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スカとはジャマイカン・ジャズである。ここ1〜2年、幾度も繰り返してそう書いてきたのは、おそらく、スカに与えられているイメージに対する反動が理由だろう。なにせ、誰でも簡単に踊れるのがスカ。しかも、映画音楽から日本の歌謡曲までをカヴァーしたヴァージョンの奇妙なおかしさも否定できない。そのおかげかどうか、スカはチープで下世話でレトロなノヴェルティ・ミュージックのように受け取られているのだ。60年代半ばにヒットした日本初上陸のスカ、ミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ロリポップ」から70年代後半のスヘシャルズを中心とした2トーン・ムーヴメント、さらには、80年代半ばにロンドンのDJ、ギャス・メイオールを中心に上陸したオーセシティックなスカでさえ、残念ながら、風変わりなダンス・ミュージック程度の認識しか与えられていないのだ。 もちろん、そんな人々の功績を認めていないわけではない。それどころか、彼らでさえ過小評価されているようにも思えるのだ。事実、彼らがいなければ、地球の裏側のカリブ海に浮かぶジャマイカのクラシックな音楽が日本でこれほどの人気を呼ぶことはなかっただろう。大ヒットさえしてはいないが、ギャス・メイオール周辺の数々のスカ・グループが来日公演を繰り返し、毎回、数多くのオーディエンスを集めている。また、92年に始まったスカのフェスティヴァル『スカ・エクスプロージョン』も今年で3回目。コンスタントに3000人が集まるこれは、スカが日本で安定した人気を獲得する音楽へと成長したことを見事に物語っているのだ。 さらに付け加えるなら、チープな音楽が悪いと思ったこともなければ、下世話でなにが悪いとも思う。ダンス・ミュージックが低劣な音楽だなんて発想は大間違いだし、音楽の優劣なんぞ、クソ食らえだ。クラシックだろうが、ジャズだろうが、ロックだろうが、演歌だろうが、この世にあるのはいい音楽と悪い音楽の2種類のみ。ところが、音楽にそんな優劣を付けたがる発想がジャマイカ生まれの偉大な音楽遺産、スカの歴史的重要性や未来への可能性を潰してしまっているのだ。その点に関して、特に不満を感じていたのがジャズ・メディアだった。スカのルーツが多分にジャズであるにもかかわらず、彼らがスカを語ったこともなければ、相手にしたこともないのだ。おそらく、そんな不満に端を発しているのが、英国最強のジャマイカ系ミュージシャンが集まったこのバンド、ジャズ・ジャマイカ誕生であり、このアルバム『ザ・ジャマイカン・ビート』なのだ。 通説では、後にレゲエヘと発展してゆくスカが生まれたのは50年代半ばとされている。ジャズ・ジャマイカのトランペッター、エディ・“タンタン”・ソーントンによると、スカを創造したのは、69年に自殺した伝説的トロンボーン奏者、ドン・ドラモンドだということだが、それに関しては諸説があり、明白にはなっていない。が、いずれにせよ、50年代から活躍する当時の若手ジャズ・ミュージシャンがその根幹を作っているのは間違いない。 特に注目すべきはジャマイカ唯一の音楽学校だったアルファ・スクール出身のミュージシャンたちだ。カトリックの尼僧に運営されていたここは、音楽学校であると同時に不良少年の更正施設でもある。そこを卒業したのが前述のタンタンや、後にスカの代名詞とまでなったスカ・バンドの最高峰、スキャタライツを結成することになる人々だ。ドン・ドラモンド、トミー・マクック、ローランド・アルフォンソ、レスター・スターリング、リコ・ロドリゲスなど、シーンに重要な影響を与えたほぱ全てのミュージシャンがここで音楽を学んでいる。 アルファ・スクールが教えていたのはクラシックだった。が、それに飽き足らなかった彼らは独学でアメリカのラジオから流れてくるビ・バップを吸収。当時の有名な逸話によると、ジャマイカを訪ねたルイ・アームストロングがホテルで演奏しているサックス奏者を指差して「わお、ジャマイカにレスター・ヤングがいるじゃないか」と語ったといわれている。それが、現在も精力的に活動を続けるローランド・アルフォンソだ。彼らが観光客向けのホテルで演奏していたのはデューク・エリントンやカウント・ベイシーを意識したビッグ・バンド的なジャズ。また、数多くのクラブで彼らはビ・バップを演奏し、そこに流れ込んできたR&Bがスカの源流を作りだすのだ。ジャマイカで爆発的なヒットとなったR&Bが抱えていたのは、独特のシャッフル感やスイング感。これが強調され、ここにカリプソからメント、ビュールーといった地元の音楽が融合されてスカが完成している。 そして、ジャマイカが独立した62年頃、スカが国民的な音楽として強力な影響力を持つに至るのだ。ぽぽ時を同じくして、サックス奏者、トミー・マクックがスキャタライツを結成。コクソン・ドッドやデューク・リードといったプロデューサーの下、無数のレコードを量産している。おそらく、独立直後の貧困やレコード・プレーヤーがそれほど普及していなかったという時代背景もあるだろう。当時から、ジャマイカ音楽界で最も重要な動きを見せていたのがサウンド・システム。レコードをまるでカラオケのように使って、DJが歌い、話すというスタイルだ。そのせいで、大量生産を余儀なくされたのがインストゥルメンタルの7インチ・シングル。そこで実力を発揮したのがスキャタライツに代表される数多くのジャズ・ミュージシャンだ。 もし、この頃、アメリカのジャズ界の巨人たちがスキャタライツの面々に遭遇していたらどうなっただろうか…… そう想像してみるのも面白い。ちょうどディジー・ガレスピーがキューバでチャノ・ポゾを発掘したように、あるいは、スタン・ゲッツがアストラッド・ジルベルトと出会ったような動きがあったなら、おそらく、しつこいように『スカとはジャマイカン・ジャズである』と、書かなくもよかったろう。いうまでもなく、前者が生みだしたのはアフロ・キューバン・ジャズで、後者はジャズ・ボッサ。となれば、スカ・ジャズなんて言葉がジャズの歴史にも登場していたに違いない。 実際、当時のスキャタライツを中心とした人々の量産したレコードには多分にジャズを意識した曲が含まれている。リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」が「マルコムX」のタイトルで発表され、デイヴ・ブルーベックの「テイク5」も「ザ・ロシアンズ・アー・カミング」の名の下に録音されているのだ。また、スカのジャズ的側面に注目して最近続々と再発されているコンピレイションの数々をチェックすると、それがさらに明白になってくる。ジャズ・スタンダードになった映画やミュージカルの曲などの選曲のセンスはもちろん、ンチャンチャという独特のリズムにのって演奏されるインプロヴァイゼイションは、スカが紛れもなくジャズであることを証明しているのだ。いわば、それを90年代に蘇らせ、新しいスタイルに昇華しようというのが、今回のプロジェクトだった。 御承知のように、レゲエやファンクなどの影響の下に独特のスタイルを築き上げつつあるのがUKジャズ。そのプロセスで彼らが注目したのがオリジナリティとして自らのルーツを再確認する作業だった。ミュージシャンの多くはジャマイカ系移民の2世。そこで彼らが求めたのがレゲエやスカ、あるいは、それをさらに遡ったアフリカだった。まずはコートニー・パインが全曲をレゲエに統一したアルバムを制作し、統いてヴォーカリスト、クリーヴランド・ワトキスが強力なカリブ指向を打ち出したアルバム『ブレッシング・イン・ディスガイズ』を発表。こうしてジャズ・ジャマイカというバンドが登場してくる必然性が生まれてきたのだ。 バンドのリーダーはコートニーと共にジャズ・ウォリアーズの中心人物となっているベース奏者のギャリー・クロスビー。スカ黎明期の最重要ギタリストで、前述の「マイ・ボーイ・ロリポップ」や映画『007ドクター・ノウ』の音楽に大きな貢献をしたアーネスト・ラングリンを叔父にもつ人物だ。現在、ジャズ・ジャマイカと平行して、新しいジャズ・ミュージシャンを育てるためにカムデンタウンにあるジャズ・カフェで『トゥモロウズ・ウォリアーズ』というワークショップを運営する彼が、バンド結成を決意したのが91年。ジャマイカから移住してきた第一世代のミュージシャンに声をかけてこのプロジェクトがスタートしている。 フロントに並ぶのはオリジナル・スカの巨人たち。まずはアルファ・スクールの卒業生ですでにリーダー・アルバムも6枚発表しているトロンボーン奏者、リコ・ロドリゲスだ。かつてアイランド・レコードから発表していた代表作が『マン・フロム・ワレイカ』。なんとこれが、アメリカではブルーノート・レーベルから発表されているのだ。それ以外にも、スペシャルズのホーン・セクションとして活躍し、そのリーダー、ジェリー・ダマーズが設立した2トーン・レーベルから『ザット・マン・フォーワード』や『ジャマ・リコ』というアルバムも発表。また、最近は、日本のミュージシャンとの共同作業で『リターン・フロム・ザ・ワレイカ・ヒル』を録音している。レゲエからスカの世界でトップにたつトロンボーン奏者だといって間違いないだろう。 そして、今やレゲエ界で最も成功しているグループ、アスワドのホーン・セクションとして活動を続けてきたのがトランペッター、タンタンとサックス&フルートのマイケル・“バミー“・ローズ。タンタンはビートルズからストーンズ、フェイセズなどとも録音経験があり、ショージー・フェイムのバンド、ブルーフレイムスのメンバーでもあった。しかも、なんとシミ・ヘンドリックスとアパートをシェアしていたというのだから驚かされる。嬉しいことに、この8月に世界で初めてCD化されたのが、彼が80年頃に録音した最初で最後のソロ・アルバム。クリフォード・ブラウンをこよなく愛するタンタンの歌心溢れた名演奏が、これでまた陽の目をみることになる。一方、マイケルも完全にジャズに徹したリーダー・アルバムを発表しているとのことだが、残念ながら、現在は入手不能で、まだ聴いたことはない。が、ポール・サイモンの『グレイスランド・ツアー』に同行するなど、彼の演奏に対する評価は実に高い。 その他、サルサやアフロ・キューバン・ジャズを中心に演奏を続けているのがパーカッションのトニー・ユターで、そんな旧世代のミュージシャンを支えているのがジャズ・ウォリアーズの若手ジャズ&レゲエ・ミュージシャンたち。やはりアスワドのメンバー、また、マキシ・プリーストの音楽監督として活動していたのがキーボードでプロデューサーでもあるクリフトン・“ビガ”・モリソンで、レゲエからジャズに移行したのが、ジャネット・ケイのバック・メンバーとして来日もしているギターのアラン・ウィークスだ。ドラマーのケンリック・ロウも同じように、レゲエからジャズの世界で活動する卓越したスタジオ・ミュージシャンでもある。 そんな彼らの実力をあますところなく伝えているのが、今年の4月に発表されたデビュー・アルバム『スキャラヴァン』。タイトルから想像できるように、デューク・エリントンの名曲「キャラヴァン」を見事にスカに料理したのがタイトル・トラックだ。また、チャーリー・パーカーの「バーベイドス」なども含まれ、すでに今年最高のジャマイカ系アルバムとの評価を受けている。 さて、それから、わずか半年足らずで登場することになったのがこのアルバムだ。ペースが早すぎるとも思えるが、実は、デビュー・アルバムが録音されたのはもう1年以上も前のこと。その間、彼らは幾度も単独ツアーを続け、セント・ルシアからニース・ジャズ・フェスティヴァルでも演奏するなど、華々しい活躍を続けてきている。そのプロセスでジャズ・ジャマイカの目指す音楽がより明確な形となり、それを端的に示すプロジェクトとして浮上したのがこれだった。スカはもちろん、レゲエやラヴァーズ・ロック、あるいは、ラスタ・チャントとも呼ばれるパーカッションを強調したナイヤビンギ・スタイルからメントなど、ジャマイカの音楽的遺産の上に立ってジャズ界最高峰のレーベル、ブルーノートに残された名曲を中心に独特のサウンドを生みだしてゆく。そんな作業に入っていったのだ。 選曲されたのは、アート・ブレイキーの演奏で有名な「モーニン」や「チュニジアの夜」に「スリー・ブラインド・マイス」やスキャタライツも演奏していたリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」に、ハンク・モブレーのヴァージョンがダンス・フロアでヒットした「リカード・ボサ・ノヴァ」。さらには、ハービー・ハンコックの名曲「ウオーターメロン・マン」にUS3のジャズ・ラップで世界的なヒットとなった「カンタロープ・アイランド」も取り上げている。ジャッキー・マクリーンが愛娘に捧げた「リトル・メロネエ」やカリブの影響を受けているホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」にウェイン・ショーターの「ウィッチ・ハント」… 荘厳でスピリチュアルなサウンドが聴く者を釘付にするデューク・ピアソンの「クリスト・リデンター」といった名曲に、ヴォーカル・ヴァージョンで「テイク5」やヘレン・メリルの名唱で知られるコール・ポーターのスタンダード「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」の全13曲。それがスカをべースにレゲエやラヴァーズはもちろん、メントからジャマイカン・スイングといったスタイルで演奏されているのだ。しかも、UKジャズ・ファンに嬉しいのはコートニー・パインの参加だろう。ジャズ・ジャマイカ結成時から、彼らへの全面的なサポートを続けてきた彼が、このプロジェクトを気に入り、素晴らしいソロを聴かせている。また、やはり強烈なカリブ色を打ち出しているクリーヴランド・ワトキスもアル・ジャロウからボビー・マクファーリンにも比較されるヴォーカリストの本領を発揮。そこに新人で将来が期待される女性ヴォーカリスト、ジュリー・デクスターも加わっている。おそらく、これほどのヴァリエイションを持ったジャマイカン・ジャスのアルバムは、これをおいて外にはないはずだ。 旧来のジャズ・ファンがこのアルバムをどう評価するか…… そんな興味は尽きないのだが、なによりも、これをきっかけに再評価してほしいのが、こんなジャマイカン・スタイルのジャズを創造したジャマイカのミュージシャンたち。ちょうどコートニー・パインが語っていたように、ドン・ドラモンドやローランド・アルフォンソはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー同様にジャズに革命をもたらしたミュージシャンなのだ。このアルバムがそんな作業の糸口になることを願って、このライナーを締め括ろうと思う。 1994年7月20日執筆 |