リコ・ロドリゲスのこと

Rico Rodriguez  いろんなことを話してくれた。リコが東京にやってきた10日。夕方に彼に会ったんだけど、その時から翌日のライヴが終わって、食事を終えてホテルに向かう彼を送り出すまで、本当にいろんなことを教えてもらったような気がする。

 最初の話は、「どうしていたんだい?」って挨拶だった。まずは話し出していたのがここ2年半ほど、テレビでレギュラー番組を持っているジュールズ・ホランドのバンドとの仕事のこと。そのことがよほど嬉しいようで、幾度も幾度もそのことを話していたものだ。もちろん、テレビのなかじゃ、ソロなんてそれほどできることもないし、友人のトロンボーン奏者で私のプロジェクト、Frayzのファイアズ・ヴァージに言わせると、「あれほどのミュージシャンにソロもさせないで、ああいった形で使うのは、飼い殺し」なのだけど、本人はそんなこと、かけらも思ってはいない。「あれはさぁ、ジュールズのプロジェクトだからな。彼が中心で当然なんだよぉ」といっていたのがリコ。それよりも、はっきり言ってしまえば、金銭的に豊かだとはとても思えない彼が、こういった仕事でふつうの生活ができるのだ。それを感謝しないでどうするというのが彼の発想なのだ。

 それにこの番組を通じて、リコのファンだというミュージシャンにもいっぱいであっている。ポール・ウェラーにオーシャン・カラー・シーンを紹介されて、彼らと一緒に録音したり、ツアーをしたり... あるいは、ヴァン・モリソンに「俺の曲をカヴァーしてくれないか」と頼まれたり... いろんなことがあったようだ。

 もちろん、仲間のことも話題になっていた。
「バミーが日本に来るんだって?」
 さすがに、リコのバンドのメンバーだから、よく知っている。マイケル・バミー・ローズはサンドラ・クロスのツアーで6月始めにロンドンで演奏し、そのあと日本に来ることになっているのだ。
「そうか、それはいつなんだぁ? ん、6月かぁ...」
 そんな彼の話ようを見ていると、まるでこの人は小津安二郎の映画にでてくる笠智衆のように思えてしまったり... はっきり言って、この人は優しすぎる。彼が怒るところは何度も見ているし、その怒りがどんな人に向けられているのかも知っている。同時に、その怒りが音楽の背景にあるのも、充分にわかる。でも、どれほど嫌な思いをせざるを得ない状況にいても、彼は自分を愛している人には限りなく優しい。本当のことを言えば、そればかりを感じてしまったのが今回の彼との時間だった。

Rico Rodriguez  そう言えば、「最近、タンタンがすごい演奏をしているんだって?」と話したときのこと。リコは「当たり前だよ、彼はいいミュージシャンなんだから」と大昔の話を始めていたものだ。
「いやぁな、あいつがいたバンドなんだがぁ、50年代の半ばだったよぉ。ロイド・ニブスとロイド・ブレベットとアーネスト・ラングリンとタンタンと、マンボとか、チャチャチャとか、カリプソをやるバンドがおってな、これが良かったんだぁ。このときに勉強したことがぁ、役に立っているんだぁ」
 ということだ。やっぱり、そうなんだよと大きく納得。だからこそ、タンタンはあのワイルドな演奏をすることができるのだ。
「そうだぁ、その時のサックスがなぁ、ルーベン・アレキサンダーと...」
 と、誰かの名前を言ってくれたんだが、残念ながら覚えてはいない。思うに、こんな話になるときに限って、テープ・レコーダーを持っていなくて、悔しい思いをするのだ。面白いことに、「じゃ、インタヴューをしようよ」となったときには、こんな話なんてなかなかすることがなくて、雑談になるといろんな面白い話が飛びだしてくる。なんでなんだろうね。

 というので、真剣に思いましたよ。今度、リコに会うときには、時間を作って、2〜3日、じっくりと、いろんなことを尋ねてみよう。そして、ジャマイカ音楽の隠れた歴史の裏側をきちんと伝えなければと思うんですよ。それを書かせてくれる雑誌があるのかどうかは疑わしいけど、それがダメだったら、このホームページにでも書いてみればいいんだから。

 それに今度ジャマイカに行くチャンスがあったら、かつてスキャタライツのマネージャーだった首相のP.J.パターソンにも会って話を聞きたいし、アルファ・スクールという、音楽の歴史を変えたミュージシャンを生み出した学校にも行って来ようと思う。それはこういった音楽を心から愛する人間の義務のようにも思えるのだ。しかも、リコによるとルーベン・アレキサンダーとか、そのあたりのアーティストがまだ現役のばりばりで観光客相手に演奏をしているというのだ。トミー・マクックが死んで、ローランド・アルフォンソが死んで... こういった時代の重要なアーティストがそれほどの余生を抱えていない今、少なくともレゲエやスカを愛する自分たちのような人間がそういった作業をしていかなければいけないと思う。

Rico Rodriguez  さて、リコと関わりの深いミュージシャンのひとりがベース奏者の大久保さん。もちろん、彼もこの日、顔を見せていた。ライヴを見に来るだけではなく、友人として会いに来る、そんなタイプの人なんだが、リコは彼のことをこんな風に説明していたものだ。
「地元の人間でも怖がっていけないような、そんなゲットーの真ん中であいつと会ったんだぁ。あいつはすごいよぉ」
 その大久保さんと会うのも、おそらく、前回リコが来日したとき以来じゃないかと思う。お互いそれがわかっているものだから、なんとなく不義理が申し訳ないような気持ちだったんだが、大久保さんがいると、リコも饒舌になる。このときもいろんな話をしてくれた。

 ただ、正直言って、インタヴューしようとか、そんなことを考えて彼に会っていないので、話は前後するかもしれないんだけど、とりあえず、自分の記憶に残っていることを、ここにどんどん書き連ねていって見ようと思う。

 そう、日曜日の昼、リコが電話で呼ぶので、ホテルに遊びに行ったときのこと、彼が「いいことを教えてくれたよ、ありがとう」と言ってくれたことがある。それは、例によって、ジャズの話だった。よく彼が言われるらしいだ、インタヴューとかで。「あなたのトロンボーンはすごくジャズっぽいですね」って。そうしたら、「なに言っているんだぁ、俺が演奏しているのはジャズじゃなくて、ジャマイカ音楽なんだぁ」って答えるわけだ。基本的に彼の頭のなかでは「ジャズなんてくそ食らえ」という気持ちがあるし、あの高慢ちきなジャズ関係者の態度を見ていたら、基本的にそれは認めるんだけど... だから、僕は彼にこう話し出していた。

「違うよ、リコ。連中がリコみたいに演奏するんであって、リコが連中のように演奏しているんじゃないんだよ」
 ちょうどこの前見たUB40のビデオに登場していた友人のジャーナリスト、ダーモット・ハッセイとこのあたりは完全に一致した見解なんだけど、ジャズってのは、カリブ海なくしては絶対に生まれてこなかったし、進化しなかったはずだ。

Rico Rodriguez 「そうだなぁ、そうだ。レスター・ボウイもワレイカ・ヒルに2年もいたしなぁ。たしかにそうだぁ。カリプソニアンのロード・フリーも、チャーリー・パーカーの前から口でビバップやっていたし.. 確かにそうだぁ」

 正直言って、リコがどれほどジャズに関する知識を持っているか... それは誰にも想像できないと思う。クリフォード・ブラウンが好きで、彼の名曲「アフリカ」もジョン・コルトレーンからインスピレーションを得ているということ。かつてライナーかどこかに書いたことがあるんだが、ドン・チェリーという、ネナ・チェリーやイーグルアイ・チェリーの父親であるフリー・ジャズのトップ・ミュージシャンに彼が言われたというのだ。
「なんであなたにはそんな演奏ができるんだい。そんなスタイルを勉強するために、僕らはアフリカまで旅をしなければ行けなかったのに...」
 それでもリコほどの「響き」を持つには至らなかったろうが、それが誰にも比べることのできないリコ・ロドリゲスの、この人にしか出せない音であり、表情。とりわけジャズになんてこだわる必要はないのだが、いまだにジャズが高尚な音楽であると鼻を高くしている間抜けなジャズ屋がリコのようなミュージシャンを無視していることに怒りを感じるのは、自分だけではないと思うのだ。

Rico Rodriguez  だからなんだろうね。この日のライヴにも、みんな集まってきていたもの。特にこの写真って、すごいでしょ。左から東京スカ・パラダイス・オーケストラのキタハラさん、スカ・フレイムスのナベちゃん、そして、リコを挟んで、元ミュートビートで今はKEMURIのマスイさんと、スカを愛してやまないトロンボーン奏者がみんな集まってくるわけです。これ考えてみたら、とんでもない写真だよね。

 それはロンドンでも同じこと。Frayzのファイアズだけじゃなくて、僕の大好きなデニス・ロリンズもそうだから。サンドラとの2枚目のアルバムをレコーディングしたときも、「ムーンリヴァー」でソロを録音するためにスタジオに入ってきたデニスが開口一番こういったもんね。
「わかるよ、リコの音が欲しいんだろ」
 その通り。それをそのまま、同時に、デニスにしかない味も加えて演奏してくれた結果があのアルバムに収録されているわけだ。

 今回、たまたま撮影できたこの写真を見ていて、やっぱりゾクゾクする。

 そういえば、話が元に戻るけど、このナベちゃんの家で聞かせてもらったのがリコの作った「スター・ウォーズのテーマ」のレゲエ・ヴァージョンだった。
「あれ、今聞くと、いいなぁ」とリコ。でも、残念なことに、それがCD化された試しもなければ、噂になったこともない。加えて、リコ本人もそれを持っていないのだ。あれは、確かアイランド・レコードに録音したものなんだが、こういった名作が日の目を見ることなく埋もれているのが悔しくてたまらない。実に、リコが録音している未発表作なんぞ、数え切れないほどあるようなのだ。
「そうだぁ、俺の録音した『サイドワインダー』聞いたことがあるかぁ?」
Rico Rodriguez  この日も、そんなことを言われたもんだ。「え、それってりー・モーガン(著名なジャズ・トランペッター)の?」と聞くと、「そうだよ、アイランドで録音したんだ」ときたもんだ。なんでもアイランド時代にはかなり録音していたらしく、これもその時のものだという。

 リコの名作中の名作『マン・フロム・ワレイカ』が廃盤になって何年が過ぎたんだろう。これなんて、レゲエの歴史を語るときに欠かすことのできない名作なのに、今も、倉庫に埋もれたままになっている。自分自身、このアメリカ盤で、ジャズの名門レーベル、ブルーノートから発表されたアナログを手に入れたのは5年ほど前だっただろうか。いくら払ったかは正確にはには覚えてはにないのだが、おそらく、8000円ぐらいだったと思う。こうゆうのって、やはり、良くないと思うよ。はっきり言ってしまえば、レコード会社が無知であり、音楽に対する愛情よりもビジネスがなによりも優先されるからなんだろうけど... 一度、CD化されたことがあったようだが、それも遙か昔のことで、今はこれを入手するのは実に難しいのだ。

Rico Rodriguez  今、最も可能性の高いのは数年前に『Roots To The Bone』というタイトルで発売されたもの。あの『マン・フロム・ワレイカ』からの1曲を削って、当時、録音されたのに発表されなかった幻のアルバム『ミッドナイト・イン・エチオピア』からの曲も加えて発表されたお買い得廉価盤で、これは素晴らしいコンピレイションに仕上がっている。といっても、日本では初回プレスだけで姿を消し、しばらくはアメリカかイギリスからの輸入盤も簡単に入手できたようだが、これが今もまだ入手可能なのかどうかはわからない。

 といっても、リコの作品に関する限り、これからも幾度も再発売されることになるはずだ。その時には、このあたりの作品はぜひとも入手して欲しいものだ。

Rico Rodriguez  さて、ライヴに関してだけど、正確に言えば、あれはリコ・ロドリゲスのライヴではなく、彼のティーチ・インだったという方が正解だろう。どういった書き方をすればいいのか、すごく苦しいんだけど、あれは少なくとも、リコ・ロドリゲスというアーティストのためのライヴではなく、彼をこよなく愛する人たちが彼を呼んで教えを受けようとしたと考えたい。

 今回、彼を呼んだのは、ファンであり、プロのプロモーターではない。だから、問題はいっぱいあった。60代半ばのミュージシャンを京都から東京まで車で移動させたり、リコに「ありゃぁ、豆抜きのライス&ビーズだ」と言わせたのがバックのバンド。レゲエのバンドなのに、当初はギターもいなかったというのだ。急遽、デターミネイションズのヒトシ君がかり出されたり... それに関しては、悲しかったし、悔しかった。

 実際、ライヴの間、リコがソロを少しだけとってくれたのはアンコールでリトルテンポが絡んだときだけ。そのことを彼に尋ねると、こう答えていた。
「あのバンドでワシがソロをとったら、みんなバラバラになってついてこられないから。それよりも、彼らを導いて上げないといけないんだよ」
 だから、前もって言ったように、あれは、リコを中心としたティーチ・インであり、リコ・ロドリゲスのライヴではない。会場にいた人たちがどれほどそれを理解していたかはわからないが、あれがリコのライヴだと思われたら、どうしようもなく憂鬱になる。

 が、同時に、今回リコを呼んだ人たちも、バックをつとめたバンドも非難するつもりはない。それよりも感謝している。なぜなら、ミュージシャンとかアーティストとか、そんな枠を越えて、リコの人間としての素晴らしさを感じさせてくれたからだ。彼の目はまるで子供を見るように、主催者やバックのバンドを見ていた。おそらく、ちらりとバンドに対して言った言葉も、僕が数年前に一緒に仕事をしていたこととか、そのあたりが理由であって、彼はバンドにはそんな言葉を放ってはいないはずだ。

 ミュージシャンとして、そして、類い希な、ワン&オンリーのトロンボーン奏者としての彼のライヴを期待していた人たちのなかには、(自分も含めて)「これはひどい」と言っていた人もいっぱいいた。でも、「彼の言ってることは、まともな英語が話せなくても理解できるんだよ」と言う小玉さん(ミュートビート)が、「今回の主催者責めたらいけないよ」と言っていたのが印象に残っている。実際、それだったら、まずは自分たちを非難すべきだと思うのだ。リコに近く、彼を敬愛し、なんとか彼の音楽の本当の姿を伝えたいと思っている僕らが、なぜ今までなにもしてこなかったのか? それを問いつめるべきなんだろう。

 だから、重ねて言っておきたいのは、今回、リコを日本に呼んでくれた人たち、そして、バックでレゲエを学んだバンドの人たちに感謝したいということ。リコがとてつもなく大きな存在であり、彼の存在そのものがアートなんだということを、まざまざと知ることができたことは大きな収穫だった。

 ただ、本当にリコを愛し、彼の音楽をそのベストの状態で形にしようと思うのであれば、あのやり方ではいけない。それは絶対に学ばなければいけないレッスンのはずだ。

written in Odawara on the 13th of April 1999.

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