音楽はひとつのメディアにすぎない...

「アメリカ行かんか。ヴィザあるんだったら、 明日にでも飛びたいんだ。」

 そんな電話を受け取ったのは2週間のロンドン取材を終えて帰国した3日後、11月19日の深夜だった。相手は玄人好みするア−ティストのライヴを次々に企画しているプロモ− タ−、スマッシュの日高氏。"思いたったら即行動" する彼の気性は、今までのつき合いも あってよく知っているのだが、この時ばかりはさすがに驚かされた。なにせ、明日なのだ。 しかも、電話の向こうからは 「嫌とは言わせない」 って雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。

「実はずっとフランク・ザッパと交渉してたんだ、どうしてもライヴやりたくて。そした ら、向こうから会って話したいって電話があったんだ。つきあってくれよ、インタヴュ− もできるから、いいだろ?」 と日高氏。

「え〜っ、ザッパかよ、こりゃぁマイッタな。」

 これが僕の第一声だ。なにせ、ザッパと言えば、半ば伝説的な存在。しかも、彼を同時代に体験したことも、彼に関する知識もほとんどない。そんな僕が実際に顔を合わせてインタヴュ−なんてとんでもないと思えたからだ。

 が、それはそれ。そんな恐れとも言える気持と同時に自分の中でムクムクと顔を覗かせてきたのが好奇心。結局、「ほな、行きまんがな。なんとか資料集めて下調べするわ。」と返事してしまったのが間違いだった。なにせ、噂によると "天才か狂人" ってほどフリ−キィな活動をしているのがザッパ。レコ−ドにはアナ−キィなロックから、ドゥ−ワップ、R&B、はたまたオペラにクラシックまでがあり、映画にビデオの話まで登場。支離滅裂を絵に描いたのが彼の世界のようなのだ。実に調べれば調べるほど混乱し、結局は "当って砕けろ!"と、半ば開き直りで日本を離れなければならなかった。そして、ヴィザ取得に手まどったこともあって、日本を出たのがあの電話の4日後。23日にはロスアンジェルスのザッパ宅のドアの前に立っていたから恐れ入る。

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Frank Zappa "グレイト・マザ−"、ザッパが住んでいるのはハリウッドに近い高級住宅街。が、そのなかでかなり質素な表情を見せているのが彼の家だ。鉄格子の玄関に備え付けられているベルを鳴らして待つこと数分、多少白髪が覗く彼がラフなシャツにスェットパンツ姿で顔を 見せた。まずはコンピュ−タ−や録音器材が並ぶスタジオに案内され、愛娘、ム−ンが入れたコ−ヒ−を飲みながら、さっそく来日公演の交渉となった。が、最初のヒトコトにガックリしてしまうのだ。

「どれぐらいのギャラを考えてるのか知らないが、僕のエ−ジェントが言ったのは不思議 な額じゃない。正規のツア−、そう、満足できるライヴをするためには最低2ヶ月のリハが必要で、そのための場所やミュ−ジシャンへの支払い、そして演出のための器材・・・ それだけでも最低25万ドルはかかる。しかも、僕のギャラなしでだ。それに器材の運搬やクル−を雇わなければいけないし・・・、ツア−となればまた同じ額が必要だ。実際、ペイするために最低2ヶ月はツア−さ。そう、自分の利益を得るために4ヶ月と50万ドルの金が必要なんだ。前は人のいいプロモ−タ−がやってくれたけど、日本じゃ数回の公演だろ。やはり不可能さ、それだけの金を捨てる覚悟がなけりゃ。しかも、今の僕は日本じゃ忘れられた存在じゃないか。」

わざわざロスまで来てこの台詞だ。それが予想できなかったわけではないが、日高氏の落胆は当然だ。かといって、ザッパの語り口は冷静そのもの。ギャラをふっかけているような素振りは全くない。そのあたり、彼のファンには一目瞭然なのだが、いわば完全主義者とも呼べるのがザッパ。フリ−キィの極地と言えそうなライヴやレコ−ド、ビデオも完璧な計算の下に作られている。それを裏付けていたのがこの時の会話だった。

 でも、諦められるわけがない。なにせ、10余年ぶりの来日を夢見て太平洋を越えて来たのだ。かといって完全なライヴを期待する日高氏がギャラを引き下げてまで依頼するわけもない。そんな状態での会話が一段落した時、ザッパが興味深いことを言いだしたのだ。

「単発のライヴはやはり無理だよ。でも、今僕が作っている音楽を使ってなにかできない かなって思うんだ。」

 と、このアイデアがいかにもザッパらしくて、ぶっ飛んでいる。まずは、日高氏の了解の下にこの時の会話をインタヴュ−の一部として紹介したいと思うのだ。

「実は今僕が最も関心のあるものに・・・ なんだっけ、凄く派手な衣裳を身に付けたゲイジャ・ガ−ル・・・ え〜っと、そう花魁だっけ? 彼女たちの歩き方があるんだ。だって、真剣に考えてみなよ、あのム−ヴメントってのは絶対奇妙だよ。それがおかしくって、その動きを基調にしたモダン・ダンス、あるいはシアタ−のようなものを作りたいって思うんだ。」

 と、突然コンピュ−タ−から最近の作品をアウトプット。前衛音楽のような響きを持った曲を聴きながら会話が始まった。

「まず、このプロジェクトに必要なのは日本人のファッション・デザイナ−と振付け師。それと伝統的な衣裳を身につけて踊れる花魁が少なくとも4人。後はダンサ−かモデルだ。 そして、リハをするに充分な設備。音楽に関してはこのスタジオで作ったものを機械かバ ンド、あるいはデジタルのテ−プで用意する。それには照明の信号も録音されていて、バレ−とファッション・ショウの中間的な要素を持つものを目指すわけだ。要求されるのは演劇的なパフォ−マンスに高度な照明演出や情景を形作るもの。可能ならパリでもフランス人デザイナ−を使って同じショウを作り、それを東京と結び付けることもしたい。」

 そして、話が進むに連れて新しいアイデアが湯水のように飛び出してくるのだ。

「これは演劇的なコラ−ジュだ。もちろん、僕が監督し、リハに始まって全てに指示を与える。会場は以前僕が演奏した浅草のホ−ル、あれは女が足上げて踊るために作られたものだから、(笑) それでもいいし、あるいは百貨店のフロアを使ってもいい。客に特殊なメイクをさせてビデオ化・・・(笑)。それも面白い。ダンサ−が黒子になって文楽のように等身大の人形をメイン・キャラクタ−として使うのもアイデアだって思うんだ。」

 この話を全てここに書けないのが残念だが、今単独で日本のためにできることと言えばこれが唯一の方法だと言うのだ。

「まぁ、今テレビ番組の計画があって・・・ それがうまくゆかなかったら、2年ぶりのツア−の可能性もある。ただ、その2年間ギタ−も触ってないし、以前ツア−中に事故にあってあまり身体も丈夫ってわけじゃないから・・・ 積極的にツア−をしたいとは思ってないが。」

 と、2時間のミ−ティングを終えて、やっと手短かなインタヴュ−となった。

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Frank Zappa  まずはやたらフリ−キィな彼の活動に関しての質問だ。というのも、前述のように音楽はもちろん、映画やビデオ、さらにはオペラやクラシック、そして先ほどの話に出たテレビ番組までなんにでも首を突っ込んでいるのがザッパ。その理由を知りたかったからだ。

「全てやりたい。それだけさ。レコ−ドを出すことが多いから一般の人は僕を音楽家だと考えるんだろうけど、それはひとつのメディアに過ぎない。実際、初めて映画を作ったのが56年頃でビデオは70年。古典の作曲は12歳でやってたし、20歳になるまでロックンロ−ルなんて書いたこともなかった。が、それが別個のものだとは思っていない。どれも、その時々の僕の人間性の鏡で・・・ 例えば、レコ−ドを出せば、そのメディアの中でそれを作った時の自分さ。たまたま経済的だから音楽になってるだけで、金がありゃぁ映画を作るけどね、実際のところ。」

 が、その音楽にしろ、やたらアナ−キィで普通のア−ティストが持っているような彼の 音やスタイルが支離滅裂にも思えるのだ。

「じゃぁ、"これが俺の音だ" って作るのがいいのかい。音楽評論家なんていつもそんなことを要求してるけど、なんの基準があるわけ? 僕は全く逆の見方してるね。同じに聞こえるなんて不自然さ。人間なんて一瞬一瞬全く違うものなんだから、そんな連中は現実を歪曲してると思うね。僕こそ自然なんだよ。」

 でも、それだけフリ−キィに聞こえていながら彼の音にル−ツを感じるのも確かだ。

「レコ−ドを聴いて図書館に行く、そんな安っぽい教育しか受けてないからさ。実際、学校を出て初めて、"生" のある場所でわかるのが音楽だ。例えば、鈴木方式でヴァイオリン学んで楽器は演奏できるかもしれないが、音楽できるわけじゃない。一般のミュ−ジシャンだって同じさ。奴らが音楽しているのはそれを愛しているからではなくて偶発的にそこにあるからじゃないのかい。重要なのは髪型や衣裳、スタイル・・・ その程度さ。そして、普通の人間からスタ−へ自己改造だ。でも、それと音楽とは無関係さ。他の国の人間がアメリカのR&Bやジャズを学ぶ時だって、音を出す技術は学べるかもしれない。が、そのコンセプトはどうなんだい。R&BがR&Bに聞こえるには理由や必然性があるし、それが最も重要なものじゃないのかい。」

そして、そんな傾向を生むのは音楽評論家たちだと、ケチョンケチョンにけなすのだ。

「オ−ディエンスを混乱させているのは奴らさ。ある時期のある人間のある作品を基準にしてそれと比較することしかしないじゃないか。それで何々が素晴らしいだって? 笑わせんじゃないよ。今の音楽のスタンダ−ドを低くしてるのは奴らの責任さ。音楽はそんなものじゃない。作曲に関して言えば、それは個人の意志を、どんなものでもいい、例えば、 楽器によって生み出される音や自然の音、さらには肉体的な動きから光の色をもってデザインすることであり、その個人の意志の増殖を意図した形へ描きだすことだ。が、それを限定しているのが広範な意味での教育さ。奴らが言う音楽は18〜19世紀のほんの10人程度の人間が限られた人種、例えば皇族や法王のために作ったものじゃないか。それはロックに関しても言える。そして、一般人はそれが音楽だと信じ込まされてるわけさ。でも、僕はレコ−ド会社のために・・・ 大統領のために音楽を作ったことはないよ。(笑)」

 音楽が芸術様式であるという認識を攻撃してるのが、一般の傾向だと言うのだ。

「世界中起きているのがそれだ。音楽の可能性を彼らを支配する最低の共通項に押し込めてるのさ。でも、僕はその外にいる。誰のためにレコ−ドを作ってるわけでもない。ラジオで演奏されないことだって充分承知しているよ。ただ、誰かが買ってくれりゃぁ、それでいい。その金でまた音楽を作るだけさ、この世で言う、"間違った方法で"。 (笑)」

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Frank Zappa  ここらあたりから話題は彼自身で作ったレコ−ド会社、パンプキンに結びついてゆく。

「そりゃぁ、リスキィさ。売れなけりゃ金を失うのは僕自身なんだから。でも、逆に売れれば普通なら印税なのに、レコ−ド会社が手にするのと同じ額の金が手に入る。それに、誰にも文句をつけられないだろ。 もちろん、最初からこんなこと考えてたわけじゃないさ。 第一ビジネスなんて最も退屈なことだし・・・ ただの必然さ。自分で作曲すればそれを演奏させたい。かといって、誰がやってくれるんだい? 結局自分しかないわけさ。そうすればどれほど複雑な音楽を作ろうと心配する必要がないだろ?特に今は便利な機械があって、 これを使えばひとりでできるんだから。」

 もちろん、通信販売のシステムを作ったのも同じ必然から生まれたものだ。

「ヨ−ロッパのある地域では僕のレコ−ドが非常に入手しにくいし、ストックしないレコ−ド屋の方が多いわけさ。だから、望む人間が必ず入手できるようにってことさ。プレゼントをつけるのは、音楽を好きな人間と接触を続けていたいからだ。ここにはいつもオ−プンになってる電話があって常に話しができる。夜はテ−プだけど、昼間はスタッフがいてファンに情報を与え、疑問に答える。もし、彼らに答が出せなけりゃ僕にききにくるよ。 基本的にはワイフがそれをやってて、まぁ、彼女の趣味みたいなものさ。」

 ワイフが登場したところで、息子のドゥィ−ジィルと娘、ム−ンのことを尋ねてみた。

「まぁ、12歳でギタ−を始めて今17歳だから、他の子供と比較したらよくやってると思う。アルバムには広範囲の音楽が含まれてて、一般に言われているようなヘヴィメタルじゃない。特にインストゥルメンタルが面白いと思うね。ム−ンは音楽よりは演技や演出といっ た方面に関心があるようだ。まぁ、別に誰に対しても音楽やりなさいって誘うつもりはないけど、アドヴァイスが欲しけりゃ与えるぐらいだね。だって、彼らがやりたいようにすればいいじゃない。えっ、"ザッパ・ファミリィ"・アルバム? あり得ないね、冗談にしても・・・ みんな全く違った方向を持ってるわけだから、いいものが出来るはずがないだろ。」

 スタジオに入っているのが一日約12時間。どうやら不良の父親という感じがしないでもない。さらに、創作にも不健康という気がするのだが・・・。

「まぁ、いわゆる自然指向じゃないから、山を歩いたりする気分にはならないけど、旅は好きだよくやってるよ。それに庭には動物飼ってるし・・・ でも、外界とはテレビでつながってるさ。 ロスには無数の放送局があって、いつも見るのはニュ−ス。だから密室にいても世界で何が起きているかは充分わかるさ。」

 と、そのあたり、"今最もやりたいのはテレビ番組を作ることだ" という発想に結びつくのだろう。

「番組は政治的なコメントを持った音楽を使ってゲストと話をするスタイルなんだけど、全く内容のない、いわゆるト−クショウじゃない。奴らのに欠落している部分や現実に何が起きているのかをもっと伝えるための・・・ 政治的には実にシリアスな番組さ。簡単に説明できないけど、例えば、中近東の問題に関しても誰も知らないわけさ。イスラム教が実は何で、どうしてああなっているのか。奴らにゃ、ヨルダン人もシリア人もタダのアラブ人にしか過ぎないんだろ。それだけじゃなくて、今のアメリカの政府はやたら危険なわけだ。"スタ−ウォ−ズ" もほとんどテレビじゃ語られないし・・・ もちろん、簡単じゃないさ。 メディアは奴らに支配されてるわけだから。

 でも、資本主義の世界じゃ、売れればいいんだから。そう、人が見りゃぁ充分さ。そして、それでもっと合理的なものの見方があるってことを感づかせられればいいと思っている。」

 そう言うと、待ってましたとばかりに政治的な会話が続いていった。核戦略からその背 後に隠れた生物兵器開発の話などなど・・・ そこにはミュ−ジシャンのイメ−ジは全く感じなかったと言っていい。が、だからザッパが面白いと思えたのがこの時だ。できれば、今度はそのあたりの話題を中心にインタヴュ−してみたい。その方が僕にはずっと興味深い。 そんな気分でザッパ宅をあとにしたのはスタジオに入って4時間ほどが経過した頃だった。

87年2月ミュージック・マガジンに掲載

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