button第24章 反抗する音楽

---CNDで知ったミュージシャンの政治意識---


 トラファルガ−・スクェア(Trafalgar Sq.) の中央に姿を見せていたのは恐怖に顔を引きつらせて泣き叫ぶ赤ん坊だった。おそらく、この子が見つめていたのは今にも空から落ちてきそうな核爆弾なのだろう、その表情が巨大な看板に重苦しいモノクロ・タッチのイラストで描かれている。

 そして、その前に特設されたステ−ジではキリング・ジョ−クやポップ・グル−プといったパンク系ア−ティストの数々がワイルドな演奏を見せ、それに応えるように踊り狂っていたのが髪を赤や黄色に染めたパンクの子供たち。と思うと、そのそばではまるで60年代の生残りのようなピッピィが長い髪を揺らせながらリズムに身をまかせている。また、そんな大人に連れられた子供たちは顔にカラフルなペインティングをしてキャッキャと叫びながら走りまわっているのだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク 「なんだろね、これ。お祭じゃないの?。」

 と、そんな言葉を吐いたのはそばを通りかかったサラリ−マン風日本人。それが耳に入ってきた時には奴等の顔をブン殴ってやりたい気持にかられたもんだ。でも、ここにあるカ−ニヴァルのような雰囲気は否定できるものではなかったように思えるのだ。

 これが生まれて初めて経験した80年10月のデモの情景だ。主催者は当時急速な成長を見せていたイギリスの反核運動体、CND(Campaign for Nuclear Disarmament=核廃絶運動)。ほんの数年前まではメディアからまるで無視されていたような弱小団体だったというのに、この日ハイド・パ−ク(Hyde Park) からトラファルガ−・スクェアへ向かうデモ行進に彼らが集めたのは約10万の人々。突然降って沸いたような史上最大のデモの出現はメディアにとって驚異的なニュ−スだったのだろう。その夕方のテレビ・ニュ−スや翌日の新聞にはこれが大きく取り上げられていたものだ。

 が、僕を驚かせたのはそこに集まった人数や規模ではなく、このデモが見せていた特異な表情だった。まず信じられなかったのは政治的な集会のステ−ジに姿を見せていたパンク・バンド。しかも、彼らがそこで "ウォ−・ダンス" なんてタイトルのついた曲を演奏し、政治家連中にハッパをかけるような激を飛ばしていたことだ。ふつうデモにつきものなのは退屈極まりない政治家の演説と相場が決まっているのに、ここじゃコトもあろうにロック・バンドが登場。それが余興ではなく真正面から政治的な主張を繰り返しているのだ。しかも、それを奇異なものと受け取っているのは僕のような外国人ぐらい。彼らの間にはな〜んの不自然さも違和感もないのだ。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  さらに、行進した人たちの中にまで顔を出していたのがモヒカン頭のパンクやグリ−ンのジャケットを着たモッズの子供たちだ。そんな子供たちが広島とヨ−ロッパを重ね合わせた造語、"NO MORE EUROSHIMA"と書かれたプラカ−ドを持って1時間近くも歩いている。その隣で、「マギィ−(マ−ガレットの略称)は出ていけぇ〜」 と大声でサッチャ−首相を非難してるのがいかにも年季の入った左翼運動家風情のオッサン。そして、日本じゃ60年代に忘れ去られていたピース・マ−クも当然のように顔を出し、あの世代の人たちが子供を連れてこのデモに参加している。

 また、そんな人々の間からしきりに自己主張しているのが政治団体の旗だ。労働党はもちろんのこと、そのまま訳せば、"若き社会主義者" あるいは、"社会主義学生組合" ってのから、デモで行進していたイギリス人に、「え〜っ、この国に奴らの政党があるなんて知らなかったぜ。」と言わせた共産党も顔を見せている。といっても、ここで幅を効かせているのはCNDのロ−カル・グル−プやフレンズ・オヴ・ジ・ア−スといった草の根的な運動体。政党は運動をリ−ドするのではなく、あくまでもその一部にしか過ぎないというのがこれを見ているとよ〜くわかるのだ。

 また、そんな常識的な団体に混ざって、"マリワナ解禁同盟" から "ゲイ解放運動" など、日本で開催されているこの類のデモん中じゃチト想像できないような団体の名前も見える。言ってみれば、ここに顔を見せていたのは左翼とヒッピィ、そしてパンクといった雑多な人々のコンビネ−ション。これがイギリスで初めて味合う本格的なカルチャ−ショックだったように思うのだ。

 それだけではなく、ピクニック気分で参加できるデモも楽しかった。だいたい政治を積極的に嫌っていた僕がこのデモに行った理由はパンク・バンドの出演とサンドイッチを用意してブライトンからここに向かうと言った友人の誘いだ。

「ねぇねぇ、デモ行こうよ。だって、当然核に反対してんでしょ。なら、いいじゃない。それに、CNDのチャ−タ−バスでロンドンまで安く行けんだよね、ハッハ〜。」

 と、まるでデモをダシにしてロンドンへ遊びに行くようなノリで彼らは語りかけてくるのだ。かといって、彼らには悪びれた様子はまるで感じない。重要なことはデモに参加して自分の意志を表現することであって、そのスタイルや発想、政治的な背景なんて代物はどうでもいいのだ。そのあたり、政党や政治団体に振り回されて、ハチマキと単調なシュプレヒコ−ルで明け暮る日本のデモのイメ−ジとは明らかに違っていた。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  そして、会場に着いて感じたのは政治と文化、特にロックやそれに関わる若い世代との間にある微妙な関係性。正直言えば、そんなカルチャ−・ショックの体験が僕に物を書かせる動機となっていったのだ。

 そんなデモやミュ−ジシャンたちが関わる政治的なイヴェントに必ず顔を出すようになったのはあれからだった。そして、そのたびに繰り返して体験したのが新しい発見や感動だ。82年のCND25万人デモ行進ではその起点、テムズ川沿いのエンバンクメント(Embankment)で当時からすでに大スタ−だったポ−ル・ウェラ−率いるジャムが演奏。その終点となったハイドパ−クの特設ステ−ジでは無名のパンク・バンドのリ−ダ−がスピ−チだ。

「いいかい、俺はCNDの支持者でも労働党の支持者でもない。でも、ここで主張されていることが正しいと思ったからやって来たんだ。」

 彼はそう叫びながら生まれて初めて真のあたりにする25万の人々をステ−ジからカメラに収めている。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  そして、背筋がゾッとするような感動を覚えたのはその翌年、やはり同じ場所で開催されたCND集会だ。その時集まったのは40万を越える数の人々。彼らが60年代の古典、"ウイ・シャル・オ−ヴァカム" を歌い終り、ステ−ジから人影が消えた直後だ。どこからもなく聞こえてきたのがジョン・レノンの "平和を我らに"。誰が歌えと言うでもなく始まったこの合唱が次第に大きくなり、ハイドパ−クを埋めつくしてゆく。そして、家路に着く無数の若者たちがこの曲を叫ぶように歌いながら地下鉄の駅に消えていったのだ。

 そんな政治的な動きの裏にはいつも音楽や文化があったように思えるのだ。核配備を非暴力直接行動で阻止しようと米軍基地、グリ−ンナムコモン(Greenham Common) でピ−ス・キャンプを張る女性たちを訪ねた時もそうだった。ニュ−カッスルからやって来た19歳の女の子はこう語りかけてくるのだ。

「ずっと押さえつけられてんのよね、アタシたち。学校出ても即失業で... 奴らは人殺しには金を使ってもアタシたちははな〜んもしてくれないわけ。でも、UB40やクラス... 彼らって、アタシたちのことを充分わかってくれてんだよね。」

 また、その年の5月に7万人を集めて反核をキャンペ−ンするためにギグを開催したCNDの若者たちの組織、YCND(Youth Campaign for Nuclear Disarmament)を訪ねた時だ。当時、その書記長だったアナジョイ・デイヴィッドもこう言ってたっけ。

「どこの国でも同じよ。音楽は若い人にとって重要なコミュニケ−ションの要素じゃない。その好例が5月のギグね。なにかポジティヴなことをしたがってたミュ−ジシャンは大喜びで、全国から集まって来た若者たちはそこでなにかをみつけるわけでしょ。そりゃ、音楽が世界を変えるわけないかもしれないけど、なにかが変わりつつあるのは確実よ。実際、2〜2万人も集まりゃ大成功だって言われてたのに蓋を開けたら7万人。あれは私たち自身の可能性の証明だと思うの。」

ロンドン・ラジカル・ウォーク  と、18歳の時に25万人を前にして初めてのスピ−チを経験した彼女は話してくれるのだ。オフィスで鳴らされているのはラジオから流れ出てくるロック。そのそばでタイプを打っていた少年もこう答えてくれる。

「若い人の文化って基本的には既成のものに対する反抗から生まれてくるって思うんだ。俺たちが今やってるのも、親やシステム、それに信じられない政党の政治への反抗さ。そして、僕らに最も身近なのが音楽。70年代は音楽も政治も退屈だったよ。でも、僕らのあせりや不満を正面から表出していたのがパンクやレゲエ。それを僕らから切り離して考えられるわきゃないさ。」

いつか、過激な行動で知られるバンド、クラスに会った時もハッキリと言われたもんだ。

「パンクは今までの歴史の中で最もパワ−を持った若者の運動を生んだと思うね。CNDの再生やグリ−ンナムのピ−スキャンプもそこから触発されていると思うんだ。」

 そして、それを見事に証明したのがCNDデモで会ったパンクの子供たちだった。マンチェスタ−からやって来た14歳の少年は日本の若者へのメッセ−ジとしてこんな言葉をくれるのだ。「自分が信じているのなら行動すべきだ。そして、そのために闘うべきだ。」そして、やはりパンクのカップルはそのデモへ参加した理由をこう説明してくれる。「参加者の人数を増やすために来たんだ。じゃないと、マスコミってぇのは全然書かねぇかんな。」

 かといって、あれからも数年が過ぎ、今もパンクの格好だけで満足している人たちにこれを期待するには無理がある。が、重要なのはパンクという革命が彼らの意識を変革し、それがスタイルではなくエッセンスとして波及。さらに、60年代にはこんな運動のシンボル的な役割しか果たしていなかった音楽が、政治にまっ正面から対峙する勢力となったことだ。

 例えば、70年代後半に生まれたロック・アゲンスト・レイシズム(Rock Against Racism)。人種差別に反対するロックと呼ばれるこれが歴史上初めてミュ−ジシャンを中心とした積極的で政治的な圧力団体として登場していることだ。パンクとレゲエのア−ティストを中心に、彼らは人種差別反対をキャンペ−ンするためのギグやレコ−ド制作を実現。そのレコ−ドにはレ−ベルを越えて多くのア−ティストが曲を提供している。もちろん、これは音楽やレコ−ドがメジャ−の産業に支配されていた時代には不可能な出来事だった。が、それを支えていたのはパンクによる意識の変革とインディ・レ−ベルの力。そして、CNDの動きが大きくなると同時に登場してきたのが若者たちによる様々な組織だ。反ナチ同盟(Anti-Nati League)、 ノ−ニュ−クス・ミュ−ジック(No Nukes Music)... 彼らは数々のア−ティストと共にイヴェントやデモ、レコ−ド制作を企画し、その動きがどんどん拡大されていったのだ。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  それがポップな形で展開したのがバンドエイドに始まる飢餓救済運動だった。むろん、慈善という言葉に疑問はある。が、同時にこれが現実的な力として政治に影響を与えたことは確実だった。実際、ボブ・ゲルドフのウソと宣伝になるという甘い言葉に乗せられてここに巻き込まれたのがメジャ−のレコ−ド会社。誰も公式には承諾していない時点で、彼は 「某社もOKしたんだぜ」 と、予想以上のレコ−ド会社やメジャ−のスタ−を口説き落としていったのだ。さらに、面白いのは 「物資を送るだけでは問題の解決にはならない。あの飢餓を支えているのは政治的な紛争だ。」という批判に対してボブが語った言葉だった。

「だからなんだってんだよう、えっ? んなこたぁ関係ねぇや。そんなことで議論してる間に現実にあそこじゃぁ人が死んでるわけだろ。俺が欲しいのは金さ。そ、莫大な金なんだ。道徳や政治なんてクソッ食らえってんだ。」

 かといって、それで終らないのが素晴らしかった。それをフォロ−するようにレゲエ・ア−ティストたちがさらにレコ−ドを発売。ライヴ・エイドだってテレビで放送された有名な一発に終らず、地方でも有名無名のバンドを集めて幾度も開かれているのだ。しかも、政治的な紛争が原因で飢餓が発生していることをより明確に訴えるためにジェリィ・ダマ−ズやマッドネスたちが、また新しいレコ−ドをリリ−ス。それに、小規模ながら彼らがディスコを主催したりと、そんなイヴェントが数限りなく開かれているのだ。

 もちろん、飢餓救済や反核に限らずテ−マは時代の変化とともに広がってきている。84年から始まった炭鉱労働者スト支援のためのコンサ−トやキャンペ−ンはそのスト終了後も続けられ、ここにはエルヴィス・コステロなどを筆頭にほとんど全てのア−ティストが参加していた。また、ゲイ解放のためのデモや集会があるとコミュナ−ズやトム・ロビンソンといったおなじみのア−ティストが顔を見せる。最近ではそこにニカラグア支援からチリでの反政府運動支援運動が加わり、反アパルトヘイト運動も大きくなっている。

 特に驚異的だったのは86年6月に開催された反南ア集会。主催者はAAA、アパルトヘイトに反対するア−ティスト(Artist Against Apartheid)という組織を作ったミュ−ジシャン、ジェリ−・ダマ−ズたち。彼らが10年ぶりの熱さを記録したロンドンはテムズ川の南にあるクラップハム(Clapham) に10万人の人々を集めているのだ。しかも、その特設ステ−ジに集まったのはピ−タ−・ガブリエルからシャ−デ−、スタイル・カウンシルなど数々のア−ティストたち。たかだか音楽やってる連中がこれほどの集会を企画し実現したのは史上初めての出来事だった。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  そして、そのデモに参加して炎天下をマ−チしていたのはビリィ・ブラッグやジュニアたち。マ−ブルア−チ(Marble Arch) にあるポ−ル・ウェラ−のスタジオ、ソリッド・ボンド(Solid Bond Studios)に集合した彼らが掲げていたのはレッド・ウェッジ(Red Wedge) の旗だった。これは若い人たちの政治意識を高めるためにミュ−ジシャンやメディアで働く人々が作った新しい団体だ。そこで彼らは具体的な要求を打ち出し、政府への圧力団体として活動。さらに、その要求実現のためにまずは労働党政権を打ちたてようと活動しているのだ。といっても、彼らはこれをその政党のために組織したわけではない。これをハッキリと指摘したのがビリィの言葉。これが重要なのだ。

「そ、これは彼らと共同戦線を張るためのものなんだ。そして、僕らは彼らに要求を実現するためにプレッシャ−を与え続けてゆく。実際、彼らんなかにはバカな人間がいるもんな。彼らと炭鉱労働者スト支援ツア−をやったことがあるんだけど、その時なんか、"いやぁ〜、君は歌詞のなかで世界を変えたくないなんぞと歌ってるけど、あの詞は変えなきゃダメだよ" なんて平気で言ってくるヤツがいるわけ。ホント、短絡してる政治バカの連中がくさるほどいるんだから。」
ロンドン・ラジカル・ウォーク  その彼はソヴィエトからニカラグアへとツア−を続け、そんな運動体へ幾度となくチャリティやキャンペ−ンのためのツア−を続けている。残念なことに、そんな活動にもかかわらず負けてしまったのが87年の総選挙。でも、このレッド・ウェッジなどの影響力を真のあたりにした政府は、彼らから影響を受けやすい若年層の投票率を減らすために一定額の税金を収めていないと選挙権を取れなくなる法律を作ろうと画策していると聞く。もちろん、これがどれほど常識はずれなものかは充分理解できるし、それが簡単に成立するとは思えない。が、そんな政府の対応に明らかに見えるのは、彼らがバカにしていたポップ・カルチャ−をマトモに対して相手をせざるを得なくなったという状況なのだ。

 そして、そんなカウンタ−・カルチャ−の力こそがロンドンで最も刺激的な魅力だと思えるのだ。また、こんな動きを理解することなくして、そのハ−トには触れられないような気もする。労働党の記者会見にヒップホップのダンス・グル−プが登場し、デモで演奏するのがポップスタ−。また、そんな場で行われるラディカルなスピ−チに、まるでライヴでも見ているような反応を見せるのはこの国の若者たちだ。もちろん、全ての子供やミュ−ジシャンが政治的なわけもないだろう。が、やたらポップなメロディに過激に政治的な詞をつけて音楽を演奏できるミュ−ジシャンたちや、その音楽に踊りながら握りコブシを上げて応える若者たちの存在を自然な感覚で理解するためには、この現実を身体で体験する必要がある。思うに、過激に動き続けるロンドンの魅力の謎を解く鍵のひとつは政治にある。そして、その鍵はその現場に踏み入れ、問題を共有することによって初めて手に入るような気がするのだ。
chapters

buttonこの本の復刻にあたって...

button第1章 さあ、ロンドンに着いた : - 空港から市内へ -
button第2章 「A to Z」を持って街にでる :- 地下鉄、バスからタクシーまで -
button第3章 高いホテルは要らない : - 泊まり方と住み方 -
button第4章 ソーホーはロンドンの縮図 : - 歓楽街、チャイナタウンからナイトクラブまで -
button第5章 イギリス料理って何だろう : - フィッシュ&チップスからケバブ屋まで -
button第6章 日本食が恋しくなったら : - 材料のそろえ方と自然食ムーヴメントについて -
button第7章 ライヴは"生きた音楽"だ : - 開演前から思いきり楽しむ -
button第8章 真夜中からが本当のロンドン : - ナイトクラブは流行発信地 -
button第9章 ラジオが刺激的 : - BBCから海賊放送局まで -
button第10章 情報誌はジャーナリズムだ1 : - タイムアウトとシティリミッツ -
button第11章 情報誌はジャーナリズムだ2 : - 世界を反映する音楽紙 -
button第12章 オープン・マーケットで掘り出し物探し :- カムデンマーケットはストリート文化の宝庫 -
button第13章 流行はストリートから : - 究極のロンドン・ファッションとは? -
button第14章 とにかく興奮! レコード・ショップ
button第15章 映画館は大騒ぎ : - レイトナイト・ショーで盛り上がろう -
button第16章 テレビも忘れずチェック : - 音楽、コメディ、報道番組の楽しみ方 -
button第17章 誰でも英語は話せる : - 本場の英語を学ぶコツ -
button第18章 パブこそが全て : - 飲んべぇたちの奇妙な生態 -
button第19章 ビ-ル作りの密かな愉しみ : - ビターからホーム・ブリューイングまで -
button第20章 パブがパンク・ムーヴメントを育てた : - トラッド・ジャズなど、パブは音楽のゆりかご -
button第21章 ストリートがステージだ! : - 街頭で演奏するバスカーたち -
button第22章 街を揺さぶる移民のカーニヴァル : - ノッティングヒル・カーニヴァルの光と陰 -
button第23章 ブリクストンの暑い夏 : - 観光客の知らないロンドン -
button第24章 反抗する音楽 : - CNDで知ったミュージシャンの政治意識 -
button「もうひとつの世界」へのアプローチ : - グラストンバリーのヒッピー・フェスティヴァル -
button解説(月刊宝島編集長、関川誠)
buttonあとがき



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