button第9章 ラジオが刺激的

--BBCから海賊放送局まで---


 なにはともあれ、まずはラジオのスイッチを入れる。これが毎日の日課だった。朝、目が覚めてトイレに行く途中、あるいは歯を磨くまでの間に、必ず立ち寄るのがキッチン。そこにいつも置いてあるラジカセのスイッチを入れて、御機嫌なロックを聞きながら一日が始まるのだ。そんなロックをBGMに目を覚ましたことも何度もある。

 なかでも忘れられないのは80年12月8日の朝だ。ブライトンの友人宅に居候していた頃、まだ朝も早いってえのに僕のベッドルームに飛び込んできたのがやはり居候していたカナダ人の友人。「コーイチ、ジョンが殺されっちまったよ、クソッ」と、彼が叫んでいた。もちろん、これはジョン・レノンがニューヨークで凶弾に倒れた時のことだ。「朝っぱらからヘンな冗談よしてくれよ」と言いながらベッドからはい出た僕はこの日、ジョンの凶報と共に目を覚ましたことになる。そして、この日朝から晩までラジオから流れていたのがジョンとビートルズの曲の数々。結局、この日は一日中ラジオにかじりついて日が暮れたことになる。

 が、そんな事件とは関係なしにいつも側にあるのがラジオだった。初めてイギリスに行って、それから数カ月を過こすことになったサウス・デヴォン(South Devon)の片田舎、トーキィ(Torqay)に着いた時には、まずラジオのスイッチを入れてその実感を味わったものだ。もちろん、聞こえてくるのは紛れもない英語。それもクッチャクチャとチューインガムを噛んでるようなアメリカ英語じゃなくてチャキチャキの純正英国産英語。しかも、チューナーに触れるとイギリス海峡の向こうからフランス語やドイツ語、さらには識別不明の言葉が飛び込んでくる。今考えてみりゃ、あまりにも当然のことなのに、これがずいぶんと新鮮な感動だったような気がする。なんたって、それから1日ほど前に自分がいたのがこの地から見りゃ地球の反対側。どこを振り向いたって日本語だったのが、一夜明けりゃ完全に英語の世界だ。思えば、そんな感慨をまず最初に与えてくれたのがラジオだった。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  いつも聴いてたのはBBC(British Broadcasting Corporation)のラジオ1。NHKと同じように英国放送協会の頭文字を取った放送局だってえのに、かけられるのはロックやポップスばかり。まずはこの局が気に入ったのだった。というより、これ以外に探す必要性が全くなかったと言った方がいい。なにせ、初めてイギリスに行った80年頃ってぇと、バンクがひと山越えて、独特の味を持ったニューウェーヴのバンドが続々と飛び出していた時期だ。聴き憤れていたアメリカのポップスは少数派で、このラジオ1から流れてくるのはそんな新しいバンドの興奮ものの音楽。それで十二分だったのだ。

 よく聴いていたのは金曜日のトップ40。それを録音したテープを日本でレコード屋を経営している友人に送るのが習慣になっていた。そして、必ず聴いていたのが土曜日か日曜日に放送されていたライヴ番組だ。もちろん、気に入ったバンドがあれば、それも録音してその友人に送るのだ。その当時はスカを現代風に解釈した2トーンがブームで、セレクターやバッド・マナーズのライヴを録音したのをよ〜く覚えている。その他、今はもう死んでしまったブルース界の父とも呼ばれていたアレクシス・コーナーがDJをやっていた番組など…… もっとも、この頃はどんな番組があるのかなんてことは全く無関係にただ聴いているだけでよかったような気がする。

 もちろん、その理由のひとつは充分に英語を理解できなかったからだ。今思えば、おそらく日本と同じようにどうしようもないトークショウなんてぇのがあったのかもしれない。実際、曲名を当てるクイズなんて番組があったのがかすかに記憶に残っている。そのあたりは日本とあまり変わらない。それでもその曲がクセ者で、日本よりは段違いに面白かったように記憶している。

 そして、英語が多少でも理解できるようになると、今度はインタヴュー番組に出てくるミュージシャンの凄さにブッ飛ばされる。エリック・クラプトンのホンモノの声が聞こえてきたり、ピーター・ガブリエルなんて大物も登場してくれる。確かジョン・レノンが死んだ直後には、死の数週間前に録音されたインタヴューが連続して放送されたものだ。いつかはきっと理解してやろうと録音したテープが今もきっと我が家のどこかに埋もれているはずだ。それほどの興奮を提供してくれるのがラジオだった。

 言葉が多少なりとも理解できるようになると、インタヴュー番組で語られるミュージシャンたちの言葉が、なあなあで済まされる日本のそれとは違ってかなり政治的な内容をも含んでいるのがわかるようになる。アナウンサーの質問もシリアスなものが多いし、それに対するアーティストたちの過激な答えがスピーカーの奥から伝わってくるのだ。

 さらに面白かったのがディスカッション番組だった。当時急成長を続けていたのが反核団体、CND(Campaign For Nuclear Disarmament=核廃絶運動)。その起爆剤とも言える若い人たちが参加した番組は今でも忘れられない。保守党の国会議員を前にしてまだ15歳だった女の子がこう言ったのだ。

「そりゃぁ、あなたたち年寄りはあと数年しか生きてられないでしょう。でも、私たちはあなたたちよりもずうっと長くこれから生きていなきゃいけないのよ。無責任な発言しないで欲しいわ。未来はあなたたちのためにあるんじゃなく、私たちにこそ与えられるものよ」
ロンドン・ラジカル・ウォーク  その頃から毎日のように聴くようになっていたのがジョン・ピールというDJの番組だった。毎週月曜から木曜日の夜10時から12時までオンエアされていて、かけられるレコードが凄いのだ。今まで見たことも聞いたこともないようなバンドの、しかもドキッとするような曲がバンバン流される。それもバンクからニューウェーヴ、レゲエにアフリカン、はたまたドイツやフランスから日本や東側のレコードまで、よくもまあ放送局の上層部が許可したと思えるほどアナーキーな選曲で構成されている。その選曲のセンスの過激さが気に入って彼にインタヴューをした時、彼がこんなことを口にしたのが面白かった。

「たまにゃぁ、最悪なのもかけるわなぁ。時たま回転数間違えることもあるしさ(笑)。でもね、他の番組でかかってる曲かけても退屈じゃない。あんなのが面白いとは思わないしさ。局だってDJにゃ充分な権限を与えてるし、実際は細部にまでチェックできないかんね」

 と、そのアナーキーさを気にかけるでもない。それでも、そのセンスの良さが彼をイギリスのトップDJにしているのだ。NMEやメロディ・メイカー(Melody Maker)といった音楽新聞の人気投票では、毎年ナンバーワンのDJに選ばれている。しかも、60年代後半に波が番組をスタートしてから今まで毎年なのだ。その人気を裏付けるように彼の番組からスターになったアーティストは星の数ほどもいる。初めてラジオでピンク・フロイドをかけたのも彼なち、ジミ・ヘンドリックスを初めて紹介したのも彼。デモテープであろうが、売れ.ていようがいまいが、面白いと思ったら放送してしまうのがこの人。そして、レコードが無理ならスタジオに招いて週に一度彼らのライヴを放送だ。今じゃそんなセッションの数々がレコードのシリーズになって発売されている。そのジャケットに小さい活字で刷り込まれているのがそんなセッションを経験したアーティストの名前の数々。そこにはなんとシド・バレットなんて人の名前まで出てるってから信じられない。

「いやあ、要するにガキみたいなもんよ。ねぇねぇ、これ聴いた? ってのをいまだにやってんだから」

 そう言いながら、オックスフォード・サーカスのちょい北にあるBBCのエグトン・ハウス(Egton House)で今も放送を続けるジョン・ピール。最近、放送日が週3回に減ったのが多少残念だけど、彼自身がディスクをまわしながら作るこの番組はおそらく世界最良の音楽番組だ。

 彼の影響のせいかどうか、イギリスでは番組のプロデューザーよりもDJの方がずっと権限を持っているようだ。ジョン・ピールの後を追う若手DJでこの頃人気なのが、2年ほど前まではビリィ・ブラッグのローディだったアンディ・カーショウ。彼なんぞは、気に入ったミュージシャンのレコードを毎回オンエアして、遂にはスターにまでしてしまった。それがなんと50歳でイギリスヘデビューすることになった、アメリカはロサンゼルスのストリート・シンガー、テッド・ホーキンス。普通のレコード会社にゃぁ相手にもされないようなアーティストのレコードがラジオでバンバン流されて、こんな事態を生むのだから、彼らの影響力たるや量り知れないものがあるように思えるのだ。そのアンディの他にはジャニス・ロングやトニィ・ブラックバーンなどが有名で、民放にあたるキャピタル・ラジオでもレゲエ狂いのデイヴィッド・ロデイガンなどがよく知られている。そして、その人気の尺度とも呼べるのが放送局で配られている彼らの絵ハガキ。局の前に行くと、そんなDJをつかまえようと、ファンが待ち構えてるってぇから、実に彼らは、ミュージシャン並のスターなのだ。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  ちなみに、イギリスのラジオ放送局にどんなものがあるかというと、BBCラジオには1から4までがあり、1は先にも書いたようにロックやポップス中心で、2はMOR。3はクラシックで4はトークショウやドラマなどとなっている。そして、そのロンドン支局が全国放送とは別の局として番組を制作し、あとはキャピタル・ラジオがメジャー。それに、日曜日のみ放送しているのがCFMで、他には夜オンリーのラジオ・ルクセンブルグなどが好まれている。といっても、海外からの電波が簡単に流れ込んでくるのがここ。全然わけのわからないフランス語放送でも、音楽だけ聴いてりゃかなり面白いのだ。

 それほどの面白さを持っているイギリスのラジオにも汚点はある。それが政治的な圧力で放送禁止になる曲の多さだ。フランキィ・コーズ・トゥ・ハリウッドの「リラックス」やジョージ・マイケルの「アイ・ウォント・ユア・セックス」はその露骨な性表現で禁止され、ブロウ・モンキィズの「ザ・デイ・アフター・ユー」は反サッチャーをプロパガンダしているからと総選挙が終るまでシャット・アウト。確かに彼らは、政治的効果を狙って発表したのだが、それをいとも簡単におさえ込めるのが恐ろしい。

 それに、Fで始まる4文字言葉に対してはアレルギーとも思える反応を示す。日本ではあの言葉をラジオやテレビで平気な顔で使ってる人がやたら多いけど、公衆の面前で絶対に使うべきでない言葉の筆頭がこれだ。そんな場面を見た英米人がどれほどビックリしているか簡単に想像できるもんね。まずはオンエアされないし、"労働者は普通に使ってるじゃねぇか"とその言葉をバンバン使って政治的にラディカルな曲を作っているクラスなんて過激派バンドはもちろん、局から完全な締め出しをくらっているのだ。

 そんな政治的な圧力に加えて、暗黙の人種差別がある。NMEが一度その調査をして特集を組んだことがあるのだが、白人に対して黒人のレコードが演奏される比率が極端に低いのが現状だ。もちろん、人口比率は白人の方が多いのだけど、音楽に関してはそれが完全に比例しているわけじゃない。それに音楽業界にも人種差別は歴然と存在する。黒人などエスニック・マイノリティがその被害にあっているのだ。彼らへの懐柔策としてBBCのラジオ1はランキング・ミスPという女性DJを雇いレゲエ番組をスタートさせているが、それでもまだまだ人種差別的な傾向を持つのがメジャー放送局。その反動としてロンドンには多くの海賊放送局が登場してきている。

 その筆頭に上げられるのがDBCだった。正確にはドレッド・ブロードカーステイング(Dread Broadcasting)。赤、緑、黄色(黄金色)のラスタ・カラーの上にガンジャを吸っているドレッドロック(Dreadlock)の黒人がシルエットで印刷されているTシャツで有名な放送局だ。そのTシャツはDBCを正当なエスニック・マイノリティ向けの局として認めさせること、そして、その運動資金を稼ぐために作られたもの。もちろん、NMEや情報誌シナィ・リミッツ(City Limits)など、多くのメディアから支援され、長い間市民に親しまれていたのがこの局だった。実際、多くのレゲエ・スターやDJたちがここから生まれている。実を言えば、前述のランキング・ミスPもここから出てきたDJだ。が、そんな海賊放送局に対して容赦ない圧力が加えられていて、結局はこのDBCは潰されてしまったと聞く。

 ただ、ここではそんな海賊放送局が警察とイタチごっこを繰り返すように、いくつも生まれては消えてゆくのだ。しかも、その人気を充分認識しているのが一般の人々。ひとつ誕生すればすぐにスポンサーがつき、なんとコマーシャルまで入る始末。レコード会社も新譜のサンプル盤を流し、プロモーションまで展開する。最近になってそんな効率の良さにドラッグ・ディーラーたちが目をつけ、資金稼ぎに海賊放送局を利用していることもあるらしい。こっちの業界関係者によると、レコードを20回オンエアするのに支払われるのが600ポンド。かなり、ボロい儲けをしているというのだ。

 といっても、こんなところから大ヒットが生まれてくるのがこの国だ。その好例が87年初夏にシングル.チャートの2位につけるヒットを飛ばしたジュディ・バウチャーの「キャント・ビィ・ウィズ・ユー・トゥナイト」。この曲はそんな背景から生まれている。そして、これがやはり黒人アーティストによるソウルだというのが微妙な問題を提示しているのだ。要するに、メジャーではよほどのことがない限りオンエアされない彼らの音楽が実は、これほどのポピュラリティを持っているということ。そう、一般の放送局がカヴァーしきれないところにごく普通の人たちの文化が存在するということだ。

 海賊放送の魅力はそんなところにある。だからこそ、シティ・リミッツといった情報誌までがラジオの番組リストに海賊放送局の情報を載せているのだ。もちろん、いつも生まれては消えてゆくのがこんなマイナー局たち。その情報を具体的にここに書くのは不可能だが、絶対にチェックしておきたいのがその動きだ。なぜなら、メジャー局が表面だとしたら海賊放送局は裏。そこから、本当にポピュラーな音楽や文化の断面がクッキリと見えてくるからだ。
chapters

buttonこの本の復刻にあたって...

button第1章 さあ、ロンドンに着いた : - 空港から市内へ -
button第2章 「A to Z」を持って街にでる :- 地下鉄、バスからタクシーまで -
button第3章 高いホテルは要らない : - 泊まり方と住み方 -
button第4章 ソーホーはロンドンの縮図 : - 歓楽街、チャイナタウンからナイトクラブまで -
button第5章 イギリス料理って何だろう : - フィッシュ&チップスからケバブ屋まで -
button第6章 日本食が恋しくなったら : - 材料のそろえ方と自然食ムーヴメントについて -
button第7章 ライヴは"生きた音楽"だ : - 開演前から思いきり楽しむ -
button第8章 真夜中からが本当のロンドン : - ナイトクラブは流行発信地 -
button第9章 ラジオが刺激的 : - BBCから海賊放送局まで -
button第10章 情報誌はジャーナリズムだ1 : - タイムアウトとシティリミッツ -
button第11章 情報誌はジャーナリズムだ2 : - 世界を反映する音楽紙 -
button第12章 オープン・マーケットで掘り出し物探し :- カムデンマーケットはストリート文化の宝庫 -
button第13章 流行はストリートから : - 究極のロンドン・ファッションとは? -
button第14章 とにかく興奮! レコード・ショップ
button第15章 映画館は大騒ぎ : - レイトナイト・ショーで盛り上がろう -
button第16章 テレビも忘れずチェック : - 音楽、コメディ、報道番組の楽しみ方 -
button第17章 誰でも英語は話せる : - 本場の英語を学ぶコツ -
button第18章 パブこそが全て : - 飲んべぇたちの奇妙な生態 -
button第19章 ビ-ル作りの密かな愉しみ : - ビターからホーム・ブリューイングまで -
button第20章 パブがパンク・ムーヴメントを育てた : - トラッド・ジャズなど、パブは音楽のゆりかご -
button第21章 ストリートがステージだ! : - 街頭で演奏するバスカーたち -
button第22章 街を揺さぶる移民のカーニヴァル : - ノッティングヒル・カーニヴァルの光と陰 -
button第23章 ブリクストンの暑い夏 : - 観光客の知らないロンドン -
button第24章 反抗する音楽 : - CNDで知ったミュージシャンの政治意識 -
button「もうひとつの世界」へのアプローチ : - グラストンバリーのヒッピー・フェスティヴァル -
button解説(月刊宝島編集長、関川誠)
buttonあとがき



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