Ben Harper-Fight For Your Mind

「いやあ、本当に花房さんのおっしゃってた通りですね。こりゃぁ、すごいアーティストだわ。レコードなんてはるかに越えてますよ」

 そう言う人間がいれば、「かっこいいっすね。あんなにすんげえとは想ってなかったすよ」と語りかける人もいた。

 ベン・ハーパーが初来目して、1回目のライヴが終わった、この2月27日夜のこと、東京は渋谷クアトロで、周囲の友人や知人から幾度となくそんな言葉を聞かされたものだ。

「だから、口が酸っぱくなるほど言ってただろうが。ベン・ハーパーはただのブルース屋じゃないって。あんたら、人の言うことなんてな〜んも聞いとらんじゃないか」

 と、その度にそんな悔しい思いが口をついて出てきたものだ。実を言えば、昨年暮れからずっと引きずってきたのがそれだった。なぜかと言えば、初来日を前に、ベン・ハーパーの並外れた素晴らしさを理解して、私にぺ一ジを割いてくれたのは数少ない一般誌。それに対して、音楽誌はベン・ハーパーを、「今時、古典的なブルースを演奏する奇特なミュージシャン」程度にしか見ていなかったからだ。包み隠さず本音を言えば、「音楽誌を作ってんなら、音楽ぐらいまともに聴けよ」と、あの時は、編集者に文句のひとつやふたつぶちまけたい気分になっていたものだ。おかげで、これほど驚異的な魅力を持つミュージシャンに接するチャンスを失った人がどれほどいることか考えてみればいい。

 といっても、一方的に彼らを責めることもできないだろう。実際のところ、私自身、昨年春に発表されたベンのデビュー・アルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・クルーエル・ワールド」を聴いて即座に思い浮かべたのは、誰もが口にしていたのと同様、ライ・クーダーの黒人版。もちろん、彼の過激な歌やちょっと癖のあるサウンドからなにかがあることは感じていたが、彼がただ者ではないことを実感するには、昨年11月17日、ロンドンはポートベロの北にあるクラブ「サブタレニア」で初体験することになるライヴを待たなければいけなかった。

 「今この場所にいられること、そして、この時をみんなと共有できることを神に感謝する」

 ステージに立つなり、ペンは拳を突き上げて、確かこんな言葉でオーディエンスに語りかけていた。その時、彼に感じたのはブルーズよりもレゲエだった。言葉で説明するのは容易ではないが、ペンからオーラのように発せられていたヴァイヴは、結局、ビデオでしか体験することができなかったボブ・マーリーのそれに近かったように思える。

 そして、彼が月並みなブルーズ概念をはるかに超えたところにいるのを証明してみせることになったライヴに突入するのだ。そこから感じたのは職人的なうまさで迫るライ・クーダーとは全く違って、ワイルドでヘヴィな演奏だった。時にはファンキーなスティーヴィ・ワンダー(「スーパースティション」のカヴァーも演奏していた)やフリーキーなシミ・ヘンドリックスが垣間見える。それはアクースティックなブルースのイメージとは全くかけ離れたものだった。

 また、この時、そんな演奏に踊り狂い、叫び声を上げていた友人で、ロンドンのカルト的な音楽誌「ストレイト・ノウ・チェイサー」の編集発行人、ボール・ブラッドショウはベンをこう描いていた。

 「ヤツは奇妙なピーター・トッシュだ!」

 当たらずとも遠からずだろう。ベンを支えるドラムス、パーカッション、ぺ一スから叩き出される強靭なリズムに感じたのはジャマイカのナイヤビンギにも通じるヴァイヴ。ベンがところ狭しと並べられた数々のギターを手に、また、時にはギターもなしで歌い踊る様からは確かに偉大なレゲエ・アーティストのイメージを感じたものだ。ただ、ポール・ブラットショウが指摘したピーター・トッシュとは違って、私にはそれがボブ・マーリーのように思えたことは記しておきたい。

 また、ライヴを体験したからこそ言えるのだろうが、ペンの歌には、自閉症的なプルーズ愛好家が躍起になって守ろうとしている古典的なブルーズの世界は微塵も感じなかった。それよりも、そこで強烈に自己主張をしているのはラップからレゲエ、ファンクやロックを全身に吸収したコンテンポラリーな言葉や音楽性だ。しかも、その身体のなかにはアフリカからブルーズという根っこの音楽が血のように脈々と流れている。これこそがベン・ハーパーの魅力であり、いわゆるブルース・ミュージシャンとの違いなのだ。その違いを理解するのに最適なのがベンが口にしたこんな言葉だろう。

「世の中に素晴らしいギタリストはいっぱいいるさ。でも、ほとんどは過去の遺物をコピーしているだけじゃないか。遺産を保護することを非難はしないし、ルーツには敬意も持ってるさ。でも、そんな連中をブルーズだなんて呼べないよ。それはブルースの再解釈であって、プルーズじゃない。誰だって勉強すれば過去の人がやったことは真似できるんだから。でも、僕が聴きたいのはあんたの心の奥底からわき上がってくるブルーズなんだ」

 これは彼のファースト・アルバムを聴いてライ・クーダーを思い浮かべたと言った私にベンが応えたものだ。もちろん、ライが偉大なギタリストであることは否定しないし、ベンもそれは認めている。が、両者を比較すること自体が、ベンの抱える音楽性を全く理解していないことにつながるのだ。それは続いて彼が語ったこんな言葉からも想像できる。

「だからこそ、ヒップ・ホップに敬意の念を感じるんだよ。だって、あれは進化を続けるブルーズやフォークじゃないか。最近じゃフォークって言葉を使うのに気恥ずかしさを感じる連中が多いけど、僕から見れば、PPMがフォークであったように、パブリック・エネミーもフォークさ。ところが、フォークもブルーズもある種の檻に入れられてるんだよ。12小節がどうしたとか、そんなのどうだっていいじゃないか。確かにマディ・ウォータースやロバート・ジョンソンはそうだったさ。でも、それは彼らの時代の彼らのブルーズなんだ。だったら、自分が生きている今の時代のブルーズを演るべきじゃないか」

 こんな話を聞いていると、ベンのファースト・アルバムが日本に届いた頃、音楽評論家やブルース研究家がいかに的外れなことを口にしていたかよくわかるだろう。彼らがしたことと言えば、連中が言う型にはまった昔のブルースにペンを押し込めることであり、彼らは絶対にその枠の外に出てゆこうとはしなかった。だからこそ、誤解に輪をかけた陳腐で独りよがりな分析しか書けないのだ。

 そんな連中の典型的な誤りが歌に対する認識の低さだろう。ベンがなにを歌っているのか……それを少しでもチェックすれば、あるいは、聞く耳を持っているなら、彼が「今時古くさいプルーズを演る」アーティストではないことはいとも簡単にわかるはずだ。余談になるが、この1月にロンドンのクラブDJでミュージシャン、そしてプルーズ、R&B、スカといった黒人音楽の研究家でもあるギャス・メイオールと一緒に「ウイスキー、ウィメン&ワイン」(TOCP−8564東芝EM1より5月17日発売)というR&Bのコンピレイションを準備していた時のこと、日本から送られてきた資料用のCDの数々に目を通した彼がこんなことを言っていたものだ。

「間違いだらけの歌詞カードを載せて、よく平気でいられるよな。これじゃ、R&Bやブルースの意味なんて全然理解できないじゃないか。あの時代に彼らが歌っていたことにどれほど重要性があるのか、日本の研究家にはわかってんのかな」

 おそらく、わかってはいないだろうし、それはブルース研究家だけではなく、ほとんどの音楽評論家も同じようなものだろう。実際、先日発見したのだが、Tレックスの完全に間違った歌詞カードが20年以上も幅を利かせているのがこの国だ。その間違った日本の歌詞カードを使ってTレックスのカヴァーをやっし間の抜けたイギリスのバンドがいることも笑えるが、それを認めてきた音楽評論家ってえのはいったいなになのか大いに疑問を感じるのだが、どんなもんだろうか。

 さて、話がそれてしまったが、明確にしておかなければならないのはベンの歌や音楽は純粋主義者やエリートが言う過去のブルーズではなく、そのルーツの上に雑多な音楽を吸収しながら同時代を激しく生きるブルーズであるということだ。実際、それを幾度となく主調していたのが彼とのインタヴューだった。

 その時の会話を中心に彼の生い立ちを簡単に紹介してみようと思う。

「父親がパーカッション・プレイヤーで、ラテンやアフロ・キューバンをやってたんだ。お袋はユニークなスタイルのギターを弾きながら歌も歌う人でね。エリザベス・コットンのようなフォークっぽいスタイルさ。だから、生まれてからずっと音楽と一緒に育ったって感じだね。物心つく前から楽器を触っていたし……。音楽が僕を動かす最も大きな力になっているって感じなんだ」

 という言葉からもわかるように、69年にカリフォルニア州で生まれたベンは素晴らしい音楽環境に育っている。そして、やはり彼の心を最初に捕らえたのはプルーズ。私が子供だった頃、ミシシッピー・ジョン・ハートに怒れ込んでいたことを告げると、興味津々な話が彼の口からどんどん飛び出してくるのだ。

「ジョン・ハートは良かったね。お袋のギター・スタイルが彼のと同じなんだ。それに、ロバート・ジョンソンもとんでもない野郎さ。一時、彼のボトルネックに凝って、なんとか彼みたいに演奏しようとしていた時期があってね。でも、あんなに高い音が出せないんだ。弦を替えたって、ぶっちぎれるし……。そしたら、なんとあの頃って、みんな金がないから、ただでもらえるピアノの弦を使って演奏してたんだって。これはブラウニー・マギーに教えてもらったんだけど……。だから、あんなに分厚いサウンドが出せたんだよ。レッドベリーの12弦ギターだってピアノみたいだって言うし、彼の手の力なんてとんでもなかったみたいだよ」

 と、ブルーズ好きには堪えられない話がいくらでも飛び出してくる。かといって、彼が聴いていたのはプルーズばかりではなく、実に多岐にわたっているのもわかるのだ。

「ボブ・マーリーからシミ・ヘンドリックス、ウッディ・ガスリーからレッドベリーにランDMC……。いつだっけか、レッドペリーの「ブルジョワ・タウン」を聴いてた時、ランDMCの曲と同じように聞こえたことがあるんだ。ブルーズが死に絶えることはないと思ったのはこの時だった」

 実は、2年ほど前にやっていたラジオ番組で「レベル・ミュージック(反逆音楽)」というコーナーを作っていたことがある。正確には覚えてはいないが、その時20〜30年代に録音されたr失業ストンプ」や「ホームレス・ブルース」なんて曲をかけながら、そんな歌を歌っていた連中がパンクやヒップ・ホップと変わらないなと思ったことがある。要するにブルーズってのは「朝目が覚めたら、あの娘はいなかった」ってだけじゃないわけだ。おそらく、ベンも同じような感慨を持ったんだろう。  また、彼のアルバムから色濃く感じられるのがレゲエの影響。特に彼がボブ・マーリーに特別な影響を受けているのは一目瞭然だ。

「ボブ・マーリーの歌詞……。彼が歌っていたことが人間性の未来にとってどれほど重要かわかるだろ?彼の歌は学校の教科書にでも使われて、多くの人々に教えられるべきだよ」

 おそらく、来日公演に接した人には簡単にわかるだろう。ラスタ・カラーで彩られた太鼓やリズムに少なからずレゲエの要素がでていたものだ。また、確かライヴで最初に演奏した曲で、このアルバムの巻頭に収録されているrオプレッション」だったと思うが、曲の途中からベンが「ケット・アップ、スタンド・アップ」とマーリーの曲のフレーズを歌いだしてもいた。いずれにせよ、彼がブルーズをべ一スにアフロ・アメリカンとしての芯を持った雑多な黒人音楽をむさぼるように吸収していったのは手に取るようにわかる。そんな彼に大きな力を与えることになったのがタジ・マハールだった。

「17歳の頃に初めて人前で歌いだして……。コーヒー・ハウスとか、そんな場所で。そして、タジ・マハールと出会ったのが20歳か21歳の頃だっけかな。ちょうど彼が僕のホームタウンにやって来てショウをやった時さ。同じ日に僕もライヴをやってたんだけど、僕の方が始まるのが遅くて……。もちろん、僕は彼のショウを見に行った後で、ライヴを始めたんだ。そしたら、今度は彼が僕らを見に来たってのか。でも、僕らがナーヴァスになるといけないと思ったのか、僕らからは見えない場所に彼がいて……。ところが、レッドベリーの曲を演ってた時、突然彼がステージに飛び込んできて、使っていなかったウッド・ぺースを弾き始めたんだよね。ぶっ飛んじゃったってのか。彼がソロまでやって、オーディエンスは大喜びってな感じでね。で、曲が終わったら、なんでもなかったような顔をして自分の席に戻っていったんだから」

 なんでも、ペン曰く「やたらデッカイ」タジに声をかけられたのは、そのライヴが終わってからだった。その時の様子をタジの声色を真似ながら、ペンはこんなことを尋ねられたと言っている。

「おまえはどこの町の生まれなんだ?そうか、地元の人間か。ところで、これから俺のツアーが始まるんだけど、しばらく俺と一緒に旅にでないか」

 ベン曰く「冗談かと思ったんだけど」結局、その2週間後にはタジに渡されたフライト・チケットを片手に、彼のバンド・メンバーとして活動を開始し始めることになるのだ。

「いい勉強になったよ、彼と一緒にいた時期は。毎日が勉強みたいな感じでね。ただ、ある次期に自分の道を歩みたくなったってのか。もちろん、誰がなにをいっても、タジはタジだけど……。それでもベイシックな部分で彼はストレート・アヘッドな伝統的なプルーズなんだ。でも、僕がやりたかったのはちょっと違っているからね」

 タジによって初めてプロフェッショナルなミュージシャンとして活動を始めたペンが、そこからどれほど多くのことを学んだかは容易に想像できる。また、ジョン・リー・フッカーと一緒に演奏したり、ギル・スコット・ヘロンとも演奏。ブラウニー・マギーとの交流が生まれるなど、タジとの活動はペンの世界を大きく広げることになったようだ。

「1日だって、こういった出会いが当たり前に思えたことはないんだ。毎日が奇跡って感じでね。こうやって、僕が君と会って話をしていることだって奇跡だと思うし……それは神に感謝しているよ。その神がキリストでもブッダでもジャーでもなんでもいいんだけど」

 おそらく、そんな気持ちがライヴの第一声になって現れているんだろう。日本でのライヴでもそんな光景が見られたものだ。ちなみに余談になるが、来日公演初日に阪神大震災の現状を伝えると、その翌日からベンが募金運動を始めている。これも彼の姿勢や人柄を端的に示すエピソードだろう。

「役所や組織なんて信じちゃいないから、本当に困っている人たちの下へ自分の手でこの金を届けたいんだ。そりゃ、僕を見て頭のヘンなのがやって来たと思う人がいるかもしれないけど、そんなこと、どうでもいいから」

 と、結局、彼は日本を離れる日の朝、神戸に出かけ、ツアーで集めた金を現地の人々に手渡している。なかには「誰だこれは?」といった目で彼を見た人もいたらしい。が、同時に涙を流して喜んでくれた人もいたという。おそらく、どこの音楽雑誌も新聞もこんな話を書いてはいないだろうが、少なくともこのアルバムを手に入れたペンのファンにはこの話を知らせておきたいと思うのだ。

 さて、その来日公演からわずか数ヵ月で届いたのがベンのニュー・アルバムの試聴カセットだった。「えっ、もうニュー・アルバム?」という気がしないでもないが、その発売目は前作から1年半と、順調なべ一スでのリリースだ。

 まずは日本のライヴでも初っぱなに演奏した「オプレッション」で幕を開け、まるでリヴィング・カラーを思い起こさせる強烈なサウンドを感じさせる「グラウンド・オン・ダウン」につながってゆく。この2曲目を聴いただけでもベンが「ライ・クーダーの黒人版」や「今時の古くさいブルース」ではないことは明らかになる。いわば、前作ではなかなか出せなかった「ライヴでこそ魅力を発揮するベン」がこのアルバムではより鮮明に打ち出されていると言ってもいいだろうし、おそらく、ほとんどの曲がライヴのような形で録音されたんだろう。10分を越える熱演が続く「ゴッド・フィアリング・マン」はそんな醍醐味が十二分に味わえる傑作に仕上がっている。

 また、曲調をとっても、このアルバムが前回以上のレンジの広さを持っていることに気がつくはずだ。ブルーズはもちろん、フォーク、ゴスペル、R&Bからファンクやジャズ、レゲエにヘヴィなロックからクラシックまで、様々な要素がベンの血となり肉となって息づいているのがわかる。まるでボブ・マーリーの「リデンプジョン・ソング」を想起させる「バーン・ワン・ダウン」や強烈なファンク色を感じるタイトル・トラック「ファイト・フォー・エア・マインド」など、、思わずニヤリとさせられるサウンドも素晴らしい。それに、思わず涙腺が潤んでしまいそうな「バイ・マイ・サイド」でのオルガンや、続く「パワー・オブ・ザ・ゴスペル」でのストリングスの起用なども前作にはなかった試みだ。いずれにせよ、どの歌からもこのアルバムにかけたペンの想いが伝わってくる傑作だと思う。

 さて、「レベル・ミュージック」ファンの私には「オプレッション」や「ピープル・リード」やタイトル・トラック、それにホームレスのことを歌った(もちろん、ほかの意味も背後に感じるが)「ギヴ・ア・マン・ア・ホーム」も魅力だ。同時に、彼の生き方をそのまま表明したような「バーン・ワン・ダウン」や切ないラヴ・ソング(あるいは、失恋の歌)「アナザー・ロンリー・デイ」もいい。結局は、どの歌もみんな大好きなんだが、みなさんはこのアルバムを聴いてどう思っただろう。いつかどこかで、みなさんとそんな話題を肴にお酒でも飲めることを期待して、このライナーを締めくくってみよう。

1995年6月10目執筆

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