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正直言って、イエロー・モンキーというバンドは、97年のフジ・ロックの時にちらっと音が聞こえてきただけで、彼らのことはほとんど知らない。(現場で仕事をしていると、のんびりとバンドをみている余裕なんて全然ないんですよ。特に、あの年は台風の進路をチェックしたり、たった3人でインターネットでの情報を更新したりと、ほとんどなにもみていないと思う)知っていることと言えば、彼らがT Rexの大ファンだということぐらい。かつてイギリスのトリビュート・バンド、T Rextasyを日本に紹介して来日させたときに重なったマーク・ボランへのトリビュート・コンサート「グラムロック・イースター」で、イエロー・モンキーもT Rextasyもゲストで出演していて、そのときの光景を覚えているぐらい。 なんでもあのころからイエロー・モンキーは大ヒットを出し始めて、いわゆるビッグなバンドになっていったらしいんだけど、彼らがテレビに出たりってことぐらいでしか、認識していないわけです。それでも何度もロンドンでライヴをやったりと、噂はどこかから回ってくるんですけどね。だから、正直言って、彼らの音楽のことは全然知りません。 でも、この写真集はいい。こういう言い方をしたらバンドに失礼かもしれないけど、確かにバンドの存在感は重要だし、それがキーワードになるんだろうけど、はっきり言って、バンドはミッチ池田という写真家の素材でしかない。そんな意味で、これはイエロー・モンキーの「写真集」ではなく、ミッチ池田の「作品集」なのだといえる。 それでも、もちろん、ミッチ池田のバンドを見る視点が重要なのであって、ここに収められた「絵」の数々が雄弁にその関係性を語りかけてくれる。この本を彼からもらい受けたとき、(実にうれしいんだ、これが。本人から直接、その人の作品を受け取る時って。だって、その人の分身のようなものじゃないですか)いろんなことを話したんだけど、「やっぱ、愛だよね」ってのがすべてを語りかけてくれるよね。いやぁ、いい写真家だと思う。僕にとっては、(僕も写真を撮るんですが)彼は永遠に僕の写真の先生ですよ。
そういった技術的なことだけではなく、写真家としての姿勢に関しても同じことがいえます。特に97年のフジ・ロックの時、台風に影響された暴風雨の中、他の写真家たちが「なんでこんな雨の中で写真を撮らなきゃいけないんだよ」なんて暴言を吐いていたわけです。でも、彼はずぶぬれになりながら、そして、カメラを2台もだめにしながら、撮影を続けていました。もちろん、カメラを守るためにいろんなものを持ってきていたし、フェスティヴァルには付き物のどんな状況にも対応できるギア(服も含めて)をすべて用意していたのがミッチです。彼はロックだけではなく、写真家の鏡のような人で、彼を前にして、いくら写真を撮っていても、僕は自分のことを写真家なんて言えません。 ともかく、チャンスがあったら、是非、彼の写真を見てください。僕にとって、彼は最高の写真家です。
で、1曲目は敬愛する日本初の本格派ジャズ・ヴォーカリスト、ディック・ミネの名ヴァージョンで、『スイングしなきゃ意味ないね』。正確にはいつ録音されたか知らないんだけど、(こういったアルバムって、そういうデータ的な部分に関してはきちんと書いてくれないんですよ)昔、アナログにはそれが記されていたと思う。うろ覚えなんだけど、当然ながら、戦前のことで、それだけでも半世紀以上前ということになる。それなのに、古さは全く感じさせないし、縦横無尽に言葉を使って、しかも、それがばりばりの日本語なんだけど、違和感も皆無なわけです。初めてこれを聞いたときには、ホント、私、ぶっ飛びましたもんね。 しかも、これ、考えてみれば当然なんだけど、あの当時って、ラジオぐらいしかないわけですね。通常の生活では。SPレコードっていっても、お金を持った好事家のものであり、ラジオだって高価だったんじゃないだろうか。とすれば、彼らはどうやってジャズを探り当て、聞いていたんだろうか... なんて疑問がでてくるわけです。まぁ、そのあたりを映画『上海バンスキング』が描いていたりするんですが... 実際、油井正一さんの書いた『日本のジャズ史』なんて本を読むと、この当時のことがいろいろかかれていて、めちゃくちゃ面白い。なんと、日本のジャズの歴史はアメリカとほぼ同時進行であったようで、これには本場アメリカのジャズ・ファンも腰を抜かすに違いないと思う。ただ、日本のジャズ・ミュージシャンはアメリカではなく、租界であふれていた中国の上海に向かったんだそうな。そこでアメリカのミュージシャンが演奏するところをチェックして、譜面を盗んだりしながら、勉強していったんだとか。とんでもないパワーだ。
この三木鶏郎さんは日本のポップスを考えたときに、服部良一なんかと並んでとっても重要な役割を果たした人なんだけど、服部良一との違いは、なんといっても、冗談音楽にかけたその「毒」だと思う。誰でも音楽をやっていた人間というのは、戦前、「敵性音楽」を聞くというので、とんでもない迫害を受けていたわけで、それは同じだと思うんですな。でも、三木鶏郎にはとんでもない反骨精神があった。それを感じるんですよ。
というので、そこをカットしたんですが、このぎんぎんのロックンロール部分を聞いて喜納昌吉を思い出したのがここにいた若者です。おそらく、「武器を捨てましょ、捨てましょブギー」ってフレーズや「武器を作るんだったら、住宅作れ!そしたら、かわいい彼女とハネムーンだ」なんて歌詞が、そのあたりを喚起させたんだろうけど、エノケンの方が喜納昌吉よりも遙かに影響力がありましたから、これじゃエノケンがかわいそうだ。というか、日本にはこんなに面白く、力強く、正直に人間主義で、同時に過激で、それを当たり前のように歌っていたアーティストがいたんだということを知ってほしいなと思う。 でもって、次は美空ひばりの『ロカビリー剣法』にしようと思っていたのに、曲を間違えて... すいません。ちなみに、この曲は最後に時間が余ったので、使いましたけど、映画で使われた曲で、楽しいことこの上ない。これは自宅に持っている美空ひばりの36枚組全曲集(彼女が他界したときに発売されたもので、ギャラの代わりにもらったもの)からピックアップしました。だから、単発のアルバムではどれに入っているのか、よくわかりません。
このアルバムは彼女たちがスタンダードを歌ったものを集めた2in1風のCD。本当は、ザ・ピーナッツも全曲集とか、そんなボックス・セットを入手したいなぁと思うぐらい波瀾万丈のレパートリーを持っている。同時に、この時代の人に多いのは、やっぱ、上手なんです、歌が。あくまでヴォーカリストであり、その上、双子の姉妹だったというのがザ・ピーナッツの売りだったんですよ。だから、どんな曲を歌わせても、独特のピーナッツ・コーラスで聞かせてしまうわけです。まぁ、それにしても、この曲の日本語はいい。
彼には他にも『スパイク・ジョーンズ・スタイル』という名アルバムがあって、それにしようかとも思ったんだが、強力に笑えるあのサウンドは、ダンスフロアにはちょっと難しいというので、こっちを使うことにした。(ちなみに、このアルバムでジャズ・ギタリスト、後に日本一の無責任男となる植木等がデビューしたんだという噂も聞いたが定かではない) なんでも、このアルバムを録音するとき、彼は担当者というか、ディレクターというか、彼にアプローチしてきたレコード会社の人に言ったんだそうな。 「俺にアルバムを作らせるんだったら、札束で両びんたするか、好き勝手にやらせるかどちらかだ」 当然のように、札束は飛ばなくて、彼が好き勝手にやったら、こんな名作が生まれたということだ。 このアルバムから使ったのは名曲『シング・シング・シング』。今ではゴルフの二木のテーマみたいになってしまったこの曲も(コマーシャルで替え歌になっているのよ)めちゃくちゃスインギーで、とんでもない迫力を持っているわけです。特にこのヴァージョンでは、ジャズ・ドラマーとしてのフランキー堺の魅力を存分に効かせてくれていて、ステレオの右と左でツイン・ドラム風にドラム合戦を繰り広げている。彼のドラムのタッチは映画『グレン・ミラー物語』にも登場したジーン・クルーパという、やたらいきのいいタイプで、これを聞いて体が動かないやつは、はっきり言ってバカだと思うぐらいにヴィヴィッド。まぁ、それだけじゃなくて、ハッハッハと腹を抱えて笑いながらも、ほろりと涙を流してしまうような名曲の名ヴァージョンも収録された、これは日本のジャズとか歌謡界で傑作の1枚だと思っている。 ちなみに、この曲を聴いていたワッツ・ラヴ?の菅野君、声が聞こえてきて、「えっ、これ日本語じゃないですか」と驚いていましたが、日本語で歌うのが当たり前の時代に育った人が、当たり前に歌ったってことなんですが、それを驚かなくてはいけないほど今の日本は言語を喪失しているってことなんじゃないかと思うんですよ。
とりわけダンス・ナンバーでもないし、クラブに向いているかどうか、全然わからないけど、まぁ、ただ単にいい曲だから聞かせたかった。それだけのことさ。 ちなみに、アルバムはこのあたりの歌謡曲を再評価しようとした、おそらく、DJ関連の人たちの作ったものと思うけど、こういった形で埋もれてしまった名曲を再び新しい世代に伝えていく作業って大切だと思うな。だって、最近って、これだけ情報関連の産業が発達したのに、伝えられる情報って限定されたものばかりのような気がするのね。世の中にはおもしろものがいっぱいあるのに、どうして僕らはこれほど狭っ苦しい情報の網の中でしか生きていけないのか? そんな疑問を感じるんですよ。
どの曲も名ヴァージョンに仕上げているんですが、ここからは笠置シヅコの歌でヒットした『ヘイヘイ・ブギー』を使いました。これは、オリジナルでもよかったかもしれないけど、まぁ、徐々に新しい時代の音楽にするのもの悪くはないだろういう判断の下にそうしたわけです。というか、本当は、この後、流したかったのが(おそらく、この日一番使いたかったのが次の曲なんですけど)93年録音ということで、こうせざるを得なかったって感じかな。 ちなみに、この曲、『昔から笑う門にはラッキー・カム・カム』というフレーズが大好きで、思わず幸せな気分になれる。いやぁ、実にポジティヴなポップスです。
特にこの『伊勢佐木町ブルース』は、ちょいとレゲエっぽいベース・ラインが使われていて、かるくレゲエってるわけです。これ、聞かせたかったんだよね、いろんな人たちに... とはいうものの、本当のところ、客入れし始めてしばらくは誰もいなかったし、この曲を流して時だって、そんなにたくさんの人はいなかったから... どうなんでしょうね、誰か聞いてくれてたのかなぁ。そのあたりは疑問。 それにたいてい次にでてくるバンドのことを考えて音楽を流してあげるんだろうけど、私の選曲した音楽とは全く違った世界のバンドだったから、なんか、悪いことしたかもしれないと思ってみたり... でも、どこか、こんな曲しか流していないような飲み屋とかないかしら。あったら、入り浸るような気がしないでもない。
といっても、実をいうと、私、オリジナルを聞いたことがありません。以前もここに書いたかもしれないけど、このオリジナルが大ヒットしたとき(大ヒットしたんですよね..)って、おそらく、80年前後だと思うんですね。そのころ、私は日本を離れてイギリスで青春真っ盛りをやっていたから、日本でなにが起きているとか、全然知らなかったんですね。 だから、この曲を初めて知ったのはワッツ・ラヴ?のヴァージョンで、もう完全に、ストレートに、これに惚れ込みました。こんなに素晴らしい演歌レゲエはないぞ! これは、なんとしてでも多くの人に聞かせたいし、聞いてもらいたいと思うんですよ。
彼らの発表した新しいマキシ・シングル「泣ける程」がどれぐらい売れているのか、全然知らないけど、これは売れてほしいな。
といっても、それほど演歌を感じることはなく、それよりも、ヴォーカリストの雰囲気が、無国籍映画時代の小林旭を思い出させてくれて、これが嬉しかった。もちろん、『ギターを持った渡り鳥』のように牧歌的な雰囲気はなかったけど、言葉へのこだわりを感じるし、歌っていることが嬉しかった。問題は、その言葉がそれほど強く自分の中に残らなかったこと。それは歌が弱いのか、あるいは、PAのバランスがよくなかったのか... よくわかりません。いずれにせよ、できれば、じっくりと彼らのアルバムなりを聞いてみたいと思う。
「声なんかでなくてもロックできるんだよ。それを見せてやるから その通りだ。そして、それをまざまざと見せつけてくれたのがこの日のライヴだった。そりゃ、いつみても彼らのライヴはすさまじい。でも、この日は、言葉には置き換えられないほどのエネルギーがステージからこちら側に向けて発せられていたように思う。前述のように、彼の声はほとんど聞こえない。それでも、彼が抱え、発している言葉はざくざくと胸に突き刺さる。これがロックなんだと思う。
以前、ここにも記したように、彼らは99年のフジ・ロックで仲良くなったトドス・トゥス・ムエルトスと一緒に南米からメキシコ、アメリカ西海岸をツアーしている。それによって、なにかが吹っ切れたのか、どうなのか、よくわからないけど、そのライヴが格段の迫力を持つようになっている。99年のフジ・ロックで彼らをみたときには、気持ちは分かるけど、どこかで空回りしているような印象があったものだ。そんな変化がどこから生まれたのか、そして、彼らの中にどんな変化が生まれていったのか... ただの好奇心かもしれないけど、それをのぞき込みたい。それだけのことかもしれないんだけど... ちなみに、このインタヴューは近いうちにSmashing Magの方で形にしょうと思っている。それと、そろそろ彼らの新しいアルバムが完成するはずだ。ここで彼らがなにを歌い、前のアルバムと比べてどれぐらいの変化が生まれているのか、それを見るのが楽しみで仕方がないといったところだ。
かなりアウト・オヴ・フォーカスというか... ぼけ気味で彼女の写真がジャケットに使われていて、友人としては、なんか、ちょっと嬉しいような... でも、彼女、あの写真よりももっと綺麗ですから。 それにしても、面白いのは、(まぁ、こういうことってよくあるんですけど)あれが録音されてから2年もすぎていることかな。実際、99年のフジ・ロックでORBが来日したとき、彼女も一緒に歌っていたんですよ。残念ながら、こちらは仕事で走り回っていたので、ライヴを見ることはできなかったけど。そのとき、なにを歌っていたのか知らないけど、この曲だったと思うのね。すでにこれが発表されていたら、プロモーションにもなったし... なんか、世の中うまくいかないなぁ。 ちなみに、このシングルを聞いていて、(いい曲だと思うな)これ、ORBってより、アキちゃんの作品そのもののように思えるんですけど、どうなんでしょうね。 さて、あしたはキャンドル教室。すでに5名の参加が決まって、楽しいキャンドル作りが待っているんですが、もし、やってみたいという人がいたら、ご連絡を。日程が合えば、そして、広尾にあるうちの事務所でよければ、いつだって開くことはできますから。 最後に、森首相のこと、もう、バカらしくてなにも言えません。やめろというのは当然なんだけど、それを頭にしてる自民党も、政治家辞めなさい。政治家じゃなくて、汚職家とか政治業界ゴロとでも自分たちを呼ぶべきでしょうね。だって、どう考えたって、そういった汚いことをやっているのは90%以上が自民党でしょ? ホント、たまりませんわ。それに、それと一緒に政権をとって権力をもてあそんでいる公明党とか、保守党とか、それに加えて彼らを選んでいる選挙民も同じ穴の狢だよ。反省しなさい。まぁ、とことん痛い目にあわないと、この国の人たちって自分の置かれている状況がわからないと思うんですけどね。他の国だったら、すでに革命になってますよ。 あと、このところ続いているアメリカの軍隊の狂気沙汰ですけど、昔からいっているように、あんな連中、日本から追い出さなければいけません。なにせ、ここは、一応、(らしいけど)独立している日本という国であって、アメリカの一部じゃないんだから。アメリカ本土じゃ禁止されている危険な訓練を日本じゃばんばんやってるし、どうせ、アメリカの軍隊から見れば、俺たち日本人は黄色い猿なんだろうな。一連の出来事、(原潜のことだけじゃなくて、沖縄のことが特に大きいけど)を見ていると、それがよくわかるよ。たまらんわ。 written in Tokyo on the 22nd February, 2001. |