Jagatara Matsuri クニナマシヱ Vol.3 @ Kawasaki Club CItta (30th Jan '04)
intro
かつて江戸アケミという人物がいた。誰はばかることなく、思いの丈を言葉にして、音にして、そして、自分の肉体にしていた彼がこの世とおさらばしてすでに10余年、彼の警告が現実のものとなってしまった。
日の丸が国旗にされて、君が代が国歌となり、国民は背番号をしょわされて管理されてる。ジャーナリズムは死に絶えて、権力のプロパガンダになりさがったのがメディア。ファシズムの亡霊に参拝する政治家が権力を握り、彼が生きていた時代には口にも出せなかった憲法改正論が幅を利かせている。自衛隊とは名ばかりの軍隊が世界第二位にも匹敵する予算を使い、着々と積み上げてきたのが「存在しているんだからいいんだ」という既成事実。小学生程度の国語力さえれば、自衛隊が、あるいは、独立しているはずの日本に外国の軍隊が居座っていることも、お上の大好きな「法律に違反する行為」だとわかるはずなのに、アメリカにしっぽを振るだけに成り下がったお上は、勝手に「解釈」ですますことができるんだから偉いもんだ。権力こそが法律なんだといのがよくわかる。
同じ穴の狢たちが貧しい民から吸い上げた甘い汁を都合良く分配するのが流行の二大政党制であり、それが現実に近づいた昨今、声なき民の声はさらにかき消され、さらに搾取され、使い捨てにされていく。そりゃあ、あっち側にいれば、楽なんだろう。だとしたら、俺たちの屍の上でうまいモンでも食らってろ。低能な首相に気に入られて、しこたま金でも儲けていりゃ、それでいいだろう。ああ、とんでもない世の中だ。
そんな時代に俺たちが生きていることは、アケミには見透かされていたと思う。だからどうだってこともないんだが、じゃがたら祭りと銘打って集まってきた人やバンドに、脈絡がなさそうで、脈々と流れているなにかを感じることができたのが面白かったし、嬉しかった。サンディーの歌とフラの音楽に原始の鼓動を感じ、レイヴがそのまま68年あたりのシスコにトランスしたかのようなダチャンボでちょいとトリップ。詩の朗読とラップとジャズにサイケなギターが絡んで聞くものをトリップさせたディープ・カウントに精神の奥底に眠るなにかを覚醒させられ、そして、全てを飲み込んでアメーバーのように増殖していく渋さに、混沌の向こうに広がる限りない自由を見た。
さて、その先にあるものは... なんじゃろかい。 |
comment and photo by hanasan
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