中と友達でいることが自分の... どこかで誇りなんだろうと思う。

 ちなみに、ここ数年のオゾマトリの作品でベストはというと.... おそらく、『Ozomatli Live at the Fillmore』だろう。DVDが一緒になっていて、この時のライヴを見ることができるんだが、ライヴ・バンドとしての真骨頂をここで確認することができる。できれば、チェックして欲しいと思う。

 ちなみに、このピース・ミュージック・フェスタ!の公式サイトはこちらで、彼らが運営しているブログがこちら。ときおりでもいいので、チェックしてくれると幸い。それに、東京や大阪ではプレ・イヴェントも開かれるようなので、なんとか足を運んでくださいませ。そうやって、お金を生み出さないと彼らも息切れしてしまうのです。宣伝もしてください。それだけじゃなくて、実際に、沖縄に行って、基地の現実を目の当たりにして欲しいと思う。今なら... というか、つい先日、これに合わせて沖縄行きのフライトを予約したんだが、なんとか3万円強で往復のフライトを押さえることができました。連休の時期なので、どんどん安いフライトが押さえられているのですよ。だから、急がないとめちゃくちゃ金がかかるのです。

Monareta さて、そんな話の他にも、オゾのマネージャーとはいろいろな話をしている。例えば、ここ数年、ラテン系のコンテンポラリーなロックとか、そういった音楽にはまっていること。すると、彼女のボーイフレンドがそういったアーティストを中心としたレーベル、Nacional Records(ナショナル・レコード)を運営しているというのだ。そこでいろいろなアルバムを受け取ることになるんだが、面白いのはヴェニス・ビーチでお世話になった友人、かつてジ・アンタッチャブルズをマネージメントしていた彼が、一時期面倒を見ていたメキシコのユニット、プラスティリーナ・モッシュのアルバム、『All U Need Is Mosh』がここから発表されていること。この偶然には驚かされたもんだ。それだけではなく、ここ数年、再来日が待望されているex-マノ・ネグラ、マヌ・チャオの『La Radiolina』から、この話を聞く一月ほど前にオースティンで取材したコロンビアはボゴタからやってきたエレクトリック・クンビアのユニット、Monareta(モナレータ)の最新作、『Picotero』もここから発表さているんだとか。繋がりというのは、本当に面白い。

 さらに、今年のフジロックのラインアップを見ていたら、そのレーベルのアーティスト、Juana Molina(フアナ・モリーナ)の名前が見える。実は、『Un Dia(ウン・ディア)』と呼ばれている最新作を、このレーベルから受け取っていたのだ。世の中、本当に狭いと思うし、まるで見透かされてるように、みんながつながっているのを再発見したように思うのだ。


投稿者 hanasan : 01:33 | コメント (0)

2009年05月25日

Lila DownsにはまってLAに

Lila Downs この4月、ロスに飛んでいる。惚れ込んでしまったアーティスト、リラ・ダウンズの取材が目的で、こんなことをやるのは久しぶり。たまたま知り合ったロドリゴ・イ・ガブリエラのモニター・エンジニアの友人が、リラのサウンド関連でツアーしているというので、マネージャーの連絡先を教えてもらって、コンタクトすることができたのだ。溺愛したら即行動... というパターンなんだが、こんなこと、そんなにできることではないのです。パターンとしては84年のビリー・ブラッグとか、85年のジャズ・ディフェクターズ以来かもしれません。

 日本を離れたのは4月7日で、このときのフライト代が6万円ほど。安い。燃料チャージが激減したことで、この価格となったらしい。もちろん、探せばもっと安い物があるんだろうけど、スケジュールの都合が優先するので、これで決めた。ところが、面白いのがホテル代。リラ・ダウンズのパーティと同じホテルの方が都合いいだろうと思って、そこに止まったんだが、わずか二日分の宿泊費がフライトの半分だった。ありえんなぁ... と思ったのが、本音。それはともかく、その日に彼女や旦那さんのポール・コーエン、それに、ツアー・マネージャーに挨拶だ。そして、翌日はギブソンのショールームでプロモーション用のライヴ。そこで撮影をした。

 その時にも驚かされるのだが、リラの音楽的バックグランド同様にバックのミュージシャンも幅広いヴァリエーションを感じさせるのだ。パラグアイ人、ニューヨーク在住のブラジル人、中国系アメリカ人と日本人のハーフ... これこそアメリカの縮図であり、リラ・ダウンズの音楽だ。なにせ、メキシコ南部のインディオのシンガーを母に持ち、そこで生まれて.... スコットランド人左翼の大学教授がお父さん。なんとディランがお父さんの授業を聴講に来ていたというのには驚かされた。クラシックもやっていて、ジャズの素養もあり、デッドヘッズでもあった.... それで限りなくルーツにたって、フォークからロック、ジャズのエッセンスを持ちながら音楽を創造し続ける.... 少なくとも、そんなミュージシャンは自分の周りにはいないのだ。

Lila Downs さて、その中国系アメリカ人と日本人のハーフ、ダナ・レオンなんだが、ちょっと話をしていると、バスクに関連があるという。なんと、フェルミン・ムグルサの新しいアルバムで彼がトロンボーンを吹いているトラックが含まれているんだとか。彼自身のアルバムは『Anthems of Life』といって、ジャズ・ノット・ジャズ、アシッド・ジャズ系なんだが、これも面白い。しかも、バルカン・ビートボックスのメンバーでもあるというのが興味深い。ザ・スラッカーズのドラマーが彼らをたまに助けると言っていたように思うし、このところアメリカのテイスト・メイカーの間でバルカン系が注目されているところにもつながるのかもしれない。

 その他にもハープのミュージシャンでCelso Duarte(セルソ・ドゥランテ?)も気になった。そもそもハープの存在が面白いんだが、これがリラ・ダウンズの音楽にとても重要な役割を果たしていると思えるし、ブラジル人のアコーディオン奏者、ロブ・クルトのタッチも面白い。

 いずれにせよ、人間の繋がりを感じて、21世紀の音楽の潮流を間近に体験することができたのがこのとき。実を言えば、わずか30分ほどのインタヴューをすることができたんだが、帰ってから原稿を書きながら、調べ物をすることが楽しくて仕方がないのだ。メキシコの民族問題から、先住民族のインディオのこと。それに、サパティスタ民族解放からマルコス副司令官の話し... 彼はジョー・ストラマーであり、ボブー・マーリーだというニュアンスも感じさせる。

 なんとまぁ、巨大な世界への扉を開いてくれたことか... リラ・ダウンズに感謝したのがそれのように思えるのだ。



投稿者 hanasan : 09:08 | コメント (0)

2008年10月31日

Justin Nozuka - アコースティック・ソウル

Justin Nozuka 実を言うと、ジャスティン・ノヅカのライヴはめちゃくちゃ楽しみにしていた。なにせ、ここ1年でも最も頻繁に聴いているアーティストが彼なのだ。そのあたり、last FMの自分のアカウントをチェックしていただければわかるんだが、なんとライ・クーダーやザ・バンドといった、昔から大好きだったアーティストと肩を並べるほどに彼の作品を聴いていることになる。それほどに惚れ込んでいるということなんだろう。

 初めて彼の噂を耳にしたのは、3月に訪れたテキサスはオースティン。サウスバイ・サウスウエストでのことだった。どこの誰だったか、全然覚えてはいないんだが、彼がどこかで演奏しているのを見つけて、「いいよぉ」と言われたというのだけが脳みそにこびりついていた。とはいっても、この時点では、「なんだか日系人かハーフみたいだよ」という、それだけの理由で、深く掘り下げてはいない。

 そして、fujirockers.orgの仕事で開催日に合わせてアーティスト情報の確認やらチェックをしていたときに、彼が今年の出演者リストに載っていることに気がつくのだ。そのあたりの下りは一度書いているんだが、それがきっかけで彼のMy Spaceをチェック。その結果、まるで一目惚れのように彼の音楽にはまってしまったという流れがある。たまたまなのか、彼に才能があるのか... そういったことには全然思いも及ばない状態で、単純に「いい」と感じて... 奇妙な話なんだが、彼のMy Spaceを聴きまくり、国内盤が出るのを待てないでアメリカ盤を買ってしまった。それが、『Holly』(US import / 国内盤 )だった。

Justin Nozuka 自分の記憶と想像が正しければ、フジロックへの出演はプロモーションなんだろう。なんとか、そこに彼をつっこむことができたというのが「木道亭」という、実は、魅力があっても、そこに出演するだけに「交渉する」なんてことは「あり得ない」ステージでの演奏だ。当然ながら、彼のことで大騒ぎをしていたのは、実際に音楽をチェックしていた自分ぐらいのもので、fujirockers.orgのスタッフの誰ひとりとして関心を見せてはいなかったし、彼のステージの撮影を望む人もいなかった。本当だったら、無理をしても自分が撮影したかったんだが、その時点ですでにシフトが確定されていて、オンタイムで情報を発信するというサイトを運営している立場を考えると、あの時点でシフトを変更するのは不可能。というので、結局は、まだまだ修行中の写真家に撮影を依頼。結局、レポートさえも上がっていなかったほどに、「無形の新人」としてそこにいたのが彼ではなかったかと思う。

 それでも、『Holly』(US import / 国内盤 )を聴けば聴くほどに、そして、彼のことを調べれば調べるほどに魅力が増していった。フジロックに彼が来たときにはまだ19歳で、このアルバムが発表されたのは2006年。ということは、わずか17歳でこのアルバムを録音したことになるのだ。なんという才能なんだろう... と、単純にそう思ったのがこの頃だ。

 そして、彼の来日が発表され、一般にチケットが販売されるのは東京での1公演のみということにまた驚かされることになる。普通の発想だったら、東名阪ぐらいでライヴを仕掛けるものなのに... と思いながら、とにもかくにも「ライヴを見たい」という一念で10月27日の公演を取材。それをまとめたのがこの記事だ。

Justin Nozuka かなり早めに会場入りして受け取ったセット・リストを見て最初に驚かされたのが「Ain't No Sunshine」。言うまでもないだろう... とはいいながら、そのときはアーティストの名前が思い出せなくて、ビル・ウィザースだっけ? それとも、ビリー・ポールだっけ? なんて、お間抜けなことを口にしていたんだが、これは前者がデビュー・アルバム、『Just as I Am』に収録して大ヒットした曲。「ほぉ、これをカバーするんだ」と、その時点では、「やっぱりね」と思ったに過ぎなかった。それは、アンコールの1曲目に書かれていたオーティス・レディングの名曲、『ドック・オブ・ベイ』の名前を見たときも同じ。そうなんだ、やっぱ、ソウルやR&Bが好きなんだ。と、その程度のものだった。

 ところが、撮影のために柵中に入ってファインダーを覗きながら、彼の歌を聴いていると、実は、彼がやっているのは、そのまんまソウルじゃないかと思えるのだ。一般的にアコースティック・ギターを抱えて歌っていたら、単純にシンガー&ソングライターだと思えてしまうし、特にアコースティックな楽器を使っていればなおさらで、どこかでそんなイメージでとらえてしまうんだが、なにかがどこかで微妙に違うのだ。と、そんなことを書きながら、初期のジェイムス・テイラーやネッド・ドヒニーのことなんかを思い出してしまうのだが、完全にフォーキーなイメージがあっても、彼らが愛してやまなかったのはソウル。ただ、ソウルっぽく歌ってはいても、そうは聞こえてこなかったのに対して、ジャスティンのヴォーカルにはそんなソウルを感じることができるのだ。

 そういった巨人と同時に、ジャスティンを聴いて思い出したのは、昔からの友人、リヴァプールのトーマス・ラング。彼もたぐいまれなヴォーカリストで、ソウルやジャズをこよなく愛していた。その結果が、一緒に制作した、『Covers』(後に若干の曲を加えた形で『Editions』として発表されている)というアルバムで、彼はテディ・ペンダーグラスの「Love TKO」(『Greatest Hits』)やジャスティンがカバーしたビル・ウィザースの、もうひとつの代表曲「Use Me」(『Lean on Me-Best of Bill Withers』)をここでカバーしている。トーマスの場合、ソウルとジャズが微妙にクロスしたところが大きな魅力となっているんだが、ジャスティンは完全なソウル。それをライヴを通して認識できたように思うのだ。

「Ain't No Sunshine」の時には、ギターを傍らに置いて、両手でマイクを握りしめ、祈るような表情で歌っているのだが、このときファインダー越しに見えたその表情にゾクゾクしていたものだ。そのときに撮影したカットが冒頭の1枚なんだが、あのヴァージョンは素晴らしかった。そして、アンコールの『ドック・オブ・ベイ』もよかったんだが、圧巻はラストのオリジナル、「Oh Momma」。ずっと一緒に演奏していたギター&キーボードのミュージシャンがステージを離れ、ひとりになったステージで、静かに、静かに歌い出す。マイクからずっと離れて、ほとんどPA抜きでほぼ完全な生音で演奏している感じだったんだが、それが『響く』のだ。わずかな音や息づかいさえをも聞き逃すまいとジャスティンを見つめ、あるいは、目を閉じ全神経を集中させて聞き入っていたのがオーディエンス。演奏が終わると同時に、会場が割れんばかりの拍手と歓声に包まれたのは言うまでもないだろう。

 ライヴの後、彼らに『ソウルだね』と言うと、『それこそが自分たちの求めているものなんだ』という言葉が返ってきた。そんな彼らを見て思いついたフレーズがアコースティック・ソウルなんだが、おそらく、ジャスティンの音楽を示すのに最適なのがそんな言葉ではないかと思う。


投稿者 hanasan : 22:58 | コメント (0)

2008年02月20日

Boikot来日

Boikot ヨーロッパのオルタナティヴなシーンには面白いバンドがわんさかいるんだが、おそらく、スペインで最もラディカルなバンドのひとつがボイコット。そのボイコットが明日来日して、23日からツアーにはいる。

 彼らと初めて出会ったのは昨年のストリート・ビート・フェスティヴァル。イタリアの闘うロッカー、バンダ・バソッティが毎年、ヨーロッパから日本やアメリカのゲストも招いて続けていたツアーでのこと。そのときの様子はこちらでチェックできるんだが、その初日、イタリアのナチズムからの解放を祝福する祝福するパルチザン(ファシズムと闘ったイタリアの抵抗運動)の街、レッジョ・エミリアが初日だった。そのとき、バンダ・バソッティの取り巻きのひとりが熱心に彼らのことを説明してくれたものだ。

「ボイコットはスペインのバンダ・バソッティみたいな感じで、こんな小さなところで彼らを見られるのはラッキーだよ。連中はスペインじゃ、めちゃくちゃビッグで、わずかなギャラでここまで来てくれたのが嬉しくてさぁ」

 彼らがいかにビッグなのかは、想像するしかないんだが、彼らの持ち味といえば、攻撃的でストレートなパンク。おそらく、ザ・クラッシュの直系といった感じのパンクで、バンダ・バソッティのようなスカ的な感覚はあまり感じない。それでもパワーで突っ走るという感じで、とてつもないエネルギーを感じさせるのだ。

Boikot 彼らにとって最新作となるのが『Tus Problemas Crecen』(US import - with DVD / UK import - with DVD / iTunes)という、DVDとCDの2枚で構成されたアルバムで、今、チェックしてみると、アメリカ盤が比較的低価格で入手できるので、興味のある方はそれを聴いていただければいいと思う。その金もなかったら、26日には渋谷でフリー・ライヴがあるので、そちらに出かけるのがいいだろう。加えて、彼らのMy Spaceに飛べば、この最新作の曲を聞くことができる。

 ツアーの詳細は、今回の招聘元となっているJaponicus(ジャポニクス)ここに記されていて、26日に渋谷のGig Anticという会場で開かれる「パンク・パーティ」は入場無料。その他の会場もCDを買うよりも安い値段で、彼らの他に数々のバンドを楽しめるようになっている。どう考えても一銭にもならないツアーだと思うんだが、そうやってまで日本に来てくれるのが実に嬉しい。

 ちなみに、ヨーロッパの先鋭的でホットなバンドを次々と招聘しているのが、このJaponicus(ジャポニクス)。昨年は、ここ数ヶ月、最も気に入っているバスクのメタル・バンド、ベリ・チャラックを彼らが招聘して、六本木で同じようにフリー・ライヴを開いてくれた。そのとき、彼らの撮影をしているんだが、その結果が、こちら。あれ以来、彼らのアルバム『Jaio.Musika.Hil』と『Libre』を聴き狂っているという感じかな。この二枚はかなり高いんだが、iTunesでも購入できるようなので、ぜひ聞いてもらいたいものです。


投稿者 hanasan : 13:56 | コメント (0)

2008年01月22日

見逃すなよ、Rodrigo Y Gabriela

Rodrigo Y Gabriela ここでメキシコ人のギター・デュオ、Rodrigo Y Gabriela(ロドリゴ・イ・ガブリエラ)を最初に紹介したのは2006年5月ではなかったかと思う。その前年に友人がグラストンバリーで彼らのライヴを体験して、ぶっ飛ばされたというので、彼らのアルバム、まず最初に『Live: Manchester and Dublin』を入手。「なんじゃぁ、これはぁ!」と衝撃を受けることになったというのはすでにここでお知らせした通りだ。それからしばらく後に、今回日本で発売されることになった『激情ギターラ!』(すんごい、邦題を付けたものですな)のオリジナルで、DVD付きの限定盤『Rodrigo Y Gabriela』を買っている。そりゃぁ、もう、このDVDにはお世話になったというか... 映像で彼らのライヴを見て、再び驚かされることになるのだ。

 そのアルバムを日本で紹介したくて、その頃、数々のレコード会社を訪ねていた。某メジャーのある担当者は「素晴らしい作品だと思うし、なにかができればいいと思うんですが、これを担当できるセクションがないというか、うちでは手に負えないと思うんです」と、丁寧なレスが返ってきた。一方で、全く、なんの反応も示さないどころか、うんともすんともいってこないレコード会社もあったし、「いやぁ、いつもユニークなアーティストをプレゼンしてくれるのですが、ちょっとうちでは今手を出せないですね」なんて応えもあった。

 それからしばらくは動きを止めていたんだが、友人がインディ系のあるレーベルで仕事を始めて、彼にプレゼンすると「なんとかやりたい」という話になった。同時に、素晴らしい仕事を続けているもうひとつのレーベルも関心を示して、マネージャーと連絡を取りながら、話を進めていったんだが、ある日「実は、インターナショナルなメジャーとの契約が実現しそうなので、この話はなかったことにしてくれ」という連絡が入る。それまでの努力が水泡に帰したのだが、最も重要なのはアーティストにとってベストの状況が生まれることであり、そう判断したのならそれでいいと思っていた。

Rodrigo Y Gabriela そのロドリゴ・イ・ガブリエラのライヴを初めて体験することになったのが昨年のグラストンバリー。82年頃からほぼ毎回と言っていいほど出かけているイギリスのフェスティヴァルだった。彼らが登場したのはジャズ&ワールド・ステージ。そういったタイプのバンドが数多く出演するステージなんだが、この日、彼らの前に登場したのは、60年代から70年代と一世を風靡した... というよりは、永遠に素晴らしく鳴り響くCCR(クリーデンス・クリアー・ウォーター・リヴァイヴァル)のフロントマン、ジョン・フォガティで、数年前にはほぼオリジナル・メンバーがそろった(らしい)YESも登場しているし、単純にジャズやワールド・ミュージックに限ることなく、どこかユニークでそそられるアクトがたくさん出演するステージだ。そういえば、2002年だったか、ここに出演して「これまでで最もグラストンバリーらしいバンドだ」と褒めちぎられたのが渋さ知らズ。あの時もすごかった。

 それはさておき、去年のロドリゴ・イ・ガブリエラなんだが、ぶっ飛ばされたと思っていたDVDでの映像がしぼんでしまうほどに強力だった。PAも素晴らしかったんだろうが、もちろん、それを引き出すには演奏がある。アルバムで聞くよりも、遙かにロックなのだ。単純にアコースティック・ギターを演奏しているだけといえば、それだけなんだが、まるでギターが全く違った命を授けられたかのようにロックする。ガブリエラのギター・ボディを使ったパーカッションは、メタル系のドラマーの誰よりも強力で分厚くヘヴィーなリズムをたたき出してくれるのだ。かつて彼らがメタル系のバンドで演奏していたこと、そして、「私たちはロックしている」という言葉を痛いほどに感じさせられたのがこのときのライヴ。生を聞いたら、あれほど素晴らしいアルバムでもかすんでしまうといえば、言い過ぎかもしれないが、それほどのインパクトを与えた「生ギター・デュオ」がロドリゴ・イ・ガブリエラだ。だから、彼らを見逃しては欲しくないと、切に思う。

 結局、レコード会社の数々にプレゼンしていた時点から、DVD映像のおかげらしいのだが、大型輸入盤取扱店でかなりのヒットを記録したのが『Rodrigo Y Gabriela』。業界の人の話によると、輸入盤だけで16000枚を売ってしまったんだそうな。納得できますなぁ。なにせ、amazonとのアフィリエイトをやっているSmashing Magでのデータを見ると1年半で、彼らのアルバムが合計で45枚も売れているのだ。もちろん、かなりのビジターを記録しているサイトではあるけど、これほどまでに売れた作品はいまだかつて記録されてはいない。

 さて、そのロドリゴ・イ・ガブリエラが、この3月に来日をして、たった1回のライヴをすることになっている。この国内盤を出すことになったのは「いつもいいものをプレゼンしてくれるんだが」と言われたレコード会社なんだが、さすがにでっかい会社だから、他のセクションがこれを気に入ったんだろうと察する。おそらくいい仕事をしてくれるとは思うんだが、その発売が3月頭だと言うことを考えれば、今回のライヴはプロモーション的なもので、かなりの業界人が招待されるんだろう。となると、一般に売られるチケットはそれほど多くはないだろうし、会場が渋谷デュオということを考えるとかなりの早さで売り切れると思う。だから、もし、このブログをチェックしている人で、彼らを生で、しかも、これほど小さな会場で「体感」したいと思うのであれば、なんとか早めにチケットを押さえて欲しいと思う。これは、自分の妄想かもしれないが、おそらく、こんな小さな会場で彼らを見られるのは、少なくとも東京に限って言えば、今後望めないと思うのですよ。


投稿者 hanasan : 02:09 | コメント (0)

2008年01月06日

Fermin Muguruzaの写真集付きDVD到着

Fermin Muguruza ずいぶん前にフェルミン・ムグルサから連絡があって、「今度写真集を出すんで、写真を使わせてもらえないか」と依頼を受けていた。もちろん、速攻でOKの返事を出しているんだが、どんなものが出てくるんだろうと思っていたら、あれから数ヶ月を経て仕上がった作品が届いた。タイトルはシンプルに「Fermin Muguruza "Afro-Basque Fire Brigade" Tour 2007」となっていて、サイズはほぼ7インチのアナログ盤で、厚さは表紙を含めて1.5cm。約200ページに及ぶワールド・ツアーの記録が写真集として構成されていて、最後にDVDがつけられている。

 このDVDは18/98と名付けられた2006年のツアーのチャプター、2007年のツアーのライヴ映像のセレクションに加えて、ロード・ムーヴィーの名の下に50分によるドキュメンタリーも収録されている。これ一冊でフェルミン・ムグルサと彼のバンドが世界中でどんな活動をしていたのかが手にとるようにわかるのが嬉しい。

 自分の写真が使用されているのは今年4月にスペインの南部、バルセロナとヴァレンシアの中間あたりで開催されたヴィーニャ・ロック・フェスティヴァルで彼らと合流して向かった、フェルミンの地元、バスク・カントリーのパンプローナにあるトーテムという小屋での写真とフジ・ロックのオレンジ・コートに出演したときの作品で、わずかに4点。ひょっとしたら、表紙に使われているものの1点もそうかもしれないが、定かではない。本音を言えば、他にもいい写真はあったんだけど、これは彼のセンスなんだろう。だから、全く文句を言うつもりはない。なによりも、作品を掲載してくれたこと、そして、きちんと自分の名をクレジットしてくれているのが嬉しい。

Fermin Muguruza 単純に個人的なレベルでいえば、自分の友人や仲間たちがちらほら顔を覗かせているのが嬉しいのだが、大きな発見は写真集としての出来の良さと同時に、フェルミン・ムグルサという人物が我々の想像を遙かに超えて世界中で支持されていることを再認識させてくれることだろう。彼らがツアーしているのはヨーロッパはもちろん、その東の端とも言えるロシアからキューバを含む中南米にアジア。本当は、中国もツアーの地として計画されていたのだが、ドタキャンとなったという話も届いている。いずれにせよ、彼らが英米のバンドの「ワールド・ツアー」を遙かに超えるエリアを旅しているのが面白いのだ。

 しかも、ライヴの会場には数万人を集めるフェスティヴァルからデモや集会までもが含まれる。そこに力ある音楽、リアリティある音楽を垣間見ることができる。彼らの音楽がどこから生まれ、どういった広がりを見せているのか... それが要だと思うのだ。

 加えて、写真集には彼らの視線が見える。この写真集に掲載されているのは単純に彼らのライヴの模様だけではなく、旅の記録もあれば、それぞれの地で彼らが目にした、体験したことが含まれている。通りにたたずむホームレスや眠りこけるサラリーマン。カフェの壁に書かれたジョー・ストラマーの絵から、山のように積み上げられた中古テレビ... 何げない日常をどう見るか、なにを見るか、そこになにかを感じさせるのだ。それがなにかを雄弁に語りかけてくる。かっちりとしたライヴの写真であろうと、ちょいとピンぼけでも同じこと。それが写真であろうと、音楽であろうと、文章であろうと、変わらないと思うのだ。その視線を持つなにかに自分は共鳴しているように思える。

 いろいろ検索してみたんだが、日本でこれを入手するのは、難しそうなんだが、ひょっとしたら、どこかで手にはいるかもしれません。気になる人はチェックしてみてくださいな。


投稿者 hanasan : 15:02 | コメント (0)

2007年07月06日

国本武春とザ・ラスト・フロンティア

Takeharu Kunimoto 一昨日の7月4日、渋谷のパルコ劇場で国本武春とザ・ラスト・フロンティアのショーを撮影した。彼等を初めて知ったのは、毎年オースティンで開催されるサウスバイ・サウスウエストというフェスティヴァルを皮切りに、全米数カ所を回る「三味線ナイト」ツアーが企画されたとき。このツアーにMCとして同行を求められ、彼のことを知ったのではないかと思う。といっても、その時点では音を聞いたことはなかったんだが、たまたまイギリスから友人が来たときに彼の公式サイトをチェックして、ここでそのサウンドに衝撃を受けてしまうのだ。今では覚えてはいないが、おそらく、「アパラチアン三味線」」という曲ではなかったかと思う。隣にいた友人は、速攻で「これ、買いだ!」と、二人でウェッブサイトからアルバムを購入。それが、現在ではamazonでも入手可能な『アパラチアン三味線』という作品だ。

 そして、初めてそのライヴを見たのが、前述のサウスバイ・サウスウエストでの演奏だった。そのときの様子はここで確認できるのだが、ゲストで登場したヴァイオリン奏者の女性がかわいかったことが一番の驚き.. というのは、冗談で、三味線がなんの違和感もなく、ブルーグラスの中に溶け込んでいるのが、嬉しくもあり、感動でもあった。一般的には色物的な扱いを受けそうだが、演奏を見てみれば、彼らがやっていることはブルーグラスを新しい世界に踏み込ませたようなもの。ここで東洋と西洋が見事に融合されて、それぞれの独自の音色を保ちながらこれまでになかったブルーグラスを、そして、三味線の音楽を聴かせてくれるのだ。

国本武春 特に、圧巻なのは国本武春が作り出すオリジナルで、ウケを狙ったのか「ゲイシャの夢」とか、「ニンジャ・ラグ」「ロンサム・ヨコチョー」なんてタイトルの付けられた曲が面白い。メロディにある東洋的なものとブルーグラスの楽器がなんの遜色もなくブレンドされて、素晴らしいアンサンブルが生まれているのだ。このあたりの国本武春の才能は高く評価されるべきだと思うんだが、日本で彼にそういった評価がきちんと与えられているのかどうかは疑問だ。

 というのも、昨日のライヴを見て思ったのだが、どうも客層の中心は「音楽」というよりは、「浪曲」や「芸人」としての国本を見に来た客ではなかったかなぁと思う。もちろん、それが悪いことではないんだが、もう少し彼の音楽を評価してあげて欲しいし、彼らの音楽を「おまけ」のようには受け取って欲しくないなぁと思うのだ。

 さて、このツアーは7月4日が初日で、渋谷パルコ劇場での公演は8日に終わる。その後、各地をまわって、また7月14日に横浜は関内ホールで最終日を迎えることになっているので、もし、時間があればぜひチェックしていただければと思う。

 そういえば、スマッシング・マグで、この模様を速攻でレポートしているんだが、この時にまたいろいろなアルバムを思い出して、再び聞き始めている。あの原稿でも書いているように、自分にとってけっこう初期のブルーグラス体験となったのがジェリー・ガルシアとデヴィッド・グリスマンあたりが組んだ『オールド・アンド・イン・ザ・ウェイ』やクラレンス・ホワイトが加わっていることで有名な『ミュールスキナー』あたりなんだが、後者はニュー・グラスって言うんだろうなぁと思う。

Old & In The Way そういえば、また、いろいろなことを思い出してきた。ひょっとしてこのあたりの入り口としてあったのがニッティ・グリティ・ダート・バンドじゃなかったかなぁ。一番有名なのは「ミスター・ボージャングルズ」の大ヒットが生まれた『Uncle Charlie & His Dog Teddy』で、彼らがブルーグラスやカントリー界の大スターを巻き込んで制作した『Will the Circle Be Unbroken』(オリジナルは3枚組の大作で、邦題は『永遠の絆』)で本格的な体験をしたように思う。ちなみに、このシリーズ、すでにシリーズ3作目まで発表されていて、お買い得は『Will the Circle Be Unbroken: The Trilogy』というボックス・セット。当初は5000円弱で購入できたんだが、現在はちょいと高い7000円弱。それでも、このシリーズで録音された全作品に、最新作での録音をドキュメンタリーとしてまとめた映像やライヴの模様を収録したDVDが入っている。このドキュメンタリーでのジョニー・キャッシュが、涙なくしては見られませんから。なにせ、彼が他界する少し前の映像。しかも、ここで、その少し前に亡くなった奥さんのことを歌っているのだ。こりゃぁ、泣けるでしょ。

 そのあたりをきっかけにして... 同時に、当時はギターもやっていたからというので、ドック・ワトソンの作品(『
The Essential Doc Watson
』)やアール・スクラッグスあたりのアルバム(『Live at Kansas State』)を聴いたり... と発展していったように思う。その流れで見に行ったのが『Gavid Grisman Quintet』の来日公演。後で知ることになるんだが、これは、ここ数年仲良くさせてもらっている麻田浩さんが運営しているトムズ・キャビンが最初に企画したライヴだったとか。本当は、このライヴでブルーグラスを期待していて、ライヴの前半ではビリ・キースも登場して素晴らしい演奏を堪能することができたのだが、後半で演奏された新しい音楽、ドーグ・ミュージックに圧倒されるのだ。その後、速攻でこのアルバムを購入し、以来、最も好きなアルバムの一枚としてこれを持っているという感じかなぁ。ブルーグラスで使用される楽器で、スイング感を持たせたカントリーっぽいジャズ、あるいは、ジャズっぽいカントリーをやっているという感じで、この流れで購入したのが『HillBilly Jazz』や『Norman Blake and Sam Bush and David Holland』とミュージシャンの名前を列挙しただけのプロジェクト・アルバム。ここではブルーグラス(カントリー)界の卓越したミュージシャンがジャズ・ベーシストのデイヴ・ホランドと共演。ここでの「Take The A Train」なんぞ、未だに大好きなヴァージョンだ。

 と、話は尽きないんだが、一昨日のライヴ以来、うちのステレオでは、古き良きアメリカの音楽がなりっぱなし。今時、こんな音楽を聴いている人なんて、超マイノリティなんだろうなぁとは思うが、いいものはいいのさ。素晴らしいよ。

 おっと、そうだ、ロンドンで出会ったポーグズのなんとかさんに国本武春のこのブルーグラス・アルバムを聴かせたら、惚れ込んでしまって、彼と直接コンタクトを取って、『アパラチアン三味線』を取り寄せたとか。両者が共演するなんてことが実現すればいいんだけどなぁ。



投稿者 hanasan : 12:22 | コメント (0)

2007年06月30日

Tony Joe WhiteとAmos Garrett : ライヴが良けりゃ、買っちまうよ。

Tony Joe White 4月の16日に渋谷のクラブクアトロで開催されたトニー・ジョー・ホワイトのライヴは良かった。月並みな言い方になるけど、めちゃくちゃ良かったのだ。特に、好きでたまらない名曲、「Rainy Night In Georgia」では、あのレポートでも書いているようにシャッターを切る手が止まって、歌の世界に吸い込まれてしまったほど。写真なんて撮っている場合じゃありません。それほどまでに強力な磁場を彼が作っていたということなんだろうと思う。泣けそうになってしまったもんね。

 だからというんでしょうな、止まらなくなるんですよ。あのアルバムも聴きたい、これも聴きたい... と、レコードというかCDに費やされる金額がどんどんとふくらんでいくんですね。想像できると思うけど、このライヴの直後に買ったのがスタジオ作としては最新となる『Uncovered』(US import / 国内盤)。ぎゃぁ〜、こんなにいいアルバムなの? なんで、発表された直後に買わなかったんだろうと、深く反省したものだ。このアルバムの場合、とんでもない大物のゲストのことばかりが話題になっているようだけど、正直言って、全然関係ありません。トニー・ジョー・ホワイトの存在感と、あの渋〜い声だけで昇天してしまうんですよ。

Tony Joe White と、この作品が良かったから、もっと知りたい! という気持ちが押さえきれずに手を出してしまったのが『Swamp Music : The Complete Monument Recordings』(US import )というボックスセット。初期のアルバムを集めたものなんだけど、これはやばいですよ。いい作品をきちんと紹介し続けるライノのハンドメイドによる限定セットで、オリジナル3枚にボーナス・トラックをてんこ盛りにして、さらに1枚では弾き語りによるヴァージョンが17曲。まだまだじっくりとは聞いていないんだけど、このあたりを聞くとトニー・ジョー・ホワイトが、あの昔からどれほど偉大だったか、簡単にわかってしまうのだ。しかも、写真を見ると、まるでエルヴィスね。彼って、実は裏プレスリーだったのではないかと思うのだ。

Amos Garrett さて、大好きなプロモーターのトムズ・キャビンが「これを聞かずに死ねるか!」というコンセプトの元に、トニー・ジョー・ホワイトに続いて呼んでくれたのがエイモス・ギャレット。これも良かったぁ! 実際、涙が出るほどのギターに声...  結局、大阪で一回、そして、東京で最終公演と2回もライヴを撮影することになったんだが、染みるんだなぁ、これも。というので、うちに埋もれている彼のアルバムを全部ひっくりがえして聞きました。その流れのなかで手を出してしまったのが、傑作の誉れ高い"Geoff Muldaur &Amos Garrett"(紙ジャケット仕様 / 通常盤)。買ったのは、紙ジャケット仕様なんですが、これがねぇ... いいのよ。もちろん、さすが名盤という内容は文句なしなんだけど、それ以上に、素晴らしい紙ジャケットなのね。昔のLPの肌触りや、音楽の暖かみを本気で好きな人が作ってくれたというのが手に取るようにわかるんですな。これも、あれ以来、聞きまくり。

 ということで、ライヴに弱い自分の体質がどんどん出てきている今日この頃。いくら金があっても足りませんなぁ。それでも、こうやって素晴らしい音楽をじっくりと楽しめるんだから、これは嬉しいねぇ。こんないいライヴをきちんと見せてくれるアーティストを、これからも呼んで欲しいと思う。しかも、どこかの金儲けしか頭にないような高級クラブの高額チケットでのライヴじゃなくて、気軽に出かけていけるような値段でいられるようにして欲しいと思うのだ。はっきり言って、新聞広告で見たビルボードとか、ずっとやってるブルーノートとか... そんな場所じゃ、貧乏人にはライヴなんて見られませんよ。音楽を「金持ちの趣味」にするような連中はとっとと消えて欲しいと思うほど。ひょっとすると、こういった人たちこそが音楽のマーケットを潰しているんだと思いますよ。



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2007年06月02日

Fermin Muguruzaで目が覚めたよ

Fermin Muguruza 4月28日にバンダ・バソッティを中心とした恒例のストリート・ビート・フェスティヴァル最終日をローマで取材。いつものことながら、ここのオーディエンスはぶっ飛んでいて、このあたりはSmashing Magのレポートででも確認していただければ、一目でわかると思う。オーディエンスから生まれるこの熱狂はバンダ・バソッティがどれほどの支持を受けているかの証明だろうし、政治や社会に真正面から向かい合ったこういったバンドがきちんと活動できて、しかも、支持されるという状況を持つイタリアが羨ましい。といっても、それはイタリアだけではなく、「そうではない」日本の方が例外的であり、孤立しているのだということをしっかり認識しなければいけない。日本は明らかに「精神的に貧しい」と思う。それは自分だけの見方ではないはずだ。

 さて、28日のライヴが終わって、彼等の仲間の家で休息の後、早朝に空港に向かって移動。次に目指したのはスペインの地中海岸、ヴァレンシアとバルセローナの真ん中から少し南に下った街、ベニカシムで開催されていたVina Rock Festival(ヴィーニャ・ロック・フェスティヴァル)だった。本当はヴァレンシアに向かうフライトを予約していたんだが、なんと2分遅れでチェックインできず。というので、路頭に迷うところだったんだが、空港でフライトを探しまくってなんとかバルセロナ行きの格安フライトを発見。今回偶然みつけたのがVueling Airlinesという会社なんだけど、なんとかなるものだ。(ちなみに、よく使っているのはバジェットなんだけど、そのフライトはみつからなかった)

 バルセロナからは列車で南下してCastellon(カステジョン)という駅で降りた。バンダ・バソッティやストリート・ビート・フェスティヴァルで仲良くなったマドリッドのバンド、ボイコットなんかと連絡を取って、彼等の仲間が迎えに来てくれることになる。このあたり、仲間のありがたさを痛感することになる。

Fermin Muguruza 会場は列車の窓からちらりと見えたんだが、実際に足を踏み入れてみると、かなりでかいのがわかる。ボイコットのメンバーか、あるいは、フェルミンがパスを用意してくれていたようで、なんとか中には入れたんだが、基本的にスペイン語ばかり。ほかの人たちとあまりコミュニケーションもとれず、なんとか居場所をみつけたという感じかなぁ。とりあえず、英語を話す人たちから聞いた話によると55000人がこの会場に来ていたんだそうな。

 本当は、いろんなバンドを見たかった。一応、下調べをした時点でマヌ・チャオが出ていたことや、再結成したトドス・トゥス・ムエルトスもどこかで演奏していたようだし、ボイコットもフェルミンとあまり違わない時間帯に演奏するはずだったんだが、前日の大雨で大幅にタイムテーブルが変更したんだそうな。なにせ、カステジョンの駅が水浸しになっていたほど。嵐のような天候だったらしい。

 この日は最終日で、主目的はフェルミン・ムグルサ。彼が出演する数時間前に会場入りしたこともあって、ほかのバンドに関してはあまりチェックできなかった。なにせ、どこに荷物を置けばいいのか、預かってくれる場所はあるのかもわからない。旅の途中だということで、全ての荷物を持ってきているので、ほとんど身動きがとれないのだ。

 それでも、聞こえてくる音や歓声、そして、プレス関係者がたむろするテントに設置されているモニターを見ていると、なにやらとんでもない世界が広がっているのがわかる。聞いたことも、見たこともない、日本人にとっては「全く未知」のバンドの演奏に会場が揺れ動いているのがわかる。要するに、我々が無知なのだ。単純な話が「洋楽」というのは、本来の意味で「洋楽」ではなく「英米楽」といってもいいだろう。我々が情報を得ているのはそんなパイプを通してのみなのだ。そんな自分の無知さ加減を実感し、同時に、フェルミンのみならず、そういった「未知のバンド」の衝撃が新しい世界への扉を開いてくれたような気がしたものだ。

 フェルミンは素晴らしかった。彼が登場したのは10時45分ぐらいではなかったかと思うが、いわゆるヘッドライナーの時間。その前には4万人オーディエンスがいたということだ。これは後でわかったことなんだが、まだまだヨーロッパやラテン・アメリカのバンドが英語で歌っていた時、彼は「失われかけていたバスク語」で演奏を始めていた。そのパワーが数多くのバンドを突き動かしたらしい。「なんで英語で歌わなければいけないんだ?自分の言葉でこそ歌うべきじゃないか」と、そんな動きを触発し、シーンが変わっていったというのも理解できる。

 今回、ベルリンでタルコやベタガリに圧倒され、チェ・スダカに鉄槌を下されたようなものだった。そして、いつも通り、バンダ・バソッティのエネルギーに触れ、フェルミンが決定打となったようにも思う。決まり切ったパターで「産業化」された英米のロックに、どこかで欠けていたものを抱えているのがドイツ、イタリア、スペインと旅をして接することになったバンドの数々。どうやら、今回の取材が自分の指向性に大きな変化をもたらしたようだ。あれ以来、英米系の音楽にほとんど魅力を感じることなく、こういった世界の音楽を探し求めだしている。しかも、そんな流の中でどんどんと新しいバンドが耳に入ってくるのだが、それはまた後ほど報告することになるように思う。



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2007年04月23日

Move Against G8とChe Sudaka

Banda Bassotti アメリカでの出来事についてもまだご報告できていないというのに、4月19日には東京を離れてローマに飛んだ。25日から始まる恒例のストリート・ビート・フェスティヴァル取材が目的なんだが、それを前にして、その中心的なバンドであるバンダ・バソッティがベルリンで開かれる「Move Against G8」というイヴェントに出演。それを取材するために、21日にベルリンに移動した。宿泊しているのは前回と同じイースト・サイド・ホテルで、そのときのことはここに記している。ホーネッカーとブレジネフが強烈なディープ・キスをしている写真を看板にしているホテルで、そのそばには最後に残された、あの「狂気の壁」がある。昨日、その壁にそって1~2kmを歩いたんだが、この壁のおかげでどれだけの人が殺されたのかを思うと、胸が痛んだ。といっても、それはすでに18年も前のこと。時代は変わるのだ。

 ベルリンでは、基本的にはバンダ・バソッティを撮影しただけなんだが、20日から開催されたこれには1日約20バンドが出演。とんでもないパワーのライヴを繰り返していたのが、彼等のショーを見ているだけでもわかるというので、翌日、カメラをホテルにおいて見に出かけた。そして、ここで再び、英語圏以外のバンドのとてつもないパワーに圧倒されることになるのだ。

Che Sudaka ここ数年、英米系のロックにほとんど心が動かされたことはなかった。といっても、それは新しいというか、いわゆるロックと呼ばれるものに関してなんだけど、この傾向がどんどん強くなっている。日本で「このバンドがいいんだぁ」と言われて見たバンドって、ほとんどが退屈で、こんなことなら無理をして見に来るんじゃなかったなぁと思うことが多い。

 ところが、こうやってヨーロッパに来ると、それぞれのバンドが持っているはじけるような、燃えさかってるようなパワーに圧倒されるのだ。今回のMove Against G8ライヴでも卒倒しそうなバンドに出会ったんだが、その筆頭が最初に見たチェ・スダカ。アルゼンチンのバンドらしく、ライヴのあと、ホテルに戻ってきて、速攻で『Alerta Bihotza』と『Trippie Town』という2枚のアルバムを注文。このバンド、下手をしたらマノ・ネグラ的に売れるかもしれないと思えるほどの盛り上がりだった。

 最初は、いわゆるスカ・パンクと思っていたんだけど、聞けば聞くほど奥が深くて、徐々にいろんな音があふれ出てきた。カバーでスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」をパロったような曲や「レヴォリューション・ロック」のユニークな解釈に、すげぇと思って、そのあと半ばアンコールのような展開で「歌詞が一言の歌」が登場。単純に、Te'quiro mas...と思うんだが、スペイン語で「もっとくれ!」と繰り返すだけの歌とか、オーディエンスののせ方とか、乗りやすさとか、そんな意味で言ったら、こんなにすごいバンドはいないだろうと思う。これはなんとか日本に紹介したいし、絶対に成功すると確信できる。

Betagarri で、そのあとはタルコというヴェニスのバンド。去年のストリート・ビート・フェスティヴァルのベルガモで見ているんだけど、あのときと違ってサウンドに厚みができてタイトになっている。バンダ・バソッティのフォロワー的な色彩が強かったんだが、今回は違うなぁ。下手をすると、数年後にはその跡を継ぐ、そして、越えるバンドとして認識されているんだろうなぁと思った。

 そして、日本に二度ほど来たことがあるバスクのベタガリ。彼等も、日本で見たときや前回、ストリート・ビート・フェスティヴァルで見たときと比べても格段にパワフルになっている。それに見逃したけど、フランスのBrigada Flores Magonに、先日、日本に来ていた、今、バスクで絶大な人気を誇るBerri Txarrakもここにいた。今回のストリート・ビート・フェスティヴァルでも、また新しいそういったバンドに出会うことになるんだろうけど、楽しみで仕方がない。

 いずれにせよ、そんなバンドの数々を見ながら思ったのは、連中の音楽の持っている、人を動かすパワー。それに、おそらく、ラテン音楽にどこかで近似値を持つと言われているのが日本の音楽だったり、音階だからなんだろうなぁ、馴染みやすいメロディやリズムに、すぅっと持って行かれてしまうのだ。すごいと思う。しかも、「客が歌いたい言葉」がそこにあるんだろう、多くの人が大声で歌っているのだ。一方で、日本にそんな歌がどれぐらいあるんだろう。僕らには歌える歌がないと、痛切に思ったのがこのMove Against G8だった。



投稿者 hanasan : 20:56 | コメント (0)

2007年04月08日

辺野古の浜に立つ

ピース・ミュージック・フェスタ ずいぶんと更新がなされていないんだが、それは強力に忙しい状況が続いているのが理由。っても、その間にとんでもない経験を続けていて、それを少しでも時間を作りながら、順次ここでご報告していきたいと思うんだが、その最たるもののひとつがこれだった。

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 2月23日、生まれて初めての沖縄への旅に出た。といっても、遊びではなく、辺野古で開催されたピース・ミュージック・フェスタ! 辺野古2007を取材するのが目的だった。いや、取材というのも正しくはないだろう、なによりも、その場にいたかったというのが正しい。主催者というか、実行委員会に名前を連ねているのはソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子。昔から好きだったバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの中心人物のひとりで、この話を耳にしたときから無理をしてでも行ってみたいと思っていた。

 その理由を... 一言で説明するのは簡単ではないんだが、その昔好きだった岡林信康の曲「だからここに来た」に近いものがある。内容よりもそのタイトルばかりを覚えているという感じなんだけど、どこかで共通の意識を持った人たちがいて、そんな人たちと出会ってつながりたかったし、そこにいることで「自分の意思を表明する」ことも必要だと思えたからだ。それは辺野古の海に海上ヘリポートを建設しようという動きに対して反対するだけではなく、そういった意志を持っている人が少なくともこの国には「存在するのだ」ということを表明したかった。実は、それが一番大きい。

 詳しい話は知らなかったが、ここで米軍基地、ヘリポートの建設を阻止している人たちの噂は届いていた。だからこそ、明確にそれに反対することを打ち出したこのフェスティヴァルをサポートしたかった。「沖縄に基地はいらない」 もちろんだ。それどころか、日本に基地はいらない。もっと、はっきりと自分の立場を示せば、自衛隊も要らないと信じて疑ってはいない。サンダーバードじゃないけど、自衛隊は国際救助隊というのに発展的解消をしてしまって、武器弾薬なんて全部捨ててしまえばいいのだ。武器なんぞあるから敵を作る。そして生まれるのが、相手が怖がって武器をため込むという悪循環。その端的な例が北朝鮮だろう。自分の隣に世界最強の軍隊がしこたま軍事力をため込んで、さらには、予算だけを取ってみれば世界屈指の「自衛隊」なる軍隊が存在する。しかも、アメリカも日本も北朝鮮を「敵」と想定しているのだ。そりゃぁ、小便でもちびりたいような気持ちで、必死に対抗措置をとるのは目に見えてる。

辺野古 そして、それをいいわけに、「北朝鮮がミサイルを撃ってくる」と、軍事力が増強されるのだ。こんな論理をまともに考えれば、それでなにが潤っているのかは一目瞭然だ。独裁者と政府のお偉いさんと、武器を作っている人たちが「一番美味しい思いをしている」 それを考えると、連中がつるんでいるとしか思えないのだ。そうは思いませんか?

 それでも、「国の平和を」と考える人がいれば、ちょっとでも考えてみればいい。そのためにどれほどの金が使われるのか? そのおかげでわざわざ「敵」を作るどころか、この国に住む住民の血税が吸い取られ、「使われてはいけない」ものに費やされているのだ。一方で、福祉予算が削られ、生活保護の予算だって減らされて、ホームレスが見捨てられる。その分を年金にでも使ってくれりゃぁいいのにそれもない。結局、多くの人たちが貧困にあえぐ状況を生み出すのだ。それはそのまま「殺人行為」に等しい。そして、政治家どもがまともな面でこうのたまうのだ。「国益のためです」。そもそもそこに住む民の利益こそが国益であり、間抜け面した金の亡者としか思えない政治家どもの体面や銭が国益じゃないだろう。

 沖縄をアメリカに売り渡した天皇や日本政府に対する怒りもあるし、その結果として沖縄に日本の全米軍基地の75%が置かれて、(国内に90程度の米軍専用施設があって、常時、約5万人の米兵が日本にいる。米軍が使えることになっている施設を全て含めると数はもっとある)沖縄の約20%が、まるで要塞のように使われている現実があるわけです。これは異常と言っていい。ところが、そこにまた新たに基地を作ろうとしていることにいたたまれなくなるのだ。しかも、そこは世界遺産にしてもいいほどの素晴らしい珊瑚の海だ。ジュゴンの他にもここでしか見られない生物もいる。加えて、すでにその村の90%が米軍施設として奪われているというのに、残されたわずかな財産、しかも、地元の人たちが生活の糧としている海を奪おうというのだ。

 といっても、詳しいことは全然知らなかった。ところが、このフェスティヴァルの前にソウル・フラワーの中川くんから「このビデオ見た方がいいよ。」と言って貸してくれたものがあった。といっても、時間がなくて見られなかったんだが、しばらくの後、やっとそれを見た。琉球朝日放送が制作したドキュメンタリーで、ここに出てくるのは辺野古の海を守った地元の人たちの闘いの記録。92歳のおばぁがすごかったけど、こういった年寄りたちが命を削って闘ってきたことが伝えられている。こんなことがあったことは全然知らなかったし、僕と中川くんで始めた非戦音楽人会議(http://ilovepeace.com) のMLで大変な事態となっていることが伝わってはいたけど、それさえもが「実感」を伴って理解できたことはなかった。実は、それ以前からもっともっととんでもない事態が起きて、辺野古の人たちを潰そうと政府が躍起になっていたわけだ。その間、自分はなにをしたのか? なにもしていなかった。なにも知らなかったのだ。

ピース・ミュージック・フェスタ それを考えると、とてつもない自己嫌悪に陥ってしまうのだ。知らされていないといえば、それまでなのかもしれないが、結局は自分の問題としてこれを考えてこなかったんじゃないだろうか。もし、あのとき、彼らの闘いを知っていたら、時間を作ってでも沖縄に飛んだだろう。辺野古に行っただろう。そして、なにもできないかもしれないけど、彼らと一緒に限られた時間であっても、阻止行動に参加しただろうと思う。

 今回辺野古に出かけたのは、こんな自分を見つめるためじゃなかったのかと思う。彼らをサポートするだけだったら、カンパを送ればいい。でも、あそこにいたかった。本当のことを知りたかった。そして、多くのことを知った。本土にいてもわからないことも少しだけど、わかることができた。なにか、新しい扉が開かれたことをひしひしと感じている。

 あの場所で、某有名アーティストが観客として来ていたことも面白かった。彼女本人が言ったのではないんだが、彼女の友人から、その後電話でこういわれた。

「彼女が会場にいたことは書かないでね。島だから、大変なのよ」

 基地問題が住民を分断して、権力者の思うつぼになっている。そんなことがあるなんて、全然知らなかった。意を決して参加した辺野古出身の(と思ったら、大阪出身で辺野古育ちなんだと)大城美佐子さんがこのフェスティヴァルに出演するにあたって辺野古の親戚を訪ねて歩いたことをソウル・フラワーの伊丹英子に聞いた。沖縄の宝物のような大城美佐子さんでさえ、そうせざるを得ない状況がここにある。しかも、フェスの翌日、ソウル・フラワーのメンバーと後片付けを手伝っていたとき、海岸に来たおばぁと話をしていた主催者のひとりが教えてくれたんだが「あの人は、大城さんの親戚で、怒っているって言われたよ。電話するって」。そういった状況に僕らはどう向かえばいいんだろう... 

ピース・ミュージック・フェスタ 一方で、たまたま昔大好きだったミュージシャンの大塚まさじが会場にいてびっくりした。なんでこんなところにいるの? と尋ねると、前日に沖縄のどこかで新良幸人とライヴをやって、この話を聞いて来てくれたんだとか。それに、その昔、ボブ・マーリーが日本に来たとき、レコード会社の社員として、担当ディレクターとして彼を世話していた友人と10数年ぶりに再会。また、渋さ知らズの不破さんが会場に入ったとき、僕をみつけてびっくり。演奏が終わったときに固く握手をして、互いがここにいることの意味を感じあった。30人以上のメンバーが自費で沖縄まで飛んできて、このライヴをやったことの意味は大きいと思う。そんな気持ちを共有できたことがなによりも嬉しかった。僕が「だからここに来た」というのはそんな意味だ。

 それだけじゃなくて、非戦音楽人会議(http://ilovepeace.com)を作ったときから名前しか知らなかった人とやっと出会えたり... といっても、「あんな文章を書く人がこんな人だったとは」と、あまりのイメージに違いに愕然としていたようですけど。それでも、こっちは積もる話ができて、嬉しかった。

 それよりなにより、あのドキュメンタリーを見て、あの闘いを続けた人たちがいた場所に自分がいられたことがもっと嬉しかった。といっても、まだまだ闘いは終わっていなくて、何十年も昔に作られた青写真が形になろうとしていることに対して闘っていかないといけない。それに、つい最近暴露されたこともある。なんと「欠陥機」といわれているMV22オスプレイと呼ばれる飛行機(ヘリコプターのように離着陸できるもの)が、新しく作られようとしているこのヘリポートで使われるという密約が政府間であったというのだ。(詳しくは,a href="http://www.okinawatimes.co.jp/day/200704051300_03.html" target="_new">こちらを参照)問題は山積しているが、少なくとも初めての沖縄で辺野古を体験できたことは自分にとって実に貴重な財産となったと思う。おそらく、それがどこかで予想できたんだろうなぁ。「だからここに来た」と思うんですよ。

 これからも沖縄だけではなく、基地の問題、平和の問題、僕らの生き方の問題から目をそらすことなく、向き合っていきたいと思う。そして、できることをなんでもやっていこうと思う。友人に語ること、自分で作ったメディアで語ること、そして、どんどん体験していくこと、それをやっていこう。

 おそらく、これから沖縄を目指すことも多くなると思う。

「だからここに来た」

 これです。その昔、イギリスのグリーンナム米軍基地で座り込みをしていた女性たちを訪ねたときも同じことを感じた。現場に行かなければわからないことがいっぱいある。本やメディアより強力な何かが。だから、どこにでも出ていこうと思う。身体で体験しなければいけない。そんなことを再認識した今回の沖縄行き。ミュージシャンたちの声、現場で会った人たちの声、絶対に忘れません。



投稿者 hanasan : 19:21 | コメント (0)

2007年02月05日

ライヴ三昧の日々...再び

Midori 毎日のようにライヴが続く... 別に、一生懸命ライヴを追いかけているわけではないんだが、なにやら、流れでそうなってしまうのだ。しかも、かなりユニークな人たちのライヴを見ることが多い。例えば、大阪のMidori(みどりでしょうな、なんで横文字で書くのか知りませんけど)。ある日、ずいぶん昔からの仲間でレコード会社で働くK氏からメールが入った。お時間あれば、来てもらえないかということで、そのバンドを調べてみたら、すでにSmashing Magで二度も取り上げている。この写真は昨年12月に写真家、高橋saya嬢が撮影したもので、さすがにSmashing Magは目をつけるのが早い。自分が運営しているウェッブ・マガジンへの自画自賛ってことなんだが、ここではそれぞれが独自に「伝えたい」に取り組んでいくという基本方針があって、編集長の自分は彼らに一切の指示もしていない。というので、なにが飛び出すやら全然わからないのだ。だからなんだろう、見たことも聞いたこともないバンドのレポートがけっこう頻繁に登場し、「こりゃぁ、なんじゃらほい」というリアクションが出てくる。実際、ここで知った新しいバンドは数え切れないのだ。

 なるほど、Smashing Magで取り上げているんだったら、見に行く価値はあるだろう... なんて、一般的な音楽ファンの気持ちそのままで、結局、19日に下北沢の251に出かけて彼らを初体験することになる。会場はとんでもない満杯で、会場の人たちの声を聞いていると最高記録じゃないかとのこと。なにせ、ここにいるだけで気分が悪くなる... といってしまえば、語弊があるが、もし、火事になったら、全員死亡だろうなぁなんて思ってしまった。そんなことを時に思い浮かべてしまう自分って、ヘンですかね?

 実は、このバンド、めちゃくちゃ面白かった。曲によって歌ははっきりと聴き取れないので、そのインパクトはもうひとつだったけど、ジャズをベースにしたバックの音が面白い。しかも、ジャズ・ベースではあっても、パンクなのね。ジャズをロックとして解釈して、パンク的なエネルギーをぶち込んだといった感じで、ピアノ、アップライトのエレベ(どうやら、saya嬢が撮影したときのベースとは違うように見えました)にドラムス、そしてヴォーカル&ギターの女の子という構成。その女の子がセーラー服を着ていて、この格好でオーディエンスの中に飛び込んでサーフをやったり、PAによじ登ったり.... まるで戸川純と若き日の三上寛が合体したようなド迫力。「死にとうない、死にとうない...」とつぶやきながら、怨念というか情念というか、そういったものだけで突っ走るこの女の子は脅威です。(といっても、Jポップにはなりとうない... というのは、笑いました。なれません!)このインパクトからはしばらく抜け出せないですな。

 といっても、Smashing Magのライターをひとり連れていったんだが、ライヴが終わって彼の口から出てきた言葉は「パンツが見えなかったなぁ」だからなぁ。ま、冗談だとは思うけど、そんなものなんだろうかねぇ、一般的には。でも、このインパクトにはびっくりしたし、そのせいか、他のバンドは全然見ないでそのまま会場をあとにした。

 その翌日に今、はまりにはまっている寿[kotobuki]を取材するんだが、急転直下で全く違ったタイプの音楽。まぁ、そんなものだ。スタイルなんてどうでもいい。いかなるスタイルであれ、問題はライヴからどんなエネルギーが出てきているか... 単純に楽しむだけでもいいし、感動するものがあればなおいいし... そう思う。

Calexicoi  で、22日にはリキッドルームにて撮影。といっても、楽しみにしていたのはアリゾナのトゥーソンからやってきたキャレキシコ。っても、この日はもうひとつで、結局、これから数日後の渋谷クアトロでのライヴがよかった。チケットが売れていないとぼやかれていたんだけど、ふたを開けたらぱんぱんで、これってSmashing Magでプッシュしたからかなぁ... なんて思ってしまった。

 なんだか、演奏している途中でリード・ヴォーカルの声がジャクソン・ブラウンに重なってしまったり... なんてこともあったのがクアトロ公演。(撮影していると、さすがにゆっくりと音楽を楽しめる余裕はないなぁ、自分の場合)特にジャクソン・ブラウンがやっていた「リンダ・パロマ」(名作中の名作『プリテンダー』なんて思い出しましたなぁ。あのメキシコ風味というか、それが魅力で、彼の他には、他界してから本気で好きになってしまったローエル・ジョージの『Thanks I'll Eat It Here』に収録されている「Cheek to Cheek」もその流れにあります。このバンドの魅力は、どうしてもそこにあって、途中、けっこう昔のウェストコースト的な軽めのロックを演奏したときには、それほど面白いとは思わなかったかもしれません。

 そうそう、あれは27日だったと思うんだが、その前日にオキ・ダブ・アイヌ・バンドというのを見た。これは友人がドラムスをやっていて、彼からの誘いだったんだが、あまり面白いとは思わなかった。音がどうのこうのという前に、バンドの誰かがいった一言にむかっとして見るのをやめにして、友人とずっと外で話をして遊んでました。まるでやる気のない一言、ひょっとしてカッコつけなのかもしれないけど、興ざめで客に対して失礼だなぁと思ったし、少なくとも金を払ってきている客を、いろいろな意味で楽しませるつもりがないバンドを見るつもりはないから。

 面白かったのはこのライヴの後、友人のDJ、沖野君がやっているイヴェントがあって、ちょいとなか目のバード・ソング・カフェで軽く飲んで、また会場に戻っていった。といっても、すでにその時点でへろへろに酔っぱらっていて、撃沈。それから帰宅という有様でしたな。やっぱり年齢ですな。

 その後もいろいろ見ているんだが、その話はまた今度書いてみようと思う。


投稿者 hanasan : 18:48 | コメント (0)

2007年01月30日

寿[kotobuki]を聞きなさい、体験しなさい

寿[kotobuki] まだ2007年になってひと月も過ぎていないというのに、今年、自分にとって間違いなくベスト5に入るだろう、ライヴを体験してしまった。それが1月20日に新大久保アールズ・アート・コートで開かれた寿[kotobuki]のコンサートだった。

 初めて彼らを見たのは2005年の戦後60年の沖縄から平和をひらくコンサート。おそらく、彼らの本、『寿魂 - ことぶきたましい』を紹介した寿魂 - 大好きなバンド、寿の本が出ましたで書いていると思うんだが、あの時の彼らにぶっ飛ばされることになるのだ。なにせ、撮影しながら、涙が出て止まらなかったのだ。そんなの滅多にあることではなく、最近じゃ、昨年10月6日のマイケル・フランティとスピアヘッドや11月30日のU2ぐらいではないかと思う。もちろん、なにかが悲しくて涙が出るのではなく、ただ感動してそうなるのだ。言葉にできないほどの感激した時、自分の場合は涙が頬を伝う。奇妙なものだと思うんだが、そんなとき、感極まって撮影できなくなることもしばしばで、実に困りものだ。

 あの戦後60年の沖縄から平和をひらくコンサートの二ヶ月ほど後、スモモのすてきな歌謡ショウvol.3 びくりアイテム大放出!というライヴも見ているんだが、これはもうひとつ「感動」までには至らなかった。ところが、昨年、いつもならグラストンバリー・フェスティヴァルに出かけて日本にはいなかったはずなのに、数年ぶりに開催をお休みするという事態となったおかげで見ることができたのが6月23日のソウル・フラワー・モノノケ・サミット。その前座として登場した寿[kotobuki]にまた感動してしまうのだ。なんと、彼らが演奏したのはわずか6曲。確か前半は沖縄民謡が中心だったと思うが、覚えているのは「安里屋(あさどや)ゆんた」だけ。そして、オリジナルの最初に歌ったのが「シャローム・サラーム」だった。ヘブライ語で平和を意味する「シャローム」とアラビア語で平和を意味する「サラーム」をくっつけたもので、ソウル・フラワー・ユニオンにも同一タイトルの曲、シャローム・サラームがあるんだが、これは全く違う曲。ヴォーカル、ナビィによるとピースボートで知り合ったイスラエル人とパレスチナ人がいろいろなわだかまりを越えて一緒に作った曲をベースにしているんだとか。それをそのまま歌おうとしたんだが、言葉が理解できなくて感情移入できないからと、オリジナルの詞ををつけて歌っているらしい。まずはこれで「来た」。「父や母を失った子供たちにも愛や夢を失った人たちにも平和を!」と歌われるのがこの曲。文字だけではもどかしいとも思えるこんな言葉にナビィの「ソウル」が込められると、ビシビシとリアリティを感じるのだ。

寿[kotobuki] それに、いつもの「前を向いて歩こう」。これは、坂本九が歌った名曲の歌詞をもっと前向きに変えてしまったもので、原作者の永六輔も公認のヴァージョンだ。これなんて、ボロボロになること請け合いで、ライヴでは自分も声を出して歌ってしまう。数年前のフジ・ロックでクロージング・バンドとして最後に登場したソウル・フラワー・ユニオンがこのヴァージョンを歌歌ったことが、語りぐさになっているんだが、その「オリジナル」は寿によって作られたものだったわけだ。

 それから、彼らにとって最も新しいアルバム『寿[kotobuki tamashii]魂』の巻頭を飾る「ひろげよう」。

「冷たい夜は温め合おう、深い闇には明かりを灯そう...  ひろげよう、あなたの夢、私の夢、ひろげよう、命の夢...」

 と歌われている曲で(著作権問題があって、たくさん書けないのよ)で、これがいい。言葉面だけを見ていても、このあたりのニュアンスは伝わらないように思えるんだが、これがヴォーカリスト、ナビィの手にかかるととてつもない説得力を持ってしまうのだ。まるで淀みも濁りもなく、一点を見つめるように自分の未来に向かって逞しく確実に動いている人だけが持つパワーとエネルギーが、そうさせているんだろう。それがとてつもない迫力で迫ってくる。

寿魂 そのライヴからそれほど時間が過ぎてはいないというのに、今回は格別だった。なにせ今回は彼らのライヴ。前座でもなければ、誰かとステージをシェアーするわけでもない。寿のために全てが用意されている、そんなライヴなのだ。初めて見た時にはバックにドラムスとベースがいて、その次に見た時にはパーカッションが二人。が、今回はそのパーカッション二人に加えて、ピアノとゴスペル指向なコーラスが入っている。このコンビネーションが素晴らしい。ナビィとナーグシクヨシミツ(これが寿だ)だけで沖縄民謡を演奏することもあれば、アカペラで歌うこともある。ヴァリエーションも豊富で... っても、そんなことよりなによりはち切れんばかりの笑みを浮かべながら歌うナビィに何かがとりついているような感覚に陥るのだ。それほど一言一言の言葉が胸を突き刺してくる。しかも、それが心地よいのだ。

 とんでもない世界に足を踏み込んでいるように思える。どこかでなにかを突き抜けたようなそんな感覚かなぁ。ともかく、感激した。泣いた。嬉しかった。そして、幸せな気分になった。こんなライヴは久しぶりで、心の底から嬉しかったという感じかな。できれば、みなさん、一度は彼らを体験してもらいたいと思う。そして、できれば、彼らの本、寿魂を読んでもらいたい。なぜ彼らがこんなバンドになったのか、どこから歌が生まれ、成長していくのが、手に取るようにわかるはずです。



投稿者 hanasan : 16:35 | コメント (0)

2007年01月15日

Lily Allen : きわどいなぁ...

Lily Allen 新年があけて最初の撮影となったのはベイスメント・ジャックス。とは言っても、これはSmashing Magのためではなく、レコード会社のためのもので、10日の大阪、そして、11日の東京の両公演共に撮影しているのだが、現時点でこれをSmashing Magにアップすることは考えてはいない。おそらく、これを整理してこのサイトには記録として残そうと思っているけど、それにはしばらく時間が必要になると思う。

 一方、Smashing Magのための初撮影は12日のリキッドルーム恵比寿で行われたリリー・アレンが最初のもの。彼女はすでに昨年の11月にプロモーション来日していたんだが、この時、彼女を見ていなかったのは... 単純に「知らなかった」から。彼女の存在も、今回撮影する理由となった「彼女の親父」の情報も知らなかったのだ。ところが、あのプロモーション来日の後、どこかで見た原稿に「彼女の父親が、イギリスの役者、キース・アレンだ」と記されていたのを発見するのだ。ん? ということは、いつもグラストンバリーでジョーと一緒にキャンプしているあのキース? そうに違いないと言うことになって、それなら撮影しなければ... とアレンジを依頼したのだ。

Keith Allen これが2000年のグラストンバリーでの親父さん、キースの写真なんだが、これは彼がガーディアンかなにかの新聞に会場で取材され、その新聞を読んでいる時のもの。笑えます。で、おそらく、2002年ではなかったかと思うが、朝方いつものキャンプの場所で奇妙きてれつな音楽を耳にして、「これ、なに?」と彼に尋ねたことがある。「そりゃぁ、ジョーがめちゃくちゃ気に入っているメキシコのバンドだよ」といわれて、手に取ったのが、それから数年後にフジ・ロック出演のために来日することになるエル・グラン・シレンシオの『Libres Y Locos』というCDだった。実は、それを聞いていても立ってもいられずに、メキシコの彼らにコンタクトを取り、その時の9月に彼らが開催するフェスティヴァルに以降と計画を立てていたんだが、結局、それが中止になって彼らを体験するにはそれから数年待たなければいけなかった。

 と、そんな話を思い出していたんだが、まさか娘のリリーと会っていたことなんて全然覚えてはいなかった。実は、12日のライヴが終わって、楽屋に挨拶をしに行ったんだが、「私、覚えてるわよ、あなたのこと」なんて言われてしまったのだ。なんでも、2003年のフジ・ロックに親父と一緒に来ていたようで、その時に顔を合わせたんだとか。とすると、パレス・オヴ・ワンダーで彼らが大騒ぎをしていた時かなぁ... なんて思うんだけど、こっちは全然覚えてはいない。

 で、彼女のバンドのメンバーにも知り合いがいた。その昔、サンドラ・クロスのライヴをやった時にアラン・ウィークス(g)、ケンリック・ロウ(ds)、それにマイケル・ローズ(sax)、トレヴァー・ワトキス(p)と一緒に来ていたベース奏者でピーター・マーティン。あれが1999年じゃなかったかと思うんだが、彼も自分を覚えていてくれたのが嬉しかった。

Lily Allen そのリリーのライヴなんだが、基本的にはちょっとレゲエっぽいスカっぽい雰囲気を持っているもので、けっこうなポップス。といって、それだけを聞いていたら、おそらく、その魅力はわからないんじゃないかと思う。彼女のアルバム『Alright, Still』も聞いたことがないんだが、ライヴを見ているだけでも「なにが魅力」なのかがわかるのだ。その魅力は、あのかわいい女の子が「こんなこと歌うのね?」といった感覚なんだろう。なにせ、「これはね、ちっちゃいチンチンのことを歌った歌で...」なんてMCで歌い出すのだ。楽屋で話した時も、「あれは、ホントよ。今までそんな人ばかりだったから」なんて話し出す。あっけらかんと「大人が眉を曇らせるようなこと」を歌っているのだ。だから、アメリカ盤を見ると、「Explocit Lylics」という但し書きがついている。要するに、一般的な大人の常識では「わいせつで乱暴で過激な」言葉で溢れているということ。でも、それこそが「一般的な普通の女の子」には当然の言語であり、それが受けているんじゃないかなぁ... なんて想像をするのだ。

 その彼女は今日、名古屋で歌うはず。というので、ここにアップした親父の写真を送ってあげた。それを見て、彼女がどう思うんだろうなぁなんて想像しているところです。



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2006年12月28日

ライヴ三昧、酒三昧で千鳥足の年の暮れ

What's Love? 23日は久しぶりにワッツ・ラヴ?のライヴだった。スカ帝国という名前で、彼らがいろいろなゲストを呼んで続けているシリーズのライヴで、この時が40回目とかなんとかいっていたように思う。ずいぶん前のことだが、このスカ帝国でクレイジーケン・バンドを見たのが新宿ロフトで開かれたときだったし、勝手にしやがれというバンドを初めて見たのも渋谷デセオでのスカ帝国だった。そのゲストたちは、両方とも大きくなってしまったけど、当のワッツ・ラヴ?は相変わらず。

 でも、いいのだ。昔から好きなバンドで、「本流の歌謡曲」に匹敵するメロディや詩をベースに、スカからレゲエのエッセンスをしっかりと吸収しているところがその魅力。特に彼らが録音した「みちのく一人旅」のレゲエ・ヴァージョンは、日本のレゲエ史(んなものがあるのかどうか、よく知らないが)に残る大傑作だと思う。それが『温故知新』というアルバムに収められているんですが、これは、迷わずに買ってください。「みちのく」の他に「襟裳岬」から「知床旅情」、「赤いスイートピー」などなど、彼らのテイストでレゲエやスカに料理した名曲が楽しめる。絶対に損はさせないから。

 なんでもこの23日のライヴでベースがバンドを離れるということになったとのことだけど、まぁ、最初に見たときのワッツ・ラヴ?のメンバーこそが自分にとってのこのバンドだと思うなぁ。そりゃぁ、仕方がないんだけどね。ちなみに、今彼らはベース奏者を募集しているらしく、誰かいい人がいたら、彼らにコンタクトしてみてくださいな。

 2年ぶり(ぐらい)に彼らを見て、楽しかったんだけど、撮影をしていたから、のんびり楽しむって感じではなかったな。それと、いつもの不満だけど、彼らが「みちのく」をやることは滅多になくて、この日も、当然のようになし。おそらく、彼らがライヴでこの曲をやったのに遭遇したのは一度だけではなかったかなぁと思う。演歌をやるのは恥ずかしいのか、冗談だとしか思われないと思ってるのかな。誰がなにを言おうと、私は、彼らの「みちのく」がオリジナルを遙かに超えていると思っているんですけどね。

 そのライヴの後、恵比寿に流れて、マグのカメラマンが親しい事務所の忘年会、その二次会に流れ込んだんだけど、まぁ、面白いもので、ここにいた某女史のボーイ・フレンドがワッツ・ラヴ?のバックで演奏しているということがわかったり... 世の中狭いというよりは、いつものことだが、みんなつながっているんだなぁと思う。そんな流れの中で、また、朝まで痛飲ですな。へろへろです。

 その翌日は横浜のキューバ・レストラン、エル・パライソへ。これをやっているのが友人なのだが、前日に連絡が入り、「ライヴをやるんだけど、予約が少なくて困っているから、友達を連れてきてよ」と頼まれたのだ。けど、クリスマス・イヴに暇な人間なんぞ、俺ぐらいしかいない。いろいろと仲間に連絡をしてみたんだけど、結局はひとりで横浜まで行った。

 ライヴはシンプルな、おそらく、日本に住んでいるキューバ人+日本人という感じのバンドなんだけど、これがなぁ、なかなかいいんですよ。ギター&ヴォーカルに、ギターみたいなスタイルのベースと、8弦のギターみたいな楽器... マンドリンがギターみたいになったやつで、それがリードをとって、パーカッションが入る。プロの流しのラテン系って趣ですな。でも、これがよかったのよ。もう少しお客さんが入っていればもっと楽しい雰囲気になったんだろうなと思いますね。

寿魂 で、25日には新宿のネイキッド・ロフトで寿というバンドの本、『
寿魂』の出版記念パーティに出かけた。時間を間違ってちょっと早めについてしまったから、近所でメシを食ってしまったんだが、この日はバンドや関係者からふるまい「泡盛」に「手料理」ってのがあって... 腹一杯なのに、ここでも食ったというのが笑えます。(実際、断れないですよ、これは)

 この日はビデオで昔の彼らの姿を見せてもらったりしたんだけど、びっくりしました。彼らって「イカ天」に出たバンドだったんだとか。彼らを見たのは昨年3月が最初で、彼らがどんな世界でどう生きてきたのか、全然知らなかったから、この日は実に興味深く彼らの歴史をかいま見ることができた。ヴォーカルのナビィが「封印してしまいたい」なんてことを言っていたんですが、このイカ天の時の映像を見たら、その気持ち、理解できました。正直言って、同じバンドだとは思えなかったからね。ちょっとニューウェーヴで... 目の前で「自分たちの過去だ」と説明されているんだけど、あまりに違いすぎる。実際、寿の二人の顔までが違って見える。これ、きっと別人です。(笑)

 そして、彼らにとっての転機となったというエストニアでのフェスティヴァルや寿町フリー・コンサートでのライヴの映像を交えながら、いろいろな話を聞くことができたんだが、今の彼らがあるのはそんな経験や体験のおかげだとか。きっとそうだろう、別人になったほどのインパクトがそういった人たちの出会いにあったんだろうと思う。その結果が彼らの歌であり、だからこそ、その「歌」が伝わるのではないかと思う。パレスチナ人とイスラエル人の友人の話やそこから生まれた「シャローム、サラーム」や「夢を広げよう」と歌う「ひろげよう」、ライヴでおなじみのこういった曲は、確実に彼らの旅してきた世界中のいろいろな国や地域での出会いや体験を反映したものだろう。国や言葉が違ってもそこには、血の通ったふつうの人間がいる。そして、まるでその体を流れる血のようにしみる歌がある。彼らの歌に感じるのはそんなぬくもりのある血じゃないんだろうかと思う。(血ってネガティヴなイメージがあるけど、自分にはそうでもないんだな)

バリー・マクガイア この日は最後にシンプルなライヴが開かれているんだけど、いつものようにナビィの笑顔にやられるんです。なんであんな顔で歌えるんだろう? お世辞にもステージのしゃべりが上手いとは言えないんだが、それでも気持ちが「伝わる」し、その笑顔から歌い出される前向きな歌がまっすぐに心を打つ。しかも、歌の言葉にはかなり直球的なものもあるんだが、忌野清志郎が歌う「イマジン」や「明日なき世界」のように自分の体にしみこんでくるのがわかる。

 その彼らが1月20日に東京でちょっと大きめのライヴをやるんだけど、これも撮影させてもらおうかと思っている。それに、ソウル・フラワーの伊丹英子が企画に加わっているという沖縄 Peace Music Festa! 辺野古'07に彼らも出演するようなんだが、これに行ってこようかなぁと思いだした。辺野古の海を、人を守り、新たな米軍基地の建設を阻止するため、それを訴えるためのもので、こういったイヴェントをサポートしなければいけないと思うし、出来るだけ多くの人たちに伝えなければいけない。出来るだけ多くの人にサポートしてもらいたいとも思う。すでに1日に7000人以上のビジターを記録しているSmashing Magでも何かの役に立つともうのだ。

 なお、このプレ・イヴェントとして(残念ながら、寿のライヴと同じ日なんだけど)1月20日に吉祥寺スターパインズカフェで、翌21日には大阪バナナホールでつづら折りの宴 わったー地球(しま)はわったーが守るというのが開催されます。ぜひ、皆さんに出かけていってほしいと思います。

 と、書かなければいけないことが山盛りだ。知人のフリーライター、烏賀陽弘道氏がオリコンから訴えられたという情報が入ったのはこの頃かなぁ。彼には一度取材してもらったことがあって、それからしばらくはコンタクトがあったのだが、もう、おそらく、10年ほどはコンタクトがなくなっている。その彼が月刊誌「サイゾー」4月号の記事でだした、わずか20行のコメントに関して5000万円の損害賠償を求めているんだが、こんなのありか? まず、なぜ著作者ではなく、コメントを寄せた人物を訴えるのか? 文章の責任は執筆者にあるし、コメントを出そうが、その真偽がどうであれ、それを掲載する責任は執筆者、編集者、出版社にある。それなのに、彼らではなく、烏賀陽弘道氏個人を訴えた理由は、彼をメディアから抹殺しようとしているとしか思えないのだ。なにせ、企業対個人だ。訴訟に対抗するにも経済力の違いは明らかであり、周辺からのサポートがなければ「闘うすべ」もないのだ。

Jポップの心象風景 しかも、問題となっている記事を読めばわかるのだが、このコメントは問題とされているチャート操作を「断定」はしていない。国語が理解できるのであれば、「可能性が高い」という言葉の意味ぐらいわかるだろうに。ここで細部を語る必要性はないし、それぞれが「コメント」を読めばオリコンの訴状の方に多くの問題を見つけられることになる。わずか20行のコメントで「連結売上高約57億円」の会社、オリコンが受ける「直接的、間接的損害を過小評価することは出来ない」と言える根拠ってどこにあるんだろうね。あまりにばかばかしいんだが、弱者を袋だたきにするような訴状が認められ、もし、仮に、これで烏賀陽弘道氏が負けるようなことにでもなれば、我々は何も語れなくなるだろう。要するに、この事件は金や権力を持っている連中が、真正面から表現の自由、報道の自由に対して挑戦しているということなのだと理解するしかないんですよ。だから、私個人はこのケースに関していえば、烏賀陽弘道氏を全面的に支持する。

 さて、26日は友人のプロモーターでレーベルも始めたジャポニクスの忘年会に出かけたんだが、ここでまたワッツ・ラヴ?絡みなんだが、やめたばかりのベーシストが加わっているバンドを見てしまった。なんとまぁ、繋がっていること。それに来年3月に来日することになっているThe Slackersの元メンバーで、今は日本に住んでいる人と再会。(すまん、名前を覚えてはいない)と、その後、中目黒のクイーン・シバに立ち寄って、恵比寿のキッチン・ソルナで、一杯というおきまりのコース。それで帰路についてところで、偶然、シャーベッツのN氏に遭遇して.... 「一杯行きますかぁ」と、深みにはまってしまうのだ。しかも、このとき、ワッツでサックスを演奏している?君を紹介される。(すまん、また名前を忘れた)で、焼き肉屋からN氏の自宅に回って自宅に向かったのは、前夜の土砂降りの雨が信じられないほどにまぶしい青空の下。なんてぇことだぁ。ぐるぐるといろいろなところで友達の輪を感じながら、飲み続ける年の暮れ。なんとまぁ、忙しいこと。



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2006年12月22日

寿魂 - 大好きなバンド、寿の本が出ました

寿魂 ここでも何度か紹介したことがあるんですが、去年の3月に上野水上音楽堂で初めて体験したバンドに寿(ことぶき)というのがあって、あの時のステージにいたく感動して以来、何度かライヴを見ているし、撮影もしている、お気に入りのバンドです。いつだったか、その彼らから連絡があって、本を出版するので写真を使わせて欲しいとのこと。いいよぉと、写真を送って数ヶ月、昨日、うちにその本が届けられた。

 本のタイトルは『寿魂 - ことぶきたましい』というもので、20年にわたる彼らの活動の記録などがここに収められているとのこと。もちろん、昨日届いたばかりなので、まだまだ内容はわかりませんが、おそらく、面白いだろう。ステージを見ていたらわかるんだが、このバンドの要って、人との出会いだと思う。そして、そこでの体験が歌になって出てきているように思えて、彼らがこれまでどんな人たちと出会ってきたかをこれでのぞき込むことができるわけだ。楽しみです。

 ちなみに、私の写真が使われているのは最後の方のページで数点がセレクトされて1ページの中にちりばめられているという感じ。嬉しいものです。もし、よかったら、手にとってこの本を読んでいただければと思います。ここ数年、日本のバンドで「心を動かされる」ものが少ないんですが、彼らはそうなってしまったひとつ。どの歌も素晴らしいんだけど、「上を向いてあるこう」の替え歌「前を向いて歩こう」は、ライヴで聴くたびにキュンと来る。さすがに、オリジナルの作詞をした永六輔氏が認めただけのことはある。きっと、彼はそうやって寿が歌っているのが嬉しいんだろうなと思うよ。そのほかにもいい曲がいっぱい。彼らはもっともっと売れて欲しいし、多くの人に知ってもらいたいと思っています。チャンスがあったら、是非見に行ってくださいな。



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2006年12月10日

腰痛日記 - 検査結果編 + ジョン・レノンとポール・ブレイディのこと。

John Lennon なにげに朝のワイドショーで「今日は、ジョン・レノンがなくなった日か、太平洋戦争の始まった日か... どう思うかで世代がわかる」なんて声が聞こえてきた。自分の世代は明らかに前者で、あの日のことは記憶にはっきりと残っている。それは80年代にやっていた共同通信との連載コラムに書いていたこの記事を読んでもらえばわかると思うが、今振り返っても、音楽という文化が、どこかで正当に評価されている国と、所詮は「娯楽」でしかない日本とのギャップを感じざるを得ない。

 ジョンが亡くなったとき、射殺というショッキングな事件であったことから... というだけではなく、彼がどれほど大きな役割を果たしたかという意味で、イギリスでは全てのメディアが彼のことを大きく取り上げていたのを覚えている。新聞からテレビ、ラジオから雑誌... どこもジョン・レノンばかりだった。しかも、その年、クリスマスの前にヒット・チャートのトップを飾ったのは、ジョンとヨーコによる『Happy Xmas (War Is over)/Give Peace a Change』(Shaved Fish - ジョン・レノンの軌跡 に収録)で、あの曲を聴くとどうしてもあの日のことを思い出してしまうのだ。まだまだ20代だった自分が居候していたブライトンとその仲間たち... そして、それから数年後の反核運動の高まりや、ハイドパークで40万人を集めた集会の終わりに帰路につく人たちの間で自然発生的に歌われ、うねりのようになって広がっていった『平和を我らに』というジョンの名曲も思い出す。その日が、狂気の沙汰としか思えない判断をした日本政府が戦争... というよりは、アジアを中心とした人々のみならず、日本人をも含む大量虐殺の時代へ突入した日だというのがなにやら皮肉に思えてしまうのだ。

 なんでこんな朝早くからワイドショーを見たのがというと、くたくたになった前日、あまりに早く寝てしまったために夜中に目が覚めて、ずっと仕事をしていたから。しかも、この日は朝から元住吉にある関東労災病院に行く必要があったのもその理由だ。11月中旬に大枚をはたいて「造影撮影」なる検査を受けたことはすでに記している。これは脊髄に特殊な液体を注入しでX線撮影するというもので、神経の細部をチェックするというもの。自分の腰痛の原因を探るためにこれをやったのだ。最初に訪ねた北里病院でMRIをやってチェックしたんだが、「この程度ではそんなに痛くなるようなことはないと思うんだがなぁ...」なんて言われて、どうしようかと思っているときに入ってきたのが身内からの情報。なんでも関東労災病院には内視鏡手術で椎間板ヘルニアの原因とされる髄核をとってくれる名医がいるらしく、身内の知人がその手術を受けてあっという間に「痛み」から解放されたというのだ。では、その名医に会って手術してもらえばいいじゃないか... と思うのは当然だろう。

 一方で、「さっさと切ってくれ」と言ったって「はい、わかりました」なんてことになるはずがない。それぞれの医師がきちんと自分で患者を確認して判断するのは当然のこと。北里で撮影したMRIの写真を持って行って、その名医と相談したんだが、それを見た段階でいうと、この医師は手術には実に否定的だった。加えて、このときに独自にレントゲンで腰を見てもらっているんだが、それでも、この名医が知っている常識の範囲内では「異常」が認められなかったようだ。

夏樹静子 が、痛いのだ。めちゃくちゃ痛い。というので、「可能な限り慎重に調べてくれ」と頼んで、この検査となったんだが、その頃から読み出した本で知ったのが「心因性ストレスによる疼痛」のこと。(特に示唆に富んでいたのが『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』)しかも、造影撮影のために検査入院したとき、「じゃ、今度は12月8日に来てください」といわれた時点で「こいつら、患者の気持ちも症状も全く理解できていない」と思うようになったのは理解できるだろう。だからこそ、その検査の10日後に、このブログのここで、だいたいどうなるかという、自分の予想を書き残していたのだ。

 検査報告を受けた当日、名医といわれ、テレビにもけっこう登場している夏山先生はその通りの反応を見せてくれた。「これでは手術をしてもいい結果が出るとは思えない」とのこと。では、どうすればいいんだろうかと思うのは患者の当然の発想なんだが、それに対して自らどうすればいいのかといったアドバイスは全然出てこない。こちらが尋ねた結果として、初めて「ブロック注射をやっていって治る人もいますし、ストレッチとかのリハビリで治る人もいますし...」と、その程度の答えしか出てこないのだ。それではと、腰痛に関して勉強した成果として心療内科はどうなんだと尋ねると、「必ずしも治るとは言えませんが、そういった選択肢もあるでしょうね」と、そんなことは言われなくてもわかっている。その程度のことしか言えないというのが、どこかでばかばかしく思えてきた。全て想定内のことで、判で押したような反応に「患者の気持ち」をまるで理解できない日本の医療の貧しさを実感してしまうのだ。こちらは絶望的な気分で病院を訪ね、なけなしの金をはたいて検査をしている。それに対して、彼が言っていることは、言葉を換えれば、「わかりません」ということでしかない。それは受け入れることはできるんだが、その一方で、苦しんでいる人間を前に、「じゃぁ、次はこういうことを調べれば?」といったアドバイスもないのだ。

 さぁて、どうする? これまで読んできた本で得た知識からすれば、心療内科を目指すべきなのか? といっても、これも海千山千で、高い金でちょっと話をしただけで、たらい回しのようにされることもあるらしい。もちろん、『腰痛放浪記 - 椅子がこわい』に出てきた先生を訪ねるのも手だろう。一方で、この痛みの原因が「整形外科の常識」以外の肉体的な問題による可能性はないんだろうか? と、思ってみたり... わからない。

 痛みは相変わらずで、その状態で仕事を続けている。8日は夜10時から新木場でKyoto Jazz Massiveの沖野くんが中心になってやっているイヴェントで朝まで撮影。ほとんどずっとびっこを引きながら、痛さに泣きながら仕事をした。帰宅したのは朝8時前。データをHDに落としてから寝たんだが、午後3時過ぎに起床して、今度は17時に始まるケルティック・クリスマスというイヴェントの撮影だ。これもびっこを引きながら撮影して徹夜で作業中。その休憩の合間にこれを書いているんだが、「本当に腰痛が治ることはあるんだろうか...」という不安が頭の中にちらほら顔を出している。もちろん、絶対に直してやるという意志を持たなければいけないこと、そのための努力は続けているつもりだけど、弱気な自分がいないといえば嘘になる。

Paul Brady ところで、そのケルティック・クリスマスで最も期待していたのがポール・ブレイディというシンガーソングライター。わずかの時間しか歌ってくれなかったけど、やっぱ、この人は素晴らしい。数年前にグラストンバリーで彼を見たときに、まるでヴァン・モリソンのような迫力を感じたんだが、ギター一本でステージに登場して歌っていても、同じような迫力を感じた。なぜ彼の声や歌にはそんな説得力があるんだろう。ひしひしと伝わってくるのだ。

 彼のアルバムは数枚持っているんだが、この日歌ってくれた曲名はわからない。知っている曲も出てきたけど... 曲名を覚えているのは、いまだに発音ができないんだが、「Lakes of Ponchartrain」というトラッドが筆頭かな。最初にこれを聞いたのは「Bring It All Back Home」というアルバムで、確かBBCが制作したアイリッシュ音楽のドキュメンタリーのサウンド・トラックとして発表されたアルバム。ここではホットハウス・フラワーズが歌っていて、これも素晴らしいんだが、この日のポール・ブレイディは、途中、アカペラのようなスタイルで歌っていて、それがジ〜ンときた。実に感動的なヴァージョンだった。それに、山口洋がカバーした「Homes of Donegal」。(『The Paul Brady Songbook』というベスト・アルバムで聞けます)「ヒロシがここにいないのが残念だけど... 」といいながら歌ってくれたこれも良かったなぁ。

 このポール・ブレイディだけではなく、各ミュージシャンの演奏時間は腹五分といったところで、いろいろなミュージシャンの演奏を楽しめるという意味ではいいんだけど、たっぷりと魅力を味わうのは、これから始まるそれぞれのライヴに足を運ぶしかない。なかでも、このポール・ブレイディについては絶対に見逃して欲しくないと思うし、12日の渋谷デュオでのライヴには絶対に足を運ぶつもりだ。絶対に損はさせないから、みなさんにも、見てもらいたいと思う。いいよぉ、めちゃくちゃいいよぉ。



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2006年12月06日

渋さ知らズ、中川五郎、朝崎郁恵とライヴ3連ちゃん

渋さ知らズ 真っ黄色になった御堂筋の銀杏並木の美しさにうっとりしたことなんてなかったのに、なにやら新鮮に見えた大阪を離れて、帰路についたのは3日の朝。新幹線で帰京して、夕方友人のサックス奏者、通称まさやん(中村雅人)と一緒にひさびさの渋さ知らズを見に行った。会場は世田谷パブリックシアターという場所で、シート付きのホール。ということで、いつものようにスタンディングではない。といったって、そういった場所での彼らのライヴも幾度か見たことはあるんだが、あまり面白くはなかった。彼らにしてみれば、いつもと同じことをしているんだろうし、どう感じようが客の勝手だと思っているんだろう。ただ、面白くなかった。

 初めて彼らを見たときのことはここに書いている。そのときも同じように、「おもろない」と書き始めたんだが、結局は彼らの演奏に引き込まれて、「ああ面白かった」と結んでいる。が、今回は、単純に面白くなかった。あのときのライヴにしろ、彼らのライヴで面白かったのは「なにが飛び出してくるのかわからない」ようなスリルにあった。それはゲストのせいかもしれないし、なんでもアナーキーに飲み込んでしまう彼らのエネルギーのなせる技でもあったと思う。それはゲストがいなくても同じこと。それぞれの自由な演奏が微妙な化学変化を起こして、縦横無尽に宇宙に飛び出していきながら、どこかで「渋さ」というエネルギーに変換され、昇華されていく。それが魅力なのだ。が、ここ数回彼らを見ていて、それが身内の輪のなかでしかめぐっていないようで、それなりに面白くても「突き抜けて」面白くはなくなったというのが正直なところ。

中川五郎 その翌日は下北沢のラ・カーニャにて、音楽業界で大好きな友人で、執筆家でミュージシャンでもある中川五郎氏のライヴを取材。新しいアルバム、『そしてぼくはひとりになる』を発表して、それを核にしたライヴなんだが、バックが実に豪華。中川イサト、村上律、松永孝義といったところが、私が知っている人たち。その他、今井忍、竹田裕美子、あんさんがバックを勤め、ゲストで金子マリとのデュエットも披露したんだが、これがめちゃくちゃ面白かったなぁ。アドリブで五郎ちゃんにチャチャを入れていた金子マリの素晴らしいこと。ゾクゾクするほど魅力を感じる彼女のライヴをきちんと見ないといけないなぁ。なんて、感じました。

 この日、彼の歌で撮影できなくなったほど聞き入ってしまったのは、高田渡が亡くなった日のことを、まるで「記録する」ように歌った1曲。あの日、彼のサイトを見た記憶があるんだけど、高田渡の死がどれほど大きい悲しみとなって彼を襲ったか... あれを読んだ時に思ったものです。彼のサイトにある「徒然」と呼ばれる日記のようなセクションのこのあたり前後を読んでいただければと思うんだが、本当に、時間がたてばたつほどに高田渡というアーティストの素晴らしさを感じてしまうのだ。そんなこともあり、これには身動き取れなくなってしまったなぁ。

 本当は、この日のメインとなった新しい曲のことなんかを書かないといけないんだろうけど、なぜかちょっと難しい。いい言葉がみつからないから、簡単にはかけないのだ。でも、最後の最後に「俺とボギー・マギー」を歌ってくれたんだが、10代の頃にこれを聞いたのと同じような気持ちで、ちょいと口ずさみながら、嬉しい気持ちになった。クリス・クリストファーソンのオリジナルで『The Very best of Kris Kristofferson』あたりが、それを聞くにはお手頃な作品だと思うし、ジャニス・ジョプリンの『Pearl』で聞けるのが大ヒットしたヴァージョン。なによりも、この歌詞で好きなのは「自由っていうのは、失うものが、なにもないことだ」という部分で、いつか、これを日本語で(おそらく、五郎ちゃんと同じヴァージョンだと思う)歌ったレヨナと話した時、彼女も同じことを言っていたように思う。

朝崎郁恵 そして、昨晩のこと。19時をちょっとまわった頃に、昨年一緒にサウスバイサウスウエストというフェスティヴァルに一緒に出かけたA氏から電話が入り、「すごいいいミュージシャンがいるんだけど、見に来ない?」というので、出かけたのが青山にある、月見る君想ふという小屋。ここで朝崎郁恵という、奄美大島の歌い手さんのライヴを見ることになった。奄美物産展でもないが、島の料理なんかも楽しめるという雰囲気で、幕開けは東京に住む若者たちによる島の伝統的な踊りと歌。彼らは素人なんだが、この雰囲気は実によかった。素晴らしい音楽は単純にそれだけで素晴らしいのだ。声と太鼓と踊りと... それだけなんだが、なにやら島に連れて行ってくれたような幕開けに、実に幸せな気分になった。

 続いて紹介されたのは、なんとか(名字は聞き取れなかった)ヤマト君という高校生のミュージシャン。なんでも、失われつつある島の言葉をほぼ完璧に話すことができる彼が、三線を引きながら歌ってくれたんだが、これにはぶっ飛ばされるぐらいの衝撃を感じた。東京でライヴをするのは初めてで、本人曰く「冷や汗かいてます」とのことだったんだが、ひとたび彼の歌が出てくると、その歌声に圧倒されてしまうのだ。こんなに素晴らしいミュージシャンが眠っているんだと、大いに感激する。そして、彼と祖父母が奄美出身だという女性をバックに朝崎郁恵さんが登場して歌い出すんだが、これも素晴らしい。また驚異的なアーティストを知ることができたと大喜びしたのがこの前半だった。


 ちょっとした休憩の後に、後半が始まったのだが、その感激が吹っ飛んでしまうほどにひどかった。なんでも「ダンス・ミュージック」ということらしいんだが、バックについたのはキーボードとパーカッション。「奄美の歌は3曲聴いたら、全部同じに聞こえる」と言われたことで、朝崎郁恵さんがバックにピアノを入れて歌い出したと説明するんだが、シンプルな歌と三線だけでも十二分に素晴らしい輝きを持っていたのに、この日は、そのピアノとパーカッションがそれを消し飛ばしてしまったというのが正直な感想だ。演奏を聴けば聴くほどに、「出しゃばる」バックにイライラを感じる。隣のA氏や、彼の友人のKT氏も同じように、拍手もしなくなった。当然ながら、自分も「勘弁してよ」と思いながら、本来の音楽の魅力を粉々にするバックの演奏に、正直言ってしまえば、腹が立ってきたのだ。しかも、まるで雰囲気をぶちこわすソロなんて、あり得ないぐらいに「邪魔」でしかなかった。その昔、フラコ・ヒメネスのライヴを見たときに、ライ・クーダーがバックで入ったのを見たことがあるんだが、当然ながら、彼はプロもミュージシャンであり、バックに徹してけっして出しゃばることもなかったし、耳障りなソロもしなかった。それこそがバックの役割だと思う。その役割を果たしていないのだ。

 これまで多くの伝統的な音楽を演奏するミュージシャンを見てきて思うのは、本来の音楽が持つ力強さや美しさをまずは認識すべきだということ。それこそがまるで宝石のような輝きを持っているのだ。単純に西洋に迎合するような形で、ごてごてと装飾をしたところで、それは邪魔でしかない。この日の後半はそれが悪い形で出た典型だったようにも思える。しかも、それを楽しんでいるオーディエンスにも失望した。楽しかったらいいのかなぁ。あなたたちは「音楽」を聴いているの? そんな様子を見ていたら、なにやら歯がゆく、悲しく、悔しい気分になってしまったんだが、それは私ひとりではなく、A氏もKT氏も同じこと。なぜそれが理解できないんだろうか。

 ただ、この日買った『おぼくり』というアルバムは素晴らしかった。「最もバックがシンプルな作品を聴きたいんですが」と会場で売られていた作品から選んだのがこの作品。ライヴのひどさと比べたら、このアルバムでは実にしっとりと「バックがバックの役割」を果たしている。ああ、よかった。

 さて、あまり変化がないので、それほど書かなくなったんだが、腰痛は相変わらず。左の臀部に痛みが集中し、足の筋に、どうやら痙攣する寸前のような緊張というか、なにやら「張った」ようなものを感じる。時には、びっこを引いて歩かなければいけないほどになっていて... といっても、それは椅子に座っていて歩き出したときで、しばらく歩くとその状態からは解放されるのが不思議なんだけど、周りの人にはかなりの重症に見えるようで、椅子を譲ってくれたりするのは、正直嬉しい。

 「歩く」ことはずっと続けていて、渋さの日には三軒茶屋から自宅までを1時間弱で歩いたし、五郎ちゃんの日には渋谷から歩いて帰宅した。たまたま昨晩は仲間が恵比寿で飲んでいたということもあり、そこまでタクシーで向かったんだが、当然、そこからは歩いて帰っている。まあ、朝日が昇りかけている道を帰るときの、なにやらもの悲しい気分は格別であまり体験したくはないなぁ。とはいっても、この日はKT氏と、そして、シャーベッツというバンドの方々といろいろな話をして、実りある日だったと思う。しかも、KT氏は自分の書いた「ロンドン・ラジカル・ウォーク」という本を片手に、「これを書いた花房さんですよね」なんて話しかけてられたし、シャーベッツのベースの方もその話をしてくれた。すでに20年も昔に書いた本が、どこかで何かのつながりを作ってくれたことは、素直に嬉しいと思うのだ。



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2006年11月30日

U2を見て、なぜがジョー・ストラマーに泣く

U2 ときおり、あり得ないようなことが起こる。今日は、そんな日だったのかもしれない。昔からの友人から誘われて、埼玉まで出かけてU2を見てしまった。たまたまチケットが余っていた(ということにしていきます)らしく、「U2見ない?」ときたので、「いいよぉ」と二つ返事で見に行った。

 本当はでっかい会場でのライヴは全然好きじゃなくて、そういった、いわゆる大物のショーは見たくないと思っているたちなのよ、私って。天の邪鬼だけじゃなくて、特に東京ドームは大嫌い。二度と行きたくないと思っている。なにせ、音が悪すぎる。いつかサイモンとガーファンクルのライヴを見た時なんて、ステージの音と手拍子のずれで吐き気をもよおしたこともあるし、アース・ウィンド・アンド・ファイアーを見た時には、警備員のあまりの態度の悪さにぶち切れて、途中で帰ったなんてこともあった。なにせ、あの野郎、俺の耳元ででかい声で怒鳴り散らしながら、椅子の上に立っている人間に注意をしていたんだが、あまりに耳障りなので、「うるせぇよ、この野郎!」といったら、「てめぇ、出てこい」と抜かしやがった。そうしたらそうしたで、隣の客がうるせぇ、と怒鳴ってくる。と、まぁ、めちゃくちゃ嫌な気持ちになったのが理由で、この会場でのライヴは絶対に行かないと決めたのだ。

 それに、大物は、基本的に、それだけで好きではない。奇妙なもので、売れていない時は取材をしたり、書いたりするし、興味もわくんだけど、スターになってしまうと、どこかで「俺がやる必要性はないだろう」と思うのだ。だって、やりたい人間はいっぱいいるし、自分なら面白いインタヴューができると思っても、面白いことをしているのに報われない人たちを助けることに時間を割いた方が有益だと考えてしまうのだ。だから、あまり興味はなくなってくる。でっかい会場で見ると肌で音楽を感じられないというジレンマも感じるからね。

U2 でも、U2はけっして嫌いなバンドではないし、どちらかというと好きなバンドだから、それに、さいたまスーパー・アリーナって行ったこともないし... と、行くことにしたのだ。

 ただ、今のU2は全然知らない。自分が知っているのは『War』とか、『Boy』に『October』から、『Unforgetable Fire』、『The Joshua Tree』あたりまでで、それ以降はほとんど聞くことはなくなったから、最近の曲なんて全然知らない。友達は『How to Dismantle an Atomic Bomb』に収録されている「Vertigo」ぐらいは知っているはずだという。なんでもiTuneの宣伝で使われたらしいんだが、さぁて、全然思いつかない。

 そんな状態で出かけたのだ。でも、感動して泣いてしまったのね、実を言うと。実際、知っている曲はあまりなくて... 隣の客がうるさいぐらいにほぼ全曲を歌っていたので、なんか申し訳ないなぁと思ったほど。でも、最初に出てきた知っている曲が「I Still Haven't Found What I'm Looking For」。けっこうジ〜ンときました、正直。実は、The Chimesという、ソウル・トゥ・ソウルがヒットした頃の同じような流の中で出てきたバンドが、この曲をカバーしていてそのヴァージョンが大好きだったんですね。といっても、彼らのアルバムはすでに廃盤でほとんど入手できないようで、2〜3ヶ月前にアナログからCDを作って、iPodにも入れてよく聞いていたので。

 その次が「ブラディ・サンデー」です。この時、途中でザ・クラッシュの「ロック・ザ・カスバ」(『Combat Rock』)のフレーズが出てきて.... ボーノがジョー・ストラマーのことを話し出したんですよ。具体的になにを話したのか、全然覚えていないんだが、そうしたら、ジョーの顔が浮かんできて.... 当然、「ブラディ・サンデー」が語っていることがなにかは知っているわけで... その流の中でジョーのことを思い出してしまったのだ。最後までビジネスに自分を売ることなく、闘い続けた彼の人生のこと、個人的な彼との思い出や彼がやってきたことなんかがめいっぱい頭のなかにわき起こってきて... 「いつまでこの歌を歌わなければいけないだ」というフレーズで涙が頬を伝ったわけです。

 それからは知っている曲もあったけど、知らない曲でも、そんなことは関係なくて、なんか感動してしまっていたわけです。ボーノが世界人権宣言のことを歌い、語り、イラクの問題のことを語り、「共存すること」を訴え、アフリカの貧困のことを歌う。それが「慈善」で言っているのではないことも十分知っているものだから、なんかジ〜ンと来るんですよ。なんかそれが嬉しかったし、同時に、会場に集まっていたお客さんたちも一緒に歌っているんですね、そういった歌を。この人たちって、本物なんだなぁとひしひしと思いました。

 イカン、新しいアルバムもきちんと聴かなくっちゃ... と、反省もし、感動もした一晩。そして、一緒にライヴを見た友人と、そんなライヴのことからジョーのこと、そして、今抱えている腰痛と、おそらくは、自分が転機にさしかかっているんだろうといったこと、そんなことを語り明かした一晩。なんと充実した1日を過ごせたことか!



投稿者 hanasan : 01:05 | コメント (0)

2006年11月20日

連日のEdgar Jonesにリトル・クリーチャーズ、そして、やはり腰痛

Edgar Jones 前日の渋谷クアトロでエドガー・ジョーンズを見た後は、速攻で帰宅した。なにせ、その翌日、できるだけ早い時点でレポートをアップして、より多くの人に、この特異な味を持ったアーティストを見るチャンスを与えたいと思ったのがその理由。なにせ、こういったアーティストが何度も何度も来日することができるわけではなく、次はいつになるかなんてわからない。何度も来日している大物アーティストだとか、すでに実績もあるような人たちに関しては、そんなに焦る必要もないし、自分がわざわざ骨を折ることもないと思うんだけど、「好きなアーティスト」で、売れていないだろうなぁ... なんて思うと、そんな気持ちが出てきてしまう。なんとまぁ、損な性格だこと。

 会場は代官山ユニット。当然のように、自宅から歩いて会場に向かった。といっても、いつも歩いている距離を考えたら、非常に短い。時間がないから、いつものように運動のための歩きはできなかった。実に残念。しかも、翌日朝から始まった雨は全然止むことなく、ここ数日、全然運動していないことになる。特に、このライヴの日は腰痛がひどく、撮影するのも大変だった。なにせ、動くたびにキリキリとした痛みが走るのだ。そのせいか、撮影に集中できない。もちろん、ある程度の写真は撮って当然だし、それは見てもらったらわかるんだけど、こんなことのためにシャッター・チャンスをかなり失ったのは確かだと思う。だから、早く直さないと... 絶対に直してやると、また決意を強くするのだ。

 この日のライヴの後、エドガーのアルバム『Soothing Music For Stray Cats』を日本で出してくれたT氏と、この日のサポート・アクトとしてステージに立ったリトル・クリーチャーズのドラマー、栗原氏と、けっこう深い話をしてしまった。音楽メディアのあり方から今の音楽の意味などなど。その時、「今、僕らが聞かされているのが音楽だと思っているのって、おかしいよね」という言葉が自然に出てきてしまった。テレビやラジオから聴くものに襲いかかるように押し出されてくるものが、自分には音楽だとは思えないし、僕らは「音楽を聴く」という行為さえも失ってきているのではないかとも思う。

 このことはいつも思っているんだけど、特にCDの時代になってから、僕らは本当に「音楽を聴いているんだろうか」という疑問が強くなっている。確かにCDはLPよりも多くの時間の音楽を詰め込めることができる。アナログだったら片面で30分が限度で、両面でも60分。といっても、たいていの場合、片面で一区切りということで、じっくりと音楽を「聞く」時間を作り、そうしていたように思えるのだ。人間が集中して音楽を聴くことができる時間なんて、そんなに長くもないだろうし、そんな意味で言えば、CDは「音楽を聴く」ためではなく「流す」ための道具なんじゃないだろうか... とも思えてしまうのだ。

 おそらく、そんな反動のなかで再びアナログを引っ張り出して聞き始めているようにも思うし、iPodというデジタル・オーディオ機器に音を入れる時にも、中心となるのが昔の音楽になってしまうんじゃないかとも思う。あるいは、単純に年齢のせいかねぇ? 実際のところ、CDでしか発売されていないここ10数年のバンドのことは、ほとんど知らないし... なんだろうね、この変化は。

Karen Dalton そう言えば、初のCD化ということで注文していたカレン・ダルトンの名作『In My Own Time』がやっと到着した。素晴らしいパッケージだ。まずはそれに驚いた。デジパックでかなり分厚いブックレット付き。ここにはレニー・ケイからニック・ケイヴ、それに、デヴェンドラ・バンハートあたり(後者はインタヴューをまとめたものだが)の解説も付いていて、おそらく、未発表ではないかと思う数々の写真も加えられていて、このCDを作った人たちのカレンに対する愛情を感じることができるのだ。

 オリジナルのマスター・テープからリマスターしたということで、オークションで買ったアナログをデジタル化したものよりは、遙かにクリアに音が聞こえてくる。特にバックのストリングス、ヴァイオリンの音などが美しくて、音の奥行きが深まったというのが第一印象だ。カレンのか細い声も良く聞こえる。実に嬉しい。

 しかも、このCDと共にアナログもプレスされたようで、このリマスターによって作られたものであったら、入手して聴き比べてもいいかもしれない... なんて思いだしている自分が、救いようのない音楽バカのように思えてしまうのだ。オークションで購入したものは、オリジナルのプレスらしいが、頭のあたりでちょっとしたソリがあって、通常だと音飛びが起こるのだ。それがない状態で、このリマスターだったら、どんな音が聞こえてくるんだろう... 興味津々なのだ。でも、どこで買えばいいんだろう?

 さて、腰痛の方だが、あまり変化はない。若干だが、「ドン」とした痛みから、少し刺すような痛みに変わったようにも思えるが、それは気のせいだろう。サーノ博士の『ヒーリング・バックペイン』は、ほぼ半分を読んだところ。TMS理論の骨格がやっと見えてきたという感じかな。やはりオリジナルの方が「意味」を理解しやすいと思った。もちろん、『腰痛は怒りである』も役には立つんだが、なにかが不足している。とはいっても、「この本を読んで腰痛がなくなった」という人たちの声については、未だに懐疑的だ。もし、そんなことになったら、嬉しいんだが、さて、どうなることやら。



投稿者 hanasan : 17:38 | コメント (0)

2006年11月18日

Edgar Jones + 腰痛日記

Happy & Edgar Jones 朝、検査入院していた関東労災病院から帰ってきて、選択や更新作業と相変わらずの日常を満喫。そして、夕方には渋谷に向かって歩き出していた。この日は待ちに待ったエドガー・ジョーンズの東京公演初日。その撮影をすることになっているので嬉々として、うちから、また歩いていった。運動できなかったのはわずか2日間。だというのに、なにやら嬉しい。しかも、痛みを感じることなく足取りも軽かった。30分ほどで渋谷に到着し、宇田川町交番の裏にある安いラーメン屋で肉なす炒め定食、700円。なんとまずい米を食わせるんだ、この店は... と、思いつつも、この値段で文句を言うのは間違っているんだろうとも思う。この場所でこの価格。本当にまともなものを食べさせてくれるわけがないと考えるのが普通だろう。

 ちなみに、会場のクアトロでビールを一杯飲んだけど、翌日が港区の成人検査の一環としてやってくれる胃のレントゲン検査。夜9時以降はなにも食べてはいけないし、飲んでもいけないと伝えられているので、それ以降いっさいなにも口にしてはいない。

 この日のプロモーターはプランクトンで、アイルランドやマヌーシュ系のアーティストを数多く手がけている。先日、ハッピー&アーティ・トラウムを招聘したトムズ・キャビンと同じようにユニークなテイストを持っていて、二つとも大好きなプロモーターだ。

 想像していたのは、エゴ・ラッピンがサポート・アクトで登場するというものなんだが、受付で尋ねてみるとエドガーのセット中に彼らが登場して絡むというもので、写真撮影について確認。そうすると、エゴ・ラッピンのものについては「写真を確認してからでないと掲載できない」というので、「じゃ、撮影はするけど、使いません」と応えた。当然だろう。ジャーナリズムの世界で生きる人間がなんでそんな検閲を認められるわけがない。だから、ライヴが終わって朝までかかってアップした彼らのフォト・レポートには一切、エゴ・ラッピンは登場していない。

 いつも思うんだが、「掲載する前に写真を見せろ」とか「原稿をチェックさせろ」なんていうのは日本の「事務所」だけで、このあたりの体質は、日本じゃ音楽が「芸能産業の商品」でしかないことをまざまざと伝えてくれる。彼らにとってミュージシャンも、音楽も商品でしかなく、「商品に傷が付けられる」という発想でそういった圧力をジャーナリズムに押しつけてくるわけだ。海外でこんな目にあったことはないし、そんなことがあったら大騒ぎになるだろう。要するに、「表現の自由」から「報道の自由」に対する明白な圧力なのだ。

 特にライヴは「公共の場で繰り広げられる」ことであり、メディアはそれをさらに大きな公共の場に伝えることを旨としている。大きな責任が伴うことは当然として、その「情報を操作」しようということは、それ自体がすでに犯罪であり、もし、仮にそれが「表現者」とされる人間が試みようとしたら、その時点で表現者の自殺行為でもある。だから、逆にいえば、そういった試みをする人たちは「表現者」とは規定するも理解することもできない。

 これまでそういった人たちの取材を私は一切拒否してきた。ある時期まで取材してきて、自分の取材リストから姿を消したのはそういった「表現者の姿を借りた産業バンドやアーティストもどき」。とはいっても、今回たまたまこうなった先方は、おそらく、ここまで問題を大きく捕らえてはいないだろうと思う。彼らにとっては「業界の習慣」としてしか口にしていないのは、容易に想像できるのだ。当然のように、悪意もない。だから、彼らを嫌いになったわけでもない。なぜなら、全然話をしていないから。が、それこそが、「宣伝でしかない」音楽メディアを支えるものであり、それを自ら変えていこうとしない限り、彼らの音楽は「商品」としてしか伝えられることはないだろう。言うまでもなく、取材をしなくなった人たちは、その話を十二分にして、それでも理解しようとしない人たちであり、それ以降、私は彼らのライヴを見たこともなければ、音を聞いたこともない。彼らにそんな価値がひとかけらもないと思うからだ。

Edgar Jones さて、エドガーだ。楽しかった。なにやら、どこにでもいるようなお兄ちゃん的な表情を見せているのがエドガーなんだが、ひとたび歌い出すと、どっしりとした分厚い声が聞こえてきて、音楽が好きなんだなぁというのが良く伝わってくる。とりわけ、ジャズってことじゃないんだが、屈折した奇妙なジャズ風味にファンクやスカあたりの要素が絡んだ彼らの音楽が、ライヴではアルバム「よりジャズではない」雰囲気を打ち出しているのがおもしろい。楽器の構成は、下手からキーボード、ギター&サックス、バックにドラムスがいて、フロントにエドガーのヴォーカル。そして、上手奥にはウッドベースがいて、フロントにギターがいる。構成を見れば、かなりジャズ指向なのは当然としても、この奇妙な感覚がエドガーの色なんだと思う。

 エゴ・ラッピンとの絡みも楽しかった。当然ながら、日本での認知度が低い彼らを助けるためにエゴの二人がステージに登場してくれたんだと思うし、おそらく、わずかの時間でしかリハーサルができなかったにもかかわらず、いい感じのコンビネーションが出来上がっていたのはさすがだった。そのいい絡みを素晴らしい写真で撮影しているんだが、それを発表できないのが実に悲しい。また、その絡みのあと、アンコールで再び彼らが登場してエゴの曲でエドガーのバンドがバックで支えるという光栄があった。この時、ステージを降りて楽しそうに彼らの演奏を見ていたのがエドガー本人。その光景も写真に収めているんだが、当然ながら、それも公表することはない。これほどの楽しい時間を切り取った私の写真はこのままHDの片隅で埋もれてしまうのだ。それが、誰のメリットになるんだろうか? 

 ちなみに、朝目が覚めて隣の北里研究所で胃のレントゲン検査。ところが、腰痛がひどい。びっこを引きながら、やっとの事でとなりに出かけて3階で検査ななんだが、係りの人の対応の悪いこと。看護婦が「腰痛で困っていらっしゃるので」と話しているにもかかわらず、腰をひねるのでさえとんでもない苦痛が走るというのに、せかすように、そして、機械的に右向け、左向け、ひっくり返って... ああぁ、お前もこの苦しみを味わって見ろ! と、そんな悪態もつきたくなった。

 痛みは変わらず。やっと読み始めた『ヒーリング・バックペイン』だが、今のところ、『腰痛は怒りである』よりも理路整然として、自分には理解しやすいという印象。さぁて、これでまたなにを学ぶことができるんだろう。楽しみだ。



投稿者 hanasan : 11:30 | コメント (0)

2006年11月08日

Happy & Artie Traum with 律とイサト +腰痛日記

Happy & Artie Traum 腰痛の状況は全く変わってはいない。左臀部の痛みは相変わらず。というか、若干ひどくなっているようにも思う。といっても、いつも痛いわけではなく、ある種の方向に体が動いたとき、あるいは、ある角度で腰に負担がかかったときに痛みが走るといった感じ。その痛さは並大抵のものではないんだが、歩いたりしているときにそれを感じることはない。というので、今日も歩く。今日は、先日ツアー初日の取材をした昔懐かしいハッピー&アーティ・トラウム(おそらく、正確にはトロムと発音するのではないかと思うが、昔はトラムと呼んでいた)の最終日ということで、彼らの奥さんがほしがっていた、初日の写真をDVD-Rに焼いて持って行った。

 コースは自宅の白金から外苑西通りを北上して西麻布から青山三丁目、信濃町、四谷三丁目、曙橋というコース。5時15分にうちを出て6時20分には会場となるバック・イン・タウンに着いていた。こうやって毎日歩くと、歩くことが全然苦ではなくなる。面白い。町の表情が変化していることもよくわかって、歩くこと自体が楽しくなってきた。

 ライヴは素晴らしかった。音に関していえば、初日の横浜サムズアップの方が遙かによかったけれど、楽しさという点ではこっちだろうな。会場は小さかったけど、一昨日に続いてソールドアウトで、当初、チケットが売れないという主催者のぼやきが嘘のようにいい雰囲気だ。といっても、お客さん達の年齢層は、おそらく50代が中心。いつものライヴでは自分が最も年寄りだと感じてしまうんだが、ここでは全然それがない。

ヒーリング・バックペイン 会場に入ってライヴが始まる前に楽屋に入れてもらって、彼らに写真を渡してあげたんだが、その楽屋にいたのが昔から大好きなミュージシャン、中川イサトや友人の翻訳家で今年、アメリカのテレビ・キャスター、ラリー・ケインが執筆したビートルズ 1964 - 65
マジカル・ヒストリー・ツアー
を出版した室矢憲治。そこに連れて行ってくれたのが昔からの仲間でハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルを手伝っている川村恭子。ここで昔話に話が咲いていた。70年代に彼らが来日したときにイサトの家を訪ねていたことや、当時のアルバムのこと。みんな、音楽が好きなのがよくわかる。詳しくは知らないんだが、おそらく、マッド・エイカーズとして来日した頃のことではないかと思うけど、話の流れでそう思っただけなので、確証はない。

 そのとき、いろいろと話をしたんだが、面白いことに、話題が腰痛に及ぶとアーティも読んでいたのが『サーノ博士のヒーリング・バックペイン—腰痛・肩こりの原因と治療』(当然、彼が読んでいるのはオリジナルの『Healing Back Pain: The Mind-Body Connection』で、前者は翻訳版です)という本。どうやら、彼も腰痛や肩こりで悩んでいるようで、指圧やマッサージの話なども出ていた。

律とイサト さて、ライヴの方なんだけど、途中休憩を挟んで始まったセカンド・セットが強力だった。まずは律とイサト(村上律と中川イサト)がゲストとして2曲披露。それから、ハッピー&アーティのステージとなるんだが、あまりに気持ちよくて途中でうとうとしてしまったんだが、うれしさのあまり興奮してしまったのが、彼らと一緒に律とイサトがステージに立ったとき。特に、ミシシッピー・ジョン・ハートへのオマージュとして作られたハッピー&アーティの名曲『ミシシッピー・ジョン』を演奏したときには、なんかジーンとしましたなぁ。なんでも、律とイサトが99年に発表したセカンド・アルバム(なんでも27年ぶりだったらしい)にこの曲が収録されていて、ハッピーとイサトが交互にヴォーカルをとりながら歌ったこれにはまいりました。実は、彼らにとっての最初のアルバムは持っているんだけど、こっちは知らなかった。いやぁ、素晴らしい。なにせ、自分にとっても、ミシシッピー・ジョン・ハートはギターだけではなく、音楽の神様のような人。『Last Sessions』なんて、涙なくしては聞けないし、彼が生きていて動いている映像が見ることができるDVD『Rainbow Quest』も宝物だ。そのジョン・ハートへの愛情と尊敬と感謝の気持ちを込めたこの曲を録音している二組のデュオが日本語と英語で一緒に歌っている光景は、それだけで感動ものです。

 加えて、ザ・バンドのベッシー・スミスとか...最後の名曲、「I Shall Be Released」なんてねぇ、どうしようもありません。ちょいと涙も感じつつ、懐かしさも感じながら、この会場を後にした。ああ、楽しかった。こんなライヴは久しぶりだなぁ。

 で、この日はカナダから日本に来ていた友人の友人で地元のラジオ局で日本のインディ系の音楽をずっと流し続けている人物と会うため、歩くことはなかった。まぁ、恵比寿で一杯飲んだ後は、もちろん、歩いて自宅に向かいましたけど。

 こんな忙しさもあり、『腰痛は『怒り』である』はまだ読み終わってはいない。ほぼ読み終えて、だいたいの流れは理解してきているんだけど。



投稿者 hanasan : 02:14 | コメント (0)

2006年09月21日

中山うりに脱帽です。

中山うり 9月17日に渋谷のクアトロでアサイラム・ストリート・スパンカーズの撮影をして、すでにそのレポートはSmashing Magにアップしているんだが、その日はまってしまったのは彼らではなく、前座として登場した中山うりだった。

 小柄な女性で、失礼な言い方かもしれないが、一見すると、どこにでもいるような普通の女の子。ところが、その彼女がアコーディオンを抱えてステージ中央に腰をかけ、生ギター、ウッドベース、そして、ドラムスというシンプルな構成ながらもつぼを押さえた演奏をするバックの音に乗せてひとたび歌いだすと、圧倒的な存在感を見せるのだ。ちょっと子供っぽい印象のある顔立ちの彼女から出てくるのは、なにもかもを悟ってしまったかのような大人の女を感じさせる声。乙女と母が同居しているかのような、その歌と歌詞の向こうからはどこかで懐かしい光景が鮮やかな色彩を持って浮かび上がる。けっしてなにかを訴えかけるというものではなく、どこかで情景を描きながら、その景色の向こうに見えるものをほんのりと浮かび上がらせてくれるといった感じだろう。それは色づき始めた頃の映画に近い。加えて、その歌からは優しく人間を見つめる彼女の視線を見て取ることができる。

 といって、それはあのライヴのあと、iTune Music Storeで発表されている曲を何度も聞いて思ったこと。その段階で「今週のシングル」として1曲が無料ダウンロードできたのだが、あまりの素晴らしさに結局、EPとして発表されている5曲を買ってしまうことになったのだ。なんでもこの時の値段が600円だったんだけど、それは、そのうち1曲が無料だったからで、現在は750円で出ている。

中山うり いずれにせよ、彼女の作品はCDとしてはまだ出ていないので、ある程度まともな音質で聴くとしたら、ここでしか買えないというのが現状のようだ。ただし、DLしたこれをiTuneでCDに焼いてステレオで聴いてもいい音に聞こえる。おそらく、プロデューサーの手腕なんだと思うが、ヴォーカルが前面に出てくっきりと聞こえるのが素晴らしい。なによりも、彼女の魅力がその声と歌にあることをよくわかっているんだろう。これほどくっきりと声が浮き上がるものってそれほどはないと思うのだ。というのも、バックの音で「歌の下手さ」をカバーしているのが最近のCD。まともには聞けない代物が多すぎるのだ。

 面白いのがマネージャーかぁ... あるいは、プロデューサーなのか、この時、10数年ぶりにS-Kenと会ったこと。その昔、友人が作っていたプレス・クラブというところで共同生活のようなことをしていた頃があり、その頃の仲間を介して彼と接触したことがあった。そんなことを思い出しながら、ちらりと彼と話をしたのだが、人間のつながりなんてそんなものだろう。どこかで必ず再開するのだということを思い知らされた。当時、PCM(プレス・クラブ・ミュージック)というのを設立して、最初にPILのキース・レヴィンの録音したアルバムを通信販売した記憶があるんだが、数百枚は売ったかなぁ。ひょっとしたら、今もうちにその現物があるかもしれないが、どこにそれがあるのかははっきりしない。

 そんな余談はともかく、チャンスがあったら、ぜひ聴いてください、この中山うり。自分にとって今年出会った日本人のミュージシャンではトップになります。衝撃でした。なんでも毎月1回、ワンマンでライヴをしているということで、Smashing Magの船橋君が書いたこの原稿に詳しくその情報が載っている。それを参考にして彼女を体験していただけたらと思います。けっして後悔はさせませんから。おそらく、この日だったら、スケジュールに問題がないので、また撮影で入らせてもらおうと狙っているので、これを読んだ人とそこで会えるかもしれません。

 なお、iTMSのバナーでは未だに中山うりのシングルが無料ダウンロードできると書いていますが、これは、自動的に新しいものに替わるはずのもの。すでに彼女の作品ではなくて、次の作品になっています。なんでこんなことになるのか、私にはわかりませんが、彼女の宣伝になるのなら、それでいいやと思って、そのままにしています。あしからずご了承を。



投稿者 hanasan : 15:52 | コメント (0)

2006年07月05日

Allen Tousaintのライヴでのこと

Allen Tousaint 詳しくはフォト・レポートにコメントを残しているので、ここでは繰り返さないが、急遽決定した来日に数多くの人が驚かされたアラン・トゥーサン。彼の人柄がにじみ出た素晴らしいライヴは、すでに自分の中で今年のトップ5にはいるだろうというほどのインパクトを残してくれた。

 といっても、それは、入れ替え制で行われた最初の公演で、2回目のは... 正直言って、かなりへこんだ。おそらく、その原因は「ゲストであるはずの」エルヴィス・コステロで、あの人のおかげでいい気分をぶちこわしにされたと言ってもいいだろう。噂では、コステロがアランと名前を連ねて発表したアルバムのプロモーションが目的で、急遽決定したのがアランのライヴ。だからこそ、タワー・レコードでの両者がそろったサイン会が開かれたり、品川のどこかで両者一緒のライヴが開かれたってことがあったんだろう。だから、今回「アラン・トゥーサン」のライヴに、おそらく、エルヴィス・コステロが顔を出すであろうことは、誰もが想像していたに違いない。

 が、当然ながら、このライヴは「アラン・トゥーサン」のライヴであり、両者の名前では打ち出されてはいない。ということは、わずかしかないチケットを必死の思いで入手したオーディエンスは彼を見に来たのであって、どれほど有名だろうが、スターだろうが、ゲストは「ゲスト」でしかないはずだ。が、この日の2回目の公演は、それを遙かに逸脱したものであり、はっきり言ってしまえば、アラン・トゥーサンに対して、あるいは、彼のファンに対して、実に失礼なものだったと思えるのだ。

 最初の3曲だけで終わってくれていたら... もう一度アランに声をかけられたときも1曲で終わってくれていたら、こんな気分にはならなかったんだろうけど、6曲か7曲だったと思う彼のステージは、どう考えてもやりすぎだ。お金を払って客としていっていたら、おそらく、文句のひとつぐらい言っただろうなぁ... と思う。

Allen Toussaint そのエルヴィスに対して、日本じゃ、おそらく、遙かに売れているだろう、中島美嘉の方が、この日は「美しかった」。といっても、正直言ってしまえば、この人のことはなにも知らない。どんな歌を歌っているのかも知らないし、この日までどんな顔をしているのかも知らなかった。一切出しゃばることもなく、(そうしたい気持ちはあったのかもしれないけど)そこにいただけ。加えて、アランがニューオリンズの生み出した天才、ルイ・アームストロングの名曲「ワンダフル・ワールド」を奏でながら、「美嘉は、本当に素晴らしい人間なんだ。彼女がどれだけのことを僕らにしてくれたか...」と語りかけていたシーンは、実に感動的だったし、実際、彼女は素晴らしい人なんだろうと思った。

 なんでもハリケーン・カトリーナの被害者へのチャリティとして『All Hands Together』という曲を、ニューオリンズのミュージシャンたちと録音したらしいんだが、その気持ちに僕は「音楽」を見たように思う。チャリティが偽善だとか、なんだとか言うのは簡単だ。が、なにもしようとしていない人たちに、そんな言葉を語る資格はない。それを確実に形にした中島美嘉にとってこの経験は、彼女のこれからにとてつもなく大きな意味を持ってくるんだろうと思う。

 そういえば、この日、なによりも感動したのはアラン・トゥーサンという人間の素晴らしさであり、だからこそああいった曲が生まれているんだという、単純な真実だと思う。だからこそ、「歌」が「歌」たり得るんだろう。『River in Reverse』(US import / 国内盤)というアルバムは、どう考えても、アランのアルバムじゃないだろう。それは、アランの面倒を見ている人物もはっきり口にしていたものだ。が、そのおまけで付いているDVDの中でアランはエルヴィスよりも遙かに重要だったし、あれを見れば、彼の偉大さや、歌の意味を再確認できる。だから、それを見るためだけでも、あのアルバムは手にしてほしいと思った。


投稿者 hanasan : 13:24 | コメント (0)

2006年06月15日

Rico Rodriguezが伝えてくれたスカの真髄

Rico Rodriguez なにを今更と思うかもしれないが、これはずっと書こうと思っていた。忙しすぎて時機を逸した観のある話題かもしれないが、今年前半で最も嬉しかったことのひとつがリコ・ロドリゲスの来日だった。スカの世界でオリジナルのひとりとして、ファンであれば、知らない人はいないだろう、巨人であり、伝説でもある人物だ。今回の来日で、飲みながら彼と話したときには34年生まれだと言っていたから、今年で72歳。けっこうな年齢なんだが、その演奏に衰えは見えなかった。

 面白いのは、この来日と前後して、自分のサイトを訪ねてくる人が増えたこと。アクセスログを見ると、やたらと「Rico」だとか、「リコ・ロドリゲス」といったキーワードが目立つのだ。よく読まれていたのはこのページで、これを今読み返すと、また、なかなか面白い。自分でも忘れていたことに気がついたり... あの頃、いっこうに再発される気配のなかったリコの名作、『Man From Wareika』も見事に再発されて、そこには、当時、スカ・フレイムスのメンバーだったトロンボーンのナベちゃんの家で初めて聞いた『スター・ウォーズ』のテーマのレゲエ・ヴァージョン『スカ・ウォーズ』もボーナス・トラックとして収録されているのだ。

Rico Rodriguez 一方で、当時発売されていたリコのアルバムで、『Roots to the Bone』は、すでに入手不能になっているようだ。これは、前述の『Man From Wareika』に、完成していながら、リコがその発売元のアイランド・レコードのボス、クリス・ブラックウェルと大げんかして発表されることがなかったという幻のアルバム『Midnight in Ethiopia』を合体させたような作品なんだが、好き者の筆者はこのアルバムを2枚も購入して大切に保管している。手に入らなくなるのはわかっていたし、単純に好きだったから、「なくした時のためにもう1枚」買ってしまったというのが... 笑える。ホント、おめでたい馬鹿者です、私って。蛇足だが、『Man From Wareika』のアナログについても、アメリカのブルーノート・レーベルから発表されたものと、最近、アメリカで復刻されたオリジナルのレプリカ的なアナログも買ってしまった。これでまた、馬鹿者に拍車をかけてしまったわけだ。

 で、あのページに書いていたことなんだけど、99年の来日時に、リコが全くソロを取らなかったことについて触れているんだが、それはバックのバンドがあまりに未熟だったことが理由だ。当時、リコがひとりで来日し、日本でバックのバンドをつけてのツアーということになったんだが、あのライヴは複雑な思いで受け取ったものだ。ライヴのあと、小玉さんと、当時、デタミネーションズのギターだったヒトシ君と飲みながら、いろいろなことを話している。優しい小玉さんは「それでも日本に連れてきてくれたことだけで、喜ばないといけないよぉ」と、語っていたし、一方で、自分は、それはわかるけど、悔しいなぁと文句を言っていたものだ。

Rico Rodriguez その結果が3年後のフジ・ロック・フェスティヴァルとなるのだ。その時のことはここに書いているんだが、あれは嬉しかった。99年の来日以来、「絶対にリコを彼のバンドと一緒に日本に呼ぶんだ」という夢がここで叶っている。しかも、この日はデタミネーションズもでているし、スカ・フレイムスもいた。その後にリコのバンドがでて、続いたのがスキャタライツと、スカからロック・ステディ、レゲエ・ファンにとって至福の1日をフジ・ロックで経験できたことになる。

 残念ながら、スキャタライツが演奏していたときは、レッド・マーキーで20年来の友人、ビリー・ブラッグが演奏していたこともあり、リコやタンタン、マイケル・バミー・ローズ、トニー・ユタが加わってしまったジャマイカン・オール・スターズ的なセッションは見逃すことになったのだが、未だにこのときの話がスカ・ファンに語り継がれていることを考えると、とんでもない光景だったことは容易に想像できる。あぁ、うらやましい。

 今回の来日はそのとき以来で、当然ながら、99年の悪夢が頭をかすめていた。すでに自己のバンドがない状態となっているとのことで、フジ・ロックのような演奏は望めないだろうことは十分想定できた。なにせ、あのときにはタンタンも、マイケル・バミー・ローズも、トニー・ユタもいた。そのそれぞれがとんでもないキャリアと才能の持ち主であり、長年にわたって培ってきたコンビネーションも、ほかの誰とも比較できないだろう。しかも、申し訳ないが、日本で彼を迎えるバンド、クール・ワイズ・メンのことは、名前しか耳にしたことはなかったし、彼らがどの程度の力量を持っているのか、想像もつかなかった。だから、今回の招聘元となった友人には「頼むから、力量のないバンドと組み合わせるのだけは止めてほしいし、そんなことしかできないのであれば、来日させないでくれ」とまで言っていたものだ。

Rico Rodriguez そして、来日。まずはスカ・フレイムスが主催するダウン・ビート・ルーラーで、彼らをバックに軽くジャブを出したって感じかなぁ。っても、このときには、タイミング良く来日していたスカ・クバーノの飛び入りもあったということで、そのメンバー、タンタンとリコのコンビネーション・プレイが見られたのは幸せだった。といっても、「リコを見た」という程度で、ずいぶん昔にジャズ・ジャマイカが来日した時、偶然名古屋で実現した時のセッションと比較できるようなものはなにもなかった。といっても、このときのリコとスカ・フレイムスのコンビネーションのすさまじさといったら... おそらく、人生で二度と味わえないほどの、文字通り、背筋がゾッとするような瞬間を体験している。なにがそうさせたのかはわからないが、あれこそがリコの神髄ではなかったかと思う。

 そして、始まったリコとクール・ワイズ・メンのツアーだが、初日は仕事の都合で見ることができず、結局、大阪に飛ぶことになる。そこで撮影した時のレポートがこれなんだが、なにやら最後の来日で見たローランド・アルフォンソのように、リコがにこにこしているのばかりが目立っていた。その一方で、バンドの方を見ると、みんなガチガチでまるで余裕がない。っても、当然だろう、なにせ、彼らが相手にしているのは「伝説」なのだ。それはそれで仕方がない。もちろん、「楽しみなさい」なんて言ったところで、無理に決まっているんだろうけど、それにしても堅すぎるのだ。賢明にいい雰囲気を作り出そうとしてるペットとベースを除けば、ほかのメンバーたちが、カッチンコッチンになっているのが、妙におかしかった。

 でも、その一方でリコが演奏を楽しんでいるのがわかる。特に、歌がいい。以前は1曲か2曲歌えばいい方だったのに、このときのライヴでは5曲ほども歌っただろうか。そんな彼の歌に対するオーディエンスの反応に、また、リコが嬉しそうな顔をしているのだ。そうすると、こっちまで嬉しくなってしまう。その繰り返しだったように思える。

Rico Rodriguez それに、リコは厳しく、優しかった。曲の流れ、メンバーの力量、次になにがほしいのか、来ればいいのかを直感し、ソロを要求する。メンバーの方を見て、「来い、もっと、来い」という指示を出し、それに対応するのがメンバーたち。あの光景が99年の来日を思い出させるのだが、このクール・ワイズ・メンはあのときのバンドよりも遙かに力量があったんだろう、彼らはリコから毎回いろいろなものを吸収していたようだ。大阪よりも、翌日の名古屋の方が遙かにレスポンスが良くなっていた。それに、写真を見れば一目瞭然なんだが、バンドの表情が全く違っているのが面白い。なんだか、「そうなんだ、リラックスして、楽しく、音楽に身を任せばいいんだ」というのがわかったかのような雰囲気を見せていたのが名古屋。おそらく、余裕なんぞ全然なかったんだろうけど、リコが演奏しているスカやレゲエが、いったいどういったところから生まれ、「なぜ彼が素晴らしのか」がこの経験を通じて、彼らに伝わったんじゃないだろうかとも思えたものだ。

 以前から、リコ自身も語っているんだが、音楽は湧き出てくるもの。レコーディングも全て一発録りなのだ。あの名作、『Man From Wareika』のことを聞いたときも、「俺はなぁ、一回しか演奏していないから」と語っていた。ちょうどジャズがそうであるように、同じ演奏は二度とできないし、する必要もなければ、しようとすることもない。それが音楽なのであり、それが彼にとってのスカやレゲエなのだ。だから、「俺たちはオーセンティックなスカを演奏しています」というバンドだって、リハーサルで繰り返したものをステージで演奏するだけではスカでもレゲエでもなんでもない。ただのコピー。練習の成果をステージで見せるだけで、「スカをやっています」なんて言われると、「あんた達、スカがなにかって、全然理解してないじゃん」と思ってしまうのだ。実際、そんな、あるいは、その程度のバンドが多すぎるのだ。

 そんな意味で言えば、クール・ワイズ・メンというバンドにとって、ひょっとすると、そんな「本当のスカ」に開眼できたのがリコとの演奏ではなかったんだろうかと思う。っても、リコとの最後のライヴとなった東京での演奏以来、彼らのライヴは見てはないんだが、彼らの演奏が変わったといった噂も耳にしている。

Rico Rodriguez ちなみに、リコが今回のライヴで「よく歌っていた」ことに驚かされたんだが、その話をすると、実は、そのきっかけを作ったのが自分だったと言われたのが嬉しかった。95年頃にリコが発表した『Wonderful World』 (現在はRico's Messageというタイトルで、ほぼ同内容のものがアメリカやヨーロッパで発表されている)をレコーディングする前、ポートベロのパブで彼にいろいろなアイデアを話したんだが、そのひとつが「Wondeful World」を歌ってみたらどうだろうというものだった。昔から歌は大好きだったんだが、レコーディングしようとまでは思ってはいなかったようで、これをきっかけにどんどん歌うようになっていったんだとか。その話を聞いた時には、やっぱ、嬉しかったね。

 といっても、あのパブで話したカバー楽曲については「Wnderful World」を除けば、単純にアイデアとして出しただけなのに、結局、全曲録音している。オスカー・ブラウン・ジュニアで有名な『Work Song』に、最も人気あるスタンダードの名曲、スターダストやオーヴァー・ザ・レインボーがそれで... まさかあの時話した曲を全部録音するとは思わなかった。加えて、ジャケットの写真も撮影できて、「俺は写真で笑ったことがない」というリコの、これ以上はないと思えるほどの笑顔を焼き付けることができたのが、自分にとっての勲章のように思える。このアルバムがどういった評価を獲得しているのかわからないが、自分にとっては『Man From Wareika』以降のリコのピークを捕らえた傑作の1枚であり、できることならば、いつか、また、あの写真を使った「オリジナル」の形で再発売させたいと思っている。


投稿者 hanasan : 18:07 | コメント (0)

2006年06月11日

Ben Harper再び

Ben Harper 2年ぶりの日本ツアーとなったベン・ハーパーを追いかけて、初日の横浜から翌日の東京、それから福岡に飛んで広島、大阪、名古屋、そして、最終の東京と全公演7箇所でライヴ撮影をした。交通費や宿泊費など、けっこうな散財だったし、このツアーに合わせるような形で、新しいカメラ、Nikon D200も購入するなど、経済的にはかなりつらかったようにも思うけど、彼らかもライヴからも吸収できたものは大きかった。

 ライヴについては文句なし。というか、見るたびにベンが大きくなっていくのがわかる。前回の来日では、おそらく、ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマとのプロジェクト、『There will be a light』(US import / 国内盤CCCD)やその結果生まれたライヴ・アルバム、『Live at the Apollo』(US import / 国内盤 (CCCD))の流れなんだろう、ゴスペルに根ざしたヴォーカルのスタイルを見事に吸収した「Where Could I Go」に卒倒するほどの魅力を感じていた。記録を見ると、最初にこの曲を歌ったのは'04年の5月で、初めてこれを見たのはロンドンでのライヴ。一月ほど後、フジ・ロックでの演奏を見て、マネージャーに「また、ベンはとんでもないところまでいっちゃったね」なんて言葉を交わしたものだ。

 そして、それから2年となるのが今回のツアー。また、同じように新しい成長の跡を見るのだが、それが「ロック」だった。ベンを語るときに、ブルースであったり、ソウルやファンク、レゲエといった、ルーツィな要素が多く語られるんだが、今回はストーンズあたりのロックにも通じるものを多分に感じたし、「ロック」していたという言い方がそんな様子を表すのに最適の言葉のように思える。

Ben Harper 今回のツアーを前にして発表されたのがこのアルバム『Both Side of the Gun』(US import / 国内盤CCCD)なんだが、実をいうと、これをそんなに聞いていたわけではなかった。嬉しいことにサンプルが届けられてはいたんだが、国内盤はCCCDという代物で、以前これで痛い目にあっているので、なかなか聞くのに勇気がいるというのが理由かなぁ。まぁ、いろいろと試行錯誤をしてここからサウンド・ファイルを吸い込んで、なんとかiPodで聞けるまでにはしたんだが、じっくり聞き始めたのは今回のツアーが始まってからだった。

 面白いのは、「そういった状況なのに」ライヴで演奏されたこのアルバムからの曲に全然違和感も感じなかったことかなぁ。たいてい好きなアーティストとなると、自分の知っている曲やヒットしたものなんかを期待してしまうのに、新しい曲が「ずっとそこにあった」かのように聞こえていたのが、ベン・ハーパーという特異なアーティストの魅力なのではないかと再認識することになるのだ。聴きたい曲はいっぱいあるけど、なによりもベン・ハーパーという人の世界を体験したい... と、そんな感覚の方が大きいんだろう。

 それに、半端じゃない数のライヴをこなしているのがこのバンド。今回のツアーが終わって1週間ほど休憩したら、今度はヨーロッパだというし、なにやら年内はツアーに明け暮れるようだ。しかも、ここ数年、彼らはそんな生活をずっと続けているように思うんだが、そういったなかでいつだってオーディエンスを飲み込んでしまうようなパワーやエネルギーを培ってきているんだと思う。実際、今回のツアーはどの公演も素晴らしかった。毎回期待以上の興奮や感動を与えてくれるし、オーディエンスを裏切ることは全くなかった。それでも、特に素晴らしかったのは名古屋。終電の新幹線で帰京することもあり、「最後の曲」だと思っていた「Better Way」を撮影してから大急ぎで会場を後にしたんだが、なんと、この後も1曲演奏して大盛り上がりだったとか。名古屋を除けば、どの会場でも締めの曲が「Better Way」だったことを考えると、名古屋のオーディエンスとバンドの波長が合わさってなにかが生まれたんだろう。この話を後で知って、実に悔しい思いをしたものだ。

Ben Harper っても、決してほかのライヴが見劣りするなんてことはなかった。どこだったか覚えてはいないけど、ベンを見ながら、涙を流していた女の子が目に入ったこともあったし、自分自身、アコースティック・セットでは撮影を止めて彼の歌に聴き入ることも多かった。

 ツアーそのものだけではなく、一緒に広島で原爆資料館に行ったこともいい経験だった。いろんなミュージシャンにここを訪ねてほしいと思っているんだが、広島入りしたメンバーが全て「絶対に原爆資料館に行くんだ」といっていたのがこのバンドらしい。ここでもベンは展示されているものの説明を全て読みながら、音声ガイドをも全て聞きながら最も時間をかけて歩いていた。というか、そのペースがあまりに遅くて、みんな、けっこうあきれてしまったんだが... このときも、ベンには広島だけではなく、長崎もあれば、沖縄もあること。東京大空襲で10万人の市民が虐殺されたことなども話していた。そして、今、日本が極度に右傾化して、憲法が潰されようとしていることなど... このとき話していて思ったんだが、「国家なんてくそ食らえ」という思いについて、自分と彼の間に共通していることを発見できて嬉しかったものだ。

 興味深いんだが、新幹線に遅れるかもしれないというのに、出かけていったのが原爆ドーム。ここで、彼が95年に来日したときに知り合ったという友人と再会することになる。あの地震で家が全壊したと話していた彼と、あのとき、神戸の地震の話をベンにして、結局、ベンが実際に神戸に行ってしまったことなどを考えると、なにやら象徴的な偶然がここであったことになる。

 それから数日後、東京の最終公演を終えて、打ち上げのパーティでのこと、ベンがこう言ってくれたのが嬉しかった。

「お前はどう思っているか知らないけど、お前の影響が大きいんだよ。神戸のこと...それ以外にも、お前が知らせてくれたことで、自分の社会的な問題や政治的なことについて大きな影響を受けているんだ」

 さて、これなんぞ、額面通りに受け止めていいかどうかわからないし、今回初めて会ったときにも「日本に来て最初に思ったのが、お前のことだった」なんて、お世辞にしか思えないんだが、それでも嬉しいものだ。自分が彼に影響を受けているように、彼もどこかで自分の影響を受けているとしたら、それこそ素晴らしい人間と人間との関係だと思う。おそらく、彼とはこれからも長いつきあいとなるんだろうけど、久しぶりにじっくりと彼とのインタヴューでもするべき時期に来たのかもしれないなぁ...なんて思っている。

 いずれにせよ、実に濃い10日ぐらいを過ごせたことに感謝。でも、これから数千枚の写真をセレクトしてレポートを作らなければいけないと思うと、ゾッとしますが。


投稿者 hanasan : 16:09 | コメント (0)

2006年05月26日

Ben Harper、また、追いかけます。

Ben Harper 初めてライヴを見て、インタヴューをした94年の暮れから、自分にとって最も大切なアーティストのひとりがベン・ハーパー。まぁ、簡単に言ってしまえば、大ファンだということですな。といっても、ディテールを全て覚えるとか、そういった感じじゃないんだが、なにかことあるごとに、彼のライヴを見ていて、写真を撮影している。

 これは2年前のロンドンでのライヴなんだが、毎回のように写真を撮影していることもあり、この日のみならず、昨年のフジ・ロックや一昨年の日本ツアー、そして、ロンドンのライヴ、グラストンバリーも「好きに撮影していいよ」と、ステージの上まで出ていって、彼のみならず、メンバーをも含めて素晴らしい写真を撮影することができた。なかでも好きな写真がこれで、A1のサイズにプリントした作品を、中目黒の行きつけの店、バード・ソング・カフェの壁に飾っている。ただ、奇妙なことに、自分の撮影した彼の写真で好きなのが、いつも後ろ姿だというのが可笑しい。

 そのベンがまた来日する。今回は、いつもよりも長めのツアーで6月2日の横浜ブリッツを皮切りに、3日がゼップ東京、5日が福岡のドラム・ロゴス、6日が広島のクアトロ、7日が大阪の難波ハッチ、9日が名古屋のダイアモンドホール、そして、10日が最後の新木場スタジオ・コーストとなっている。できれば、全公演の撮影をしたくて、今、マネージャーと交渉中といったところ。さて、どうなるんだろう。

Ben Harper 少なくとも福岡、広島あたりは撮影したいし、大阪と名古屋もやりたいなぁ...と思っているんだが、どうなることやら。実際、誰も金を出してくれるわけでもなく、全部自費であるのは当然。そうなると、かなりの出費になる。なんのためにこんなことをするのか?アホですけど、単純に撮影したいから。単純に好きなアーティストのベストの瞬間を切り取って、それを彼の音楽が好きな人に見せたいから。それだけのことだ。

 そのベンの最新作は『Both Sides of The Gun』(US import / 国内盤CCCD)という2枚組。これはレコード会社が届けてくれたんだが、例によってCCCDは大嫌いだし、以前、これでCDプレイヤーが壊れてしまったことがある。おかげで、CDが中に入ったままで廃棄処分と来た。というので、頭を抱えた。

 といっても、なんとかiPodで聴きたいと思っていろいろやってみた。そうすると、2枚組の片方はコンピュータ(MacOSX)では認識するんだが、もう1枚が認識されない。結局、どうしたかというと、OS9とOSXを行ったり来たりしながら、なんとかサウンド・ファイルをリップして、それをiTuneで読み込んで.... さらに、そのままではトラック名などが出てこないから、手書きで入れて... と、なんで、こんなことをしなければいけないんだろうと思いながら、とりあえずはiPodで聴いているんだが、こんなことだったら、端っからアメ盤を買っていればよかった。

Ben Harper & the Blind Boys of Alabama さて、このアルバム、なにかを書けるほどには聞き込んではない。だから、ノー・コメント。いずれにせよ、自分にとってベン・ハーパーはライヴの人であり、ライヴを見るたびに、なにか新しい発見をして、彼の成長を見ることができる。前回のフジ・ロックやグラストでもそれを思った。ん?こんなところまで来ちゃったの?と、思ったものだ。おそらく、それは、彼がブラインド・ボーイズと一緒に録音したり、ライヴをやったことから来ていたんだろうけど、あのアルバム、『There Will Be a Light』も素晴らしかったけど、DVDの『Live at the Apollo』(国内盤 / US import)がすごかった。しかも、このライヴの後、ブラインド・ボーイズのメンバーが他界することになるのだが、それを知ってこの映像を見るとやはりなにか特別なものを感じるのだ。そのくだりはこちらに書いているので、チェックしていただければ幸いだ。

 と、そんなこんなでもうすぐ来日。いい写真を撮るぞ!


投稿者 hanasan : 03:36 | コメント (0)

2006年04月09日

バンダ・バソッティは、やっぱ、最強のライヴ・バンド

Banda Bassotti イタリアに飛んできたのが3月の28日。その翌日には早速バンダ・バソッティと一緒にフィレンツェの小屋、Flogに移動して、今回初めての撮影となる。

 ここはすでにブラフマンとやったときにも来ているし、ドーベルマンとも一緒だった。といっても、前回も、前々回もストリート・ビート・フェスティヴァルというタイトルの下、二つか三つのバンドと一緒にまわってるんだが、今回はいろいろな問題でバンダ・バソッティ単独のツアーという形になっている。まぁ、その問題は彼らが唯一、確実に金を稼げる会場、ローマのヴィラジオ・グローバーレで、ライヴができるかどうか、不確実な状況になっていたからだ。

 不法占拠から始まってコミュニティ・センター化している場所が「セントロ・ソシアル」と呼ばれていて、それが全イタリアに150箇所ぐらいあるんだが、その最大のものがローマのヴィラジオ・グローバーレ。ここにはバーやクラブから職業訓練センターからいろいろなものがあるんだけど、大型のライヴ会場としても使われていた。ところが、数ヶ月前に設置してあった大型のテント、おそらく、5〜6千人は収容できるそれを警察が取り壊したというのだ。そのあとには大型のショッピング・センターができるという噂を聞いているんだが、以前テントがあった場所は立ち入り禁止になっている。

 結局、ここにまたテントをぶちたてて、ライヴをしてしまうことになるんだが、それは後に報告するとして、まずは今回の撮影初日となったフィレンツェでのライヴ。相変わらずといえば、そうなんだけど、彼らのライヴを見ていると「音楽」の意味を再確認させられるというか... 政治的にラディカルであるという言い方はあまりに貧弱なんだが、要するに、生活する一般の、普通の人たちの気持ちがそのまま歌になっていったら、社会的で政治的なものになってしまったということ。でも、同時に、自分たちが闘う意志として音楽を作り、歌い、普通に仕事もしているというバンドがバンダ・バソッティ。だからなんだろうなぁ、会場に行くと、はっきり言って、ほぼ全員が彼らと一緒に大声を出して歌うんですよ。ほぼ最初から最後まで。当然のように、興奮の度合いが高まる後半になると、まるで嵐のような騒ぎになって、オーディエンスが波のようになってステージに襲いかかるって感覚かしら。これを目の当たりにすると、並のロックのライヴなんて全く興味がなくなってしまうように、とてつもない迫力なのよ。

Banda Bassotti 今回も、それを感じました。初日から、とてつもなく感じました。そりゃぁ、そんなバンドがいろいろいるんだろうけどさ。オアシスだって、みんな歌うじゃない。でもね、バンダ・バソッティのオーディエンスは桁違いにうるさいよ。しかも、歌の意味をわかって歌ってるから。ただ、自分たちに言い聞かせるためだけじゃなくて、ほかの連中に大声で伝えるため。だから、ぶっ飛ばされるんだよね。

 まぁ、チャンスがあったらヨーロッパで彼らを見てくださいよ。ドイツでも、スペインでも、フランスでも... どこでも彼らの人気... じゃなくて、オーディエンスの熱狂ぶりは保証付きだから。ベルリンで見たときもそうだったし、日本でかなり人気の出てきているFloging Molly(だっけ)もバンダ・バソッティにはぞっこんらしいから。

 ということで、とりあえずは、初日の話しね。


投稿者 hanasan : 14:10 | コメント (0)

2006年03月15日

33年ぶりの仲間や歌にボロボロ

斉藤哲夫 13日と14日、新宿ロフトに行った。ここで『春二番』というイヴェントが開かれていて、出演したのは加川良と斉藤哲夫、センチメンタル・シティ・ロマンスあたりが初日で、2日目は中川イサトに大塚まさじといったところ。いわば、自分が高校生だった頃、最も影響を受けた音楽。おそらく、自分の人生を変えてしまったといってもいいミュージシャン達が集まっていたのがその理由だ。本当は、取材する人間として会場に行って撮影をしたかったんだが、残念ながら、撮影許可は下りなかった... まぁ、かなり悔しかったけど、自分が作っているSmashing Magが、まだまだ大きな力を持つ媒体に育っていないことが理由なんだろう。1日平均で8000人の人々がここを見に来ていても、まだ未熟なのだ。

 おかげで、写真を撮るために走り回ることもなく、逆にじっくりと歌を聴くことができた。それはよかったなぁ。二日ともちょっと遅れて会場に入ったんだけど、初日は久しぶり... といっても、去年のハイド・パーク・ミュージック・フェスティヴァルで聴いたセンチメンタル・シティ・ロマンスの「雨はいつか」って曲が染みたなぁ。今じゃセルフカバーで作った『30 years young』や初期のアルバムがわずかに入手可能だけど、自分が大好きだったのは、この「雨はいつか」が収録された『シティ・マジック』という作品。通称、センチには、本当にいい曲が多いなぁとつくづく思う。そのセンチをバックに『グッドタイム・ミュージック』を、斉藤哲夫が歌ったんだが、その前に彼の娘のキーボードとをバックに歌った『悩み多き者よ』(デビュー・アルバム『君は英雄なんかじゃない』に収録)にたたきのめされるのだ。これを初めて聞いたのはまだ中学生じゃなかったかなぁ。あの時以上にこの歌が染みる。おそらく、この曲を書いた時、彼はまだ20代そこそこじゃなかったかと思うし、下手をしたら10代だったのかもしれない。でも、圧倒的な歌の響きは、あれから30数年が過ぎても全く変わることはない。名曲だというのは簡単だけど、その曲を今も新鮮なものとして歌える斉藤哲夫って、すごい人だなぁとしみじみと思った。

加川良 実をいえば、中学生の頃かなぁ、最も好きだったのが加川良で、特に最初の3枚のアルバムはよく聴いた。『教訓』と、『親愛なるQに捧ぐ』、そして、『やぁ』という流れなんだけど、さすがにこの頃のものは1曲しか歌っていなかったんじゃないかな。なんか今の加川良はちょっと重すぎるというか、ナルシズムみたいで、すんなりとは受け入れられなかった。別に嫌じゃないけど... なになんだろうね、この感覚は。ただ、彼のバックでスライドを引いていた名古屋の杉野のぶ(という風に聞こえた)って、すごいなぁ。なんか、全盛期の(今もそうかぁ?)デヴィッド・リンドレーを思い出してしまった。(なんか、この人のアルバムって、今じゃ全然みつかりませんけど)

 そして、二日目は中川イサトが演奏している時に会場に入った。数年前に横浜ジャズ・プロムナードで見ているんだけど、この人のギターはとんでもなく素晴らしい。でも、この日はギターよりも、歌だった。しかも、カバーが多かったように思うけど、オリジナルは僕が入る前にやったのかなぁ。ザ・バンドの「ウエイト」なんて、きちんと日本語で歌っているのがよかったなぁ。ホントはね、イサトさんの歌って、そっと染みるんだよね。自分のなかでは『お茶の時間』や村上律とのデュオで作った『律とイサト』が大傑作。「あ〜、嫁さんが欲しい」と歌っていた、あの曲なんてほろっとしながら、同時に笑いながら、聴いてましたもの。あの時は大学生かなぁ... でも、今あれを聴くと、あまりに自分にピッタリなのが面白い... ようで、実は笑えないかもしれないけど。

大塚まさじ 大塚ちゃんはディラン・セカンドのころの曲も歌ってくれたなぁ。「ガムを噛んで」(『second』)や「サーカスにはピエロが」(『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』)といった名曲。っても、このあたりの曲を聴いていても、どうしても僕には西岡恭蔵が目に浮かんでしまう。だってね、彼が自殺した時には、1日中『ディランにて』を聴いて、泣いてましたから。

 でも、大塚まさじの魅力を最も感じたのは『風が吹いていた』とか、『遠い昔僕は』といった時代。トム・ウェイツに惚れ込んで、その憧憬がそのまま歌になった「まだ会わぬ友(トム・ウエイツに)」って曲も好きだったなぁ。あの頃の曲も歌ったように思うけど、はっきりしない。

 この日、なによりも嬉しかったのは彼のバックで演奏していた長田たこやきと、久しぶりに言葉を交わしたことかもしれない。彼とは高校生時代にディランでよく会っていた、仲間のようなもので、実をいえば、30年ぶりぐらいに顔を合わせて... 「覚えてる?」と聞き始めたら、「ひさしぶりやん!」と帰ってきたのが面白かった。そうかぁ、俺は、あの頃から全然変わってないのか... 嬉しいような、悲しいような、かなり複雑な感覚だけど。

 それに、あの頃手伝っていた春一番の主、福岡風太氏と少し話したことも嬉しかったな。正直、自分の人生を変えた人間のひとりだから。最初彼は自分のことを思い出せなかったようだけど、ちょっと話をしていたら思い出してくれた。嬉しいものだ。しかも、「昔となんも変わらんでぇ」と今も元気に貧乏生活をしているとのこと。自分も同じですわ。

 そういえば、ついに、72年の『春一番の幻の10枚組』がCDとして発表されるという話を聞いた。嬉しい。このことをこれまで何度書いたことか... 値段は高いけど、絶対に買います。なにせ、高校生の頃、このアルバムに収められているはちみつぱいを繰り返し聞いていたのが、あのディラン。これには自分の思い出がいっぱいつまっている。一時は10数万をだす覚悟でオークションにトライしたこともある作品だ。買わずにいられるかぁ!

 といいながら、これから成田。間に合うかなぁ。


投稿者 hanasan : 09:34 | コメント (0)

2006年02月22日

ソウルでオアシス

Oasis 20日にソウルに向かった。今回は、友人であるソウルのプロモーターに「オアシス見に来ない?」と誘われて出かけていったんだが、正直なところ、オアシスにそれほど魅力を感じているわけではなく、「ソウルでオアシス」という状況にそそられたというのが正しい。日本からフライトで2時間あまり。距離的には東京から福岡へ飛ぶのとほとんど変わらない場所にあるというのに、今回、オアシスが韓国で演奏するのは初めて。日本へ何度も彼らがやってきていることを考えると、そのギャップに驚かされる。なんでこんなに大きな違いがでているのか... そんなことをも含めて、韓国だけではなく、日本をももっと理解するためにも出かけてみようと思ったのだ。

 これまで何度もソウルに飛んで、彼らのなかでのロック文化が日本よりも遙かに小さいことは知っていた。CDセールスでロックは10%にも及ばず、ソウル以外にはほとんど、日本で言うところのライブハウスが存在しないこと。ソウルでも、ライヴの環境という意味で言えば、下北沢よりも規模は小さい... 彼らにいわせると、まだまだロックという文化が市民権を獲得していないというのが正しいんだろう。といっても、日本だってロックが大ヒットしたことってあるのかなぁとも思う。"カルメン・マキ&OZ"が初めて10万枚を越えるセールスを記録して、可能性を感じさせたのが70年代半ば。それから30年だが、自分自身が「ロック」と思えるものが大ヒットしたことってあるのかなぁと思い返せば、そんなことは全然なかった。それに、ロックだのポップスだのといっても、その定義も曖昧で、どこかで違いがわからないのだ。というか、ないんだよね、そんなもの。問題は「産業」あるいは、「商品」としての音楽とそうでないものとの微妙な違い。それにしても、音楽なんぞ受け取る側でなんとでも映る。所詮はビジネスの餌食になるというのが否定できない一方で、「彼ら」のビジネスではなく、「自分たち」のビジネスとなる音楽を成長させることの重要さも考えないといけないんだろう。っても、難しいなぁ。いずれにせよ、ビジネスのための音楽ではなく、音楽のためのビジネスというシステムを成立させることが重要んじゃないかな。もちろん、それが「書く意味」を持つのかどうかは、また別のテーマとなりますが。

 ともかく、ロックが大きな意味で市民権を獲得していないと思われる、その一方で、そうしようとしている人たちといっぱい出会ってきたソウルでのオアシスに興味があった。そして、「待ちに待った」韓国のロック・ファン、オアシス・ファンの感極まった表情に釣られてシャッターを切ったのが頭の写真だ。これは、バンドがステージに出てきたその瞬間のショット。最前列にいた子供達なんだけど、彼の仕合わせそうなこと。これだけでも、ここにいた意味が自分にはあるように思える。っても、誓約書を書いているので、オアシスの写真はここでは使えないので、それはSmashing Magでチェックしてくださいませ。上の写真をクリックすれば、飛べるようにしているので。

Biuret この日、前座として登場したのがビウレットという韓国のインディ・バンドだった。といっても、正直言って、初めての韓国での撮影っていうことに、ちょっとした緊張感があったからなんだろうな、このバンドがどんな演奏をしたかということが記憶から完全にぶっ飛んでいる。「なかなかいいじゃないか、このバンド」って感じだけは覚えているんだけどね。リード・ヴォーカルの女の子がかっこよかったことだとか、ギターの男の子(女みたいにも見えたんですけど)がTレックスのマーク・ボランにでも影響を受けているのかなぁ... なんてことを思ってみたり... それに、韓国のバンドって女のミュージシャンが多いんだろうって思ってもいた。それと、アバの「ダンシング・クイーン」をカバーして、なんかの曲の導入部として使っていたこととがおかしかったり... それと、さすがに気にしなくてはいけなかったんだろう、幾度となく「オアシス」という言葉が彼らからの口からでていたことも。そりゃぁそうだろ。初の韓国公演で観客の期待値がピークに達している前で演奏しているのだ。そんな場所で彼らが演奏することのプレッシャーといったら、並大抵のものではなかったはずだ。そんなことを考えたら、よくやったんじゃないかなぁと思う。

 で、オアシスなんだけど、いろんな悪い噂を聞いていたから、ヴォーカルのリアムが途中でステージをほっぽり出して、どこかに行ってしまわないだろうか... と、そんなハプニングが起きはしないかと想像もしていたんだけど、けっこう、上機嫌で、いい感じでステージが進行していったって感じかしら。オーディエンスからは、リアムよりも、ノエルに対する声の方が目立ったほどで、韓国ではノエルの方が人気があるのかなぁと思ってみたり。

 おそらく、どこの国でもそうなんだろうけど、バンドと一緒のほぼ全曲を大声で歌っていたのがオーディエンス。そんな光景を見ていると、日本も韓国もなにも変わらないじゃないかと思った。会場はオリンピック公園のなかにあるオリンピック・ホールというところで、会場のキャパシティは5500。当然のように、完全にソールド・アウトで、確か、2日間ぐらいで売り切れたのではなかったかと思う。その後、少しスペースを作って若干の追加チケットを売りだしているはずだけど、それも、当然のようにすぐになくなったとか。

 オアシスのメンバーは、みんな嬉しそうに演奏していた... と、見えた。特にノエルはオーディエンスのコーラスを誘ったりとサービス精神いっぱいで、それに一体となって応えていたのがオーディエンス。そんな意味で言ったら、いいライヴだったと思う。

「これからはもっと韓国に来るようにするから。少なくともあと12年のうちには」

 と、ノエルが言っていたんだけど、これは、韓国に彼らがやってくるまでにデビュー以来の年月が過ぎていることに対する皮肉も込めている。といっても、韓国で本当の意味で自由に音楽が演奏できるようになったのは95年のこと。それまでは強力な検閲のために「国家が認めたもの」しか発表できなかった(はずだ)という事情がある。おそらく、オアシスはそんなことも知らないんだろ。その当時には、検閲も緩やかになっていたらしいが、それだったとしても、「検閲」があるということだけでも、韓国の音楽の現場は我々の70年代や80年代とは遙かに違うのだ。行く先々の国の歴史なんぞ、勉強しようとは思わないだろうけど、誰か、彼らに近い人がいたら、そういったことも知らせてあげるべきだろうし、僕らもそういったことを学ばなければいけないんだろうなぁと思う。特に、韓国はすぐ隣の国。歴史には学べることがいっぱいあるからね。


投稿者 hanasan : 11:40 | コメント (0)

2006年02月17日

昭和元禄ガレージ・サイケ? 50ズ・ハイティーンズにはまる

Thee 50s High Teens このバンド、Thee 50's High Teens(ジー・フィフティーズ・ハイ・ティーンズ)のおかげで、今じゃもう使われなくなってしまっただろう、死語「よこしま」なんて言葉を思い出しました。そんな気持ちを持ってしまうぐらいに、いやぁ、かわいい、キュート、セクシー!そんな言葉をいくら並べても足りないぐらいにチャーミングな魅力いっぱいのバンドなんですよ、彼女たち。実を言うと、Smashing Magで、比較的新しい写真家のスタッフ、tommyが、ある日、送ってくれたのがこのバンドのフォト・レポートだったんですね。見たことも聞いたこともないバンドのレポートを彼女がときおり送ってくれるんですが、なかなかツボを押さえていて、そんなバンドにはまることが多いんですね。でも、このバンドには速攻でレスを返しましたね。

「そそられる。俺も撮影したい!」

 と、まぁ、そこによこしまな気持ちがあったのかどうかは、よくわかりませんけど、なぜか、自分が女性アーティストの写真を撮影すると、けっこうセクシーに映ってしまうんですよ。というか、そう撮ろうとしているのかもしれないけど。それはさておき、tommyの写真を見て、どうしても撮影したくなったわけです。しかも、彼女の説明によると「ただかわいい、キュートだけじゃなくて、とてつもなくパワーのあるバンドだ」とのこと。実際、彼女たちのサイトをチェックして見たら、ヨーロッパ・ツアーもやっているようだし、それなりの反応はでているようだ。というので、2月13日に下北沢の251で開かれたライヴに出かけたわけです。

 そのライヴがまたすごかったんですよ。なにせ、この日は「昭和元禄クレイジー天国」というコンセプトで、企画したのはDJのサミー前田君。会場に入ったのが早すぎて、まずは彼が回すレコードにぶっ飛ばされるんですが、一番最初に気になったのがブッカーTとMGズの名曲『グリーン・オニオン』をへなへなにカバーした代物で、彼に話を聞くと、「頭脳警察のねぇ...」と、うんちく込みでいろいろと教えてくれたんだけど、全然覚えていない。(笑)どうもアルツハイマー系の症状が自分にあるんだろうかと思うが、曲のインパクトだけは鮮烈に残っているのだ。それに、エリック・クラプトンの「レイラ」をパクッた上に、四畳半フォーク的な歌詞を載せたげてもの系のレコードとか... いやぁ、彼の選曲には脱帽しました。びっくりです。

サミー前田 当然、このセンスは「嬉しい」と思って、コンピレーションとか、作っていないのかなぁと思ったら、ありました。しかも、レコード会社ほぼ全社を巻き込んでのシリーズもので、これはその東芝EMIのもの。これは、担当者からサンプルを送ってもらったんだが、これ1枚だけでも他の仕上がりがわかるぞと言える代物で、全部集めないといけないなぁと頭を抱えている状態です。ちなみに、曲目などをチェックできるように、他社からでているものもまとめてここにリストを作っておきますね。シリーズのタイトルは「昭和元禄トーキョーガレージ : Japanese Rockin' Psyche & Punk '65 to '71」となっていて、以下がリストです。

東芝EMIヴァージョン
コロムビア・ヴァージョン
キング・ヴァージョン
徳間ジャパン・ヴァージョン
ビクター・ヴァージョン
ユニヴァーサル・ヴァージョン
テイチク・ヴァージョン

 ひょっとして他にもあるかもしれないし、これを全て買うとなるとかなりの金額になってしまうけど、チャンスがあれば、聞く価値が大いにあります。それに、収録曲数の割には値段が安くて、けっこうそそられるのは確かです。

Thee 50s High Teens でもって、本題のジー・フィフティーズ・ハイ・ティーンズなんですが、この日最初に登場したのが彼女たち。もう、初っぱなからKOでした。実際に見る彼女たちは写真で見るよりも遙かにかわいくて、セクシー。まぁ、そんなことだけだったら、ただのスケベ親父系の見方でしかないんだろうけど、ステージに出てきて音を出すやいなやエンジン全開でぶっ飛ばすという感じで、その音楽の世界にすこ〜んと飲み込まれてしまうのだ。演奏がうまいのか下手なのか、自分にはわからないけど... というか、そういった余裕を感じさせないほどの迫力でライヴが進行していくわけです。しかも、畳みかけるようにどんどんと曲が飛び出して、だらだらしたMCもなし。演奏だけで勝負しようとする彼女たちの心意気がそこにあるんだろうし、ヨーロッパ・ツアーで培ったステージングの妙もそこにあるんだろう。一気にポップでワイルドでホットな、それでいてソウルフルな世界に引き込まれてしまった。

 いわゆる、女の子らしいポップな世界がそこにある... のは確かなんだけど、彼女たちがカバーしたマディ・ウォータースの「I've got my mojo working」なんて、いいよぉ。よくもこんな感じでやってくれたよなぁというのが正直な感想で、もし、オリジナルじゃなければ、どこの誰のヴァージョンにベースを置いているのか知りたくなりました。それに、例によって例のごとしという感じでショッキング・ブルーの大ヒット曲「ヴィーナス」もやってくれたけど、ワイルドにロックする彼女たちのヴァージョンは、あのアホ、ぼけなバナナラマより数万倍よかったもんね。それに、ベースの女の子がリード・ヴォーカルなんだけど、この子がいい!かつての弘田三枝子のような「パンチ」の効いたヴォーカルで、しかも、歌いっぷりが男前! なにせ、ミーコに加えて、平山美紀と内藤やす子が一緒になったようなざらざらの感触があって、それがすごいのよ。正直言って、恋しちゃいました、私。

 と、このバンド、これからも絶対にフォローしたいと思っていたら、Smashing Magの写真家のsamが、同じように惚れ込んだみたいで、翌日の初台ドアーズのライヴの撮影を即決して、しかも、彼女、そこでアルバムまで購入してしまいました。残念ながら、まだアルバムは聴いていないけど、なんとか入手して確認したいなぁと思ってます。それに、次回、東京で彼女たちがやる時にはまた撮影するからな!と決意しました。それほどこのバンドはいい。チャンスがあったら、見てくださいませ。

 で、この日は他にもサロメの唇という、まるで北原ミレイ系の歌謡曲路線のバンドとか、ラモーンズを漫画にしたような... っても、ラモーンズも漫画的ではあったんだが、そんなタッチのバンド、ザ・50回転ズも面白かった。なんでも富田林市出身で、高校生まで自分が育った南河内のノリを感じたのは... まぁ、俺ぐらいだと思うけど、べたな日本語の大阪的体臭を感じさせる詞に親近感を感じたし、このバンドも面白い。トリは、メジャーからデビュー・アルバムを発表したザ・キャプテンズ。最後のグループ・サウンズというキャッチででてきた彼らには、ノヴェルティ的な部分以上を感じないというのが本音で、楽しめるけど、のめり込むように語りたいとは思えないなぁ。

サイクロンズ いわゆる昭和的テイストを持ったグループがここに集まっていて、会場は超パンパンの状態だったということを考えると、どこかでこういった流れの音楽がまた浮上してきているんだろうと思う。それぞれのバンドがそれなりに面白かったのは認めるけど、ヴィジュアル的にもサウンド的にも、この日、最も強烈な印象を残してくれたのはジー・フィフティーズ・ハイ・ティーンズ。彼女たちはすごい。と、そう思っているんだが、この日の主催者、サミー前田君がこの時くれたのがこのアルバム。サイクロンズというバンドで、ここで幾度か取り上げた井筒和幸
監督の作品『パッチギ』で、アイ高野とカーナビーツの役で実際に演奏していたのが彼らとか。このアルバムもいいねぇ。グループ・サウンズというよりは、もっとハードなサイケデリック・ロックというか、ガレージ的なイキの良さや60年代のビートを強調したサウンドが気持ちいい。かつて大好きだったXTCの変名バンド、『デュークス・オヴ・ストラトスフィア』を思い出しましたね。しかも、それに、日本のグループ・サウンド的なニュアンスも充分に加えられていて、そこに『今』のセンスや味もある。このバンドも、見てみたいなぁ... なんぞと、ライヴに行くと、こういった大発見がどんどんでてくる。やはり、音楽はライヴだと思ってしまうのですよ。


投稿者 hanasan : 20:10 | コメント (0)

2006年02月16日

馬鹿野郎!って...サエキけんぞうとパール兄弟

カルメン・マキ 新宿ロフトが30周年を記念して、毎月1週間を使って記念ライヴをシリーズでやり始めている。第一巡は1月で、Smashing Magでそのすべてを取材して掲載していこう... なんてとんでもないことを考えて、実際にやり始めているんだが、おかげで自分も無理をして撮影に出かけなければいけない羽目になっている。

 というので、先月はパンタをヘッドライナーにカルメン・マキ、野狐禅 (やこぜん)と榎本くるみというラインアップのライヴを体験することができた。カルメン・マキは当然知っているけど、実際にライヴを見たことはなかった。一昨年だっけかにライジング・サンに出演して、そのときのライヴがよかったという話は聞いていたけど、アコースティックで迫ったこの日の彼女も素晴らしかった。「歌」がひしひしと迫ってくる、そのライヴにさすがに年季が入っているアーティストの実力を感じさせたということかなぁ。その時のことは当サイトの本チャンの方(こちら)に記しているので、ここでは書かないけど。

 パンタについても、マーク・ボランの命日に開かれるライヴで何年かに一度見ているけど、当然この時はTレックスのカバーばかりで彼の音楽を生で聴くのは初めて。当然ながら、前座として登場した野狐禅 (やこぜん)や榎本くるみも初体験だが、「歌」にこだわった彼らのステージはどれも新鮮で、やっぱ、ライヴだよなぁと実感することなる。もちろん、レコードも面白いんだけど、「知っている世界」だけに空回りするのでではなく、「歌」の現場に足を踏み入れることで予想もしなかった世界に巡り会えることができるライヴこそが、「音楽」なんだと再認識することになるのだ。

パール兄弟 そして、2月、また、未知のバンドを体験しているんだが、それがパール兄弟だった。といっても、サエキけんぞうさんは、どこかでお会いしたように記憶しているけど、このバンドは聴いたことがなかった。正直言って、演奏された曲は全然知らないものばかり。バックで控えているミュージシャン、バカボン鈴木とか窪田晴男って、名前は知っているど... 詳しくは知らない。80年代のニューウェーヴが騒がれていた頃に、けっこうユニークなバンド、メトロファルスというのを四谷かどこかの小さな小屋で見ているんだが、あの時のベースがかっこよくて、それが理由でバカボン鈴木という人物が脳裏にこびりついていたぐらいかな。

 だから、ライヴのことは詳しく語れないんですが、面白かったのはサエキさんが、とっても細かく正確に、演奏する曲が何年に発表されたアルバムに収録されているかを、ほぼ全てについて説明しながら進行させたこと。この人もきっと音楽オタクなんだろうなぁと思う。いろんなアルバムを集めてディテールにこだわるタイプ?そんな気がしました。それと、彼が書いたという本、「ネット限定恋愛革命 スパムメール大賞」にそそられた。なにせ、コンピュータに向かい合って生活していると、どうしても直面するのが大量のスパム・メール。当然ながら、そういった代物は全てゴミ箱へ直行なんだが、実際にクリックしたり、コンタクトを取ったらどうなるのか? 申し訳ないですが、私にはそんなことをする度胸はありません。でも、どうやら、彼がそれをやって、いろいろと調べだしたんだそうな。(きっと、そうだと思うんだけど、この本を読んでいないから真相はわかりませんが、少なくともステージでの彼の話だとそういった内容だったと伝わっています)そうなると、覗いてみたいと思うのよ、この本。さて、どうしよう、これ、買おうかしら?

サエキけんぞう それと、この日、ゲストとして出演したのが鈴木慶一氏。人生で最もよく聴いたアルバム、はちみつぱいの『センチメンタル通り』や、いまだに酔っぱらうと歌い出してしまう傑作「すかんぴん」という曲が収録された『火の玉ボーイ』を生み出した人物で、このほかにも、彼の色が濃厚な斉藤哲夫の名作、『 バイバイ グッドバイ サラバイ』『グッドタイム・ミュージック』を溺愛する自分にとって、実は、この日の楽しみがここにあったといってもいいほど。

 といっても、この日のライヴのタイトルが『Re Model 80s』と掲げられていたとおり、あくまでニューウェーヴな時代にスポットをあてているので、自分が好きだった鈴木慶一の世界がここで見られるわけはない。実際、やっぱりニューウェーヴだったのさ。ムーンライダースがもうひとつ好きになっていないのは、きっとこの辺に理由があるんだろうと思うけど、そのルーツを見せてくれたという意味でこの日は面白かった。(なんか複雑な説明だけど)この夜、彼らがやってくれたのがトーキングヘッズの『サイコ・キラー』という曲のカバー。(『Talking Heads : 77』というアルバムに入っていますが)これをやった時の、慶一さんの顔ったら... 本当に嬉しそうで、それを見ているこちらもめちゃくちゃ楽しかった。しかも、サエキさんは歌詞を大きなパネルに書いて... というか、まるで脅迫状でも作るかのような、バラバラの大きさのサイズでプリントした紙を段ボールかなにかに貼り付けて、それを見せながら歌っていたんだけど、こういった演出もまたニューウェーヴなのかしらん。

 で、一番傑作だったのは最後の最後。これって、いつも彼らがやっていたことなのかどうか全然知らないけど、お客さんに、歌に合わせて『バカ野郎!』と叫ばせるんですよ。これがいい!実際、彼がステージで言っていたように、日頃、なかなかこんな言葉を大声で口に出せるわけがなくて、それをみんなで恥ずかしげもなく言ってしまおうというんだから、面白い。さすがに撮影をしながら、これはできませんでしたけど、この時、どこかでニューウェーヴがパンクを経由して生まれたんだということがひしひしと伝わったというか... まぁ、この『バカ野郎』が、ひょっとしてこの日のライヴのハイライトだったような気がしないでもないんですけど、そんなもんでいいのかなぁ。


投稿者 hanasan : 19:39 | コメント (0)

2005年12月25日

ロックするソウル - 光明市ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル -

Hahn Dae Soo 10月の頭に韓国に飛んだ。それはインディーを中心とした、初の大規模なフェスティヴァルと言われている、ミュージック・ヴァレー・フェスティヴァル'05を取材するのが理由で、その結果はこちらに記している。と言っても、このときは、写真の撮影を中心に作業をして、本来の「ものを書く」ことはしなかった。Smashing Magの若手のスタッフを同伴して、彼にその作業を任せたからだ。

 彼のレポートは、「イントロダクション」としては、かなりの内容だと思った。実際の取材を受けて、限られた時間でかなりの資料を読み、情報を得て、「感想文」に肉付けがされていたことは十分に評価したいし、これからさらに深く掘り下げた取材ができるはずだ。大いに期待したいと思っている。自分が始めたSmashing Magは、当初、単純に「発信する人」「情報を受け取る人」と言った旧来のメディアのあり方を覆そうという目的を持っていた。インターネット時代のメディアとして、誰もが情報を発信することができて、多くの人たちに伝わることが必要だと思う。そのプロセスで、才能を秘めている若い人たちにチャンスを与えて、育てていきながら... と言えば、傲慢かもしれないが、写真家として、ライターとして成長してもらって、Magを「新しいオルタナティヴなメディア」に位置づけられるようにしたいし、旧来のメディアにはなかった視点を前面に出せるものにしたいと思っている。ある部分についてはうまくいっていると思うんだが、なかなかどうして簡単にことは動かない。加えて、運営について資金的な問題とか、解決していかなければいけない問題が山積しているなぁというのが現状だ。

 と、まぁ、そういった話は、また別の機会にするとして、今回の韓国取材は、自分に全く新しい世界への扉を開いてくれたように思える。それを象徴するのがこの写真のシンガー&ソングライター、ハン・デー・スー(公式サイト)との出会いだろう。といっても、彼とはまだ話をするチャンスを得るには至ってはいないんだが、おそらく、彼もディランズ・チュルドレンなんだろう、60年代終わりに歌い始めた多くのミュージシャン、シンガー&ソングライターがそうだったように、彼の歌の世界からそれを感じることができた。さらに、ディランを逆ぼってたどり着く、ウッディ・ガスリーにもつながるように思える。このフェスティヴァルでも「ホーチミン」という声が聞こえているんだが、彼が歌い出したあの時代、世界は同時進行で揺れ動いていた。そのあたりをも含めて、75年以前の韓国の音楽状況を彼にいろいろと尋ねてみたいと思った。

Youngbloods といっても、この時点で彼に対する知識はほとんどなかった。帰国してから、彼のことをネットで調べて、ある程度の知識を得ることになるんだが、それによると韓国の軍政に迫害された彼は、韓国を離れて20年ほどアメリカに住んでいたという話が出ている。そんなこともあって、数枚手に入れた彼のアルバムには英語で歌ったものも数多く収録されていて、その中に、自分の大好きなヤングブラッズの「Get Together」(The Essential Youngbloodsに収録)のカバーをみつけることになる。いわゆるヒッピー賛歌というか、フラワームーヴメントがそのピークを迎えていた頃、彼らのアンセムのようにして歌われていたのがこの曲。おそらく、彼はそういった世界に大きな影響を受けているんだろう。自分よりはわずかに年上だと思うんだが、そこに同年代のつながりを感じるのだ。

 といっても、第二次世界大戦後、韓国は日本で言うところの朝鮮戦争(韓国では625事変と呼ぶらしい)を経ている。日本はこの戦争によって景気回復して、70年代の高度経済成長時代を迎えることになるんだが、実に皮肉だと思う。これだって、朝鮮半島の日本による植民地化に端を発しているのであり、日本はこの事態に責任を負うべきだし、同時に、ソヴィエト連邦、中華人民共和国を中心とした社会主義国陣営と、アメリカ合衆国、イギリスに代表される資本主義国陣営も責任を持つべきだろう。いずれにせよ、3年間の戦闘で約400万人が犠牲になったという情報もある。また、この戦争と東西冷戦で日本をアメリカの傘下におくために、連合国側(特にアメリカ)の戦犯追及が和らぎ、これが契機となって日本はサンフランシスコ講和条約を締結して、独立することができるのだ。が、同時に日米安全保障条約を結び、日本は実質的にアメリカの半植民地的な立場を持つようになる。ほぼ時を同じくして、自衛隊の前身が生まれ、日本の再軍備が始まっている。本当は、朝鮮戦争で極秘裏に海上保安隊が軍事行動に関与していたとされているが、表立って日本が軍事行動に加わることができなかったのは、どう考えても日本国憲法のなせる技だろう。同じような憲法を持つこともなかった韓国は、結局、この後、ヴェトナム戦争にも参戦し、数多くの兵士が殺されているんだが、こういった過去を振り返ると日本の平和憲法が日本を守るためにどれほど重要な役割を果たしているかが理解できる。それを変えようとしてる自民党、民主党が今後の日本にとってどれほど危険かは容易に想像できるだろう。

日韓音楽ノート おっと、話がそれてしまったが、朝鮮戦争が一応の終止符を打ったのは53年。48年から李承晩(イ・スンマン)が初代大統領となって反共を核にした強権政治が、60年の四月革命で幕を閉じ、しばらくの後、クーデターが起こり、朴正煕(パク・チョンヒ)の軍事独裁国家へと変遷していく。といっても、このあたりになると資料で読んで得ている知識程度で詳しくは知らない。が、いずれにせよ、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)から、全斗煥(チョン・ドゥファン)という流れの中で、経済的には大きな成長を得たんだろうが、様々な言論弾圧が繰り返され、韓国文化の暗黒時代があった。特に75年からは大幅な検閲が始まり、ロックやフォークといった音楽が抹殺されることになる。と、このあたりの話は地元韓国の人たちにも話を聞いていたし、一応、検閲が幕を閉じるのは95年。韓国のインディ・シーンが生まれたのはこのころであり、オルタナティヴな韓国のシーンが表立って語られるようになったのはこのころからだという。

 そういった情報を得るのに、有益だったのが日韓音楽ノート—「越境」する旅人の歌を追ってという本だった。著者は在日三世だという姜信子で、日本人でもなく、韓国人でもないという立場から、韓国の音楽にスポットを当てて書かれているんだが、これでかなりの情報を得ることができた。政治的な背景などはいたく参考になるし、大まかな韓国の大衆音楽の系譜がこれでだいたい理解できる。一方で、「日本」と「韓国」に対するこだわりを超えて、同時代音楽としての文化をもっと掘り下げてほしかったという想いもあるが、それは彼女の目指していたことではないんだろう。それはまた違った人間がアプローチすべきなんだろうと思う。

 いずれにせよ、この本でもハン・デー・スーのことは記されているし、(といっても、この表記はHahn Dae Sooという英語からのもので、彼女はハン・デ・スと書いていたように思う)彼女にとってこのミュージシャンがいかに大きい存在だったかということも伺い知ることができた。面白いのは、この本で見つけたShin Jung Hyunのこと。韓国ロックの父だという彼のアナログ盤を復刻している人と、今回の旅で出会い、それをたまた受け取っていたんだが、その彼のこともこの本には記されている。彼がMenというバンドを率いて、60年代から活躍していたということなんだが、この音にジャックスやはっぴぃえんどとの接点を感じざるを得なかった。

 いずれにせよ、ここから韓国ロックのルーツに大きな関心を持つようになるんだが、これは、まだ後日記してみようと思う。



投稿者 hanasan : 11:29 | コメント (0)

2005年12月19日

垣間見えたのはバラ色の未来じゃなかったか? ザ・ウォール・ライヴ -

Roger Waters 28日にベルリンからロンドンに飛んで、その日にKid Carpetのライヴを撮影。そのあと、ちょっと時間があって、ヴァージン・メガストアに行ったら、このDVDが目に入った。といっても、イギリス盤はこれとはジャケットが違ってもっとセンスがいい。おそらく、内容的には同じだと思うんだが、久々にこれを見て、また、いたく感動してしまうことになる。

 これはピンク・フロイドを脱退した(けど、なんでも最近また戻ってツアーするなんて情報が入っているという話も伝わっている)ロジャー・ウォータースを中心に90年の7月21日にベルリンで開催したライヴを収録したものなんだが、これが素晴らしい。すでにこのビデが発売された頃に見ていたんだが、今回、ちょうどベルリンを訪ねたこともあり、今度はDVDヴァージョンで見てみよう... と、これを購入。でも、そのインパクトは今回の方が遙かに大きかった。おそらく、ベルリンで初めて、「壁」の片鱗を見たことや、イーストサイドからブランデンブルグ門まで歩いていった時の風景、すでに観光名所でしかなくなったチェック・ポイントに対する感慨がそうさせているのかも知れないが、あらためてこのライヴを見て、歌の言葉をかみしめていると涙が溢れてしまったのだ。時に、ラストの「The Tide is Turning」(流れが変わりつつあるという意味ですな)は涙なくしてみられないだろう。なにせ、このライヴが行われる半年ほど前に、悪名高き「ベルリンの壁」が崩壊し、誰もがどこかでバラ色の未来を夢見ることができたのだ。

Roger Waters 言うまでもなく、このライヴのベースとなっているのはロジャー・ウォータースが中心となって作ったとされているピンク・フロイドの名作アルバム『ザ・ウォール』。そして、そこからアラン・パーカー監督による映画『ザ・ウォール』が生まれているというのは周知の事実。今回DVD化されたものに収録されているドキュメンタリー(といっても、インタヴューの寄せ集めがメインで、ドキュメンタリーと呼べる代物にはなっていない)によると、ライヴのアイデアは、すでにロジャーがピンク・フロイドを抜けたときからあったようだ。実際に、具体化を考え始めたのは80年代の終わりで、サハラ砂漠やアメリカのモニュメント・ヴァレーなども案として出たらしいんだが、89年11月にベルリンの壁が崩壊すると「理想的な場所」としてベルリンが浮上してきたのだという。そして数ヶ月で交渉、キャスティングなどを進めて、実現するのだが、このインタヴューによるとニール・ヤングやジョー・コッカーあたりにも話が届いていたことが語られている。彼らはスケジュールの都合がつかなかったということなのでしかたがないんだが、面白いのはエリック・クラプトンのくだりかなぁ。臆病風を吹かせて断ったんだとか。笑える。さすがにロック界の大馬鹿者だ。その一方で、ジョニ・ミッチェルは「いいわよ、どこにサインすればいいの」と即決。さすがにザッパと一緒に検閲に闘いを挑んだ骨のあるアーティストで、そんな話を聞くと嬉しくなってしまうのだ。

 まぁ、詳しい話はそのインタヴューを見てもらえればわかるんだが、ともかく驚かされるのはそのスケールだ。ステージの幅は300メートルで、その上をバイクから、リムジン・カー、救急車、バイクが走り抜けるという代物。しかも、そこでバンドが演奏したり、旧ソヴィエト軍の軍楽隊が登場したり、どこにいるのか確認しなければいけないけど、クラシックのフル・オーケストラも参加している。誰を使ったのだろうか、映画さながらに、ナチを思わせる「ハンマーの旗」を持って行進する軍人のような一隊もでてくる。約30万人を集めることになってしまったこれは、そういったバンドやアーティストが、役者やオーケストラ、軍楽隊から映像アーティスト、インフレイタブル(大がかりな空気を入れたオブジェのこと)・アーティストから、オーディエンスをも含めた全てが一緒になって、とてつもない劇場空間を作るようなもの。これは、ロック・ショーというよりは、ミュージカルであり、ロック・オペラであり、映像ショーであり... その全てを「ライヴ」でやってのけた一大文化行事だった。そんな意味で言えば、これまでにすでに伝説となっているウッドストックワイト島のフェスティヴァル、ちょっとニュアンスは違うかもしれないけど、フェスティヴァル・エキスプレスとは比較にならない、文字通り、20世紀最大規模、最高のショーではなかったかと思う。というのは、そういったフェスティヴァルが、基本的には数多くのバンドを集めただけのものだったのに対して、この『ザ・ウォール・ライヴ』は制作から政治的な背景、その全てが前者とは比較にならないのだ。

Roger Waters しかも、たった1回のショーのために、数ヶ月に及ぶ準備があり、越えなければいけない傷害もあった。会場となったポツダム広場は終戦の年、45年から手つかずの緩衝地帯で、所有者はいない。そういった場所をただで使えるという幸運もあったんだろうが、地雷が埋められているかもしれないという事情もあり、その調査をしたらとんでもない数の不発弾や手榴弾等々がでてきたんだそうな。しかも、面白いのは、残っている「壁」を観客の整理のために使おうとしたら、チケットを買った人に加えて、買っていない人までが押し掛けて、25万人を越えたあたりから保安上の理由から、結局、その「壁」をぶっ壊したという話も語られている。嬉しいじゃないか、どこかで「祝福」を求めてきた人たちの「力」が再び壁を壊したわけだ。

 そんな事情もあるんだろう、それぞれのアーティストの気迫もとんでもない。「先生、俺たち、子供を放っておいてくれ」と歌われる「Another Brick in the Wall Part.2」を歌うシンディ・ローパーなんて、飛びすぎだし、初っぱなのスコーピオンズのあとにロジャー・ウオータースのバックでソプラノ・サックスを吹くガース・ハドソンもいい。演奏されている間に背後にどんどん壁が作られ、その壁がスクリーンになって映像が流されたり、芝居が登場したり... その壁の背後で歌っているのが天下のヴァンモリソンやポール・キャラック。シネード・オコナーやジョニ・ミッチェル、ブライアン・アダムス、ザ・バンドのリック・ダンコ、リヴォン・ヘルムとガース・ハドソンにトーマス・ドルビー、ドイツの良心を代表するヴォーカリスト、ウテ・レンパーなど、ラインアップも素晴らしい。

 それでも、圧巻なのは彼らが作った「壁」が壊され、それを見ていたオーディエンスが興奮のピークを迎えるときだろう。あの歓声は、当然ながら、「ベルリンの壁」の終焉を祝福したものであっただろうし、だからこそ、全員が登場して歌うフィナーレ「The Tide is Turning」が涙を誘うのだ。「流れが変わり始めた」という意味に捕らえていいだろう、この曲が、この日ここに集まった全ての人たちにどれほどの意味を持っていたか... そして、全世界の50カ国に放送されたという、そのショーを見ていた人たちにどう伝わったかといえば、明かだろう。あの時、どこかで東西冷戦の終わりを祝福し、バラ色の将来を期待していた人は少なくはなかったはずだ。

 実をいえば、このプロデューサーのひとり、トニー・ホリングスワースにちょうどこの直後に会っているんだが、「本当は、西側が、要するに資本主義が社会主義に勝ったという空気だったから、大きな金が動かせたんだよ」といわれたものだ。バンド・エイドからネルソン・マンデーラのライヴなど、大規模なイヴェントをプロデュースしてきた彼の言葉だけに、その言葉のリアリティは充分に感じることができた。それでも、結局、「ベルリンの壁」という狂気が、実は、けっして「資本主義対社会主義」で生まれたのではなく、そんな看板を被った権力者達の支配欲によって成立しているのだということは、その後の歴史が証明している。キリスト教原理主義、イスラム原理主義... 看板など掃いて捨てるThe Wall
ほどもある。本当は、どす黒い「欲望」や「幻想」のために「民主主義」やら「自由」あるいは、「改革」なんて、それらしいお題目を振りかざすのは、一般市民を搾取する権力者達。彼らにとって、それこそが「正義」であり、「民主主義」なのだ。本当にバラ色の世界がやってくるときというのは、そういった権力者が駆逐されて、それを支えている個々の人が、犠牲になっているひとりひとりの人間がその事実を直視して、実は世界を動かしているのは「自分たち」なのだということを認識し、前向きに関わっていく時代でしかあり得ない。そして、権力者が信じて止まない紙切れや金属片でできている「金」という幻想から完全に抜け出して、ひとりひとりの人間が、本当の豊かさや人間性を基盤においた、地球上の生物としての自然なサイクルによる社会を作っていくほか、あり得ないと思っている。はたして、そんな時代が、自分の生きているうちにやってくるのか... ちうか、それ以前に、申し訳ないが世界が終焉を迎えるようにしか思えないんだけどね。どれほどの人たちが環境の問題をシリアスに捕らえているかはわからないが、すでに研究者達の間では末期的な時代を迎えているというのが定説らしい。そんな時代に人殺しに躍起になっているアホな政治家をのさばらしておいて、愛も平和もあったものじゃない。もう少しでもいいから『政治家』に知性のかけらを持ってほしいと願っているのは、自分だけじゃないだろうな。

 ちなみに、このところ、このザ・ウオール近辺が動いているようで、そのトリビュート・アルバムなんぞがでているような。まだ、聞いたことはないんだけど、なんでなんだろう... ま、ネタがないだけなのかもしれないけど。



投稿者 hanasan : 17:31 | コメント (0)

2005年12月18日

壁の向こうになにが見える? - ベルリンとバンダ・バソッティ -

Berlin ベルリンに飛んだのは11月24日。その日と翌日、SO36という小屋でPunk Italia '05と呼ばれる小規模なフェスティヴァル... というか、数多くのバンドが出演するイヴェントが開催されて、バンダ・バソッティがヘッドライナーを勤めるというので、彼らのレーベル、グリダロ・フォルテからお呼びのかかったのがその理由。なんと、彼らが経費を出してくれて、写真を撮影できるというので、大喜びで出かけていったわけだ。その時の話はすでに、こちらで書いているので、それを読んでもらえればと思うんだが、まずは、驚かされたのがその寒さ。日本が、この時点ではまだそれほど寒くなかったこと、それに、大好きなMA-1を持っていけばなんとかなるだろうと思っていたのが甘かった。なにせ、数年ぶりの寒波がこの時、ヨーロッパを襲ったということで、寒い寒い。Tシャツを2枚ほど重ね着して、その上にパーカーを着て、MA-1だったんだけど、それでは全然太刀打ちできなかったというのが正しい。まぁ、それしかなかったから、なんとかしなければいけなかったんだけど。

 その寒さと共に、やはりなにかを感じざるを得なかったのが「ベルリンの壁」だった。宿泊したのが、あの悪名高い壁の最後の一部が残されているイースト・サイドで、宿泊したホテルの窓からそれが見えるのだ。文字通りイースト・サイド・ホテルと呼ばれるそのホテルの看板は、あの壁に描かれている落書きのオリジナルとなる写真。旧ソヴィエト連邦のトップ、ブレジネフと、東ドイツのトップ、ホーネッカーが熱烈なキスをしているとしか見えないもので、おそらく、これを使っているのは、あの時代の狂気をあざ笑う意味もあるのではないかと思う。1泊25ユーロのこの安宿の階段には、89年11月9日の、壁が壊された日の写真が飾ってあって、すでに15年以上が過ぎた今、あの狂気が観光資源になっているという皮肉な結果生み出している。実際、壁を売っているという話も聞いたし... なんてこったい。

Berlin ライヴが行われたのはクロイツベルグというエリアで、今やさまざまな人々が、ヨーロッパで最もエキサイティングなのは、ロンドンやパリではなく、ここだと言っているらしいんだが、それはほんの数日ここにいるだけで直感できたように思える。人種のるつぼで、雑多な要素が共存しながら「新しいヨーロッパ」を目指しているように思えたものだ。

 ライヴの撮影は25日で、この日のライヴで嬉しかったのは、バンダ・バソッティが想像を遙かに超える人気ぶりだったこと。そして、このイヴェントを主催しているマウロという人物に出会えたこと。なんでもイタリアン・レストランも経営しているらしいんだが、そのレストランにはこの街にやってきたさまざまなミュージシャン達のサインがの残されていた。そのなかのひとつ、フロッギング・モリーはバンダ・バソッティにぞっこんらしいんだが、そのフロッギング・モリーほどには、おそらく、バンダ・バソッティが日本やイギリス、アメリカでは比較にならないほど無名だというのが面白くない。まぁ、どうせ、日本人なんぞ、こと音楽に関する限り、所詮はアメリカやイギリスにしか目を向けようとはしていないんだから、仕方がない。なんと、了見の狭いこと。まるで「アメリカこそが世界だ」と思っているアホ首相と変わらない人種が「ロック界」でも幅を利かせているからかねぇ、日本じゃまともな「視点」も持てない消耗品でしかない歌しか生まれないんだろうなぁと思う。

Berlin そのレストランにはチェ・ゲバラの写真なんかが飾ってあって、おそらく、それがマウロのちょっとした意思表示なんだろうと思えた。もちろん、彼の肖像なんてファッションのようなものだといえばそれまでだけど、どこかにオルタナティヴな空気を感じさせる。タイミングがいいというかなんというか、たまたま成田で買った文庫本が冒険者カストロで、「なんか、はまっているなぁ」と思ってみたり。

 そのマウロが面白かったのはバンダ・バソッティが演奏を終えたときかなぁ。当然のようにアンコールをやって... それでも鳴りやまない拍手に、CDを流しながらオーディエンスとバンドが一緒になって大合唱をしたり、ヴォーカルのピッキオやシガロ、それに、ギターのスコーパまでもが、そのオーディエンスの並にダイヴすることになるんだが、この時、一緒に担ぎ出されて、会場を埋めていたオーディエンスの上を1周したのがマウロ。並のプロモーターがこんなことをするわけがないし、それだけでも彼の「いる場所」がわかるのだ。さらには、バンドがすでに機材を片づけ始めていたというのに、マウロはオーディエンスの要求に応えようと、バンドに声をかけていたのにも驚かされた。職業的なプロモーターがこんなことをするわけがないし、日本じゃ、あり得ない。結局、オーディエンスはバンダ・バソッティの大昔の曲、「Figli Della Stessa Rabbia」を合唱し始めて、機材がなくなり始めた舞台に上って、それを一緒に歌い出したのが、ピッキオやシガロ。久々に、本当のアンコールをみることができた。それがドイツで起きているというのが面白いし、バンダ・バソッティが多くの人たちによってサポートされているのを再発見したという感じだった。

ペッカー ちなみに、彼らの前作「アシ・エス・ミ・ヴィダ(これ、俺の人生)」も、その前の「アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア」も、アマゾンで購入可能なんだが、最新作で、自分がライナーを書いた(あるいは、誰に書ける人間がいなかったようで、締め切り直前に書かされたという方が正しい)「Amore E Odio」が全然入手できないって、どういうことなんだろうなぁ。フジ・ロックを前にしてリリースしたというのに... それに、このレーベルの他の作品は買えるというのに、どういうことなんだろうなぁと思う。

 と、このあたりから、本当は、その後移動したロンドンで買ってしまったDVD、ロジャー・ウォータース中心として開催された90年のザ・ウォール・ライヴについて書きたかったんだが、ちょっと長すぎるというので、それはまた次回ってところでしょうか。



投稿者 hanasan : 22:36 | コメント (0)

2005年11月17日

縁は異なもの... でも、つながる - Royal Crown Revue -

Royal Crown Revue 実は、ロスについたその日、9月4日の夜にウイリーの友人のドラマーがやっているバンド、Royal Crown Revueが、けっこう有名な(らしい)スイング系のクラブ、the Derbyでライヴをやるという連絡を受けて、「じゃ、写真を撮ろうか?」なんて言っていたんだけど、結局、できなかった。というのも、日本を離れる前日、同じく友人のドラマー、沼澤尚君と、彼の友人、マルコス・スサーノのセッションがあって、深夜1時に始まったそれを見終えて帰宅してから荷造りと更新作業をしていたら、徹夜になってしまったのだ。フライト前というのは、たいてい徹夜で仕事をして、空を飛んでいるうちにぐっすり寝るというのがいつものパターンなんだが、今回のシートが最悪で、足は伸ばせない、肘を置くところも固定で動かせない... というので、全然寝られなかったのだ。

 基本的にチェックインするときに選ぶシートは足を伸ばせるところ。"It would be nice to have large leg space"なんぞというんだが、たいていは出入り口のそばで、ここだったら、足を伸ばせる。ゆっくりと寝ることができるのだ。それに、スチュワーデスの座るシートの正面となって、実は、会話が弾むこともある。(まぁ、寝てばかりなので、ほとんどそういったことはありませんが)それでも、この窓側は、非常ドアの出っ張りがじゃまになって、その通路側がエコノミーの、自分にとっては特等席になる。が、今回、行きのフライトでその座席がいっぱいで、仕方がなく、一番先頭、ビジネスとの壁の場所を選んでしまったのだ。一応、レッグ・スペースは広い方だという説明を受けてそうしたんだけど、どうなんだろ、ほとんど変わらなかったように思える。加えて、肘を置く部分が固定されているものだから、窮屈で仕方がない。フライトの時ばかりは小柄の人がうらやましいと、本気で思う。(あと、小さな小屋のフォト・ピットで撮影するとき。じゃまだからといって、髪を引っ張られたり、頭を殴られたりってこともあるから)で、結局ほとんど寝られずじまい。

 そのせいもいもあって、ウイリー宅について、久しぶりだというので、いろいろ話をしたあとに、ちょっと昼寝しますわ... といって寝たら... 起きなかった。というか、一度、ウイリーが起こしてくれたんだけど、「無理しなくていいから」なんていってくれたものだから、「悪い、だめだわ、これは」と、結局、翌日の朝までぐっすりと寝てしまうことになる。なんと睡眠時間17時間。すげぇ!自分でもこれほど寝ることは珍しいのだが、これって、グラストンバリー以来だと思う。だいたい、海外に行くとよく寝るという習性があって、興奮するどころか、仕事のプレッシャーから解放されて、ストレスがなくなるんだな、おそらく。

 で、申し訳ないんだけど、このバンド、Royal Crown Revueを撮影することはできなかった。でも、その翌日、ウイリーがビッグ・ウイリーズ・バーレスクとして今年のフジ・ロックで来日したときのメンバーと一緒に演奏しているレストラン、Chaya Brasserieに遊びに行ったとき、あのバンドのドラマー、Daniel Glassもやってきて、話をすることになった。

Bloodest Saxphone その時、彼らが何度か日本に行ったことがあって、ザ・トラヴェラーズやブラッデスト・サクソフォーンと一緒にやっているという話を聞かされたんだが、実を言えば、ブラサキ(後者の通報です)の甲田くんが、いつもライヴに誘ってくれているんですね。それなのに、タイミングが悪くて、全然見られない状態が続いているという... しかも、今回は、ちょうどこの日に東京で、この新しいアルバムを発表してのツアー・ファイナルを迎えていたわけで... ところが、あまりに忙しくて、メールに返事をすることもできず、ロスに飛んできてしまったといういきさつがある。いやぁ、申し訳ない。彼がここをチェックするとは思わないけど、ごめんなさいね。(ちなみに、ブラサキのこの新しいアルバム、歌は下手だけど、1曲だけ歌ものが収録されていて、裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」なんだな、それが。アイデアはいいなぁ。こういった曲をピックアップしてくれたことは嬉しいなぁ... もうひとつなにかがあれば嬉しいんだけどなぁ)

 まぁ、そうやって考えれば、ロスでも東京でも同じような仲間のバンドに不義理をしたことになる。ダメだなぁ... なんて思います。両方ともスイング・ジャズををベースにしたコンボで、レトロな風味が大好きではあるというタイプ。20年ほど前に、ちょうどロンドンでジャズが再発見されていった頃、ロンドンで同じようなバンドを取材したことがあって、シュヴァリエ・ブラザーズ、レント・パーティ(この2枚は当時、ビクターから発売されたはず)、ビッグ・タウン・プレイボーイズ(ジミー・ページか、ロバート・プラントだっけかと、ジェフ・ベックと仲良しじゃなかったなぁ)あたりがその流れにはいるのかなぁ。そういったスイング系のシーンが、おそらく、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーの影響なんだろうけど、アメリカでも大きくなっているようで、いっぱいいるんだとか。

 こういったシーンはとても健康だと思うし、ライヴでの楽しさは格別。なにせ元々ダンス・ミュージックだったジャズの面白さを十二分に抱えている音楽だから、楽しくないわけはない.. といった趣なのだ。どこかで「お偉くなったジャズ」に欠けていたものを全て彼らが持っているという感じで、好きなんだが、同時に、どこかで「昔と同じじゃん..」という気持ちになることもある。そこに、どうやって「自分たち」の時代や存在が組み込まれていくのか? そんなあたりが鍵になるんじゃないかなぁと思う。そうじゃなければ、踊りのダシだけのバンドになってしまうかもしれないし... 

 ブラサキを初めて見たのは、勝手にしやがれがタワー・レコードの渋谷でイン・ストア・ショーをやったときの前座だったんだけど、この時はすごく面白いと思った。どこかで「いなたい歌謡曲的」ニュアンスが見え隠れして、ベーシックなサウンドとのバランスが微妙に面白く、楽しかったのだ。おそらく、演奏はうまくなっているんだろうけど、ただ「ジャズ」をやりたいんだろうかなぁ... と、以前見たときに思った。

勝手にしやがれ 一方で、勝手にしやがれの方は、元来パンクだったという、彼らのエネルギーが音楽そのものにもどんどん飛び出しているし、雑食なんだろう、いろいろなものを飲み込んでいる。実際、一番新しいアルバム、「シュール・ブルー」(だったと思う)では、一度、ドラマーの昭平君に貸してあげたフランキー堺の名作「この素晴らしい世界」からアイデアをいただいたなんて話も聞かされているし、彼がアストル・ピアソラ(最初に聞くなら、「ラ・カモーラ」かなぁ)からブリジット・フォンテーヌ(「ラジオのように」が名作よ)まで、とてつもなく個性的なアーティストの音楽を吸収しながら、「勝手」の味を作り上げているのが伝わるのだ。加えて、演奏ではメンバーが「エンターテインメントじゃん!」という姿勢と、パンクのエネルギーをごったにして見せつけてくれる。何度見ても飽きないし、彼らのパワーが大きくなっているのがわかる。今の彼らを見ていいて思うのは、まだまだ可能性を秘めていること。そして、まだまだ大きくなるんだろうってこと。別に売れたからいいわけじゃないけど、こんなバンドはもっと売れてほしいと、常々思うのよ。



投稿者 hanasan : 09:16 | コメント (0)

2005年03月29日

ナチ野郎がナイフ持ってやってきた!

Banda Bassotti しばらく更新できなかったんですが、その理由は日本を離れていたから。今回初めて気が付いたんですが、(方法はあるにしても)常時接続のタイプでないとblogの更新は、結構面倒だなと実感。加えて、旅に出ると、仕事として更新しなければいけないSmashing Magを優先しなければいけないので、こんな感じになってしまいました。すいません。(って、別に、誰かのために更新をしているのではないので、謝ることはないと思うんだが...)

 で、日本を離れていたのは、ここ数年、毎年の行事となっているイタリアでのStreet Beat Festivalの撮影のため。01年にスリーピースと一緒にイタリアに行って出会ったのがGridalo Forteというレーベルの人々で、そのレーベルの中心がBanda Bassotti。おそらく、21世紀になってから最も気に入っているバンドのひとつで、彼らが自分の撮影した写真をいたく気に入ってくれていることから、毎回彼らの招待でイタリアに向かい、ツアーの全行程を撮影することが恒例となっているのだ。

 発端は01年の暮れのスペイン取材で、この時に撮影したものが彼らのツアー・ポスターに採用されて... そのときのことはここに書いているんですが、当時使っていたのは一眼レフの走り的なデジカメ、オリンパスのE10で、画素数は400万ぐらいだったと記憶している。ISOは320ぐらいまでしか上げられないし、連続して撮影しているとほんの数枚でシャッターが落ちなくなるという代物で、それで撮影した写真を、トリミングしてA全のポスターに仕上げた彼らにびっくりしたものだ。本当は、これ、フレームにでも入れて飾りたいんだけど、どこに行ったか.. わからなくなってしまった。

Bombshell Rocks ともかく、彼らは僕の写真をいたく気に入って、年に一度のStreet Beat Festival(その翌年から始まったんだけど)にはオフィシャル写真家として必ず招待してくれるようになったわけだ。まぁ、その代わりに撮影した写真は全て彼らに渡して、自由に使っていいというのを条件にしているので、フェアーなディールだと思う。

 で、今年も行ってきたんだけど、ネット回線が使えるのは彼らの事務所のあるローマで、そのほかは各会場でちらっと使わせてもらえるという感じ。だから、移動中にSmashing Magのスタッフから受け取ったファイルを確認したり、あるいは、自分で新しいファイルを作ったりして、チャンスがあったら、サーバーにアップ、メールをチェックするということしかできなかったわけだ。そのせいで、毎日更新していたSmashing Magに関しては、更新できない日が1日だけできてしまった。まぁ、これにしても、アクセスしている人たちからお金をもらっているわけでもないし... 謝る必要はないんだけど、単純に「誰からも一銭のお金をもらうこともなく、集まってきたフリーのジャーナリスト、写真家(まだまだその卵的な人もいるんだが)たちが自分たちだけの力で作っているメディア」の誇りとしてできるだけいい仕事をしようとしているという意味で、ちょっと悔しいなぁというのが本音ですね。

 今年の出演者はスウェーデンのパンク系、Bombshell Rocksと、アメリカのスカ、The Slackersの組み合わせで、残念ながら日本からのバンドは出てはいない。DJとしてカリビアン・ダンディの2名が加わっているんだけど、そういった意味でいったらちょっと残念だった。これまでDobermanとかBrahmanとか一緒にツアーしていたし、本当はここにケムリとかSoul Flower Unionとかを組み入れたいとずっと思っているんだけど、なかなか実現していない。

The Slackers 毎年、ここでイタリアのバンドやヨーロッパの面白いバンドと出くわすのだが、今回自分にとっての大ヒットとなったのがニューヨークのThe Slackers。スカやロックステディをベースにしていて、けっこうな歴史があるという話は聞いたんだが、彼らがエピタフと契約した頃から状況が良くなったとか。97年頃からツアー頻度がどんどん増えて、アメリカとニューヨークを往復するようになったとメンバーから聞いている。現在では年間120本ぐらいのライヴをこなしているらしく、実際、彼らのライヴを見て、惚れましたなぁ。ルーツ的なスカやロックステディの味もいいし、お客さんを楽しませるという意味ですごくプロだと思う。なんでも昔は黒人のメンバーでヴォーカルがいたらしいんだが、トロンボーンとキーボードの二人のヴォーカルが絶品で、文句なし。しかも、サックスのうまいこと。すげぇバンドだと思う。

 といった、ライヴの楽しみはいっぱいあって、そういったことも書きたいんだが、今回もあった事件のことは、やっぱり伝えておかなければいけないと思う。ボローニャの会場でのことなんだが、ここはTeatro Polivalente Occupatoと呼ばれる会場で、全イタリアに150箇所近くあると言われているCentro Social、コミュニティ・センター。基本的には使われていない廃屋となった建物をスクオッティング(不法占拠)して、クラブからバー、レストラン、ライヴ会場から職業訓練などの使われているもので、当然ながら、その主役になっているのはリベラルな考え方を持つ人たち。現政府や権力にとって見れば、まったくもって嬉しくない、目の上のたんこぶ的な存在で、連中はいかにしてこれをたたきつぶすかということを考えているはず。実際、最大規模となるローマのVillagio Globaleは、そういった危機に直面していて、ここ数ヶ月が勝負だという噂も聞いている。

 同時に、根強いネオ・ナチとか、右翼にとっても彼らは敵であり、特に、反ナチ、反権力を前面に出しいているバンダ・バソッティには、こういった敵が多いわけだ。実際問題、彼らがこういったネオ・ナチに襲われて、当然逆襲してけっこうな騒ぎも体験しているし、でっかい石を車の運転席に投げ込まれたり... ってなこともあったらしく、嫌がらせなんぞには慣れっこになっている。前回も同じようなことがあって、会場を離れようとしてバスに乗っていたら、「窓際には座るな」って言われたり... 要するに、ネオ・ナチがバスを襲撃する可能性があり、窓際が危険だからだというのがその理由だ。

Banda Bassotti で、今回もそれがあった。なんでもライヴが始まった頃だっただろうか、ネオ・ナチが会場に押し寄せていたんだとか。当然ながら、バンドのメンバーや地元のスタッフがそういったバカ野郎たちの襲撃に備えるわけだが、はっきり言って、ネオ・ナチより、なぜかみんな左翼だというスキンヘッドの連中の方が右翼よりもタフみたい。幾度も修羅場をくぐっている彼らの方が強いようで、会場のなかにいた自分たちには実際に何が起こっていたのかよくわからなかった。たいていこういった話は、ライヴが終わってから伝えられるからなんだろうけど、あまり実感しないのね。でも、今回はナイフを持っていた連中が15人も集まっていたとのことで、地元のスタッフもバス移動の際にはバッグなどを窓側にして自分の身体を守るるようにして、会場を後にした。

「あいつら、バカだからな。でもまぁ、右翼が襲いに来るということは、俺たちもけっこう人気あるってことなのかなぁ」

 なんてのんきなことをいっていたのが、イタリアのスカ・シーンでは重要な役割を果たしているルカ。いやぁ、なかなかどうして、そうなんだろうと思う。だからこそ、毎回彼らのライヴにけっこうな人が集まり、日本では体験できないような熱狂が各会場で見られるわけだ。特に、地元のローマなんて、7〜8千人のオーディエンスがライヴの最初から最後まで、ほとんどバンドをカラオケにして彼らと一緒に歌を歌っているって感じかねぇ。この熱狂を一度体験してみたら、彼らの音楽がどれほど「人々の声」となっているか、一度でわかるから。すごいよ、ホント。

 ってなことで、また、続きは時間があったときにでも書きますが、今回も、とんでもない体験の繰り返しばかり。いやぁ、旅は面白い。いろんな人たちとの出会いとか、体験とか、勉強になりますわ。



投稿者 hanasan : 17:42 | コメント (0)

2005年03月15日

戦後60年って、今は戦中、戦前じゃないか?

寿 12日、日頃はほとんど足を向けることのない、上野に向かった。「戦後60年、沖縄から平和を開くコンサート」を見るためだ。出演バンドは渋さ知らズ、寿、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの面々。4時から始まるとのことだったのだが、到着したのは開始時間を30分ほど過ぎた頃。なにせ、会場がどこかわからないので、みつけるのに時間がかかったのが理由。近くに行くと、すでに演奏している渋さの音が聞こえてきて、「あっちなんだろう」というのはわかるんだが、なかなかたどり着けない。それでもなんとか会場に到着し、チケットを購入して、入ることができたんだが、しばらくするとアナウンスがあり今日はソールドアウトになったとか。嬉しいものだ。こういったことを真正面からアピールしているライヴがソールドアウトになるなんて。

 渋さはいつも通り。彼らが悪かった試しがない。彼らのテンションがどういったあたりにあったかはわからないが、どこかでこの会場の一番上に掲げられている言葉がなにかしらのパワーを彼らに与えていたのではないかと思う。

 が、この日、自分にとって大きな発見だったのは寿というバンドだった。渋さが終わった後、ソウル・フラワーの中川君たちと話をしていて、最初は見逃したのだが、ヴォーカルのナビィの声が「伝わる」のにまず驚かされた。彼女が発する言葉のひとつひとつがストレートに伝わってくる。本当は、この日、ソウル・フラワーを撮影するためというのが主目的だったのだが、最初のバンド、渋さから撮影。(これは、いつもと違って、ちょっと遠慮がちだった。なにせ、許可を得ていなかったから。いつも大丈夫だし、彼らのことはよく知っているので、問題にならないのはわかっていたけど... ちょっと遠慮したのさ)この寿に関しては、許可ももらってはいなかったし、(ソウル・フラワーを通じて、主催者には伝わっていたと思うけど)なにも期待していなかったんだが、あまりの素晴らしさに自分を押さえられなくなってしまったというのが正しい。
寿 特に、「上を向いて歩こう」の替え歌、「前を向いて歩こう」にははまった。「涙がこぼれてもいいじゃないか」と歌われるこれは、オリジナルの作詞家、永六輔氏にきちんと許諾を取った「お墨付き」らしいのだが、これがいい。実は、あまりの素晴らしさに、涙が出た。「幸せは空の上にはない。心にある」といったくだりとか.. 数年前にソウル・フラワーがフジ・ロックに出たとき、この曲を少し歌ったんだが、「そうか、この歌は彼らのヴァージョンをちらっといただいたんだろうか」と思ったほど。実際は、「いやぁ、俺らも替え歌やってんねんけどな」とは中川君の弁。それはそれでいいけど、あの時は、(単純に忙しかったからかなぁ)涙は出なかった。けど、この日、ナビィの歌うこの曲に、涙を出しながら、がむしゃらにシャッターを押し始めていた。

 そのほかにも、真正面から平和を望む声をだし、ストレートな言葉で「歌うべき言葉」を発している彼女の力強さは、いったいどこから出てくるんだろう。それに、そういった歌がなぜ、これほどまでにじんじんと響くのか... その理由はわからないけど、初めての体験で一瞬にして彼らのファンになってしまった。こういった人たちこそ、「ヒット」するべきなんだと思うし、その可能性を感じるのだ。

 ライブの後、中川君に彼女を紹介してもらって、アルバムを買った。このアルバムはスタジオ・ライヴという形で録音されているらしいんだが、残念ながら、あのライヴの迫力をとどめるまでには至ってはいない。なにがどう違うのか... それはよくわからないんだが、歌の良さ、そして、ライヴでの良さが封印されていないというのが正直な感想。でも、彼らへの評価が幾ばくも変わってはいない。今度、チャンスがあったら、絶対に見に行こう。そして、写真を撮ろうと思う。

OZOMATLI それから2日後の14日、夕方、鮫洲で国際運転免許を取得して、芝税務署で確定申告をして、出かけていったのが銀座のアップル・ストア。明後日からオゾマトリのツアーが始まるのだが、今回、iPodの宣伝で彼らの曲が使われていることもあり、ここで、フリー・ライヴが開かれることになっていた。15日には(これから数時間後ですが)成田に向かい、イタリアに飛ぶので、今回のツアーは見られないというので、出かけていったのだが、宣伝ではアコースティック・ライヴとなっていたのに、これ、ほとんど普通のライヴと同じやんけ!というノリで、わずか30分だったけど、おそらく、OZOのことなんぞ全然知らなかったろう人たちまでをも巻き込んでの大パーティ大会へとなってしまった。さすがです。なにせ、連中のテンションが違いすぎる。一気にあのパワーを出せる彼らって、すごいなぁと再認識。今日15日は大阪心斎橋のアップル・ストアで演奏するはずなんだけど、これ、見逃したらそんですよ。もちろん、連中の本チャンのライヴはそれに輪をかけてとんでもないから、全部体験して欲しいけど。

 ということで、これからイタリアに向かいます。Street Beat Festivalの取材なんですが、向こうから更新ができるかどうか... かなり疑問ですが、なんとかやってみようと思っています。



投稿者 hanasan : 04:36 | コメント (0)

2005年03月01日

前座だけでも満腹

The Dirty Dozen Brass Bandse 今日は、The Dirty Dozen Brass Bandのライヴ。最近引きこもり系なので、(仕事のせいです!)久しぶりにライヴでも楽しもうと思って出かけてきました。でも、実を言うと、なんにも期待していなかった前座がめちゃくちゃ良くて... びっくりです。なんでもthe Benevento/Russo Duoと呼ばれているらしいんですが、ステージに立っているのはドラマーとハモンド・オルガン。それぞれ、(楽器のことはよくわからないのでこんな形で言ってしまいますが)奇妙なエフェクターっぽいものが置かれていて、それをいじくったりしながら、ヴォーカルなしで演奏を始めるんだが、これが... なにやら、わからん。まぁ、ジャズっぽいテーマがあって、とんでもないアドリブの応酬が延々と続いていくんだが、全然飽きない。 それどころか、どんどん引き込まれていくのだ。

 曲によっては、突然「ハードコアのロック」になったり、どファンクに聞こえたり... と思ったら、時には、タンジェリン・ドリームなんてものまで想像してしまう音まで聞こえてくる。ひょっとして酔っぱらっていたんだろうかとも思うんだけど、それほどまでに自由な音楽なのだ。

 演奏が終わって、ハモンドの方の人とちょっと話していたんだけど、たまたまこうなってしまったんだそうな。ドラムスの人がある小屋でレギュラーの仕事を取ってきて、二人で好き勝手な演奏を始めたら、それが勝手に化学反応を起こして、今の形になっていったんだとか。だから、こういった音楽を目指してやってきたんではなく、ライヴを繰り返すことでとぎすまされてきた、「できちゃった」音楽なのだ。

「ハードコアのロックを感じたりしたんだよね」

 というと、嬉しそうな表情を見せながら、「そうなんだよね。実際、僕ら聴いている音楽の幅がめちゃくちゃ広くて、いろんな要素がごっちゃになってるって感じなんだ」なんぞと話していました。

 スマッシュのサイトにあるアーティスト紹介によると、メデスキー・マーティン・ウッドの次がこれだという、NYジャム・シーンの期待アクトらしいけど、ジャムだろうが、ジャズだろうが、そんなことは無関係に、聞いたことない音楽で、わくわくしながら見てました。

 今日は、DDBBのギター、ペット、サックスが最後に登場してセッションを繰り広げてくれたんだが、なんでも名古屋ではドラムスが加わったとか。ツイン・ドラムで、あれをやるんかぁ... すげぇ、なんて思ってしまいました。

 なお、連中のオフィシャル・サイトはhttp://www.organanddrums.com/で、もうすぐ新しい(3枚目だとか)アルバムが出るんだそうな。初めてきちんとスタジオに入って2日間でレコーディングしたらしいんだが、基本的にはライヴ的な録音で、オーヴァー・ダブは最小限に押さえているんだとか。この日もレディオ・ヘッドの曲なんかも演奏していたし、このバンド、興味津々です。これまでに聞いたことがない、新しい音楽を体験したかったら、明日の最終日、行ってくださいませ。



投稿者 hanaoyaji : 00:23 | コメント (0)